10 29
2007

妻が熱を出して寝込む。
そこで医者に連れて行ったのだが、
そういえば僕も咳が止まらないことに気がつき、見てもらうと
「気管支炎ですね」と医者から言われる。
結果、妻よりもたくさんの薬を貰って帰宅する。

風邪の元凶は、娘。
今、保育園では風邪が大流行。
流行には疎いはずの我が家も、今回ばかりは流行の真っ只中にいる。

風邪にはやはり野菜をたくさん食べるのが一番。
中でも生姜が効く。
そこで、自家菜園に植わっている生姜をほんの少し収穫する。
隣に植えてあったサツマイモのつるが、生姜の生育を邪魔していて、
根生姜はあまり太っていなかったが、それでも、掘り出すと
ツーンと生姜の香りが漂う。
それと、先週掘ったごんぼ(ごぼう)と一緒にトン汁を作って、家族ですする。

掘ったばかりの生姜は、香りも強く、風味も格別だった。
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保育園でもちつきをする。

11月23日に行われる保育園のバザー。
その最大の目玉が、もちつき。
その練習を兼ねて、今日、もちつき会があった。

小突きから全部手作業。
手抜きはしない。
今回は練習ということで、2臼のみ。
だが、当日は100臼くらいつくらしい。

さて、練習会。
実は僕、もちつきが初体験なのだ。
実家では、年の瀬に必ずもちをつくのだが、
昔から機械を使っている。
なので、臼と杵でもちをつくのは初体験。

古株のお父さん連中から、
「力でつくんじゃなくて、杵の重さを利用してつくんだ」とか
「とにかく無心で、同じリズムで、中心をついてください」などなど
アドバイスを頂く。

さてそのもちつき。
杵を鍬に見立てて、いつものように振りかぶるのだが、
鍬を穿つのとは、少々(というかずいぶん)勝手が違う。
周りのギャラリーからも、
「新スタイルやねぇ」と、感心されているのだか、笑われているのだか
良くわからないコメントをもらう。

兎にも角にももちつき初体験終了。
本番は、100臼かぁ・・・。
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夏前にさんざん食べたのだが、
結局出荷するには至らなかった野菜。
フェンネル。

そいつが、夏に花を咲かせていた。
さっさと抜き取ってしまっても良かったのだが、
夏はあまりに忙しく、それに気を使う暇は無い。

そして秋。
ふと気が向いて、フェンネルの畑に行くと、種がたくさん出来ていた。
さっそくそれを摘み取り、天日干しに。
3日も乾かせば、ぽろぽろと種が落ちてくる。
独特のあまい香りと共に。

フェンネルの種は香辛料としても利用されるが、
そのまま食べることもある。
思い出すのは、カンボジアの首都プノンペンで良く行ったインド料理屋。
食後に必ず、このフェンネルの種が葉巻とともに皿に盛られて出てくる。
葉巻に火をつけながら、この種を齧るのが好きだった。
さわやかな風味と、すこし甘い味。
それが葉巻の強い味と良く合うのだ。

そんなことを思い出しながら、フェンネルの種を瓶につめた。
あの喧騒と、熱帯独特の匂いと、だるい暑さと、
強い葉巻によくマッチしたフェンネルシード。
この辺りの空気の中では、すぐには溶け込めないかもしれないが、
こいつには、ここでも居場所を探してやろう。
こいつに合うここの料理を探してみよう。

ふと気が向いて見に行った畑で見つけたフェンネルシード。
そしてそれをどう使おうかと思い出と共に考える。
生産と生活が渾然一体となり、それが自分の手の中にあるという実感。
そんな毎日がとても贅沢に思える。
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農地を宅地にするのは、本当に難しい。
今日夕方、農協の支店長が慌ててやってきた。
開口一番、「大変なことが解った!あそこにすんなり家は建てられん!」とノタマフ。
え?なんで???


実はこの人に、僕らが家を建てようとしている土地(農地)を
宅地に変えてもらえるよう手続きをお願いしているところなのだ。
この支店長は、知り合いの行政書士さんにお願いをして、農地を宅地にかえる手続きを進めていた。
僕が家を立てようとしている農地を宅地に変えるには、いくつかの手続きが必要である。
まず、

分筆。
土地を分けること。
僕が家を建てようとしている農地は、1筆で30aある。約900坪。
農家住宅として農地を宅地にできるのは、Maxで150坪ほど。
ただ、予定としては40坪ほど宅地にしようと計画している。

次に農業振興地域の解除。
これは以前も説明したとおり。
振興地域の農地は、耕作以外の目的で使用できない。その解除をしてから
宅地として登記しなおさないといけない。

そして最後に住宅を建てるための開発行為許可をとらないといけない。

これらの手続きのすべてを当初は自分でやろうと思い、市役所で必要書類の聞いて来たのだが、あまりの多さに今は農協と行政書士さんに頼っている。

さて今回問題になったのは、
最後の開発行為許可のところで必要な書類を集めているときにおきた。
実際の手続きはまだ一番最初の分筆すらしていないのだが、スムーズにすべての手続きをすませるために、先に必要書類を揃えるのだが、その段階で、一番最後の開発行為許可が、このままじゃ取れないことが判明した。

