年の瀬。
ということで、1年を振り返ってみる。

2007年我が家の10大ニュース!

1. 妻の就職決定!(大学の先生)
2. 妻、東大で講義!!!(ええんか!?できるんか!?生徒は妻より賢くないかい!?)
3. 新規就農者&認定農業者申請(経営者になる)
4. 妻カンボジア出張1週間の間、プチ父子家庭を乗り切る(これで育児に自信をつけた)
5. インドネシア研修事業始動(候補者も決まり、近々農村調査も開始予定)
6. 多目的農舎の建設(研修でも使えるミーティング室あり)
7. 家づくり開始(まだまだプランニング段階)
8. 口内扁桃切除(切除後、熱を出して寝込むこと無し)
9. 娘、保育園へ通う(嬉しそうに通うようになりました)
10. 保育園増改築(財務の役員をやらされる・・・そればかりか父母会の役員も・・・)

と、まぁ、多忙な1年だった。

ちなみに
番外編として
11. 娘が僕の誕生日に、誕生日の歌を歌って祝ってくれた!(歌がとっても大好きなんです)
12. 妻からのクリスマスプレゼント(ここ数年もらってなかったから驚き!)
13. 青年農業者大会で北陸ブロックを勝ちあがれず(全国行きたかったなぁ)
14. 沖縄家族旅行(開発学会の参加のためだったけど)
15. 大学の恩師を囲んでの研究室同窓会(あの研究室が僕の原点)
16. 12月31日まで燃えるゴミを収集してくれた!(おかげで大掃除のゴミ出せました)

来年もよろしく。
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12 28
2007

とりあえず仕事納め。
野菜の出荷は、今日でおしまい。
だから、ベビーリーフの注文量も半端じゃなかった。
最後の最後にスーパーで特売企画を立てたものだから、
パートさんたちは「ブーブー」文句たらたらの仕事納めとなった。
集落内の同級生の母親たちにパートとして来てもらうのは
本当に難しい。
それを痛感した年でもあった。

さっくりと今年の経営だけを振り返れば、
今年はまずまずの年であった。
スーパーでのベビーリーフ特売企画を
バイヤーと立てるようしてからは
売り上げが昨年を上回るようにはなった。
ただ、安売りをする分、それを見越して通常出荷分が
減ると言う現象も、当然だが起きていて
特売もそれほど売り上げに貢献したわけじゃない。
仕事ばかりが増えて、益が減るのだ。
そういう意味では、なんだかデフレの波に飲まれつつあるのかも
と、大げさだが、思うときもある。
来年は、広告に載せる形で、特売企画を立てようか、と思案中。

ベビーリーフ以外では
まだまだ実験段階。
家庭菜園の延長で始めた実験圃場では、
84種の野菜を今年一年で育てた。
これを妻が読めば
「そんなに口には入っていない!」
と、大騒ぎだろうが、同じ野菜でもいろいろな品種を試していたので
家で食べるときは、混ざっていたことも多い。
おかげで、ほとんど野菜を買わずに1年を過ごす(買ったのはキノコくらいか?)。
この圃場では、完全に無農薬で栽培している。
「通年で栽培する」という無理をせず
旬に旬の物を栽培する、という至極まっとうな方法をとれば、
害虫と呼べる虫は、それほどつかないし、
栽培の手間もほとんどかからない、
ということも解った。
その代わり、スーパーで買い物をするように
いつでもどんな野菜でも食べられるわけじゃない。
旬にしか、その野菜は食べられなくなった。
そして、旬にはその野菜ばかりが食卓に上るようになった。
だからなのか、保存食として、加工しようという気分も
自分の中で高まってきている。
今振り返ってみれば、それは当然のように繰り返されてきた
祖父母世代の生活そのもののように思える。
豆や穀類を貯蔵し、
日々必要な、たまねぎ・にんにく・しょうが・いも類を上手に保存し
大根や菜っ葉を漬け、
味噌・醤油を作る。
そんな当たり前に繰り返されてきた生活。
農とつながった生活。
新しい売れ筋の品種を探そうとしていたのだが、
育てれば育てるほど、品種を増やせば増やすほど
生産と生活が一体になっていく。
そんな実験圃場だった。

さて、農と一体になった生活をするには
「作りまわす」技術も重要だ。
84種ほど作ったが、畑ではほとんど混乱状態だった。
アブラナ科の後作に、そのままアブラナ科を持ってこざるを得なくて
同じ害虫の攻撃を受け、やられてしまったこともあった。
相性の悪い野菜同士が、隣り合わせになり、生育障害がでたこともあった。
それを混乱無くこなせるようになるのが、目下の目標でもある。

作りまわす中で重要なのが
土地をあまり休ませないこと。
それと、作りながら、土を作っていくこと。
この2点だけをみると、逆にどんどん土地がやせていくイメージがあるが
品種をうまい具合に組んで栽培していけば、そうとは限らない。
耕地生態系における極相というやつで、
作物同士が相互に助け合って、共存・共栄が可能となることもある。
土地を休ませれば、土壌中の生態系は豊かにはならない。
耕起もそれほど深くはしない。
土が豊かなのは、どういう場合なのかを考え、
根圏の土壌微生物相を豊かにする、という発想にたてば
作りまわしていく、という考えは至極妥当な気がしている。
来年はこれを滞りなく実現していきたい。
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暮れのこの時期に限って、
蕪の出荷で忙しいこの時期に限って、
風邪を引いていて、体が重いこの時に限って、
ハウスのビニルは破れるように出来ているのである。

