インドネシアから交換留学生の一団がもうすぐやってくる。
実はそのときに、交換留学とは別に、あちらの校長と内々に
『研修生』事業の相談をする予定でいる。

来年からうちの農場でインドネシア人の研修生を受け入れよう
と考えているのは以前も書いたとおり。
その研修生の紹介を、あちらの農林高校にお願いする予定でいる。
今回、あちらの農林高校の校長が、交換留学生の一団の引率として
やってくるとのことで、通訳として四六時中つきまとう僕としては
この機に、研修生事業の件も話をつけてしまう気でいた。

さてそんな中、地元の留学生を受け入れる農林高校から電話がある。
内容は通訳依頼とその打ち合わせだったのだが、電話を切り際に
『タヤさん、研修生事業であちらの校長先生と打ち合わせするんでしょ。時間とか別に設けましょうか?』と来た。
はい?なんでそれを知ってるんですか?
地元の農林高校の担当の先生には、研修生事業の話は以前したことがあったが、
今回打ち合わせをすることは伝えていない。するとその先生は
『あちらからと東京のインドネシア大使館から連絡がありました。なんでも向こうの農林高校の先生を研修生として受け入れるようですね。今回の留学生一団の中に、その先生も現場見学として随行しているようですよ』とのたまふ。

!!!!!?
研修生として農林高校の先生!?
今回随行している!?
大使館からも連絡!?
僕の知らないところで、どうやら研修事業の話はどんどん進んでいるようだ。
そういえば以前、向こうの校長先生から国際電話があり、
『研修事業を打ち合わせを行うのなら、農業省のdirector general(局長)も一緒に行くといっているが、そちらで招待状(ビザを取るため)を出してもらえないか』とあった。
あまりに話が大きすぎるので、それは丁重にお断りしたのだが
どうもいろんなところで、話が進んでしまっているらしい。

ただ単に外国人長期研修制度を利用して、
うちの農園で研修に毛が生えたようなことは出来ないだろうか、
と考えているだけなのに。

う~ん、この誤解というか、双方の理解のギャップを埋めるのは
なかなか大変な作業になりそうだ。

いっそう、このまま話を大きくしてしまう、というのも手なのだが。
・・・それだと、後の始末がつかなくなるよなぁ。
関連記事
またまた電話がある。
今日は、いろんなところから電話がある日。

地元の農林高校からの電話だった。
今年もインドネシアから短期の交換留学生が来るとの事で、
その通訳の依頼だった。
9月2日と3日に、その一団が来日する。
受け入れや歓迎式、学校での規則等々を通訳する予定。
別便でメールにて送られてきた資料に目を通す。
さっそく訳そうとすると・・・
・・・インドネシア語が出てこない。

向こうの大学院を卒業してもう2年になる。
その間、ほとんどインドネシア語を使っていなかった。
大学の難しい講義でも、インドネシア語で議論できたのに・・・。
今はその片鱗さえ、自分で見つけるのも難しいくらいに
出来なくなっている。

来週頭に通訳。
はたして僕に出来るのだろうか。
関連記事
08 28
2007

関西の知り合いの業者から電話がある。
『ベビーリーフあまっていたら、こっちにもまわしてもらえないですか』
とのこと。
この夏の猛暑で生育が良くなく、向こうではベビーリーフが不足しているらしい。

分けてあげたいのは山々なのだが、
向こうが夏なら、こちらも夏。
そして、同じように猛暑だったので、当然生育が悪い。
スーパーに出荷しているベビーリーフは、今日だけ出荷を停止した。
明日には再開するが、それでも量はさほどとれない状況。

毎年、工夫をするのだが、
この時期は、どうしても注文に答えられない。
う~ん、なかなか難しい。
関連記事
ホオズキトマト(食用ホオズキ)の売れが少し止まった。
当てにしていた八百屋が、ギブアップしてしまったのだ。
今年は試しで、少ない面積での栽培だったのだが、
毎週1000個以上採れ、それで飽和状態になってしまったようだ。
新しい野菜・変り種の野菜は、販路開拓が難しい。

