久しぶりに、土曜日に時間がとれたので、
インドネシアの研修生H君をどこかへ連れて行くことにした。
福井に来て、すでに2ヶ月経ったのだが、
観光地らしい観光地にはまだ一切連れて行っていない。
なので、H君が望む場所へ連れて行くことに。

といっても、H君、福井のことなどさっぱり知らないのである。
そこで、ここ数日福井の観光地のレクチャーを仕事の合間に
簡単にしていた。
代表的なものは、
禅寺の「永平寺」
景勝の「東尋坊」
はたまた日本一の博物館「恐竜博物館」などなど。
どれも興味深そうに聞いていたのだが、
今日、H君にどこへ行きたいか尋ねると、
「電気屋さんに行きたい」
と答えた。

理由を聞いてもはっきりしなかったのだが
とにかく彼の要望でもあったので、地元の電気屋で大型量販店へ行くことに。
そこで彼が興味深く眺めていたものは、
デジタルカメラ
パソコン
そして携帯電話
だった。

それらをじーっと眺めて、H君が一言
「安くない」。
そう、彼は「日本は家庭電化製品が安い」と思っていたのである。
多くのインドネシア人が、
「日本は家庭電化製品が安い」
と信じている。
たぶんそれは秋葉原のような場所がクローズアップされているからであろうが
一般の量販店での価格比較では、
日本の家電が、インドネシアより特に安いわけではない。
インドネシアでも、首都ジャカルタの中華街へ行けば
日本よるずっと安い家電が買える場所があるのだ。
パソコンに関して言えば、ノート型は別だが
デスクトップ型であれば、最新モデルでも5万円も出せば
買えてしまうのである(交渉次第でプリンタも付いてくる)。

デジカメとパソコンの値段の高さにびっくりしたH君は、
「他のお店は福井には無いの?」と言う。
福井の大和田地区は、家電激戦区でもあるので
他に電気屋はあるのだが、値段はそれほど変わらない。
がっかりしていた様子だったが
それでも携帯電話売り場を見つけると一転。
0円と表示されている最新モデルの携帯電話にH君は釘付けだった。

インドネシアでは、携帯電話もかなり普及している。
しかし、クレジットカードによる引き落としではなく、
プリペイドカードによる料金納入システムとなっている。
なので、インドネシアでは携帯電話本体の値段は非常に高い。
そのため、日本で0円と表示されていると驚くようである。

ただ、プリペイドカード式の場合、使わなければ料金はかからないが
クレジットカードによる引き落としシステムだと、
基本料と称して、毎月かならず引き落とされてしまう。
しかもプリペイド式よりも、通話料でいくら使ったのかが
解りにくいという欠点もある。
H君の場合、インドネシアにも電話をすることがあるだろうから
通話料だけで毎月何万円ということもありうる。
なので、おススメは出来ない、と彼には言っておいた。
日本での友人が増え、連絡を頻繁にとりたい場合は携帯を買うがいい。
あと恋人でもできたなら、すぐにでも買えばいい。
ただし、ホームシック気味の今、携帯を買うのはおススメできない。

もう1点、H君が理解しがたいことが1つ。
それは、日本の携帯電話は、インドネシアに持って帰っても
あちらのプリペイド式の携帯電話としては使えないということ。
0円で手に入れて、インドネシアで高く売りさばけば儲かる、なんて浅はかなことを
考えた日本人・インドネシア人は多いだろう。
(インドネシアでは最新モデルであれば、中古の携帯でもかなり高値で売買される)。
だが、それらはかならず失敗する。
なぜなら、僕はすでに実証済みなのだ。
日本の携帯電話(ノキア)をインドネシアで売ろうとしたのだが、
中身のシステムを変更させるのに(クレジットカード式→プリペイドカード式)、
かなり金額がかかってしまうのである。
そのため、改造費が買値を超えてしまうケースがあり、
まったく儲からない。
H君には、そのあたりもきちんと解説しておいた。
さらにH君が一番気になっていた携帯メール(国際メールSMS)は
インドネシアに送ると、1通100円という法外な値段に設定されているという
説明をするとなんだか納得していた。
(格安国際電話カードを利用すると1通20円程度:これも説明済み)。

こうしてH君の福井観光1日ツアーは、
家電量販店で、異文化理解を深めて終了した。
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先日、ごんぼを播く。
河川敷の畑に。
今年ごんぼを播いた畑は、5年前にごんぼを作った畑。
ごんぼは「いや地」が起こりやすい作物で、
1回作付けすれば、その土地は4~5年ほど休ませないといけない。
いや地とは、同一作物の連作によって生じる生長不良や病害虫の多発で収穫量が減ること。

河川敷の畑は、2m掘っても、石一つ出てこない完全な沖積土による砂地の畑。
九頭竜川の中下流に位置する、我が集落の河川敷の畑は、
砂のキメも細かく均一で、根菜類を作るにはこれ以上の土地はない。
川が氾濫するたびにためていった上質の砂の畑。
人為的に作ることなど不可能な畑なのだ。

その畑に、少しだけ手を加える。
大量の炭を入れ、トレンチャーで掘って、ごんぼが伸びるための筋をつけてやるのだ。
炭を入れたほうが、ごんぼの肌が綺麗になる、と父は言う。
トレンチャーで掘ってやることで、ごんぼがまっすぐ太くのびてくれるのだ。

昔はうちの集落では、ごんぼは特産だった。
だが、今では、量産しているのはうち一件のみ。
いや地と掘る手間がかかるので、他の農家は自家用のみしか作らなくなってしまった。
手間と価格があっていないのだが、
生態系から生み出されたうちの集落の農法の1つであるごんぼを
僕はこれからも続けていくだろう。
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カブラハバチの幼虫が出始める。
成虫の大量発生をこの辺りで観察したのは、大型連休の直後。
その後の大発生に気をつけて、これまで観察してきた。