破れた箇所は、ビニルの折り目筋をなぞるように10mほど。
天井ちかくにぱっかりと、口をあけたように裂けてしまった。
ビニルをはって5年ほど経つ。
そろそろ張り替えだなぁ、来春には張り替えかなぁ、
と思っていたのだが、その前に裂けた。

幸いにも、北陸の冬にしては珍しい晴天。
補修テープで、とりあえず穴をふさぐ。
ほんとうに「とりあえず」といったところだ。
これでなんとか冬をしのいで欲しい。
あんまり雪なぞ降らないで欲しい。

そう祈るときに限って、大雪になったりするのだろうけど。
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戸田山 和久 著 『科学哲学の冒険』:サイエンスの目的と方法をさぐる.2005年.NHKブックス.

本書は、科学的実在論の立場で書かれた科学哲学の入門書である。
科学は、世界を理解しようという試みである。しかし、科学は本当に世界を理解できるのだろうか。そのことに疑問おき、仮にもし科学が世界を理解できうる活動だとすれば、それはなぜか、を問うのが科学哲学の分野である(この考え方自体が、ちょっと実在論よりか)。

本書は、大学1,2年生を対象に書かれている。内容も対話形式で読みやすい。
3部構成になっており、第1部では、科学哲学とは何か?や、科学の方法(演繹・帰納)、科学の目的や説明などの基本を押さえている。第2部では、科学哲学のそれぞれの立場を説明し、実在論の立場で、社会構成主義・反実在論と対決する。第3部では、実在論の立場に立ち、科学理論とは何か?を帰納の正当化も含めて議論している。

科学を哲学ではどう捉えようとしているのかは、それぞれの視点がどう捉えようとしているかを見ていくことで、解ってくる。まず、世界はあらかじめ秩序や構造を持っていて、人間の認識活動(科学も含まれる)とは、独立に存在しているかどうか、を考えなくてはならない(独立性テーゼ)。次に、認識とは独立した世界があり、科学理論はその正しい描写を目指すものなのだが、それに成功するかどうかが問題となっている(知識テーゼ)。実在論は、知識テーゼも独立性テーゼも認める立場である。

独立性テーゼを捨てた考え方として、社会構成主義がある。この立場では、世界の秩序は科学者集団の社会的活動によって世界の側に押し付けられるものだ、と考える(p148)。つまり人々の認識から独立した秩序や構造をもつ世界は無く、人々がそういう見方をするから、秩序や構造をもつ世界に見える、という考え方だ(科学的事実はすべて社会構成物)。
知識テーゼを認めるか認めないかという議論では、実在論と反実在論が争っている。反実在論は、知識テーゼを観察不可能な対象についてだけ否定する(電子など)。マクロな物体の振る舞いや法則については知りうるけど、観察不可能な理論的対象についての語りを含む科学理論が世界についての文字通りの真理を語っていると信じる根拠はないと主張する。反実在論の立場に立てば、出来るだけ多くの観察可能な真理を帰結するような理論を構成して「現象を救う」ことが科学の目的であると考えている(p160-161)。

また第3部では、実在論と反実在論の議論の中で、理論を文の集まりだと考えて議論していること(文パラダイム)が問題だとして、科学理論の意味論的捉え方を提唱する。文パラダイムは、三つの理由で科学理論のさまざまな側面を理解する妨げとなる。①科学的説明を一種の推論と考えるため、文パラダイムでは原因突き止め的な説明をうまく扱えない。②文パラダイムは、理論の説明力を法則の必然性と普遍性に求める。しかし、科学理論のなかには、そうした法則と呼べるものを含まないものが数多くある。③文パラダイムは、「一つの同じ理論が手直しされながら徐々に変わっていく」ということがどういうことなのかをうまく捉えられない(p225‐226)。意味論的捉え方では、理論を文の集まりと同一視するのではなく、むしろ文の集まりが当てはまるモデルと考え、そのモデルは実在システムそのものではなく、実在システムの単純化されたレプリカであり、理論(モデル)と実在システムとの間には、類似関係が成り立つ、とする(p232-233)。この捉え方によって、実在論が認める知識テーゼを認める一助になる、としている。
またヒュームが否定した帰納の正当化では、自然主義的な態度で科学哲学をすることを提示する。「帰納がうまく働くかどうかは、この世界がどうなっているのかに依存している」(p261)という素朴な考えから、我々が住むこの世界の中で、目立つ現象の中に斉一的で周期的であるようなものがかなり存在する、そんな場所だから「帰納するようにできている」われわれがいる、と結論付けている(p266)。

ボゴールの大学院時代に科学哲学を受講したが、その時は反実在論の立場に立つ先生の講義だったため、実在論的見方への懐疑ばかりが身についてしまっていた。本書は、逆に実在論の立場から、科学を端的に説明している良書。意味論的捉え方や自然主義的な立場で哲学をすることには、かなり共感を覚えた。
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農家組合の道具渡しがある。
旧農家組合長から新農家組合長への引継ぎの日だった。
旧組合長が保管する台帳や書類・はんこ等を新組合長の家に移す。
またいとこが新組合長ということで、僕は親戚代表として
新組合長の家に朝から待機。
そのまま朝から昼過ぎまで、飲みっぱなしだった。

