2012年に来日したイラとカダルスマン。
二人の技能実習生が帰国した。
二人ということで、
このエントリーも二つに分けるとしようか。

まずはイラソバルナから。
といってもこれまでのエントリーにあるので
それほど書くこともないかな。
これまで書いていなかったことを
ここでは記録しよう。

彼は2008年、
僕がこの研修事業を立ち上げたときに
福井農林高校へ交換留学生として来福していた。
2か月半の滞在で、
その間に何度も農園にも遊びに来ていた。
で、遊びに来たときはせっかくなので
1期生のヘンドラのために準備していた授業を
彼もいっしょに受け、ディスカッションした。
とても真面目な学生で、
また日本に来たいと語り帰っていった。
それから、4年が経ち、彼は再び
農園にやってきた。
今度は技能実習生として。

小学校から高校卒業まで
ほぼ学年で1番の成績だった彼は、
予想した通り、優秀だった。
良く勉強していたし、意欲も高かった。
研修の一学年上のクスワントを
下から突き上げる存在として
僕は期待していたし、
しばらくはその通りだった。

だが、ある時から少しずつだが変化が現れた。
それはここで彼女ができたことにもつながる。
帰国後の夢が、
日本で彼女と一緒に暮らし続けたいという想いが強くなり、
それまで議論してきたアグリビジネスのプランは
やはり力は入らなくなってきた。
それはそれで良い。
だが、日本で暮らしたいという想いの中には、
日本で起業したいという想いはなく、
彼女との暮らしの先にある、
『いつか遠い将来インドネシアに帰ったら』という
『』つきの夢に変わり、
やはりその分だけ、意識も鈍った。
だから彼のここでの研修の勉強は、
それからスピードダウンした。
これはしょうがないことだ。
誰かが悪いわけでもない。
彼の行為能力を発揮させる方向が変わってしまったのだから。
その代り、
彼は日本について、
どの研修生よりも知識は増えたように思う。
敬語はできないけど、
日本人と付き合っているだけあって
タメ口の日本語は上手だ。

人なんてそんなもんだ。
僕は彼の変化からも
自分の協力隊や修士の時のテーマだった
その人の発揮する行為能力の事例として
一つ学びを得た。

三度、彼は日本に戻ってきたいという。
その彼女と暮らしたいという想いだが、
その時は、農園に就職したいとも希望している。
もしそれが実現したら、
彼の中で止まってしまっていた
研修の続きをやり直そうと
僕は密かに思っている。
だからなのだろうか、
彼との別れの時には、
僕にはこれまでの卒業生に対する達成感はなく、
どちらかというと
彼が戻ってきてからのことを考えると
使命感の方が強かった。

いずれにせよ
この中途半端な僕らお互いの気持ちは
きちんと整理をつける時間が
今後必要なのだろうと思っている。




P1090999.jpg

本日、インドネシア研修3年生の
卒業研究プレゼンを
福井農林高校の
課題研究報告会で行った。
例年お世話になっているのだが、
今年も学生たちの貴重な報告会の時間を
お借りして、卒業研究発表をすることができた。
福農の関係者皆さま、
本当にありがとうございました。

さて、発表順で記録しよう。
まずはイラから。

イラの卒業研究はすでに前回のエントリーにある通りだ。
羊の飼料についていろいろと調べたのだが、
最終的には、
闘羊と肉羊が混ざり合った
近代化されていない
ローカル市場に阻まれることになる。

用途と評価が厳密に言えば一致しない
ローカル市場という
もっと近代的なビジネスにとってネックになる
そういう市場の価値観の前には
日本の畜産技術がそのままでは
その通りの意味をなさない、という
とても素敵な壁にぶつかった。
こういう壁は、
協力隊が良くぶつかる壁の一つで、
僕もあまりにも久しぶりにぶつかったので
不快というよりも
どこか心地よさすら感じたのは
ちょっと不謹慎な余談。

この壁をしっかりと意識できれば
それはそれでとても意味のある卒業研究であろう。
イラは、そのプロセスを
上手にまとめてプレゼンしてくれた。
乾季に草がなくなるから
何とか手作りの飼料を与えられないか、
から出発して、
いろいろと調べまわった話、
そしてそれらを試算したら、
肉質が良くなっても高く買ってくれるわけじゃない
ローカル市場の価値に阻まれて
結局儲けが少なくなってしまうことを
9分のプレゼンに込めて話してくれた。

