本日来客あり。
商売敵といえば商売敵かもしれない。

隣の自治体の丘陵地振興政策に乗っかって、ある若者がやって来た。昨年の話である。
うちの3倍ほどの面積でベビーリーフを大量に生産して、うちの半値ほどの値段で市場に出荷するという計画書を携えて。しかも計画書にあった彼の肩書きは、中小企業診断士・他県の農業経営スペシャリスト等々。

はじめこの話を人伝に聞いたときは、戦々恐々だった。今でも、その恐怖感は拭えない。
その彼、ベビーリーフの生産を見たい、ということで、我が農園にやってきたのだ。断っても良かったのだが、どうせベビーリーフなんてものは特別な技術を使っているわけでもないので、うちを見学しなかったから栽培できないというものでもない。そんなことよりも、僕よりも若いその彼を『農業経営スペシャリスト』というなんだか恐ろしげなカテゴリの男にしておくより、実際にあって生の彼と知り合いになるほうが、恐怖感はなくなるのではないか、と考えた。で、見学を受け入れることに。

会ってみると、印象は普通の好青年。ただ見学を受け入れている立場なので、あれこれと彼について詮索はしなかった。見学後、さっそく彼の圃場で彼と会う約束をする。今度はいろいろと聞きたい事がある。県外から、また農業外から農業の世界に飛び込んでくる若者は、僕ら『農家の跡取り』にはない発想が常にある。増してや彼の場合、僕の知らない世界の肩書きばかりを持っているのだ。彼の農業に対する発想や視点、考え方を知りたい。それが僕の視点を肥やしてくれるからだ。

一緒についてきていた普及員さんは、『こうやってやってくる若者は、2人に1人しか定着してくれないんだよねぇ』と言っていた。その地域の風土は、地の人(土)だけで作られているわけじゃない。彼のようなよそ者(風)がいろんな考え方を運んできて、それらが一体になって風土になるのだ。定着するかどうか、また商売敵になるかどうか、は別として、僕ら地の人間は、もっとよそ者の考え方に敏感になり、それを受け入れていく必要があるのだろう。

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少しずつだが、自家菜園の作物も収穫ができるようになってきている。
ソラマメ・レタス数種・にんにく・玉ねぎなどなど。

それらを収穫しながら、今日はオクラの種を播いた。近所のおばちゃんが八丈オクラの種を持っていたので、それを少し分けてもらい播いた。オクラだけで4種。

何かを収穫しながら、何かを播いていく。1作1作途切れているものではなく、1作1作がつながっていくように作付けする。それでも途切れてしまうのは、僕が農の息遣いを会得していない証拠。だんだん品種も増えてきて、作業や管理も複雑になっていく。夏に向けてまだまだ種まき・定植は続く。混乱なく菜園をきりもりするのは難しいが、その複雑さが楽しくもある。
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05 29
2007

妻がネットで知り合った友人が2人、来園。
2人ともうちと同じ年頃の子供がいる。つまり子育てつながりの友人。

なにやら有機栽培やマクロビに凝っている人がいる、と妻から聞かされていた人で、いつかそういう人たちともお知り合いになりたい、と思っていたので、今春、忙しい中暇を見つけては、収穫体験が出来そうな菜園づくりをしていた。今日はその菜園を見に来てもらったのだ。ただ残念ながら、今はまだ収穫できそうな野菜はないのだが。

ネットつながりで初対面ということもあり、お互い緊張緊張だったが、子供が自由に収穫できる菜園は、気に入ってもらえたようだ。こういう交流がすこしずつ増えていくと良いなぁ。農業や食といった事も、子育てを軸に話ができると良いなぁ。
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渡部 忠世 編集 『日本農業への提言』:文化と技術の視点から.2001年.農文協.

農耕文化研究振興会の機関誌『農耕の技術と文化』に寄稿された論文等をまとめた本。

本書は3部に分かれており、『農業・農村の基本的価値とその発揮のさせかた(第1部)、社会経済の基底を担い、20世紀物理学の時代に代わる21世紀生命科学の時代を先導すべき食料生産・農業技術というものの意味や課題(第2部)、そのような課題を背負う将来世代の育成にかかる農業教育(第3部)など』を論じている。執筆者は12名で、そのほとんどが農学者。田舎の文化からバイオテクノロジーと論旨は多岐にわたる。だが、やや乱暴だが、本書の執筆者が農業への提言として伝えようとしていることとして通底している農業認識というのは、食糧生産としての農業、である。そのためか副題に文化と技術とあるが、それはあくまでも生産としての文化と技術でしかない。農業を生産として捉えている以上、これらの論文は、僕にとっては違和感が付きまとう。生産が先行する農業理論は、つねに農村の文化を素通りし、最終的に人口と食料、そして生産のバランスに収斂していく。

かつて守田志郎が、『日本社会の錘』として農村の実情や村人の精神の習慣を描ききったが(『日本の村』『むらの生活誌』等)、第1部の題として、同じ日本社会の錘という題をつけているのだが、むらから発した農業観ではなく、国家による制度で作り上げられてきた農業からの視点で書かれている。一部田舎の文化についてかかれた論考も見られるのだが、その他ほとんどが農業そのものばかりに目が向いており、本来それをささえている農村を無視した形になっている。この手の本は、実際に知識として得られる情報がどうか(提言されていること)、というよりも、一体どのような視点で書こうとしているのか、が重要に思われる。『提言』をするという行為は、そこに何かしらの問題意識を持つことであり、その問題の捉え方こそが、その人の精神の習慣を明らかにしている。そういった意味では、本書は、農学者が一体どういう農業の見方をしているのか、その精神の習慣を見るには適しているのではないだろうか。
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当然といえば当然なのだが、アブラバチやカゲロウといったアブラムシの天敵がハウスの中で確認できるようになってきた。ただ、ハウスごとにその密度が異なる。