現在はずいぶんと簡素化がすすみ、道具渡しも
新しい執行部役員が道具を取りに行くだけになったのだが、
10年位前は違っていたらしい。
道具を新組合長の家に移す仕事は、旧組合長の親戚や近所の仕事で、
旧執行部役員は旧組合長の家に朝から待機し、そこで飲んでいるだけだったとか。
新組合長側からは、道具を移す仕事には人足は出さない。
こちらも親戚や近所、新役員が新組合長の家に待機して
道具がくるのを酒を飲みながら待っているだけだったとか。

そのため道具を移した後に行われる新組合長のお披露目では、
30人から40人も人を呼んで(新旧役員・親戚・近所・集落内の同級生)、
盛大に行われたとか。
ちょっとした結婚式だ。

ただ今日のお披露目では、8人だけの参加。
新役員と親戚代表2人が参加するだけ。
さすがに新組合長は正装だったが、あとはけっこうラフな格好だった。
「勤め人も増えたさけ、負担を減らすよう最近は簡素化してるんや」と
役員の年寄りが説明してくれた。

それでも新組合長となったまたいとこは、その職責の重さを感じていたようだった。
農家組合があつかうのは、集落の米で、農協出荷の分ある。
約7000俵。
1俵1万円としても(そんなに安くは無いが)、7000万円のお金を
間接的だが扱う職につくわけだ。
約70戸の農家の米収入を扱うのだ。
いくら簡素化されたといっても、その職責の重さは変わらない。
役員の年寄りは
「こういう役をやって、ようやくむらのことをよく知ることになる。」
という。
またいとこが組合長となったので、ぼくにも少なからず
むらの風景が、彼の肩越しに見えてくるだろう。
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保育園の父母に声かけをして
収穫体験をやってみた。
7家族参加で、20人ほどが来園。
収穫する物は、ベビーリーフ。
といっても、大きくなりすぎて、ベビーリーフとしては出荷できないもの。
普段はゴミとして処分されるのだが、
保育園の園舎増改築で何か出来ないか、と思い
今回の収穫体験をやってみることに。

園舎の増改築では、どうしても友人知人親戚縁者に
寄付を頼むことが多くなる。
お金集めばかりで、気分もあまり晴れない。
しかしそれをしなければ、自腹を切ることになり、
その出費はあまりにも大きすぎる。
なんとも気の重い活動であろうか。

そんな中、増改築の財務部役員として、常々、
楽しくお金を集めることは出来ないか、
払って損したって思わないで済むような寄付金集めは無いか、
と頭を悩ませていた。
そこで、思いついたのが、
僕の畑での収穫体験と寄付金集めを結び付けてしまうこと。
出荷できなくなった野菜でも、
消費するには十分な野菜が、農家には結構あるのだ。
ベビーリーフにいたっては、
すこし大きくなっただけで出荷出来ないが、
その大きくなった物は、まだまだ十分サラダで食べられる物ばかり。
ただそれを僕が収穫して、袋詰めして、保育園に持っていくのでは
僕の仕事が多すぎる。
そこで、欲しい人に来てもらい、好きなだけ収穫してもらうことにした。

収穫に訪れた家族は
はじめは遠慮がちに、しかし次第にがつがつと収穫し始めた。
子供たちは、はしゃぎまわり、ひたすらベビーリーフの大きくなった物を
引っこ抜いていた。
この時期、無農薬で栽培しているので、
「そのまま食べても大丈夫だよ」と言うと
子供たちは、普段食べない野菜でも、草食動物のように
食べながら引っこ抜いて遊んでいた。

家族によって、収穫する野菜に違いがあったのも面白い。
ルッコラばかりを収穫するお母さんもいれば、
水菜が好き、とそればかりを収穫するお父さんもいた。
収穫物をつめる袋もそれぞれだった。
スーパーのレジ袋が大半だったのだが
なかには、小さいポリ袋をたくさん持ってきて、
一つ一つにつめているお母さんがいた。
聞けば、「職場で少し売ろうかと思うんです」とのこと。
もちろん売り上げは増改築に寄付との事。
いやはやたくましい。
また、なかには、子供の布団袋のようなバックをもった
お母さんもいた。
当然だが、それ一杯に収穫していた。
唖然。

最後に、大きな蕪を1家族1個収穫してもらい、
収穫体験は30分ほどで終了。
体験代として1家族1000円を徴収。
みんな笑顔で、気持ちよく払ってくれた。
集まった7000円(7家族分)は、増改築の資金として寄付の予定。
僕としては、蕪1個のおまけをつけたけど
どれも商品にならない野菜ばかりなので、懐はちっとも痛まない。
今回の収穫体験は、
我が娘と同じクラスの人にしか声をかけていない。
次回は保育園全体に声をかけてみようかと思う。
さらにはその人たちが親戚や友人にも声をかけてきてもらうのも良い。
ただ単に寄付をください、というよりかは
こうした収穫体験を通して、何か得した、と思うようなことが
あってもいいだろう。

もちろん、この収穫体験だけで園舎は建たない。
でも、気の滅入る寄付金集めのなかに、
こうやって楽しく出来ることがあってもいいんじゃないだろうか。
たとえそれ自体、集まる金額が少なくとも。

