雪が舞っていたかと思ったら、一転して春の日差し。
近所の白梅は、開花を迎えていた。
こうなると、気持ちが畑にゆく。
今年は何を作ろうか。

昨年作って美味かったホオズキや根セロリは、
もう少し増やしてみよう。
ホオズキのジャムは絶品だったし、
根セロリのカツは、風味や歯ごたえがよく癖になる味だった。
今年は白ナスも植えてみよう。
丸ナス系統と長ナス系統の2種類の白ナス。
それにカンボジアで食べた小ナスも播こう。
親指大の小さなナス。
皮が硬くて、あの時はいまいちだったのだが、
あれこれ品種を選んだので、食感はカンボジアの物とは違うかもしれない。
それと、ゴマ。
手前ゴマは風味が違うとか。
近所のおばちゃんを見習って、作ってみることに。
トマトは、ミニばかりを6種。
おなじみの赤色以外に、黒色、緑色、茶色などなど、
変り種のミニトマトも播いてみよう。
甘みというよりも酸味が美味い。
パスタにすると、これがたまらなく美味いのだ。
そういえば、4月からインドネシアの研修生も来る。
なので、サンバル(唐辛子ソース)に必要な激辛唐辛子も
播かなきゃいけない。
あとそのソースには欠かせないエシャロットも作ろう。
品種は黄色系統よりも赤色系統で、丸く肥大しないものを選ぶ。
インドネシアのものとよく似た品種。
サンバルソースは、焼き鳥に良く合う。
とくにひね鳥。
夏の暑い夜に、これをきんきんに冷えたビールで
胃袋に流し込むのが、最高なのだ。

それら以外にも、フェンネルやズッキーニ、サツマイモ、パプリカ、キュウリ、オクラ、レタス、豆類、雑穀類、カボチャ、ブロッコリ、とうもろこし、しし唐、キャベツ、ニラ、ねぎ、アーティチョーク、ハーブ類などなど。
これらを2~5種ずつ播いていく。
これらは春作のみ。秋作はまた別。
今年も100種は超えてしまいそうだ。

食べるから考えて作る畑は、
僕の中のもう1つの『農』のあり方なのである。
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JA直売所の説明会に参加。
「栽培管理日誌」の提出およびその記述方法、
そしてそれにおっかぶせて生産者の義務と責任について
説明を受ける。

「こんなご時勢なんで、面倒だと思われる方もいるかもしれませんが、この栽培管理日誌は、皆さん(生産者)がご自身を守るためにつけるものです」と説明される。
「守る」ということは、「攻撃される」ということか。
ということは、だれか攻撃してくる「敵」がいるというわけか。
つまりは、無知な消費者が「敵」、というわけか。

システムとしてはこうだ。
4月から栽培管理日誌の記述が無い生産物は、
JAの直売所に出荷できなくなる。
出荷前に栽培管理日誌を直売所の店長(または副店長)に見せ、
サインを貰わないことには、その生産物は直売所には並べられないことになった。
そして、それらの栽培管理日誌は、生産者が管理をする。
消費者からの問い合わせや直売所から提出を求められた時に
その栽培管理日誌を提出しなければならない。
日誌の保管期間は、生産物を最終出荷してから1ヶ月間。

説明会では、
「どういう農薬が、どういう野菜に登録とれているのか知らない」
「少量多品目を小さな畑で作っているから、ある野菜だけ農薬を散布するといろんな野菜にもかかってしまう」
などの質問も出た。
JA側では、どの農薬がどの作物に登録されているかを一覧表にする、と
答えていた。
また農薬の袋にも記載されていると、説明をしていた。
だが、登録の作物は常に変更されるのだ。
その管理と通達を一体誰の責任で行うのだろうか。
生産者に、栽培管理日誌をつけろ、というのはしょうがないのかも知れないが
それで素晴らしい生産物が出来上がるわけではない。
この労力は、ほんの一部の生産者側のフリーライダーと
過剰な反応をする勉強不足の消費者とで出来上がっている。
世の中の発展と
出来上がってくる物の質とそれにかかる労力が正比例していない。
管理、管理、管理。
そればかりに労力を割く。
それが、今の世の中の、発展の方向。

良いものを作る。
そういうことに労力をかけたい。
僕は素朴にそう思う。
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異業種が集まると、それだけで面白い。
いろんな可能性が、そこにあるように感じる。
ある人から誘われて、4人の異業種作戦会議に参加。
シェフ、料理研究家、インターネット業に僕。
農と食を絡ませて、何か面白いことが出来ないか、の作戦会議。

1回目としては、ちょっとネガティブな意見も多かった。
が、基本的には今が追い風だろう。
食育にしても、地産地消にしても、
言葉ばかり先行していて、中身が伴わなかったものでも
今ならば、もう少しまともなことが出来そうなそんな追い風が吹いている。
資金面ではすごく難しいのだけど・・・。
儲けようが先に出てきてしまうと、
やはりそれは言葉先行と一緒になってしまうかも
と思わなくも無い。

