家を建てようかと考えている。
なんとも大層なことで、分不相応とはこのことだ。
だが、諸事情あり、家を建てることを考えている。

この夏から、伯母の知り合いの設計士さんと打ち合わせをしている。
その設計士さん、
『どんどん希望を箇条書きにしてください』というので、
何も考えず、ただただ希望を書きまくったものを提出する。

環境に配慮した家にしたい!と夫婦で盛り上がり、
太陽光発電
エコキュート
薪ストーブ
蓄熱式暖房
無垢材のフローリング
珪藻土の塗り壁
和紙の壁紙
地元産木材による腰板

さらに、冬寒いのはいや!と夫婦で盛り上がり、
1階フロアーすべて床暖房
お風呂の浴室暖房

そして、一番こだわりたいのは台所だよなぁ、とこれまた夫婦で盛り上がり、
フルフラットのIランドキッチン
ほとんど値下げをしてくれないヤマハのファミリーシンク(マーブルシンク)

などなどと予算をまったく気にせずに、この夏は、ただただ希望を書き込んだ。

そして秋。
設計士さんから、
『田谷さんの予算では・・・』と始まり
太陽光発電←これは真っ先に外された。
珪藻土
和紙の壁紙
薪ストーブ
などなどが、すでに除外のリストに入れられつつある。
なんとか薪ストーブだけは、実現の方向に持っていきたいのだが、
さらに浴室暖房も対象外になりつつある現状では、ずいぶんと厳しい。

希望を書く作業はとても楽しかったのだが、希望を削る作業は、なんとも・・・。

家ってずいぶん高いのね。
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知り合いの農家に、米を取りに行く。
籾摺りと乾燥作業を頼んでいたのだ。
うちには乾燥機も籾摺り機もない。
だから、米を収穫しても、うちではそのままでは食べられない。
これは以前も書いた通り。

さて、その農家。
僕よりも年若だが、
僕が以前から若手のリーダーの1人だと目している農家。
なかなかの面構えで、考えもしっかりしている。
経験もあるし、人望もある。
(と、ここで褒めまくっても、籾摺り乾燥作業代は安くはならないか?)

さてさて、その農家。
『20町歩(20ha)くらいなら、1人でもやれるかな』とノタマフ。
少子高齢化、農業人口の減少、耕作放棄、などと
難しい言葉が踊る農業界の昨今、こんなに頼もしい言葉は無い。
そしてそれを可能にしてくれるのが、
戦車のように大きくて威圧感がある1000万円以上のコンバインと
昔、ヒーローアニメなんかで見たロボット基地のような
籾摺り乾燥機の立ち並ぶ巨大倉庫。
さらには徹底して簡略化と管理可能にされた稲作技術であろう。
僕はただただ圧倒されるばかりだ。

頼んでおいた米の量があまりに少なかったので、彼は
『2反ほどの田んぼやったんか?』と聞く。
ははは、たとえそれだとしても、少なすぎるだろう。
実はもっと広いんだよ、僕の田んぼは。

彼のような大きな設備は無いが、それでもコンバイン・田植え機などを揃え
灌漑が整備されている田んぼで、徹底的に管理された稲作技術を駆使して作ったのに
収量はインドネシア並み。いや、カンボジアの直播の田んぼ並みの収量か?

あまりにも少ない量の米を運びながら、
僕の稲作に関わるすべての技術がなんだか滑稽に感じられた。
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保育園の増築の話。
9月末までに300万集めよう!と運動をしているのだが、
予想通り、なかなか集まらない。
集められる人は、かなりの金額を積極的に集めてくれるのだが、
そもそも反対している人や無関心の人も少なくない。
父母の中でも、当然ながら温度差がある。

積極的な立場でもなかったのに、なぜか財務部役員にとして
1000万円集めよう!と父母のお尻を叩く側にいる僕。
前回の財務部部会で、
難航する資金集めに皆頭を悩まし、
『せめて父母のみんなからは寄付を頂きたい』ということになり
『とりあえず一口』運動をすることになった。
部会では、声の大きい人が
『個別に父母に電話をして、寄付をお願いしましょう』
などと言っていたのだが、僕はあまり乗り気じゃなかった。

だから、クラスの保育士から
『タヤさん、そろそろ個別にクラスの父母に電話をかけてください』と
指令が入っても、電話はしなかった。
電話が苦手だ、ということもあるが、こういうことは、直接面と向かって、話をしたほうが誤解も無いし、お互いわかりやすい。

