来客あり。
あるスーパーの担当者2名ほど。
そのスーパー、以前は大きな酒屋だった。が、経営悪化で、県外のスーパーが買い取り、現在は酒屋とスーパーを併設する店構えになっている。

以前、その店で行われたちょっとしたイベントの時に、僕の野菜を手土産で持っていったことがある。その時の野菜が好印象だったらしく、『うちでも取引したい』とスーパー担当者がやってきたというわけ。どこに飯の種がころがっているかわからない。

商談もそれなりにまとまり、来週中にでももう一度担当者がくるということで、話がついた。新規の販路は着実に広がりつつある。帰り際に、お土産としてシャンパンをもらった。ワインの品揃えで売っている酒屋さんだけあって、高級なロゼのシャンパン!こんなのくれるのなら、毎週でも来てもらいたい。
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カブを出荷。
ただし、葉っぱのみ。

お惣菜屋が『葉っぱだけほしい』というので、品種を選び、そして通常より密に種を播く。密に播けば、カブの部分はあまり大きくならない。それでもピンポン玉程度の大きさにはなるのだが。

そのカブ、当然だが廃棄。もったいないと思われるかもしれないが、これはこれで農民の楽しみになるのだ。つまり、僕らが食べる(一部のみ)。この前の収穫のときは、カブを豚肉と一緒にグリル。甘みが強くなり、小さくてえぐみの無いカブは絶品だった。今日は、ソラマメと一緒にリゾット。これもワインとの相性がよく、ぐいぐい晩酌がすすむ。さらに明日用に、カブと打ち豆(大豆をつぶしたもの)とベーコンでスープを作った。うしし、明日も晩酌が楽しみだ。
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ツバメが来た!
うちの作業小屋の中をかる~く一周して、またどこかへ飛んでいってしまったけど。

昨年は、10数組が巣を作るという繁盛振り。今年は、何組のカップルが戻ってくるんだろうか。全部戻ってこられると、大変な数になってしまうのだけど・・・。
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今日は、トマトをポットに移植。
普通の大玉トマトやミニトマトと混じって、変わったトマトも今年作ってみようかと思っている。

それらは、熟しても赤くならないトマト。
結構ポピュラーなイエロートマトはもちろん、それ以外にもグリーントマトにブラウントマト、そしてロシア原産のブラックトマト。中には地面に這わせて育てるトマトまで。赤くなるトマトを含めて、だいたい11種類ほどポットに移植した。

トマトだけでサラダが作れないかなぁ、と思ったのが事の発端。売ることよりも、食べることから考えてみるのも、なかなか楽しい。
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03 26
2007

ついに出た。
何が?虫が。

ここ最近好調の売り上げを見せているベビーリーフに、ついに虫がついた。食害をしたのは、キスジノミハムシ。昨年もこいつにはさんざん苦しめられた。

今年は雪がほとんどなく、露地でもすでにこいつの活動は確認済み。それが今日、ハウスの中でがつがつと活動しているのを確認した。薬剤散布(殺虫剤)はしたくない。しかし、ベビーリーフは食害があると買ってもらえない・・・。これがベビーリーフでなければ、キスジノミハムシの多少の食害など、あまり気にはならないのだが。僕とキスジは、ベビーリーフ生産という関係の中で、ただの虫(キスジ)・その辺にいる生命体(僕)という関係から、害虫・大量虐殺をする凶暴な生命体に変わる。なんとも不幸な出会いだろうか。

さて、いつから散布を開始しようか。・・・はぁ。
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朝から雨。
そして地震。
そんな日だったのだが、いい出会いが1つ。

県外から昨年の9月に新規就農している青年と知り合えた。ネットではその存在に気がつき、何度かやり取りをして、今日ようやくお互い初顔合わせ。こういう人が農業に新しい価値観を植えつけてくれるのだろう、と期待する。自分の周りにもっとこういう人が増えてくれば、楽しくなるんだろうなぁ。
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神門 善久 著 『日本の食と農』:危機の本質.2006年.NTT出版.