問題となっているのは、その農地。
その農地は、祖父が平成元年に同じ集落にいる本家と他の土地と交換して取得した農地。
そして今でもその祖父の名義。
そして法律では、取得した農地に農家住宅は建てられない、というもの。
市役所の農業委員会や農政課では、これについては調べられないのだが
都市開発課で、この1点が引っかかり、開発行為許可がおりないらしい。

なんてこった。
農地は法律でがんじがらめになっていて、手続きが煩雑と良く聞くが、まさにその通りだ。
どれもこれも農地を守るためのものなのだろうが、
農家が自分の家を建てることも難しいとは・・・。

とりあえず支店長さんには、他に方法は無いか、あたってもらうことにした。
祖父から父へと名義変更するということも視野にいれて、
調べてもらうことにした。

う~ん、家作りの道は困難で険しい。
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我が県の農業青年交換大会があった。
各ブロックからの代表者1名が、
それぞれ自分の農業の取り組みをプレゼンしあう大会。
今年は、所属している若手農業者の会の代表として、僕が発表をした。

発表内容は、8月に早稲田の学生さんを受け入れてから
考えさせられた、消費者との価値の共有について、である。
QRコード、携帯サイト、PCのWebサイト、ポップ(店頭広告)などの
作成を、ネット掲示板を通じて頂いた意見をもとに作成していく物語を発表した。

結果は、最優秀賞。
来月には、富山で北陸ブロックの大会に、県代表として参加する。
それのプレゼンコンペでも勝てば、全国大会というわけだ。

「プロジェクト(平成19年度)」なんて日記のカテゴリをわざわざ作ったんだから、
少しでも多く、このカテゴリで日記が書けるといいなぁ。
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ようやくインドネシアから連絡あり。
依頼していた研修の候補生のデータが郵送されてきたのだ。
副校長が気前良く答えたBesok(今日ではない未来)というが、
来月でも、来年でも、来世でもなかった。
文字通り、明日だったようだ。
よかった。

来月にでもこちらでのビザ申請を行う予定でおり、
先日も研修派遣元になる協同組合から、うちの農園についてヒアリングがあったところだ。
その時に協同組合から、
「来週までには、候補者のデータお願いしますね」
と念を押されたところだった。
なので、今週にデータが郵送されてきたのは、タイミング的にはベストだった。
いろいろとあったが(たけし城など)、期限までに必要書類が届いて
期限どおりに事が進むなんて、まるでインドネシアじゃないみたい!
そう、本当に期限どおりに事が進むなんてことは、稀なのだ。
・・・そして、やはり今回のやり取りでも、それを実感することになる。

まじまじと研修候補者の書類を眺めていたら、
生まれが、1988年の6月6日になっていた。
ははは、ドラえもんの絵描き歌みたいだなぁ、と気軽に考えていたのだが、
ちょっと不安がよぎる。
アレ?コノ子、マダ、ハタチニナッテイナイ???

研修生として呼べる人は、二十歳以上と決まっている。
未成年ではだめなのだ。
あちらの農林高校で選考してもらうときに
こちらからつけた条件にも、第一番目に二十歳以上と入れたはずなのに。
もっとも肝心なところが抜け落ちて、選考されてしまっていたようだ。

慌ててインドネシアの農林高校に電話をする。
当然、相手は副校長。
二十歳になっていないようですが、と切り出す僕。
「え!?そんな条件があったの?」と副校長。
9月の頭に、校長が福井に訪れたときに、こちらから条件を渡しておいたのだが、
どうやら副校長はそれを知らないらしい。
そして校長は、たけし城構想を抱えたまま、来年の知事選挙戦に挑むべく、あちらこちらを奔走し、ほとんど校長として仕事をしていないとか。
そして副校長曰く、
「校長から、選考を依頼されたが、そんな条件の話は一切していなかった」とノタマフ現状となってしまったのだった。
嗚呼、これぞ我が愛するインドネシア!

さっそく副校長宛に選考のやり直しを依頼し、
詳しい選考条件を電子メールで送ることに。
ただこの電子メールも怪しい。
副校長は電子メールを持っていないので、同じ学校の他の先生宛に、電子メールを送るしかなかった。
僕の実体験から言えば、
インドネシアでは、間に人を1人挟むと、情報伝達の可能性は約33%下がる。
(つまり、間に3人挟めば、ほぼ情報は伝達しない)

果たして、送った電子メールは無事に副校長の目に触れることになるのだろうか。
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家を建てたら、そこに薪ストーブが欲しい。
いつからそう思ったのか、自分でも定かではないが、
それを今、検討している。

家作りは、間取りや立面図を今年中に決めることになっている。
今は、農地の分筆と農業振興地区の指定解除の手続きが今月来月とあり、
その資料や手続きに追われているのが現状だ。
だが、その合間をぬぐって、薪ストーブも検討しないといけない。

