いろんな想いが錯綜している。研修所について。
幼なじみの大工が図面と見積もりを先週末持って来てくれた。小屋の脇を増築するという形で作られる予定の研修施設。2階建てで、2階部分はインドネシアの研修生が住むスペースになるのだが、1階部分は、車庫と母や近所のおばちゃん達で作っているグループの加工場になる予定。施設の借金はすべて僕がかぶるという条件で、父も母も納得してくれたので、研修事業では直接使わない部分も僕が借金をかぶらないといけない。見積もりは1500万円。なかなかの数字だ。

さて、今回具体的な数字が出てきて、錯綜し始めたのは僕ではなく、母や近所のおばちゃん達の加工グループ。1階につくる予定の加工場は、内装に関してはそのグループがお金を出してやることになっている。大工が見積もりを持ってきたということで、先週末に母達は、あちこちの加工場を見学して回ったらしい。そうしたら、内装にかかるお金が、自分達が考えていた以上にかかるのではないのだろうか、という懸念が出始めた。当初考えていたお金の3倍くらいになりそうなのだ。

グループのメンバーは、約4名。加工するものは、かきもちや伝統菓子。僕の目からみたら、どれもぱっとしないものばかりなのだが、この辺りの農業の延長上のお菓子となると、それらが妥当でもあるし、それ以外の菓子は作りようがない。そういったものなので、爆発的に売れると言うものでもないし、そもそもそのグループメンバーもほそぼそとやっていければいい、という考えなので、それはそれで楽しいだろう。しかし、その『ほそぼそとやっていければいい』の内容が、各メンバーでどうもずれがあるようである。

メンバーを仮にABCDとでもあらわそう。AさんとBさんは、内装にかかるお金が3倍になってもやりたい、と考えている。だが、CさんとDさんは、そんなに投資しても、うちらの作るお菓子ではもとがとれない、と考えている。AさんとBさんは、この投資は将来にわたって楽しくお菓子作りをするための、いわば生き甲斐に対しての投資なので、儲けがすくなくて戻ってこなくてもいい、と考えているが、CさんとDさんは、経営的に考えて投資したお金が儲けでもどってこないのならば、やらない方がいいと考えている。グループ活動を生き甲斐とするところは、全員一致なのだが、その内容がすこし違うのだ。CさんDさんはもっと経営的に考える必要があると言う。そして、経営的に投資額が戻らないのであれば、やりたくない。

この4人。それぞれの職業をみると面白い。Aさんは農業。Bさんは小規模の繊維工場主だった。Cさんは農協の職員だった。Dさんはサラリーマン。自分のお金で事業をきりもりしていた人たちは、この先の投資についても割合さっぱりしている。が、CさんDさんは慎重。またグループ活動では、農協の職員だったCさんは、やたら儲けや達成額にこだわるところがある。生活改善グループなどでも、儲けが300万以下はそれとみなされない昨今、行政に近いところにいた人は、こういう価値観をもっているのかもしれない。

さて、この錯綜振り、楽しんでもいられない。母達のグループが加工場を作らないのであれば、僕としては、その分建物は半分にしてしまいたい。そして幼なじみの大工としては、ここで建物が半分になってしまうのも困る。母達の加工場を作るか作らないか、この時点でもめ始めてしまったため、なかなか工事にもかかれない。夏には研修生がいる状況にしたいのだが、はたしてどうなることやら。
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01 29
2007

先週、普及員が訪ねてきて、『新規就農の届けは、今週中にお願いできますか』と言ってきた。いまさら僕が新規就農なんて、なんだかこそばゆい話なのだが、支援金があるのと、新規就農者対象に資金の貸付(無利子)をしてくれるというので、今年、ようやく新規就農の登録をすることにしていた。

さて、その届けなのだが、先週中といわれておきながら、今日に延びてしまった。届けには5年間の就農計画書を添付しないといけない。そこではある条件がある。5年後の農業所得が200万だか250万だかになっている必要があるのだ。僕の場合はまったくゼロからのスタートではなく、今のうちの農園(父の農園)から部門わけをして、僕自身がいち経営主になるという計画をしていたので、この数字はそう難しくはない。ただ、その5年間の計画書、書いていてすこし不思議に思った。

5年間を1年ごとに段階的に書いていくもので、耕作面積や収量、収入、所得などといった項目を埋めていくと完成する。新規で就農する人は、これをどう書くのだろうか。就農する時点で、5年後に200万になるように計画できるのだろうか。初めの1年で200万の所得目処がないかぎり、ただ単純な経営規模拡大的な計算をするだけの計画書になりかねないのじゃないのだろうか。人として生活するための糧に農業を選ぶわけなので、所得が200万になるように計画、というのは至極ごもっとも。この計画書の雛形をみて、農業の多様性の無視などと言うほどひねくれてはいないが、産業としての農業しか書き込めないのだなぁ、とすこし残念でもあった。

