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地元の農林高校へゆく。
昼食を兼ねて、インドネシアの農林高校との交流事業のこれからを
話し合う会に参加するために。

交流事業は今年で13年目。
その間、学生派遣団を7回インドネシアに送り、
約10名のインドネシア人を短期で日本に受け入れている。
今日の昼食会では、歴代の校長や
派遣団でインドネシアに行ったOB・OGなどが集まり
これからの交流事業について話し合った。
僕は通訳兼アドバイザーとして参加。

正直なところ、交流事業の現状は停滞気味といっていいだろう。
受け入れも派遣団もマンネリ化してしまっている。
初期の頃は、インドネシアへの派遣においても
学生の応募が殺到する中、弁論と面接で選考を繰り返し
10名程度を送り出していたのだが、
今では、放って置くと、応募がほとんど無いため
関心を持ってくれそうな学生に声をかけて、
なんとか派遣団を組織している有様なのである。

学生からも先生からもよくこういう風に言われるのである。
「インドネシアなんて途上国に行っても、何も学ぶものなんて無いんじゃないですか」と。
うーん、このご時勢にこの台詞がどこからひねり出てくるのか
僕には皆目検討もつかないのだけど、
そういう現状なのだ。
そこでそれを打破するため、
現校長が声かけを行い、昼食会を開くこととなった。

昼食会に参加したOB・OGからは、積極的な意見が聞かれた。
「あの派遣団に参加したことが原点です」と語ったあるOBは、
それから毎年のようにインドネシアに旅行に出かけているという。
「今の仕事に直接関係はしていないですが、それでもあの経験は今でも忘れることは無いです」
と語るOGもいた。
辛い時や理不尽な事があると、派遣団で経験したことを思い出し、
やり過ごしています、という人も多かった。
なかには、それがきっかけとなって留学した人や
学生国際会議に参加するようになった人、
青年海外協力隊に参加した人まで様々だった。

この事業を立ち上げた元校長は、
「血気多感な若者には、こういった交流事業で派遣しても、あまりにも多くの影響を受けすぎて、すぐに効果は見えてこないものです。でも、何年も経って初めてその成果が、じわじわと見えてくる。そのためにもこの事業を継続することが大事です」
と締めくくった。
僕も同感だ。
目に見える成果だけを追い求めすぎる結果が、
今の交流事業を萎縮させているのかもしれない。
問題なのは、今の教育現場での評価のあり方なのかもしれない。
そんな話を、元校長とする。

通訳以外に僕に出来そうなことは余り無いのだが、
この交流事業がきっかけで、僕はあちらの農林高校の実習助手であるH君を
研修生として受け入れる事ができている。
僕の研修事業とこの高校の交流事業。
もう少し交わる点が多くなると良いのかもしれない。
そう思った。
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そういえば、彼らは今、どうしているのだろうか。
不意にそんなことを思い出す。

狂犬病編

 狂犬病。犬の伝染病。病原体は神経系をおびやかすウィルス。
狂暴化して全身麻痺で死ぬ。犬にかまれることで人や家畜も感染する。
水を飲んだり見たりするだけで呼吸困難になるところから恐水病とも呼ばれる(岩波国語辞典第四版より)。

 読者諸君は狂犬病をご存知だろうか?
日本では殆ど見かけなくなった病気だが、海外では発症する犬はめずらしくない。
インドネシアの片田舎、我らのアレジャン集落もそうである。
そう、いたのだ。狂犬病の犬が。
正確な日時は残念ながら、覚えていないし、なぜだか記録もされていない。
しかし、赴任して1年も経たないうちだったと記憶している。
 
 ある夕方、いつものようにペテペテに揺られながら帰宅した私。
家の前でふと立ち止まる。なぜだか村の中が騒がしい。実際に人々が外に出て、話し込んでいる様子ではない。なんとなく雰囲気がいつもと違って、騒々しいのだ。夕暮れ時、農作業に疲れた男どもが帰宅して、一日の疲れをとるために甘いお茶をすする。女たちはおしゃべりをしながらも、せわしく夕食の準備にかかる。そんな日常の夕暮れではない。どこか殺気立っている。家のテラスから私を呼ぶ声がある。『田谷、急いで家の中に入れ!』。そう呼びかけた男もどこかおびえた様子だ。何があったんだ、と私。彼は言葉早に、『犬が来る』、とだけ言った。