薪ストーブ導入でもっとも困難の1つが、薪の入手だ。
もちろんストーブ屋でも薪を販売しているが、灯油に比べてかなり割高。
金持ちの人か、自分で薪を調達できる人でなければ、
薪ストーブ導入は二の足を踏んでしまう。
そこで「祖父(母方)の持つ山で薪割り」を計画していたのだが
やはり祖父の体調が思わしくない。
山の範囲やどうやって切り出せばいいのか、
それらのすべてを教えてもらう予定でいたのだが、どうも今の体調では無理のようだ。
そこでとりあえず建築の端材を集め始めた。
村の中には3軒大工がおり、そのうち1人は幼なじみ。
どの方も気前良く端材をくれるということになり、
徐々に端材が集まり始めている。
しかし、そんな中、雑誌でこういう情報を見かけたのだ。

「針葉樹は薪には向かないので、広葉樹を薪にしよう」というもの。
建築の端材は、柱などの余った木なので、どうしても杉が多い。
そして杉は針葉樹。
ネットでいろいろと調べてみると、
針葉樹は広葉樹に比べて10倍近くタールを燃焼時に排出し、
そのタールが煙突に付着し、燃焼効率を妨げるばかりか、
時には、煙突火災(煙突内部が燃える)を引き起こすことになるらしい。

あるブログでは、
「薪ストーブを使っていたら、ごうごうと煙突から音が聞こえ出して、真っ赤になりました。驚いて外にでて煙突を見たら、煙突から火柱が立っていました」などなどと恐ろしい書き込みもあるではないか!

うーん、これはまずい。
建築端材で広葉樹だけを選ぶことはかなり難しい。
山も祖父の健康状況を考えると、現状では薪の入手先として考えないほうが得策である。
そして僕自身は金持ちではないので、薪を購入してまで薪ストーブを使い続けることは出来ない。
そうなると、薪ストーブの導入自体を見直さないといけない事態になってしまった。
リビングの真ん中に、大きな吹き抜けを作っており、そこに薪ストーブを設置し、吹き抜けに煙突を立てる予定でいた。
北陸の雪国なのに、大胆不敵なリビング吹き抜けを作る予定でいたのも、
薪ストーブ導入があったからこそなのだ。
その薪ストーブが無いのならば、大胆不敵な吹き抜けは維持できない。
間取り自体が大きく変更になる!?と焦っていた。

そこで今日は、地元の薪ストーブ専門店を訪れて、
実際の薪使用状況について、尋ねることにした。

答えから言えば、針葉樹でもOKとのことだった。
確かに、タールの発生はひどく煙突も汚れるが、年に1回の煙突掃除で、
大丈夫との事。
大学時代、工場の煙突掃除をバイトとして毎週やっていた僕としては、
家の煙突くらいならば、へっちゃらだ。
専門店の人は、
「針葉樹、広葉樹も大事ですが、燃焼の温度と薪の乾燥がより大事です」
と言う。
乾燥させることで、燃焼を良くし、タールの発生を防ぐらしい。
それと、針葉樹は高温になりやすいので、ストーブの燃焼が暴走する場合があるとのこと。
しかしこれは、薪の投入量や吸入の空気の量を調節してやれば、
危険なことは無いとも。
とりあえずは、安心した。これで薪ストーブを導入しようと決心。
せっかく来たので、専門店の方に家の間取りを見てもらい、
生活スタイルもお伝えし、その中で合ったストーブを選んでもらった。

こちらの条件としては、
65㎡ほどの暖房能力
燃焼方式はクリーンバーン(手入れが簡単なため)。
複雑な操作のないもの
値段が30万円程度
ストーブのトップで、調理が出来るタイプ
である。

そしてそれらを満たすのが、スキャンのCI-1GCBだった。
みにくいアヒルの子というニックネームで親しまれているストーブ。
思っていたストーブとは違っていたが、
薪が縦に入るシガータイプのストーブは、憧れていたので、
専門店の人にすすめられると、ぐっとそちらに心が動いた。
とりあえず、パンフをもらって帰路に着いた。

薪ストーブ導入しようっと。
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保育園の父母の会役員会に出席。
保育園の役員を2つもかけもつと、月に3~4回は役員会があって、
非常に忙しい。

このときの役員会はすんなりと午後10時前には終わったのだが(これでも早い方)、
その後で、ある役員さんに捕まってしまった。
その方、保育園に対していろいろと考えている方で、
今行われている保育園の増改築運動にも、批判的な立場から
良い意見を出してくれる重要な人物でもある。

はじめは帰り際に、保育園の駐車場でつかまり、他の父母と共に
今の増改築について議論をしていた。
が、それらの人も次々とうまい具合に帰っていったのだが、
どうしても僕は捕まったまま。
そして、もう少し話をしましょうか、と言われ、
場所を移すことに。

向かった先はミスタードーナッツ。
男二人が、深夜、ミスドで保育園のあり方について議論。
お酒も飲まないのに、あーだ、こーだ、の議論。

その方は、最後まで保育園の増築には反対をしていた。
うちの保育園は、年間にバザーなどで400万近く売り上げる、
全国でもずいぶんと珍しい保育園らしい。
そしてそれらは、父母と保育士の努力と犠牲の元に成り立っている。
だからその方は、増改築をすることで、
今以上に犠牲を強いられるのではないか、
今以上に保育がおろそかになるのではないか、
と心配しているのだった。

その労力があるのであれば、保育のより一層の充実を目指したほうが良い、
とその人は言う。
確かに。
しかし保育士たちや保育園理事、実行委員会の役員の意見では違っているのだ。
増改築の実現こそが、保育の充実だと主張している。
現在の狭い敷地内で、保育士たちは悪戦苦闘を続けながら
毎日子どもを保育しているのが現実なのだ。

