10 31
2006

ごんぼの収穫始まる。
春先の耕作禁止問題や夏場に大水で冠水してどうなることかと思ったが、なんとか収穫までこれた。結局耕作禁止は、あれから通達がなんどかあったが、今期作までということで決着がついている。畑の横には、でかでかと耕作禁止地区と書かれた杭がうたれてはいるが。

夏場に大水が来て、冠水してしまったためか、生育はやはりあまりよくはない。しかし、川砂の土ですらっと根が伸びているので、収量はまずまずだろう。収穫は11月一杯続けられる。

ただ来年は、この畑はもう使えないので(耕作禁止地区になったため)、ごんぼを作れる畑を探さなければならない。川辺の畑でしか、良質のごんぼは作れないのだが、その場所もなかなか確保できないでいる。川辺の一番良い土地は、どこもかしこも耕作禁止になっているし。その場所でなければ作れない作物がある。昔、うちの集落はごんぼの産地だった。でも川辺の畑が河川工事でどんどん削られ、今じゃ、ごんぼを出荷する農家はうちだけになってしまっている。その畑も、耕作禁止。来年はどうなるんだろう。
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インドネシアの農林高校から地元の農林高校に留学生が来ている。2人。期間は3ヶ月。その2人、普段は農林高校の寮で過ごしているのだが、週末はあちらこちらにホームステイして歩く。昨晩は、うちの実家に泊まった。なので、今朝は卸売市場とJAがやっている直売所に連れていった。

僕が見た限り、インドネシアでは青果市場でセリは行っていない。行っている場所もあるのかもしれないが、僕は知らない。魚市場ではセリを行ってはいるのだが。留学生君達もそれが面白かったらしい。しきりにセリの様子を見ていた。彼らが不思議がっていたのは、セリに参加している中卸のバイヤーたちが結託して、不当な値の吊り上げや値下げをどうして行わないのか、と言うことだった。その利ざやでずいぶんもうけられるだろうに、というのが彼らの意見だった。

直売所でも同じ事を言っていた。直売所では農家自身が値段を決められる。だから、留学生君達は、みんなで話し合って値段を高くすれば良いのだ、という。それと、農村を回って安く野菜をかき集めて高く出荷する人や、卸売市場などで安く仕入れてきた野菜を高くして売る人は居ないのか、とも聞いてきた。

確かに。インドネシアにいる時、そういうことは日常茶飯事だった。そういうことばかりを見てきた。だのに、どうしてここじゃ、それがないのだろう。僕も頭の中がずいぶんと向こうに染まっているので、彼らの答えに満足には答えられなかった。

誰か知っていますか?教えてください。
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夕方、市場にベビーリーフを運ぶ。いつもは朝なのだが、あまりにも出荷量が多すぎて、夕方に中卸の冷蔵庫まで運ぶことに。
そこで、小学中学と一緒だった友人に会う。彼は今、その中卸のバイヤーである。

当然話題はベビーリーフ。9月にうちの出荷量が安定しなかったこともあり、また幼なじみでもあるので、彼は遠慮なしにうちのベビーリーフについて意見していた。

『9月は大変やったざぁ。たらんくなって(足りなくなって)、九州や神戸の産地にお願いしまくって、何とか買ったけど。そしたら、神戸からはまた買ってくれって何度も連絡入るし。』などなど。

実際には神戸のベビーリーフは無茶苦茶安いらしい。うちよりも大き目ののパックで70円。うちよりも50円ちかくも安いなんて・・・。大きな産地で、やすい労働力を使えば、それも可能か。安い労働力はなにも外国人とはかぎらない。パートで、最低賃金ぎりぎりで働く人は、たくさんいるのだ。そんなところと価格競争なんてできはしない。

幼なじみの彼は『ものはたやくんのところの方が断然いいんやざ』と言ってくれた。だから、うちのベビーリーフを買い支えたいとも。それは良いのだが、消費者はどう思うのだろう。安い方がやはり良いと思うのだろうか。いつかは、そういうところにうちも押しつぶされるのだろうか。その日が来るのは、思ったよりも早いのかもしれない。
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見学者あり。
隣の県の普及員さん2名。ベビーリーフを見たいとのことだった。
隣の県の半島付近に、空港が新しくでき、その空港を使って都会へ野菜を出荷しようという流れで、ベビーリーフを見に来たようである。都会で売れる野菜として、ベビーリーフ。すこし安直のような気もするが、まぁ、考えることは皆同じ、ということだろう。

