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2期生イルファンについても
タタンからレポートが届いている。

彼は、バイクで4時間ほど離れた任地(カラワン県)で
防除担当の普及員をしている。
普段は月曜日から金曜日まで
その任地であるカラワン県に単身赴任しており
土日に妻と子供の待つランチャカロンに戻って過ごしている。

今回のコロナ禍で
彼ら公務員は在宅勤務となり
家で仕事をしている。
給与は3,200,000ルピア。
昨年の11月のタタンからのレポートで
給与は約2倍になっていて、
コロナ禍でも通常通りの金額らしい。
ただ現金でもらうケースだと
移動制限されているため
カラワンに移動できないので
どうやって給与を受け取っているのかは不明。
タタンに確認が必要。

彼は他にも米とサツマイモも販売しているが
どちらもコロナ禍の前に販売が終わっていたので
影響はなかったとのことだった。

給与の受け渡しに問題がなければ
こういう場合、やはり日本と同様
公務員は強いね。



この先、すこし世界は狭くなるに違いない。
それは文明の歴史から見たら短期的だとしても
我々この時代を生きている人間には
忘れがたい時代になるに違いない。

だからといって
国を越えて直接的につながっている人々との関係が
これで途切れてしまうとも思えない。
コロナ後は、コロナ以前に戻ることはないが、
関係性の形を変えつつ、
我々人間の欲求に合う形で進んでいくに違いない。

今できることをやる。
それしか今の僕にはできないが
コロナを理由に立ち止まることもないので
実習制度を利用したインドネシアの農村開発は
形を変えながらも続けていこう。

ということでまずは
現状把握。

ローカルスタッフが
インドネシアの外出自粛と検問により
現在は故郷の村に戻っていて
実習卒業生を直接訪問できないが
ネット電話を駆使して
調査を進めてくれているので
その結果をここに少し記録しようか。

まずはヘンドラ君。

今はきゅうりとナスを収穫中だとか。
どちらも収量はあるようなのだが
コロナの影響で今西ジャワ州は移動制限があり
街まで販売に行けないという。
しかたないので、地域の商人に販売している。
価格は通常1キロ4,000~5,000ルピアが、
現在は1,500ルピアまで落ち込んでいるのだとか。
都市部での生活必需品は高騰していると新聞にあったが
田舎の農産物は価格が下落しているようだ。
直接、話を聴けていないので
どうして価格下落が起きているのかはわからないが、
流通がもともと脆弱なところに移動制限や現金不足などが
起きていて
それが需要と供給のバランスをとる市場機能を
阻害していると思われる。
ま、ローカルスタッフを通じてこれは詳しく調べるか。

なので、一部の農産物(きゅうり)は収穫をせず
捨てているとのこと。
収穫する手間の方が惜しいらしい。

一方でヘンドラ君は集落長としても働いている。
しかし、ここ2か月は村役場からの給与はないとのこと。
村役場では、貧困層への手当を先にするために
職員等の給与をカットして
そちらに回しているのだとか。
村役場での彼の仕事は
集落内の援助を必要としている住民のデータづくりと
集落内の消毒とのことで
以前よりも村役場の仕事が忙しくなっているらしい。

現在インドネシアは断食月。
イスラム教の大切な宗教行事期間で
今年はコロナの影響で多くが共同礼拝等を取りやめているらしいが
ヘンドラ君の村では
街から来る人もおらず、
通常通りの共同礼拝をおこなっているらしい。
この辺りもインドネシアの新聞とはすこし雰囲気が違う。

とにかく
収入が激減しているとのことで
マイクロファイナンスの返済が厳しいらしく
4月は返済がなかったらしい。
比較的こういう災害でも強いはずの農業も
彼の場合街(バイクで20分程度)への販路が
断たれている現状では
どうにもならないのだろう。

今は耐えるしかないのだろうか?



今年もこの時期が来た。
実習3年生になる子たちが迷走する季節。
ビジネスプランがある程度見えてきて
この1年をさらに加速させる仕組みとして
3年生は卒業研究をする。
この卒業研究のプロポーサルづくりが
毎年3年生を苦しめる。
思考を繰り返すことで、これはこれでいい勉強になる。

さて、フィルマン。
彼も毎年の風物詩のように
苦難にぶつかっている。
彼は野菜の移動販売のビジネスプランを作成中で
それに合わせて卒業研究をする予定になっている。

インドネシアの野菜の小売りは
日本ではあまり見かけない形態が主流だ。
いわゆる「ふり売り」という形態で、
小売業の人たちが市場で仕入れてきた野菜を
押し車や自転車、バイク、車などをつかって
町々や村々を売り歩いていく。
インボリューションとも形容されるそれらの小さな産業は
それぞれの状況に合わせて
複雑に姿を変え続いている。
僕らが当たり前のスーパーで野菜を買うというのは
最近でこそ増えてきているが
まだまだ少数派なのである。

さて、その販売をするにあたり
彼はその経験もほとんどないし
親族にその経験を持つ人もいない。
大抵、こういうリソースの少ない中で
立てたビジネスプランは失敗が多く
僕の少ない指導経験でも
フィルマンのビジネスプランはかなり危うく見える。
イラ、カダルスマン、イマンが
これまでそういう例だったというのは余談。
ま、その議論は別のエントリーに譲るとして
ここでは卒業研究に集中しようか。

彼の研究では
やはり本業への参入リスクを減らすために
ある程度、どのようなリスクがあるのかを
あらかじめ知っておくほうが良い。
そのため彼が考えたのは
利益率と仕入先の2点に絞って
それぞれの業態によって違いがあるかどうかを調べるというものだった。
押し車、バイク、車、店売りの4つで野菜の販売の
仕入れと利益率を考えるというのである。

これはある意味調査になりそうに見えるが
実はこれではだめで、
それぞれの業態の違いが
仕入れと利益率の違いに結びついているという仮説が
正しければ、この調査対象と調査項目の選定は正しいが
実際にはそんなことはない。
押し車とバイクと車と店で比べれば
積載量の違いによって野菜の扱い量が違うと勘違いするが
実は、押し車であっても
その押し車の人員を10人雇っている人もいて
個別のユニットの積載量と個人の持つビジネスの大きさは比例しない。
野菜の仕入れは量が多いほど
安価になるので、ユニットの積載量よりも
一括してどれくらい買うのかというビジネス規模が
この場合は大きく関係するかもしれない(たぶんするだろうけど)。
だとするとフィルマンの仮説は
全くの偏見でしかなく、
調査しても正しい結果に到達はできない。
ま、そういうことも要因に含まれるのだとわかるのも
勉強だけど
それだけがわかってもビジネスに成功する要因を
高めることに少し弱いので
卒業研究をそこまでの射程だとするのは
僕としてはかなり不満だ。
業態とビジネス規模を
どれくらいサンプリングしたらいいのかも含めて
議論は袋小路に入りつつある。

さて、ここからフィルマンはどうするだろうか?



今朝、ジャジャンの夢を見た。
連絡がほとんど直接とれなくなった彼が
あのさわやかな笑顔を夢の中で見せてくれた。
ジャジャナンをいっぱい持って
会いに来てくれた。夢の中で。
あっ、ちなみに彼は別に死んではおりません。

ジャジャンとは、2016年を最後に
実は一度も直接会えていない。
インドネシア出張中に実習修了生の圃場や家庭を訪問して
その後の様子などをインタビューしているのだが
彼はいつも不在で、連絡も取れない。
明らかに避けられているようで
理由は実習生たちの間でも不明だ。
僕だけが避けられているのではなく、
実習修了生のほとんどが彼と直接連絡が取れない状況。
そんな中、比較的彼と連絡取れるのが
3期生のタタン。
彼がローカルスタッフとして
ジャジャンの生計調査を定期的にレポートしてくれるので
彼のおかれている状況はなんとかこちらも想像できている。

さて、その彼。
実はコロナ騒ぎが大きくなる前の1月に
「特定技能として日本に行きたいので、書類を作成してほしい」と
依頼があった。
僕の農園では、現時点では特定技能としての
受け入れは検討しておらず
彼はどこか他の農園に特定技能として来日するのだという。

その特定技能の資格を取るために
技能実習時の実習実績等の書類を
受け入れていた農家が作らないといけないという。
なんだかそれって実習制度で受け入れた農園が
そのまま特定技能の受け入れをするっていう
安易な想像のもとに制度設計されたような
そんな制度不備的な匂いがする条件で
僕としてはいまいち釈然としないが
それを作成する代わりにこちらからの問いかけに
答えるようにと条件を付けて彼の了解も得ていた。
しかし、コロナ騒ぎでインドネシアも外出自粛要請が出てからは
タタンを通じての連絡も取れなくなっている。

さて、
その彼が夢に出た。
彼の農地は、日本にいるときのビジネスプランに沿って
購入したのだが
その時から僕は、潅水用の水を懸念して
そのことも彼に何度も伝えた。
だが、そのたびにポンプを使うなどの計画を出してきて
そのまま押し切られるようにその計画していた農地を2か所購入した。
そして案の定水がなく、雨季以外農作物が取れない状況になった。

な、だから言ったじゃん。あそこは水がないって。
君の地域が乾季にタバコ乾燥の副業をしているのは
やっぱり乾季に栽培に向かないからだよ。
村から遠いほうの畑売ってさ、そのお金で
もう少し下流の水の入りそうな土地を買いなよ。
それと、ヘンドラやワントの地域が土地安いから
そっちに果樹やコーヒーなどの
世話の少ない作物との組み合わせを考えたらいいよ。
雨季の仕事量を減らして
乾季でも安定的に、さ、基本収入があるようにしてさ。
え?いやだって?
田舎すぎるからいやだって、か?
そうはいっても、このままじゃやっていけないじゃん。
え?日本に行って、稼いだらまたそのお金で商売するって?
そうか、それもいいかもなぁ。
でもさ、よくよく考えて勉強して調査してじゃないと
投資してもまた同じような失敗をするぜ。

といったことを夢で会話した。
ニコニコ笑っていたけど
ぜんぜん僕の言うことを聞いてくれる感じではなかった。
ま、夢なんだけどね。
でも、これからどうするんだろう、彼は。









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ダニが帰国した。
ダニのいる3年間、
それは僕にとっても大きな示唆を
与えてくれる3年間だった。

ダニは当初
ビジネスプランの根本を
理解していなかった。
レポートはWebのコピペばかりで
フォントがばらばらのレポートを提出してきた。

ダニは当初
自分が主になるということを
根本的に理解していなかった。
だからいつも一つ上のデデの後ろに
隠れるようにしていた。

ダニは当初
自分の未来を自分が作ることを
根本的に理解していなかった。
だからいつも笑顔でごまかそうとしていた。

それが3年生の時に
彼が始めた葉菜類の卒業研究で変わった。
その研究も
デデが日本にいるときから課題にしていた
「葉菜類のビジネスをしたい」を受けて
たぶんデデに言われたから
ダニはそれを研究課題にしていたのだと思う。

もうあの二人の関係(叔父と甥で1歳違い)は、
どうにもならないのだろうって
僕もあきらめていた。

デデは、小学校から高校までずーっと学年一番の才子。
生徒会長も務め、地域の誉れ高き青年。
小さい時から「デデ・ベシ」(鉄のデデ)と地域であだ名がつき
根性の座った少年だった。
そんなスーパーマンが自分の母の弟で
自分の1歳上だったら、多分僕も委縮していただろう。
そんな環境をそのまま受け入れて
前に出ず、自分で考えず、がダニだった。

だが、デデが帰国してから
そして置き土産的にデデのテーマを
ダニが卒業研究として始めてから
ダニは変わった。

研究テーマや研究内容の詳細は
前回のエントリーにゆずりたい。

さて、
そこで彼と共に気が付いたことに
買い取り商人との関係性である。

これまでインドネシアの農村問題を語るときに
古典的ではあるが
買い取り商人と農家が従属的関係だという
理論を打ち崩せずにいた。
だから、ここでの授業でも
その理論に則り
少しでも農家の手取りを上げるためには
買い取り商人をいかにショートカットするか
直接販売の道はあるのか、が議論の対象になっていた。
そのためのアイテムとしてのトラックといった移動手段も
またよく検討されたし、今もその話題はたびたび出る。

