今回のもう一人の帰国者は
カダルスマン。
前回のエントリーで
やや彼の認識とのずれに
僕は戸惑ってしまったのだが、
今はその戸惑いも落ち着いて
自分では眺められるところまで来た。
だからといって
ショックがないわけではないが。

さて、彼についてもそれなりに
エントリーに書かれているので
ここでは重複もあるかもしれないが
恐れずに記録しようか。

彼は、中学高校と
それほど優秀ではなかった。
とはいえ、高校のときは
全国の農業高校の弁論大会で
優勝する実績はあった。

卒業後は成り行きで
園芸店や絵画のギャラリー、
アパレルの卸に就職した。
彼が言うには
『とくに夢なんてなかった』そうだ。
なんとなく給料が良いとか
なんとなく仕事が楽とか
なんとなく見た目が格好いい、
そんな理由だったという。
そしてそんな理由で就いた仕事は
どれも長続きしなかった。

ちょうどアルバイト程度の仕事をしていた時に
このプログラムの話を聞き参加した。

第5期生はたまたま
2名受け入れることにしていた。
毎年1名では、なかなか卒業生を
排出できないと思っていたので
地域開発の活動を
スピードアップさせるために
チャレンジ的にこの年は2名を受け入れた。
たぶん、それまで通り1名の
受け入れだったら、
候補者はイラだけで、
カダルスマンは来日できなかっただろう。
だから彼との縁は
ちょっと僕にとっても不思議なものを
感じたりもする。

来日してからの彼は
正直言って、
これまでの実習生に比べて
見劣りしていた。
一所懸命に課題には取り組むのだが、
レポート・プレゼン・試験・農作業、
どれも見劣りしていた。
能力的な差が確実にあった。
やはり2名の募集は
その分、クオリティが鈍るのだろうか。
そんな風にも思っていた。

前回のエントリーでも書いたが、
カダルスマンはとても愚直な人間で
自分の弱点も分かっている。
だから、小才が効かない分
自分の能力を過信せず
反復作業を徹底して
体や脳みそにその情報を
おぼえこませる作業は
たぶん誰よりも長けていた。
だから、実習生1年終了時に
JITCOから行うように指導されている
農業の試験では
これまでの実習生とは違って
満点をとって
周囲を驚かせたりした。

ただそれで彼が
僕の目指す考える農民に
なれるのかどうかは
とても不安があった。

だが、そんなものは
杞憂だと僕は知る。
彼がパームオイルのプランテーションで
現場監督の道を選んだことや、
帰国間際に行われた
農業とグローバリゼーションの筆記試験で
今までの実習生の誰よりも
的確にグローバリゼーションをとらえ
それに対抗する考えも
しっかりとしていた。
パームオイルプランテーションへの就職では
僕はへこむくらいショックを受けたが、
農業とグローバリゼーションの試験では
その出来に驚かされた。

もしかしたら
僕は勘違いしていたかもしれない。
彼はとても現実主義者で
しかもその勉強への行為能力も
方向性が定まれば
誰よりもその力を発揮する人間だった。
この妙を自ら捉えて
その状況に身を置き、
自分の行為能力が
自らの思う方向へと発揮できるように
自分にそれを引き寄せられるなら、
これからも彼は大丈夫だ。

新天地で外の人間として
パームオイルの地域に
彼がこれから何ができるのか、
僕にはもうどうすることもできないが
遠いここ日本から
応援していこうと思う。




カダルスマン(以後ダルス)は、
とても不器用な人間だ。
自分が不器用だと知っているから、
彼はとても真面目に生きてきたし、
何かをさせれば、必要以上に準備する奴だ。
ただ正直、センスはないと思っていた。
見下しているわけじゃない。
それはそれがあれば農業に向いていたのにな、という
親心のようなものだと理解してもらえるとありがたい。
しかも彼は貧乏な生まれだ。
農地も農業生産施設も何も持ち合わせていない。

だから、彼は自分で農業するよりも
農業関連の会社に就職した方が良いと思っていた。
地方で一番安定しているそういう業種は、
日本もインドネシアも同じで、
公務員が良いと思っていた。
一時期僕は彼に公務員試験の受験を
提案していた。

だが、僕が思った以上に
ダルスは自分のことを良く知っていたのだろう。
それはそれでとても素晴らしいことで、
不器用でセンスのない自分が
ここで得たお金をどう使って貧乏から抜け出そうかという
その創意工夫は、ある意味僕が思っていた
「センスがない」という判断は誤りだったと
今は訂正せざるを得ない。
彼は無理なことには労力を必要以上に使わないのだろう。
だから農業が無理だと分かっていれば
それにそんなに時間も労力も割かない。
なぜなら自分が不器用だと知っているから。

あと彼は小心者だったということだ。
だから何かをさせると
その準備に入念がない。
それはこんな逸話に良く表れている。

研修が1年過ぎると国の制度として
農業の技能試験を受けることになっている。
内容は大したことないし、
僕に言わせれば政府寄りの機関が作った
ぜんぜん農業のリアリティを考えていない
試験のための試験でしかないので
これまでそれほど僕自身はその試験に関心もなかったし
それほど指導もしてこなかった。
だからうちの研修生たちは皆、
ぎりぎりの点数で合格するのが常だった。
それが、ダルスだけは違った。
与えられたテキストを隅々まで覚え、
そして満点のスコアで試験に合格したのだ。