ちなみにうちは県外には目を向けない。だからといって、地消地産なんて言いたいわけでもない。県外に出荷しだすと、どうも自分の考えている農業の論理からずれていく気がするからである。だから見学に来た普及員さんが『今以上に収益を増やすには、ベビーリーフを都市に販売するしかないですね』と聞かれても、へいへいと相槌をうちはしない。たしかに県内では、すでにうちのベビーリーフが市場を独占している状況(といっても、田舎じゃぁさほど売れないのだが)。で、売り上げはとっくに頭打ちになっている。

では、どうするか。向こうもそれが気になったらしい。別の野菜を作ります、そう答えておいた。それも土を肥やす輪作のサイクルに乗れる野菜をだ。父は堆肥組合まで作り、有機肥料を大量に入れて土作りをするシステムを作り上げたが、僕はそれをよしとは思っていない。土を肥やすのは、堆肥がすべてではない。大量に堆肥を入れる考えは、結局化学肥料が堆肥に変わっただけの大量生産重視の農業でしかない。ハウスに土作りをするための輪作を適用させたい、それが今の僕のテーマでもある。そんなことを普及員さんと話したが、むこうにはピンときていなかったようだ。空港利用→売れる野菜→ベビーリーフ→収量安定と増加→市場拡大の論理では、僕の論理とは平行線でしかないだろう。
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守田 志郎 著 『二宮尊徳』.1975.朝日新聞社.

以前、開発援助に携わっている知り合いから、農村開発を考えるなら二宮尊徳を読むと良い、とその伝記を贈られたことがある。二宮尊徳がおこなった仕法を読み解くことで、現代の農村開発のヒントになるとのことだった。その時は、その伝記を読んでずいぶんと関心もしたし、その手法や視点から学ぶことも多かった。その後一時期、農村開発の勉強をしています、という学生を見つけるたびに、二宮尊徳を読むと良いよ、なんてことを得意気に言っていた気がする。

そしてこの本。

守田志郎は二宮尊徳をどう見るか。立身出世の人物として描くのか。勤勉な人物として描くのか。以前読んだ本のように農村開発のリーダーとして描くのか。
守田は、二宮尊徳をそのいずれの視点とも違う見方で見ている。本書の二宮尊徳は、時代と彼が所属した階級である農民の持つ常識から逸脱した人物として書かれている。年少の頃の逸話で、薪を刈り取って街で売り、それを家計の助けにするという話があるが、これは大抵美談として捉えられている。しかし守田は、入会山の薪を勝手に刈り取って町で売るという行為は、当時の農村では考えられないこととして描いている。村の中で余ったものを分け合うのが、当時の常識であり、そのことで村内の資産が総体で減ることは無い。しかし、二宮の行為は村の資産が貨幣に変わり村外に流れていく事を意味している。守田は当時の農民の持つ常識から、二宮を掘り下げようともしている。

二宮はその過酷な年少時代を通して、ある論理を持つようになる。自身の親も含めてだが、お金を借りる立場の農民では、凶作が来れば、なにもかも失ってしまうことになる。そこで彼は、借りる立場から少しでもいいのでお金を貸す立場になろうとしていく。この時代、お金を借りたものは田畑を抵当に入れて、さらにその田畑を小作せねばならず、貸してくれたものに借りたお金の利子とともに高い小作料を払わなければならなかった。それでも当時の農民は、田畑を手放さず、高い小作料を払っても農耕を営んでいた。大抵の借金は通常の収穫さえあれば返せるものであったし、そこで繰り広げられる農耕自体に意味があったからだ。

