青年海外協力隊の募集説明会に、急遽OBとして参加。
協力隊終了からすでに7年近い年月がすぎており、協力隊のときの話をしてくれ、と言われても、ずいぶんと記憶が曖昧になっているのだが、人手が足りないからとお願いされての参加。

説明会を聞きに来てくれた人は、約8名。これでもうちの県では盛況なほど。以前OBとして経験談を話に行った説明会では、説明を聞きに来た人よりもOBの人数の方が多かったほどだった。

さて、説明会。参加者から発せられる質問は、いつの時代もあまり変わらない。
病気に対する不安。自分の技術が通用するのかどうかの不安。帰国後の就職に対する不安。2年間も異国で、しかもディープに関わることへの不安。などなど。
たぶん、どんなに説明を受けても、この手の不安は拭い去れないだろう。

そんな参加者を見て、参加前の自分を思い出した夜だった。
関連記事
マルチ用に播種しておいた麦が、食べられてしまった・・・。
すでに出芽していて、それなりに順調に育っていたのに。
いったい誰に?犯人は、雉。

はじめはカラスの仕業かと思ったのだが、足跡と糞の特徴から、雉と断定。食べた、というよりも、面白半分でほじくり返した、といったほうが正確だろう。昨年の秋に雉を2羽ほど捕まえて食らったのだが、その時その場にさらに2羽の雉が居たのだが、お情けで逃がしてやった。もしかして、そいつらか!?

今年は情け無用で、根絶やしにするくらい捕まえよう。そう決心した。
関連記事
04 24
2007

ベビーリーフを大量に廃棄する。
大型連休が近くなる頃、毎年のことなのだが、今年は特に廃棄する量が多すぎる。
廃棄するのは、ベビーリーフとは呼べないほど成長しすぎたもの。味もすこし苦味が出てくる。だからといって食べられないわけではない。でも、売れないので廃棄。

GWにはベビーリーフの大量注文が来る。その時に『ありません』とは言いたくないという心理から、ついつい多目の播種になる。自分の農園がほぼ独占状態で販売しているので、品切れに対する恐怖感は大きいのだ。その代わり、独占状態なので利も大きいのだが。

廃棄の作業は、大きな矛盾と自分の欠点をしてきされているようで、なんとも反省しきりである。
関連記事
04 23
2007

夜、保育園にいく。
保育園に子供を通わせている親達でつくる父母会に出席するためである。
うちの保育園は、いろんな会合があり、一世帯必ずどれかの会合に属さないといけない。
僕はどういう経緯があったのか良くわからないのだが、『父母会に入ってください』と一本釣りをされた。父母会は、要は、PTAのようなもの。

年度始めの会合ということで、これからの活動について話し合う。父母会の活動として大きなものは、遠足や保育関係の署名運動、そして卒園式である。これらの活動を、どう実行していくのか、父母会の中で割り当てを決めた。

で、僕は遠足担当。集団行動に参加することが苦手な僕としては、それの主催者側にまわるということは、とても助かる。参加者側だと、ついつい斜交いに構えてしまい、あまり楽しめない。どっぷりと付き合うのなら、主催者側の方がいい。保育園への参加もどんどん深くなりそうだ。
関連記事
病院に術前検査にゆく。
全身麻酔をしての手術(口蓋扁桃摘出)のため、それに向けての検査。
また同時に、扁桃摘出手術の簡単な流れと、術前術後の過ごし方を教えてもらった。

どうやら思っていたほど、術後の静養は長くはないようである。要は、のどの傷がむき出しになっていて激痛が走ろうとも、しっかりと食事を取ることが出来さえすれば、直りが早いらしい。『子供だと、痛くても食べてくれるんですけど、大人は痛いと食べてくれないですからねぇ』と先生。よし、わかった、手術後1日目からどんどん食べてやろうじゃないか。
関連記事
04 20
2007

