これなら記録できるか。
先月末に、中二日でインドネシアに出張した。
ま、その目的は置いといて。
その時に
ついでなので2月に帰ったジャジャンの畑を
見学してきた。

話には聞いていたが、ジャジャンの村は、
街から近い割に山に分け入っていくところにあり
それより先に人の住む場所がないだけあって
急激に街から田舎へとグラデーションしていく、
そんな風景だった。

彼の畑は
まさに山の頂上にあった。
その場所に行くにしても
ちょっとした登山さながら。
随行したメンバーでも
タンジュンサリ農業高校の先生たちは
途中で脱落するほどである。
研修卒業生たちは
まったく苦にもしない感じだったので
僕も「農民」を冠にいただいている人間として
意地でついていった次第である。

さて、その畑。
トウガラシが2000本ほど植わっていた。
収穫はまだだが、順調な生育で
良く手が入っている畑だけあって
とてもきれいだった。
人の所作が素晴らしい風景を生む。
そんな代表的な畑だった。

そのトウガラシだが
車両で運び出せるわけではなく
僕らが登ってきた登山道を担いで降りるという
偉業ぶり。
もうそれだけで脱帽だし
僕は絶対インドネシアで農民としては
生きていけないな、なんて思ったりもした。

ジャジャンと言えば
過去のエントリーを見てもらえればわかると思うが
帰国後はソシンというアブラナ科の葉菜を
周年出荷することに情熱を燃やしていた。
だが帰ってみれば、
誰もが作るトウガラシ栽培をしていた。
これはジャジャンの父親の意向である。
ジャジャンの計画は
父親には「危うい」と見えているらしく
賛同が得られないとジャジャンは言う。
そこで相場が上下して
結局この栽培だけで頭を抜け出せない
農家ばかりの仲間入りをしているってわけだ。

ジャジャンの父はまだ若い。
だからまだやりたいこともあるのだろう。
あと自分の知らないことを判断する力も
それに任せてみる勇気もないのだろう。
と書くと、やや自分に投影しすぎて
感情移入が強すぎて判断が鈍っているかな。

まぁ、そんなこんなで
ジャジャンは自分の思い描いたようには
進めていない。
また周りの親戚の声も
ジャジャンに追い風でもない。
農業は日本でもインドネシアでも逆風だ。
「日本まで行って、出稼ぎで成功して、土地を買ったのに、なぜ農業をやるというのかわからない。」
とジャジャンの叔母や祖母から聞いた。
この言葉が横にいたジャジャンの顔を固くする。
ジャジャンは確認するように
僕を意識しながら叔母と祖母に
「僕らがやろうと話していた農業は今までのような農業じゃないんです」
と語っていた。
その言葉はたぶん彼女たちには届かないよ。

技術移転や経営手法
マーケティングなんて言葉がいくら飛び交っても
やはり社会認識だな、って僕は思うよ。
これを変えるのが
僕の次の10年だと思っている。
ジャジャンの悔しさは、僕らの推進力に。
そう思って、ここからスタートを切りたい。




ちょっと前の事だけど
記録しようか。
忙しすぎて、記録が追い付かないのは
申し訳ない。

さて
ジャジャンが帰った。
送別会は、彼が来てから演奏した
農園のバンドの映像を流した。
これを編集していて気が付いたのだけど、
農園のバンドは
ジャジャンが来る前からあったけど
彼が来ることで花開いたんだなってこと。
農園開放のBBQや大学生の合宿での交流会、
村のお祭りのステージ。
それらを沸かせたのは、
ジャジャンの歌声だった。
そのジャジャンが帰った。
たぶん、バンドはこれでお終いだろうね。
次に誰かジャジャンのような奴が来たら
またやればいいさ。

