何気ない一言だった。だからこっちも、『ああ、そうですか。わかりました』と答えた。それでもしばらくして、おや待てよ、と思うようになった。昔に味わったほろ苦い思い出と共に。

本日、農業普及員が来て、来月の火曜日に若手農業者クラブの例会があるとのことで、その出席をお願いされた。それで何気なく、わかりました、と答えたのだが、はたしてそれは正しいやりとりだったのだろうか。

若手農業者クラブは、別に県が主宰しているものではない。もともとは4Hクラブだったので、全国組織の支部だったのだが、5年ほど前に全国組織からは抜けて、任意クラブになっている。だから県主導でこのクラブの面倒を見る必要は無いはず。

クラブの中にも事務局長の役職がある。以前、インドネシアに留学に行く直前まで、僕がその役職にあった。その以前から、例会の準備はクラブ員が自主的にやるのではなくて、普及員がおこなっていた。その時から、おかしな組織だなぁ、と疑問に思っていた。そして同時に、自分もそれと似た経験をしている事を思い出したものだった。今日は久しぶりにそれを思い出した。それは協力隊でインドネシアに行っているときだった。

村で農業に関する会議があって、その会議に出席してもらうために、協力隊だった僕は、何人もの農家に頭を下げて回ったものだった。本当はその会議は、僕のためにやっているのではなくて、農家のためにやっているにも関わらず。だから農家側からも、会議について、お菓子がないだの、お茶がでないだの、日当はないのかだの、散々文句を言われたものだ。そういう会議をやること自体、なんの意味があるのか解らず、しばらくして僕は会議を自主的には行わなくなった。やりたけりゃ、やってもいいよ。ある意味、尊大な態度に出ることにした。その態度自体に問題はあっただろうけど。

今日来た普及員は、本当は僕たちクラブ員が準備しなきゃいけない例会を代わりに準備して、しかもクラブ員に頭まで下げて、出席をお願いしていた。なんだか懐かしい姿だった。8年ほど前の自分の姿もそうだったのだろう。

クラブに自主的な活動がない、と嘆く声もある。それは細かい話かもしれないが、こういう普及員との普段の関係の中で、関係性が意識され、それに意味づけがされ、そして自主性というものも同時に摘み取られているのかもしれない。本当に細かいことかもしれないけど、その細かいところが、すごく大事に思えてならない。
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娘の後追いは是非僕に!と意気込んでいたのだが、結局妻に後追い。こちらにはぜんぜん後追いしてくれないので、今晩、僕が娘の後追いをした。

ハイハイしてついてまわったのだが、これが娘にはヒット!大笑いしながら、逃げまくり。少し進んでは後ろを振り向き、僕がついてきているかどうかを確かめ、また逃げまくる。娘もずいぶんと興奮していた。そんで、こっちも大興奮。

なんだか娘とは、このままの関係でこの先もいっちゃいそうで、ちょっと怖い・・・。
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06 25
2006

そろそろ畑の恵みを楽しめる季節になってきた。
キュウリやオクラ、ナスもぼちぼち出来始めてきたし、売り物にしているスティックブロッコリーやモロヘイヤは先週から本格的に収穫を始めている。自家用のトマトは、まだまだ青いが、それでも大きな実がついている。楽しみ、楽しみ。

しかし、そんな楽しみをぶち壊す奴がいる。カラス。さすがにモロヘイヤやブロッコリーを食べたりしないが、スイカ、トマトは要注意。最近では、キュウリもやられるとか。家庭菜園が盛んな我が集落では、カラスは一番の大敵である。

みんな必死にカラス除けの対策を必死に考えている。カラス型の人形なども吊るしてみるが、効果なし。黒の長靴が良いらしい、という話が広まり、一時どこの畑にも黒の長靴が並んでいたが、結局は効果なし。鳥除けのネットを張る人も。でもでも最近では、鳥除けのネットをカラスの一羽がネットをめくり、他のカラスを中に入れるといったコンビネーションプレーも見受けられ、この対策も撃沈。人型のかかしなんかは、カラスどもにとっくに馬鹿にされている。万策尽きたうちの集落のあるおっさんは、カラスを実際に捕まえて殺し、それを畑に吊るしていたが、あまりの臭さに、そのおっさんすら畑に寄れなくなったとか。ここまでくるとうちの集落も、一種のアノミー状態に陥っているとしか思えない。

そんな中、近くの温泉に講演に来た人が、カラス除けの秘術を授けてくれたとか。それはパンストを使うこと、らしい。瓜やスイカ、メロンなどがまだまだ未熟なうちに、それらの実にパンストをかけておくと、カラスは驚いてそれを食べないとか。その話は、一気に村の中を駆け抜けた。そして、あちらこちらでスイカやメロン、瓜にパンストをかける姿が見受けられた。うちの近所のおばちゃんなぞは、娘のパンストか自分のパンストかで悩む始末。『実が大きくなっても大丈夫なように』と、そのおばちゃんは自分のパンストを使っていた。が、横でだんながその話をいやな顔で聞いていたのは余談。

パンストのおかげで、今年は大丈夫!とみんなが思っていた(?)が、本日、カラスがパンストを引っ張り、実を食べる現場を発見。結局、カラスとの仁義無き戦いはまだまだ続く。

追記:娘のパンストか自分のパンストかで悩んでいたおばちゃんは、『やっぱり娘の方じゃなかったから、カラスにやられたのかも』と真剣に悩んでいた。
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見田 宗介 著 『価値意識の価値理論』:欲望と道徳の社会学.1996.弘文堂.

