2軒目に訪問した農家は、TファームのSさん。
鉄骨ハウス約3000坪の農家。
うちの農園と同程度の規模。
だのに驚くべきことは、この広さを女性5人(パート4人)だけで
切り盛りしているということだ。
(ちなみにうちの農園では、労働力は10人。しかも働き盛りの30代前半の男性2名を含む)。
作物は、ゴーヤ(ニガウリ)・キュウリ・インゲン・パッションフルーツ・マンゴーなどなど。

この農園でも切り盛りをしているのは、奥さんのSさんだ。
夫は週末のみ農業を手伝ってくれるとか。
Sさんが農業を始めたのは、平成8年のこと。
補助事業で鉄骨ハウスを3000坪建て、インゲンを生産したのが始まりだった。
それまでは保育園で働いていて、農業の知識は全くなかったという。
周りからもずいぶんと心配する声があったらしいが、
「大変さも知らなかったし、農業のつらさも解らなかったからできたのかも」。
とあっけらかんとSさんは答えてくれた。

販売はすべて農協出荷だという。
農業を始めた当時、JAの営農指導員に徹底的に絞られたという。
品質管理にうるさい人で、周りから「鬼課長」と呼ばれていた。
その人のしごき(?)に耐え、品質向上に努めた。
今では、農協の部会で出す生産番付で、東の横綱にランクされるほどの
品質と出荷量を誇るという。

情報収集にも貪欲である。
知人農家と共に模合(頼母子講みたいなもの:沖縄独特のシステム)をくみ、
毎月少しずつではあるが、積み立てをしているという。
目的は、他県への農業視察。
新しい作物にも積極的に取り組み、
パッションフルーツやマンゴー栽培でも指導的立場だとか。
経営感覚もさることながら、勢い良く新しいことに取り組む
その力は素晴らしかった。

2件の事例を1日で見て回り、興味深かったことは、
Sさんの事例とKさんの事例は、まったく逆のことが多いにも関わらず
それぞれが地域でリーダーとして活躍しているということである。

たとえば、
Kさんは農家出身であり、Sさんは非農家。
Kさんは自己資金で施設を建て、Sさんは補助事業で施設を建てた。
Kさんは市場を自ら開拓したが、Sさんは生産物のすべてを農協に出荷。
つまりKさんが否定していた要素で、Sさんは成功しているのである。

この2つだけの事例からでも言えることだが、
外部要因(補助事業・市場等)は、農家に大きな影響を与えることは確かだが、
こうでなければ成功しないということでもないのだ。
ただKさんのいうサトウキビ畑とサトウキビの工場の関係は、
Sさんと農協との関係にそのままは当てはまらない。
鬼課長と呼ばれる営農指導員の存在が、
農協の市場開拓力を高めていたことは間違いない。
鬼課長は、沖縄の冬に出来る施設野菜作りという武器を活かして、
県外輸出を積極的に進めていたという。
その中で「本土並み」の品質管理については、
良い意味でも悪い意味でもルーズな沖縄の人は、
ずいぶんと叱咤されたそうだ。
作っただけ買い取るサトウキビ工場との関係では
そのようなことはない。
さらに、Sさんの話からは、その鬼課長の厳しい品質管理と品質向上指導を通して、
市場動向に対する敏感な目を養っていったようにも見うけられた。
僕も常々思うのだが、
関わっている市場から刺激を受けられない、ということが、
どんなに農家にとって不幸なことであるか。
ただ単に、「売れた」という数量的な情報だけでなく
どのように売れたのか、
各地の卸で品余り状態なのに、とりあえず引き取らせたのか、
中卸や小売に無理やりねじ込んで売ったのか、
小売ではどんな評判なのか、
買った人はどう思っているのか、どう食べているのか、
そんな声が届かなければ、農家と買い手(消費者・業者)の関係において
これほど不幸なことは無い。
少なくともサトウキビ工場と農家の関係は、それだろう。

Sさんは、そこまで細かくは伝わっていないにしても
自分の出している野菜の市場動向は、的確につかんでいるようだった。
農協との関係の中で、そういった情報がフィードバックされているのだろう。
(この場合、その情報のフィードバックは、鬼課長とのやり取りの中というインフォーマルな形で行われていた)
Kさんの場合は、直接市場から刺激を受け、さらには直売所を通して、
それこそ直接消費者から刺激を受けている。
「みんなね、おいしい、おいしい、って言ってくれるんさ」とKさんはいう。

今回の視察で得たもの。
外部刺激を多くすること。そしてそれに敏感になること。
これこそが篤農への第一歩である。

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11 29
2007

ごんぼの収穫、終了。
トレンチャーで畝のすぐそばに溝を作り、掘りやすくしてあるものの、
それでも重労働には違いない。
腕も肩も腰も痛い。
11月いっぱいの収穫だったのだが、昨年よりも1週間早く
収穫作業を終えることが出来た。

さて。
河川敷の畑は、耕作禁止区域がルーズであったのだが、
昨年からの方針転換で、区域の境界がずいぶんと厳しく決められてしまった。
おかげで、ごんぼを作るための良質の畑は、半分以下にまで減ってしまった。
それでも今年は何とか畑を確保し、昨年の7割ほどは作れたのだが
来年はどうするか、正直困っている。
ごんぼは、同じ畑で作る場合、5年は期間をあけないといけない。
つまり、今生産しているごんぼの畑(約2反)の5倍の面積が、
実際のごんぼの生産には必要だということだ(約1町歩)。
境界がルーズだった時は、それだけの畑があったのだが、今は無い。

よく似た事例がインドネシアにもあったな。
そう、こういう場合、あちらの住民は、少しずつ少しずつ境界を
犯して、耕作範囲を広げていたっけ。
あるいは、僕もその手でやるしかないのかもしれない。
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11 28
2007

保育園の財務部役員会がある。
来年までに1000万円集めるために組織された部会。
詳しくは、カテゴリーの「保育園」を参照されたい。

さて、保育園最大のイベントだったバザーも終わり(1日で売り上げが100万円)、
この年末年始に向けて、再び財務部が始動することとなった。
これまでに集めた資金は、340万円。
のこり、660万円。

財務部で立てた計画では、この年末年始のキャンペーンで
400万集めることになっている。
すでに前回のキャンペーンで、保育園に通わせている親や親族から
寄付を頂いているので、今回は、それはあまり当てにはしない。
(前回のキャンペーンでは、集めた資金のほとんどが父母やその親族からの寄付によるものだった)
では、どこから集めるのか。