八百屋がギブアップしてもホオズキは採れる。
そこで他の業者にも声をかけて見る。
するとある中卸では
『瞬間湯沸かし器じゃないだろうな』と言われた。
つまり、
『今だけ沢山採れるから持ってくる品物じゃないだろうな』、
と確認されたわけだ。
今年初めて栽培してみたので、いつまで採れるか、正直解らない。
木は元気なので、もう少し採れるとは思うのだが。

売る側としてみれば、『今だけ』の商品は扱いづらい。
そういう意味でも、新しい野菜・変り種の野菜は、販路開拓が難しい。
栽培技術を確立させながら、塩梅を見ながら販路も広げる。
その塩梅が難しい。
が、それも農業の面白さの1つだろう。
関連記事
父母会の役員会があった。
議題の中心は、もうすぐある遠足なのだが、
それよりもクラス会報告で議論が盛り上がった。

各クラスで、父母会役員が中心となってクラス会を開いている。
クラス会では、日々悩んでいる子育てや保育園との関係などを話し合う場。
基本的には父母だけで行う。
こちらから求めない限り、保育士の参加は無い。

さてそのクラス会報告。
あるクラスでの話。
先月から、保育園でプール遊びが始まっている。
それにあわせて、保育士から
『子供の髪を短くしてください』
とお願いされている。
理由は、
髪が長いと乾きにくく、風邪を引きやすくなる、や
髪が長いと危ない、等など。

うちの娘のようにまだ2歳になるかならないか、ならば
ほとんど親の趣味で髪の長さが決まっているようなものなので
切れ、と言われれば、『はいそうですか』と言って切ってしまうのだが
大きな子のクラスとなると、そうもいかないらしい。

あるお母さんは、子供も髪を伸ばしたいというので、伸ばしていた。
それがプール遊びが始まってからは、毎日のように連絡帳に
『今日は○○ちゃんが髪を切ってきました。』
と書かれるようになったという。
そして終には、その子だけが髪を切っていない状況になったとか。
それからは保育士から一転集中砲火を受けたという。
『明日には先生も切ってくるから、△△ちゃんも切って来ようね』
と言われたり、
髪を切ってきた子と比較して、あたかも髪が短いほうが良いような
ことまで言われたりした。
結局この件は、親が我慢の限界を超えて、保育士に怒鳴り込むという
事態になり、髪を切る件はうやむやになったという。

他のクラスではこういう報告もあった。
保育園では、スカートは禁止されている。
しかし、スパッツにスカートのようなフリルがついたものは良い。
こういう状況だったので、ある日、子どもがスカートをはいて登園したい
と言ってきたので、巻きスカート(短めのやつ)をはかせて行かせたと言う。
すると、保育士から『スカートだからだめ!』と怒られたとか。
気に入ってはいていったものが否定された子供は、なんとなく納得できずに
どうしてだめなのか、親に聞いた。
そこでその親は、子供に
『なんでだめなのか理由があるんだから、先生に聞いたら?』と言った。
次の日、子どもが巻きスカートがどうしてだめなのかを保育士に聞くと
『だめなものはだめ』という答えだったという。

どれもこれも小さな話。
たわいない話かもしれない。
だが、保育園側にはいつもこのような問題がある。
保育士側で決めている理由を父母と共有しようという姿勢が乏しいのだ。
こだわりの保育園なので、理由はなにかしらの根拠と思想があるに違いないのだろうが、それを共有するための時間が作れない。

奇しくも今日、妻が1日体験保育に出かけていた。
1日保育士さんと一緒に子供の世話をするというもので
やる側も参加する側も至極疲れるイベントだろう。
だが、保育士の苦労や子どもたちがどのように保育園ですごしているかを
見れる貴重な体験でもある。
『ほとんど立ちっぱなしで、休む時間が無かった』と妻は言う。
子どもが昼寝をしている間も、いろいろなイベントの準備や
連絡帳書きがあり、コーヒー一杯飲む余裕もないという。

