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第5期生のイラくん。
農園の実習修了生の中で
ある意味、
一番の出世頭といってもいいかもしれない。

彼は、帰国後のビジネスプランでは肉羊の飼育を
計画していた。
彼の地域は水に乏しく
農地も少ないので、
自然、他の業種へ目が向いていた。
あの頃の僕は
自分でも何かを教えるという気は
もうさらさらなかったはずだが
その実際の行動と彼らが作っているプランを見ると
彼らとのインタラクションの成果として
野菜栽培に特化したビジネスプラン作りばかり
していたように思う。
これは批判するべき行動で
今は、その枠を飛び出して
彼らの生活世界の把握の中に存在する
ビジネスの種を育てる方法に変えている。
というのは余談。

で、イラ君。
当然、とってつけたような肉羊事業は
彼自身も実行に移さず、
帰国後に自分の兄と一緒に飲料水販売事業に
まい進することになった。
とっても面白い事業なので
これを福井にいるときから議論したかったなぁ、と
思っても、当時の自分ではそれに気が付く能力はなく、
ただただビジネスプラン作りという目的を達成するための
議論をしていたように思う。というのも余談。

インドネシアでは
飲料水は水道からは得られない。
生水のまま飲めば
症状の大小はあるが、お腹を壊すことになる。
飲み水は一度煮沸するか、
飲料水として売られているものを購入するかになる。
イラ君は、とても性能の良いろ過機を手に入れ
井戸水を飲料水として販売するビジネスを始めた。
このビジネスは、それほど珍しくはない。
どの街角にも
ろ過機を置いて、水を販売してる業者を見かけるからだ。
ただ彼は、その水販売を
SNSで注文を受けて、個人宅まで配達するサービスを始めた。
これも都市部ではあるのだが、
彼の地域では画期的だったと言っていいだろう。
それもあって、あれよあれよと成長し、
今では修了生の中では一番の稼ぎ頭になっている。
ただどういうわけか政治的ポジションは
あまり強くない。ま、余談だけど。

その水販売。
ウォーターサーバー式で、
サーバーに差し込むボトルに水を詰め替えて販売している。
ただ、彼のユニークなところが
サーバーは高く、電気も使用するため、
ボトルに直接蛇口を取り付けた
サーバー不要の商品も用意していて
それが農村部でバカ受けしているらしい。
今回、マイクロクレジットに申請が上がったのも
そのサーバー不要の蛇口付きボトルの追加購入のための
融資依頼だった。
1000ボトル購入したいらしい。

農村部での販売が中心だったが
大都市バンドゥンに隣接する学生が多くいる
エリアを新たに開拓して
そこにも水を供給したいらしい。
それに合わせて、すでに車は新調し
輸送力も高めたという。
彼くらいになれば
銀行からだって借りられるはずなのだが、
意外にも彼もまだ銀行から融資を受けた経験がなく
銀行融資に否定的だった。
金利が高いとか、担保が必要だとか、で。
なので、僕らの耕志の会のマイクロクレジットから
借りようと思ったらしい。

今回から耕志の会のクレジットは
民間金融に歩調を合わせる形で
最大2500万ルピアで、年利4%としたこともあり
彼の当初の計画では3200万ルピア借りる予定だったが
やや事業規模を縮小して計画書を出してきた。

審査といっても僕らは素人で
まだまだ経験が足りない。
なので簡単な審査方法をとっている。
プロポーサルを
修了生や実習生が所属するグループチャットの場に上げて、
ある一定期間自由に質問をするというもの。
借り手はその質問に迅速かつ正確に答える必要があり、
それに耐えた場合、融資をする。
答えに詰まったり、つじつまが合わなかったりすれば
融資はしないというルール。
みんなのお金なので
みんなが納得しないと貸さない。
ただ、質問するようにと促さないと
みんな沈黙しているのもこのルールの問題かもしれない。
このルールも、自分ももっと勉強して、
彼らの経験値も盛り込んだ形で
改正していきたい。というのも余談か。

9月13日に晴れて無事融資金を送金。
滞りなく事業が開始されたかどうかは来月の
ローカルスタッフが調査をする予定。
また一つ、新しい事業が始まったことに
喜びを感じている。



技能実習生とは
やっぱり出稼ぎである。
ただ、インドネシアの子たちを受け入れて思うことは
本当に会計や計算が苦手だなぁってことと
これまで受け入れてきた子たちが
実力はあるのだけど
まったく境遇に恵まれていないということが
共通している。

実習生で日本に来れば
無駄遣いしなければ、3年で約200万円は貯められる。
そのお金があれば
一回目の投資としては
それほど悪くないほどの事業を計画できる。
ただ、僕もそうなんだけど
彼らが僕以上に想像力も現状把握力もないので
3年の実習期間で現状把握の授業と
ビジネスプラン作りの指導をすることで
ある程度は会計に強くはなる。
あっでもある程度ね。
本当、少しだけ強くなるって感じ。

3年なんてそんなもの。
で、卒業生の中でも
素晴らしく成果を上げる子と
全然ダメな奴と
どうしても差が出てくる。
彼らが選んだ事業の良し悪しが
大きいのだけど、
それを選んだ本人の運によるところも大きい。

1回目の投資がうまくいけば
きっとその上がりで
そのまま順調に成長していくとは
簡単には思っていなかったけど
今、上手くいっていない子だけでなく
上手くいってた子も
壁にぶつかっている感じだ。
それは2回目の投資ができないからでもある。

今年から3期生のタタンを
ローカルスタッフに雇い、
数か月おきに
それぞれの卒業生の
事業調査&生計調査を行ってもらっている。
そこから見えたものは、
帰国後に投資した事業が成否だけでなく、
その事業のすべてで
次の投資を必要としていることだった。

インドネシアの農村で
投資を得るのはかなり難しい。
多くの場合が「知り合いから借りる」以外に
選択肢がないからだ。
しかも、慣習的な金融はどれもアコギで
Bagi hasilとかGadaikanとか
どれも金利でいえば10%や20%の騒ぎではない。
ただこれらのシステムは
貸し手も一緒にリスクを背負うようになっていたり、
借り手が徹底して破産しないためのものだったり、
完全な貧困に陥らないための
セーフティーネットと評価されていて
それの評価はある程度当てはまるとは思うが
事業を大きくするための金融商品としては
かなり物足りない。
というか、
その成長の芽を摘んでしまう制度だともいえる。
普通に知り合いから借りても
大抵、農産物集荷のブローカーだったりで
販売において従属的立場に置かれてしまうのである。

そんな彼らに
実は政府は以前から銀行による金融商品を
用意している。
その商品の詳しい紹介はまたの機会に譲るとして、
7%程度の金利で比較的簡単に借りれる
その商品には
なかなかアクセスしない。
その理由をはっきりとインタビューできたわけではないが
銀行の場合、担保が必要だったり
破産のリスクがあったり(慣習的金融にはこれがない)、
心理的にハードルが高いのかもしれない。

そんな状況に置かれている彼らが
特定技能への期待を抱いているのは
無理もないことだと思う。
技能実習で、まとまったお金を得た体験をした彼らは
やはり次の投資も出稼ぎでと考えるのは
自然なことなのかもしれない。
ただ
すでに事業を始めている彼らが
その事業に再投資をする手段として
また数年の出稼ぎに行くのって
僕はどうも納得がいかない。
その間の事業は停滞するし
それどころか最悪その事業自体が消滅するだろう。
それでは本末転倒だ。
だが、彼らのおかれている状況と
そこから派生する心理は
なかなか僕らの思考ではとらえられない。

今年農園では2トン車を新調する予定だ。
投資額としては600万円で
当然、銀行からの融資を得て購入する予定で
その話も進めている。
これが彼らの状況であれば
事業に必要な2トン車を買うために、
海外へ数年出稼ぎに行くって話になる。
こういう話をすると
卒業生たちは皆笑うのだが
実際に彼らの行動は
その笑い話のようなことになっているのが
難しいところだろう。

また別の機会に書こうと思うけど、
こうした彼らのような心理を利用した
悪質な海外労働詐欺もインドネシアでは
ちらほら散見される。
そんな詐欺に引っかかることなく
彼らの思考を自由に解き放ち
銀行からの融資で次の事業が展開できるには
いったい何が彼らと銀行金融商品の間で
断絶しているのかを突き止めなければならない。

日本にいるのがもどかしい。
現地にいれば、とついつい思考を飛躍させてしまうけど、
ここにいても出来る国際協力、
いや、ここにいないと出来ない国際協力、
福井の僻地の問題を同時解決する国際協力、
そういうものを目指しいるんだと
自分に言い聞かせつつ、
情報収集と対策を考えていくべし。




今年から始まった耕志の会のマイクロクレジット。
1回目の募集では、
レンディとクスワントがプロポーザルを提出した。
それぞれに卒業生や今いる実習生からの質問攻めに耐え
無事承認された。

クスワントの事業費が約8万円。
レンディの事業費は約24万円。
ローカルスタッフのタタンとも
両氏の事業のリサーチをどのようにしていくかも確認し、
先日無事送金し、現地口座で入金が確認できた。
いよいよ始まる。

今回のマイクロクレジットは
正直言って穴だらけだと思う。
プロポーザルの作り方や
返済金の管理から計画まで
問題が山積だ。
利子が無いというのも問題だとは思うし。
ただ
実習期間で貯めたお金だけでは
投資としては不十分というのも
この10年彼らの生計調査をしていてよく解った。
卒業生のほとんどが
それぞれの生計を安定させてはいるが
農村でリーダーとなるには
次の投資を必要としているのだ。
経済成長著しいインドネシアで
農村部での少額クレジットが
今後民間や政府でどこまでなじみやすいサービスが
出てくるかは注視していかないといけないが
同時に、僕らはアジアの成長を
一層推し進めていく必要があるし、
またそれらを僕らの成長にもつなげていかないといけない。
その一つが実習修了生へのクレジットだと思っている。

入金を確認した彼らは
さっそく計画に沿って動き出す。
今後はローカルスタッフの調査で
その動きを追っていきたい。




先月の出張で
技能実習修了生たちと総会を開いた。
その中の議題の一つに
余剰金によるマイクロファイナンスの実施があった。
その詳しい過程は以前書いたエントリーに譲ろう。
耕志の会インドネシア総会

さて、
その後、3名からマイクロファイナンスに対して
プロポーザルを提出したいと申し入れがあった。
クスワント(4期生)、イラ(5期生)、レンディ(7期生)で
イラは他の資金の目途がついたので結局
プロポーザルの提出は無かったが
クスワントとレンディから提出があった。

クスワントの事業は
カフェ事業である。
インドネシア全土は知らないけど、
少なくとも今西ジャワ、
とくにバンドゥン近辺はカフェブーム。
コーヒーブームもあってか、
タンジュンサリの田舎町でもカフェが沢山出来ている。
そして実はクスワントは
日本にいる時から将来のビジネスとして
カフェを開きたいと言っていた。
丁度日本で実習している時に
今の奥さんであるハナちゃんが
料理学校のお菓子コースで勉強してたこともあり
「いつかは二人でカフェを開きたい」と言っていた。
その月間レポートは今も大事に保管してある。
だから彼から提出されたプロポーザルが
カフェ事業だったことに、僕は感慨一入だった。

実は彼はちょっと前まで
タンジュンサリ農業高校で軽食屋も経営していた。
そこそこ儲かる仕事だったのだが
家族の事情で続けられなくなり
現在はその分の収入がない状況だった。
軽食屋に比べて事前の準備が少ない点や
小さいスペースでも運営できることもあり
また彼の夢でもあったカフェということで
ゆくゆくは自分の栽培しているコーヒーを
独自ブランドとして売り出したいとも思っているようで
今回の申請となった。

もう1点はレンディ。
破竹の勢いとはまさに彼のことで、
帰国してまだ3年目なのに
選挙で勝って集落長になったり、
農業ビジネスで成功して乗用車を買ったり。
正直、彼にそんなに才能があるなんて
僕は見抜けなかった。
その彼の申請してきたビジネスは、
お茶の育苗所だった。
彼の住む場所は高地でお茶の産地。
お茶なんていくらでも育苗していそうなものだけど
どうも事情が違うらしい。
お茶の育苗はとても簡単。
お茶の枝を挿し木すれば
それで苗が作れるので、誰でもできると言えばできる。
しかしレンディが目を付けたのはそこじゃなかった。
政府から発行される普及種ラベルの付いた
お茶品種を育苗するというビジネスだった。
このラベルは原種を管理している政府機関から
原種を普及種に栽培を許されている農場だけが
栽培を許されており、さらにその普及種も
特定の農場だけがそこからさらに普及種を栽培できるという仕組み。
これは日本の種子法でも定められているものに近い制度。
ちなみに僕は青年海外協力隊の時に
落花生優良品種普及事業として
この仕組みに係わったこともある。
一般農家では
まず普及種生産圃場の許可は手に入りにくい。
だからこそ、そこには大きな利権があり
そこに参入さえできれば
大きな商売になる。
で、どうしてレンディがその商売の利権に
食い込んだのかはまだ詳しくは調べてないが
彼にはそういう才能があるらしい。
(詳しくはこちらのエントリーへ

