大学生のときに
ずいぶんとお世話になった方々と会う。
再会は6年ぶりだろうか。
僕は勝手にその方を
師匠として慕っている。
今もちょっとその傾向があるが、
当時お酒を飲むと
言動がぞんざいになって
ささくれていたどうしようもない僕を
見捨てずに
それどころかそれさえも
愛してくれた方々との
お酒は美味しかった。

インドネシアの大学院で
守田志郎に魅せられて
地域を夢見て、そして信じて
帰郷し、
今こうしてその地域の若手を束ねる
農協青壮年部の県の代表として
東京に出てきて
師匠に対峙した時に、
僕も思ってもみなかった言葉が
次々に口から飛び出した。
やっぱり地域なんて
背負うもんじゃなかった。
そんな類の言葉。
地域の足かせさえなくなれば
もっといろんなことができそうな
そんな気分だった。

40になっても
そんな半人前なことをいう僕に
師匠はまた道を示してくれた。
政治のこと
人間関係のこと
アンバランスなバランスのこと。
師匠はいつも現実的で
的確でそして優しい。

もうすぐ
県の代表の任も終わる。
僕ももう少し自由になる。
仲間は大事なので
それには尽くしたいと思うけど、
ある意味地域といった化け物は
置いていけるなら置いていきたい。
師匠の言う
付き合いの程度として
距離を置くときは置く。
今はインドネシアの活動が
いよいよ胎動期入り、
僕の意識もそこに多くを持って行きたいと
思う時期でもあり、
その意味ではすこし
距離を置くのもいいかもね。
ま、置かせてくれればだけど。



公民館の運営審議委員をしているので
金曜日はその会議と懇親会に
出席していた。
なんだか毎日そんな感じ。

さて、その懇親会の席で
考えさせられることがあった。
それは地元のJA女性部のこと。
JA福井市には、青壮年部と女性部が
それぞれ自主的な組織として
活動している。
で、当然、僕らの地区(河合地区)には
青壮年部の支部があるように
女性部もその支部があり、
それらは各集落の女性部から
組織されている。

さて、その女性部だが
昨年の役員改正時に、
うちの集落(高屋)では、
河合のJA女性部から抜ける
という判断をした。
集落の女性部として祭りや
清掃活動には参加するが
農協女性部として大きなまとまりには
入らない、というのだ。
なかなか思い切った判断だな、
と青壮年部の立場からは
思うのだが、
内情を見てみると
その判断は分からないでもない。

JA福井市の青壮年部は、その部員は
農村にすむJA正組合員家族か
農業に専念をしている青壮年と
規定がある。
集落の青壮年部の規定では
農地を所有している家族の若者
というざっくりした規定で、
メンバーを勧誘してきた。
中央と集落とでその規定は
同じではないのだが、
どちらも農業を起点として
メンバーを勧誘してきた。

一方女性部は
福井市の組織の規約はわからないので
もうしわけないのだが、
集落の話を聞いていると
必ずしも農業という
キーワードではないメンバーも多い。
入ってくれる人が少ないからだ、
と説明してくれた人もいたが、
集落のことだからと言って入ったのに
河合地区や福井市で集まると
農協色が強くなって
正組合員でもない人には
やはり違和があるのだろう。
そもそも集落では
JA女性部と呼ばず
ただ女性部としか呼ばれていないし、
JAとのつながりへの意識は
ほとんどないように思われる。

で、勝手に脱退するという
うちの集落の決定に
河合の女性部部長さんは困惑の様子だった。
懇親会では席も隣だったこともあり
またそこに集落の女性部の方も来られたので
その話題で盛り上がった。
河合の部長さんは、
「高屋は年齢制限があって、55歳になるとみんなやめてしまうルールがあるけど、それだから女性部のことを分かっている上の人が辞めてしまって、そういう決定が行われちゃうんじゃないかしら」
みたいなことを言っていた。
ある程度年齢が上にならないと
こういう活動をする余裕は若い人にはないから
負担に感じて脱退するという話になったのかしら、
と部長さんは話していた。
たしかに、上の人がいないから
事情が分からず、
勝手な脱退をしたとみることはできるが
上の人がいなくならないと若い人が
入ってこないと僕がまだ若いころ
母世代やその下の方々が言っていたのも
僕は良く覚えている。
実は、
河合地区の組織とつながっているのなら
集落の組織から役員を出さないといけないので
それが負担増につながるのだ。
上の世代の方は、地域の組織としてのつながりを言うが
その面倒な役を引き受けてはくれない、
との声もある。
集落のお付き合いで入った会が
知らないところで農協とつながっていて、
そちらの役も活動への参加も増えれば、
やっぱりみんな面倒に思っちゃうよね。

組織図では中央(JA福井市)と周縁(高屋)は
つながっているんだろうけど、
個々の活動やそれぞれの構成員の意識は
中央と周縁とで断絶しているのだろう。
それは以前僕が青壮年部について
書いたエントリーでも同じで、
集落の青壮年部の活動とJA福井市の活動は
それぞれパラレルワールドで展開されているように
感じるのもそういうことなんだと理解している。

農村が農業で規定できるようなコミュニティで無くなり、
農協もまた営農事業を中心に運営しているわけでも
無くなってしまった現状では、
こういう断絶がここかしこに表れてきても
当然だと思う。
しかも、今ではネットでいつでもどこでもだれとでも
つながれる時代になり、
住んでいる場所がコミュニティの母体になることも
少なくなってきている。
『地縁』は失われたというよりも
より力を失った形で再構築されつつあると見た方が
良いのかもしれない。
つながりを持ちたいというニーズに対する
供給はすでに過多の状況だと言っていいだろう。
共感が生まれないコミュニティが徐々に力を失う
という意味では、まさに僕らはその『農村』に
自分たちのリアルを見ているのだと思う。
ちなみにJA福井市青壮年部と
県青協(特に中央会の事務局)とも
僕の目には断絶があるように思えるが
それはまたよくよく観察し考察したうえで
エントリーにしよう。

そんなこんなで
うちの集落の女性部は
JA女性部から抜けたのでした。


もうすぐ投票日。
皆さんは、投票先を決めただろうか?
というより、
投票に行くと決めているだろうか?
どこに入れるにせよ、
投票だけは行ってほしい。
僕はそれだけは決めている。

選挙が公示されたとき
ある新聞社から取材を受けた。
今回の選挙についてと
これまでの政権の農業政策について。
僕のような若輩者かつ不勉強者が
今の政策についてうんぬん言える立場かどうかは
とりあえず棚に上げるとして、
現場で農業と地域づくりに
命を張っている人間の一人として
所感を述べた。

まず、農業分野の政策について。
昨年の春、
自民党の農林部会で地域や担い手の所得が
倍増する10か年計画が立てられた。
そして今年の6月に首相官邸は
農政の重要な政策の柱として、
「農林水産業・地域の活力創造プラン」
(2014年6月24日改訂)の中で、
農業・農村全体の所得を今後10年間で倍増させると明記した。
それはそれで賛成さ。
僕らの所得が、増えるのであれば。
ただここでいう所得倍増は
本当に「僕ら」なのかどうか。
今年の県青協の夏の勉強会で
農水省の経営局長である奥原さんを
お呼びしてディスカッションをした。
その時のエントリーはこちら
その時の所感としては、
所得倍増のターゲットは
必ずしもそれが僕らではないかもしれない、
といった不安と恐怖だった。

現時点では、
この所得倍増の恩恵は感じられない。
たまたま石油価格の下落のおかげで
円安でも資材の価格が上昇しなかったので、
生産現場での混乱はまだない。
ただ4月には原油高と円安傾向の影響を受けて
宅配便などを含む輸送費の値上げに会い、
またその時に消費税が上がったタイミングもあり、
僕らの生産現場ではコストを価格に
上手く反映できなかった。
だから、その点については
所得は上がらず、その逆に
僕らは損を抱え込んだというわけだ。
今後原油価格が上昇するようなことがあれば、
今の円安ではかなり厳しくなる見通しだ。

それは倍増のプロセスの一環です、
と言われるかもしれない。
その一つが農協改革だろうか。
中央会制度については、
不勉強のため適切なコメントができないが、
要は、僕ら農業者や地域の人たちが利用している
単協組織をどう発展的なものに変えていけるか
という意味では、
僕らと政府は一致しているだろう。
ただ、その方策がまったく逆向きとしか言えない。
内閣が開いている規制改革会議の
農業ワーキンググループ(以下:農業WG)がやはり気に食わない。
政府の見解ではないと言いつつも
そのメンバーを集めて改革の既定路線を
作り上げようという意図は見え見えだ。
政府が人選をするんだから
まぁ、御用聞きの方ばかりが集まるのは当然か?
12月9日にアップされた
11月12日の19回目の農業WGの議事録では、
基本的な論点は中央会の監査権で、
これまでも一番の争点はそこなんだろう。
でもちらちらと姿がみえる
単協(僕らにとってはJA福井市)の信用や共済事業を
中央で一本化にまとめるという話題が
気にかかる。

11/29号の週刊ダイヤモンドは
農協改革が特集だった。
そこで農業分野へ力を入れている農協とそうでない農協の
トップとワースト20の単協の名前が挙がっていた。
あろうことか、いや、予想通りかもしれないが、
僕らが所属しているJA福井市は
ワースト14位と評価されており、
信用や共済の運用益でなんとか赤字農業事業を
支えている構造が明らかにされていた。
もし農業WGがいうように
信用や共済を中央一本化して
単協の支店を代理店化したとしたら、
JA福井市の農業事業は継続不可能になる。
農業協同組合という名前なんだから
農業でやっていかないとだめだ!と
批判があるかもしれないが、
それはあなたの問題ではなく、
これは僕らの問題だ!
僕ら組合員が出資して赤字部門への投資を続け
そしてそれを維持しているその経営構造は、
僕ら組合員こそが強く批判すべきだ。
それを何が農業WGだ。
その既定路線を作り上げようという政府も
それの先に本当に「僕ら」の
所得倍増が待っているのか?
それとも小さい規模の連中は
さっさと農業から退場して、
強い資本を持った外部の株式会社と
それと競争できるだけの経営体を持った農業法人だけで
農業をやってほしいってこと?
政府のカテゴリに合致する人は
それが上手くいくように援助しますってやつか?
それは奥原局長が言ったような
「全部が生き残れるわけじゃない」ってやつか?
すこし言葉が汚くなって申し訳ない。

単協の改革は
これから僕ら自主的な団体青壮年部も
強く批判的にかかわっていく必要がある。
奇しくもこのままいけば
僕は来年、JA福井市の部長になる。
これを読んで、こんな奴はダメだというのであれば
総会前だし、ぜひそうしてください。
組織部長は経営管理委員として
JA福井市の経営に
ど素人ながらもその組織の声を反映するために加わる。
だから今回の選挙で、
これまで自民党政権について
ほとんど成果らしいものがないので、
その先に見える未来を予測しながら、
青壮年部の声を単協の改革に反映するつもりで
その立場で投票することにしている。
だから今回、
農政連がなぜ自民党候補者を推薦したのか、
それが不思議でならない。
ここまで言われ放題やられて
まだ推薦するなんて・・・。

議論が一足飛びになり
わかりにくい部分もあるかもしれないが、
書きにくい部分もあるので、ここまでにしよう。
内部の人たちならこれで分かってもらえるかなと思う。
さあ、日曜日は選挙だ。
みんな選挙に行こう!