第28回サントリー学芸賞を受賞した本。
農業経済学者が、その学問の視点から、平易な文章で『日本の農業』と『日本の食』の現状について警鐘をならしている。現在議論されている食と農の問題の中に、我々がもつ集団的誤解があると指摘する。食と農というと、その範囲はとても広くなるのだが、本書で主に扱っているのは、食生活の改善は制度的な問題なのかどうか、と、効率的な農業を展開するための土地利用はどうあるべきか、に集約できるであろう。それらの問題に対して、筆者の基本的認識は『食と農の問題の本質は市民(農民および消費者)の怠慢と無責任にある』である。本書のエッセンスとなる箇所あるので引用しよう。『食生活の改善や土地利用のルールづくりは市民が主体的に取り組まないかぎり、解決はない。それを官僚の所為にして、利便性重視の食生活とか、地権者エゴとかいう、問題の核心部分のことは知らん不利を決め込んでいるから、ますます利便性に迎合した流通システムが作られ、地権者エゴに迎合した無秩序開発が進むのである』。

食の議論について、筆者はまず安心と安全の違いを明示する。『安全は客観的な尺度で把握されるもので、科学的手法を用いた測定値で測れるもの』で、『健康にもたらす危害の可能性を合理的な範囲内にとどめることを、食の安全と定義』している。一方、安心は、個々の主観的な感じ方に左右されるものの、『安全が確保できていると感じる状態』と定義している。科学技術が発達したものの、依然として未知の分野が多い現在、本当に安全なのかどうかを判断することは難しい。ただ、それを行政の制度的な対応(トレーサビリティなど)にだけ求めるのは、消費者のエゴでしかなく、『消費者、行政、研究者が協力して正確な情報を共有する努力をすること、いわゆるリスク・コミュニケーションに勤めなければならない』と指摘する。さらに食生活の乱れは、利便性を追求する消費者自身にも一端があるとし、『偏食のままトレーサビリティに執着するのは、むしろ食の危険を高めることにすらなりかねない』と述べている。その上で、食の乱れの解決を学校教育や制度に求めず、しかも散発的に行われる地消地産やレジャー化しているグリーンツーリズムに興じるよりも、『食材にきちんと向き合い、弁当や食卓に家族の団欒をもつことのほうが、よほど大切である』と指摘している。

農業の議論においては、そのほとんどが農地利用を基本に展開している。農業は今、自由貿易による危機にさらされているが、筆者はそれらの議論に農地利用の議論が含まれていない事を指摘する。日本の農地のほとんどは零細農家(筆者定義後で1ヘクタール程度の農家)が所有している。しかしそれらの農地は、農地外への転用期待があるため(農地の転用収入は、農業生産額の8割に相する)に、零細農家が優良農地を農地として有効利用せず、農地の流動化の妨げになっていると批判する。そのため農業に長けた者に農地の集積するという市場経済の競争メカニズムが機能せず、そのことが大規模農家の育成をはばみ、結果として自由貿易に抗していけない農業になってしまっている。またその零細農家を票田とし現在の政治の体制が出来上がっており、それを支える役目としてJAの存在も批判している。農地の有効利用を図らなければならないはずの農業委員会が、農地法を骨抜きにし、転用期待を実際に支えているとも批判している。その上で、地権者のエゴによる勝手気ままな農地転用期待を規制するためにも、市民によるルールの策定と監視をしなければならないと主張する。また新規農業参入者(企業を含む)に対して、内輪にしかわからない論理で部外者として排除せず、周辺農地との協調や地力維持のモチベーションを与える明文化したルールづくりが必要と訴えている。

