ごんぼ(ごぼう)の収穫が始まっている。
天候が不順でなかなか掘れないのが、
頭が痛いところではあるが、
それ以上に、頭が痛いことがある。
それは、今年のごんぼの出来。

観測史上、例を見ない猛暑の影響で
夏にごんぼ畑の水が切れてしまった。
枯れることはなかったのだが、
生育が不良で、例年のような太いごんぼがとれない。
今年の畑は、場所が良かっただけに(竹林の前の畑・七字の川上の畑)
残念でならない。
収穫作業は、細いごんぼばかりで楽なのだが
その分、楽しみがない。

今年は、収量も少なく、細いごんぼばかりになるだろう。
いつもよりも早く売り切れると思いますので、
ほしい方は、早めにどうぞ。
ごんぼ(ごぼう)の収穫が始まる。
今年はちょっとしたわけがあって、例年よりも早めの収穫。

ごんぼは連作ができないので、
うちの農園では、ごんぼの輪作は5年としているので
今年の畑は5年ぶりにごんぼを作っていることになる。
5年で一回りのリズムが、ごんぼとそれに関わる人々の中にはある。

前回のこの畑は、
僕はインドネシアの大学院在学中で良く知らないのだが
父は、この畑に戻ってくるのを待ちわびていたようだった。
ここの畑は良いごんぼがとれるんや、と父は言う。
九頭竜川の河川敷で、川が運んだ沖積土で出来たここら一帯の畑でも
一筆一筆性格が違う。
水が抜けやすい畑、抜けにくい畑。
肥えている畑、肥えていない畑。
砂地がきつい畑、粘土質が多い畑。
数十メートルしか離れていないのに、その性格は大きく違うのだ。
だから、畑によって毎年毎年、ごんぼの収量と品質が違ってくる。
(天候も、もちろん大きく作用する)

ごんぼは、連作ができない。
5年の輪作を守ろうとすると、それだけで作付けの5倍の畑が必要になってくる。
画一的な、毎年同じようなごんぼは取れやしない。
だからこそ、円環の時間の中で
ごんぼとそれに関わる人々に、5年で一回りのリズムが築き上げられる。

そういえば先日、あるスーパーから品質管理体制について問い合わせのFAXがきたが
僕はこれにどう答えていいものか迷った。
良いものを作る努力はしているが、
問い合わせの件と僕らが持つリズムが
どうもしっくりと合わさらない。
そのずれが、僕ら農民と消費者や業者とのずれなのかもしれない。

今年は父が待ちわびたごんぼの畑。
まだ収穫は始まったばかりだが、期待以上の良いごんぼが取れている。
品評会に出せる品物ばかりやな、と喜ぶ僕ら農民のこの気持ちが
品質管理体制を問うスーパーや消費者を通して
どうやって共有し共感していけるのか、僕には解らないが、
直売所やスーパーで見かけたら、
そういうことも想いを馳せながら食べてほしい。
5年に一度のその味と風景を想いながら。
先日、ごんぼを播く。
河川敷の畑に。
今年ごんぼを播いた畑は、5年前にごんぼを作った畑。
ごんぼは「いや地」が起こりやすい作物で、
1回作付けすれば、その土地は4~5年ほど休ませないといけない。
いや地とは、同一作物の連作によって生じる生長不良や病害虫の多発で収穫量が減ること。

河川敷の畑は、2m掘っても、石一つ出てこない完全な沖積土による砂地の畑。
九頭竜川の中下流に位置する、我が集落の河川敷の畑は、
砂のキメも細かく均一で、根菜類を作るにはこれ以上の土地はない。
川が氾濫するたびにためていった上質の砂の畑。
人為的に作ることなど不可能な畑なのだ。

その畑に、少しだけ手を加える。
大量の炭を入れ、トレンチャーで掘って、ごんぼが伸びるための筋をつけてやるのだ。
炭を入れたほうが、ごんぼの肌が綺麗になる、と父は言う。
トレンチャーで掘ってやることで、ごんぼがまっすぐ太くのびてくれるのだ。

昔はうちの集落では、ごんぼは特産だった。
だが、今では、量産しているのはうち一件のみ。
いや地と掘る手間がかかるので、他の農家は自家用のみしか作らなくなってしまった。
手間と価格があっていないのだが、
生態系から生み出されたうちの集落の農法の1つであるごんぼを
僕はこれからも続けていくだろう。
12 07
2006

晴天。
こんな日もある。
このときを逃すまいと、ごんぼを収穫。今年のごんぼをすべてほりあげることが出来た。例年ならば11月中にごんぼの収穫は終わっているのだが、今年は時間がとれなくて、結局12月。それでも獲り終えたので、一安心。

うちの祖母の時代には、年を越してからもごんぼを収穫していたらしい。そのころはトレンチャーという穴掘り機はなかったので、ひたすらスコップで掘ったという。北陸は雪国。なので、1月ごろには雪もしっかりと積もっている。祖父と祖母はまず畑に行くまでの道を雪かきし、つぎに畑の雪かきをし、そしてごんぼをスコップで掘ったと言う。なんとも大変な労働だろうか。