ひとつは「OB」である。
この保育園を卒園した子を持つ親に、電話や手紙で
寄付を呼びかけることになる。
特に、年明けには年賀の挨拶を兼ねて、手紙作戦が始まる。

さらに今回のキャンペーンでは、
クラスごとに、お金になる取り組みをする、ことになった。
父母会の役員とも連携・協力して、クラス会を開き、
(僕は父母会の役員も兼任・・・・)
父母で集まって、何かお金になる取り組みをするというもの。
お母さんたちの手芸で、人形や小物を作って販売したり、
(これを内部では「ちくちく」とコード化されている)
お父さんたちの日曜大工で、何か作って販売したりするらしい。
(これを内部では「ギコギコ」とコード化されている)
1クラス、目標6万円の売り上げ、だとか。

達成できるかできないか、なんだか微妙な数字である。
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せっかく沖縄まで行ったのだ。
学会に参加するだけじゃ、もったいない。
そこで、知り合いの生改(妻の知り合い)さんに頼んで
沖縄の農家を訪ねることにした。

訪ねた農家は2軒。
どちらもその地域を代表するような農家。
生改さんが紹介してくれただけあって、
どちらも元気な女性農家だった。
ただその2軒の農家。
とても対照的なのだ。
それぞれの地域で篤農が生まれる条件というか要素が、
それぞれの農家の話の中には盛り沢山だった。
それを忘れないうちに記録しよう。

1軒目は、SファームのKさん。
12m間口のH鋼ハウスをそのまま直売所にして、
生産から加工、そして販売、さらには体験学習までを一手に行っている農家である。
ハウス面積は4000坪。
規模でいえば、うちの農園よりも大きい。

昔から農家をしていたのだが、
沖縄の本土復帰前に、舅が大量に土地を買い込み(約1000坪)、
そこで野菜を作り始めたのが、今のSファームの基礎になっている。
その頃、その地域での農業は、ほとんどがサトウキビ生産だけであった。
サトウキビは、栽培期間が長く、2年間かけてようやく収穫ができるそうだ。
ただし、粗放栽培で良く、労働力をかけず栽培できる。
さらには、近くにあるサトウキビ工場で、生産されるサトウキビを
すべて買い取ってくれるため、市場を探す必要とリスクが無かった。
そのため、その地域の農家は、安値安定であっても
経営的にも安定でき、楽に生産を続けることが出来るサトウキビ生産を続けていた。

そんな中、Kさんは違っていた。
決まった市場が確立されていないというリスクがある中、
野菜栽培に取り組み始めた。
初めは、近所の小さな卸売市場に出荷していた。
売り上げは1日に3ドル。(復帰前はドルが通貨)
ただし、夫のその当時の給料は、月20ドル。
Kさんは
「1日3ドルだってね、10日も行けば、ほら、夫の給料よりも上になっちゃうのね」
と沖縄訛りで話してくれた。
これが全てではないだろうが、少なくともこれらの販売の経験が他の農家とKさんとを大きく分ける経験の一つではなかっただろうか。

Kさんの挑戦はまだまだ続く。
次は近所の女性2人と共に始めたラン栽培である。
サトウキビの10倍の収益を上げることが出来るラン栽培を手がける。
補助事業でハウスを建てる事にしたのだが、
そのために開かなければいけない農協口座も
女性グループ名で口座を開くのも大変だった。
それほど女性だけで活動をするのは大変な時代だった。
Kさんは、その時の大変さに懲りて、以後、補助事業をとることは無かった。

訪問した12m間口で約40mのH鋼ハウスの直売所は、自己資金で建てたという。
商売している人にとっては、あるいは当たり前の話かもしれないが、
農家の場合、全くの自己資金のみで、その規模のハウスを建てた人は、
相対的に少ないだろう。
しかも沖縄は補助事業王国なのだ。
事業主1割負担で行政が9割負担なんていう負担率がまかり通る所での話。
Kさんはよほど負けん気の強い人なのだろう。

直売所では、地元の野菜だけを販売しているという。
実際に、僕が見てもわからない野菜ばかりだった。
(米もあったが、それが福島産だったのは、ご愛嬌だろう)。
直売所を始めた当初は、1日の売り上げが10万円ほどだったとか。
野菜を持ってくる農家も、一番多かった時期で、100軒近かったという。
ただ1km四方に、公設の直売所が相次いで開店したことにより、
現在では、1日の売り上げが4~5万円程度にまで落ち込んでいる。
今後の農業の展開の鍵について聞くと、
「グリーンツーリズムね。それと体験学習ね。これからの農業にはこの要素が入ってないといけないんさ」と沖縄訛りで答えてくれた。
直売所運営は、売れても売れてなくても人手がかかる。
しかし、体験学習は事前に予約があるので、それに向けて人手の確保と農作業の段取りがつけられる。
さらに体験学習は、訪ねてきてくれた人達が、
そのままお客さんとなって、野菜等を買い込んでくれるという魅力があるという。

女性ということで、お歳を聞くのははばかれたのだが
60歳は超えたように見えるのに、次を見据える力は少しも衰えていない。
素晴らしい経営感覚を持った農家だった。

聞かせてもらったライフヒストリーを分析するに、
流通や市場が確定されたサトウキビの粗放農業から、
野菜の集約的農業への転換が、大きな契機になっているのだろう。
集約的農業は舅が始めた、と話してくれたが、その経験から
するどい経営感覚を磨いていったことは、お話から見て取れた。
さらには、補助事業との決別の経験も見逃せない。
だからといって、成功の秘訣は、既存の市場や組合からの脱却でもないし、
補助事業に頼らない、ということでもない。
それらの経験から、Kさんは何を学んだのか、何に気がついたのか、
そこに目を向けてみると、自ずと答えが見えてくる気がする。

つづく
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沖縄へ行ってきた。
国際開発学会に家族で参加するために。
すでに「国際開発」というものから離れて久しい。
それに日々の農の営みでは、そういったことを考える頻度もすくない。
将来また、その分野に自分が身を置くことも無いだろう。
それでも、沖縄に行ってきた。

やはりというか、あたりまえというか、
セッションの中で議論されていた開発論題に、
ついていくことすら困難になっていた。
それでも頭をフルに回し、忘れかけていた言葉を思い出し、
忘れかけていた概念を思い出し、
そして忘れかけていた視点を思い出せた。