こういう忙しさの中では、あるいは日々のたわいもない話などは
おざなりになってしまい、父母と保育士との考えをお互い共有するという事が
出来ていないのかもしれない。

しかし保育園の名前に『共同保育園』と『共同』をつけているように
保育を父母と共同でやっていこうという理念を掲げている以上
どんな『小さな』と思うかもしれないことでも、一緒に考える姿勢がほしい。

あるお母さんがこういっていた。
『日々の小さなことの園側からの押し付けが、園舎増築の時の不信感となってあふれ出ているんじゃないのかしら』。
それはあるかもしれない。
立派な理念があるから子どもを預けている親もいるだろう。
だが、理念が先行してしまうと、それはただの押し付けにしかならない。

かといって、妻が体験してきた保育の現場は、まるで戦場のように忙しかったとも言う。保育士にこれ以上こういう問題に考えられる余裕があるのだろうか、それ自体疑わしい。

ここは父母会の出番ではないだろうか。
父母と保育園側の間に入り、保育の考えや子どもたちの考えを
共有するための場をもつ必要性を感じる。
一方的な押し付けや、話し合われたことがフィードバックできないという
今の保育園側の問題を少しでも解消出来るんじゃないだろうか。

イベントだけをこなしてきたこれまでの父母会。
その本当の意味を議論できた夜だった。
関連記事
県が主催する『雇用導入セミナー』に参加。
このセミナーを受講し、雇用導入プランという規模拡大プランを作成すれば
県からの補助が最大で1/2得られるという。
ハウス新設だけでなく、
トレンチャーやバックホーなどの機械、
病害虫防除の施設、
さらには、作業道の整備や加工施設や集荷施設にいたるまで、
とにかくなんでも補助をしてくれるというもの。
中には、雇用にあたって従業員用のトイレ設置や休憩室の設置まで
補助の対象として入っていた。
なんでもありだ。

僕の農業は、雇用することを前提として出発している。
だので、この県の計画は、僕にとってはまさに『おあつらえ向き』なのだ。

会場を見渡したのだが、ほとんどすべて40代から50代の人ばかり。
30代は僕一人。20代は一人もいない状況。
若手農業者クラブに出ている奴らも、1人も見かけない。
まさにこれからの農業を後押ししよう、という計画なのに
これではあまりにも寂しいではないか。

さてこんな個人向きになんでも補助してしまう計画をたてた背景には
県が野菜の売り上げ向上を目標と掲げているからである。
県全体の野菜の売り上げは、約50億円(・・・少ない)。
それを4年後には120億円になるよう数値目標を掲げている。
これをクリアーするために、雇用導入を推進しようということになったようだ。

セミナーでは、この県の事業の説明と先進農家(すでの雇用を導入して会社経営にしている)との座談会がセッティングされていた。

事業説明について、この事業の対象者となる農家は、前年度より伸び率1.2倍以上(売り上げ・栽培面積)になるプランを立てる、もしくは、野菜での売り上げが500万円アップのプランを立てることの出来る、雇用を導入する農家(認定農業者)である。