僕には、どちらの意見も正しく思えてしまう。
ただ祖母が僕にこういうことを言って、育ててくれたことを思い出す。
「学校とお寺は、みんなが通る場所やから、手を惜しまず貸してあげなさい」。
だから僕は、出来る限りの手を貸している。

これからうちの保育園、最大の山場であるバザーを迎える。
父母と保育士の負担がもっとも大きくなる時期なのだ。
その直後に増改築の募金集め第2弾がやってくる。
前回のキャンペーンで、300万集めたが、今度は400万円。
先々を考えると、貸す手が引けてしまう自分がいるのも事実。
さてどうしたものか。

そんなことを酒も飲まずに議論した夜だった。
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10 18
2007

くきたち菜を播く。
祖父や祖母がまだまだ若かった頃、
この辺りでは、春先に食べられる重要な野菜の1つだった。
祖母はくきたち菜の種を見せると、懐かしそうにその当時の話をしてくれる。

「あの時はぁ、な~んもなかったさけぇ、そればっかり植えてたわ」。
その当時、重要な換金作物の1つだったらしい。

この時期に播き、春先に花芽が立ってくれば、それを折って収穫する。
葉っぱを菜っ葉として食べることもあるのだが、菜花のように
とうを食べるのが普通だとか。

菜の花が堤防に咲き乱れていても、それに目もくれないうちの祖母だが
このくきたち菜だけは、食べたがる。
「味がぜんぜん違うんやざ」。
他の菜花とどう味が違うのか、僕には良くわからない。
祖母は昔の思い出ごと食しているのかもしれない。
ただ、出来上がったものだけを食べていても、それは解らないのかもしれない。
だから今年は、畑の一部に、このくきたち菜を播いた。
これから厳しい冬が来る。
そして春を待ちながら、その訪れを知らせてくれる、この菜花は
その関係の時間をかけただけ、味が違うのかもしれない。

種は祖父の姉の自家菜園から採取したものを頂いた。
僕も、祖母たちの思い出にすこし付き合ってみようと思う。
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バンドゥンの農林高校に、
来年から来るインドネシアの研修生の選考を依頼していた。
来年からいよいよ我が農園でも研修を始める。
カリキュラム自体はまだまだ未定なのだが、
それでも僕と妻だけでも、ずいぶんと面白い研修はできるだろう。

さて、「たけし城!」と叫びつつ去っていったあちらの農林高校の校長。
来日時に、9月中に選考した研修候補生のデータをこちらに送ってくれる約束だった。
そのはずだった。
が、予想通り、データは10月に入っても来ない。
たぶん、たけし城で頭が一杯なのだろう。

そこで今月初めに、校長に電話をする。
しかし、つながらない。どうやら携帯の番号を変えたようだ(インドネシアでは、日常茶飯事に、携帯の番号を変える)。
そこで副校長に直接電話をし、さらに知り合いの先生数名に電子メールで催促をした。
こういった間接的な方法で連絡をする場合、出来るだけ多くの人にコンタクトをとらないと、あちらでは連絡が本人になかなか行かないのだ。

さて、メールを送ってから数日後に、再び副校長に電話をする(僕自身、校長とはすでに直接コンタクトが取れなくなっていた)。
研修候補生のデータは、いつこちらに送ってくれますか?と聞くと、
「Besok!」と景気良く答えてくれた。
Besokはインドネシア語で「明日」という意味。
だがこれをこのまま捉えてしまってはいけない。
辞書を引けば解るし、インドネシアに滞在経験がある人ならば、この言葉は、もっとも注意するべき言葉だということが、わかるはずだ。

Besokは、「明日」という意味でも有効だが、それは本来、「今日ではない未来」を指す言葉なのだ。つまり、明日でもあり、明後日でもあり、明々後日でもあり、来週であり、来月であり、来年であり、来世でもある(?)。
つまり副校長が答える明日は、「今日ではない未来」という意味の明日の可能性が高いのだ。

妻は、
「そういう時は、Besok?Kapan!(明日?っていつよ!)って聞き返せばいいのよ」
とノタマフのだが、
さすがに副校長にそこまでは聞けない。
ただ、研修候補生のデータ内容を詳しく聞けたので、どうやら選考だけは済んでいるらしい、というのは察することが出来た。

そしてそれから1週間経つが、いまだに研修候補生のデータは来ない。
Besok?Kapan!(明日?っていつよ!)と聞けばよかったかなぁ・・・。
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買えば、たぶん安く、それもどこでも手に入るのだろう。
かかる手間と時間を金銭で考えることに慣れてしまっていれば、
ばかげたことをしているのかもしれない。
それは、味噌作りとハトムギ茶。

祖母が毎年のように味噌を仕込む。
これまではそれを手伝ってきた程度だったが、
今年は3月に、妻と一緒に一から味噌を仕込んでみた。
その味噌を昨日から使い始めている。
腐敗防止のために、すこし強めにした塩が、思ったよりも効きすぎて、
そのまま食べると、少々塩っ辛いが、それでも味噌汁にすると
香りもよく、なかなかの美味。
1年分は仕込んだので、これで来年までは、手前味噌を楽しめるのだ。