義姉が面白い日記を書いていた。
『卵を買う時に』
アメリカがそうだから、日本も、と言うわけではないが、
インドネシアでもやはり消費者はひとつひとつ自分の目でチェックをして買っていた。
チェックする能力があったのだ。

日記の中で紹介されていた記事
まったく同感である。
消費者が産地を作る。まったくそうなのだ。
それを忘れて、勉強もせず、チェックする能力が、利便性によって失われてしまったことに自覚も無く(こういうのをウェーバーのいう『鉄の檻』というんだな)、ただただ『安心安全』だけを叫ばれても、僕ら農民は困るのだ。
かつて消費者運動の先に、三芳野菜のように有機農業の産地が出来上がったりもした。

中国産冷凍餃子問題で
そうした機運は高まっている。
シェフ、料理研究家、インターネット業、そして農民。
その波にのって(もしくは波を作って)、何か出来そうなのだが・・・。
うーん、はたして・・・。
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1月に出張授業をした高校から、生徒の感想文が届いた。
これを読み返すことで、僕の伝えたかったメッセージは
届いたのかどうか、反省ができる。
こういった感想文は、
聴き手というよりも、話し手の能力が試されている、と思う。

毎度のことなのだが、「国際協力」や「異文化理解」と銘打った出張授業では、
どうしても学生がはじめから持っているある種のステレオタイプを
崩すことが出来ないときがある。
今回も数人、そういう学生がいた。

そのステレオタイプとは、
「途上国の人々は貧しくて、助けてあげないといけない」
というもの。
僕は授業では
「国際協力であろうと異文化理解であろうと、まずは自分の『常識』を疑うこと」
と話している。
その常識を支えている観念とその環境に自覚してもらうために
習慣の違いやある事象に対する態度の違いなどを
出来るだけ解りやすく、そして面白く話している。つもりなのだ。
だが、どうしても固定観念から抜け出せない子もいる。
今回も何人かいた。

「1人でも多くの人を救ってあげてください」。
そう書かれた感想文。
美しい言葉で、そしてそれは世の中でありきたりになっていて、
その言葉には、ある種の使命感(僕には危ういとしか写らないのだが)に溢れ、
そしてその裏には関係と役割を固定化させようとしているようにも
僕は感じてしまう。
そう書かれた感想文を読むたびに、
僕は自分の能力の無さを知る。
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こんなことがあった。
直売所では、各生産物に対して値札のバーコードシールを印刷販売している。
それを貼り付けないと、直売所には出荷できない。
そのシールで、誰がどれくらい売り上げているのか、などを管理している。

そのシール。
申込用紙があり、それに記入して提出すると、その場で作ってくれるシステム。
ある日、うちの母がその申し込みをした。
内容は、

品名:リーフレタス
価格:120円
生産者名:田谷満

だった。
これを100枚注文した。
対応したのは、若い男性職員。
そして出てきたシールは、

品名:サニーレタス
価格:120円
生産者名:田谷満

だった。
サニーレタスじゃなくてリーフレタスだ、と間違いを指摘したら、
その場でまた100枚すりなおしてくれた。
そして出てきたシールは、

品名:リーフレタス
価格:100円
生産者名:田谷満

だった。
今度は価格が間違っていた。100円じゃなくて120円だ、と間違いを指摘すると、
またまたその場で100枚すりなおしてくれた。
そして出てきたシールは、

品名:リーフレタス
価格:120円
生産者名:田谷徹

だった。
生産者名が、父から僕に変わってしまっていた。
それを指摘すると、また100枚すりなおして、
ようやく注文どおりだったらしい。

出来るのかなぁ、すべての出荷物につけろといっている栽培管理日誌の管理。
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02 17
2008

こんな日がくるとは。

少量だが販売ツールとして利用していた直売所から、1通の連絡が来た。

内容は、
今後出荷に当たっては必ず「栽培管理日誌」を提出してください、
と言うもの。

栽培管理日誌とは、使用農薬状況とそれを散布した日、
そしてその濃度を書き込むようになっているものである。
ギョーザの一件以来、直売所にも消費者から
農薬の問い合わせが絶えないと言う。
そこで、出荷物すべてに栽培管理日誌をつけなさい、
となったのであった。
その説明会が今月下旬に行われる。
その通知が来たのだ。

さて。
この栽培管理日誌。
説明会に参加してみなければわからないのだが、
果たしてすべての農家がつけることが出来るのだろうか。
そしてその膨大な(しかも毎日更新される)栽培管理日誌の情報を
直売所の職員(農協職員)が、正しく管理・公開できるのだろうか。
かなり疑問を感じる。

通知には、「「登録の取れている作物」に「適正な時期」に「適正な濃度・散布方法」で使用する」と書かれている。
しかし、「登録の取れている作物」は毎年とは言わないが、常に変わるのである。
ある農薬を出荷した時点での登録が取れている作物は、その農薬に直接プリントされているのでわかるだろうが、その後、登録抹消になった場合は、特に通知はされないのだ。
インターネットにでもアクセスすれば、そんな情報は簡単に手に入るのだけど、
そもそも超高齢者産業となりつつある農業において、
インターネットにアクセスできる人は限られてしまう。

