今朝6時40分ごろ、携帯電話が鳴る。
半分寝ている頭で出ると、農林高校に来ているインドネシアの留学生が腹痛で吐いたとか。おやおや。で、あわてて病院に連れて行くことになった。

この時期、イスラム教の方々は断食月に入り、日中は何も食べない。この留学生もそうだった。断食に入ってから1週間、これくらいの時期が一番体調も不安定になるし、健康を害しやすい。そのせいだろうか。

病院は時間外だったため、救急医療ができる大きな病院だった。だからなのか、いちいち細かい検査をする。僕は大きな病院は嫌いだ。経過を観察するよりも、とかく検査に頼りがちに思える。以前、腹痛で大学病院にいったのだが、そこでは腹痛をすこしでもやわらげるよりも、その原因を探る検査ばかりをさせられた経験があるからかもしれない。

で、その留学生。吐き気を催している彼を、無理やり腹部レントゲンと採血に。当然、そのつど吐きまくる。しかし不思議と休憩をさせない。とにかく検査を遂行していた。最後に点滴をしてもらったのだが、すっかり嘔吐で体力を失っていた留学生は、血圧が下がりまくっていたせいか、点滴が入らず、3回もやり直していた。針を刺されることに慣れていない彼は、そこでも吐きまくる。治療しているのか、それとも悪化させているのか。

「留学生君、先進的な医療はこんなにも素晴らしいのだよ。」

馬鹿げてる。
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トウガラシを収穫する。インドネシアのトウガラシを。
サンバル(インドネシアのチリソース)を作るために春に植え付けしたものが、ようやく今日収穫できるようになった。

収穫したのは3種類のトウガラシで、辛さも甘さも香りも全く違う。辛さの文化が相対的に深くない日本では考えられないことかもしれないが、インドネシアでは各家庭それぞれの味があるほどのこだわりぶり。当然、地域差もずいぶんとある。僕が協力隊で居た村では、原種に近いずいぶんすっぱいトマトとものすごく辛いトウガラシとを混ぜ合わせてソースを作っていた。が、留学で下宿したボゴールのある家庭では、椰子砂糖などをいれて甘辛くするソースがメインだった。うちの妻は、ジョグジャカルタ留学中にサンバルを覚えたらしく、それらとはまた違うソースを作る。

トウガラシ自体も、まったく同じ品種でも辛さが変わったりする。すくすくと育ったトウガラシは辛みもすくないのだ。だから僕は今年、無施肥・無農薬・無除草で栽培してみた。だのに、辛みはそれほどまわってはいない。そのかわり、ずいぶんと風味は増したように思う。

明日、時間があればサンバルを作ろう。1年分作ろう。今年のサンバルはどういう味になるのか、本当に楽しみだ。
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内山 節 著 『自由論』:自然と人間のゆらぎの中で.1998年.岩波書店.

『市場経済を組み替える』(1999)で、内山氏が展開した自由と自在の議論について、より深く論じているのが本書。自由とは一体何か。誰もがその重要性を否定しないにも関わらず、漠然としているこの言葉を、近代性との関係の中で考察している。

著者は、近代の個人主義は、「経済の安定的拡大に支えられた程度の自由でしかなかった」と指摘している。我々は「その時代の固定観念」に支配されている。だのに、それに気がつかず、誰もが同じような「精神の習慣」をもって考え、判断し、行動しているうちに、それ以外の自由を尊重できない社会をつくりあげてはいないだろうか。もし我々のもつ「その時代の固定観念」にしたがって生まれてきたものが「自由の市民」だとすれば、近代人たちは、精神の「従順な下僕」にすぎない、と内山は指摘する。

内山は自由を2つの側面に大きく分けて議論している。社会的なさまざまな束縛や抑圧から自由になることと、人間の精神が自由なひろがりをもつことである。人間の精神が自由なひろがりをもつためには、時には社会的なさまざまな束縛や抑圧から自由になる必要があるが、必ずしもそうではない。社会的な束縛や抑圧を、我々は一体どのような色眼鏡でみているのだろうか。内山は、その時代の固定観念を明確にすべく、近代的自由の検証を行い、時間と自由の関係・自然と自由の関係・労働と自由の関係から明らかにしようと試みている。近代化の中で、僕たちは自己の自由を追い求めるために、自然を制御し、時間に合理的価値を与え、人間的な労働から効率的労働へと価値観を変えていった。そしてそれらにまとわりつく社会的制度的束縛を古いものとし一掃することに躍起になっていた。しかし、それで僕たちは自由になれるのだろうか。個人ですべてに向かい合う強さを秘めた生き物なのだろうか。