肝心の結論ではやや飛躍してしまい、
自分で牧草地を確保します、
というこの研究を始める前にさんざん僕が批判し、
それにイラはちゃんと答えられなかったのだが、
またしてもそれを結論に持ってきてしまうという
失敗を犯していた。
だが、まぁ、行き詰ってしまって出口が
分からなくなってしまったのだろう。
ちなみに自分で牧草地を確保するという案は、
なぜ僕から批判されたのか。
それは
彼の計画にあった20頭の飼育の場合、
その頭数を十分食べさせるだけの草量をとれる土地は
面積が相当必要で、
高速道路などが出来て天井知らずに
値上がりを続ける彼の地元では、
日本でためたお金では賄えないくらいの試算だったからだ。
僕もだからと言って答えがあるわけじゃない。
だが強いて言うなら、
大量飼育をあきらめて
彼の地元の農家がやっているように数頭に絞って
少数精鋭の飼育をすべきだろう。
闘羊としての訓練の方がこの場合大事で、
大量に飼育するより
ブリーダーとして名を挙げる方が
成功への近道のようにも思う。

イラのプレゼンでよかったのは、
原稿を見ずに、聴者に向かってプレゼンしたことだろう。
これまでの卒業生でそれができた人はいない。
原稿を全部覚えたという意味では、
とてもしっかりとしたプレゼンだったと思う。
ただマイクの使い方に慣れておらず、
マイクに唇をしっかり当てて話していたので、
声がこもり、
とても聞きづらいプレゼンになってしまったのは
ちょっと残念だった。

とにもかくにも
イラのプレゼンは及第点で
終えることができた。

どんなに勉強をしても、
どんなに経験を積んだつもりでも、
僕は農村開発の素人だ、と
自覚させられる出来事が良くある。
イラの卒業研究でも
それが今頃になって
僕の中で意識させられた。

イラは研修3年生。
だからこの一年、
一所懸命卒業研究に力を注いだ。
彼のテーマはとてもシンプル。
羊のエサ不足の解消、というもの。
彼の地域では羊の飼育が盛んだ。
雨季は草が豊富でエサに困らないが、
乾季は雨が降らないので、草が生えない。
だから、乾季はエサが少なくなるので、
自然と飼育できる羊の頭数は限られてくる。
各家庭で5頭前後ならば、
少ない草をかき集めたり、落ち葉やバナナの葉や
近くの豆腐工場で出るおからなんかを集めて
なんとかエサにできるが、
近代的な畜産業として
ある程度のまとまった頭数を飼育しようとなると
エサの確保に困ってしまう。
それを何とか解消しようというのが
彼の研究テーマ。
日本の畜産を勉強して
エサの問題を克服するつもりだった。

イラは日本の畜産の現場を回って
サイレージや配合飼料などについて勉強を重ねた。
その結果は、
まだまとめている最中だが、
先日の発表で、どうもそのエサのコストが
かなり高くついてしまって、
羊の飼育で導入すると赤字になることが
次第に分かってきた。

研究を始める前、
今年の3月まで
僕らはイラと良くディスカッションをして
エサのコストと羊の値段についても
おおよそ予想を付けていた。
その段階では、羊を近代的な畜産業にすることで
かなり割のいい、つまり儲かる産業になると
思っていた。

だが研究を行っていく過程で、
しかも最近だが、
僕はあることに気が付いた。
それは、
エサのコストと羊の値段が合わないということ。
なぜだ?
事前の予想と大きく違うぞ?