ある県外の知り合いの普及員との会話だが、
ポジティブリストが出来たときに、登録の取れているかどうかをどうやって農家に知らせるのか聞いてみたことがある。
その普及員はこう答えていた。
「所轄の農家が、どういう農薬を使用しているのかまでは、なかなか把握できないし、そのすべての農薬で、登録を取れている作物をこちらで調べて知らせる作業をしていたら、それだけの仕事しか出来なくなってしまう。農家個人の責任で調べて使用してもらわないと・・・ 」とのことだった。

大きな産地ならば、生産組合や農協、はたまた普及員が、
その産地の特産野菜について調べることは出来るかもしれないが、
細々とやっている農家の農薬までは、登録作物を調べることは
ほとんど不可能だろう。

インターネットにもアクセスできず、
農薬の袋にプリントされた情報だけが頼りで、農薬を使う農家は多い。
なのに、登録作物は人知れず、変更されてしまうのだ。
そんなほころびだらけの制度の中で、
規制だけが厳しくなっていく。
まともじゃない。
それは、あまりにもまともじゃない。

そして直売所。
消費者だけに顔を向けて作った栽培管理日誌の制度。
毎日とどく膨大な量の情報を、どう使いこなせるのだろうか。

そして消費者。
ギョーザの一件はたしかに恐ろしい。
が、農のなんたるかもわからないまま、情報の開示だけを望む。
ポジティブリストのルール自体に無理があるのに、
それにはなんの反応も示さない無責任な立場から、
そのルールに則っての情報だけを望む。
カタカナで書かれたなじみの無い化学名の情報を見せてもらって
消費者はそれで何を思うのだろう。
何を考えるのだろう。
何に満足をするのだろう。

こんな世の中が続くと、
僕は何かすることに疲れてしまう。
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連日のように種を播く。
そこへ、ある業者が来た。
一昨年までは、この業者が野菜苗の大口だったのだが、
昨年は注文ゼロ。
今年も野菜苗は扱わない、と連絡に来たのだった。

この業者の野菜苗の販路は農協だった。
近隣の市や町の農協から注文された野菜苗をうちで購入していた。
が、その注文が昨年からは無くなったという。
統廃合を繰り返し、農協自体の販売力がなくなったこともあるが、
各集落の農家組合の構造的変化も大きい。
農協を通して流通していた野菜苗は、多くが農家の家庭菜園用。
なかには大口の発注もあるのだが、爺さん婆さんが楽しみで買っていたものである。
集落ごとに違うが、苗の注文は、直接農協にしたり、
農家組合で取りまとめたものを農協にだしていたりしていた。

農協を通しての流通内部を見れば、
農協が人員不足と薄利部門切捨てで、苗販売を取りやめたと同時に
苗の分配に大きな役割を担っていた農家組合の非農家化が大きい。
農家組合の活動が、農業カレンダーからサラリーマンカレンダーへの移行により、
各農家組合が、苗の配分作業を面倒がるようになったと言う。
(土日の休日をつぶして、いつ苗を取りに来るかわからない年寄りを
待ってないといけないから。)

苗全体の流通から言えば、
ホームセンターの台頭により、より安価(より質の悪い)な苗が
いつでも購入できるようになったことが大きい。
農協に注文しても、すぐに苗が来るわけではない。
苗の配送の日は決められていて、その日まで待たないといけないのだ。
田舎の年寄りは、そんなに気長ではない。
農協しか苗を買うところが無かった時代ならいざ知らず、
最近では近くの国道沿いに立派なホームセンターがあるじゃないか。
だからみんなそっちに買いに行くようになってしまったのだ。

うちの苗の出荷総額は、10年前の5分の1にまで落ち込んでいる。
一時は、苗農家になろうか、と考えたこともあったくらいだったのに。
流通とそれを支えている組織の構造が変われば、
ここまで大きく、しかも短期間で変化をしてしまうのである。

僕は、労働の成果の延長上から流通が生まれ、
そしてそれで産業が成り立って欲しい、と
願うのだが、どうも現実は違うようである。
流通があり、そして産業が興るのであろう。
流通に刺激されて、うちは苗農家になろうかというくらい
一所懸命、苗を作った時期もあったが、
今は流通に刺激されて、苗作りを閉じようとしている。

協力隊時代や留学時代、
僕は、地元の潜在能力や資源を活用した産地作りに目を向けていた。
それには、地元の人には「あたりまえ」と思っていることを
資源として捉えなおすことが大事だと考えていたが、
農業をやり始めて、さらには協力隊時代の失敗を思い返す度に、
資源に目覚めると同時に、それと同じくらいそこにある流通に目が向かないといけない
と考えるようになった。
特に貨幣を通しての流通の場合は、だ。
今まで見てきた産地作りの失敗は、
地元の人が、そこにある資源に気がつき、それをもとに製品を作っても、
売れないと言うことである。
それらの多くは、外部から受けた刺激で始まったことではあったが、
流通から受けた刺激ではなかったのだ。