内山は最終章にて、『自由とは単なる個人の手段ではなく、自然をもふくむ他者との自由な関係のなかに、創造されるということではないだろうか』と問いかける。我々が今感じている自由を成立させている社会は、一方で貧しい人々を生み出していることも事実である。そして自由な社会のはずなのに、何となく自由には生きていない自分をみつけたりもする。自由を、個人の自由を実現させるエゴイスティックな権利として考えるのではなく、他者との関係の中に存在する事を忘れてはいないだろうか。我々のもつ「その時代の固定観念」をつねに問い直す必要性を、本書は訴えかけている。

内山節哲学の真髄が本書には詰まっているように思う。近代について深く考えたい人に、本書を強く推薦します(開発関係者にも)。
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今、考えていることがある。
家族内ではおおむね同意を得られているのだが、それをすることに一体どういう意味があるのか、自分でもまだはっきりとはしていない。ただ、自分が動けないのなら、自分のフィールドで出来ることは無いだろうか、と考えてのことである。それは『研修施設』。

研修施設と言っても、1人や2人が寝泊りできる場所を確保するだけのもの。日本人を対象とするつもりはあまりない。出来ればインドネシアとのかかわりをつなげていければ、と考えている。

ただ、この『研修』という言葉が曲者だ。僕と父と母とでは、研修という言葉の持つ意味が微妙に違っていたりもする。だから研修に対して、総論賛成・各論反対といった状態でもある。僕の県にも、研修という名の安い労働力が海外から入ってきている。それらと同じに見られるのは嫌だし、そもそも僕自身に、人を招いてまで何か伝えられることはあるのだろうか、と不安にもなる。民際交流なんて掲げて、自己満足にひたる趣味もない。だからなのか、以前から暖めていることなのだが、今ひとつ踏み出せない。

今日も父と母と僕とで、微妙な言葉の意味を埋めあわないまま、堂々巡りの議論をしていた。こういう日は、なんとなしにけだるい。
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秋にむかうこの時期、自家菜園での作業は少々忙しくなる。
先々日、キャベツの種を播いた。越冬させて春キャベツを楽しむために。そして今日、かぶらを播く。これは今年の暮れに収穫をしようと思っている。年越し用である。さらに、にんにくを植える座を作る。10月に入って、種が手に入り次第、植えつける予定。来年の春に収穫予定で、1年分を植えつけるつもりでいる。これらの合間に、レタスを定植したり、ビートの種を播いたり、西洋芥子菜を播いたり。

11月には入れば、ほうれん草を播く。これも越冬させて、雪の下になって甘みがぐーんと増した春に収穫する予定でいる。播く以外でも、今月の頭に播いた大根の間引きをしなければいけないし、ニンジンもすぐる必要がある。白菜はずいぶんとキスジノミハムシに食われたが、まぁ、もう少し寒さがくればおさまるだろうから、こちらは放っておく。基本的に害虫は防除しない。ある特定の虫だけにターゲットを絞っての防除はしない。虫は沢山いてもらっても困らない。そのかわり、害虫と天敵とのバランスには気をつかいたい。虫全体が住みやすいような環境をつくることに心がけようと思っている。

その甲斐あってか、露地のミニトマトが未だに大量に収穫できる。無農薬無施肥にもかかわらず。芽かきも一切していない。だから繁茂し放題。邪魔になったら、鎌でばっさりと散髪するのだが、それでもよく育つ。家庭菜園のエキスパートを自認する近所のおばちゃんたちは揃って、僕の畑の前で首をひねっている。そして彼女たちがいつも行き着く答えは、『トオルくんは、なにか特別な薬をまいているに違いない』なのだ。