そんな彼だから、
僕以上に地域のポテンシャルを掘り下げて考えたから、
そして自分の立場と
自分の能力をよく理解していたからだろう。
だから彼はあんな行動をとったんだろう。
それは、研修で得た費用のほとんどを
カリマンタンのパームオイルのプランテーションに
注ぎ込んだということ。
その話を、僕は一昨日彼から打ち明けられたのだが、
パームオイルのプランテーションの問題がどうこう以前に
これまで僕と一緒にやってきた彼の夢についての
議論はなんだったのだろうかと、
一瞬で目の前が真っ暗になった。
今は、正常な思考が再び僕を支配し、
こうしてパソコンに向かって文章を打ち込むまでに
回復したが、一昨日と昨日は
とてもまともな思考などできない状況だった。
彼がプランテーションに投資し始めたのは
2013年の6月だという。
そんな突拍子もないことが
彼一人でできるわけはないと思っていたら、
高校の先輩でパームオイルプランテーションに就職し
そこでマネージャーをしている知り合いがいるという。
その人を通じて、投資をし始めたという。
実はその人は僕もよく知っている青年だった。

2013年6月に2haのパームオイル畑を購入。
そして2014年9月にさらに2haを購入した。
そして帰国も迫った10月、そのマネージャーから
会社がパームオイル畑の圃場管理者の募集を始めると聞いて、
さらにそのマネージャーからも
「うちに来い」と誘われた。
その誘われた話は僕も11月ごろ聞いた。
だからあれからパームオイルのビデオを見て
そこにある光と影を勉強した。
僕はある意味、ほっとしていた。
ダルスはやはりそういった大きな会社の方が
力を発揮できると思っていたから。
パームオイルの環境や社会破壊は大きな問題だからこそ
そこに飛び込んでいって僕とディスカッションをしてくれる
人間が生まれたことは、いろんな意味で良いことだったと
思えていた。

では
なにが僕をそんなに失望させたのだろう。
なにが僕の思考を止め、目の前が真っ暗になるほど
ショックだったのだろうか。
それは他人から見れば、とても小さなことなんだろうと
いまは理解できるが、
その気恥ずかしさをはねのけ
自戒を込めて記録しようと思う。

2013年の6月に彼がプランテーションに投資したころ、
僕の手元にあるダルスが提出した月間レポートでは
彼はバナナの加工についてそれなりに厚みのある計画を
書いている。
そしてそこには当時僕が書き込んだ批判と
その代替え案などが手書きで残っている。
数か月その状態が続いている。
売り先の問題、バナナをどう確保するのか、加工施設の価格、
そんな議論をその年いっぱいやっていた。
僕の資料には僕が集めたバナナの栽培から病害虫の資料、
バナナの品種の一覧、乾燥機械のカタログ、
バナナ製品の写真一覧などが添付され、
それらを彼と共有していた跡も残っている。
その一連の流れの中で
僕は彼のセンスを疑い、
そして彼の性格上、自分でビジネスを起こすよりも
もっと違う道があるだろうと思うようになっていた。
そんな手書きのメモも残っていた。

たぶん僕はそのダルスと一緒に議論した時間が
無意味のように感じられたのだろう。
正直、今も彼から打ち明けられるまでの間に
書かれたレポートを眺めていても
切ない気持ちになる。
僕はここでの研修を真面目に
そして真剣にやっていた。
自分の農業ビジネスだけのためなら、
毎日こんなに彼らの時間を割く必要もないし
僕がこんなにインドネシアのあらゆることに
勉強する必要もない。
それに経費面でいえば、
正直に言うと、彼らにかかるすべての経費を計算すれば
日本人スタッフの方が安く上がるのだ。
研修制度は低賃金の制度なんて言われるが、
まっとうに研修費を払うと
日本人の労賃の方が安い。
それだけ中間マージンが多いというわけで、
研修制度の外国人にはいるお金が少ないという
議論は、僕に言わせれば方向違いもいいところで、
その派遣産業の中間でどれくらいの人間が
美味しい想いをしているのか、こそ、
本当に批判すべき問題なのだ。
というのは余談か。

僕のモティベーションを支えていたのは
実習生たちのレスポンスだった。
僕の指導の質を高めようとしていたのも
実習生たちのレスポンスだった。
彼らの成長ぶりと
彼らの思考の発展と
彼らの分析とそれが夢へと飛躍するその瞬間が
僕のモティベーションだった。
カダルスマンは、そのすべてを
僕から奪った。
それはとても小さいことかもしれないが
僕を失望させるには十分だった。
それは僕のモティベーションを支えていたのも
とても些細なことだったからだ。

誰だって秘密はあるさ。
それにダルスの性格は分かっているだろ?
彼は小心者なんだ。
授業でパームオイル批判を繰り返す君に
ダルスは嫌われたくなかったんだよ。
あと、彼にとって君はすこし怖いんだと思うよ。
そして彼は誰よりも現実主義者なのさ。
自分の置かれた立場と自分の能力を知っていた。
そのはざまで生まれたのが今回のパームオイル畑への投資と
そこへの就職だった。
わかるだろ?
理解できるよな?
とても論理的じゃないか。
彼を誉めてやれよ。
そう、僕が言う。