中卸(業者)と夏に向けての商品について話をする。
スーパーで売る商品で、ベビーリーフ以外に何か出来ないか、との相談だった。

業者の思考は面白い。
スーパーの商品棚は、定番とそうじゃないものとがあり、うちの商品が定番商品となってしまえば、自動的にそこにうちの商品が並び続けるのである。だから中卸としては、商品規格を、今定番となっているベビーリーフに合わせて商品開発することで、新たな商品棚の定番面積を得ることができる、と考えるのである。出荷する品目も、単品よりもシリーズ化した方が売りやすい、とも言う。

商品規格から出荷物を考えるのは、本末転倒な感じがするし、それに何を消費者に提供しているのか解らなくなりがちなのだが、規格とこちらの出したいものが合えば、それはそれで素晴らしい出会いであろう。

丁度、何年も前からブレークすると思って作り続けている野菜がある。美味しい、と僕は思うのに、なかなか売れない野菜がある。そこで、その野菜の出荷規格を中卸がいう規格にすこし変えてみようかと思う。

はたしてどうだろうか。
関連記事
畦の裾を掘る。

これがどういう作業なのかを文章で説明しようと、あれこれと書き試したが、文才の無さなのかうまい具合にいかない・・・。

要は、田んぼの畦ぎわ(ブロックの畦)は、トラクターでは起こせない場所があるので、それをスコップで起こす、という作業。主な目的は、除草。

久しぶりに田んぼに出て驚いたことが一つ。
前々から計画はあって、工事も開始していたのだが、新しく作っている県道がすでにうちの田んぼの傍まで来ていた事。地図でみるのとは違って、実際にすぐ傍に県道がくるというのは、なんだか異様な感じがした。その田んぼは、それまでは農道くらいしかなく、一般の車両が入ってくることはまれだったからだ。今度からは、すぐ傍らを、びゅんびゅん飛ばす車が走っていくんだろうなぁ。

さて、その県道を眺めながらの畦裾掘り。大きな道をみていると、ある不安が頭をよぎる。うちの地域が住宅地化したらどうしよう。ただでさえ村の中では、田んぼを宅地にして団地を作りたがっている連中が多いのだ。そういう議論は、これまでも何度も出てきては、その都度、消えていった。今回のこの大きな県道は、そういう議論に火をつけることになりはしないだろうか。そういう不安がある。まぁ、農業振興地区の解除はなかなか行政側も受け付けないだろうけど。

土地というのはなんとも厄介なものなのだろうか。戦後の農地改革で、農家は皆、自作農になることが出来た。うちも元は小作農で、農地改革で自作農になれた口だ。全員が自作農になるということは、素晴らしいのだが、土地の売買に個人の都合が優先される結果を生み出してしまった。

田んぼが簡単に宅地化されていくのは、『田んぼが個で成り立っているものでない』という事実との間に大きな矛盾を生むことになってしまっている。だからといって、田んぼを持っているみんなに、農業をしなさい、とは言えやしない。

では、一部の地主による農地の管理の方が妥当なのだろうか。
うーん、それはそれで問題も大きい。かつてインドネシアの大学院で、土地問題について学んだが、あちらの国では(特にジャワ島)、自作農といっても耕作面積は狭く、小作農が多い。そして一部の地主が力を持っている。それらの中には、不在地主も多く、土地のある地域の事を良く知らずに、自分の都合で勝手に土地の売買が行われているため、小作の耕作権すら確立できない状況でもある。むこうの土地問題では、農地改革を夢見ながらも、現実路線として小作農の土地へのアクセス権を如何に確立するか、が争点だった。むこうの学生や先生、はたまた少し学のある農家からは『日本は農地改革を行っているので、小作農がいないだろうから、良いねぇ』とよく言われたものだが、果たして今の状況が、彼の国から羨ましがられる状況なのかどうか。