作物の品種にもよるだろうが、
うちの農園の周りには、雑草のイヌガラシが結構生えていて、
僕の観察では、カブラハバチの幼虫は、うちの農園の野菜よりもまず先に、
そのイヌガラシに付く傾向があるように思える。
今回も施設近くのイヌガラシに大量に群がるカブラハバチを発見。
そのため、ハウス内の作物も見て回ると、ぽつりぽつりだが
カブラハバチの幼虫を見かけた。

カブラハバチはアブラナ科が大好きだ。
そしてうちの農園では、
ルッコラからワサビ菜、ターサイ、水菜、つまみな、西洋からし菜などなど、
多種多様なアブラナ科の野菜を栽培している。
中でもカブラハバチは、栽培品種の中では水菜がお気に入りで、
その水菜から付く傾向がある。
だから、施設内外の雑草のイヌガラシと施設内の水菜を特に気をつけてみていけば
初期の発生に気が付くというわけなのだ。

コナガも少々ひどくなってきたので、
今季初で農薬のBT剤を散布する。
BT剤とは、バチルス・チューリンゲンシス(BT)という細胞(菌)を
利用した殺虫剤のことで、微生物農薬の1つである。
農薬と言っても、化学合成農薬とはまた別系統。
有機栽培にも使用可の農薬の1つなのである。

BT菌の殺虫たん白は、アルカリ性の消化液で吸収され、効果が発揮される。
アオムシたち(鱗翅目の幼虫)は、消化液がアルカリ性であるため、このBT菌によって
食中毒をおこしてしまうというわけなのだ。
ちなみに人間の場合は、胃酸ともいわれるように、胃の消化液が酸性なので
BT菌の殺虫たん白は吸収されない、らしい。
散布作業をみていた友人のIさんは、

「つまりは細菌兵器によるアオムシくんの大量虐殺ですね」

とポツリ。
まぁ、そういうことなのだが・・・。
それでも天敵や他の「ただの虫」には影響もかなり少なく、
有機リン系・カーバメイト系・合ピレ系の農薬と違って、
圃場内の生態系を壊滅させることはないのだ。

散布にあたっては、
他の化学合成農薬と違って、薬剤が葉のクチクラ層に浸透移行して
作物全体に効果を発するわけではなく、
BT菌が付着した部分を害虫が食さない限り、効果が出ない。
そのため散布ムラがあると、効果が低くなってしまうのだ。
なるべく散布ムラがないようにするため、
散布時に静電気ノズルを使い、薬剤に静電気を帯びさせ
葉の裏面や全体にまんべんに付着するように、心がけている。

農薬を散布しないに越したことはないのだが、
どうしても単一の作物だけを、市場価値の高い商品作物として栽培する場合、
やむをえず農薬散布をしなければならない時がくる。

だが、初期発生を見逃さず、
適切で生態系にも配慮した農薬を選択し、
散布ムラもなく丁寧に作業すれば、
安全に、そして確実に防除はできるはずなのだ。

かつて青年海外協力隊の農業の技術顧問が
「圃場では、作物ばかりを見ず、周りに生えている雑草もよく見なさい」
と言っていた。
なんのことだか、その時は解らなかったのだが、
今にして思えば、
害虫も養分欠乏症も土壌酸度も、周りの雑草から学ぶことが多いことに気が付く。

肝心なのは
観察力と正確な判断と選択なのだろう。
今年も虫たちとの戦いが、本格的に始まった。
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田植えをする。
先日の田んぼまつりとは別の田んぼ。
田植え機で植えるので、オペレーター(運転手)と
その補助をする2名だけで事足りる作業。
1日で1町歩(1ha)は、かるく植えられるのが、ここの田植えの現在。

この作業を見て、
「日本の田植えは、ずいぶん楽なんですね」
と、インドネシア研修生のH君
平野部だけの田植えをみて「日本の田植え」としてしまうのは、
少々荒っぽい議論なのだが、
おおむね、インドネシアの通常の田植えよりは楽であろう。
H君のお父さんは5反(50a)の田んぼを持っている。
ジャワの平均から考えれば、田んぼを持っている方、に入るであろう。
その田んぼは、殆んどが手作業だ。
田植えも然り。

田植えの作業には、男性もする場合もあるが、
H君の地方では、多くは女性の仕事とのこと。
H君のお父さんの田んぼでは、妻と近所のおばちゃん2名の計3名で
延々と田植えをするという。
5反の田んぼを20日~30日かけて植えるそうだ。
作業を手伝ってくれる近所のおばちゃんは、血縁者ではない。
多くのインドネシアでのシステム(ジャワ・南スラウェシ等)同様、
H君のお父さんの田んぼを手伝うおばちゃんたちは、日当で働くわけではない。
収穫作業まで、一連の作業に関わりながら、
最後に収穫物を分けてもらうことで、労働を提供しているとのこと。
7俵とれるごとに、労働対価として1俵を受け取る仕組みになっている。
H君が言うには、
手伝いに来てくれるおばちゃんたちは、とくに貧しいわけではなく
普通に田んぼも畑も持っている、とのこと。
ただ、H君のお父さんの妻は、他へは手間貸しに行かないところをみると
他の近所の農家よりもH君のお父さんは、土地持ちなのであろうと推測できる。

では、振り返ってみて
ここらの昔はどうだったのだろうか。
今では、機械化になり、手間貸しなどはない。
それも収穫まで、労働対価を受けられないシステムもあまり見受けられない。
祖父母世代までしかさかのぼれないが、
ここら辺りでは、田植えが手植えの頃、やはり手間貸しをしていた。
田植えの時期になると、田の少ないものは、手間を貸すことで稼いだという。
ただし、労働対価は収穫まで受けられないわけではなく、
半夏生と呼ばれる7月の頃かお盆前には、貨幣で清算されていたそうだ。