だから、僕は彼を誉めようと思う。
そしてこれからも僕が
彼に寄り添うんだと思う。
彼らが僕に寄り添ってくれるなんて期待してはいけないし、
それをモティベーションにしてはいけない。
どうも僕はすこし感覚が鈍っているんだろうな。
これは僕が好きで始めたことであって
それ以上でもそれ以下でもない。

カダルスマンが何を学んだかはわからないが
彼がパームオイルのプランテーションで働くというのなら
僕はとことんそれに寄り添うことに決めた。



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次はカダルスマンの
卒業研究発表を記録しようか。
彼が取り組んだのは
コシヒカリの栽培方法だ。
インドネシアでは、
日本のお米を栽培する団体が増えている。
日本人も入り込んでいる場合もあるし
日本で研修を受けたインドネシア人が
挑戦しているケースもある。
それらのほとんどはアジアで需要が高まりつつある
日本の品種米へのニーズの高まりを意識してのことだ。
それらが品種という意味でもそうなんだろうけど、
高品質という意味では
それらを調整・乾燥する素晴らしい農機の技術力によって
支えられていることにはあまり目をむいていないようにも思う。
それは前回のエントリーで記したので、割愛する。

さて、
僕の周りの知り合いもインドネシアで
コシヒカリ栽培に挑戦しているが、
そのすべてが失敗に終わっている。
大体の理由は分かっているのだが、
今回はそれを一緒にカダルスマンの卒業研究に
寄り添うことで一緒に考えてみた。

まずカダルスマンは
コシヒカリとアキサカリのポット栽培を試みた。
それぞれ品種の特徴を掴むことと
そのポテンシャルを最大まで引き出して
性質をデフォルメ化することに
この試験の目的があった。
案の定、アキサカリは70以上の分げつを付け、
コシヒカリは草丈が旺盛に伸びた。
多収と倒伏しやすい、それぞれの品種が
これでデフォルメ化できた。

集落の作見会にも参加した。
そこで追肥のタイミングを
葉色スケールを使って診断すること、
幼穂形成の時期を診断して判断することを
彼は学んだ。
への字型作付の本も読み、
いつ追肥をするタイミングなのかも
イメージが付いた(はずだ)。

また卒業研究発表では
時間の都合上割愛したが、
米の品質について斑点米や胴割れ・未登熟米のそれぞれを
文献を読んで学び
それらの発生原因にも理解を深めた。

発表では
インドネシアでポピュラーな
SRIとLegowoの栽培の説明を行った。
それらは粗稙栽培かつ分げつを多くすることで
多収に持っていく栽培法であり、
コシヒカリの密植と粗稙の収量の違いを
データから比べ、
インドネシアのポピュラーな栽培法では
コシヒカリは分げつが多くなり
倒伏する危険性が高く
向いていないことを指摘した。
栽培技術にもよるが、コシヒカリは密植の方が
収量は上がるからだ。

肥料をどの時点で効かすかがカギになるのだろうが、
さてそこまで彼が理解できているかどうかは
やや怪しい。
ただ彼自体は、帰国したのちの進路がすでに決まっており
それは米栽培とは全く関係のない世界なので、
肥料についての議論をそこまで深まることは
この後もないだろう。
彼の帰国後の進路については、
また別のエントリーに任せよう。

発表態度はとても良かった。
彼の良いところは、
言葉がとてもはっきりしていて
聞きやすいということだ。
発音が良いんだろう。
インドネシアの農業高校弁論大会で優勝しただけはある。

研修期間中、
迷走を続けたカダルスマンだけに
彼の最後の発表では
僕は不覚にも目頭が熱くなった。



3年生のカダルスマン君(以下:ダルス)の
卒業研究は、コシヒカリの栽培法の研究だ。
ポット栽培を行い、
コシヒカリという品種のポテンシャルも研究し、
農園の水田でコシヒカリの栽培も体験した。
集落の作見会にも参加し、
日本での慣行栽培のデータも集めた。
病気や害虫、その防除法も勉強した(これはまだ足りないけどね)。
調整乾燥の施設も見学して、
網下米を大量に出しながらも
良い品質のコメ作りがどんなものかも
実際に見た。
そしてその真っ白で形の揃った米ばかりの
コシヒカリを食べて、美味しいとも思った。
で、そこまでやって
彼は初めて気が付いた。
これらすべての技術がその社会の価値に
合わせて存在していることに。

インドネシアでもコシヒカリは高く売れる。
通常のお米の3倍の値段だそうだ。
しかもあちらでは化粧品の原料にもなっているらしい。
だからダルスは、帰国後インドネシアで
コシヒカリを作りたいと思っている。
で、一所懸命日本での栽培技術を
集めてみた。
で、いろいろと比較してみた。