なにはともあれ、今日市役所に提出。来月頭には、県レベルでのヒアリング。これが通れば、支援金はもとより、新規就農者対象の貸付も受けられるかもしれない。それが受けられないと、研修施設のお金がどこから出そうかなぁ。
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久しぶりに畑に出る。

子守ばかりが続いたので、先週は3度しか畑に出ていなかった。例年なら、この時期はまだまだ寒く、畑の作物もほとんどない状況なので、それでもかまわないのだが、今年はすこし状況がちがっている。毎年、最低でも一冬に60cmは積もる雪が、今日現在で積雪記録はたったの14cm。それも昨年末の記録なのだ。今はまったく雪がない。それどころか、この時期、ほとんどないはずの日差しまであり、ハウスの中はずいぶんと暖かい。仕事をすると汗ばむほどである。おかげで、ハウスの中の菜っ葉は伸び放題。僕が仕事に出なくても、パートさん(近所のおばちゃん)が収穫して袋詰めしてくれるので、うちの農園としては滞りなく出荷は進んでいく。ただ僕が居ない分、それら菜っ葉の管理がおろそかになる。

顕著だったのが、ベビーリーフ。播種した後に、ねずみが入り込んだらしく、播いたばかりの種を掘り出し、食べ荒らした後が・・・。さらには、ナメクジ。この時期としては珍しいのが、暖かいせいもあるのだろうか、ナメクジがやわらかくて小さいベビーリーフの葉っぱをがつがつと食い荒らしていた。あああこれじゃ、ねずみとナメクジを飼育しているようなものだ。

単一の作物を大量に作れば、それが害虫・害獣のねらい目になるのは当然。さて、これをどうやって薬に頼らず駆除しようか。実はこういうことであれこれ考えるのは、ずいぶん楽しい作業でもある。ねずみとナメクジとの知恵くらべ。

この暖かさのせいがもう1つ。ふと堤防を歩いてみると、すでにふきのとうが顔を出していた。散歩かたがた、袋を下げてふきのとうを採る。さて、何にして食べようか。てんぷらも良いが、妻がいうふきのとうのパスタやリゾットも良いなぁ。こういうことを考えるのもずいぶん楽しい作業。これらのことこそ、農の営みの醍醐味なんじゃないだろうか。
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妻が帰ってきた!
駅の改札まで出迎えに行ったのだが、娘が母を発見するなり、『うー!』と叫んで指を指し、抱きついていった。それからというもの、母にべったり。娘は興奮気味で、お昼寝も40分しか寝ず、夜も遅くまで元気いっぱいに歩き回っていた。よほどうれしかったのだろう。

この1週間で、家事と育児をするスタイルが完全に体になじんでしまったせいか、今、うちには主婦が2人いるようなものである。妻がいても、ついついまめに家事をこなしてしまう自分がいる。2人で家事と育児をするものだから、今日は本当に楽だった。娘の食事を準備していても、その間、妻が娘の面倒を見てくれているから、スムーズに出来たし。って、あれ?僕はいつまで娘の食事を作り続けるんだ?
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7日目。
夜中に座薬を入れて、氷枕と保冷剤を2回ほど取り替えたら、朝には熱はさがっていた。しかし、一応小児科で見てもらうことに。
今日は、保育園で一時保育をお願いしていた日だったのだが、それをキャンセルして朝から近くの小児科医院へ。

今の季節柄か、小児科医院は患者で溢れていた。待合室で座る場所を確保するのも難しいくらいの混み具合。しばらくは抱っこして順番を待っていたのだが、そのうち、うちの娘、動きたがってぐずりだす。熱はすっかり落ちていて、朝食もぺろりと食べきり、大きなうんちを3回も出した娘は、すこぶる元気だった。小児科医院の待合室には、おもちゃや絵本がいっぱいおいてあるプレイスペースがある。娘はそこに行きたくて行きたくて仕方がない、といった様子なのだが、当然そのプレイスペースも子供とお母さんでいっぱいなのだ。

こういう場は不思議なもので、親同士の接点としては、同じ時期に子供が病気になった、くらいしかない。だから、保育園などと違って、当然子供同士ではなかなか遊ばせない。連れてきた親と子供がセットで遊んでいるのが普通なのである。何をあたりまえのことを書いているのだ、と思われるかもしれないのだが、プレイスペースにそれぞれの親と子供がテリトリーを作ってその中で遊んでいる様子を見ると、しみじみそう再認識してしまうものである。どこか滑稽で、どこかぎこちない。

