06 28
2007

あまり雨が降らないといっても、
そこはさすが梅雨の時期。
湿度が高くて、じめじめ。
そうなると、作物にも病がでる。

今日、取引をしている業者から、クレームがあった。
『ルッコラの葉が痛んでいて、品物にならない』とのこと。
現在出荷している圃場へ確認に行くと、たしかにひどい・・・。
ルッコラが自分の担当から外れたとは言え、もともとは僕が扱っていた野菜。
今週分の出荷を停止し、来週、別の圃場のルッコラが収穫できるようになれば
再開します、と業者に連絡をいれる。

この時期、葉野菜は収量を下げる。
生育は早くなるものの、暑さと湿度の高さ、そして日照の不足で、葉の厚みがずいぶんと薄くなる。
落ちた収量を補うため、次に収穫する圃場では、
散水をして生長を早めようとする。
が、これがいけない。
圃場に水をやってから、天候が思わしくない場合(高温・高湿度・雨・日照不足)、
病が出やすいのである。

タイミングがあえば、散水することは良いのだが、
合わなければ、今回のようになるのだ。
なかなか難しい。
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妹の誕生日を祝うため、実家の両親とうちの一家とで外食する。
精巧な料理を食すると、このごろ思うのが、味覚について。
やはり、まだおかしい。

口蓋扁桃摘出手術の時に、つよく舌を押さえられていたことは、
以前も書いた通り。
術後、舌の右端がやけに腫れて、感覚のもどりが遅かった。
それを6月の上旬までは引きずっていたのだが、
今は問題がない。
そのかわりに、舌の奥の味覚が、最近気になるようになってきた。

料理を食べているときは、それらの味を感じるのだが、
喉へ通そうとすると、舌の奥の部分で、感じている味が変わってしまうのだ。
飲み物なんかが一番顕著。
ワインが好きなのだが、口に含んだときはうまいが、
喉へ流し込もうとすると、至極苦い味に変わる。

なので最近では、飲み込み方に工夫をしている。
口に含んだ飲み物や食べ物を、できるだけ問題になっている舌の奥の部分を通さずに、さらにその奥に投げ込むように、飲み込むのである。
こう書くと良くわからないかもしれないが、
イメージとしては、バスケットボールのスリーポイントシュートである。
食べ物飲み物を口の中から喉奥へ、舌を使って、スリーポイントシュートを
打つのである。

昨日はなかなか上手にスリーポイントシュートが打てた。
成功率が高くなってくれば、それだけ味覚は大丈夫。

学生の頃、憧れていたスリーポイントシューターに
ようやくなれた。
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今、幾つか自分の将来に向けて、投資的な活動を行おうとしている。
それらすべてが、今日1日で動き出した。
長い人生、そういう日もあるようだ。

インドネシア農民の研修受け入れ
多目的農舎の新築
家の新築 etc

度々日記でも書いてきたのだが、
今インドネシアの農民を研修生として受け入れようとしている。
人選の問題はさておき、今日は研修事業を行っている協同組合の方から
再び説明を受けた。

3年間で約500万の経費がかかる計算だった。
金勘定だけをしていると、ついつい『研修生』が『労働者』に
なってしまいそうだが、そこはぐっと飲み込んで、
僕のやろうとしていることに目を向けていこう。

僕の人選方法については、協同組合の方は懐疑的な見方だった。
労働をするという意味で、ふさわしくないのではないか、ということだった。
福井の農業高校と友好協定を結んでいるバンドゥンの農業高校から
卒業生を対象に人選してもらう予定でいる。
エリートのぼんぼんばかりが選ばれて、ハングリー精神にかける、というのが
ふさわしくない理由だった。

また、今回も僕がかつて関わったブギス民族による研修は断られてしまった。
ジャワ人かスンダ人(ジャワ島に住んでいる民族)でお願いします、とのこと。
他民族との混血も、『なるべくは』と断られる。
その度に僕は、

『あなたが言っている事は、人種差別ですよ!』

と言いそうになったが、ここでそれを議論しても始まるまい。
僕個人でインドネシアのかつて関わった人々を呼べることなら、
なにもこんなストレスフルなことはしない。
制度上それは出来ないから、便宜上、関わるだけなのだ。

『ジャワ人やスンダ人以外は、逃げたりトラブルが多いのです』
とその人は言う。
だが、人の血が、人の良し悪しを分けるわけではない。
聞けばトラブルも、ただ単に文化的な認識の違いじゃないか?と
思われるようなことだった。

先日会ったインドネシアの友人はマカッサル人。
かつて研修生として、日本で働いていた。
良く逃げる、と協同組合の方がいう民族の1人。
その彼がこう言っていた。
『人間として扱ってもらえないから、僕らは逃げるんです』と。

