農園のインドネシア実習生たちの
将来の夢に少し変化が生まれ始めたので
記録しようかな。

まずはイマン。
今年が3年生になる年。
これまでの紆余曲折は
また記録するとして、
今回は彼の計画に面白い変化があった。

彼との帰国後のビジネスプラン作りは
雇用を考える農業から始まり、
野菜栽培を中心の置く農業のカタチ、
そして販路として上中間層にターゲットを置いた
公務員の事務所での移動販売と
いろいろと議論を重ねてきた。

彼とはちょっとしたことでの関係悪化から
こちらのアドバイスに耳を貸さない時期も
けっこう長かったのだが、
最近、それも氷解し
勉学も意欲もいよいよ進む時期に入ってきた。

さて、今回の大きな変化は
彼が「米作をやめる」と言い出したことだ。
彼が1年の時に
僕は「米作をやめれば」とアドバイスをしたことがあった。
エントリー:それじゃ、搾取だぜ、イマンよ

その時は冗談だと思われて
流されてしまったが
それが1年くらいかかって
ようやく彼の中に浸透したように思う。
彼の計画では
上中間層への販売として公務員事務所への
野菜の移動販売を考えており
通年で安定した供給を目指すために
地域で野菜作りのグループ化を進める。
その核として仲間を引っ張っていくためにも
自分は米作を捨て、野菜専一の農家になるのだという。
この計画に当然
3年のレンディや1年のデデは噛みついた。
米作を捨てるのはリスクが大きいのじゃないかって。
野菜作りのメンバーは米作をしながらの野菜作りで
かまわないが
自分は野菜だけにして特化することで
儲けを大きくさせたいと答えてくれた。

米作をやめるというのは
米食のスンダ人農家にとっては
かなり勇気のいることで
その生態的また文化的に
また農業経営思想的に米作は重要かつ
中心的な存在だ。
それを全部やめてしまおうっていうのだから
この変化は大きい。
ギアツのいう「文化コア」をその生産様式をもってして
大きく変容させようというのだからね。
たぶん、彼がこの場に来なければ
きっとこんな視点は持ちえなかっただろう。
またそれをして食糧自給の観点よりも
資本の蓄積と再投資のより
資本主義的な視点を得るだけの
時代にインドネシアがあるということでもあるのだろう。

他産業が伸びていく中で
近隣の都市を市場として
上中間層の健康志向や
多様になる食文化の変化を受けて
彼らの農業は
自給的なリスク回避の農業から
より冒険的な換金作物中心の
農業へと変化していこうとしている。

これらのどちらがいいのかは
その技術をその時代の文脈から切り離して語ることは出来ず、
それは社会や文化と切り離して
純粋に技術進歩をもってして
その社会の問題を解決できると思っていることと同じくらい
近視眼的な思考と言えるだろう。
ただ時代の変化に合わせて
自らを変化させていけることができることが
この場合は重要なのである。

僕が彼らの教育の目標としている
「考える農民」とは
まさに今回のイマンのような
その姿勢をいうのだ。

イマンよ、米作なんて捨てちまおうぜ!


インドネシア実習生の
前期最終試験の記録を
続けてしようか。
今回はイマン。

イマンは地元は稲作地域。
棚田の広がる中山間地。
水源に恵まれ
年に2~3回米が収穫できる。
で、彼女ら彼らが直面している問題は
土が固くなること。
緑の革命以来
化成肥料に頼った
稲作が続き、
それがために土が固くなってしまっているという。
有機物を投入しない土は
やがて滅びる。
そんなもんだろう。

で、それを分析したのちに
有機物を投入する彼のビジネスプランがあった。
彼の村では、
農耕用や食肉用の家畜が、
小規模でそれぞれの家で飼われているが、
その糞はたいていそのまま捨てられているという。
また近くの市場では
大量の野菜くずのゴミが出るが
それも再利用されていないという。
それらを資源化して
有機肥料を作るというのが彼のプラン。
ま、ありきたりと言えばありきたり。
すべての面積を有機に変えることは
不可能ということで
化成肥料との両立を彼は考えていた。