そこで今日、クラスの父母懇談会があったので、
すこし時間をかりて、財務部からのお知らせをした。
とりあえず一口、もさりげなくだが、お願いした。つもり。

父母から寄せられた意見では、
『友人・知人・職場の人なんかに、寄付をお願いしても、自分の子どもが通っている保育園じゃないから、なかなか寄付はもらえない』。
『そもそも寄付をお願いすることが難しい。みんな厳しい中で生活しているのがわかっているので、頼めない』。
『お金を集めるのに抵抗を感じます。何か販売してそれを買うという形なら、人にもすすめられるけど』。
などなど。

そうなんだよ。
お金を人からもらうという作業は、ものすごく精神的な苦痛がある。
だから僕も、叔父(伯父)や叔母(伯母)に寄付を頼んでいるのだが
その時も、とにかくただただ申し訳なくて申し訳なくて。
そんな想いがみんなあるのだ。
だのに、部会では、あまりそういう意見は出ない。
役員のみんなは、そういう感覚はないのだろうか。

そんなこと言っていたら1000万円は集まらんよ!
と、他の役員さんから言われそうだが、
だからこそ、寄付以外になにか出来ないか、と考えてしまう。
寄付にある抵抗感を感じているほとんどの人が
気持ち良く保育園増築に向かっていける活動。
そういうものがないのだろうか。
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村で秋祭りの会議がある。
秋祭りを主催するのは、村の任意組織で、元青年団。
班ごとに分かれて、焼き鳥やら子供用の当たりくじ、ヨーヨーつりなどの露店を
自分たちでひらく。
祭りで得たお金は、その後1年間のこの組織の飲み代になる。

さて、もっとも懸案事項だと僕が勝手に思っていた神輿だが、
今年は議論にもなっていなかった。
この組織で、大人神輿を作って毎年のように練りまわしたのだが、
ここ3年、その神輿の出番は無い。
近所の大工が、あまりにも立派なものを作ってしまったので
とてつもなく重い、というのも理由のひとつだが、
一番の理由は、神輿を担ごうという若い人が減ったことだろう。

それなりに大きな集落で、若い連中はいくらでもいるのだが、
まず参加してこない。
大抵は夜の出店がにぎやかになってきたころに、
ビールを求めて家から這い出してくる、といったところだ。

せっかくなんだから、神輿やればいいのに。
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今日は、結婚披露宴記念日。
結婚式と披露宴は別々に行ったので、こんな名前の記念日。
さらに言えば、『京都での結婚披露宴記念日』ということになるだろう。
来週には『福井での結婚披露宴記念日』がある。
結婚という儀式は、いろんな文化や習慣、そして価値観が錯綜した儀式なのだ。
それらの価値をすべてくみ取り、すべてをやろうとすると、
こんなに記念日が増えてしまう。というのは余談。

今日は朝から娘を爺婆に預け、妻と二人で喫茶店でお茶をする。
昼過ぎまで喫茶店の一角に陣取り、家作りについて話を進める。
そう、実は家を新築しようなどと、分不相応なことを考えているのだ。
まだまだ夢物語で、現実的な予算の計算などほとんどせず、
自分たちのつけたいものやこだわりを間取りに好き勝手に書き込んでいる状態なのだが。

夜、お気に入りのフレンチレストランでディナー。
旨い料理に舌鼓を打ちつつ、ワインをがばがばのみつつ、
そこでも新築の間取りに妻と二人で、
あーでもない、こーでもない、と書き込みをする。
結婚披露宴記念日(京都)にふさわしい1日だった。

サレポアさん、いろいろサービスして下さいまして有難うございました。
大変美味しゅうございました。
特にフォアグラのプリン、あれはワインに合いますねぇ。
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09 21
2007

9月2度目の連休。
この連休、需要が高まることを狙って
多めにベビーリーフを播いていた。
そして、生育と需要が珍しくドンぴしゃりと合い
大量出荷することが出来た。

農業は生き物が相手の生業である。
僕ら農民は、いろいろな技術を駆使するが、
それらはたかだか作物が自ら育つためのお手伝いに過ぎない。
僕らが作物を作ることなんて出来ない。
ただただ、作物が育ちやすい環境を作ろうと努力することでしかない。