『人間』と扱ってもらえているかどうかの判断基準は
それぞれの文化や価値観によって異なるだろう。
それらをじっくりとお互いで乗り越えていこうという覚悟が
なければ、やらない方がいい。

自分がやろうとしていることが、タフな活動だと再認識した。
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自家菜園の収穫物も増えてきた。
ピーマン、シシトウ、万願寺とうがらし、青しその収穫が始まる。
今週末にはトマトたち(約8種)も収穫が始まるだろう。
ナンキンも、もう少し。

今は、アーティチョーク、ズッキーニ、が収穫最盛期。
収穫量が多くなってきていて、
食べることが追いつかなくなる季節はもう間近。
キュウリは若いうちに採ってしまって、ピクルスに。
トマトは、今年こそ乾燥トマトに挑戦しよう。

ズッキーニを貯蔵用に加工したいのだが、
何かいいレシピがないだろうか。
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懐かしい友人に会う。
4年ぶりの再会だった。
彼は、インドネシアから我が県へ『研修生』として働きに来ていた。
協力隊が終わって、地元に戻り、
インドネシア語を使いたくてしょうがない時期に
地元の国際交流会館で出会ったインドネシア人。

僕がボゴールの大学院に入学を決意したとき、
彼は僕にインドネシア語の特訓をしてくれた。
協力隊では地方に居たこともあり、僕のインドネシア語は
ひどい訛りと間違った文法だらけだった。
それを初めに矯正してくれたのが、彼である。
入学のための願書を書いたり、プロポーサルを書いたり、を手伝ってくれた。
彼が居なければ、留学は実現しなかっただろう。

彼は、今、神戸の大学の学生をしている。
僕がインドネシアに留学に行くと同時に、彼は神戸の大学に入学した。
そして今、4年生。

再会して聞く彼の話は刺激的だった。
自分と同じ立場の『研修生』の支援を行っている、という。

研修生といっても、ほとんどが労働者とかわりない。
なので年金や保険なども払わなければいけないらしい。
そして、研修生の多くが税金の還付申請を知らない。

彼は仲間と一緒に、今年の還付申請で、約4500人のインドネシア人研修生の
還付申請を代行した。
多い人では、1人約5万円ほど税金が戻ってきたという。
『日本からインドネシアに3000万円程取り戻しました』と彼。
出来れば何年も遡って還付申請したい!という話で盛り上がる。

わけのわからん税金徴収システムを作り上げ、
そして『研修生』として安い賃金で働かされている連中から搾取し続けている。
情報がきちんと届かず、彼のような人間が居なければ、
日本はインドネシアから毎年毎年、
何千万円もお金を掠め取っていることになっていただろう。

4年ぶりにあった彼は、たくましく活動をしていた。
僕も負けてはいられない。
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地元の大学で講演。
協力隊の経験談を話す。

昨年は、1年間通して、自分の講演に不満があった。
自分の経験談が古ぼけてきたことと、伝えたいメッセージが
どんどん複雑になっていくこととの間で、バランスをとれなくなっていた。
そしてある高校で講演をしたのを最後に、依頼を断っていた。

しかし、平日の昼間に時間をつくれる協力隊OB・OGは少ない。
みんな勤め人なので。
県に配属されている国際協力推進員から、『どうしても』と
お願いされて、話す事にする。

今回は3年間の活動の軌跡を話す事にした。
それを話すのは、帰国直後の講演以来だ。
詳しい活動内容よりも、任国(インドネシア)の生活が如何に異文化なものなのか
を話したほうが『うけ』が良かった、からである。
農業を専門にしていない人には、僕の活動の話では、面白くないかも知れない
と考えてのことだった。

だが今回は、初心に戻って話をしようと試みた。
聴者が建築学科の学生とのことで、すこし躊躇いはあった。
が、3年間の活動をパワーポイントを使って、
『プロジェクトX』調にまとめてみた。

そして今日、当日。
まず推進員の人がJICAの説明をする。約45分ほど。
その間に半数の学生が眠りにつく。
そしてその状況で、僕にバトンタッチ。

話していて思ったのだが、
今回の講演は、まぎれもなく自分のためのものだ、ということ。
7年ぶりに話す活動の軌跡。
頭の中では、『プロジェクトX』の主題歌
中島みゆきの『地上の星』がエンドレスに流れ出す。
最後のまとめの段では、『ヘッドライト・テールライト』が静かに頭の中でこだまする。
いろんな想いがこみ上げてくる。
気がつけば寝ていた学生は1人も居らず、みな真剣に聞いていてくれた。
話の後、推進員(協力隊OB)が『目頭が熱くなりました』と一言。