普段、ハウスの周りは除草剤などを使って、徹底的に除草している。しかし一部のハウスでは、実験的にミントを植え込んで雑草の繁茂を防いでいる。それらのハウスでは、ムギクビレアブラムシが大発生しない。徹底的に除草しているハウスでは、ムギクビレアブラムシが大発生して、天敵が入ってきてはいるが、手に負えない状態。そしてそれら両者の一番大きな違いは、『ただの虫』の種類の差である。ミントの緑に覆われているハウスでは、名前もわからない『ただの虫』が沢山いるのだ。

ハウス周りの徹底した除草は、病害虫の防除として一般的に言われているのだが、その『一般的に言われている』ことに疑問を感じるようになってきている。手法的なことじゃなくて、防除の考え方根本の問題のような気がする。
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味覚が戻ってきた。
医者曰く、甘いという味覚は一番最後に戻ってくる、とのこと。その甘みの味覚がほぼ戻ってきた。ということは、ほぼ完治ということなんだろう。

そこで、お見舞いをいただいた方々へ、快気祝いを持って歩く。
また、ここ2日ほど連続で、お気に入りのレストラン(イタリアンとフレンチ)でランチをする。味覚があるのは素晴らしい。喉が痛くないのは素晴らしい。

今日行ったレストランのサレポアでは、帰り際にお土産をもらう。快気祝いの夜にぴったりのVサインの品。なにやらイワクツキのものらしいのだが、とても美味だった。ただ『1つ』だと思ったのに、『3つ』も入っていたのでびっくり!何かお返ししなくては。
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新婚ほやほやの友人が遊びに来る。
奥さんは、韓国の人。

相手が同国人でも、結婚となるとカルチャーショックをうけるものなのだが、それが彼の場合は、異国の人。さっそく、洗濯機は布団が洗えるやつがいい、とのたまう奥さんにカルチャーショックを感じていたようだ。

夫婦が長くなると、この手の意識のズレは面倒に感じたりするのだが、新婚の友人は、そのズレを楽しんでいるようだった。実はそういうものだったことに気がつかされる。これから一つ一つ、お互いのズレを解消しながら、2人の生活を作っていくのだろう。ズレは決して無くなりはしない。ただ大きなズレが、どんどん細かくそして小さなものにはなっていくだろうけど。そのズレを解消し合うプロセスこそが、お互いが一緒に生活することの楽しみだったんだ。

そんなこともすっかり忘れていた今日この頃。若い夫婦に教えられた夜。
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ハウス内にムギを播いている。
なにもムギを収穫するためではない。
ムギを『バンカープランツ』として、植えているのである。

簡単に言えば、ムギにつく害虫をもって天敵をハウス内に飼う、ということ。陽気の良いこのごろ、目論見通り、ムギにアブラムシ(ムギクビレアブラムシ)がついてくれた。あとはこいつ(ムギクビレアブラムシ)目当てに、アブラバチなどの天敵がハウス内に入ってきてくれるのを待つばかり。さらに贅沢を言えば、アブラバチなどを捕食する虫も増えてくれれば、ハウス内の虫がより多様化してくれるのだが。

ムギクビレアブラムシは、イネ科の植物以外には寄生しにくい。ので、ハウス内にある作物には寄生しない(ハウス内は主にアブラナ科の野菜)。しかし、アブラムシに寄生するアブラバチは、たとえ相手がムギクビレアブラムシだろうが、モモアカアブラムシだろうが、ワタアブラムシだろうが、頓着しないでバリバリとやっつけていく。つまり、作物についたアブラムシをどんどんやっつけてくれる、はずなのだ。そう、『はず』なのである。

何事もやってみなくちゃわからない。果たして、効果の程はどうだろうか。
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喉の状況。
入院中、とにかく気をつけていたのが、くしゃみ。ちょっとした振動で、喉の傷が痛むことと、再出血しやすい状況だと聞かされていたので、大きな振動となるくしゃみには気をつけていた。それが今日、油断したのか、大きなくしゃみをする。が、何てことなかった。まだあくびの方が、痛い。喉の傷が縦に伸びるような感じで、あくびのたびにぴりぴりと痛む。

良く言われている手術の後遺症として、味覚があげられる。扁桃摘出は、口を通じての手術のため、いろいろな道具を使って口を大きく開けさせられる。そのため唇の端は、必ず切れてしまう。また舌が邪魔なので、金具でずいぶんと押さえつけられるようである。この行為のため、術後暫くは味覚障害がでるとのこと。僕にもそれがある。入院中はあまり気にならなかったのだが、喉や舌の腫れが引いた今、ずいぶんと顕著に現れてきた。舌の右半分の味覚がおかしいのである。何を食べても、すっぱく感じてしまう(たとえ甘いものであっても)。左半分は正常なので、甘いものを、例えばプリンなんかを食べるときは、出来るだけ左で味わうようにしている。右側にプリンがいってしまえば、どんなにおいしいプリンもなんだか腐った卵豆腐のような感じなってしまうのだ。

はてさて、いつまでこの障害が残るのだろうか。
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畑に出る。
畑といっても、食べるために作っている自家菜園のほうだが。

入院している間に、ずいぶんと強風が吹いたらしく、菜園の野菜は全体的にダメージを受けていた。特にトウガラシ(インドネシア品種)の被害が大きい。手術前は忙しくて出来なかった支柱立てなどを、遅ればせながらもする。

今年から自家菜園を2箇所に分けたのだが(栽培品目が多くなったので)、昨年から使っている畑の方は、強風の被害はあまり受けないで済んだ。というのも、ずぼらに残しておいた春菊が花を咲かせるくらいに大きくなり、防風の役目を果たしてくれたからでもある。

残しておく、というのもたまには良いものだ。
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内山 節、竹内 静子 著 『往復書簡 思想としての労働』.1997年.農山漁村文化協会.