さて質問の段になると
『米ではあかんのですか?米だったら売り上げ伸ばしたり規模拡大は簡単ですので』
などと野菜の売り上げ向上の話なのに、トンチンカンな質問が飛び出していた。
また、『売り上げ目標を達成できない場合は、補助金を返さないといけないんですか』と
農家側としてはもっとも確認しておきたい質問が飛び出す。
県の職員は
『目標ですので、もし達しない場合は改善計画を再提出してもらうだけで、お金を返せとは言いません。ただし目標が達成できるまで改善計画は毎年だしてもらいます』とのこと。
これを聞いて会場では
『あああ、返さんでもいいってことやな』
『補助率1/2は大きいな。貰い得やな』
などの雑談が聞こえてきた。
県の職員も苦い顔をしていた。
インドネシアでもカンボジアでも日本でも
行政と農民とのやりとりには、それほど違いが無い。
農民はどのくらい得かを確認し、行政側は補助金の金額だけが
フォーカスされないように、計画性を強調しまくる。
インドネシアで同じ立場にいた人間としては
県の職員にちょっとだけ同情する。
が、この場合、農民側にいるほうが楽だし得だ、とも思った。

さて、雇用導入プラン、立てるべきか。
のるかそるか、それが問題だ。
関連記事
甲子園も4強がそろった。
セミも、うるさく鳴くアブラゼミに混じってヒグラシが鳴くようになった。
畑では、秋作のブロッコリやキャベツを定植する姿を見かけるようになった。
夕方、涼を感じる風が吹くようになってきた。

あああ、夏も終わる。

そしてなんだか気持ちが急ぐ。
夏休みが終わる感覚にも似ている。
やりのこした宿題なんて無いはずなのに、
気持ちだけがなんだか急ぐ。そんな感覚に毎日とらわれている。

秋冬作の野菜のために、そろそろ畑の準備をしなくては。
ほったらかしになっている自家菜園でも

白菜
ニンジン
大根
エンドウ
ソラマメ
等々

作付けする予定でいる。
土を起こし、除草をし、肥料をいれ、整地する。
いや地がでないように、考えないともいけない。
夕暮れ時、そんな畑では、鈴虫が心地よく鳴いていた。

あああ、夏も終わる。

こんな時は、なんとなく気持ちが急ぐのだ。
関連記事
08 19
2007

この時期、やっかいな草が生える。
スベリヒユ。
スベリヒユ科で1年草。
畑が乾燥して、気温が高くなってくると、
どんどこと生えてきて、どんどこと種を撒き散らす手ごわい草。
ベビーリーフや水菜の圃場に、びっちりと生えてきて
肥料分を横取りしたり、日当たりが悪くなったり、風通しが悪くなるせいで
病気が出たり、と良いことなし。

ある地域では、このスベリヒユ、食用にしているとか。
抗生物質が含まれているので、腹下しのときに効くとも言う。
また厚みのある葉と茎であるため、畑の水分を保持してくれる
大事な植物という人もいる。
まぁ、そうなんだろうが、それでもこれがベビーリーフや水菜の間に
生えてくると、やはり抜かずにはいられない。

生えてくる場所や地域が変われば、その役割も意味も変わるのだが
ざんねんながらスベリヒユよ、我が圃場ではお前は
雑草でしかないんだよ。

今日も仕事に暇を見つけては、抜くとしよう。
関連記事
谷川 俊太郎、内山 節、北沢 正和 著 『山里のごちそう話』:食・詩・風土再考.2003.ふきのとう書房.

信州の蕎麦打ちの店に集まる人々による、食や生き方について議論を会話形式でまとめた本。
食をとりまく関係の中で、作り手側と消費する側との関係の希薄化していることを各論者がそれぞれ指摘している。その中でも内山の指摘がおもしろい。戦後近代化の流れの中で、狭い世界から大きな世界に出て行くことが評価されるようになり、そこへでていくようになる。しかし大きな世界では、人や物との関係は希薄にならざるを得ない。『現代世界の人間の在り方は、それとはあまりにも遠く離れている。なぜなら個体と成立させている関係はいたるところで断ち切られていて、すべてのものが購入され、販売される市場だけが私たちを包んでいるのだから』(p57)。こうした世界では、普遍化された情報だけが、分断された関係の中で、あたかもお互いがつながっているように見える情報として有効となる。しかし、その普遍化された情報には、その過程で抜け落ちてしまうものがあまりに多い。内山は普遍化された情報との対極に風土のなかに蓄積された時間を強調する。内山が実践する村での暮らしでは、決して量的には商品として購入したものが少ないわけではない。しかし、村での食生活では、『村という関係の世界が主、商品の購入は従である』(p55)という。内山はそれについてこう説明する。『畑と自然が食べ物を届けてくれるという感覚は、村という風土の記憶が受け継いできたものだからである』。普遍化することの出来ない、村という関係の中で醸成された価値のやりとりがそこにはある。食に関して、それぞれの直接的な関係の中で、やりとりされる普遍化できない価値の必要性が、今まさに問われているのではないだろうか。