交換価値あるものとして何かの産地をつくりたいのであれば
その土地の交換価値の流れと価値を規定するもの、そしてそれを支える構造を
見定めないといけないのだろう。

苗づくりの変遷から、そんなことを改めて学んだ。
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雪が舞う中、春に向けて種を播く。
ナスとピーマンなどを播く。
この作業、春に野菜の苗として販売するためにしているのだが、
一部は自家菜園用として、作付けもする。

この種まきの作業。
家族やパートさんたちとやるのだが、
僕はなんともいえずこの作業が好きだ。
昨年のそれぞれの自家菜園の出来を話しながら、
またそれらの味がどうだったかを話しながら、
種を播く。
そうした話から、今年は何を作ろうか、という話になり、
新しい品種や思いがけない伝統種などを播くことになったりもする。
さらにはそれをどう食べたら美味しいか、で話が盛り上がり
そこから自分の1年の農がデザインされる。

食べることから見える農の姿は、
僕にとって、とても大切な部分。
この感動が皆にも伝われば、
あるいは食の安全安心の議論はなくなるのかもしれない。
そんなことを夢想する。

某ラジオ局で、農薬について短い特集があった。
コメンテーターは、
「無農薬で農業をしてもらうのが一番ですが、病気や虫にやられたて全滅したら、私たち消費者も大変ですし、生産者も大変です。お互いの合意が得られる農薬使用の範囲を作れるのが一番です」と言っていた。
が、生産者と消費者といった2項対立的に捉えて違和感が無いくらい、
社会の構成がおかしくなってしまっていること自体に、
目を向けないといけないような気がする。
合意をして、ルールを作り、規制を作り、違反者に制裁を与える。
そんなことの繰り返しだ。
食と農が、消費者と生産者といったように対立的に語られ、
それらが分断したままの状況では、それもいたしかたないのだろうか。

自分の食卓を彩る食べ物を、
栽培から食べるまでデザインできない(または「しない」)人々には、
このギャップは見えてこないのかもしれない。
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センター・フォー・エコリテラシー 著 ぺブル・スタジオ 訳 『食育菜園 エディブル・スクールヤード』:マーティン・ルーサー・キングJr.中学校の挑戦.2006年.家の光協会.

地元の農協で見かけて手に取る。丁度、今年、保育園で田んぼ体験をやることにしていたので、タイムリーだった本。

本書には、マーティン・ルーサー・キングJr.中学校での学内菜園の取り組みを中心に、同中学校における改革(カリキュラム編成、教師・生徒の意識の変化)について書かれている。学生達は、学内の菜園での作業を通して、生態学的なつながりを理解し、解説されただけの学問から体験を通して蓄積していく学びへと変化していく。学内で栽培された野菜は、学内のキッチンで調理され食される。そのため、菜園ではただ単に野菜を栽培するのではなく、食べる事から意識された「農」が展開されている。また一般のカリキュラムと菜園は有機的につながっており、数学では灌漑用水の計測、理科では光合成の理解、美術では菜園をモデルにスケッチを行い、国語ではガーデンニュースや作文を書くなどの取り組みを紹介している。

またこの菜園などの取り組みを通して、学内改革を進めてきた前校長の具体的な変革へのプロセスが興味深い。乗り気では無かった教師達をその気にさせ、「8段階投票方式」(p63)などを使い、新しい取り組みの芽をつぶさせない工夫が読むことが出来る。またフリッチョフ・カプラの解説も一読の価値あり。グループの中で絶えず新しいことが生まれてくる「創発」(emergence)が発生しやすい組織のデザインとそれを維持できる設計的構造という概念を用いて、同中学での取り組みの成功を解説している。生態学的な学術的アプローチの重要性も示唆している。

写真も多く、読みやすい。単に学内菜園だけにとどまらず、それを基点に多くのかかわりが、紹介されている。「食育」というとどうしても言葉だけが先行してしまい、何を学ぶべきなのか、すでにぶれてしまっている現在なのだが、本書ではその原点というべきものに触れることが出来る。「食べる」ということから「農」をデザインする。そしてそのなかで実体験としての学びへとつながっていく。これが本書の要点であろう。
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保育園増改築の役員会あり。
4000万予定で始めた設計だったのだが、あれもこれもと盛り込んだら、
金額が5000万を大きく超えてしまった。

そのなかで、父母の募金でまかなうのは1000万。
あとは保育園側の借金。
現在も多額の借金をかかえていて(計画通り返してはいる)
さらなる借金の上乗せが、やはり心配でもある。
理事長は
「借金が1000万から1500万、2000万になっても、問題ない」
と力強く発言していた。
5000万を大きく超えても、父母の募金金額は1000万で固定。
なのだが、さてさて。
今月の29日に保育園の総会がある。
その総会で、現在の設計案の承認をもらうことになっている。
だが、波乱が予想される。
前回の総会で、今回の増改築で保育園の借金は増えない、と理事長が皆を説得して
なんとか賛同を得たのだが、今回の案では、借金は増えてしまうのだ。
役員の中でも意見は半々。