働くということは、どういうことなのであろうか。
本書では、自然との関係で労働を考える哲人・内山と労働社会学の竹内が、お互いに書簡をやりとりするという形で、『労働』をテーマにお互いの意見をぶつけ合いながら、労働のもつ意味を深めていく。本書で議論されている『労働』の大きなテーマは、大胆にまとめれば、『価値』『関係性・相互性』『科学技術と技能』『自然に対する認識』とそれらすべてに関わる『近代性』(もしくは近代的合理主義)であろう。

まず本書では、労働を自分の目的を『自己実現』していくものと捉える考え方は、『労働を日常的な営みから切り離してしまった近代人たちが、自分の労働に意味付けをしなくてはならなくなった時代の発想』(p36)であると批判し、それはとりもなおさず、『狭義の労働』であり、本来議論されなくてはならないのはもっと幅広い労働を包括する『広義の労働』であると指摘している。ここでいう狭義の労働とは、経済的価値の生産に関わる労働をよぶ。広義の労働とは、経済的価値の生産だけに関わらず、日常の営みの中に埋め込まれたすべての労働をよぶ。その中では地域の中での関係づくりの労働も含まれる。

ではなぜ、労働は日常の営みから切り離されて、またはそう認識されるようになったのであろうか。近代的合理主義・科学主義が資本主義的生産様式と結びつき、そこでは人間労働に時間や数量が導入された。そのことで労働を市場経済の価値によってはかられるようになったのである。しかし労働の持つ価値の議論では、内山と竹内は市場経済的な『交換価値』だけにとらわれず、『使用価値』を高めていく労働もあることを指摘している。そしてそこには、市場を介して分断された人々の労働の相互性が、今も失われていないことを明示している。自己実現といった他者との関係性の欠如は、貨幣をもって消費者に変えられてしまった労働者の『精神の習慣』(p60)からくるものであろう。

日常の営みの中では、長年の経験から得た『技能』こそが労働を高めるものであった。しかし、それが近代的合理主義を土台に築きあげられた『科学技術』によって、その意味が失われつつあると批判する。しかし、本書の中では、技能と科学技術が2項対立的に議論されているように読めるが、僕はこの見方について諸手をあげては賛同できない。技能と科学技術が対立する問題点は、それぞれのそのものの技術に問題があるわけではなく、技能を持ってして科学技術を御しえないところにある。科学技術を使いこなし、時には現場に即して改良を加えたり変更したりというのは、技能のうちに入るであろう。しかしながら、科学技術が生まれてくる経緯に、それを使用する一般の人々がどこまで関われるかが問題のようにも思う(またはそもそもその技術の発意が、現場で使用する人の必要から生まれているのだろうか、という守田志郎的問題)。また技能を発揮しようにも、科学技術のメカニズムがブラックボックス化になっているのも問題だろう(常にブラックボックス化しているわけではないだろうが、とても一般人が平易に理解できるものではない場合が多い)。それらの問題が、われわれを技能でもって科学技術を、その場その場で改良し変更しようという意思を削ぎ、ただ単に市場を介して古くなれば新しい科学技術を購入するだけの消費者へと押しやっているのではないだろうか。以上は私見。

本書ではまた、労働と自然に対する関係にも議論を深めていく。近代的な労働観では、自然は人間の経済=生産活動の手段として、『人間から自然に対する一方的な交通しか生み出されない』(p109)。だが、かつて農民は、『多職の民であったという通り、その地域の自然、風土をいかした様々な労働があったわけで、そこには地域の自然、独自の風土に根ざした自然との相互性、自然の内部の相互性=生態系を維持しつくりだす技能が蓄積されてきた』(p110)。そこでの労働は自然に対して一方的な交通ではなく、人と自然との相互的な交通によって生み出されてきたものなのである、と指摘している。

また相互的な交通は何も自然との間だけではない。本来、労働とは他者を巻き込んだ『場』で相互的に行われている。そこに労働を通して得られる喜びや誇り、そして満足感があるのだろう。労働を通して得られる貨幣は、それら満足感の十分条件ではあっても、決して必要条件ではないのだ。

ではなぜ、誰もが賛同するような上記の意見があるにもかかわらず、労働が狭義の労働として捉えられ続けてきたのだろうか。内山は言う。『論理的な研究をおこなうためには、その論理の出発点になる概念が、客観的に定められる概念でなりませんでした。(中略)たとえばもっと誇りをもって働きたいとか、人間らしい労働をおこないたいというような思いを軸にして、思想をつくりだすことはできますが、その思いを軸にして論理的な理論をつくることは困難をきわめます。なぜなら、「誇り」とか「人間らしい」という概念を、客観的に表現することができない以上、客観的な理論もつくりだしえないからです』(p150-151)。これを踏まえて、内山は重要なことをわれわれに提示する。『どうやら私たちは、論理的であることを万能のものとする思考を、捨てなければならなくなっているようです。もちろん、論理的にとらえられる程度のことは、論理的にとらえてもかまいませんが、人間にしても労働にしても、存在にかかわることがらは、この方法ではとらえられないのではないでしょうか』(p152)と静かに批判する。これらは、現代の社会学や人類学に課せられた大きな課題といえよう。

労働から近代性を明らかにし、それ以上に我々の思考のあり方、また現在われわれがとらわれている『精神の習慣』をものの見事に描いた良書。論理的思考そのものを批判するくだりは必読。往復書簡という形では、テーマごとの議論が明確に絞りきれない側面は否めない。が、それでも議論のプロセスに沿って、同時思考を深められるという点では、より大きな知的興奮を得られる本である。

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守田 志郎 著 『農業にとって進歩とは』.1978年.農山漁村文化協会.