このあたりの一般的な水田では
コシヒカリの収量は10a500㎏。
インドネシアでも収量は同じくらいだと
ダルスは言うが、
日本は玄米の収量であり、
インドネシアはモミ収量。
それだけでも1割以上は重さが違う。
さらに、インドネシアは
調整時に網による選別がいい加減だ。
というより、してないと思う。
詳しくその構造を観察したことが無いが
調整乾燥施設で網下米が出ているところを
僕は知らない。
今の福井は1.9ミリの網で選別するから
割れたコメや未登熟粒などの網下米が
大量に出る。
インドネシアの収量は
もみ殻重+網下米+玄米ということになる。
もう2割くらいの違いでは収まらないくらい
その収量に差が出ることが分かった。

ここでダルスも気が付く。
なんで網で選別するのか?
インドネシアでは、少なくとも村では
そんな選別されたコメはない。
日本じゃ、網だけでなく
色選といって色の悪い米もはじく選別機械が
あるくらいで、
そのおかげで一般の方々は
白いお米が当たり前になっている。
当然インドネシアに色選はない。
そこには、異常なまでに
白くそして粒のそろった米に
固執する日本人の価値観が見えてくる。

そしてその白さと粒への固執が
カメムシ防除にもつながる。
斑点米は食味に関係しない。
だが見た目が悪くなるので敬遠される。
で、斑点米が多ければ
JAの蔵前検査で二等米になり
価格は安くなってしまう。
だからといって
カメムシ防除は必要ないのかと言えば、
その程度にもよろう。
かつて
僕が南スラウェシのバルー県に
青年海外協力隊隊員として赴任していたが、
ある年、カメムシが大発生し、
ほとんど収量が無かった、
ということもあったからだ。
ただ日本の現状として、
多少の食害も許さないというのは、
やや行き過ぎかな、と思わないでもない。

そんな議論をダルスとしていると
またまたダルスもあることに気が付いた。
それは販売。
農家から米商人に販売するのだが
(インドネシアには農協はない)
その時の販売は、
日本とはずいぶん違う。
収穫の前の田んぼごと販売することもある。
商人が田んぼの広さでその田んぼの収穫物を買い取り、
収穫の人足を商人が連れてきて収穫をする。
もちろん田んぼの持ち主が
収穫の人足を用意して収穫して、
その成果物を販売する場合も多い。
その場合は、未乾燥のモミでの販売だ。
つまりどちらにしても
もみ殻がついているので
中身の品質はわかりにくい。
斑点米があろうが乳白米があろうが
胴割れがあろうが、
そんなのお構いなしだ。
だから多少のカメムシが発生しても
その防除は農家にとって何の魅力もないことになる。
販売の時に、リスクを負うのは商人ということになる。
だから買い取り価格は驚くほどの低価格。
しかも品質を上げても
モミでの販売のため付加価値はつきにくい。
こうなってくると農家もできるだけ
手間を省いて、モミをたくさん取る方法の栽培法が
「良い栽培」となる。
社会の価値とそれをスケールにしたときの基準、
その違いで、良い栽培も変化する。

インドネシア市場向けとしてのコシヒカリなら
日本の技術がそのまま当てはまることはない。
もしダルスが、都市部にたくさん住んでいる
日本人向けにコシヒカリを栽培したいのなら、
異常なまでに白くて粒のそろった米が
当たり前になっている日本人には、
それなりの設備と手間が必要になるだろうけど。
いわんや日本向けなら、その手間と設備投資は
恐ろしく増えるだろうね。
良くあるアジアに同じ米文化だからといって
その違いに気が付かないまま
米栽培で進出する人たちが
そろいもそろって失敗するのは
そのあたりの浅はかさがあるんだろうと
見当しているのは余談。

さて、もう少し栽培の話を続けよう。
水管理でも日本とインドネシアではずいぶんと違う。
ダルスの地域では田越しに水を入れたりする。
だから間断潅水(入水後自然落水を繰り返す灌漑法)なんてありえない。
水が入らない時は何時まで経っても入らないし、
雨が降っても落水はスムーズじゃない。
無効分げつを止めるための中干しも
だからスムーズにはいかないだろうな。
さらに
肥料は上部の田んぼから水の流れと一緒に
どんどん流入してくるから施肥計算は大変だ。
下の田んぼではコシヒカリの倒伏は避けられないね。
これらすべてが日本と違うのだ。
それは、その品種とそれが栽培可能になる技術、
ひいてはそれを是とする社会の価値観の
違いとしか言いようがない。

同じアジアの同じ米文化。
なんてよく言ったものだ。
まったく別文化で別の食べ物なのさ。
やってみるとこうも違うのか、と
僕も改めて驚かされた。
その上で、ダルスは
インドネシアのコシヒカリに挑戦しようとしている。

高品質で勝負するのなら、
カダルスマン君、
君は米の買い取り商人と同じだけの施設を
用意しないと
君の努力は報われないよ。
もし日本人向けに勝負するのなら、
そこにさらに設備投資をしないといけないよ。
ただコシヒカリを作るだけじゃ、
商売にはならないんだよ。
それが少しでも君に伝わることを
僕は切に願う。



今後の展開を期待して、
こういうことも記録しておこう。

今年で研修最終年度を迎える
カダルスマン(以後ダルス)がすこし大変だ。
たぶん、いろいろとここで勉強するうちに、
何がどうしたいのかわからなくなって
混乱しているところなのだろう。