この活動を通して、
いろんな意味で手ごたえを感じることが出来た。
寄付金集めの活動。
収穫体験をやってみるとどうなるのか。
僕の野菜のファンが増えたこと。
そしてなにより、僕にとっても楽しかったこと。
ずーっと先を見通すと、こういう活動をすることは
僕にとってマイナスではない。
そんな確信が持てた日。
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注連縄を作る。
村の神社に取り付けるために。
社や鳥居の大きさに合わせて、
2mを1本、3mを2本、5mを1本作る。

来年、むらの青年団の役員になる。
なので、今年初めて注連縄作りに参加した。
20人ほどの若い衆(と言っても50歳までの人たち)が集まって
注連縄を作る。
わらは、村の農家にお願いしてもらったもの。

毎年この時期に作るのだが、
1年に1回のことなので、皆、作り方を忘れていることが多い。
途中で解らなくなると、年配の人に電話をして聞いたり
はたまたご足労願ったりしながら、なんとか4本の
注連縄を作る。

「次代送り」というとなんだか大げさだが
こうやって次々の代に伝えられていくことが、
地縁の中であるというその事実に、
感動を覚える。

恥ずかしい話だが、
子供時代に、近代的な教育の時間にどっぷり使っていた僕は
むらに居るのに、むらの時間と切り離されて育ち、
むらのなかにこんな関係が成り立っていたなんて思いもしなかった。

当たり前のことなのだが
むらのことはむらでする。
どこでもやっていることだろうが、
こういうことにもっと誇りをもっていい。
こういうことにもっと感動を覚えてもいい。
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12 20
2007

蕪の収穫が始まる。
正月用の蕪。
結構高値で売れるので、この時期だけ蕪を作っている。
その蕪。
ひたすらとって、
ひたすら洗う。
今日は1500個ほど。
僕の本業であるベビーリーフの注文が多くて、
パートさん達はそっちの仕事にかかりきりだったから、
蕪の出荷量はこれでも少ないほう。

父曰く
「2000個以上はやらないと」
との事。

今日から27日か28日までひたすら蕪の出荷。
これが終われば正月だ。
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露地の畑の後片付け。
ホウズキやセロリ、オクラ、フェンネル、根セロリ、ルバーブなんかを作っていた畑。
年明け早々にも、ここにハウスが建つので、
いつもなら春になってから片付けるのだが、
今になって大慌てで片付ける。

この畑でお金になったのは
オクラとホウズキ。
オクラも沖縄オクラ・赤オクラと変わった品種もつくったのだが
どれもそこそこに売れた。
ホウズキは一時、あまりにも高すぎて引き取り手が無かったのだが
最後は果物屋が全部引き取ってくれて、これもそこそこ売れた。
これらの野菜は、来年、面積を増やす予定。
ホウズキは品種も変える予定。

結果として売れなかったが、売れそうなものとしては
根セロリとフェンネル。
この辺りではあまり良い物にならない、と言われてきた野菜だが
今年挑戦して、そこそこの物がとれることがわかった。
のだが、あまりにも美味しかったので、出荷せず、
ほとんどを自分で食べてしまった。
八百屋が欲しいと言っているので、来年はもう少し多めに
作ることにしよう。

セロリとルバーブは、失敗。
味や風味は良いのだが、商品価値をあまり高められなかった。
というか、この2つは商品価値が味や風味、大きさではなかったことを
知らなかったことが敗因。
色や軟白度合いが重要な野菜。
栽培法からして見直しが必要。

と、まぁ、なんともいろいろと勉強になった畑だった。
栽培法、品種選定、売り方、売れる場所、価値基準。
野菜1つとってみても、こんなにも考えないといけない。
うーん、面白いなぁ。
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今晩も保育園増築の会議。
今度はクラス会を開いて、僕ら役員がクラスの父母と
どうすればお金が集まるか、それを相談する日だった。

結果から言えば、
とても活発に意見を出し合えて、
しかも健全な議論が出来た会議だった。
2月中旬までに、クラス当たり60万集めないといけない、という議論にも
「反対だ!」と言う人はおらず、
どうすれば集まるか、それだけに議論が集中できた。
矢面に立たされるのでは?と危惧していただけに
ほっとした。

出た案としては、
・書き損じはがきを集める(年賀状の時期だし)。
・会議や全体集会の時に、コーヒーやお菓子を販売する。
・それぞれの職場で募金箱を設置。
・お年玉年賀はがきで当たった切手シートを集める。
・宝くじの300円当選券を集める。
などなど。
細かな収益しか見込めないものばかりではあるが、
60万に向けて何かアクションを起こそう、という姿勢が
この場合は大事なのだ。

寄付金集めでは、あるお母さんからこんな質問が出た。
「友人にどういう風に説明すれば、寄付金をもらえるようになるのでしょうか?」と。
確かに。
友人に寄付金の協力をお願いしていくのは、気が引けるし、
なかなか難しい。
そんな中、友人から結構寄付金を集めているお父さんが答えてくれた。
「お金を集めなきゃならん、と友人に言って、なんで?って理由を聞く人は、まず寄付金はくれないね。理由を聞いて、それを断る理由にしてしまうから。くれる人は、最初から理由なんて聞かないよ。くれる人は大抵、理由なんていーよいーよ、持ってきな、困ってるんだろう?って言ってくれる。」
うーん、それもまた真だろうな。
「お互いの付き合いの中で、お金を貰うんだと思うよ」
とそのお父さん。40代の会社員らしい答え方だった。