近代化していく農業は本当に進歩なのだろうか。
守田は本書を通してそう何度も問いかけてくる。

本書が書かれたのが昭和53年であるため、書かれている事例を現在と照らし合わせてみると、少々ズレを感じる部分もあるのだが、根底になっている思想は少しも色あせていない。
守田はまず『田んぼとのつきあいが「自由」に行われているだろうか』と問う。本書で取り上げられている麦の事例では、稲作の機械化(自動耕運機・田植え機・コンバイン)が進むことで、稲作専一になってしまい、昔から行われていた麦との輪作が自由に行えなくなっている、と指摘する。現在では、逆に高度な機械化が進められた結果、麦との輪作は多少の困難が伴うものの、まったく無理とはいえない。だからといって、守田の思想が古ぼけているとはいえない。守田は本書の事例を通して、農民の農業に対する自由な試みが、進歩だと思い込まれている技術(思い込まされている技術)によって、阻害されているのではないか、と指摘しているのである。

本書では、その時代性から、NPKだけではかられる化学肥料を批判するが、これも根底にある思想になんら古さは無い。守田の視点に立ってみれば、現在の農業においてたとえ有機肥料だとしても、同様の批判が言えよう。守田は、農民の自由な試み(生活と生産が何れともつかない関係の中で営まれる場合)によって生まれる土を肥やすという概念が、肥料のみの議論に終わらない事を指摘しているのである。

育種についての議論は、卓見である。江戸・明治期には、育種の主導権は農民にあった。そこには農民それぞれの生産と生活が渾然一体となった中から生まれてくる価値観に、その方向性がつけられていたのである。補論となっている品種革命の節では、農民の品種育成がどういうファクターにモテベートされていたかを明示してくれている。現在の育種の方向性を検証する場合、守田の視点は有効であろう。特に以前読んだ、河野 和男 著 『自殺する種子』:遺伝資源は誰のもの?(2001年 新思索社)などではまったく議論されていない部分が、本書を読むことでその考察のヒントになるであろう。また、大豆生田 稔 著 『お米と食の近代史』(2007年.吉川弘文館)では品種や農民の育種について全く触れられていなかったのだが、本書と合わせて読むことで、米の近代史の風景がずいぶんと印象の違うものになると思われる。

本書において、もっとも卓越した批判が機械化についてである。守田は、農機具の改良や進歩といわれている技術は、本当に農家の必要から生まれているのだろうか、と疑問を呈している。『できたものが役に立つか立たないかはともかくとして、誰がどういうふうに改良してきたか、そこに農家の人がどう参加してきたかをみてみれば、すぐわかることである』(p141)。現状では、機械に農業を合わせており、それはとりもなおさず、機械に生活を合わせることだ、と批判する。
『農家の人が自分の家の農業と生活のやり方を決めたら、それに合った機械、その手助けとなる機械を求める。求めるものと別なものがくれば、それを拒む。それをくり返し、そしてつづけていれば、機械屋さんは、そういうものをつくらなければ商売にならないことに気づくのではなかろうか』(p168)。

守田は一貫して、農民の農の営みにおける自由な取り組みを取り戻すように訴えかけている。生活と生産が何れともつかない関係の中で営まれる農業では、進歩と思われている技術によって、知らず知らずのうちにその生活すべてが従属化に置かれることになることを、守田は平易な文章をもって、しかも力強く批判しているのである。

農業の固定観念から脱却したいのに出来ないでいる農家は、必読。
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桐谷 圭治 著 『「ただの虫」を無視しない農業』:生物多様性管理.2004年.築地書館.

本書では、どの虫にどういう防除をすべきか、といった詳細な情報は多少あるが、それほど多くは無い。本書の射程は、病害虫防除の理念の変遷と、これから求められる防除とはどうあるべきなのか、といった方向性を示すことにある。

農薬が発明されるまでの農業は、『守る防除』であった。それが農薬の登場で『攻めの防除』へと変わっていく。戦後まもなくの頃は、消毒防除の時代で、畑に作物以外の生命の存在を徹底して消すことが目的だった。しかし『消毒思想』は、環境破壊と害虫の抵抗性を高めさせ、さらには害虫の誘導異常発生(リサージェンス)を引き起こさせた。また本来害虫でなかった準害虫が、新たな害虫として猛威をふるう結果となった。その反省として広く受け入れられたのが、IPM(Integrated Pest Management:総合的有害生物管理)の考え方である。IPMとは、本書が引用している定義で言えば、『収量の維持または増加を図るため、環境や社会へのリスクを最小にして、なおかつ農家の利益にもなる防除手段の合理的な組み合わせシステム』(p29)である。しかし桐谷は、IPM(総合的有害生物管理)の思想を一歩踏み込んで批判する。『管理の思想は、水田とその周辺部も含めて管理の対象とし、経済的で被害許容水準(EIL)、要防除密度、費用対効果費などの経済的概念がその主軸を占めている。したがって害虫がIPMの過程で絶滅しても、害虫であるがために問題にしない。IPMでは「ただの虫」を含む生物への影響は最小限に抑えようと努力する。しかし、しばしば生産を最終目的とする農生態系では自然保護、生物多様性保全と対立する』(p35)。その上で桐谷は、IBM(Integrated Biodiversity Management:総合的生物多様性管理)を提唱する。

IBMは、防除と保護・保全を対立ではなく、両立させるために提案された理論である。IPMでは各種の害虫の密度を経済的被害許容水準以下に維持管理するのに対し、保護・保全では対象種(害虫も含む)の密度を絶滅限界密度以上に引き上げる努力が要求される。病害虫の被害をある程度受け入れながらも、それらの種が絶滅限界密度を割らないようにするのがIBMの考え方である。桐谷は、病害虫・雑草を防除する「生き物を殺す技術」と保護・保全といった「生き物を育てる機能」の両立を目指すものである、と主張する。

本書は、IBMを目標としている割には、実際IBMに関する記述は少なく、事例もあまり取り上げられていない。本書の大部分が、IBMにたどり着くまでの各農法に対する考察で占められている。また著者の立ち位置にも疑問を感じる。本書の冒頭は、世界の膨張する人口と食糧確保問題から入っており、『食糧の安全保障』という言葉を持ち出し、それを確保することを暗黙の前提として論を展開している。しかし、農法的な問題の捉え方で、食糧の安全保障が確保できるとは到底思えない。本書の射程ではないのだろうが、現人口において食糧は過剰に生産されているにもかかわらず、食をめぐる農業の構造的な問題により、その安全保障が達成できてはいないのが現状である。著者は『食糧の安全保障』から、有機農業を批判するが、食糧の安全保障の問題は構造的な問題であるにもかかわらず、方便的に農法的な問題にすりかえられているのには、少々困惑する。IBMの理念には諸手をあげて賛同するし、今後自分の農業環境に大いに取り入れて行きたいが、農法(農業技術)先行の思想に対しては、少し距離をおいて考えたい。
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気がつけば、5月も半ば。悠長に時間を過ごしてしまった。