それはとても単純なことだった。
イラの地域の羊の市場に対する
僕の常識のスキームがあまりに固定的だったということ。

イラの地域の羊の市場は、
非合法な闘羊イベントの会場だ。
といってもそう怪しい場ではない。
とてもオープンで、
その地域の人たちの楽しみでもある
伝統的な闘羊の会場である。
その場には、イラの地方で飼育盛んな
ガルット羊であれば、誰の羊だろうと
参加可能で、その日は大勢の人でにぎわう。
で、羊同士が戦い、
強い羊や走るのが早い羊、毛並、角の形などで
羊の値段が決まるらしい。
高い羊で1頭50万円もするというから、
インドネシアとしてはびっくりな値段だ。
で、戦いに敗れた羊は肉用として売買され、
高くても数万円くらいだという。

たぶんカンの良い方はすでにお気付きだろう。
そう、日本の畜産業は太らすための技術であって、
戦いに勝つための技術ではないということ。
だから肉用の羊の価格の計算でいくと
日本の畜産での給餌法だと赤字になってしまうのだ。
1頭50万円もするような羊は、
給餌法を変えたところで生まれるわけもなく、
それで効率よく太らせることはできても
強い羊にはならないということ。

市場のカタチが日本の畜産業のカタチとは
まったく違ったところに価値を置き、
そこに目が上手くむかないまま
僕らはこの時期になって
自分たちの間違いに気が付いた、
というわけだ。
いや、ちょっと言い訳をすれば、
その技術もインドネシア風にアレンジできないか?
と考えていたのだが、
それもまた産業が成り立つストラクチャーの違いに
挫折した。

イラの説明も
僕の指導も
どちらも最終の市場の価値を
取り違えたまま
今日まで来てしまっていたことを
僕らはこの1年かけて研究して
その気付きを得た。

こう書くと
なんて馬鹿げたことに時間をかけているんだ?
と思われるだろうな。
その批判は、それで正しい。
でも、そのくらい僕らの認識には
断絶があるのだ。
でも、ここまで長年インドネシアと関わってきたんだから、
もうそんな断絶には事前に僕も気が付くだろう、という
僕自身に対する過信があったんだろうと思う。
今回は、僕もイラも
そして他のインドネシアの子や
一緒に関わってくれているスタッフの佐藤にとっても
良い学びになった。
その産業において価値と認識を成り立たせている
ストラクチャーを読み解くのを
農業構造論でいやというほど
僕らは議論し合っていたのだが、
意識の断絶の前には
それもある意味無力なのだろうか。
とはいえ、
卒業研究はこれからまとめて発表するという
大詰めの段階に来ている。
最後までしっかりと指導しよう。




今年も、もうすぐ暮れる。
その前に、研修2年目のイラのことも
記録しておこう。

以前のエントリーでも紹介したように
彼は羊の飼育ビジネスを目指している。
来日当初から1年目が終わるころまでは、
ベビーリーフ栽培を夢見ていたのだが、
彼の住む地域では、乾季にどうしても水の確保が難しく、
野菜栽培にはなかなかハードルが高いと
判断したようだ。

井戸でも掘ればあるんじゃないか?
と僕も思ったのだが、そんな簡単でもなさそうだった。
どれほど水に不便なのかは、こんな話がイラの村にはある。
数年前の事、彼の集落の女性が、
マレーシアに出稼ぎに行った時に、
ドイツ人実業家に見初められて結婚した。
その実業家は、イラの集落に広い土地を買い、
大きな家を建てた。
「10億ルピアの家」と呼ばれるほどの御殿だった。
水が不便だったということで、
大金をかけてその実業家は井戸を何本も掘ったそうだが、
どこからも水は出なかった。
家が建った当初は、妻と二人でバイクに乗り、
近くの川まで水をくみをする姿が目撃されたが、
今ではその家にはだれも住んでおらず、
家は4億ルピアで売りに出されているとか。
以上は、余談である。

さて、
ではなぜ羊なのか。
それは彼の集落では、もともと羊の飼育が盛んだったからだ。
ただそれは肉食用の羊ではない。
闘鶏や闘犬のように羊同士を戦わせる闘羊が
彼の集落では盛んで、
その闘羊用に羊を飼育しているのだとか。
ちなみに賭け事を含む闘羊は、法律では禁止されているが、
集落に住む軍人のえらさんの家で
インフォーマルにだが、大々的に行われているらしい。
勝った羊の血統はもてはやされ、
ブリーダーとして名声を得るとか。

イラの計画では、
闘羊用に数頭飼育し、
大多数は食肉用に飼育するとのことだった。
闘羊で勝利し、ブリーダーとして名声を得ると、
その家の羊は食肉用だとしても
価格がよくなると彼は言う。
たとえそれが品種的に全く違うものであっても
そのブリーダーの飼育技術が高く評価されるとのことだった。