しかし、
その見方がある意味どこか現実に沿わないことや
また移動手段入手の投資資金が大きいことから
その関係性が固定的に認識され
抜け出せないといった閉塞感も議論の中であった。

実際、
これを改善しようという国際機関の農村開発プロジェクトは
今もまだ健在で、というより主流の一つかもしれない。
それについて僕は何かを言えるほどの知識はないが
ただ感覚的におかしいということだけを
引きずってこれまでやってきた。

そこから解放してくれたのは
ダニの研究だった。
土地の投資額と商人の買取方法と栽培方法、労働力の4つを
細かくシミュレーションしてみると
必ずしも経営体の中で、単位面積当たりの単価が一番高いことが
一番いいとは言えないことに気が付いた。
経済学の人から見たら、今頃?と思われるかもしれないが
なんせ実習生の認識に沿って歩んでいるので
彼らが思いつかないことは
僕もなかなか思いつかなくなっているのが
このやり方の弱点でもある。というのは余談。

で、ダニは常勤できる労働力と
天水に頼らざるを得ない現状を考えて、
雨季にのみ人員を増やせないのと、
3か月の雨季の間にどれくらい畑を回せるかを考えて
買い取り商人に収穫人を連れてきてもらって
販売するやり方を選択しようと考えている。
それでも土地の投資額は十分ペイするようで
この方法で行けるのならもう少し土地を買い足しても
労働力的にはいけるんじゃないかって考えるようになっている。
つまり買いたたかれるのではなく
買い取り商人の収穫サービスを利用して
収穫は下請けに出して
決まった期間で回転数を上げて荒稼ぎしようって
そういう計算を農家がすることが可能になるってことを
示唆してくれた。

ああ、ダニ。
ありがとう。
僕はこれまで20年近く悩んでいたことの一つが
君の研究で氷解したよ。
それが可能になる投資額がどれくらいなのか、も含めて
技能実習生の意味が
ますます高まったと思う。

ダニの研究から
僕らはまた一つ、勝利の方程式を手に入れることができた。

ダニ、Semoga Sukses!









今年の実習3年生の研究も面白い。
ダニの研究は、
ソシンという葉菜類の栽植密度と収量と販売額の
三角関係を調べるというもの。
農学の分野なら、栽植密度と収量ってことだろけど
それに経済社会学的&経済人類学的要素を加えて
彼がアクセスできる販売形態に合わせての
販売額の違いを加味したところに
今回の研究の面白さがある。
これを農家自身が考えることができたなら
僕が思っている理想的な「考える農民」に
かなり近づく。はずだ。

ダニの研究は終盤を迎えていて
厳密にはまだ考察であと二転三転する可能性はあるが
研究の方向性は固まっているので
ここで先んじて記録しようと思う。

ソシンの栽植密度を
政府推奨と学校で学んだやり方と
地元の篤農のやり方の3つで検証。
で、一番とれるのは?というのはナンセンスで
販売してなんぼなので
地元のアクセスできる市場で
どのような尺度の価値でそれを評価するかを
インタビューして
それに合った収穫をした場合
どの方法が一番販売額が高くなるかを計算する。
ただ、それでも不十分で
ダニのリソースとして
経営に投入できる労働力は3人分ということと
彼がここで得たお金で買った土地の広さとを加味した場合、
販売形式によって(たとえば、束にするのかバラで売るのか)
栽培できる面積が変わる。
さらにブローカーへの販売方法として
自分で持っていくのか
買い取りに来てもらうのか
さらには収穫人も連れてきてブローカー側で収穫するのかの
3パターンでも経費を計算する。
この場合、車をチャーターして持っていく場合、
バイクの場合、車を購入した場合、
など積載量や経費の多寡も変わってくるのを加味する。
そうした要因をすべて考えて
彼はどの方法が一番儲かるのか、もしくは
一番効率がいいのか(儲かると効率がいいは別だよ)、
を彼自身が自分の経営スタイルに合わせて
考える素材にする。
このパターンが出そろえば
行為能力(エージェンシー)は
考える農民たるように発揮される。
ま、これが僕の指導するビジネスプランの肝でもあるんだけどね。
タネがわかれば意外に単純なんだけどね。

で、彼は今数字を見て逡巡している。
自分たちで収穫するほうがいいのだけど
それだと面積は狭くなる。投入できる労働力に限りがあるから。
安いけど、収穫人を大量に連れてこれるブローカーに
収穫を任せると
栽培面積は一気に増やせる。
雑草管理も考えれば
それはそれでとても重要なことだし
ちょこまかと作るよりも
収入は多い。
ここまで考えることができれば、
実はブローカーと農家は従属関係ではなく
戦略的に販売するその選択のイニシアティブは
農家の手にあることに気が付くだろう。
この彼が逡巡する判断基準が
僕にとても贅沢なやり取りに感じる。
もう少しこの贅沢な時間を
彼と一緒に過ごしたい。
発表まで2週間しかないけど
この2週間は
僕にとっても至福な時間となるだろう。
3年かけて鍛えた彼の計算力と
インタビュー力と思考力が
その結晶を見せる瞬間は、本当に美しいから。

あああ、ダニ
お前は本当に素晴らしい。




今年の1年生は、やる気旺盛だ。
と書くと、ことアリフについては
スタッフの間で誤解があるかもしれないが、
行動の結果からみれば、
やはりそれは自身の営農に
真摯に向き合っている結果だろう。

ダダンに続き
アリフもこの1年で貯めた資金を
投資に向けようとしている。
彼の地域は、お茶畑の広がる高原で
温帯野菜も育てることの可能な
農業の盛んな地域だ。
彼はそこで価格の安定しているお茶畑に
投資をしようとしている。

これまで同地域から来ていた
レンディ(7期生)、デデ(9期生)、ダニ(10期生)も
それぞれお茶畑を早くから買い集めていた。
その例にもれず、彼も1年生の資金でお茶畑を買うという。
広さは80a。
すでにお茶が植えてあり、すぐにでも収穫があるらしい。
お茶を売りたいというのは近所の農家で
まだ40代の働き盛りの人らしい。
どうしてそんな人がお茶畑を手放そうとしているのか?
その人自身は、大工業で生計を立てていて
妻の持ち物としてのお茶畑を手放そうというのである。
インドネシアのスンダは、
子供に分け隔てなく農地を分配する。
イエ制度ではないので夫婦それぞれに
収入源を管理している場合も
日本に比べて相対的に高い。
だからといって女性に優しい社会だとするのは
早急であるし勘違いでしかない。
自分たちの価値に合わせての評価は
意味がないというのは余談。

さて、
その大工の奥さん。
ちょっと大変な病気らしく
遺産でもらって管理していたお茶畑を
手入れすることができないらしい。
病気の治療費もかかるとのことで
思い切って手放すことにしたとのことで
それなら近所で日本に行っていてお金があるだろう
アリフにその話が舞い込んできた。

実習生にはいろんな土地売買の情報が入る。
お金を持っていると思われているからだろうが
その土地も高すぎたり小さすぎたりで
良い土地が出てくることは少ない。
アリフも今までいろんな農地の話が入ってきたが
大体は10aや20a程度で、
まとまった土地は少なかった。
だが今回は、効率よくお茶生産するにはもってこいの
面積と立地の土地で
価格もそこそこということもあり
購入を決めた。
ただ現状ではお金が足りないため
2月まで給与をためて購入するとのことだ。

ただ、心配事が二つある。
一つはそこに植えてあるお茶の樹齢だ。
売り手の話では、お茶の木はまだ小さいという。
ただそれで樹齢が若いということにはならない。
お茶の木は20~30年ほどで植え替えなければならなくて
樹齢が進んでいればいるだけ、植え替えリスクが付きまとう。
植え替えれば、収穫できる大きさになるまでの
4年間はその畑からの収入はない。
しかも植え替えのコストは大きく
投資したもののすぐに植え替えとなると
それだけの資金が準備できないケースもあり
最悪の場合、その土地をさらに安い価格で
転売しなければいけない必要も出る。

もう一つがお茶の品種。
80aのお茶畑がすべて同じ品種ならば
効率よく栽培ができるが
よくあるケースが
一斉に植え替えるとコスト高で無収入期間が長くなるため
少しずつ受けかえることが多く
その場合、植え替える時期に手に入るお茶の品種を
なんでも植えている場合もある。
このようなお茶畑は、生育を一斉にできないため
作業効率が低く、思ったような収入を得られない場合がある。

とにかくお茶畑の状況を詳しく把握し
来月のビジネスプランの中で発表してもらうことになった。
場合によっては2年生で貯めるお金を植え替え資金とし
帰国後すぐの収入のベースは3年生で貯めたお金で
唐辛子やキャベツ等の野菜栽培に回してしのぐという案もあるだろう。
80a全部を優良品種に植え替えて、それから4年もすれば
そこだけで十分食べていけるだけの収入は得られるはずだ。
しっかりと現状を把握して
多面的な農業経営が実現できるように
後押ししていきたい。

広い土地を購入できるということで
やや舞い上がっていたアリフ。
来月以降のビジネスプランが
本当の正念場だと気が付いたようで
その顔つきは引き締まっているように見えた。







技能実習1年生のダダン。
実家は乳牛農家で、
彼もその跡をつぐ気でいる。
その彼が今月実家の乳牛を2頭増やしたいと言ってきた。

近所の乳牛で、妊娠している牛がちょうど
売りに出ているとのことだった。
彼は2月に来日して、10月までに40万円ほど貯蓄しており
それでその2頭を買おう言う計画のようだ。

最初はほかの会社で働いているインドネシア実習生から
20万円借金をして3頭の乳牛を買おうと
計画をしていたのだが
友人同士のお金の貸し借りはトラブルの元だと
憂慮していたのだが
結局は彼自身が貯めたお金のみで投資をすることになった。

僕は乳牛経営のド素人なので
見当違いをしているかもしれないが
彼のビジネスプランを見ていると
えさの量や質、それを確保するための牧草地の面積や
おからなどの食品残渣の確保と
乳牛の品種、
そして乳牛の飼育環境の3つが
たぶん乳の品質と量に関係すると想像している。
なので、インドネシアのダダンの故郷の場合、
乾季における餌の確保がまず
乳量確保の要因として大きいように僕は感じる。

ダダンも、近くの先進農家の乳量と比べて
実家のそれは7割から8割しかないと分析している。
先進農家との決定的な差は
所有するもしくはアクセスできる牧草地の広さだが、
高速道路開発に沸くダダンの故郷は
農地の価格が高騰し、牧草地の確保は容易ではない。
なので、今回2頭の乳牛への投資は、
ただでさえ足りない餌を
奪い合うことになりかねないという不安はある。

牧草地もしくは食品残渣などで
餌をどこまで確保できるのか、
またサイレージ等を利用して
乾季の餌をどこまでストックできるのかが
今後のカギになるのではないだろうか。
それと同時に
牛舎の環境改善についても勉強をしていきたい。

やや前のめりに投資する彼に
それらの宿題を出しつつ
今後を一緒に考えていこうと思う。






お盆のような長期休みを終えると
毎回のように実習生ともめることがある。
それは休暇届のルールについて。

基本、県内であれば、
実習生は自由に遊びに行っていいのだが、
県外になると事前に報告だけお願いしている。
災害が増えている昨今、
日本語の天気予報や情報サイトにアクセスできない彼らは
容易にその災害地域に入りこんでしまう可能性もあるからだ。
宿泊込みなら、宿泊先の連絡も事前に報告を義務付けている。
また、こういうことが
何か行動を起こすときにプランニングするというのを
当たり前にしたいという思いもある。
インドネシアの実習生たちは
結構行き当たりばったりの旅行を
しようとするので。

で、今回は海水浴で海に行ったのだけど
そこが雨だったので急遽予定を変更して
県外の観光地へ行ったという問題。
その日は台風が近づいていることから
海水浴はやめるように言ったのだけど
その海水浴場のある街を散策するからと
言われて、そのままOKしていたが
ふたを開けてみれば
そこから電車で県外の観光地まで
遊びに行っていたことが発覚した。
こういうのが発覚するのは
他の実習生からの報告なんだけどね。