さて、うちの娘。とにかく元気いっぱいで、その飽和状態のプレイスペースに突っ込んで行ってしまう。そして親同士が暗黙に作り出しているテリトリーをどんどん破って、おのちゃを取り上げたり絵本を取り上げたり、はたまたよそのお母さんが自分の娘に読み聞かせている絵本を、その娘よりも前に出て絵本を覗き込んだりする始末。待合室にいる大人は、僕以外は女性ばかりで、ただでさえ居心地が悪いのに、娘の暴れぶりにはほとほとまいった。仕方なく、飽和状態のプレイスペースに僕と娘のテリトリーを作るべく、僕もプレイスペースに乗り出していった。すると、

プレイスペースにいた子供やお母さん達が、すすすっと、その場から出て行くではないか。そして終には、プレイスペースは僕と娘だけに。待合室のソファーや椅子は座りきれないほどの子供とお母さん達で溢れているにも関わらず、である。どうやら、子供達が僕を怖がっているらしい。たった一人大人の男性でもあるし、それに僕はひげ面。子供が怖がるのも無理はない。

おかげでうちの娘、さんざんおもちゃや絵本を独り占めにしてご満悦だった。ただ、飽和状態の待合室からお母さん達や子供らが投げかける視線が、僕の背中にささるようで痛かった・・・。

1時間ほど待って(遊んで)、ようやく診察。結果は風邪。気管支もすこしあれているとのこと。4日分の薬をもらって家に帰る。しかし、こんなに元気なら、保育園に行かせればよかったのかも。とにかく元気なのでよしとしよう。

明日の昼には妻が帰ってくる。あああ、これで1週間、無事(?)に過ごせた。しかし、これはある意味、前哨戦なのだ。妻が職に就けば、このようなことがもっともっと日常的になる。この先の試練を考えると、すこし気が重いが、それはおいおい考えることにしよう。
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6日目。
出た出た!ついに出た!大量のうんち。
繊維質のものをとこどもの家庭の医学書に書いてあったので、うんちが出やすくなる繊維質といえば、そう『さつまいも』。ただ、うちの娘、さつまいもはあまり好きじゃない。それでもそのスープを作って食べさせたのだが、やはり食べない。

こどもの家庭の医学書には、みかんもうんちをやわらかくします、と書いてあった。あっ、この二つを組み合わせれば一石二鳥じゃないか。ということで、オレンジジュースでさつまいもを煮て与えたところ、これがヒット!大量のさつまいもを一気に食べてくれた。これが功を奏したのか、夕方に立て続けに大量のうんちをしてくれた。これで一安心。しかし、今日はとにかく機嫌が悪かった。ずーっとぐずりっぱなし。そして僕にずーっとべったり。もしや、これは・・・

出た出た!やっぱり出た!高い熱が。
夜になって、高熱。氷枕と保冷剤で冷やしつつ、座薬を入れる。娘の我慢もここが限界だったのだろうか。とにかく熱がさがってくれれば良いのだが。
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5日目。
そろそろ娘も僕も疲れが出てきている。娘は良くぐずるようになっているし、その度に『ママー』を連呼する。まんま、じゃなくて、明らかにママ。

うんちはまだ硬い。出そうとする時に、ずいぶんと泣くし痛そうでもある。ただ上手く気張れないようだったので、友人からもらったおまるに乗せてみる。このおまる、普段は娘のおもちゃ入れになっているのだが、ここぞとばかりに座らせてみると、上手く気張れるみたいで、すこし大き目のうんちをすることが出来た。娘もうんちがおまるに出たのを興味深く覗き込んでいた。母が居ない間に、初おまる。こういう娘の姿を母よりも先に見られるのは、なんだかちょっと得した気分でもある。
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4日目。
今日も保育園。保育園にもすっかり慣れているので、いつもなら連れて行ってもぐずらない。それどころか、お父さんには興味ないわ、という体で、他の子が遊んでいるのを興味しんしんで見ていたりもする。だのに、今日は違っていた。

連れて行くなり、号泣。べったりとくっついて離れようとしない。娘がお気に入りの保育士さんが抱っこしようとしてくれても、いやいやで離れない。なんとかひっぺがし、その場を後にしたが、窓越しに号泣している娘が目に入り、なんとも心が痛んだ・・・。

さて保育園での話だが、いつもならうちの娘、食欲旺盛でよそ様の子供のご飯やおやつまで食べてしまうほどなのだ。しかし、今日は違っていた。保育士さんも驚いたようで、僕が娘を迎えに行くなり、『娘さん、今日、はじめてご飯残しました』とのこと。今日初めてご飯を残したことにもびっくりなのだが、それほど娘には母がいないことが影響するらしい。便秘のせいでもあろうが、そもそもその便秘も母が居ないことによるストレスなのかもしれないと思うと、やはり母の存在は娘にとってずいぶんと大きいものなのだろう。

昨日の反省を活かし、今日は娘を迎えに行く前に夕飯の準備を済ませておいた。なので、帰ってきてから、1時間ほどべったりべったりする時間をとることができた。おかげで夕飯はびっくりするほどの食欲。今晩も8時前からばあちゃんが来てくれて(爺さんも一緒に)、娘と遊んでくれた。今日は僕と十分べったりしたので、じいちゃん・ばあちゃんと一緒に機嫌よく遊んでくれていた。僕はその間に、保育園の洗濯物を済まし、洗い物をし、お風呂の掃除することができたのである。なんとも効率の良い日だろうか。