建築学科の学生にとって面白い話だったかどうかは、不明だが、
久しぶりに、自分が納得いく話が出来た。

これから自分がやろうとしていることが、
協力隊での活動が基部になっているものだということを再確認した。
その想いがあるからこそ、やるんだ。
自分で自分の背中を押した気がした。
とにかく前に進もう。
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種を分けてもらう。
『くきたち菜』の種を。
アブラナ科の葉野菜で、
葉っぱを食べてもよし、菜の花のように花を食べてもよし。

種を分けてもらったのは、祖父の姉。
近所に1人暮らしをしている。
10坪ほどの家庭菜園をしており、その作りまわしが実にいい。
一時も土を休ませず、輪作していくのである。
種も採れるかぎり、自家採種。
僕の師匠の1人。

くきたち菜とは、祖父や祖母、そして祖父の姉が
まだ若かった頃に、うちの村で作っていた換金作物。
卸売り市場がまだ田原町にあった頃の話だ。
市場に牛や耕運機で荷物を運んだ時代でもある。

田んぼ一面に種を播き、ビニールでトンネルをかけて
雪をしのぎ、栽培したとのこと。
『一把幾らになったか覚えてえんけど、それで生活が
なりたったんやざ』と祖母。

小松菜やほうれん草、といった葉野菜が好まれるようになり、
いつしかくきたち菜は、栽培されなくなっていった。
それでも秋口になると、何件かの農家は、自家用でこの菜の種を播く。
春までは、その葉を食べ、
春になれば花のつぼみを食するために。
祖母に言わせれば、つぼみは菜の花や芥子菜よりもうまい、とのこと。

祖父の姉は、田んぼ一面に播けるんじゃないか、と思うくらい
種をくれた。
『なんべんも種取りしてるから、変かもしれんざ』とのこと。
まさに祖父の姉の独自品種。

秋になったら畑に播こう。
何か大事なものを受け継いだような、そんな気がした。
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06 17
2007

畑にパラソルを立てる。
オープンカフェの野外席なんかに用いられるような大きな日傘。
娘を畑で遊ばせるために。

インドネシア、カンボジアと農村と日本の農村の大きな違いの1つが、『木がない』ということ。
日本では、田んぼの畦や畑の中に木があるのを見かけない。
僕が見てまわった国々では、大きな木が堂々と畑の真ん中に生えていたり、田の畦にどっしりと生えていたりしていた。
そしてそれらの木は、農作業の休憩に使われ、農民に涼を与えていた。
実に心地よい存在だった。

それがうちの村にはない。

日当たりを遮ったり、機械の効率を悪くしたり、病害虫の巣になったり、と農学的な視点から、その弊害を書き連ねることはいくらでも可能だろう。
でも、おかげで、畑の近くで一服できる場所がまったくない。

木の代わりにパラソルをたてる。
すこし風が吹くと、大げさにゆれる。

やはり、木を植えたいなぁ。
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娘のかよう保育園の総会があった。
え!?保育園で総会?と思われる方もいるかもしれない。
私立でもないその保育園、共同保育をうたい文句にしている。
全国でも珍しい保育園らしい。
だから、珍しさついでにというわけでもないが、総会の1つもある(説明になっていないか)。

今総会の最大の争点は、ずばり『園舎増設の賛否』だった。
園舎増設なんて行政が決めること、と思うだろうが、珍しい保育園では、自分達で資金を集めてやってのけてしまうものらしい(こう書くと語弊があるか)。
建設予算は4000万。
そのうち1000万を父母・職員総出で募金活動を行い集めるとのこと。
この件は、昨年の暮れからすでに議論されていた。
それから今日まで、毎週毎週説明会を開いては、反対意見や不安のある父母と意見交換をおこなってきた。
で、今日は『園舎増設』をするかしないかを総会にかけたのである。

園舎増設の議論が始まるや否や、父母から反対意見の続出となった。
それらの意見を簡単に掻い摘めば、次の通り。
募金募金というが、父母に負担を求めすぎる。
大きな借金があるのに(用地取得の時の借金)、さらに借金をするのは大丈夫か?

そしてそれに対して、建設賛成派からは、
よりよい保育のためには、増設やむなし。
みんなで募金を集めれば大丈夫。

などなど。
議論を聞いていて感じたことは、『温度差』と『時間軸の違い』だろう。
この保育園の職員は、異動がない。
行政に雇われているわけではなくて(形式上は行政なのだろうけど)、保育園に直接雇われている。だから異動しない。つまり、ずーっとこの保育園で保育士をしている人ばかり。
そしてその時間のなかで、物を考えている。
一方、父母は。
家族で、もしくは共同体の中で、子どもの面倒がみられないというやむを得ない理由から、子どもを保育園に預けている、言わば、義務教育が始まるまで時間でしかない。
そこからくるその保育園に対する情熱の温度差は大きいだろう。

