第21回JA福井市総代会が
19日の午前に行われた。
僕はJA福井市の経営管理委員として
この総代会に出席。
青壮年部の部長は
経営管理委員としてJA運営に係わるという
仕組みになっているので、
特段なにか偉いわけではない。

さて、今回の総代会。
提出議案が第1号議案から14号議案まであった。
1号議案は28年度の事業報告。
2号議案から14号議案までが
ざっくりいえば29年度の予定だ。
いつもなら結構しゃんしゃんと
終ってしまう総会だが、
今回は、もめるだろうなぁ、とおもう議案も
この中にあった。
それは第3号議案。
JAの自己改革についてで、組織・事業の再編についての
計画を記されているモノである。
この自己改革は、
農業改革を謳う安倍内閣の
農業とはなんの事かもよく知らない
あと一方的にしか見ることのできない
規制改革会議の農業ワーキンググループが
農業改革を農協改革とすり替えて
議論しているとばっちりを受けて(?)
農協法の改正があり、
それに合わせての自己改革があり、
また一方で農村や農業を取り巻く構造の変化で
信用と共済を主軸とした農協の経営が
このままいくと赤字ということもあり
事業や支店などの統廃合を計画したのが
第3号議案というわけ。
とくに支店の統廃合は
組合員さんからも根強い反発がある。

で、総代会では
やはりこの3号議案に対する質問や
反論が多かった。
秀逸な質問や意見もあり
とくに殿下の方の意見は
ごもっともなところもあった。
農協には事業経営の側面と
運動体的な側面とがあるとし
経営的に合理的な判断として支店再編というだけでは
運動体として今後どのような求心力を
確保していくのか、という意見で
真っ当な発言だと思う。
だが、運動体としての農協は
小さな農業の弱者を守るんだという共同体運動は
その社会的構造の複雑化によって
かならずしも2項対立的にカテゴリー化できず
この多様な価値観の中では
空中分解しつつあるのは
昨今の情勢を鑑みればわかることだろう。
どんなに声高にそれを叫ぼうが
その叫ばれている方たちの
子供や孫が青壮年部に入っていない状況が
ま、それを言い表している。
それをいうなら
僕は青壮年部こそその運動体を
『まだ』純粋に持ち合わせている団体だと
言いたいので
ぜひ、昨日の総代会で意見された方たちは
お孫さんを青壮年部に入れ
そこからJAの運動体として先頭を切って
旗を振ってほしいと思う。

採決では
29年度の計画を
つまり2号議案から14号議案までを
一括して採決しようとすると
会場から
『3号議案だけはずして採決せよ!』
と声がとび少し騒然となった。
一括採決するか、3号議案を別に採決するかの
決を採った結果、一括採決が多数を占めたので、
一括で採決を取り、すべての議案が
原案通り承認された。
これでJA福井市は事業と支店の再編に
これから着手することになる。

皆さんの地区の支店はたぶん無くなります。
一ブロック一支店なのですから。
係わりが薄くなると危惧しているのは
僕も同じです。
この間を結ぶ一つの組織として
青壮年部の在り方も
これから問われなければなりません。
運動体の側面を
青壮年部が担えるのかと言われると
やはり多様化する価値観の中で
均等に所有する水田兼業の声という
訳にはいかないのが現状です。
というか、そういう家の方に限って
息子さんやお孫さんは青壮年部に入っていませんよね。
その価値観で行くのなら、家族の方をいれないと
始まりませよ。
というのは蛇足か。

とにかく変化がおきる準備は整ったというわけだ。


JA福井市の青壮年部の総会があった。
といっても、まぁ、先月の話で、
申し訳ない。

今回の総会は
例年通りと言えば例年通り。
でも一つだけ違った事がある。
それは今度の総代会でも審議されるのだが
JA福井市が25の支店を
一ブロック一支店へと再編するという
大きな改革案を提出する予定になっている。
経営管理委員の一人として
集落座談会や総代説明会に出て
組合員さんから質問や不満や不安を
聴く立場にあったのだが、
これは一筋縄ではいかないなと思いつつ、
青壮年部の代表として
各支店に支部を置く現状で
青壮年部が今後どのようになっていくかを案じてもいる。

というか、案じるだけではだめで
行動をしないといけない。

というのも総代会を通れば
29年度は
一ブロック一支店へ向けて動き出す。
なので、青壮年部も29年度は
視点という拠点を失っても
どのように活動を持続できるかは
議論したいところだ。

とは言いつつも
今年で2年間、青壮年部の部長をしたが
恥ずかしい話、
いまだに25人の支部長全員と顔を合わせたことが無い。
支部長会議は年に5回ほどあり
その機会はあるのだが
なかなか出席してもらえていないのだ。
向こうが来ないのなら、こっちからいこう!と
28年度は比較的出席が無かったブロックを中心に
支部長会議を移動して行ったのだが
それでも来ない支部の方は来ない。
もう家まで押しかけようか?とか
全部の支部の総会に出かけようか?とまで考えているが
まだ実行に移ってはいない。

支店がなくなれば、
支部活動はどうなるのか。
その声が聴きたい。
僕が支部長を務める河合支部は
たとえ支店がなくなっても(どこに支店を統合するかはまだ決まっていない)
支部活動は継続されるだろう。
それだけの活気もあるからだが、
他はどうなんだろう。

開会の挨拶で、
JAは支店の統廃合をしても
職員が出向く体制を作り上げると言っているが
僕ら青壮年部も地域とJAとの間を
生産を中心につなげていくパイプ役を
つとめるべきだと話をした。
濃淡のある活動は
それぞれの支部の特徴だったり
その地域の事情を反映していることなので
一律の活動は求めていない。
ただこの段階に
議論が活発に行わなければ
きっと僕らの組織は消えてなくなるだろう。
僕一人で出来ることは
ほんとうに小さい。
問題提起はしていくが
それに呼応してくれなければ
僕にはなすすべはないのだ。



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この前の日曜日は
JA福井市の誕生20周年を
記念してのイベントがあった。

産業会館という
地元では大きいイベント会場を借りての
記念の夏祭りで、
なんでも総額2000万円の事業というから
驚きだね。

もちろん、そこには
我らJA青壮年部も乗り込んでいって出店した。
ふくこむぎという福井の小麦をPRする目的で
ふくこむぎを使ったうどんを作り
その冷やしうどんと
釜玉うどんを販売した。

当初このイベントには
2万人の来場者があると小耳にはさんだのだが
イベントが近くづくにつれその情報は
1万人に変わり、
そしてその1万人も根拠のない数字だったことが
判明し、
うどんの販売数量を
どうするのかやや右往左往した。
1,000食を目標としていたのだが
情報がコロコロと変わり
イベント告知もあまりしっかりしていない様子だったので
かなり不安だったが
なんとかサイドメニューを含めて
1000食以上を販売することができた。
これも青壮年部の盟友や事務局の頑張り
だったと思う。
本当にありがとうございました。

さて、
今年は僕の青壮年部の個人的な
というか、ま、僕が部長なので
それが部のテーマに近くなるのだけど、
今まで会ったことのない盟友さんに
会おう、というのをテーマにしている。
というのも、800人以上いるはずの
JA福井市青壮年部のメンバーだが、
ほとんどの人を僕は知らない。
支部長25名でさえ、全員とお会いしたことがない。
そんな組織ってある???
なので、今回も
いつも来てくれる中心メンバーだけでなく
各支部のいろんな方に係ってもらうような場を
ここに作れたらいいな、と思い
事務局にも協力してもらい
そういう声掛けを行ってきた。
その結果、
手伝いに来てくれた半数が
あまり青壮年部の活動に参加してなかった人で
初めて会う人も居て、とても楽しい場になった。
と勝手に僕は思っている。

赤字にならないか
売り上げの数字も気になるところだが
誰が出てきてくれたのか
そのことが今回の僕の一番の関心だった。
ここに来てくれた支部長や一般部員の方々を
もっといろんな活動に巻き込んでいけたら
図体ばかりがデカくて
身動きが取れない青壮年部も
少しは地域を作る主体として
力を発揮するに違いないね。
ま、まだ千里の道の半歩程度だけどさ。


