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今年もこの時期が来た。
実習3年生になる子たちが迷走する季節。
ビジネスプランがある程度見えてきて
この1年をさらに加速させる仕組みとして
3年生は卒業研究をする。
この卒業研究のプロポーサルづくりが
毎年3年生を苦しめる。
思考を繰り返すことで、これはこれでいい勉強になる。

さて、フィルマン。
彼も毎年の風物詩のように
苦難にぶつかっている。
彼は野菜の移動販売のビジネスプランを作成中で
それに合わせて卒業研究をする予定になっている。

インドネシアの野菜の小売りは
日本ではあまり見かけない形態が主流だ。
いわゆる「ふり売り」という形態で、
小売業の人たちが市場で仕入れてきた野菜を
押し車や自転車、バイク、車などをつかって
町々や村々を売り歩いていく。
インボリューションとも形容されるそれらの小さな産業は
それぞれの状況に合わせて
複雑に姿を変え続いている。
僕らが当たり前のスーパーで野菜を買うというのは
最近でこそ増えてきているが
まだまだ少数派なのである。

さて、その販売をするにあたり
彼はその経験もほとんどないし
親族にその経験を持つ人もいない。
大抵、こういうリソースの少ない中で
立てたビジネスプランは失敗が多く
僕の少ない指導経験でも
フィルマンのビジネスプランはかなり危うく見える。
イラ、カダルスマン、イマンが
これまでそういう例だったというのは余談。
ま、その議論は別のエントリーに譲るとして
ここでは卒業研究に集中しようか。

彼の研究では
やはり本業への参入リスクを減らすために
ある程度、どのようなリスクがあるのかを
あらかじめ知っておくほうが良い。
そのため彼が考えたのは
利益率と仕入先の2点に絞って
それぞれの業態によって違いがあるかどうかを調べるというものだった。
押し車、バイク、車、店売りの4つで野菜の販売の
仕入れと利益率を考えるというのである。

これはある意味調査になりそうに見えるが
実はこれではだめで、
それぞれの業態の違いが
仕入れと利益率の違いに結びついているという仮説が
正しければ、この調査対象と調査項目の選定は正しいが
実際にはそんなことはない。
押し車とバイクと車と店で比べれば
積載量の違いによって野菜の扱い量が違うと勘違いするが
実は、押し車であっても
その押し車の人員を10人雇っている人もいて
個別のユニットの積載量と個人の持つビジネスの大きさは比例しない。
野菜の仕入れは量が多いほど
安価になるので、ユニットの積載量よりも
一括してどれくらい買うのかというビジネス規模が
この場合は大きく関係するかもしれない(たぶんするだろうけど)。
だとするとフィルマンの仮説は
全くの偏見でしかなく、
調査しても正しい結果に到達はできない。
ま、そういうことも要因に含まれるのだとわかるのも
勉強だけど
それだけがわかってもビジネスに成功する要因を
高めることに少し弱いので
卒業研究をそこまでの射程だとするのは
僕としてはかなり不満だ。
業態とビジネス規模を
どれくらいサンプリングしたらいいのかも含めて
議論は袋小路に入りつつある。

さて、ここからフィルマンはどうするだろうか?



2年生のフィルマン。
月間レポート作成では、やや迷いが多い。
若干21歳なのだから
迷いがないなんてないだろうけどね。

鶏卵事業を4月のレポートくらいまでは検討をしていた。
その前の3月のレポートの時、1年間で事業資金は
いくら貯めたかを検討した時だった。
事業資金として30万円を貯めたと報告があったが
そのほかに残高が50万ほどあった。
それについてフィルマンは
「お父さんが使えるお金です」というのである。
お父さんは大工で
仕事によっては前金を十分もらえないこともあるらしく
このお金を使って仕事を進められるようにとのことだった。
ほかに家族の買い物もこのお金を使うような
そんなニュアンスで話をしていた。
別途家族には1万円の送金をしているのに、である。
こういう時、僕はいつも躊躇する。迷う。
彼ら家族のことなので
踏み込む必要もないし
それをどうこう言える立場でも契約でも関係でもないからだ。
むしろ、そこを踏み込むことで
僕らの関係がこじれることも、これまでは多々あった。
ただ、やはりこのままには出来ない。
実習で得た資金は
フィルマンのものであり
家族だからといってそれは自由にならないのだという
メッセージをフィルマンがしっかりと家族に知らせるべきだと思う。
だから僕は、家族が自由になるお金というその残金の存在を
痛烈に批判した。
それは事業資金であるべきだと。

