タタンの地域に影響を及ぼしている
巨大な国家プロジェクトとは、2つある。
一つは幹線道路の拡幅工事。
タタンの村から近い街Wadoから
お隣の県Majalengkaに伸びる道が
両幅15mも拡幅する予定で、
僕が訪れた時にはすでに用地買収は済み、
一部で拡幅工事は開始されていた。
この影響を受けて、道路沿いの土地の価格が値上げし、
玉突き的に土地全体の価格も押し上げているらしい。

さらにもっとインパクトがあるのは、
巨大ダムの建設だった。
タタンの村から車で1時間も行かないところで、
そのダムの建設は行われていた。
完成すれば東南アジア最大級のダムになるらしい。
スハルト政権時代から計画があったらしく、
用地買収の一部はその時代に行われていたとか。
その巨大なダムは、多くの村と農地を飲み込んでしまう。
その人たちは移転先をあてがわれたわけではなく、
金銭のみでの補償だったらしく、
住民はそれぞれに近隣で農地を確保しているらしい。
また、そのダムに沈む場所には政府系の森林公社もあり、
その移転で近辺の森林400haを購入する予定で
すでにその一部は売買されていて、
残りの用地がどこになるのか、
村人が集まればその話題がトップニュースになっていた。
こうした土地買収の過熱により、
農地の価格は三倍以上に高騰していた。
タタンは、現時点ではこれ以上農地を増やせない、
と言っていたのは、この土地価格高騰の煽りを受けてである。

余談として、村人たちの集まりで
彼らの認識としてあった話だが、
農地を買い占めているのは、都会の投資家だという。
Majalengkaでも空港ができる話があるらしいが、
その用地買収が始まる前に都会の投資家たちが
その周辺の土地を買い進めていた、とまことしやかに
語られていた。
そして今回も森林公社が買う土地は、
その投資家たちが買い占めた土地だろう、と村人はいう。
それが本当か嘘かは別として、
それが彼らのリアリティなのだろう。

さて、農地を拡げられないという外圧は、
タタンの行動に少し変化をもたらしたように思う。
帰国前にタタンが立てた営農計画では、
果樹園経営が柱だった。
ただ果樹は植えてから数年は収穫がない。
なので、それまではその果樹園用に育苗する
果樹苗を販売して収入の一部に充てると言っていた。
その言葉通り、彼は果樹のナーセリーを始めており、
実際に販売していた。
1か月に1万円の売り上げがあり、
小規模ながらもそれなりに順調な滑り出しのようにも思えた。
実際、僕が訪問中にも、タタンの携帯電話が何度も鳴り、
果樹の苗注文の交渉をしていたのが印象的だった。

そのナーセリーについて、
帰国前と今回とではタタンの期待が変わっていた。
帰国前のタタンはそれは無収入の間のつなぎ的な意味だったが、
今回は、その果樹ナーセリーをどんどん拡大して
政府系の規模の大きい果樹プロジェクトなどにも
苗を提供できるようになりたい、と話してくれた。
たぶん思ったよりも苗の需要があったことも
起因しているだろうが、
それ以上に限られた土地の中で、
より効率よく農業ビジネスを行うためには、
こうしたナーセリーといった回転の良いもので
勝負ができるんじゃないか、と考えているようだった。
彼としては、果樹栽培の援助や普及事業に
うまく入り込んで今の何百倍もの苗を販売したいと考えていた。
その苗を準備するための技術や人員、場所などは
まだまだ未知数の部分も多いが、
熱く語るタタンの目には、ある程度未来が見えているようだった。

彼は荒唐無稽な話をする青年ではない。
彼をよく知っている人間ならば、
彼がどんな性格かはわかっているだろう。
ただ一般的にインドネシアの農家でよくある話が、
取らぬ狸の皮算用的なものが多く、
一気に規模拡大の話には、眉唾だと思う方も多いだろう。
僕もタタンがそんな話を始めるので、
インドネシアに帰国した途端に、
こちらでよく見かけるような農家になったのかと
やや心配だった。
だが、それは徐々に払しょくされていった。

僕が彼の家に到着すると、
彼はどこかに何度も電話をし始めた。
そしてしばらくして、
「今から村長に会ってもらえますか?」と切り出された。
僕は訳も分からなかったのだが、
彼が会ってくれいうのなら会ってやろうじゃないか、
ということで、村長自宅へ訪問することになった。
訪問してみると、村長もなぜこの日本人は
ここにやってきたのか要領を得ない感じで、
訪問の意味を理解していない僕との間で
かみ合わない会話が続いた。
その間をタタンが取り持って会話が進んだのだが、
ある時点でこれはタタンの政治力としての
訪問だと気が付いた。
それからは僕はタタンを褒め、
日本でどんな勉強をしたのかを話し始めた。

村長はそれまでは日本からの援助が必要だという話を
延々としていたのだが、
話がタタン個人に切り替わると、
彼も目を細めてタタンを褒め始めたのだ。
そしてタタンが帰国後すぐに、
集落の果樹の農家組合を組織したこと、
その組合長に就任したこと、
お金を浪費せず、果樹園や田んぼを買ったこと、
道普請ではリーダー的な立場で参加してくれたこと、
これからこの村の若者を引っ張っていってくれる存在だなど
もう聞いている僕が恥ずかしくなるくらい
村長はタタンを褒めていた。
2013年4月に帰国して、1年もたたないうちに
彼は村の中で政治力を発揮し、
一気に重要な人物の一人になろうとしていた。
その手腕に舌を巻くのと同時に、
僕はここぞとばかりにその彼の政治力を高めてやろうと
リップサービスをしまくって帰った。
村長と僕とがタタンを褒めまくるという
なんとも奇妙な村長宅訪問だった。