しかし、守田の書く二宮は違っている。田畑で行われている農耕と生活の中身を農民の視点では見ず、貨幣の思想で見ようとしていた。二宮は旗本の領地の建て直しから大名の立て直し、そして最後には幕政にまで関与し、幕臣にまで取り立てられる。それは二宮が普通の農民になりきれず、貨幣の論理をもってして立身することを考えていたからでもある。旗本領地の建て直しの段では、現在の農村開発でもみられるような手法もあり、それ自体にはそれなりの関心がある。しかし、それが一体どのような時代背景だったのかによって、その風景は全く変わってしまう。我々の時代は、すでに貨幣経済が社会に浸透し、それで物事を図ること自体、まるであたりまえのようになっている。しかし、二宮のいた時代はどうだったであろうか。農耕のもつ意味が、貨幣経済ではかることが常識だった時代だったであろうか。農耕と生活の価値観に、交換価値以上に使用価値が勝っていた時代ではなかっただろうか。そのことに思いを馳せながら、二宮を見直してみれば、守田の言う、並みの百姓になりきれなかった男、としての二宮が見えてくる。

守田は『半生をかけて百姓の世界と自分の間に完全な距離をつくりあげることに成功した尊徳は、その出発点にあって、「並の百姓」とともに「農耕の世界」をもあとにしてきたのである』と指摘する。彼が実践してきた報徳金や御囲い稗の論理は、農耕のものとはちがう。それで領地が富み、民は栄えると教え、すべてを金にかえてこその致富と説く処世訓、しかしその論理の中には、いかにすれば稗・麦・米などをより多く結実させるためにはどのように耕すがよいかを、二宮は語らないと守田は静かに批判する。

他の二宮尊徳を読んだ後、本書を読まれる事をおすすめする。農村開発の現場で、貨幣の論理を優先させていた以前の自分を見るような思いだった。良書。
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妻の仕事の関係で週末は東京へ。
もちろん娘のお守り役として。特に何かを期待して上京したわけでもないのだが、今回はずいぶんと楽しかった。そのわけは、義姉夫婦にある。

いつも忙しそうにしている義姉夫婦(新聞記者)だが、今回はずいぶんと話をすることができた。なんてことのない日常会話くらいなら、上京の度に泊めてもらっているので、けっこうしたりもするのだが、今回はずいぶんと濃い内容の話だった。それは義兄の一言から始まった。

『たやくん、以前経済界の人から聞いたのだけど、田んぼの畔はなぜあるか知っているかい?』

農民の僕がその理由を知らないわけが無い。田を区切るものだし、それが無ければ自分の所有している田に水をためることができない。畔ぬりは稲作の作業の中でも重要なのだ。そう答えると、義兄は、
『そう、だからその経済界の人は、「田の畔が無くなれば、もっと効率よくなると思う」といっているわけさ。』と。畔なんて無くして広い田んぼにして所有を誰かに集めてしまえば、もっともっと効率よい農業になる、と。これで僕の議論スイッチがONになる。

その後の議論は、集落営農、農事法人、担い手政策、農業株式会社、デュポン、遺伝子組み換え作物、自殺する作物、農協、直売所などなどに次々とわたっていった。それらの議論というか、一方的に熱く語ってしまったというか、僕の話が一段落したとき、義兄が『なるほど。投資の話で言われているプロアマの議論に似ているね。F1が走るコースで、F1と乳母車を押しているおばあちゃんが一緒にレースをするものだな』。つまりF1が大規模生産農家もしくは法人で、乳母車が零細兼業農家ということになる。それらをひっくるめて農業として議論するから、ややこしくなるのだな、と義兄は理解したようだ。

まとまってこんなことを人と議論することはこれまで無かった。妻との議論も常に、生産重視の視点よりも生活としての農業が中心だったため、経済的に見てどうか、という問いすら立てなくなっていた。それが、経済部門を新聞社で担当しているだけあって義兄の質問は、経営・経済に徹底していた。おかげで、自分の立ち位置も自覚できた。

僕は、自分が営もうとする農業の中に、自分で蓋をしていた部分があった。明確にしないまま、答えを求めないでおこうとする部分があった。僕は生産を重視した農業から生活を重視する農業へとシフトしたいと常々思っている。だのに、未だに新品種野菜を探したり、どうすれば上手く売れるかを考えたりもしてしまう。安定出荷のために、あれこれと頭を使ったりもする。遅々として進まない生活重視の農業(というか、そんな清水の舞台から飛び降りるような勇気が、そもそも僕にあるのだろうか)。そこで僕はいつしか、農地を分けて考えるようになっていた。僕の家族とご近所と友人に少しばかり分けることができる程度の生産を志す農地と、大量生産を繰り返す農地に。農地を分けて、それぞれ違った農業をしたとしても、それで僕が生活を重視する農業にシフトしたとはいえない。だが、少なくともこれまで大量生産を繰り返すだけだった僕の農業に、少しではあるが市場に乗せない作物を生産するという農業が加わったのは確かだった。