僕としては20歳を超えた大人が
どこに遊びに行こうが
僕に責任がない限り
問題はないと思っているし
そんなものの管理もしたくないし
関心も薄い。
ただ上記の理由により
災害や犯罪に巻き込まれやすいということと
学校と直接受け入れをしていることで
僕にもある程度の管理責任があるということで
ある程度ルールを決めて
遊びに行こうねと話をしている。
が、それは容易に破られる。

ルールを破ることが常態化すれば
研修の場を作って
認識だけで成立している学び場は脆い。
なので、ルールの厳格化をしたいところだけど
厳しくしても解決はしない。
だからこういう時は
ルール改正を行うことにしている。
だって、守れないルールなんて意味ないしね。

違反した子を含めて実習生全員で
今回のルールでどこが違反したかを
まず確認する。
僕の責任は、実習生の所在を把握し、危険のある場合は
その実習生の救助を行うというものだから、
その責任をきちんととれるようにしてほしいことを
理解してもらう。
そのうえで、
僕も責任をとれて
その子もルールを守れるような形になるように
違反した子がルール改正案を作るのである。

今回もこのやりかたで、ルールを改正した。
違反した子はフィルマンで、
行先の変更がある場合は
電話で僕からの了承が得られるまでは
旅行を続けない、という一文が加わった。

こうして違反があるたびに
ルールは付け加えられたり
改正されたりしている。

といっても、それを決めた子は守れるけど
数年して新しい子になると
また守られないのだけどね。
だからこれは永遠の繰り返し。

一方的な押し付けではルールを守る意識は生まれない。
あとルールの中身に
自分たちの価値観や常識が入りこんでいて
外国人との意識の差異があることに
無意識だったりもするしね。
彼らが、自分で守れるルールを作れば
まぁ、そりゃ、よほどの阿呆でないかぎり
守ってくれるので、
効率は結構いいやり方だと自負している。
ただ少し面倒だけどさ。




お粥屋でビジネスプラン作りを進めているアンギ。
具体的な場所の選定に入りつつあるが
当初、彼が想像していた以上に
どの土地も高額だということが
わかりつつある。

彼の地元の街であるタンジュンサリと
そこから10Kmほど離れたところにある学生街ジャティナゴールの
2か所で現在お粥屋を開く物件を探している。
しかし、そのどちらも
高速道路建設で土地価格が跳ね上がっていて
賃貸物件だとしても
驚くほど高い。あと、とても狭い。

ジャティナゴールの物件は
大通り沿いで
3×4mで月1,500,000ルピア。
一本裏通りに入って
3×9mで月2,000,000ルピアと
どれも高い。

ではタンジュンサリはといえば、
こちらも安くはない。高速のインターができる予定で
住宅地への期待から価格がぐんぐん上がっている。
街の中心にある公園の近くで、
3×4mで年間11,000,000ルピア。
すこし町から外れた墓地の横にある賃貸は
5m×5mで年間5,000,000ルピアだとか。

他にも候補地はあるが、まぁ、似たり寄ったり。

で、とりあえずこれらの土地で
お粥屋を開いたらどれくらいの席数がとれて
どれくらいの集客を見込んでいるのか等の
計算して、これらの家賃を払いつつ
儲けが僕らの目標である月5,000,000ルピアにするには
お粥の1杯の価格やそのコンセプトも
どこに合わせたらいいのかも考えようと話し合ったのは
先月のこと。
それから1か月たって
彼が考えてきたお粥屋のレイアウト図が提出された。
しかも3Dで。
友人が建築ソフトで作ってくれたらしいのだが、
これがどう見ても10×15mもあるような
しっかりとした店舗の図だった。
彼はこの1か月食べ物屋のレイアウトのセオリーを
ネット等で勉強したようで、
テーブルの間の間隔やトイレの広さ等々を
雄弁にプレゼンしてくれたが
ちょっと待て、アンギ、こんな土地は
いったいいくらの賃貸料なんだ?と
思うくらい広々とした設計だった。

僕も素人だけど、彼らの夢のノートは
本当にもう夢満載で素人も素人の
実現不可能なことばかりを夢見るのである。
それはそれでいいのかどうかはわからんけど
少なくとも今からその業種に投資しようという人間が
やっていいことではない。
延々と3Dの図面の説明をしていたアンギだが
一言、この図面は現実的なのか?との僕の問いに
固まっていた。
このような土地が安価で手に入るわけがない。
自分の投資金額も
上限があるのだから
投資できる範囲で
損益分岐点を見出さないといけないのだ。

アンギは特に
自分が見ていたいものだけを見ようとする傾向がある。
現実を直視できない性格なんだろう。
直視を無理強いすると
泣いて帰ると1年生の時は言ってたしなぁ。

僕らのビジネスプランの指導は
こういうことの繰り返しの中で
少しずつ、本当に少しずつ進んでいくのである。
たぶん、進んでいってると思いたい。




2年生のフィルマン。
月間レポート作成では、やや迷いが多い。
若干21歳なのだから
迷いがないなんてないだろうけどね。

鶏卵事業を4月のレポートくらいまでは検討をしていた。
その前の3月のレポートの時、1年間で事業資金は
いくら貯めたかを検討した時だった。
事業資金として30万円を貯めたと報告があったが
そのほかに残高が50万ほどあった。
それについてフィルマンは
「お父さんが使えるお金です」というのである。
お父さんは大工で
仕事によっては前金を十分もらえないこともあるらしく
このお金を使って仕事を進められるようにとのことだった。
ほかに家族の買い物もこのお金を使うような
そんなニュアンスで話をしていた。
別途家族には1万円の送金をしているのに、である。
こういう時、僕はいつも躊躇する。迷う。
彼ら家族のことなので
踏み込む必要もないし
それをどうこう言える立場でも契約でも関係でもないからだ。
むしろ、そこを踏み込むことで
僕らの関係がこじれることも、これまでは多々あった。
ただ、やはりこのままには出来ない。
実習で得た資金は
フィルマンのものであり
家族だからといってそれは自由にならないのだという
メッセージをフィルマンがしっかりと家族に知らせるべきだと思う。
だから僕は、家族が自由になるお金というその残金の存在を
痛烈に批判した。
それは事業資金であるべきだと。

その辺りから
すこし父親(母の再婚相手)との関係が崩れた。
家族が住んでいるスカブミに戻らなくてもいいか?と
言うようになっていった。
彼は、小学校をタシクマラヤの田舎で育ち、
母が再婚するとスカブミで中学を過ごし、
そして高校はその家族と別れて
叔母の務めるタンジュンサリ農業高校に進学し
タンジュンサリで高校時代を送った。
高校を出ると日本という
各地を転々として過ごしてきている。
彼の根っこはどこなのか、彼もそれが分からず
惑い迷い不安になっている観もある。
母の再婚相手はすごくいい人らしく
フィルマンのビジネスを一緒にしたいと話しているが
どうもイニシアティブが彼が握っているような話しぶりで
僕はずいぶんと苦慮してきた。
それがフィルマンのためになるのなら
それでいいのだが、フィルマンの気持ちが読みにくい。
彼の笑顔はいつも素敵だが
どこか不安定な幻のような自我しか見せない。
怒らないし、あきらめたような笑いが
いつも胸を締め付ける。

君がやりたいことが一番だとは簡単に言えるけど
何が一番やりたいことなのか
それすらもこれまで問うたことのない21歳は
その問いにただただ困ったように笑うだけなのだ。
スカブミには戻らないといったとき、
お父さんとは喧嘩はしていないと言っていたが
仕事は一緒にしないとハッキリと言った。
何かあったんだろう。
そしてあれほど鶏卵をすると言っていたのを
お父さんが無理だと言ってるので、やらないと言い出したのも
このあたりから。
僕にしてみれば鶏卵はお父さんのアイディアだったので
直接僕はお父さんを強く批判したい気持ちだった。
じゃぁ、他に何をするの?と聞くと
タンジュンサリで土地を買って野菜を作る、と言う。
高速道路建設や新幹線開発、新空港整備や国道の拡張に沸く
西ジャワはもうバブルな感じで
土地の値段も天井知らずに上がっている。
タンジュンサリの土地の値段は
僕がかかわり始めたころの3~5倍ちかく跳ね上がり
とても実習で得たお金だけで
生活していけるような農地を購入することは不可能だ。
だから、
縁もゆかりもない土地を好条件で購入できるという
破格の幸運を手にしたとしても
タンジュンサリで彼一人が農業でやっていくことは
絵空事以上に無茶としか言えない。
なので
農業構造論でも言っているように
家族はなにも父母のような直系とは限らず
叔父叔母いとこまで広げて
一緒にビジネスできる、もしくは成功している人がいれば
その人に教えを乞うて、基礎を学ぶように考えてはと
アドバイスもしていた。
そんなに都合よくもいかないだろうけどね。

ただこれがいた。
母の弟である叔父さんが
タシクマラヤで淡水魚の養殖をやって
そこそこ儲けているらしい。
ということで、フィルマンは次のビジネスづくりに
この叔父さんにインタビューすることから始めた。
そこまでが今月のレポート。
インタビュー内容がすこし紹介されたが
全然深掘り出来ておらず、
叔父さんの淡水魚養殖の経営は分析したというレベルには
到底至っていない。
保有する池を取得するのにかかる資金や
年間のキャッシュフローで難しい時期、
市場の需要期、
病気や個体でのばらつきが出ないようにするための技術の点、
そんなすべてにおいて
インタビューが足りない。
そしてこれが肝心だが
どこでその業種をやるのか。
タシクマラヤで成功しているやり方は
僕が口を酸っぱくして教えている
農業構造論的に
他への移植は当然条件がそろわないから
そのままでは難しいはずだ。
地域へ接合させていく作業をするには
それぞれの要素で何があるから
今のタシクマラヤの養殖が存在するのかを
しっかりと見極めないと
それとの他地域との接合は
夢物語に終わる。

いずれにせよ
彼はこの3か月いろいろと悩み迷いながらも
次の答えの発端を見つけたようだ。
これを大事にして、一緒に紐解いていきたい。




今年来たもう一人の青年を紹介してなかった。
ダダン・レスマナ。
19歳枠で採用した実習生で
タンジュンサリ農業高校の先生たちは
口をそろえて
「デデ・ユスフと同じレベル」と
太鼓判を押すほどの評価だった。
デデは第9期生で、2019年2月に帰国した子。
これまで来た子たちの中で、
僕が実習成績で最高得点を付けた子。
その子と同じレベルだという。
確かにデデと同じく
ダダンは生徒会長を務めていたし、
高校時の成績はビッグ3と呼ばれる
常に3番以内にいたらしい。
一緒にきたアリフの方が年上なのだが、
ダダンの方が年上に見えるくらい落ち着いているし
言動もしっかりしている。
こういう子を教育できるのは
この仕事の楽しみの一つでもある。

ダダンはなかなかの苦労人である。
中学2年の時、ランプンの農場労働者だった父を病気で亡くし
母と一緒に、母の実家に身を寄せた。
それはタンジュンサリ農業高校に通うためでもあった。
母の実家は乳牛で生計を立てている。
1990年より政府の乳牛プログラムに乗っかり
乳牛を2頭得て、今では9頭を飼育している。
ダダンは祖父の乳牛事業を手伝いながら
毎日タンジュンサリ農業高校に通っていた。
こうした苦労があっても
彼はそれを卑下せず、
素直に受け入れたからこそ優秀な人材に育ったのだろう。
彼は、この乳牛の頭数を増やすことを夢見ている。
日本にいる間に
乳牛の頭数を増やしたいと意気込む。

ただその中で
牛乳を集荷する組合の取り分が多いと
彼はすこし愚痴をこぼす。
祖父の受け売りなのだろうが、
組合がなければ大量に販売はできないだろうから
なくてはならない組織なのに。
ただ実際に経営としてどれくらい手数料が圧迫しているのかは
実は彼はあまり知らない。
まずはその経営の中身を知ること。
そして乳牛にかける祖父母の想いを知ること。
彼らの生計戦略とその思想を知ること。
さらに自分の目で見て
アクセスできる資源に有意なものがあるのかどうかに
気が付くこと。
その上で
薄利だとしても、損益分岐点を探り
どの頭数が経営規模の中でベストなのかを
見極めようじゃないか。
デデ以来の優秀な実習生の来日に
僕は毎日が楽しくてしょうがないのだ。