とはいえ、
すでに飽和しているようなお茶ビジネス。
どこにそんな市場があるのだろうか。
そこはレンディの抜け目ないところだろう。
コーヒー栽培は雨に弱い。
大雨が来ると花芽が落ちて実の収穫量が極端に落ちる。
2016年と2017年は同地域の雨季は長く
2年連続でコーヒーの収穫は皆無だったらしい。
コーヒーは1年に1~2回収穫されるが
花芽が落ちれば、収量はゼロになるリスクも高い作物。
その点、お茶は毎月少しずつ収穫があり
天候に左右されても全体では大きく崩れない。
政府系の工場が買い取ることもあって
価格も年間通して安定してる。
レンディは日本で貯めた資金で
コーヒーばかり作っていた地区に農地を買って
その一部でお茶栽培を作り始めた。
そしてそのようにリスク回避をするレンディを見て
その地区の農家はお茶栽培に今
乗り出しているのだという。
そこへレンディは安い品種も分からないお茶苗より
政府が発行する普及ラベル付きの
お茶苗を生産してその地区等に供給するというのが
今回の彼のビジネスプランだった。
すでにトライアルを終えており(昨年の10月に僕も調査した)、
計画も綿密で
必要資材も細かく計算されていた。
経験上苗の2割が損失することも計算もされていたし
それでも十分すぎるくらいの利益をえる計算だった。
日本でのビジネスプラン作りが活きている。
と自画自賛しておこうか。

さて
これらプロポーザルは
今から1週間
実習修了生のFacebookのグループメッセージ欄に
アップされる。
それを読んで、1週間の間
ビジネスをそれぞれ行っている修了生たち猛者が
そのプランを徹底批判する。
それに耐えれれば
インドネシア側での審査は終了だ。
日本ではそのプロポーザルを僕が簡単に説明し
皆からも意見をもらって
問題なければGWごろに資金をインドネシアに送る。
いよいよだ。
もうすぐ、次のステージのあたらしい事業が始まる。
その資金管理は、ローカルスタッフのタタンが担う。
これで技能実習の最終形にようやく突入する。

出張の記録をもう少ししたい。
今回の出張のミッションの一つが
耕志の会の総会である。

かなり長文になってしまったので
時間のある時に読んでもらえたら嬉しい。

耕志の会とは、もともとは
農園たやで勉強をする実習生を支える会だった。
農園たやの実習生とスタッフ有志とで組織し
もちろん僕も入っている。
卒業研究や本の購入、
生活に必要な物資(最近では耐震グッズ)の購入、
勉強に必要な物資(紙・インク・プリンター等)の購入、
さらに
見聞を広めるための国内スタディツアーの実施や
懇親会等を行ってきた。
授業にかかる素材(教科書やDVD等)は
農園たやが準備するが
いわゆる生徒がそれに参加するために必要な物資等は
耕志の会が支援をする。
日本に来る場合の支援も耕志の会が行う。
日本語学校での経費やパスポート、ビザ等の取得は
実習生本人負担であるが
この費用がかなり高い。
しかも日本語学校に通っている間は無収入になるので
生活費も必要になる。
ヘタな金融に手を出すと利子が大きすぎるので
耕志の会がこの費用を無利子で貸している。
まぁ、いわゆる会社や本人では負担が出来ない項目を
援助しあう互助会的な存在だ。

その互助会が、実習修了生が増えてくると少し発展をした。
実習修了生たちは、農園たやでやっていたように
インドネシアに戻っても勉強会をしたいという事で
耕志の会のインドネシア支部を立ち上げ
月一でビジネスの勉強会も始めた。
そこに日本の耕志の会から金銭的支援も行っているし
僕もその勉強会にはかならずネットで参加している。

で、2016年と2018年に耕志の会では
JICA基金から援助を受けて
地域住民を巻き込んだ開発プログラムを実行した。
特に2018年は持続可能な小規模コーヒー栽培の研修事業ということで
90名近い住民が参加してのセミナーを開催し
実際に3か所の対象地域でコーヒーの栽培を始めている。

ただ、このコーヒー栽培の事業が
すこし耕志の会のインドネシア支部に亀裂を入れた。

農園たやの実習修了生たちは
皆、比較的同じような地域に住んではいるが
その実際は、高地から低地、平場から山間地まで
農業という自然状況からかなり制限を受ける生業としては
修了生たちは同一の農業形態ではない。
とくにコーヒー栽培は低地では難しく、
高地の方がより品質も良く高い豆が作れることもあって
地域をかなり限定されてしまう。
コーヒーの研修をしたいと言い出したのは
もっとも高地にすむメンバーの提案だった。
当初、耕志の会のインドネシア支部では
みんなでは出来ないコーヒー栽培に
消極的だった。
ただ、僕はこのアイディアを高く評価した。
耕志の会は、勉強会のための会ではあるが
それぞれのビジネスを育てていく会でもある。
みんなで出来ないことは挑戦しないというのであれば
この会は懇親が目的になり身動きが取れなくなってしまう、
そんな風に僕自身が行く末を案じていたのもあろう。
実は農協青壮年部がまさにそのような体であり
常に多様な農業者の集団が潜在力を持ちながらも
その解を見出せないまま
自然消滅的に力を失っていくのをたびたび経験したこともあり
耕志の会には同じ轍を踏ませないと思っていたからかもしれない。

そこで2018年は品目をコーヒーに絞り
耕志の会は活動をしていた。
修了生メンバー9名中、コーヒー栽培が可能な4名が
この活動の中心となった。
とはいえ、定期勉強会は続けていく方向だった。
だからみんなが参加しての耕志の会は続けていく。
その予定だった。
しかし事情は違った。

2018年当初は
まだみんなが参加して勉強会を開いていたが
コーヒー栽培の研修が進むにつれ
コーヒー栽培の4名のみしか参加しなくなり
次第に活動が緩慢になった。
それぞれのコーヒー栽培はそれなりに面積を広げ
行政との繋がりも深くなり
これからの展望もずいぶんと見えるようになったのだが
勉強会はいつしか行われなくなった。

今回の出張では
この耕志の会の継続について話し合いを持った。
コーヒー栽培以外のメンバーは集まらないのかと思ったが
なんとかみんな集まり会議を開いた。
2019年はどんな活動にしていくのか
それの話し合いだった。

開口一番はイラだった。
イラは第5期生で、農業ではなく
水ビジネスを展開している。
彼はコーヒー事業を始める時も難色を示していた。
「コーヒーに活動を決めてから、耕志の会は分断されたと思う。コーヒーに参加していない人も参加できる活動がなかった。代表の責任だと思う」とノタマッタ。
実習修了生たちはスンダ民族で
腹の内をあまり表に出さないと言われているのだが
最近は事情が違う。
こうやって思っていることもズバズバという。
イラの指摘はごもっともで
4期生のクスワントが
2018年の耕志の会インドネシア支部長だったのだが、
勉強会は途中から自然消滅する形になっていた。
当然、それはイラのように
勉強会を開いても来なくなったことが理由なんだけどね。

イラは最低限の活動として、
勉強会の継続を提案した。
また同時に、コーヒーに焦点を絞ることを
止めたほうが良いとも提案があった。
どうしても焦点を絞るのなら
コーヒー栽培できない人もその活動に参加できるようにすべき
とのことだった。
みんなが参加できる活動にすべしとの提案だった。
これに反発したのは僕。
JICA基金のように公的な助成金をもらった場合は
やはりコーヒーを栽培できない、もしくは栽培する意思のない人にまで
その公的な助成金を使うことはできない。
僕は耕志の会は仲良しクラブにはしたくなかった。
それぞれのビジネスの相談に乗れる
有機的なネットワークにしたかった。
だから、コーヒーだけがフォーカスされたことは反省するとして
それぞれのビジネスで扱っている品目ごとに
耕志の会でプロジェクトを作っていくことを提案した。
その一つが
やるやるといってやってこなかった
マイクロクレジットの実施だった。

耕志の会では
有志の献金や会費の繰越金からの積み立てで
約70万円ほど自由になるお金がある。
これをマイクロクレジットとして
実習修了生のビジネスに貸し付けるという
活動をしようと当初から計画があったが
貸し付けから返済までのお金の流れや
インドネシア国内でのそのお金の管理、
果てには提出されたプロポーサルのチェックと
事業開始後の資金活用のチェックなど
日本国内では出来なことずくめ。
だから、マイクロファイナンスは
絵に描いた餅だった。
それが今年の1月から3期生のタタンを
ローカルスタッフとして雇うことで
それらすべてが可能になった。

マイクロクレジットといっても
まだまだ制度的には整ってはいない。
ただお金を貸して彼らのビジネスが
どんな風に変化するのか、
そのインパクトを大事にしたいということもあり
利子なしで、返済計画もそれぞれのビジネスの事情に合わせて
柔軟にすることになった。
たとえばコーヒー栽培で苗木購入の補助であれば
収穫が本格的になる3年後に一括返済とか。
その一方でジャガイモの植え付けの資金であれば
収穫が4か月後に一気に迎えるので
収穫後にすべて一括返済とか。
さらにお茶栽培の事業であれば、
収穫が出来る1年後から分割返済にするとか。
それぞれの栽培やビジネスのキャッシュフローに合わせて
返済計画を自由にするということにした。
資金の受け渡しやプロポーザルの価格チェックや
返済の管理や借り入れて行っている事業のチェックは
全て農園のローカルスタッフがすることになった。

これに対して
その場に同席してくれたメラニー先生は
僕のやり方に否定的だった。
その場では観察だけの務め
会議後に彼女から
「田谷のやり方は持続的じゃない」と指摘を受けた。
利子なしにすれば発展的にならないし
お金を管理している人は
それなりにその資金の運用益から
いくばくかのお金をもらってやるべきだと。
マイクロクレジットの運用という意味では
僕のやり方は落第点だろう。

先生の指摘に対して僕の意見はこうだ。
利子はいくらかは取っても良いが
人件費はこのクレジットから取ろうとすると
かなり利子が高くなる。
その経費を抑えるには
画一的な返済のカタチにすることになるが
事業によってはキャッシュフローが違いすぎる。
短期的な事業だけに絞れば
受益者を限定してしまうし。

とはいえ、メラニー先生の指摘は真っ当で
今後、もう少し遠い将来に向けて
マイクロクレジットを
事業として独り立ちさせるのなら
考えないといけないことが沢山あるというわけだ。
ま、例のごとく
走りながら考えようか。

さて、
会議に視点を戻せば、
資金を借りたいというのは4人いた。
レンディとクスワント、イラとタタンだった。
タタンは資金管理者なので、
かなり微妙な立場。
もし可能なら農園たやから貸付を行うなど
違う方法を考えないと
ローカルスタッフになった方が損することにもなりかねない。
課題はいくらでも湧いてくるな、こりゃ。
で、プロポーザルは3月末日までという事になり
この件は解決した。

また2019年度の役員も改正し
1期生のヘンドラが支部長
事務局が2期生のイルファン、
そして会計がイラの三役が決まった。
当面の活動は
勉強会の実施と
亀裂修復のためのレクレーションを実施することで
総会は閉会した。


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今回の出張では
ボゴール農科大学大学院時代の恩師
メラニー先生も同行してくれた。
彼女と会うのは、2013年以来だった。

彼女と一緒に回ることになったのは、
インドネシア側でのポテンシャル調査をしてくれる人材を
探していたからでもある。
少し前置きが長くなるが
ポテンシャル調査について書いておこう。

農園で行っている技能実習生の研修プログラムでは
帰国後に社会的ビジネスをすることが前提になっている。
そのビジネスを計画するために
まず実習生たちの住んでいる地域や
彼らの家族、彼ら自身の資源について
どのようなポテンシャルがあるのかを
押させておく必要がある。
なので、実習生がやってくる前に
そのポテンシャルを探る調査を行う必要がある。

これまでの10年は
大学院時代の友人にお願いしてその調査を行ってきた。
しかし、この10年でそれをお願いしてきた
彼女の生活環境も変わり
今は東ジャワの大学に務めるようになってからは
スメダン近辺での調査にかなり負担が生じるようになっていた。
彼女自身はこれからも調査に協力してくれると
ありがたい言葉をもらっているが
今後はポテンシャル調査だけではなく
もっと専門的な相談役が必要となり
新たに人を探すことになった。
ただ、これまで調査してくれた彼女も
もちろん今後とも協力を別の形で仰いでいこうとは思うけど。

それで
恩師のメラニー先生に5年ぶりの連絡を入れたのが
きっかけだった。
ボゴール農科大学大学院には
国内留学としてさまざまなインドネシア内の大学の
先生たちが学位を得るためにやってくる。
メラニー先生はその大学院の先生だったので
(現在は学部生のみに教えている)
きっとバンドゥン近辺の大学の先生とも
交流があるに違いないと思い
連絡を入れた。
5年ぶりという不義理にも拘らず
温かいメールを何度かいただき
最後には、
「OK、その仕事、私がやるわ」と返事をいただいた。
そうして一緒に現地をまわることになった。

メラニー先生は
東ジャワのマラン出身で、
専門は環境人類学。
開発と環境に視点を置き
その分野のジェンダー研究の専門家だ。
アメリカで学位を取り、
インドネシア社会学の英雄サヨグヨ教授の教え子で
サヨグヨ研究所のスタッフでもあった。
容姿端麗で実は
僕が大学院の頃は
彼女を「フェアリー」などと仲間内では呼んでいた。
僕の今の視点の根底を作った
ノーマンロングに出会わせてくれたのも彼女だった。
奇しくもそれは妻・小國と同じ研究分野になったのだが
僕はノーマンロングからエージェンシー(行為能力)論を抽出して
人の行動力向上に関心を強めた。
これが実は
今の技能実習生たちのビジネスプラン指導や
農園たやの経営に使われている
僕のセオリーの根底である。というのは余談。