これらのシステムを日本では、
「結い」などと言われて、相互扶助のシステムのように美談化されているが、
H君の地方とは大きく異なり、労働を貨幣化しているところにあろう。
H君のむらや僕が見たインドネシアの村々では、
日本の昔のように、相互に手間を貸しているが、それらの対価は貨幣ではなく、
収穫物7俵ごとに1俵という、現物支給なのである。
(6俵に1俵の地方もある:労働の割合や内容によっては変化する)。
どちらが良いか、という問題ではないのだが、
同じような手間貸しであっても
かたや貨幣化されない労働として定着し、
かたや貨幣化された労働として定着しているところに、
労働の意味の違いがあるように思えてならない。
(ただし、時代の違いもあるため、その時代だけを切り取って結論付けることは、危険でもあるが)。
これらの対比により、H君たちのシステムの方が、食の安全保障上、
不作による危険回避能力が高い、や、相互扶助能力が高い、と、
いえるかもしれないし、それ以上に一蓮托生的な発想や
地主権力維持につよいベクトルが向いている、と評価できるであろう。
が、しかし、それ以上に、
労働の貨幣化とその根底にある思想について考えさせられるのである。

H君の眼差しをかりることで、
それまで余り意識になかったことに気がつくことがある。
H君が異質に感じるその感じ方をかりて、
農に対して、そしてそれを支える社会認識について、
僕の思考が深まっていくのを感じるのである。
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三国祭りが終わった。
毎年この時期、カレンダーの休日に関係なく、三国で行われる大きな祭り。
6mの武者人形を乗せた山車(やま)が町中を練り歩くのが
一番の見所らしい。
「らしい」というのは、僕は一度もこの祭りを見に行ったことがないからである。
カレンダーの休日に関係なく行われるので、
見に行けるチャンスが少なかったのだ。
というのは言い訳かもしれないが、
とにかく、この祭りに行こうというモティベーションが湧かないのである。
意識の範囲内にない、とでも言うべきか。

ところが、
今から60年ほど前は、うちのむらでは、この祭りに対する意識は違っていた。
「田んぼのきりあげのかた休みっちゅうて(って言って)、三国祭りがある時は、野止めやったんや(野良仕事を休みにすること)。バスで行くもんも居たし、電車で行くもんも居たけど、船で川を下っていくもんも多かったんやざ」
と祖母が教えてくれた。
この頃、田んぼは手作業で機械化は一切されていなかった。
鋤を牛に引かせて、あら起こしをした後、
「きりあげ」(「きりおとし」という人もいる)と呼ばれる作業があった。
鍬であら起こしした田んぼの土塊を細かく砕いていく作業である。
牛にれいきを引かせて、やるものも居たが、
区画整理まえの田んぼでは、そう広くない田んぼであれば、鍬で起こしたらしい。
三国祭りは丁度、そのきりあげの時期だったという。

今では、三国といっても友人が住んでいるくらいで、
特に常に意識の中にあるわけでもない地名であるが、
昔は違っていた。
交通手段にまだまだ船が用いられており、川の下にある三国とのつながりも、
今よりも蜜だったという。
曾祖母の姉妹の多くが、三国に嫁いで行ったという事実からも
僕のむらでは、三国とのつながりは大きかったのだろう。

「このあたりのむらから川下のもんは、田んぼ休んで、みんな三国祭りに行ったんやざ」
と、近所に住む祖父の姉も言っていた。
農耕と一体した祖父母たちの記憶に、僕は感動しつつも、
移動手段の多少の変化と、日曜日を休みとするカレンダーの普及、
そして農耕と関係なく流れていく日常への変化によって
目の前にいる祖父母世代と僕の意識は大きく断絶していることに
愕然となる。
そしてそれを知らずに、今まで過ごしてきたことにも。

近代性の何かが入り込み、僕らが常識だと意識していることの多くは、
地理的に普遍なものが多いのだが、
祖父母世代の話の中には、
時代的に普遍なものが多い気がしてならない。
その消えゆきつつある記憶と意識を
僕はどうにか集めたい。
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三人寄れば文殊の知恵というが、
今日各業種の3人が寄って、ミーティング。
食育活動を実践しようと言うことで、
メンバーのSさんが「お仕事」の話を持ってきてくれた。

そのお仕事とは、
最近、近所に建ったスーパーの予算で、我らメンバーがそれぞれの持ち味を活かして、
「親子料理教室」をやっていこう、というもの。
僕にどこまで料理教室を采配する力があるのか、かなり疑問が残るが、
野菜の話やそれにまつわる自然の力について話し、
珍しい野菜などの調理をする予定でいる。

ということで、日記の新しいカテゴリを作る。
「食育活動」。
このカテゴリをどこまで伸ばせるかは、
この「お仕事」の出来次第であろう。
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相川 明子 編著 『土の匂いの子』.2008年.コモンズ.