これら食と農に対する批判は、ある程度、的を射ているといえるだろう。農地解放から始まる私的所有の意識が、最悪の場面で『地権者の農地外転用期待』という形で現れ(たとえ法律である程度転用を難しくしてはあるものの)、現在の農業問題の大きなトピックとなっている。また農村の状況も同じような生業を共にする共同体としては、もはや成り立っていない。農業経営に意欲を持つ農家と土地持ち労働者への分極が進んでいる。原洋之介もその著書『「農」をどう捉えるか』において、『農地改革で創出されたのは「自作農」と呼ばれる利己的農地所有者であったとさえいえそうである』と述べている。ここで原洋之介を引用したには、わけがある。神門と原は同じ農経学者であり、農地利用について同じような問題点を指摘しているからだ。僕は農業経済学徒ではないので、神門の論に真っ向から批判をすることは難しい。そこで同じ農業経済学者の論を対比させて、神門の批判を考えてみよう。神門は自由経済主義者であるが、原はそれには慎重な態度をとっている。神門は、農地利用については農民だけの内輪のルールにまかせず、市民がルール作成に参画するべきだと主張しているが、原は農村の崩壊を危惧しつつも、農業と農村の再生には、過去の世代が長年の試行錯誤を経てつくりあげてきた地域の歴史的慣習を再生共有し、その中で市場経済的契約関係を超えた、ないしそれらを契約を下支えする「深い信頼関係」が存在していなければならない、と述べている。ここで問題になってくるのは、神門のいう『市民』の存在である。農村では、そこに住む人々による共同体的意識もしくは『総有』意識(守田志郎、内山節を参照)を常に再生産しながら、生活を営んでいる。それがたとえ農村の現状が同質的な農民で無くなった現在であってもである。しかし神門の言う市民は、その村々の人々を指しているわけではない。共同体意識や総有意識を生産共有する機会に乏しい外部の『市民』が、はたして健全な(村にとって)土地利用規制に参画できるのであろうか。神門は食の議論の中で、イメージ化されたグリーンツーリズムを批判しているが、それは美化され資源化されたある種チープなノスタルジーに支えられた農村に対する画一的な賛美という視点を批判しているのだろう。しかし、市民のもつ意識に、そういった視点があることに神門は自覚的ではない。ある章では、その視点を得意気に批判するものの、その深度は浅く、結局他章では、自らが批判した視点を結論に織り交ぜてしまっている。明らかに論理展開の失敗としか言いようがない。本書を通して感じることは、農業のみを論じるあまりに、それを支えてきた農村を置き去りにしてしまっていることだ。確かに農村がかつてのように同一性を持たず、共同体的意識も弱まっているだろう。しかし、それでもなお、農村を論ぜずして農業は語れない。それぞれの嗜好もあるのだろうが、同じ農業経済学者の論であるのなら、僕には原の農業に対するまなざしの方がしっくりくるのである。
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娘が水疱瘡にかかる。
そして妻が名古屋に出張に行くことになっていた。
ということで、僕が『野止め』(農作業を休む)をして、娘の面倒を見ることになった。

月に2,3度くらいはこういう日があってもいい。
こういう日のおかげで、娘の成長をじっくりと実感できるから。

娘は、ずいぶんとこちらの言っている意味がわかるようになって来ている。それと同時に娘もずいぶんと意思疎通を図ろうとする。娘はイチゴが好きなのだが、うまく『イチゴ』と発音できない。そこで、おもちゃのイチゴを持ち出して、いつもイチゴが出てくる冷蔵庫の前に立ち、そのおもちゃで冷蔵庫をたたきながら何かをわめく。本物のイチゴとおもちゃを連想させているところに成長を感じる。ずいぶん物事をシンボル化して、理解できるようになったんだねぇ。

だからといって、そんな要求にホイホイとは答えはしないのだが。
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今日はお彼岸。
うちの部落の墓場もお参りの人で大賑わいだった。
ちなみにここら辺では、墓場を『さんまい』とよぶ。

うちのさんまいは、180区画ある。そのうち170区画は、すでに墓がたっていたり、または墓がたつ予定になっている。うちの部落のさんまいなので、ほとんどが部落の人、と言いたいところだが、どうもそうではない。

部落のさんまいは、ちょうど僕の畑の傍で、農作業をしていると誰がお参りに来たのかよくわかる。部落の人であれば、頭の1つでもさげるし、よく知っている人なら、畑越しに挨拶を交わしもする。が、しかし、お彼岸の今日、よくよく畑から見ていると、どうも部落外の人も沢山きているようだ。