最近、価値について考えることが多くなったのだが、相変わらず思考がまとまらず、なにがしかの考察の羅針盤的理論の必要性を感じ、この本を手にとって見る。

本書は、社会学・社会心理学の大家である見田宗介の修士論文である。60年代に書かれたもので、その時代を反映して、内容はパーソンズやパーソニアンと呼ばれる人々の行為理論に大きく影響されている。

それらの理論と同様に、本書も価値意識を、行為・パーソナリティ・文化・社会といった4つのレベルで考察されている。それぞれのレベルの中でも、価値意識とそれを決定付ける要因(動機付け)がいくつか分類されている。どのように人は価値を意識し、どのような要因が関わるのであろうか、と言う意味では、これらの理論はそれなりに役に立つかもしれないが、価値意識を分類したところで、それが現実の生活世界の中でまさに生きている我々の価値観を捉える事はできない。つまり、文化や社会のレベルでの価値は、それらのなかでなまに生きた体験を通して獲得し、意味づけされ、構成されるもので、文化や社会の価値それ自体が、ひとりでに存在しているわけではない。本書も、パーソンズやパーソニアンが受けた批判を克服できるものではない。

本書の結論に、『たしかにこの種の研究は実際の建築ではないが、かといって空中楼閣でもない。いわば実際の建築のための設計図である。(中略)設計図なしに壮麗な殿堂を実際に建築することはできない』と述べている。が、これ自体が、トップダウン的な理論先行の考えと言えよう。

本書は、僕自身の価値の問題点については、全く答えることの出来なかった。が、本書批判を通して、自分の価値に対する考えはある程度まとまったと言えよう。

ただし本書の理論は、グローバリゼーションの進行する近代化の波の中で、価値の統一が行われている経緯をもしかしたら説明する考えの種になるのかもしれない、とふと思った。
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うちの小屋(作業場兼車庫)に、ツバメが巣を作り始めている。
これで6組目。4組は無事に巣立っていき、1組は何を思ったか、親自身が雛を巣から落としてしまった。そして今、6組目のツバメが巣を作っている。

ツバメにも縄張り意識があるようで、1組のツバメが巣を作っていると、他のツバメを寄せ付けない。だからこれまでの5組は、少しずつは重なっているにせよ、順番順番に巣を作って子育てをしていた。

10年位前までは、うちの小屋には1シーズン1組のツバメしか来なかった。だのに、最近は、何組もやってくる。理由は良くわからない。うちが繁盛している、ということならばいいことなのだが、祖父母はそうは思っていない様子。

ツバメの巣に適した場所が減ったのかも、と祖父や祖母は言う。小屋で作業をする農家が、うちの集落で減ったからだ、と。つまり農家がいなくなっているということ。まぁ、ツバメは遠くから飛んできて、うちの集落だけを目指してくるわけでもないので、その辺りは良くわからない。ただ、ツバメが何組もうちの小屋で巣を作っているのは事実。そして、農業で食べていく人が、うちの集落内で減っているのも事実。

先日、村の若手の飲み会で、あるあんちゃんはこう言っていた。『うちの田んぼに道路が通ることになった。しかも交差点』。それじゃ、田んぼが分断されちゃうね、と同情したら、『あほ!その反対や。信号が立つし地面も沢山売れるから、儲けたって話や』と言われた。周りのみんなも、その話を羨ましく聞いていた。そういうものなのかもしれない。田舎に居れば、その景観やそこにある価値なんかは水みたいなもので、ぜんぜん感じられなくて、どんどん開発されていくのを喜んだりしている人が結構いたりもするのだ。

ツバメとは関係ないけど、ツバメの巣を見てそんな事を考えた。
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『このままじゃ、農家はいなくなっても、農業は残る。そうなっちゃいかん』。
沈痛な面持ちで、老人はそう語った。

6月11日、僕は山口は阿武町にいた。国際開発学会が山口で開催され、妻共々出席していた。11日はイクスカーションとして、他の学会員と共に地域おこしの現場を見学に出かけていた。見学先は阿武町。4つのコースに分かれての見学。僕はうもれ木の郷という農事組合法人を見学するコースに参加していた。

前日の10日、学会のシンポジウムでは、日本の地域おこしを途上国での農村開発のヒントにしようと話し合われていた。道の駅や生活改善運動などの取り組みを紹介してもらい、それについて学会員・地元の人々共々話し合った。

日本での村おこし事例では、町の人と村の人との『交流』が強調されていたが、援助の枠ではその取り組みにさらに外部者(外国人)が入り込み、その関係も『協力』が強調されがちになる。そんな文脈の中で、日本の経験をどう活かしていくのか、はたまた活かせていけないのかなどが議論されていた。当然といえば当然だが、あまり前進が見られない議論。残り時間も少なくなってきた頃、T大学のS先生が次のような発言をした。『日本では、これまでの近代化への取り組みの結果、農村は過疎化に喘ぎ、今まさに無くなっていこうとしています。だのに、それらの取り組みがこれからの途上国での農村開発に活かせるのでしょうか?』と。

この発言には多くの反論もあろう。実際、近代化への取り組みは、それぞれの深度と程度の差があまりにも違いすぎている。土地改良などは確かに農地を整理し、機械の大型化につながり、またある意味では農地が売りやすいものに変わったのだろう。しかし家族経営協定のように、年金だけのための形骸化した取り組みとの批判もあるが、それには農業の中のジェンダーに突っ込もうという議論を内包したものもある。さらに農業外の要因も、過疎化には無視できない。

しかし、それでもS先生の発言は無視できない。確かに、僕たちの志向する方向が農村の過疎化を生んでいることも、また真実だと思う。
S先生の発言が引っかかったまま、僕は集落営農の道を歩んでいる農事組合法人『うもれ木の郷』を訪れた。

うもれ木の郷は、1997年、盆地の4集落を1つの農業法人にしてスタートした。2反の広さの田んぼを4反の広さに広げ、農地を法人が借り受け、各家が持っていた水利権を放棄させ、米作りすべてを共同で行おうと言う組織である。規模は100ヘクタール。まさに近代化組織。そう思えた。しかし、中身はまったく逆だった。