だから、連休に需要が高まる、というのは簡単に予想が出来るのだが
それにあわせて種を播き、それにあわせて収穫できることは少ない。
折りしも異常な暑さ。
種を播くときに、この暑さなんて計算に入っているわけが無い。
気象予報士でさえお手上げなんだから。
ただ作物が自分で育つ勢いを、
時にはブレーキをかけたり、
時には促進させたり、しながら
なんとか連休前日に収穫の時期をあわせることが出来た。

大量出荷で大もうけ、というよりも
狙い通りに作物の生育を持って来れたことに充実感を感じる。
昨年は出来なかったことが、また1つ、僕の技として加わったことを実感した。
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稲刈りが始まる。
周りの田んぼはとっくに刈田になってしまっているのだが、
うちは今日から稲刈り。
そして、明日の昼過ぎには終わる。
なんとも呆気ない。

うちの田んぼの稲刈りが遅いのは、何も晩生の稲を育てているからじゃない。
品種はコシヒカリ。
ただ田植えの時期が5月の下旬であったので、
刈り取り時期が遅くなるだけの話。
農協から稲の苗を買う農家に、品種選択なんてありゃしない。
近くの農協で帰る苗は、
早生の『ハナエチゼン』か『コシヒカリ』か。
その中であるのなら、自由に選べるが、それ以外はない。

さて、さっそくコンバインを動かす。
近所の農家と共同で購入した中古のコンバイン。
それだって、十分機能的なのだ。

うちは田んぼを1町歩(1ha)ほど持っている。
昔は、これだけあれば十分自作農家としてやっていけた規模だ。
けっして狭くなんて無い。
実のところ、GHQが来て、日本政府が農地解放をしたおかげで
うちは初めてこの規模の田んぼを所有できたのだ。
それまでは、ただの小作でしかなかった。

ただ現代では、1町歩しか田んぼがないのでは、
コンバインを自分ひとりで維持していくには
ずいぶんと厳しい。
当然、刈り取り後の乾燥機もない。
だから、どこか大規模に田んぼをしている農家に乾燥を依頼するか
農協が運営している近くのライスセンターへ持っていくかしかない。
ただライスセンターでは、他の農家の米と混ざるので
自分の田で取れた米は、決して自分の口には入らないのだ。
自分で作った米を食べるのは、農家でもなかなか難しい時代なのだ。
ちなみに田植え機は、ほかに2件の農家と共同購入。

さて、その田んぼ。
コンバインだと、すいすいと稲刈りが進む。
四角四面に区画整備され、田んぼの中に凹凸などなく、
機械操作もずいぶんと簡略化されており、
稲の条にコンバインのカッターを合わせて、自動調整ボタンのスイッチを入れると
ハンドル操作など不要になり、そのまま条を外さず刈ることができるのだ。

調子よく刈っていたが、突然アラーム音が鳴り出す。
エンジンが高温になっているとの警告。
どうやらラジエーターを覆う防塵網が目詰まりを起こしたらしい。
それを掃除して、さぁ作業開始、とばかりにエンジンをかけるが
動かない。
セルすら回らない。
隣の畑にちょうど共同購入した農家がいたので、その人も呼んで
いろいろ試すが動かない。
しょうがないので、携帯で農協に電話を入れる。
メカニックの人が軽トラックを飛ばしてやってきて、
ものの5分でトラブルを直してくれる。
素人にはわかりにくいトラブル。
セルのギアが外れていたらしい。
メカニックの人が直してくれて、作業再開。
しかし、直るまでの間約30分、田んぼの中でただただ立ち尽くすのみ。
これが現代のハイテク農業なのだろう。

明日には、この1町歩ほどの田んぼは刈り終わる。
アジアという人口密集地で、農耕文化を続けてきた文化圏で
しかも権力や異文化による強引な収奪が
直接土地に無い場合(もしくはそれほど広い面積ではない場合)、
それらの地域では、1haの持田は、『ずいぶんと広い』という印象になる。
僕がいたインドネシアでもそうだった。
政権に強引に共有化されたカンボジアでは、何ヘクタールも田んぼがある人が
そこら中にいたが。
土地概念の少ないアメリカの先住民文化に乗り込んでいったヨーロッパ人たちが
今も展開するどこぞの農業とは根本的に違う。
だが、歩み道が違っていたのに
『1町歩では農家はやっていけない』
農業を作り上げてしまった。