その辺りから
すこし父親(母の再婚相手)との関係が崩れた。
家族が住んでいるスカブミに戻らなくてもいいか?と
言うようになっていった。
彼は、小学校をタシクマラヤの田舎で育ち、
母が再婚するとスカブミで中学を過ごし、
そして高校はその家族と別れて
叔母の務めるタンジュンサリ農業高校に進学し
タンジュンサリで高校時代を送った。
高校を出ると日本という
各地を転々として過ごしてきている。
彼の根っこはどこなのか、彼もそれが分からず
惑い迷い不安になっている観もある。
母の再婚相手はすごくいい人らしく
フィルマンのビジネスを一緒にしたいと話しているが
どうもイニシアティブが彼が握っているような話しぶりで
僕はずいぶんと苦慮してきた。
それがフィルマンのためになるのなら
それでいいのだが、フィルマンの気持ちが読みにくい。
彼の笑顔はいつも素敵だが
どこか不安定な幻のような自我しか見せない。
怒らないし、あきらめたような笑いが
いつも胸を締め付ける。

君がやりたいことが一番だとは簡単に言えるけど
何が一番やりたいことなのか
それすらもこれまで問うたことのない21歳は
その問いにただただ困ったように笑うだけなのだ。
スカブミには戻らないといったとき、
お父さんとは喧嘩はしていないと言っていたが
仕事は一緒にしないとハッキリと言った。
何かあったんだろう。
そしてあれほど鶏卵をすると言っていたのを
お父さんが無理だと言ってるので、やらないと言い出したのも
このあたりから。
僕にしてみれば鶏卵はお父さんのアイディアだったので
直接僕はお父さんを強く批判したい気持ちだった。
じゃぁ、他に何をするの?と聞くと
タンジュンサリで土地を買って野菜を作る、と言う。
高速道路建設や新幹線開発、新空港整備や国道の拡張に沸く
西ジャワはもうバブルな感じで
土地の値段も天井知らずに上がっている。
タンジュンサリの土地の値段は
僕がかかわり始めたころの3~5倍ちかく跳ね上がり
とても実習で得たお金だけで
生活していけるような農地を購入することは不可能だ。
だから、
縁もゆかりもない土地を好条件で購入できるという
破格の幸運を手にしたとしても
タンジュンサリで彼一人が農業でやっていくことは
絵空事以上に無茶としか言えない。
なので
農業構造論でも言っているように
家族はなにも父母のような直系とは限らず
叔父叔母いとこまで広げて
一緒にビジネスできる、もしくは成功している人がいれば
その人に教えを乞うて、基礎を学ぶように考えてはと
アドバイスもしていた。
そんなに都合よくもいかないだろうけどね。

ただこれがいた。
母の弟である叔父さんが
タシクマラヤで淡水魚の養殖をやって
そこそこ儲けているらしい。
ということで、フィルマンは次のビジネスづくりに
この叔父さんにインタビューすることから始めた。
そこまでが今月のレポート。
インタビュー内容がすこし紹介されたが
全然深掘り出来ておらず、
叔父さんの淡水魚養殖の経営は分析したというレベルには
到底至っていない。
保有する池を取得するのにかかる資金や
年間のキャッシュフローで難しい時期、
市場の需要期、
病気や個体でのばらつきが出ないようにするための技術の点、
そんなすべてにおいて
インタビューが足りない。
そしてこれが肝心だが
どこでその業種をやるのか。
タシクマラヤで成功しているやり方は
僕が口を酸っぱくして教えている
農業構造論的に
他への移植は当然条件がそろわないから
そのままでは難しいはずだ。
地域へ接合させていく作業をするには
それぞれの要素で何があるから
今のタシクマラヤの養殖が存在するのかを
しっかりと見極めないと
それとの他地域との接合は
夢物語に終わる。