すでに飼育用の土地も購入し、
兄弟が彼の資金を元手に飼育を開始しているとのことだった。
彼は帰国後に20頭ほど羊を購入し
年に3回ほど全頭を出荷する計画を立てている。
彼の試算では、
年間に1億5000万ルピアの売り上げになるとのことだった。
結構な売上金額だ。

ただ、問題がないわけではない。
彼の地域は水がほとんどない。
ということは、飼育に必要な飼料の確保が
むずかしいということだ。
雨季は、その辺の草を刈りこんで与えればいいが、
乾季は、その草さえも枯れてしまう。
村人が自由に餌になる草をとってもいい土地があるらしいが、
今の状況にイラが年間延べ60頭も増やせば、
そのキャパシティは超えてしまうだろう。
そこでここ数か月は
飼料の必要量とそれを確保するために必要な面積などを
計算し、その土地を確保することを彼は考えていた。
なんとか目途はたったが、
土地があってもやはり水のない乾季は草がなくなってしまう。
そこで、来年3年生の卒業研究では、
日本で飼料づくりについて学びたいと考えているようだ。
最近は、飼料に関係する文献も読み始めている。

少しずつだが、でも確実に彼は
自分の目指すビジネスに向かって歩みを進めている。
まさにこれこそが
僕がこの研修で目指す「考える農民」に他ならない。
僕も家畜飼育は門外漢ではあるが、
できる限りサポートしていきたい。


今週はわくわくが止まらない。
試験期間で、毎日誰かがお昼休みに
プレゼンをする。
それが面白くてたまらない。

試験の3番手は2年生のイラ。
プレゼンをする地域は、1年生のジャジャンの地域。
イラもジャジャンのように
農業構造論の授業で解説した要因に合わせて
ジャジャンの村を分析していたが、
ジャジャンのプレゼンに比べて
比較的だが、それは羅列された情報ではなかった。
なぜならそこで分析された情報が
断片的ではあるが
彼が立てたビジネスプランに結びついていたからだ。

イラが立てたビジネスプランは、
乳牛飼育による牛乳販売ビジネス。
彼はグローバルな要因として
世界中の牛乳消費のグラフを見せながら
「今後インドネシアでも牛乳消費が伸びる可能性が十分あります」
とし、現状として牛乳の多くが輸入に頼っている状況も
説明してくれた。
確かに、フレッシュな牛乳が飲めるのは
都市部だけだし、だからと言って農村部に
フレッシュな牛乳のニーズが無いわけではない。
現に、彼がプレゼンをしてくれた中で、
近隣の畜産で有名な地域を説明してくれたのだが、
そこにいる彼の知り合いの事例では、
多くの村民がフレッシュの牛乳を買いに来るようだ。

またジャジャンの地域は畑作が盛んで、
米は年に2回栽培でき(場所によって3回)、
トウモロコシ栽培も盛んなため、作物の残渣も沢山でる。
それらは現在のところ、燃やされたりして
有効活用されていない、とイラ。
そこでその大量の残渣をエサにして
乳牛を飼おうというビジネスプランだった。

普通牛乳の場合、協同組合の集荷場所に
牛乳を集めておいて、協同組合が集荷して回るのが
一般的だ。
買い取り価格は交渉なんてものはなく、
一方的に通達されるのだが、
まだ総会などを通じて運営に参加できるので、
民主的といえば民主的か。
イラは、この協同組合出荷を主としながら
それでも出来るだけ多くを直販で行うという
販路を提案していた。
農村部や都市近郊でのフレッシュ牛乳需要が
高まってくることを考えれば、
直販でふり売りしても売れると考えている。
奇しくも彼は、この農園がある町内の牛乳屋さんを
見ており(明治との契約で販売&配達をしている)、
そのような個人宅との契約を取れればいいのではないか、
との提案だった。
その中で余る分は協同組合への販売にまわせば、
経営的にも安定するし、少しでも高額で売れると考えていた。