ここでの農業研修は、
徹底して『地元』から考え、
もともとあった常識を疑ってみる癖をつけるのが
主な学習スタイルだ。
空中分解してしまいそうな抽象的で国家的な議論も
このスタイルから見つめてみると、
ちょっと違った風景に見えたりもする。

で、それを身に着けるために
座学では相手への同調よりも批判を大切にする。
ただ批判するのではなく、
それは建設的で
新しい視点や気づきを与えてくれるような批判で
なければならない。
なかなかそんな切れ味のよい批判が
できるわけじゃないが、訓練し続けている。

さて、ダルスの場合、
このスタイルが彼には合わないのかもしれない
と思うことがある。

研修生は3年目に
卒業研究を行う。
1年間かけて、それぞれが実際に実験や栽培
もしくは市場調査などを行って
それぞれの課題を明らかにする
とても大切な学習プロセスだ。
その準備に2年生の後期から
卒業研究の計画づくりに半年かけて行うのだが、
そのプロセスがなかなかタフだ。

卒業研究は、
月間レポートで書いてきた帰国後のビジネスプランと
リンクした実験を行わないといけない。
だから、その半年の計画づくりに入るまでに、
ある程度帰国後のビジネスプランを練っておく必要があるが、
ここが甘いと、計画づくりで
学友や僕からの“つっこみ”に耐えられなくなるのだ。
ダルスがまさにそうだった。
彼は、自分の地域には果樹が多いとして
果樹を加工するビジネスを考えていた。
最初は乾燥してドライフルーツを考えていたが、
卒業研究の計画づくりに入るころには、
果樹のチップス(ノンフライ)のビジネスを
やりたいと言い出していた。
だから卒業研究では果樹のチップスの研究だった。
しかし、実際に計画を立てる段階になると、
彼は学友からの集中砲火に耐えられなくなった。
ダルスの地域にはどのくらい果樹があるのか?
帰国までにためたお金でノンフライの機器は買えるのか?
その機器で生産できる量で、年間最低2400万ルピア稼げるのか?
(ビジネスプランは年間最低2400万ルピア稼げるように考えてもらっている)
販売先はバンドゥンの土産屋というが、どうアクセスするの?
などなどの批判をダルスはかわせず、
撃沈してしまった。
そこから迷走が始まった。
次に計画してきたのがジャムづくり。
これも理由がチップスより機器が安価という理由だったので、
またもや集中砲火を受け、撃沈してしまった。

撃沈してしまう必要はなく、
それらの批判はその事象について考える種を
与えてくれるものなので、真摯に受け止め
それについて思考をめぐらせばいいのだが、
いかんせん、彼はそこで行き詰ってしまうようだ。

そして提出期限の3月に入ってから、
彼はこれまでのプロセスをガラッと変えて
米の研究をすると言い出した。
これまで果樹の加工で考えを練ってきたのに
急な変化に驚いたが、
以前に彼の地域のポテンシャルとして
美田が多いので高品質米に特化しても
面白いかもしれない、というコメントは
僕もしたことがあった。
ダルスには、いろいろと葛藤もあったんだろう。
ただそうやって“研究のための計画書”は、
やはりその基盤となる考え方が脆かった。

彼の計画書での問題意識は
簡単に言うとこんな感じの論理展開だ。

「地元の農家は遅れた稲作を行っている。
それは同じ地区で収穫と田植えが同時期に
行われる行き当たりばったりの稲作だ。
だから害虫や病気が減らないで減収している」

そして彼の問題解決の提案が、次の通りだ。

「日本式の一斉に田植し一斉に刈り取る農法を
学んで普及させたい。
だから日本式の米の栽培方法を勉強したい」

ということだった。
まず問題提起の仮説がよくない。
本当に農家は遅れた稲作を行っているのだろうか?
僕は彼の地元の農家にインタビューはしたことがないが、
同時期に田植えや稲作がおこなわれる理由は
他の地区で聞いたことがある。
一番大きな理由は、
灌漑用の水が十分でないことが
その理由だ。
一斉に田植できるのは雨期だけで、
乾季は条件が揃った場所から田植が行われるので、
収穫時期はどうしてもばらける。
また用水路も未整備で田越しの灌漑が主流でもあり、
稲作が2回から3回できる気候だとしても
自分気ままには田作りもできない。

日本でも祖父母の時代には
5月から始まった田植は7月上旬まであり、
とても一斉とは言えない状況だった。
収穫も11月の霰が降る中で行われたこともあると
祖父がかつて語ってくれたように
2か月以上のズレがあった。
それは水も関係するが、もう一つが労働力だろう。
一斉の田作りは機械化してこそ可能になった風景で、
それで農家の考えが遅れていたり劣っているわけではない。
農家は、その条件下で最大かつ最適な方法を
常に探し求め行動する主体なのだ。
実はそんなことはすでにこの2年間
彼に叩き込んできたはずなのに、
いまだにダルスが、
「地元の農家は遅れている」
なんていうのには、力が抜けてしまった。

今少しダルスには時間を割いて
一つ一つ彼の頭にある偏見を一緒に見つめる作業が
必要のようだ。
このまま混乱させたまま研修を続けても、
彼の行為能力は解放されないどころか、
偏見の中で迷走を続けてしまいそうだから。