さて、そのメラニー先生。
大学院を出てから14年の歳月が流れたが
先生はまるで昔のようだった。
美しさもそうだけど、それ以上に
頭の回転の速さにぜんぜん追いつけなかった。
昔からそうで、
何を議論をしていても彼女の知識の海に溺れてしまう。
読んでいる文献の量が違いすぎるんだと思うけど
農業分野でもなかなかついていけなかった。
勉強不足も実感したのは余談。

さて
ポテンシャル調査を行うことが
今後のタスクの一つだけど
それ以上に
一番は、今の彼らの営農スタイルに対するアドバイスを
僕は期待している。
事実彼女と一緒に卒業生の圃場をまわったのだが
技術的な部分は直接アドバイスはできないのだけど
彼女の知り合いの篤農家や
大学の先生たちを卒業生たちに紹介してくれていた。
また今進行中のコーヒーのプロジェクトは
メラニー先生の周り(IPB)でも盛んにセミナーが行われているようで
その紹介でもコーヒー栽培をしている卒業生と
盛り上がってくれていた。

卒業生たちの専門的な問題を解決する窓口に
メラニー先生がなってくれれば、と思っている。

さらにもう一点。
こっちの方が大事かも。
それはこれから受け入れるであろう
女性の実習生についてである。
農園のプログラムは帰国後に地域リーダーとなる
人材を育てることにある。
女性が農村部のどのような分野で
けん引していける存在であるのかを
僕らはイメージして研修をしないといけない。
スタッフの立崎がすでに農村部の女性のインタビューを
始めていて、それなりに報告を受けているが
今後メラニー先生の専門であるジェンダー的視点でも
この議論を開始したいと思っている。

気軽に相談できる先として
卒業生たちに定着してくれると嬉しいのだけど。
あと共同研究や共同執筆、日本からのスタディーツアー受け入れや
フェアトレードビジネスなど一緒にやっていきたいと思っているけど
まず何から始めようかねぇ。。。




このくそ忙しい最中、
インドネシアに出張する。

スタッフも
税理士も
JICA基金の担当者も
多分みんな思っている。
なぜ、この時期なんだって。

今回の出張は
僕だけでなくいろんな人の日程を重ね合わせた中で
練り上げられた予定なので
もはや僕一人で
どうこうできるレベルではない。

今回のメインは
現地修了生たちと組織する
耕志の会インドネシア支部の総会である。
JICA基金で小規模コーヒー栽培を組織化し
活動もそれなりになりつつあるが、
予算や次年度の活動をしっかりと話し合う必要がある。
さらに
マイクロクレジットとして準備積立している、
耕志の会福井本部の口座の残金の確認と
その運用方法をみんなで確認したい。
あわせてその目的のために配置した
ローカルスタッフについても説明したい。

もう一つのメインが
僕がボゴール農科大大学院でお世話になった
恩師メラニーさんをこのサイトに案内することである。
インドネシア留学の修論指導でお世話になったメラニーさんに
現状を見せ、アドバイスをもらいつつ
なんとかボゴール農科大学をこのプロジェクトに
係わってもらえないかを狙う。
小さなプロジェクトでお金にもならないので
過度な期待は禁物だが
スタッフ立崎のいう女の子の農村リーダーという意味では
メラニーさんは農村ジェンダーの専門家なので
その辺は進展があるのではないかと期待する。
ただ、担当教官との農村ツアーは
何年、何十年経とうとも
かなり緊張するし、いつもの100倍も気を遣う。
かなり疲労困憊になるとの予想。

そこへ追い打ちをかけるように
農村調査として修了生のサイトを4か所訪問予定。
タンジュンサリ農業高校の校長先生にもアポをいれてあり
今後の派遣についても相談する。
とくに来年は新卒を採用するのだが
タンジュンサリ農業高校が求める人材像も
その採用の基準にする予定なので
きっちりと議論してきたい。
さらにさらに立崎の日本野菜栽培の活動に
僕がどうもレクチャーをする予定らしく
その準備が全く出来ていない。
たぶんこれは飛行機の中ですることになるだろうな。

さらに大事なのは
日本語学校のリサーチ。
ここがブラックボックスで
技能実習生が多額の借金を背負う場所。
ここに今回初めて調査インタビューをする予定。
何が出てくるのかは
行ってからのお楽しみ。

帰国直ぐに福井農林高校でのプレゼンを抱えていて
さらに俳句誌の原稿と俳句新聞の原稿と
毎日新聞の原稿とが、帰国直後にほぼ同時に締め切りを
向えるが、それらは一字も書けてない。。。
のは余談。

中三日でこの予定。
前回も現地で医者にかかったが
今回もたぶんそうなるだろう。
前回の診察カードも忘れずに鞄に入れたから大丈夫。
さ、明日早朝から出張だ。



先月の1月から
インドネシアの西ジャワ州スメダン県に
ローカルスタッフを雇い配置している。
業務は、技能実習修了生のビジネスプランの調査と
それに向けてのバックアップ事業を展開することと
技能実習に来る子たちのサポート事業が
その柱だ。

この人材の選定に
昨年の10月から進めてきたのだが
なんとか当初の希望通り
農園の実習修了3期生である
タタンと契約を結ぶことができた。

タタンは、実習終了後、
果樹の苗木生産と果樹生産と稲作の複合経営をしていたが、
一念発起して大学に入学。
森林経営について学び、昨年の12月に無事卒業をしている。
卒業してすぐという事もあり
彼自身もまだ定職についていない状態だったのも幸いした。
こちらとしても学士をもっていて
農園で教えている農業を構造から考える視点を持ち合わせていて
しかも経営について学んだ人材ということで
条件も申し分なかった。
さらに彼は人柄が良い。
修了生同士、みんなが友達のように仲がいいわけじゃない。
それぞれ合う合わないがあり
それが共同で何かをやるしょうがにもなっているのだが
タタンはみんなから好かれる人物で
誰とでも上手に付き合える稀有な人間でもある。

その彼を
ローカルスタッフとして配置した。
まさか、実習修了生をローカルスタッフとして
雇う日がくるとは思ってもいなかったが
配置してみるとこれがとても機能的だということに
気が付いた。
農園のスタッフを青年海外協力隊として
福農と交流が深いタンジュンサリ農業高校に
農業講師として派遣しているが
それはその文脈での派遣もあって
それ以上の力(エージェンシー)を発揮するのは
彼女自身の能力というよりも
周りの考え方もあって難しいというのは分かった。
そうなるだろうというのも
ある程度予想があったが
思った以上に学校は忙しいようだ。
それはそれで
今まで知り得なかった学校の情報が
どんどん蓄積されるので
農園としてもプラスとなっているのではあるんだけどね。

ただ彼女が動けないのなら
もう一人配置しようという程度で
タタンとの交渉を始めたのだけど
こっちの目的を彼に伝えると
彼なりにさまざまな活動を始めるようになっている。

その一つが
農園たやへの実習生参加の募集説明会だ。
タンジュンサリ農業高校では
それまで副校長先生が
これは!と思う人材を一本釣りで派遣してくれていた。
それはそれでよかったのだが
多様な人材が地域を作ることから考えると
もっとたくさんの農園で研修を受けたいとおもう
人間の中から選ぶ必要があると常々考えていた。
それをタタンと共有したところ
彼が募集説明会をやってくれることになった。
先日帰国したデデが母校タンジュンサリで
25日に成果発表会を予定していて
その前に、タタンが2020年の農園たやの技能実習生募集の
プレゼンをしてくれるというのである。

それに合わせて
こっちも大急ぎで今いる実習生たちが
2020年の募集要項を作成しているところだ。
募集要項は僕は作らない。
それは手間を省くためじゃない。
自分たちの地域を作っていく人材に必要なスキルや
条件を考えるのは
彼ら実習生だからだ。
当然、僕も意見はするが
たたき台は実習生たちが作る。
というのは余談か。

ローカルスタッフは
直接的な利益を生み出すことはなかなかないだろうが
彼が実習制度の入り口と出口をしっかりさせることで
ただ単に奴隷制度と批判されるこの制度を
国際協力と地域同士を結び付ける制度へと
昇華させるのに欠かせない人材となるだろう。
インターフェイスの断絶や綻びが
生れている場所を
僕らの手の届かない部分で
彼が修正をしてくれるために
彼のエージェンシーを伸ばせるような
ローカルスタッフ配置としていきたい。




10月の出張は
自分たちの今後の営農や
その方向にとってとても大事なポイントとなるだろう。
そんな予感が強い。

生計調査は
それぞれ実習修了生のカテゴリ別に記録したが
改めてそのリンクをここに貼ろう。

ヘンドラの場合

レンディの場合

クスワントの場合

これらの調査を通じて
僕もそのインタラクションの影響を大きく受けた。
調査を通じて見えてきたのは
日本での資金では、その後何年もかけなければ
次の大きな投資ができなかったり、
その投資も数年以上は芽が出なかったり、
もしくはその業態でスケールアップするには
一から構築しなおすくらいの投資が必要だったりと
思った以上に苦労があるということだった。

これは僕自身も営農をしていて感じる点で
どうにかこうにか人をたくさん抱えるためには
売り上げをあげていこうとしているのだが
なかなかその部門を新設し育てきれない、という悩みがある。

彼らも現状で十分一般的な農家以上の販売力を
持っているとは思うが
まだまだ地域をけん引するような
そんな産業を生み出すまでは到底至っていない。
ま、僕もそんな感じだけどさ。

新しい投資が必要だと
本当に感じる。
それがインドネシアの金融機関がしてくれるのが
一番だが、そのチャンネルは
彼らの肩越しからは見えてこない。

あと
営農の変化や考え方の変化が
年に1回だけの調査ではもう追いつけないこともある。
卒業生も9名が活動しており
これからそれは増える一方になる。
時間的制約を受けながらの調査では
今回のように4人ほどが限界で
それを駆け足で行ったためか
今回初めて現地で医者にお世話になった。
そして
調査を受ける側も
僕のスケジュールに大きく左右されてしまうし。

マイクロクレジットを通じて
次のステージをと
実習生たちと一緒に作った耕志の会には
その資金が現在80万円ほどある。
だが、結成してから8年経つが
まだこの資金をマイクロクレジットとして
仕えていない。
仕組み作りはしているが、実際に運用に
誰がどうコミットするのかが決まらないからだ。
無給で借金の管理をする誰かが現地に必要で
不透明なお金の流れのままでは
あの不正や汚職大国のインドネシアでは
きっとあっという間に、
篤農家予備軍の彼らを汚職者にしてしまう。
それだけは避けなければ、と二の足を踏むあまり
お金が死に金になっていた。

もう待ったなしだ。
今回はそう強く思った。

で、だったら、
僕の代わりにインドネシアで
そんな業務をする人を雇っちゃおうか、
と思い至った。
それを農園たやの業務として
農園たやからの給与として、さ。

青年海外協力隊で農園のスタッフ立崎を
現地に派遣しているが
彼女は、学校の活動や今後農園が取り組むべき課題に向けて
別の大切な活動を任せている。
とてもそこまで手は回らない。

なので、
JICA基金で現地コーディネーターを務めてくれた
3期生のタタンをローカルスタッフとして契約をできないか
帰国後ずーっと交渉をしてきた。
そして先日、
ようやく業務内容や条件で合意に至り、
来年2019年の1月より
農園のローカルスタッフがインドネシアの農村で
活動を始める。

イメージとしては
生計調査と営農調査を毎月行い
投資に値する事業を実習修了生と作り、
実習修了生への農業技術の情報発信や
実習生の農産物を日本へ輸出するところまで見据えて
活動をする。
また農園たやでの技能実習生公募に対する
説明会を開き、より質の高い実習生を集めたり、
彼ら彼女らの
来日支援(借金なしで出発できるように)も行う。

これらが実現するかどうかは
とにかく来年ローカルスタッフと一緒に
汗をかきながら、インタラクションしながら、
考える場所に自分を置いて
過ごしてみることで
次も見えてくるんだと思っている。

さ、やることは多いぞ。
歩みは止めるなよ、おれ。


10月の出張の生計調査の一部を
記録しておこうか。

今回の出張では、
実習修了生たちの生計調査を
本格的に行った。
対象者は、ヘンドラ(第1期生2010年帰国)
タタン(第3期生2012年帰国)
クスワント(第4期生2013年帰国)
レンディ(第7期生2016年帰国)の4名。
他業務が多く、今回はこの人数のみ。
次回3月出張を予定しており、
残りのメンバーと、今回の対象者で聞き漏れがある場合の
追加調査を行う。

さて前回の本格的な調査は2014年。
少し時間が経ってしまったことは反省したい。
毎年インドネシアの実習生たちの地域へ
巡回は行っているものの
毎回、3日程度の滞在時間しかなく
ほとんど他の活動業務に追われ
実習生の詳しい生計調査はこれまで
おざなりだった。
しかし、昨今の技能実習制度の延長(技能実習3号)や
特定技能(特定技能1号、2号)による
外国人就労への門戸が開かれようとしている。
制度の目的は違えども
それらが日本の就労人口の減少に対応していることは
誰の眼にも明らかだろう。
外国人にも就労機会や選択肢が増えるのは
良いことだが
長く居る方が良いというわけは、必ずしもない。
出稼ぎで遠く故郷を離れて暮らす人たちは
色んな意味で大変だ。
文化・言葉・慣習から生まれる事象認識の違いから
小さなトラブルを抱えたり
対人関係で悩んだり
つまるところ、僕らの日常の悩みと同じだが
その頻度が多くなりがちだったり
その悩みの深さが相対的に深かったりというのも
異国もしくは異郷で暮らすものの悩みだろうか。

また実習生には
在留許可の実習が前提であるので
実習先を変えることが、難しい。
監理団体による調整によってそれは制度上は可能ではあるが
なかなか現実的には難しい。
だので、実習生たちは実習先とのトラブル
もしくはその環境下での生活のトラブルがあった場合で
そのトラブルを解決できない場合は
帰国を選ぶか、失踪するかしか選択肢がないのが実情でもある。
借金をして日本に来ている場合が多く
帰国は選びにくく、失踪するケースが増加するという
仕組みなのだろうか。
そういう意味では特定技能の在留許可は
外国人は労働者になり、
自分で職場の選択が可能になる。
ある程度は失踪には対応しているのだろう。
ま、期間があったり、呼び寄せる親族(扶養家族)が
違法就労したり失踪することは
十分考えられるけどね。

でも、それらの議論だけじゃ、やっぱり何かが足りない。
どんな制度だろうが、人と人との係り合いなのだ。
帰っていく人たちがどんな風な生活をしていくのか
それに向けてどんな支援をしたら、その子たちは
またその子たちの地域は良くなっていくのか
その視点って要らないのだろうか?
そんなことまで面倒見きれんよって言えるのだろうか?
それともそれはただのお節介なのか?