そしてその農業では、片手間で田んぼ1町歩を刈る。
その田んぼを刈りながら、近代化の功罪に思いをはせるが、
足りない頭では、どうにも堂々巡り。
続きはまた明日、コンバインの上で考えよう。
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うちの野菜を使ってくれているフレンチレストランへ行く。
食事をするためじゃなく、写真を撮るために。

QRコードやポップ(スーパーでの商品広告)を作ろうと
考えているのだが、その内容に、地元レストランのシェフのおススメ料理を
紹介しようかと思っている。
そこで最近行き来があるフレンチレストランのシェフにお願いをした。
うちのベビーリーフを使った料理のレシピを教えてください、と。

料理の写真を撮り終えて、しばらく雑談していたのだが、
そのときにシェフから、とてもいい話が聞けた。
『サラダに大事なのは、厚みのある味を混ぜ合わせること。だからタヤさんのベビーリーフは味がしっかりしているから、サラダには合うね』。
おおおお!これだぁ!
さっそくこれはQRコードやポップに使わせてもらいます!と僕。

畑だけを見て、『良いもの』とは何かを考えていてはだめだ。
先日の診断士の話じゃないが、それでは『独りよがり』でしかない。

流通によって分断される作り手と買い手の関係を
ポップとQRコードでつなげなおそうと、今、僕は試みている。
しかしそれは作り手と買い手の二つの関係だけに特化してはいけない。
実はレストランのシェフもまた、
作り手と買い手の間に入り、その間を取り持ってきた1人なのである。
だとしたらその関係も含めて、その野菜が持つ関係を伝えていくべきなのかもしれない。

早稲田の学生から投げかけられた質問の答えが
すこしだが、みえたような気がする。
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地元の農林高校から学生が実習として、うちの農場に見学に来る。
約20人ほど。
奇しくもインドネシア人留学生がいるクラスであったので、
留学生も一緒にやって来た。

留学生がいるから、といってもインドネシア語でうちの農場を
説明して回るわけには行かない。
限られた時間内で、土作りや作物の育て方のポイントなどを
説明しないといけないのだ。
だから、留学生がいても、日本語での説明。
しょうがない。留学生には日本語になれてもらうしかないのだ。

さて、最後に『質問はありますか?』と聞いたのだが、
どこからともなく
『インドネシア人、なんか質問せい!』と野次のようなものがあがる。
すると別のところから、
『どうせ、ニホンゴワカリマセンっていうだけやろ!』とまた野次が飛び、
一同がどっと笑う。
これで留学生たちが置かれている状況がわかった。

それでも留学生の1人が、インドネシア語で農場の土作りについて
質問をしてくれた。
とても良い質問だったので、日本の学生にも解るように
日本語に約しながら質問に答えた。
だが、インドネシア人の留学生が、インドネシア語を話すたびに
どこからともなく誰かが
『ペルパレティレアペクペー!!』
とインドネシア語をまねたような音を面白おかしく発するのである。
そしてその度に、留学生の顔が険しくなる。
からかわれているのだ。
意味はわからないだろうが、留学生にもからかわれていることは
良くわかっているのだろう。

僕もインドネシアで同じようなことを経験した。
たぶん、どこへ行ってもこの手のからかわれ方はされるものなのだろう。
異国の言葉は、言葉として認識できない限り、
『聞きなれない面白い音』でしかない。

僕はそういう場合の多くは、何事もないような顔をしてやり過ごした。
反発をすれば、相手はもっと面白がるに違いないからだ。
そしてそのうちに、僕はインドネシア語が上手になり
相手と相手の言葉でコミュニケーションが取れるようになると
この手のからかわれ方は、とても少なくなった。

留学生の留学期間は3ヶ月と短い。
その短い間に、言葉を習得せよというのは酷だ。
少なくとも胸襟を開いて仲良くなれさえすれば
この手のからかわれ方は減るのだが。
しかし、こればかりは僕にはどうしようもない。
ただただ同情するだけである。
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雇用導入セミナーに参加。
中小企業診断士によるビジネスプランの作成とその内容の講義があり
その後、労務士による雇用導入に必要な法律の説明があった。
どちらも90分ずつ。
長時間であったが、どちらもためになった。