もともとその地区は深田で、明治の頃などは田植えにも非常な労力が要った。牛が田んぼの深みにはまると、時には救い出せないときもあったそうだ。竹を田んぼに渡し、それを足場として田植えをしたとも。明治の終わりから大正にかけて、すこし力のある政治家がこの地域から出る。その人の尽力により、その頃ではかなり珍しい田んぼ1つが2反の広さになる土地改良を行った(うちの集落は30年ほど前にようやく5畝の田んぼを2.5反と3反にした。一部ではまだ1反田んぼがある)。

しかしそれ以降、その地域では土地改良は行われず、周囲の機械化が進む中、農道もうまく整備されないまま20世紀の終わりを迎えようとしていた。そんな中、90年代前半からうもれ木の郷の構想は、村の中で話し合われたそうだ。それは農業の近代化を目指したわけでもなく、所得向上を目指したわけでもなく、ただただ農地を守るためだった。

再来年には70になるという組合長は、『農業が機械化などによって個人の便利がよくなると、それは農業が分断されると言うことです』という。『この辺りは最近まで農道が狭くて不便でした。だから機械を田んぼに入れるときも田越しでした。他人の田んぼを通らせてもらわないと、自分の田んぼに機械を入れることは出来ませんでした。だから村人は一線を超えない程度にしか争わなかった。これは大事なことです』。そして事務局長をされているやはり同年代のお爺さんは、『だから、うちらは個人の便利を選ばず、不便でたもっていたものを取り込む形にしたかった』と語った。さらにその事務局長は、『いろいろと個人の便利を突き詰めた農業を展開していくと、農水省あたりで言われている1人20ヘクタールの農業が理想的で、1集落に5人ほど農業をする人がいれば、国としてはそれで事足りることになってしまう。ということは、誰でもいいから、ここに5人ほど農業をする人を連れてさえ出来れば、それで農業が成り立つということになる。このままじゃ、農家はいなくなっても、農業は残る。そうなっちゃいかん』と沈痛な面持ちで語ったのが印象的だった。むらで共有された価値を残していくための試みとしての法人だった。だから、一部の人だけが農業をするのではなく、法人の組合員全員に仕事ができるように工夫されていた。

しかしこの選択自体にも問題はある。田んぼは守れても、各家族の所得を支える野菜栽培までも法人の下にあり、各農家の作付けに対する権利も法人が握ることになっている。特別指定産地などの行政政策とも相まって、各農家の新しい取り組みを法人が支援することの難しさにもぶつかっている。組合長は『とりあえず田んぼは守れた。農業の醍醐味でもある個人の新しい取り組みを、法人でどう取り上げていけるかが課題でもあります』と言う。法人を立ち上げるまでに、5年の時間がかかった。それだけ村人とじっくり話し合って踏み出した法人。その気持ちと時間を用意できるのであれば、このような問題は乗り越えていくだろう。

なかには法人に参加していない人もいる。戦後の農地改革で農地をもらった小作の家が数軒反対しているとのこと。再び農地を取り上げられる、という思いがあるのかもしれないと組合長は話してくれた。

参加した農家も皆、全員が組合長や事務局長のような考えでもないだろう。なかには、周りが参加するのならしかたがなかろう、と参加した人もいただろう。農地に対しての愛着もばらばらだと思う。事務局長は『法人前に、全世帯に農地に対するアンケートをとりました。そしたら都会にいる不在地主は、農地を守れ守れと言うけど、この辺に住んでいるものは、農地は出来るだけ高く売りたい、と言う。こりゃぁ、いかんと思いました。農業の、農村の分断だと思いました。だから共有の価値で集まる必要がある、と強く思ったのです』と語った。どのようなスタートを切るにせよ、その想いに濃淡があるにせよ、コミュニティの中でひとつの価値を維持する形を作り出した。近代的な手法を用いた村人の共有価値の維持、もしくは創出の姿は見事だった。

必ずしも所得は向上していないと言う。むしろぎりぎりで現状維持しているとのこと。なにも発展するだけが開発じゃない。何かを共有し、それを維持する形をみんなで考える。それは、あまり語られない農村開発の質的な部分であろう。その答えのようなものが、うもれ木の郷にはあったように思える。
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06 19
2006

夜、壮行会に出席する。
協力隊に参加する3名を地元OB会で送り出す会。
参加される方たちは、やる気に満ちた笑顔を見せていた。

そういえば、僕も協力隊に参加する時は、そうだったかも。もう9年も前のことだけど。確か、『自然体でのぞみたいです』と抱負を述べた記憶がある。ずいぶん前のことだと思っていたけど、こういう機会があると、ふいに昨日のことのように思い出す。

壮行会を通じて、9年前の自分に会えた夜だった。

追記:胃カメラ検査の結果、異常なしだった。でもコレステロールは再々検査。9年前の自分に会えても、9年前の体には戻れんちゅうことか。とほほ。
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06 18
2006

昨夜、うちの集落の若手で集まって飲む。
ちょっとした問題がおきたからだ。

村の若手の一人が、村を出た。妻と子供を連れて。おっつぁん(父)といざこざがあり、彼は村を出た。そこで村の若手が集まって、彼を元気付けると共に、その問題を話し合った。

あれこれ話すも結局彼は、村には戻らない、と言っていた。

僕の主観だが、うちの集落は特に結束が強いわけでもない。農業で食べている人は一握りのみで、ほとんどが集落外で仕事をしている。なので普段は、特に集落内で結束する機会も少ない。しかし、こういう問題がおきてくると、目には見えなかった部分が顔をみせたりもする。

村に戻らない、と言った彼に対して、年上のあんちゃん達は特に反対はしなかった。しかし、彼にある条件をつけた。それは、うちの集落の自治会の会合に参加すること、祭りに参加すること、地区の運動会に参加すること、だった。それさえ守れば、集落との関係は切れない、と。彼自身は集落との関係を保ちたかったようで、それだけは守る、と言っていた。