彼女たちと僕との大きな違いは、ただ1点。彼女たちは作物に対する観察力はすごい。僕以上に詳しい。だが、視点は作物のみに集中しすぎている気がする。偉そうなことを言うが、僕はもうすこし広い範囲で見ようと心がけている。僕の畑のある周りの環境も含めて観察しようと心がけている。

虫のバランスが、などと偉そうな事を言っても、なかなか出来るわけじゃない。だから今は、成り行きに任せている。そのかわり、それらをしっかりと観察しようと思っている。何年か先に、それで掴める何かがあればいいのだが。
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8月、お盆前後に僕が熱を出し、それが原因で出荷が不安定だったベビーリーフが、ようやく安定して出荷できるようになった。なんとも難しい作物だこと。いや、難しいのは作物そのものではあるまい。

この作物、2001年から僕と父とであれこれと試しながら導入してきた野菜の1つ。今ではうちの主力商品にまで成長している。水菜やターサイ、ルッコラなど単体で売られているような野菜を幼葉のうちに摘み取って、ミックスして出荷するものがこのベビーリーフ。見た目のかわいさと、なんだか栄養豊富にみえる(いろんな種類の野菜が入っているから)あたりがヒットの原因だろう。

とにかくよく売れる。他の農家がなんで真似しないのか不思議でならないが、僕の地元では、ほとんどうちの農園が独占販売している。だからといって値段を自由にはつけられないのだけど。

しかし正直なところ、僕はこの自らがマーケティングまでして育ててきた野菜が好きではない。味が、というわけではない。食べるのは好きだ。では何か。

その農的サイクルが、である。夏場は種を播いてから収穫できるまでに2週間ほどしかかからない。収穫後に圃場の整理などを含めると、1ヶ月に1回以上作付けできる計算になる。そしてこの作物は、市場的旬がない。年間通じて出荷できる。いや、させられる。業者からの要望で。

だから同じハウスで何度も何度も連作をしなければ、通年安定出荷なんて無理な農的サイクルを実現することは出来ない。あまりあるほどの施設を持っていれば、話は別だろうが。残念だが、うちの農園はそうじゃない。

で、通年安定出荷を目指すために、連作で弱る土をどう回復させさらなる連作を可能にするか、ということに頭を使わないといけない。僕の知りうる農学的技術と父や祖父のもつ経験的技術を駆使して、連作して弱った土でも安定して収穫する事を目指している。ソンナコトニアタマヲナヤマセタクナイノニ。

どうせなら、連作で弱った土を作り上げてしまう農的サイクルをどう正常な輪作にもどすか、ということに頭を悩ませたいのだけど・・・。

業者やレストラン関係者から、『やっぱ、タヤさんのところのベビーリーフじゃないと』と言ってもらえるのは、正直うれしいし、それにやりがいも感じるときもある。そういったものと、僕が目指したいこととの間に、なかなか接点を見出せない。そんな調子だから、通年安定出荷だったベビーリーフの出荷が不安定になってしまうのだろうけど。
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ハトムギを収穫する。
まったく手をかけなかったので、ワラムシ(メイガ:蛾の幼虫)がずいぶんと繁栄を謳歌し、不稔実が多かった。だが、自家消費用なので、そんなのは気にならない。最近の僕のポリシーは手間をかけないことでもあるし。

脱穀には少々手間がかかる。それ専用の機械なんてないので、いちいち手で穂をしごいて脱穀していく。すごく面倒な作業で、1円にもならない仕事なのだが、不思議とその時間は、僕にとって自在な感じをうける。

煎りたてのハトムギは、とてもぜいたくな味がするに違いない。楽しみ、楽しみ。
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長芋を食す。近所のおばちゃんからのもらいもの。
時期としては少々早いのだが、おばちゃんは2年ものの長芋を早く食べたくて、早々に収穫してしまったらしい。

長芋は通常、春にまいて秋に収穫する。それをおばちゃんは、昨年まいた長芋をその秋に収穫せず、1年くりこして、今年収穫した。僕もその長芋が栽培中から気になっていたので、花が咲けば見に行き、むかごが出来ればもらいにいった。その花は、ニッキのような強い香りを放ち、むかごは強い苦みのする味だった。