 訳もわからず、たたずむ私に家の中から我らの集落長ラエチュ氏が出てきて、無言のまま私を家の中に引きずり込む。その表情から見ても、ただ事ではない。理由はラエチュ氏から聞いた。『田谷、狂犬病の犬がでた。それもこの家から2軒隣りの家からだ。犬は何人かを噛んで、山に逃げた。今、若い男たちが山狩りの準備をしている。危険だから、外には出てはいかん』。恐ろしい話だ。狂犬病の犬なんてまだいるのか、と尋ねた。『何年か前にオランダの人が来て、狂犬病のワクチンを打っていったのだが・・・』とラエチュ。事態がうまく飲み込めなくて動揺する私に、『大丈夫、犬はすぐに殺す。ただしばらくは森や畑には行かないでくれ』とラエチュ氏が言った。その晩、ラエチュ氏は夕食が済むと村人たちと出て行ったきり戻ってこなかった。普段は1時間も働いたら、3時間は休む村人が、狂犬病の犬を一晩中追いかけていたという。しかし、犬はつかまらなかった。

 狂犬病狩りを始めて、2日が経とうとしていた。しかし、犬は見つからない。その間、村の若者が丸太を持って村内部の巡回を努めた。集落のはずれにある小学校を休む子も少なくは無かった。ただ、私の家に居るソンという子は、『狂犬病の犬捕まらなかったら、ずっと小学校に行かなくても良いね。どうせならうちの犬が狂犬病になればいいのに』などと不謹慎なことを口にしていた。うちにも犬がいる。老犬だ。名前はバンバーン。この犬の話はまた別の機会にしよう。さて、2日経っても見つからなかった犬が、3日目の朝、(正確には4時ごろだったと思う)、2軒隣りの家に戻ってきた。寝ずの番(正確には賭けドミノをしていた)をしていた村の若者たちは、一斉に包囲網を敷く。近所の犬もぞくぞくと集まってきた。もちろん、うちの犬バンバーンもその先陣にいる。私も現場に急行しようとしたのだが、ラエチュ氏にさえぎられて、テラスの上で見守る事にした。熱帯の朝は遅い。赤道付近というのは昼夜がなかよく12時間づつ支配している。そのため日の出は6時。しかもアレジャン集落のように真後ろの東に2000メール級の山々を備えた村では、お日様にお目見えできるのは7時から8時ごろとなる。時は午前4時。まだ真っ暗な中、なぜか犬を追い詰める村人。もともと海賊で鳴らしたブギズ人である。インドネシアの3大強暴民族にも選ばれていて、シンガポール辺りでは言うこと聞かない子供に『ブギズ人が来るよ!』と叱り文句になっているくらいの民族である。組織的行動と個人の戦闘能力の高さがなせる技であった。しかし、追い詰められた犬には、相当のダメージを与えたものの、取り逃がしてしまった。それだけではない。新たに2名の若者が犬に噛まれた。

 その後、懸命の山狩りにもかかわらず、狂犬は姿を見せなかった。うし銀行では2頭のうしが犠牲になったらしい。また、元本が減ったわけだ。噛まれた人は全部で5名。私はその人々皆を病院に連れて行くべきだ!と主張したのだが、通らなかった。噛まれた彼らは村のまじない師(ドゥクン)の家に行き、伝統的まじないの治療を受けただけだった。狂犬病とは発症すれば、ほぼ100%死にいたる。有史以来、発病して助かった記録が残されているのは、たった1件である。しかし、私がアレジャン集落に居た最後の日まで、彼ら5名は普段と変わらず元気に農作業をさぼっていた。狂犬病発病に耐えたのは、屈強の戦士を生むブギズ人がなせる業なのか、それともまじない師のまじないは本当に効くのか、今の私にはわからない。ただ、アレジャンには私の常識は通用しないと、この時はっきりと悟った。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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