集落というコミュニティの一員になるというのは、村にどれだけ住んでいるかなどとはあまり関係がない。どういう行事に参加するか、それが大事なのだ。うちの集落は、自治会、祭り、そして運動会。村がその住民にとって村として存在しているのは、こういう行事を通して共有される価値観なのだろう。

昨夜の飲み会も村が共有された夜だった。
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06 16
2006

昨日は、すごい風だった。
風速20数メーターが、1日中続いていた。
そのためか、自分用の菜園の野菜たちにずいぶんと被害があった。

娘の離乳食に、と少しではあるけど無農薬で野菜を作っている。アブラムシも手でつぶしてまわったり、牛乳をかけたりして、結構手間ひまかけていた菜園。しかし、風にはまいった。

ミニトマトの木が1本だめになり、キュウリもずいぶんと元気が無い。オクラも実がなくなっていた。3日前に移植したなんばもずいぶんと痛んだ。とほほ。

自然にはかなわん、そう思った日。
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宮崎 俊行 著 『農業は「株式会社」に適するか』.2001.慶応義塾大学出版会.

国際開発学会のイクスカーションで、阿武町の農事組合法人「うもれ木の郷」(集落営農)を見学することになり、事前に法人に対しての視点を養うために読んだ本。

著者は法学者で、その立場から農業の法人化に対して考察を入れているのが本書。

一般的に、というか、僕自身の本書を読む前の農事法人に対する印象としては、(その程度に違いはあれ)営利を強調し、そのために効率化を進めた結果と捉えていた。しかし著者の視点は違う。それを端的に説明している箇所を引用する。『私は、自然人の魂・良心が、法人の運営に素直に反映する法人でなければならないと思います。現在の農地法の農業生産法人の要件も、そういう、人間の魂・良心が法人の運営に反映するために、(最低)必要と考えられて定めたものと理解しています』。

法人に対する言葉として、自然人がある。筆者はこの直接農業に携わっている自然人の意思が法人に反映されることこそ、最も重要だと考える。しかし、実際農業法人を取り巻く環境では、行政側は農業法人を集落を基盤とする機能集団=法人との本当のあり方を見ていないと指摘する。それは、法人は一種の経営体なのだが、そのメンバーの生活の安定のための手段であって、営利が最重要視されるわけではない、ということである。この点に関しては異論のある人も多いだろうが、本書の最終章で、筆者は、カネがなければ食べていけないではないか!という状態をもたらしたことそれ自体の原因を問題にしている。ただし、この辺りの議論は近代性をどう読み解くかにかかってくるが、筆者のその深度はあまり深くない。ただ法学者がそのような事を考えていること自体に、興味がわく。

さらに本書では家族経営協定にもつっこんで議論している。家族経営協定とは、本来の目的とは、農業に従事する家族をただの農業労働者とせず、経営面において世帯主のパートナーとすることを家族内で協定を結ぼうするものである。しかし実質的には農業者年金に家族も加入できるようにするための方策でしかなく、パートナーになったはずの家族は、事業主(多くは世帯主)から給料をもらい、税金の申告も事業者としては行わない。これは国の縦割りの制度と農業事業主との中で、農業に従事している家族の立場が二重にマージナル化していることを指す。

結論として、筆者は農業の株式会社化を批判する。農業が株主という農業に従事しなくても良い立場の人間に、生命を支える産業が左右されることに反対している。どこぞのファンドのように『株主利益を最大限にする』ことを目標にすれば、農業の持つ倫理は失われることになるだろう。

ただし本書は、あちらこちらで発表された論考をただ単に並列しただけで、どの章もかなり内容がかぶっている。1~4章と最終章を読めば、まぁ、事足りるだろう。
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06 15
2006

胃の調子が悪い。
なので、今日は午後仕事をしないことにした。雨も降っているし。

昨日は真夏日で、ハウスの中も40度を超えていた。さらに悪いことに、昨日は国土交通省の人たちが堤防で草刈をしていて、その草をその場で燃やしていた。その熱風のためか、一時的にハウスの中の温度は50度を超えていた。だからというわけでもないだろうが、今日は胃の調子が悪い。

先月、健康診断を受けた。胃に病変跡ありと診断された。来週の月曜日に人生初の胃カメラを飲む予定。

そんなこんなで、胃の調子が悪い。だから今日はお休みの日。
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内山 節、大熊 孝、鬼頭 秀一、木村 茂光、榛村 純一 著 『ローカルな思想を創る』:脱世界思想の方法.1998年.農文協.

1997年に掛川で行われたセミナー(新しい思想を創造する掛川セミナー)を本にしたもの。お気に入りの内山節と鬼頭秀一が共著を出しているということで、読んでみた。

ローカルな思想を創る、とあるが、本書の内容は自然と人の関係をローカルな視点で議論しあったもの。三人委員会のメンバーである、内山節・鬼頭秀一・大熊孝の3名の論考には、次のような共通点がある。自然を客観的にとらえ保護する対象にすえるのではなく、自然と人間の関係の中に自然も人間も存在していて、自然を守るとは自然と人間の関係を共生可能なものとして創造するという立場。それは言い換えれば、内山の言う『欧米的な世界観、国家観、経済観、人間観、自然観、歴史観等々のものが世界を領導し、支配してきた近代以降の世界史に対する異議申し立て』といえよう。しかし他の論者は、すこし視点がずれているようにも思われた。

この本で特に優れていると思うのは、鬼頭秀一の論考である。鬼頭の単著『自然保護を問い直す』を直接読まれた方が良いが、短い枚数で解り易く自然観について説明されていた。長くなるがさわりと思われる部分を引用する。『欧米の人間非中心主義的な環境主義の考え方に欠けているのは、人間の自然を利用したり、自然に向き合った形で営まれている生業からの視点です。自然を障壁と捉え、耕作や開拓を通じた人間の一方的な利用の対象とするのも問題はありますが、だからと言って、そのような営みを考慮せずに旅行者の視点だけで自然を捉えるのも、その旅行者自身の夜って立つものが省みられていないと言う点で問題がありました。そもそも、そのような両極の考えが出てくる背景には、人間と自然とを峻別したかたちで捉える世界観があります。そして自然開発主義も自然保護主義も同じように、その世界観を脱することが出来ていないように思います』。