さて、ここから彼はどう化けるのだろうか?
ちょっと先は見えないけど、
それが出来なければ、この研修をやっている意味はないので
ここが僕の頑張りどころなんだろう。




今回はインドネシア農業研修2年目の
カダルスマン君を記録しよう。

土地がほとんどない彼は
集落の庭先で取れたバナナを加工して(チップス)、
生計を立てようと考えていた。
今年度の前期の授業でビジネスプランを
みんなで立てる試験を行ったのだが、
その時にカダルスマンの地域をモデルにクスワントが
立てたビジネスモデルが、彼に大きな影響を与えた。
そのエントリーの詳細はこちらから

単一の作物を加工するのではなく、
いろいろな野菜をチップスにするというプランで、
このプレゼンの後、
カダルスマンの帰国後の夢は
バナナ単品の加工から地域で取れる果樹全般の加工へと
切り替わっていった。
そしてチップスをどう生産していくか、
その問題もあるのだが、最近はもっぱら
どこへ売るのかがテーマになっている。

カダルスマンのアイディアは、
地域内にある市場(伝統的な)や小中高などの学校の売店、
そして少し先の将来として、
エリアを広げて、バンドンのお土産屋街に売るなどを
考えていた。

モノを売る時、
2つの考え方が基本的にはあるだろう。
まず、どんなモノを生産するのか、実際の技術的な部分や
個人的なこだわりや地域のこだわりなどを考えて
販売する市場を選択するやり方がある。
結構生産者はこの考え方が多い。
その反対に、実際にアクセスできる市場を特定して、
その市場の特性に合わせて生産を考える
やり方もある。
カダルスマンは2番目のアプローチで
販売をちょっとぼんやりとだけど考えていた。

地域の市場や小中高の売店で販売するのなら
(特に学校がメインらしい)、
価格は安くないといけない。
小中高の子たちが毎日いくらくらい自由なお金を
もっているのかが、価格に反映されなければいけないだろう。
スメダン県付近の高校生の実情としては、
お小遣いは毎日5000ルピアくらいが相場らしい。
この中にはミニバスなどの通学に必要な交通費も含まれている。
だいたい行き返りで4000ルピアくらい使ってしまうので、
毎日買ってもらおうと思うと
1000ルピア以下の価格に設定しないといけないが、
まぁ、あまり現実的な金額じゃない。
それが2000ルピアだとしても、
売店への手数料もあるので、やはり薄利は
間違いない。
となると、出来るだけ大量に、
しかも安く生産する方法を見つけないといけないだろう。

そんな議論をみんなでしていたのだが、
当の本人であるカダルスマンは
どうもそこまで考えていなかったようで
やや困惑気味だった。
もしカダルスマンにこんな商品で勝負するんだという
こだわりがあるのなら、そのこだわりを解ってくれる
市場を探す必要があるが、
その質問に彼は、やはり学校など
現実的にアクセスできる市場に販売したいという。
ある意味、彼は自分と周りの状況を良く理解している。
彼は土地を持たず、生産から考えることが
ほとんど難しい状況だ。
だから村で良く栽培されている果樹、
目的は自家用+お小遣い程度の収入期待程度の果樹を
買い集めて、それを加工しようとしている。
それを販売するエリアも
初めは地域の学校がターゲットにしている。
それはそれでとても面白い。
なんでもかんでも高品質で
高級レストランなどに売るんだ、
というよりもとても現実的で面白い。

そうなると次の問題は、
どう安く、そしてある程度儲けが出るだけの量を
どう生産していくかが問題だろう。
凄く儲かるのならそれにこしたことはないが、
最低限カダルスマンの世帯が暮らせるだけの儲けは
必要だろう。

そしてその売店でも多様な商品は存在しているわけで、
そこでどうやって勝ち残るかが鍵だろう。
子供、スナック菓子と連想すると、
やはり「健康」というキーワードは外せないだろうなぁ。
でもカダルスマンはまだまだそこまでは思い至らないようで、
FacebookやラジオでCMします、と答えてくれた。
君の周りの子供たちがラジオを聞いたりFacebookをしているのか?
と聞くと、どうもそんなことはないようで、
なかなかターゲットになる消費者に対するアプローチはまだまだだ。

本当は健康みたいなキーワードから発していけば、
佐藤君と一緒にやっているような食べ方や栄養の勉強が
もっと活きてきて、
課外授業として学校で健康と食について
彼が教えて回るなんていうのも
その地域の問題を解決するビジネスになったりもするのだが、
まぁ、それは僕の先走りか。

とにかく、現実的に販路を考えている彼に
このまま寄り添って、
僕の先走ったアイディアも埋め込んでみようか。
たぶん、すこし時間がかかるだろうけど、
また想像もしなかった化学反応が
起きることを楽しみにしてゆっくり取り組んでみよう。