父母の反対意見にあった『父母に負担を求めすぎる』というのは、その温度差が顕著にみられるだろう。
たしかにバザーやイベントなど、とにかく物を売らなきゃいけない行事が多い。
1家族のノルマもあったりもする。
そればかりを見ていると、忙しいから子どもを預けているのに、負担ばかりが増えている、と感じる人もあろう。

だが、僕が思うに、共同保育を理念としてかかげている保育園なので、子どもを預ける、という感覚ではないのではないだろうか。
保育園と一緒に育てていこう、という考えなのだろうと理解している。

自己の時間を作り出すために、子どもを保育園に預けているのは紛れもない事実だ。
が、だからといって、保育園のことは保育園でやってくれ、とはいかがなものかと思う。

9時半に終わる予定の総会。
終わったのは、11時近かった。
毎週毎週説明会をしていたのに、ほとんど参加者はなく、今日、その議論が初めて活発にやり取りされたわけである。
途中で、『とりあえず先送りにしては?』といった意見もでた。
増設検討委員会と父母との間で、お互いのギャップを埋める作業がうまくいかなかったことが、今回の大もめの理由だろう。温度差と時間軸の違いは、なかなか埋まるものではない。
全員の意見を聞くためにアンケートをしては、という話もあったが、個人の意見が集約されてデフォルメ化される危険があるので行わなかった。
説明会で議論されたことはお知らせを出し、シェアしようとしたが、それぞれの意見に答えを出すような形をとらなかった。小論での水掛け論にしたくはない、という想いから。
それらはとても良い考えだと思う。
が、実際にはギャップを埋めるためには、何の役にもたっていなかった。
でも、それで良い。
こういうのは、大もめでやるほうが良い。

10時半ごろ、さすがに皆つかれてくる。
だんだん、採決を獲ろうという雰囲気になってくる。
それで良い。
疲れるまで、わけが解らなくなるまで議論する。
ただ、切りの良いところで大人ぶって持ち越ししてはだめ。

採決も洒落ていた。
挙手じゃなく、拍手。
理事長は、『賛成反対の白黒をつけるのではなく、総意で決めたい』とのことだった。
だから拍手。
なんだか村の寄り合いのようだ。
こじれて、疲れて、そして総意で決まる。

最後は割れんばかりの拍手で締めくくった。
ひさしぶりに、面白い総会に参加した。
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ようやく採れはじめた露地の夏野菜。
はるちゃん畑もいよいよ収穫で忙しくなりそうな気配。
そんな最中、ちょっとした被害が出てきている。
それは、雉による食害。

この時期雉は雛を孵し、子ども連れが多い。
食欲旺盛な雉の子どもたちは、手当たり次第に食べまくるのである。
ソラマメ・キュウリ・トマト・ナス・・・・etc。
実だけが食べられるわけじゃない。
出てきた新芽まで食べてしまうのである。
美味しくなかろうに。

そんな話を祖母にしていたら、面白い話をしてくれた。
『昔は、雉もよう食べたんやざ』。
僕も自慢じゃないが、昨年の秋口に2羽、素手で雉を捕まえ食らっている。
だから昔の人が、良く雉を食べた、といわれても大して驚くことでもない。
ただ祖母が食べた雉は、鳥じゃなくて、卵の方だった。

うちの部落の西手にある田んぼは、70年代の土地改良が進むまでは、村自前の灌漑用水しかなかった。そういうこともあって、西手の田んぼは晩生の稲ばかりを栽培していた。田植えも今頃の6月に、大きくなった稲を手で移植していたらしい。田植えが6月ということで、当然なのだが、西手の田んぼでは、麦や菜種の栽培が裏作として盛んだったとのこと。盛んどころか、西手の田んぼ全面が、麦畑・菜種畑だったとのこと。

『5月の麦刈りになると、麦ん中に雉の巣がようけ(沢山)見つかって、そこにある卵を拾い集めるのが、子どもの仕事やったんやざ』と祖母。
麦刈りの前から、子どもたちは麦畑に入り込んで、雉の卵を集めたという。
『にわとりの卵よりもうまかった』そうで、この時期のちょっとしたご馳走だった。
ただ孵化寸前の卵もあったようで、そういうのは、『父や祖父が判別していた』とのことである。(ベトナム辺りでは、この孵化寸前のやつを食べたりもするのだが)。

農業の形態が生み出す、雉との関係。
灌漑が出来て、機械植えになり、麦などの裏作が作られにくくなり(作ってはいるが少ない面積:さらにいうなら、それは裏作ではなく転作)、雉もその傍に卵を産まなくなった。見つかり難い場所に巣を作れば、当然、それを獲ろうという人間とも関係が途切れていく。
そして今では、野菜を食い荒らすただの害獣。