僕の農園では
実習生で年間に蓄えられるのは、多くて60万円~70万円程度。
法律順守で、
残業代も1.25倍で払って、でそのくらいが
これまでの子たちからの聞き取りから得た預金額。
帰国までの3年で200万貯められたら良い方だろう。
他も農業であればそんなに違わないはずだ。
かりにあと2年延長(実習3号)しても、
預金額が100万~150万くらいが増える程度。

で、僕は思う。
200万くらいあれば、それを元手に
それぞれの地域でアグリビジネスを起こし、数年で
年間で50万円くらいのビジネスに成長できれば
長く日本で働く意味なんてなくなるんじゃないかって。
ここの実習3年で得た資金と技術と知識と視点で
帰国後数年でランディングできるという選択肢が
彼ら彼女らにあってもいいんじゃないかって。
その事例がある上で
日本が好きなら、
ビジネスの才能は無いと思うなら、
就労機会に恵まれないのなら、
日本に来て働くという選択肢もある。
が、いくら長く居ても
上記の「日本が好きだから」以外の理由だと
帰国後のシナリオはあまり変わらない気もするけどね。

だから僕は
生計調査をして
本当はどうだったのかを検証したいと思っている。
その上で、僕にできる次なる支援の在り方を
さぐっていきたい。
「帰国して故郷に錦を飾る」ということが
外国人労働者のひとつの選択肢として
存在させるために。

生計調査の結果は
次回へつづく


コーヒーのセミナーは
1期生のヘンドラと7期生のレンディの
グループで行われたものに参加した。
どちらも集落長に就任していて
ヘンドラは2016年からで、レンディは今年2018年から
集落長を務めている。
どちらも若くにして集落長になっていて、
頼もしいかぎり。

今回のセミナーでは
4期生のクスワントも含めて3会場で行われ
それぞれのリーダーがそれぞれの地域や
人材、必要技術などを鑑みて、
自由にアレンジして開催された。
開催時期や場所もそれぞれのリーダーに一任されている。
クスワントのセミナーはすでに9月に行われており
お祈り後の夜7時半から行われたため、
僕や現地の立崎はネット回線で参加している。
この辺りの事情は、彼らへの社会生計調査で
明らかになっているので、また別のエントリーに譲りたい。

それぞれにアレンジされてはいるが
セミナー自体の内容は大体、
栽培技術や収穫後の調整の仕方などに特化していた。
特に剪定方法や種苗選び、施肥、
コーヒー豆の一次加工のクオリティ(グリーンビーンズ)などが
その講義の中心だった。
細かい技術的な話は
ここでは省きたい。

さてセミナー開催はそれぞれ
ヘンドラは10/19(金)の午後からで、
レンディは10/20(土)の午後からだった。

参加者は、
ヘンドラが25名を想定していた中29名
レンディは35~40名の想定で、その半分くらいだった。

開催場所は
ヘンドラが自宅だったのに対し
レンディは村役場の会議室だった。

人が集まったのはヘンドラの方だった。
それで彼に求心力があるというわけではないだろうが
人が集まりやすい日時を選んだということだろう。
金曜日はイスラムのお祈りの日で
昼前にみなモスクへ行ってお祈りをする。
そのお祈り後は、比較的ゆっくり過ごすのが慣習で
今はちがうだろうけど
僕が協力隊の時は(今から20年前)
公務員は金曜のお祈りに行ったら、
事務所に戻ってくることはなかったのは余談。
ただ村ではその流れがまだあるらしく
お祈りの後の午後は自宅でゆっくりすごすことも多いらしい。
ヘンドラはお祈りで集まってくる人たちに
この後セミナーがあることをリマインドし、
その思惑通りたくさんの人が参加してくれた。

レンディはややかわいそうだった。
彼がこの日程を選んだのは彼自身が決めたのだが
それは僕の来イの日程に合わせてくれたのが
その理由の大きなところだった。
だから本当は、僕が行くと言わなければ、
きっと彼も夜や金曜日の午後に開いていたに違いない。
それにその土曜日は彼の集落の近くで
金持ちの割礼のお祝いがあり
出し物や屋台が集まってにぎやかにやっていたのも
思ったほどの参加者にならなかった理由だろうか。

ヘンドラのセミナーは自分たちの先進地視察の画像を
スライド的に見せて端的にプレゼンをし
その後、
スメダン県の農業事務所の職員によるレクチャーが行われた。
県職員にとっても農家主催のセミナーに参加することは
ほとんど初めてだったようで
そのことをしきりに取り上げて話をしていた。

レンディのセミナーもアイディアはすこぶる良かった。
彼の地域:パガレガンでは、2014年に台湾で行われた
コーヒーの国際品評会でグランプリに輝いた団体がある。
今回はそこの責任者とスタッフ3名が講師役を務めてくれ、
世界一になったコーヒーをその場でふるまってくれるなど
とても興味深い内容だった。
その団体の責任者が
「パガレガンを世界一の産地にしたい」と
熱く語っていたのが印象的だった。

それぞれの地域に即した
またはそれぞれのリーダーが見据える
未来の在り方に合わせて
開かれたセミナーは
その違いも含めとても面白かった。
そしてそれ以上に、
卒業生の彼らが実際に地元でリーダーになっている
その姿に感動した。
既存の形ではない、新しいリーダーを
農村が変わっていく中で
農村が主体性をもってその変化へ進んでいくためには
必要としていることを強く感じて20年。
その模索として、技能実習生を受け入れて10年。
絵に描いた餅だと卑下もしたが
それでも彼らと語り合った10年。
本当にリーダーになるんだ、と
たぶん自分が一番驚いていた。
彼らの晴れ舞台を
共有できたのが今回の大きな収穫だったろう。



夏の大量発注がひと段落し
さつまいもも掘り終え
セロリや大根の間引きも順調にこなし
すこし気分的にも余裕が出てくる昨今。
とはいえまだまだ農繁期。
年末の大量需要に向けて
農園は大量に播種をしている真っ最中。
それにもかかわらず、
今回、10/17~10/24までインドネシアへ出張をした。
これはその記録。

まずは今回の出張に協力的だった
社員みんなにお礼を言いたい。
すばらしい社員のおかげで
憂いなく出張をし、
ミッションを達成することができたからだ。

さて、
今回の出張は
いくつかの目的があった。
一つ目は、技能実習卒業生たちの活動だ。
農園で受け入れていた技能実習生の
卒業生たちが今年もグループで活動をしており
その活動がJICA基金の採択事業となったのは
以前紹介した通りだ。

そのエントリーはこちら

彼らは今、小規模コーヒー栽培のプロジェクトを行っている。
プロジェクト内容は
グループのリーダー格が
先進地2か所を訪問し
そこで得た知見を
グループや周辺住民へシェアするために
セミナーを開催。
そしてその技術や知見に沿って
生産を開始するという3段階のプロジェクト。
この2段目のセミナー2か所に参加することが
僕の一つ目のミッション。

二つ目はこれ。
今年は農園で技能実習生を受け入れて
10年目の節目の年である。
ある程度卒業生も現地で根を張り
そこそこの地位に就く人もいる。
これまでも巡回指導と称して
年に一回程度は
みんなの話を聞いてきたが
社会調査としてのインタビューまではしてこなかった。
そこで今回を節目に
詳しい調査を行う事ことを決めていた。
ただ、9人も卒業生が居て
全員を調査することは無理なので
今回はコーヒー事業を行う4名だけに焦点を当てて
調査をしてきた。
これにかなり時間がかかった。
一旦質的インタビューをするとなると
どうしても一人半日は必要になるし
その一件のノート起こしだけでも数時間を要する。
さらに卒業生は比較的近い地域にいるとは言っても
往復で7時間ほどは車移動が必要で
移動するだけも一苦労の中での調査。
おかげで体調を悪くして病院に駆け込むことになるのだけどね。

三つ目はタンジュンサリ農業高校との会談。
実は、前回の訪問から今回の訪問の間に
校長先生が新しく変わっている。
しかも
今回は学内から校長に昇格したのではなく
まったくの畑違いの教育省つながりの
他校の校長先生がスライドして
タンジュンサリ農業高校の校長になっていた。
僕たちが今まで培ってきた関係性など
まったく知らない人が
校長になっていたので
この方にしっかりとこれまでのプロセスを理解してもらう。
それが三つ目の目的だった。
ただこれはもう少し先の目的も含まれている。
現在農園のスタッフを同校へ
青年海外協力隊として派遣中だが
そのスタッフの次も僕らの農園から
派遣したいという申し出というか
ま、ズバリ言うのなら
農園とタンジュンサリ農業高校とJICAで
民間連携の案件として
派遣契約を結ぶことに同意してほしいという
ところまで突っ込んで了承を得るというのが
三つ目の最大の目的でもある。

四つ目は
その三つ目の約束事を確実にするために
JICAジャカルタ事務所に訪問して
僕らの想いを伝えると共に
事務的な日程や手続きの確認等を
担当者と行うことだった。

五つ目は
派遣したスタッフ・立崎の活動を見学すること。
ま、これは報告書を定期的にもらっているので
それほど心配はしていないのだけど
せっかく行くのだから見たいなぁって。
ただ、あまりの日程の詰まり具合に
さすがにこの五つ目のミッションだけは
全うできなかった、というのだけは
ここに記しておこう。
次回は、彼女の活動を見学したいね。

と、まぁ、
これが今回の出張の目的である。

成果については、次回に譲ろう。




忙しい時に
忙しいことが重なる。
これは世の常である。

この忙しく
そしてとんでもなく暑い時に限って
仕事だけでなく、それ以外の活動も
忙しくなったりもする。

梅雨明けから、
ようやくJICA基金の話も動き出した。
今年は小農の持続可能なコーヒー栽培研修&普及の
プロジェクトを
農園の実習卒業生たちが企画していて
その資金をJICA基金に出してもらうことになっている。

ただ今年は
いつもの年よりもかなり会計が厳しい。
これまで比較的にチェックが甘かったJICA基金だったが
今回からはプロポーザルの段階から
正式な相見積が必要だったり
プロジェクトの日程や参加人数などを
確定しなければいけなかったりと
やりながらどんどん大きくしていこうね、といった
曖昧なプロジェクトはダメらしい。
ま、そりゃそうか。

ただ、インドネシアの
しかも農民レベルだと
そのきっちりと初めの段階から決めて
その通りに動くというのが
現状にそぐわないというか
違和を感じるようだ。
ま、それもわかるけどね。

かくして
JICAとインドネシアの農民たちの間に
このクソ暑くてクソ忙しい時に
しっかりと板挟みになっております。
うふふ。

見積りは結構インドネシアの田舎では難しい。
見積りはとれないことないけど
正式な見積もりを取ると
それは購入の意図になるので
相見積を正式にとると
やはりそれだけで問題になったりもする。
電話で問い合わせたりだけならできるのだけど。
価格が分かる感じで書面で欲しいです、
というJICA担当者の言葉も解る。
だって書面じゃなきゃ、チェックできないしね。
この調整にずいぶんと時間がかかった。
なんせインドネシアで見積もりを取るのは
ここを卒業した農民で、
しかも、当然だけど
地域リーダーとして第一線でがんばっている子たち。
そんな子たちをつかまえて
スカイプなどで
テレビ電話をしながら
こちらの欲しい情報の指示を出す。
言うのは簡単だけど
やると結構時間もかかるし、
そもそも彼らの生活世界の中の意識に
見積り自体がないので
それがどういうモノかを説明するのにも
かなり時間がかかった。

なんどかJICAから不適切だと指摘を受け
なんとか最終的に受理されたのが
7月上旬。
そこから本契約になり、
JICAから入金されるのが7月の最終週。

だが、活動は8月上旬から予定されているので
ひとまずは、日本の僕らの自己資金で立て替えて
その資金をインドネシアに送らないといけない。

この作業もまたスムーズにはいかない。
海外送金を受ける口座はローカル銀行の
ローカル支店で、支店の行員も
ローカルな意識どっぷり。
郵便局の国際送金サービスを利用したのだけど、
それに必要な情報を現地の農家が
ローカル行員に尋ねて送ってきてくれた情報は
2回とも郵便局で不適切として受理されなかった。