本書で面白いと思う箇所は、最終章の議論である。谷川、内山、北沢に混じり、そばうち職人の北沢の妻啓子が発言している。『かたりべの会の男の人たちが集まって語らっているのを聞いていると、たしかにすごく立派なことを言っているんですよ。だけど、それが何なのさって思うこともあります。(中略)かたりべの会の男の人たちに考えてほしいのは、年寄りがいて子どもがいるから家があるし、自分たちはいろいろやる中でお金や諸々で不満はあっても、妻たちはもっと我慢しているということ。私がここで何かやっちゃったらこの家ががたがたしてみんなおかしくなるし、それ以前に生活に追われているんですよ』(p127)。この発言を受けて、個々の実生活というよりミクロの視点から、各論者これまでの議論を考えるのだが、議論は深まらない。関係性の中の価値の議論において、生活から考えるという意味でそのコアな部分を占める『家族』という単位からの視点は、もうすこし深めていく必要があるだろう。
関連記事
この時期、2日間『野止め』をするのは、なかなかに難しい。
お盆なので、明日から野止めをする。
そのため、今日は目が回るくらい忙しかった。
ちなみに野止めとは、仕事を休むこと。

採りきりの野菜は、出荷停止するのは簡単なこと。
明日からの2日間にあわせて、それぞれの作物の生育状況に応じて
播種を控えればよいだけの話。
だが、農業の円環の営みは、1つ先を見ながら営まれている。
夏場の無限の生産力に対して、2日間休むのはやはり至極困難になる。

今、オクラの収穫真っ盛り。
1日採り遅れると、とても食べられないような巨大なオクラになってしまう。
だから毎日手入れをし、収穫をしなければならない。
祖母はそんな僕を見ながら、
『オクラに休みなし』などと、昔の格言なんかをほざいたりもしている。
ちなみに最近では、巨大オクラになってしまうのを逆手に取り、
沖縄オクラなどの大きくなっても筋張らない品種を栽培し、
『ジャンボオクラ』という名で、ちかくのスーパーに
高額で出荷してもいるのは余談。

『1つ先をみる』ことに関しては、
2日間の休みの間でも、種まきだけは休めない、ということ。
ここで休めば、9月の頭や半ば頃に、収穫物がなくなり、それこそ出荷停止に
ならざるを得ない。

機械化が進み、労働形態も変わってきた昨今の農業ではあるが、
自然とともに歩む、というのだけは変わらない。
自然が無限の生産力を発揮しているこの時期、
やつらが『お盆』を考慮に入れてその力を発揮してくれない限り
僕らはなかなか休めない。

それでも無理やり明日からお盆。
一息つくとしよう。
関連記事
08 13
2007

巷では、『お盆休み』らしい。
が、こちらはまだまだ休みにならない。
お盆需要をにらんでの野菜の出荷最盛期なのだ。

注文伸び悩むベビーリーフを筆頭に
水菜、カンクン(空心菜)、わさび菜、つまみな、つるむらさき、スイスチャード、トマト(4種)、モロヘイヤ、オクラ(3種)、ホオズキトマト、ナスなどなどの出荷作業。
気がつけば手元が暗くなるまで働いていた。
手元が見えなければ仕事にならない。そこで仕事を断念。