いずれにせよ
彼はこの3か月いろいろと悩み迷いながらも
次の答えの発端を見つけたようだ。
これを大事にして、一緒に紐解いていきたい。




12月に提出されたフィルマンの月間レポート。
彼のビジネスプランは
ずいぶんと様変わりしてきた。
採卵の養鶏をしたいというのが
彼のプラン。
ちなみに
このアイディアはフィルマン本人ではなく
彼の継父からである。

フィルマンはスカブミの地方に住んでいるが
周りは工場労働者の住宅街で
農地は工場やその労働者への転用期待も高く
かなり高額になってきている地域。
さらにもともと農家ではない家なので
農地を持っておらず
その彼がアグロビジネスを展開しようとすると
どうしても農地購入の段階で
かなり小さな面積でのスタートしか切れない。
そこで農産物を生産しても
生産量が少なく、彼自身の生活もかなり危ういのが
プロフィール作りの中で見えてきた現実だった。

では、
その限りある土地面積で利益をどう最大化するか。
それを考えていく中で
彼と継父は、採卵の養鶏のアイディアに行きついたらしい。
いまいちどうして採卵の養鶏なのかは分からない。
インドネシアでは、食肉用の養鶏が盛んで
こちらはすでにある程度マニュアル化され
ある程度の施設を用意すれば
利益の計算も簡単な産業になりつつある。
ただブームになってから久しく
もしかしたらすでにビジネスモデルとしては
もう魅力が無いのかもしれないけど。

とにかくこれから
採卵の養鶏がどのようなコスト計算で
ビジネスをするのか
またどういった基準値があり変数は何かを
フィルマンと一緒に探っていくことになった。
とりあえず、
タンジュンサリ農業高校の卒業生で
採卵事業をしている、もしくはしていたけどやめた、
といった事例を一緒に考察してみようかと思う。


フィルマンはまだ20歳。
この前、高校を出たばかりで
意識としてはまだまだお子ちゃまだ。
でも運命はそのままでいることを許さない。

農園の技能実習生は
帰国後のビジョンを明確にする必要がある。
その明確になっていくビジョンに向けて
さまざまな学習と投資を行っていくことが
ここに来た者への課題だ。
だから、月間レポートの指導は
いつも以上に熱が入る。

フィルマンは、その家計調査を通じて
彼のおかれている立場を自分でも
理解した。
と思いたいが、課題として出された調査を行っても
それをどのように認識しているのかは
こちらからは見えにくい。
彼が話好きならば、それを通じてどう思ったのかを
自然と話してくれるのだろうけど
はにかみ屋の彼はいつも微笑むばかり。
いろいろ考えているのだろうけど
言語化してはくれない。
こういう子は、経験から言えば手がかかる。

さて、そのフィルマン。
来日して結核が発覚して少ししてから
こういうことを言うようになっていた。
「お父さんが家を新築していて、その2階部分を僕の家にしてくれるっていうんです。だからその建設費の50万円を送金するんです」と。
彼の父は、大工さんなので
材料費だけを出せば、その分を建ててくれるのだとか。
そしてその大好きな父は
新しいお父さん。
前のお父さんが不慮の事故(毒蛇にかまれて死亡)で亡くなり
兄弟を抱えて路頭に迷う一家は
母の遠方への出稼ぎで
何とか生計を立てていた。
そこで知り合った新しいお父さん。
その人と母が結婚することで
再び家族が一緒に暮らせるようになる。
だからなのか
フィルマンはそのお父さんがとても好きだ。
なんでもそのお父さんに相談をするし
とてもよく連絡を取り合っている感じ。