気が付けば6月下旬。
今月は忙しかった。
そういう時こそ、今まではブログを更新してきたのだが
今月はなぜかそういう気分にもなれず。
最近はまっていた俳句も
あまりの忙しさに心が動かず
見える景色がぼやけて映る。
それもまたポエジーのある風景なのだろうけど。

今日、JICA農村開発部の
次長さんが来園。
外国人技能実習生とODAという
新しい切り口の話をお聞きした。
これまで、こうなったらいいな
と思ったことの多くは自分で
少しずつ実現してきたが
3年ほど前から
JAの事業を分社化して途上国で
そのサービスを展開することと技能実習制度をつなげて
統括的な途上国の農村支援ができるのではないかと
JA職員に対して酒飲み話として
話してきた。
もちろん、僕は大真面目だったが
みんなはそれを笑い話として面白がってくれた。
ま、それはそれでいいんだ。
この地域でこの人たちと一緒にやろうと思っているのだから。

でも、今日次長が持ってきた話は
それが一気に形になろうとしている話だった。
しかもインドネシアで。
専門家による技術協力プロジェクト(通称技プロ)も
それとつないでの話で
ああ、大きな組織がかかわると
僕が10年かけて到達しそうになっていることなんて
すごくちいさいことなんだ、と
思えるような絵を見せられた。
それはそれでいい。
僕の師匠である東京の練馬の農家・白石さんからの
「行政とは方向性が一致した時だけ一緒に仕事をすればいい」との
教え通り、
これまでも、そしてこれからもそのスタンスは変わらないだろう。
ただどこかであちらの大きな話に合わせて
自分の考えがねじれたことを自覚することは
少々へこむというか、修行が足りないというか
なんとも言えない気分になる。
総じて勉強になったので
とてもよかったのだが
方向性を自分が間違えそうになることや
これまで言ってきたことに
究極的には自分が目指してきたこととは違っていることを
自覚する夜は、すこしさみしい。

僕らがかかわってきた実習生は
それぞれの夢があった。
コモディティーでも地域でも
業種でも縛りができない
それぞれの個性と方向性があった。
そのすべてに僕はレスポンスをするべく
思いつくあらゆる勉強を自分にも課してきたし
行動もしてきた。
だから、その形は
今後大きな組織との協力の中で
どんな風になるのかと
その一端が見えると
なんだか少々気持ち悪くなったり。

僕たちの関係は
仲良しクラブではないし、
タンジュンサリ農業高校の評価を考えれば
場当たり的に見える僕個人の思想から派生する
僕らの取り組みは
やや評価しづらいことも理解している。
これからは
せっかくODAがこちらに向いてくれているのだから
これをチャンスにしないわけにはいかない。
とは思うのだけど、
この取り組みの対象って誰なんだ?って
考えると
なんだかそれすらも
今の僕には少し空虚もないわけではない。

別に僕がJICAと一緒にプロジェクトをするわけでもないので
そこまで思わなくてもいいのかもしれないが
ただ、一気に進むそのスピードに
違和とそして
その対象とかかわり方の違いに
戸惑うだけなのかもしれない。











12期生の紹介をしていなかった。
2019年も2名の実習生を受け入れている。
そのうちの一人がアリフ。

アリフは、バンドン県パガレガン地区出身で、
同地区からの受け入れはこれで5人目となった。
2期生のイルファン、7期生のレンディ、9期生のデデ、10期生のダニと
これまで受け入れた中では、同地区が一番多い。
同地区は、標高1600mと高原地帯で、
温帯の野菜が潤沢に栽培できる気候と
豊かな火山性土壌を有している
西ジャワ州でも屈指の農業先進地なのである。
そういうこともあって、
農園の実習生として候補になる子も多い。

さて、アリフ。
父親は業者の仕入れ補助をビジネスとしており
毎日市場へ業者を車で連れて行き
仕入れの手伝いをしている。
めずらしく車をもっているのだが
けっして金持ちというわけではない。
ビジネスとして2007年に車を購入している。
車を持っている世帯は
街でもまだまだ珍しいので
2007年に車を買ったのは
ある意味先進的な考えだったといえる。
ただ買ったのが1978年の車で
価格も40万円ほどというので
これ車商人に騙されてないか?とやや心配にもなる。
お金は銀行から借りたというので
そういう手続きもするし
投資にも勇気があるという意味では
アリフのお父さんは結構面白い人なんではないかと
想像している。
その車を使って、物品の仕入れの手伝い業をしている。
午後からは時間があるので、農業という生計だ。
母は家事と午後からの農業の手伝い。
農業は同地区の伝統種のトウガラシと
お茶混作という鉄板の組み合わせで
失敗は少ない。
今後、もう少し調査を進めて
彼らのアクセス可能な資源を含めて
検討をしていこう。

さて
アリフはとてもギターが上手い。
ギターのレベルは聞いてもよく解らないが
長い間バンド活動をしていたようで
それなりのレベルらしい。
ただ10期生のダニに言わせると
アリフは学校でもいつもギターばかりで
実習もサボっていたし活動もいい加減だったと
手厳しい。
なので、ダニのアリフに対する評価は
かなり低い。
彼が候補者に決まってから、ダニはずーっと心配していた。
農園での労働にむかない、と。

たしかに受け入れて2か月が経つが
彼のレポートのレベルはかなり低く
勉強にまったく気持ちが入っていないことがよく解る。
ま、ここから自分でやる気を出すように
まずは彼が、自分の置かれている立場を
よくよく認識してどういう努力が必要なのかを
彼自身で見つけてもらえば
たぶん、それなりに伸びるはずなので
そこは心配していない。
ただ昨年のアンギの件もあるので
もうすこし慎重に進めていきたい。

ただ
上級生に言わせるとアリフは
あまり積極的に行動する感じではないという。
新しい食べ物にも消極的だし
遊びにもあまりいかないという。
異国に来て2か月。
寂しさが一番きつい時期だろう。
なにか気持ちが前に向くように
考えないといけないのかもな。

2020年の実習生に
女性の受け入れをしようと決めてから、
タンジュンサリ農業高校とも相談をした。
タンジュンサリ農業高校としては
いろいろと募集条件を変える必要があると考えていたようで
農園のローカルスタッフと
タンジュンサリ農業高校の教務主任の先生と
話し合いが開かれた。
そこでタンジュンサリ農業高校側が出してきた条件は
以下の通りだった。

一つ目は年齢。
これまでは19歳~30歳としていたのだが、
女性なら25歳までが良いというのだ。
これより遅くなると結婚しにくくなるのだとか。

二つ目は未婚という条件を付ける事。

三つ目は男性と深い交際ををしない、という条件。

四つ目はイスラムのスカーフを必ず着用する、という条件。

五つ目は学校の評価平均が86点以上のスコアである事。

五番目以外は、労働者の採用条件としては
とても盛り込めないものばかり。
学校の校則なら良いのかもしれないけど。

結婚が前提となるような採用条件は
ジェンダー差別になるし、未婚に関しても同じ。
三番目なんて、とてもとても盛り込めない。
四番目は、イスラム教じゃない子は採用しないと読めるので
それも差別になる。
さらに五番目の条件に関しては
農園の実習生から反対意見が続出した。
ここ数年の評価とそれ以前の評価とでは
点数が違うというのだ。
今、3年生のダニと2年生のアンギは同級生なのだが、
その世代までは、最高得点でも84点くらいだったらしい。
平均が80点を切っているのがふつうだという。
この前の2月に来日した19歳のダダンの学年は
86点はたしかに高得点だが、90点をとる学生もざらに居たので
むずかしくないとのこと。
世代間で評価の仕方に差があるのでは
一律の条件としては使いづらい。

こうしてタンジュンサリ農業高校からの提案は
すべて却下されたが、
学校の成績が何かしら関係するような条件作りは
今後進めていきたいと学校側とも確認をした。
ただ評価も教育省の指針が変わると
それに合わせて学校の評価も変わるので
世代を通じて統一するのは難しいらしい。
せめて上位20%以内とかにするか。
ま、これは継続して検討しようか。

というのも
最近、実習生の間で学力の差が
どうしようもないくらい開いてきている。
出来る子はものすごくできるのだが
出来ない子は、全くダメ。
そこも引き上げていかないといけないのだけど
あまりにも基礎学力が無さ過ぎると
全体の勉強の進行にも
差し障りがあるケースも出てきている。
学校側としては
技能実習生だからまじめに働けばいいだろうという
考えも少しあるようだが
このプログラムはあくまでも
地域リーダーを創り上げるプログラムなので
ある程度の学力と
勉強に対するモティベーションも必要なのだ。
それを醸成させるのも
僕らの役割なんだろうけど、
差がねぇ、ちょっと開きすぎなんじゃないかって
思う子がいるのも事実。

ま、そこは僕らの努力次第で
ある程度は追いつけるので
もう少し頑張るか。

とにかく、2020年の実習生募集を
正式に始めた。
どんな子が候補者になるのか
楽しみでもあり、不安でもある。
女の子の条件としたけど
女の子の候補者、みつかるだろうか?




2020年の新卒採用がひと段落ついた。
次は技能実習生の2020年の採用が始まる。
ビザ等の手続きなどで、どうしても7月下旬には
候補者を決めないといけない。
もう少し早くから動き出す予定だったのだが
二点ほど自分でも決まらず
すこし動き出すのが遅くなってしまった。

一点目が受け入れ人数。
2018年より毎年1名受け入れから2名受け入れに変えた。
理由は卒業生を増やすため。
毎年1名ずつの卒業生では
インドネシアの彼らの農村でのインパクトは
非常に弱い。
もちろん、卒業生たちはみんな頑張っていて
村落リーダーにもなっている子もいて
活躍は目を見張るものがあるのだけど
それでもメンバーの少なさは否めない。
自分の経営に合わせての受け入れだったので
これまでは1名が限界だったし
実際に指導も大変で、
レポートを読む量も2名受け入れなら
2倍の時間がかかることになる。
ただ僕の経験値も高まったことと
インドネシア語を理解するスタッフが増えていくことから
2018年から2名受け入れてきた。
ただ2018年は豪雪被害を受けた年でもあった。
2017年に2018年度の受け入れを計画したので
豪雪直後に2名が増えるという事態となり
経営的にどうなるのかかなり不安だった。
2019年度の受け入れも
一時は1名に変更とも思っていたが
雪害があっても販売成績が良かったので
そのまま継続していた。
ただ、昨年の暮れから販売が大いに不振になった。
野菜の価格が大暴落したからだ。
しかもその安値がこの春まで続いた。
現在も高いわけではないが
以前よりはややマシになっている。
その安値を受けて農園では取引量も減り、
2020年は実習生受け入れは1名にとも考えていた。
スタッフの頑張りもあり4月の実績では
売り上げもそこそこ戻ってきたので
2名受け入れを決めた。
それが来年の受け入れ開始を遅らせた要因の一つである。

もう一つは、女性を受け入れるかどうかの検討だった。
現在青年海外協力隊で派遣中に立崎は
女性の受け入れについて以前から言及していた。
彼女が帰って来てからその準備を始めようと思っていたのが
3月の訪問で
実際の候補になる子たち(立崎と一緒に活動している高校生)に会い
その子たちの姿勢や考え方に強く影響を受けた。
女性の農村部でのリーダー像は
なかなか見えてこないが
大学の恩師であるメラニー先生の協力も
得られたことも大きい。
彼女は環境人類学のジェンダー専門で
いろいろとアドバイスをいただけることになったことも
背中を押す要因となった。
女性の宿舎をどうするかなどの些細な問題は
まだまだ山積しているが
とりあえず受け入れをしてみようと決心した。
タンジュンサリ農業高校の同意も大きかった。

続く


インドネシア実習生向けに
農業構造論という授業をしている。
こういう学問が他にあるかどうかは
不明だが
僕がボゴール農科大大学院で学んだ社会学の基本と
農村や農業をどのような視点で理解すべきか
というそれらの学問を自分なりに統合して
こうした科目を作って教えている。
この学問の中身がどんなものなのかは
以前のエントリーに譲ろう。
参照「運命を変えたいなら」

さて
その中で人的資源について。
人的資源といえば、「教育」という具合になるが、
これでは人的資源の全体の1/3くらいしか言えていない。
教育が人的資源の向上になぜつながるのかを
説明していない。
無条件でそれを信じて
その流れをブラックボックス化してしまえば
形骸化を許すことになる。
なぜ教育が人的資源の向上につながるのだろう。
こんな問いを立てながら
授業は進んでいく。