ふむ。
ただ有機農産物としてマーケティングするという
意とは無いようで
それだと手軽に投入できる
化成肥料の方がインセンティブが
あるのじゃないか?と疑問に思う。
彼の優秀な頭脳は
現実にかなり寄り添って考えるために
そのビジネスのプランとしては
夢の余白があまりない。
そこが不満だし
その壁を打ち破ってほしいね。

イマン君のその後。
結構将来の夢で悩んでいる。
それは月間レポートでの話。
タバコ生産を中心に
米と野菜の複合経営という
とりあえず無難な路線を維持しているが
それぞれそれをする理由が弱い。

前回の僕らの指摘を受けて
経営の計算もやり直してきた。
人件費もかなりねん出し
1人当たり1日の給与で
男性35,000ルピア
女性25,000ルピアで計算してきた。
だが、スメダンの最低賃金は
男女隔てなく1日48,000ルピア程度(月額を日割りて四捨五入した金額)。
全然足りないじゃないか。
君らというわけじゃないが、実習生の多くが
給与を低いことを問題視する。
それはそれでまっとうな権利だと思う。
だから毎年僕の農園では
実習生との賃金の交渉テーブルを用意し
ここ数年、毎年賃金の上昇を合意してきた。
たぶん来年もベアに合意することになるだろう。
だのに、君らが地元で搾取するような
労働構図を受け入れちゃいけないじゃないか!

イマンは
「その賃金だと、人件費が高すぎて儲からない」という。
そう、儲からないさ。
それはそのビジネスプランがダメだからだ。
プランと実際は違うという人も多いだろう。
僕もそう思う。
でもプランからして、儲からない計算では
到底実際で儲けることはできないし
そういう方向にも考えが向いていないことを証明している。
タバコと野菜とコメの複合栽培を観ていて思ったが、
一層、コメやめれば、と本気でアドバイスしたが、
彼らはそれが冗談のように聞こえたようで
笑って流された。

米食べなきゃ飯食った気がしない、
というインドネシア人は多い。
副食少しでご飯いっぱい。
だから何はともあれ、お米を作らないと
というのがインドネシア農民。
ま、日本の兼業の方々もそれに近い人もいるね。
でも計算すれば経費ばかり食って
ぜんぜん儲けが見えない米作。
これやめて、もっと儲かる品目で勝負して
しっかりと家族やスタッフに給与払う方が
よほどまっとうだと僕は最近強く思う。

来月までに
もう少し詳しいビジネスプランを作るのが
彼への宿題。
お父さんの土地じゃなくて
自分で購入するであろう土地で
どんな経営をするのかを計算してくるはずだ。
人件費の計算、搾取なしでお願いしますね、イマン君。


研修生のイマンについて記録しようか。
今月の月間レポートでは、
彼の帰国後のビジネスを中心に議論した。
来日して約半年。
彼のビジネスプランはこれまでほとんど
議論してこなかったが、
前期の授業(農業構造論・地域開発論)を
終了した今、
その視点を活かして彼自身のビジネスプランを
みんなで考えてみることにした。

彼のプランは
帰国前に出してもらっていたプロポーサルトは
全く違うモノになっていた。
来日前は
淡水魚の養殖用エサの栽培といった
事業を目指していた彼だったが、
それはどこかへ消え失せていた。
彼の持っている土地は3か所に集約されている。
水が良く入る土地では
水田での水稲とタバコの二毛作をめざし、
川沿いの2つの畑では
空心菜とソシン(しろ菜みたいな野菜)の
輪作を考えている。

なぜこうなったのか。
まず農業構造論で農業が存在しえる構造を
彼の社会の文脈で考えた時に
彼がポテンシャルとして挙げたのは
野菜栽培だった。
彼の住む場所は
それなりに人口がいる地域であるが
大きな市場に囲まれたいわゆる空白地で
どこの市場にもアクセスが若干悪い。
以前はそれを逆手にとって
市場で買ってきた野菜を近隣の村々で移動販売する
といったビジネスも考えていたようだが
多分その視点はそのままで
自分で栽培した野菜を
近隣の村々で直接販売しようというのが
このアイディアの骨子なんだろう。
村で野菜が売れるのか?
という素朴な疑問が無いわけでもないが
彼の地区は稲作が盛んで、野菜がほとんどない。
換金作物はタバコで、
毎日食べるような野菜は
ちょっと離れた市場で購入するか、
村までやってくる野菜売りから買うのが通常らしい。
なので、野菜を栽培して
それを村で売ることは可能だと彼はいう。