自然の無限の生産力は、まだまだ収穫できるぞ!と
言わんばかりに、実をたわわにならせているのだが、
こちらはそうもいかない。

明日も同様に作業。
それが終われば、2日間だけだが、お盆にはいる。
帰省してくる人々を出迎えねば。
関連記事
お盆は、稼ぎ時。
なのだが、今年はあてが外れた。
僕の主力野菜であるベビーリーフの注文が
昨年の半分ほどしか無い。

理由はいくつかあるのだが、
昨年との大きな違いは、大手のスーパーが僕のベビーリーフを
広告特売しなかったことである。
梅雨のころに、ベビーリーフの生育が悪く、
注文に答えられなかったことがあってのことか
お盆の特売から外されてしまった。

昨年同様の出荷を見込んで、せっせと種まきをしたのだが
それらのほとんどがゴミになってしまう見込み。
一括して大量にさばくことのできる市場は
僕にとって有難い一面があるものの、
価値あるものが一瞬にしてゴミにもなってしまう。

物そのもの自体に価値は存在しない。
すべては関係の中から生まれてくる。
だから、ベビーリーフの価値は、ベビーリーフが持っているわけではなく
それを作る側と買う側の関係から生まれているのは解る。
ただ、僕とベビーリーフとの関係(栽培を通して生まれる関係)から
生まれた価値は、その市場では、ときどき無視されてしまうことがあるのだ。

僕が尊敬してやまない近所の農家は
『昔は、美味しいと思う物が売れると思って、それを一所懸命手間隙かけて作っていたけど、最近は売れる物が売れると解ったよ』と教えてくれた。
だから僕らは、売ることに関しては、野菜や自然との関係よりも、
買う側との関係を強調してしまう傾向にあるのかもしれない。

僕と野菜や自然との関係で生まれてくる価値を
買い手側とも共有できれば、良いのになぁ。
などと、そんな力量も才能もない僕は、ただただすくすく育つ
『ゴミ』の前で考えていた。
関連記事
学生が帰っていった。
2泊3日だけの農村体験。
短い期間ではあったが、まさしく彼女たちは『風』だった。

風土という言葉がある。
主にはその土地固有の自然条件をさす言葉
なのだが、時には面白い使い方もする。
その地方固有の土地柄を風土と呼び、その土地柄は
『土の人』と『風の人』で出来上がっている、という考え方だ。
土の人は、言わずと知れた、僕ら地元に暮らす人間。
風の人は、外部からやってくるいわゆる『よそ者』である。
よそ者が外部のいろんな考えを運んできて、それを地元の人間が
受け入れたり、排除したり、と選択を繰り返す中で
その土地柄が育まれる、というものである。

そういう意味で、学生さんたちは『風の人』だった。

3日間いたるところで学生さんは質問を発した。
そのつど、埋没してしまった普段の風景から、
その事象が再び浮かび上がり、質問に答えるために再考され、
そして新たな位置付けを得たりもする。

質問を受ける僕の中で、よくよく考えもしなかったことが
認識されたり、質問をする学生側の背景が見えてきたり、と
やはりこういう交流は刺激的である。

その中で、一番気になったのが『トレーサビリティ』。
「記録物によって、その履歴、転用または所在を追求できる能力」
と定義されている言葉で、農産物の履歴を残すことで、食の安全を
高めよう、という考え方だ。
学生さんから『トレーサビリティについてどう思いますか』と
聞かれたので、逆に『その言葉に期待するものはなんですか』と
聞き返した。すると、『食の安全』といった返答だった。
僕には最近、この『トレーサビリティ』と『食の安全』、そして
それを見ることで消費者が『安心』する事との関係が
いまいち良くわからなくなっている。