だから、けっこう期待して食べたのだが、味は普通の長芋と変わらなかった。創意工夫はなかなか純粋に味には反映されにくいが、それでもおばちゃんの遊び心はその栽培を通して、僕には十分伝わっている。普通の味の長芋だったが、それはそれで面白かった。
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娘の熱がようやく下がる。7日から始まった娘の風邪は、これで一段落してくれる事を祈るばかり。この間、少なくとも4種類の細菌やウイルスにかかったらしい(そのうちの1つは突発性発疹)。

娘が風邪を引くと、とにかくなにもかもが手につかない。夫婦間の仲も険悪。僕が段取りしているベビーリーフの出荷も散々で、9月に入ってからまともに出荷できていない。取引のある仲卸からは『他の産地から取り寄せて、パックし直してでも出荷してくれ』と冗談とも本気とも解らない真顔で言われる始末だった。それら全部を娘の風邪のせいにはしないが、それがあったために何もやる気がわかなかったのも事実。

妻の知り合いが、『子供の熱が下がる事は、世界の至福の1つです』と言ったらしいが、今なら同意できそうだ。とにかくよかった。
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土日をかけて、米を収穫した。
台風が近づいていたこともあり、仕事も焦りながらだった。当然、父とのやりとりも大声から怒声に変わっていた。まぁ、そんなことは日常茶飯事だが。

木曜日と金曜日は晴れていたが、この日は米が刈れなかった。コンバインが無かったからだ。うちのような米をほとんど作らない農家では、コンバインを1台持つことは経営面でもずいぶんと負担になる。だから、近所の農家とグループを組んで、田植え機やコンバインを購入している。木曜日と金曜日は、グループの農家が米の収穫のためにコンバインを使っていたので、うちはそれをただただ待つだけだったのだ。

金曜日の午後からコンバインは空いたのだが、田んぼ1枚も刈り終わらないくらいに、故障してしまった。それを直していたら、夜になってしまったので金曜日はそれでおしまいだった。来週には台風がくるかも、そんなことばかりが頭をよぎっていて、焦りながらの仕事なので、当然はかどりはしない。

土曜日は朝から雨だった。だが、強行軍。台風が来て稲穂が倒れてしまうと、ものすごく刈り難いのだ。米は刈った後に乾燥する必要があり、普通だったら、雨の日に刈った米は水分が多くて乾燥の作業がものすごく手間になるので、米を刈りはしない。だが、うちは乾燥機も自前でもっていない。近くの農協のライスセンターに持っていって、そこで乾燥してもらうのだ。ライスセンターでは少々手間だろうし、品質がおちるだろうが、そんなのかまっていられない。ソレニドウセボクガタベルワケデモナイシ。

そんな調子でがんがん刈っていたのだが、午後からとうとう雨は本降り。さすがに土砂降りの中では、米はかれない。のこり1枚の田んぼを残して、その日は終了した。

日曜日は、僕は他の仕事をしていたのだが、父と母とで田んぼ刈ってしまっていた。この最後の田んぼだけはライスセンターには持っていかない。なぜならそれは自家用米だからである。ライスセンターで乾燥を頼むと、そこからもらえる米はどこの米ともわからないものがかえってくる。どこの米ともわからない、は少々大げさだが、近隣の農家でライスセンターに出荷した米が全部混ざった状態でしかもらえないのだ。だから、ライスセンターの米は、正直まずい。そりゃそうだ。雨の中でもがんがん刈る僕のようなやつが米を持ってくるからだ。

米を作っている農家がまずい米ばかりを食べている構図がここにはある。自前の乾燥機がなければ、そういうことになる。だが、米を主流にしていない農家には、乾燥作業は手間だし、そもそも乾燥機の維持費がだせない。戦後の農業政策の中で、農業の専門性を高めた結果なのだが、なんとも寂しい話だ。

そこでうちでは、1枚の田んぼだけは化学肥料を使用せず、農薬散布もほとんどしないで米を作り、その米はライスセンターにださずに、知り合いの農家で乾燥してもらっている。こうするようになってから、美味い米を食べられるようになった。ライスセンターがうちの地域に出来て、食糧管理法で米の売買が自由でなかった時代(94年までだったか?)、うちはずーっとまずい米を食べていた。ずーっと米を作っていたのに。農業は近代化し、収入も格段に多くなったのに、食べる米はまずくなっていたのだ。