この訪問で明らかになったのだが、
タタンは帰国後に果樹の農家組合を新たに組織して、
国からの事業の受け皿を作った。
そしてその長についた。
さらにその組合には集落内にいる
果樹の仲買人もメンバーに巻き込んで組織した。
販売力や市場の情報を自分たちの組織に取り込むためだ。
組合の活動自体はまだまだ形になっておらず、
この組織をどう動かしていこうか、と
青い意見をタタンが熱く語るのが僕には面白かった。

さらにタタンの話では、
集落ではないが、郡レベルの青年会議所のような
組織にも参加しており、現在そこで果樹のプロジェクトが
持ち上がっているという。
インドネシアではもうすぐ大統領選と国会議員選がある。
それの影響で、その郡の国会議員候補者が、
私的な資金を使って、農家の所得向上プロジェクトを進めている。
もちろん、人気取りみえみえのプロジェクトなのだが、
タタンはそこにもしっかりと食い込んでいて、
彼の政治力には舌を巻く。
そのプロジェクトは丁子苗を1万本配布するもので、
その苗をその青年会議所が中心となって準備することになっている。
ただその組織は農業出身者がほとんどおらず
誰も技術を持ち合わせていない。
そこでタタンが中心となって準備を進めることになりつつある。
まだ決定ではないが、
その苗生産を自分のナーセリーで
一枚かめないかと考えている節もあり、
その配布先に自分たちが組織した農家組合が
入らないかと思案している感じでもあった。
こうした活動の背景が
彼の自信にもなっており、
そして規模拡大の難しさもあって、
果樹の苗ビジネスへ未来を見据えているようにも見えた。
それは資金や技術だけでなく、
しっかりとした政治力が発揮できなければいけないことも
示唆している。
今後、僕の研修においてもそこは議論し、
政治力を発揮させるために必要なことも
みんなで討論する必要があることを
改め気づかせてくれた。

たった1年たらずで
あの正直でまっすぐなタタンが
策士顔負けの政治力を
あのキャラクターのまま発揮させていたのが
印象的だった。

翌日、僕はタタンの家を後にし、
最終目的地、ヘンドラの村へ向かった。








なかなか話が進まなくて申し訳ない。
いろいろと締め切りを抱えていて、
今日はようやく自由な身に。
では、皆さん、タタンの地元を一緒に訪問しよう。

イルファンのいるランチャカロンから、
車で1時間半ほど行けば、そこは県都スメダンになる。
その県都スメダンから、さらに車で2時間行った先に
タタンの住むバンジャルサリ村がある。
スメダン県とお隣のマジャレンカ県との県境にある村だ。

イルファンの村は、村といっても開けた村で、
交通量の多い道路もあって、それなりに車の喧騒があったが、
タタンの村は大きな幹線道路からは遠く離れ、
さらに奥に入ったような場所で、
とても静か村だった。
家もゆったりと建っており、敷地も広く、
一軒一軒美しい佇まいで、まわりの緑も美しかった。
とても豊かな村だった。

タタンは2013年4月に帰国したばかりだった。
なので、彼の活動はまだ始まったばかりだろうから、
ほとんど見るものもないだろうと思っていたが、
その期待は良い意味で裏切られた。
彼の実家はそれなりに裕福だ。
たぶん農園にやってくる研修生の中で、
今いる研修生も含めて、
一番裕福ではないかと思う。
タタンの父はまだ50代で若く、働き盛りだ。
大工をしていたが、ビジネス感覚に優れ、
淡水魚の養殖や投機的な米売買ビジネスで
土地を増やし、それなりに財を成した。
タタンはとても良いスタートを切れる立場にいた。
しかも彼は一人っ子だった。
これはスンダ民族では重要なファクターで、
遺産相続はいわゆる日本では「田分け」と表現されるように
すべての財産を均等に兄弟に分け与えるため、
相続を重ねれば重ねるほど、
その子孫の農地は細分化され、
農業を生業で食べていけなくなるのだ。
だから、一人っ子のタタンは、
父の農地やビジネスもすべて含めて
自分のこれからを考えていけるため、
非常に有利な立場といえよう。
事実、彼はそのように物事を考え、
農地への投資を行っていたのが印象的だった。

彼は4か所の土地を新たに買い、
農業を始めていた。
14aと21aの果樹園、
そして28aと14aの水田だ。
日本にいる間から、
土地の売買情報のアンテナを高くして、
帰国前にすでに
これらの農地のほとんどを用意していた。
トータルで77aの耕作面積で、
普通の農家よりもやや大きい。
しかもこれらはまだ父の農地や養殖池は含まれていない。

イルファンと違い
なぜこんなに広い面積の農地を用意できたのか?
その答えは、親の資金の浪費にその違いがある。
イルファンの両親はその日を暮らすのも大変な状況だった。
兄弟も多く、お茶畑の収入では全員が裕福には
暮らせなかった。
その結果、本人談で(やや感情的だとは思うが)75%の資金が
親族の日々の暮らしに費やされてしまった。
それに引きかえ、タタンの両親は裕福で
タタンの出稼ぎのお金がなくとも十分暮らしていけた。
しかも兄弟もおらず、タタンが生活費として親に送ったお金は
そのほとんどが貯金されており、
帰国後タタンの営農資金として手渡されたという。
そのお金をもとに、タタンはさらに土地を買い、
十分やっていける面積を最初から準備できた。

準備ができたといっても、帰国したのは
この前の4月。
なので、まだまだ農業は軌道には乗っていない。
1つ目の果樹園では、
それぞれ売れると考えている果樹
4種類(ドリアン・バナナ・丁子・ヤシ)と
野菜4種類(ウコン・唐辛子・なた豆・生姜)が
作付けられていた。
もう1か所の道沿いの果樹園では、
メインにSawoという熱帯果樹をメインに
胡椒とバナナを昆作していた。
イルファンの果樹園と違う点は、
粗放的な伝統果樹園ではなく、売れるものだけを限定して
昆作していたところだろうか。
彼からも「販売できるものばかり植えます」と
しっかりとその辺を区別した発言があった。