ただ市場規模については疑問も残る。
彼の計画だと合計70aの畑で野菜栽培とあったが、
それだけ空心菜とソシンを栽培すると
たとえ一気に栽培しないとしても
時期をずらして栽培したとしても
とんでもない量の野菜が出来上がるぞ。
いくら村で食べる口があったとしても
それを個別に販売することはかなりの手間だし
現実的じゃない。
やはり市場に運ぶ必要は出てくるね。
で、そうなるとどうやって運送するか。
そしてこれがインドネシアで
結構問題になるのだけど、
どうやって畑から車両が通れるくらいの大きい道まで
運び出すか?が問題だ。
農地に農道が通っている日本では
何のこと?と思うことも多いだろうけど、
インドネシアでは、畑や田んぼに車両が入れる道が
皆無なのさ。
だから農作物を運び出す作業が
いつもボトルネックになったりする。
イマンは
「村の中に土地なし農民がたくさんいるので、その人たちに頼みます」
とその解決策を話してくれた。
土地なし農民。
そう、田んぼを遺産で平等に分け与えてしまう
ジャワのスンダ民族には
代を隔てるごとに
生計に十分な田んぼの面積がなくなっていくという
ジレンマがある。
そういう人たちは、Gadaikanといった質などを
利用して農地の担保に借金をしたりして
最終的には土地なしになってしまうことも多い。
ちなみにスラウェシの僕が協力隊でいた村は
Gadaikanは村人同士で行われるため、
金額によって数年から十数年ほど
自分の土地で耕作しながら、農業労働者扱いとして
借金をした相手の経営の中で働くシステムで
土地なしに陥ることはない。
ま、かなり生活は苦しくなるけどね。

で、彼の話だと
その土地なし農民の労働力は
非正規雇用で、つまりは短期アルバイト。
あるミッションのために集められ、
それが終われば雇用は打ち切られる。
たとえば田んぼから収穫したコメを出すためだと
道まで運ぶのに1袋50キロの米袋を1回運べば
5000ルピア(日本円で50円)ほどだという。
道までの距離にもよるが、
道らしい道のない通路を
50キロの米俵を持って
1日に10回も往復すると
体力的にはかなりきついね。
そういうある意味雇用主にとっては
都合のいい労働者が結構農村には
居たりもする。

協力隊の時から僕は
ここをどうにかしたいと思っていた。
農村の中の格差を。
雇用に対する意識を。
べらぼうに高い小作料や
非人道的なローカルな質システムや
簡単に打ち切られる雇用の在り方や
あこぎな高利貸しや
貧困の環から抜け出せないシステムと
それを補完し合う村の中の習慣。
村の中にあるそんなもろもろの
手を出すと一発で火傷するような
システムと習慣の改善を
どうにかしたいと思ってきた。
僕が声を上げてどうにかなるものでもない。
そうあきらめもあったが、
村のリーダーになる連中が
ここにやってきてからは
こういう話も徐々にだがしている。
そして家族経営から組織としての経営に
(完全に移行できてはいないけど)
変化してから僕自身も8年が過ぎ、
インドネシアの研修生も8期生が来た今、
もう少し踏み込んで議論しようかと思っている。
もちろんジェンダーも含めて。

だからイマンには
正規雇用のスタッフを
君の農場に雇い入れることを前提に
君の農業ビジネスを描いてほしいと
僕から宿題を出した。
すぐに答えは出ないかもしれない。
それに
スタッフはただの小間使いじゃないという意識も
経営者として必要な意識も
シミュレーションで生まれるわけではないからね。

少しずつ。
一歩ずつ。
焦らないでいこう。




P2220002.jpg

そろそろこの子の紹介をしようか。
今年、インドネシアからやってきた
技能実習生のイマン・タウフィック。

その彼が
うちの農園が独自に行っている
インドネシア農業研修プログラム第8期生
というわけ。
このプログラムも今年で8年目かぁ~。

さて、
そのイマンだが、
これまでの研修生と同じように
タンジュンサリ農業高校の卒業生で、
今年22歳。
高校時代には生徒会長も務めていて、
6期生のジャジャンや7期生のレンディから言わせると
「高校の時から活発で目立っていた」子だったらしい。
生徒会長は5期生のイラと同じで
二人目ということになる。