今はトレンチャーがあるから、年内には終わる。祖父の頃とは比べ物なら無いくらい、ごんぼの面積も広くても。ただ、懸念もある。土は、どこまで掘っても一緒、というわけではない。作物の生育を支えることの出来るは『作土層』とよばれる土だけ。熱帯ではその厚みが薄く、寒い国や人為的に有機物を投入したり深耕したりすれば、この厚みが少しずつ増す。しかし、トレンチャーという機械は、この作土層とその下の土を一気に混ぜて壊してしまう。もちろん、スコップで深く掘っても同じことなのだが、人が少しずつスコップで掘ったところで、掘れる面積などたかが知れている。しかしトレンチャーは違う。軽油がタンクにある限り、オペレーターが停止のレバーを上げない限り、土を延々と掘り続ける。

うちはトレンチャーを使い始めてすでに10年以上がたつ。始めにそれを使い始めた畑では、すでに良いごんぼは取れなくなってきている。僕は、それは作土層が壊れたからだ、と見ているのだが、本当のことが解ってくるのはもっと後になるんだろう。そしてその頃には、取り返しがつかなくなっているのかもしれない。ごんぼの収穫が終わり、充実した気持ち反面、来年の作付けに思いを馳せると、そんな考えが湧いてきて仕方が無かった。
トレンチャー

11 13
2006

晴れ間をにらんでひたすらごんぼを掘る。
その横で、まるで僕らの墓標のようにこの杭は立っている。
9月の頭に立てられた1つの杭。来年以降、もうここではごんぼは作れない。
墓標

今日もごんぼを収穫。
すこぶるはかどる。なぜなら、新しい道具を手に入れたから。

なんてことは無い鉄の棒なのだが、先端部分に鉄の刃がついている。これをごんぼの脇に差し込むことで、土の圧力を和らげ、いとも簡単にごんぼを扱ぐことが出来るのだ。言われてみれば、至極当たり前の道具であり、使ってみれば、これが無ければ始まらない感じがする。しかし、これまでこの道具を使わず、わざわざスコップで脇を掘り、ごんぼを扱いでいた。

うちはごんぼをトレンチャーという穴掘り機で掘る。といっても、ごんぼの畝の脇をこの機械で掘るだけで、そこからは手掘りになる。今までこの手掘りの部分をスコップで行ってきた。

というもの、トレンチャーが導入される前までは(今から12、3年ほど前)、ごんぼはスコップだけで収穫していたからだ。スコップで一から扱ぐ作業を、トレンチャーが大部分をやってくれることで仕事がずいぶんと軽減されたが、それでもスコップで扱ぐという部分は依然として仕事の中に組み込まれたままだった。それの作業がどれだけ大変で、膝に水がたまる原因になったり、おおごし(ぎっくり腰)の原因になったりしても、それは『そういうものなんだ』という共通認識(固定観念)の下、仕事をしていた。

しかし先日。某国営放送の番組で、山梨県の大塚という地方で栽培されている大塚にんじんの放送があった。その収穫風景の中で、1mほどの棒で先端に刃物がついている道具をつかって、にんじんを収穫していた。そのにんじんは1mもある伝統野菜の1つで、うちのごんぼと長さといい、太さといい、そっくりだった。そこではトレンチャーなどの機械を使わず、その棒だけでいとも簡単に大塚にんじんを収穫していた。

その時は『ふ~ん』といった程度で、特に感心したわけでもなく、その事はすぐさま記憶の中に埋没してしまったのだが、昨日ごんぼを扱いでいて、膝と腰とが痛くなるごとに、その事を思い出していた。『そういえば、あの道具、簡単そうににんじんを収穫していたなぁ』と。

しかし、その道具。だんだん鮮明になる記憶では、番組の中で『この道具は特注で作ってもらっているんです』と自慢げにアナウンサーが語っていた。となると、ちかくのホームセンターに売っているはずも無い。諦め半分で、そんな道具があった事を無駄話にしながら(半ばやけくそで)ごんぼを扱いでいた。しかし、父の反応は違っていた。

『それなら、あいつなら作れるかもしれん』というと農協に即電話。この地域の機械担当で、もうすぐ定年を迎えるT氏が慌ててうちのごんぼの畑までやって来たかと思うと、僕の話をすこし聞いただけで、『あああ、それなら作れるわ』というなりすぐさま帰っていった。このT氏、ちょっとした伝説のおっさんである。農業機械(重機も含む)のトラブルで、このおっさんに直せなかったものは無いのだ。エンジンのトラブルは、大抵その音を聞いただけで原因が解るという。50代になった時に、役職が上がって現場に出なくてもよくなったのだが、その役職が体質に合わず、給料安くてもかまわないから現場で機械いじりをさせてください、と強く要望して安月給で現場に戻ってきた経緯の持ち主である。

さて翌日。T氏がさっそくその道具を造って持ってきてくれた。鉄を削り、溶接をし、使いやすいように刃にすこし角度までつけてくれていた。ごんぼの脇に、その道具を差し込むだけで、ごんぼはいとも簡単に扱ぐことが出来た。腰も膝も痛くならない。刃についている角度のおかげで、ごんぼを傷つけることもない。この道具を手にしてみると、スコップで扱ぐことが如何に異質な作業かというのが解る。