水田も2か所あった。
1か所はもともと父が持っている場所と同じ場所の水田が
売りに出ていたので、その場所を購入したとのこと。
より効率的に作業を行えるように考慮して買っていた。
その水田は、集落から離れていたが、
現在、村事務所主導で農道が整備されつつあり、
その農道の終着点がタタンたちの田んぼのある場所だという。
農道ができれば、これまであぜ道で苦労して運んでいた
収穫物も車両をつかって運ぶことが可能になるし、
肥料や資材の投入の楽になる。

さて、少し話を脱線させたい。
それはその農道についてだ。
日本でも戦後に土地改良と称して農地を整備し
農道を巡らせてきた。
国家プロジェクトであり大きな予算がついて
農道として拠出した面積は国が土地改良組合を通じて
購入した。
ちなみに農地の整備は、地権者と国の折半で、
何十年とかけて地権者は土地改良費として
この整備費を支払うことになる。
現在でも支払いは続いており、
支払いが終わったかな?と思ったころに
新たなパイプラインや基盤整備事業があったりで、
なかなか返し終わらないのが現状だ。
というのは余談。

さて、タタンたちはそんな国家プロジェクトではない。
村レベルの行政が企画した農道プロジェクトで
農道整備に少額の予算があるだけだ。
粗雑なアスファルトを引く予算だけで、
道の土台を作る労働力は
住民のボランティア(gotong royong)で賄うという。
いわゆる「サンカガタカイハツ」なのだ。
さらに驚くべきことに、
農道のために拠出する個人の農地は
買取りではないということだ。
つまり無償で拠出するというわけである。
これを寄合の話し合いで
解決したというのだから恐れ入った。
とは言っても、ずいぶんともめたらしいけど。

さて
実際に見学に行ったときは、
すでに道普請が始まっており、
拠出する農地もあらかた決まっていた。
もともと道に近い農家ほど拠出を嫌がったため、
不便でアクセスが難しい土地ばかりを
通って道が作られる計画で、
かなり曲がりくねった農道になるらしい。
でも農道ができれば、その農地の価値は上がるので、
タタンも一部農地を拠出しているとのことだった。
彼は拠出したほうが得だと考えていた。
農地の価値が上がるし、
作業効率も良くなるから、というのがその理由だった。

さて、農道ができるのは実はその田んぼだけではない。
タタンのもう一つの田んぼにも、そんな話が来ている。
日本にいる間に購入した田んぼで、
21aの小さく分かれた棚田だ。
ここには村の奥にあり、道路がまったくなく、
畦以外の道がない。
ただここは乾季でも水があり、
年に3回稲作ができる場所だった。
その田んぼの奥に別の集落があり、
その集落の人のアクセスを良くするために
村事務所からタタンの田んぼの一部を無償で拠出してもらい
そこに村道を作りたいと連絡があったという。
これにはタタンはやや消極的だった。
なぜならその田んぼも近くにはタタンの果樹園があり、
そこも村道の計画に入っていて、
せっかく植えた果樹がここ数年で道路建設のために
伐倒されるのではないかと危惧しているから。
果樹は植えてから収穫できるまで時間がかかる。
田んぼのような計算とは、また違うようだ。

十分な土地を買い、いろんな計算をしながら、
新たに農業経営に乗り出しているタタンは
とても頼もしく見えた。
ただ現在の面積では、まだまだ成功したとは言えない。
これからもどんどん面積を増やしていくかい?と
当然、そうです、という答えを期待して聞いた僕に、
タタンは、
「そうしたいんですが、それがどうも難しいです」と答えた。
ここにも巨大な国家プロジェクトの影響が
出始めていた。

つづく

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タタンが帰国した。
2010年4月に来日した彼は、
3年の研修を終えて、インドネシアへと
帰って行った。
タタンが帰ることで、
僕も研修が一区切りついたように感じる。

2008年から始めた研修だったが、
初めからプログラムがきちんとあったわけじゃない。
一期生のヘンドラや二期生のイルファンと
手探りで研修内容を考え、
とにかく走りながら創ってきた
農業研修プログラムだった。
ある程度、このプログラムが
僕の想像する「考える農民」像と一致をみる頃に
タタンはやってきた。

彼はとても優秀だった。
授業でもフィールドでも
多くは語らないが、本質をしっかりと掴んで、
実現させる力があるように僕には見えた。

その反面というわけでもないが、
病気が多かったのも彼だった。
風邪をひくことは滅多になかったが、
どういうわけか、
足に膿がたまる病気に2度かかった。
入院騒ぎになったりもした。

そんな彼が、今日(14日)、
インドネシアへ帰国した。
帰国前に、寡黙な彼は帰国後のプランを
少しずつだが話してくれた。
僕はそれをここに記録しようと思う。

彼は、卒業研究のエントリーでも取り上げたが、
果樹で生計を立てる農家を目指している。
栽培する果物は、ヤシの実・ドリアン、そしてSawo。
それらはローカルマーケットを意識し、
比較的高い付加価値をつけられる果物は何かと、
3年間のプランニング学習の中で
彼が導き出した答えだった。
また、収穫の季節に
労働が集中してしまう果樹において、
その労働の分散を考えて、それらの果樹も選んだ。

ただし、果樹は植えてから数年、
収穫物が無い。
その点は、これまでも授業や月間レポートなどで
他のインドネシア研修生からも
指摘されてきた。
収穫できるまでの数年はどうするのか、
残り1年を切った辺りで
浮かんできたその問題に、彼はこれまで
あまり明確に答えられないで来た。
だが、彼はひそかにその答えを
探してきた。
最終的に彼が行き着いたのは、
果樹苗の販売だった。