食いつつ食われつつの雉との昔の関係は、どこかフェアでもある。
ノスタルジックにその関係を見るわけではない。
関係を作り上げていた土台を、僕らの農業をみる眼差しを変えてしまったことで、壊してきてしまった事実に衝撃を感じるのである。
合理的に何かを進められる、ということは、それまで縛られていたいろんな関係を分断し、何かを進めるその何かだけに注目をして、問題を抽出し、解決をはかるという手法を無反省に進めすぎてきた証拠だろう(それを『本質』だ、なんて言ったりもする)。

友人(農業仲間)が今日うちの農園に遊びに来た。
『単作、単作でやってるんだから、虫との共生はいらんやろ』という。
たしかに作物だけを見渡せば、入らない気もする。
ずばりそういう風に言われると、たしかに、とも思う。
ただ、僕にはどうも何かがひっかかってしょうがない。
一見、単作・単作で完結しているうちの市場出荷商品農業も、全体を見渡してみると、そうじゃない気もしてならない。
だから、麦を播いてみたり、ミントのマルチをしてみたり、してしまう。

僕はただ解らないだけなのだ。
祖母の話もうなずけるし、友人の断言も農業で食べていく!という想いがあればこそ、うなずける話なのだ。
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快晴。
そして明日も快晴らしい。
となると、こんな日は、ここら辺じゃ、玉ねぎとにんにくの収穫になる。

80歳近いうちの祖母も、早朝から押し車を押して畑へと向かう。
1人で玉ねぎの収穫。
ただ、重くて持って帰れないので、昼頃に半分だけ僕がとりに行く。
残りの半分は、畑に敷いてそのまま乾かす。

持って帰ってきた半分は、玉の大きなものは葉を取り、籠に詰める。
小ぶりのものは、縄で葉を束ねて、軒下に吊るす。
こうしておけば、来年まで食べられるのだ。

僕も自分の畑で少量の玉ねぎを作ったのだが、いまいち玉が大きくならなかった。
『お彼岸までに肥料やったかぁ』と祖母が聞く。
彼岸は過ぎていたが、4月に入ってすぐには肥料をやったはず。
『ああ、それがいかんかったんやろう』。

農協がやっている直売所で、りっぱな玉ねぎを出荷しているお婆ちゃんは、
『2月でもいかん。4月でもいかん。お彼岸いうけど、それもいかん。3月に入ったらすぐがええ』と肥料のやるタイミングを教えてくれた。

理論なんてない。
文章にもなってない。
どうしてその時期なのか、科学的でもない。
ただただ経験からくる理由のみ。

直売所のお婆ちゃんは哲学的なことも言う。
『玉ねぎは、いちど冬に休ませなあかん。植える前に痛めつけて、冬、十分休ませな、大きな玉にはならんよ』。

僕にはまだ『休ませる』が解らない。
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司馬 遼太郎(著者代表) 対談集『土地と日本人』.1980年.中央公論社.

歴史の流れの中で、その時代その時代の本質を掴み取ることに卓越している著者が、当時の知識人たちと土地に関して対談したものを一冊にまとめた本。

司馬の土地に対する意見は、『日本は土地を公有にしなきゃどうしようもないと思う。農業問題もなにも解決が不能だと思うね。地面そのものに途方もない値段がついていて、地面をころがすことによって金が儲かる。自他ともに加害者・被害者の一人二役を演じていて、電子レンジの中にいるみたいです』(p13)に収斂されるであろう。

この意見だけをみると、共産主義か、と思われるだろうが、そうではない。司馬は土地に対する歴史的経緯を的確に読み取り、日本人にいちばん欠けているのは、地面に対する思想だと指摘している。地価高騰と製品の価格高騰の関係、またそれによって派生する農地集約のさまたげ等々、資本主義すらも確立できていない、と批判する。『地面の思想というものがピチッとなかったらいけない。これは秀吉も見落とし、明治維新も見落とし、農地解放も見落とした。その莫大な勘定書きが、いままわってきているんじゃないでしょうか』(p48)。この本が書かれてから、30年近く経っているが、まさに現在でも、いや30年前以上に、この勘定書きを突きつけられている状況であるといえよう。

2つ目に収録されている石井紫郎(法学)との対談『所有の思想』では、律令制(班田制)から封建制度、そして明治維新・農地解放までを歴史的な制度経緯を踏まえながら、土地所有の意識変化を端的に明らかにしている。制度の変遷が、土地意識をどう変化させていったのかというダイナミズムを読むことが出来る。