昨夜から今日にかけて、うそのようだが、上向きで寝ていた。朝方、鼻がつまったためか呼吸が出来なくなり、目が覚める。まだまだ喉が腫れているのだろうか、上向きの微妙な傾きによっては、鼻で息はし辛い。5時ごろ目が覚めるのだが、覚めると同時に右側の喉の傷が尋常じゃないほど痛む。昨日瘡蓋が取れた方である。仕方なく、その時間に痛み止めを飲む。なかなか痛みが引かないため眠れず、そのまま読書。何かに集中している方が、痛みを感じにくい。

さて、いよいよ今日退院。昨日よりも体調も良く、気持ちの面でもずいぶん楽になった。瘡蓋がとれて出血したときはずいぶんと落ち込んだが、昨日の和子の面会でずいぶんと元気になる。また夜間違えて出された肉じゃがを、なんとか食べられたのも大きな自信となった。痛み止めを飲むタイミングと食事時をうまくあわせれば、何とかなるだろう。

退院前に診察あり。医者の見立てでは、もう大丈夫、とのこと。だが、相変わらず瘡蓋がとれたあとがじりじりと痛む。激痛も昨日と変わらずで、こんな調子で退院できるものなのかと、少し不思議に思う。

退院前に看護士が来て、今後の参考にするので食事のメニューについて教えて欲しい、という。なので、なんでも頑張って食べますが、お酢だけはどうにもなりません、と伝えておいた。パソコンで管理されたメニューに、病棟の看護士の意見がどう繁栄されていくのかわからないが、今後も僕のような悲劇を味わう人は後を絶たないだろう。

ちなみに昨日、かなりクレームをつけた食事は、結局副食に関しては固いものばかりのままであった。酢の物もでていたし。カテゴライズされ合理的にパソコンで管理されたメニューを、変更することは難しいのだろう。病人の方が合理的な管理手法に体を合わせなさい、とでも言いたいのだろうか。

とにかく、今日退院。
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今日退院。なのだが、今朝は痛みがつよくて3時ごろ目が覚める。切除した部分に唾があたることで、ひりひりと痛んだ。上向きで眠れれば、あるいはその痛みも少ないのだろうが、上向きではのどちんこが弁になるのか、息がし辛く、とてもまともに呼吸が出来ない。腫れが引いてくれば、上向きで眠れると医者からも言われているのだが、一行にその気配はない。いつになれば上向きで眠れるのだろうか。

瘡蓋が徐々にはがれているのか、今朝の痛みは昨日に勝るとも劣らない。家に戻ったら、食べるものをやわらかくしてみよう。入院を続けるということも考えないでもないが、同室の人が夜遅くまで窓を開けているせいか、ずいぶん寒い。それに食事がつらくて大変でもある。自宅療養のほうが気は楽だし。やはり今日退院しよう。

と思っていたら、朝食後、唾に大量の血が混じる。急いで主治医の診察を受けると、大きな瘡蓋がとれた。出血は止まっていて、今日退院でも大丈夫だ(止血の飲み薬もだすので)、というのだが、こんな状態では家族に迷惑をかけるだけでしかない。なので、今日一日は入院を延長することにした。それと同時に食事を5分粥までもどしてもらった。副食が固すぎたことが、今回の出血の原因だと思うから。退院後も副食は出来る限りやわらかいものを食べるとしよう。とにかく、退院は1日のびた。

昼食は5分粥だった。副食もやわらかいものばかりだったので、なんとか完食。だが夕飯が違っていた。ご飯のみが5分粥で、副食は全粥と同じものだった。ちなみにメニューは酢のもの・肉じゃが・おひたし、である。ここの食事管理はどうなっているのだろうか。こうも度々へまをされるとさすがに腹がたつ。パソコンで管理されている割には、うまく機能していない。いや、そういう管理のしかたが、こういう雑なミスを犯すことになるのかもしれない。

それでも腹はすいているので、肉じゃがだけは食べた。どうもお肉が食べたいようである。煮物のお肉を明日は食べてみるか。

早く帰りたい。
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なんてことだろう。朝の3時ごろに喉に激痛あり。なんとかうがいをして、眠りにつこうとするものの、唾を飲み込むたびに痛くてまどろむ程度で朝を迎えた。ここに来て痛みが出てくるのはどういうわけか。この時期になれば、普通は痛みが治まるほうに行くはずなのだが。ちなみに今の痛みを扁桃炎にたとえてみると、一番痛いときの2倍、いやその倍は痛い!最も痛いときには、耳の奥まで痛みがあり、頭全体がカーッとなるほど痛い。

6時ごろ、とても寝ていられなくなり、とりあえず気を紛らわせるため散歩する。朝日の当たるソファーに座ると、太陽光の暖かさで徐々に喉の痛みが緩和した。太陽の力はすごい!30分ほど全身に日光を浴び、その後部屋に戻り鎮痛剤を飲む。現在は7時だが、鎮痛剤が効いたのか、痛みは治まった。お茶を飲んでも、唾を飲んでも大丈夫。喉の腫れがひかないのが原因だろうか。それとも瘡蓋がとれて、痛みが一時的に増しているのだろうか。ともかく、こんな調子では明日退院になるのだろうか、それだけが心配でもある。たとえ退院になっても、この調子じゃ、うちで養生もしていられない。

朝食。味噌汁は調子よく食べられたのだが、納豆が難関だった。2度ほどベッドにもだえながらも、意地で完食。こうなれば気力で勝負しかない。カッと来る性格をエネルギーにかえて、一気に食事をとることにしよう。

朝食後、たまたま主治医が部屋の前を通ったので、昨日からの痛みを報告。すぐに診察。傷はきれいだとのこと。一部瘡蓋がとれており、そこが痛むのでは、といわれる。やはり瘡蓋だったのか。そう思うと安心。良く噛み砕いて、根気良く食事をとることにしよう。すべての経過をみている主治医に見てもらうのが一番安心する。


その後、また診察を受ける。主治医ではなかったのだが、その医者曰く『これくらいの時期に痛みが増す、という人はたまにいます』とのこと。その『たまに』が僕にあたったのだろう。瘡蓋がとれて、生傷がむき出しになっているようで、そこが痛むようだ。退院の話をするが、『それは主治医から連絡があるでしょう』とのこと。明日、退院できるのか?