特にビジネスプランにおける現状分析では、
マクロとミクロに分かれて自分のおかれている状況を判断し
何が今求められているのかを考察できるツールが紹介されており
大変興味深いものだった。
実際に活用してみる価値はありそうである。

さて、セミナー終了後、
雇用導入を応援する県の事業を受けますか?とのアンケートがあった。
僕がやろうとしている研修事業はすでに動き出しており、
資金面ではすでに農協とも話がついてしまっている。
なので、いまさら県の事業を受けますか?と言われても、受けられない。
次にアンケートでは、
県の事業を受けるかどうかは未定だがビジネスプランを作成してみたいですか?
とあった。
おおお!これはさっきの中小企業診断士が言っていたやつか!?と思い、質問してみると、
『県は県独自のビジネスプランがあり、先ほどの中小企業診断士の方が説明されていたビジネスプラントは異なります』との回答だった。
????言っている意味が、良くわからない。
そこで県独自のビジネスプラン作成ツールを見せてもらうことに。

それはなんてことはないものだった。
認定農業者や新規就農者の認定を受けるときに提出する経営規模拡大計画書と
ほとんどかわりが無いものだった。
自己の資産を把握し、栽培面積を把握し、栽培品目を決め、現状の面積・売り上げから
5年後には目標値に近づくために、面積を広げたり、売り上げの数値を増やしたり
するだけの、僕に言わせれば、数字をいじくるだけの計画書でしかない。
自分の置かれている社会状況を分析することもなければ
市場動向を把握する必要も無い計画書。
30分ほどの時間と計算機さえあれば、誰でも作成可能な計画書。
しかも、数値に根拠はほとんどなくてもかまわない。
口頭で説明できれば良い、のだから。

それではなぜ90分もかけて中小企業診断士の説明を受けたのやら。
担当者は
『今日来てもらった診断士の方は、製造業専門の方で、農業にはいまいち詳しくないんですよね。だからあちらのビジネスプランはあくまでも参考ということで』
という要領をえない答え。
だったらなぜ、あの診断士の講義をセミナーに組んだのか。
内容すら確認できていないということなのか?
とりあえずセミナーに診断士の講義をするってことで
セミナーの形ばかりが先に決まっていたのではないだろうか。
形式的にセミナーを作った観はいなめない。

この雇用導入促進事業は、突然降って湧いたような事業なのだ。
県側でも混乱しているのが、僕のようなペーペーにまで見えるようじゃだめだ。
それに僕に言わせれば、農業と製造業は根本的に違うかもしれないが、
違うからこそ、その手法を読み解くことで、農業の弱さ・強さも見えてくるはずなのだ。
少なくとも診断士が説明していたビジネスプランは
ただ単に規模拡大の計画ではなく
現状と社会状況の把握をしようという意図が随所に盛り込まれており
まさに、農家のおっちゃんおばちゃんに(若者にも)最も欠けている部分でもあるのだ。

診断士の方はセミナーでこう言っていた。
『良いものをつくっているんだから売れるはず!というのは、独りよがりです。買い手が価値を感じるものを作れなければ、売れません』。
この一言を聞けただけでも、まぁ、今日は意味があったか。
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インドネシアから来た留学生が、来園。
担当の先生に曰く
『まだ日本の食事になれないみたいで』とのこと。
かねてより約束していたインドネシアの唐辛子を分けてあげた。
留学生たちは喜び、
『これでサンバル(インドネシアのソース)を作りたい』とはしゃいでいた。
なので、週明けにでも、サンバルを作る道具貸してあげ、
インドネシアの調味料も分けてあげることした。

さて担当の先生が留学生たちを僕のところに連れてきた目的は
食事についてヒアリングを行うためだった。
留学生に食事のことを聞くと、
『米が重いんです』とのこと。
日本もインドネシアも主食は同じ米。
だが米の種類が違う。
平成の米騒動のときに、タイ米を口にされた方もいるだろうが
インドネシアの米は、タイ米ともまた違う。
タイ米は長粒種、いわゆるインディカ米なのだが、
インドネシアは、ジャワ種といって、インディカ米とジャポニカ米(日本米)の
中間種にあたる。
タイ米のようにぱさぱさとはしておらず、少し粘り気がある。
ただ日本米のようには粘らない。
だから留学生にとって、日本米は『重く』感じるのだろう。
インドネシアから帰国した頃は、同じ事を僕も感じていたので、
留学生の話は良くわかる。