福井県JA青壮年部協議会(県青協)で
今年度作成したポリシーブックを
国会議員さんだけでなく
県庁にも持っていこう、と言い出したのは
僕だった。
一番身近な行政として
やはり福井県とも意見交換というか
農業の現状を伝えていかないといけない。
なんて、柄にもないことを考えてしまって、
今回、県庁に要請活動として訪問した。
対応してくれたのは
農林水産部の技幹さんと
精算振興課の課長さんと
政策推進グループの主任さん。

マスコミを入れる入れないで
ちょっとすったもんだがあったけど
腹を割って話そうという意味で
マスコミなしでの要請活動となった。
さて、その割られた腹はどんなんだったかというと、
兼業農家の位置づけによる
僕らの組織の弱さとそれを引きずることで
農業構造自体の発展性の不透明さ
だったような気がする。

福井県のJA青壮年部は
その単位組織の特色はあるが
基本的に兼業農家が多い。
というか土地持ちの家であるというだけで、
農業自体も兼業でやっていない構成員が多い。
青壮年部という男性中心の組織ということもあって
本来ならば農村の福祉という部分にも
その活動範囲はあるのだろうけど
女性部とのすみ分けなのか
それとも男女のジェンダー的偏見が
活動の構造に影響してなのかはわからないけど
僕らの活動範囲は、農業生産に限られている。
なので自然、
ポリシーブックを作れば
全体を潤してほしいような
ま、バラマキとか言われるような助成のお願いに
終始する。
それでも何とか農地の大規模集積なども
盛り込んだつもりだったんだけど
県からの発言の印象は
“専業の方は、本当にそれで良いんですか?”
と逆に切り込まれた感じだった。

僕らは専業農家かもしれない。
で、青壮年部活動で
集落の自治を夢見ても来た。
だけど、やればやるほど、
そんなものは幻想で、
言葉だけだと強く痛感するここ数年だった。
風土なんて言葉を使って
夢見た時期も結構長かった。
兆しもあったから、いろんな役職も引き受けたけど、
僕個人の力量の無さも相まって
通常の生活の範囲で
自分たちの楽しみの範囲も逸脱せず
面倒だと思えばやらなくても良い程度の緩い関係性と
固定メンバーのサークル活動程度で
ダイナミズムも少なければ
それを続けていく意味もあまり見いだせていない。
農村の自治や福祉向上の視点は
重要であるとは思うけど
その内容は文学的に深くはなるが
実際の関係性はそれに出てくるほどではなく
誇張されている部分も多いように思う。
で、そんな悶々とした想いの中で
逆に切り込まれたことに対して
僕は言葉を失った。

昔みたいに怒りにまかせて、
県も含めた行政が今の農業を創り上げたんだろ!と
吼えてもよかった。
技幹さんも課長さんも
その年代を県職に身を置いてきたわけなので。
現状として僕らは現場の最前線で
そこを切り離してやっていくすべを
組織的には、また農協としては良くわからない。
個々の経営では、それを考えて調整して
当然、やっている。
でもその指摘は
僕らの組織に向けて
あの要請の場でやられると
僕らは言葉を失う。
悲しくなる。
そういう自分に怒りが向けられる。

農業が方向転換する必要性は
もうずいぶん前から僕もここで言っている。
だのに、なぜかJA青壮年部のトップを
引き受けている。
自己矛盾だとは気が付かなかったけど
活動を鮮明に先鋭化すればするほど
その刃が僕に刺さる。

地縁と血縁と先輩後輩とあれこれと
居住空間を共にしながら
コミュニティみたいなオシャレにもなれず、
かといって自治なんて言えるほど
参加も得られない
今の農村部での農業生産は
どうあるべきなのか。
土地があってもそれを生産現場としての感心が
薄い世代が多く構成員として含まれる
福井県のJA青壮年部は浮遊する。

福井県への要請活動は、
それなりに長時間意見交換でき、
意味があったと思える話もできた。
だが、
僕は最初に指摘を受けたこと事柄から
その問題の檻にとじ込まってしまい、
自分を解放できずのまま
その時間を過ごしていた。



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JA青壮年部の東海北陸大会があった。
青年の主張と
活動実績発表の
二つの部門でプレゼンコンペがあった。
5年前に青年の主張で出た僕が
今度は主催者側に座って
この会に参加している。
ま、人生なんてそんなもんだ。

時計係を仰せつかったので
全部の発表をしっかりと聞くことができた。
聞いているうちに、5年前の自分が出てきてしまって、
もう一度この場に立ちたい衝動に駆られた。

実情を言えば
福井市管内で発表者をお願いするのに
毎年苦慮している。
輪番制を設けて
各支部持ち回りで発表してもらっているのが
現状だ。
静岡なんて県大会まえに
地区ブロック大会まであるらしいのにね。
この温度差はなんだろう。

できれば県大会を勝ち上がって
東海北陸大会までは出てほしいと思うのだが、
なかなかそう簡単にはいかず、
ここ数年、僕の所属するJA福井市は
東海北陸大会に人を出せていない。
出ると結構もりあがるんだけどね~。

発表のために活動するわけじゃないけど
それだと本末転倒なんだけど
でもここに出てくるかどうかは
今後の活動に大きく響くということは
はっきりと言える。

僕が所属している支部でも来年は誰か
東海北陸、いや全国まで人を送りたい。
そう思った大会だった。
誰もいないのなら、僕がもう一回行くけど良い?



ポリシーブックなるものを
県青協で作成をしている。
農業の現場で日々思うことを
自分たちの課題として整理することや
またJAや行政への要望として
まとめ上げたものを
ポリシーブックとして
毎年作成している。
今年は、その作業を
会長である僕が中心となってやることになっている。
ちょっと気が重い。

地面にへばりついて見えてくることは
ミクロなことが多く
マクロでどんなつながりや変化が起きていて
しかもそれに的確に「要望」しようというとなると
結構むずかしい作業になることは想定される。
だからそもそもその「要望」自体も
マクロばかりを見ている行政側からしてみれば
頓珍漢だったりもするのだろう。
この断絶自体が
まぁ、僕のテーマだったりもするのだけど、
それは僕個人の話であって
会長という役柄では、その断絶はない方が良い、
という思考は至極真っ当だ。
ただ、やっぱり頓珍漢に見えてしまうような
ミクロな意見は山盛りいっぱい汲み上げたい。
で、それを思いっきりマクロにぶつけてみたい。
これは性分だからしょうがない。
ということで、
僕の所属するJA福井市青壮年部の委員会の後、
有志で飲みながら話をした。

想定される答えとしては
米の買い取り価格が安い、とか、
野菜の値段が安定しない、とか、
JAで買う資材が高い、とかはよくあるが
ま、そういう単純な話は今回はなかった。
そういうのも大事かもしれないけど
問題ってそういうことじゃないんだよね。

まず出たのは
新規就農者に支払われる給付金。
ある一定の所得以下の場合、
最長で5年間150万が支給されるってやつ。
で、この辺でも居るんだけど、
生産を制限してその所得以下になるようにしている
新規就農者もいるって問題。
新規就農でいろいろと大変なんだから
ある一定の所得にこだわらず
給付するのなら給付するほうが
よほど健全だ。
あと儲かれば儲かるだけ得だと思えるような
仕組みを作らないとね。
たとえば5年間は
所得税や住民税や販売の消費税を還付するとかってどうだろう。
これだと販売したら販売しただけ得なので
がんばって作って売ろうってならないか?
だのに現行の制度だと
あまり売りすぎちゃうと給付金もらえないから
わざとコントロールする人も出てきていて
なんだかとても不健全。
競争主義をあちこちに盛り込んでいるんだから
もっと徹底したら?って僕が言うのも変だけどね。

あとこれは呑み会には来なかったけど
事前にもらっていた意見でこういうのもあった。
JAの共販で
野菜の秀品と優品という市場規格があるけど
それだけじゃなくて
もっと個人の頑張りが表に出るような
それがブランドになるような販売方法というか
規格わけがあってもいいんじゃないかって意見。
これは僕もそう思う。
秀品と優品での選別だと
みんな手を抜けるとこを抜いて
秀品の一番下を狙って栽培することになる。
秀品に入れば、一番いい秀品だろうが
一番下の秀品だろうが値段は一緒になるからね。
こういうのも不健全というか不毛だと思う。
そういうのって技術の使い方まちがっているよね。
ここでも健全な競争が生まれていないから
がんばった者が馬鹿を見ちゃうってことだね。