この問いに答えるには
教育の二つの側面に目を向けないといけない。
個人の能力向上と
社会の評価向上の二つだ。

教育の本質は
考え方の訓練を受けることだろう。
セオリーはある意味スポーツや武道の形のようなもので
その形を反復して体や頭に覚え込ませることで
そのような動きが出来るようになる。
セオリー(理論)とはそういうもので
そういう視点と考え方と情報処理を学ぶ。
これは、個人の能力向上といえるだろう。

さて、教育のもう一つの側面に
社会的評価がある。
社会的評価の高い学校を卒業していたり、
セミナーを修了していると、
社会的評価が高まる。
それどころか、本質であるその教育を受ける前段階ですら
社会的評価は高まる。
いい高校や大学に合格しただけで
まだその高校や大学がもつ
真の意味での訓練を受けていないにも関わらず、
社会はそれを高く評価したりする。
これは
教育の個人的能力向上とは別に
社会的評価が大きな影響を持つ事例と言っていい。
だから
個人的能力を担保するのは
本当はどこどこ大学卒業なのだろうが
履歴書に
どこどこ大学中退なんて書くのは
その社会的評価への期待なんだろうか、というのは余談。
ただ難関学校の入試を潜り抜けたという意味での
そこまでの訓練(教育)を評価する面もあるので
ある程度は有効か。

さて、
ここまで書くと
学歴だけが人的資源じゃないだろう、と思われる方も多いだろう。
その通り。
いい大学出ててもダメなやつはダメで
学歴はただ個人的資質以外にも
家族や金銭などの環境の影響も大きい。
教育だけでは個人的能力やその個人に対する社会的評価は
測れない。
つまり経験や肩書、受賞歴なども
人的資源の向上に強く結びついている。
ただ社会的評価は
社会がそれを認知できる形で
存在している経験や肩書などに限られる。
返せば、それは認知されなければ
個人的能力の向上につながる経験であっても
その社会的評価には直結しないということでもある。
僕はここが鍵だと思っている。
認知される、また経験の見える化が
自己のマネジメントとして必要があるということも
彼らには理解してほしい点である。
そういう意味では9期生のレンディの
帰国前の発表であった
「スマートリーダーになりたい」という宣言は
よくこの部分を理解していたのだろうし、
帰国後一気に集落長に成り上がるのだけど、
それにはトウガラシ栽培での素晴らしい成功があり
それを集落の重鎮が認めたことによるところが大きい。

帰国した後の自己イメージのマネジメントは
とにかく成功するしかないが、
日本にいる間に
できる事も本当はたくさんある。
日本にいるという状況がすでに
彼らの日常ではないし
ここで見るもの聞くもの食べるものすべてが
非日常で
その文脈を社会がどう判断するのかを
捉えられたら
どんな情報をSNSでなすべきか
自然と見えてくるはずだ。
が、さてどうだろうか。




先月のインドネシアでの総会後、
勉強会が復活した。
(その時のエントリーはこちら)

3月の勉強会はデデで
帰国したばかりという事もあり
日本での研究発表をそのまま行った。
4月は昨日29日に開かれ、
1期生のヘンドラが発表した。
本当の意味での勉強会復活第一回目と言っていいだろう。

再開するにあたって
会場は必ずしも彼らの母校
タンジュンサリ農業高校でなくても良いことにした。
発表者が発表したい場所にすることで
仕事の合間や
ちょっとした時間でも行えるように配慮。
参加者もグループチャットのテレビ会議で
参加する形式もOKとした。
とにかく続けられるように、との配慮だ。

ヘンドラの発表は
有機液肥の作り方だった。
バナナの木を利用して
米のとぎ汁と黒糖を使って発酵させた
有機液肥で、製造に2週間と時間もかからず
コストも安いことが魅力の方法だった。
質問では、製造についてや散布方法などに
集中していた。

こういう資材を検討する場合
まずヘンドラ自身がなぜこの資材を利用しようと
思い至ったか、そこが大事になる。
コーヒー栽培に利用するとのことだったが
収量増加か、品質向上か、
有利販売か、生産コスト削減か、
そのいずれに彼の期待値があるのかが
大事になってくる。
僕の質問で彼は、生産コスト削減の期待値が高い事と
有機コーヒーの場合、有利販売が出来ることへの
期待値が高い事を説明してくれた。
だとすると次は
実際に有利販売の価格差が、
生産コストの増減で、より利益が手元に残るかどうか、
そこを計算して判断する必要がある。
有利販売にどれくらい差があるのかという質問に
ヘンドラは高くるれるらしいという
噂の域を出ない答え方で終始した。
生産コストの計算は、その散布にかかる道具や
人件費まで含めなければいけない。
有機資材の利用の場合、散布量が多くなることや
散布の手間がかかることも多いので
人件費が慣行農業よりも高くなる傾向がある。
それについても今後の計算すると
ヘンドラは答えていた。

日本でもそうだが
農家の情報の多くは
どうしても「これだけ良いものが取れます!」だったり
「こんなにたくさん取れました!」に終始する。
だが、自分たちの市場は
その有利を指示するのかどうかと
その取扱いによるコスト高は
あまり喧伝されない。
有機農業ブームのインドネシアでは
特に冷静な経営判断と自分にとって無理のない
経営戦略にそった営農が求められる。
本当は
そこをしっかりと分かってほしかったのだけど
なんとなく僕がケチつけたような
終り方になったのは残念だった。
外国語で議論することのむずかしさもあるが
それよりも議論することで
相手も気持ちよくその指摘を受け入れられるような
話し方がより難しく思う。
勉強会は、僕にとって
その課題を乗り越えるための修業の場だと思っている。
もっとインドネシア語を磨くことと、
伝えるための単語選びを厳選しないといけないと
痛感した。
いい勉強会だった。



技能実習生を受け入れしていて思う事。
TPOに合わせた服装ができるように
なってこそ一人前だということ。
特にインドネシアでは、このTPOが実はうるさい。
だのに、日本はどこかそういう部分がなあなあで
その空気感が、本来きちんとした服装をしているはずの
インドネシアの実習生にも悪影響があるのかもしれない。

それは、正装を持っているかどうかの話。

日本に働きに来るので
実習生の中には、作業服や私服しか持っていない子も
入るかもしれない。
でも、社会の中で暮らすという事は
冠婚葬祭の場面にも出くわすこともあるということなので
その場面での服装が出来ないといけない。

僕が大学院に通ってた頃は
ジーンズ、サンダル、Tシャツは授業に来ていく服装としては
完全にNGだった。
会議は襟付き長袖のシャツが最低条件。
スニーカーはNG。
冠婚葬祭になると、もっと厳しい。
そのシーンに合わせていろんな格好をしないといけない。
ただ外国人の旅行者だとそこが少しゆるく
あまり言われないのだろうけど
そこに住んでいると、同級生や先生や
ホームステイ先の家族からチクリと指摘を受けたこともあった。

事実、僕もインドネシアへの出張中は、
ややいい加減な格好をしている。
本当はNGなんだけどね。
服と靴で荷物が多くなりすぎるので
ごまかしているけど。

さて
11期生のフィルマン。
彼はインドネシアの正装であるバティックを
持って来日したのだが、
それが半袖というところに問題があった。
それだと冬の冠婚葬祭に着ることが出来ない。
日本に四季があることはぼんやりと分かっているのだけど
でも癖で半袖のバティックを持参してしまったというわけ。

そこで長袖のバティックを手に入れるように勧めたのだけど
なかなか聞き訳がなく
最近それで少し揉めている。
あまり言うとパワハラになるのかもしれないが
一般的な常識として
服装を準備するのは大人のエチケットだろう。
事実、僕がインドネシアに留学していた時や
協力隊で派遣されていた時は
周りの大人から服装についてたしなめられたことは多々あった。
だから
僕もその時の恩返しをする意味で
ここは曲げずに
大人のエチケットとして
彼に正装を準備しておくことを
勧めていこうと思う。



良い話ばかりだと
いつもうまくいってるのだと思われるのも
なんだか違うような気がする。
毎日、何かしらの問題があって
その小さな問題がきっかけとなって
外国人実習生特有の深い問題が表面化する。
深い問題は深い問題でアプローチしているが
毎日のちょっとした擦れ違いも
なるべく起きないようにやっていく必要もある。
日本人同士でもそれは同じなんだけど
ハイコンテクスト言語に頼っていることもあり
外国人との付き合いでは、それが通用しないことも多い。
だから躓く。

そんなことの一つが
最近、実習生の歯医者通いにも表れている。
先日フィルマンが
「歯が痛くて2日ほど眠れないです」
と急に言い出した。
寝れないほど痛いのに
なんで二日も我慢したのかも謎、というか
気持ちは分からんでもないのよねぇ。
海外で医者にかかるって本当にストレスだから
出来る限り避けたいという心理は
言葉が出来ないころは特に強い。
ま、それは置いておいて
その歯が痛いと言いだして
仕方ないので仕事を早上がりさせて
3年生のダニを付き添わせて
近くの歯医者に行ってもらった。
ちなみに通常は誰か日本人スタッフか僕かが付き添うのだけど
その日は前々からスタッフ同士の重要なミーティングの予定があり
彼らだけで行ってもらった。

結果虫歯が7本もある状態と分かり
しかも歯医者のコメントではどれもすごく悪く
かなり治療に時間がかかるとのことだった。
フィルマンは結核に続き、今度は歯の治療というわけだ。
それはそれでいいのだけど
次の予約の取り方がまずかった。
歯医者は土曜日もやっているので
てっきり土曜日に次の予約を入れたのだと思っていた。
ダニと世間話しているときにも
それを確認したら
「土曜日に行きます」と言っていたから
そういう予約を取ったんだと思っていた。

でもね、ふたを開けたら
なんと火曜日。
しかも5時の予約。
これを知らせてくれたのは
いつも彼らと一緒にいるスタッフだった。
農園は8時から5時が営業時間。
もちろん、事前に相談があれば
早上がりも可能だし有給休暇もOKだ。
ただ直前は、ルール違反。

そのことをダニに問うと
しどろもどろになりながら
早く上がっていくつもりだったとか
ダメなら5時に仕事を終わってからダッシュして医者に行くとか
話し始める。
これまでの経験で行くと
ぎりぎりまで気まずくて(?)切り出せず、
その日の午後の出発直前になって医者に行くことを伝えてきて
みんなに迷惑をかけるというのが多い。
行く方は悪びれていないことも多く
僕がそのことで指導をすると
裏で反発をして関係が悪くなることも結構ある。
この辺りが
僕らとの感覚の違いというか
報告連絡相談という癖がなかなか身につかないからなのか
わからないが
良く発生する事案でもある。

とりあえずフィルマンの予約は
終業後に行ける時間に取り直ししてもらって
ダメなら所属チーム長に相談の上、
会社に早上がりの申請書を提出することになるだろうね。
それらのフォームも全部揃えてあるんだけどねぇ。

ま、どうでもいい話だと思う方も多いだろうけど
外国人と付き合っていく中で何かの役に立つのなら
こういうこともこれからも記録しようと思う。


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19日にAOSSA研修607室で
デデ君の卒業成果発表会を開いた。
80名が入れる部屋を用意したのだが
90名以上の方にお越しいただき
立ち見が出て
臨時に椅子を入れて対処するくらい
反響があった。

実はこれまでも
技能実習生の成果報告会は行われてきた。
最近は停滞している若手農家勉強会のアンビシ勉強会で
1月は農園の技能実習生が毎回
発表をしていた。
今回は技能実習生の議論が
世間を騒がせるようになったこともあるが
前々回くらいから
そろそろ一般向けに発表会をできないかと
考えていて
そのタイミングが社会の関心と
上手くはまったというだけだった。

一般に発表するのであれば
農園の実習プログラムについて
少しプレゼンする必要があった。
なので、この会は2部構成で
1部は僕が実習の経緯とプログラム内容を話し
2部でデデ君が成果発表をするという構成にした。
さらに1部で説明した実習交流の延長として
インドネシアのタンジュンサリ農業高校へ
青年海外協力隊として派遣中の
農園のスタッフ立崎をインターネットでつないで
彼女から活動の中間報告もしてもらった。