農地を守るか守らないか、なんてことは、それこそ個人の勝手なんだろう。まわりが宅地化しないほうがやりやすい、というのは農業をする者の視点でしかないのだろう。それも勝手だと言ってしまえば、勝手なんだろう。そう思えばこそ、僕としては、『どうか宅地化の方向には行きませんように』としか、祈るしかないのである。

あとは無い頭をひねってひねってひねりまくって、『むら』というものに『総有』(共同所有)という思想を作り上げていく作業を、少しずつだがやっていくしかない。だが、その方法はさっぱり思いつかない。

そんな事を考えていたら、畦の裾掘りはいつしか終わっていた。
関連記事
大豆生田 稔 著 『お米と食の近代史』.2007年.吉川弘文館

近代史と銘打っているが、内容はほとんどが明治時代の事例で、米の流通が議論の中心となっている。

本書では、現代からではうかがい知れない米にまつわる意外な事実を知ることが出来る。地租改正という税制の大転換を機に(米から貨幣へ)、米の栽培法がおろそかになったり、収穫後の品質管理がより悪化したりしている(乾燥を徹底させると出荷量が減るため、いい加減な乾燥が横行)。制度変化によって、栽培法や価値観の変化がおこったという事実は、それなりに面白い。

また、現在評価が高い北陸産や東北産の米は、当時(明治期)は劣悪な品質で値段もやすかった、や、台湾や朝鮮(植民地)・ベトナム・タイ・フィリピンから多くの米が輸入されていた、や、国内の米相場の安い時期にはヨーロッパ(イタリアなど)に多く輸出されていた、や、1900年頃から60年代頃までの60数年間、日本は米不足だった、などなど、当時の米に関する逸話を多く知ることが出来る。

しかし、著者の論点は曖昧なままである。
著者は結論の中で、これらの歴史的事実は、現在の米過剰のもとで米生産から消費を考える有力な手がかりになろう、としているが、どのように有力な手がかりになるのか、著者の意見がまったく見られない。
それに明治期の米流通や生産などはそれらを支えた背景が現代とは違いすぎている。何の加工もなしに、歴史的事実が現代を考察する手がかりになるとは思えない。
また、歴史をどういう視点で見つめていくのかによっても、『歴史的事実』のその認識のされ方が変わっていくものなのである。

著者の歴史に対する視点を明示し、さらに明治期の米流通や生産と現代の米事情がいかなる関係をもって存在するのかを、著者なりの考えを示して欲しかった。次作に期待したい。
関連記事
04 17
2007

今年最初の農薬散布。
ハウス内の雑草にアブラムシがつき、それが作物にもすこし移っていた。
そこでネオニコチノイド系のモスピランを散布。

この薬、虫の神経を興奮させ、死に至らしめるもの。ネオニコチノイドというだけあって、ニコチンに由来する成分でもある。恒温動物(人)の末梢神経にも昆虫と同じ作用をする部分があるらしいが、感受性が低いため毒性は低い、とのこと。

本当か?
関連記事
守田 志郎 著 『むらの生活誌』.1994年.農山漁村文化協会

本書は1975年に中公新書として刊行されたものが、1994年農文協から再刊行されたものである。本書では守田志郎自身の学問への姿勢をうかがい知ることができる。

農業書にありがちな記述(外部者が『問題』を掘り起こし、その解決を記述する)を避け、ただ静かに村の人々の生活にまなざしをむけ、その中で村の人から聞く農業の話や彼ら彼女らが問題だと認識している点を書き起こしている。表面的に読んでしまえば、牧歌的な農村の風景だけを淡々と描いているようにも読めるが、その生活と生産とが切り離せず渾然一体となっている様は、思想的にはかなり深い。守田の他の著書で、特に農業をあつかったものと違い、本書では農業そのものが表面にでているわけではない。むらの生活にうまく包まれた農業として、その姿を垣間見ることが出来るのである。ある意味で、守田学問の到達点としてみることが出来るだろう。また、農村における外部者としての自分を常に問いかけており、外部による農村の評価を自己批判しながら、その認識と農村内部の自己認識のズレにも正直に記述されている。