うちは知り合いや近くの農家とうまい具合にグループを作ったり乾燥を頼んだりできるので、なんとか今はうまい米にありつけている。が、これを全部自前でやろうと思うと、おそろしく金がかかってしまう。農家で田んぼを持っていても、そう簡単には美味しい米にありつけない世の中なのだ。
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ちょっとした事故があった(木曜日の出来事だったが今頃になってアップ)。
ひさしぶりに秋晴れの今日、国土交通省からの委託を受けて、業者が堤防の草刈をしていた。草刈と言っても、無人の草刈機をリモコンで動かしての作業。砲台のない戦車の様な草刈機で、轟音とともに勢いよく草を刈る。

さて事故だが、その草刈機が勢い余って土手の石を弾いてしまった。その石が、うちの作業用の軽自動車に当たったというもの。なーんだ、と思われるかもしれないが、その石、小石程度ではなく、僕の拳よりも大きい石だったのだ。車だったからよかったものの、これが人に当たっていたら、車のへこみから察するに、結構な怪我になっただろう。当初は、耕作禁止区に耕作を強行しているので、すわ!その仕返しか!と思ったが、ただの事故だった。

さて、そんな事故があってから、仕事場では堤防の草刈が話題の中心を占めていた。僕が覚えている限り、堤防の草刈はお役所がしていた。しかし祖母が言うには、昔は誰も草なんぞ刈らなかったそうだ。だから堤防はいつも背丈以上の草が生い茂り、夕暮れ時以降にはあまり通りたくない場所だったとか。

だが、そんな堤防の草も、戦後のある一時期だけは、村でよく草刈をしたという。それは水田の転作として菜種栽培が推奨された時だという。祖母の記憶では今から60年代ごろ、うちの部落でもずいぶんと菜種を栽培したとか。ただそれは長続きしなくて、10年もしないうちに、皆がやめたと言う。『あわんかった』と祖母。

では、なぜ菜種の栽培をすると堤防の草を刈るのか。
菜種は収穫後に株ごと天日干しにする必要がある。水田でつくる菜種は結構な量になったらしく、家の庭や田の畦程度では干す場所として適さなかった。そこで堤防で干そうということになり、それにあわせて堤防の草刈をしたとか。ただし堤防の草刈は、村全員で行うのではなかった。

菜種を干す場所として、当時の部落の年寄りが、堤防を場所割りしたそうだ。その割り当てられた場所のみを、各家庭で草刈をしたと言う。刈った草は、家畜の餌にしたり、そのまま田んぼに鋤きこんで肥料にしたりしたらしい。割り当てられた場所の所有権は絶対で、他の場所の草すらとってはならなかったらしい。うちの堤防では春先に芥子菜やつくし、ふきのとう、のぶきなどの草菜がとれる。それらも、その割り当てられた場所の所有者のものになったという。だから今のように、外部から車で乗り付けて、堤防のふきのとうなどを採ろうものなら、村の若い衆から袋叩きになったそうだ。こうして60年代は、うちの堤防にはちょっとした所有権が生まれていた。

しかし菜種栽培が衰退に向かうと、みんなが堤防で菜種干しをしなくなっていった。堤防の様子も、歯抜けのように、菜種栽培を行わない家の場所だけが草が生い茂るようになっていった。そして今では、国交省の事業で草を刈っている。

菜種をやめた頃、田んぼの畦でレンゲを植えるようになり、それを田んぼに鋤きこんで肥料代わりにしたらしい。家畜の餌は、河川敷の土地で草を刈ってそれに当てたという。菜種を栽培していたから、堤防を活用したのであり、だからこそ、そこに生える植生がそれぞれの家庭の財産にもなっていた。認識が変われば、そこに価値が生まれる。そしてその逆もまたしかり。

堤防の草ひとつとっても、部落の価値観の歴史がそこには詰まっている。今ある風景が、永遠でもないし、正解でもない。無人の草刈機を見ながら、ぼんやり、そんな事を考えた1日。
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雨の合間に、大根をまく。
畑の準備はできていたのだが、水はけのよくない場所だったので、畝きりが必要だった。だが、うねをきろうとすると雨がふる。ここ最近そんな毎日。