「一度に良いものを作ってしまうほうが、後からの付け足しより結果的に安くつく」
「父母の賛同を得られないんじゃないか」
「4000万で収まる設計にしたほうがいいんじゃないか」
「この案でも必要最低限だ」
などなど。

保育園の借金返済計画は、保育士の給料や事務用品などの
経費を削っての返済予定なのである。
保育士の人数は現体制を維持しながら、給料を少しカットするらしい。
職員は「それでいい」というのだ(必ずしも全員賛成でもないだろうけど)。
父母の中にはその事で、保育の質が低下するのじゃないか、と危惧する声もある。

良い園舎も大事だろうが、
ハコモノが保育をするわけじゃない。
僕はそう思う。
4000万と5000万の違いが、保育園側にどれだけの負担なのか
役員でも見えてこないのだが、要はその負担が重いのか、それほどでもないのか
ということだろう。

判断材料が乏しいまま、29日総会が開かれる。
今の僕にわかることは、「相当もめる」ということだけだ。

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ふきのとうが、もう顔を出していた。
近くの堤防に。
先週辺りから、春を見逃すまい、と
せっせと堤防を散策していたのだ。
さっそく摘み取り、それを食すことに。

数日前に、スーパーの特売で買った豚肉を
塩で漬け込み、冷蔵庫で寝かせていた。
ので、それと一緒にリゾットを作った。
春の苦味がさわやかで、
まだまだ寒く、今日も小雪が舞っていたのだが
気持ちは春に向かっていた。

まだ少し先の春だが
一足先に味わった夜だった。

レシピ 4人分
米  2合
豚肉 150g
塩  大さじ1
にんにく 2かけ
ふきのとう 好きなだけ
オリーブオイル 適量
白ワイン  お好み
胡椒  お好み

①豚肉を密閉できるビニル袋にいれ、大さじ1の塩とにんにく1かけで漬け込む。それを冷蔵庫で1晩寝かせれば塩豚の出来上がり。

②フライパンにオリーブオイルをひいて、にんにく1かけをいれ、塩豚肉を焦げ目がしっかりつくまで焼く。

③米を洗わないでそのまま入れる。米に豚のうまみをしっかりとしみこませる。米が透明になるまで、いためる。焦げ付きそうなら、白ワインを投入。うちの場合は、白ワインを米がひたるまで入れて、白ワインでしばらく煮る。

④熱湯を十分入れて、ふきのうとうを入れる。ふたを閉めて、中火で煮る。
途中火加減を適当に調整。焦げても旨いので、あまり気にしないこと。

⑤20分くらい煮て、水分が飛んで、米の芯が残っていなければ出来上がり。水分がなくなっても芯が残っているようであれば、その都度少量ずつ熱湯を加え、芯がなくなるまで煮る。

⑥最後に少量のオリーブオイル(エクストラバージン)をかけて、胡椒をかけて出来上がり。

ポイント:底の厚いフライパンを使うと、上手に出来る。



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02 09
2008

あってはならないことなのだが、
そういうことがあってしまった。
僕が栽培出荷しているベビーリーフのパックの中に、
「異物が入っていました」とスーパーのバイヤーから連絡があった。
これは今週半ばの話。
異物とはビニル手袋の先端。
収穫時や作業時に使っているビニル手袋の切れ端が
パックの中に混入してしまっていた。

その日のうちに、連絡を受け取った父が消費者にお詫びに向かい、
僕はスーパーに詫び状を届け、バイヤーに事情説明とお詫びに行った。
バイヤーからは
「時期が時期だけに、今後気をつけてください」
と一言。
消費者の方は、うちのベビーリーフをこよなく愛してくださっている若いお母さんで、
「幼い娘が好きだからよく買ってますよ」と父に話してくれたらしい。
今回のようなことが二度と無いようチェックを厳しくしなくてはならない。
とりあえず手袋を丈夫なものに切り替えた。

さて、今回のことで痛感したこと。
やはり出荷物はあまり遠くに出してはいけない、ということ。
遠くのどこかに出荷すれば、
もし何かあっても、自分で直接対応できないことにもなりかねない。
顔が見える範囲というものがある。
それは実際の距離と正比例するものではないにしても、
少なくとも実際の距離が何十キロも離れてしまえば、
見えなくなるものも、それだけ多くなるだろう。
顔が見える範囲というのは、僕が責任を取れる範囲ということ。
僕が出荷する物を、
僕自身が面をつき合わせて、直に説明できる距離とテリトリーとコミュニティの範囲ということ。

消費者と対話できる距離で、僕は商売をしよう。
農業を始めた8年前にもそう思っていたが、
今はより一層、強くそう思う。
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生源寺 眞一 著 『よくわかる 食と農のはなし』.2005年.家の光協会.