タンジュンサリ農業高校に派遣中の
立崎があちらの先生から聞いた話だが、
フィルマンが実習生として日本に行くのは
家族みんながすごく反対したのだとか。
多くを語らない彼は
どんな反対があったのかを教えてはくれないが
たぶんそんな事情が背景にあるのだろう。

だから、彼の肩越しに見える彼の家族は
とても結束力がある。

それはいいことなのだが。
だが、弊害もある。
それはフィルマンがお父さんの言うすべてを
丸呑みしてしまうことである。

家は、お金を生み出さない。
家へ投資は、住む場所としての拠点づくりにはなるし
時として重要でもあるが
すでにその場所に家を構え、
新しくしたいという欲求と
日本に行っただけで成功と思われる文脈で
建ちあがる新築の家は
僕はほとんどその意味がないと思っている。
だからこれまでも実習生には、
土地や生産体制にお金をかけろ、新築の家は最後に、
と口を酸っぱくして言い続けている。
それでも帰国してすぐに家を建てる人は
いるんだけどね。

フィルマンのお父さんの計画はこうだ。
フィルマンが日本に行くので、家を新しくして
1階を自分たちの家、で2階部分をフィルマンの家にして
2階部分の材料費はフィルマンの日本での
稼ぎを当てればいい、で、
帰国までの間は空き家にしておくのはもったいないので
賃貸で他人に貸せば、一石二鳥だ、というもの。
家を建てて賃貸に充てることは
投資としてはありだとは思う。
人口が増加していて、フィルマンの故郷は
どんどん町が広がっているというし
ちかくに大きな工場地帯もあり
そこへ通う労働者家族も多く住む地域らしく
その情報が本当なら
賃貸は悪くはない。

だとしたら、賃貸がビジネスとして成り立っているのかどうか
これを計算しないといけない。
だからフィルマンは
ここ数カ月は、月間レポートでは
この計算に時間を費やした。

家を今から建てるとして
早くても来年に完成し、来年中に借り手が見つかれば
早い方だろう。
お父さんの設計構想では、部屋は多くても3つ取れるかどうか。
他の実習生たちはその広さだと2つが限界という声もあったが
おまけで3つ取れることにして計算。
帰国まで1年くらい残して
その部屋を借りる人が現れたとして
1部屋1カ月の家賃が、350,000~400,000ルピア。
その地域の賃貸データからその線が妥当となった。
1年で得る収入は、14,400,000ルピア。
50万円はルピアに換算すると6800万ルピア。
4年と9カ月貸し続けてようやく元が取れる計算だ。
帰国して3年9カ月は彼は別の場所に住まないといけないし
リフォームも必要になってくるだろうから
普通住宅の広さの2階部分だけを貸すというのでは
部屋数が少なすぎてまったく投資に見合わないことが
よく解った。
また
実習生として貯金できる金額の1/3ほどの
お金を投資してしまえば、他の事業の投資額が小さくなり
分散する分、効率は悪くなることも予想される。

これらの計算を
フィルマンはお父さんにも伝え
かなり話し合ったようだ。
結論として
彼は新築計画を一旦白紙に戻すことに決めた。
日本に行けば、大金が手にできる。
たぶんそれはそうだろう。

今3年生のデデが日本での貯金を
インドネシアに居ながらして貯めようと思うと
どれくらいかかるかを
かつて試算したことがあった。
彼のように農業資源の豊かな地域の場合だが
少なくとも8年間贅沢を避け貯金し続ければ
可能だろうという試算だった。

それが3年の間に親に仕送りもしつつ
贅沢はしないものの自分たちの
欲しいスマホやパソコンなどの電化製品も買いつつ
尚且つ、8年分の貯金も出来てしまう。
となれば、大金というイメージもあるだろう。
だが、事業投資としてはとても小さく
それだけ貯めても全く大きな事業を営めないのが
実習生たちがずーっとぶつかっている現実なのだ。
インドネシアの銀行がもっと農業分野にも
資金を貸し付けてくれれば(低金利でね)、
良いんだろうけど
そういう貸し付けはあまり見当たらない。
だから自己資金になるのだけど
それだけだとどうしても資金が小さい。