さらに鬼頭は、欧米的な個人が自由な存在にも言及し、共同性を孤立した個人の自由の制限という視点で見るのでなく、人間が共同性の中で自らが「自由」であることはいかなることであるかという視点が必要だと説く。近代化においては地域の共同性からの自由もあるが、地域の共同性を多元的価値の保持と捉え、社会的公正の視点も含んでいると説く。

ただ本書は、全体を通してはまとまってはいない。最終章では参加者との議論が記されているが、どの議題もそれほど煮詰まってはいない。そういう意味では、著者それぞれの単著を読まれた方が良いのかもしれない。
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娘、本日、つかまり立ちをする。
とてもうれしいのか、吼えまくる。
視点が高くなるのと、前々から見たかった机の上を自分の力で見ることが出来たからだろうか。ものすごい日々の成長で、毎日驚きっぱなし。

この前の土日は、国際開発学会に家族で参加していた。娘は、その学会が用意してくれた保育に預けたのだが、その間に食べなかったウエハースやせんべいを食べるようになっていた。まだ無理まだ無理、なんて思っているうちに、娘はしっかりと成長していた。親の意識を娘の成長の速度に合わせるのは、本当に難しい。けど、そのずれが楽しかったりもする。
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06 13
2006

今日、なんばを移植する。快晴の空の下、なんばを移植する。
この辺りでは、唐辛子を『なんば』という。南蛮がなまってそうなったのかどうかは定かではないけど。

インドネシアにいる時、このなんばを地元の農家と一緒に良く栽培した。病虫害の防除や市場の確保、いろんなことで汗かきべそかきした記憶のある野菜。移植の作業を通して、そんな苦労を思い出した。

種まきの時期が遅れてしまったので、実がなるのは多分お盆過ぎになるだろう。沢山とれたら、それをサンバル(チリソース)にしよう。
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もうちょっと良く考える。

今日は朝っぱらから、妻と農村開発談義。どうも妻も昨夜おなじようなことを考えていたようで、今朝はとても参考になった。それを踏まえて、昨日の続き。

技術・機械に対してアクセスがどうのこうのというのとは、少し話がずれるかもしれないが、価値についてほんの少しだけ考えてみる。

先日読んだ渡植は、ものには使用価値があり、その使用価値を高めようとして、生産者が価格に反映されないかもしれない手間を加えることを『技能』と呼んでいた。

技能について考える道筋として2つ。

1つ目は、技能と価格(技能に対する評価)。技能は、価格には反映されないときもある。どんなに苦心して作った野菜でも、市場の規格に合わなければ、破棄される場合もあるし、豊作貧乏という場合もある。

美味しくて安全な野菜作りのために有機農法や自然農法でやろうと考えていても、虫食い後のある野菜は市場では歓迎されない。理解のある消費者は、それでも買う、というかもしれない。しかし、その理解ある消費者に届くまでに、普通、市場や小売店、はたまたレストランなどを介さないといけない。その中間業者には、生産者のかけた技能は引き継がれない。

今はやりの産直という形もある。これだと農家と消費者がダイレクトにつながるので良いように感じる時もあるが、結局は技能を価格に換算されてしまうのは間逃れない。直接お会いして届ける分には、また違うのかもしれないが、すべて宅配便で届けるような場合、果たして技能はつながっていくのだろうか。

2つ目は、技能はいつどこでなにに発揮されているのか(技能の生まれる関係性)。昨日も書いたが、うちの農園では、すべてが商品作物じゃなくて、稼ぐ野菜と遊びの野菜がある。稼ぐ野菜の中でも、その利率はまちまちで、ベビーリーフのような野菜はばんばん稼ぐ野菜だが、ごんぼは手間ばかりかかって、実はそれほど儲からない。ではなぜそういうものを作るのか?儲かるか儲からないかで考えれば、ベビーリーフをばんばん作ったほうがいいに決まっている。市場が無いから?リスク回避?

それもあるかもしれないけど、それは必ずしも正解じゃない。作りたいから作っている。それに価値を見出しているから作っている。その価値は、少なくとも価格とは違う。この場合、ごんぼには技能がずいぶんとかけられているように思う。

でもだからといってベビーリーフには技能はかけられていないのか?というとそうでもない。ただそちらは儲かるためにという思いが割合として高いため、中卸などの中間業者からのクレームにはずいぶんと対応している。ごんぼは、注文があろうがなかろうが作っているし、クレームがあっても対応はどちらかというといい加減。というか、間違いない作物を作っている気でいるので、クレームには『食べればわかる』と自信満々に答えていたりもする。

手間をなぜ惜しまないのか。それは、例えばその野菜に対しての思い入れだろう。それが技能だと思っている。もちろんその野菜自身が価値を持っているわけではなく、その風土・付き合ってきた時間などの関係の中から生まれてくるので、ある場所ではベビーリーフとごんぼの価値は逆転していても何らおかしいことではない。主観的に感じる価値を大事にするから手間暇(技能)をかける。これが先日も書いたが、生の感覚だろう。自分の生活が自分の手中にあるような、生活世界を把握したような気持ちにさせてくれる。

しかし、時々この気持ちを踏みにじられる。それは価格。価格なんて関係ない!と言い切りたいけど、資本主義社会にどっぷりと浸かって生まれてきてしまった僕は、価格に大きく左右される生活をしている。大きな話では、WTOでの取り決めや、農薬散布にかかわるポジティブリスト、身近な話では中間業者(商人・レストラン)からの規格などに大きく左右される。その決め事や規格に合わせて、時には使いたくない技術(これは技能ではない)を駆使したりもする。そしてその分だけ、技能が減らされていく。見た目ばかりがきれいな野菜でも、農薬漬けだったり(それでも日本政府が決めた農薬使用には遵守している)。