彼が何を学んだのか、と
言われると
やや自信はない。
正直、研修の内容よりも
音楽のイメージが残っていて
そちらを一所懸命やっていたようにも見えた。
事実、彼を空港まで送っていったのだけど、
彼も
「最初の1年と2年目までは、どうしてこんな勉強をさせられるのだろうかって分かりませんでした」と言っていた。
だろうね。
君の眼、授業中、死んでたもの。
伸びる子の眼ってどんなんかは
僕みたいな鈍い人間でも良くわかるんだよ。
でも3年生になってからは変わった。
彼も
「3年目にはその意味がようやく解りました」
だってさ。
僕が授業でやっていることは
技術的なことはほとんどやらない。
技術を軽視するわけじゃないけど
多様で柔軟な視点を獲得すれば
その視点で技術は切り取っていけるからだ。
こうあるべきだっていう固い頭が
その産業をダメにする。
だから授業では、
多様な視点を確保するために
自分たちの常識を壊していくような座学をするから
それを受講する研修生たちには
かなりストレスになる。
自分の常識という安全地帯が
一番批判される場所だからね。

だからジャジャンは、
1年生の終わりに
「もう帰りたい。研修は続けたくない。お金が欲しかったから来ただけだ」
と言って、僕も彼を帰国させようとしていた。
当時の3年生のクスワントが
それをどうにか止めて、
ジャジャンは研修を続けた。
ま、それでも研修の意味が解るまで
1年以上時間を費やしたって事か。

さて
ジャジャンは帰り間際に
彼の帰国後のビジネス案について
少し実現が難しいことを話してくれた。
彼自身がこっちに来てから
ここでためた費用で購入した土地があり
そこでアブラナ科の周年栽培ビジネスを予定していたが、
その土地は彼の父が他の作物に使っていて
どうも自由には使えないようなのだ。
そう、そう、そう。
家族経営ってそうなるよな。
農家の子弟として、良くわかるよ、それ。
家族のヒエラルキーが
職場でも反映されて
全く身動きが取れないってやつだね。
これについては、日本であれこれ
議論してもしょうがない。
戻ってからの話だね。

彼は帰国したけど、
それで僕らは途切れるわけじゃない。
別れは、そりゃ、ちょっとは悲しいけど、
それどころじゃないのさ。
僕にはそれ以上に帰国後から始まる
彼との係り方への準備に忙しいのだ。
だから、
しみじみお別れなんて言わなかった。
さ、ジャジャン。
ここから僕らの真価を見せる時だ。
僕は君を僕から諦めることはないから、
君がやりたいっていう所まで
僕の力が及ぶ限り
君の背中を押し続けるよ。



ジャジャンはもうすぐ帰国する。
インドネシア実習生の彼は、
今年度が3年目だった。
農園たやの研修プログラムは
3年目に卒業研究を行う。
で、最後にそれをまとめて
福井農林高校で発表する機会を
毎回用意してもらっている。
もちろん日本語でのプレゼンだ。
今回もその機会を得て、
ジャジャンはプレゼンをした。

彼の卒業研究は
ソシンというアブラナ科の野菜に発生する
根こぶ病の防除方法だった。
薬剤による防除が難しいとのことで
それに頼らない他の防除方法を探すのが
彼の卒業研究のテーマだった。
あれこれと文献を調べ、
そこで出会ったのが太陽熱処理と
土壌のph調整による防除方法だった。
ということで透明マルチと石灰施肥の実験を
彼はこの1年行った。

結果から言えば、ま、失敗といえるだろう。
石灰施肥でphは上昇したので、
そちらは良かったのだが
太陽熱処理はうまくいかなかった。
透明マルチで土壌を被覆したが、
熱がうまくこもらず、
地温が45℃程度しか上がらなかった。
その結果、透明マルチ内は雑草だらけになり
たとえ根こぶ病が防除できていたとしても
とても作付けできるような状況ではなかった。
雑草が生えないようにするには
50度以上の温度が必要だという。
普及員に聞いたら
マルチの厚みが足りなかったようで、
それで熱がこもらなかったというわけだ。
インドネシアには
透明のマルチがそもそもなく
使用するとしたらビニール資材になるので
どのみち厚みはあるようなので
その資材の使用で熱はこもるから
雑草の発生もなく
根こぶ病の防除はできるだろうね。

発表はとても良かった。
かなり緊張していたようだが、
原稿を棒読みするのではなく
すべて覚えて発表していたのが良かった。
先輩たちが出来なかった発表スタイルだったので
とても評価に値する。