今週はわくわくが止まらない。
ということで、もういっちょ。
4番手のプレゼンは
2年生のカダルスマン(以後ダルス)。
ここ最近では、一番学力が伸びている子。

さて、ダルスは
3年生のクスワントの地域をプレゼンした。
彼もこれまでの研修生同様、
農業構造論で教えた要因ごとに
クスワントの地域を分析し、
そしてその分析結果とは別に
ビジネスプランが付属するという罠に陥っていた。
こうもみんながみんな同じ失敗を犯すと、
自分の教え方が悪いんじゃないかと
かなり落ち込む・・・。

それでもイラ同様、ダルスも分析した一部の情報が
ビジネスプランに活かされていた。
彼の立てたプランは、チレンブ芋のドドルだった。
といっても読者の方は解らんか。
チレンブ芋というのはサツマイモの品種。
西ジャワで有名なサツマイモ産地チレンブ村があり、
そこで栽培されている品種をチレンブ芋と呼ぶ。
糖度は高く、香りも良い。
インドネシアで一番有名なサツマイモと言っても過言ではなく、
個人的な見解だが、
日本で有名な安納芋なんて
その足元にも及ばないくらい美味しい。
そのサツマイモをドドルに加工して売ろうという。
ドドルというのはインドネシアのお菓子で、
うーん、ういろうみたいなものか?
いや、かなり違うか。
まぁ、詳細はそれぞれググってください。

クスワントの地域はとにかく雨が少ない。
ダルスの分析では、半分ほどが天水だよりで
雨が無ければ作物の栽培は厳しい。
そんな少雨でも比較的栽培できるのがサツマイモ。
で、チレンブ地域の隣ということもあって、
チレンブ芋をたくさん栽培している。
そして、規格Cと呼ばれるくずいもは、
ダルスのクスワントに対する聞き取りでは、
家畜のエサとしてしか使用されていないという。
そのくずいもをお菓子に加工しようというプラン。

しかも、ダルスの分析では、
村の若い人や女性の仕事が少ない。
そこでそれら女性の収入向上を目指して、
日々の生活の中で家庭にある道具だけで
作れるお菓子として、彼はドドル作りを選んだ。
しかも近くの大都市バンドゥンは、
彼曰く、ドドルの市場があり、
大量のドドルが販売されているとのことだった。
西ジャワにはガルッという地域がドドルで有名で、
そこのドドルが沢山バンドゥンでも販売されているらしい。
彼のプレゼンで見せてもらったバスターミナルや
土産物街にはドドル専門店のようなものもあった。

柔らかくて甘くて食べやすいドドルは
老若男女に愛され(歯の無い老人もOKだとダルス)、
くず芋も資源化でき、
チレンブ芋というブランドや味も利用して、
さらに村人のライフサイクルの中で
空き時間を利用して作れて、
特別な道具も必要ではないためリスクもない。
これがダルスのビジネスプランだった。

クスワントはこれに村の特産の
ヤシ砂糖とココナッツを混ぜて
100%ランチャカロン村のドドルとして
売り出せば面白いかもしれない、と
かなり肯定的な意見だった。

どこにでもあるドドルに
どれだけ競争力やインパクトがあるかは不明で、
販売につなげる点でやや不安はあった。
それでも彼の視点は面白い。
実は小規模家内加工業的な彼の視点は、
これが初めてじゃない。
これまでの彼自身のビジネスプランでも
多くがこの小規模の家内加工業の取りまとめをするという
視点で考えていることが多い。
だから、彼の発想は常に主婦のライフサイクルに寄り添い、
その空き時間を利用して、かつ、
台所にある道具で出来るモノを考案する。
たぶんそれは、幼いころから母が都会に出稼ぎに行き、
父がミニバスの運転手として家を空けることが多く、
家事の多くをダルスが担っていたことが
大きいのかもしれない。

生活に寄り添う視点が
彼のビジネスに上手く合致していくかどうかは、
僕にもかかっているのかもしれない。
もう少し販売面や共同作業に必要な技能などを
彼が考えていければ、もっと面白くなるような気もする。
ドドルはインパクトでは弱いが、
生活からスタートした点を大いに評価したい。

10分25秒のプレゼンは、ややオーバーしたが、
2年生らしく自分の視点を活かしたビジネスプランだった。


研修1年生の2人は、
今日で1年が過ぎたことになる。
なんだか早い気もするし、まだあと2年もあるのかと
思うこともある。
その2人が最近、なかなか面白い。
人が変わりだすのって、
やっぱり1年や2年は必要なんだろうな。

今回は、カダルスマン(通称:ダルス)について書こう。
彼は、今までのメンバーのように
農業に対する深度がそれほど深くは無かった。
知識自体もそうだが、
もともと農業に対する思い入れ自体も
若干薄い感じがあった。
彼の生家には、ほとんど土地が無かったし、
父親もミニバスの運転手だったりで、
農業とは無縁の人生だったのも
影響しているのかもしれない。
高校は農業高校に進んだものの、
卒業後の就職先は服飾関係だった。

そんな彼が、
毎月提出する月間レポートで
将来の夢として書いてくるものは、
どこか的外れなモノが多かった。
地域のリアリティをちっとも感じない、
ちょっと前に流行った
ブループリント型の開発プロジェクト案を
見せられているような、
そんな感覚だった。