本書は、農業経済学の著者が、タイトルの通り平易な文章で食と農について書いた随筆集である。50の節からなっており、1節ごとに話が完結していて読みきれる。食の安全安心・食料自給率・環境保全型農業・公共財としての農地・米政策の転換・農村とは・などなど、ホットな題材ばかりを農業経済学の視点から解説している。

50のトピックについて、いちいち批判反論もあるのだが、ここでは2点だけ記録しておこう。
まずは一つ目。食料自給率のトピックの中で、著者は「日本の食糧安保の確立と発展途上国の食料事情の改善は両立するのであろうか」と問いを立てている(p36)。著者は、この問いに対して、2つの考え方を紹介している。1つは、先進国が農業資源をフルに利用し自給率を高めることによって、世界全体の食料生産力が高まるため、途上国の食料問題にも有利だという考え方である。そしてもう1つは、先進国の自国農業保全は、途上国の経済成長の妨げになり、貧困克服への道が狭まるという考え方である。著者の立場を明確にはしていないが、問いへの答えとして、この2つが両極にあるということではないと考える。先進国と途上国という大雑把なカテゴリで、食料の総量を計算し合っても意味が無いのだ。貧困の発生は、その国の農業構造的な問題であることが多く、特に農地や市場へのアクセス権が確立されていないことに原因を発している。たとえ自由化になりある程度(日本の農産物輸入は、3割がアメリカ)途上国と呼ばれる国々にも門戸が広がったとしても、それは地主層だけに有利に働くのみで、国内における貧困はさらに拡大するだけだ。トリクルダウンは、夢物語に過ぎない。
二つ目として、農地が国民の公共財かどうかについてである。本書では、農業の多面的機能や環境への影響、さらにはグリーンツーリズムなどを引き合いに出して、農地はそこで暮らす農村の住民や農家だけのものではなく、国民共有の財産である、としている(p72-90)。確かに多額の税金が農地に投入されている現状と国家として自給率を高める事を命題にしている事を考えれば、その立場からは、農地だけでなく農業・農村自体も国民の公共財として言えなくもない。個々の農家が生産向上ではなく、勝手気ままに農地を利用したのでは、国家としてはたまらないだろうし、税金を納めている国民としても納得は行かないだろう。しかしである。農業や農村といった空間は、なにかへの経済的指標の向上(環境やグリーンツーリズムだとしても)に、その価値を固定されて存在するわけではない。それらは外部から一方的に価値付けられることではないのだ。農業を離れていく人々が勝って気ままに農地を動かすことには、私も反対である。がしかし、農業から離れて久しい街の人間が、その謙虚さも持ち合わせず、農村を一方的に固定化させていくことにも、私は反対である。たとえ多額の税金が投入されていようともだ。短い随筆集なので、著者の本当の考えがよく解らないのだが、少なくとも本書から感じる印象では、農業や農村の価値を外部から一方的に固定させようとしているように読める。

私はこう考える。本書で紹介されている農業問題は、著者のような国家の立場から考えても解決はしないだろう。農業は、農村の自治とその農業に携わる個々の農家の自由な取り組みによって大きく発展するものではないだろうか。そして、それを知ろうと謙虚に接する外部の姿勢によって支えられるのである。それらは、農業政策の解説からでは決して見えてこない。50もトピックがあったにも関わらず、農民の息遣いが感じられる随筆が1つも無かったのが残念である。
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そういえば、2月5日。
ようやく農舎が完成し、お金を振り込んだ(完成は1月31日)。
計画を立て始めてから、1年と半年以上。
資金面で、時間がかかってしまったが、やっと出来た。
これで、いろんなことに取り組める。
研修受け入れから体験学習まで。
3月下旬に来るインドネシア人の研修にも間に合った。

大きな買い物だったが、
10年、20年先を考えると、
この農舎がもっともっと必要になってくる。
はずだ。
必要になってから、建てたのでは、
その頃の僕に今ほどの馬力があるかどうか。
農業とは、そういう仕事でもある。

しかし建てたからと言って、それで終わりではない。
ハコモノはあくまでもハコモノ。
それ以上ではない。
これから中身(ソフト)をもっともっと練っていこう。
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保育園で田んぼの体験をやろう、と考えている。
園舎増改築の資金集めとして。
園児やその父母に田んぼの体験(手植え・収穫)をしてもらって
そこで取れた米を売って、資金の足しにしようと言うもの。

当初、保育園の父母や保育士などで実行委員会をつくって、
米作りプロジェクトをやってみようと考えていたが、
うちの集落の年配農家から(田んぼ体験をこれまでにやってきた人)
「体験の田んぼは、実行する側に田んぼ経験者がそれなりにいないと出来ないぞ」
と言われ、困っていた。
保育園の父母や保育士にも兼業農家はいるし、農業普及員も
一応いることはいる。
だが、人数は少ない。

そこで、僕が所属する若手農業者クラブ(みどりクラブ)に声をかけてみた。
みどりクラブが米作りプロジェクトを主催することは可能かどうか、を。
さらにはこの取り組みを、4Hクラブでやっているプロジェクト発表の題材として、
みどりクラブの来年の発表に出来やしないか、を打診した。
なかなか気難しい連中が多いクラブなのだが、
なんとか快諾してくれた。
(最近では反論するほど元気のある奴も少ないのだけど。)
去年のリベンジじゃないが、またこれで目指せ!全国!だな。