秋も深まってくると、ハトムギが熟す。
娘が好んで飲むので、自家用にと、畑の隅に植えておいたハトムギを収穫。
実を落とすのは、手作業。
祖父が、天気の良い日に、軒先に1日座って、しごいて脱粒してくれた。
そのままでは葉っぱも茎も入ったままだったが、
昨日は風も強かったので、その風を使って、風選をする。
といっても、難しいことをするわけではない。
茎も葉っぱも不稔実も混じったハトムギを、
両手にすくえるほどすくって、背の高さほどから落とせばよいのだ。
実の入ったハトムギは、重いのでそのまま真下に落ちるが、
茎や葉っぱや不稔実は、風に吹かれて飛ばされてしまうのだ。
とても地味な作業だが、もっとも確実な仕分けの仕方。
こちらも来年までの1年分をとる。
飲むたびに、フライパンでローストしないといけない手間のかかるお茶なのだが
独特の甘みがあって味もよく、何より娘が喜ぶのでやっている。

完成品はどこででも買えて、しかも安いものなのだろうが
手間をかける楽しみがそこにはある。
誰かを思いながら、仕込みの長さと出来上がりを楽しみにしながら過ごす時間は、
なんとも贅沢な時間なのだ。
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10 14
2007

さつま芋を掘る。
2名友人が来て、体験芋ほり。
みごとな芋に、一同歓声をあげながらの芋ほり。
だが、どの芋もみごとにねずみに齧られていた。

河川敷の畑は、砂地のため、芋の栽培にはむいている。
おかげであまり大きくならない、と評判だった紫芋も、
驚くほどの大きさになっていた。
川砂のきめの細かい畑は、根菜類にとっては、これ以上ない畑なのだ。

しかし、さつまいもを植えつける前から、むらのみんなから
『あそこには芋はやめとけ』と言われていた。
『ねずみに食べられるさけ』が理由だったのだが、
これ以上ない畑に芋を植えないのはもったいない、
と思い、芋を植えることに。

当たり前のことなのだが、河川敷の畑には野鼠が多い。
ただ他にも畑はあるし、うちの芋ばかりが被害にあうことはあるまい
と軽く考えていた。

が、結果は、むらの年寄りがいう通りに。
見事なまでに、どれもこれも、ねずみに齧られていた。
芋畑自体が、ねずみの巣になっていたようだ。

ただ、紫芋はあまり大きくならない、とこの辺りでは言われていたが
それを覆すような、びっくりするほど大きい紫芋が、ごろごろ採れる。

『ほやさけ、やめとけって言うたんや』
とねずみに齧られて無残になった芋を
眺めながら年寄りは言うのだが、
大きい紫芋には感心していた。

ねずみさえ抑えられれば、河川敷の畑は芋に向いている。
どうやら来年の新たな課題が見えてきたようだ。
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ごんぼ(ごぼう)を試し掘りする。
本格的な収穫の始まりは今月終わりか来月頭。
それにむけて、試し掘りをする。

今年の畑は、僕が協力隊から戻ってきた次の年、2001年にごんぼを作った畑。
ごんぼはいや地(連作障害)が出やすく、最低でも5年は作付けの間隔を空けないといけない。
2001年にごんぼを作ったときには、この畑は土のしまりが強すぎて、
あまりたくさんは採れなかった。
ごんぼは、長さも命だが、肌の色も大事だ。
土のしまりが強すぎると、水はけが悪くなり、ごんぼの肌も
褐色に変色してしまうことがある。
2001年のときは、そんなごんぼが多かった。
それから今年まで、何度もプラソイラ(鋤)で、土の盤を割り
有機物を投入し、土地の高低がなくなるように、土を盛りなおし
畑を作ってきた。
6年前の収穫状況から、次のごんぼ作に向けて、
6年かけて畑を作り直していくのだ。

さて今年はどうだろう。
試しに短めの畝を1つ掘ってみる。
土のしまりがあまり強くない場所では、上々の出来。
すらっと伸びた肌の綺麗なごんぼが取れる。
最も土のしまりの強い場所では、それなりに肌が痛んではいたが
それでも、十分な太さと長さのごんぼが採れる。
まずまずの出来になったようだ。

ごんぼは5年間その土地は使えず、その間に次のごんぼに合うように
畑を作っていく。
そして掘り出すこの時期になるまで、
その取り組みが正しかったのかどうかは解らない。

試し掘りから見ると、
どうやらこの6年の取り組みは、正しかったようだ。

長い時間をかけて作った畑で収穫されるごんぼ。
これがごんぼの持つ時間。
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ずーっと以前にまいた種が、芽を出した。
といっても、なんかの野菜の話ではない。
ある業者との取引のこと。

かなり前の話で、いつだったか忘れてしまったが、
あるスーパーの担当者に、うちのベビーリーフを売り込んでいた。
サイズや規格を変えて、他のスーパーに無い特別仕様で
販売する予定だったのだが、とんとんと話が決まりそうだったのに
いつしか立ち消えになっていた。
こういうことは日常茶飯事。