しかし、実は今晩、若手農業者の会の新年会だった。ぎりぎりまで行こうと考えていたが、昨日の事もあり、断念。まぁ、子育てなんて、そんなことの連続なのだろうけど。


追記:昼下がりに、保育園の面接があり、市役所の職員からヒアリングがあった。この春からいよいよ保育園に毎日通えることになりそうだ。
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3日目、助っ人登場!
晩になって僕の母と妹が、娘の面倒を見に来てくれた。娘はばあちゃん(僕の母)が大好きで、ばあちゃんが来ると僕や妻が居ても、ばあちゃんばかりに抱きついていくくらいである。とても強力な助っ人なのだ。

しかし、これでようやく僕もゆっくりと晩飯が食えると、安堵したものつかの間。ばあちゃんに抱かれて遊んでもらっているにもかかわらず、娘はぐずり始めてしまった。そして、半べそかきながら洗い物をする僕の足にすがり付いて来るではないか。それからというもの、ばあちゃんが幾ら抱っこしてもあやしても全然効果なし。僕の傍を離れようとしない。これにはばあちゃんもがっかりの様子だった。結局、あまり役にも立たず、母と妹はすごすごと帰っていった。

しかし、どうしていつも大好きなばあちゃんになつかないのだろうか。いろいろと考えた結果、思い当たる節が。

今日は、娘は週2回一時保育をお願いしている保育園の日だったのだ。娘が保育園に行ったので、今日はお迎えの時間ぎりぎりまで仕事をしていた。そしてお迎え後は、当然娘の洗濯物や食事・お風呂の準備などなどできりきり舞いの忙しさだった。その間、娘は幼児用のテレビ番組をおとなしく見ていてくれた。そのおかげで、洗濯も食事の準備も娘をお風呂にいれるのもスムーズにできた。そして娘の食事後におばあちゃんが来てくれて、娘の面倒を見てくれた。その間に、こっちは洗い物や洗濯の続きをできたのでとてもよかったのだったのだが・・・。しかし、どうもこれがいけなかったのかもしれない。

妻がいるときは、洗濯や食事の準備は妻がやっている。たぶんその間、娘はテレビを見ながら我慢して相手してもらえるのを待っているのだろう。そうしている間に、いつもは僕が仕事から戻り、娘と遊んでいる。しかし今日はどうだ。いつまでたっても僕は娘の相手をしていない。娘のための家事とは言えども、それに追われて、娘自身に時間をかけられていなかったのだ。そして待ちきれずに、ばあちゃんがあやしているにもかかわらず、ぐずりだしたのかも知れない。

娘自身にべったりとしていれば、家事をすませることができない。かと言って、家事を済ませようとすれば、娘がさびしがる。
世の中の働くお母さんは、どうやってこの問題を解決しているのだろうか。その苦労を思うと頭がさがります。
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2日目。
午前中は機嫌よく過ごしてくれた娘。午後も昼寝をするまでは良かったのだが。

いつもは2時間ほどたっぷりと昼寝をするはずが、どうしたことか1時間でお目覚め。もう一度寝かしつけようとしたが、これが気に触ったのか、怒り爆発。泣きながらエプロンを取り出し、『まんまー、まんまー』の連発だった。昼ごはんを食べて間もない時だったので、いろいろとごまかそうと遊んでいたが、それでもまんまと泣き続ける。結局、根負けで2時半ごろにおやつとなる。

妻が出張すると必ずといって良いほど、娘は便秘になる。なので、あれこれと考えて食事をつくる。娘にとっては味と言うよりも、食事の雰囲気で食欲が決まるようなので、食事の時間は、僕はエンターテーナーとなり、娘をあやし続けなければいけない。不機嫌になるとご飯を投げるし、野菜を食べてくれないから、ますます便秘になってしまう。便秘になるとウンコの時にお尻が痛いらしく、大泣きしますます不機嫌になると言う悪循環。これをとめるためにも、僕は食事時、あれこれと娘をあやす。昨日は、お母さんといっしょでやっている、『ぱわわっぷたいそう』のまねがヒットだった。

しかしその甲斐なく、今日もウンコはちゃんとでなかった・・・。明日は、ウンコ出ると良いなぁ。
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妻がカンボジアに調査に出かけた。期間は1週間。
今朝、朝一の電車にのって空港に向かったのだが、送り出した後にテレビを何気なくつけたら、妻が行こうとしている調査地で、地雷処理ミスにより死者7名とニュースに出ていた。まぁ、こういうのはお互い毎度のことなので、あまり心配はしていない。