村を見つめていく視点を、これまで鍛えてきたつもりだったが
どうやら日々の生活に埋没してしまい、その視点が鈍っていたようだ。
学会で得られる知識そのものが、僕の生活の中で役に立つのか、と
言われると、こたえは「NO」。
ただ、実践と研究の狭間で、その対象となる社会をどう切り取るのか、
それぞれの20分の発表の中からは、それを感じ取ることが出来る。
そしてそれが、僕の「社会を見る目」を磨いてくれるのだ。

沖縄開発のセッションでは、本土復帰後の社会変容について
熱い議論が繰り返し行われていた。
伝統的な習慣と「思いやり予算」と呼ばれる巨額な開発資金の消費の中で
沖縄は独特の社会を作り上げている。
その一端を感じ取ることが出来たのが、今回の学会参加の
一番の収穫だろう。
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富山で北陸ブロック大会。
結果、「負け」。
新潟・富山・石川・福井の4県代表者中、上位2名が
全国大会の切符をものにできるはずだったのだが、
手に入れることは出来なかった。

敗軍の将は兵を談ぜず。
何を言おうが、負けは負け。
しかし、久しぶりの「負け」である。
ここんところ、あまりにも調子が良かったので、
自分でもおかしいと思っていたところだったのだが、
やはり身の丈通り、ということなのだろう。

明日から沖縄。
国際開発学会に家族で参加。
頭を切り替えなければ。
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木枯らし1号がやってきて、気温もぐっと下がるこの時期、
ハウスの中では、あるバトルが始まる。
それは、ネズミとナメクジと僕。

寒気がやってくれば、外は寒く、ナメクジにしてもネズミにしても、
やはり耐えられないのか、ハウスの中に入ってこようとする。
そしてハウスの中には、ナメクジの好きな青々とした葉っぱがあり、
ネズミの好きな種がたくさん土の中に植わっているのだ。

寒気が来る、と昨日今日のような天気予報があれば、
ネズミの粘着シートトラップと、
米糠と殺虫剤で作るナメクジ用トラップをハウスの際に
設置して回る。

ネズミはなかなかに賢くて、トラップだけを避けて種を食べまくり、
ナメクジはトラップにいとも簡単に引っかかるのだが、
数にものをいわせて、死骸で埋め尽くされたトラップを乗り越えて
入ってくる。

今年もこのバトルが始まった。
曇天の北陸の冬が僕の心象を表しているかのようだ。
この出口の無いバトル。
なんとも憂鬱なバトルだろうか。
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山岸 俊男 著 『社会的ジレンマ』:「環境破壊」から「いじめ」まで.2000年.PHP新書.

社会は今、多くの社会的ジレンマの問題に直面している。副題にもあるように、環境問題も然り、いじめの問題も然り。社会的ジレンマとは、一人一人が、こうすればよい結果になる事を知りながらも、それをしない、さらには、それをしようと意思の強い人ほど、ひどい目にあってしまう(もしくは損をしてしまう)、という問題である。

本書では、社会的ジレンマを平易な文章と、わかりやすい事例で紹介している。「わかっちゃいるけどやめられない」という状況を脱出するには、それを守らない人に課す制裁や規制を強くしたり、教育を強化したりすれば良いと、我々は思いがちであるが、筆者は、それには限界があり、さらに2次的ジレンマの問題に陥る事を指摘している。たとえば制裁や規制を強くすれば、ある程度は社会的ジレンマの問題の解決にはつながるだろうが、その制裁や規制を行うことのコストが大きくなれば、それを行い続けることは困難になってくる。また教育をもってして、他人のために行動しなさいという基本的に人間性に反する行動をとるようにしても、うまくは行かない。なぜならば、教育の成果には個人のばらつきがあり、社会的ジレンマが起きている状況においては、教育の成果が良く愛他的な行動に出る人ほど、利己主義的な人の搾取にあうばかりで、その人は常に清貧に甘んじる、というジレンマに陥ってしまうからなのだ。社会問題の解決において、精神論ばかりに帰結してしまう世論において、本書の指摘は重要な意味を持つだろう。

10年前に出版された著者の社会的ジレンマの本では、ゲーム理論の繰り返しの実験から、利己主義を徹底していけば、愛他的行動に行き着く、と結論付けられていた。そしてその徹底した合理的な利己主義(利他的利己主義と筆者は名付けていた)こそが、社会的ジレンマの解決の糸口になるとしていた。

しかし、本書では「合理的な利己主義者が協力行動を取るのは、えびで鯛を釣れることができる場合だけです(協力行動を取ることで得られる長期的利益がえられる場合)。現在のように、社会に存在する大規模な社会的ジレンマでは、このような「えびで鯛の原理」がうまく働きません」(p210)と結論付けられている。では、社会的ジレンマの解決には何が必要なのか?本書では、その解決には、「みんなが」原理が働きやすい環境に整備すればよい、としている。「みんなが」原理とは、「みんなが協力するなら自分も協力するが、誰も協力しないのに自分一人だけ協力して馬鹿を見るのは嫌だ」(p142)という行動原理のことを指す。本書ではさらにこの「みんなが」原理は、「私たちがほとんど意識しないままほぼ自動的に生じているらしい」(p181)と著者は指摘する。さらに、この「みんなが」原理は、何百万年という人類の進化の過程で身に着けてきた能力の1つとして、大脳の中に組み込まれてきた認知モジュールの1つだと論じている(筆者はこれを社会的交換モジュールと呼ぶ)。

以上の事から筆者は最も重要な指摘をしている。「社会的交換モジュールの働きにせよ、感情の働きにせよ、一般的に非合理的で「おろかな」心の働きだと考えられていますが、その中にこそ、合理的な利己主義者には手におえない問題の解決を可能とする「本当のかしこさ」が隠されているのだというのが、(中略)筆者の主張です」(p213)と結論付けている。

途上国援助において、モラルの無さや正直者がバカをみる社会的ジレンマの問題に直面することは、多くある。インドネシアの留学生とも議論になった、ゴミ問題もそのひとつだろう。ただその場合、我々は教育の質の問題や、文化の問題にしてしまいがちである。中には、ひどい人になると、自民族優位主義などを持ち出す人までいる。そのようなロジックに陥りがちな我々に、本書は正確に社会を見抜く視点を提示してくれているのである。社会的ジレンマの問題は、「みんなが」原理が起こりうる環境を整えることで(限界質量と行動の変化については、p192)、行動の連鎖反応は起き、解決へと向かっていく。この指摘は、今後大きな意味を持つであろう。
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11 18
2007