規格わけを細かくして
一番いい品質を高確率で出荷した人は
JAの総会とかで表彰すりゃ良いんだよ、賞金付きでさ。

ポストコシヒカリも良いけど、
食味値や整粒率や水分やたんぱく質含有量など
美味しさの基準も分かってきているんだから
それを行政とJAと農家が一体になって
各地区で実験的なモデルファームをやるっていうのも良いね。
この基準だったら高く買います、だけじゃ
何をどうしたらいいのか僕らは正直分からない。
傾向と対策とそして真っ当な競争。
これらが準備されてこそ
僕らの経営は、僕らの地区は、
そして僕らのJAは強くなる。
もうTPP始まっちゃうんだから
かつて
オレンジの自由化の中で美味しい蜜柑を追及したように
牛肉自由化で霜降りの和牛で対抗したように
その競争の中で
僕らの先輩たちは、
常に自分たちの消費者の味覚に寄り添って
よりよい物を提供してきたんだ。
だから今回も先輩たちのDNAを受け継いでいると
自負する僕らは、
きっと乗り越えられるはずだ。
それを思い起こさせるためにも
傾向と対策とまっとうな競争による
刺激が必要なんだ。
だからばらまき型の補助を
この際だから一切やめてしまえばいいとも思う。
すくなくとも面積に対して出すような
愚策はやめたほうがいい。
手厚くなればなるほど
イノベーションは起きないからね。

と言いたいことを言った後、
昨年の農水省の奥原さんとの勉強会を思い出した。
僕は、どうもそういう思考に
染まりつつある。
違和を覚えた物事にも
TPPの大筋合意からはスイッチが切り替わった。
なぜならのんびりはしてられないからさ。
ここで生き残るには、
いや生き残るだけじゃ物足りない。
僕らの地域がより発展的な存在になるには、
それがどんなルールだったとしても、
その中でもしたたかに、
いやそれ以上に強く突き進まないといけないんだから。
そしてやはりここは変わらないけど、
そういうマクロの変化を
僕らにどこまで都合の良いものに翻訳して
地元に埋め込めるか。
ここだろうね、やっぱり。

ということで、ミクロに頓珍漢を生きる僕らは、
これらを精一杯マクロにぶつける作業を
これからやっていこうと思う。

あっ、労働力について書くの忘れた。
ポリシーブックには絶対盛り込むけど、
エントリーとして記録するのは、
それはまた今度。




青年会議所が主催する秋の収穫祭に
JA福井市青壮年部で参加してみた。
今年から新しく参加を決めたイベントで、
何もかもが手探り状態だった。
大変だったのは事務局で、
JA福井市の指導販売部の職員さんには
本当に頭が下がる思いだ。

元をただせば、
僕が所属するJA福井市青壮年部の河合支部の
盟友の1人が今回の秋の収穫祭の
実行委員になっていたのがことの始まり。
「収穫祭」という名前があるにもかかわらず、
これまで農産物を販売する団体の参加はなく、
どちらかと言えば飲食ブースがメインのイベントだった。
で、お客さんからよく
「収穫祭という名前なのに野菜の販売はないの?」
と言われていたらしい。
そういうことならば
JA青壮年部の出番じゃないか!
というわけで、忙しい土日を全部つぶして
秋の収穫祭に参戦したというわけ。
盟友のお願いも断れないしね。
ただこれをやろうと思った理由の一つに
青壮年部として
新しく何か収入源を得たいという想いもあった。
中央会が一般社団法人化される話が
出回っていたころから
青壮年部への助成金が減らされるという話は聞いていた。
厳しい予算の中で切れるところを切るという
判断なのだろうと理解はしたが、
これまでそういう予算を当てにして
活動してきただけに
予算がなくなれば活動も幅がなくなり、
組織衰退にもつながりかねない。
福井市だけでも1000名ほどの盟友を誇る
青壮年部は、次世代の地域を支える
担い手の集団だ。
ここの風通しを良くしておくことと
協力体制を作り上げておくこと、
そして互いに研鑽をはかること、
それが次の福井市の農業を支える基盤だと
僕は思っている。
だから、予算がカットされたからと言って
このまま衰退をさせてしまってはいけないのさ。
という話をし出すと
3日分くらい書き続けてしまうので、
ここで話題を戻そう。

で、その収穫祭。
青壮年部の盟友の野菜の販売と
米の販売を中心に、
JA福井市の加工品も一部販売をした。
また体験として1時間おきに
餅つきの体験もして
白餅も販売をした。
なんともありきたりな感は否めない。
ただ、いくつか特筆しておきたいことがある。
まずコメ販売。
これは結果から言えば、失敗だった。
こういう食のイベントでは、
お客さんは外食しに来ているわけで、
何か美味しい物を買って帰ろうという
感じではなかったことと、
あとやはり田舎で米は売れないね。
2合ずつを小袋に入れて、
盟友の米とJAの米の5種類食べ比べセットを
販売していたのだが、
思っていた数の1/4も売れなかった。
重くならない程度で
食べ比べという遊びの要素も入れて
袋も可愛い彩の紙袋にしたのだが、
売れなかった。
PR不足というのもあったとは思うけど
お客の食いつきも悪かった。
と反省はこれくらいにして
これのどこが特筆なのかといえば、
JAなのにそれぞれの農家の保有米を
一緒に販売したことかな。
この提案を指導販売部にした時に
もっと抵抗感があるかと思っていたが
そこはすんなりと話が付いたのが意外だった。
これがいけるのなら、
次のステップに進めるな、と
ある程度の感触を手に入れたのが
僕にとっては収穫だった。

もう一つは嬉しい誤算。
それは餅つき。
「何か体験できるようなことをお願いします」と
青年会議所の方から言われていたので、
僕らで出来ると言えば
ありきたりかもしれないが餅つきだろう。
杵と臼でつく餅は
さんざんこれまでJAのイベントでも見てきた。
だから僕らにとってはちょっと古臭い体験で
こんなことはお客に受けないんじゃないか、
という意見もあった。
が、そんなことは杞憂というか
こちらの認識違いだった。
餅つき体験が始まると毎回、
人だかりになり、
40食分の餅も販売だったのだが
一瞬で完売してしまい、
並んだお客さんで買えない方もいるくらいだった。

全体的には大きな赤字になったが、
JAの青壮年部の存在感だけは
示せたかなと思う。
そしてこうした活動の場が
僕らの組織の活性には
絶対的に必要なのだ。
特にTPPが大筋合意して
これから地域を支えてきた兼業農家が
どんどん離農していくことを考えると
農業という枠組みで
地域を支えてきた場所は
これから大変なことが起き始める。
自治力を高めていく
その受け皿の一つとして
こうした農協を中心とした
青年組織の活動も
今以上にその真価を問われてくるはずだ。
ということを本気で書き始めると
3日間ほど連続で書くことになるので
今回はこれでエントリーを終えようか。

みんなと参加した収穫祭、楽しかったなぁ。





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先週のことだが
これはとても大切なので記録しよう。
JA福井市の青壮年部では
毎年食農活動として
一般消費者の方と一緒に農業体験を行ってきた。
今年は、枝豆体験。
で、先週のイベントが3回目の収穫&試食だった。

参加してくれた家族は8家族27名で
植え付けから参加してくれた方々全員。
未就学児も多く、とても賑やかに
みんなで枝豆を収穫した。

収穫して大なべで茹でて、
それを試食する。
とてもシンプルな体験で、
参加者からも好評だった。
お土産の枝豆も大量にあり、
参加費がちょっと安すぎるんじゃないか?と
思うくらいだった。
だが、こうした体験を通じて
1つ難しさを感じた。
それは体験のための作物の栽培について。
今回の枝豆体験では、
肝心の枝豆の生育が良くなかった。
植え付けた後の乾燥で
苗の活着が悪く、
また7月の高温&乾燥で背丈も伸びず
鞘数も少なめ。
そうなった理由は、高温と乾燥だが、
もう一つはイベントの曜日に
作業が固定されたことだ。
定植を行った日は、週間天気予報で
かなりの乾燥にあうことは当初からわかっていたが、
雨前の日にイベント日を移動することはできず、
結果、乾燥で活着が悪くなるという予想通りの
展開になった。
消費者との交流というと、
どうしても土曜日&日曜日に限定される。
その日がその作業に適している日だといいのだが、
天候に曜日は関係ない。
収穫もそうだった。
もう5日ほど後に収穫すれば、
たぶん実の入りもよく、美味しい枝豆になっただろう。
でも、次の週の木曜日や金曜日に
イベントをするわけにもいかず、
結果、日曜日に実の入りの弱い枝豆を収穫した。