全体の中ではたいしたことのない話なのかもしれない。ただ単にちょっとした道具が加わっただけのことなのかもしれない。それで飛躍的に収量がアップするわけでもないし、作業効率が倍になるわけでもない。取るに足りない話だ、と言われれば、そりゃそうかも、とは思う。

でもこうして、まったく当たり前だと思ってきた作業が、一変するのだ。見た目にはあまり変わらないかもしれないが、意識の中ではずいぶんと変化する。ニュースを通じて新しい情報を得、それの情報とそれを体現できる人物という情報がつながり、その人物が実際に使う立場で加工をしたのが今回の道具なのだ。こうやって、本当に少しずつではあるが、いろいろな関係の中から、僕を取り巻く農は変容していく。そうした変容に、どんな小さなことでもいいから、自覚的でありたい。最近、つよくそう思うようになっている。
10 31
2006

ごんぼの収穫始まる。
春先の耕作禁止問題や夏場に大水で冠水してどうなることかと思ったが、なんとか収穫までこれた。結局耕作禁止は、あれから通達がなんどかあったが、今期作までということで決着がついている。畑の横には、でかでかと耕作禁止地区と書かれた杭がうたれてはいるが。

夏場に大水が来て、冠水してしまったためか、生育はやはりあまりよくはない。しかし、川砂の土ですらっと根が伸びているので、収量はまずまずだろう。収穫は11月一杯続けられる。

ただ来年は、この畑はもう使えないので(耕作禁止地区になったため)、ごんぼを作れる畑を探さなければならない。川辺の畑でしか、良質のごんぼは作れないのだが、その場所もなかなか確保できないでいる。川辺の一番良い土地は、どこもかしこも耕作禁止になっているし。その場所でなければ作れない作物がある。昔、うちの集落はごんぼの産地だった。でも川辺の畑が河川工事でどんどん削られ、今じゃ、ごんぼを出荷する農家はうちだけになってしまっている。その畑も、耕作禁止。来年はどうなるんだろう。
約束の8月も半ばをすぎた。でも、何の動きも無い。
河川敷の耕作禁止地区の話。

強気で植えたごんぼも青々と茂り、7月に一度水がついたものの、元気に育っている。それに反して、部落の蔬菜組合の連中が立てた耕作禁止の境界線を表す杭は、傾いて元気が無い。8月までしか耕作できません、と言われていたが、8月に入っても何の動きも無い。いや、動きはあった。国土交通省ではなく、農民側に。

数日前、2つ隣の畑にうちの部落の農民が大根を播いていた。当然、そこも耕作禁止地区。それまで耕作禁止地区に作付けを行っていたのは、うちだけだったが、まわりで静観していた連中も、すこしずつだが作付けを再開している。こうやって、なし崩し的になっていく。

耕作禁止になったのは、以前も書いたが、今年の4月。そのときにはすでにごんぼを播くために、炭を入れたり肥料を入れたりして準備をしてしまっていたので、うちは強行策で作付けを続行した。部落の蔬菜組合の反発もあったが、どうせその連中も自分たちの利害には直接絡まないのだから、根回しで反発はなんとか回避してきた。

河川敷の土地はとても肥えている。特に根菜類には最適の土地。2つ隣の畑で耕作を再開した農民も、大根の播種が近づいてきたこの時期、うちの畑が文句を言われないのを考慮して、作付けをしたのだろう。

以前、インドネシアでお誘いを受けた仕事では、国立自然公園の境界を越えて作付けを行う農民に、それを如何にやめさせるか、という内容だったが、皮肉なことにいま自分がしていることは、その正反対のことなのだ。だからなのか、今やっていることがすごく面白い。この後、もし国土交通省のアクションがあれば、よくよく観察してやろう。どういう行動にでてくるのか、ははは、本当に楽しみだ。
土曜から降り続いた大雨。
当然と言えば当然だが、今朝方、川が溢れた。
堤防が決壊するような溢れ方ではないので、それほど心配はいらなかったのだが、ただ、提外地の畑が水没した。そう、ごんぼの畑が、である。

水がついたのは、今朝からお昼過ぎまで。堤防の上から見た感じでは、ごんぼの被害はそれほど無い。ただこの水がうまくひいてくれて、畑がかわくかどうかが問題。

ごんぼはまだいい。瓜類などは、すこしでも水がつくと全滅する恐れがある。提外地はうちの集落の大事な家庭菜園にもなっている。近所のおばちゃんやおじちゃん達は、朝からずーっと堤防に上って、自分の畑を見守りながらため息をつき続けていた。

川は氾濫するもの。だから、こういう年もあるのは当然のこと。うちのかぼちゃもうりもメロンもスイカもだめかもしれない。その1年だけを見て考えてしまうと、川の流れに手を加えたくなる気持ちがもたげてきそうだが、ここはぐっと我慢して、『これも円環のうち、土が肥えるので来年の野菜は出来がいいかも』と思うことにしよう。
冠水

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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