さらに彼のプランで面白いのは、
ジャジャンの村ではたばこ栽培が
その季節に行われているが、
そのたばこ栽培を季節労働であり、
価格が乱高下しやすく安定しないと批判的に考察。
そこでたばこ栽培をやめて、
その畑で乳牛の飼料を栽培すればいいと提案した。
乳牛は安定して牛乳を生産できるし
直販で価格も良い、というのが彼の主張だった。

ソーシャルビジネス的要素はなんだ?との問いに対しては、
まずそれをやる農家が成功すれば、
みんな真似をするとのことだった。
ただ乳牛をやその牛舎やふり売り用のリアカー付きバイク、
そして保冷用のボックスなどそれなりに投資が必要なので、
誰かそれなりに資金のある農家が成功しても、
そこにそれだけの投資をみんなが行えるのかどうかは不明だ。
しかも、価格が乱高下するとは言っても
生計戦略の中で確固たる地位を持つ「たばこ」の栽培を
止めてまで参加するリスクを冒せるかどうか。
またイラのプランは、農家のライフサイクルを
無視して進んでいるのもどうかと思う。
ジャジャンの村では、季節ごとの労働として
たばこがあるが、他の季節にはその季節の労働がある。
それらのサイクルをすべて乳牛飼育に換えてしまうのか、
それともそのサイクルと乳牛飼育が
並立するのかどうかの考察は無かった。
またたばこ栽培を含めた季節ごとの農作業労働と
乳牛飼育を比較した経営収支の計算がなく、
そこまで投資して本当に乳牛が儲かるのかどうか、
説得力に欠けていた。

さらにジャジャンの近隣の村では
乳牛を飼っているのに、
ジャジャンのところでは一切飼っていないことに対して、
ジャジャン個人の評価は
「乳牛飼育は臭いから」と言っていたのにも
少し注目したい。
そこに住む人々がその業に対する考え方や
価値観をもう少し丁寧に見ていく必要もあろう。
ただイラもその辺りは配慮して、
村から離れた場所に飼育場所を設定していたが、
他の研修生から
「牛が盗まれる!」と批判されていた。

9分55秒の時間ぴったりのプレゼンは、
2年生らしい考察とアイディアに溢れていた。
プレゼンの内容が素晴らしいと
僕らの議論も深くなる。
ただもう少し人々の暮らしのサイクルや
リスクを減らす工夫、そしてそれに対する価値感を
掘り下げてくれると良かった。
来年に期待したい。


インドネシア研修生の月間レポートについて、
今回はイラ君に触れよう。
イラ君は、来日して間もないころから、
帰国後にベビーリーフなどの
サラだ商材をやりたいと意気込んでいた。
経済成長著しいインドネシアにおいて、
サラだ商材は十分商機もあり、
近郊農業の目玉にもなるだろう。
ただ常夏の暑さのなかで、
どうやってサラダ商材を出荷し続けるのか、
そんな課題があった。

それを考えていたはずなのだが、
今年が明けてから、イラ君の夢に少し変化が生まれた。
それは羊の飼育だった。
つまり畜産に目を向けたのだった。
彼の故郷では今、羊の飼育がブームになっているらしい。
県の畜産事務所が、新たに導入した品種があり、
それで地域おこしをしようとしているとのことだった。
彼の兄(とその友人)もそのプロジェクトに参加しており、
その勢いで、彼も養羊でビジネスを考えている。
サラダ商材はどこかに吹き飛んでしまったように見えるが、
それはそれでやる予定らしい。
しかし、ここ半年の月間レポートの
ビジネスプランの内容は、
その養羊ばかり。
僕は、農業でも園芸や食用作物が専門なので、
畜産の知識は乏しい。
でも研修生が畜産の夢を見るのなら、
技術的には不足かもしれないけど、
一緒に夢について勉強していこうとは思う。

さてその彼。
実はすでに羊の舎飼のための土地を購入した。
舎飼の施設案もあり、結構具体的なのだ。
その地域では、羊の品評会もあり、
それに付随して売買のための仲買が
村にやって来るので、市場も問題がないという。
スピード感があってなかなか面白いが、
でも仲買だけが市場だというのは、
ちょっと面白くないな。