PA120133.jpg

これも記録しようと思う。
この前の日曜日は村の秋祭りだった。
朝から神事が執り行われ、
子供神輿が町内を練り歩く。
お昼前からは、青年会のメンバーで
祭りの会場を神社の境内に設営し、
少し日が傾いたころから出店が始まる。
そんな、小さな小さな村のお祭り。

そのお祭りには、
毎回、祭りの夜を盛り上げる
音楽のステージがある。
どっかの太鼓サークルの演奏だったり、
地域のロックバンドだったり、
はたまたセミプロの演歌歌手だったり。
盛り上がる年と盛り上がらない年の差が
けっこうある。
そして、昨年はひどかった。
三波春夫のそっくりさん、という触れが
町内会報の祭り行事予定に書かれていたのだが、
奇しくも東京オリンピック開催が
決定した年でもあったので、
ある意味、旬だとも思って楽しみにしていた。
きっと一番盛り上がる場面では
東京五輪音頭を歌うに違いない。
オリンピックの顔と顔♪
そんな節を口ずさみながら祭りを楽しみにしていたのだが、
やってきたのはちっとも似ていないおっさんだった。
三波春夫にも顔も似てないし、
歌い方も違う。
お弟子さんかな?とも思ったが、
知り合い程度のような話しぶりで、
自慢は三波春夫の奥さんからもらった
三波春夫の着物の帯で、
しきりに会場にいた僕らに
「いくらくらいだと思います?」などと
下世話な話題をする始末。
すっかり白けたステージだった。

そんな白けたステージの横で
焼き鳥を焼いていた僕に
「こんなステージするくらいなら、徹ちゃん(と集落の方からは呼ばれている)とこのインドネシアの子たちのバンドの演奏のほうがよっぽど面白いかもね」と
声をかけられたのが、始まりだった。
こういう声掛けを
僕はあまりその場の冗談には取らない。

ちょうどその年末の集落の青年会の総会で
来年の役員を打診されたのを好機と捉え、
祭りの音楽ステージに
農園のバンドが出場できないかを考え始めた。

インドネシア実習生の受け入れは今年で8年目に
入ろうとしている。
そして農園には、集落外からたくさんの人に
働きに来てもらっている。
一見、農業が主体となったにぎわう地域のようにも
話のイメージからは聞こえるかもしれないが
実際には日々の生産活動に追い回されて
また集落の住民も仕事は集落外で
大抵、平日は寝に帰るだけの場所でしかない。
農園のスタッフや実習生と
集落の方々とが交流する機会は
意外と乏しいのである。
前に働いていたセネガルのイブライは、
なぜかその壁をいとも簡単に打ち破り、
うちの集落のアイドルと化していたが、
それと同じようなインドネシア実習生は現れず、
僕の悩みの種にもなっていた。

お祭りの音楽ステージに出演すれば
もっとインドネシアの子や
日本人スタッフの子も楽しい集落ライフの
きっかけになるに違いない。
と、音楽を全くやらない僕は
本当に気軽に考えて、
そして農園の自主的なバンドサークルに
そんな話を持ちかけた。

どのくらいどんな苦労とプロセスがあって
そのステージは完成したのかは、
何も苦労を知らない僕が
言葉を綴ってもしょうがないので、
その部分は、バンマス佐藤のブログのリンクを
ここに貼っておくので、そちらを参照してほしい。

さて、そんなこんなで
なんとか農園のバンドが
今年の音楽ステージに出演した。
お祭り当日の演奏はとても完成度が高く、
エンターテイナーとしても十分どころか、
こんな小さなステージではもったいないくらいの出来だった。
実は、今年の4月にセネガルに旅立った
農園で研修をしていた北野が
このバンドのキーマンで、
その彼が抜けてからは、ややボリュームに欠ける
演奏が続いていて、僕自身も少し不安はあった。
だが、祭り当日の演奏は、
北野がいた頃よりもはるかに素晴らしく、
そして何よりも聴衆を引き込んでいた。
名も知らない外国人と日本人のバンドで
どちらかと言えば人見知りする集落のみんなが
すんなりと受け入れてくれないまま
白けたステージになることも覚悟していたが、
いやいや、みんな楽しんでくれていたのが
僕は何よりもうれしかった。
ジャジャンが歌ったヤングマンでは、
女性部のお母さんたちまで、
Y・M・C・Aと一緒に踊ってくれたし、
秀逸だった「お祭りマンボ」では、
その熱唱が会場に伝わったのか、
一緒に歌う人も多かった。

青年会のメンバーからも
「来年もやったら?」や
「もっと大きなステージでもやった方がいいよ」などと
声をかけてもらった。

農園のバンドのみんな、
村のみんなからも認められて
良かったね。
そしてありがとう。
とてもいい演奏でした。






地区の体育祭。
今年は、PTAの三役をしているので、
PTAバザーの副部長も兼ねているため、
集落のテントに行けず終い。
たぶん、お酒を飲まなかった地区体育祭は、
高校以来じゃないだろうか。

ま、このエントリーの本題はそれじゃない。
小さな小学校なので、
親たちもあちこちと役員が重なっている。
PTAバザーのテントにいても
みんなそれぞれあちこちの団体と重なっている様子が
よくわかった。
で、ここぞとばかりに、
JAの青壮年部に入らないか勧誘していったのだが、
そこで気が付いたことが一つ。
そもそもそういう団体があるという認識がない。
つぎにたとえあったとしても
酒飲みの団体というレッテルが張られている感じだった。
まともな活動ってあるんですか?って言われてしまうほどだった。
そもそも僕らの活動自体も
その出発点は、そこにあったわけなので、
今更、崇高な目的なんて立てても意味がないのは
百も承知なんだけど
こうも甘くみられるとなんだか
ちょっと悔しいね。

ただ楽しそうだとか、面白そうというだけではもう、
入りたいってことは少ないんだと思う。
この地区でとても大切な活動の一つである体育祭で
実質的に動いていたのは、
各集落の自治会・青年会・JA女性部、PTA、体育振興会、防犯隊、育成会等々
の組織の方々だった。
そこから見れば、僕らJA青壮年部は、
この地域では曖昧な組織。
地域の農地と農業のつながりを緩やかではあるけれども
地域社会に落とし込める組織だと
僕は今でも思っているが、
その具体的な事例は、
目を皿にして探さないといけないのは事実。
それを過剰評価しても実情に合わないことも
わかっている。
僕らの現状では、地域の構成員として
非農家も多く、地権者と農業者だけの組織自体が
そういった人々も含めて
何か大きなインパクトを与えられるような組織か?と
言われれば、まったくそんなことはない。
今回、いろんな方から話を聞いて
僕自身もそれは良く理解できた。

部員を勧誘しよう!増やそう!と
JA福井市の青壮年部の音頭と
各地区の現状との温度差は
思ったよりもあるように思う。
さて、ここからどうしていこうか。
すこし思案が必要だろうな。



日曜日は、むらの総会の1日。
昼の1時から夕方5時まで、
村の3つの団体が立て続けに
活動報告と収支報告を行った。

その内、今回記録しようと思うのは、
農家組合。
農家組合が何をするところかと言えば、
行政から下りてくる田んぼに関する政策、
とくに生産調整(減反)に関して、
村の中で調整を行い、
それぞれがよりよい営農に向けて
環境を整えていく組織だと言えよう。

今回の総会も
例年通りややもめていた。
これまで何度かここでも書いたような
温泉旅行問題ではなく、
今回はもっと本質的な部分で
問題を提起する方が居た。
その問題とは、減反を軽減させるために
村全体で取り組んでいる加工用米に対する
各世帯に対する補てん金の存在だった。

村である程度の面積を作っている農家に
加工用米を作付けしてもらい、
それで各戸の減反率を数パーセント引き下げる。
そして、加工用米を作ってくれた農家に対して
損が出た分を田んぼを持っている世帯全体で
補てんしている。
加工用米はコシヒカリよりも
販売価格が低いからである。
そして、これを取りまとめしているのが農家組合。

この問題は、いくつかの部分で
この地権者と僕ら農家組合経験者とで、
認識のズレがある。

まず制度的な認識のズレだ。
減反は基本は個人に振り分けられるモノだ。
そしてその個人は地権者だ。
それを市役所から委託され、
農家組合が集落の減反を調整して、
市役所に報告している。
だから減反の現地確認には、
農家組合長が同行することになっている。

そして農家組合は地権者で成り立っているので
耕作者に対してだけに盛(組合費)を
請求することはしないし、
手間的に考えても出来ない。
耕作者はその時々で変化するし、
耕作面積も常に一定じゃない。
しかも、このご時世、
耕作者は決して集落内ではなく、
地区外の耕作者も多い。
そこに対して盛を請求することは難しい。
そもそもそれじゃ、農家組合ではなくなってしまう。
それだと耕作者が集まった生産組合だ。

次に歴史的にも考えてみよう。
減反はそれぞれの地権者に振り分けられるものなので、
問題を提起された方の意見を
さらに先鋭化させてしまえば、
いちいち農家組合が間に入らなくても良いのでは?
ということもあるだろう。
かつては、各家でそれぞれが減反をしていた。
それを「バラ転」といい、各家がバラバラに転作して
いたことからそういう言葉が生まれた。
だが、バラ転は区画整理された一定の大きさになった
田んぼでは効率が悪かった。
加工用米で拠出するにしても端数が出てしまい、
どうしても無駄が多かった。
それは、
効率の向上とより良い営農に向けて
多額の税金と個人の資金をかけて土地改良を
行ってきたこと自体を
否定してしまう営農スタイルなのだ。
だから、先人たちは
農家組合でまとめて転作をしようと総会で決めたのだ。
営農をどのような都合で辞めたにせよ
自己の都合で辞めたのだから、
それはそれでかまわないが、
その経緯と歴史を無視することはできないだろうし、
これからの営農は自分と関係ないから
切り離してほしいという身勝手な地権者の
思いは通らない。