本書は、園舎を持たず、自主運営で青空保育を実践し続ける「なかよし会」の記録である。

我が娘の通う保育園で、園舎の増改築を自主的に行う運動をしている。その中で、賛成側からも反対側からも園舎の意義について、それで保育の質が向上するのかどうか、が議論された。結果的には、保育の質向上につながるとして、園舎増改築の運動は現在進展中である。しかし、今一度、保育にとって何が必要なのかを考えたいがために、この本を手に取る。また、園児による体験田んぼを主催するに当たって、土との経験が子どもたちにはどう影響があるのか、それも知りたくて、この本を読む。

本書は、4部の構成となっている。園舎を持たず、自然溢れる谷戸(鎌倉)で、その自然と戯れながら1日を過ごす子たちを描いた第1章「子供が育つ」。自主運営でカリキュラムから保育当番、そして畑作り、など保育活動に参加する親たちを描いた第2章「親が育つ」。そして自然溢れる谷戸が、行政により公園に整備されていく中で、その自然を保全しようと「なかよし会」は運動体へと変化をとげる。さらには、その公園の保全ボランティアとして父母たちが社会へ新たな関わりを見つけていく第3章「社会とかかわる」である。最後になかよし会に入っていた園児OBアンケートが、第4章として紹介されている。

どの章も写真を多用しており、しかもインパクトの強い写真ばかりで、子どもの能力の高さを改めて思い知らされる。頭か足先まで泥んこになったり、虫を鷲掴みしていたり、素っ裸で谷戸を走り回っていたり、もぎ取った木の実をくわえていたり。自然とのかかわりの中で、五感をフルに使い、大きく成長していく様が捉えられている。そこには、汚れたら大変、や、怪我したり病気になったりしたら、などという親の先回り的な心配は微塵もない。子どもはこう育つのだ、という強いメッセージを本書からは感じる。

また青空保育による自然とのかかわり以上に、本書では、父母による自主運営、もしくは運営に主体的にかかわることで、かかわった人間が大きく育つことを強調している。私はこの点に刮目したい。運営にかかわることで、保育が誰かに預けて自己の時間を作るだけの消極的な意味合いから、保育を通して関わり合いを深め、そのコミュニティの成長と共に自己の成長にもつながっていくという発展的な意味合いとなっている。子育てで人生を二度生きることができる、というメッセージは、強く心に残った。そして自主的な関わり合いが身についた親たちは、社会にも同じように積極的に参加するようになる。

なかよし会は素晴らしい。しかし、この会は、ある意味理想の形ではあっても、それが現社会の中で、すべての人に受け入れられる形かどうか、という面で疑問は残る。青空保育や自主運営面では、何の疑問もないのだが、保育者以外に、保育当番を父母が順番で受けるシステムは、フルタイムの共働き家族にはそもそもこれらへの参加は非常に困難であろう。また消極的な意味合いとして、保育を自己の時間を作るため、と上記したが、保育に預けるというのは、そういう意味合いも大きいのだ。週に3回だけの青空保育では、参加できる家庭が限定されてしまうであろう。また病児保育や未満児保育、夜間保育など、現在の社会構造の問題であろうが、現にそういう親たちの悲痛なまでのニーズに、この会はどう答えていくのか、それに疑問が残る。理想的なものだけに目を向けて、参加できる人だけを吸い上げていくのであれば、私はやはりもろ手をあげては賛成できない。

園舎が絶対視されている保育園の増改築運動のなかで、なかよし会の有り様は、一石を投じるものであろう。また五感をフルに使い自然の中で過ごすことの素晴らしさや、それに親たちが主体的に関わることで、自分の成長にもつながっていくという点で、大変面白い本である。しかし保育という過程だけを切り取ってみれば、本書は面白いのだが、矛盾と歪みを含んだ現在の社会の中で、本書の理想はどこまで、幼い子どもを持つ親たちを受け入れられていけるのか、その点に疑問は残った。本書を通して、その点がはっきりしたことが、私にとっては大きな成果である。
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だが、なんとか無事に終えることが出来た。

なんてことない日曜日。
イベントごとが2つ重なっていた。
うちの地区の区民体育大会と、保育園のたんぼまつり。
区民体育大会は、集落の青年会の役員として、
準備から競技まで主体的に参加しなければならないし、
保育園のたんぼまつりは、そもそも僕は主催者の1人なのだ。

だから区民体育大会の準備に、朝から6時半から出て、
そのまま8時半の開会式に出て、競技を2つほど立て続けに出て
ある程度義理を果たしたところで、体育大会を後にし、
11時半頃、保育園のたんぼまつりの準備に取り掛かった。

保育園と若手農業者クラブが共催する形で
田んぼの田植えから稲刈り、そして食べるまでを企画するこのイベント。
その第一弾として、体験田植えが今日行われた。

11時半より、若手農業者クラブ員が集まり、体験田植えの準備を取り掛かる。
水道が近くにないため、2tの水を用意したり、
「ころ」と呼ばれる稲を植えていく目印となるすじを付ける道具を転がしたり、
植える範囲を知らせる支柱を田んぼの中に立てていったり、
保育園が作った看板を立てるために、垂木の支柱を田んぼに埋め込んだり。

12時ごろから保育園職員が集まりだす。
危険箇所(用水路)にコーンとロープを張ったり、
堤防の肩に休憩用のブルーシートを引いたり、
準備物の確認と、手洗い用の桶を設置したり。

準備は大変だったが、何度も打ち合わせをし、当日も多くの人数が
準備に関わってくれたおかげで、スムーズに会場設営が出来た。

1時半。ぼちぼちと園児と親が集まりだす。
参加予定人数は114名。
当日、キャンセルした人が何人かいたが、
100名以上は、まちがいなく参加していた。

若手農業者クラブの副会長から、なかなか良い挨拶があり、
田んぼでの田植えのデモンストレーションをクラブ員が行い、
それから、組ごとに集まって、皆、横一列に並んで田植えの開始だった。
100人以上が一列に並んで田植えをするのは、なかなかの壮観だった。