僕の知人の農家(スラウェシ)は
牛の肥育をしているが、
自分で車両などの機動力を持つことで、
仲買人ではなく直接市場にアクセスをし、
携帯を駆使して、最も高い市場に販売をしている。
車があるだけで、こうも変わるのかと
思えた事例だが、
ぜひイラ君も機動力を自分で持ってほしい。
ただ、どうしても車は高いので、
そこまで投資の踏ん切りがつかないようだ。
この辺りに彼らのビジネスモデルの
想像限界ラインがあるような感じだな。
僕らには、なんてことない「車」なんだけど、
価格の問題もあるが、それ以上に想像の範囲に
入ってこないのが問題かもしれない。

そんな議論をしていたら、イラ君は、
「バイクでも十分ですよ」とノタマフ。
いやいや、バイクじゃ無理でしょう。
相手は家畜だよ。
重いし、暴れたりしたら事故になるし。
と僕が否定的な考えをしていると、
横から3年生のクスワント君が
ある画像を見せてくれた。
それが、これ。

membawa-sapi-dgn-sepeda-motor.jpg


牛をバイクに載せて運んでいる・・・。
だから羊なんて楽勝らしい。
さっきのイラ君の反対で、
今度は僕の想像の範疇に、
「バイクに家畜を載せる」が無かっただけか。

いやいや、そんなのには押し切られないぞ。
車両は重要だということを
これからも議論していきたい。


1年も僕と一緒に農業をすると、
インドネシア研修生たちは、
いろんなことを考え、吸収する。
1年生のイラ君がそうだ。
彼のこの1年もダルス君のように
振り返ってみるか。

彼は、来日当初から
「僕は帰国したらベビーリーフをやりたい」
と月間報告書で書いてきていた。
インドネシアでもそれに近いものが、
ちらほらと見受けられるようになっているようで、
もちろん、食べやすくて、調理が簡単で、
手軽に食卓を飾ることのできる食材は、
それを支える技術や価値があるところでは、
僕らが思っている以上に浸透するに違いない。

だが、それを支える「技術」と「価値」は、
彼らの生活の近くに存在するのかどうか、
僕もわからないまま、過ごしてきた。

この1年、月間報告書と自主学習を通して、
彼は地元の気候でも栽培できそうな
そして若どりしても美味しい野菜をピックアップした。
その多くはレタス類で、
サラダで食べておいしい野菜ばかり。
種も地元で手に入るものばかりで、
雨よけにするかどうかの検討もしてきた。
こういう栽培の勉強は、彼らは御手の物だ。

そして、たいてい次は、マーケティングになる。
どんな市場を狙うのか、どういうプロモーションが必要か、
といった、ビジネス本に書いてあるような方向に向かう。
イラ君もその例外ではなかった。
彼は、少し抽象的なマーケティングの勉強から始めていた。
いわゆる経営学などに解説されているような
マーケティングの勉強の成果が、
月間報告書の中で、ここ半年ほど続いていた。

それは悪い事じゃないが、
抽象的な議論、たとえばマーケティングのコンセプトとして
生産・場所・価格・プロモーションなどに分析する議論を
延々と繰り返しても、
逆に彼のリアリティから
どんどん離れていってしまうような気がしてきた。
そして、この1月に彼の故郷である
ランチャカロン村を訪れた時に、
その乖離を確信した。

彼は頭がいい。
だから、ちょっと難しい経営学の理論なんかも
上手に利用して、それに合った部分だけを
報告書で抽象的に書くことが出来る。
なんだかしっかり勉強しているようにも見えるが、
実はそこにはリアリティがない。
世の中の秀才たちが上手くいかない理由が
この辺りにあるんだろうな、とたまに思うのは余談。