先週末になんとかうねきりをして、すぐにでも播こうか、と思っていたのだが、祖母が『大根は9月10日』というので10日をまつことに。なのに、10日は雨。そして今日、ちょっと無理やりだったのだが、大根をまいた。

祖母や近所のおばちゃんは、なぜか口をそろえて、『大根は9月10日』という。その日にまくと大根の出来がよいとのことだ。理由はよくわからないが、昔からそういわれているとのこと。

ただ祖母や近所のおばちゃんは、たくあんにするために大根をつくる。だから、9月10日がいいというのは、たくあんにするだいこんとってよいということかもしれない。まぁ、先達の知恵にはしたがっておくか。
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皆さん、シシトウと聞いてどういう野菜を思い浮かべますか?

シシトウを自分で栽培していて、しかもそれを自分でよく食べている人は、すぐにわかる話。僕は農民だが、恥ずかしながら今年自分で栽培して食するまで、シシトウについてよく知らなかった。

スーパーに売られているシシトウは辛くない。青臭さとほんのり苦味がある、僕の感覚では上品な食べ物の1つ。すあげでもうまいし、てんぷらもうまい。なすと一緒にだしに漬け込んでもうまい。でも、僕の頭の中にあるシシトウは、スーパーに売られている、いわゆる青臭さとほんのり苦味のシシトウだった。

シシトウは収穫が遅れると、当然ながら巨大化する。そして、辛くなる。唐辛子のように。今年の夏は、この辛くなったシシトウをさんざん食べた。インドネシアの唐辛子の栽培が遅れたせいもあって、僕の畑で唐辛子が取れなかったからだ。夏なのに辛味のある野菜が無い、と騒いでいたのだが、シシトウがすごく辛くなったので、それを炒め物などによく使った。シシトウについて知らなかったといっても、ここまでは知っていた。収穫が遅れれば辛くなる、という程度には。しかしその後があった。

シシトウは鈴なりになる。僕の畑は、以前も書いたが、害虫が繁殖していないし、なぜだかよく肥えている。なので、ただでさえ鈴なりになるシシトウも、さらに鈴なりに。うれしい悲鳴なのだが、それでも毎食のようにシシトウが出てくると飽きてもくる。なので、お盆過ぎあたりから、シシトウは収穫しなくなった。その頃には、インドネシアの唐辛子もぼちぼち収穫できるようになっていたし。

そして放置されたシシトウ。実がどんどん赤くなり、今では真っ赤。それを見ながら、あああ早めに抜かなきゃなぁ、と思っていたのだが、先日ふとその実を食べてみた。なんと!甘い!

甘酸っぱい良い味だったのだ。さっそくそれを収穫して、大量にとれたナスと一緒に妻が麻婆茄子を作ってくれた。酸味のきいた甘みがうまくマッチしていて、すこぶる美味!おどろきだった。だめになったとおもったシシトウが、まったく違った味に、しかもそれはそれで美味いといえるものになっていたのだ。このことを知っている人にとっては、なーんだ、という話でしかないが、僕はこのことを通して、自分の頭の中にある野菜像が、スーパーの売り場によって作られていることに気がついた。赤くなったシシトウは、日持ちがしない。しかも一斉に実が赤くなるわけではないので、量も取れない。つまりは市場に乗りにくい野菜ともいえる。赤くなったシシトウには、現在の市場で評価できる価値はないのだろう。それはわかる。しかし、その価値から自分の野菜像が出来上がっていたことに気付き、驚きを感じる。

僕らが何かを評価するとき、何某かの価値観に自分の思考の基準を置くのであれば、その基準となる価値観に対して批判的でなければならない。だのに、僕はシシトウという言葉が発する意味を、無批判にスーパーマーケットにあるシシトウだと連想していた。そしてそれを収穫するために、それにあった栽培技術を駆使していたことになるのである。赤くて甘酸っぱいシシトウを僕が連想していたら、どう変わっていただろうか。こうあるべきだ、や、こうであらねば、という思考は、僕たちの自由(自在)を狭め、そして僕たちの価値観を固定化していく。