ただ全編を通して、司馬や対談者たちは『むら』には一切目をむけていない。公有という考え方からみるのであれば、それを小さいながらもその対象として存在してきた『むら』の存在は外せないはずである。『むら』についての視点がないため(もしくは深くない)、土地問題の議論が、『日本』という国家による管理・制度の問題になってしまっている。司馬のいう土地に対する思想がないというのは、確かにそうであると思うのだが、それが天下国家の議論となってしまうところに、僕にはしっくりとはこない。

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インドネシア人をよんで、うちの農園で研修をしようと考えている。
この場合の『研修』で、一番の目的が、安い労働力の確保。
その一面は、どう取り繕っても拭えやしないし、まわりからそう見られるだろう。
しかし、それを超えて、僕だからこそ出来ることがある。
最近はそう考えるようになり、やはりインドネシアの農民に来てもらおう、と考えている。

さて、そこで肝心のインドネシアの農民は誰か。
つてがないわけではない。
まがりなりにも5年ほどインドネシアに居たのだから。

付き合いのある農業高校に連絡を入れる。
校長の携帯番号は、僕がインドネシアに居た当時から変更されたらしく、つながらない。
そこで、副校長に電話をする。

インドネシア語を日常的に使わなくなってから、はや2年半。
インドネシア語で論文だって書いたし、インドネシア語で大学院の講義で議論もしたし、むこうの新聞の社説は辞書無しで読んでいたのに、副校長との簡単な会話が出てこない・・・。

言語にはリズムがある。
5年の滞在で覚えたリズムが、なまじ体の中に残っている。
そしてリズムばかりが先行する。
単語がついてこない。
自分でも何を話しているのか、解らなくなる。

地区の運動会で、運動不足のお父さん・お母さんなら経験があるだろう。
昔、足が速かったからといって、リレーの選手にでもなれば、僕と同じ経験をするだろう。
速かったころの感覚を覚えている体ばかりが先に進み、足がもたついてついてこない。
まさにそんな感じなのだ。

副校長はそれでも辛抱づよく話を聞いてくれた。
なんどもなんども要点を確認しながら。
最後に僕が『携帯メールを送るので、その番号に校長の電話番号を送ってください』というと、『いいですよ』と快諾してくれた。

電話後、さっそく携帯メールを送る(ソフトバンクは海外に携帯メールが送れるサービスがある)。
その後、何時間待っても、副校長からはメールが来なかった・・・。

合掌!ちーん。
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06 09
2007

お世話になった普及員の送別会あり。
認定農業者や新規就農者の登録では、その人にずいぶんとお世話になったので、当然参加。

さてその人。農薬には結構詳しい。
などと年若の僕が言うのは変か。
とにかく、その人と農薬の話になる。

野菜についた展着剤(農薬を作物にくっつけるために入れるもの)を落とすための洗剤の話。寄生虫の激減。などなどを話していたのだが、それらの根底にあるのはやはり『消毒思想』なのである。

人間にとって有害か無害かといった価値判断をし、それを徹底的に消毒していく。
しかし消毒思想では、もしかしたらそれが存在するからこそ、有害なものが繁殖しないで済んでいたかもしれない、菌や虫も一緒に消毒されてしまう。
そもそも、消毒は非選択性なのだ。

無農薬や有機農業がさけばれながらも、無菌素材や野菜をあらう洗剤が登場してくる。
有機農業とは、菌や虫の種類をただただひたすらに増やすことにある。
どこか根っこの部分で、まったく違うイメージを作り上げているのかもしれない。

とにもかくにも、その普及員は異動になった。
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来客あり。
農業を志して、県外からやってきた若者である。
先日あった彼ではなく、また別の人。
農業をしよう、という若い人が近頃、増えてきている。

さてその彼。
大学卒業後、一度会社勤めて、それをやめて、お遍路行って、ワーキングホリデーでカナダへ行って、そしてまわりまわって、福井で農業をしている。
そんな経験からか、農に対する視点が面白い。
完全に無農薬なのだ。

時々勘違いする人がいるのだが、減農薬などといった農薬を使わないような工夫をしていけば、その先に無農薬がある、ということはない。
農薬を使用する、ということと、農薬を一切使用しない、というのは、まったく別の方向なのである。
減農薬はどこまで行っても減農薬でしかなく、無農薬のようにはじめから使わないことを前提に農業を始めると、ずいぶんと農業の風景が変わってくるのである。
そしてその彼は、無農薬から自分の農を作り上げようとしている。

農業を始めてまだ1年たらず。
まだまだ試行錯誤のようだが、彼の試みから刺激を受けて、僕も勉強してみよう。
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内山 節 著 『子どもたちの時間』:山村から教育をみる.1996年.岩波書店.