他の座学もそれなりにこなし、
彼自身、自分のプランも冷静な目で
見られるようになってきたのが昨年末ごろ。
だから、もう少し販売のイメージを
報告してほしいと注文をつけていた。
そして先日の報告書で彼は、
「ベビーリーフを消費者に直接販売する直販をやりたい」
と書いてきた。
農業とグローバリゼーションという授業の
影響もあるのだろう。
伸びきったサプライチェーンについて、
イラ君もいろんなことを考えているようだ。
そして、それは上級生も同じだ。
彼らにとっても、生産と販売は大きな課題でもある。
すかさず彼らから突っ込みが入る。
「イラが生産をするのなら、誰が販売を担当するんだ?」
「直接販売するための輸送手段は?」
などなど。
イラ君は、まずはバイクを買って、
顧客も数件の小さな規模から始めたい、と言っていた。
小規模を僕は否定しない。
でも、最低生活していける、
最低生産を続けられる規模ってやつはある。
バイクは、銀行のローンも充実しており、
社会にも広まっている分、
とっつきやすい輸送手段なのだろうが、
残念なら運べる野菜の量は多くない。
彼の言う小規模が、
その地域に合うのかどうかは議論の余地ありだ。

次に、ターゲット(顧客)。
直接販売する相手は誰かだ。
イラ君は、簡単に、近くの町や村の人と答える。
だが、それは一体誰なんだ?
ベビーリーフは、萎びやすい。
当然、熱帯では冷蔵庫での保存は欠かせない。
残念なら、彼の村で、もしくは近くの町でもいいが、
一般の庶民が冷蔵庫を持っていることは少ない。
実はこれが上記の「技術」の一部分。
そして、「価値」。
近くの町の人は、毎日サラダを食べる習慣があるのだろうか。

なので、僕は来月までに、もう一つ注文を付けた。
君の故郷・ランチャカロン村のリアリティがもっと反映した
プラン作りをしてみてください、と。

もっと上手に議論が出来る人ならば、
ここまで来るのに1年もいらないのかもしれない。
彼らが、彼らの持っている常識(受けた教育)から少し逸脱し、
自分の地域のリアリティに近づくには、
僕の力ではどうしてもこれくらいは時間がかかってしまう。

さて、これでダルス君もイラ君も準備は整った。
2年目は、彼らの地域のリアリティの中で、
もっともっと突っ込んだ議論を繰り返していこうと思う。




来年のインドネシア農業研修生候補が決まった。
候補者とタンジュンサリ農業高校から
先週の土曜日にFAXがあった。
21歳の候補者は、履歴書を見る限り農家のようである。

さて、新しい候補者が決まったので
そのエントリーを書こうと思ったら、
あることに気が付いた。
僕としたことが、
今年の3月に来た研修生の紹介を
まだしていなかったのである。
研修をバックアップする団体「耕志の会」では、
ニューズレターなどで
今年の新研修生についてお知らせしてきたのだが、
ブログではまだだった。

ということで、
今更ながらだが、今年の新研修生の紹介。
まずは、イラ・ソバルナ君。
イラ君は、来日が2度目。
1度目は2009年に
福井農林高校とタンジュンサリ農業高校との
交流事業で福井に来ている。
その時に、僕は通訳として関わった。
その時は、2週間と言う短い期間だったが、
滞在中にうちの農園にも訪れ、
農園で研修生たちとディスカッションも行った。
日本の近代的な技術を学びたい!と意気込んできたのに、
文化や技術は相対的である、という僕の主張に
混乱して帰国した1人。

その彼にも、何かしらの種が播かれていた。
首席で高校卒業し、公務員試験を受けた。
試験は合格しなかったが、
県の農業事務所の非正規職員として
働き始めた。
でもその時に、彼の中の種は芽を出し始めていた。
その次の年、公務員試験に彼は受験しなかった。
年齢が21歳に達したら、農園たやの研修に参加しよう、
そう心に決めていたそうだ。
事前調査で、イラ君は、
「農園たやで勉強して、僕いつか同じようなトレーニングファームをやってみたいと思っています。地域みんなで発展できることを目指しています」
と語ってくれた。

複雑な家庭環境と、
父母にほとんど収入が無い現状で、
周りの反対を押し切る形で、
彼はこの研修プログラムに参加した。
帰国後の夢は、
農園たやのような園芸経営だと彼は言う。
「インドネシアでもベビーリーフ栽培をやってみたいです」
そう話す彼は、月間レポートの自己課題で
インドネシアにおけるベビーリーフ栽培の可能性と
その市場開拓を勉強している。
ハングリーで貪欲な勉強家。
それが今の彼の印象。
僕はこれから、
彼が成功する未来を眺めながら
しばらくの間だが、一緒に歩んでいこうと思う。


田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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メールは
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