田植えの体験では、多くが小学生以上だろう。
だが、今回は保育園児。それも年長さんだけでなく、
4歳児、3歳児、なかには2歳児(わが娘も含む)までも居た。
田んぼの泥に足をとられ、動けなくなる子も居れば、
驚くほど早く植えていってしまう子も居た。
孫と参加していたあるおばあちゃんは、
昔を懐かしみながら、田植えを孫に教えていたし、
田植えが初めてだというお父さんは、
子供が泥に足をとられ動けなくなったにもかかわらず、
子供そっちのけで、田植えを楽しんでいた。
(子どもは保育士に救出されていた)。
うちのインドネシア研修生であるH君も体験田植えに参加していたのだが、
田んぼの中での足さばきといい
苗の植える守備範囲の広さといい
植える手つきや安定感といい
クラブ員みんなでほれぼれとしてしまうほどの上手さだった。
すべて手作業で、幼少のころより田んぼを作ってきたH君の体には
そういった技が、すでに染み付いているのだろう。
体のさばき、手つき、いろいろと勉強になった。

園児の中には、当初から心配していた通り、
田んぼにダイブしてしまう子が数名出て、
頭から足先まで、全身泥だらけになっていた。
用意した水だけでは洗い切れないため、
クラブ員が用意したポンプで、用水の水をくみ上げ、それで体を洗浄。
親に怒られることもなく、思いっきり水遊びが出来るということもあって
水場は、気が狂ったかのようにはしゃぎまわる子供たちで溢れかえっていた。

3時ごろ。
無事田植えは終了し、保育園が用意した一口ゼリーを皆で食べる。
クラブ員が気を利かせて、1人1個いきわたるように、
自分の家で生産したトマトを持ってきてくれた。
それをみんなで食す。
良い天気で、暑い中田植えをしたあとのトマトは最高だった。
普段はトマトなんて口にしない子まで、トマトを口いっぱいにほおばっていた。
その後、クラブ員みんなで、園児からお礼のメダルを受け取る。
メダルのリボンには
「有難うございました」と書いてあったのではなく、
「これからもよろしくお願いします」だった・・・。
そう、この体験田んぼのイベントは、始まったばかりなのだ。

4時ごろ。
みんなが解散し、誰も居ない田んぼで、僕は1人で田をならしていた。
数名の園児がダイブしたので、田んぼのあちこちに大きな穴があり、
そのままでは田植え機が入らないからである。
書き忘れていたが、体験田植えは、2反の田んぼのほんのごく一部だけで行われた。
(60m×5mの範囲のみ手植え)
だから残りは、機械で植えるのである。

5時ごろ、ようやく田植え機を入れる。
なんとかスムーズに田植えをし、7時にすべて終了。
長い長い1日だった。

園児や親たちが植えた田んぼは、一切補植しない予定でいる。
補植しなくても、蜜植のところは細く、疎植のところは大きく、
稲はそれなりに育つのである。
そういうもの園児や親たちには見てもらいたい。
それらの稲は、その稲なりに育つ、という姿を。
機械で植えた田んぼよりも、よほど面白みにとんだ田んぼになるだろう。

最後に、このイベントに協力してくれたクラブ員ならびに
保育園関係者、また参加してくださった父母と園児にお礼を申し上げたい。
僕の発案ではありましたが、僕1人では、何も出来ません。皆さんの協力と主体的な参加によって、今日の体験田んぼが成功裏に終わりましたこと、本当に感謝感激です。本当に、本当に、有難うございました。
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インドネシアの研修生H君と、国際交流会館まで行く。
日本語講座を受講するために。

あれから、H君が決断をして、日本語の語学授業を受けることにした。
県内でいろいろな団体が日本語を教えているのだが、
ボランティアで日本語を教えている「日本語の輪を広める会」の授業を
受けることにした。
プライベートレッスンで、1回90分、4回で3000円。

その授業をうけるために、H君と一緒に
8キロ離れた国際交流会館まで自転車で行く。
道を教えるには、一度一緒に走ってやることが肝心なのだ。

国際交流会館には、30分無料でインターネットが使えるパソコンがある。
その使い方も教えて、さっそくインドネシアのメディアにつなげて
インドネシアの情報を検索していた。
これで、あちらの情報へも自由にアクセス出来るだろう。

さて日本語。
教えてくださるのは、少し年配の女性で、エネルギッシュで
とても良さそうな方だった。
農林高校で受け入れているインドネシア人留学生も、
毎年、この方から日本語を学んでいる。
みんなそれなりに上手になって帰国するのだが、
それらはすべて、この先生のおかげなのだろう。

今回は初受講と言うことで、途中まで、僕も授業を受けることに。
すこし簡単な試験をして、H君のレベルが大体わかると、
それにそった箇所からレッスンが始まった。
まずは時計の読み方からだった。

H君は、通じる程度には、時間について話が出来る。
ただ、4時を「よんじ」と言ったり、
「分」の「ふん」「ぷん」の使い方がいまいち正確でなかったり。
僕にしてみれば、通じれば良い、という感覚なので
その程度の間違いはかまわない、のだが、
日本語の先生は、その使い方から徹底的に指導されていた。
それを必死にメモにとるH君。
彼にとって、この機会は、とても重要なものになるだろう。

帰りがけに、日本語の先生から、
「とても飲み込みの早い子なので、すぐに日本語が上達するでしょう」と
お墨付きをもらった。
H君も授業内容に満足している様子で、
以前、協同組合で半ば強制的に、
しかも下手なインドネシア語で教えられた日本語講座よりもずっと良い
と話していた。
「絵を多用して教えてくれるので、とても解りやすかったです」とH君。
どうやら協同組合での日本語講座では、
テキスト内容を先生がインドネシア語に無理やりに訳しながら、
ただ読むだけ(もしくは黒板に文字を書くだけ)の授業だったらしい。
日本語を難解な言葉だと思い込ませるには、
うってつけの授業だったというわけか。