さて
そもそもこういう実験を行ったのは
ジャジャンが帰国後のビジネスとして描いていたのが
ソシンの周年栽培だったからだ。
毎日種を播いて毎日収穫する
僕らには当たり前のライフサイクルが
まだまだインドネシアでは珍しい。
脆弱な圃場の設備も影響しているのだろうけど
(特に給排水)
彼ら彼女らの農業は一時に作業が集中し、
一気に播種して一気に収穫して
そして当然だが、価格は下落する。
流通も脆弱だから、収穫物を遠くへ運べない。
だから近隣で採れる野菜がその季節になれば
その市場にあふれかえる。

ジャジャンは毎日少しずつでも良いので
ソシンを出し続けて
取引先から信頼を得たいと思っている。
ま、それは1つの真実だ。
「美味しい」や「特別な栽培」、「特別な野菜」よりも
「毎日切らすことなく出荷する」は
もっとも必要なスキルで
市場でもっとも信頼を獲得できるからね。
それを評価する市場が君の近くにあれば、だけど。
市場の聞こえざる声に反応できるような
敏感な感性が
君に備わっていることを
僕はただただ祈るのみだ。




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研修3年生の発表もひと段落したと思ったら、
次は2年生のジャジャンの卒業研究が始まる。
休まる暇もなく
立ち止まることも許されないんだね。

ということで、
ジャジャンの卒業研究の
計画書を指導した記録。

彼の故郷はタバコ栽培と水稲の地域だ。
水量はそれなりに豊富にあるらしいが
まぁ、当然ながらその豊富な水量に
アクセスできないのが
ここに来る人間の特徴だろう。
だからジャジャンの家では
乾季のタバコ栽培が重要だった。
でもタバコの価格が下がっているので
それだけでは未来が見えてこない。
ジャジャンは、
僕の農園を見て
葉菜類の通年栽培で
市場に安定供給できれば、
価格も安定すると考えている。
で、安定的に葉菜類を栽培する技術として
彼の地方で問題になっているのが
根こぶ病だった。
連作することで根っこに発病する病気だが、
これを以下に抑えるかを
ここ半年以上かけて彼は勉強してきた。

そこで彼は今年の卒業研究として
小松菜の栽培を行い
根こぶ病の総合的防除の実践を試みている。
マルチや石灰などの資材を利用して
病害虫を防除するやり方を計画していて
たぶん、これまでの研修生の中で
一番農学的な取り組みになりそうだ。
小面積でのリレー栽培まで
取り組むかどうかは、
まだ思案中。

あれこれ考えて
実行に移そうとしているジャジャンは
なんとも頼もしく見えた。
僕もできる限りバックアップしよう。


今は冬。
北陸は猛吹雪。
こんな天気だが、今からが忙しいのが
僕らの農園。
今週末からクリスマス&年末商戦への
納品ラッシュだ。

さて、それはまた別の機会に書くとして、
たまにはインドネシア実習生ネタでも書こうか。
忙しいと言っても
夏の忙しさ&暑さに比べたら
今は体力的には余裕がある。
だから、この時期、
インドネシア実習生への授業は
宿題も課題のレベルも一気にあげて
詰め込んでいく。
ちょっとそれがストレスになるくらい
この時期はガツガツやることにしている。

夏ごろから1年生のレンディは
石灰の勉強と称して日本語文献を
たくさん与えていた。
それは彼が石灰を勉強したい
という意志があったからだ。
3年生も同様に
それぞれの卒業研究に沿って日本語文献を
与えて読ませてきたのだが、
2年生のジャジャンだけは
僕から無理には
それをしてこなかった。
というのも、
彼はとてもストレスに弱い。
と僕は思っていたから。

もう時効だと思うので書くけど、
1年生の冬、ジャジャンは一時
農園の研修を辞めたいと言ってきたことがある。
冬の厳しさと冬の時期に勉強量が多くなることが
ストレスになっていたんだと思う。
またあまりにもモティベーションが落ちていて
その分、仕事のミスも目立ち
僕や父から注意を受けることも多かった。
そんな中で、授業の一環で行った市場見学で
彼と僕のお互いへの不満が噴出してしまった。
市場見学に際して
事前準備をしておくようにと
伝えておいたにも関わらず、
ジャジャンは全く準備をしていなかった。
事前に座学で市場の仕組みや物の流れを
解説したのだが、
その時、彼はまったくメモを取らなかった。
それどころか携帯をいじっている始末で、
僕としては不満の伏線はあった。
市場見学と言っても、
僕らはそんな暇はなかなかないので、
僕が早朝に市場配達に出かけたときに行う。
急いで帰って朝の収穫の準備もある。
だから説明も細かくはできない。
そのために事前に座学を設けていたのだ。
そんな僕のイライラが彼に伝染し、
一気にお互いの不満が表に出てしまった。