こうした経緯と経験値が
僕らの中に“ムラ”を生み出した。
それは固定化された前近代的な関係ではなく、
個人ではとても太刀打ちできない問題に対して、
コミュニティとして能動的に対処する技として
僕らの中に存在している。
その地権者の方から見れば、
農家組合は自分と関係のない会費をたくさん取り
良く解らない宴会や会議に多額を使い、
無駄ばかりの多い組織に見えているのだろう。
だが、それはその方が
嫌がって逃げ回って、結局農家組合の役員を
しなかったから見えなかった世界なのだ。

その地権者の不条理な質問は、
農家組合長も
こんなご時世だから、決して間違っているとは言わなかった。
これから来るだろう減反の廃止や
すでに他の町内でも存在している
集落営農の組織化の中で、
地権者で成り立つ農家組合の意義自体が
問われ始めているのも事実だ。

今年の農家組合長の方も
地権者だが耕作者ではない。
農家組合の役員もやりたくない、と言っていた方だった。
でもこの役員を通じて、
その方にもこの組織の意味と
“ムラ”が心の中に沈殿したのだろうか、
その地権者の質問に
「ぼくは間違っているとは言いませんが、あなたの意見はズレている」と表現していたのが、とても印象的だった。
僕らにもっと言葉があれば、
そんな農業を一面的に見た、
また“ムラ”を前近代的なものと見ている方々に、
一言いってやりたいのだが、
それを表現する言葉が見つからないまま、
すこし不発感を持って、今年の総会は閉じられた。

その地権者は身勝手だと、その時は感じたが、
こういう議論が出来るのも
それはそれでその方に意義があったのだろうと思う。
ただ、もう少し、
僕らに言葉があれば、とも思った。

JA福井市青壮年部の総会に出席する。
今年から、高屋集落がある河合地区の
青年部副部長になった。
役員として出席するという意味もあったし、
さらには、副部長になったばかりで申し訳ないのだが、
さらにJA福井市青壮年部の役員にも、
今回の総会で承認されて、なることになった。

2年前の青年の主張で、
青壮年部の方々には大変お世話になった。
その時、発表で応援してくれた
盟友の方々にご恩返しがしたい、
と常々思っていたのだが、
今回、巡り合わせが良く、
とんとんびょうしにJA福井市の青壮年部役員を
務めることとなった。

総会で会場を見渡すと、
青年というよりも壮年の方がどうしても多い。
農村の高齢化は、
そこに根を張った青壮年部にも
ダイレクトに影響するのは当たり前か。
古臭いイメージだったり、
メンバーの高齢化だったりして、
関わる若い人が少なくなっているんだろう。
けっこうオシャレで斬新な
社会とのかかわりを持てる組織や機会は、
今、割と多いもんな。

地域発展というキーワードにおいて、
長年、地域と共に歩んできた組織にかかわる大切さを
僕はもう少し主張したい。
それが風土の「土」の人間の関わり方だと
僕は思っている。
青壮年部は、その昔、
父もこの組織の部長として大いに関わっていた。
僕はその時、高校生だったので良く覚えている。
親子で時を超えて関わることが出来る組織。
そんな関わり方が出来るのも、
地域に根差した組織や
「土」の人間としての醍醐味なんだと思う。

やや多忙な毎日だが、
これからは、しばらくこの場で、
地域やそこで活動する人達に
目を向けていきたいと思う。


今年もむらのなかの役が回ってきた。
といっても、それほど大層な役ではないけど。
それは、高友会という集落の自主的青年会の班長。
昨夜は、その1回目の班長会があった。

高友会の主な活動は、秋祭りの店ばやしやステージ運営。
集落の小さな小さな祭りだが、
こういう時でもないと、同じ集落でも顔を合わさない人が多い。
小学校の同級生だって、おっさんになれば、
ほとんど顔を合わす機会なんてない。

ただ単に地理的な集まりの「むら」にみえる
僕らの集落も、こういう場を通じて、
人と人とのインタラクションが生み出す「むら」に変わる。

今年は、班長としてそれのお手伝い。
週末は、温泉だった。
集落の農家組合班長会と班長慰労を加えての温泉宿泊。
毎年、総会でも議論になるこの慰労温泉。
今年は、僕は班長として参加。

班長会でも、慰労の温泉の経費が
やっぱりちょっと大きいのでは?と話題に上る。
その経費は、「盛」と呼ばれる組合費と
ずいぶん昔にミスがあり、
不必要に貯まってしまった預金を切り崩して
ねん出されている。

その預金ももうなくなるので、
そろそろ慰労の温泉自体も無くそうか、
という意見もでた。
確かに、預金が無くなれば、
盛は高くなるので、そうまでして
お金を使う慰労温泉をする必要はない、と
いう意見もなるほどと最近は思うようにもなっている。

温泉かどうかの議論とは別にして、
こうした集まりを大切にしたいと
僕は良く思う。
それは、班長となる人は、
それぞれの班で順番があって、
その家庭から代表者が出てくるのだが、
その代表者は、何も年寄りばかりじゃない。
最近は30代も多い。
70代くらいから30代までの老若が混在して、
1年間班長として農家組合の運営に関わる。

そして慰労会では、農家組合や村の昔の話や
今のいろいろを老若が話をする、
とても少ない機会でもある。

むらに住んでいると言っても、
職業が農業でなければ、普段顔なんてあわさない。
農業だとしても、畦で話し込む風景なんて、
ここいらじゃほとんど見かけない。
ただ「高屋」という集落に
住んでいるというだけで、
みんな「高屋」の今や昔なんて
良く解らないのだ。
活力のある地域とは、係り合う気のある主体が
世代を超えて集まって、
協働する場だと僕は思う。
だとしたら、同年代ばかりが集まるイベントや祭りなども
時には地域おこしのようにも見えるが、
本当は、そんなもんじゃなくて、
農家組合みたいな古臭くて面倒くさく思われがちな活動の中に
その本質があるようにも感じる

温泉がどうのこうのと語られる時、
やもすると慰労会という場そのものを排除してしまおうという
意見もたまにある。
そこには気を付けたい。
場が変化するのは良いが、
「経費削減」や「時代に合わせて」などと言って
場を削ってしまうのだけは、避けなければならない。


露地の畑の作業が遅れている。
僕がナマケモノだというのは、
すでに当初から計画に織り込み済みなので、
原因はそれではない。

露地の畑の主力は、減反の田んぼ。
その減反の田んぼは、僕の田んぼじゃない。
全部、よその田んぼばかり。
減反しても転作する手間があまりない人から
畑作に向いている田んぼを借りて、
ここ3年ばかりは、露地野菜を充実させてきた。

昨年まで、集落の3軒の家から
露地用の畑として田んぼを借りていたのだが、
貸し手の方々の意向で、その内2軒分を返還した。
それが想定外だった。

理由は2軒とも違うが、
その内、大きな田んぼを快く貸してくれていた人からは、
「ばあさんが『徹ちゃんは作り方が汚い』っていうんや」と
言われて、この4月になって
急に貸してくれなくなった。

僕の露地の畑は、確かに草が多い。
除草はするが、麦やソルゴーなどを生やして、
虫が住みつきやすい環境を作っているからでもある。
それを作り方が汚い、と言うのであれば、しょうがない。
バンカープランツなどとカッコいいことは言っているが、
どうしても草だらけになることは否めない。
麦やソルゴーの間から草は生えるし、
その頼みの麦も8月になれば枯れてしまう。
見た目はやはり草むらだろう。

田んぼの除草で苦労の経験がある年寄りには、
とても耐えられんのだろう。
今は、田んぼの除草剤もずいぶん良くなって、
露地で出た草もあまり気にならないのだが、
そんなことを言っても、田んぼに
僕らでは理解できない価値を求めてきた
年寄りには通用しない。

こうして計画していた田んぼが急に使えなくなり、
自分の田んぼを急きょ畑にしようとしているのだが、
耕起が遅れた分、畑の準備も遅れてしまっている。
それぞれの価値に敏感でありたいと思いながらも、
古臭いと思ってしまう昔の田んぼの価値が、
今もまだムラの中では息づいていることに
半ば目を背けて、
営農してきた僕自身がナマケモノだったのだ。
それを織り込み済みじゃなかったことが、原因か。

生物多様性などと言葉は良いが、
結局現場では、そんなきれいごとなんて共有されない。
雑多な農業への情念の間で、
とにかく僕は、今年予定していた畑を失い、
そしてその代わりを準備するのに大慌てしているのである。



今年度で、高志ミドリクラブ(4Hクラブ)を抜ける。
今日は、その最後の総会。

僕は協力隊終了後、25歳で同クラブに入った。
初めて入ったときは、
なんて生産性のないクラブだ、と正直思った。

何かをみんなで作り上げていこうという機運はなく、
(と僕が勝手に感じていただけかもしれないが)
ただの飲み会の集まりのように見えた。
今思えば、それはそれでとても大切だと思うが、
しかし、やはり、
それじゃ、時代に取り残されていくだけだ。

僕自身、このクラブに入ったり抜けたりと
紆余曲折はあったが、
最後の何年間は、いろんなことをさせてもらった。
同クラブで行った保育園の体験田んぼは、
本当の仲間を見つけたという意味で
今でもとても大切なターニングポイントになっている。

そして、今日の総会。
茶々を入れる人間はおらず、
前向きに議論し、
何かをやっていこうという活気に満ち溢れていた。
そんな時に抜ける自分が、
とても悔しいが、
それは、その年なのだから
潔く抜けよう。

25歳でミドリクラブに入った時に、
上の人たちを見て、
「早く抜けてくれればいいのに」
と僕は思い続けていた。
そして僕は今、その邪魔者になりつつある。

これまでお世話になった関係者の皆様に
この場を借りてお礼を申し上げたい。
生意気な僕にお付き合いいただき、
本当にありがとうございました。

久しぶりにこういうことも記録しておこう。
それは集落の農家組合の話。
昨日、農家組合の下期本盛が行われた。
うちのスタッフやバイトに「盛」と言っても、
なんのことやらさっぱりわからない、と言った風だが、
「盛」はいわゆる組合費だと思えばいいだろう。