フィルマンはその資金の小ささを
どこまで理解したのかは不明だが、
自ら父を説得し
新築への投資分散を回避した。
ただ、その発表をする彼は
とてもさみしそうだったし、
小さなフィルマンが
もっと小さく見えた。



7月の月間レポートで
フィルマンの家計がずいぶんと明らかになった。
お父さんは大工で、
仕事があったりなかったりだが、
平均すれば年間に3600万ルピアの稼ぎがある。
1カ月にすれば、300万ルピア。
公務員初任給が、それくらいなので、
まずまずの収入と言って良い。
大工仕事も個人の場合もあれば
会社の下請けで公共事業等の作業員もするらしい。
経済が伸びているインドネシアなら
建設業界はとりあえずは安心か。

それ以外にお父さんは農業もしている。
父片の親戚から農地10.5aを借りて、
米2作のトウモロコシ1作+大豆1作のローテーション。
この純利益が400万ルピア。
米は世帯の消費を支える重要な作物で
その消費を引いてもそのくらいの純利益が残るらしい。

お母さんは、近くの外国人資本の繊維工場で働いている。
この給料もそれなりで
月280万ルピア。年間で3360万ルピアの収入。
さらにお母さんはランプの部品を作る内職も
請け負っていて
それが1年で180万ルピアになるという。

世帯収入で7540万ルピア。
これが一般的なのかどうかといわれると自信はないが
十分中間層に入る収入といえるだろうか。

では、なぜこの所得把握が必要なのか。
それは彼らに世帯の所得把握をしてもらい
その上で、日本から送る生活費の送金が
妥当なのかどうかを自分で判断してもらいたかったからである。

かつて
農園で受け入れた実習生で
実習生の稼ぎの75%を家計の消費として
使ってしまった世帯があった。
生活のレベルを少し上げただけらしいが
それだけでかなりのお金を使ってしまう。
しかも少し上げた生活のレベルは
習慣化されるので、
実習生が帰国した後もなかなか生活の質を戻せず
なんども息子に無心を繰り返してきたという事例があった。
個人の家計にまで踏み込むことを避けていたことから
起きた悲劇で
俄か金持ちが陥りやすいパターンとして
ここのプログラムでは
家計にまで踏み込んで調査し
その家系の認識を実習生と一緒に共有している。
ただ、送金額が多いか少ないかは
個人の判断に任せており
こちらから口出すことはない。
大事なのは、多いか少ないかを判断するだけの
材料をそろえる事である。

来月までの課題として、
この家計を元に実家の送金額を
できれば実家の家族と話し合いをして決めるというもの。
それを引いた金額と日本で消費に使うお金を引いて
ビジネスに投資できる資金をざっくりと計算し
それを元に
何のビジネスに投資をするのかを検討に入る。
プロフィールを把握することで
自分たちの資源に気が付き
何にどのくらい投資ができるのか
その計算を彼らの肩越しにリアリティを見つめつつ行う。
なかなかうまくはいかないけど
それが10年の経験で
ようやく見えてきたやり方でもある。
このまま上手くいくといいのだけど。


4月に結核で
強制入院をしていたフィルマン。
もうとにかく病棟に閉じ込められていたのが
嫌だったようで
仕事だろうがプライベートだろうが
何をしていても本当に楽しそう。

土曜日は
農園のオフ日。
実習生はそれぞれの自主性で
福井の街にある国際交流会館へ
日本語の勉強に行くのが、日常の休日の風景。
フィルマンも午後2時から、
日本語ボランティアの先生と勉強をするのだが
いつも朝早くから出発をする。
どうしてあいつは早く出るんだ?国際交流会館まだ開いてないだろう?と
他の実習生に聞くと
「フィルマンは、新しくなった中央公園が好きみたいで、あそこのベンチでいつも日本語の勉強をしているみたいです。その後、国際交流会館が開くと、他の子の授業で来るボランティアの先生を出迎えるようです。あとは国際交流会館で、自分の順番が来るまで日本語勉強してますよ」
とのこと。
ボランティアの先生のお出迎えまでしてるなんて・・・。