それが先週、突然その担当者から電話がある。
『うちのスーパーに卸している中卸さんが、田谷さんのベビーリーフを見たいと言ってます』と。
そして今日、その中卸の担当者をつれて、やって来た。
その中卸さんは、うちのベビーリーフ栽培を見て、その場で商談成立。
とんとんとん、と、話はすぐにまとまり、うちの新しいお客さんになってくれたのだ。
希望された出荷量はそれほど多くは無い。
だが、それでもうちの商品に惚れ込んで、
『これからがんがんこれを売りますよ』と頼もしい一言。

僕ら農民は、種を播くのが仕事だと思っている。
それが野菜だろうが、業者だろうが、変わらない。
育つかどうかはわからないが、種を播かなきゃ始まらないのだ。
今回の種は、意外な形で花が咲いた。
これだから、この仕事は面白くてやめられない。
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ハトムギを収穫。
自分で焙煎して飲むために、ほんの少量だが、畑の脇に植えてあった。
たわわに実ったハトムギ。
これを見ていると秋を感じる。

朝晩が冷え込むようになったこの頃。
冷たいアイスコーヒーや麦茶からそろそろ温かいお茶が欲しくなるころ。
人のそういう素朴な欲は、自然のサイクルと良く合っている。
そんな欲にあわせてか、ハトムギの収穫を迎えるのだ。

忙しく野菜の出荷に追われる僕に代わって、作業小屋の傍らで、
祖父はハトムギの株をしごいて、脱粒作業をしてくれた。
収穫したてのハトムギは、焙煎する前から、どこか香ばしい匂いがする。
小屋の中に、ハトムギの香りがする。
もうしばらく天日干しをすれば、この秋と冬もハトムギ茶が楽しめるのである。
素朴といえば素朴だが、とても贅沢な楽しみなのだ。
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QRコードを付けた。
僕が生産しているベビーリーフに。

ベビーリーフのパックに貼り付けている小さなラベル。
生産者と消費者をつなぐ、小さな窓口。
その窓口を少しでも広げよう。
そう考えて、QRコードを付けた。

8月に来た学生さんの言葉がよみがえる。
『ラベルは一方的ですが唯一の生産者との窓口になります。ラベルに書かれているのが知らない農薬の名前でも、知らない生産者の名前でも、そこに生産者を感じられます。』

ポップもつくり、QRコードと携帯サイトも作った。
どうなんだろう?これで生産者が少しでも身近に感じてくれるようになっただろうか?

市場経済の流通過程で、分断されていく作り手と買い手の関係は、
このラベルで再び結ばれていくのだろうか。

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インドネシア人学生2名が、泊まりに来る。
地元の農林高校に、留学生として来ている例の彼と彼女。
むらの祭りということもあり、前日から泊まりに来ている。
そして今日は、農場でお仕事体験。

普段、日本の農業について自国語で聞きたいことも聞けなかったようで、
堰を切ったかのような質問攻めに合う。
まず一番初めに聞かれたのは、うちの農場の始まりだった。
どうやって発展してきたのか、それを知りたかったらしい。
実はこの質問に答えることで、日本の、いや少なくともこの辺りの
農村と農業の変容を江戸時代から遡って一挙に説明できてしまうのだ。
土地所有の構造の変化。
単純近代化・モノカルチャー型農業の推進。
農業の産業化と過疎化。
そして、それらの反動から自然を見直す動き、などなど。
ただ、この質問に真正面から答えようとすると、とてもじゃないが、一晩話し続けなきゃ終わらない。
それでも1時間ほどは、この質問に根気良く答えていたが、
質問を発した側が、あまりの情報量にギブアップ。

それでもめげずに、
『日本はどうしてどこにもゴミが落ちていないのですか?』と質問された。
これはインドネシア人と話していると、良く話題になるトピックの1つ。
インドネシアでは、とにかくどこでもゴミが落ちている。
川はゴミで堰き止められて、それが原因でよく洪水になったりするくらいなのだ。
留学先の大学でも、日本にはゴミが落ちていない、ということがトピックになり
ディスカッションのテーマになったこともあった。
難しく言えば、社会的ジレンマの問題であり、ゴミを簡単に捨てるフリーライダーの
総数が、全体のモラルの崩壊につながらない程度であれば、周りの環境がゴミであふれることは無い。
と、たしか授業では結論付けていたような、いないような・・・。
学生さんも???な顔つきだったので、
外に設置されているゴミ箱の数が違うんじゃない、と答えておいた。
まぁ、それも事実だろう。

あまりの異文化に、問いを発する側が期待する答えは
なかなかこちらからは発せられない。
異文化であればあるほど、その説明は端的ではなく、聞く側に苦痛を与えてしまう。
僕の答え方にも問題はあるのだろうけど。

しかし、久しぶりに難しいインドネシア語を使った。
こういう時は、頭の右後ろ側が、なんだか重い。
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むらの神社の祭りの日。
朝から幼い我が子にはっぴを着せ、こども神輿について歩く。

僕が子どものときは、5,6年生にならなければ、神輿には触れなかった。
神輿を担ぐのは、上級生の特権だった。
だから下級生は、神輿から出ている長い紐を握って歩くだけだった。
それが・・・