自分の父親が祖父から相続した土地は、
水田ではなく、山肌の土地。
しかも、猫の額ほどの土地。
彼は当初、
「トウガラシ栽培をしたいです」
と言っていた。
これインドネシア人の定番の文句。
福井で新規就農者が何も考えずに
ホウレンソウやトマトをしたい、というのと
ほとんど同じ感覚。
ダルスの理由は、
「それはみんなが毎日食べるからです」だって。
当然、そんないい加減な答え方をしていると
僕に突っ込まれまくりになる。

サンドバッグになりながら、
次に彼が考えたのが、
精米所の運営だった。
「土地が無いけど、田圃の多い村なので、精米所を作って経営したいです」だって。
これは僕が突っ込む前に、
上級生から、
その地区に精米所が無いのか?という質問に
ダルスは
すでに大きいのが3つあります!
と元気よく答えて、またもサンドバッグに。
日本のような乾燥機が無いところが多い
インドネシアの精米所の場合、
一番確保しなければいけないのは、
天日で米を乾かすための日当たりのよい土地と
米を運ぶためのトラックだ。

僕がスラウェシの山奥に住んでいた時に、
ホームステイ先の家族が、
マレーシアの出稼ぎの大金をつぎ込んで
精米所を作ったのだが、
山間だったため、
天日用の広い土地の確保ができず、
精米機械の能力をフルに活かせなかったという経験がある。

また日本と違って、
インドネシアでは小規模の場合、
精米業者が米を確保するために
自ら運搬をしないといけない。
だから小さくてもトラックがないと
精米所は全く機能しない。

土地なしのダルスが
精米機と米を運ぶためのトラック、
そして天日用の広い土地を確保できるのだろうか。
研修で貯めたお金では、
たとえ精米機は買えても、トラックや土地まではとても無理なのだ。
3つ揃わないと、精米所としては機能しない。
しかも、むらの中にすでに稼働している精米所が3つある。
人口は増えても、土地は増えないジャワにとって
今後米の生産量がどんどこと増えていくことは
想像しがたい。

そんな突っ込みを受けて
ダルスは今月、別のプランを考えてきた。
それは『バナナ』。
バナナ栽培を行い、
生のバナナやバナナチップスなどに加工して、
ローカルマーケットに販売するというもの。
彼の家族が持つ斜面の土地は、それの栽培に向いているし、
気候も申し分ない。
加工に必要なバナナは、自分の土地では足りないので、
地元で確保するという彼の姿勢も共感できるし、
それなりにリアリティがあった。

僕は、バナナについてほとんど知らない。
生産構造やローカルマーケットのキャパシティ、
品種、病害虫、土壌条件、そしてその歴史。
そのすべてに無知だ。
ただ知っているのは、
コーヒーやエビ、そしてお茶と同じく、
バナナも従属した市場構造に置かれた品目の一つだということ。
グローバルバリューチェーンの大きい流れに、
生活と生産の変容とマージナル化をゆだねる産業だと言うこと。
これからダルスの肩越しに、
インドネシアのバナナの風景をしばらく眺めようと思う。

まずは、価格とローカルマーケットと
個人の経営レベルで必要な面積、
そして生産様式。
フィリピンのような協同組合型かつ
プランテーション型なのか、
それともインドネシアはバナナ輸入国なのか、
そして、巨大市場とローカルマーケットの
2重構造は存在するのかどうか。
その辺りから一緒に勉強してみようと思う。



2012年に来た新研修生はもう一人いる。
それはカダルスマン君。

彼の家は、いわば第2種兼業農家だった。
父親はバスの運転手で、農業収入はそれほど多くなった。
農地は親からの贈与ではなく、バスの運転手の給料で、
小さな農地を3つ自ら購入した。
しかし、それら2つは、子供の進学や病気治療のため、
売り払ってしまって現在は小さな畑が一つのみ。

カダルスマン君が高校生の時のことだった。
頼みの綱だった父は、脳梗塞に倒れ、
一命はとりとめたものの、運転手の仕事は止めざるを得なかった。
無収入でカダルスマン君以下3人の幼い兄弟を
養育していくのは大変だった。
そこで母親がジャカルタへ家政婦として働きに出た。
それでも収入は少なく、生活は苦しかった。
こんな家庭事情も、彼を農業研修へと向かわせた、と
現地でポテンシャル調査をしてくれている
友人のA女史(インドネシア人)のレポートには書いてあった。

カダルスマン君は、高校在学中に
全国高校弁論大会で全国1位にもなり、
貧困の中でも勉学に励んでいた。
しかし卒業後は、なかなか仕事に恵まれなかった。
絵画のギャラリーや園芸店、
繊維製品の卸などを転々とした。
解雇されたり、会社が倒産したりで、
安定した仕事に就けなかった。
そんな時に、僕らの農業研修プログラムを知ったそうだ。

そんな経験からだろうか、彼は、
「人に雇われるのは嫌です。自分で仕事を作りたい」と
自立志向が高い。
僕らがやっている農業研修プログラムで、
野菜を中心とした自立した農業経営を
学びたい、と意欲を示している。
ただ彼は若干だが、受け身的で自らの殻に
閉じこもっているような時もある。
この研修中に、その殻を自ら破り、
彼がはばたくのを僕は期待する。
彼にとって、
ここが運命の転換点になることを祈る。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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