担当の先生は
『育ち盛りなのに食べる量が少なすぎるんです』と心配しており、
留学生は
『なんで日本人はあんなに腹にたまる米を大量に食べられるんですか?』
と不思議そうにしていた。

ま、異文化交流ってやつだな、こりゃ。
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研修事業。
遅々としてだが、着々と進んでいる。
インドネシア人の選考は、この前、
あちらの農林高校の校長が来たときに、ある程度話はついた。
次は、受け入れる施設の建設だ。

今週資金の目処がつく。
農協から借りることになっていて、審査もどうやら通りそうだとのこと。
大工とも打ち合わせをして、来月下旬から着工となった。
少しずつだが、前進している。

さてそんな中、農協から連絡がある。
『タヤさんの出してもらった資金借り入れの書類なんですけど、数点お聞きしたいことがあるのでご足労願えませんでしょうか』。
さっそく農協にいくと、僕の家族についてのことだった。

いろいろな経緯があり、
僕ら家族は日本国が勝手に定めている婚姻の法律に
すこしだけ外れた形をしている。
そこで別途住民票を提出してくれ、とのことだった。
そんなことは慣れっこなので、さっそく提出すると、
担当者が僕の住民票を見て
『あれ?奥さん日本国籍の方なんですか?』とノタマフ。

どこでどういう噂をされているのかしらないが
その担当者は
『私は、てっきりタヤさんの奥さんはタイ人だと思っていました』とのこと。
妻とその担当者は直接面識には無いので、外見で判断したのではないのだろう。
僕が長い間、インドネシアに行っていた事、
そしてあっちで嫁さんを見つけた事、などなどが噂になっており
それで僕の嫁さんが『タイ人』ということになっていたんだろう、と推測する。
しかしそれにしたって、『タイ人』じゃなく『インドネシア人』だろうに。

妻の職業欄に『大学講師』と書いたのだが、その担当者曰く
『自国の言葉を大学で教えているのだと思っていました』とのこと。
自国語は日本語ですよ、と僕。

こうして資金の書類は審査を通ることとなった。
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異国の地で暮らすのに、最も重要なことの1つは、『食べる』である。
どんなに屈強な体の持ち主であっても、その国の食べ物が受け付けない人間は
その地で暮らしていくのは難しい。
都会ならば、自国の食べ物や食べなれた物にもありつけるだろうが、
田舎の場合、そんな甘えは許されない。

インドネシアから地元農林高校に交換留学で来た学生。
来た当初から、日本食が合わない。
純和風の食事を提供しているわけではないのだが、留学生に言わせると
『rasanya aneh(味が変)』だとか。
特に醤油がだめらしい。
時々いる。醤油がだめな外国人。
醤油に慣れ親しんでしまった我々には、まったく感じないだろうが、
これを食べなれていない人にとっては、
『匂いが変で、ただただ塩っ辛い』
らしい。
醤油がだめとなると、日本での生活はずいぶんと厳しい。

留学生は学校の寮に入っているのだが、
入寮初日、歓迎をこめて寮のほうで、カレーライスで食事会を開いてくれた。
カレーならば、食べられるだろうと期待してのことである。
しかし結果は
『rasanya aneh(味が変)』であった。
インドネシアにもカレーはあるのだが、使う調味料がずいぶん違う。
留学生は
『見た目カレーみたいなんだけど、変な味で食べられない』とのこと。
そりゃそうだ。
あっちでは大量に使えるココナッツは、日本ではほとんど生えないし
香辛料もあちらほど大量には使えない(使わない)。

聞けば、唐辛子は好きだ、というので
僕が自家用に栽培しているインドネシアの唐辛子を分けてあげることにした。
来週に採りに来る予定。
農林高校の先生からの電話では、
『昨日あたりから、少しずつですが食べるようになったみたいです』とのこと。
異国の地で、食があわない苦しみが解るだけに
なんとか力になってやりたいのだが。
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中卸とあるスーパーの青果担当者が来園。
うちの野菜をいろいろと見に来てくれた。
以前から考えていたことなのだが、自分の野菜が売られているスーパーの売り場に
自作のポップ(広告)を飾ってもらえないかと考えている。
ちょうど中卸と青果担当者が来てくれたので、それについてたずねた。