とにかく、毎週土曜日、H君は日本語講座を受けることになった。
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4月から週に2日半程は、父子家庭になる我が家。
妻が県外の大学に勤めるようになったからであるが、
最近、その生活にも少し慣れ、家事もスムーズとは行かないが、
それなりにこなせるようにはなってきた。
これは、妻が出張中の出来事。

我が家では、朝食時に必ずヨーグルトを食べる。
砂糖の入っていないプルーンヨーグルトで、
財布に余裕のある時期だと、これにフルーツをきざんで入れている。
普段は、蜂蜜をかけて、それでおしまい。

先週、知人からメロンをいただいたので、
その時に朝食のヨーグルトに入れて、娘に食べさせてやった。
オレンジ色の果肉で、ほどよく熟しており、
娘は、かなり興奮して喜んでそのメロンを完食した。
だが、それ以来、「メロン、メロン」と朝からうるさく要求するようになった。

それを受けて、さっそく自家菜園にメロンの苗でも植えようかと思ったのだが、
それが実るまではまだまだ時間がかかる。
では、スーパーで買うか、と思い、メロンを買いに行くと、
同じようなメロンは目が飛び出るほど高かった。
これではどうしようもない、と考えあぐねていると、
その横で、そのメロンの半値以下で
プリンスメロンが売っていた。それでも1個380円。
プリンスメロンなぞ、その時期ならば、いくらでも栽培し収穫できるのに・・・と
悔しさしきりだったのが、それでもメロンを我が子に食べさせたくて、
そのプリンスメロンを1つ買った。

翌朝、娘が寝ている間にプリンスメロンをきざんで
ヨーグルトに入れる。
いつもは母が居ないと、朝からぐずるのだが、
起きるなり、僕から「今朝はメロンだよー」といわれると
満面の笑みで、朝食のテーブルに駆け寄った。

娘は嬉しそうに、そのメロンヨーグルトをたいらげて、
にこにこ満足そうに、朝食を終えたのだった。
しかし、食べ終わると、一言、
「次は、オレンジの、メロンにしてね」
と可愛く首をかしげながら言うのである。

あああ、娘よ、自家菜園でメロンが実るまで待っておくれ。
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通訳をする。
インドネシアの農林高校の一団が今年もやってきた。
それにあわせて、通訳をする。

地元の農林高校とインドネシアのある農林高校とが
友好協定を結んでいるのだが、
その友好協定を結んで、実際にこれまで推し進めてきた
インドネシア側の校長が、今年6月定年退職することとなった。
地元の知事選への出馬の動きもあったのだが、
資金不足で断念したとのことだった。
「たけし城」建設の夢は断たれた、というわけだ。
(2007年9月3日の日記を参照されたい)
以上は余談。

さてその校長が定年退職されるということで、
この日の夕食会には、地元農林高校の歴代の校長も幾人かは出席された。
前回の日記にも書いたのだが、
長年続けてきた交流事業も、今、見直しの時期に来ている。
そこで、夕食会の場では、今後の交流事業をどう発展させていくか、の議論になった。

これまで日本側からは10数名の生徒と先生で、3年に1回の割合で
スタディーツアーと称して1週間程度インドネシアを訪問し、
インドネシア側からは、毎年2名の生徒を約3ヶ月間農林高校へ留学させている。
ただ、このように人の行き来があっても、
お互いに見えてくるものがすくないのではないだろうか、というのが
交流事業の見直しの動機だろう。

とりあえず夕食会の場で決まったことは
日本側のスタディーツアーの見直し、
参加者を生徒だけに限定せず、
OBや保護者も参加できるようにしよう、ということになった。
またツアーの中身も、観光地へ行くのではなく、
あちらの農林高校の生徒宅や近くの農家に宿泊して、
素のままの生活を体験しよう、ということで一致した。
またインドネシア側からは、
これまで送られた留学生のその後を調査し
留学の意義を報告書にまとめる作業をすることとなった。

どちらかといえば、交流事業を継続するためには
日本側のモティベーションの維持が必要なのだろう。
途上国と交流しても得るものは少ない、といった感覚を
言葉の端々に感じるのである。
異文化交流をやっていこうと言う場合、
優劣で物事を判断してしまえば、得るものは少ないだろう。

明日も終日通訳。
その中で、交流事業の話し合いも、もう少し進むだろう。
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インドネシア研修生のH君には、
月間報告書を毎月出してもらうことにしている。
長期海外研修制度自体には、そういう制度はないのだが、
僕とH君の間でそうすることに決めたのだ。
その月の成果とそれを得るために工夫した点、問題点、質問を
H君が感じたまま書いてもらい、
さらに、インドネシアに戻ったら何をしたいか、希望を書いてもらい、
それに向けて、今月は何に取り組むべきなのか、自分で目標を設定してもらう
という簡単な報告書。

今日は、4月の報告書についてお互い昼休みを利用して議論をした。
この作業は毎月やる予定でいる。

来てすぐと言うこともあり、報告書の内容は、それほど深くない。
ただ議論する中で、いくつか面白い話も聞くことが出来た。
それはインドネシアに戻ったら何をしたいか、の議論の時だった。