年末に収穫する予定のベビーリーフを播種。
11月半ばなのだが、年の瀬を感じる。
なんとか今年の分が播けることが出来た。
そんな安堵感と充実感がある。

通年安定出荷なるものは、たとえ異常気象だろうが台風が来ようが
寒波が来ようが、猛暑になろうが、安定して出荷しなければならない。
種をまくのは、冬ならば1ヶ月以上前に播く。夏でも3週間ほど前。
種をまく時に、3週間や1ヵ月後のことなど誰も予想は出来ない。
そんな手探りな状況で、安定出荷を目指している。
これが水耕栽培などで、環境が管理されているのならば、
あるいは、それなりに簡単なのかもしれない。
だが、僕は土耕にこだわる。

とにかく、今年分は何とか播き終えた。
今夜は、ワインで乾杯だ。
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ある機関紙を読む。
農家の集まりが作った機関紙。
その中に、日本農業の近代化について書かれているものがあった。

内容は、簡単に要約すれば、機械化や農薬・肥料の発達から
農作業が軽減されたが、余剰労働はそのまま農業には向けられず
(生産調整や価格等で折り合わないこともあり)
農外へと労働力が流れ、現状では、5ha以下の稲作農家の場合
農外収入を農業部門につぎ込むことで、農業が成り立つという
逆転現象に陥っている、と書かれていた。
そしてそれでも農業を続けていく中には、損得のみでは考えられない
地域のつながりや土地を介してのつながりがある、とも書かれていた。

これらの指摘は、とくに僕にとっては真新しいものではない。
ただ面白かったのが、この文章は、この機関紙のために書かれたものではなくて
(そうだとしても、それはそれで面白いのだが)
JICAの研修で途上国とよばれる国から来た人たちの集まりで、基調講演として
話された内容だった、という点で面白いのである。

日本の農業を学ぼうとしたときに、そこにある近代化の功罪はさけて通れない。
この話を聞いて、研修生たちはどう思ったことだろう。
それが知りたい。

この文章は、連載1回目、となっていた。
近代化の生産に向けられた構造的問題を1回目で話をしていたが、
このあとの展開が気になる。
僕や妻が主張するような生産のみの特化した農業開発ではなく、
生活と生産の両輪で進む農業開発に目が向けられていくのだろうか。
それともこれまで多くの著書にあるような近代化を徹底批判するのみに
終わるのだろうか。

僕らが進めていく農業はこれまでいろいろなことを吸収して進んできた。
たとえそれが、『粗放農法』だとしても
たとえそれが、『自然農法』だとしても
たとえそれが、『伝統的農法』だとしても
そうカテゴライズされている農法のほとんどに(たぶんすべてに)、
近代性は存在するのである。
生産だけに目を向けて、近代化を批判し続けても、
農の方向性のパラダイム転換にはなりえない。
それが、最近の僕の結論でもある。

第2回目が楽しみだ。
そういえば、この人、近くに住んでいるんだから、直接話を聞きに行ってもいいだろう。
その時、研修生がどういう反応をしたのか、それが聞きたい。
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娘が風邪を引く。
この時期、ごんぼ(ごぼう)の収穫でてんてこ舞いの毎日だが、
午後から雨が降ったこともあり、お昼からは仕事をやめて
娘の看病をすることに。
妻は、来週に行われる学会の発表準備に追われていた。

娘の看病と言っても、昨日が山だったようで、今日はずいぶんと元気だった。
そこで看病(というか、娘の遊びに付き合う)傍ら、晩御飯を作ってみた。
最近、平日は忙しすぎて、料理をしていない。
休日でも、1品か2品作る程度。
でも今日は、全部で3品だったのだが、晩御飯のすべてを用意することにした。

メニューは
ロメインレタスとカリフラワーとパルメザンチーズのリゾット。
ロメインレタスとソーセージのジンジャースープ。
スティックブロッコリと卵のサラダ。
と、いたって簡単なものばかり。
もちろん野菜はすべて自家製のものばかり。

前日に飲もうと買ってきていた、微発泡白ワインをイメージしてのメニュー。

作っていて思ったことは、やはりこの時期、
レタスやアブラナ科の野菜が美味しくなるということ。
夏場は果菜類(トマト・ナス・きゅうり等)が主役になるが
晩秋から初冬にかけてのこの時期、
葉物の野菜が美味しくなる。
スーパーや小売には不評だった僕のセロリも
うちでは大好評の食材である。

妻の得意料理なのだが、
セロリをみじん切りにして、それに水を一切加えないでオイル煮にする。
そこから出た水分だけで、ソーセージやベーコンをゆでると
これがまた、ワインに良く合うのだ。
市販のセロリと違って、煮ても香りが飛ばないので
妻がよろこんで調理をしてくれる。

今晩のメインになったロメインレタスも同様。
生で食べても美味しいのだが、煮ても香りや風味が飛ばないので
スープやリゾットにしても美味いのだ。

自分で台所に立つと、自分の作った野菜の美味さがよく分かる。
それと旬の移り変わりと、その味を欲している人の体と季節の関係がよく分かる。
忙しいからと言って、最近は調理をさぼっていたが、
農の営みの醍醐味は、最後に『作って食べる』ところにあることを
少し忘れていたようだ。
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1通の手紙が届く。
農林高校の留学生が、帰国間際に持ってきてくれた。
帰国の準備をしていたら、かばんの底から見つかったようで、
慌てて、届けてくれた。
いろいろなことがありすぎて、手紙を託されたことを忘れていたとの事。
そして、それの手紙は、昨年、留学生として来ていた子からのものだった。

「日本の留学を終え、インドネシアに帰国すると、あまりにも違いすぎて、驚きました」
そんな言葉から、その手紙は綴られていた。
「インドネシア人は、公共の物を大事にできません。でも日本は違っていた。どうして日本人は、公共の物を大事に出来るのですか?それはモラルの問題なのですか?どうすれば、インドネシア人に、日本人のようなモラルを教えることが出来るのでしょうか?」
久しぶりに届いた手紙には、そんなことが書かれていた。