うちの部落のさんまいを整備してから20数年が経つのだが、10年くらい前までは部落の自治会がOKを出せば誰でもうちの部落のさんまいに墓を持つことが出来た。そしてうちの部落のさんまいは、市内の共同霊園よりも比較的値段が安い。だからなのか、何代も前にうちの部落から出た、という人が多数うちの部落のさんまいに墓を持ちたいとやって来たらしい。はじめのうちは、そういう人たちも受け入れていたのだが、さんまいの管理費を徴収できなかったり、連絡のつかない人が多くなってきたりと何かと支障をきたすようになってきた。そこで今では、部落に住んでいない人は、新たに受け入れないことにしている。

うちの部落から出た、というノスタルジーな帰属意識はあってもいい。ただ、さんまいは部落で共同管理をしていて、草むしりや掃除といった手間も部落でだしている。墓を部落内に持ちたい人たちが、ただ単に『ふるさとは遠きにありて思うもの』では、ちょっと困るのである。墓は私的所有物であっても、さんまいは共同的所有物なのだ。共同作業に参加できなくとも、共有意識を持てる何かがあればいいのだが、それが今のところ思いつかない。だから、申し訳ないのだが、部落外の人で新たに墓を部落内に持ちたい人をお断りしている。

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この前来た弁当屋が再びやって来た。
今度は、県の普及員と農協職員を連れて。

弁当屋は、地元の野菜を使用するということで、県の助成金を取ろうとしている。ただ弁当屋自身はこれまで、魚介類ばかりをあつかっていたので、地元産野菜を買い付けるノウハウがない。そこで、普及員と農協職員が一緒についてきたという次第。

僕と弁当屋と普及員と農協職員が机を囲んで座る。
ここがそれぞれの思惑をぶつけ合う場所だ。

弁当屋は安定的に野菜が欲しい。
ある種の野菜について、僕が難色を示すと、普及員が『○○地区でしたら、その野菜の出荷は可能ですよね』という。○○地区にこの話をとられてはたまらない。普及員の言葉は聞こえない振りをして、僕と農協職員(この地区担当)とで『あっ、となり村の××さんとうちとが一緒に出せれば、安定しますよ』と切り返す。

弁当屋は流通を確認しておきたい。
僕個人で配達も可能なのだが、数量がすくないのであれば、それは避けたい。宅急便というカードも握りつつ、話の先行きを見ていると普及員が『市場の仲卸さんを通していつもは販売していますよ』という。するとすかさず農協職員が『いえいえ、うちを通してもらえば、スムーズに納品できます』と切り返す。弁当屋は作った弁当を売るツールが欲しい。農協はスーパーを幾つかもっている。それをにらんで、『農協さんでお願いします』となった。

僕としては、宅急便だろうが仲卸だろうが農協だろうが、うちの野菜が売れ、その販売価格を維持できるのであれば、どこでもかまわない。
普及員としては、この事業が安定的に行われることを願っている。だから他の地区の農家が話に入ってきたりもする。
農協職員は、流通量を確保したいのか、とにかく農協を通しての納品にこだわっていた。

兎にも角にも、こうして流通と納品のかたちだけが決まった。今後、野菜の品種と量、そしてその価格の商談になろう。
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佐藤 亮子 著 『地域の味がまちをつくる』:米国ファーマーズマーケットの挑戦.2006年.岩波書店.

身内がアメリカに行くことになった。向こうに行く機会もできるだろう。その時までに、すこしアメリカの農業を勉強してみよう。それでとりあえず図書館で見かけたこの本を手に取る。

恥ずかしい話なのだが、アメリカの農業というと、すべてが大規模農業ばかりだというステレオタイプが僕の頭の中にある。それをとりあえず払拭してくれたのが本書。筆者が1年間の留学の合間に、出来るだけ見てまわったファーマーズマーケットについてまとめたもの。