彼はここに来る前、
インドネシアの山間地域の緑化政策を
請け負う民間業者に勤めていた。
ほぼ山で暮らし、
緑化のためにひたすら苗づくりをし、
緑化体験で訪れる学校関係者や
NGOの活動に場所と苗木を提供するのが
彼の仕事だった。
その時の技術とコネクションを
活かそうというのが、
今回の果樹苗販売らしい。
彼が抜けた後、彼の同僚は、
緑化用の苗生産の合間に
自分の果樹苗の生産も始め、
その販売を少しずつ伸ばしていた。

そんな時に、果樹が収穫できるまでの間を
どうするかを悩んでいたタタンは、
元同僚と協力して、
果樹苗販売ビジネスに行きついた。
緑化政策の横で果樹苗のアルバイトとは、
若干、問題もあるようにも思えるけど、
まぁ、インドネシアらしいと言えばそうなんだろう。

果樹苗はそれなりに需要もあるし、
前職の経験も活きてくる。
販売のノウハウを元同僚と共有しながら、
自分の果樹園経営にもつなげていきたいという想いだ。

さて、その果樹園経営の基盤となるのが、
農地だろう。
タタンは、来日1年目でお金を貯めて、
さらに一部親族から借金をして
新しい農地をすでに購入していた。
ここにいる間に、結構研修生たちは
農地を買い進めているのだ。
ただ、1年目に買った農地は、
車両が入ることが出来ない場所で、
帰国したら彼は、その農地を売って、
道沿いの車両が入る農地を探すと話してくれた。
これも一緒に学習を進めていく中で、
輸送の重要性を考えるようになり、
バイクではなく、車が直接入る農地を購入しようという
研修生間の雰囲気が影響している。
本当は車購入を検討してほしいのだが、
そこまではなかなか考えられないらしい。
今は、
想像できるスケールの限界値がその辺と言うことか。

果樹の販売では、
ローカルマーケット以外にも
直売所を併設して直接販売や
観光農園などの要素も含めたいと思っている。
最終年度に卒業研究で見学した
朝倉梨栗園が影響しているようだ。
価格と販売にイニシアティブをもつ
農家になりたいと彼は話してくれた。

彼との議論の時間はとても楽しく、
これがもっと続けばいいと思うこともあったが、
その時間は終わった。
さあ、タタン、
ここから先は、君が思い描いた夢の実践を
僕に見せてくれ。
次に、君に逢う日がとても楽しみだ。

もうすぐ帰国のタタン(2010年来日・第3期生)。
その夢は大きく膨らんでいる。

先日、最終の月間レポートをタタンは仕上げてきた。
彼の夢は果樹栽培とその販売。
3年生の卒業研究では、以前エントリーでも書いたが、
福井の果樹農家や市場、そして消費者の動向を
インドネシアと比較した研究を行った。
どうすれば、またどのような条件が揃えば、
僕たち農家は自由に、
そして豊かに農産物を生産し、
納得価格で販売できるのだろうか、
という、全世界中の農家が夢見ることについて、
タタンは一定の成果を報告してくれた。

そのタタンが、自分の営農について、
月間レポートで語ってくれた。

彼は以前からの計画通り、果樹農家を目指すのだが、
その品目の中心の一つにヤシの実を上げている。
それも若い実で、ヤシジュースの飲める実の
生産と販売に力を入れたいようだ。

僕らが南の島をイメージするときに、
欠かせないアイテムの一つが
ヤシの実のジュースだろうが、
思ったほどヤシの実ジュースは巷にあふれてはいない。
ジャカルタやバンドンの都会などで、
オシャレなショーウィンドウで、
ヤシの実を抱えながら、
そのジュースを飲む若者像は
存在しない。

そんな彼ら彼女らが飲む飲み物は何か?
それは、水のペットボトル。
ペットボトルの水が特別安いわけじゃない。
その方が便利と言うこともあるのかもしれないし、
気軽に手に入るというのもあるだろう。
後の処理も楽だし、すぐに飲める点も有利だ。

しかし水のペットボトルは、そこだけでなく、
インドネシアの生活の隅々までに入り込んでいる。
村の結婚式や会議、
簡単な屋台での食事まで、
ペットボトルの水が幅を利かせていることに
タタンは異議を唱えていた。
僕からすれば、ちょっと滑稽だったが、
身近な飲み物だったヤシの実ジュースの復権とでも
いうんだろうか、
彼は結婚式や会議のケータリング業者などに
売り込みをかけて、
ヤシの実ジュースを飲むのをスタンダードにしたい、と
どこまで本気なのかわからないが、
熱弁をふるってくれた。

しかし、
会議用の長机に座った、
ネクタイを締めた小難しい顔をした大の大人の前に、
ずらりとヤシの実にストローがささっている現場は、
ちょっと想像するのが難しい。

タタン君は、もともと直売を志向しており、
果樹園に併設する予定の直売所レストランで、
ヤシの実ジュースを売るのがヤシの実販売の主流においている。
ケータリング業者とはどこまで上手くいくかわからないが、
彼ららしい新しい発想も、またありなのかもしれない。
でも僕には、理解できないけど。


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インドネシアの農業研修プログラムには、
卒業発表として日本語によるプレゼンがある。
研修3年生は、1年間かけて、
自分の営農スタイルに合わせて、
卒業研究が出来るよう準備している。
その研究した結果を
日本語で発表する場が、
福井農林高校の3年生が行う課題研究発表の場である。
毎回、その時間を十数分程頂いて、
研修3年生が、この1年の研究を締めくくる。
研修の仕上げともいうべき、最後の大きな山場なのだ。

今年発表したのはタタン君。
2010年に来日した彼は、
実家の農業を継ぎ、
果樹農家として大きくすることを夢として
この3年間勉強してきた。
なので、3年生の卒業研究では、
日本とインドネシアの果樹流通について
比較検討をする、という課題を立てていた。

彼は、来日当初から、
日本の農家が比較的自由に
価格を決めていることに驚いていた。
直売所やインターネット上では、
農家が直接価格を決めているという、
僕らには至極当たり前の現実なのだが、
彼から見ればそれは明らかに異文化だった。