今では、子どもが少なすぎて、神輿が担がれない。
だから、神輿を車輪の付けた台に載せて、引き回すだけになってしまった。
当然、上級生の特権も無い。
だから我が子も、その気になれば、神輿にぶら下がりながら、引き回せる。

子ども神輿に参加した子どもの半数は、むらの外に住んでいる。
実家がうちのむらだ、という人達だ。
また同日、ソフトボールの大会もあり、むらの男の子の多くは(それと親も)、
ソフトボール大会に参加しているのだとか。

神輿のあとからついて回る軽トラックに乗せてあるスピーカーから
祭りの囃子が流れている。
子どもたちからは、元気な囃子はない。
なんだか廃品回収や竿竹売りの行列ようだ。

この光景を見ていたむらの年寄りは
『子どもが減ったねぇ』と皆、口を揃えて言う。

子どもの数も減っているだろうが、
むらに住んでいる人の関心ももっと減っているんだろう。
今年も大人の神輿はでなかった。
『どうせ人が集まらんさけ』とみんな言う。

なんだか寂しい祭りだった。
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山を見に行く。
薪ストーブの薪を入手できるかどうかを確かめるために。

新築する家には、どうしても薪ストーブを入れたい。
予算的に厳しいのだが、とりあえず、今のところは入れることになっている。
ただ、この薪ストーブ。
薪の入手がかなり困難だということが、だんだんとわかってきた。
建築廃材を同じ集落に住む大工(幼なじみ)から貰おうと思っているのだが、
それだけでは足りないようだ。
そこで、山から木を切り出せないか、と山へ向かう。

母の実家には、山がある。
林業は疾うの昔に絶えてしまっている場所。
しいたけの原木なんかを切り出す以外は、山は放置されている。

さて、その山。
祖父(母方)が、『いくらでも切って行け』という。
しかし道際から山に入れる箇所すらない。
断崖絶壁になっており、少し谷の場所は、うっそうと草や低木が茂り
とても入り込めない。

それでも来週の週末に試しに木を切ることになった。
祖父は
『簡単に切れる。』と造作もなくいう。
その言葉を支える技を習いたい。

この夏、祖父は大病を患った。
彼が元気なうちに、彼の持つ山についての知識と技を受け継いでおきたい。
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3日目。
アメリカに行ってしまった義姉から送られてきた木のおもちゃを娘に見せる。
ヒットだったのが、犬の木琴。
喜んで叩く叩く。狂ったように叩く。
終いには、木琴の棒をもって、家中叩きまくっていた。
おかげで、洗濯も夕飯の準備も風呂の掃除も、幼児用テレビ番組無しで
乗り切ることが出来た。

ただ、叩きまくる対象物を、どんどん部屋に散らかしてしまったので、
部屋を片付けるときには、結局幼児用テレビ番組(録画)のお世話に・・・。

妻ががんばって1本早い電車に乗って帰ってきてくれたので、
娘の寝る前に帰宅。
大喜びかと思いきや、すこしはにかんで、もじもじしていた。
あまりにも大きな嬉しさは、ストレートに表現できない我が娘。

兎にも角にも、
ぷち父子家庭終了。
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二日目。
もうすぐ2歳になるということもあってか、
ぐずっても言い聞かせれば
通じるようになってきた。

『ママー、ママー』と泣く娘に
『ママは今、お仕事で東京というところに行ってるんだよ。解る?』
と問いかけると、じーっと僕を見て、
そして力いっぱい頷く。
それがあまりにも可愛くて可愛くて、ぎゅーっと抱きしめる。

それを何度も何度も繰り返す。

そしてその内。
『ママー、ママー』となぜか僕をそう呼ぶようになった・・・。

少し前の娘は、妻と僕を『ママ』と区別せずに呼んでいた。
最近は区別がつくようになって、僕は『パパ』になったのだが、
どういうわけか、また『ママ』に逆戻り。

『ママ』がいないという寂しさを
僕をママにすることで、とりあえず紛らわせているのだろうか?
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人に対しては差別用語なのだが、これは人に対してじゃない。
ある土地を指す業界用語なのだ。
それは、道路に面していない土地。
つまりどこかよその敷地を通らないと、その土地にたどり着けない土地のこと。

今、家を建てようとしている。
場所は、祖父の持つ畑。
そしてうちの集落は、農業振興地域に指定されている。
この『農業振興地域』とは、農地保護を目的とし、
農地を農地以外に使用できないようになっている地域のことである。
ということは、祖父の持つ畑に、僕の家は建たないの?

そういうわけでもない。
一定の条件が満たされていれば、その土地に対して農業振興地域の解除を
することが出来る。
僕の場合、実際に農業に従事しているので、僕の家を建てるという目的であれば
150坪までの農地を、宅地に変えることが出来る。
ただ、そのプロセスは煩雑で、しかもずいぶんと時間がかかるのだ。

さてその祖父の畑。
南北に縦長にある。
そのすべてを宅地にはしない。というか出来ないくらい広い。
道に面した北側の場所を宅地にする予定でいる。
この土地は、1筆(つまり土地の区分がなく、1つのまとまり)なので、
まず宅地にする部分だけを分筆しないといけない。
分筆とは、土地を分割することである。