内容としては、ファーマーズマーケットを運営することについての記述が多く、タイトルにある『地域の味がまちをつくる』ということについては、具体的な記述はすくない。直売所や農家市場を運営している人にとっては、ある程度面白いかもしれないが、食と農がアメリカの地において、どのようにつながっているのか、という具体的な話はほとんどないのが残念。グローバルスタンダードを発信しつづけているアメリカにおいて、ファーマーズマーケットが、アメリカに住む人々にとってどのような意味を持つのか、もう少し掘り下げて欲しかった。

ただ本書を読んで、同じ農業者としてファーマーズマーケットへの評価は変わった。ファーマーズマーケットを運営する人物が『いま世界は、「タンジブル(手にとれる、実感できる)」なものを求めている』と指摘する部分は非常に共感できる。このマーケットは、それを実現できる1つのツールなのだろう。だからこそ、なぜタンジブルなものを求めているのか、その背景にある人々の思いをもう少し丁寧に記述して欲しかった。
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農林高校生3名が、インターンシップとやらで、うちの農園に来た。
カタカナでいうとなにやら物々しく感じるのだが、現場実習ということらしい。それも3日間のみ。今日はその2日目。

その農林高校。実は、インドネシアの農林高校と友好提携をしている例の農林高校である。そしてやって来た実習生のうち1人は、この前インドネシアのスタディーツアーに参加したとのこと。これの事前説明会は、僕が行っていた。何かと縁のある高校だ。

さて、残り2名は、インドネシアにはいかなかった。『旅行代金が12万もしたので、とても払う気には』なれなかったそうである。行った学生は、『むこうの農林高校も見れたし、村も見れたし、普段のツアーでは行けそうもないところをまわった』とやや興奮気味に伝えてくれたが、その興奮は他の2人は伝わっていない様子。まぁ、それも無理はなかろう。

しかし、高校生は体力がある。一緒に仕事をしていると、こちらが歳だと思い知らされる。5分休めば、元通りのあの無尽蔵のスタミナはどこからくるのだろう。
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03 14
2007

『認定農業者』の資格をとるため、書類を作成。そして今日、そのヒアリングがあった。
認定農業者というのは、『農業経営基盤強化促進法に基づき農業経営改善計画の認定を受. けている農業者である』ということらしい。簡単に言えば、今後5年間の農業経営計画を立て、5年後の所得が500万円以上になるように計画が立てられればOKというもの。

認定農業者になれば、税制上の利点や融資が受けやすいなどの利点がある。そして農業政策が『担い手』に助成を集中しようという中、認定農業者はこの『担い手』として見られるのである。そして、まさに来年度から担い手農政に変わるこの時期に、僕は『担い手』になろうとしている。

僕自身が、農の営みを深めることに関しては、実はこの認定農業者という資格は、『どうでもいいもの』なのかもしれない。しかし、僕が、僕の思い描くような農業をするためには、今少し融資をしてもらう必要がある。その融資を有利に受けたいがために、認定農業者になる。それは、インドネシアの事とも関係する。

さて、その認定農業者。普通、認定農業者の後継者は、親と連名で認定農業者の申請をする。そして僕の父親も認定農業者。しかし、僕は個人で申請を提出した。それは僕が今年から、いち事業主になっているからである。父と連名になれば、父の思い描く『経営』が僕の農業にいちいち影響をしてくるからである。父は父の歩んできた歴史の中で、今の価値観がある。そして僕には僕が歩んできた中で培った価値観がある。農を生業に生活をその中に深めていくということでは、父から多くのことを学んでいる。しかし、それを加えつつも、やはり僕には僕のやりたい事もある。そんな我侭が『事業主になる』ということになり、『認定農業者に個人で申請』ということになった。

普及員、市役所職員、そして農協職員に多くの迷惑をかけながらの申請。実は後継者が個人で申請するのは、僕が初めてのことらしい。なので、どの職員も手続きには慎重だし、手探りで制度解釈をしている感じを受ける。23日には結果がでる。それを待って、4月から融資の申請をすることになる。今年は、いろんなことが動く年になりそうだ。
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江掘りをする。
部落の農協青年部で。