『なにかの知識を得ようと思って農家におじゃまするということは、何年も前から私はやめにしてしまった。だから、『質問』は必要のないことなのである。(中略)ただ、そのときどき、私の心のなかに滲み込んでくるように感じるものがあったり、痛いと感じたりするとき、それをまぎらわさないように大事にしたいと思い、耐えつづけたいと思うのである』(p126)。

また無農薬の野菜を『本物』とは呼ばず、『本物らしいもの』と呼ぶ村人との議論は、農業におけるこの問題を、農業の手法的な問題として捉えるのではなく、村の中で生活としての農業を位置づけたときに発せられる含蓄のとんだ言葉がみられる。本書が書かれてから30年以上が経つが、ますます農業の手法的な問題の議論に拍車がかかり、その場その場における農村での議論が置き去りになっている現状で、研究の方法論として、守田の姿勢から学ぶことは多い。
関連記事
やっぱりまわって来たか。
若手農業者クラブでやっている『プロジェクト発表』の順番が。
毎年、誰かは発表しないといけない。そして今年、他の人がやる予定だったのが、いろいろな経緯で、僕に回ってきてしまった。

それぞれの農家(もしくは団体)が、それぞれの圃場でその年、実践的に実験したものをプレゼンするも催し(発表時間は7分間)。県レベルで発表コンペに勝てば、北陸ブロックへと進む。そこでも勝てば、全国大会。発表内容としては、○○導入による増収、やら、○○品種における生育比較、など、自然科学的(農学)に農業に切り込むプレゼンが多い。

実は、こういうタイプの実験は、僕は苦手なのだ。対象区を設けて実験を行い、差異を自然科学的に厳密に検地するというやり方が、あまり得意ではない。増収・省力化・食味向上などなどが研究テーマになることが多いが、うーん、今の僕の関心事とはすこしかけ離れている。

さて、何をやろうか。
関連記事
04 13
2007

レタスを定植。ロメインレタスなど、約10品種ほど。
それと同時に、レッドキャベツ、黒キャベツ等も定植する。変わった野菜は、量がはけないし、売り先を探すのも一苦労なのだが、それでも、新しいものを作るというのは、なんとも刺激的なものである。

今回は品種だけでなく、栽培法もちょっと刺激的にいこうと思い、すこしだけ思い切ったことをしてみた。

ほんの一部だけなのだが、ビニル資材によるマルチングをやめ、麦を密に播いて、それをもってマルチにしてみた。定植時に一緒に麦も播いてみる。『麦の種がこぼれて、大変なことになるぞ』と周りはいうのだが、なんでもものは試し。麦の出穂時期が、レタスやキャベツの収穫よりも遅い品種を自分なりに選定して、試してみる。こうすれば、レタスやキャベツを収穫した後、麦はそのまま畑に鋤き込んでしまえるはずだ。

害虫防除にもなるだろうし、雨風による土の跳ね返りをふせげるから、路地でもきれいな野菜がとれるかもしれない。さて、どうだろうか。
関連記事
04 12
2007

そういえば、昨日、ブロッコリ畑に燕麦を播く。
ブロッコリ(スティックブロッコリ)は売るための野菜で、6月に収穫の予定。先週、定植した畑の周りを、燕麦でぐるっと囲むために、その種を播いた。目的はいろいろあるが(農薬のドリフト防止・風除け・猫の餌・わさわさと生えている燕麦が好き!などなど)、一番の目的は、生態的害虫防除。

秋収穫のブロッコリ畑に燕麦を試験的にとりいれたのだが、結果もまずまずよく、農薬散布も少なくてすんだ。『秋はもともとあまり虫はでない』と効果に対して素直じゃない父を横目に、せっせと燕麦を播く。

農薬の散布回数が少しでも減りますように。
関連記事
を定植。
カメムシみたいな匂いのするハーブで、昔はこれが大嫌いだった。
しかし学生の頃、ベトナムを自転車で縦断した時(約5週間)、毎日毎日こいつを食わされたせいか、こいつが好きになってしまった。癖のあるハーブだけど、これがないと始まらない料理もある。

まぁ、だけど、これも売れない野菜の1つだろうけど。

関連記事
岩本 通弥 編 『ふるさと資源化と民俗学』.2007年.吉川弘文館.