彼は、地元に戻ったら「独占的な野菜」(sayuran eksklusif)に取り組みたい、と書いていた。
なので、この「独占的な野菜」とは何か、で議論になった。
どういう種類の野菜か、というよりは、
どういうことが「独占的な野菜」なのか、という議論。
H君曰く、値段が高い必要はない、という。
ただ自分にしか作れない、もしくは自分が一番上手に作れる、ということで、値段が安定しており、出荷量と需要が安定したもの、と答えてくれた。
研修に参加する前に、彼は数名のグループでパプリカの生産をしていた。
インドネシアの市場では、高級野菜の1つで、
近くの市場では売れないのだが、大きな市場では、それなりの値段になったと言う。
ただ、その大きな市場の近くには、独占的にパプリカを生産しているグループがいて、
そのグループとの競争において、いつも勝てなかったと言う。
要因としては、品質がそのグループよりも劣っていたことであるが、
H君はさらにこう分析している。
「安定的に出荷できなかったということが一番の痛手でした。出荷量も少なかったので、経営的にも輸送代が高くついてしまって、市場での価格競争に負けてしまったのです。ある程度独占できれば、値段は、少しくらい安くても、それで安定できる方が、競争力は強いと思います」。
かなり良い線をついている。
市場について、ある程度センスがあるようだ。
とかく、高く売れる野菜を求めがちなのだが、安定出荷に目が向いているのは珍しい。
品質よりも安定性が重要と語るあたりも、なかなか良い。
(品質は当然大事だが、経営的に見て、より大事なのは安定出荷である。消費者とのギャップは、農作物市場のメカニズムにおいて、まさに貨幣化して交換される価値とそれを支える思想のギャップともいえよう。が、これはまた別の問題。これらを混同してしまえば、経営の多くは行き詰ってしまうだろう。少なくともそれに代わる思想とシステムをある程度の人々で共有しない限りは。僕はその思想の実現にも興味はあるのだが・・・)。

これからが楽しみな若者だ。
とりあえずその独占的な野菜を実践している事例(僕のベビーリーフも含む)を
彼と一緒に考察してみようと思う。

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福井 勝義 編 『近所づきあいの風景』:つながりを再考する.2000年.昭和堂.

本書は、「つきあい」を対象に、様々な集団・共同体・コミュニティを人類学者の視点で観察/考察した論考集である。

8つの論考があるが、地縁によるつきあいにフォーカスを当てたものは少なく、何かしらの場があり、そこに関わる形での「つきあい」を考察している。同郷の会、インドネシアにおける華僑のつきあい、ハワイでエイサーをおどる人たちのつきあい、アフリカのある民族における離散集合のつきあい、などなどである。生産様式から生まれてくる地縁的定住型の、いわゆる農村などにおける「近所づきあい」ではなく、本書が分析しているものは、明言はしていないが、ある価値を共有できる「場」に適度に(かつ自由に)関わることで、自己のアイデンティティ確立や生活に必要と感じられる価値を得られる「つきあい」のように思える。古典的な近所づきあいではなく、生産様式にも左右されず、自由に離散集合を繰り返す現代社会において、それでもなおなぜ「つきあい」が重要なのか、それを各論考で通底した焦点としている。

最終章では、各論者が議論を繰り広げている。そこで福井が、つきあいには地縁・血縁とあるが、「時縁」を強調している。時間原理によるつきあいのことで、ある時間を共有した仲間による「近所づきあい」の重要性を示唆している。ただし議論の中では、その場合、その時間を共有した「場」が必ず必要であり、その意味では、時間原理とは言っても、ある特定の「場」がつきあいを生み出す媒体となるように結論付けられている。この「場」がこれまでの地縁原理とは違う「場」であることは、つきあいを考えていく上で重要な指摘であろう。

何か価値を共有したと感じられる「場」で、それを媒体として、民族性や文化、地縁・血縁を飛び越えて、幾重にも生まれてくる「つきあい」。そのつきあいについて考察を深められる一冊。
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05 09
2008

この数は、
保育園の田植え体験の参加者数である。
112名。
0歳児からおじいちゃん・おばあちゃんまで。
幅広い年齢層が参加する予定となった。
当然だが、0歳児は田んぼにすら入れないだろうけど。

この田んぼ体験企画。
始まりは、保育園の増改築運動だった。
ただ単に寄付金を集めるだけよりも、
何か楽しい事をして資金作りできないか、
そう思って、企画した。

ただこのところ増改築の財務のあり方に、疑問を投げかける人が増え、
また田んぼ体験を保育の中で捉えたいという園側の意向もあり、
さらには、共催する若手農業者クラブからも
特定の保育園の利益に関わることには参加できない、という意向もあり、
実際には、田んぼ体験企画は、増改築運動とは切り離して行われることになっている。
このあたりの調整で、3月4月は本当に疲れたが・・・。

そして今日、人数が締め切られて、
112名の参加を確認した。
これに、さらに若手農業者クラブもメンバーが、
田植え指導として10名前後参加する予定でいる。

なんとか形になろうとしているが、
まったく問題がないわけじゃない。

保育の中で田んぼ体験を捉えたい、という園側の意向の通り、
保育園の年長クラスは、できるだけ全員参加ということになっているのだが、
やはり、増改築運動の一環だと見ている父母もいて、
頑なに参加を拒んでいる人も中にはいる。
妻は、「全員参加を求める園の姿勢に疑問を感じる」と言う。
確かに動機は何であれ、参加の自由があまり強調されないのが
この保育園の特長とも言えよう。
全員一律の参加と協力。
多様性を認め合おう、という立場の僕と妻は、
園のやり方には、少し違和感がある。
だが、今回のことでは、田植え体験はそれをしたら終わりではないのだ。
かかしを作ったり、収穫したり、自分たちで天日干ししたりして、
そして最後にみんなで食すのである。
その一連の流れの第一歩なのだ。
もちろん、個人の都合で、それらの活動のどれかには参加出来ないこともあるだろう。
だが、そのすべてを増改築という理由で参加を躊躇する人がいると、
その子どもが、この一年、田んぼに関わるすべての中で、
「周辺」に追いやられてしまわないか、それが心配でもある。
人は関係性の中で生きており、
その関係性を豊かにすることが、保育であり、教育であり、生きる技であり、
それそのものが「人の営み」ということだと考える。
だから田んぼという場を通して、様々な関係性を深めることは
とても大切なことなのだが、その場へのアクセス権が皆、
平等に保障されているのであれば問題はない。
だが、そうではないところに、今回の問題がある。