その時、彼は
「もう農園の研修はやめます」
とはっきり言った。
長くやっていれば、
きっとそんな奴も現れるだろうとは思っていたが、
さすがに言われると狼狽する。
その時、間に入ってくれたのが
当時3年生だったクスワントだった。
市場から戻ってきて僕は
すぐにクスワントに相談した。
インドネシア人の感覚と判断を知りたかった。
ジャジャンはクスワントをすごく慕っていたのも
知っていたので、
彼はジャジャンを擁護するかと思ったのだが、
その逆だった。
このプログラムに悪影響があるなら
ジャジャンは辞めた方がいいと
彼も言い切ったのを覚えている。
とくに当時2年生のイラやカダルスマンに
悪影響を与えるから辞めてもらうのなら
早い方が良い、とも言った。
そしてクスワントは
「明日までにジャジャンと話し合って答えを出します」
というので一任した。
結果は、
ジャジャンは研修を続けることになった。
何を話し合ったのかはわからないが、
ジャジャンが変わったのはそれからだった。
授業中いじっていた携帯も持ち込まなくなったし、
メモも良くとるようになったし、
座学の事前の準備もしっかりやるようになった。
何がそうさせたのかは、
クスワントは笑うばかりで教えてくれず、
僕は、自分が全くの無力だ、ということを
思い知らされただけだった。

さて、そのジャジャン。
2年生になってもやはり僕は
腫物を扱うような態度になってしまう。
だから課題もそんなに厳しくして来なかった(つもり)。
それがこの秋口から
「3年生や1年生には日本語の文献の課題を与えてくれるのに、僕にはくれないのはなぜですか?僕はアブラナ科の難防除の根こぶ病について勉強したいので、その文献を下さい」
と、ジャジャンの方から申し出があった。
ジャジャンは、インドネシアに戻ったら
ソシンというアブラナ科の野菜の
通年栽培を考えている。
しかし、その野菜は根こぶ病という病気が
蔓延しやすく、その防除はかなり厄介だ。
その根こぶ病の文献を読みたいとのことだが、
病気についての文献は
かなり専門用語が多くなる。
はたして読みこなせるだろうか。
しかしそんな心配をよそに、
彼はそれを一所懸命読みこなし、
月間レポートで発表してくれた。
その出来がなかなか良く、
また彼自身も手ごたえがあったようで、
もっと専門的な文献がほしいと
意欲的だった。

今は冬。
夏よりも太陽が昇っている時間は短い。
だからこんな夜長は勉強に限る。
そんなふうに思っているから
僕は今、彼らへの課題を多くしている。
それがとてもストレスフルなのもわかっている。
だが、今、
伸びようとしている研修生たちの芽も
僕には見えている気がする。
だから、多少嫌われようとも
今はたくさん課題を与えることにしている。
ジャジャンのように
いつか芽がでて、
大きく伸びるときの姿が見たいから。





研修2年生の
技能実習生ジャジャンは最近悩んでいる。
まぁ、人生を変えようと
日本に技能実習生としてやってくる外国人のほとんどが
深い悩みを抱えているものだし、
そうじゃなくても
20代前半の若者というのは
特に悩みが多いころかと思う。
さて彼は今、何に悩むのか。
それは、3年生の課題である卒業研究について。

彼は帰国後Sosin(ソシン)という
葉菜を通年栽培する計画を立てている。
ソシンは、インドネシアでは、
チンゲン菜と並んでとても一般的なアブラナ科の野菜で
日本の小松菜やしろ菜のような野菜。
で、卒業研究は毎回
帰国後の自分が描くビジネスに合わせて
それぞれが研究内容を計画して
実際に圃場で実験したり、
先進農家にインタビューをしたりして
そのビジネスへの理解を深めていく作業となっている。