で、本盛とは、
下期にどれくらいお金を使って、
または、農家間の減反補てん分の調整が
いくら位になったのかを計算して、
どれくらいみんなから徴収すればよいかを
決める会議のこと。

この本盛自体は、問題なく終わった。
戸別補償制度と加工用米による減反の削減の計算などで、
すこしややこしくもあるが、
それも問題なく終了。

ただ、一つ懸案事項があった。
それは、次期の役員の選定。
農家組合は随分簡素化し、
盛の計算も、減反の調整もそれほど難しくない。
米の検査に立ち会うのも、回数も量も減り、
ほとんど仕事らしい仕事はない。
だが、やり手が居ない。
毎回、お願いして回るが、
どの人も
「いや~、その役が来るのを待ってました!」
などとは言わない。
大抵、嫌な顔をしながら、
あれこれと理由をつけて、断れるものなら断ろうという、
そういう空気でいっぱいなのである。

そしてそれは今年もそうだった。

うちの集落では、
農家組合の役員は、組合に所属していて、
農地を5反以上所有している家の者がやることになっている。
そして、みんながスムーズに役を受けられるようにと、
農協青年部の集落の役と連動して、
青年部の役が終わると同時に、農家組合長にスライドするという
暗黙の決まりも存在する。
みんなが嫌がってやりたがらない農家組合長を、
なんとか覚悟を決めて受けてもらうために、
そういう順番を先人たちが作ってくれた。
ここ数年は、その順番は守られ、
なんとかスムーズに役を回していけた。

ただこの順番、たまに壊す人がいる。
そういう暗黙の了解になっていても、
「嫌だ」という人は必ずいるわけで。
そうなると、いろんな人に迷惑がかかることになる。
実は、今回候補になった方もその一人だった。
ただ、少し事情もある。

その候補になった方の父親が、
5年前に農家組合長をやっている。
その頃は、農家組合長の順番が
慣例通りにいかなかった。
30代から40代にやるはずの農家組合長を
60代の方が立て続けに受けていた。
その候補の方の父親も、その時に組合長をやっている。
そのまま、年寄でやっていけばよかったのだが、
やはりやりたい人はいないということで、
再び順番は、青年部→農家組合の図式に戻ってしまった。

そして、その候補の方が青年部の役をやり、
順番で農家組合が回ってきたのだが、
「父が5年前にやっているので、早すぎる」と
異を唱え、受けてくれなかった。
農家組合長をやらないといけない組合員の家は、
約30件ほどある。
みんながきちんと組合長をやれば、
30年くらいに一度しか回ってこない計算だ。
30代で組合長をすれば、
その子供がまた、30代くらいに組合長になるという、
レヴィ=ストロースばりの隠された構造が、
自然と村のコミュニティに存在している。

しかし、集落に残る若い人は少なく、
年寄りばかりになり、それら30数件の家全部が
農家組合長を輩出できるような状況ではない。

農家組合は「家」で受ける。
と、ある年寄りは言う。
確かに、そうだろう。
あの家はこの前やった、
その家はしばらくやっていない、などと
会話になるのだから、そうなんだろう。
だから、今回の候補の方が、
「父が5年前にやりました」という異議は、
その意識の上に立てば、とても正しい。
次に回ってくるまでに、あと25年もあるのだから。

でも、もうそういう状況じゃない。
だから、僕はお願いに行ったその時に、
その候補の方に、
「もう家ではなく、今は『人』で受けるんです」と反論した。
「家」か「人」か、それぞれの意識は違う。
でも、今の村の状況がすでに「家」では、
立脚できないことはみんなわかっているはずだ。

家で受けるという伝統は、
すでに何十年も前に壊れている。
あの頃に、仕事を理由に
農家組合長をやらなかった人はたくさんいた。
そして今もいる。
それは、伝統が解体され、
村の縛りや家の縛りが解体され、
共同体から個の尊重という、
至極まっとうな世の中の流れの中で発生していることでもある。
個人の自由と権利を僕らはその時代の中で得たのだ。
だから、僕はそれに異は唱えない。
出来る時に、出来る人がやる。
それで良いと思う。
でも、それじゃ回らないものが多い。
個人の都合が過度に優先されることは
まかり通らない。
フリーライダーは許せないのだ。
解体しかかっていても、
まだその崩れかかった共同体自体は
機能しているばかりか、
その重要度もぜんぜん減りやしない状況で、
みんなで農家組合長を受けていかなきゃならないのだから。

僕らはあらゆるものから自由になった。
それを謳歌するのは良い。
でも、本当にとことん自由になったのだろうか。
いや、本当の「自由」とは、
個人の都合が加速するようなフリーライダーを
社会に作り上げることじゃないだろう。
都合の良い時だけ、古臭い「家」を持ち出すのは、
僕から見れば、すでにルール違反。
なぜなら、僕らはすでにそれが機能的でも
効果的でも、そして僕ら自身にとっても
有効的ではないことを知っているから。
僕らが手にした「自由」を
再び古き制度に返すのであれば、
「家」もまたありなんだろうが、
そんなことは、もうないだろう。

「家」を持ち出した彼が
何を考えていたのかは、僕にはわからないが、
僕らは、共同体に対し「家」ではなく、「個」で
向かい合うべきなのだ。
だから、農家組合長は、
「家」じゃなく「人」で受けてほしい。




農家組合で減反の取りまとめをする。
2月の上旬に各家に減反要請面積を振り分けていたのだが
それを回収し、過不足を計算して、村全体の減反を達成させるのが
農家組合の仕事。
例年、各家とも農家組合からの減反要請に対して
概ね協力的だったこともあり、
それほど難しい仕事でもなかった。
ただ、今年は少し違っていた。

うちの集落では、野菜栽培が盛んである。
ハウス施設も多く、露地の野菜も多い。
そのためか、減反と言っても
それほど目くじらを立てる必要もなく、
農家組合からの要請面積に対して、
少々オーバー気味でも、豊富な野菜面積があったので
村全体では、減反は簡単にクリアーしていた。
しかし、今年は、
減反の計画を各家から集めて計算してみると、
3反近くも村の中で減反が足りなかったのである。
それはなぜか?

答えは、今年の減反率にあった。
役所から通達された今年の減反率は30.3%。
それを集落で受ける加工用米でなんとか落として
実質28.2%で減反を要請していた。
昨年の実質減反率が26.4%だったので
今年の減反率は大幅にアップしたことがわかるだろう。

野菜との複合経営の農家なら、
これくらいのアップは大した問題にならない。
野菜面積を少し増やせばいい。
だが、米と麦で経営をしている農家は
そうはいかないのである。
麦の播種は、前年の晩秋。
そして収穫は今年の初夏。
さらに減反率が通達されるのが、新年が過ぎてから。
なので、麦を播くころは、まだ来年の減反率がわからないため
見当で播くしかない。
その見当が当たっていれば、問題はないのだが、
今年のように急に減反率が上がると
麦のみで減反をしてきた農家は、
ただただ米を作らないことで減反するしかないのだ。
たとえ噂で、「来年の減反はおおくなるらしい」と
解っていても、なるべく米を作った方が儲かるので
集落の米農家は、それぞれ、麦と米の率のぎりぎりを
見極めて、できるだけ得をするように耕作している。
だから、読みが外れると、
麦も作れない、米も作れない、ということなる。

そりゃ、その農家個人の問題だ、と
言ってしまえば、その通りなのだが、
そういう中で少しずるい農家が、これくらいならいいだろう、と
外れた読みをそのまま減反面積に反映させず
こちらの要請に対して、5畝や7畝ほどオーバーして
計画を上げてくるので、
集落全体を取りまとめると、
どうしても3反近くオーバーしてしまったのである。

農家組合としては、そういうフリーライダーを
許すわけにはいかず、
オーバーしている農家には、
計画通りに減反してもらえるようにお願いするのだが、
若年であったり、その農家から個人的に農地を借りていたりで
あまり強くは出られない。

出来るだけ低頭平身に構えて
計画を守ってもらえるようにお願いするしかない。
あれこれとややいちゃもんに近い文句を頂きながらも
なんとか、減反してもらうのである。
行政への提出日ぎりぎりまで、
こうした調整が続くのである。


少し前、農家組合の班長会があった。
今年からは副組合長で、職責も軽くなり、
昨年とはずいぶん気軽に出席した。

第1回目の班長会は、例年だと
今年一年の活動予定を役員から班長に通達するだけのもので
特に大した議題もない。
班長さんに、今年一年いろいろとご苦労をかけますが
どうかひとつよろしくお願いいたします、という意味で
集まって食事をしながら一杯やれれば、
この班長会は大成功なのだ。
そういうこともあり、ずいぶんと気楽に参加した。

ところがだ。
その会議、順調に進んでいたのだが、
ある班長さんが遅れてやってきたころから、
少しにぎやかになりだした。
その班長さん、まず、
班長さんの労をねぎらう意味で行く、
年末の温泉旅行にクレームをつけてきた。
「こんなご時世だから、お金を使ってまで温泉に行かなくてもいいじゃないか」
というのが、その主張。
以前もそういうことをいう人が他にもいたのだが
総会の場で、全員一致で否決されている。
この班長さんの主張は、この班長会で取り上げるわけにもいかず
それは、今年の総会で言ってください、ということでなった。
ただ話を聞いていると、
温泉に行けば、組合長がずいぶんとお金を負担するのでは?
という心配からの意見であり、
そういう負担はほとんどないことを説明すると
この温泉の一件はうやむやになった。

ただこの班長さん、
それでは終わらず、今度は、
「若い人が組合長するなんて大変やろ」
という言葉を皮切りに、
もっと年寄がするべきや、と言い出した。
これは、他の班長さんにも火をつけた形になり、
議論がどんどん盛り上がりを見せてきた。
この時点で、すでにこちらに議論を収束させる能力はなかった。

農家組合長をやっていない人が
年配の中にたくさんいるので、そういう人にもやってもらわないと、
と議論になったのだが、
そもそもこの言い出しっぺの班長さん自体が
農家組合長をやっていない。
さらに、この会合に出てきている班長さんの中でも
何人かは、農家組合長をやっていないのだ。
そんなこともお構いなく
その言い出しっぺの班長さんは、どんどん議論をけしかけていく。
「農家組合長を班ごとに回して、各班から順番に組合長を出してはどうか」
などとも言っていた。

こちらとしては、農家組合長のなり手がいない昨今、
そうやって強制的に組合長を出せるのは良いかもしれない。
ただ、また年寄に戻してしまうのは、どうかとも思う。
職責を考えれば、年寄のほうがふさわしいのかもしれないが、
むらのことに若者が関わる「場」が一切なくなるというのも
賛成しかねる。
年寄りに任せてしまえば、むらにかかわる若者がいなくなり
ひいてはむらの活力がなくなることにもなる。
30代半ばで、農家組合長をするのは、たしかに仕事面、家庭面で
とても大変だ。
でも、そのころにむらにかかわることで
村の中がよく見えてくるのも事実。
村の自治を担っている組織に
若い力がそそがれ続けることが
その地域の自治力と福祉力を上げることになるのだと思う。
定年までは、「むら」を「くうねるところ」にしてしまってはいけない。
むらはそんな定年後の余暇うめるために
かかわるところではないのだ!