寄付金集め。
なんだかこれまでの人間関係のあり方まで問われてきた感がある。
恐るべし・・・。
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地元の小学校が、再来年で創立100周年を迎える。
それなりに盛大な式典を企画しているようで、
100周年式典実行委員会では、予算として400万円ほど
なんとか集めようとしている。
その内訳のうち、100万円ほどは地元住民からの協力金として
集めようとしている。
そこで、先日行われた村の総会にも、実行委員の人が来て
1戸当たり1000円の寄付をお願いに来ていた。
総会で決をとるとあっさり皆OK。
村盛の一部として徴収することになったのである。

さて、話は替わって。
我が子が通う保育園。
8月から始まった増改築に向けての寄付金集め。
なかなか難航している。
12月から2回目のキャンペーンに入り、
2月中旬までに400万集めないといけない。
今日も明日も26日も役員会にクラス会に全体会と
会議会議を開いて、無い知恵を絞る予定だが、
知恵ではなかなかお金は出てこない。

ここに来て、保育園側も募金集めの締め付けを強めてきた感がある。
役員に向かっては、
「クラス当たり60万円のノルマ。一人頭2万円集めないと今回のキャンペーン中に400万の集金は無理です」
と語調もやや強めになってきているのが気にかかる。
寄付金集めの対象も、親や親戚から友人にシフト。
「4人に声かけをすれば、1人くらいはくれるはずです。だからこの期間中、8人の友人に声をかけてみるよう役員さんから各クラスにお願いしてください」とのこと。
「4人」の根拠を聞くと、「なんとなく」という答え・・・。

素晴らしい保育をしてきているのはわかる。
この保育園がいい!と言って、遠くからでもやってくる人もいる。
他の保育園で断られてしまった障害のある子も受け入れている。
アトピーの子でも安心できる保育を実践している。
時間外でもやりくりをして子どもをあずかってくれる。
そんな素晴らしい保育園だ、とは認めるが、
地元の小学校の寄付金集めとは、えらい違うのである。

すでに30年ほど保育園として運営しているらしいのだが、
OBからの寄付はそれほど多くは無い。
地元からの寄付は皆無に近い。
保育理念と地元との付き合い。
これは正比例じゃないのは解るが、ここまでかけ離れているものかと
小学校の件があってからは痛感する。

明日、クラス会を開く。
役員として、僕からクラスの父母に
1人2万円集めるように言わないといけない。
小学校の実行委員会のように、あっさりOKがとれると良いのだが。

矢面に立つのは、しんどいねぇ。
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むらの総会がある。
農家組合と自治会の両方。
午後1時から6時まで。

農家組合での総会では、昨年同様、役員報酬を巡ってひと悶着ある。
昨年、役員報酬や班長報酬を使っての慰労温泉旅行が
否決されていたのだが(そのように見えたのだが)、
結局、今年も役員さんと班長さんの慰労温泉旅行はあった。
昨年からうるさくそれにクレームを付けていた人が、
「確か去年の総会で無くなるようにしたのに、なぜまた行くんだ!」
と激しく抗議。
それに同調する人もいて、混乱した。

役員からの回答では、
組合長さんが
「温泉行きは確かに何かと批判がありますが、僕はまったく無駄じゃないと思っています」と答えていた。
他に組合の中で親睦会らしいものもない中、
温泉行きはそれなりに潤滑油的な効果があると暗に示していた。

議長がずいぶんいい加減な人だったことと
クレームを付けた人もどんどん論点をずらしてしまい、
議論が途中からズレにズレてしまい、
結局は、役員報酬が安いか高いかの議論になってしまった。
自治会の役員報酬に比べて高いと主張する人もいれば
仕事量から考えると安すぎると主張する人もいて
なんだか健全な議論ではなくなってしまった。

最終的には、分けがわからなくなった頃に、決を採り、
今まで通りの報酬と温泉行きで決着。
論点がずれたままの議論だったので、どちら側の主張にも不満を残す形だった。

いや、あるいはすごい議長で、まともに議論をさせず、分けがわからなくなった頃を見計らって決をとり、何事もなかったように済ませてしまったのかもしれない。むらの年寄りにはそういう技(ある程度もめさせてガス抜きをはかり、最終的には変化なしにしてしまう)を持つ人があちこちにいるので。これは余談。

整理をして考えれば、
① 温泉行きは無駄遣いか?
② 役員報酬の妥当性(報酬は温泉で一杯飲めるように設定されている)
という順番だろう。
報酬が高いか低いかは、報酬そのものが温泉に行くために
予算取りしているものなので、議論する余地はあまり無い。

温泉行きは無駄なのかどうかは、今年の組合長が言うように
組織としての潤滑油として必要かどうかの問題だろう。
今年の組合長は非農家で、
これまであまり組合に関わってこなかった人だったらしいが、
その人が1年組合長をやってみて、温泉は必要だ、と思ったらしい。
反対する人は
「こんなご時勢だからこそ温泉なんてやめたほうが良い」というのだが
逆に、「こんなご時勢」だからこそ、殺伐としたご時勢だからこそ、
地縁の集まりで何かをするのは大事な気もする。
少なくとも僕ら若手にとっては(今年の温泉に参加)、
集落のことを知りえる機会でもあるので、
こういうのは残して欲しいと思うのである。