農業を産業として捉えるのならば、義兄の話は至極ごもっともだろう。だが、農業は産業であると同時に、生活のスタイルでもあり、さらには文化でもあると思う。僕は農地を2つ(生産重視と生活重視)にわけることで、自分に納得させていた。そういう自分が、義兄とのやりとりで自覚できたのだ。それら2つは、けっして交わることがない、とは考えない。が、今はそれらに接点を見出すのは、至極困難でもある。

今後、僕がその2つの取り組みを同時並行で実行させていく過程で、それらが交わる地点があるかもしれない。そして、無いかもしれない。いずれにせよ、スタートの位置を確認できた今回の上京だった。
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娘が通っている保育園でバザーがある。その資料を昨日妻から見せてもらい、驚いた。ずいぶんと親の負担があるのだ。バザーにはちょっとした祭りもあるようで、そのときの出店のチケットも近所や知り合いに売ってください、とのこと。そのチケットだけでも12000円。保育園に通わすのは初めてだし、自分が通っていた頃など、そんなことを気にしたことなどなかったのだが、なかなかに親の負担は大きいようだ。

で、こういうことには嫌々参加してもつまらないので、どうせなら、しっかり参加してやろうと思う。だが、残念ならバザーの日は友人の結婚式の日。前々日あたりから上京してしまうので、ちょっとバザーには参加できそうも無い。

そこで毎週火曜日に開かれている園内のちょっとしたバザーに、これからちょくちょく参加しようと思う。今日は、ベビーリーフを12パック持っていった。売り上げは全額保育園に寄付という形で。来週は何を持っていこうか。
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地元の友人をよんで、チリソース(サンバル)を作る。
何も平日にやらなくても、と思うのだが、友人の時間の都合と植えてあるチリ(Cabai)の木が持ちそうも無いことから、今日やることに急遽決まる。
朝から大量にチリ(Cabai)の収穫をしたり、昼休み返上で料理をしたりと準備が忙しかったのだが、夜、友人が来て無事チリソースを作り終えた。

友人が洗い物から子守までしてくれたおかげで、時間のかかるサンバル作りも早く済ますことができ、買ってきた焼き鳥に付けて試食もできた。1年分にはまだまだ程遠いが、これで数ヶ月は持つだろう。冬が来る前に、チリの木がだめになる前に、もう一度サンバルを作らなくては。
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昼、突然電話がなる。うちの集落で、僕が兄貴と慕っている人から。
『トオル、鮎食いに来い』と。

唐突だったのだが、鮎の言葉にふらふらとその指定された場所(幼なじみの大工の工場)に行くと、5,6人で鮎を焼きまくっていた。幼なじみの大工の父ちゃんと叔父さんが、投網をうって500匹ほど鮎を捕まえたらしい(この大工は代々半漁半大工)。それで、朝から焼きまくっているとの事。商売ができそうな量なのだが、彼らは一切売らない。その代わり、むらの人を呼びつけては、その鮎を配る。むらの人もビールやら野菜やらを持ってきて、お礼代わりにしたりもするのだ。

鮎をひとしきり食べていた僕に、兄貴は、『トオル、お前すっぽん落とせ』と出刃を持ってきて言う。どうやらこれも捕まえたらしい。よくよく話を聞くと、以前に捕まえたすっぽんなのだが、しめる人がいなかったので、食べられなかったとの事。で、最近、雉を捕まえてはしめまくる僕に、その白羽の矢がたったのだった。

しかしすっぽんはどうさばいて良いかわからない。そう言うと、兄貴は『大丈夫、首と甲羅の付け根に包丁を入れてしめるらしいから、そこに包丁を入れてくれれば良い』という。兄貴の話では、昨日料理マンガ本ですっぽんのさばき方を調べたらしい。みんながマンガ本なんて当てにならん!と言う中、兄貴だけは、『そのマンガは割烹なんかも扱っていて、描写も細かいから、間違いない!』と変な自信だった。