江掘りとは、生活廃水路と農業用水路のたまった泥やごみを除去する作業で、毎年この時期に行われる。もう2週間もすれば、農業用水が入ってくるので、それまでにすませないといけないのだ。部落の農協青年部は、上は50歳近い人もいれば、一番若いのは20代と様々。人数は18人。田んぼを持っている人ならば、誰でも入れる。というか、田んぼの持っている家々に、やや強制的に勧誘して回り人数を確保している。今年は30代と20代の若者2人をメンバーに加えている。以上は余談。

さて、江掘り。
合羽を身にまとい、カクスコ(四角いスコップ)を持って、一列になって用水路に入り、延々と泥上げをしていく。今日は吹雪の中での作業。前日の雨で用水路の水も多く、どんどこと長靴の中に水が入り、足からも冷えていく。それでももくもくと作業。
部落のはみ出し者の田んぼや敷地横の泥上げでは、泥が田んぼや敷地の中に入るように、泥を放り投げたりもする。村八分といった陰険なものではないのだが、ある意味いじめに近い。そういうこともしたりする。

午前の休憩から、お茶代わりに皆ビール。この日一日は、飲み物といえばアルコールなのだ。半分お祭り騒ぎ。飲まなければやってられない仕事でもあるので。お昼も部落の用水管理施設で、みんなで焼肉をし、ここでもしこたま飲む。そして夜は、居酒屋を予約して皆で宴会。それらの費用は、すべて江掘りのお金でまかなう。

部落の農家が、田んぼ1反あたり幾ら、と江掘り代を自治会に収めており、また各家庭も生活廃水の江掘り代を収めている。僕ら部落の農協青年部は、自治会から作業を委託されて、江堀りをする。1人あたり1万円以上もらえるのである。ただそれをみんなで分けたりはしない。部落の中では、兎角、お金でやりとりはしないもの。江掘り代金は、ぜーんぶ、その日のうちに飲みきってしまうのだ。朝から飲んで、昼も飲んで、夜も飲む。今年は僕が会計で、すこしはしゃぎすぎたせいか、赤字・・・。

年に1回だけなのだが、この江掘り、とても重要なのだ。もちろん用水の掃除という意味もある。しかしそれ以上の意味もある。うちの部落は兼業農家が多い。なので、普段、畑や田んぼで皆が顔をあわせる機会はほとんどない。こうやって集まることで、部落の持つ共同意識を高めたりもする。また、若い連中にとっては、この江掘りのプロセスはとても重要だ。村の境界も知らず、田んぼに思いを馳せたことのない者にとって、江掘りは、田んぼを意識する日でもある。部落の共同意識は、はじめから部落の中にあるものじゃない。こういった作業を通して、醸成されていくものなのだ。今回は、新人2人が、はじめて田んぼについて知る機会となった。これを繰り返していく中で、(これも1つのきっかけにすぎないのだが)、次の代に田んぼが受け継がれていく。
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そういえば、先週の木曜日、妻と一緒に味噌作り教室に行った。
実家でも、祖父と祖母が味噌を毎年仕込んでいるのだが、今年は丁度その時に僕が風邪を引いたこともあり、参加出来ず仕舞い。だからといって味噌をつくらないわけにはいかない。そこで、どうせなら市内の老舗の味噌屋で、きちんと習ってみようと思い、味噌作り教室に参加した。

味噌作り教室といっても参加者は僕と妻のみ。味噌屋は、天保2年創業の老舗。ここぞとばかりに、質問攻めに。味噌の奥深さを知る。来年は、味噌と麹の配合を変えたり、煮豆と蒸し豆の配合を変えたりしてみよう。どういう具合に作られていくのかを知ることで、自分流の試みができるのが楽しい。
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守田 志郎 著 『日本の村』.1978年.朝日選書.