さて、そのソシンの通年栽培のビジネスで
来年から始まる卒業研究において
何を研究すれば
よりその課題を克服できるのか
この夏から悩み始めていた。
ソシンの栽培自体はそれほど難しくない。
いや地の問題もあるが、
輪作昆作を予定しているので
何とか解決できるだろう。
もちろんそれを課題にしていいのだが、
2~3回栽培したくらいではいや地なんて
出てこないので、対照実験にならない。

ソシンの栽培自体は難しくないが、
それを通年でやろうとなるとやや難しい。
通年栽培の技術が確立できれば
販売で有利に立てるというのがジャジャンの見立てだ。
一番のネックは、灌水用の水だろう。
インドネシアの乾季は
葉菜類にとても厳しい環境と言わざるを得ない。
とくにジャジャンは条件不利地の農家なので、
水確保が難しいという。
だから彼の地域は比較的に水が必要ない、
タバコ栽培が盛んで、
乾季真っ只中は、そのタバコを天日干しにして
加工で仕事を作っているのだという。
だったらそのままタバコを続ければいいのだが、
昨今、タバコは値下がり傾向で
昔に比べて割が合わない仕事になっているらしい。
それに代わる安定収入ということで
彼はソシンに目を付けている。
では、灌水の水確保の実験は
それ自体研究となりえるのだろうか?
ポンプ性能を調べたり
スプリンクラーでの灌漑実験も考えられるが
ジャジャンはそれだけではすぐに実験が
終わってしまうと考えている。
1回きりの卒業研究だから
もっと実のあるものにしたい。
それが彼の希望だった。
余談だが、
彼はすでに1年目にためたお金で
それほどの広さではないが
水源の近くの土地を手に入れた。
灌水用の水確保の問題点には
それなりにアプローチをとり
着々と帰国後に向けて準備はしている。

さて、
そんな中で、月間レポートのお悩み相談項目に、
どういう研究をすれば
実のある卒業研究になるのか?
と彼自身、僕や他の実習生に問いかけてきた。
なので、これは来月までの僕らの宿題にした。
これから来月の月間レポート作成時までに
ジャジャンが抱えている地域の農業の問題点を
俯瞰的に見て
その中でソシンを栽培するにあたって
何が障害となり、
どうしればその障害が取り除かれるのかを
みんなで考えながら、
彼の研究テーマに近づいていこうと思う。
こういうプロセスが
ジャジャンを含めた実習生の
力が飛躍的に伸びる瞬間だったりもするので、
僕自身、一番楽しい作業だったりもする。





今度は、研修2年生のジャジャンの月間レポート。
彼は今、病害虫の個人学習を進めている。
ちょうど前年度の後期授業で
総合防除の理論を説明したので、
それに沿って彼なりに知識をためようとしている模様。
加速する自己学習は
この月間レポートの本来の意味なので、
こういう光景にはとても満足。

さて、ここに記録しようと思ったのは
それとはまた違う。
月間レポートには、
それぞれの研修生の悩みや疑問を書く項目があるのだが、
そこに珍しく彼の最近の悩みが書かれていた。
それは彼の実家の農業の行き詰まりについてだった。

彼の実家ではタバコの栽培が盛んだ。
その地域の換金作物のエースで、
この価格の上下が彼らの生活の質に直結する。
で、行き詰まったのは、たばこの価格が
彼が日本に来る前に比べて、半額に
なってしまっているからだ。
大抵、農産物の価格は乱高下するもので、
そうさせない努力が経営のカギになるのだが、
彼の話ではそういうのとはまた違った問題だという。
そもそも乱高下している中での半額ではなく、
徐々に下がり始めての半額だという。
その理由が、あるイスラム教団体(現在確認中)が
たばこはharam(イスラムの戒律に違反している)だと
喧伝したことに由来していると
彼やここに来ている農家子弟は認識していた。

彼が日本にやってくるちょっと前に(2013年)
たばこがharamだと決めつけられて、
そこから値段が徐々にだが下落し、
今では半額になっていると彼は言う。
本当かなぁ~?と思わないでもないが
実際にそういう言説はインドネシア語のWebでも
かんたんに検索して見つけることができる。