どうしてそんなことが可能になるか?
自分たちインドネシアの農家が
自分たちで価格決定が出来ないのはどうしてなのか?
それをきちんと整理するために、
彼は3年生の卒業研究のテーマを
果樹流通における日本とインドネシアの比較に定めた。

彼は両国の農家と流通と消費者それぞれを
比較検討した。
インドネシアでは、果樹販売は庭先取引が多い。
果樹の収穫時期になると農家のところに、買取人がやってきて
価格交渉をする。
1個いくらという交渉ではなく、
収穫前の木や畑を買取人が見て、いくらかを見当をつける。
どれくらいの収穫量かは、農家も買取人も
正確な数字は解らないままの取引。
しかも農家は市況が解らないので、
値段交渉もほとんどできない。
さらに問題なのは、
収穫は、買取人が連れてくる収穫労働者が行うというもの。
農家は、ただ単に栽培をするだけで、
収穫は買取人の指揮の元で行われる。
秀品や優品などの品質、また大きさや規格で選別すれば、
高くなる可能性がある収穫後のすべては、
農家の手には無く、買取人のボーナスとなる。

農家が直接収穫して市場へ持って行っても、
買取人と市場の卸はつながっているため、
直接持ち込んでも買ってもらえないことが多い。
さらに市場までの輸送手段がないのも、
農家の立場をよりマージナルにしている。

市場では、明瞭な価格が解りにくい。
市況はラジオで放送されているが、
実際の地方のローカル市場での価格はあやふやなまま。
買取人がそのまま卸をやっている場合もあり、
市場では農家からの買取価格の1.5倍ほどで
取引されている。

消費者の意識も違う。
贈答用は輸入物を選ぶ傾向がある。
輸入果物の方が、選果されており、
品質が揃っているという意識がある。
市場で売られている国産や地元産は、
選別されておらず、
混ざっていて鮮度も逆に良くないのだとか。

「小さくても良いから、直売所を作って、お客さんに直接販売したいです。」
とタタン君は言う。
観光農園やインターネットでの情報発信も
積極的に行おうと考えているようだった。
それらすべては、農家が周縁化せず、
生産と消費がまっとうなつながりを持つための
試みと言えよう。
「直接売ることで、お客さんからの意見も直接聞け、農家の品質改善にもつながると思います。」
タタン君のまとめは、
とても単純なWin-winの関係だった。
それは、国や地域が違っていても、
僕ら生産者みんなが望む関係でもあった。

見事な卒業研究の発表だった。

追記:
本発表では、テューターとして佐藤高央が
多くのアドバイスと指導を行い、
大西康彦がプレゼンテーションの指導を行った。
両氏の指導のおかげで、本研究発表が
例年になく充実していたこをここに記録しておこう。

謝辞:
本発表でモデル農家としてお世話になった朝倉梨栗園さま、
市場流通を細かくご教授いただいた福井卸売市場の小西さま、
またアンケートにご協力いただいた多くの消費者の皆様、
本当にありがとうございました。
心より、お礼申し上げます。




インドネシア研修生の勉強として、
ホームページ作成のビデオを見る。
先日、朝倉さんの果樹園を訪ねた時に、
朝倉さんの好意で、ホームページ作成のビデオを貸してもらっていた。
せっかくなので、
スタッフも含めてみんなで見ることに。

懐かしい方が講師をしているそのビデオでは、
3つのことを強調していた。

半径5m範囲の情報をアップすること。
頻繁な更新。
そして、写真の撮り方。

どこにでもある、僕らにはすでに日常になってしまった
そんな情報をホーム―ページに訪れてくれる人には
とても新鮮だという。
なぜ半径が5mなのかは謎だが、
身近な情報を載せていくのは、賛成だ。

頻繁な更新は、検索上位になるためには必要なことだし、
多くの人が何度も足を運んでくれるWebサイトにするには
もっとも必要なことだろう。
もちろん、写真の出来も。

ただ、このビデオは今から何年も前に出されたものなので、
その論点も古いようには感じられた。
検索上位に来る必要が必ずしもあるのだろうかと、
SNSをやっていると思う時がある。
更新は頻繁な方が良いだろうけど。

僕らのネット環境は急激に変わる。
速度も速くなれば、情報量も増えた。
ホームページを除くこと自体も減った。
流れゆく情報の波を、ぼんやりとしたつながりで実感できる
SNSに身をゆだねることが多くなった。
何かを得るわけでも、何かを探すわけでもなく、
僕らは、日々、SNSを覗く。

しかもその情報はたまっていかない。
ただただ流れていく。
思い返そうとしても、思い返せない流れを
眺めているだけのネット。
そこに何とも言えない心地よさを感じたりもする。
そんなネット生活の中で、
個々のホームページの役割ってなんだろうか?
少し疑問に思わないでもないが、
無い頭をひねっても答えは出てこない。

そんな中で、研修生3年生のタタンの答えは、
ある意味、的を得ていた。
そのビデオを見て、
「ホームページでの販売は、商品を売るんじゃなくて、そのプロセスを含めた全部を売るんですね」
と、彼は僕に話してくれた。

誰にどんな情報をなんて、
僕らが考えてどうにかなるようなものじゃないのかもしれない。
ただ、僕らの日常のプロセスを
真摯に伝えていく。
ただそれだけなのかもしれない。
どんどん更新されていき、
緩やかな、曖昧なつながりの中で、
たまっていかずに流れていく
心地よい情報とは対象に、
そんなキャッチーな情報ではなく、
四つにしっかり組んで、向き合ってくれる人達が、
僕たちのお客さんなのかもしれない。