管理者だった盟友の方は
とても気を使ったに違いない。
普段の栽培とは違うカレンダーで
動く作物なので
もうそれだけで僕らにとっては未知の世界なんだ。
こういう裏側での努力&苦労って
あまり表に出ないよね。

僕らにとってもいろんな学びのある体験だったように思う。
参加者の方々がとても喜んでくれていたので
僕らの苦労(とくに管理者の苦労)は
それなりに報われたように思えた。


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政談会の次の日は、
河合のJA青壮年部で
ドラゴンボート大会に出場した。
河合を流れる母なる川
九頭竜川に
10人乗りのボートを浮かべて
速さを競う大会。
ドラゴンボートの大会は
国際大会まで開催されるようで
日本でも各地で行われているようだね。

九頭竜川で行われるようになって8年目。
いつもは農作業に追われて
参加する気も全く起きなかったけど
青壮年部のメンバーから「出てみよう!」と
言われて
今年初めてエントリーしてみた。

エントリーはしたけど、
心配だったのはメンバー集め。
河合のJA青壮年部は73名と県下最大の規模だけど、
各集落での結束は高くても
地区での結束はそうでもないのが現実だ。
地区の部長として声をかけても
誰も参加してくれないのじゃないか、
なんていう人もいた。

しかし、案ずるより産むがやすし。
主だったメンバーに声をかけてくれた事務局や
役員の方々のおかげで15名のメンバーが当日
駆けつけてくれた。

結果は準決勝で敗退。
18チーム中で6位の成績だった。
初出場としてはまずまずだった。
こういう活動は思った以上に
青壮年部内の結束を強くするらしい。
今年限りかな、とも思っていたが
メンバーの強い希望もあって
来年もリベンジで出場しようと
反省会で盛り上がった。

一つ一つの活動が
積みあがって、地域を動かす力になる。
と、偉そうに話すこともある。
具体的にはどんなことですか?と
聞かれることも多いが、
たぶんこういうことなんだと今は強く思う。

来年は必ず決勝にでて
優勝をねらいたい。

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先週の土曜日は
地区の夏祭りだった。
公民館が主導して
関係団体が30ほど(だったと思う)が
参加しての夏祭り。
毎年恒例の夏祭りで
地元のJA青壮年部も
もちろん毎年参加していた。

例年だとポン菓子を作って販売していたのだが、
今年はもうちょっと儲けたい!という
想いを形にしようと
近所の農事法人が所有するフライヤーを借りて
フライドポテトと
僕の農園が提供しての吉川ナスの天ぷらも
販売した。
もちろん、ポン菓子も作ったさ。
昨年は、ポン菓子の音がうるさいと言われて
祭り会場の裏手でさみしく作っていたのだが、
今年は堂々とメインステージ目の前に設置し
祭り中に何度もポン菓子を作った。
苦情が来れば説き伏せようと思っていたのだが、
その苦情もなく、
逆に「祭りらしくていいね」と声をかけてもらったのが
嬉しかったね。

さて
その祭りは朝から晴天で、猛暑日となった。
お祭りの開始は夕方5時からで、
全く気温が下がらない中
部員たちは汗だくでフライドポテトとナスの天ぷら、
そしてポン菓子をどんどん作った。
暑さが幸いしてか
ビールのつまみになるフライドポテトと天ぷらは良く売れ、
ポン菓子も祭り会場の前面に置いたので
インパクトもあったのか
すべて完売だった。

今回良かったと思うことに
僕らのユニフォームがある。
また来週に予定されている
ドラゴンボートの参加に合わせて
青壮年部のユニフォームを作成していたのだが、
そのユニフォームが祭り当日に間に合い
みんなでそれを来て祭りに参加したのだ。
きれいなオレンジのポロシャツで
背中に独自のロゴが入っている。
出店にも統一感が出てたし、
それよりも若い部員がたくさん集まってくれて
今までの青壮年部のイメージとは
全く違った出店だったように思う。
たぶん、祭りの中で一番活気のあったブースだったろうね。
(自画自賛)。

最後の民謡も
僕ら部員全員で参加して
僕らも祭りも盛り上がった。
新しい風というか新しい流れというか
そんなパワーを感じることができた夜だった。
おかげで正体不明になるくらい飲んで
家にどうやって帰ったのかも
そしてなぞの寝姿で脱衣所に倒れていたことも
なにもかもが思い出せないほど
気分が高揚した夜だった。

古いイメージがどうしても払しょくできない
農協青壮年部も
僕らの取り組み1つで
大きく変わるんだと確信した夜でもあった。


日曜日はJA青壮年部の
県の協議会のイベントだった。
青年の主張・活動実績大会という
それぞれの想いと
各支部の活動をプレゼンする大会だった。

僕はこの大会がとても好きだ。
それぞれ、普段は話し合わないようなことも
この場を通じて発信できる。
そしてこの場に来て発表するまでに
青壮年部の盟友間やJA職員と
たぶん多くのインタラクションを生み出し
作り上げてきているからだ。
こういうプロセスを踏むことで
普段は活動をするばかりで
それに対してあまり考察も入れないで、
流れていってしまうことも意識化できる。
その意識化から
自分の立ち位置や地域を理解する助けになり、
そこから盟友との結束が強まったりする。
熱い思いをぶつければぶつけるほど
人の想いは研磨される。
僕はそう信じている。

大会で発表されたことは
どれも素晴らしい発表だったが
それに優劣をつけないといけないのは
作業としては難しいし、つらい。
しかし、ここを勝ち上がれば
次は東海北陸ブロックの大会で
そこを勝てば、
いよいよ全国ということの運びになっている。
福井から全国に行くことで
地域が一気にまとまる力を
僕は5年前に見ていた。
今回の発表で
最優秀賞に輝いた方々には
ぜひとも次も勝って
全国にコマを進めてほしい。

インタラクションをたくさん生み出す
この活動は本当に楽しいね。
来年はぜひとも
僕のいる支部から
発表者を出したいものだ。










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土曜日にJA福井市の青壮年部で
消費者交流事業の活動があった。
先月に植えた枝豆の土寄せ作業の予定だったが、
雨が降ってしまい、
土寄せ作業は中止。
ただ盟友の作業場を借りて
予定通りBBQは実行した。

ただ、やはり悪天候というのもあってか
消費者の参加者は少なく
ちょっと残念だったが、
それでも青壮年部と指導員さんと
みんなでBBQを楽しんだ。

こういう活動は
これまで農園でも行ってきているが
いつも問題だな、と感じることは
「交流」がうまく醸成できないということ。
BBQは参加しやすい活動なんだろうけど、
鉄板の周りを囲む人間が固定化されてしまって
どうしても流動性に欠けてしまうということ。

うまくその場をファシリテートして
参加者同士の交流が醸成できればいいのだが
うーん、僕にはその能力はない。
だからいつも発案だけで
あとはなるようになれ、と
ややさじを投げた感じになる。
僕がそんな調子だから
逆に場もそうなるんだろうね。

今回はそういう固定化もあったが
消費者の方が少なかったことが
幸いしてか
その場に僕や副部長や
他のメンバーも入って
楽しく交流は出来た。
人は共食する生き物だから
一緒にものを食べるというのは
それだけで関係性が作られていく。
だから食べるというのは
イベントにしやすいよね。
なにかを一緒に食べるその動作に
たぶんもう少し考察を入れて
取り組まないと、
共食する習慣を当てにしても
そこから先へは進めないのだろう。
もう少し勉強しようっと。




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先週末、地元JA青壮年部の
4支部が集まって
合同でソフトバレーボールの
スポーツ大会を開いた。

僕らのJAがJA福井市に
合併する前からあったスポーツ大会で、
ソフトバレーボールが競技になってからは
僕が所属する河合支部が
優勝したことは一度もなかった。

そこで8年前から僕も参加しているのだけど
なんとか優勝したくて
これまで農園で研修を受けていた若者や
スタッフを誘っては
このスポーツ大会に出ていた。
研修生の中には
エビぞりアタッカーや
高校の時に県の選抜メンバーに
選ばれた子などもいたし、
セネガルのイブライは190㎝ほどの
身長を活かして活躍してくれた。
だが、優勝の二文字には
なかなか行きつかない。