技術を伸ばすのじゃなくて、この技能を伸ばすような農村開発はないものだろうか。各地で農村開発の成功例を聞くが、時々この技能を発揮されている例を目にする。技術じゃなくて技能が発展していく開発、そういう風になっていったらいいのに。
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出来ない事はするものじゃない。慣れないことはするものじゃない。

ここ数日、あれこれとオモフのだが、かずさんからいただいた(というか、自分で勝手に議論になるかと勘違いしていた)お題がなんとも答えられない。

6月2日付けのかずさんのコメントは、ある点で、全くその通り、と感じる。しかし、なんだかうまくいえないが、ある点では、いやぁそうは言っても・・・とどこかスカッとしない点もある。

僕が協力隊で派遣されていた頃、このような議論を交わしたことがある。そのときは、かずさんほどはこなれていなかったにせよ、僕も同意見だった。それは、僕の任地での話だった。技術・機械へのアクセスが困難であったために生じる多くの問題を、地元の農家は常に抱えていた。それを目の当たりにして、そのアクセスがもっと身近になれば、とよく思ったものだ。

それから日本に帰国して、農業をしながら任地を思う時も、自分が技術・機械へ楽にアクセスできてしまうのが、どことなく罪に感じたりもした。

しかし、今回留学から戻り再び農業をしてみると、どうも違う感覚がある。それは自分が、ここでずーっとやろう、と考えたときに良く生じる。

全然答えじゃないけど、これは僕とその対象物との関係のなかで生じる僕の価値観だ、と今日なんとなくオモフ。

協力隊の任地にいた時の僕は、指導側にいて、技術を推進していて、対象となる村々に何かしらインパクトを与えようとしていて、しかも指標として何某かが変わった、と評価しなければいけない側にいた。その側から、対象村を見る。農村開発プロジェクトという場では、僕や村の人々は、生活の全体を対象にはしないで、ある部分だけを切り取って、それを開発の場としてあれこれとやったりしている。だから、その『ある部分』という限られた空間で、限られた関係の中から、『開発』自体を僕と村人とで捉えていく。

しかし、今は違う。僕は、いち農民として、農家の長男として、農とかかわりのある生活全部を見ていこうとしている。しかも農業といっても、すべてが商品作物を扱っているわけでもない。その商品作物にしても、その作物が何であるかによっては、資本主義に対しての深度はまったく違っている。ごんぼは、労働をお金に換算したら、やらない方が良いくらいの作物。反対に、ベビーリーフは、儲けるための野菜。ただし、そのベビーリーフも必ずしもどっぷりと市場経済につかっているわけではなく、天候や病害虫の発生などを理由につけて、市場のニーズだけにこたえるようにはしていない。反対に、ごんぼもそんなにこだわって作っているわけでもない。そこには『ゆらぎ』がかならず生じる。

このような生活の中で、ある部分は、やはりどんどん儲けないと、とオモフけど、ある面では、これは伝統だから変えられない、とオモったりもする。しかしその価値というものは、多元的で、何が大きくて何が小さいかはよくわからない。そのときの気分だったりもするわけで。

技術や機械への選択は、かずさんは『価値が大きい方を合理的に選ぶ』というけど、この合理的が僕には良くわからない。作業効率だけに特化して考えると機械は楽だ。特につらい作業を手作業で行っているときなどは、『どうして機械がないのだろうか!』と半分怒りながら仕事している時もある。でも、その仕事から離れて、ふと違う視点から見てみると、こういう手間も良いなぁ、と思えたりもする。手作業中に外部者から機械化をインタビューされれば、『もちろん、機械化っしょい!』と答えてしまう自分がいるだろうけど、その作業をしていない時に聞かれれば、『う~ん、機械化はどうでしょう』と答えそう。なぜならそこには、その作業だけじゃなく、その作業を生み出す作物との間での関係で生まれてくる価値が、多元的に存在しているからだと思う。

価値は関係の中で存在する。

だから、僕という個人が、技術・機械などを合理的に選択するとはあまり思えない。だからこそ、何か違うものとの関係で、機械化によって失ってしまったものの価値に気がついても、時々それは簡単には戻れなかったりもする。物理的に無理な場合もあるし、自分が帰属意識をもっているコミュニティとの関係で無理な場合もある(世論などをどう感じるかも、そう)。

協力隊の任地との関係では、確かにかずさんと同意見。なのに、今の僕は、それをどこかで否定もしている。僕個人の意見なんて無い。僕が何を見て、何に想いを馳せながら考えているかによって、その答えは簡単に変わってしまうのだから。

答えられないものについてオモフ。出来ない事はするものじゃない。
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うちの集落は野良猫が多い。いや、半野良猫といったほうが正確か。

とにかく、そとで長時間過ごす猫が多いのは確か。

だからかどうか解らないけど、飼い猫も含めて、よく子猫を産む。知り合いの飼い猫もまた子猫を産んだ。育てられないので、飼い主を探している。不妊手術はする予定だったが、間に合わなかったとのこと。

で、その子猫。里親を探してくれるところがあるので、そこへ持っていくと、うちの集落の猫はお断りだとか。

というのも、うちの集落の野良猫(半野良猫?)にはエイズキャリアが結構いるからである。だからうちの集落の名を聞くだけで、猫を引き取るのは嫌がるらしい。

ちなみに猫エイズは人には感染しません(らしい)。
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06 05
2006

今日、田んぼの補植をする。読んで字の如くなのだが、機械では植えられなかった部分、もしくはちゃんと植わらなかった場所を手作業で稲を植えなおしていく作業。なかなか根気の要る仕事。僕はあまりに下手で、自分の体ばかりが泥だらけになっていく。父曰く、爺さんの若いときは、補植は父でさえさせてもらえなかった作業だったとか。