子どもたちをとりまく現代の精神の習慣(常識と考えられていること)を解き明かし、近代化していく中で我々が失いつつあるものを明らかにした本。

本書では、子供たちが共有している現代世界の精神状況を明らかにしている。そしてそれは、子どもたちに特有の精神状況ではなく、『大人の世界がかかえている人間の問題を模倣するように、子どもたちもまた存在している』(p64)という視点から、我々現代人が置かれている精神状況について考察をしている。

現代の精神の習慣として、『人生の経営化』というのがあると内山は指摘する。そして自身がたてた経営計画にそって、現代人は『準備をすることに人生の価値をみいだすようになった』(p75)(進学のための準備、就職のための準備、老後のための準備etc)。しかし、現代社会では、前近代的な継承によりその地域でしか成り立たない労働や知識を否定的な意味に変えてしまい、常に新しい何かを求めていかなければ、時代遅れになるという恐怖感も抱いている。このような精神の習慣の中では、『人生経営もまたつねに古くなり、つねに再確立されつづけなければならず、自分の人生経営が古くなっているのではないかという不安が、人々を襲いつづけ(中略)、より新しい人生経営のあり方とは何かを知ろうとして、虚しく情報を集めること』(p78)になると指摘する。

ではこのような精神の習慣をつくりあげたものは何なのか。内山はそれを『時間』『価値中立の教育』『個』などをキーワードに解き明かしていく。

伝統的な時間社会では、時間は永遠に循環をとげていて、時間そのものを価値として捉えることはなかった。このような社会では、時間で価値評価されるのではなく、その人のおこなった行為や仕事が価値の評価基準になっていた。そのため、労働はタダという感覚でしかなく、そのかわり、労働によってつくられた農産物には価値があると思われてきた(p126)。しかしそれらは近代化の過程で大きく価値観を変えていく。現代は時間価値の社会なのである。『労働の価値も、労働時間量によって測定されるようになってきましたし、教育=学校のなかでは、時間を価値基準にしたシステムができあがっています(例:常に時間制限のあるテスト)』(p142)と内山はいう。時計に示された客観的な時間秩序を受け入れたため、その時間に合理性を取り入れることができ、その時間を『有効』に分配=消費することが可能になった(人生経営における準備も、何かを達成するために分配=消費されている時間にすぎない)。

さて、そのような価値基準の中では(人間の持ち時間をいかに有効に時間配分していくか、それが賢い人生のあり方に変わっていった)、必然的に個人主義の意識を高めていった、と内山は指摘する。『なぜなら、ここで課題になっている時間配分とは、自分個人の時間配分の問題でしかありえないから』と説く。我々は誰しも、社会の中で有意義な人間、必要な人間、として存在したいという欲求がある。しかしそれは、個として有意義な人間ではありえない。そもそも人というものは、他者との関係(自然も含む:関係の手段として労働がある)の総体であって、個人そのもので成立しうるものではない。こうした動かしがたい前提と、時間観念や労働観念の大きな変動で生まれてきた精神の習慣の狭間で、現代人の苦悩が生まれることになる。そして、その我々大人を模写するように生きている『小さな大人』である子供たちもまた、それらの価値観の中でもがき苦しむのである。

内山は、我々の精神の習慣を作り上げた存在として、学校教育にも言及している。内山は、学校教育で教えているものは、価値中立的だと考えられている知識であると指摘する。『価値中立的とは、そのなかに価値判断が入っていないこと、あるいは価値判断の相違によって内容が変わることがないこと』(p167)である(数学の公式は、価値観の違いによって変化するものではない)。内山は、価値中立的な知識を学問として教えられていることに問題を感じている。『価値中立的とは、別の表現をとれば、いかなる関係からも独立していることを意味しています。つまり、どのような関係を持ったとしても変わることがなく、どのような立場からも利用できるということです。すなわち、あらゆる関係から独立した、客観的独立性をもっているものが学問であることを、生徒たちは学校教育をとおして教わるのです』(p169)。この学問を有効とする教育の過程で、客観的な普遍性をもっていないその土地その土地で受け継がれてきた一番狭い地域性と結びついた知識は、「最下位」のものとしてみなされていく。地域性と結びついてしか成り立たない学問や、継承という価値意識を結合しなければ意味をなさない学問を、「程度の低い」学問とみなす習慣を生み出していく(p172)と批判する。現在において、再び地域的なものに注目を集めるようになってきているが、内山はそれが学校で教えられている価値中立的な学問と同等としては扱われず、それ自体付属的に語られていることをも批判している。

こうして、時間価値や労働価値から個として存在することを精神の習慣として持ち、価値中立的な学問の訓練を経て、人生の経営を余儀なくされているのが現代人だと言えよう。他者との総体としての存在であるという前提と、社会の中で有意義な存在でありたいという欲求、それらとのギャップは、これらの価値では埋めることが出来ず、つねに不安感を生み出す。我々は、まったくの個として自由に存在するわけではないのに、何かと結びついてできあがっているものを前近代的なものとして、それを分断させて、社会を作り上げてきてしまっているのである。