『ふるさと』は今、必要以上に美化されて、その役割が固定化されつつある。本書は、棚田や合掌造り、はたまた民俗芸能などが外部から一面的な賛美を受け、観光化されつつある現状に、人類学・民俗学の視点から考察をいれた論考集である。

まず本書では、地方の民俗がこれまでどう扱われてきたのか、その変遷と意味の転換を読者に明示する。明治後、日本は近代国家の成立を目指し、地方の『封建遺制』『因習』はその足を引っ張る要因とみなされ、地方の『文化』は否定され、駆逐され、あるいは矯正された。国家が近代化を推し進める中で、矯正された中央にとって望ましい地方を目指して、『文化的地ならし』が進められていったのである。しかし、1980年代以降から(70年代以降?)『文化』の価値転換がおこる。ものの豊かさから心の豊かさへ、といった価値転換において、精神的豊かさを求めるベクトルと地方の民俗が『伝統文化』として繋がり、地方は豊かな『文化』を残しており、それを次世代に継承し保持しなければならない、へと変わっていったのである。

こうした流れの中、『文化』は格付けされ、○○100選に始まり、有形・無形文化財としての指定、はてには世界遺産登録にまでつながっていく。一見すると何も問題がないようにも思われる潮流なのであるが、その中では、『そうした地方文化が、その地方のみのリソースとしてその地方のひとびに所有され、いかようにも加工・改変・利活用(場合によっては廃棄)されうるものでは「なかった」という点』を注意しなければならない。地方の文化は「国民の共有財」としてナショナライズされてしまっており、それを継承し保存していくという役割が義務として地方のひとびとに与えられたのである。そしてそれらの文化は、生活としてその地域の人々のための存在から、商品として消費されつづける存在にへとかえられていってしまうのである。

グリーン・ツーリズム政策と地方の関係を説いた青木の論考では、地方文化の固定化を端的に指摘している。『観光資源を商品として売り出すときに、資源そのものとイメージの固定化が図られる。なぜなら、パッケージと中身が違ってしまっては、商品として成り立たないからである。そしてその戦略が成功したときに限って、観光の資源とイメージは地域内においてさまざまな対立や葛藤を引き起こしながらも、表面的に固定化され続ける。(中略)商品として売れているがゆえに維持されているのである』(p69)。(地方)文化は一見すると伝統的で固定的に見えるものでも、幾十にも重なり合った歴史的変遷を経て、現在に至り、また現在でも常に変化しつつあるものである。それを商品として消費するものと捉えることにより、(地方)文化は固定化され、それを作り上げていく人々から乖離していく。

また同様に、「文化的景観」としての棚田や世界遺産に登録された合掌造りのケーススタディでは、外部者との「美しさ」や「自然」や「伝統」に対する認識のズレからくる地域の人々の戸惑いをみることができる。外部からの無批判・無前提に肯定された「美しさ」や「伝統」は、その地域に住む人々のよりよい生活に向けた変化に対して、その主導権を奪い、押し付けられた文化認識の担い手として重荷を背負わされる結果にもなる。

棚田のケースでは、美しいと評される棚田を前にして、ある老婆が『棚田を眺める余裕なんか全然無かったよ』と語る。また合掌造りのケースでは、「守る会」会長が「荻町地区はもう世界遺産を守らなければならないように決まっている」と発言したところ、ある人が「みんなが幸せに生きていけるなら、『合掌造り』なんてなくなってもええと思っているんや。観光客もこんでもええ」と反論している。これらの発言が、外部との認識のズレや固定化されることに対しての苛立ちを端的にあらわしているといえるだろう。