インドネシアの大学院時代の知り合いに
協力を求めれば
たぶん早々に送金できたのだけど
それをしちゃうと
せっかくの農家の学びというか
そういう経験値を奪うことになる。
送金できるかどうかも大事だけど
グローバルな意識をその生活世界に埋め込むには
こうした面倒なことも
いちいち付き合っていく必要はあるわけで
暑さで削られていく中では
僕にも少し堪える作業だった。

その後、こまごまと
郵便局やローカル銀行との調整はあったが
なんとか送金は完了。
これで
小農による持続可能なコーヒー栽培の研修事業は
スタートを切れることになった。

と思う。たぶん。


雪害を受ける前の2018年の1月。
僕の農園を卒業した
インドネシアの技能実習生グループと一緒に
JICA基金の枠で
事業提案を行っていた。

2016年にも一度採択事業となり
技能実習生のグループ化を図る事業を行っていた。
その時の成果から
2018年にいくつかのグループを作り
より高収入を得るためと
より持続的な農業を目指すために
環境に寄り添ったコーヒー栽培をしようと
実習卒業生たちと議論を重ねてきた。

その事業提案が
この度、めでたく採用となった。
ハウスの再建の中
なかなかハードなスケジュールになるが
インドネシアの農村開発も同時に進めていきたいと思う。

技能実習制度は
海外への技術移転という名目だが
ほとんど技術移転を担保するような研修にはなっていない。
また熱帯と温帯の差、
社会的価値の差、
市場の差、その他もろもろの差があり
日本のやり方のほとんどが通用しない。
通用していれば、青年海外協力隊で
みんなあんなに苦労しないよね!
なので、農園では考え方や視点を鍛えることに
主眼を置いて、経営に対する考え方などを
たたき込んでいる。
もちろん、あちらの社会に接合できそうな
技術などは実習生と議論をしながら
勉強もしてるけどね。
つまり、余談だが、
そういうアダプテーションができる人間でなければ
技術移転なんてもんは上滑りするってことなんだけど
それはまた別の機会に。

雪でハウスが潰れる中
無理して3月の上旬に出張したのも
この仕込みをするためだった。
事業採択となり
とりあえずホッとしてるが
ここから1つ大きな活動が増えることになり
今年もかなり激務になるだろう。
でもこの刺激が
僕らのモティベーションでもあるので
手を抜かず、まい進していきたい。

仲間たちと一緒に
西ジャワ州で持続可能なコーヒー栽培の研修を
これから作っていこうと思う。
日本に居ても
協力隊の時のような
こんな刺激を受けられるのは
本当に幸せだと思う。


めまぐるしく変化する。
いろんなことに火を付けてきたけど
なかなか着火せず、
やけになっていろんなところに火をつけたら
ここに来て
全部燃え出した。
そんな感じ。
で、結果手が回らん、てか。

まずは技能実習生の
卒業生たちのプログラム。
インドネシアに帰国した実習生OBたちは
グループを作って勉強会を開いていることは
ここでもさんざん書いたが、
それが最近、なにやら不穏な雲行きに。

というのは、べつに勉強会が不活性化しているわけではなく
次のステージに向かおうと
ちょっと無理をしている、そんな感じ。

インドネシアに限らず
行政はなんでもグループが好きだ。
ま、それがインドネシアは顕著かもしれないけど、
帰国した実習生OBたちに
農業高校から
「いつになったらみんなでビジネスを始めるんだ?」と
圧力があるようで、
ここ数年のOBたちの言動が明らかに
それに向かって模索していた。
僕はそれぞれ地域も違うので
個々人がビジネスして地域リーダーになれば
それで良いと思っていたのだけど
どうも学校側の思惑はまた違うよう。

で、
あれこれ悩んだ挙句、
みんなでコーヒー農園を経営することにした
そうです。
そのプロポーザルを提出してきた。
というのも
僕らの支援は、技術だけでなく金銭的なことまで
踏み込んでやろうって謳っていて
その資金への申請だった。
日本円で30万円からスタートする
小さなコーヒー農園の計画書。
穴だらけだし
誰が主体になるのかや、
どうやってお金を返すのか、
離れた地域のメンバーの
メンバーシップをどう醸成するのか、
トライアル農園って位置づけだけど
他の地域で(とくに標高の低い場所)の
普及のカタチはどう考えているのか?
などなど
彼らの計画書からは見えないことだらけ。
いつまで経っても
こんなものかぁ~と
文句を言いながらも
僕は笑いが止まらない。
自主的なこういう計画が
出てくることが
とてつもなく楽しいからだ。

こういう計画書みつめていると
なんか僕も夢見ちゃうよなぁ。
遠く離れた異国の農民同士は
TPPなどに見られるように
従属論の中では敵対関係におかれるという
セオリーを乗り越えて
僕はここに居て
それでいて彼らと一緒に
発展する農業を作り上げたい。

ま、そのまえに
プロポーザルの直し指導だけどね。


今日、農園の期待のスタッフ、
すーちゃんこと立崎が
青年海外協力隊の二本松訓練所に
入所する。

農園のスタッフを
インドネシアタンジュンサリ農業高校に
送ろうというのは
ちょっと前から考えていたけど
具体化したのは昨年くらいから。
もともと
留学中にインドネシアの農村のこれからと
日本の農村のこれからを考えて
本当は反対していた
技能実習生を受け入れる事にした
その辺りから
こういうことが出来たらいいな、の一つが
農園のスタッフを
技能実習生を送り出してくる地域に
送ろうっていうこと。

僕らはどうしても解釈するのが好きなので、
現状のトレンドから歴史を
再解釈したがるし(大河ドラマも今の歴女の言説も気分は良く似ている)
進化論の影響を受けて
発展については単線的な
不可逆的な道筋があると思い込んでいる。
これを壊していくことが
農業と農村のこれからを考えるもっとも
重要なことだと
僕は協力隊と留学を経験して
思い至った。
そして10年、技能実習制度を利用しつつ
インドネシアの農村とのかかわりを持ち続け
人材育成とビジネスのアドバイスをし続けて
その思いは、もはや確信でしかない。
そう、
だから満を持して
スタッフをインドネシアの
タンジュンサリ農業高校に送るのだ。

で、
フロンティア精神なんてもんじゃなくて
日本の先進農業を教えるでもなくて
交流が大事ってことも越えて
協力隊スキームで、
インドネシアの農業・農村問題と
日本の今僕らが直面する農業・農村問題との
グローバルかつ同時代的な部分を
共有し
そこから見える未来を
これからの農業教育の在り方でも良いし
農村の発展でもいいのだが
僕らはそれを係わるアクターみんなで
眺めようってことをやりたい。

とりあえず
立崎には
暉峻 衆三 著 「日本の農業150年―1850~2000年」 (有斐閣ブックス) を
手渡した。
農業の変遷を構造的に書かれてる良書。
これをまとめて
インドネシアの農業高校で
授業できるようなプレゼンシートを
農園の坂本と僕と立崎とで作ろうと思う。
単線的な発展でない事
それぞれの時代でそれぞれの
前時代から引きずる社会構造が
影響して今に至ることを
日本とインドネシアを対比しながら
まずはお互いの視点をすり合わせてみたい。
その先に何が生まれるのかは
あとはそれぞれの隊員としての
資質やインタラクションによる奇想天外な
結果によってもたらされるだろう。
だから尚更
わくわくしてたまらない。
立崎や坂本を通じて
ここで農業をしつつ
僕ももう一度協力隊に戻ろうと思う。



昨日はいろいろとあった日で
朝は集落の江掘り、
昼は農政連で国会議員との意見交換会(ブログ記録済み)
夕方はインドネシアとつないで勉強会だった。
合間に仕事。

で、今回はその勉強会について
記録しようと思うのだが、
発表者はこの前帰ったレンディで
卒論の内容をそのままプレゼンしていたので
特段新たに記録することはない。
ただ、この勉強会の始まる前に
クスワント(4期生)が
「グローバリゼーションと農業の授業がある日を教えてほしい。僕もスカイプで参加したいので」
と申し出があった。
彼は研修中もこの授業がいたく気に入っていて
卒論もそのグローバリゼーションの中で
伸びきっているグローバルサプライチェーンについて
調べ上げたりしていた。
時間を教えてくれれば、自宅でスカイプを繋いででも
参加したいとのことだった。
いいよ、いつでも参加しなよ。
スカイプの通信料は結構高くなるけど
それでも構わないという。
そこまで気に入ってくれると
やっている僕としては
素直にとても嬉しい。

そうだね、授業はもっと
オープンにしても面白いかもね。
インドネシアで見たい人たちに
いや日本にいるインドネシア実習生で
こういうことを勉強したいと思っている
そのニーズに応えられるように
していくのも面白いかもしれないな。

とりあえずは
クスワントに向けて発信してみようか。



23日の福井新聞で
取り上げていただいた。

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このブログでも
農園のスタッフを協力隊として送ることは
これまでも書いてきた通りだ。
農業というその土地に縛られる生業は
その特殊な生産のカタチによって
僕らは生態系を作り上げてきた。
たぶん、これからもそれは
この産業の、そしてこの生業の
主たる生態系として
僕らの考えや生き方や文化や人間関係に
大きく影響を与えることなんだろうと思う。
でも、その一方で
グローバルなつながりは
決して消えることなく
むしろ加速していくのも間違いない。
だからこそ僕らは前衛的に
農業の垣根を少し広げる作業に
着手することにした。
その一つが
スタッフを有給休職の条件で
インドネシアの今、農業研修で関わってもらっている
タンジュンサリ農業高校へ
青年海外協力隊として派遣する。
これでインドネシアの
農業教育と地域開発に
いよいよ農園が主体的にかかわることができる。
それが経営にどれほどの利点があるのか
と問われれば、やや説明し難いが、
その問い自体が近視眼的だと
今は批判したい。

2月の最終日に
機会を得てある雑誌の企画として
師匠と仰ぐ白石さんと対談した。
その時に思ったのは
僕が白石さんから教えてもらったことは
固定化した農業のイメージに切り込んで
次の世代に新しい農業の地平を
見せていく力だと思った。
僕もそうあろうと思う。


まず、純粋にこの旅は楽しかった。
1期生のヘンドラから7期生のレンディまで
カリマンタンに行ってしまったカダルスマン以外の
7名全員がマラン・バトゥの街に揃った。
まるで夢みたい。

農業研修なんてしても
結局、それぞれ農業以外の儲かる仕事に
就くのかもしれない。
そんな想像は常にあった。
農業なんて儲からない、と出来る奴であればあるほど
離れていくのだからしょうがない。
それは彼らがそれだけ優秀だったんだと
まだ始まってもいない未来を
勝手に想像して自分に言い聞かせていたころもあった。
でもなんだかんだあっても
農業研修を受けた連中は
地域のリーダーになるために
一心に営農とその壁にぶつかっていった。
その深度は
彼らの目じりのしわや
ただでさえ黒い肌がより黒くなっていることで
容易に想像できた。

今回の旅は
大学院で同級生だった現在大学教員のアニに
コーディネートを頼んでいた。
彼女には1期生から現在まで
村落ポテンシャル調査を依頼している。
彼女にとっても
研修卒業生たちは自分の弟
もしくは息子のような存在らしい。

彼女の提案した訪問先は
大きく3つに分かれていた。
老舗の観光農園グループ、
野心的なブローカーを中心に集まった若手のリンゴ農家集団、
そしてカリスマ農業者を中心に
大規模化している農家グループ。

これらについてひとつひとつ僕の目線で書いても良いのだが
来週中にも彼らから報告書が上がってくる予定なので
それをもらってから彼らの肩越しに書くことにしようか。

今回の旅では、
卒業生たちは
とにかく質問はそのグループの成り立ち、
どうやって市場を見つけたのか、その出会い方、
グループの運営の仕方、
といったマネジメントの部分に特化していた。
リンゴやキノコといった品目が栽培したいわけじゃない。
だからその栽培技術云々は特に
彼らの関心ごとではなく、
そこに至るプロセスの分析に集中していた。
現状を分析し
歴史を知り
その成り立っている要因と生態を浮き彫りにして
未来を想像し、そしてそうなるように創造する。
これが僕の研修の肝だった。
だから、それが少々いびつで
少々出来が悪い感じもしないでもないが
彼らの質問と視点からその姿勢が
うかがえたことが
とても嬉しかった。
あとは運があれば、きっとうまくいくだろうな。
彼らの報告書が楽しみでならない。