そして今年、
インドネシアの研修生たちも参加し、
地区の若手部員もたくさん参加してくれて
得失点差という僅差だったが
優勝できた。
各集落でのスポーツ大会参加への声掛けが
良かったのだろう。
とにかく僕らの支部が断トツで若かった。

4支部合同での懇親会では、
「若手集めすぎで反則や」という声もあったが、
「来年はうちらも集めてこなあかんな」という意見もあって
こういうことでも地域の元気の一翼になるんだって
そんな風に感じられた。
もちろん、来年も優勝さ。
だから他の支部のみなさん、
気合入れて若手を集めて挑んできてください。
挑戦は受けて立ちますよ。



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昨日は
JA福井市青壮年部の
農業体験イベントだった。
今年は枝豆の栽培。
24名の消費者の方々が参加しての
農業体験イベントで
今年はこれを入れて3回の予定で行う。

昨年まではそばの体験だったが、
今年は大豆。
転作作物への理解促進と言えば
なんだかお役所的だが、
実はこの大豆、
何年も前に
企画してつぶれてしまった企画だった。
今の青壮年部の委員さんの数名が
僕らが4Hクラブに所属していた時の
当時のコアメンバーで、
その時いろいろと保育園と一緒に
年間通した活動を行っていた。
体験田んぼや夏野菜など
いろいろとやった中で、
自分たちの最後の年に当たるころに
ある保育園と一緒に大豆の栽培に挑戦しようと
計画を立てていた。
豆をまくところから始まり
夏には枝豆を楽しみ、
収穫したらそれで豆餅を作ったり
(その保育園は餅つきが大好きだったので)、
味噌教室を開いてみんなで味噌を仕込んだり、
そして2月の節分には
4Hメンバーが鬼に扮して
みんなで栽培した大豆で豆まきをする。
そんな年間を通じた活動計画だった。

だが、その計画は
園側の「忙しいので」という言葉に粉砕されてしまった。
そして、僕らは4Hを卒業し、
あれから何年も経ってから
あの時のコアメンバーがまた
何かの偶然で青壮年部の委員として集まり、
そして今年、
この活動が一部だが動き出した。
味噌作りや豆まきまでやらないが、
枝豆をみんなで楽しむところまでを
今年はやろうと考えている。

炎天下の中での
枝豆の苗の定植は
けっこうしんどい作業だったが
参加してくれた方々は
夏の枝豆の豊作をイメージしながら
「こんなに食べきれるかしら」
と笑いながらの作業で
僕らも楽しかった。

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良かったですね、先輩。
僕らのあの頃のアイディアが
またここで花咲くことができて。
今年はこれで楽しみましょうね。




今週も東京だった。
用事は2件。
ドローンを農業用に開発している方々に
農業の現場の説明に行ったのと、
全国のJA青壮年部の会議に
県代表として参加したこと。

ドローンについてはまた
詳しく書いていこうと思うけど
それはまた今度。

全国青年部協議会(全青協)は
とにかく会議、会議、会議だった。
出てこなかった県もあったが、
全国の青年部の県代表が集まる会議は
やはり壮観。
会議は面倒で、そこでの議論が
僕らの青壮年部にどうかかわりがあるのか
ややイメージが付かない感じではあったが、
各県の代表として来られていた方々の中には
面白い人もいて
それはそれでいい出会いになった。
それぞれの活動の中身を聞いていると
河合地区の青壮年部や
JA福井市の青壮年部も
けっこう良い線の活動をやっているよな、
と思えたのも収穫だった。

ただ、全国の話って
自分が所属している単位組織(JA福井市青壮年部)や
単位農協(JA福井市)にとっては
ほとんど関係がないような話ばかり。
単位組織の意見集約って話も出ていたけど、
僕らの単位組織が抱えている問題点に
応えてくれるというよりかは
全国としてやろうとしている事柄に
意見を出せと言うイメージが大きい。
トップダウン的に組織が出来上がったわけじゃないのに
(少なくとも協同組合の原理から言えば)
全中や県中と同じで
ボトムアップ的になれないから、
これからの時代は厳しいんじゃないだろうか、
とまぁ、要らぬ心配も少しあった。

それと
これは個人的な状況なんだけど
妻が県外で仕事をしているため、
こういう出張がある度に
小学校中学年の娘が独りぼっちになる。
近くに住んでいる父母に預けはするが、
やはりさみしいようで
精神的な負担は大きい。
もちろん、営農にも大きな影響が出る。
大きな犠牲を覚悟しての出張なのだが、
「付き合いで」「役を受けたから」というだけの
モティベーションでは、やはり辛い部分もある。
だから、ブロックを抜けたいという
県の組織が今回あったが、
その言わんとしていることは
わからないでもない。

だからこそ、全国の会議は
通り一遍の会議ではなく
実のある、勉強になったなぁ、
という実感のあるものになるといいな。
集落組織と地区の支部、
そして単位組織や県青協、
さらにその上にある全青協。
すべて農協青壮年部なのに
それがそれぞれに断絶しているという事実に
もう少し観察していこうと思う。



『TPP国会決議の実現を求める全国JA青年組織代表者総決起集会』
という、一見しただけでは
何のことか良くわからない集会に
東京まで出向いて参加した。

事実、友人との食事会で
この文言が書かれている鉢巻を見せたのだが、
「あれ?農協ってTPP賛成だったっけ?」と
反対の意味でとらえられてしまった。
『TPP国会決議の実現』って辺りが
どうしてもTPP早期妥結!って読めちゃうよね。
こういう文言って大事なんだよなぁ。
で、たぶんたくさんの人で考えたんだろうけど
その迷いぶりもやはりここでは見えちゃうね。
反対!反対!って言葉ばかりでは、
利権にしがみつく業界か!?って見えてしまって、
やはり世論的に賛同は得られないしね。
国会決議というのは、
TPPの交渉経過も中身も全く見えない中で
国会内の農林水産委員会での決議で、
『米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物などの農林水産物の重要品目について、引き続き再生産可能となるよう除外又は再協議の対象とすること』を骨子とした
決議のこと。
米と麦と牛肉、豚肉、乳製品、そして甘味資源は
関税撤廃から除外してね、という決議。
これを守ってね!という圧力行為が
今回の総決起集会というわけだった。
規模としては400人ほどの集会だった。

2日間の座り込みで、
地元選出の議員さんにも連絡を入れたが、
来てくれたのは助田議員・山本議員・滝波議員の3名で、
(滝波さんは早朝来られたようで、会えずに名刺だけ置いていった)
他に山崎議員の秘書が代理で応援に来てくれた。
が、他の議員さんからはなしのつぶて。
稲に田んぼと書いて、と農業とのかかわりをあいさつの冒頭で強調する
稲田議員にはぜひ来てもらいたかったが
農協改革の件で(稲田議員は農協改革の急先鋒というイメージ)
他県の青年部から反発の声が高いので
血気さかんの青年部の若者の群れの中には
まぁ、来ない方が身のためだったのかもしれない。
来たら来たで総決起集会自体はヒートアップして
ちょっと面白いアクシデントもあったかもしれないけど。

さて、参加しての雑感。
集会での東大の鈴木宣弘教授の話は面白かった。
交渉自体が茶番劇だと批判する教授は、
すでに着地点も決まった出来レースを見せられていると
その経緯を話してくれた。
昨年、安倍さんとオバマさんと寿司屋で
会食した時にすでにTPPはどのあたりでの決着するかも
取り決められていたという。
TPPと並行して日豪のEPAが交渉されていたが
そこで現行の牛肉の関税を
19.5%まで引き下げる取り決めがあったが、
ここでの言い訳としては
この関税率を持ってTPP交渉の要としたいということで
これ以上の引き下げはなく、オーストラリアも含めての
TPPなので、交渉の中で19.5%で押し通すような論調だった。

だが、ふたを開けてみると(まだ完全に蓋はあいていないけど)
漏れ聞こえてくる数字は9%といったような具合で
なんだか何が本当かわからないまま
国民がその数字と意味を忘れてしまう頃合いを見て
徐々に寄り切られているような
そんな状況だそうだ。
特にミニマムアクセス米として
さらに追加で20万トンほど別枠を設けようという辺りも茶番だ。
だから先生曰く、
「国会決議は意味がない。それはどんな風にも読めるんです!それぞれの品目で再生産できるぎりぎりのラインまで関税は引き下げられるし、別枠でミニマムアクセスとして買わせられてしまう」
ということだった。
国会決議の順守を声高に叫んでも
無駄というわけだ。
ある国会議員さんは、雑談の中で、
「再生産できるように無関税になってもなにかしらの補償で支払われるんだから、そこの予算取りが肝心になるよ」と話していた。
TPPの議論の中身も知らないはずなのに
国会議員がそういうことを言い出しているってことは
やはりその路線ですでに政府も国会も動いているってことだ。
補助ばかりの農業。
攻めの農業・強い農業ってこういうこと?
ソンナンナニガオモシロイノ?