技能実習制度が
どうして青年海外協力隊まで繋がるのか、という
疑問をこのエントリーからこのブログを読んだ方は
不思議に思うだろう。

これまでの受け入れや今の活動へ至る経緯を
簡単に説明しよう。

もともと青年海外協力隊でインドネシアに
行っていた僕は、
その経験を見込まれ、福井農林高校とタンジュンサリ農業高校の
交流促進として通訳兼アドバイザーとして関わっていた。
相互訪問を何年か行っているうちに
タンジュンサリ農業高校から
もっと長期で日本の農業が学べないか、と申し入れがあり
丁度大学院を終えた僕は
家業の農業を分社化して受け継ぎつつ
技能実習制度を利用して
インドネシアの農民子弟を受け入れ始めた。
それから7年後に採用したスタッフ立崎が
インドネシアで働きたい、と言い出し
いつかはタンジュンサリ農業高校に
人材を派遣してやろうという僕の野望と合致したので
彼女を青年海外協力隊として
同地に派遣できるようにした。
実習卒業生も比較的に近い地域同士から受け入れているため
帰国後彼らがグループを作り勉強会を始めたのも
立崎が入社する前後だった。
そのグループで農業開発の案件を作り
JICA基金にアプライしたところ、2016年と2018年の
採択事業となり
現在、それらのグループで持続可能な小規模コーヒー栽培の
普及を行っている。
さらに今年1月よりそれらのグループを指導し
さらにはコーヒーのフェアトレードまでを視野に入れて
3期修了生のタタンをローカルスタッフとして雇用契約をした。
といった流れだ。

さて、
デデの発表だが、
まずこの発表が研究としての精度も高く
また彼自身の勉強にもなったのは
スタッフの佐藤と坂本の指導のおかげであることを
ここに明記したい。
彼らの献身的な努力によって
まったく研究ということに不慣れなデデが
そこまで研究を勧められたのは、両氏のおかげである。
素晴らしいスタッフに恵まれたことを感謝したい。

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デデの地域は1200mを超える高地に位置している。
その高地を利用して
熱帯では作れない作物を作り優位販売している一大園芸地帯である。
そこで盛んにつくられているのはお茶だが
園芸作物として伝統種のトウガラシの栽培も盛んだ。
そのトウガラシは伝統種であるため
一般のトウガラシとは違い、
これまできちんとした栽培のガイドラインが無かった。

伝統種にありがちな、
年によって収量が大きく左右されるようで
価格も乱高下しがちだという。
そのトウガラシで多収栽培法を見つけることができれば
成功への一歩となる。
事実、地域で成功している農家は皆、
このトウガラシ栽培が上手で
それぞれのやり方で多収だという。

そこでまずデデは
地域のリーダー的存在の農家のインタビューから始めた。
どういう栽培法を用いているのかを調べるためだった。
その農家は、ポイントは二つだと言った。
ひとつは防除法、もうひとつは施肥方法だという。
施肥方法は教えてくれたが
防除は秘密だという。まぁ、しかたないか。
そこで施肥方法を実験の主題として行った。

同種のトウガラシは日本では栽培に向かないため
良く似たシシトウを実験の品目として利用した。
施肥のタイミングを変える実験で
行政が一応ガイドラインとして出している施肥方法と
篤農家の施肥方法を使っての研究だった。

それらの違いは
追肥を化成肥料だけにするのか
鶏糞を利用するのかの違いである。
篤農は追肥で鶏糞を使っているという。
農学を修めた者なら、基肥での鶏糞の有効性を
否定する者はいないだろうけど
果菜類の追肥で鶏糞となると
うーん、とうなってしまうところが正直なところだろうか。
オーガニック神話も根強いインドネシアでは
こうしたセオリーから大きく離れた農法も
また存在しているというのは事実。
これに対抗するのは思想ではなく
実質にどれくらい収量が上がるかを証明する
科学的な手続きを知るのが一番だ。

デデはそういう意味では
とても根気よく調べてくれた。
トウガラシの収量をきちんと調べ
また記録も詳細だった。
ただね、彼に注文を付けるとすれば
収量は数量と共に重さも量らないとね。
大ぶりで少数なのと小さくてもたくさん取れるのとでは
まったく意味合いが違うからね。
あとインドネシアでは、ブローカーに販売するときは
重量なんだから、重さをもっと重要視しようね。

さて
オーガニック神話の強いインドネシアだが
デデもやはりオーガニックを無批判的に信じていた。
こう書いてはいるが
僕はオーガニックを敵視しているわけでもないし
否定もしない。
市場とその土地の条件と社会性の中で
農家は自由に、そして自ら考えて進む力が必要だ。
それがオーガニックになる文脈があることも
僕は否定しない。
ただそれの価値観を押しつけてくるのは
オーガニックがこれまで経験してきた
差別され非難されてきた歴史を
繰り返すことになる。
オーガニックが対抗して慣行農法を
批判することが双方向にあったことを
負として僕らは繰り返さないことが大事だと思う。
その上で、トンデモな情報は排除する賢さと
嗜好の自由を共有したい。
ま、オーガニックと言って草むらにして虫ばかり出す農家も
困ったものだとは思うけど。
あ、それは以前の僕か。

さて
結果から言えば
化成肥料の追肥が断トツで良かった。
デデもこの実験を行いながら
化成肥料と有機肥料の違いとその効果を
書物等を通じて学ぶ機会も得た。
土が荒れるのは化成肥料じゃなく
耕起して表土が無くなるからであって
有機かどうかはあまり関係がないってことも学んだ。
市場が評価するのなら
有機もありだろうけど、大量に有機肥料を投入できないのであれば
どう表土を守り抜くかは
これから彼が地元で考えるだろう。

なんにせよ
彼は科学的に検証するという技を一つ覚えることができた。
これで神話に騙されず
自分の力で判断できる農家に
また一歩近づいた。

研究成果に特化した発表だったので
農学に詳しくない方にはどう映っただろうか?
あれこれと将来を考えて
日本であくせく働いているのが
技能実習生なんだ。
お金も大事だけど
彼ら彼女らの若者はその将来を
不安に思いつつも
何かここで掴み、
自分の運命を変えたいと思って
日本にやってくる普通の若者たちなんだ。
というのが
少しでも一般の方に伝わったのなら
公開した価値はあったと思う。
僕らはもっともっと
発信力をつけないといけない。
まっとうな関係を築く議論を始めるために。



彼の月間レポートはこれまで
あまり記録してこなかった。
その理由は
まぁ、良くできているからといえば、
そうなんだろうけど
優等生で、内容にそつがなく
ブログに記録するほど変化がないというのも
そうなんだろう。
でも1年前と比べると
劇的に変化している。
だからたまには記録しないとなぁ。
ということで、3年生のデデの
しかももうすぐ帰国する子は
どんな月間レポートを作り上げてくるのかも含めて
記録しようか。

記録をさかのぼると、1年前の10月の
彼の月間レポートの記事があった。

http://tayatoru.blog62.fc2.com/blog-entry-1846.html

この時期に書かれていた
お茶とトウガラシの栽培は
そのまま今も受け継がれている。
この1年でずいぶんと彼も投資をしており
しかも2年生の時からすでに
お茶畑を購入して
現地で姉の旦那さん(義兄)に管理をお願いして
すでに農業経営を始めている。

彼はこの2年間で
貯めたお金の140万円ほど投資して
2.9haの農地を購入し
お茶栽培に乗り出している。
しかもその農場では
すでに利益がかなり出ているという。
昨年から今年にかけて、35万円の利益があったらしい。
いやはや大したものだ。
信頼のおける親族が居て、
収益確保が明らかなすでにできあがっているビジネス、
この場合はお茶栽培だが、
それへの投資なのでリスクも小さい。
いうのは簡単だが
遠隔でこういう経営をしようと思っても
なかなかなせるもんじゃない。
デデのマネジメント力がすばらしいということだろう。

さらに3年生の今年は
トウガラシの施肥方法の実験をしており
これがかなり面白い結果が出ている。
有機肥料と化成肥料とを上手く組み合わせることで
従来の倍ちかく収量を得ることが実験では分かったのだ。
もしこの栽培法が彼の地域の
トウガラシの伝統品種でも可能であれば
間違いなく彼は、初年度から成功するだろう。
ま、それが当てはまらなくても
どうすれば正解に行きつくかのプロセスは
たたき込んであるので、数年後の成功は間違いないと思う。

その上で
デデは最近、ハウス施設を地元でも建てて
葉菜類を栽培したいとノタマッテいる。
攻めるねぇ~、デデ君。

ただこのハウスがなかなかインドネシアでは存在しない。
彼の地元では竹資材のハウスが主流で
竹素材だと5年くらいしかもたないのが難点。
投資額は結構おおきく、400㎡で40万円ほど。
5年償却なら、8万円は次の建て替え費として
積立しないといけない。
露地で作る場合とハウスの場合とで
作付け回数がかなり増えない限り
品質での勝負というのは難しいだろう。
あと売り先も大事だ。
ハウス栽培の利点は、環境をコントロールしている分
安定的に出荷できるというのが魅力だ。
その魅力を感じてくれる市場があるかどうかだ。
彼は、近くのバックソー屋(地元の軽食)に販売したり
ローカル市場に持っていきたいという。

なるほどね。
その場合は問題点が3つ存在する。
まず、1点目。
野菜を供給するための配送のための人員はどうするのか?だ。
大抵、新規就農時代は、労力は自分ひとりだったりもする。
彼の場合はすでにお茶農園で雇用しておりパートが数名と
スタッフとして義兄がいるらしい。
インドネシアでは集金は月末締めでもなければ
銀行振り込みでもない。
大抵は現金主義で、その場で現金で支払われる。
となると配送はかなり信頼置ける人物でない限りは
任せることはできない。
パート労働者では無理だし、義兄を配送に回せるほど
労力が豊富でもあるまい。
自分が配送に回れば、全体が見えなくなるしね。

次の問題点は、供給量だ。
ローカル市場は個人商店がひしめき合っている感じの市場だ。
1つ1つはとても小さな商店。
その一軒一軒から注文を取って
それを納品するのはかなり手間だろう。
もちろん供給量も、需要と生産力のすり合わせが
難しくなる。
ブローカーは、大きな規模で買い付けて、
需要とのすり合わせをし、その手間で儲けるのだけど
農家がそれをするにはやはり人手がたりないし
小規模だと生産力が安定しないので、難しいと
言わざるを得ない。
特に葉菜類は、だ。
それなら作った分全部を買ってくれる
ブローカーに販売した方が
断然いいだろう。
第一期生で今は集落長として地域のリーダーになっている
ヘンドラは、その答えに行きつくまでに
5年以上かかった。
彼もローカル市場へ細かく販売してくビジネスプランを
立てていたが、結局は生産に力を入れて
販売はブローカーに任せてしまったのも
その規模やスタッフなどの信頼おける人材の確保のむずかしさにある。
ちなみに僕の農園はそれをするから
すこし高い単価を獲得できているので
生産力と分配とがうまくマネジメントできれば
当然、みんなが難しい分
ビジネスチャンスになるということでもある。
ヘンドラに経験談を聞いて
君なりに考えることだね。

3つ目はもっと根本的なことだ。
それはハウス栽培の葉菜類の品質を
市場は評価してくれるかどうかってことだ。
雨よけで作った葉菜類はとても葉がきれいだ。
泥はねもなく、すくすく育った葉菜類は美味しそうに見える。
露地と比べてハウス栽培の葉菜類は
とうぜん日本では品質も高い分
需要もある。
だが、君の地域はどうだろうか?
バックソー屋で出すというが
昔、僕がスラウェシで仕事をしていた時
料理屋の主人はこういってたよ。
「虫食いや痛みはあまり関係ないよ。きざんじゃうし味付けしちゃうし。大事なのは安いって事かな」
ってね。
これは20年前の話だから
今は違う、と言えるのなら良いんだけど。
つまり回転数が上がる以外に
値段もある程度ついてこないと
5年償却の施設を葉菜類で稼ごうというのは
かなりきびしいんじゃないかな。
日本の一般的な農家も償却期間の倍の期間は
やはり使って資金を回収している農家が
多いように思うしね。
金属パイプのハウスが7年~10年で朽ちることないしね。
でも竹は、白アリにやられるから
確実に朽ちるので
5年で利益回収できなければ
その投資で君は潰れることになるぜ。