そして、娘と僕とのプチ父子家庭生活がはじまった。

妻の居ない1週間を僕と娘と二人っきりで過ごす。娘はまだ1歳と3ヶ月。かわいい盛りなのだが、言って聞かせることがほとんど出来ない状況なので、まるで怪獣と一緒に住んでいるような気分である。そして今日は特にその怪獣ぶりがひどかった。

いつもは妻と2人で面倒を見ているので、娘も機嫌よく遊ぶのだが、今日は僕1人。家事をしながら子供の面倒をみることになるのだが、妻のように手際よく出来ない。だから、娘にかける時間も減る。初めは1人で機嫌よく遊んでいても、次第に機嫌が悪化しぐずりだす。うちの娘はぐずるとなぜか食事用のエプロンを取り出し、『まんまー、まんまー』といって飯をねだる。たとえそれがご飯を食べた直後でもである。

ご飯も妻のように美味しくは作れない。だからなのか、せっかく小さく作ったおにぎりも投げ飛ばされてしまう。あちこちに散乱するご飯粒。それの始末に時間がかかり、相手してもらえない娘はますます不機嫌に、という悪循環。

それでも何とか寝かしつけをし、寝てくれた。寝る前には、母親を思い出したのか、部屋のあちこちを探し回り、『ままー、ままー』と呼んでいた。ただうちの娘は『まま』と『まんま』をうまく区別して使いこなせていない。だから昨晩も『まんまー、ままー』と混ざっていた。母親を呼んでいたのだと思うのだが、もしかしたらご飯をおねだりしていたのだろうか。

なにはともあれ、1日目終了。
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久しぶりに、人前で話をする。
話の内容は、協力隊時代の経験談。となりの、そのまたとなりの市の高校で、異文化理解の講座があり、そこで協力隊OB・OGが7人ほど呼ばれて、それぞれの教室で話をするというもの。

さて講演内容なのだが、『異文化理解がわかる様なお話をお願いします』などとあらためて言われると、こちらもずいぶんと話に困ってしまう。理解も何も、向こうの文化の真っ只中で生きていかないといけないわけで、悠長なことはしていられない。手で飯を食え、と言われればそうするだけだし、左手でトイレを済ませろ、と言われれば、言われたとおりにするだけなのだ。飛び込んでいくこちらとしては、絶対的少数なのだ。『郷に入れば郷に従え』である。ただその中で、あちらさんにとっては異文化的存在の自分が、自分の価値観で何か活動してやろうとしているのだ。まさに爆弾。だから、よく喧嘩もした。

異文化理解なんてことは、僕の口からとてもじゃないけど言えやしない。もしそういう話が出来るとしたら、それは協力隊隊員じゃない。協力隊を受け入れた地域や学校や施設や、はたまた隊員の面倒を見てくれたホストファミリーたちだろう。爆弾のような異文化の若者を嫌な顔一つもせず受け入れてくれて、やさしく接してくれて、そして時には忍耐強く諭してくれた向こうの友人や知り合いたちこそ、『異文化理解』を口にすることが出来るのである。

そんな想いがあるからなのか、今日の講演はぜんぜんぱっとしなかった。僕の経験の一体なにを話したら、異文化理解なのか。自分でも解らないまま、1時間30分話した。こういう日はやたら疲れる。
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祖父から、ほうき作りを習う。
農閑期のこの時期、昔からうちではほうきを作ってきた。縄と違って売るためではなく、集落の人や親戚縁者に配るためと、自分の家で使うためにである。

昔からこの辺りでは、“ほうきの木”(ホウキグサ:アカザ科の一年草 果実はとんぶりと呼ばれ食用可)と呼ばれる植物を栽培してきた。かつてはその実を食したそうだが、今では実は食べない。実をとるのがずいぶんと手間取るからであり、祖母に言わせれば『今は他に美味いもんが簡単に手に入るから、そこまで手間かけてまで食べんのや』とのこと。

さて、そのほうきの木。筆を立てたような枝振りで、それを逆さに使えば、そのままほうきになる。昔からこの辺りでは、その植物を乾燥させてほうき代わりに使っていたという。ただ特に手を加えるでもなく、その植物をそのまま使用していた。

それが祖父が14、5才の時、その木をまとめて穂先をそろえて針金でとめてほうきを作った。祖父曰く、『姿のいい、かっこよい箒にしたかった』とのことだった。作った当時、それが評判となり売って欲しいという人まで出てきたのだが、元が元だけにただで配っていた。そして今日までそれが祖父の冬の仕事になった。