でも、鈴木教授はそれも論破する。
「関税収入が減ってしまうのに、いったいどこからその補償分の予算を確保するというのでしょうか?財務省はすでにこれに対してかなり消極的態度ですよ」。
つまり補償はあっても、かなり限定的なものに
もしくは期間が内々に短く見積もられている可能性も高い。
なにせ農業人口の平均年齢は66.7歳。
人口ピラミッドだと60代から上ばかりが多い
いびつなカタチ。
だまってやり過ごせば、
時が立てた経つほど力のない業界になるのは
目に見えている。
だから少し先の未来を語るだけで
そこを満足させられさえすれば
すべて収まるように思われている。
それが情けない。


JAの新任役員研修会に参加。
今年、JA福井市の青壮年部の部長になり、
組織代表としてJAの役員にも名を連ねた。
全国的にも珍しいのだが、
福井の農協は結構先進的で、
青壮年部や女性部の部長が
役員として枠をいただいている。
JA福井市は経営管理委員制度をとっているので、
僕もその一員としてこの4月から
JAの経営判断などをする立場にいる。

さて、
僕自身、小さな農園を経営しているが
その経営内容とJAとでは規模も業務内容も全く違うので
僕の経験なんて役に立たない。
新役員さんの中には大きな会社経営者もおられるだろうが
僕のように経営には素人の方もおられるのだろう。
だから、こうして新役員のための
研修会が二日間行われた。

その研修会は5つの座学から構成されていた。
まずは県大の北川先生による
「JAの存在価値を考える」。
協同組合とは何かを歴史的な事例を基に解説し、
農協の設立やその後の経緯を社会変容に合わせて
解説してくれた。
組織の理念や構想などもその時々で
やや付け足し感はあるが
社会問題に応答する形で
発表されてきたのはとても興味深い。
その果てが、農協批判と農協改革につながる経緯については
もっと解説してほしかった。
ただ解説してもらったこの大きな流れは
政府や社会に対しての全国的なまとまりの話であって、
実際に日々の組合員さんの暮らしとは
至極かけ離れてしまっているようにも思える。
政治的に向かいすぎたというのも批判や改革に
つながったということなんだろうね。
地域はそれぞれ多様なカタチなのに
農協という名前だけが同じというだけで
それが全国的にも力をどう持つのか
今一度考える必要があるようにも思う。
が、それは新任役員研修の範疇外かな。
他のエントリーでも書いた通り、
地区の青壮年部と福井市の青壮年部、
そして県青協で感じる温度差と意識の差は
その縮図のようにも思う。
そしてまた論点を変えると
先生が言うように新自由主義との対決であれば、
なぜ農協は中道左派的な思想活動を展開できないのか。
やはり官製ではないにせよ、
自民党と近くなりすぎた協同組合ということなのだろうか。
この辺りは骨格となる理論構築が欲しいところだが、
北川先生に期待しよう。

講座の2つは中央会からの説明だった。
農協法や役員(理事・経営管理委員)の責任について
けっこう重い話もあった。
経営責任を追及された場合
その案件に会議で賛成した役員さんは
記録されているので責任回避はできない
とのことだった。
さらに、自分が退任した後も
自らの賛成への責任はついて回り、
自分がたとえなくなった後にその責任問題になった場合、
自分の財産を相続した人にその賠償が及ぶとの
説明もあった。
ふ~ん、結構その判断は重いのね。
だからこそ、慎重に、しかも勉強をして
判断しないといけないし、
一旦判断したことは、
とても重みのある判断になるというわけだ。
この説明を聞いていた会場は
けっこうざわついていた。
この説明には、会場からも質問が相次ぎ、
「経営責任を取りたくないから、私はこれからどんな案件だろうと全部反対する」
とその心情は分かるが
理事・経営管理委員としての資質が問われるようなことを
いいだす方もおられた。

福井は先進的な地域で
青壮年部や女性部の組織代表も
理事・経営管理委員の枠があり
経営に参画している。
で、僕らとは別の福井のJAで
若者を増やす必要があるということで
青壮年部の枠を増やそうという話し合いもあったようだが、
結局、青壮年部内から誰も出る人がいないということで
話は流れたらしい。
農協改革の中にも
若手や女性、経営のプロや大規模農業者などが、
経営に参画することが望ましいとなっているが、
その方々に明確な利益や利点が無い限り
こういう条件では
まるで火中の栗を拾うようなものだと
会場の方と雑談した。
そういえば、国政でも県政でも市制でもいいのだが
議員さんってそういう責任って
問われるのだろうか?

とはいえ、一応、
経営責任を追及された場合の保険もあるので、
そこはある程度は大丈夫とのことだった。

残りの講座は
顧客満足度を上げましょうと言うビジネス講座と
労務管理の講座だった。
これらは経営管理委員としてよりも
自分の経営を見直す意味でとても勉強になった。

会場で愚考したことは
自分が経営を判断するにしては
農協があまりにも組織として大きいこと、
経緯と歴史と法律から見て
それをどう捉えるべきか、ということ。
ちょっと手に負えない感じだが
これはこれでとても考察しがいのある
課題をいただいたようで久しぶりに
脳みその良い刺激になった。
とても面白い題材をいただいたような気がするし
それを内側から考えられるという
とても幸せな(?)立場をいただいたと思う。
農協は地域の中でもそのウエイトが大きいしね。

特に農協に頼らなくても自ら進んでいけるような
新しい農業形態の方々が参画し始める農協の経営の変容、
そして農村がすでに農業とは切り離された形で
存在するコミュニティという中で
世代間でギャップのある意識の変容が
どう農協という組織に影響をするのか、
また農業を起点とした農村の復興が重要なのか、
それともそれはそれとして農協組織としての存続が重要なのか、
両立しない問題はすでに僕らの目の前にあると思う。

ま、ゆっくり考えていこうと思う。
そういう意味では新人研修は
とても面白かった。
まとまってはいなかったけどね。
あっ、それは中央会が
そういう風に単協をみているんだっていう意味では
良くわかったかな。


最近、ブログでの農協ネタが多くなった。
ま、それもそういう立場にいるからなので、
その時々の自分の立場と興味に反映されるので
ご了承ください。
ということで、今回も農協ネタ。

昨日は、JA福井市の総代会に出席。
もちろん若輩者の僕は、
地域の総代というわけでもない。
青壮年部の河合支部長として案内が来ていたので、
ということもあるが、
この総代会で僕は青壮年部の組織代表として
28名いる経営管理委員の
1人に承認される予定だったからだ。
で、今回の総代会では
いろいろと問題点もあったようで
例年よりも少し長めの会になったが
無事に承認された。

冒頭の来賓のあいさつの中で、
決まり文句ばかりが並ぶあいさつの中で、
お隣のJA花咲福井の方のあいさつが面白かった。
覚えている程度で
要旨のみを紹介しようか。
『自民党の農協改革は単協が自由になるためのものなんです、と稲田先生あたりが言っておられるが、そんなことはない!今、資料を拝見したのですが、JA福井市は部門別損益計算書では、農業関連事業も生活事業も赤字ですね。共済事業と信用事業を中央でまとめて代理店方式にしたら、それだけで単協はつぶれてしまう。それはうち(JA花咲)も一緒だ』
という話だった。
当たり前の話で、
農業が全体的には斜陽産業なのだから
(個別ではそうとも言えないのだけど)
しょうがない。
10年以上前くらいから
農地の多面的機能なんて議論を始めたあたりで
農業の経済的意義だけでは
やっていけないと自己申告していたようなものだし。
どうして斜陽なのかは、
また別の稿でじっくりと考察してみたい。