いきなりそんな難しい問題を僕に投げつけられても、何と答えていいものやら。

ただ言える事は、僕もインドネシアから日本に戻ったときに、
同様のことを思ったことがある。
「なぜ日本人は、インドネシアのような人の温かさを失ってしまったのだろうか」と。
「日本社会全体が、もう少し『いい加減』に出来ていたら、どんなに楽だろうか」と。

自分が帰属している社会は、それ自体が空気のようなもので、
普段の生活では、その空気自体に意識がなかなかいかない。
社会比較をしたとしても、それらは常に紋切り型のように、欧米社会との比較ばかり。
(そんなことを明治維新から続けてきて、こんな社会になったという自覚なしにだ。)
そんなこんなで、やはり『空気』は感じられない。

3ヶ月という短い時間だったが、昨年の留学生も大事な経験をしたようだ。
普段は、そこに埋没していて、意識が行かない社会の根本に少しでも目が行くようになったようである。
ただ、その根本にある文化に優劣は無い。
(ただ文化という文字で片付けるのは、好きじゃないが)。
どちらかが高くて、どちらかが低いわけじゃない。
そこを読み違えると、不幸だ。
それだけは返信しようと思う。
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大工と共に中古厨房機器を見に行く。
多目的農舎に入れるシンクを物色するために。
手や野菜、道具を洗ったり、また仕事場でコーヒーの一杯でも入れられるように
簡単なシンクを入れようと思っている。

さてその中古厨房機器を扱っている会社でのこと。
大きな倉庫いっぱいに、厨房機器が山済みになっていた。
なんでも、販売だけでなく、レンタルもしているとか。
大きなシンクやガス台、冷蔵庫などは、業者で無い人ならば
あまり買う人もいないのだが、
お祭りやイベントなどで、レンタルする人も多いとか。
浜茶屋なんかも借りに来るらしい。

さて、その山の中から、大き目のシンクを1つ選び出した。
いくらですか?と聞くと、
「10cmで2300円」と言われる。
幅・高さなんか関係なく、横の長さ10cm毎で値段が決まっているらしい。
僕が選び出したシンクは、横120cm。
なので、12×2300=27600円也。
なんともアバウトな値段の決め方・・・。

いろんな業種があるんだなぁ。
勉強になりました。
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土日、仕事の合間に薪棚を作る。
家作りはまだまだ先の話なのだが、薪ストーブを入れることにしてから、
建築端材などを集め始めている。
そして端材も結構な量になってきたので、薪棚を作ることにした。

使った材料は、パイプハウスの廃材。
圃場のあちこちに落ちているハウスの直管パイプを集めて、作成した。
さすがにそれだけでは材料がたりないので、近くのホームセンターで
杉板とセメント、ブロックを購入。
パイプで組んだ棚の足をブロックの穴に入れ、セメントで固定した。

この作業をしていると、妻が「私に任せなさい」と言わんばかりに
手元の危うい僕から道具を取り上げ、セメントの空気を抜く作業をしてくれた。
そしてその都度、
「セメントが足りない!」
「セメントが水っぽい!」
とダメ出しを連発。
そういえば彼女。
協力隊の時代、インドネシアの山奥の村で、
4キロに及ぶ生活用水道を引く活動をしていたっけ。
彼女に言われるままに、なんとかセメントで足場を固定。
普段DIYなんて興味なさそうにしているのに、セメントを見た途端、
豹変した彼女には驚いた。

こうして薪棚が完成。
廃材を利用したので、2000円で完成。
1トンくらいはストックできそうである。
ただ、薪ストーブで一冬過ごそうと思うと、2トン以上は薪が必要だとか。
ぼちぼち作っていこう。
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いよいよ多目的農舎の建築が始まった。
幼馴染の大工が、農舎建築にあたり、丁張りにくる。
これから始める研修事業では、この農舎が必要になってくる。

農舎には、農作業場は当然のことだが、
それ以外にもミーティングが出来るような部屋も確保してあり、
何人かで座学をしたり、討論をしたりできるようスペースを確保してある。
これまで僕が自由に使える、こういったスペースが無く、
研修生の受け入れも、僕個人の意思で決定は出来なかった。
しかし、この施設が完成すれば、僕がこれまで描いてきたことが
可能になるのだ。
ただこの施設は、金儲けには直結しない。
そんな施設に、15年ローンで、1000万円の借金をして良いものかどうか
ずいぶん悩んだのだが、どうせなら、面白いほうが良い、
という信条のもと(この心情のため、ずいぶん苦労の多い人生でもあるのだが)、
立てることを決意。

さて、その丁張り。
平面図と違って、大工にはいろいろと見えてくるらしい。
そんで、基礎の変更が出てきてしまい、全体的に20センチばかり小さくなるとか。
そういうのって、事前にわからないものなの???

この施設建設は、ある意味、家作りの前哨戦でもある。
この腕前を見て、大工を誰に頼むか決めようと思っている。
しっかり頼むよ、大工さん!
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県内の農林高校に来ていた留学生2名。
そろそろ帰国ということで、挨拶がてらに、農園までやってきた。
3ヶ月の滞在だったが、
「もうすぐ帰ります。お世話になりました」ときちんと日本語で挨拶していた。
それなりに頑張ったようである。

引率の先生から、
「来年のプログラムに反映したいので、良かった点や悪かった点を聞いてもらってもいいですか?」とのこと。
こういう難しい日本語になると、まだまだ意思疎通は難しいようだ。

学生の感想として、良かった点は
「効率よい農作業をしていて、それが体験できて良かった」
「いろんな機械があるので驚いた」
「日本語が勉強できた」
などなど。

改善してもらいたい点としては、
「もう少し座学を増やしてほしい」
「日本語で説明されても、よく分からなかった」
などなど。

座学の件では、前年度の留学生たちが根をあげてしまったので
今年からは、座学抜きの全過程実習というコースにしていたのが
裏目に出たようだ。
しかし、日本語の読み書きが出来ない子に、座学を受けさせることが
本当に良いのかどうか、悩むところではあるが・・・。

不満があったら何でも良いので言ってください、と言っていたら、
堰を切ったように、どんどこどんどこと不満が出てきてしまった。
留学生たちは、相当、言葉で困ったようだ。
「3ヶ月もいたのに、何もわからないで帰らないといけない。」
「言葉が解らなかったから、農業の勉強もほとんど出来なかった。」
と、とにかく「解らなかった」を連発。
なので、こちらかも一言。