本書は1973年に刊行された『小さい部落』を改題、朝日選書として再刊されたもの。
日本の部落とは何か。それをある部落内の土地取引の事例をみながら、守田志郎独自の視点から、部落を紐解いていく。事例の田んぼの取引では、本家・分家の関係が影響し、部落内の総家同士の勢力争いが加わり、隣村までも巻き込んでいく。しかし不思議と土地は、所有者が変われども、村の中に残る。そしてそれらの争いは、部落の表面を少しばかり波立てはするが、すべてがひっくり返りはしない。守田はこの事例を丁寧に見ていくことで、部落の人々がもつ所有意識や人々の関係に迫ろうと試みる。

守田は部落の人々の所有意識には、私的所有と対立して共同的所有があるのではない、と考える。土地のやり取りの仕方や、部落の人々が『部落の田んぼ』や『一族の田んぼ』と表現する中には、土地を共同所有しているということではない。個人が持つ土地の私的所有観をゆるやかに覆う共同的所有の意識があるのである。そのゆるやかに覆う共同的所有意識は、内山節がいう『総有』の思想ともつながる部分である。

では、部落にはなぜそのような共有的所有の意識があるのであろうか。また土地取引の事例のように、なるべく波をたてないような行動をとるのであろうか。部落の人々の思想構造をまちの人々と対比させて、守田はこう表現する。少し長いが引用しよう。
『部落というものが波をおもてに立てないようになっているのは、その慎み深さからでもあろうが、人々が、今日も明日も、そして将来ずっとその部落のなかで同じ顔ぶれで生産と生活を続けていくようになっているからなのだと思う。江戸っ子のきっぷの良さなどというが、いつでも荷物をたたんで長屋から出ていくという生活の軽さがそうさせるのであろう。そしてそこには生産がないということも裏腹なのだと思う。』
部落の中に生産があるからこそ、同じ顔ぶれで生活をずっと続けていく。そしてその過程の中で、土地が時には増え(貸した金の担保。意欲。)、時には減っていく(分家をだす。弟・妹の無心等)。このやり取りのプロセスの中から、ゆるやかな共同的意識が生まれてくる。部落が部落として存在するところでは、土地の売買情報が、不動産屋の情報誌に載ることなどないのだ。よほどの偏屈もの以外はそうしようとは考えない。

本書は70年代に書かれている。しかし本書の内容は、今の僕の部落でも簡単に見つけられる事柄ばかりである。部落の人々がもつ思想構造を平易な文章で説いた良書。生活の中に生産があるという状況が、如何に部落の人々の思想を作り上げているかを知る格好の書である。
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03 08
2007

おっさんと若いにいちゃんが農業研修に来る。
隣の市にある障害者の授産施設からである。

10月より施行された障害者自立支援法により、こういった施設では国からの補助が打ち切られ、利用者にはとにかく何か働いてもらわないと経営がまわっていかないらしい。その施設では、空き缶を市から買い入れ、アルミ缶とスチール缶の分別をやっていたりもする。近所にある施設では、ゴミ箱をまわって空き缶を拾ってくるところもある。どこも大変だ。

こういう施設では今、農業に対する視線が熱い。利用者ができるような仕事が農業の中には割りとあるようで、農業に参入しようという動きが目立ってきている。ただノウハウがないので、こうして研修に来たというわけ。

研修に来たスタッフさんの話は、農業に対する視点が違っていて面白い。僕ら農民は、出来ることなら『省力化』を進めたいと思うもの。作物の品質維持や、また輪作や昆作の兼ね合いから、省力化をしない方向に選択をとったりもするが、基本的には省力化に目が向いている。それは当然。毎日、毎日、体を酷使しての農作業なので、楽になりたいと思うのは人の性。しかし、授産施設のスタッフさんは違っていた。『とにかく手間のかかる仕事を作らないとダメ』という。この施設では、今年から田んぼを20haほど作付けする予定だとか。『それでも稲作はほとんどが機械化なので、手間がかからなすぎで』と、稲作農家が聞いたら怒りそうなことをさらりと言う。

『なので、菜っ葉なら毎日仕事がありますし、手間もかかるので、ここに研修に来ました』ということらしい。その人曰く、『利用者のできる仕事を作り出すのが難しいんです』とのこと。『利用者の方々は、仕事のスピードは遅いのですが、持久力がすごいんです。同じルーティンな仕事を1日中出来たりするんです。そういう長所を活かせる仕事を探しているんですよ』。なるほど、葉物野菜の出荷は、袋詰めなどとにかく同じ作業を延々と繰り返すルーティンな仕事が多い。こりゃ、思わぬライバルの出現かな!?
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03 07
2007