兎にも角にも、僕は兄貴の言うマンガ本の通りにすっぽんを2匹しめた。あとの処理はマンガ本じこみの兄貴が変な自信満々でやっていた。だが調理されると、とても美味で、すぐに食べきってしまった。すっぽんは小さかったのだが、ゼラチン質の肉がたまらなかった。

その後、鮎を100匹ほど串にさす作業をした後、ようやく解放された。
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10 13
2006

中学生エッセイコンテストの審査を担当した。駅前の料理屋に集まって。
審査といっても、全国規模で行われているコンテストの県レベルの審査。
某青年海外協力協会がおこなっているエッセイコンテストなので、地元の協力隊OB会に所属している僕は、自ら手を上げれば、こういう役はそれなりにまわってくる。

中学生が国際協力についてどう考えているのか、と思ったから審査を引き受けた、と言えば聞こえは良いが、審査会場となる料理屋の飯に目がくらんだというのも事実。120作品を6人で審査し、県代表として6作品を選んだ。

一人20作品ほど読むのだが、僕が読んだ作品の多くは、『途上国とよばれる国』は『貧しい』なぜなら『物が無いから』、『日本』は『豊か』なぜなら『物が豊富だから』のロジックで書かれていた。当然、こういう作品は僕の趣味にあわないので、即却下。豊かや幸せの尺度が『物』や『お金』に限定されているものが多いことに驚いた。

あと「募金をしよう」とやたらと、募金が強調されていたのも驚いた。そんなにも募金は身近にある手段の1つなのだろうか。事あるごとに(災害なんかもそうだろう)、募金をし途上国に送っているのかもしれない。『物がないから貧しい』というロジックを抜け出せないのもそのせいかもしれない。たしかに、お金や物は無ければ困ることもあろう。だが、それで豊かになるかどうかは、僕にはよく解らない。

そんな中、ある中学生が、『幸せかどうかは物じゃない』と書いていた。彼女の作品を僕は一押しにした。
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再び雉を獲る。
たまたまハウスに雉が入っていったのを母が見つけ、僕に知らせてくれた。慌てて収穫用の籠を持って、そのハウスに。

雉はとてもすばしっこいし、逃げ足の速さも尋常じゃない。普通に競争すれば、まちがいなく負ける。だが、ハウスの中は別。逃げ出られる出入り口をふさぎ、捕まえるまで追い掛け回すのである。雉は体も小さく体力はそれほどないので、ハウスを3往復(このハウスの長さは60m)ほど全力で追い掛け回せば、簡単に捕まえることができる。ちなみに今回は雌の雉。

早速しめてお肉に。やはり前回同様、落穂を食べに来ていたらしい。この時期の雉は体も大きくなっていて、身のしまりも上々。にんにくと塩コショウをお肉にすりこんで、冷蔵庫に寝かせてある。

しめる時に、近所のおっさん達がものめずらしそうに集まってきた。雉を素手で捕まえて、さらにその日のうちにしめてしまう光景は、彼らにとってもずいぶんと奇異だったようだ。うちの農園の人たちも『おいおい、仕事しろよ』という顔だったが、これも僕にとっては仕事のうち。おもわぬご馳走を得て、ほくほくの一日。
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田代 洋一 著 『集落営農と農業生産法人』:農の協同を紡ぐ.2006年.筑波書房.

バスに乗り遅れまいと、近年、集落営農を無理やりにまとめようとする動きが農業界では見られる。自分の近隣集落でも97年ごろから任意組合を作り、農作業(水田)の効率化を図っている。この任意組合も法人化を目指しているという。しかし私自身、集落営農やその現象を巻き起こしている農業政策には疎いため、本書を手に取ることに。

本書は、日本全国で展開されつつある集落営農を経済学の視点から考察したものである。多様な集落営農や地域協業を「経営体」という1つの型に押し込むものだと批判し、『そういうフィーバーを反省する意味でも、集落営農や農業生産法人の背景やいきさつを振り返る必要がある』としかかれた本。