祖父の時代には、この補植はとても重要だったとか。
収量に関係するということもあったが、それ以上に、村での評価になるかららしい。きれいな青々とした田んぼは、村でも評価が高かったとか。農学的に考えれば、適当な裁植密度があり、光合成効率などを計算して決められているので、必ずしも青々としすぎた田んぼの収量が最高収量になるとは限らない。

だから今では、ところどころでこの補植に関係する評価の仕方を馬鹿にしたような話を聞くことがある。でも僕は、馬鹿にする気になれない。だからといって、この補植をがんばってやろうとも思わないけど。

評価をする主体とそれを取り巻く環境が変わった事を棚に上げて、昔の補植作業の評価を馬鹿には出来ない。その時代、その場所、その人々には、それを良いと思う主体的な評価が存在する。今の自分を発展・進歩・前進という単線的な流れの中で捉えてしまうと、たぶん祖父の生きた時代の評価は馬鹿らしくなるのかもしれない。

そういうものだけには、なりたくないものだ。


追記:田んぼでホウネンエビを見つけた。
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06 04
2006

うちの作業では、鎌を良く使う。葉物の野菜の収穫が多いからだが。

鉄製の鎌と言えども、2ヶ月ほど使うと切れがずいぶんと悪くなってくる。そのたびに何気なく新しいものと取り替えていたのだが、ふと今日、その鎌をまじまじと見てみた。

なかなかの姿で、手打ちと書いてある。1本800円もするものらしい。値段すら知らなかった。父は、『爺さんが若い頃は、砥いでつかっていた』と。刃がぎざぎざとのこぎりにようになっている鎌なので、砥石では砥げない。そこで鎌ヤスリを使っていたとのこと。ぎざぎざの目ひとつひとつをヤスリでおこすのである。なかなかの仕事だ。

時間の無いときは、集落内にあった鍛冶屋に頼んだとか。鍬といった道具もすべてそこで作ってくれたらしい。今ではその家は、屋号として鍛冶屋がなまった『かんじゃ』として呼ばれているだけで、普通のサラリーマンの家になってしまっている。

今でも鎌ヤスリはあるというので、今度自分の手で目おこしをしてみよう。解説されているだけでは解らない時間がそこにあるかもしれないから。
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友人の店に行く。

こだわりの食材(自分でも作っている)を使ってジェラートやシュークリームなどなど製造販売している店。思ったより大繁盛。ほとんど会話らしい会話は出来ず仕舞い。

で、ロールケーキを買って家で食す。これがヒット。あんまりあまくなく、それでいてスポンジの味が濃くて美味かった。彼の働く姿も、そのロールケーキの味の中には入っているのだろう。知り合いの技能(渡植風に言えば)がつまったものは、それだけで美味いものである。
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川沿いにある竹やぶは、淡竹(はちく)だった。
うちの家族は祖父祖母も含めて、この淡竹の筍が食べられる事を知らなかった。でもうちの農作業を手伝いに来てくれる近所のおばちゃんは、『ここらの者は、昔から食べてたんやざぁ』と言う。祖父も祖母もこの集落出身だし、少なくとも5~6代ほど遡っても、この集落の人間であることは間違いないのだけど、知らなかった。

ということで、淡竹の筍を食す。例年ならば6月中旬くらいが丁度いい時期らしいが、今年は竹やぶをすこし焼いたためか筍の出が早かったようだ。お吸い物にあうということだったが、丁度一寸豆を手に入れたところでもあり、それらと一緒にリゾットにして食べた。なかなかの美味。

近所のおばちゃんは、『あんまり人に淡竹の場所、言っちゃだめよ』と。昨年の河川敷の工事で、2箇所だった淡竹の竹やぶが1箇所だけになってしまった。量もあまり取れないので、集落のみんなが取りに行くとなくなるから、だとか。

それと今日は芥子菜(カラシナ)の種を採種する。堤防の土手に勝手に自生しているやつで、春先にはその芽を食して楽しんだ。それからは堤防を通る度に、種が熟していないかどうか、気にかけていた。種はつぶせばからしになるし、薬味としても使える。残りの種は、土手にでもばら撒いてまた来年の楽しみにしよう。

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久しぶりに、生後7ヶ月の娘と2人きり。

今日は、妻が外出する用事があったので、朝早く業者から注文されていた野菜だけを収穫した後、午前中は娘の子守をした。毎日仕事が終わってからは子守をしていたが、日中じゃないと気付かないこともある。いや、日中じゃないと気付けないことがある。

まず、はいはいのスピードがずいぶんと速いと感じた。夜と昼ではスピードが違う、というわけでもない。こっちの時間感覚の問題だろう。

妻が外出のうちに、すべての部屋に掃除機をかけ、昼飯の準備をした(といってもご飯を炊いただけ)。昼は何かと家事が多いし、夜と違って僕が一人で娘を見てないといけない。だから家事でちょっと目を離しただけでも、娘はその辺の壁にぶつかっていたり、部屋と部屋の段差から落ちそうになっていたり、オムツ入れのバケツに突進していたりする。

夜と昼とはあまりにも違いすぎて、久しぶりの子守は結構大変だった。僕の想像力が脆弱なせいもあるだろうが、夜だけの子守では昼の妻の苦労を推し量ることは不可能だ。そう思った子守の日だった。
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妻から学ぶことは多い。

今日の出来事(農作業)を妻に話すのだが、僕にはどうってことないところで妻は驚いたり感心したり。はたまたその逆で、僕にとってはすっごく面白かったことでも、妻にはどうでもいいことだったり。そのギャップで、僕は新しいことに気がつくことが出来る。

そんで今日。祖母が家庭菜園用にとっておいたオクラの苗を、僕が知らずに自分の畑に植えてしまったという話をしたら、彼女にはヒットだった。僕にはどうってことない話だったのだが(というか、祖母に申し訳ない事をしたというのが話の主旨だったのだけど)、妻は農家の世帯の中で、それぞれ個人が個人の畑を持っていることに感心したようである。