『B6が限界ですね』
とスーパーの青果担当者は言う。
ポップの大きさが、紙のB6が限界だというのだ。
売り場の棚に貼り付けるものなので、大きすぎれば商品が見えなくなる。
かといって、小さすぎては人目に触れない。
ちょうどいい大きさが、B6だというのだ。
ためしに紙を折ってB6を作ってみる。
生産者の顔写真を載せて、2文ほど文章を書いたら、もうそれで一杯のスペース。
ちょっと微妙な大きさなのだが、やってみる価値はある。

先月に農村体験できた早稲田の学生がこういっていたのを思い出す。
『ラベルは一方的ですが唯一の生産者との窓口になります。ラベルに書かれているのが知らない農薬の名前でも、知らない生産者の名前でも、そこに生産者を感じられます。』と言っていた。
だとしたら、僕ら生産者は、どんな流通経路にせよ、食べてくれる人に
僕らを感じてもらえる努力はするべきだ。
たとえB6のスペースであったとしても。

小さなことかもしれないが、それを介してつながることが出来るのならば、
決して小さなことではないだろう。
とりあえずポップを作ってみるか。
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捨てる神あれば、拾う神あり。
どんどん売れなくなる、というか、売れないということが解ってきていた『食用ホオズキ』を引き取ってくれる先が見つかった。
その業者は、『とれるだけください』と言ってくれている。
これまでとはまるで180度違った反応なのだ。

これまではレストランなどに野菜を卸している八百屋を対象に
ホオズキの営業をしてきたのだが、まったく売れなかった。
そこで発想をほんの少しだけ変えてみた。
果物を専門に扱っている中卸に声をかけることにしたのである。

試しにすこし持って行ったのだが、
『お客さんに結構評判いいですよ』とその中卸。
収穫できる分はすべて引き取るという。
それどころか
『来年はもっと早くから収穫できませんか?』と言ってきた。
なんでもお菓子用に使うベリーは、赤や黒色ばかりで、ホオズキのような
黄色やオレンジ色が少ないから、だそうだ。
ベリーの収穫時期になる初夏前に、ホオズキも収穫することが出来れば
もっと売れるだろう、とその業者は言う。

もう少し研究を重ねて、来年は6月に収穫できるようやってみても面白い。
ハウス栽培にしてみるか。
そんなことを考えるのも、農業の楽しみの一つである。
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そういうのも昔あったよなぁ、と思われる人もいるだろう。
TBSが入らない僕の地元では、風の便りに、
『そういう面白い番組もあるらしい』
とうわさに聞くばかりで、番組をはじめて見たのは、
インドネシアでの再放送だった。

ちなみにドリフの8時だよ全員集合も久米博も知らないで育った。


さて、通訳2日目にして最終日。
朝から地元の農林高校で、インドネシアから来た一団を歓迎する式典があった。
今年文部科学大臣賞をとったという太鼓チームの演奏などがあり、
皆その迫力に圧倒されていた。
歓迎の式典では、堅苦しい、しかも日本的な言い回し(インドネシア側はインドネシア的な言い回し)の挨拶が続く。こういうのを訳すのが一番疲れるのである。
美辞麗句が続くのだが、大抵中身が無い。
それの挨拶様式を聞きなれてしまうと、なんだか綺麗な言葉で綴られた挨拶に感じるかもしれないが、それを異国の言葉に直訳してみると、ほとんど中身がないというのがわかる。
日本的な挨拶を、インドネシア的な挨拶言葉に訳すのだが、
こういう場合、大胆に文の内容を変えてしまう。
意訳といえばかっこいいが、
僕の場合は、完全に僕独自で挨拶文を創作してしまう場合も多い。
インドネシアの挨拶を日本語に訳す場合も同様。

式典終了後、インドネシアの一団は学校内で簡単な昼食をとると、
連れてきた留学生と別れ、引率の先生たちは地元農家見学へと出かけた。
地元の農林高校の計らいで、この農家見学を僕の農場にしてもらうことができた。
つまり農場見学は、こちらの農業事情を知るとともに
来年から来るであろう研修生の仕事の現場の視察も兼ねてしまおうというものだった。
実際の仕事の流れを見つつ、園芸作物の中でも野菜(特に葉野菜)に興味がある人に
研修生として来てもらうことになった。
引率の先生の中には、実習担当の先生もいて、さっそく何名かの候補になる名前が
あがっていた。