ほうきを作るといっても、一見ただ単に束ねただけのようにも思えるのだが、実はかなり難しい。コツとしては、ほうきの木の枝ぶりを良く見ること、である。ほうきの木には太い茎と細い茎があり、またまっすぐなものは少なくほとんどが曲がったものである。その曲がり具合と、枝の細さ、そして枝ぶりを見ながら束ねる量を決めていく。太い枝の木を2本ほど中心にし、その周りに枝振りの細かい細い枝を集めて1本のほうきに作り上げていく。僕もほうき作りに挑戦したのだが、1本を作り上げるのに30分以上もかかってしまった。祖父は、ほうきの木の束から無造作に木を取り出し、選ぶことなく1本のほうきに仕上げていく。祖父の作業を見ていると、どの枝がどこに収まるかは初めからすでに決まっているかのようであった。

僕が初めて作ったほうきを祖父が眺め、『初めてにしては、姿がいい』と褒めてくれた。が、『締めが足りない』と指摘された。ほうきの木を針金で締め上げて束ねるのだが、今年83才になる祖父に、その締め上げでは及ばないのだ。力は明らかに僕のほうが強い。締め上げる時に針金を切ってしまうくらい力はあるのだが、それくらい力をかけても、祖父のようには束ねられない。祖父は針金を切ってしまうことなく(またその力も無いはずなのに)、僕よりも強く針金を締め上げていく。

作り方という意味では、ほうきの作り方の手順は理解したが、祖父のほうきを作る技には到底及ばないし、その技の内容も理解ができていない。これから少しずつほうきを作ることで、それにすこしでも近づければと思う。
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原 洋之介 著 『「農」をどう捉えるか』:市場原理主義と農業経済原論.2006年.書籍工房早山.

農をどう捉えるか、と題をうってあるが、農業を経済学でどう捉えてきたか、というほうがより本書を的確に表現できるだろう。現在、資本主義のグローバリゼーションの一環として、資本主義的競争を原理とする市場経済が世界中の農業部門にも浸透しはじめている。そんな中、WTOやFTAなどで日本の農産物関税が大きな問題の焦点となっている。筆者は、『どの地域の農業も、世界基準とされる画一的な市場制度に「合理的」に適応していけるのだろうか』と問いを立て、日本の農業経済学発展を明治期の農正論からサーベイすることで、農業の地域独自性とそれを農業経済学がどう捉えてきたのかを明らかにする。そして最終章では、それぞれの地域・国を比較しつつ、新古典派経済学の市場原理主義とは別にそれぞれの農業をどう捉えていくべきなのかを探る。

明治・大正・昭和の農政論や農業経済学各理論の検証を通じて、筆者は農業における経済循環や市場経済取引が完成された状態にあるという経済理論を暗黙の前提とはできないことを示している。農業における土地、労働、資本といった生産要素の利用とその価格形成(それら要素の市場)は、何らの制約もなしに完全に競争的になっているわけではない。現実的には、『土地や労働力の取引は、その土地や労働者をある程度知っている経済主体間だけといった、空間に限られた範囲内での相互依存型戦略ゲームとして成立する。市場が不完全であるかぎり生産要素の利用は、「戦略型補完性」ないし「制度的補完性」の下に置かれつづけることになるのである』と指摘する(p184-5)。その上で、『「農業部門で戦略的補完性」をもってその配分・利用が決められている以上、経済の全部門を連結させるにしても、要素市場が長期的にも完全競争的に機能することはないだろう』と述べている。歴史的発展の考察を経て、要素市場がそれぞれの地域の制度や価値感に大きく影響を受けて不完全化している現状を見るに、政策介入を撤廃したとしても、市場メカニズムが効率的に機能するとは期待できないであろう。その上で、特定の地域における独自の農業経済学の確立を強調している。

新古典派経済学が、農業部門を席巻する昨今、原氏の指摘は大きな意味を持つように思われる。経済学用語が多く、その意味では門外漢の自分としては、読むのに一苦労。また本書は日本農業経済学の歴史的発展の検証が大部分を占めるのだが、その膨大な議論を250ページほどにおさめてあるためか、論旨が見え難い部分も多い。ただ筆者がもつ考察のフレームワークはとても素晴らしく、必読の書。
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01 12
2007

年末のかぶらの出荷で世話になった中卸と卸業の若いもんを呼んで、すし屋で接待をした。この中卸と卸の若いもんがいるからこそ、うちの販路が約束されている。販路が確立されていなければ、どんなに良いものを作ろうとも、それらは一切売れない。だからといって、品質の悪い作物ばかりを出荷すれば、その販路もなくなることになる。

6人ほどの飲み会(僕の親父も含めて)だったのだが、僕を除いてすべてが地元の農林高校出身者。親父の代から付き合いがある卸業や中卸との関係も、多くがその農林高校の先輩後輩関係が入り乱れて成り立っている。最近でこそ、地元農業にほとんど貢献できていない、と農林高校は批判されているが、実はそんなこともないだろう、とこういう席に出るといつも思う。