そうそう、緊急入院緊急手術だった男性は、この日の診察にも来ていなかった。まだ歩ける状況ではないのだろう。間違いなくこの病棟に居るはずなのだが、まったく見かけない。南無~。


昼食。ハンバーグや卵焼き、煮びたし、マカロニサラダ。どれもこれも喉にはすこぶる難関で、あまりの痛みに、汗をぽたぽたとかきながら食す。心頭を滅却すれば、火もまたすずし。そう念じて、とにかく食べまくる。この痛みが何かの病気ではなく、瘡蓋がとれたことによる痛みだとわかったので、どんなに痛くても心配がないと腹をくくり、ひたすら食べる。完食。

夕方主治医の指示があり、明日退院ということになった。いよいよ退院だ。といっても、食べるたびに激痛が走り、とてもつらい。瘡蓋がはがれて、その部分がしみるのだ。主治医はあまり痛むようなら問題だ、というのだが、僕に言わせれば、ここの食事がしみるようなものばかり出すことに問題があるのではないかとも思う。この瘡蓋の1件も多分ここ数日の話だろう。

さて夕飯。退院が決まったこともあり、無理する事をやめた。というよりも、この食事で出た酢の物は、僕をそう思わせるほどのパンチ力のあったものだった。約7割ほど食したが、そこで断念。あまりの激痛で耳の奥まで痛く、もがき苦しんでもなかなか痛みが消えない。酢の物ともやしのしょうゆ和えだけを残し(酢の物は3割・しょうゆ和えは7割)、後は完食。退院したら、数日はこういう刺激物は食さないでおこう。瘡蓋さえ癒えれば、また以前のように食べることには問題がないはずだ。食べていて思ったのだが、固形物で食べ難いと思われた焼き魚やハンバーグは比較的食べやすいということ。難関だと感じるのは、酢やトマトなどのすっぱいものを使った料理。頭の芯までしびれるような激痛が走る。今日の夕飯で出た酢の物を食していたとき、傷みの最高潮には、あごが痛みで小刻みに痙攣するほどだった。しかしその痛みも食後20分もすれば、跡形もなく引き、普通に戻ってしまうのである。

明日にはこの瘡蓋ももう少し癒えて欲しい。
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今朝は、喉の傷がすこぶる痛かった。

腫れぼったさはずいぶん取れたのだが、今朝は逆に傷の部分がひりひりと傷んだ。また耳の後ろが腫れぼったい感じもあり、痛む。どういう状況なのか、自分で喉を見られないので解らない(たとえ見えたとしても解らないが)。かさぶたが取れ始めていて、それで痛いのだろうか。7時に飲む痛み止めを、たまらず6時過ぎに飲む。薬が効いてからは、うそのように痛みはない。

それでも朝食を食べるのは往生した。喉を通過するたびに痛みが走る。それでもなんとか完食。脂汗をにじませながら完食。

診察を受ける。普通は日曜日は診察がないのだが、今朝看護士に痛みについて訴えたところ、診察の段となった。結果は特に以上はないとのこと。手術後の腫れが引いてない、と言われる。痛み止めは今日までだったのだが、継続ということになった。

昼飯もなかなかの地獄。煮豆の甘さが喉に絡み、痛い。煮物も喉に絡むようで痛かった。今頃になって痛みがでるなんて・・・。それでも点滴は嫌だし、早々に治してしまいたいので、出来るだけ頑張って食べる。脂汗をかきながらも完食。

そして夕飯。これが大変だった。もはや意地である。これは病院の入院に関するタイムテーブルとの戦いだ。ここまで来て、痛くて食べられません、などと弱音を吐く気は一切ない。脂汗がにじみ、あまりの痛さにベッドに顔をうずめたり、その場で地団駄踏んだりしながら、食事を進めている。今日の最大の難関は、酢豚。お酢の味が喉をえもいわれぬ痛みへと導いてくれた。固形物率も高く、量も最も多かった。それを最後に、発狂するのではないか、と思わんばかりに、喉にかきこんで完食。食後、暫く動けず、あまりの痛みにうずくまった。

自己判断をするに、今日のこの痛みは、傷口の瘡蓋がとれてきたのだと推察する。とれて敏感になっている傷口に、今日の食事はあまりにもハードだった。毎食後、次の食事は何か、と廊下に張られているメニュー表を見るのだが、決して楽しみからではない。そう、次の戦いに向けて心の準備をするためである。明日のメニューをみると明日も今日以上にハードのようだ。明日も頑張ろう。

晩御飯を無理して食べたからなのか、熱がでる。37.4度。ここに来て調子が悪くなるなんて・・・。なんとか火曜日に退院したい。
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今朝の喉の痛みは、それなりにあった。夜中、唾を飲み込むときの痛みで、数度目が覚める。7時に痛み止めを飲んでからは、うそのように痛みはなくなったのだが、まだまだ喉は腫れている状態なのだろう。

同室の男性(爺さん:鼻から管が通っていて、話せない)が暑がりということもあり、夜中結構冷え込むのに、窓を開けたまま寝るので、往生している。おかげで鼻水が出て、痰が喉にからむ。前に、看護士にその旨を伝えたのだが、しばらくは窓を閉めてくれるものの、その男性がナースコールをかけて、窓を開けさせてしまうのである。今朝の喉の痛みは、そこからくるのだろうか。重ね着して寝ることにはしているのだが。

今日から7部粥。食べ応えはある。廊下に張ってあるメニュー表をみてみると、全粥と同じ副食のようで、退院までこの量の副食になるらしい。塩気のある副食も多く、大変満足。ただ今日は喉が少し痛むので、昼のメニューにはすこし往生した(魚の煮付け)。