次回に続く


インドネシアの東ジャワに
リンゴで有名なバトゥという町がある。
今回はその町を訪ねた。
農園で研修を終えた卒業生たちが
今、集まって勉強会を開いているが
勉強会でスタディツアーに行こうと盛り上がり、
今回、バトゥへの旅行へと相成った。
ではなぜリンゴなのか?
卒業生の地域でリンゴ栽培に適しているからか?
そういうわけではない。
彼らは栽培技術的な面でリンゴを
捉えようとしているわけではない。
リンゴの生産組合はなぜグループ化に成功し
なぜリンゴは有用な品目として
バトゥの地を有名にせしめたのか、
そういうマネジメントの部分を勉強しようという旅だった。
卒業生たちは
それぞれに自分のビジネスをしている。
地理的には必ずしも近いと言えないこともあり、
それぞれの地域で自分のグループを作ったり
もしくは個人で営農やその周辺のサービスを行っている。
その一方で、個人の営農の限界、
特に輸送やマーケティングでの絶対量の少なさ、
個別対応によるコスト高の壁、
市場への安定供給の実現が個人の能力を超えている事、
情報収集の個人や小グループでの限界、
こういった壁を突き破れないでいた。
僕の農園であれこれと成功事例を分析し
彼らに成功のカギを伝授してきたつもりだが
これらの壁を打ち破っていくには
かなり投資をしていかなくてはならず
その投資のリスクを考えると
スケールアップできず、今日まで至っている。
小農は小農のままなのだろうか。
そんなあきらめも僕の中にはあった。
が、彼らは諦めていない。
耕志の会のインドネシア本部を作り、
月1回の勉強会を行い、
それぞれの課題に向けて少しずつだが
進み始めている。
その挑戦を大きく後押しするための
今回のバトゥへのスタディツアーである。

ちなみに
この旅の企画や実行、
質問の役割分担、またレポート作成は
そのすべての運営は、卒業生たちグループによる。
僕は、ただ「ついていった」に過ぎない。
僕からのアドバイスもほとんどなかったし
質問の中で僕が何かコメントを求められることもなかった。
考えなければいけないことは
もう彼らが分かっている感じだった。
あとありがちな観光地巡りすらもなかった。
全日程、農家や市場や有力者へのインタビューに費やされた。
僕が代表を務める
農協青壮年部の研修旅行の方が
ほとんど観光地めぐりなのに。

次回に続く







記録しないといけないことが
毎日山のようにあるのだが
今年は筆が進まない。
今月は特に
気分もすぐれないし
感情の突起も多いような、そんなような。
これが良く聞く更年期障害ってやつだろうか。
というのは余談。

さて、
まずはJICA基金について書こうか。
インドネシアの農民子弟を
農園で受け入れて農業研修を
技能実習制度を利用して行っているのは
これまで嫌というほど書いてきた。
めでたく、今年10人目のデデがやって来て
卒業生も7名になった。

そんな中、
今年卒業生たちが勉強会を立ち上げた。
僕らがここでやっているような勉強会を
インドネシアの農民たちとやるんだと言って。
僕も通信事情が悪い中、
Skypeなどでその勉強会に参加して
コメントをしてきた。
その勉強会と今後の方向性としての
共同栽培や共同出荷も視野に入れた
農業団体を立ち上げに向けた準備に入ろうとしている。
その活動を何とか予算付けして
盛り上げてあげられないだろうか?
と僕は今年
JICA基金にアプライをしていた。
(JICA基金の詳細はリンク先で)

それがこの10月めでたく採択事業になり、
現在、その書類を作成し、業務提携に向けて
動き出している。
現地でも口座の開設やこれからの方向性を
探るため
僕の友人でジュンベル大学の教員である
アニ女史が中心となって
フォーカスグループディスカッションを行い
それぞれの営農の問題点と
組織活動の意味を確認した。

このJICA基金では
農園と卒業生の現地との双方向性の
情報やり取りの拠点を作ることと
彼らの勉強会を支援すること、
また外部講師を招いて農民へのセミナーの開催や
そして今後生まれてくるであろうと期待する
農民支援組織の結成に向けて
インドネシア国内の
先進地を視察しようという活動だ。

さてさて、どこまで
福井で営農をしながら
こういう活動を支援、また係っていけるかは
かなり不透明で不安もあるが、
資金を取った分、その責任も大きいので
しっかりとやっていかないとな。
なんてプレッシャーがかかる
今日この頃である。
この案件を眺めている。
ちょっと複雑だが、
このページに
これが上がっているその事実に
涙がこみ上げてくれる。

その案件はこちらのホームページに。
http://www.jocv-info.jica.go.jp/jv/index.php?m=Info&yID=JL00616B11

こういう案件をいつかはと思い
この10年を過ごした。
自分だったらこういう活動をと
思って温めてきた10年だった。

青年海外協力隊の時、
当時の調整員と一緒に2つほど
案件の調査をしたことがあった。
あの当時は
その時の自分の能力的に
こういうことなら可能だろう、と思い
案件について隊員として意見を言った。
結果として
それはあまり良い案件にならず
派遣された隊員からは
なぜこんな案件なんですか?と
その後詰め寄られることもあった。
ちょっと苦い思い出。
こうやって案件は作られるんだって
勉強にもなった。

あれから留学もし
ある日本の高校と
インドネシアの高校とを
橋渡しをして15年の月日を費やした。
そのインドネシアの高校から
農業の研修生を受け入れて
関係を深め
相手の地域開発に深くかかわるようになるまでに
僕は10年を費やした。

今回のこれは
僕個人的にだが、
僕の10年だと思っている。
これに行く人間が誰かは
僕にはわからない。
そのことがちょっと複雑。
これに行く人は
それがわかっている人なのか
それがわかっていない人なのか
そのどちらかは僕にはまったくわからないが、
僕は言いたい。
これは僕のこれまでの10年の
涙と汗なんだって。

もう僕の手から離れていくかもしれない
これは、
僕の10年だったって
僕は言いたい。

その10年が
このページにアップされている。
その事実に今は
流れる涙はそのままにしよう。



研修卒業生のクスワントが
耕志の会にクレジットを申請したいと
申し入れがあった。
乾季でも水が使えるようにと
自分の農地に井戸を掘りたいらしい。

耕志の会は、
インドネシアの研修生と
農園のスタッフ有志とで
お金を出し合って運営している。
繰越金も増え、その分を
インドネシアに帰った卒業生を支援するお金として
マイクロファイナンスもしちゃおう、と
用意してきた。
だが、これまでは誰もそのお金を借りたいという
卒業生はいなかった。
というか、そこまでビジネスとして
卒業生が育っていなかった。
ここに来て
ようやくその成長の兆しが
見えてきたってわけ。

一応、マイクロファイナンスの
ルールらしきものは以前に考えたのだけど、
日本人側の基準で考えすぎていた部分もあったので
今回改めて作り直すことに。

まず今農園にいる研修生3名で
その素案を作ってもらった。
インドネシアでお金を借りる時の
彼らにとっての一般的なルールを反映させてもらう形で。
こちら側のルールだと
その内容を正確に想像できなくて
認識のずれが生まれてしまうので。

さて、彼らから出てきたルールは
返却のスピードと支払いの回数などに
少し違いはあったが、僕らの想像を超えるものはなかった。
これをたたき台に
皆で話し合いを開いた。
一番の議論は、
お金が返って来なかったらどうしようか?
ということだった。
ま、原資が減るから、
その心配はもっともだわな。
しかも貸し付ける相手は、遠く南の島の連中だものね。
まず、僕らがお金を回収することは不可能だろう。
幸か不幸か、
今年、インドネシア側にも卒業生の団体が立ち上がり
(Yayasan kuncup harapan tani:耕志の会のインドネシア版)
活動を少しずつだが始めている。
なので、資金回収はあちらの団体が行い
お金の管理はあちらの団体の口座で行えば良いだろうね。
で、会議での意見としては
返してもらえなかった時に担保を現金に換えて
損失に充てるってことだった。

でもさ、お金を貸す相手は、
ここで3年研修を受けた仲間たちなんだよ。
しかも耕志の会の余剰金は彼らの会費からも
出ているわけだしね。
あと、僕らはお金を運用したいわけじゃなくて
お金を貸して彼らの資金を活かしたいんだよね。
取り立てを厳しくすると
貧困に逆戻りになるんじゃないのかなぁ。
そりゃ、条件を厳しくしないと
お金をもらえるものだと勘違いされても困るんだけどね。
でも、もう、僕らはそんな関係じゃないと思う。
僕は、基本的にだけど人は皆、
良い人なんだと思っている。
つまりは性善説の立場。
それがどうしてもご縁で自分の不利益になるような
振る舞いになったりすることもあるのが
人との関係なんだろうってね。
お金を騙しとろうと思っているのだったら、
それを見抜けずに貸した側にも
問題があったんだと思う。
マイクロファイナンスの利用に
ビジネスプランを出してもらって
それを僕たちが精査して
これなら儲けられるでしょう、というものに
お金を貸すのだから、帰って来なかったら
そりゃ、貸した側の目が節穴だった、
ということなんだとも思う。

現地の卒業生たちにも審査に入ってもらって
最終的に日本ともSkypeでつないで話をして
そんで貸せば僕は良いと思う。
こんな笊みたいなお金の貸し方は、
笑われるかもしれないけど、
僕は制度じゃなくて関係性の中で
地域づくりをするというスタンスを
これからも貫きたい。



ちょっと今、いろいろと取り組みを
水面下で行っている。
インドネシア農業研修事業が
このまま研修を永遠と続けるのが
僕の本意ではなく、
もちろんその先には、
もっと違った目的があり
その目的に向かっての行動になる。

とはいっても、
僕一人がそれを夢想していて
それをやりたいから
それをやるというものでもない。
ま、当然と言えば当然だけど
その目的を共有する仲間が居ての話だよね。
この目的を共有する仲間作りが
僕のインドネシア農業研修事業の
そもそもの目的だったともいえるかな。
ここにくるのに10年かかった。
ちょっと長かったなぁ。

今、ちょっとした事業を起こすにあたって
ある団体にあることをアプライしようと
みんなで画策していて
そのプロポーザルが
インドネシアの研修卒業生たちから送られてきた。
中身に対しては
僕は一切の指導は行っていない。
彼らには研修で指導した以外は
後は僕は彼らとは同志であり
指導する立場ではない。

さて本来ならその活動内容は
まだまだ中身を皆さんにお知らせするわけには
いかないのだが、
そのプロポーザルの序文が
僕の胸を強く打ち、
これまでの苦労とかもう全部飛んで行ってしまうような
そんな感動があったので、
序文だけでも日本語訳して
ここに記録しようと思う。
インドネシア語を直訳に近い形で訳してあるので
意味がおかしいところもあるが
それは僕の能力のなさなので
許してほしい。
ただ、インドネシアの農家が
こういう視点に立って
行動を起こそうというそういう姿勢が
僕を強く揺さぶる。
そういう意味を持つ文章。

以下、あるプロポーザルの序文

我々農園たやで研修をした卒業生にも言えることだが、インドネシアでは、農業は多くの民衆の生活の場である。そこには、神の恵みからいただいた豊かな自然が存在している。しかし、我々はその恵みを最適に扱うことがまだ出来ていない。そして同時に、先端技術の活用も出来ていない。それは、それを実践するために必要な知識やファシリティが足りないからでもある。

進んだ技術というのは、学校や講座で使われるのみで、実践レベルではまだ活用が進んでいない。それは農家に対してのインフォメーションや関心を引くような学習会が足りないということと、今の若い世代が農業でビジネスをしようという関心を持ち合わせていないことから生まれている。

今の農家は皆、高齢者である。本来であれば、グローバルな状況と近代的な農業への転換に向け、若返りは必至だ。我々は日本への研修という機会を得て、技術的に、農業インフラ的に、市場システム的に、自分たちの農業がどれほど取り残されてしまったものなのかを十分思い知らされた。だからこそ、農業の発展のために情熱を持った若い農家がこれから必要だということを知った。

民衆のライフスタイルはすでに向上し、求める野菜も多種類になり質的にも高い物を求めている。しかし、我々の農業の状況はいまだに世襲の惰性で行われており、こうした要求に応えられていない。それどころか、アセアンの域内自由貿易により地元の農家は他国から入ってくる農産物との競争にさらされていて、厳しい状況に置かれている。

ビジネスの決定的要因である市場は、長く伸びきったサプライチェーンによって農家の利益に味方していない。農家の販売価格と最終消費者の購入価格の価格差は広がる一方で、これは古典的な農業問題であるからなのか、農家もこの状況にすでに慣れてしまっている。このサプライチェーンをもしショートカットできれば、農家にとっても最終消費者にとっても大きな良いインパクトになるだろう。

サプライチェーン以外の問題としては、IZONシステムが挙げられる。これは、農家が栽培原資を持ち合わせていないことから、野菜の集荷商人からお金を借りて栽培し、その収穫物をその商人に売り渡す義務があるというシステムである。このシステムは農家にとってフェアではない。なぜなら買い取り価格はその商人が一方的に決めることができ、常に低価格だからである。交渉をするという選択肢が農家にはないのだ。

我々の願いは、こうした古典的な農業問題を解決する団体を組織することにある。我々の活動によって農家たちの精神と姿勢に変化を生み出し、グローバルな問題に対する認識を広め、新しい技術を学び取り、農業問題を一緒に解決するために行動し、そして持続可能な環境に適応した新しい農業を実現させたい。

我々の夢は、農業ビジネス支援事業である。正しい市場の情報を農家に伝え、新しい資材と農機具を提供し、農業の技術的訓練が出来る場所と機会を提供する。そして生産物のマーケティングも行う。そんな事業である。

この夢を実現させるために、我々農園たやで研修を受けた卒業生たちは、いくつかの活動(定例勉強会と先進地視察)を行っていきたい。定例勉強会は、公開で行い、農業の科学的知識を身につけていく。研修卒業生を中心に、農業高校や大学の学生、先生、また農家などが参加する予定でいる。