傍から見たら、くだらない議論をしているように見えるだろう。
たかだか温泉に行くか行かないか、だしね。
しかし、こういうことがむらを「ただ人が集まって住んでいる地域」ではなく、
「むら」たらしめているのだと思う。
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むらの任意団体の総会があった。
出席するはずだったのだが、夕方から娘が発熱。
出席は断念。

その任意団体、やっていることは祭りの取り仕切りである。
出店やお神輿(ここ2年ばかりはやっていないけど)などを
取り仕切る。
他にもむらの公共施設の清掃や河川敷の清掃なども行う。
昔の青年団のようなもの、というのが僕の理解。

来年から、その任意団体の役員(総務)をやることになった。
他に同級生や「またいとこ」などが役員に。
子どもの頃、中学生から保育園児まで集まって、
村の神社やお寺でよく遊んだものである。
その時は、そんな関係が大事だとか重要だとか
思ったことは無かった。
それに、いつかは外に出ていくんだから、と思っていて、
遊び友達程度にしか考えたことがなかった。
しかし、こうして村に残り、むらの役員を務め始めると
つくづく思うのである。
子どもの時の関係が、こうやって続いていく安堵感を。
閉鎖的。保守的。閉塞感。停滞感。
こういった関係やむらの構造をそう呼ぶことも出来るし
そう感じるときもある。
しかし、なんだろう、この安堵感は。
ずーっと続いていくだろうという関係の中にいる自分。
周りもそれを期待するという関係の温かさ。

「安堵」。
僕は近頃、村の中でよくそれを感じる。
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12日。
つまり昨日。
農舎の建前がある。
週間天気予報を見ても、ずーっと雨だったし、
その日の天気予報でも雨だったにも関わらず、
その日は1日、雨が降ることも無く、無事建前が終わる。

大工の威勢の良い掛け声に、なんだか見ているこっちも勢い付いた。
その勢いに任せて、研修事業もうまくいけばいいのだが。

研修生の選定も終わり、今のところは特に準備も無い。
3月下旬には、研修生もやってくることになった。
研修で使うであろう多目的農舎の建設も順調だ。

来年早々に、インドネシアに渡り、研修生の村を調査する予定でいたが、
大学院時代の友人(インドネシア人)にその調査を依頼することにした。
今はその友人と調査項目と調査にかかる費用で打ち合わせ中。
ただ単に研修と言う名の「出稼ぎ労働」をさせるわけにはいかない。
僕がこれをやるからには、本当の意味での「研修」にしたいと思っている。
そのためには、まず、あちらの農業の現状やポテンシャルを知る必要がある。
そのための調査。

本当はその調査、僕が直接やりたかったんだけどなぁ。
10日も空けるわけにはいかないから、仕方ないけど。
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12 12
2007

今週も売り出しをかける。
ベビーリーフのこと。
先週も安売りをしたのだが、今週もすることに。

うちの方で原価を下げて、中卸で手数料を減らして、
ある特定のスーパーだけ、うちのベビーリーフの安売り企画を
今年から始めている。
結果は上々なのだが、2週続けての売り出しは初めて。

スーパーのバイヤーが嫌がるかもしれない、と思いつつも
商談をすると、あっさりOK。
やはりボーナス時期だからだろうか。
そういえば、先週末頃から市場も活気を取り戻している。
とにかく今、市場では「売りまくれ」という
空気が流れていることには間違いない。
そんな空気に感化されての今週の安売り企画。

来週はクリスマス。
再来週は年末。
大量発注をすでに取り付けていて、
なんだか気分も高揚する。
今月は、売って売って売りまくることにしよう。

妻よ!新年の温泉旅行、行きたいところは決まったかい?
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この時期、うちの村では粗大ゴミの回収がある。
村の祭りを取り仕切る青年団の組織が、
1杯飲むために、これをやるのだが、
その粗大込み回収で、ちょっとしたいざこざがあった。
まぁ、毎年の事と言えばそうなのだが、
ゴミ出しの際に、嫁姑の価値観の違いで争っていることがある。

家の中で余計なスペースをとっている布団を
この時期に出す人が多く、今回もめていたのもその布団だった。
お姑さんの嫁入りのときに持ってきた布団が邪魔だから、といって
お嫁さんが粗大ゴミ回収に出してしまった、というもの。

「どうせ家には、他にもたくさん布団があるんですから」
とお嫁さんが布団をゴミ回収場所に持ってきて、
「それでも、綿が、綿が、もったいない」
とお姑さんは言いつつも、結局は手伝って出していた。
その時は、この時期の風物詩だよなぁ、と思いながら
そのやり取りを見ていたのだが、後日、もう少し詳しく真相を聞くことになる。

うちでパートとして働いているお婆ちゃん。
その姑さんとは同年代で仲良し。
だから、前日の嫁入り布団のゴミだしには、ずいぶんと憤慨していた。
その姑さんはもう70幾つのお歳。なので嫁入り布団といっても
すでに50年以上も前の物。
ずいぶんと使い古した物なので、僕の感覚では、
お嫁さんの言うように、「ゴミ」として出してしまっても
いいのではないのか、と浅はかに思っていた。
が、お婆ちゃんの話では、その布団は「ゴミ」ではなかった。