フィルマンは
「インドネシアに居たら結核で死んでたと思います。もうそれを思うと何してても楽しいです」
と。
生きてるだけで丸儲け。
まさにそんな感覚なのだろう。
だからその生を思いっきり謳歌しようというのだろう。
日本語の学習は感じが大変だろう?と聞くと
「勉強できるのが楽しいです。死んでたかもしれないって思うと、日本語の勉強もすっごく愉しいんです」
だって。

あと
「国際交流会館には可愛いベトナムの女の子たちが集まってくるんです。その子たちを眺めているのも楽しい」
だってさ。

生きてるだけで丸儲け。
今、フィルマンは最強だと思う。
僕もそれにあやかりたいなぁ。



今年2月に来たフィルマン。
3月の働き始めに
社内の健康診断を行うと
医者から
「肺に影があり、腫瘍の可能性もあるので精密検査をするように」
と指示された。
まさか。
彼はまだ二十歳になったばかりなのに?
入国前のインドネシアの検診では
もちろん肺のレントゲンも撮っているけど
問題なしって言ってたけど・・・。

とにかく
急いで精密検査をすると
結核ということが分かった。
それからが大変だった。
即、隔離病棟に入院ということで
フィルマンは強制的に入院させられた。
入院時には、行政から何人もの大人が病室にやって来て、
人道的ではない収容でもあるので
さまざまな法的な措置によるものだという
膨大な書類をインドネシア語で説明し
それに弱冠二十歳の
しかも異国に来たばかりで
言葉も解らない若者にサインを機械的にとる
やりかたにかなりの違和を感じながらも
結核が伝染病で
怖い病気だという想いが先行していた。

隔離病棟に入るには、
ナースステーションに連絡を入れてから
二重の扉をくぐり、
かなり気密性の高い専門のマスクをしなければ
入れない。
その儀式めいた入り方も
僕とフィルマンをますます不安にさせていた。

それから結核の勉強もし
確かに怖い病気だが
必要以上に恐れなくても良いことも分かった。
患者の唾液の中にある結核菌が
他の人の肺に入っても、
すぐに発病する人は全体の1割程度。
潜伏期間を数年~数十年おいてから発病する人が2割。
7割の人は肺に結核菌の休眠状態を抱えながら
最後まで発病しないというのも解った。

フィルマンに聞くと
2年前高校の親友が結核にかかったらしい。
担当医がいうには
たぶんその時に保持したのだという。
フィルマンの結核進行状況は
さいわい初期の初期で
排菌といって彼が菌をばらまく強さも
ほとんど強くなかったようだ。

社内の一斉結核診断では
2年生のダニだけが陽性で
他は皆陰性。
ダニもまだ経過観察状況で
確率的にはインドネシアでかつて結核菌を
保持して休眠状況にあるのではないかという
感じである。
詳しくは7月にまた社内の結核健診があり
その時にダニはまた違う検査を行う予定。

フィルマンは排菌状態では無くなるまで
強制入院ということだった。
期間は、まったくわからないとのことで
長い人で1年以上ということもあるらしい。
しかし病気の発見が早かったこともあり
なんと最短の2週間で退院することができた。
ただこの2週間はすごく長かった。
やはり異国で日本語もほとんどできないまま
何もないまっしろな隔離病棟に
強制的に収容されるのだ。
しかも二十歳。
1週間後には、もう涙ながらに
「いつ出られますか?」と
なんども尋ねる彼がせつなかった。
この子は耐えられないかもなぁ、と
思っていただけに、早期退院は本当に有難かった。

こういうことを書くと
やはり外国からの受け入れは危ない、
外国人は病気を持ってくる、
なんて言う人もいるだろう。
世の中もそういう評価をくだしやすい
雰囲気もあるしね。