トレーサビリティとして、事細かに、何月何日にどういう農薬を
散布したか、をつけていくことは簡単である。
ただそれを羅列した先に、『安心』があるのかどうか。それが解らない。
そこで学生さんに
『使用農薬や使用肥料、栽培法が羅列された情報をみて、
あああ、この野菜は安心して食べられる、と思いますか?』と聞いてみた。
あまり明快には答えてもらえなかったが、それでもそこには
『食の安全』を感じているようでもある。

たとえばベビーリーフに使用している農薬を羅列してみよう。

モスピラン(ネオニコチノイド系)・アブラナ科のみ。
スピノエース(有効成分スピノサド)・アブラナ科のみ。
ゼンターリ(BT剤)。
ジーファイン(銅剤)。

である。これをみて『あああ、これなら安全』と思って
安心して食べられるんだろうか。僕にはわからない。

たしかに食の安全は科学の視点から検証されていることを考えると
トレーサビリティによって、食の安全は測られているのだろう。
が、しかし、その制度に、その科学に、僕たちは信頼しきってしまえるのだろうか。

『消費者が安心だと思うのであれば、いくらでも情報は羅列しますよ』
それが僕の答えだった。ただしこうもつけ加えておいた。
『安全は測られても、そこから安心は発生するんでしょうか』と。
制度や科学技術の不備が何度と無く繰り返されてきた中で、
それを補う形で新しい制度や科学技術が生まれている。
僕にはそれを信頼する気持ちになかなかなれない。

人と人との関係の行き来の中で、あるいは『安心』が生まれるのでは
ないだろうか。いや『安心』じゃない。『信頼』が生まれるんじゃないだろうか。
既存の流通の中でも良いし、新たな関係の中でも良い。
食べる側と作る側の距離が、一度は物理的に近づき
(もしくは普遍的な情報だけでない距離)、その関係の雰囲気を
その後距離が離れても、お互いがそれを維持できる付き合いこそが
『信頼』を生み出すんじゃないだろうか。

外から吹いてきた風に、僕はそんなことを考えさせられた。
関連記事
08 07
2007

早稲田の学生が来ている。
農山村体験とかいう名前で、農家に泊まり、
仕事や生活を体験するという授業の一環でだ。

こういう交流は学生にとって、ずいぶんと刺激的のようだ。
畑でトマトをむいでそのまま食べたり、ホオズキなどの変わったものを食べたり、
スーパーでよく見る野菜がどういう風に畑で育っているかを見たり。
そのつど大げさなくらいに驚いてくれるのだが、
その姿をみるこちらにとっても、新鮮で普段の風景に埋没してしまったことを
再認識できたりもする。

さてその学生。
夕飯時に我が家の食卓を見て驚いていた。
『オシャレ』だそうだ。
メニューは
玄米(赤米入り)。
鶏肉の紅茶煮・ルッコラ添え。
カラートマトとアボガド、赤たまねぎのサラダ。
カボチャをふんだんに使ったカレーグラタン。
地元の海でとれた魚のお刺身。
そして飲み物はお気に入りのドイツワイン。

イメージしていた農家の食卓とはちがう、とのこと。
もっと古風な和食的イメージだったそうだ。
『農村』という言葉から来るイメージが、そういう固定的な
ステレオタイプを生み出すのだろう。

ある意味、そういう古風なところもあるだろう。
しかし、僕ら野菜農家は、常にトレンドを追い求めているのも事実。
変り種の野菜を消費するようになれば、それを作り、そしてその一部が
食卓にのぼるのは至極自然なこと。
そして農民は、畑で作物に感じる躍動的な感動の中で、
新しい作物に対する栽培意欲はものすごく高い。
街の人が食べたことも無い変り種の西洋野菜を、
うちの近所のおばちゃんが家庭菜園がてらに作っていたりもするのだ。

それが農業なのである。
それが農村なのである。
関連記事
台風も過ぎ去り、何事も無くやりすごせた。
おかげで露地の野菜にもたっぷりと水が行き渡る。
先週末から、オクラの収穫が始まっている。
普通のオクラにくわえ、赤いオクラに、大きくなっても筋張らない
沖縄オクラと八丈オクラもある。
しっかりと水が行き渡ったおかげで、生育の勢いが増している。