見学後、一団はそのまま空港へ。
そのバスの中、研修事業で話が盛り上がる。
地元の農林高校側には申し訳ないのだが、
今回のインドネシアからの一団の来日は
僕にとってはとても都合の良いものとなった。
直接研修について話をつめることが出来、さらに現場視察もしてもらえたからである。
しかもお金は地元農林高校持ち。

さてそのバスの中。
校長からは、研修事業は是非とも成功させたい、と意気込みを伝えられる。
なんでも来年の定年後は、そのまま地元の県知事選に出馬を予定しているらしく
それまでに少しでも成果を稼ぎたいとの事だった。
『タヤ、1人といわず、10人でも20人でも研修生を送るぞ』
と、やや無謀とも思える発言が続くのは、そのせいでもあろう。
僕との研修事業を皮切りに、彼の夢はこう続いていく。
『この研修が成功して、そして私が知事になれば、いつかはこの県と我が県とが有効提携を結び、我が県から何十人何百人という研修生を、この県で受け入れてもらえるようにしたい。その時は、タヤにも協力を頼むぞ』。
まぁ、どこまでも夢のような話なので、うんうん、と情熱的にだが、どこか適当に相槌をうっておいた。

すると校長は
『それとは別に、県知事になったら是非、タヤに連れて行ってもらいたいところがあるんだ』と真剣な顔で言う。
はい、どこへでもお供しますよ、と僕。
して、それはどこですか?
『それは、「たけし城」だ』。
インドネシアでは、あの懐かしい風雲たけし城のテレビ番組が、インドネシア語に吹き返られて、なんどもなんども放送されている。超人気番組のひとつなのだ。TBS系の放送が入らない地域で育った僕は、インドネシアで初めてそれを見たのは余談。

さて校長は、
『実は知事になったら、低迷する県の経済を活性化させる秘策があるんだ。我が県にも「たけし城」をつくって、それを観光の目玉にしようと考えているんだ。どうだ!すごいだろう!』。
・・・・・。沈黙する僕をよそに、校長は空港に着くまでの間、延々とたけし城の魅力と経済効果について話してくれた。
そして、彼らは母国へと帰っていった。

搭乗ゲートをくぐるところまで、『たけし城!』と叫んでいた校長を眺めつつ、
研修事業のことを覚えていてくれることを祈った。

こうして僕の短い通訳の仕事が終わった。
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通訳をした。
1日インドネシア語を使い続けたのは、約1年ぶり。
そのせいか、頭の右側後部がなんだか腫れぼったく、疲れている。
普段使わない脳細胞を使ったからだろうか。

今年もインドネシアの農林高校から短期留学生がやってきた。
生徒は2人、引率の先生は5人、
というなんともインドネシアらしい編制の一団だった。
僕がこの交流事業にかかわりを持ってから、すでに6年が経っている。
当初は、こんな交流はすぐに途絶えるだろう、と思っていたのだが
なんだかんだと続いている。
地元の農林高校にもやる気のある先生がいて、その人の熱意もあろうが、
それ以上に、インドネシア側の熱意はすごい。
なんでもインドネシアの農林高校の方では、
『日本の農林高校に留学が出来ます』というのを売りにして
優秀な生徒を確保しているとか。
少子化のあおりを受けて、定員数も生徒が集まらず、
隣の市町村の農林高校と合併問題が
常に言われ続けているこちらの農林高校とは、勢いが違う。

さて、それとは別に、
あちらの校長と研修事業についても打ち合わせをする。
やはり直接話すのが一番で、勘違いも一掃できた(と思いたい)。
9月中にあちらの農林高校出身者を対象に選考を行い
来年の3月には、研修生がわが農園にくる予定で、校長とも計画をたてた。
校長は来年には定年を向かえる。
その前に成果を増やしたい彼は、話を大きくしがちなのだが、
なんとか3月まで、こちらからブレーキをかけながら、
こちらの望む形で研修事業を始めたい。
こういう遠隔操作は、僕の経験上、大抵がうまくいかないのだが
なんとか、なんとか、やり遂げないといけない。

なんだか懐かしい感覚だ。
協力隊で活動していたときのような感覚がよみがってくる。
あの時も、1つ踏み外すと失敗するような活動だった。
こういうのは意外と好きなのだ。
あの時は、最後の最後で踏み外して大変なことになったけど。

明日も1日通訳。
さて、寝るか。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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