ま、
こういうことを議論できるまで
君の経営感覚が伸びてきたってことなんだろう。
その成長ぶりは本当に頼もしいよ。
あと2か月、僕も全力で君と議論をすることにしよう。


12月に提出されたフィルマンの月間レポート。
彼のビジネスプランは
ずいぶんと様変わりしてきた。
採卵の養鶏をしたいというのが
彼のプラン。
ちなみに
このアイディアはフィルマン本人ではなく
彼の継父からである。

フィルマンはスカブミの地方に住んでいるが
周りは工場労働者の住宅街で
農地は工場やその労働者への転用期待も高く
かなり高額になってきている地域。
さらにもともと農家ではない家なので
農地を持っておらず
その彼がアグロビジネスを展開しようとすると
どうしても農地購入の段階で
かなり小さな面積でのスタートしか切れない。
そこで農産物を生産しても
生産量が少なく、彼自身の生活もかなり危ういのが
プロフィール作りの中で見えてきた現実だった。

では、
その限りある土地面積で利益をどう最大化するか。
それを考えていく中で
彼と継父は、採卵の養鶏のアイディアに行きついたらしい。
いまいちどうして採卵の養鶏なのかは分からない。
インドネシアでは、食肉用の養鶏が盛んで
こちらはすでにある程度マニュアル化され
ある程度の施設を用意すれば
利益の計算も簡単な産業になりつつある。
ただブームになってから久しく
もしかしたらすでにビジネスモデルとしては
もう魅力が無いのかもしれないけど。

とにかくこれから
採卵の養鶏がどのようなコスト計算で
ビジネスをするのか
またどういった基準値があり変数は何かを
フィルマンと一緒に探っていくことになった。
とりあえず、
タンジュンサリ農業高校の卒業生で
採卵事業をしている、もしくはしていたけどやめた、
といった事例を一緒に考察してみようかと思う。


今月も、もう月間レポートの指導の時期。
アンギは先月に続き
お粥屋になるというプレゼンをしてくれた。
前回で問題点だった
屋台などの設置許可や
インフォーマルな縄張りなども
アンギは父(お粥屋台経営)にインタビューをして
明らかにしてくれた。
設置許可は近隣の区や村行政からの許可が必要だし
インフォーマルな縄張りもあることが判明。
ただそこはすでに15年以上その業界で
仕事をしてきたアンギの父が
縄張りは心配いらないと請け合ってくれたらしい。

アンギの野望は広がる。
屋台での販売は父と共同して行うが
それ以外にも、お店を構えたいという。
前回はその辺りの家賃等があいまいだったが
今回は3か所のリサーチを済ませ
その発表もあった。

タンジュンサリの街中では3×4mで月916,000ルピア。
ただ街道沿いで、バスやトラックなどの交通量は多いが
朝ご飯にお粥を食べるような客層(主に住宅地のお客さん)が
多いかどうかは疑問。
もう一つは、ショッピングモールや大学が集中する
ジャティナゴールという地域。
広さは同じで、大通り沿いが月2,000,000ルピア。
大通りから一本裏通りが月1,500,000ルピア。
どちらも大学生寮が立ち並ぶ住宅街で、
お客は多いことが見込める場所だとアンギは言う。
どれくらい売ればいいのかは
まだ計算していない感じだったが
まぁ、良く調べたとは思う。

で、先月からの課題だったが
農業とお粥屋ってどう両立するのかってこと。
その答えは、アンギ自身が答えたのではなく
父に聞いての回答だった。
アンギの父曰く、
お粥屋だけでは10時に商売が終わってしまうので、
空いた時間がもったいないということで
もともと持っていた農地を
耕作して野菜の販売をしていたということらしい。
だから、主はお粥屋で、野菜栽培はついでになる。
アンギもこの父の教えを受け
「お粥屋が忙しいなら、僕はお粥屋でいきます」
と力強く答えていた。

まぁ、彼がお粥屋になろうがどうだろうが
僕個人は一向に構わないし
そもそも僕は飲食業界のノウハウを知らないから
的確なノウハウという意味でのアドバイスじゃ出来ない。
でもね、だからといってそのままには出来ない。

お粥というのは
お父さんがやっていたという理由だけで
もちろん、そのノウハウを勉強して事業を承継することで
スムーズにビジネスが展開されるというメリットがある。

その一方で、
そのお粥のビジネスモデルは、
これからの時代に合っているのかどうかは
まったく無批判なのである。

僕が野菜栽培とお粥販売の接点は何か?という問いは
ただ単にタイムスケジュール的な問題ではなくて
彼がそれをやりたいと望んだからなんだけど
それが組み合わさることで
君にしかないお粥屋になるのかならないのか、
その一点だった。
つまりはブランディングである。

お粥はインドネシアの特にジャワでは
一般的な朝食で、
朝が早いインドネシア社会では朝を外食で済ませる人も多く
その人たちからも人気の食べ物だ。
だから、朝は街の至る所にお粥屋が出現する。
移動屋台販売はもっと上りが少ないと思っていたが
アンギのお父さんは月に4,000,000ルピアの収入を得ていて
公務員初任給よりずっと多い。
だったらそれで良いかもと思わないでもないが
30年40年先もそのビジネスモデルが
そのままのような気がしないし
休みが少なく昼夜逆転の生活は体力的にもキツイはずだ。
彼がお店を構えるというのであれば
ただのお粥屋では
きっと他の食べ物屋との競争もきつくなる気がする。
それらも踏まえて
アンギだからこそ
アンギにしかできないお粥屋を
探す努力をしてほしいと思う。

お粥で結論付けて
議論を受け入れようとしない彼の姿勢もやや心配だ。
成功は、考え続け挑戦し続けるそのプロセスに宿る。
彼も自分のセールスポイントを
考え続ける姿勢を忘れないでほしいと思う。

グローバリゼーションを理解する授業を
後期は入れている。
毎年同じビデオでは飽きるので
ローテーションを組んで見せているが
今回は久しぶりにこのDVDとなった。
「おいしいコーヒーの真実」

あらすじは、前回前々回のブログに譲ろう。

このDVDで問題なのは
グローバルサプライチェーンが
長く伸びきっていて、最終消費者と生産者が
互いに情報を共有できないところにある。
おかげで生産者として
どういう品質であれば高価買取になるのかという
インセンティブも無ければ
中抜けして販売するようなアイディアも生まれにくい。
そうした構造がブローカーの利権を強くし
生産コストを下げるための大規模化にも進み、
零細農家の資源アクセスも制限を受けたりする。
コーヒーに限ったことではなく
それはいわゆる途上国でエステートと呼ばれる
作物のほとんどがこの構造になっていると言っていいだろう。

もし、構造を読み解く力を持った農家が
最終消費を目の当りにしたらどうなるのか。
それが僕の協力隊時代からのテーマでもあった。
実際にはインドネシアの農家も
スタバでコーヒーを飲む機会がごくたまにだが
あることはあるし
アクセスできないわけでもない。
だが、ただ高いコーヒーとしてしか思わないのであれば
変化は生まれない。
そこに何が付帯しているのかを読み解き、
その一部がもしかしたら自分でも
創造できる部分じゃないのだろうか
という想像が生まれなければ
それに向かって行為能力が発揮されることはないからだ。
授業では
スタバのコーヒー330円の内、
生産者は3円しか手に入らないことに怒ることよりも、
3円は4円に、4円は5円にならないのかを
想像することを大事にしている。

で、こういう授業をしたら
さっそく1年生の二人が近くのショッピングモールにある
スタバへ行ったらしい。
何が良かった?と聞くと
店員が笑って話しかけてくれたこと、とのこと。
それってインドネシアでも普通やん!

違いを意識して見つけるのは
まぁ、これから訓練だね。




ヘンドラやレンディと違って
政治的なアプローチを好まない男もいる。
それがクスワント。
彼は村内政治を利用するよりも
それに批判的な立場をとるような男だ。
だから、
「まちがっても集落長や村長にならないですね」と
と調査の時に言っていた。
ま、僕から見たら君は一番の野心家だから
たぶんその時が来るまではそんなそぶりは見せないだろうけどね。

彼は農薬や肥料・種などを販売する資材屋を経営しつつ
トウモロコシとトウガラシとサツマイモの輪作で
生計を立て、
そして丁子とコーヒー栽培にも乗り出している。
奥さんも働いていて
タンジュンサリ農業高校の校内に
軽食屋を経営している。
これが彼の世帯の生計戦略。

ヘンドラやレンディのような集落長としての
毎月の役職給は無いが
農業資材屋が毎月の収入に大きく貢献してくれるのだとか。

クスワントのように
果菜類や根菜類の場合、
投資してから収入を得るまでの期間が
やや長い。
毎月の生活費や必需品の購入で
キャッシュフローが良くない場合も多く、
農家にとって毎月の安定収入は
経営安定の鍵ともなる。
それをクスワントは
農業資材屋の商売で補っている。
年間で20万円程度の利益。

一方、トウモロコシとトウガラシとサツマイモは
トータルで8万円くらいの利益。
水田での野菜栽培のため
米はこれらの利益から買ってくるとのことで
米作はしていない。
この点も、僕らが良く議論していたことを
実践に移していると言えよう。

奥さんの軽食堂は毎日100,000ルピアの利益がある。
1年で18万円ほどの利益。
かなり大きい利益といえる。
ただこのお金は奥さんの口座に入ってしまうので
クスワントは手出しは出来ないという。
夫婦で財布が別なのがちょっと新鮮で
そういえばスンダ民族(彼らの民族)の
夫婦のスタンダードな生計的役割を
僕はそれほど詳しくないことを知った。
この件は、きっと現在派遣中の立崎が
僕の代わりに良く調べてくれるだろう。

安定的な収入として
レンディもヘンドラも
集落長としての役職給をあげていたが
クスワントはそれに対して
「僕はビジネスで行きます」
というだけあって、農業資材屋と軽食屋の運営で
安定収入を得ていた。

現在、コーヒーと丁子の畑に
大金をつぎ込んでいるようだが
それが収穫が始まれば
彼の生計は飛躍的に伸びるだろう。
それこそレンディのように次のステージも
見えてくるんだと思う。

そして彼はこういう話もしてくれた。
コーヒーのブランドを持ちたい、と。
自分で加工して焙煎して
それを販売したいのだとか。
ゆくゆくはコーヒーカフェも経営したいという。
彼が実習を終え帰国前に語った夢に
カフェを開きたいというのがあった。
彼の卒業研究が丁子の流通で
その研究過程で出会ったインドのチャイに感銘を受け
「自分の丁子でチャイを提供したい」という夢があった。
丁子でチャイはやらないのかい?と聞くと
「あっ!覚えてくれていたのですね!それもやりますよ」と彼。
人懐っこい笑顔は昔のままだった。



10月出張の成果の記録が終わってなかった。
レンディの生計調査の結果を残しておこうか。

レンディは帰国後2年で集落長になっていた。
彼が帰国前のプレゼンで
スマートリーダーになる、とノタマッテいた。
みんなはそれが冗談だと分かっていて
笑い飛ばしていたが
どうも本人は本気だったようだ。

彼は日本にいる間に
自分の住む村から車で40分ほど離れた
他の地域の土地を買い込み
日本にいる時から
父や雇人にお願いをして
その土地にお茶を定植し
そこでお茶栽培を始めていた。
だから帰国してからすぐに
そのお茶の収穫を始められ
すぐに安定した営農を開始できていた。
彼のようなケースは初めてだった。
日本にいる時から土地を買うことはあっても
人を雇って営農を始めてしまうのは
これまで例がなかった。

お茶は安定して毎月収穫できる。
しかも販売は政府の買い取りで
価格変動はない。
インドネシアではお茶農園の労働の
低所得者が問題だと指摘する論文があるが
大きなお茶工場を中心として
零細のお茶農園が点在する産業クラスターの地域は
その安定価格のおかけと
アグリフォレストリー政策のおかげで
経営が安定し、投資も利益を計算できる
とても優秀な農業形態を形成しているようにも見える。