さて、そうやって始まった総代会は
やはり農業部門をどう伸ばすべきかの質問が
相次いだ。
特に26年度の米価は暴落したこともあって
なぜここまでJAの買い取り価格が安いんだ!
という怒りの声もあった。

27年からの3か年計画を眺めていて
どの立場でもなく、
まったく個人の農家としての感想だが、
共済や信用は全く専門外なので
わからないけど、
農業部門の青果物で
ここ3年の内に2億5千万円の
売り上げを伸ばす計画になっていたが
どうやって伸ばしていくんだろうか?
という疑問がわいた。
米は右肩下がりの数字だったので、
まぁ、そうなっていくことは誰の目にも
明瞭なので、まずは妥当だとしても
9割以上がコメの兼業農家である
福井の農業構造で、
青果物をそんなに伸ばせるのか?
個人的にニッチを探して、
フルタイムで野菜作りに取り組めば、
そんな農家が多ければ、まぁ、実現可能だろうけど、
そういう構造じゃないよな。
さらに農協が共販で扱っている
農産物(ネギやホウレンソウ)の大半が
福井市場を睨んでのことなので
26年度でさえ飽和してるんじゃないか、
と意見も聞いたし、僕の市場で見ている実感としても
そんな感じを正直持っている。
またそれ以上に
飽和状態になってしまっている
JAの直売所はさらなる売り上げ確保ができるのだろうか?
と素朴な疑問だった。
先日読んだ
増田寛也氏の『地方消滅』でも
福井市はちゃんと消滅する側に
名前を連ねていた。
だから、今後人口が伸びていくことを
期待することはできない。
そして現状においても市場では飽和に近い
のだとしたら
(この肌感覚が間違っているのであれば、それに越したことはない)、
どう伸ばすのかなぁ~?と素朴に思った。
どの市場にもニッチはあるので
2億5千万くらいなら、とも思わないでもないけど、
それはそのニッチに対して
小回りの利く変化ができる団体の話なんだけどね。

そんな疑問に比例してか、
やはりそういう質問も総代からはあった。
ただ具体的な数字は出てこないので
良くわからない、というのが正直な感想かな。

もう一点、
総代会で違和を感じたのは
その会場の画一観だ。
参加者がほとんど
壮年層と老年層の男性しかいない。
もちろん、女性部や青年部の席もあったが
そこは傍聴席で、議決権もないし、
質疑もできない。
それらの権利を有した総代の方々は皆、
ある一定の年齢以上の男性だということ。
もちろん、それが多様な判断ができない理由には
必ずしもならないが、
老若男女の組合員で構成されている
農村の多様性が
反映されない仕組みになっていることは確かかも。
ま、その中でも『老』が多くなるだろうけど。
地方行政の議員構成や選挙人の構成なんかとも
こういう問題は共通しているんだろう。
そういう意味では、農協だから特別こういう問題が
あるというわけでもないだろうけど、
すくない多様性を確保できる方策は
やはり必要だろうな、と思う。

これが今年の総代会に参加してみての雑感。
経営管理委員として何ができるのかは
分からないことばかりだが、
自分なりに感じたことを
少しずつだが掘り下げて考えて
行動に移していこうと思う。



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むらの江掘りに出る。
生活排水の泥揚げ作業で、
普段から体を使う仕事をしている、とはいっても
何時間も重い泥をすくい上げつづけるのは
さすがに体にこたえた。
ちなみに、言い訳みたいだが、
写真は最も楽な溝の掃除のときに撮ったもの。
この時くらいしか、
気軽に写真が取れない。
なぜなら泥の深い側溝だと
みんな殺気立ってくるので、
のんびり写真なんてとっていられないというのは
言い訳の余談。

さて、この作業、
うちの集落の農協青壮年部の恒例活動。
30代~40代が中心になって
1日かけて村の生活排水路をきれいにして回る。
昼はホルモンを焼いて、
夜は村の仕出し屋の座敷でどんちゃん騒ぎの宴会。
普段、村に住んでいても
職場は街で、平日は残業も多く
村には寝に帰るだけの同級生や幼馴染たちも、
この日は久しぶりに
顔を合わせる大事な日にもなっている。

この集まりは、農協青壮年部というのは
もう書いた通りだが、
こういった個々の集落の農協青壮年部が
それぞれの地区単位で支部を形成していて、
(青壮年部河合支部は6集落の青壮年部から成っている)
その支部の集まりが
(JA福井市の場合は25地区)、
JA福井市青壮年部として組織されている。
さらに福井県内にそれぞれのJAで組織されている
青壮年部が集まって、
県の農協青壮年部連絡協議会となっている。
もちろん、その上の全国組織までつながっているわけだが、
集落の農協青壮年部では
そこまでつながっている意識はほとんどない。
僕は27年度の県青協の会長になったのだが、
それを知る集落の部員はほとんどいないというのが現状さ。
それを知ってほしいと思っているのではないが、
その断絶ってどこから生まれてくるのだろうか、
と素朴に思うからだ。

集落での農協青壮年部の役割は、
懇親の場というのが一番大きい。
うちの集落では農協青壮年部以外に
任意の青年会が組織されていて、
農地や農業と関係のない人も入れる会がある。
なので、うちの集落では祭りの主催は
その青年会が担っているが、
集落によっては農協青壮年部が
祭りの主体だったりもする。
うちの集落の青壮年部では、
かつてはいろいろな活動があった。
各農家が農協に注文した肥料を
それぞれの農舎まで運んで(一万体近く運んだらしい)、
その手間賃を活動費にしたり、
農協の米蔵倉庫で行われる検査で、
それぞれの家から倉庫まで米を運ぶ役を担ったり、
若者でなければできない役割を担っていた。
今では、青壮年部の活動は、
側溝の掃除くらいで、
呑み会も側溝掃除の後の宴会と新年会の2回のみだ。
それでも、
爺さん婆さん世代から兼業化してしまったような
兼業2世3世(という言葉が適切かどうかは分からないが)にとって
この呑み会が村と農業を意識する数少ない
機会になっているのは確かだ。
兼業3世にもなると、自分の家の田んぼが
どこにあるのかもわからない奴もいるほど
彼ら彼女らは農業から縁遠くなっている。

さて、
その一方で県青協の集まりになると
TPP・農協改革・米価下落などの問題を
良く議論されている。
農協青壮年部なんだから
農業と密接につながっていて当然なんだろうけど
一番小さな組織体(村の農協青壮年部)から
その全体像を眺めると
それに違和を覚えることもある。
兼業2世3世にとっても
米価は関係するのでは?と思うかもしれないが、
彼らの家計収入に
すでに米は射程に無いように思われる時が多い。
親や祖父母の趣味的な位置づけだったり、
すでに他人や集落営農・法人などに預けてしまっていて
その配当にもそれほど気を留めない。
それどころか、
人足として作業に半強制的に参加させられることに
嫌気がさしているのが現状とも言えよう。
ここら辺の話ではないが、
県青協で一緒になった方の地域では、
集落営農の共同作業を罰金制にしたところ
多くの世帯がその罰金を支払う方を選んで、
作業に参加しなかったそうだ。

2006年に国際開発学会の全体シンポジウムで
日本の農村についての話し合いがあった時、
最初のスライド映像で、
「ムラは死んだ」とセンセーショナルな言葉が
大きくスクリーンに映し出された。
そんなことはないだろうと
当時の僕は思っていた。
が、あれから僕なりにここで10年近くやってきたが、
その僕は今、
あの時、ムラは死んでいたのかもしれない、
と思うようになっている。
ただそれは農村として、農業を生産様式として
その中でつながっている地縁として総体が
すでに死に体になっているという意味だ。
コミュニティが、その自治力がそれで低下したとは
思えない部分も多く、
その意味ではムラは農村からコミュニティに
変化したとみることができるが
その議論は、また別の稿に譲りたい。

いずれにせよ、
組織図の中では県青協を支える
それぞれの集落の青壮年部は、
その組織図とは全く違った言説をそれぞれに抱え、
そして全く違った価値と意味の文脈で
存在しているように見える。
だから一つに集まった県青協の力が
思ったよりも影響力が無かったり、
その論点がどこか上滑りしていくように感じるんだと思う。
なぜならそれは実体としてその最前線の
下から積み上げられたものじゃないからかもしれない。