さて、これでプロジェクト実行母体が決まった。
すこし動ける体制になったので、実際にどうするかを練っていこう。
ということで、新カテゴリ「米作りプロジェクト(平成20年)」を作ることにしよう。
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チェーンソーを買う。
農協で頼んだので、自動的にメーカーは共立。
農薬散布用の動力噴霧器も共立だし、
こういう危険が伴う機械は、使い慣れているメーカーに限る。

買ったのは、CSE3501。
35.8mLの排気量で、間伐・除伐といった森の手入れから、
庭木の手入れまで、幅広くこなせる一台。
間伐と言っても、直径25センチまでの木だけど。

さて、このチェーンソー。
当然、薪ストーブのために購入したのである。
これから建てる家に、予算がオーバーになりそうな設計なのだが、
それでもしぶとく薪ストーブを希望している。
その薪を調達するためにチェーンソーを購入したのだ。
母方の祖父は、市内の山村に暮らしている。
そこにほんの少しなのだが、祖父の山があり、
そこから薪を調達しようと考えている。

かつては、その山の木を祖父が切り、それを薪にして、
風呂や調理に使っていた。
しかし今では、自家消費用のしいたけ栽培に使う原木を切り出す程度。
その山を、できれば僕が手入れしたいと考えている。
薪ストーブ自体の魅力もさることながら、
それ以上に、こういったものを使う生活にすることで、
山との関係を密にし、それを知ることが出来るのである。
こうやって生活から排除したわずらわしいものを再び取り込むことで
僕の生活が、山や川や畑に近くなっていくのだ。

薪ストーブを使うことで、山を知り、
漁業権を得ることで、川との付き合いに正面から向き合い、
家族が食べる野菜を自給しようと思うと、畑で百種近い野菜を育てないといけない。
それが、今僕が思う、生産と生活が渾然一体となった農の営み。

さてチェーンソー。
メーカーの人が来て、使い方の説明をしてくれた。
木を押し付けてきるのではなく、チェーンソーの重みだけで
スパスパと切れていく。
ただ、体に当たれば「一瞬で指が飛びますし、骨は砕けます」とのこと。
間伐もしたいと言うと、
「講習会があるので、ぜひ参加してください」とのことだった。
それは願ってもないことで、二つ返事でお願いした。
その後、30分ほどチェーンソーを使って薪用の丸太作りをする。
たったそれだけで、チェーンが伸びて切れが悪くなり、
腕が疲れでだるくなる。
メーカーの人は、
「兎に角、刃の目立てです。プロの人は木を一本切れば、目立てします。ちょっとした暇があれば、その都度、目立てします。チェーンソーを安全に快適に使う最大のコツは、目立てにあります」と目立てを強調していた。
30分たって、切れが悪くなったチェーンソーを目の前にして
僕はその言葉の意味を痛感した。
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集落の農協青年部の新年会があり、
その次の日の昼、酒も抜けないまま支店の農協青年部の総会に参加。

今年、うちの集落から支店の青年部の役員が出ることになった。
いくつかの集落で、明確な順番は無いけど、持ち回りで役員をすることになっている。
こんなご時勢なもので、うちの集落から副部長になった人は
若手若手と呼ばれているが、47歳。
総会で、ざっと周りを見渡してみても、僕はかなり若い方。

総会の後の懇親会では、
「次、うちの集落に役員が回ってきたら、田谷くんだからね」
といろんな人から念を押される。
何年後か解らないが、そうなることは覚悟してはいる。
ただ、順番なんて差し置いて、俺がなるんだ!とか、
あいつがやるくらいなら俺がやる!
という若い人は、もう周りにはいない。
親父たちの世代や、その少し下世代までは、居たのだけど。

むらの中や地域を、これらの組織で盛り上げていこうと思うのなら
僕はまず、いい意味でのライバルを見つけないといけない。
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寒の頃。
水が一番澄んでいて美味しい時期。
こういうときに、餅をついたり(かき餅用)、味噌を仕込むと良い、
と祖母がよく言っている。
なので、今日は午後から野止めして(仕事を休んで)、
妻と二人で味噌を仕込むことに。

昨年同様、街にある味噌屋の味噌作り教室に参加した。
実家では祖父母が味噌を作るので、
それにあわせて一緒に作っても良かったのだが(以前はそうしていた)、
ゲリラ的に味噌作りをする祖父母に、なかなか日程を合わせられない事もあり、
昨年からは、老舗の味噌屋(米五)で味噌を仕込むことにしている。
(うちの年寄りはその朝の思いつきで行動したりするので・・・)

祖父母と老舗の2通りの味噌作りを経験したが、
意外に老舗の作り方のほうが、アバウトな感じする。
アバウト、という言葉はあまり適当じゃないかもしれないが、
味噌を生き物として、なるがままに任せる、という思想が
その作り方から感じるのだ。