以上 序文終わり



研修の卒業生たちの勉強会に
Skypeで参加。
今回は、Wifiのつながりが悪く
画面は緑で、途中から映像はなかった。

発表者は第3期生のタタン。
帰国後、果樹の苗販売をしながら
大学の森林科に通う彼。
発表は、森林保護と農業。
インドネシアのような
広大で多様な島嶼国を
そのテーマで話すのは不可能なので、
今回の発表はあくまでスメダン県の付近の話だと
思ってほしい。

バンドゥンに隣接するスメダン県の
開発は近年顕著である。
高速道路の建設が行われ
東南アジア最大のダム建設だったり
その隣の県も大きな国際空港が予定されていたり、
と何かとにぎやか。
高速道路と並行して
幹線道路の拡張工事も行われていて
もう建設業界はウハウハだ。
バンドゥンから近いこともあって
有名大学が集中するジャティナゴール付近は
もう渋滞やら家の建設ラッシュやら
大型モールの出店やらで
てんてこ舞いさ。
こんな勢いは、今の日本にはないね。
さて、そんな中、
いつもマージナルに置かれるのが農業ってわけ。
農地は宅地に。
余った農業労働人口は都市へ。
農業で食べていこうという人たちは
出来るだけ辺境に追いやられていく。
で、問題になっているのが
国定公園など環境が保護されるべき場所が
違法に耕作されていくという現実だ。
押し出された農民が
新天地を探しての結果なので
構造的には経済開発によるものなのだけど、
そこはあまり考慮されず
ここだけに焦点を当てて議論されることが多い問題でもあるね。
で、タタンのプレゼンは
PHBMという住民と一緒に森を耕作し守っていこうっていう
プログラムだった。
アグロフォレストリーの考えを使って
耕作を禁止するのではなくて
それを耕作しつつ森林を育もうってやつね。
ま、考えはいいよ。それで。

でもね。
僕は最近思うんだよ。
農業が環境保護するのは、
環境に手を加えながら
自分たちの都合の良い形に
自然を少し触るような業種だからけど、
決定的に破壊しない方法をとるのが
生存戦略的には正しいので
その場に地縁を持つ人間であれば
徹底した収奪はしないはず。
環境保護と農業の融合は
だから良いと思うんだけど、
良いと思うんだよ、
でもね、
どっか引っかかるんだよな。
経済成長によって押し出されて
森の際まで人口圧が迫っていって
そこで環境が破壊されているって
そこだけをフォーカスして見ることが。
農業は産業だ。
だからその業種で働いている人の
生活がそれなりにしっかりとしていないと
この産業は斜陽になる。
生きがいとかじゃ、ダメなんだよ。
それも良いけど、それが全体じゃダメだ。

斜面で農業をするって大変だ。
棚田にすれば面積はこなせない。
機械化も難しい。
農産物や資材の運搬も大変。
そんなのをすべて含んでいるのが
森林保護と農業ってことなんだよ。
森林保護は持続できても
それは農業っていう産業の持続じゃない。

経済の発展と人口増加の現状を
その逆の下り坂にしても
結局中山間地に農業の問題を置き去りにしている。
農業は常にマージナルに置かれるってわけだ。
こういう議論の構造自体を
僕は強く批判したい!

という勉強会でした。
ごめんね、みんな。
多分みんなが議論したかったこととは
ずれた意見を提供したかもね。




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こんな日が来るなんて思わなかった。
といえば嘘になるか。
夢想はしていたけど
諦めてもいたし
勝手な期待は自分を傷つけるだけだから
と言い聞かせた時もあった。
でも、こんな日が来るなんてね。

それは農園の研修を卒業した
技能実習生たちが自主的勉強会を開き、
それに僕がSkypeで参加した事。
以前に長々と書いたエントリー、
年末年始のネットワーク作りで
卒業生たちがネットワークを作ろうと
盛り上がっていることは記録した。
そのネットワークの中で、
今回、記念すべき第一回の
勉強会が開かれた。
そこには
今まで僕が教えた
1期生から5期生までが顔をそろえ、
さらに意識ある高校生や大学のスタッフもいた。

今回の勉強会の発表は
1期生だったヘンドラ。
発表の内容はマーケティングについてだった。
マーケティングと書くと
なんだかすごいことをやっているようにも思えるが
彼の農産物を販売してきた経験からの話が中心だった。

ヘンドラは直接市場に持ち込まず
ブローカーへ販売をしている。
価格差は、市場価格と比べて
500ルピアだという。
市場の方が高く売れるのだが
買ってくれる市場内の商店や商人と
知り合いでない場合、販売は難しく、
また入荷量が多い場合は
その野菜を販売することすら難しいという。
その煩わしさが無いのが
ブローカーへの販売ということだ。
値段は500ルピア安いが
販売量に限度もない(上限が全くないことないだろうけど)。
販売に時間も取られないので
生産に集中できる。
この問題は僕らアンビシ勉強会でも
良く議題になるトピックだ。
生産者が必ず頭を悩ますテーマ
ともいえよう。
販売に力を入れようと思っても
大抵、自分か家族くらいでしか農業をやっていないので
その手間が出てこない。
でも単価は高くとりたいのなら
マーケティングしないと、と焦って
方々を営業に回り、イベントやマルシェにも出店する。
だが、販売に力を入れてマルシェを回っても
今度は生産が疎かになったりする。
注文を取っても
それだけ生産できなかったり。
またはその反対だったり。
そんな事ばかりだね。

ただヘンドラの言っていた
500ルピアの差額はちょっと気になる値段。
菜っ葉なら一束1500ルピアくらいが相場なので、
500ルピアも違うと、ちょっとブローカーは
暴利をむさぼっているようにも見えるね。

ディスカッションでは、
大学のスタッフの方から
日本での販売方法なんかをここで実践してほしいと
卒業生に要望があったり、
4期生のクスワントからは
新しい農業ビジネスが必要だという認識が語られたり。
実際にどうするべきかは、
話が進んでも五里霧中だった。
僕もアドバイスを求められたけど、
気の利いたことは言えず、
さっぱりダメおやじの体で座っていた。

ただ聞いていて思ったのが、
「それって農協じゃだめ?」ってこと。
委託販売では、ちょっとやっていけないけど、
買い取りして販売をしてくれる組織で、
自分の取り分を多くとっちゃうような
ブローカーじゃなくて、
農家の利益のために動ける組織って
みんな笑うかもしれないけど
農協なんじゃないかって。
少なくとも農業協同組合の理念には
そう謳われているよ。
今のカタチの農協が
そんな力も機能もないっていう人も多いだろうし
僕もそこに過度な期待はないけど、
でも初期の頃、
そう、まだぜい弱な市場と流通と
小農を代表する組織もなかった
そんな時代の、
もちろん日本じゃ、
そんな歴史も経験もないかもしれないけど、
そういう場合には
協同組合って案外悪くない気もしないでもない。

ただインドネシア語の語学力が
崩壊してしまっている現状と
協同組合の歴史も仕組みも
インドネシアでの法整備も
全く分からない現状では
僕の思いつきを会議の中で伝えることは出来ず、
1回目の会議は終了した。
ただの思いつきで終わるかもしれないけど、
でも、そういう農家に代わって販売する組織は
やっぱり絶対に必要だと
強く感じた。

Skypeを通じて会議に出られるなんてね。
福井の田舎に居ながらにして
彼らとこうしてまた問題点を共有し
一緒に歩めるという贅沢。
勢いのある彼らの勉強会は
感動と感慨深さがあった。
あああ、インドネシアは本当に発展するんだねって。
そしてそれと同時に
僕に能力が無ければそれでもう
お払い箱になってしまうような
そんな怖さもあった。
錆びついた語学力と
時代遅れになりつつある自分の学問。
ここからが僕が本当にやりたかったことなんだから、
僕もここが正念場だ。
僕もまた必死に彼らについていこう。
そう覚悟を決めた勉強会だった。




この夜のミーティングの結果は
すぐにタンジュンサリ農業高校側に伝えられた。
というのも、
以前にも書いたが
こうした活動を作ってほしいというのが
タンジュンサリ農業高校からの要望だったからだ。
ただし、それは2年も前の事だったけど。

ネットワークの中心として
学校の施設の一部を事務所として
借りられないか、というのが
僕たちの要望だった。
そして
その要望はまったく問題なく
受け入れられた。
良かった。

が、それで終わりじゃなかった。
校長先生は、
「ネットワーク作りは分かったし、勉強会やスタディツアーも大事だろう。でも、もっと踏み込んで農業ビジネスの展開が欲しい。君らなら出来るはずだ」
と、ちょっとこれまでとは
違ったトーンの話を始めた。
学校の施設を自由に使って良いから
もっと大きな農業ビジネスを実践してほしい
というのが学校側の要望として
今回新たに突きつけられたのだった。

僕が知っている校長は
とても温厚で、
こちらの要望もできる限り汲んでくれる
そんな方だった。
だがこの日は、少し違っていた。
どこか焦りのある、そんな感じだった。

「私はヘンドラが帰国して来てから、ずっとこの話をしている。学校でも農産物の生産をしているが、それは授業のためであって販売のためじゃない。でも販売もその実践としては言っているが、学校の先生は教育は得意でも作物の管理と販売まではなかなか業務が忙しくて手が回らないのが現状なんだ。だからヘンドラに、圃場の管理と販売のマネージャーになってほしいと何度も懇願したが、ヘンドラは地元にも戻るの一点張り。今回のネットワーク作りは大賛成だが、その活動だけをただ単に続けるのでは、納得はいかない。もう一つ踏み込んで、学校のハウスや畑などの施設も使って、このメンバーでマネージャーを務めて、農産物の販売に大きく踏み出してほしい。卒業生の中で大きな農家として名をはせたものもいるが、その中に君らも入ってほしい」
そんなことを校長は話した。
それも繰り返し繰り返し。
しつこいくらいに。。。
その都度、僕らは答えを濁した。
それぞれがすでに始めている
農業や仕事があるからだ。
校長のいうことも分からないでもないが
それをやるには
今、それぞれがやっている事との
同時進行は無理だった。
場は重くなり、口数も減っていく。
そして校長と先生たちだけが
何度も何度もビジネスをしろ、と
口説き続けていた。
とても不思議な光景だった。
インドネシアは変わった。
目の前で展開されている光景は
僕の知っているインドネシアじゃない。

ここからはただの推測だ。
ここまで焦る校長には
何かのプレッシャーがあるんだろうって
僕らは見ている。
一般普通科高校と職業系高校の比率が
以前は断トツで普通科高校だったのだが
職業系高校がどんどん増えている。
そして校長も話してくれたが
予算も以前とは全く違い、潤沢に使用できるのだとか。
そのためか、ここ数年は
タンジュンサリ農業高校では新しい施設や校舎が
次から次へと建てられていく。
経済成長の恩恵かと思っていたけど
それ以上に職業系高校への予算が
ずいぶんと増えているからだった。
農業分野もずいぶんと見直されているようで
成長分野としての農業という捉えられ方もしていて
統計を見ても
主産業に占める割合も少し戻している。
そして、
西ジャワ州で一番という評判を持っている
タンジュンサリ農業高校。
外国との交流も盛んで
国家事業を通じて
オーストラリア・タイにも生徒を派遣している。
さらに独自路線で
福井農林高校との交流、
農園たやへの農業研修派遣、と
他の農業高校から見たら異次元の活躍だ。
だからここ数年、
インドネシア農水省や教育省から
福井の田舎まで視察に来ていたってわけか。
これらは学校の高評価につながる。
僕もそれを意識してやって来たし、
交流事業でもその場を作ってきた。
たぶんそれが功を奏してきたんだろう。
だからその次の成果を求められているのかもしれない。
そんだけやっているんだから
そこを卒業した研修卒業生の成果は?ってことか。
先生は、
「もうすぐ我々は定年だ。ここ数年で成果を見せてほしい」と
最後にその本音も見られた。

その反面、
卒業生たちの反応は悪かった。
後でみんなと話をしたのだが、
やはり学校と一緒にビジネスは難しいという。
校長が仕切る可能性も高いし、
小間使いにされるんじゃないか、という懸念もある。
あと教育機関の考え方じゃ
ビジネスにならん、というのもメンバーの意見だった。
さもありなん、だね。

ヘンドラが
「地域を盛り上げるために僕らは勉強した。だから地元に戻って、そこを盛り上げる。それが僕の役目だ。今さら学校には戻れない」
と言い切った。
それは
僕が彼に何度もたたき込んだ思想だった。
ボゴール農科大の留学を終え
当初の野望だった、
世界で勝負することから、
僕はあえて地域づくりとして地元を選んだ。
僕は地元に戻るときに
自分の想いを強い思想に変えて
その塊として戻った。
その一番熱い時に来たのが
一期生のヘンドラだった。
だからヘンドラを見ると
あの時の自分に会っているような気がする時がある。
この時もそうだった。
僕は、なんだか申し訳なくてしょうがなかった。
ヘンドラがそういえばいうほど
自分が小さくなってしまったような
そんな気がした。

そんな中で
先生と卒業生のやり取りは続いた。
早すぎて理解がついていかないインドネシア語と
思いもしなかった展開と
その場面に呑まれてファシリテートも
気の利いた提案も
棚上げにするような言葉も出てこない、
それどころか
目の前の光景がなんだかスクリーンに映し出されている
別世界のような感覚と
旅の疲れから来る睡魔に襲われ、
僕は置物のようにそこに座っているだけだった。
こんな僕に
一体何が出来るのだろうか?