大抵の場合、
僕ら農家は価格の上昇や下落について
その理由がほとんど見えない。
値段のつかないたばこの理由がイスラム教と
関連があるのかどうかはよくわからないが、
この事例でもやはり個人の農家レベルでは
なかなか見えてこない事情がその裏にはあるように思う。

とりあえず、
彼と一緒にたばこの下落について
いろいろと調べてみることにした。
月間レポートの指導は、
タフな作業がどんどん増えていくけど
それはそれだけ研修生の意欲が高いってことなんだろうな。
僕も置いて行かれないように、勉強しようっと。





いつものことだが、
1年が過ぎる頃から
インドネシア研修生の成長が始まる。
僕の教え方が悪いからか、
それとも人の成長とはそんな期間が必要なのか、
僕にはわからないけど、
ここに来た子たちは、皆、
1年を過ぎる頃から、
成長し始める。
今年の2月に来たジャジャン君も例外じゃない。

彼は、ここに来た当初、
有機農業を志していた。
理由は、農薬は毒で、
癌や病気が蔓延するのはそのせいだと言っていた。
ただ、
僕にはその因果関係が
あるかどうかはいまだに不明で、
その根拠あるデータを
まずは一緒に探すことにした。
彼の持っていたデータの多くは、
地元の農家の話だったり
一部のWeb記事だった。

ジャジャンの地元の農家の話では、
農薬を使う前は寿命が長かったという話だったが、
国勢調査の統計データ(ちょっと怪しいけど)は
それを支持していない。
またWeb記事は出典元を明記しておらず、
検証が不可能だったが、
出所をはっきりさせない記事は信頼に値しない。
そんな作業を繰り返している内に、
彼はインドネシアの農業研修生が必ず
一度は通過する“トウガラシ栽培”を志向するようになる。
このころには特段『有機栽培』を
声高に言わなくなっていた。
まぁ、また有機栽培の意味は
まわり回ってもっと健康的に捉える機会が
この研修の中ではあるので、
この時はそのままにしておいた。

さて、そのトウガラシ。
確かにインドネシアでは消費量も多く、
需要が高い。
雨季のど真ん中や乾季で水が無い時は
どうしても高値がつく。
その反面、市場が乱高下して読みにくい作物でもある。
病気も多く、連作も出来ない。
だからこの栽培で成功すると
それなりに大きな富になる。
だが、大抵は、みんなが作りやすい時期にしか
作ることが出来ず、
低価格で販売することが多い。
天候と周りの作付け量による博打的要素が満載の品目で、
とても小規模での栽培で安定収入は得られそうもない。
やり方次第では面白いのだが、
大抵の農家はあまりそういったリスクを回避することが出来ず、
もしくは回避する方向に意識と技術が向かわず
(それは資金的限界かもしれないが)、
失敗に終わるケースが多い。

少なくとも村々を回って集荷する買取商人に
販売するだけの市場しか考えず、
適期にしか栽培できないトウガラシ栽培は、
ほとんど富を生み出さない。
ジャジャンはその点を
上級生から指摘を受けた。

要は、何をどう作るのか、ばかりに目が向いているが、
それと同じくらい、いやそれ以上に、
何をどう売るのか、を考慮しないといけないというわけだ。

彼はそこから少し変わり始めた。
あれこれとネットや友人に販売先の情報を集め、
ある野菜の卸会社に行きついた。
今、日本で農業の勉強している強みを
プレゼンしつつ、その会社にとって必要な野菜は
何かを訪ねるメールを出した。
いきなりのメールなので、
当然、返事はない。
でも彼は
『これからもこうやってメールを出していこうと思います』と
意欲的だ。
まぁ、これがスタートラインなので、
ここからいくらでも変化していく必要はあるだろうけどね。
少なくとも、自分よがりにどれが売れそうかとは考えず、
何が必要とされているのか、
何をどう売るのか、
何が自分の、自分の地域の武器になるのか、
そんな風に考え始めているのは確かだ。