では、地域の人々は一方的に中央のヘゲモニーに押さえつけられてしまうのであろうか。竹富島の種子取祭をあつかった森田の論考では、文化財指定を受け入れることで、そのまま国家のシステムを、支配的価値感を受け入れることにはならないと指摘している。竹富島の人々の実践では、外部の権威を利用しながらもそれらに完全に巻き込まれず、自らの価値基準を自分達の側に保持し続けている。『自分たちの保持してきたものを「文化」や文化財として肯定的に語ることは、共同体を維持する上で使用する「道具的な論理」であり、状況に応じて、マクロな構造の中に自己を位置づける作業、つまり近代的価値、国家の主導する価値観への接合だと考えられる。しかし、彼ら・彼女らは外部の価値を絶対視せずに、否定したり、ときに切断し、周辺化したまま使いこなすような実践を行ってきた。(中略)彼ら・彼女らの「生活の場」を起点とした「やり方」には、近代(国家)と伝統(地域社会)の二分法ではなく、ゆるやかにその境を自分たちの場所として保持し、意識的戦略として、ときには無意識に複数の方法を乗り越えていく姿勢がある』(p154)。

それでは、どのようにして一部の地域の民俗が「地域文化」へと構築されていくのであろうか。それは岡田の論考が考えの種を与えてくれる。岡田は、日本の地方地域社会の今日的状況を対象化するさいに、ポストモダンとして近代(モダン)との断絶を強調するのではなく、その連続性に着目するべきだと述べている。『民俗から「文化」へ移行は、(中略)民俗をその地方の内部、外部が対象化し、客体化したときに「地方文化」へと転換する。この変化は地域内部からだけでなく、外部のシステム(政治・経済)との関係によって促される』(p276)。また行政制度による文化政策との接合においては、ただ単に助成金の問題として取り上げるのではなく、『急激な社会変動、頻繁な社会外部との交流(国家の介入)といった社会背景にもかかわらず、地域社会が耐久的な絆として存続するメカニズムとして文化およびその具体的な可視装置として「文化遺産」が働く』(p273)と指摘する。

本書のこれらの指摘や批判は、決して文化政策だけに特化することではない。中央と地方の関係や、外部者とそこを生活の場として生きている人々との間に、どのようなズレが生じているのか、それを我々に自覚させてくれる本。
「美しい日本」という喜劇じみていてそれでいて危険な言葉を連発する首相とそれに追従する国家がある昨今、内と外の境界の中で、我々がどのようなまなざしを持って、それぞれの地域を見ていくことが重要なのかを示してくれる良書。
関連記事
なかなかわかっちゃくれないが、辛さにはバリエーションがある。
当然、我々の生活の中にも一味や七味などがあり、山椒やからし・わさび・トウガラシなどといろいろ風味のバリエーションはあるのだが、ここで言う辛さのバリエーションとは、その広がりではない。辛さの深度である。

毎年、懲りずにインドネシアのトウガラシを植えている。今日も播種箱からポットへと、インドネシアのトウガラシの苗を移植した。僕が以前住んでいたインドネシアの地域では、トウガラシだけでも5種類は使い分けていた。みなそれぞれに辛さの深度が違う。

今日移植したトウガラシは3種類。当然、辛さの強さが全く異なる。これらのトウガラシは、一般には(インドネシアでは)チリソースとして加工され、それぞれにあう料理に利用されるのである。5年のインドネシア滞在ですっかりこのチリソースに魅せられてしまった僕は、売れないとわかっていてもこれをついつい沢山植えてしまうのだ。昨年も大量廃棄だったし。