どんな人にどんなサービスを提供するか、じゃなくて、
僕らは、どう生きたいか、
それが、たぶん、問われているような気がする。

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インドネシア農業研修プログラムの話。
研修3年生には、卒業研究を課している。
タタン君の研究課題は、以前書いた通り(リンクはこちら)。
先週の6月16日に、福井の果樹農家さんを訪れて、
販売についていろいろと教えてもらったことを記録しておこう。

訪れたのは、あわらの朝倉梨栗園さん。
インターネット販売が有名な果樹農家さん。
栽培のこだわりをインターネットのツールに乗せて
上手に販売しているお話を聞くことができた。

インドネシアのコンテクストでは、インターネットによる情報が
日本のそれよりもより一層重みを増してくる。
情報の分断から、農民は辺境に追いやられ、
仲介商人との価格交渉力も無い。
情報がすべてじゃないけど、
少なくとも、自ら自由に情報を発信でき、
そして自由に情報を得られるツールとして、
販売にインターネットを利用しない手はない。

さて、朝倉梨栗園のインターネットでの販売では、
とにかく毎日更新と良い写真を撮る努力が必要とのことだった。
カメラもコンデジじゃなく、一眼じゃないといけない。
そしてどんなに小さくても良いので、毎日のように更新する。
それが検索上位に挙がってくるコツでもあるという。
そして、これが何より大切だが、
その情報を担保してくれる技術力。
朝倉さんは、加賀の梨づくり名人の農家さんに
何年と通って、その技術を教えてもらったとのこと。
「今では、この辺りで一番おいしい梨と言われるようになりました」と
さらっと言っていたけど、
これはなかなか言えるもんじゃない。

それだけのこだわりと技術力を担保に、
多彩な情報に彩られたホームページを作り、
ネット販売にも力を入れる朝倉さん。

タタン君はここから何を学んだのか。
彼のレポートが待ち遠しい。

インドネシア研修プログラムの3年生は、
卒業研究を課している。
今年、3年生のタタンくんもその例外ではない。

彼の卒業研究テーマは、
「日本の(福井の)果樹流通事情」。
彼の地域では、果樹栽培が盛んだが、
中間の買い取り商人に買い叩かれてしまうのが現状。
自分たちで市場に出荷することもない。
というか、市場自体もそういう個人の出荷物を
荷受けするシステムになっていないので、
“つて”が無い限り、有利な価格での取引は無理な状況。
彼は日本に来てから、日本の農家が
市場だけでなく、直売所やインターネットで販売する姿を見て
すっかり感銘してしまっていた。
そこで、卒業研究は、
果樹農家の販売戦略や
市場のシステム、
果てには、消費者の嗜好動向までを調査したいと
言い出していた。

長くのびきって全貌が見えなくなっている
バリューチェーンを明らかにすることで、
市場からの刺激をきちんと受け止めて、
ショートカットや価値喪失&創出がどの機会で
生まれているのかを
この1年をかけて探る予定。

いろいろな方にインタビューの協力をお願いすると思いますが、
その時は、よろしくご協力いただけるよう、お願い申し上げます。


前回の続き

では、次に販路はどうなのだろう。
販路は、ほぼ一つだけ。
それは買い取り商人への販売のみだとか。
彼の地域では、それぞれの果樹の季節になると、
買い取り商人が村にやってくる。
毎年くる商人もいるが、一見さんの商人もいる。
その商人は血縁者や同じ村の人だったりもするが、
多くは村外の赤の他人。

彼らは、ぶらりと村に立ち寄り、農家と軒先で交渉する。
値段のつけ方は、日本とはかなり異なる。
個数やキロ単位で交渉はしない(ヤシの実は個数単位)。
普通は、その果樹の木1本幾らで交渉になる。
ここからは買い取り商人の腕の見せ所だ。
ざっと見て、何本の果樹トータルで幾ら、とそろばんをはじく。
その木にどれくらい実がなっているのかは、
目視による見当となる。
見当を誤れば、損になるのだ。
だが、タタン曰く
「彼らが損をすることは絶対ないです」だそうだ。
実に虫が入り込んでいたり、
なかが腐っていたりというイレギュラーが
たとえあっても、一度交渉が成立してしまうと
その損は買い取り商人が負うことになる。
だとしたら、防除を怠っても
見えない虫食い程度であれば、良いというわけか?
でもそうでもないらしい。
一度そういう木をかまされると買い取り商人は
その家を敬遠するらしい。
買い取り商人のネットワークがあるのか、
その家には買い取り商人そのものが寄り付かなくなるか、
次年度は安く買いたたかれるもとになるらしい。

では、木の収穫物を木になっている状態で買った商人は、
その収穫物をどうするのか。
それは簡単。交渉が成立すれば、
一緒に連れてきた、もしくは後から収穫人と呼ばれる人たちが
やってきて、
その収穫物を収穫して持っていくのである。
木の持ち主である農家は、監督すらしなくても良い。
もし、持ち主も一緒に収穫したければしてもかまわないという。
その場合は、買い取り商人から収穫の手間賃金をもらえるという。

収穫人が収穫するのは楽だとは思うが、
問題もある。
当然、自分で収穫するよりも実1個の単価は、
安く買いたたかれることになる。
さらに、収穫人は、雇われなので、
その木を大切に思って
収穫することは稀で、
枝が折れたり、木が傷ついたりと大変らしい。
その場合の弁償はない。

では、そもそも買い取り商人と交渉が決裂してしまったら
どうなるのだろうか?
自分で収穫して、近くの市場に持っていくのだろうか?
答えは「否」だった。
「マンゴーのように鈴なりになる果物の場合、商人からの提示額があまりに安すぎて、交渉が決裂することがあります。その場合は、そのマンゴーは近所や親族に配られるだけで、それを市場には持っていきません」。
それはなかなか興味深い意識じゃないか。