皆さん、シシトウと聞いてどういう野菜を思い浮かべますか?赤くて甘酸っぱいシシトウを思い浮かべられますか?
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娘が熱を出した。
通い始めた保育園で、風邪菌をおすそ分けしてもらったらしい。
今日は妻は京都で特別講義。この日のために、娘を保育園に通わせ始めたのに・・・。

だから、今日は家で僕が娘の看病。鼻水を僕の服や部屋のあちこちになすりつけながら移動する娘を、今日一日僕が看病する。ここ最近、娘と親睦がすくなかったので、今日は大いに娘とべったりしよう。鼻水もべったりなことだし。
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ジェームズ・ワトソン編 前川啓治・竹内惠行・岡部曜子 訳『マクドナルドはグローバルか』:東アジアのファーストフード.2003年.新曜社.

生産様式からグローバリゼーションを考えてきたが、どうもいまいちピンとこない。さらに、この前読んだ原田津の『農の原理 食の原理』で、食と農の原理は対立しないという言葉もしっくり来ていない。悶々とする中、以前読んだ本書を再び手にする。それらの解決の糸口になるかもしれないと考えながら。

本書は、北京・香港・台北・ソウル・日本で展開されているマクドナルドの現象を人類学の視点から考察したもの。マクドナルドについて考察した本で、ジョージリッツァの『マクドナルド化する社会』では、生産様式がマクドナルド化していき、労働において脱人間化が進むことに警鐘をならしていた。その意味で平準化していく労働の価値についてリッツァはマクドナルリゼーションと名づけた。しかし本書では、労働のマクドナルド化についてはある程度認めるものの、それ自体をグローバル化とするには疑問を投げかけている。

本書は、マクドナルドそのものを研究対象にすることが目的ではない。マクドナルドを通して、外来の文化や価値観が如何にしてそれぞれの地域で受け入れられていくのか、に主眼が置かれている。そのためマクドナルドをただ単純にグローバル化とは見ず、それぞれの地域でマクドナルドがローカリゼーション(現地化)していくプロセスに焦点を当てている。未知との出会いによって新しい価値を得ていく一方で、その価値にその現地なりの意味づけをしていき、その未知なるものを現地化していくことで現地の文化に変化を生み出している。マクドナルドは現地文化を変化させつつも、マクドナルドの意味が現地化していく中で、それぞれの地域のマクドナルドも標準的な事業のやり方を修正させている。本書の訳者でもある前川氏のいう『文化接合』の格好な事例ともいえるだろう。

本書がこれまでのマクドナルド関連研究本と決定的に違う点は、生産や経営に焦点をあてるのではなく、ファーストフードシステムのもう一方の次元である『消費』に焦点をあてていることである。文化が我々の食事の規則を如何に形成し、如何に強制していくか、そして我々が文化をどの程度変えていくのかを考えさせられる。我々は時には頑迷に伝統的味に固執するが、時にはいとも簡単にそれらを放棄してしまうことがある。味覚(テイスト)という言葉が持つ価値とは一体何なのか。
本書では全体を通して、マクドナルドの客が食べ物以上のものを買っていくことを指摘している。マクドナルドと言う組織はあらゆる面で西洋的で、設備・加工・サービスにおいて、客に対してほかとは違った気配りをしている点で近代的である。組織としては近代性を商品の一部として売ってはいないものの、客は近代性を組織が供給する商品の一部としてみなしていることがわかる。さらにそれらの近代性も、現地化されつつも変化にさらされている価値のなかで捉えられたものでしかない。

本書を読んでの感想として。価値に普遍性は無い。それは解る。しかし同時に、ジョゼの『地球は売り物じゃない!』:ジャンクフードと闘う農民たち、に書かれていることも共感してしまう。何か得体の知れない未知なるものが、自分たちの価値を変えてしまおうとしている事に対する恐怖感は、前川氏のいう『文化接合』といった言葉では表現できるのだろうか。変化のプロセスに目を向ける本書には、僕は諸手をあげて賛成する。しかしその変化の中で、何か価値が平準化していくような恐怖感は常に付きまとう。それはただ単に変化を受け入れられない保守的な考えからくるものなのだろうか。それとも現地化する価値と同時に、何か平準化・標準化していく価値があるのではないだろうかと過敏に反応しているだろうか。よく解らない。