農家組合長をやっていないフリーライダーを許すな!
という論調は、その職責の大変さから、僕も賛成だ。
だが、だからといって、この職を
年寄りに持って行ってしまうのは、
僕は諸手を挙げて賛成できない。
やっていない人を咎めるよりも
その人の子供、孫を取りこぼしなく
農家組合にかかわらせるような仕組みづくりが
必要なんではないかと、僕は思うのだが。

この問題は、今年一年かけて
班長会で議論されることになった。


むらの若者が1人、
農業をしたいと言っている。
なので、うちに来ている日本人研修生やスタッフとの
飲み会の時に、彼も呼んでみた。

僕は彼の父には随分と世話になっている。
解らないことがあると、
時には父よりも先に、その人に頼ることもある。
そしてその人も、僕の父にずいぶん世話になったらしい。
僕の父とその人は、年が干支ひと回りほど違い、
その人と僕は、干支ひと回りとちょっと違い、
僕と彼は、これまた干支ひと回りとちょっと違う。
互い違いに、世話をしたり、お世話になったりの
間柄の家。
むらにはそういう関係もある。

さて、その彼、
農業をしたいというが、まだまだ若く
どういった農業をしたいのかは具体的ではない。
「とにかくでっかいことをやりたいです」
と言っていた。
なんだか若者らしくて、いいじゃないか。
仕事も退職願をすでに出してしまっているようで、
もう後には引けないらしい。
しかし、実家が、それなりに大作りの農家なのだが
それをそのままやるのはいやだ、とも言っていた。
なんだか、昔の自分を見ているような感覚だった。

経験豊富な父との農業は
その息子には、大きなプレッシャーとなる。
そして、その経験の差から、
小間使い程度にしか扱ってもらえない腹立たしさが
どうしても付きまとう。
相手が赤の他人で、上司や先輩なら、
こちらに謙虚さもあろうが
親である場合、生な感情がぶつかり合うこともよくある。
というか、日常茶飯事だろう。
たぶん、このことが
農家の長男が農業を継がない理由の
ベスト3に入るんじゃないかと思う時もある。
農業が儲からない、なんて辞める理由を言うのは
親と喧嘩した、なんて言えないから
そういう理由をつけているんじゃないか?と
昔、若いころは思ったこともある。

はたして彼は、どうなんだろうか。
僕は、なんども父と衝突したが、
彼の父が、
それを随分と緩和してくれたこともあった。
今度は僕がその恩返しをする時らしい。

こうしてつながっていく農の営みもある。


日曜日に
村の農家組合の総会があった。
今年、組合長を受けていた僕は、
この日を超えれば、その職責をすべて果たしたことになる。

総会は、村の集会所で行われる。
内容は、
今年の活動報告と収支報告をし、
毎年決議される事項を決議する。
その後、次年度の組合長と役員を選挙で選出するというもの。
毎年、特に異論も出ず、淡々と進む。
次年度の組合長も役員も選挙前に
すでに内々に頼んでいる人がおり、
その人を選挙で当選させるという出来レース。
特に難しい総会じゃない。

年寄に話を聞くと、昔はこんなんじゃなかったらしい。
というのも、その頃は集落全体で減反をしており、
ブロックローテーションで減反をしていたので
盛金(組合費)が今みたいに安くなく、
一軒当たり10数万円の盛金徴収があったので
総会は、よくもめたらしい。
ブロックローテーなので、毎年、畑作をする場所も変わり
その場所の良し悪しも、もめる原因だったとか。

そのころから、総会のお土産は「柔らかいもの」という
伝統が出来たらしい。
総会に参加すると、参加者にお土産を渡すのだが、
それが、固くないものが良い、と年寄は言う。
なぜなら、もめた時、固いお土産が
役員めがけて飛んでくる凶器になるからである。
だから、今でも、お土産は手袋やホッカイロのような
ものにしている。
洗濯洗剤の箱なんて、それに耐えられる頭の固さがない限り
お土産にはできない。

今回の総会、一つ、僕なりに変更したことがあった。
とても小さいことだが、
その小さいことにこだわる意味が僕にはあった。
それは総会の時のお茶出し。
これまでは、組合長の奥さんが、
総会の会場である集会所の台所で一人で詰めて
来る人来る人にお茶を出していた。
総会は、農家組合の後に
町内会の総会もあるので、
それらすべてが済んで、
みんなに酒を飲んでもらって
その後、区長さんの奥さんと一緒に
会場の片付けもしないといけない。
僕は、この光景がおかしいと以前から思っていた。
どうして半日もの長い間
お茶出しと後片付けだけのために
女性が、集会所の寒い台所に
つめてないといけないんだろうか、と。
だから、今回、
農家組合長の妻による
お茶出しをやめ、
出席者に総会資料と共に
ペットボトルのお茶を配布することにした。
酒肴の給仕や後片付けは、
区長さんの奥さんも来ていたが
せめて農家組合の分だけでもと
僕や新組合長とでやった。

細かいことを言う人があろうかと
思われたのだが、
概ね、すんなりとその状況を受け入れてもらえたので
少しほっとしている。

こうして、僕の農家組合長としての
長くて短い1年が終わった。

農家組合の本盛の日。
下半期の盛(組合費)を役員で計算した。
今年は戸別所得補償制度が始まり、
加工用米で1反2万円の補償があるので
その計算が新たに加わった。

むらで減反の数字を少しでも下げるため
農家組合が加工用米の生産を大作りの農家に頼んで
転作面積を稼いでいる、ことは以前のエントリーで書いた通り。
しかし、加工用米は、コシヒカリに比べて買い取り価格が
半値以下なので、その分の差額は
全戸で徴収して、加工用米を作ってくれた農家に
補てんすることにしている。

今年、一つ問題が起きた。
春に転作を決める会議で、僕は加工用米の数量と
減反率、そして1反当たりの補てん金を一覧表にして、
どれくらい加工用米をむらで受ければ、
どこまで減反率が下げられて
補てん金はいくらになるかを説明した。
戸別所得補償制度を攻めに使って
減反率を下げようという試みで始めたのだが
今年、意外にも大きくコメの価格が下落してしまった。
毎年の価格変動の影響を避けるため、
加工用米の補てん金の計算では
コシヒカリ1等米の3年分の価格平均との差額を
計算しているのだが、
今年は加工用米の買い取り価格が大きく下落したため
補てん金の金額が大きく跳ね上がってしまった。
加工用米を例年よりも多く受けることで、
全体的に減反率は下げられ、
戸別所得補償の面でも、少しでも多くの面積をカウントできたのだが
コメの価格の下落によって、
各農家にとって、それほど得をしない結果になってしまった。
全体に落ちるお金を比較すれば
この調整をしないよりかは
むら全体では儲かったことになるのだが。

農家組合の年寄役から、
「全体では多くのお金が落ちたかもしれんけど、入ってきたお金のことを忘れて、補てん金の額だけを見て、文句を言う人もいるかもしれんな。」
と言われた。
なんとか班長会で承認を得て、
来月の総会を切り抜けたい。


もうすぐ11月。
農家組合も町内会も
いよいよ下期の盛(町内会費&農家組合費)の時期が来る。
その下期の盛を前にして、
ちょっとした問題が表面化してきている。
それは、村盛(町内会費)をどの世帯までかけるかということ。

近年、村では新築の家が多くみられるようになった。
そしてその多くが、親の家の敷地内に、
若夫婦だけの家を建てるケースが増えている。
田舎の家は敷地がやたらと広い。
手入れもあまりしていない庭や
婆さんの家庭菜園をつぶせば、
家の一軒や二軒は建ってしまう。
現に、そうやって若夫婦が家を建てることが多くなってきた。
むらにとっても、その家にとっても
若い夫婦が村に住んでくれることは、
とても良いことだ。
ただ、問題も出てきている。
それは親夫婦と同じ敷地内にいる若夫婦は
同じ世帯だといって、村盛を払わないのだ。

これまでこの問題はあまり表面化してこなかった。
実際には、敷地は法規上分筆されているので、
同じ敷地ともいえないし、法律上は別世帯なのだが
見た目に、一つの敷地内に家族が住んでいるので
同じ世帯だと言われれば、そう見えないこともない。
税金は当然別々に払っているだろうが、
村盛はこれまで眼をつむってきた。

だが、ある家が建った時、その問題が表面化することになった。
その家とは、何を隠そう、僕の家。

僕の家は、親の敷地のすぐそばに建っている。
だが、道一本隔てており、見た目にも同じ敷地とは言えない。
しかし、同じ世帯だといって、これまで村盛を払っていない。
払うことに抵抗は全くないのだが、
僕の家は長男の家であり、分家住宅ではないので、
ほかの敷地内にある長男の家と同じように
村盛を払っていなかった。
しかし、下期の盛が近くなってきて、
ある村の役員から、僕の家は村盛を払うべきだと
役員間の酒の席で指摘を受けた。

その人は、
「会議でいえば、角が立つ。こういうざっくばらんな席やから言わせてもらうけど、徹ちゃん(むらではそう呼ばれている)の家はぁ、村盛払わんといかんざ。あの位置やったら、同じ世帯とは言えんやろ?」と言う。
たしかに、同じ世帯かどうかは、見た目にも怪しい。
というか、完全に別世帯と言っていいだろう。
だが分家じゃない。
そう言うと、村の中でも長男が別の敷地に家を建てた人がおり
その人は村盛を払っているという。
村盛は、屋根にかかるもんや、とその人は言う。
だから、それぞれの「イエ」(親族という意味ではなく、この場合わかりやすいのが祭祀権を持つ系統)ではなく、
建ちもんの家にかかるというのである。
だから、僕は長男であっても
村盛を払うべきとなっている。