昔、そのお姑さんやお婆ちゃんが嫁入りをしたころは、
布団は、手前綿で作ったと言う。
娘の嫁入りが決まる頃、親が畑で綿を栽培し、それを夫婦布団に仕立てたとか。
決して買ってくる物ではなかった、という。
そうやって栽培した綿は、驚くほど長持ちするらしい。
何度も何度も打ち直しをし、少しずつ新しい綿を加えてやりさえすれば
ずーっと、ずーっと長持ちするのだ、とそのお婆ちゃんは言っていた。

ゴミ出しのときに、お姑さんが
「綿がもったいない」
と言っていたのは、まさにそのことだったのだ。
50年前に、自分の親が自分のために、まさに綿から栽培して
手作りしてくれた布団。
そしてこれまで、大事に大事に、何度も何度も打ち直しをしてきた布団。
そこには、どれだけの価値があるのか、僕には量りきれない。
中国や途上国などで、大規模プランテーションで栽培された綿を
それらの国の工場で加工されて、それを買うことが当たり前に
なってしまった僕らでは、
「手前綿」、「打ち直し」など、すでに無縁になって久しい僕らでは、
古くなれば新しく買えば良い、と思ってしまっている僕らでは、
そのお姑さんと布団との間の価値は、量ることなど出来ないのかもしれない。

そしてそれは、僕らには新しく買うことに観念が固定化されていて
それ以外の選択肢をとれなくなってしまっていることを気づかせてくれた。

「手前綿」。
なんとも刺激的な響きだろうか。
今の僕には備わっていない農の技の1つ。
いつかは、手前綿を試してみたい。
そしてそれがまた1つ、自分の固定観念を壊すことにも
つながるだろう。
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12 10
2007

クリスマス用のベビーリーフの商談が
先週から始まっている。
今年はあるスーパーさんで、特別規格での販売企画をすることになり、
昨年の1.5倍以上の注文量となる見込み。

クリスマス用のベビーリーフの播種は、
先月に終わっているが、商談が始まるのはどうしてもこの時期。
種を播く頃に、そういう話が出来れば、
昨年の2倍でも3倍でも出荷可能なんだけど、
そうはいかないところが歯がゆい。

そのスーパーさんの場合、全店舗での売り込み企画なので、
その注文を受けるとなると、数量が一気に増えてしまう。
昨年よりもちょっと多めに播いていたので、
その注文量はこなせるかこなせないか、の
ぎりぎりのところだが、受けることにした。
「欠品だけは困りますよ」と業者に念を押される。
(今年はすでに2回欠品しているので、信頼がない・・・)

読み通りにぴたりと生育と数量が当たれば、
新年早々温泉旅行でも行きたいねぇ。
さて農家の腕の見せ所である。
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近所のおばちゃんが干していた大根が、盗まれた。
村のはずれにある橋の下で、干していた大根だった。
うちも含めて、村の何軒かはそこで大根を干している場所でもあった。
こんなことがあっては、もうあそこで大根は干せない。

盗まれた干し大根は40本ほど。
来年のたくあんを漬けるために干していた大根だ。
おばちゃんは
「来年はたくあん無しになってもうた。たくあんにしたら美味しいだろうって思う大根を選んで干していたのに」と悔しそうだった。
金額にすれば、4000円程度。
それにこの時期どこでも干し大根は売っているので、
買ってくれば、「来年たくあん無し」なんて状況は回避できるだろう。
でも、そういうことではないのだ。
夏に畑を準備し、晩夏に大根を播き、間引きをして、
そしてこの大根ならばたくあんはうまかろうと思う大根を収穫して
それをからげて干したのだ。

干し大根なんて、どこにでも売っているには違いないし、
金額も驚くほどのことではないかもしれない。
ただそれだけでは理解できない「かけがえのないもの」というのは存在する。
盗んだ側は、4000円の儲けだろうが、
盗まれた側は、
干し大根をひっくるめた生活との関係ごと持っていかれてしまったのである。

ものを作って食べる、ということによほど鈍感な人か
それとも、もはや今の時代では、そんなことに関心のある人は
少なくなってしまったんだろうか。
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12 04
2007

今、野菜が売れない。
卸売市場へ行けば解るが、品物が動かないのだ。
競りも元気が無く、そこに参加するはずのバイヤーの数も少ない。
中卸の店は、いつもならば、忙しく動き回っているはずの店員や
品物を見定めている客で溢れているのだが
それもない。
みんな、ぼーっと突っ立っているだけ。

うちの商品も、注文量が激減している。
今、大量に取れるスティックブロッコリやベビーリーフ、水菜、
全部、注文が無いか、減少傾向なのだ。

市場の人は皆、口を揃えて
「10日までの我慢」という。
ボーナスの時期を待っているわけではないのだが、
例年どうしてもこの時期に消費が落ち込む。
個人の憶測の域を出ないのだが、石油の値上げも関係するのかもしれない。
雪が降れば、鍋の野菜が売れて、市場は大忙しになるのだが、
僕のベビーリーフは、あまり関係が無い。

こりゃぁ、クリスマスまでは開店休業かなぁ。
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この前視察に行った沖縄の農家から、学ぶことは本当に多い。
またしても1つ勉強させてもらった。