「じゃぁ、解らないってことが、解ったようだね。」
そう、少なくとも何を勉強しなきゃいけないかは、解っただろう。
僕も留学した身分。
言葉の壁の苦しみは解るが、それには同情しない。
やるしか道はないのだ。
留学中、ドラえもんの暗記パンがこの世にあれば、と何度も何度も何度も何度も
思いながら、ゲロを吐きながら、睡眠を削りながら、あせかきべそかき、
言葉を一つ一つひねりつぶす様に覚えたものだ。
兎に角、やるしか道はないのだ。

解らないことが解ったのなら、後は、それが解るように勉強をするだけだ。
学習の目的がわからないまま、詰め込まれていくよりかは、
それだけで幾分かは意味のある学習になるだろう。

どうやらこの留学は、受け手の学生の考え方ひとつで、
ずいぶんと意味のあるものになるようである。
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立冬。
暦では、もう冬。
だが、今日は暖かく、10月下旬の陽気だとか。

一昨日、遅まきながら、ソラマメを播く。
自家用で、春先に楽しむために。
その隣では、先月播いたクキタチ菜が芽を出していた。
これも春先に楽しむのだが、こちらは3月ごろから蕾を摘んで楽しむ。

晩夏に播いた大根も少しずつ大きくなっている。
すこし遅めに播いたので、まだまだ細いが、
冬の寒さで脂がのるぶりと一緒にぶり大根にするには、
ちょうど良い時期に収穫できるだろう。

盆過ぎに播いた白菜は、そろそろ一番早いものが食べられそうになってきた。
9月が暑かったので、害虫の食害にあうかと思ったが、
混沌とした僕の自家菜園では、何か特定の虫だけが大発生することは無く、
害虫はちらほらいるだけで気にならなかった。

10月に植えたにんにくが芽を出したのだが、
その横で、春先に植えたパクチー(香菜)が目を出してきた。
どうやら種がこぼれたらしい。セリの仲間なので、このままにしておけば
春まで楽しめるだろう。
なんだか得をした気分。
にんにくの生長を阻害しそうなくらい生えているが、
にんにくの収穫は6月なので、4月までパクチーを楽しんだら、それを整理して
そこからにんにくにはラストスパートをかけてもらえば、十分間に合う。

娘の大好物のブロッコリは、それなりの量を植えたが、
こちらはまだ収穫できそうも無い。すこし遅れ気味。
キャベツもまた然り。
ただ冬の寒さにあえば、それだけ甘みが増すので、それはそれで楽しみでもある。

意外かもしれないが、5月に植えたミニトマトがまだまだ現役。
晩夏から冬に入るこの時期からがミニトマトががんばる時期。
今年はトマトを10種ほど植えたが、甘みの強いロケット型トマトは、
夏の暑さに弱く、夏前までの命だった。
だが、初夏にはあまりにすっぱくて美味しくなかったミニトマト(ピコ)は
秋になるとその真価を発揮する。
夏の暑さに強いピコは、秋に入ると大繁茂する。
それはまるでトトロの森のように。
酸味と甘みのバランスがちょうど良くなり、
霜がおりるまでは、赤い実をたくさん提供してくれるのだ。

立冬になっても畑は終わりじゃない。
これからたまねぎの苗を定植する。
今年はレッドオニオンを中心に植えよう。
それが終わると、今度はエンドウマメの播種。
その頃には、蕪や大根、白菜の収穫。

とぎれなく、混乱無く、続いていく農の営みがそこにはある。
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農地に家を建てるのは、こんなにも困難だとは・・・。

本日、土地家屋調査士が来る。
家を建てようと思っている農地を、これからどういう手続きを経れば、
家が建つのか、その説明に来てくれた。
しかし、こんな肩書きが世の中にあり、そしてそれで飯を食っている人がいるとは。
なんだか別の意味で驚きだ。

さて、家を建てようとしている農地。
農業振興地域ということだけでなく、
昭和45年以降に他人と交換して手に入れた土地で、
その1点が問題となり、家が容易に建てられない。
たとえそれが、その土地の所有農家であってもだ。
昭和45年以前であれば、そういう法律施行前だったので、
問題はなかったらしい。

この土地に家を建てるに当たって、
一番の難関は、「開発審査会」という役所での審査会である。
市役所の都市計画課で行われるもので、普通の住宅を建設する際には
こんな審査会は通らない。
今回のような特殊なケースのみに、経ないといけないプロセスの1つ。

この審査会を通るポイントとしては
1.何故、住宅を建てるのがその場所でなければいけないのか。他に代替地は無いのか。
2.交換したときの経緯。相手方との関係は。
3.何故、今、住宅が必要なのか。必要性の説明。
などなどである。

これらを説明できれば、昭和45年以降に交換した農地でも、
農家住宅は建てられる場合があるとのこと。
この「場合がある」という表現には、ちょっとひっかかるのだが。

ちなみにこの手続きだけで、3ヶ月近くはかかるらしい。
土地家屋調査士さんの話だと、今月から申請をかけても
早くても来年の11月着工、とのこと。
なんという長さか・・・。

農地はあくまでも農地。ということか。
その法律があるからこそ、乱開発には合わず、
僕らはこうして農業を営んでいるわけなんだけど。
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11 06
2007

今、セロリ栽培を試みている。
これが今年最後の試作品。

地場産のセロリがスーパーに無く、ほとんどが信州か、上州、そして三河産ばかり。
しかもセロリは、スーパーでは切らすことの出来ない定番商品の1つ。
消費者にもずいぶん浸透している。
なので、ゆくゆくは、一時期だけでもスーパーの陳列棚のセロリ定番スペースを、
そのまま、うちのセロリのスペースに替えてしまおう、と考えていた。
たぶんだけど、目のつけどころは、悪くないはず。・・・だった。

試作品を作り、さっそく朝市へ。
いろいろな業者にみてもらうが、どの人からも
「本当のセロリ、見たことあるか?」と言われ、
その度に、今入ってきている信州産のセロリを見せ付けられた。
それは、株が肥えていて、僕の腕ほどの長さで、葉が少なく、可食部の茎の部分が目のさめるような白さで、みずみずしく太っていた。
完敗だった。
「本当」というやつが、そこまで出来上がっていることにも驚きだが、
その「本当」という価値を知らないで、作っていた自分にも情けなかった。

ただ、ある業者からは
「お前のセロリ、香りと味だけは勝っているよ」とも言われた。
しかしその続きに、
「こんだけ味が強いと、セロリ好きもセロリ苦手になるかも」。
・・・・・・。

見本のセロリが余ったので、お昼は知り合いのレストラン「サレポア」で
ランチをすることにして、そこへ持っていった。
シェフは、その完敗だったセロリを快く受け取ってくれ、
その場で、葉っぱをフリッタにして出してくれた。
味が濃くて食べ方が難しいと妻とも話していた、うちのセロリが、
カリッとあがっていて、それでいて後味にくる香りがさわやかだった。

シェフは
「うちで使いますよ」と声をかけてくれたが、
もう少し、「本当」の価値に近づけるか、それともみんなが思っている「本当」のセロリの価値を打ち破れるようなセロリになるまでは、やはり出荷は出来ない。
露地栽培でもあるので、霰が降るか霜が降りるまでしか作れない。
ぎりぎりのところまで、どこまで大きくなるか見てみようと思う。
来年のためにも。
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村上 陽一郎 著 『安全と安心の科学』.2005年.集英社.