だとしたら、同じ敷地内だからといって
これまで村盛を勘弁してきた
若夫婦の家々はどうなるのだろうか。
酒の席で、その話題が盛り上がった。
論理上、すべての家にかけるべきではないか、という意見もあった。
見た目に同じかどうかで判断すべきなのか
それとも法規上の判断と同じにすべきなのか
その基準をつくらないといかん、という意見もあった。

そんな話をしていたら、ある村役から、
こんな意見があった。
「なんでぇ、そんな話をせなあかんの?若い人らが、せっかく村に戻ってきてくれるんやから、一軒一軒に目くじら立てて村盛とらんでもええんちゃうかな。分家ならとればええけど、いずれは一つの世帯になるかもしれんのやったら、そのままでええと思う。村の収入がそれで減るわけやないし。逆に、若い人らが戻ってきてくれるんやから、喜ばなあかんのちゃうの?役所みたいに基準と規定を決めて、それを持って細かく村盛とるのは、嫌やなぁ。そんなことは、村のすることやないと思う」。
ちなみにこの人は役所勤め。

この人のこの発言で、村盛をとるかどうかの議論は白み、
うやむやのまま終わってしまった。
ただ、解決したわけじゃないから
またいずれこの問題は表面化してくるだろう。
これまでむらが
こういった議論を散発的に繰り返して
いろんな問題を時間をかけて、どこかに落ち着けてきたように。


農園でよく使う箒がある。
それがこれ。
土や菜っ葉の屑などを掃くのにちょうどいい箒。
売っている箒じゃ、強度も弱いし、
それに上手く土や泥を掃くことは出来ない。

PA140016.jpg

ほうき草から作る手作りの箒。
昔からの手前種を使って、畑の隅に植えてあるほうき草を
秋になると収穫し、軒の下で乾かしておく。
それを今頃の天気の良い日に
祖母がしごいて、箒の材になるように下ごしらえしてくれる。
同時に来年の種も取る。

PA140014.jpg

そうして出来た箒の材を
冬の暇な時を見計らって、束ねて箒を作る。
3年前まで、この仕事は祖父の仕事だった。
祖父は箒を作るのが上手で、形の整った良い箒をたくさん作ってくれた。
しかし、その祖父ももう自分で箒を作れなくなった。
それを予期してかどうかはわからないが、
最後になってしまった3年前の箒作りの時、
祖父は僕に箒作りを指導してくれた。

祖母がほうき草を触り始めると
秋が深まってきたのを感じる。
今度の冬も、僕はストーブを背に
1年分の箒を作るだろう。
祖父のような立派な箒はまだまだ作れないけど、
祖父を真似て、祖父のように。

祭りの日に、村の役員会があり、
年末までのスケジュールを話し合った。
村の盛精算や班長会、総会などの流れを
順に日曜日に埋めていったのだが、
その作業をして気が付いたことが一つ。
僕の手帳に書かれた、僕の予定は
年が明けるまでのすべての日曜日と土曜日が
埋まってしまっていることに。

手帳の土日の欄には、
区の役員、農家組合長の日程が書き込まれ
その間に地域やJA青年部の行事が入り込み
さらには学会までが上手に重ならずに並んでいた。

妻からは、
「農家組合長は今年だけだから、来年はそんなに忙しくないわね」
と釘を刺されているのだが、
祭りの時、ある村の人から
「田谷さん、再来年、娘さん小学校ですよね。PTAお願いしますね。ちょうどその時にこの集落からPTA会長を出さないといけないんですよ」
などと、穏やかじゃないことを言われた。
そばにいたちょっと年配の方からは、
「そういえば、10数年前に農家組合長が終わってから、ずーっと毎年何かの役が回ってきてたなぁ」
と遠い目で言っていたのが印象的だった。
その人は、今年は農家組合の役をやりながら
むらの青年団の役をやっている。

村の中の若い人が少なくなり、
子供の数が減ってきているにもかかわらず、
行事や役だけは減らず
むしろ増えている。

むらや地域は、僕らをフル回転させながら
どういう方向に向かいたいのだろうか?


村の祭り。
今年は村の役員として、神事にも参加する。
拝殿や社の飾りつけなどを早朝からするのだが、
今年は、一つだけ例年と違うことをした。
それはお供え物。
秋祭りは、収穫に感謝をするもの。
だのに、いつもお供え物で飾る野菜は
トマトやキュウリ、ニンジンといった
その辺のスーパーで買ってきたようなものばかりだった。
形式ばかりで、心がこもっていないのもどうかと思う。
農村の秋祭りなんだから、
その地で採れたものを供物にするほうがずっといい。
だから今年は、
村の役に僕以外にも農家の方がいたので
その人のブロッコリと、
僕の吉川なす、オクラ(赤・緑)、サツマイモなどを飾ることにした。

それでも供物の果物は
みかんとりんごとバナナだったけど・・・。
栗や柿ならば、そこらの家の庭にあるだろうに。

ちなみに
春祭り同様、供物のお神酒は無かったが、
子供神輿の大人用のビールにはありつけ、
その後、役員で飲み、
祭の店囃子で覚えていないくらい飲み
春祭りとは違って、この日は一日飲んだくれていた。

米の検査。
うちの集落では、今年最後の米の検査。
農家組合長として、立ち会った。

前回同様、今回の検査も中心はコシヒカリ。
最近テレビや新聞を賑わしている新潟の米の品質だが、
9月20日の調査段階で、コシヒカリの1等米比率が
16%という恐ろしい数字になっているらしい。

米には等級がある。
品質の良さで、1等、2等、3等に分かれる。
これは生産者から買い取る時の等級で
小売りには反映されない。
米の卸や小売の段階で、この等級間を上手にブレンドすることで
さまざまな価格の米が出来上がるというのは余談。
さて、この等級。
1つ下がる度に、1袋(30キロ入り)500円価格が落ちる。
たった500円という事なかれ。
1町(1ha)ほど作っていれば、等級差で8万円程の差になる。

通常、1等米というと、
ここら辺では、だいたい9割以上の米がそれになる。
米の検査官の話でも、
こりゃ、ひどいなぁ、と思う地域でも
7割は1等米らしい。
だので、16%というと、
ずいぶんひどい、というか
前代未聞のことなのだ。

では、今回の検査。
うちの集落はどうだったか。
めでたく、すべて1等米でおさまった。
食味値も80スコア以上を連発し、
なかには84スコア、という惜しい人もいた。
85スコア以上で、さらに買い取り価格が500円アップする。
新潟とは全く違う検査風景だった。
なぜうちの集落の米はだいじょうぶだったのか。
いろいろと要因はあるだろうが、
今年から始めた福井のコシヒカリの遅植え効果もあるらしい。
近年、夏が暑い。
夏が暑いと、米が実る時に高温障害を受けやすい。
今回の新潟は、まさにそれだった。
夏が暑くて長く続いたため、高温障害を受け
ほとんどが2等米の格付けになってしまった。
福井は、ゴールデンウィークに植えていた米を
思いきって5月15日以降に変更した。
そういう効果もあってか、実の入る時期と高温期が
少しずれ、米の品質を保つことが出来たのかもしれない。
ちなみに新潟では、遅植えはせず、従来通りだったらしい。

新潟が2等米でこっちが1等米。
これでこっちの米が良く売れる、というわけじゃない。
その反対なのだ。
新潟の米がほとんど2等米ということは、
今年の新潟米は市場価格が安いことになる。
安い米が市場に大量に出回れば、
他の銘柄の売買がだぶつき、
その余波で全体の価格も当然落ちる。
米は、JAが検査後に支払ってくれるお金以外に
追加払いという形で、その後2回支払われる。
これは米が長期間かけて市場で売買されるため
価格変動の中で、さらに儲けが出た場合、
その差額を追加払いという形で
支払うシステムなのである。
近年、この追加払いの金額が減ってきているのだが
(その分、米の相場が安いという事でもある)
今年は、新潟などの産地の米が、安くなることから
相場がのびず、追加払いは雀の涙になるんじゃないか、と
米の検査の現場でも、うわさされていた。
ある農家は、今年は追加払いは無くて、
逆に検査時の価格は払いすぎたので
1袋につき200円ずつJAがお金を返してくれって言ってくるんじゃないか
と笑えない冗談を言っていた。

ちょっと前に、米は1俵15000円を切る時代が来る、と言っていたが
何のことはない。
今じゃ、1俵10000円を切りそうなのだ。
その分だけ、米がたくさんとれるわけでもなく
その分だけ、農業機械が安くなるわけでもなく
その分だけ、消費が伸びるわけでもない。
米の未来はどこにあるんだろう。
僕にもそれはなかなか見えてこない。

P7130047.jpg

僕は、この光景を決して忘れはしない。
この話を記録しようかどうか随分と悩んだが
これは僕の反省でもあるので、
書き記すことにした。


日本は、米が作りたくても作れない国である。
米価維持のために、国家が主導で
減反政策を推し進めているからである。
だからといって、米農家がそれで食っていけるわけでもなく
じりじりと米価は下がり続けている現実がある。

そしてその減反政策は、
国家と個人が直接結びついて行うわけではなく、
間に「ムラ」が入り(地域も入り)調整している。
その「ムラ」の一つが、農家組合。

7月のある雨の日。
農家組合の役員会があった。
様々な議題があったが、
その中の一つに、「減反違反について」があった。
6月上旬に行われた減反の検査は、集落全体では問題なかった。
うちの村は減反を達成できていた。
だから、とりたてて減反違反者を
問題として取り上げる必要もなかったのかもしれないが
僕は、そのままに出来ず、
この日、役員会にかけた。

議論のプロセスは、今は明らかにはできないが
様々な情報と役員以外の意見とをトータルして
結果的に、違反者の中でも
目に見えて大きく違反している方に
その是正をお願いに行くことになった。
集落では減反は達成できているので
「来年は守ってください」という意味でのお願いだった。

農家組合長に一体どんな権限があるのかもよくわからず
僕は無邪気にお願いに行ったのだが、
それから1週間後、その農家が家まで訪ねてきて
「もううまいことしたから、これで勘弁願います」
と言いに来た。
何の事だか分らなかったのだが、
その人の説明では、
違反した減反面積分の稲をすべて
青刈りしたというのである。

減反の検査は、集落ではOKを頂いており
その人が、その米を作ろうがどうしようが
政策的には問題が無い。
ただ、むらの中でフリーライダーを
許すようなことはしたくなかったので
来年の違反は許しませんよ、と
釘をさしに行っただけだったのだが
結果として、「農家組合長」によって
その田んぼは、青刈りされたことになった。