酒がすすみ、卸業の若いもんが昨年の11月からセリに立つようになったという話題になった。『声が小さくてセリにならん』とのことで、『勢いが無いから値がつかん』とも。そういう時は、先輩である中卸の若いもんが勢い良く買い取るという。ほっといたらどうもならんし(どうしようもないから)、とそれなりの値段で引き取るらしい。それで中卸としては損もするらしい。先輩後輩だけで取引しているわけじゃないだろうが、そういった関係がまったく意味が無いわけでもない。しかし、市場原理から考えると非効率なことなのかもしれない。そのことで消費者が安く野菜が買えない事だってありうる。しかし、こういった関係が、取引に血を通わせているのも事実。僕は中卸のバイヤーとは幼なじみ。バイヤーと卸の中堅は同級生。卸の若いもんとバイヤーは先輩後輩の仲。こうやってものの価格がきまっていたりもする。

高校進学のとき、親父が『農業をするのなら地元の農林高校へ行け』としつこく僕にいった言葉が今ならよく理解できる。農業にいったい何が含まれているのか、親父は親父なりの言葉でつたえようとしていたのだろう。
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妻が仕事で上京した。なので、娘の世話でてんてこ舞いになる。
お風呂も、ご飯も、絵本のよみきかせも、オムツ換えも、寝かしつけも、ぜーんぶ普段からそれなりに協力しているので、妻が居なくとも滞るわけではない。ただ1人で1歳とちょっとの娘の面倒を見るのは大変だ。トイレに行く時間も無いくらい。

たった1泊の出張。しかし、これは前哨戦。再来週、妻がカンボジアに調査に行く。1週間。その1週間は、僕が娘のすべての世話をする予定。ああ、考えただけでも便秘になりそうだ。
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久しぶりに汗をかくほど仕事をする。
昨年末に出荷したかぶらの圃場を後片付けしたからだ。一昨年は大雪であったため、露地のかぶらのほとんどは収穫できなかった。そこで、昨年はハウスにもかぶらを播いていた。

露地での野菜作りは、ハウスと違って、作物の残渣処理がとても楽である。というのも、雪国である僕の県では、露地ではそう何度も作付けができないので、露地野菜の残渣は春まで放置されたりする。雪の下になり、それなりに残渣が分解されてきたものを春にトラクターをかければ、それで処理は終わり(ものによっては収穫を終えた秋にトラクターを1回かけておく)。

しかし、ハウスはちがう。多額の資金をかけて建てたもので、ここの土地は1年に1作というわけにはいかない。畑の使用計算としては、できるだけ回転率を上げることが収益にもつながるのである。露地であれば面積を増やすのは比較的楽であるが(他の家から借りる等)、ハウスは面積をそう簡単には増やせないし、その土地を休ませるという判断もなかなかすることはできない。となると、施設(ハウス)農業とは、出来るだけ施設の回転数を上げ、尚且つ、その土地の地力消耗を防ぐことにある。そういう発想から、水耕栽培といった技術も生まれてきたわけなのだが。

それはさておき、今日はかぶらの残渣をひたすらかき集めた。取り残しの大きすぎたり小さすぎたりするかぶらも一緒に。途中で夕方になってしまい、手元が見えなくなってしまったので、この作業は明日に持ち越し。うちの農業では(特に施設利用の場合)、この後片付けの仕事が3分の1ほどをしめる。残渣を土にすき込めない分(すき込むと施設利用の回転率がさがるので)、土地に対するダメージも大きい。ダメージを受ける分、大量の堆肥を投入するのだが、こんな農業が長続きするはずがない(お役人さんからは、これこそ持続的農業と言われることもあるが)。残渣をかき集めつつ、農的循環からかけ離れない施設農業なんてありえないのだろうか、と考えた日。
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人生には機があるようだ。
何かを始めようと思っていても、始まらないことばかりなのに、一旦、事が動き出すとあれよあれよと動いていく時期がある。今日はそれを感じた日。

研修事業のことである。某国営放送などで最近問題視されている外国人研修制度。次の国会でも多分制度の中身について議論がされるだろう。だのに、あえてこの時期に、それを利用して自分のやろうと思う事をしようとしている。インドネシア人の研修生を受け入れようと考えている。

その研修が人手なのか、それとも研修なのか、という議論はおいおいしていこうと思うし、そもそも近代的農業(1カロリー生産するために10カロリーのエネルギーが必要な農業)の押し付けにしかならないのではないか、という批判もあろう。それも一度にではなく、プロセスを通して議論していこうとは思う。ので、今日はそのことではない。

年末に、我が県でインドネシア研修生を受け入れている農家にあるメールを出していた。研修受け入れを検討しているので実際の話を聞かせて欲しい、と。しかし何の音沙汰も無く、今日まで過ぎていた。仕方ないので、また違う知り合いでインドネシア人を受け入れている人に直接電話をしたところ、インドネシア人研修生の派遣を行っている協同組合を紹介された。ので、そこに電話を。すると。