文化変容について考えたい人や前川氏の著書に共感を覚えた人は必読。また食育とは何かについて考えるにも適しているだろう。本書を読んで、食と農の原理は、やはり常に一致するものではない、ということが解った。
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今日は夕方から通訳。
地元の農林高校に来ているインドネシアの生徒さんの入寮式だった。
寮に住んでいる学生さんたちが、一所懸命にインドネシア語で挨拶文を考えていたが、緊張してか、皆結局日本語での挨拶になっていた。インドネシアの生徒さんたちは、立派に日本語で挨拶したのに。

簡単な自己紹介後、夕食に。カレーライスとシュークリームとファンタのペットボトルとう変わったメニュー。農林高校だからこそ、もう少し食育にこだわって欲しいものだが。寮の学生たちは、インドネシアにファンタが無いと思っていたらしく、インドネシアの学生さんにファンタなる飲みものについて、しきりに説明をしていた。が、当然インドネシアにもファンタはあり、さらに日本に無い味もあると解り、『インドネシアも結構すすんでるんやねぇ』と一言。その言葉の裏にある意味を深読みはしないが、まぁ、こうやって一つ一つ交流を深めてもらおう。自分の頭にあるインドネシアに対するステレオタイプを少しずつ減らせていければ、上等だろう。
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この時期、直売所ではクロウリが出回っている。
なので当然、大量に余る。

うちの母は近所のおばちゃん達と一緒にグループを作って、直売所に野菜を出しているのだが、先々週辺りからクロウリが余るとぼやいていた。なので、パソコンで簡単なシールを作ってあげた。1枚2円もかからない手作りのシール。グループ名が入っているだけの簡単なシール。だが、

これを張ってから、クロウリが余らなくなった。他の農家が持ってくるクロウリは相変わらず余っているにもかかわらず。

直売所では、生産者の名前を値段のバーコードに記載しているので、賢い消費者ならば、生産者を選んで買える仕組みになっている。が、そんなものいちいち見る客もすくない。どんな生産をしているか、どんな思い入れで作っているかを、一所懸命になってポップやチラシに書き込み、直売所の小さなスペースに張る生産者もいるが、それもあまり効果があるようには思えない。なのに、2cm×3cmほどの小さなシールが、面白いほど、そしてくだらないほど、効果をだしている。

消費者は何を基準にものを買うのだろう。僕たちの思い入れや気持ちはどこまで商品に反映するのだろうか。そして、どんなカタチならば、受け入れられるのだろうか。多様な客を前に、少し考え込んだ一日だった。
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たまには普段使わない脳細胞も使う必要がある。
普段と違う仕事をしたので、そう思った。普段と違う仕事とは、通訳のことだ。

すごくたま~に、僕には通訳の仕事依頼がある。年に2回か3回程度。そのほとんどは、地元の農林高校からだけど。

地元の農林高校は、インドネシアの農林高校と提携を結んでいて、毎年インドネシアから短期留学で学生を受け入れている。なので、僕の通訳としての仕事は大抵、留学生が来たときの歓迎会の通訳と、その留学生が帰るときの送迎会の通訳である。昨日と今日は、留学生が来たので、その歓迎会の通訳とこれから始まる日本での学校生活の説明、それと保険や提携の更新の通訳といった仕事内容だった。

昨年もこの仕事をしていたので、ずいぶんと簡単にできるだろうと考えていた。それもそのはず、昨年はインドネシアの大学院を卒業したばかりだったからだ。でもあれから1年。ほとんど使わなかったインドネシア語は、ずいぶんとさびれていた。

インドネシア語の単語が出てこないのならまだマシ。その自覚すら無く、平然とインドネシア語の中に日本語を混ぜて通訳していたりしていた・・・。謝金は結構もらっていたので、出来ることなら学校側に返還したいくらいだ。

月曜日も夕方から農林高校で通訳を依頼されている。なんでも留学生の入寮式をおこなうのと、寮生活や学校の授業内容についてのオリエンテーションをしてほしいとのこと。月曜日まで、なんとか昨年の自分を思い出したい・・・。まぁ、無理か。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
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