僕が考えている以上に、
村の中では、農家組合長の権限は大きいようだ。
そして「ムラ」の存在も思っている以上に
各自に大きな存在として内面化されているのを感じた。
僕が強権を発動して、無理やりその人の田んぼを
青いまま刈ってまわったわけではないが
各自に内面化された農家組合長とムラの権力で
その田んぼは刈られたのである。

僕が農家組合長になった時に
いろんな年寄りの農家から、
「誰々の時はやりすぎやった」とか
「誰々はひどかった」と
昔の農家組合長の話を聞かされた。
それは暗に、おまえはそんなやりすぎることはないよな、と
釘を刺されているようだった。
そんなへまはしない、と自分でも思っていたし
ここまで農家組合長として
1俵でも多く、集落で米が作れるようにと
あれこれ自分なりに努力してきたわけではあるが
僕は結果として、強権を発動して
ムラとしては、作ってもらっては困る米ではあったが
政策としては問題ない米を青刈りさせ
農家の所得を減らしてしまったのである。

その数日後、
僕は、恐々とその田んぼを見に行った。
誰かに見られるのを恐れながら、
まるで盗み見するかのように。

僕はあの田んぼの光景を決して忘れはしないだろう。
草刈り違反のその後。
(前回のエントリーはこちら

あれから、なんとか草刈りをしていない家の息子に会い
草刈りをしてくれないかと、お願いした。
春のJA青年部での江堀でも、
草刈りの問題を息子に伝えてもいたからなのか
すんなりと了承してくれた。
会社勤めではあるが、体が悪い父に代わって
田植えや稲刈りをこなすこの青年。
「土曜日にはやります」
と答えてくれた。

はたして、その土曜日。
草刈りは行われるのかどうか気になっていたが、
夕方に
「草刈り、終わりました。遅れてすみませんでした。」
と電話があった。
その日、その光景を見ていた村の年寄りから
「父ちゃんと息子2人で田んぼに出て、体の悪い父ちゃんが畔に座って息子が草を刈るのを眺めていた」
と教えてくれた。
罰金を取るかどうか、
それを下請けするシステムを作るかどうか、
などという議論は、その光景の前では
やはり陳腐としか言いようがない。

農家組合の年寄役の人に草刈りが終わったことを伝えると、
「それが一番いい形や。それでいい。」
と言っていた。

ムラは、イエが集まってできている。
農の営みの形は、大きく変化してしまったが、
イエは、それぞれが田んぼや農地を受け継いで
そして農の営みも受け継いでいく。
たとえそれが兼業だろうが週末農業だろうがだ。

今回の件から見えてきたことは、
個人がムラと繋がっているわけでもなく
個人の集まりがムラでもない、ということ。
農の営みを受け継いでいくイエの集まりがムラだということ。
だとすれば、
用水路や農地を公共財だなんて言って、
一足飛びに議論を昇華させて
だからこそ地域で受け継いでいくべきだ的な論調で持続維持させていく、
いわゆる合理的で論理的なこれらの考え方と、
(まさにこれぞ越境してくる近代性の何者でもない)
ムラの仕法とは相いれないことが多いことが分かる。
罰金は決めても、決してとらない。
それぞれのイエが持続する形を、それぞれに合わせて模索する。
それがムラなんだろうか。

複雑な血縁と
認識された歴史と
抜き差しならない農地という地縁で結ばれているムラは
街のコミュニティとはやはり違う気がする。
その境目がどこにあるのかは解らないが、
少なくとも、
ここにはまだ
「ムラ」は生きている。
土曜日は雨降りにもかかわらず
農家組合で用水路と畔の草刈り検査。
6月上旬に、組合員に用水路の泥上げと
その畔の草刈りをお願いしていた。
公共財である用水路の排水機能の維持と
カメムシなどの害虫防除などがその主な理由。

その通知を受けて、
検査日までに、組合員は
各々の田んぼの排水路と畔の草むしりをすることになっている。
そして、この前の土曜日にその検査だったというわけ。

おおむね、草刈りや泥上げは行われていたが
それでも、なかにはやらない家もある。
そういう家にはどうするのか。
組合の決まりで、草刈りをするよう勧告をするが、
それでもやらない場合、罰金が科せられる。
用水路1メートルにつき500円という罰金。

実は、この罰金、
決められてはいるが、これまで徴収されたことが無い。
ということは、勧告すれば、
そういう家は皆草むしりをしているのかといえば
そういうことはない。
勧告はすれども、大抵泥上げと草むしりをしない家は
そんな勧告などどこ吹く風なのだ。
そう、罰金とは名ばかりで、今まで徴収したことが無いのである。

なぜ罰金が徴収できないのか。
理由はいろいろとある。
罰金をもらいに行っても、払ってくれない。
罰金をとると、あいつは傲慢だ、と陰口を叩かれる。
その家との関係が悪化する。
Etc.
地縁という環境に成り立っている村に居る限り
そういう悪いうわさや関係の悪化は出来るだけ避けたい。
でも、罰金が名ばかりで機能しなければ
草むしりや泥上げをしないフリーライダーが得をする社会になってしまう。
それだけは何としても避けないといけない。
フリーライダーは損をする。
そんな社会、そんな村でなければいけない。

今回の検査でも、
これまで草むしりにほとんどしたがってくれなかった家が
やはり今年も草むしりも泥上げもしていない状況だった。
役員で話し合い、どうするかを検討したが
勧告を出すことでは一致したものの
罰金の徴収では意見が分かれた。
1m500円ということは、3反田んぼで15000円の罰金になる。
そんな田んぼを4枚ほど持っていれば(平均としてそんなもの)
罰金は6万円にもなってしまう。
それじゃ、高すぎる、というのが罰金の反対意見。

僕の意見は、罰金をやめることだった。
罰金なんてネガティブな言葉を使うから、
角が立つのであって、
「除草・江堀協力金」という名前を付けて
1枚の田んぼにつき、5000円で請け負えば良い。
農家組合が請け負い、それを村の青年部に下請けしてもらえば
青年部で江堀と草むしりをして、その金でまた
定番であるとんちゃん(ホルモン)の焼肉でもして
その日に飲んで食って、使い切ってしまえば
だれも文句はないんじゃないだろうか。
青年部の活動自体も、3月の江堀と1月の新年会だけになっていて
さみしかったところでもあるので、夏場に
高齢化して大変な家の田んぼの草刈りと江堀を安く請け負って
それで1杯飲む。
そんなストーリーを考えていた。
罰金の云々は総会で決めないといけないらしいので
この案は、総会までにまた話し合うことになった。
ただ、年寄役の人は、この案にあまり賛同的ではなかった。

とりあえず今年は、そのやらない家の家主ではなく
その息子に連絡を取って、
そちらに直接草刈りの指導をした方が良いだろう、となった。
僕からはそんなに年の離れていないその息子に
昔の馴染みを活かして、草刈り・江堀をするように
それとなく勧告する、と言うことになったのである。

決まりで罰金は作ったものの
杓子定規で、罰金は取らない。
なんとかやっていける方法を、各家各家の事情を鑑みて
その結論を出していく。
それが村の仕法のようである。
地縁の中で暮らすということと、
今回の決定のプロセスに「村」を感じた。
それらに比べたら、
僕のアイディアは、なんと陳腐なんだろう。
金曜日は半夏生だった。
この辺では、それを「はぎっしょ」と言う。
暦のうんちくは良くわからないが
うちの祖父祖母の昔話では、半夏生までに田植えを済ませ
この半夏生の時に、田植えの手間貸しの一部を
現金で受け取ったらしい。
だから、小作の家にとっては祭りのような1日だった。

僕が生まれたころには、すでに僕の家は小作ではなかった。
だから、この日に手間貸しの一部を現金で受け取ったり
祭りのような一日は見たことはなかったが、
その名残だけはあった。
それは安倍川もち。
半夏生になると、安倍川もちを作って
近所・親戚に配ったりとか、もらったりした。
(詳しくは以前書いた二つのエントリーを参照のこと。安倍川餅から焼き鯖半夏生つづき

それが最近は、ちょっと様子が違う。
半夏生というと焼きサバになってしまったのである。
なんでも大野のお殿様が、暑い夏を乗り切るために
半夏生の日に、民に焼きサバを食べることを奨励したらしい。
それは、その話で良いと思う。
そういうこともあるだろう。
だが、大野のお殿様の時代からすでに数百年とたっている今
降って湧いたように、半夏生に焼きサバを食べる習慣が
最近、僕の界隈では見かけるようになった。

実は、この焼きサバの習慣は、僕が協力隊から帰ってきて
農業をするまでは知らなかった。
農作業をしながら聞くラジオで連呼されるので
そんなものもあるのか、と思うだけだったのだが
それが最近はすっかり定着してしまい、
我が家まで、半夏生に焼きサバを食べている始末。

僕は焼きサバが好きなので、別段、不服はないのだが
半夏生になり、スーパーの焼き魚コーナーでは
山積みになった焼きサバが置かれ、
ローカルなメディアでは、そればかりを連呼する。
僕らの意識は、すでに農の循環的な生活サイクルから離れてしまい
半夏生まで田植えをする連中なんていない。
その頃に田植えをしているのは、
減反の検査後に違反して田植えしている連中くらいなものだ。
農地が解放され、機械化が進み、手間貸しの関係と必要性が無くなり
より自由なり、より解体された農村に住み
農業は目に入ってくる
特に意識しない風景の一部になってしまっている
現代の人々にとっては、半夏生といっても
それと農作業とが一致することはない。

小作が手間貸しの一部を現金で受け取る大事な日だった半夏生は
今では、大野のお殿様の民に対する夏バテ防止策の話の方が
今の社会では、受け入れやすいものなのだろう。

なんとなくローカルに見える中にも、
平準化の流れはいくらでもある。
農に関心が高い昨今、大野のお殿様の話は
なんとなく農業に関係しているようにも見えるので
それも受け入れられるのかもしれない。
何百年も前にやっていたこと(亡霊)が、
トレビア的な知識として復活し
それが、民衆知を脅かす。
僕らが耳を貸さなければいけないのは、そんなものではなく
もっと身近で、もっと目の前にある生活史ではないのだろうか。