前回読んだ本に続き、今回も安全安心を考えるための読書。
青年農業交換大会で発表するに当たり、「安全」と「安心」とは何かを考えるために手に取る。

本書は、科学史・科学哲学の学者の手によって書かれたものであるが、平易な文章で解りやすく科学にまつわる安全と安心の関係を説明している(散髪の合間に読み終えた本)。
本書では、交通事故や医療、原子力の事故などを検証しながら、科学の安全設計について考察を入れている。著者は「人間は間違える」を前提に、システムを組む必要性を訴えている。それは、間違えを犯さないようにするのではなく、間違えても重大なミスにつながらないようにすることである。また人間同様、機械も必ず壊れるという立場から、人がミスをし、機械がたとえ壊れたとしても、それらが重なるスイスチーズモデル(ランダムに開いているチーズの穴が、重なり合っても貫通してしまうこと)のような最悪の事態にならない工夫が必要であると説く。

筆者がもっとも強調したいことは、「如何なる領域といえども、ものごとがルーティン化し、安全に推移するのが当然と思われ始めた瞬間に、安全は崩壊する」(p120)ということであろう。「システムのなかで、「安全」は絶対的な価値として追求されなければならないが、それで「安心」が保証されることは避けなければならない、という点です。ある組織で、従業員の間に「安心」が広がるときが、最も「危険」だとさえ言える、と私は考えています。安全が達成され、安心が充足されたときに、安全は崩壊し始める。この問題は構造的なものです。」(p167-168)。ここで述べられている「安全」と「安心」の関係は、山岸俊男著の「安心社会から信頼社会へ」(中公新書)の中で、説明されている人々が社会に対して感じる「安心」と同一のものであろう(山岸の方がより詳しくその心理のメカニズムを解明している)。安全を追求すればするほど、安全に対するインセンティブは失われていく。安全に欠けたコストが、まるで水か空気のような「当たり前」に感じられたときに、安全は崩壊する。安全に対するインセンティブを、その現場担当者が自ら常にかき立てることが必要なのであるが、それは難しいことでもある。前回読んだ「リスクのものさし」の中で、人の認知モデル(二重過程モデル)があったが、人の認知が周辺的ルート処理をとり続けた場合(山岸のいう「安心社会」)、安全へのインセンティブも低下することになるだろう。現場でのインセンティブの高低は、ある意味、社会からのまなざしの強弱とそれに対する現場での認知でもあるのかもしれない。
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電子メールで履歴書が送られてきた。
あちらの農林高校から。
来春、来るであろう研修候補生の履歴書が。

選考する時間がほとんどなかったであろうが、
副校長をはじめとして、あちらの先生たちのすばやい対応には驚いた。
校長が来年地元の知事選にでることも影響しているのかもしれない。
9月の来日では、知事は、たけし城ばかり話していたが、
それでも研修提携も目玉の一つにしたいと話していた。
どうやらそれはうそではないらしい。

あとはビザ申請用の写真と、IDカードのコピーが来るのを待って、
ビザの申請を始める。
これで1月にはインドネシアに行かなければならないだろう。
研修生の村や圃場、そして近くの市場を見て周り、状況を把握しないといけない。
日本の農業の現状を、そのまま押し付けたのでは、
はっきり言って何の役にもたたないのだ。
時には、研修生側が上手に日本の状況をインドネシアの状況に「翻訳」をして、
地元で活躍することもあろう。
しかし、そうじゃない場合も多い。
出来ることなら、僕もその「翻訳」作業に付き合い、
研修が有意なものだったと言えるようなものにしたいと思う。

研修候補生意気込みを、履歴書に入れるように注文しておいた。
その意気込みには、
「日本ので学んだ農業技術をインドネシアの産物に合わせて発展させていきたい」
と述べられていた。
その意気込み、なんとかかなえてあげたい。

いよいよ、来春から研修という形で、民際協力が始まる。
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インドネシアから国際電話あり。
あちらの農林高校の副校長からだった。
「タヤ!今度は大丈夫だ!22歳だからな!」と副校長。

前回、研修候補生選びで、二十歳以下だったため、
急遽別の人を選考してもらっている最中だった。
来春、インドネシア研修生を受け入れる予定をしている。
そこで、あちらの農林高校卒業生の中から、
その候補生を選考してもらっていたのだが、
ミスコミュニケーションが多く、半ばあきらめていた。
ただ受け入れ準備だけは進んでいたので、来春には受け入れたい。
そこで、研修生の渡航を世話してくれる協同組合にお願いして、
農林高校で選考できない場合は、他の方を協同組合で選考してもらうことにしていた。
その期日が11月1日。

そして今日。
副校長から、滑り込みでの電話。
「速達で必要書類を送ったから、数日中には届くからな!」と副校長。
インドネシアからたとえ速達で国際郵便を送っても、
普通郵便とあまり変わらなかったんじゃなかったっけ???

まぁ、いいや。
とにかく、農林高校側は、この研修にやる気があることが確認できた。
どちらかだけが逸っていても、この手の仕事はうまくいかない。
とりあえず、郵便を待つことにしよう。
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中谷内 一也 著 『リスクのモノサシ』:安全・安心生活はありうるか.2006年.日本放送出版協会.