基本的な作り方は、祖父母のそれとは変わらない。
ただ「だし」として、祖父母は昆布を入れたりするのだが。
大きな違いは、味噌に生えるカビに対する考え方。
祖父母は、なるべくカビは生えないようにと、酒粕で味噌の表面に蓋をするのであるが、
老舗のやり方では、何もしない。
ビニルなどで空気に触れないように蓋をするのだが(これはどちらのやり方でもある)
雑菌が入りにくくするように、樽と味噌の縁に塩をまく程度。
酒粕などで蓋はしない。
「白いカビでしたら、それは麹菌なので、そのままでもいいですよ。黒やみどりのカビが生えてきても、その部分だけを取り除けば、大丈夫です」と老舗の社長は言う。
貰った冊子には、
味噌にO-157の大腸菌を入れても、4-8時間後には死滅してしまう、
と説明されていた。
ある程度の塩の量と、麹菌がそうさせるようだ。

その老舗の味噌屋。
出荷するときは、酒精を入れて麹の発酵が進むのを防ぐらしい。
ただ風味が損なわれるので、
一部は生味噌のまま出している。
ただしその生味噌には、白いカビがはえるとか。
麹菌である。
だからパックの表示には、白カビは麹菌なので大丈夫です、と書かれている。
無菌抗菌が社会のスタンダードとして進む中で、
味噌屋の姿勢は、とても大事なように思う。
カビ=悪ではない。
僕たちは、昔からの菌との付き合い方を思い出す必要があるのではないか。

味噌作りを始めるときに、老舗の社長が
「手を洗っても洗わなくても結構ですよ。その手の雑菌が、その人の味噌を作りますので」と言っていた。
僕はその考え方がとても好きだ。
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川の株(漁業権)を買わないか、と持ちかけられている。
うちの集落のすぐそばを流れる1級河川の株。
丁度おととしの12月にもそういう話があった。
その時は、こちらが慎重に考えすぎて実現しなかった。

川の株を持てば、どうなるのか。
① 誰にとがめられることなく、釣りが出来る。
② 川の開発について、ある程度の発言する場に参加できる。
③ 釣り客が払う1日漁業権の配当を貰える。
などなど。
ただ、漁業組合に年間12000円の組合費を払う必要があり、
釣り客から得た配当は昨年10000円だったので、
漁業権を得て、それだけで儲かる、というものでもない。
あと、昔ならば川の開発などで、行政からお金が出たらしいが
今は殆んどそういうことはないらしい。
つまり、儲けのための投資先、とはならないのだ。

それでも僕は漁業権を買おうと思う。
僕にとっては②がとても魅力的なのだ。
僕が大事に思う畑は、河川敷の国土交通省管轄下の畑である。
整備された水田も資金を投入して建設したハウスも大事だが、
うちの集落が、うちの集落として特徴付けられて来たのが、
河川敷の良質の畑なのだ、と最近は考えている。
ここでしか栽培できないうちの村の野菜もあるのだ。
その河川敷の畑。
どうやら行政は、河川敷の畑を徐々にではあるが減少させていきたい、
という考えらしい。
その問題と漁業権が直結するかどうかはよく解らないが、
うちの集落の川について、発言権を増すのは
良いことだろう。

今日から、サクラマスの釣りが解禁になる。
さっそく堤防には、岐阜・富山・横浜ナンバーの釣り人の車が止まっていた。
漁業権を買ったら、僕もしばし釣り糸を垂らすとしよう。
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中国の冷凍餃子から農薬が検出された。
成分名はメタミドホス。
聞いたことの無い成分名。
報道である先生は、かつて日本でも使用されていた、と言っていたが
調べてもそういう成分名の農薬は出てこない。
いい加減なことを言う大学教授もいるもんだ。

製品名を調べてみたら
「Monitor」。
ん?この名前は・・・知っている。

協力隊のときに、農薬の使用指導をしていて、
農家用に、インドネシアの農薬成分一覧表を作ったことを思い出し、
それを広げてみる。

あった。
Monitor。
しかもよく使っていた農薬の1つ。
有機リン系の殺虫剤で、アセフェートの代謝物の1つ。
日本では農薬登録されていない。
ただ、協力隊時代、現場ではよく使っていたし、
特にこの農薬だけが毒性が極めて高かった印象もまるで無い。
(ただし本薬品は毒物指定)
たしかにこれを原液のままなめれば、死にいたるだろうけど。

今回の騒ぎ、不可解な面がある。
食べてすぐ中毒をおこすということは、
かなりの高濃度を一度に摂取しないといけない。
野菜についている残留農薬、というレベルの話ではないのではないか。

・・・断定は出来ないが、犯罪だな、こりゃ。グリコ森永事件のような。

ちなみに、有機リン系の殺虫剤は、天敵などにも無差別で影響があるため
確かにいまひとつの農薬といえるかもしれないが、
これだけが特段、危険というわけでもない。
どっかの都知事が、サリンのようなものか、とインタビューで答えていたが
いたずらに一般市民の危機感を煽っており、いただけない。
報道もインタビューの受け答えも「反中国」に偏りすぎていて、
なんだか問題の本質がずれている気もする。

ちなみに、有機リン系の農薬は僕のポリシーには反するので、
うちでは使用しておりません。あしからず。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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