まぁ、それでいい。自分の食べる分さえ確保できれば良いのだから。
関連記事
04 09
2007

おやしらずを抜く。
前々から抱えていた爆弾の1つで、3月の下旬から下あごが腫れ上がってしまっていた。慢性扁桃炎のおかげで歯医者に行く時間がなく、今日まで放置したが、あまりの痛みにたまらず今日歯医者に行く。

行くなり、『抜くしかないですね』とのこと。ここ最近、こればっかり。
しかし、一番問題の右下のおやしらずは腫れあがっていて抜けない。そこで今日はとりあえず右上のおやしらずを抜いた。腫れあがっている右下の歯茎を、上のおやしらずが噛んでいるためである。

おやしらずは、いとも簡単に抜けたのだが、骨の一部まで一緒に抜けてしまったため、歯茎にぽっかりと大きな穴が開いてしまった。何針か縫ってもらったのだが、麻酔が切れた今、なかなかに痛い。

おやしらずを抜歯すると必ず高熱を出す体質なので、本命の右下のおやしらずは、扁桃摘出後に抜くことになった。しばらくは、痛いことが続きそうである・・・。
関連記事
をした。
口蓋扁桃摘出手術(扁桃腺摘出手術)を来月に受ける。

例の如く、三日酔いの後、扁桃(今は扁桃腺とは言わないらしい)が腫れ、38度の熱と全体の倦怠感、そして何よりも全身関節痛が僕を襲った。毎回、何かをやりすぎるとこの病気になる。昨年の夏から、これで5回目の急性扁桃炎。

早速、近所の医者に見てもらうが、薬がなかなか効かない。そこで今日、赤十字病院まで出向き、検査をしてもらう。結果、『慢性扁桃炎』とのこと。
扁桃には無数の穴があいており、そこに菌が常駐している状態になっているのが、慢性扁桃炎。西洋医薬では、この菌を一掃することはできないらしい。見立ててくれた先生も開口一番『切るしかないですね』だった。

切らないで済む方法もあることはある。
扁桃に吸引機を当てて、中の細菌を直接吸引する方法。しかし、結局は扁桃の穴にまた細菌がたまるリスクは高い。
鍼灸での慢性の扁桃炎治療。個人差もあるようだが、治療に時間がかかりすぎる。来年から妻の出張が増える事を考えると、今年中に何とかしなければいけない。

慢性扁桃炎は、体調が悪くなれば必ず扁桃が腫れて高熱を出すということ。心臓や腎臓にも将来的に大きな負担をかけることになるらしい。治療だけでは克服できない病気で、先生も『悪化していくことがほとんどで、良くなっていく可能性はほとんどないです』と言い切った。ということで、ついに観念し、切ることに決めた。

手術自体はたいした事はないらしい。ただ、摘出後、喉の傷がむき出しになっているため、それが直りきるまでが大変との事。食べ物はもちろん、自分の唾でさえ飲み込めない日がくるのである。咳も出来なければ、あくびも出来ない。激しいくしゃみをすれば、傷口がぱっくり、という事態もあるらしい。先生からも『手術後3週間は絶対安静でお願いします』と言われてしまった。

とりあえず、今月終わりに、麻酔の検査(全身麻酔の手術のため)がてら、妻共々手術の詳しい説明を聞きに行く。切ったり貼ったりするのは、趣味じゃないのだが、今回だけは避けられないようだ。
関連記事
学部時代の恩師と、同じ研究室を出た友人達が来福。
温泉宿に1泊して、学生の頃のように飲んだ。
酒豪ばかりの集まりで、この中に入ると僕は、それほどお酒は強くない部類に入ってしまう。

学部時代の思い出話から、途上国の農業、今の日本の農業問題や農村を取り巻く問題まで、熱く熱く議論を繰り返した。が、如何せん、皆、酔っ払いなので、延々と同じ議論を繰り返していたが(僕も)。日本に帰国して以来、初めて、心ゆくまで酒を酌み交わした日。
関連記事

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
03 ≪│2007/04│≫ 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