でもね、
専門医の先生曰く
「今でも台湾やヨーロッパなどに留学するときは、日本人だっていうと場合によっては結核検査の提出を求められるんですよ」
とのことだった。
日本でもかつては結核が蔓延し
今でも高齢世代だけでなく
若い人も結核にかかる人は少なくないらしい。
事実
フィルマンの入っていた病棟にも
20代の人(日本人)も何人かいた。
先進国の中では
最悪の結核発症率で
今でも日本は結核後進国なのである。

外国人が病気を持ってくるというのであれば
ホワイトカラーワーカーだけでなく
ブルーカラーワーカーの
移民の多いアメリカはさぞひどい現状だろう。
と思うかもしれないが
なんと結核発症では世界でもっとも低い国なのである。
外国人だから、という人は
まったくの偏見と差別と無学とおバカの証明でしかない。

どんな病気か分かったとしても
やはり結核は怖い。
3年生のデデの彼女の母は、
結核で亡くなったらしいし。
フィルマンは
「インドネシアの田舎に暮らしていたら、僕はちょっと咳が出るなぁ、と思って風邪薬飲んで休むくらいだったと思います。ちかくに大きい病院もないし、病院に行く習慣もないし。たぶんだから結核で死んでたと思います」
という。
僕もそう思う。
君がここに来て
生きながらえたのは
きっと何か神様から
役割を与えられたからだと思う。
だから僕も君も
真摯に生きることについて考えようじゃないか。
貰った生命を
この社会のために使おうじゃないか。
なぁ、フィルマンよ。
今年、11期生の技能実習生を
2名とろうと決めたのは、
彼らが3年生になるころに
現在派遣しているスタッフの立崎が
農園に戻ってくるからだった。

実は5期生も2名とったことがあった。
少しでも卒業生を増やし
インドネシアの農業・農村のリーダーにと
思ってのことだったが
経費が嵩んでしまうことと
人数が増える分、卒業研究などの
重要な研究の指導しきれないことがあり
6期生からはやはり1名ずつとなった。

それが立崎が戻れば
それだけインドネシア語で指導できる人材が増え
研修や勉強だけでなく、日常の作業でも
上手く回っていくのではないかという
期待があり、
11期生から2名と決めた。

また、これは人材確保の視点から
研修が終了して、彼らが農村に戻った時に
リーダーとなる優秀な人材が欲しかった。
で、これまでの提携先のタンジュンサリ農業高校で
生徒会長や成績優秀者だった生徒で
農園に実習生で来なかった人たちは
どこでどうしているのか少し調べてみた。

すると、そのうちの数名は
技能実習生として日本に来ていたことが分かった。
ただ農園は社会人経験を重視し、
21歳以上でしか受け入れないため、
そういった生徒たちは卒業と同時に
実習生として日本に来ていた。
また台湾や韓国に行くケースも散見され
優秀な人材確保の意味では
うちはすこし出遅れ感があった。

ただ19歳で受け入れると帰国しても年齢は21歳。
はたしてその年で地域リーダーとして
腰を据えて地元で活動ができるのだろうか?という
不安がある。
結婚にも早いし、身の丈に合っていない預金を
自分の進む道を定めて、うまく使いこなせるのかどうか。
その葛藤はあった。
だが、やはり優秀な人材を先にとられてしまっては
せっかくの地域リーダーになる素質のある人間を
失ってしまうことにもなりかねない。
そこで11期生からは
社会人枠(21歳以上)と新卒枠(19歳)の2つを用意して
実際にやりながら経過を見ていくことにした。

ちなみに
現役の実習生たちにも、この新卒枠については
相談したが意見は賛成と反対どちらもあった。
賛成の意見では、
農園たやで研修を目的にしていても
一旦就職しなければならず
その仕事が中途半端になるということだった。
実際に8期生のイマンと9期生のデデはそんな感じだったらしい。
反対の意見としては
19歳では異国の環境での仕事に耐えられないのではないか
というものだった。
始めて社会に出て仕事をするのが日本では
やはりかなりきつい、という意見。
ま、この辺りは日本の青年海外協力隊の新卒と社会人経験の
議論に似てはいるかな。
協力隊を新卒で参加してインドネシアに迷惑をかけた自分としては
たしかに新卒の何もわからない若者では
仕事にならないかもしれないが
経験としては決して悪くはない。
ということで、新卒枠を11期生から設けた。