夕飯。トマトソースのミートボールが出た。これがなかなか厄介で、喉にしこたましみるのである。途中で完食を断念しようかと思うほどのものであったが、ここまで完食してきたのだから、と最後まで食べた。昼寝をしていたせいか、お腹があまり減っておらず、そのことも完食しようという意思を鈍らせたようだ。とにもかくにも完食。

今日と明日は、土曜日・日曜日でもあるということで医者の診察はなし。今日はすこし痛みが変わったような気もするので、明日の朝、異変を感じるようなら、特別に見てもらうようにお願いしてみよう。痛み止めも明日一杯で終わりになる。もう痛み止めを飲まなくても平気なのだろうか。朝方などは特に痛むのだが。
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喉の腫れはひいた感じがするが、喉の痛みは変わらない。
というよりも、腫れていて解らなかった痛みが、ようやく今頃になってじわじわと痛みだした感じもする。唾を飲み込むたびに、痛む。ただその痛みは、扁桃炎で一番腫れている状態より1割増し程度である。

今朝から点滴が無くなり、抗生剤も飲み薬になった。

午前中診察あり。経過は順調とのこと。今朝方、すこし耳が腫れぼったい気がする、と伝えると、すぐに見てくれた。口蓋扁桃を摘出すると、中耳炎を併発する人がたびたびいるそうだが(切開する部分と耳とつながっている管とが2㎝ほどしか離れていないため)、現在のところその心配は無いとのこと。

プリンを売店で2個買う。妻もプリンを持ってきてくれたので、計4つ。今日はプリンの日。

甘いものも欲しいのだが、それ以上に、塩気のものが欲しい。食事はとても味気なく、量も少ないため食べた気がしない。間違いで出てきた術後1日目の食事が恋しい。また、間違って出てこないだろうか。術後1日目の食事は、副食も多く、マヨネーズやら味噌やら塩やらでしっかり味付けされたものだった。あああ、あれが食べたい・・・。

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昨日の晩のひそかな願いがかなえられたのか、朝食は今までで最も流動食の体であった。今日から5分粥になるはずが(昨日までは3分粥)、昨日異常に水っぽい。おかずも溶き卵の味噌汁少々とりんごを小さく切ったものを煮詰めたものであった。

朝、検診あり。先生から『順調ですね』と言われ、一安心。『食事は何割ほど食べられていますか?』と聞かれたので、完食です、ただ今朝はあまりにも足りないので、すこし売店で買って食べます、と答えると笑っていた。看護婦がしきりにパソコンで僕の食事メニューを確認していたが、今日からは5分粥のはずですが、と答えるのみ。

昨晩の様子について。喉の腫れが気になる。寝ていても唾を飲み込むたびに、痛みで目が覚めるが、驚くほどの痛みではない。ただ飲み込めない唾がよだれとなって枕を濡らすので、それには往生した。痛み止めのくすりを飲んでいるときは、ずいぶん痛みは無くなるので、たいした事はないのだろう。手術後の痛みについて、あるブログで『扁桃が一番腫れているときの2割り増し程度』とあったが、僕も同意見。1割り増し、と修正しても良いくらいだ。朝方、熱を測る。36.9度。痛み止めの効果が切れている状態で、この体温。ずいぶん回復した感じがする。

昼前、看護婦から連絡あり。再三にわたって伝えた朝食の変化に対する回答だった。どうやら朝食は、通常通り5分粥だったらしい。ただ、前日の食事が全粥の食事だったとのこと。つまり退院間際に食べる食事を、手術後1日目に食べていたことになる。それでも全部食べられたのだから、かなりたいしたものだ。
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歩いても良くなった。
朝からそれなりに動けた。心配していた朝食は完食。主治医も驚いていた。『男性は痛みに弱いので、普通は3日くらい食べられないのですけど』とのこと。解熱剤の錠剤も難なく飲めた。ただ熱が37.7度。すこしぼんやりする。あと喉が腫れた感じで、寝る体勢によっては、呼吸がし辛かった。

昼食も完食。もはや食べ物に何の心配も無い。喉はそれなりに痛いが、食欲の方が勝っていた。デザートにオレンジがついていたのには驚いたが、それも完食。ただ食べた後、喉が痛くて始末に困った。

昼前に大部屋に移動。
奇しくもその時、扁桃肥大で呼吸困難になった男性がとなりのベッドに入院してくる。聞き耳をたてて話を聞いていると、どうも今日いきなり手術とのこと。以前から扁桃が腫れていたのだが、放って置いて、緊急入院即日手術のはめになってしまったようだ。腫れている扁桃をとるのは大変な手術のようで、手術後はICUで数日過ごさないといけないらしい。同じ扁桃切除の手術でも、大きな違いだ。とにかくその男性は、いきなり手術ということで、狼狽甚だしかった。

夕飯は、かなりチャレンジなものだった。
夕飯前に主治医の診察があり、『順調ですね。ただ固いものには気をつけて食べてください。特に魚の骨は要注意です』と言われたばかりだったのに、夕飯では、焼き鮭がでてきたのだった。まるで、僕の喉を試すかのように・・・。
一つ一つ骨を慎重にとり、完食。もう少しハードルの低い食べ物を出していただきたい。

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手術当日。
手術は朝の8時半開始。前の晩に、なんども手術をする夢を見る。夢の中では2回ほど口蓋扁桃を摘出した。思ったより痛くないじゃないか!と喜んだところで目が覚める。むなしい夢だ。

手術室にむかう道中、思ったよりも緊張しない。脈も正常だった。
麻酔が始まる時に、点滴から入れたのだが、腕がしびれるように痛かったのを覚えている。そのときに、妻の出産に立ち会った事を思い出した。あれから比べたら、これから行う手術など屁でもない。そういう気持ちで眠りについた。

手術後。手術室で即覚醒し、主治医から話しかけられる。ので、摘出した扁桃をその場で見せてもらった。目の焦点がやや合わず、ぼんやりとしていたが、大き目の砂肝のようで、やたらと砂肝の焼き鳥が食べたい衝動に駆られていた。手術中には仕事(農作業:はるちゃん畑の手入れ)の夢ばかりを見ていた。術後直後に、主治医や看護婦にそんな話をしていたら、看護婦から『いきなりこんなに話をする患者は初めて』と驚かれる。初めての手術で、テンションが高くなっていたのだろう。