市場になぜ持っていかないのか。
「収穫物を市場に持っていくなんて、したことが無いので、どの商人と話をしていいのかもわかりません。たぶんだけど、収穫して市場に持っていけば、売れなければ生モノですから、全部ゴミになってしまいます。市場の商人もそれを良く知っていると思うので、買いたたかれてしまうんじゃないかと思います」。
つまりは、市場で販売するという精神的習慣が無いという事か。
なるほど、それならば自分で収穫して持っていこうという気にはならない。
買い取り商人の提示額が安ければ、
自分たちで食べてしまおうってことになる。

研修生3年生のイルファンの地域もそれはない。
そもそも彼の村は山奥なので、市場までがとても遠い。
だから買い取り商人が幅を利かせている。
研修生1年生のワントの地域でも、
やはり買い取り商人に売るのがほとんどらしい。
ただ、ワントとタタンが言うには、
買い取り商人もまた農民だったりするので、
その場合、近隣の農家から買い取った収穫物に
自分の収穫物を合わせて市場に運ぶケースもあるのだとか。
つまりは、市場との関係性があるかないか、と、
運搬手段を持っているかどうか、が下支えになって、
それらが「市場で売る」という精神的習慣を育むのだろう。

うちの農園でも新規就農希望者を受け入れているが、
彼らのほとんどが市場との関係性が無い。
独立しても市場には売らない、と言うが、
それは市場価格が安いということもあるだろうけど、
そもそも関係性が無く、持って行ったところで二束三文で
買い叩かれるんじゃないかっていう思考もあるんだろう。
と言うのは余談。

かつて修士論文を書くために調査をした、
あるインドネシアの農村では、
ササゲをたくさん作っていた。
そのササゲがいつから作られたかを調べていると、
ある農家に行きついた。
その農家は、ちょっと変わった人で、
人とは違ったことばかりしていると、
その村では評判だった。

彼は若いころ、ふと思い立ち、
車で1時間ほどかかる市場へ、
自転車で収穫物を持っていくことにした。
朝の3時には家を出て、収穫物を市場にせっせと運んだらしい。
詳しい内容は割愛するが、
徐々にだが、市場の商人とも関係が出来たらしい。
その関係の中からササゲが派生し(商人からの依頼)、
彼が作るようになり、また周囲にも勧め、
そして彼がその周囲の収穫物を買い取り、
修論の調査時ではバイクで収穫物を運んでいた。
そして、売り先が出来たことで、
その村の他の農家もササゲを作るようになり、
外部からもそのササゲを買い取りに、商人が来るようになった。
彼は、他の買い取り商人と同じように、
農家に種子と肥料と農薬の補助をし、
その収穫物の囲い込み戦略も行っていた。
ここでは、
農家が買い取り商人化する事例と、
産地の形成のプロセスがそこには見て取れる。

当たり前と思っていることが、
実はとても不安定な精神的な習慣によって、
(またそれを担保する物的要因によって)
形成されているというのは、これまでもブログで随分と書いてきた。
たぶん、これからも書くんだろうと思うが、
タタンの果樹の販売意識もまた、
異国の僕の目から見れば、とても不安定な精神的習慣に見える。
だが、それが習慣である以上、
本人にはとても堅固で、そこから抜け出すことも難しいように
感じてしまうのだろう。

では、君が作ろうとしている果樹の販路は買い取り商人頼みなの?
と尋ねると、
彼は、やや恥ずかしそうに
「自分でレストランを開きたいので、そこでお土産用に販売したい」
と話してくれた。

ここにいる間に、君が思いもつかないような販路があることを、
一緒に見学しよう。
そして、それらを通して、
君のもつ精神的習慣を一緒に見つめ直してみようじゃないか。


2年生のタタンは、
来年の卒業論文を何にしようか、
悩んでいる。
前回のプレゼンは、完全に失敗だったことは、
以前に記録した通り。
それは、
自分がやりたいことではなく、
無難にできそうなことを安易に選んでしまったためだった。

そこで今回は、彼は自分の関心があることを
とりあえずみんなの前で発表することにした。

彼の関心はやはり「果樹」。
果樹をやりたい、と月間レポートでも散々言ってきた。
だが、僕の農園では果樹が無い。
自家消費用で申し訳ないほどの柿とイチジクはあるが、
(一部は販売してもいる)
彼に果樹が何たるかを説くほど、
僕に知識も経験もない。
それに彼がやりたい果樹も熱帯のものばかりで、
それを題材にしたところで、
栽培が不可能どころか、
栽培技術&経験そのものが日本にはほとんど無いのだ。

そういう背景もあって、
彼は、ここで出来そうなことをと、
ある意味それは彼の優しさなのだろうけど、
前回のサツマイモという答えになったのだろう。

今回のプレゼンでは、やはり「果樹」をやりたいという。
ただ、実際の栽培技術ではなく、
日本の果樹農家の販売や市場を学びたい、とのことだった。
テーマは大きいが、彼の本音がやっと聞けた気がする。

では、
そもそも彼の地域はどんな果樹経営なのだろうか。

果樹経営と言っても、大規模果樹園というほどではない。
様々な果樹を場合によっては数本単位ずつ所有していることも
少なくない。
多い人でも数十本単位の果樹。
主となる作物は、「米」だと彼は言う。

ということは、米の方が売り上げは上か?
でも、どうやらそうではないらしい。
売り上げから見れば、米よりも果樹が多いとか。
なぜなら、
米はどちらかと言えば食用で、余れば販売するとのこと。
一般のインドネシアの農家の戦略と言って良い。
果樹は、換金目的で現金収入のためだとか。
では、どうして主となる作物は米なのか。
食べることを度外視して、
生産した米を全部売ったとしたら、
果樹よりも多くなるのだろうか。
タタンの答えは「否」だった。
やはり果樹の売り上げの方が上だという。

じゃぁ、どうして主となる作物が米なんだ?
その意識はどうなってるんだ?
ここまで来ると、そもそもの彼の卒論からずれて
僕の興味に突っ走っているようにも見えるが、
主体に寄り添いながら、その主体が見る風景を
一緒に眺めることを旨にしている僕には、
彼の卒論とこのやりとりは全然ずれてはいない。