それぞれの農村の抱える問題が
コミュニティとしての問題として
農業だけじゃなくそれ以外にも含みつつある
現状を反映するには
いろんなものがその変化についてきていないのかもしれない。
僕がそう思ったところで
何か変化が生まれるわけではないが、
今年はちょっと面白い立場にいるので
その意識と価値と意味の断絶を
たくさん発見していこうと思っている。






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今日、福井県農協青壮年部連絡協議会の
総会が行われた。
予定通り、無事
総会にて平成27年度の会長に選出され、
承認された。
大役を仰せつかり、
本当に身のしまる思いだった。

県青協との付き合いは、
さかのぼること4年前のJA全国青年大会に始まる。
福井県大会・東海北陸大会と
青年の主張の部門で勝ち上がり
全国の舞台で発表する栄誉を頂いたのが
この県青協との係わりの始まりだった。
その時の発表の中で
僕は地域を創る主体は
まさに農耕青壮年部だと話をした。
多様な地域のあり方を的確に表す言葉として
「風土」という言葉がある。
風と土からなるこの言葉には
いろいろな哲学が込められていると
僕は国内外で地域を創ってきた
いろんな方から教わった。
風は、よそ者や外の考え方。
土はそれを受け止めて、
その土地に根付かせる地元の人間。
その二つが合わさって風土となる。
地元の慣習や常識だけでは
その地域を彩る言葉には
発展しないというのが味噌だ。
そんな話を青年の主張では訴えた。

そして、今日。
その団体の会長として就任した。
外から吹く風は4年前の牧歌的なものから一変し、
TPP・農協改革・米価下落などの
危機的な暴風が吹き荒れている。
それを受け止める土は、
とてもじゃないが個では対抗できない。
だが僕ら農民は知っている。
良い土とは何か、を。
そう、団粒構造がしっかりしている土こそ
肥沃で、しかも安定性がしっかりとしてる。
それをホメオスタシス(恒常性)とも呼ぶが、
環境がドラスティスに変化しても
その内部である一定を保つ力をそう呼ぶ。
それは、一人一人の農民の有機的なつながりが
その組織のホメオスタシスを作り上げるのだと思う。
有機的につながった地元の組織が
外から吹いてくる暴風も受け止めて
それを翻訳し、解釈し、
もちろんそれに合わせて自分たちも形も変え、
そして最終的には外部が意図しなかった形で
僕らの中に埋め込んでいく。
それが、僕ら土の人間の仕事だ。
その主体的、また最前線に立つべき団体が
僕は農協青壮年部だと感じている。
僕はとても未熟で微力しか持ち合わせていない
一介のしがない農民だ。
でも僕らが力を合わせて
その土をより肥沃にしていければ、
今の危機的な外からの暴風は
いつか僕たちの営農のカタチに
なるんじゃないかと、夢想している。

1年の任期でどこまで出来るのかはわからないが、
僕なりに精一杯、
この組織の発展に力を注ぎたい。


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2月1日の日曜日、
僕が所属するJA福井市青壮年部の
総会があった。
そこで今年度の役員改選があり、
僕が部長に選ばれ、承認された。

任期は3年だ。
青壮年部の部長に就任するにあたり、
総会では所感を述べさせてもらった。

これまで他の農業者団体の役員などを
務めてきたが
自分なりに不満はあった。
農業界に対する危機を感じながらも
ただ単に飲み会になってしまっている会ばかりで、
真面目な議論はどこかそっち抜けになっている感が
強かった。
もちろん、楽しかったさ、その組織も。
仲間と呼べるような農家に出会えたしね。
でも不満があった。
それが一番噴き出してきたのは、
やはり会員が活動のプレゼン大会で勝ち上がり、
東京まで発表しに行ったことがあったのだが、
東京会場まで応援に行った会員は
僕だけだった(しかも3歳の娘連れで)。

その活動はそれなりに手ごたえはあったし
今までにない何か作り上げた感触もあった。
その発表が
東京でとてもさみしく行われたことが
本当に残念だった。
僕はあの一件で、かなり失望した。
そして自分の想いが萎えていかないようにするために
その団体とも距離を置くようになった。
行政との距離を感じるようになったのも
たぶんその辺りからかもしれない。

その数年後、
地区のJA青壮年部に青年の主張の順番が回ってきた。
他のJAは分からないが、
ここでは実績発表や青年の主張といった
青壮年部の発表大会の順番は各支部の持ち回りで決まっていた。
そこで、河合地区にその順番が回ってきて
僕がその発表をした。
その詳しいエントリーは、すでに記しているので
ここでは割愛しよう。
詳しくはカテゴリの青年の主張を参照されたい。

で、その時の
東海北陸大会&東京大会での応援のエネルギーが
とても大きかった。
地区を上げての応援や声かけがあり、
多くの方が駆けつけてくれた。
そう、地域を何とかしたいと思った時に
必要なエネルギーがこういうエネルギーなんだ。
それまで関わっていた農業者団体は
個人個人の事業主ばかりで、
それぞれの仕事の延長上にある団体だった。
だから農業は栄えても地域は力を持ちえない。
その団体に所属するまでは、
そこに差があるとは思わなかったし、
失望してからは
そこの差が埋まるとも思っていなかった。
でも別の力学があって、それが働く場所があることを
僕は日比谷公会堂の発表ステージで
僕から見て右手上段の観客席が
JA福井市青壮年部が作った赤の半被で染まったその場面で
まさに発表しようと思ったその瞬間に、
僕は初めて気が付いた。
僕は以前から青壮年部に所属していたのに、
その力に気が付かずに
しかも東京でこれから思いのたけをぶつけようという
その場所で気が付いたという間抜けぶりだった。

それから僕は今まで以上に
JA青壮年部の活動に参加するようになった。
たしかにいろいろと批判もある団体かもしれないが
活動の先にあるものが
業種別の団体では作れない想いが
それぞれの地域に埋め込まれている。
僕はJAの組合員さんも含めてだが
農業者じゃないことは何の問題とも思っていない。
それが当たり前じゃないか。
だって、僕らの住んでいるこの地域・農村は、
いろんな業種の人たちで成り立っているんだ。
だから仕事で分断するんじゃ、地域の力になりえない。
農協という懐の深さと
そこに集まった青壮年の地域への想いが、
農協青壮年部の他の団体にない力学を生み出している。

これから3年間、
その力学を高めることに僕は集中したいと思っている。
マネジメントは下手なので
どこまで上手にできるかはわからないけど、
一所懸命やろうと思う。





日曜日のことだが、
河合地区のJA青壮年部の部長になった。
だからと言って
偉くなったわけではない。
順番で今年、
農園のある在所の高屋集落から
部長を出す番になっていて、
前々から
「その時が来たら徹ちゃんやざ!」と
上の方々から声を掛けられていたので、
今回、その順番通り、
そして上の方々のお声通り、
僕がその部長になったというわけ。
ま、仕事も増える分、
楽しみも増える、と思ってやろうと思う。

さて、
その河合地区のJA青壮年部の総会で
部長に指名されたのだが、
その総会も今回で35回を迎えた。
35年前というと、僕の父たち世代だ。
その世代の方々が
河合地区のJA青壮年部を立ち上げて運営してきた。
そして僕の父も
その活動に参加し、また河合の部長も務めていたのは
僕の記憶にもある。
親子が同じ組織で
同じ立場が回ってくるという面白さは
田舎ならでは、かもしれないな。

話がすこしそれるが
昨日、娘の学校の課題で
心のノートなるものがあって、
そこに故郷の自慢というのがあった。
食べ物がおいしいや野菜が新鮮なんてことを
言いながら娘と一緒に課題をしていたのだが、
そこに妻が言うのだ。
「ここの一番羨ましいのは、世代間の交流かな」と。
親や祖父母の世代から続く人間関係だという。
僕ら個人を知らなくても、父や祖父母、
もしかしたらそれよりも上の代との信頼関係で
僕らとの人間関係が出来上がっている点が
とても良いと妻が言うのだ。
たしかに、それだけで
信頼してもらえることも多いな。

青壮年部の部長に指名されるのも
たぶんそんな流れの中で、
うちの父や祖父母からの信頼によるところが
大きいんじゃないかって思う。
だから職責以上に
僕は、その信頼に応えようって背筋が伸びるんだと思う。
その感覚が、たぶん田舎ならでは、なんだろうな。
だからといってそれが重くは感じない。
だって
それはとても居心地のいい
信頼関係なんだ。
たぶん、それが故郷の自慢かもしれないな。




田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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