そろそろが潮時かな。
僕のできることや
僕が居ても良い場所も
もうそれほどなく、
僕の価値もここではあまりなくなっているんだ。
なぜだか
それがさみしいのではなく、
反対に
それがとても心地よかった。

おしまい




その夜は、本当に至福だった。
クスワントのプレゼンも良かったし、
他のメンバーの自分たちの予算で
やるんだという決意も良かった。
もう僕に手伝うことはないのかもしれない。
それはそれでいいのだろう。
でも少しさみしいね。
人間って贅沢だな。

と、しみじみしていたのだが、
クスワントが最後のプレゼンページに入ると
状況が変わった。
彼は今回のネットワークづくりにおいて
最終目的をただ単に懇親的な意味や
閉塞感のある村社会の中での
情報交換会といった意味だけではなかった。
彼は、このネットワークで目指すものとして
最後のプレゼンページで
「Inkubasi Agribisnis」
と名付けていた。
直訳だと農業ビジネスの培養とでもなるのだろうか。
そこで彼が提唱したのは
肥料や種・農薬などの資材の購入先と
農産物の販売先、
そして普及員などによる情報入手先を
一元化したビジネスの展開だった。
ま、ぱっとみたら農協だね、これは。
とにかくそういうビジネスを探っていく
勉強会とスタディツアーにしたいというのが
クスワントの目的でもあった。

これは卒業生たちの間でも
温度差があった。
一期生のヘンドラは明確にこれに反対をした。

僕の行っている研修でも
販売はとても大事な考察対象で
如何にして付加価値を付けていける販売にするのか、
また既存の流通のどこを中ぬけすればいいのか
などを話し合っているのだが、
帰国してもう5年も実践しているヘンドラには
それらの理論(僕の理論)が
少なくともスメダン近辺の小農には
あまり当てはまらないという実感があった。
市場への直接販売においては
無数の小売りが点在し、
それらへのマーケティングで消耗する。
しかもそれらの小売りも
ある程度大きいブローカーとつながっているので
そこに割って入る難しさも感じていた。
大きな企業との契約栽培は
価格は安定するが条件が厳しく
生産できなかった時のペナルティーが大きすぎて
小さな農家の集団では
手が出せなかった。
それらの経験からヘンドラが見つけた答えは、
「ある程度良識のあるブローカーに販売をする」
事だった。
小農はリスクは負えない。
販売に力を入れようと思っても
生産と販売のバランスが取れない。
僕が言う
君らが良識のあるブローカーになれ
という言葉も資金が無いので無理だし
小売りとの関係を築くのは一朝一夕にはいかないし
成功する見込みも立たない。
だから彼は
「ビジネスに手を出さず、良識のあるブローカーに販売をするのが一番いい」
という答えを導き出していた。
それまであがいて得た経験の言葉は
とても重かった。

だた彼にしても
現状の販売に満足はしていない。
だから、最終的には
どのような形態を目指すのかは別にして
農業の現状と問題点を洗い出して
新しいビジネスの展望を探す
という目的には賛同を得た。

このInkubasi Agribisnisという言葉には
僕のスイッチも入った。
ただ単に交流を目的としない勉強会ならば
ある程度時間を区切って
それぞれが協同してビジネスを展開できるかどうかを
考えた方が良い。
しかもそれにはすこしロケットエンジンも
必要になる。
現状では卒業生それぞれが
自分たちのビジネスを展開しているだけにすぎず、
それをただ単に統括しても
新しいものになるわけでもないし
グループとしての力を得るわけでもない。
その方向で考えるのならば
その方向でビジネスを志向する必要がある。
面白いじゃないか、クスワント。
君のアイディアに、僕は乗っかるよ。
時間を決めて、僕らはまた再び
一緒に考えていこうじゃないか。

その中でクスワントからの提案として、
僕の授業の一部をスカイプで受けられないか
というのがあった。
グローバリゼーションと農業の授業が
とても面白かったようなので
その流れで僕も彼らの勉強会の中で
授業をしようと思う。
この辺りの議論で
機材や授業に使う教材で
すこし予算が必要という話にもなった。

どこまで彼らのビジネスが
形となるのかはわからないが
僕は僕なりに協力を続けられる場所を見つけて
それはそれで嬉しかった。
もうしばらくは彼らから
一緒に歩んでも良いよって
言ってもらえたような
そんな気分の夜だった。




たぶん都会にいる人は
こういうことには
もう少し悩みが少ないんじゃないだろうか。
アクセスできる資源が多いから
無限とも思える
都会の人的・物的資源の中で
もがくことはあっても
何かしらアクセスはできるだろうからだ。
ナンノハナシ?
それは、
インドネシアから帰国すると
その国で連続していた日常が
完全に遮断されるという感覚。

田舎にいると
インドネシア語にアクセスができない。
ネットはあるので何とか情報は得られるが、
日常的にインドネシアの人と
係ることは皆無になる。
別の田舎の日常が始まり、
それが主となり、
あちらの国にいた生の感覚は
どっかの隅に追いやられ、
いつしかそれは思い出となり
徐々に消え失せて、
フィクションが増え、物語になる。
それはそれで新しい生活が始まるのだから
良いのだけど、
あちらの国の生の感覚、
とくにそれを愛してやまなかった人間には
身を削られるように辛い時もある。

あちらの友達からのメールやSNSの会話も
流行や事件やトレンドが古くなり、
だんだんぎこちなくなる。
賀状の挨拶のごとく
元気ですか?いつか会いましょう!
そんな会話が反復されたころには、
自分の生の感覚は完全に失ったと
思っても良いだろう。

それが嫌で
僕はいろんなことを田舎でもやってきた。
おかげさまで、
僕はようやくその田舎とインドネシアの
パラレルワールドから脱し、
どちらも一つの世界になりつつある。
(が、まだ少し壁があるかな???)
ちなみにこの感覚を持った人が
ある一定の数、農業団体の中にいないと
農産物の輸出なんて出来ないぜ、農水省さん。

さて、そんな感覚は
何も僕らだけのモノじゃない。
インドネシア技能実習生だって同じだった。
日本での日常とあの空気感が
突然に遮断されるのは
僕ら以上に
情報アクセスが難しい彼らの方が
もっとひどかったように思う。

今回のネットワーク作りで
彼らが真っ先に挙げてきた活動は、
まさにそれを乗り越えようという
活動でもあるように見えた。
彼らだけの勉強会の開催と
そこに僕の授業をジョイントさせるというアイディア。
ま、若干ジョイントの件は
僕がしゃしゃり出たということは
ここに明記しようかな。
いいじゃん、その生の感覚の仲間に
僕も入れてくれてもね。

だから今回の話し合いのイニシアティブも
1期生や2期生よりも
3期生と4期生が中心だった。
もっと日本とのつながりを求めているようにも
僕の目には強く映った。

さて、
前置きが長くなったが
次に彼らが挙げた活動について書くか。
それはスタディツアーの実施だった。
1年間の勉強会を通じて
自分たちの課題を深く掘り下げたのち、
それを克服しているような先進地へ
スタディツアーに出かけようというものだった。
すばらしいじゃないか!
もうこの辺りのプレゼンを
ワント(4期生)がしていた時には、
僕はもっといろんな気の利いたアドバイスを
してやろうと思っていたのだけど、
ただただ茫然とそのプレゼンを眺めているだけだった。

そして、ま、
スタディツアーとなると
やはり予算がすこし気になる。
その予算は自分たちで賄うと言っていたが
タタンが概算をしたところ、
結構な金額になりそうだと分かった。
最初は外島(ジャワ島の外の島)も含めて
話をしていたが、
徐々に西ジャワ州のそれも近所の事例を
挙げるようになっていた。
僕も協力隊時代に
「研修は距離的に遠くに行くのが必要なんじゃなくて、その深度を深めることが必要だ」
といって近隣での研修を実行したので
それ自体にはとくに反論はない。
ただ先進地が限られてくるのは
ちょっと残念かな。
そんな話をしていたら、
ヘンドラ(1期生)から
「耕志の会の予算から、少し援助って出来ませんか?20万円でも30万円でも良いんです」
なんてさらりと冗談を言う。
おいおい、その金額は
僕らの福井の団体の1年分の活動費以上だよ!

お金の話になったので
ここらで僕は草の根の話を少しすることにした。
実はこのプレゼンを聞いていたら
僕からお金の話をするのは
まさに彼らをスポイルすることだと
気が付いていたのだけど、
僕はダメな人間で
僕も仲間に入れてほしくなっちゃって
ついついこの話を切り出してしまったのだった。

彼らの反応はあまりにもあっさりしていた。
別に必要ないんだってさ。
ちょっと使い難さもあって、
そこまでがっちりと予算を組んでやるよりも
自分たちで出来ることを
出来るだけでやりたいと言っていた。
そりゃあ、スタディツアーに関しては
少し援助がもらえたらいいが
その程度でしかない。
その援助にしても、
僕と実習生と有志で運営している
耕志の会の会計での話だった。
もちろん、それにしたって
20万円とか30万円という額じゃないけどね。
変わってね、インドネシアは。
昔はこんなんじゃなかった。
必要とも思えない援助をもらうために
自分たちをそれに合わせて
動けない組織を
要らない活動を
いくつもいくつも作っていた。
そんな姿をたくさん見てきたから
その場での
彼らの態度が
まぶしかった。
君らは僕の誇りだ。

つづく


さて話が進まないので
一気に進めようか。
僕らはクスワント(第4期生)の家に
泊まることになっていたが、
そこにカダルスマン(第5期生)以外の
すべての卒業生が集まり
議論することになった。
しかもみんなも泊まり込みで。

そこでちょっと嬉しかったことは、
もちろんみんなが泊まり込みで
議論しようという意気込みもそうだったんだけど、
それと同じくらい、
いやそれ以上だったのは、
クスワントが今回の議論を
パワーポイントにまとめて
プレゼンを含みながら議論を
進めてくれたことだった。
そうそう、こういう訓練を
僕らはいっぱいやったんだから、
これくらいはやってもらいたかったんだよ。

卒業生のネットワーク作りは
みんなの総意でやろうということにはなったが
肝心の活動はどうするのか?
それが課題だった。
卒業生たちから上がってきた
活動は3つだった。
そのうちの2つは
すでにSNSを通じて議論されていたことだった。

まず
彼らが挙げた活動は、
勉強会の開催だった。
僕は勉強会を開くのが好きだ。
自分の知識は限界があるし
人間ひとりで学ぶことは無理だ。
本を読んでも
僕みたいに頭があんまりよくない人間は
すんなり内容が入ってこない。
だから学ぶ意思を持った
仲間と一緒に切磋琢磨してこそ
僕らは知識を肉体の血と肉に変えて
実践で役に立つものにできると思っている。
だからボゴールに留学していた時も
帰国してここで農業を始めた時も
いつも勉強会を開いていた。
それは今も続いている。
(詳しくはカテゴリーのアンビシ勉強会を参照されたし。)

で、その勉強会に
インドネシアの実習生も参加していた。
その時の雰囲気や熱気が
彼らにも感化したのだろう。
インドネシアに帰国して
それぞれの村で営農や日々の仕事に追われると
新しい知識や考えに触れる機会は
少なかった。
日本で僕らがやっているような
勉強会の熱気がとても大切なものに
思えるようになったのだという。
さもありなん。

そこで自分たちも勉強会を開きたいと
今回の活動に挙げることにした。
毎月最終の日曜日の午後に集まり、
メンバーが持ち回りで発表する。
自分たちの営農の現状や課題を発表したり
新しい技術や栽培法を話し合ったり
したいという。
自分たちだけでは
知識の限界もある。
だから年に1回は外部から
ゲストティーチャーを呼んで
講演も企画したいという。
参加者は研修卒業生だけに限らず
農業高校の先生や生徒(3年生に限る)、卒業生も
参加可能とした。

そこでクスワントから一つお願いがあった。
それは
僕が「グローバリゼーションと農業」という授業で
使用しているDVDをインドネシアにも送ってほしい
というのだ。
「田舎に戻って農業をしているとグローバルな動きをとても感じられなくなるんです。日本で徹さんのところで勉強していた時に感じた、ダイナミックなグローバルな視点を今も感じて営農したいんです。」
なんていうんだ。
この時は結構グッと来た。
あとちょっとで泣いてしまいそうなくらい
嬉しかった。
わかったよ、ワント。
DVDは君が帰ってからも新作を買い続けているから
それを送るよ。
で、それだけじゃ日本語だからわからないだろうから
僕はそれを元に教科書をインドネシア語で作るよ。
あと、日本のインドネシアを結んで
その授業をそっちでも受けられるようにするよ。
年間12回の君らの勉強会の1回は
僕が担当しようじゃないか。
という話になった。
授業していた時は、
宿題めんどくさそうだったし
僕の拙いインドネシア語も
理解しにくそうだったし
仕事で疲れているのに何でこんな勉強するんだ?
っていう雰囲気の時もあったし
僕も暖簾に腕押しな時に消耗して、
自分のモティベーションを維持できなくて
辞めてしまおうかなんて思ったこともあった。
でもそんなすべてが
このやり取りで吹き飛んでしまった。
こういうことがあるから
僕はこの活動をやめられない。
今回も事前にずいぶんと消耗し
(とくに腰の問題で・・・あと今の実習生とのやり取りでも)、
もうダメかな~、って思うことも多々あったんだけど
これでまたしばらくは僕の推進力は
保たれることになった。

つづく



田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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