乖離してしまった農の生活に想いを馳せることが愚かだと言うのなら
数百年前に言ったとされるお殿様の話に乗っかることもまた
同じことではないだろうか。

目を向ける先を間違っている。
そう思いながら、好物の焼きサバを突っついていた。
区の本盛の日。
と書いても、解らない人も多いか。
町内会の会費を役員で計算し確定する日。
ここらでは、町内会を区と呼び
会費を盛という。

今年、農家組合長を仰せつかっている僕は
自動的に町内会の役員もすることになっている。
今日はその町内会で、上半期の会費をいくらにするかを
役員で計算し、チェックする日だった。
1週間ほど前にすでに会長などの数名の役員で
町内会費(盛)をいくらにするかは
決まっており、
僕のような末席に居る役員は、今日はその確認をするだけ。

読み上げられた会の収入に
毎年0円なのに項目があるものがある。
それは
「石の金」。

川の近くの村なので
かつては区の土地で採石でもして、
その収入かと思われるかもしれないが
そうじゃないらしい。
これは他所からこの村に入って来た人が
区に対して「よろしくお願いします」といって
もってくるお金だとか。
昔は、村のメインストリートは石畳だった。
その石を踏ませてもらいます、
これからは村の道の石を踏むのでご迷惑をおかけします、
という意味で、
他所から嫁に来たり、婿に来たり、
はたまた家族ごと引っ越してきた人が
区に対して僅かばかりではあるが
心配りを持ってきたのが
「石の金」。

つまりは、村の敷石は
昔はその村で補修していたということなのだろう。
だからこそ、その迷惑料で石の金があったのだろう。
それがアスファルトに変わり
行政が管理するようになり
区は、その補修や工事を行政に
陳情するだけになってしまった。
慣例と自治への変化をこの石の金から
ほんの少しだが垣間見ることができた。

石の金。
最近は、これを持ってくる人はほとんどいないのだが
この項目自体を削ってしまうのも如何なものか、ということで
そのまま残っている項目。

そんな面白い項目が残っているのなら、
僕らが新築を建てて
この村に住居を構えた時に持っていけばよかった。
と本盛をしながら、少し悔やんだ。

減反の現地確認の日。
市役所から来た役人とJA職員と
うちの集落の農家組合長である僕の3人で
うちの集落の減反が、計画通り行われているかの
現地確認。

水稲共済の申請書という形で、あらかじめ減反の計画を出しており
それに沿って市役所が作ってきた台帳を元に
田んぼの一筆一筆を確認して歩くのが現地確認の作業。

うちの集落は約90町歩(90ha)の水田があり
しかも減反は、各家がそれぞれの耕作田んぼで減反をする
いわゆる「バラテン」と呼ばれる減反をする集落。
それぞれがそれぞれの田んぼで
バラバラに転作をするので、そう呼ばれている。
バラテンの場合、確認の田んぼの筆数も増え、
また虫食いのように転作田が点在するので、
いちいち確認するにも時間がかかる。
これに対して、ブロックローテーションと言われるように
集落の減反面積を一括して、その集落の一か所に集めて
効率よく減反をしようという地域もある。
集落営農でやっているところや
農家組合でやっているところや、
それは様々。

うちの集落が面倒な点は、まだある。
それは転作が、麦だけでなく、野菜なども盛んに作っており
秋・冬作として野菜を予定している場合、
ぱっと見てもそれが自己保全なのか
野菜なのかが解らないということである。
それも農家組合長が説明しないといけない。

うちの集落は、昔はブロックローテーションで
転作を行っていたとか。
農家組合で減反面積を預かり、
集落の東手の田んぼを6か所に分けて
ブロックを組み、
毎年その6か所で場所を移動しながら
ローテーションで、一括して転作をしていた。
20年くらい前の話。

その頃は、そのブロックの田んぼを持っている地権者に
田んぼを作らなかった分として、各戸から補償金を集めて
払ったとのことだが、
その金額が大きく、一軒で10数万円にもなったのだとか。
それでもその分、減反しなくて米を作れたり
減反分で割り当てられたローテーションの田んぼで
野菜などを作れたので、それぞれの家には
それなりに増産分の収益があったはずなのだが、
一旦口座に入ってしまったお金は、すべて自分のものに見えるようで
後から来る、この補償金の金額に難色を示す人も多かったようである。
そして、その補償金の大きさでもめて
ブロックローテーションは立ち消えになったとか。

ブロックローテーションでやる利点は多い。
まず減反面積が明確で、個人に任せた場合よりも
確実に減反が達成できる。
つぎに、一か所もしくは数か所のある程度の面積で転作をするので
共同作業や機械の共有化などで生産効率を上げることが出来る。
共同出荷などにも結び付き、市場での優位性も確保できる。
だが、これを準備する側は大変だ。
補償金の計算などで矢面に立たされるし
一括した転作田でも、誰がどの場所を転作するかでもめたり。

うちの村では、補償金の金額でもめて
それが決定的な要因だったのだが
もう1つには、その村の気質もあるだろう。
共同作業や共同販売の小さな組織が出ては来るが
フリーライダーの問題や、抜け駆けする者がいて
長続きしなかったり、うまくいかなかったり。
僕の所感だが、共同で何かをやるという行為が
あまりうまく機能しない、
良く言えば、それぞれが独立心を強く持っていて
それぞれにやっていく方がうまくいく集落のようにも見える。
うちのむらの歴史的経緯も見ると
そんな感じがする。

だから、うちでは転作は「バラテン」。
確認に時間はかかるし
なかには、農家組合から支持した転作面積を守らない家もある。
集落トータルでは転作面積は守れているので
現地確認時に、問題はないのだが、
こういうフリーライダーが多いのも
ブロックローテーションがうまくいかなかったことの
要因の一つのようにも見える。

ただ現地確認が面倒というだけで
まぁ、個人的にはバラテンで転作する方が良いのだけどね。
そう考えてしまう僕も
やはりこの村の気質を受け継いでいるんだろう。
むらのJA青壮年部で江堀を行う。
集落での青壮年部の活動は、江堀と新年会の2回だけになっており
そういう意味で、集落内の重要な懇親の機会だったりもする。

むらの中の生活排水路を泥上げし、
空き缶やゴミを取り除く江堀作業。
当然、きちんと仕事もやるが
たまにしか集まらないこともあって、この日は朝から晩まで飲みっぱなし。

今年は無かったが
例年であれば、朝、皆が集まった段階で
むらの神社に飾られた新年のお神酒を
飲んで始まる。
膝近くまで泥で埋まっている場所もあるため
作業はなかなか大変で、休憩は長めにとるのだが、
その休憩でもビールを飲む。
実は、酒を飲まなきゃ仕事はもっと楽なのだろうけど。。。

昼は、焼肉を食う。
ここでも酒はいくら飲んでも良いように準備しておく。
肉が足りなければ、肉屋に配達を頼んで
とにかく全員が満腹になるまで、
五臓六腑を酒で満たすまで飲んで食べる。

こうなってくると、昼からの作業はやりたくなくなるのだが
重たい体に鞭を打って、作業を再開。
作業は、3時ごろには終了し、いったん解散。
夕方頃、集落の小料理屋に再び集まって、夕食会がある。
そこではコンパニオンまで呼んでのどんちゃん騒ぎ。
さすがに1日中飲んで、1日中重労働をした体では
体力的にきつくもあるのだが、
今年は若い人も多かったためか、
かなり盛り上がっていた。

むらでの奉仕活動に参加しない人が多い昨今。
他の集落では、その人たちに罰金を科すところもあるとか。
出てこなければ、金を払え、という論理らしいが
反対に見れば、金さえ払えば、面倒な集落の関係から自由になれる
ということでもある。
だから、そういう人が後を絶えない、とも聞いたことがある。
うちのむらでは、罰金はとらない。
義務化もしない。
ただ、出ないと損、と思わせるようにするだけ。
今回の集まりで、けっこう年配の人も、
「義務にするんじゃなくて、みんなの楽しみにならないといけない」
と言っていたのが僕の心に残った。

地縁なんて必要ない、と思われがちなのだが
住んでいる場所での、コミュニティ内でのwell-beingこそが
いま最も大切なように感じる。
それはうわべだけの言葉じゃなくて、
一人一人が顔を突き合わせての生の関係の構築なんだろうと僕は思う。
むらの関係は、たしかに面倒くさい面もあるが
面倒くさいよりも、それはそれで楽しみでもある、
と、楽しみの方が少しでも上回る、そういう関係にはならないだろうかと
常々思う。

その一助になるのであれば、
朝から晩まで飲み倒すうちの江堀の活動は、
他からみれば堕落だろうし、遊びすぎのようにも思われるだろうが
僕は真面目に、そして真剣に、
この日1日は、とことん皆で飲み倒して、
ばか騒ぎしてしまえば良いと、思っている。

快晴の1日。
3月、4月に畑に定植を予定している野菜たちがあり
こういう晴れ間は、とても助かる。
畑を起こし、定植準備をするのに、絶好の日和。

だったのだが、今日は1日中、むらの行事。

朝からむらの神社に集まり、春祭りの準備をする。
祭りは春と秋と2回だが、
春は、通常、簡素に行われる。
むらの役員だけが集まって、社に垂れ幕をつけ
掃き清め、神主さんを呼んで祝詞をあげてもらう。
役員で玉串を捧げて、それでおしまい。

例年であれば、春祭り後は自治会長さんのお宅で
昼過ぎまで酒を飲むのだが、
ここ数年でそれも簡素化したらしく、
酒を一滴も飲めず終い。
朝から、“今日は1日中酒が飲める”と張り切って
ウコンの力を飲んで臨んだのに
まったく、肩すかしをくらってしまった。

春祭りの後は、むらの役員会。
細々したことを細々と決める。
当然だが、これも酒は無し。

昼過ぎから、今度はむらの農家組合の用事。
調整水田の杭打ち。
減反を各戸で、どこでやるかを決めてもらうのだが
田んぼ一筆丸々減反する場合は、杭打ちは必要ない。
しかし、一筆の田んぼ、たとえば3反の田んぼで
7畝だけ減反をする場合、
その田んぼの7畝分は、農家組合で測って杭を打たなければならない。
事前に計算しておいた図面を見ながら
そういう一筆の全部を減反しない田んぼに
減反分の面積が解るように杭を打って歩いた。
なかなかの仕事で、役員4人で3時間ほどかかる。

こうして農作業に絶好な1日は過ぎた。
明日からは雨らしい。。。

ただ、杭打ちの後、役員で飲みに行った。
この日、ようやく、僕は酒にありつけたのだった。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
08 ≪│2017/09│≫ 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