その19歳枠で来たのがフィルマンだった。
印象は「可愛らしい」の一言。
19歳なんてそんなものか。
控えめであまり自分を出す感じでもない。
成績は一応優秀だったらしい。
なんせ急に決めた新卒枠だったので
タンジュンサリ農業高校でも若干選考に混乱があったらしい。
制度変更の場合は、次回からはもっと早くに連絡するようにと
めずらしく通達を受けた。
あらら、ごめんなさい。

さて、その彼について
このカテゴリでも大いに筆を振るって書いていこうと思うのだが
まずはこれついて記録しよう。
彼が来たのは大雪が少しおさまった2月21日。
前回紹介したアンギ(社会人枠)と一緒に来日した。
アンギに比べたらおとなしく、あまり言葉を発しない。
すこし咳をしていて、弱弱しいイメージだった。

その彼、
来日時に受けた健康診断で
再検査に引っかかってしまった。
それも生活習慣関連というよりは
肺に影があるので至急とのすこし怖い引っかかり方だった。
慌てて再検査にいくと診断は
「結核」とのことで
翌週の頭にすぐに隔離病棟に収監されてしまった。
それからは農園でも大混乱だった。
接触者全員が検査を受けることになり
また人手が1名足りないまま
大量発注の来るGWを迎えることに。

フィルマンも言葉は出来ないのに隔離病棟で
しかも来日直後で携帯電話も契約していないし
Wifiも使えない状況で家族とも外部とも一切連絡が取れない状況に
放り込まれてしまった。
19歳で初めての社会人経験で
始めての日本で
そして初めての隔離病棟。
どれほど不安だったろうか。
面会時間に制限があったため
僕も週に1回程度しか面会に行けなかったが
行く度に弱気になっているフィルマンが痛々しかった。

ただ、結核という特殊な
それでいて結構日常にあふれている
病気について、
ただただ怖がるだけでなく、
知識を深めていく中で僕らは
あることに気が付いた。

フィルマン、お前ラッキーだったなって。

彼が結核にかかったのは
正確には分からないが
高校2年生の時にかなり仲の良かった子が
結核にかかり一時薬を飲んでいたらしい。
結核菌が肺に入ると7割の人は一生発症しない。
2割は数年~数十年が経ってから発症する。
そして1割が入ってすぐに発症する。
フィルマンはたぶんこの数年~数十年の
2割の部類だったのだろう。
話を聞くとインドネシアでも少しが咳が出てたらしいし
僕が空港で迎えに行った時も
やたらと咳の出る子だなぁ、という印象だった。
だから途中のSAに何度も寄って、
水分不足なのかと思ってジュースを買い与えたんだもの。

で、その彼は入国直後の会社の検診で
結核と分かり
今、治療を続けている。
現在はすでに隔離病棟から出て
普通に生活をしているが服薬はこのあと半年以上続く模様だ。
ただもう排菌といって外に菌をばらまいていないので
彼に普通に接触しても大丈夫なのであしからず。

もし彼が今回の選考で日本に来ることが無ければ、
と僕らはよく想像した。
フィルマンが言うには、
インドネシアの自分の村ではあまり医者に行かないという。
だから、最近咳が多いなぁ~と言いつつ
良くても風邪薬を飲む程度だったろう。
そのうち咳がひどくなり
いつし喀血もしていたかもしれない。
その時に慌てて医者に行っていても
もしかしたら間に合わなかったかもしれない、と。
そう思えば、
ここに来ることになった経緯も
僕らが新卒枠を作ったことも
なんだかすべてが君に生きろと言っているように
感じられる。
「だから僕は一所懸命勉強します」
隔離病棟から出た彼はそう言っていた。

うん、君は生きろということなんだろうから
その分も頑張りなよ。




田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

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メールは
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