農政が品目横断的な担い手に偏りつつある現状において、いかなる集落営農が展開されているのか、日本全国の事例から考察している。筆者は農業生産法人を大きく3つに分けている。ワンマンファームが連合して形成された生産者組合、地域ぐるみで営農を支えようとする集落営農、そして農外企業が投資目的もしくは生産物確保の安定のため(加工目的)に農業に乗り出してくる生産法人である。生産者組合と集落営農を比較して、その社会がもつ『むら』と『いえ』の価値感の違いによって、法人化の進む道がかわることを考察している点は、非常に興味深い(例えば、『いえ』が強い地域では生産者組合になる傾向がつよいなど)。農業生産法人に関わる農政の流れや実際の事例が読めるので、法人に対して無知な私にとっては、それなりに有益だった。

しかし、農業生産法人を経営の観点で考察している傾向が強く、その意味では、実際現場で法人に参加している人々の多様な価値観は拾えていない(冒頭で「経営体」という1つの型に押し込むものだと批判してはいたが・・・)。農業生産法人の形成に、その地域の価値観が大きく影響しているとしていながらも、その後の事例考察では、経済的な価値で考察されているのが残念だった。

今、錯綜する農政が、いよいよその意味合いを自ら失うことになるとも知らずに、担い手重視に乗り出している。このような流れの中で、法人のあり方について議論するのはとても有意義だとは思うが、そこでは経営・経済の側面だけが強調されるようなことが続けば、結局は錯綜する農政と何ら変わりは無い。今日の参議院予算委員会でも、松岡農林水産大臣が『川向こうにわたる』と表現した、いわゆる多様性を認めない、農政にあうようなカタチの農業だけを国として推進しようとする中、個人個人でそれぞれの農のあり方を問い直すことが今、重要かと思われる。本書では、そのような多様な農のあり方には接することができなかった。
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同じ集落の幼なじみの大工が来る。いよいよ動き出そうとしている。
小屋を少々改築して、数名が泊まれるような部屋をつくろうと考えている。トイレやシャワールームも。それと同時に、加工ができる調理場も。なかなか大きな工事になりそうで(家一軒建てるようなものなので)、幼なじみの大工も、少し高揚気味に僕の話を聞いていた。

研修受け入れを行いたいと以前から考えていたが、とにかく動かしてみるか、と決め、大工を呼んで設計図をかいてもらうことにした。ずいぶんと大きなお金が動きそうなのに、中身もこれから具体的に考えるといった状態なので、すこし不安もある。親父に言わせれば、『道楽』らしいが。まぁ、それも結構。

こういった活動をするのは、協力隊以来で、なんだか当時の高揚感が自分に戻ってきた感じがした。
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菊菜(シュンギク)を播く。
近所のおばちゃんから、種をもらったのでそれを播くことに。
この地域の作付けカレンダーを持たない僕としては、こうやって近所のおばちゃん達に教えてもらうことが多い。おばちゃん達(祖父母も含まれる)が僕の畑を見ては、あああ、まだあれを植えてえんざ(いないわ)、と種を持ってきてくれたりする。

僕はここではまだまだよそ者で、同じ価値感の作付けカレンダーを共有し切れていない。実はだからこそ面白いのだ。僕の畑では露地のトマトがまだとれる。5月に定植したトマトがまだとれるのだ。おばちゃん達の常識でいけば、この時期までもつわけが無い。しかも農薬も肥料も一切やっていないのに。同じ価値観をもっていたら、トマトに肥料をがんがんやって、9月の頭(秋雨の頃)には株を引っこ抜いてしまっただろ。

僕は今、ここの作付けカレンダーを必死に追っている。が、同時に、ここの作付けカレンダーに小さいながらも変化をもたらそうとしている。変わりゆく農のあり方、躍動する価値感、これが最近の僕のテーマでもあるから。
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雉を食べる。妻があれこれと調べてくれて、結局オーブンで焼くことに。にんにくと塩コショウ、酒醤油少々を肉にすりこみ、半日冷蔵庫で寝かせてから焼いた。

赤ワインとの相性抜群で、1羽分ぺろりと食べてしまった。味はと言うと、『ayam kampung』(田舎の鶏:平がいされたローカル品種の鶏)をさらに旨くしたような味。身のしまりもよく、味も風味も高くて、これぞまさに野生の味!