レンディは家族経営だ。
父と叔父とレンディの3人がそれぞれ土地を所有しているが
労働は一緒に行っている。
母が労働者としてそれらの農場で働き
農場のある近隣集落からも午前中だけの
労働者3名もお願いしている。
レンディの主品目は
お茶と伝統種のトウガラシとお茶の苗木販売である。
コーヒー栽培も考えているが、
コーヒーは収量が安定せず投機的でもあるため
今はお茶の方が計算がしやすいということで
お茶で経営を安定させたいという考え方。
年間で15万円程度の販売高。

伝統種のトウガラシは
彼が購入した土地がとても良く
その恩恵を受け、帰国後から高収量を得ている。
価格変動はあるが
昨年は価格も良く大量に収穫もできたので
大きな収益になっていた。
こちらは年間で20万円ほどの売り上げ。

さらにお茶の苗木栽培もしている。
もともとは自分のお茶畑にするために
苗木を栽培すると言っていたのだが
周りの農家の需要も高く
販売用に5万本を生産していた。
原種種子農場から普及用にと
優良品種の苗木を分けてもらえることになり
それも彼の育苗所の人気にもなっていた。
ぜんぜん生産量が足りないとのことで
耕志の会からマイクロクレジットを得て
規模拡大をしたいと語っていた。
販売高は10万円。

たった2年で
彼は公務員給与の2倍の農業所得を得るようになっていた。
その成功が目に留まり
地域のリーダーたちから押されて
2018年3月に
集落長の選挙に立候補し
初当選を果たす。

まだまだ土地を買って
農場を広げていきます、と彼は野心的だった。
2年後には村長選もあるという。
それもでますよ、と屈託のない笑顔で答えてくれた。
君は馬鹿だと思っていたけど
とんでもない大馬鹿だったんだね。
もう僕の想像ではとらえきれなくなりつつある
彼の笑顔は、昔と何も変わらなかった。



フィルマンはまだ20歳。
この前、高校を出たばかりで
意識としてはまだまだお子ちゃまだ。
でも運命はそのままでいることを許さない。

農園の技能実習生は
帰国後のビジョンを明確にする必要がある。
その明確になっていくビジョンに向けて
さまざまな学習と投資を行っていくことが
ここに来た者への課題だ。
だから、月間レポートの指導は
いつも以上に熱が入る。

フィルマンは、その家計調査を通じて
彼のおかれている立場を自分でも
理解した。
と思いたいが、課題として出された調査を行っても
それをどのように認識しているのかは
こちらからは見えにくい。
彼が話好きならば、それを通じてどう思ったのかを
自然と話してくれるのだろうけど
はにかみ屋の彼はいつも微笑むばかり。
いろいろ考えているのだろうけど
言語化してはくれない。
こういう子は、経験から言えば手がかかる。

さて、そのフィルマン。
来日して結核が発覚して少ししてから
こういうことを言うようになっていた。
「お父さんが家を新築していて、その2階部分を僕の家にしてくれるっていうんです。だからその建設費の50万円を送金するんです」と。
彼の父は、大工さんなので
材料費だけを出せば、その分を建ててくれるのだとか。
そしてその大好きな父は
新しいお父さん。
前のお父さんが不慮の事故(毒蛇にかまれて死亡)で亡くなり
兄弟を抱えて路頭に迷う一家は
母の遠方への出稼ぎで
何とか生計を立てていた。
そこで知り合った新しいお父さん。
その人と母が結婚することで
再び家族が一緒に暮らせるようになる。
だからなのか
フィルマンはそのお父さんがとても好きだ。
なんでもそのお父さんに相談をするし
とてもよく連絡を取り合っている感じ。

タンジュンサリ農業高校に派遣中の
立崎があちらの先生から聞いた話だが、
フィルマンが実習生として日本に行くのは
家族みんながすごく反対したのだとか。
多くを語らない彼は
どんな反対があったのかを教えてはくれないが
たぶんそんな事情が背景にあるのだろう。

だから、彼の肩越しに見える彼の家族は
とても結束力がある。

それはいいことなのだが。
だが、弊害もある。
それはフィルマンがお父さんの言うすべてを
丸呑みしてしまうことである。

家は、お金を生み出さない。
家へ投資は、住む場所としての拠点づくりにはなるし
時として重要でもあるが
すでにその場所に家を構え、
新しくしたいという欲求と
日本に行っただけで成功と思われる文脈で
建ちあがる新築の家は
僕はほとんどその意味がないと思っている。
だからこれまでも実習生には、
土地や生産体制にお金をかけろ、新築の家は最後に、
と口を酸っぱくして言い続けている。
それでも帰国してすぐに家を建てる人は
いるんだけどね。

フィルマンのお父さんの計画はこうだ。
フィルマンが日本に行くので、家を新しくして
1階を自分たちの家、で2階部分をフィルマンの家にして
2階部分の材料費はフィルマンの日本での
稼ぎを当てればいい、で、
帰国までの間は空き家にしておくのはもったいないので
賃貸で他人に貸せば、一石二鳥だ、というもの。
家を建てて賃貸に充てることは
投資としてはありだとは思う。
人口が増加していて、フィルマンの故郷は
どんどん町が広がっているというし
ちかくに大きな工場地帯もあり
そこへ通う労働者家族も多く住む地域らしく
その情報が本当なら
賃貸は悪くはない。

だとしたら、賃貸がビジネスとして成り立っているのかどうか
これを計算しないといけない。
だからフィルマンは
ここ数カ月は、月間レポートでは
この計算に時間を費やした。

家を今から建てるとして
早くても来年に完成し、来年中に借り手が見つかれば
早い方だろう。
お父さんの設計構想では、部屋は多くても3つ取れるかどうか。
他の実習生たちはその広さだと2つが限界という声もあったが
おまけで3つ取れることにして計算。
帰国まで1年くらい残して
その部屋を借りる人が現れたとして
1部屋1カ月の家賃が、350,000~400,000ルピア。
その地域の賃貸データからその線が妥当となった。
1年で得る収入は、14,400,000ルピア。
50万円はルピアに換算すると6800万ルピア。
4年と9カ月貸し続けてようやく元が取れる計算だ。
帰国して3年9カ月は彼は別の場所に住まないといけないし
リフォームも必要になってくるだろうから
普通住宅の広さの2階部分だけを貸すというのでは
部屋数が少なすぎてまったく投資に見合わないことが
よく解った。
また
実習生として貯金できる金額の1/3ほどの
お金を投資してしまえば、他の事業の投資額が小さくなり
分散する分、効率は悪くなることも予想される。

これらの計算を
フィルマンはお父さんにも伝え
かなり話し合ったようだ。
結論として
彼は新築計画を一旦白紙に戻すことに決めた。
日本に行けば、大金が手にできる。
たぶんそれはそうだろう。

今3年生のデデが日本での貯金を
インドネシアに居ながらして貯めようと思うと
どれくらいかかるかを
かつて試算したことがあった。
彼のように農業資源の豊かな地域の場合だが
少なくとも8年間贅沢を避け貯金し続ければ
可能だろうという試算だった。

それが3年の間に親に仕送りもしつつ
贅沢はしないものの自分たちの
欲しいスマホやパソコンなどの電化製品も買いつつ
尚且つ、8年分の貯金も出来てしまう。
となれば、大金というイメージもあるだろう。
だが、事業投資としてはとても小さく
それだけ貯めても全く大きな事業を営めないのが
実習生たちがずーっとぶつかっている現実なのだ。
インドネシアの銀行がもっと農業分野にも
資金を貸し付けてくれれば(低金利でね)、
良いんだろうけど
そういう貸し付けはあまり見当たらない。
だから自己資金になるのだけど
それだけだとどうしても資金が小さい。

フィルマンはその資金の小ささを
どこまで理解したのかは不明だが、
自ら父を説得し
新築への投資分散を回避した。
ただ、その発表をする彼は
とてもさみしそうだったし、
小さなフィルマンが
もっと小さく見えた。



1年生のアンギの心は揺れ動く。
月間レポートでは
帰国後のビジネスプランを作り上げていく作業をしているが
先月からアンギは
父のお粥屋台を引き継ぎたいと
言いだしている。

彼は自身の生活世界を把握するために
行ってきたプロフィールづくりのなかで
実際の営農に必要な資源の無さや
生活圏での土地購入のむずかしさに直面していた。
それでも何とか
夏が終わるころには親戚から土地を購入する約束も取り付け
ある一定の農地を確保していた。
しかし、その農地での営農計画も
先輩たちから計算式が間違っていることを指摘され
収益も大幅に下降修正させられていた。

農地を購入して
そこでの葉菜類栽培したいとの夢とが、
投資と収益の差が現実的な数字で表れたことに
愕然となり
彼はなかなか次の方向性が定まらないままだった。

1年生なのでそんなに慌てることはないのだが
毎月やってくる月間レポートの検討会が
彼の背中を押すのかもしれない。

そこで彼が行きついたのは
父親の生業である屋台によるお粥販売であった。
この生業を受け継ぎたいと言いだしたのである。

父親のお粥屋台販売は
僕としてはまったく知らなかったのだが
やり方次第ではかなりの売り上げがあることが分かった。
父親が息子に話す内容なので
やや話し盛り気味だとは思うが
それでも月に4,000,000ルピアの売り上げがあるというので
思っていた以上の金額に驚いた。
で、あまりにも良い稼ぎなので
良い仕事だねぇ~と褒めていたら
本人はどうもその気になったようで
急に先月からお粥屋をやりたいと言いだしている。

お父さんの仕事はお父さんの仕事。
それを取っちゃダメでしょ、
と諭すと、先月から今月の間に
お父さんと話を付けてきて
お父さんは足が悪いから、そろそろ引退したかったらしいとか
自分が出資して作るレストランの店番を父にさせるだとか
そんで代わりに自分がお粥屋をやって売り歩くとか
ノタマフ。

何かビジネスプランが無ければ落ち着かないのかもしれない。
で、それに向かっての行動力は大したものだけど
本当にそれがいいのかどうかは
僕には判断付かない。
ただこれまでの子たちを見ていると
最初の思いつきでそのままビジネスプランとして
実行した子はいないので
とりあえず、お粥屋はお粥屋でいいとすることに。

さらに前回注文を付けた
お粥屋さんの生活サイクルも今回しっかりと調べてあって
やはり昼夜逆転の生活になる事が解った。
朝食向けにお粥を販売するのだから
準備は夜中の1時からで
午前中の10時頃までが販売時間。
昼からは事前に準備できるものや買い出しに追われる。
思ったよりもハードな仕事で
これをやり出すとこれ以外は出来なくなりそうなことは
容易に想像できた。

ただ彼は
これと同時に農業もするというのである。
なので、ひとつ彼に宿題を出す。
お粥屋と農業を合わせて生業とする利点は
なんなのかを説明すること。
ただ単にくっつけただけなら
やらない方が良い。
疲れるだけだし、きっと体を壊すから。
でも利点があるなら、人を雇ってでもやるべきで
そうなると上手く儲けを出るような
それらの接点を見出さないといけない。

一か月で彼が何に気が付くか。
それは僕も解らない。
これまでもそうだけど
これからもこの手の指導はライブ感にまかせて
進んでいくことになるだろう。

しんどいけど、
ま、頭がフル回転するので
楽しいね。



今年度卒業予定のデデ(9期生)。
帰国後のビジネスビジョンも固まり
それに向けて今年度は施肥方法の研究も行った。
その成果を
出来るだけ多くの方に知ってほしくて
こういう会を開こうと準備している。

2018年度-インドネシア技能実習生修了報告会-(1)-1

2018年度-インドネシア技能実習生修了報告会-(1)-2


2017年から技能実習制度が2年延長になり
5年の期間で実習をする外国人が今日本に
増えつつある。
さらにここ最近では特定技能として
外国人就労を部分的に認める議論も
国会で活発になっている。
そんなときに
良く感じるのが
労働力を必要としている人たちだけで議論し
制度を作り変えているという事だ。
受け入れる社会との対話の機会が
まるでない。

だから
昨年からこうした技能実習生の発表会を
おおくの市民の方と共有できないかと
考えてきた。

蓋を開けてみたら
そんなに関心が無くて
参加者は少ないのかもしれないけど
こういう機会を作っていくことも
外国人を受け入れている側の責任だと思う。

興味のある方はぜひぜひ
お越しくださいませ。
生の実習生たちの夢や考えを共有して
一緒によいよい社会の実現を
考えましょう。



田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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