平易な文章で、我々の精神の習慣を明示してくれる良書。

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娘のために始めた無農薬畑。
細々とだが、いろいろな作物が収穫できるようになってきた。

にんにく
たまねぎ
キュウリ
アーティチョーク
フェンネル
ワイルドルッコラ
サラダバーネット
バジル
コリアンダー
ズッキーニ
ソラマメ
ロメインレタス
チシャレタス
etc

こうやって記してみると解るのだが、娘が食べられそうな野菜は少ない・・・。
娘、まだ1歳7ヶ月に達するか達しないか。
ほとんど僕と妻の好みで栽培している。
つまりは、ワインに合う野菜ばかり。

いやいや、ワインを飲んで毎日ご満悦な両親だからこそ、娘もすくすく育つもの。
やっぱり娘のための畑、ということにしておこう。
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06 06
2007

とは、二十四節気の1つ。
稲や麦など、芒(のぎ)のある作物の種蒔き(&田植え)をする時期。

田植えは、現在では幼苗を機械植えするので、ゴールデンウィークに終わらせてしまうことが可能になったのだが、昔はこの時期にしていた。

さて、昔の暦は農業と密接な関係がある。
それにあわせてみるのも、また一興。
そこで、ハトムギを播く。

自分で煎って飲むハトムギはなかなかの味で、収穫直後なんかは、独特の甘みがあって、特にうまい。
ハトムギは、晩秋の楽しみの1つでもある。

ハトムギを播くついでに、ブロッコリの秋作を予定している畑に、燕麦を囲うように播く。
夏ごろまでに繁茂してくれれば、そこが蛙や名もなき虫たちの住処になってくれる。
うまくいけば、害虫の被害も少なくなるだろう。
昨年はそれなりだったが、今年はどうだろうか。
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友人の結婚披露宴パーティーに参加。
自宅で行われた宴で、普段着での参加。
新婦は韓国の人で、新郎新婦とも韓国の衣装だった。

パーティーでは、新郎がこれまでの人生でお世話になった人を紹介していた。
その一人一人をみていると、人間多くのいろんな人に世話になりながら生きているんだなぁ、と実感。やはり結婚のパーティーはいい!大きな関係性の輪の中に入った、という実感がある。
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06 02
2007

先日見学に来た、商売敵になるかもしれない彼。
今度は僕が、彼の圃場を見学に行った。
人物に興味があるときは、どうやって相手に話をしてもらうかが、肝心なのだが、それがなかなか難しい。
しかもその相手が、自分を語る事を自重している時などは特に。

ただぽつりぽつりと話をしていた中で、やはり僕だったら躊躇するだろう、徹底したある感覚が垣間見られた。
物を売ることに対しての自信は、それなりの経験から来たものなのだろう。

『農業のコンサル業をやっていて、こうやったらもっと売れるのに、農家がそれをやろうとしないことが多い。』
『だから、いっそ自分でやったほうが早いんちゃうか?と思って、やり始めました。』
と彼。

うーん、面白い。実に面白い。
彼の姿勢も面白いし、さらに僕には、なぜ農家がそれをやろうとしないのか?というその農家も面白い。
その点を、じっくり酒でも飲みながら話がしたいものである。
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娘の通っている保育園の父母会に入っている、のは以前も書いた。
今晩はその懇親会。

妻が学会出席のため不在だったので、当初懇親会参加を見送ろうかと考えていた。が、扁桃摘出の手術の間、役員会やら総会やらがあったらしく、そのすべてをすっぽかした本人としては、今回は顔を出しておきたかった。そこで娘を実家に預け、出席。

ちかくの居酒屋で懇親会だったのだが、驚いたことに、僕以外は子供連れ。しかも大人より子どもの数の方が多い。貸しきったテーブルの周りを、2歳になるかならないかの子から今年小学校に上がった子までが、全力で、しかも何周も何周も、永久運動機関のように走り回る。挙句の果てには、飾りでセットされている外の庭に裸足で飛び出し、みなそこではしゃぎまくる。それでも父母会のお父さんお母さんは、少しも動じることなく、酒を飲み進め、飯を食らうのである。う~ん、負けた。なんとも言い表せないのだが、ただただ、負けた。

娘のかよう保育園は、クラスの編成もずいぶんフレキシブルで、大きい子が小さい子の面倒を良く見られるようになっている。そういうこともあってか、今晩の懇親会でも、大きな子が小さい子の面倒を良く見ていた(庭に小さい子を連れ出したのも、奴らなのだが)。

こんなんだったら、娘を連れて行けばよかった。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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