1年経つと研修生の子たちは皆、
成長し始める。
ジャジャンは、どんな営農を目指すのか、
彼の肩越しに、一緒にその地平を見つめていきたい。

前回エントリーで書いた2013年度前期の試験。
トップバッターは、1年生のジャジャン。
2コマの講座でたった24回の授業を聞いて、
地域農業と地域発展の可能性について知ることなんて
到底できないが、
少なくとも、それぞれの地域に優劣はなく、
そこにあるのはただただ差異でしかなく、
そしてその差異を
いろんな要因に混乱させられながらも
際立たせたところが、
ちょっとばかり素敵にみえるということが
解れば大したものだが、さてどうだろうか。

ジャジャンが取り組む地域は、くじ引きで
2年生のイラの地域だった。
授業の通り、彼はイラの地域の農業を
さまざまな要因によって支えられていることを
明らかにしていった。
気候・人付き合い・資金の出所・人材・政府の補助事業まで
さまざまな要因を挙げていたが、
彼が犯したミスは、
そのすべてにおいて、自分の地域と
もしくはそのほかの地域と比べることが一切なかったことだった。
だからそれらは、ただ単に羅列された情報であり、
その地域の農業を形作る、
差異を輝き放つ要因では一切なかった。
授業で教えた要因を順番に埋めることに終始し
それがどう意味づけされているのかに
彼の意識はなかった。

そうして分析された後に考えられた彼のビジネスプランは
どういう出来だったかは想像できるだろう。
彼の考えたビジネスプランはバニラ栽培。
イラの地域には村落の生活林が多くあり、
そこは再開発できない場所であるため、
農地として利用することが難しいが、
その森林を利用してバニラを栽培しようというものだった。

地域資源に目を向けそれをポジティブに換えたのは
それなりに評価できる。
だが、イラの地域農業を支える要因が明確に差異を
感じられないまま、
しかもそれらの分析された要因すらもビジネスプランに
有効活用しないまま、立てられたプランは
ありきたりで面白味もなく、
また安易な「生産組合」という言葉で
社会的起業に結びつけてしまうあたりに
思考の深さを感じない。

1年生は概してこんなものだ。
ジャジャンもここからスタートをする。
来てすぐのころは、
唐辛子やキャベツ・空心菜栽培という
日本で言うならば
ホウレンソウ栽培といったまさにメジャー級の
野菜栽培だけに固執していたころに比べたら、
少しは考えられるようになったのかもしれないな。
彼がどう成長していくか、
ある意味のびしろが多い分、楽しみだ。


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ずいぶんと紹介が遅くなったが、
そろそろ彼もここに登場させようじゃないか。
2013年の2月に来日した、
研修第6期生のジャジャンヘルディアン君。
あぁ、もう6期生なんだねぇ。

さて、彼。
イラやダルスの1歳年下で、まだ22歳。
もちろんタンジュンサリ農業高校の卒業生だ。
彼の経歴は、これまでの子と違っていて、
職歴がないことだった。
もちろん就職活動はしていたようだが、
なかなか思うような職に就けなかったそうだ。
就職が決まらないまま、卒業を迎え、
父の農業の手伝いをしながら、
しばらくは就職活動をしていたのだが、
その内農業自体に楽しみを感じるようになり、
いつしかそのまま農業をしていたという。
そこへ今回の研修募集を知り、
応募して、選考に合格して、来日という運びになったらしい。

彼の家は、とても裕福とは言えない。
だが、それなりに農地はあるようで、
主食用の水田稲作と
換金用のたばこ栽培をしている。
ジャジャンが農業を始めてから、
野菜栽培にも果敢に挑戦している。
が、市場の問題もあり価格が安く、
コスト高で利益が出ていないようだ。

音楽を愛し、ギターと歌が上手いジャジャン。
明るい性格の好青年だが、
彼もまた、他の研修生たちと同じで、
実家の経済状態は良くない。
祖父ら3人の老人を扶養しなければならず、
父の農業だけの稼ぎでは、
ぎりぎりの生活だった。
父がもし体調を崩せば、
そのまま貧困の輪から抜け出せなくなる
典型的なジャワの農村部の家族だ。

経済成長著しいインドネシアで、
豊かな生活をしていける農業を模索するため、
ジャジャンは日本にやってきた。
有機農業に関心があり、
野菜栽培を成功させて生計を安定したい、
そんな想いを持っている。
そんな君の素敵な夢を
僕は微力だが、
これから一緒に実現させていこうと思う。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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