このまえ見学させてもらった沖縄の農家に、
お礼として、うちの自慢のごんぼを送った。
そうしたら、間に入って視察先を紹介してくれた普及員さんから
電話があった。
なんでもごんぼを貰ったその農家さん、さっそく普及員さんに
電話をしてくれたとか。
立派なごんぼをもらったと言う話かと思えば、そうじゃなかった。
「もらったごんぼについていた土!すっごくいい土だった!」
と言ったとか。
うちのごんぼは土付きで、出荷している。
なので、畑の土がついていて当然なのだが、
あちらの農家さん、その土がどんな土なのかまでよく見ていたらしい。
そしてそれを褒めていたとのこと。

農に対する鋭い感性と観察力。
ただただ、脱帽。

送ったごんぼで、また1つ勉強させてもらいました。
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若手農業者クラブが明日から東京へ視察。
あちこちと行くらしいが、その1つに、
僕が大学時代に大変お世話になった農家のところにも行くらしい。
「お世話になった」どころか、
僕の農業に対する眼差し(特に市場との関係)の多くを、
その方から学んだ、と言ってもいいだろう。
(ちなみにもう1人、大学時代にお世話になった農家が伊豆にいる。その方からは農業に対する哲学を学んだ、ということは余談)

本来なら僕も視察に行きたいところなのだが、
なんだかんだと忙しくて、行くのを断念した。
が、連絡もしないのはあまりにも不義理だ。
そこで電話をする。
直接、声を聞くのは、なんと7年ぶり。
ははは、十分不義理じゃないか。

この方、名前は白石という。
10数年前から市民農園(と言うよりも体験農園)を始めている。
若手農業者の視察ではこれを見学しに行く予定でもある。
しかし電話で話をすると、
なんと体験農園だけでなく、その一角に、レストランまで建ててしまったらしい。
体験農園に通ってきていたシェフと一緒に立ち上げたとか。
いやはや、なかなか追いつけない人だ。

お互いの近況を簡単に交わした後、
僕は白石さんに、最近の市場や農業政策、
農業の今後についての疑問などを率直にぶつけてみた。
大学生の時のように。

大きく叩くと、大きく響く人、が世の中にはいる。
おかげで30分以上の長電話になってしまった。

買い手からの刺激を十分受けられるような場所に自分を置くこと。
そう、白石は言っていた。
まさに、僕が沖縄の農家から学んだことでもあった。
大量生産も良いが、これからの時代に果たしてそれは沿っているのだろうか、
とも言っていた。
値段がどこか知らないところで、知らない形で決められているにもかかわらず
数量だけに没頭し、それだけで市場と勝負するような農業は危うい、と指摘していた。
また農業政策についても、
「自分の農業の中で、絶対にぶれない北極星を持たないと危ないよ。農業政策は時の流れの中で、右にも左にも大きくふれちゃうもんだから。それに乗っかっているだけでは、危ない。自分の中の北極星と農業政策が一致しそうなときだけ、それを利用すればいい。あっちがぶれたら、しばらくはお付き合いしない。その程度の付き合いにしたほうがいいよ、政策とは」と、言っていた。

まだまだ聞きたいことも山のようにあったのだが、
電話ではそうもいかなかった。
時間があれば、近々尋ねていかねばなるまい。
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農家組合で温泉へ。
集落の班長が集まり、今月半ばに行われる総会前に、
今年の活動実績と収支の話し合いのためだ。
特に異議もなく、会議は淡々と進んだのだが、
ある1点だけ、改善して欲しいと要望する班長さんがいた。
それは「ねずみ毒」について。

3年ほど前まで、農家組合でねずみ毒を各農家に無料で配布していた。
河川敷の畑(提外地)に使用するために、である。
ずっと昔は、農家組合で散布していたこともあったらしいが、
お金もかかるし、人を集めるのも大変だ、ということで、
各農家に無料で配布し、それぞれの農家で撒いてもらうことにした。
無料配布どころか、ねずみ毒を受け取った農家には、
わずかだが撒く手間代として、少しばかりお金を農家組合から払ったらしい。
そういうこともあってか、
ねずみ毒の配布の日は、大抵の農家は、ねずみ毒を取りに来たという。

しかし、その無料配布、ここ2年ほどはやめている。
理由は至極明快。
無料配布されたねずみ毒を、河川敷の畑に使わず、
それぞれの家のねずみ駆除に使ってしまっている人が多かったからである。
農家組合の役員で、配布日は畑巡回をするなどして、
散布の徹底を呼びかけたそうだが、大抵の人は(おばちゃんやおばあちゃんが多いのだが)
撒くふりだけをして、早々に家に帰ってしまうらしい。
なので、ねずみ毒の無料配布はとりやめにした。

そして今年、河川敷の畑では、ねずみの食害が特にひどかった。
僕のサツマイモもさんざんやられたし、ごんぼもずいぶんと食われてしまった。
河川敷の畑は、大水がくれば、すぐに河の底になってしまう。
大抵1年に1回くらいはあるのだが、それが今年は無かった。
そういうことも関係しているのかもしれないが、
ねずみ毒配布を希望した班長さんは、
ねずみ毒配布が無くなってからは、ねずみの食害が増えた、とも言っていた。

これも一種の社会的ジレンマの問題には違いない。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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