現代は様々なリスクの問題に溢れている。鳥インフルエンザ、BSE、原発の安全性(耐震性)、不法表示の食品などなど、例を挙げていけばきりがない。しかしどのリスクも、同じような一律なリスクではない。本書では、リスクがあるのかないのかを議論するのではなく、リスクがどの程度あるのかを定量的に検証する必要があることを主張している。自分でリスクを判断できる「リスクのモノサシ」を筆者は提案している。

本書はリスクという情報に対して、どう人々が認知するのかを、社会心理学の分野から、わかり易く説明している。リスクが喧伝されるたびに、なぜパニックになるのか、なぜゼロリスク(リスクなしの社会)といった無理難題が生まれてくるのか、といった社会のリスクの受け止め方に丁寧に答えている。
リスクとは、白と黒がはっきりと分かれているものではなく、どんなにリスクが低くとも、灰色は灰色なのである。しかし、人々の認識は、どうしても白黒の判断になりがちになる。その大きな理由は2つある。1つ目は、「私たちの行為はイチかゼロいかというかたちにならざるを得ないことが多いからである。(中略)降水確率30%といわれても、行為選択としては傘を持参して外出するか、傘をもたないかのどちらかを採るしかなく、傘のうちの三割だけをもっていくわけには行かない」(p152)のである。
2つ目の理由としては、二分法(白黒で考える)的な判断になりがちなのは、「その方が定量的判断よりも認知的負荷-単位時間当たりに遂行しなければならない情報処理の多さ、頭を使う労働のきつさ-の点でラクだからである」(p153)。

筆者はこの2つ目の理由からさらに踏み込んで、人がある対象のものに対する態度の示し方として、二重過程モデルを説明している。このモデルでは人が対象について態度を形成するプロセスとして2つのスタイルがある。1つは、与えられた情報の内容を十分に考えた結果として態度が決まるという中心的ルート処理。もう1つは、もっと簡単な周辺的な手がかりによって態度が決まる周辺的ルート処理である(詳しくはp155)。このモデルでは、単に中心的ルート処理が良くて、周辺的ルート処理が悪いというものではない。どちらのルートで態度を決定するかは、その人に高い認知的負荷を受け入れるだけの強い動機付けがあるかどうかである。この点に考慮を入れなかったリスクマネージメントの例としてBSE問題をとりあげて解りやすく説明している。「政府関係機関の一般向けサイトやパンフレット類をみてみると、科学的な根拠に沿いながら一般向けにわかりやすく正攻法でBSE問題を伝えようという努力が垣間見られるのだけれども、その努力はなかなか実を結びにくい。なぜなら、政府機関や畜産業界でサイトやパンフレットを作成する担当者はBSEのリスクを理解する能力も、詳細な情報を読み解こうとする動機づけもあるだろうが、彼らが発信するメッセージを受け取る消費者側にはそのような高い動機づけは期待できないからである」(p158)。周辺的ルート処理は、高い認知的負荷をかけないで情報を処理するため、そのルートによる評価の結果は、問題となっているリスクを完全に避けるか(牛肉は一切やめておく)、あるいは問題を無視して以前どおりの行動をするか(これまでどおり牛肉を食べる)、というイチ・ゼロの二値的なものになりやすい、と筆者は指摘する。

また人が信頼する仕組みについても新たな視点を提示している。これまで山岸俊男などの著作で紹介されていた信頼の仕組みでは、対象となる人の能力についての認知と誠実さについての認知によって信頼が成り立っているとしていた。これを伝統的な信頼モデルと呼んでいる。このモデルでは、相手が誠実ではないと判断しても、能力が高ければ、ある一定の仕事に対しては信頼するという態度を人が示すと説明しているが、中谷内が提示するモデルはこれとは真っ向から対立する。彼が提示している信頼のモデル(SVSモデル)では、「ある個人が自分の主要な価値と、リスク管理責任者の主要な価値とが同じであると認知すると、そのリスク管理者を信頼するようになる。逆に自分にとって主要な価値とリスク管理者のそれとが異なると認知する場合には、そのリスク管理責任者を信頼しなくなる(このことを価値類似性という)」(p196)というものである。そのため「SVSモデルが正しいのなら、能力や誠実さをアピールしてもあまり意味はないことになる。なぜなら、それらは信頼を導くのではなく、信頼や主要価値類似性によって導かれるものだからである」と指摘する。これらの指摘は非常に重要な示唆を与えてくれる。たとえば、我々生産者が自分の生産物へのこだわりや農法・使用農薬の履歴などを科学的に分析したとしても、周辺的ルート処理で買い物をしている人々には、この情報は届かない。さらには、生産者の農家としての能力やこだわりなどを表示して誠実さをアピールしたところで、やはり信頼にはなかなか結びつかないことを示唆しているのである。相手の価値類似性を理解し、それに沿った情報発信が必要になってくるだろう。

さてそれらの考察(二重過程モデル・SVSモデル)から、筆者は社会共通のリスクに対するモノサシを提案する。本書で紹介されている事例は、人命にかかわる事例ばかりであるため、モノサシの基準(リスク比較セット)が落雷・自然災害・火事・交通事故・自殺・ガンがあげられている(右に行けば行くほど人命のリスクが高くなる)。報道されるリスクが、このモノサシのなかでどの位置にあるかを明示することで、周辺的ルート処理で評価する人にも、パニックにならずに、その情報を受け入れられるというものである。「感情的な影響をできるだけ除外して冷静にリスクの大きさを把握することが、標準化されたリスク比較セットを利用する目的である。」(p124)。筆者は、実際のリスクの中で苦しむ人たちの質的な側面は、文章や当人たちの語りから通してでないと伝えられないもので、報道番組や新聞などの記事で伝えられれば良いとしている。イチ・ゼロの二値的判断に陥りがちなリスクに対して、このモノサシはある程度は有効だろう。しかし、社会的なモノサシが形成される中で、人々の価値がそのモノサシへと標準化されていくプロセスには無視が出来ない。高い認知的負荷をかけないで物事を判断するためのモノサシは、わかりやすいものなのかもしれないが、複雑なものを解りやすくする過程で抜け落ちていく価値が存在することにも目を向けなければ、その狭間で周辺的に追いやられる人々が出てくるのも容易に想像がつく。現在進行中のグローバリゼーションの中で、猛威を振るうグローバルスタンダードこそその好例といえよう。社会的モノサシは、リスク理解にはある程度有効だとは思うが、そのモノサシはどの文化にそしてどの社会的グループに属しているかでまったく変わってくるものである。人々がモノサシを作り、それでリスクを理解するのは良いが、そのモノサシが一人歩きしないかどうか、今の我々の社会が醸成しきっていない状況の中で、それが心配でもある。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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