彼自身の意識やポテンシャルは
まだまだ僕も話し込んでいないので
わからないことだらけだが、
彼の環境はかなり農業で成功するだけの
ポテンシャルを秘めていると言えるだろう。

彼の故郷は
3期生のタタンの故郷の近くで、
西ジャワ州の大都市バンドゥンから
西へ車で4時間ほど行ったところにある。
まだそこまで行った事がないが、
僕の大学院時代の親友でジュンベル大学で教鞭をとっている
アニ女史の送ってきた農村調査報告書によると
なだらかな棚田が山間に広がる
静かな農村とのことだった。

この辺りは他の研修生と同じなのだが、
大きく違い点が一点。
それはイマンの両親の経営規模だ。
水田だけで1haほど所有しており、
他にも畑や森林も持っている。
家族の農業収入は、
それだけで十分生活していけるレベルで、
ちょっとした公務員並みだった。

農業の規模からいえば
これまでここに来た研修生の中では
7期生のレンディについで
2番目に規模が大きい。
レンディのところは人口が密集した地域でもなく、
水田ではなくお茶畑の広がる高原地帯で
国策で住民に開放された山々の土地が
多く広がることもあり、規模は自然と大きくなるのだが、
イマンは普通の西ジャワの山間の農村で
人口も多く、農地をたくさん確保するのも
けっこう難しい地域なので
そこで水田を1ha持っているだけでも
ちょっとした驚きがあった。

アニ女史のインタビューでは
イマンの両親の話がとても興味深い。
彼の父も母のどちらも
もともとそれほど大きくない農家の子弟で、
教育を満足に受けさせてもらえなかった。
同級生は中学校に通う子も多かったらしいが
彼らは小学校で教育の機会を失ってしまった。
イマンの父は、両親の離婚や
実母が若くして亡くなったことなど
不幸が重なり、経済的にも厳しかったことがうかがえる。
イマンの母も生活は楽ではなく、
13歳でイマンの父と結婚している。
その二人に共通している意識は、
自分たちの子供にはしっかりとした教育を受けさせたい、
ということだった。
だから子供の数は二人だけにしようと
夫婦でも話し合ったそうだ。
ほとんど土地を持たない中で
若い夫婦は農業のスタートを切ったが、
余剰のお金ができれば、銀行に預けることや
他へ投資することなく
愚直に農地購入に精を出した。
イマンの父がアニ女史のインタビューに答えているが、
他の財産を手に入れるよりも農地が一番だ、
という意識は彼らの営農の根本になっているのだろう。
たぶんイマンの両親は
とても働き者だったに違いない。
贅沢をせず、
農地と子供たちの教育にだけお金を使った。
それがイマンの姉とイマンを
高校まで教育を受けさせる機会を与え、
そして今、イマンが営農に志向した時に
それを支えるだけの十分な農地を彼に残している。
だからイマンは
ジャジャンやレンディが言うように
「高校の時から活発で目立っていた」のだろう。
育った環境が
彼のモティベーションを高めたんだと思う。

さてその彼、
ここを卒業して帰国した後には、
飼料用のトウモロコシの栽培をして
魚の養殖用のエサを作って販売したい、という
ビジネスプランを持っている。
彼の地域には今、水力発電のための
巨大ダムの建設が進んでおり(中国資本)、
完成後にはそのダムの貯水池で
大規模な淡水魚の養殖が始まると言われている。
そのニーズにこたえようというのが
彼のプランだ。
ま、それが妥当なのかどうかは
僕には判断がつかないけれど、
彼がそれをやりたいというのなら
淡水魚のエサなんかも僕らは調べてみてもいいかもね。
農業が部門別に固定化されている日本と違い、
なんて彼らの発想は自由で
そして荒々しくて、力に満ち溢れているのだろうか。
イマンとのこれから始まる3年間の交流を通じて、
僕らもまた彼から
いろんなエネルギーを吸収したいな。


田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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