寒の戻り。
この冬、一番の積雪。といっても、たかだか13cm程度。

2月が異常に暖かかったため、うちのハウス内にあるアブラナ科の野菜たちは、のきなみお花畑と化している。とうがたってしまえば、出荷はできないので、廃棄廃棄の毎日。今頃、少々の雪が降ったところで、その生長が止まるわけでもない。

本来ならばこの季節は、たってきたとうを食するのが普通。ということで、堤防沿いに自生している芥子菜の菜の花をあさりと一緒にパスタにして食す。普通の菜の花と違い、独特の風味と辛みが強い分、パスタにすると一段とうまい。
ハウス内にあるルッコラもとうがたってきてしまったのでこれも食すが、こちらは葉っぱのみ。ルッコラのとうはあまりにも癖がつよいので、どう食べるかは思案中。

食べることから考えてみれば、とうが立つのは大歓迎なのだが。
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娘に1日中つきあうのは、1月の妻の出張以来だ。
もちろん日頃もよく世話をしてはいるが、こうやってプチ父子家庭になって見なければわからない娘の成長ぶりもある。

1月の時は、それなりに母を恋しがったが、どちらかというと片親しかいないことに対する不安といった感じで、まさに『母』をもとめていた感じではなかった。が、しかし、今回は違っていた。

眠くなってくる頃に、急にぐずりだした。寝る部屋から飛び出し、あちらこちらの部屋を探し回る。トイレ、脱衣所、お風呂、妻の仕事部屋、客間。しかしどこにも居ない。その頃にはぐずぐずが最高潮になり、最後には妻が出て行った玄関の扉を指さし、号泣。これには参った。
抱き上げてあやしまくり、なんとか落ち着いたものの、寝る部屋に戻れば、そこに飾ってあった妻と娘の写真(妻が娘を抱いている写真)が目に入り、母を指さし号泣。
『たーたん、たーたん!!』
ママじゃなくて、かーちゃんって言っているようにも聞こえた。これはまさに『母』をもとめている!そうか、○るちゃん、もういろんなことがわかり始めたのだね。

娘の成長ぶりがうれしくもあるのだが、号泣に手を焼いた今回のプチ父子家庭だった。
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妻が仕事で上京。
なので、午後からはまたもや『プチ父子家庭』。とはいえ、明日の夜中には、妻は帰ってくるのだが。

その妻。出発前に、上京の準備でばたばたしている時のこと。
『携帯(電話)の充電器って要るかなぁ?』とのたまふ。
妻は、携帯電話の充電器を上手に取り外せない。そこで僕に頼みたいのだが、彼女はいつも直接的には頼まない。要るかなぁ?と問いかけることで、僕が他の事をしていても、彼女の充電器のことに考えが向かうように仕向けられてしまう。なんとも、絶妙な頼み方であろうか。
そこで僕が『要る』と考えれば、すこししゃくだが、まるでそのことが自分で考えたことのように思えてしまい、直接頼まれてもいない事をやってしまっていたりもする。

うまくしてやられたわけだが、こういうことは心地良かったりもする。
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自家菜園にて、キスジウリハムシを見つける。
夏場になると成虫が猛威を振るうタイプの虫で、アブラナ科の葉物野菜を売るために育てている農家にとっては、手強い相手でもある。

今日見つけたのは、多分、越冬したやつだろう。いつもなら雪の中で死んでしまうはずなのに、今年は暖冬。越冬組みが早くも活動を開始するとなると、少し厄介になる。これから植え始める作物が、早々に虫の餌食になってしまうのだ。

キスジウリハムシ以外には、越冬をしたヨトウムシ系やコナガの幼虫も発見。でもまぁ、自家菜園では虫が多くなるように工夫をしているので、天敵の越冬組みもいる。虫は増えれば良い。大事なのは、種類が単一化していかないことなのだから。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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