なんと偶然にも、その協同組合の方でも僕の連絡先を探していたところだったとか。年末にメールを送った人が知らせていてくれたとのことだった。そこで早速うちに来てもらい、研修制度の説明を受けることになった。

この研修制度を始めるにあたって僕としては、ある思惑があった。誰でも良いので人手がほしい、というわけではなく、この制度を利用して協力隊でかかわったある地域から重点的に人を送ってもらおうと考えていた。僕個人では、研修所としての認可をとるのも大変だし、研修で来るインドネシア人の研修ビザ1つとるのも大変だ。短期の滞在ビザという手もあるが、3ヶ月では農業の流れや農の営みが到底説明しきれない。最低でも1年、理想は2年、といったところなのだ。外国人研修制度ならば、最長で3年のビザがとれる。この制度をつかって、かつて関わった地域ともっとじっくりと長期で関われるのではないか、と考えていた。

さて、協同組合の代表者が説明をしに来てくれた。その説明も程ほどのところで、こちらの思惑を話してみた。研修生として来れる人を僕自身が指定できるのかどうか。その代表の方は大変好感を持てる人で、何でも隠さず話してくれる人だった。実際にインドネシア側で派遣に関わっている省では、その間のブローカーが存在しないので、こちらからの1本釣りは可能だ、との事だった。逆に、インドネシアに詳しいタヤさんが指名してくれた方なら安心です、との事だった。だが、話が進むうちに、むこうの顔が険しくなる。

僕が関わっていた地域は南スラウェシでして、と説明に及ぶと、『スラウェシの方はちょっと・・・』と難しい顔になった。なんでもこの業界では、スラウェシの人は逃げる、で有名なのだとか。つまり研修中に逃げ出して、日本に住み着いてしまう人が多いらしい。つまりは、『不法滞在』。研修生派遣の協同組合としては、この逃亡が一番恐ろしいとか。認可も取り消されかねない。某国営放送でも、外国人研修制度ですでに1万人が逃亡している、とその問題を指摘してもいる。

この話を妻にしたところ、『さすがは海洋民族!どこででもコミュニティを作る能力がたかい!』と逆にブ○ス人(スラウェシの代表的な民族)を褒め称えていたが、僕にはちょっと複雑だった。協同組合の人の話でも、『スラウェシの方は、なんだかあちこちにコミュニティを作っちゃうようで』とあり、まっとうな人が来てもそのブギ○人コミュニティにつながることで逃げ出す人も多いとの事。たしかに、ブ○ス人はマレーシアでもどこでも出稼ぎに行ったら、その先で村を作ってしまい定住すると有名ではあるが。

そんなこんなで、最後までその代表者の方には、いい顔をしてもらえなかった。その1点を除けば、とても現実的な話で、こちらのやりたいことが出来そうではあったのだが。僕としてもインドネシア人を長期で受け入れた経験がない。それに今日は初対面ということもあり信頼も無い。初めは無理をせず、今関わっているバンドゥンの農林高校とその制度を利用して何か出来ないかを探る方が得策なのかもしれない。

とにかく何か動き出したことには間違いない。まずは新年早々、幸先が良いとしよう。
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あけましておめでとうございます。

今日から仕事始め。
とはいっても、正月でも必要に応じて畑には出ていたので、仕事始めという気分はあまり無い。
正月は娘が熱を出したこともあり、どこにも行けず、誰にも会えず、であった。

昨年を振り返るに、日本に戻ってきた年であったのだが、急速に田舎に溶け込めた年であった。仕事もそうだし、むらのこともそうだった。6年前に定住を決意した時は、まったくなじめなかったのだが、不思議なものだ。人生、そういう時期が来れば、無理をしなくともそうなるということだろうか。

さて、今年の目標でもたてようか。

『仕事』では、部分的にだが、いよいよ独立を考えている。農園の経営主になること。研修事業を始めること。

『むら』では、漁業株買い取りもふくめて、より一層深く関わっていこうと考えている。年寄りに村についての聞き取りも行いたい。

『技』としては、春先から始まる夏野菜の栽培以降、無農薬野菜の自給自足を出来る限り進めて行きたい。そのためにも輪作と昆作による病害虫防除の技を身につける必要がある。
技としてもう1点、コンバインが普及する以前まで続けていた米のはさがけ技術の習得を目指す。うちの部落では周りとはちがったはさがけをしていたと言う。年寄りが元気なうちに、その技を受け継いでおこうと考えている。

『家族』は、とにかく健康で過ごすこと。それと、今以上に妻と酒を飲みながら話をする(議論も含めて)時間を作りたい。昨年は、この時間が思ったよりも少なかったので。

ほかには、読書の量をもう少し増やしたい。出来れば、洋書・インドネシア語の本の1冊でも読みたいのだが・・・。

と、こんなところだろうか。今年も昨年同様、多忙で、且つ、充実した年でありますように。
皆様、今年もよろしくお願いします。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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