また捕まえよう。罠でもかけようかしら。
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雉を獲る。

夕方頃、ハウスに迷い込んでいた雉を見つけた。千載一遇のチャンス。気付かれないように、ハウスの出入り口や通気用の窓を閉め、ハウス内に雉を閉じ込める。これでもう雉は外には逃げられない。

収穫用の籠を手に、雉を追い詰める。雉はとても走るのが速く、普段であれば鉄砲でもなければ獲ることはかなり難しい。しかし、逃げ場の無いハウスの中。籠でもあれば簡単に追い詰めて捕まえることができる。

雉は2羽いた。だから1羽だけ捕まることにし、もう1羽は逃がした。獲った雉はすぐさま絞めて、お肉に。ばらしてわかったのだが、うちのハウスの隣にある田んぼで兄弟(だと思う)仲良く落穂を食べていたのだろう。だが、夕暮れ時雨足が強まってきたので、隣にあるうちのハウスに雨宿りに寄ったようだ。胃が落穂で一杯だったから、そう想像するのだが。

まだまだ若い雉だったようで、肉は柔らかくうまそうである。どう食べるかは一晩じっくり考えて、明日の夕飯の楽しみにしよう。
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今日は天気もよかったので、自家用菜園に、にんにくを植える。
にんにくの1かけづつ植え込んでいく。

普通なら(近所のおばちゃん連中にとっては)、1畝ににんにくのみ作付けするのだが、僕はそうはしない。にんにくは畑の作付けでもずいぶんと有効な作物なのだ。病害虫予防のために。だから春に食べるための越冬キャベツをこれから移植するのだが、その畝の真ん中ににんにくを植えていった。キャベツは害虫がつきやすいので、にんにくと昆植することで、害虫がつきにくくなる(らしい)。

調子に乗って1.5キロも作付けしてしまった。自家用にしては少々多いかも。来春、知り合いにでもくばろうか。楽しみ、楽しみ。
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うちの野菜を買ってくれたお客さんからクレームがきた。
野菜の袋にうちの電話番号をのせているため、時々クレームの電話をもらう。ちなみに美味しかったです、という電話は一度もないが。

さて、そのクレーム。内容は、『おたくのモロヘイヤを買ったのだが、葉がずいぶんとしおれていた』というものだった。6月中旬から10月終わりまで、ほぼ毎日モロヘイヤを収穫し、次の日の朝一番には市場に出荷している。なので、葉がしおれているのはうちが原因ではない。明らかにスーパー側の落ち度。何日も前に購入したモロヘイヤをいつまでも野菜棚にならべておくから、こういうクレームが消費者から来たりもするのだ。

うちのモロヘイヤは、消費者の口に入るまでに、中卸とスーパーの2つの業者を経由しなければならない。その間に、うちのモロヘイヤは大事に育てた野菜から商品作物になり、そして最後には数字だけの『商品』と化す。この『商品』はもはや食べ物じゃない。売り上げ数字優先のばけものだ。だからしなびるまで並べる。だから売れなきゃ廃棄される。

僕が躍起になって農業をしているのは、こんな環境なのだ。タレノタメニモノヲツクルノダロウ。
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昨日のことだが、図書館でなつかしいものを発見した。
それは僕が幼少の頃に読んだ記憶がある絵本だった。
セリフの無い紙の分厚い絵本。いろいろな車が子供の好きな果物やお菓子を運んできてくれて、最後に『お誕生日おめでとう』と書かれた絵本。

その絵本、表紙を見てもぜんぜん思い出さなかったのだけど、ページをめくるとあざやかに記憶がよみがえってきた。そうそう、母親がよく読んでくれたっけ。で、その絵本を借りてくる。

その夜、カンボジアに居た頃によく歌って聞かせた音楽が出る絵本をひさしぶりに娘のために出してきた。カンボジアに居た頃の娘は、その歌にそれほどの反応を示さなかったのだが、昨晩は違っていた。僕と妻がお気に入りの歌では、最後に『ラッタッタ』とはいるのだが、なんと娘、音楽に合わせて『タッタッタ』と歌うではないか!

反応がないように思えても、実は本人としては反応していたのかもしれない。覚えていないだろう、とこっちが勝手に思っていることでも、実はよく覚えているのかもしれない。ただ普段は、記憶の奥底にあって思い出さないだけなのかも。僕が借りてきた絵本もそうだ。いろんな事を娘は、僕や妻の常識ではわからないところで吸収しているのだろう。そんなことに感動した夜だった。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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