病室に戻ると妻が待っていてくれた。『帰って来てくれた』と妻。その言葉に彼女の心配が垣間見られた。
すこし会話をする。手術室が寒かったらしく、腹を冷やしてしまい、喉よりもお腹の痛みばかりが気になっていた。電気毛布を用意してもらい、それで段を取る。外は27度というのに。

術後直後は喉の痛みを余り感じなかったし、話すことが苦痛でもなかった。たぶん麻酔が効いているからだろう。その後、徐々に痛みがましてきた。それよりも大変だったのが、痰。血がべっとりと混じった痰が何度も出て、鼻からも出て、とにかく呼吸がつらかった。酸素吸入をしてもらい、なんとか楽になるが、それでも呼吸がつらい。短時間にティッシュボックス1つを使い切るほど、痰が出た。これは朝まで続いた。

夜、喉が腫れて、呼吸がつらい。2時間や3時間おきに呼吸困難で目が覚める。ここでも手術の夢ばかりを見た。とにかく明日になれ。そればかりを考えていた。痛み止めはもらわなかった。その代わり、アイスノンを何度も用意してもらい、ひたすら喉を冷やた。熱も少し出る。
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本日入院。
手術は明日の朝。8時半から麻酔開始で、9時には手術開始。手術は1時間ほどらしい。10時半には、病室に戻っているとのこと。

手術は明日なので、今日入院といってもいたって健康。入室後、麻酔科で麻酔の説明を受けるが、それ以外に予定は全く無い。なので、読書。空海の風景を読みふける。
麻酔科では、麻酔の仕方の説明を受ける。点滴で麻酔をした後、チューブを気管に通して、そこから麻酔を継続するとのこと。このチューブ挿入時に、気道をよく見えるようにするため、L字型の機器を使用するらしいが、人によっては気道が見え難く、そのためずいぶんと無理をしてその機器をつかって口をあけるため、歯が折れることもあるとか。どうせなら、抜かずにある親知らずが折れてくれればいいのだが。まぁ、そうもいくまい。

夕飯が出る。しばらく揚げ物が食べられないからなのか、エビフライが出てくる。喉を意識しているせいか、なんだか喉を通りにくい。

意識すればするほど、どつぼにはまるので、今日はひたすら読書をしよう。では、また明日。・・・明日、この日記をつける余裕はないだろうなぁ。

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ゴールデンウィーク中、来客があった。
25年前に、うちで農業実習をしたという他県の人である。
当時の僕は、小学校低学年ということもあり、その人の顔を見ても良く思い出せない始末。だが、父や母、祖父母は懐かしそうにその人と話していた。

丁度、つまみなの収穫作業中ということもあり、その人も昔を懐かしんで、圃場まで足を運んでくれた。そして、僕達がつまみなの収穫作業を見ながら、彼はこう言った。
『25年前と変わりませんねぇ』と。

そう。つまみなの収穫風景は、多分25年前とほとんど変わらないだろう。鎌をつかって、地に這うように、つまみなを一掴みずつ切って、収穫していく。
かつて彼が農業実習で来た頃、最終レポートで『機械化が望ましい』と書いたそうだが、25年たっても、この通り、何も変わりは無い。

そしてその彼に対して、父は『昔と変わらないでしょ』と破顔して言う。
それを引け目に感じるわけなく、負い目に感じることでもなく、むしろそれを誇らしげに言う。25年経っても変わらない労働。たぶんこの先も変わらないだろう。地域を越えての普遍性がより幅を利かせるようになった昨今に、時代的普遍性を生活の一部にしていることへの誇りを感じた。
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4月の下旬に農業を体験したいという若者をあずかった。
『1週間だけ』と期限付きで。

忙しい時期でもあり、うちとしては大助かり。さんざん働いてもらったのだが、何を思ったのか、『ゴールデンウィーク中も来ても良いですか?』というので、研修期間が過ぎてからは、バイトとして働いてもらった。そして今日、その最終日。

これまでの人生で、いろいろと落ち込むこともあったようで、とにかく『何者』かになりたい焦りを感じる若者だった。こういう若者に『ゆっくりやっていけばいい』というだけでは、酷だ。彼は『ここに来てから毎日、ビールが美味いんです』という。時間を有効に使っている、という充実感が、その心地よい疲労と相まって、仕事後の一杯のビールを美味くしてくれるそうだ。

彼を見ていると、10年ほど前の自分を思い出す。目の前には、無数に漂う選択肢ばかりで、どれもこれも掴もうとしてもつかめない。必死に何かにしがみつき、そしてまた何かにしがみつき、その連続のあと、ようやく漂わない少数の選択肢が、目の前に並ぶようになった。これだって選ぶのは大変なのだが。

農業は楽しかったけどしないかもしれません、と彼。
何だって必死にやるといい。毎日をそれなりに疲労し、充実感で満たされていけば、自分が『何者』であるか問うことを忘れ、気がつけば、後付で『何者』かになっているだろうから。
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忙中暇あり。
目が回るほど忙しい黄金週間。なのだが、野菜の出荷も一段落し、今日は暇。
そこで自家菜園に出て、夏野菜の準備をする。

今回は、すこし頭を使わないといけない。夏野菜だけで、約50種ほどを作付けする予定。自家菜園は無農薬なので、植物の組み合わせが鍵となる。ネギ、マリーゴールド、バジル、ミント、サラダバーネット、ナスタチウム、コリアンダーなどなどのハーブを織り交ぜながら、それぞれ相性の良い科を組み合わせて植えていく。

菜園を見に来た妻は、大きくなりすぎてきれいな黄色の花を咲かせている春菊を所望。小さくて、まだやわらかそうな新芽だけを摘み取り、晩のおかずにする。メニューは、ハマグリと春菊のパスタ。去りゆく春を白ワインで体の中に流し込み、初夏の労働の心地よさを感じた日だった。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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