全員一律参加はありえないが、
参加への自由も、増改築運動との絡みの中で、十分に保障されなかった。
そういう活動になってしまったことに対して、
反省してもしきれない。

それ以外の問題としては、
若手農業者クラブである。
5月18日が実行日なのだが、どうしてもこの時期、農家は忙しい。
112名もの人数の田植え指導となると、どうしても10名以上は参加して欲しいところだが、
はたしてどうだろうか。

兎に角、田んぼという場を通して、様々な世代や職種の人たちが交流し交差して
その中で少しでも関係性が豊かになれば、と思う。
さらには「周辺」に追いやられる子が出ないことを願うのだが。
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ゴールデンウィークということで、
連日、野菜の苗の定植。
フェンネル、食用ホオズキ、根セロリ、ルバーブ。
そして、自家菜園用に、ナス数種、トマト数種、キュウリ、唐辛子数種。
それらをせっせと定植する。

相棒は、インドネシア人の研修生H君。
(4日だけだが大学の後輩のIさんも手伝いに来てくれた)
定植にあたって、まずマルチがけが必要である。
インドネシア語ではpasang mulsa と呼ばれる作業。
機械でマルチをすれば楽なのだが(機械はむらの蔬菜組合が持っている)、
それほど広くない面積ならば、鍬でやってしまう方が早い。

マルチがけを1本見せれば、
勘のいいH君とIさんは、次々と自主的にマルチをかけて行ってくれる。
そのマルチがけの時のH君の鍬姿が実に良いのだ。
弱冠22歳の若者なのだが、
もしかすると僕よりも鍬扱いが上手いのではないだろうか。
腰が入り、立ち姿に無理が無い。
鍬で寄せる土の量が常に一定。
見ていて惚れ惚れするのである。

あああ、そうなんだよ、インドネシアの田舎で育った連中は皆、こういうのが上手なんだよなぁ。

協力隊の時、僕は派遣された村で、鍬使いが下手だ、と言われてきた。
自分ではそれほど下手とも思っていなかったのだが、
何町部(何ヘクタール)も鍬のみで起こし、鍬のみで除草し、鍬のみで土寄せをし、
鍬のみで収穫作業も行う連中からみたら、僕の鍬使いは下手だったのだろう。

H君もそうだった。
小さな頃から、父を手伝って、田んぼや畑を鍬のみで耕してきた。
だから、僕の畑のように石も少なく、
やわらかい土の畑で(トラクターで耕起しているため)、
鍬を使うのは、「朝飯前」といったところなのだろう。

畑でマルチがけをしていると、
ケーン!ケンケーン!とよく雉が鳴く。
ここは河川敷の畑で、川向には山も川際までせり出ている。
だから、このあたりの畑には雉が多いのだ。
その雉を見かけたH君が、
「あれは誰かが飼っている鳥なの?」と尋ねてきた。
いいや、あれは野生の鳥だよ、と僕。
「どんな味なの?」とH君。
(おいおい、いきなり味の話かよ)と思いつつも、
そうだなぁ、インドネシアのayam kampung(むらの鶏:在来種)に似ているかなぁ、と僕。
Ayam kampungと聞いて目の色が変わるH君。
「あれ、獲ってもいいの?」と聞くので
ああ、獲ってもかまわないよ、君がさばくのなら、わなを仕掛けようか、と僕。
「うん!獲ろう!」。
雉を捕まえて、さばいて食らう僕を、むらの人は奇異な目で見ている。
だが、ようやくこの価値観を共有できる奴が出来た!

あああ、同じ価値観の奴が傍にいるっていうのは、楽しいなぁ。

こうして、
雉が鳴くたびに、「あっ!あの鳥また鳴いた!」と気になってしょうがないH君と、
H君の鍬使いにただただ感心する僕は、
終日マルチをかけながら、野菜の苗を定植していた。
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来客あり。
地元の農林高校の校長先生。
その方、今年から農林高校に赴任され、校長先生になったのだが、
以前も農林高校で教員を務められていた。
思い出すのは2002年。
インドネシアの農林高校と交換留学制度の発足と
その一団を招聘して参加した全国高校文化祭。
僕は、文化庁事業の通訳として付き添い、
招聘の間に、交換留学制度をインドネシアの農林高校と地元の農林高校との間で
結ぶお手伝いをした。
その時の農林高校の担当者だった方が
今回、校長先生として再び農林高校に赴任されたのである。
そして今日、暇を見つけて、ご挨拶に来てくれたのだった。

交換留学が始まった2003年からは、
その方は、他の学校へと移ってしまった。
今回5年ぶりに戻られたのだが、
驚いたことがあった、と話す。
それは、交換留学制度自体が形骸化してしまっていて、
ただ単に続けるだけになってしまっている、ということ。
教員側に、交換留学制度を結んだ当時の情熱が受け継がれていない、とも。
ここ数年、僕も通訳として関わってきているが、
インドネシア人の留学生が学校に居ることによる、
日本人側のメリットが殆んど強調されない、もしくは認識されていないことを
問題だと感じていた。
受け入れ側は、面倒くさいのだが、インドネシアという途上国から人が来るから、可愛そうなので、仕方なくうけいれるか、という認識なのかもしれない。
自分たちが前で、相手方は後ろの存在。
そういう認識に立ってしまえば、相手から学ぶことは出来ない。

校長先生は、もっとお互いに利になるような制度にしたい、と抱負を述べられていた。
今年も5月12日よりインドネシアの留学生がくる。
僕も通訳として、そのお手伝いをする。

この制度自体が、今、岐路に立っているのかもしれない。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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