雨のおかげで、畑に湿り気がある。
そこでニンジンの種をまいた。
今から秋にかけて、少しずつニンジンを播く。
冬に食べるニンジンを少しずつ播く。
世の中は夏真っ盛りなのだが、畑ではもう秋が始まっているのだ。

夏野菜の収穫の合間をぬって
セルリーも定植しよう。
そういえば隣の畑では、腰の曲がった老婆がキャベツを定植していた。
ようやく夏野菜の収穫が最盛になってきたというのに
農民は、それに満足することなく、秋に向けて、冬に向けて準備する。
畑では、もう秋が始まっているのだ。
関連記事
体が、とてもだるい。
暑さのせいでもあろうが、それ以上に農作業が忙しかった。
諸事の事情が重なり、今週はいつもの2倍以上働く。

暑さも本番になってきたこのごろ、
畑を眺めていると、
何もかもが急速に伸びてゆき、繁茂し、そして実をつけるその様に
無限の生産力を感じる。
ただ、それを収穫し、除草し、整える人間の側には
無限の力は存在しない。

扁桃を切除するまでは、これだけ仕事をすれば
かならず高熱をだし、1週間くらいは寝込んだであろう。
しかし今では、体はだるくとも、熱を発する箇所が無い。

ふと思った。これは『健康』なんだろうか、と。

ずいぶん昔に学んだことなので、あやふやなのだが
仏教の思想の中には、病気は外部から侵入してくるのではなく
もともと自分の体の中にあるものと考えている。
だから、体に疲れや気の流れが悪くなれば、もともと
体の中にあった病気が顔を出す、という考え方だ。
僕にとっての扁桃は、まさにこのことであったのだろう。
しかし、今は切除してしまって、その箇所がない。

もしかしたら、扁桃は、熱を出すことで、僕の体が
決定的な疲れを溜め込むのを防いでいたのかもしれない。

馬鹿な考えかもしれないが、
無限の生産力を相手に、仕事の範囲を自ら決められなくなりつつある
今の自分には、無駄のように思えた扁桃も、なんだか必要なものの様に
思えてくるのである。

無限の生産力は、この夏いっぱい続く。
まったくこんなものを相手に仕事をするなんて。
関連記事
08 01
2007

とは、食用ホオズキのこと。
ここ毎年のように父が栽培に挑戦してきたが、
なかなか収穫にいたらなかった。
そこで今年は、僕がそれに挑戦している。

今までの失敗の多くは、害虫防除である。
ホオズキにはタバコ蛾がつきやすい。
タバコ蛾自体は、それほど防除が難しい虫でもない。
しかしポジティブリスト以降、ホオズキのようなマイナーな
作物に使える農薬はかなり限られている。
使用できる農薬が限られている上、使用回数も制限されているので
害虫発生の見極めが鍵となるのだ。
さらに言えば、出来る限り、薬剤の毒性の低いものを
自分のポリシーで選んでいるので、さらに困難にもなっている。
まぁ、それも毎日のように観察すれば、それほどでもないのだけど。

栽培中はタバコ蛾以外にも、アブラムシにもずいぶん苦しんだ。
ネオニコチノイド系の薬剤を使えば、簡単に防除できるのだが
出来ればそれは使いたくない。
そこで麦を回りに播種して、麦につくアブラムシを食べる天敵を
畑に増やす工夫をしている。
今のところ思惑通り、アブラムシは減り、
天敵(ヒラタアブ)も多く見かけるようになった。

そして今日、それなりの数を出荷。
甘酸っぱくて、種のプチプチ感がイチジクにも似ている
そんな野菜。

結構いい値段をしているが
見かけたら買ってみてくださいませ。
関連記事

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
07 ≪│2007/08│≫ 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