僕の畑と祖母の畑は、まったく別々にそれぞれが管理している。だから、祖母の畑で祖母が何を作っているのかは、僕は良く知らないし、祖母も僕の畑についてはほとんど知らない。そして、これはうちの農園全体にも言える。同じ農園の中で汗水たらして働いているが、僕がほとんど関わらない野菜もある(たとえば、朝鮮アザミ・サンチュ・落花生・とうもろこしなどなど)。そういう野菜は、いつ播いたのかもいつ収穫する予定なのかも、正直しらない。その逆もあり、祖父や祖母が関わらない野菜も多くある。そしてそれらがいつ播いたか、いつ収穫する予定かは正確にはしらない。

いぜん内山節の『時間についての十二章』を読んだとき、個人の中で多層的な時間が流れている事に気がついた。そしてその時間は、そのものとものの関係の中で、いちいち違ってくる。一昨日に書いたが、エンドウと僕の時間は、農学的もしくはただたんにエンドウという一般的なマメ科の作物について解説されたものを読んで、その解説を知っていただけの関係では、いや地のため4年から5年ほど輪作したほうが良い、というものでしかなかった。でも祖父やこの集落の人たちには12年という時間をエンドウとの間で作っている。どちらかが間違いで、どちらかが正解という話ではない。エンドウとの間で、どういう時間が流れているかの違いでしかない。

昨日の日記は、言葉少なすぎて、自分でも今日読み返してみるとすこし変だと思った。ごんぼについてもエンドウと同じ。僕とごんぼは今年もその時間を結ぶことになるだろう。そしていや地も含めて、次の候補地選びにも頭を悩ますだろう。耕作禁止とのやりとりにも頭をなやますだろう。それはすべてごんぼを直接作る(解説されたものではなく)という行為を通じて、流れる時間だと思っている。

播種機は便利だ。来年から播種機無しでやれと言われても困るし、正直いやだ。だけど、やはり播種機を通すことで、祖父と祖母と母はごんぼとは直に関わらなくなったのだけは確かだ。個人の中では、時間は多層的に流れている。たとえ同じ農園で、目と鼻の先で作業をしていてもだ。それに意識的にならない限りは気付くことのない時間。そういうものがあると言うことを、僕は最近感じている。
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渡植 彦太郎 著 『仕事が暮らしをこわす』:使用価値の崩壊.昭和61年.農文協.

内山節の著書でたびたび紹介されている渡植彦太郎。内山哲学の中にも渡植の思想が取り入れられているので、読んでみようと手に取った。

本書は昭和61年に書かれたものであるが、現代でも十分通用する、いや、今だからこそ読まれたい本である。

渡植は、その鋭い視点で、もの(商品を含む)の持つ価値について考察している。まず渡植は、テンニースのゲマインシャフトとゲゼルシャフトの社会類型の概念を用いて、現代の資本主義下における社会を分析する。このあたりは、少々古臭い観は否めないが、生活集団から仕事集団に社会構成が移っていく中で、購買力を維持するため(もしくは高めるために)自身の労働を切り売りしなければならなくなってくる、という点は現代でも重要な問題のひとつだと感じる。

では、商品となった労働を通じて購入できるものはなんなのだろうか。本書の第2章では、商品の持つ価値について考察されている。資本主義下においては、商品の価値は量的に決められている。が、使用価値は本質的に質的なものであり、量的なものではない。その様な中で使用価値は無視され(本質的に質的なものを無理やり量化して)、文明社会の人々は、いわば無意識の中でほかのあらゆる社会活動を導く価値を無視して、あるいはこれを量化して、価値の空白遅滞をさまよっているにすぎない、と指摘する。つまり労働を切り売りして保持している購買力で購入できるものは、使用価値の低下した(もしくは無視された)商品にすぎないという。

本書が特に優れている点は、使用価値について深く考察している点である。この点は、内山哲学にも生きている。渡植は、価値とかかわりのない労働は価値とかかわりのない人間の欲求を充足する使用価値を生産する、と指摘している。彼は、商品としての労働力でない労働には、必ず何がしかの『技能』が伴うという。この技能は、専門家の特殊な技能ではなく、金銭との引き換えでなく、一家のためであろうと、他人に頼まれてにせよ、心を込めて労働しているなかにおのずからにして身についてくる能力である。そして、仕事集団の中で労働力を商品として購買できるものは、この『技能』の伴わない使用価値をもつ商品だと指摘する。

本来、人間の営みに必要であったはずの使用価値は、資本主義下の社会が進む中で無視されていき、必要としていた使用価値を得るために労働力を商品にかえていた人々は、必要な使用価値を持たない代替品を購入するという悪循環にはまりこむ。しかも労働力を切り売りする中で生産される商品もまた、必要な使用価値(技能)を持たない。まさにそれらは、副題にあるように、使用価値の崩壊にほかならない。

この渡植の論理には賛否両論であろう。だが、まさに今、この考えは我々に多くの示唆を与えてくれる。長きに渡りデフレを経験した我々には、商品の価値(価格)に対する信頼がまったくない。一体なぜそこまで安くなるのだろうか。

100円ショップもそうである。これらは安いというだけで、本来の価値の一部をほんの少し備えているだけで、まったくの代替品としかいえない(形ばかりは一緒でも、すぐに壊れるし、使い難いし、ときには安全じゃない物質で作られている)。それらに埋もれて、我々は本当に豊かといえるのだろうか。

我々が必要とする価値とは何か。本当ならば、それらは至極当たり前にわかっていることなのだろうが、資本主義下で息をするしかない我々には時々こんな簡単な事もわからなくなる。本書は、その答えを探すのに一役買ってくれる本。価値について疑問を持った方は必読。

ただ、使用価値がその固有のものの中に存在しているような書きぶりであるので、どうしても白黒つけたような議論になってしまっているのが残念。このあたりを乗り越えるのは、内山節著の『貨幣の思想史』の最終章を読む事をおすすめする。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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