その分割の仕方なのだが、
南北に長い土地なので、北側に1本線を引いて、分筆しようとしていた。
そうしたら、農協や設計士さんから
『めくらになっちゃいますよ』と注意された。
分筆する予定の奥の農地が、道路に面しない土地になってしまうからだ。
どうせ、僕は農業をしていくんだし、奥は畑だし、そんなのはあまり関係ないだろう
と思っていたのだが、
『10年、20年、と経てばどうなるか解らないよ。とにかく、土地はめくらにはしちゃいけない』と強く言われたので、その通りに。
とくに農協からは
『めくらの土地は、担保価値ゼロだから、今後、田谷君が借り入れをするときに、困ることになるよ』とのこと。

何かを始めると、いろんな知らないことが解ってくる。
いつも土を耕して仕事をしているのだが、
そんな地面にこんな決まりがあったなんてねぇ。
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妻が出張で東京へ。
そして再び『ぷち父子家庭』になる。
今回はたったの3日間の予定。

ただいつもとは違う条件がある。
先週まで義父(妻の父)が遊びに来ていて、べったりと娘と遊んでくれていた。
だから先週は、ほとんど1週間ほど、我が家はにぎやかだった。
娘もそのにぎやかさに、興奮気味だった。
そして今日から、父と娘の二人だけに。
そのギャップがどうでるか。

お昼に東京へ向かった妻に代わり、保育園のお迎えは僕が行くことに。
保育園ではまだ外遊び中で、泥だらけの娘。
僕を見るなり、うれしそうに手に持っていた泥団子を口に入れる。

さて、お迎え後。
まだまだ仕事をしたい僕としては、娘を連れてそのまま畑に直行。
懸案だったにんにくを植えつける。
2キロの種にんにくが、思ったよりもあり、畑の場所が足りなくなる。
来年は1キロほどにしよう。

さて保育園の泥だらけに、畑で拍車をかけた娘をつれて、
近所の温泉へ。
このあたりから、『ママー、ママー』の連呼が始まるが
その度に、僕が返事をすると、不思議そうに僕の顔をみていた。

晩飯は、いつも食欲旺盛なのだが、母がいないせいか、食いが悪い。
歌を歌ったり、踊りを踊ったりしながら、なだめすかして、完食。

大変だったのは寝る時。
娘はいつも妻の腹の上にのっかかって寝る癖がある。
変な癖をつけたものだが、今晩もそれをしようと僕の腹の上に乗るのだが
どうも妻よりはごつごつしているようで、それが気に入らないらしい。
あちこちごろごろしながら『ママー、ママー』や『じじー、じじー』
を連呼していた。ようだ。
というのも、どうやら途中で僕が先に寝てしまったらしいのだ。
夜中に目が覚めたときは、娘は自分の布団でちゃんと寝ていた。

娘もうすぐ2歳。
ほっておいても何とかなるようになってきた。
とりあえず1日目終了。
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久しぶりに長時間パソコンに向かう。
農作業もそっちのけで、午後からは別の仕事をしていた。
この10月に、若手農業者のプロジェクト発表なるものがあり、
それに僕が発表しなければならない。

毎年行われている発表会で、我が県のコンペに勝てば、
次は地域ブロックのコンペに進む。それは来月。
それにも勝てば、来年の全国農業青年交換大会に出られる、というもの。
それぞれの農業での取り組みを発表しあうものなのだ。
どうせ出るなら、目指せ全国大会!だろう、やっぱり。

で、その原稿を9月下旬あたりから、ぼつぼつと作り始めていた。
先日で来た発表原稿を読み上げてみると、35分かかった。
が、発表時間として与えられている時間は、10分。
今日は、25分を縮める作業をしていた。

途中何度も無理だと思い、
ついには県の担当者に冗談交じりで、『僕だけ3人分の時間をください』と
お願いしたのだが、当然『無理』の一言。

なんとか夕方ごろには、10分程度に収めた。
というか、文章を切り刻んで、10分にまとめただけ。
当然話が通じない。
こういう作業は嫌いじゃなかったんだけど、
最近、頭を使わないから、出来上がったものがなんだかぱっとしないのだ。

大会は23日。
はたして間に合うか?
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10 01
2007

にんにくを植える季節になってきた。
にんにくを植えるといっても、自分の家族が楽しむ分だけなので、
2キロ程度しか植えつけない。

自家菜園の畑は、夏の野菜たちの残渣であふれかえっている。
それを整理して、にんにくなどの秋冬に植えるける野菜の場所を
作ってやらなきゃいけない。

フェンネルや西洋トマト、レタス等の植わっていた場所を整理する。
枯れた株を捨て、軽く除草し、石灰と有機肥料をほんの少しだけ入れる。
そこを鍬で、表面をすこしだけ耕す。
あまり深くは起こさない。
土壌中の虫たちが、減ってしまうからだ。
あとは丁寧に畝たてをして、お終い。

あああ、これで今週中に、にんにくは植えられるだろう。
なんとか間に合いそうだ。
そんな安堵感に満たされる。
時期を外せば、生き物は上手く育ってはくれないのだ。

手元が見えなくなったら、仕事も終わる。
近頃は日の暮れるのが早い。
烏どもも急いで山へと帰っていく。
それに後押しされるように、僕も軽トラックに荷物を積んで
家路に着く。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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