彼の意識に近づくために、
ちょっと意地悪な質問をしてみる。
「じゃぁ、米を作っている田んぼ全部に果樹を植えたら?果樹の売り上げで、食べる米を買えばいいじゃん。もっと儲かるぜ」と僕。
するとタタンは、少し迷いながら、
そして言葉を選びながら答えてくれた。
「う~ん、でもやっぱり米を作ります。自分で作る方が美味しいし、安心だし。他人から買うと、その米が今年のじゃなくて去年やそのもっと前の米が混ざっているかもしれないし。それと作り手がどんな農薬を使っているかわからないじゃないですか」。
そうか、米の流通上の問題もあるのか。
そして、安心なものを食べたい、という意識も萌芽している。
インドネシアでも頻繁に食品偽装や
認可を受けない添加物騒ぎがあるので、
そういう意識は当然か。

しかし、古米や古々米を混ぜて安価な米や利ざやを増やそうというのは、
どこの国の米業者も同じというわけか。
ブレンダ―達の腕の見せ所は、
くず米や古米を混ぜても、
味品質をあまり落さないところにあるんだろう。
技術のベクトル自体が、
何か大きく間違っているように
感じる、というのは余談。

さて彼の話に戻ろう。
「それに田んぼ全部で果樹をすると集落から遠い田んぼでは、泥棒が多発します。それに集落の近くでなければ収穫物の運搬の問題もあり、やはり難しいですね」と彼。
然も有らん。
果樹の盗難は、日本以上だし、
日本のように農道がほとんど整備されていないので、
(土地改良がまったく行われていない)
収穫物の運搬が非常に大変なのだ。
村にも車は増えているが、
畦を歩いてしか運搬できないケースがほとんどなので、
農民の労働は想像を絶するほど過酷なのだ。

ちょうど彼の所有する畑で、集落に近くて、
水も豊富にある場所があるらしい。
だから、彼は、そこを果樹園にしようと
考えている。

つづく
来年、研修プログラムの3年生になるタタン君。
この後期の座学から、3年生に行う
卒業研究の準備に取り掛かるのだが、
まずは何をやりたいかをプレゼンテーションしてもらった。

彼が挙げてきたのは2点。
1点目は、サツマイモのマルチ栽培について。
インドネシアでは通常、サツマイモ栽培にマルチ材(被覆材)を
使用することはほとんどない。
畝を立て、そこに直接サツマイモを定植する。
日本の場合、多くがマルチ栽培。
その違いを見たいという。

もう1点は、サツマイモの植え方。
サツマイモの植え方はいろいろあり、
船底植えや斜め植え、水平植えや垂直植えなどなど。
芋の量や大きさが植え方で多少違う。
大きな産地ではどうしているのかは分からないが、
僕は目下斜め植え。
タタンの地域では、船底植えとのことで、
その違いを実験したい、とのことだった。

これらの実験を行うのに、何の問題もないのだが、
この背景が良くわからない。
彼はこのプレゼンでレジュメも作らなかったし、
そもそもなぜこの実験なのかの
背景と目的も説明できなかった。

彼はただ、
「違いを見るのが目的です」とだけ答えてくれたのだが、
それじゃ、答えになっていない。
3年生の卒業研究は、
これまで月間レポートでも書いてきた
帰国後の夢にリンクさせてほしいと
何度も言ってきた。
帰国後の取り組みに続くような研究を
ここにいるうちに始めるのが目的で
卒業研究とその論文、そしてそれを発表する場を
こちらは用意している。

タタンが示した卒業研究の案は、
これまでの月間レポートに書かれていないモノばかりで
その背景も、
「僕の地域ではサツマイモがある程度作られています」
だけでは、
「やりやすい研究を探してきた」と思われても仕方がない。

サツマイモでの起業も考えているのならば、
詳細は無くても良いが、
彼が帰国後に目指す道筋を
ある程度示してほしい。
研究しなきゃいけないから、やりやすい研究を探してきた、
であってはならない。

タタンにマルチをするしないの違いについて聞いた。
彼は、
「たぶん、草が生えてこないようにするためと、保水ですよね」
とその役割もしっかりと知っていた。
芋の植え方の違いについても聞くと、
「芋の量や大きさが変わると思います」と
こちらも正解。
そしてその植え方を選択するのは、
農学的な技術的な違いというよりも、
その地域の市場がどういう芋を求めているかにもよるのだ。

彼らは農業高校を優秀な成績で卒業しており、
卒業後も農業に関係する仕事についていたり、
農学系の大学に通っていたりしているのだ。
そんな基礎的な違いを今さら知りたいということ自体、
おかしいではないか。

聞いてみると、何を研究していいのかわからない、という。
だから出来そうなことを自分なりに探してきたのだろう。
失敗すると大変だから、
正解が解っていることをやろうとしているのだ。
失敗はしてもかまわない。

でも自分がこれから進もうという道にそって
次の1年を大切に過ごしてほしい。
卒業研究は、そのために準備してあるのだから。


研修2年生のタタン。
バニラを作ると言っていたが、それだけでは飽き足らず
今度は、ヤシの実も作ると言っている。
毎月のレポートで、自己課題を設定し、
その成果を発表してもらっているのだが、
今月のレポートに、そのヤシ栽培の背景を
いろいろと調べ上げて発表してくれた。

ヤシ栽培の魅力は何と言っても
粗放栽培!
植えてから収穫までは4年近くかかるが、
それまでの間、ほとんど管理らしい管理が無い。
苗が小さなうちは、こまめな草刈りが必要だが
驚くほど伸びるヤシは、他の果樹よりも
その手間はすくないらしい。

そして、魅力その2が
市場!
水がわりに飲むくらいポピュラーなヤシの実は
市場が簡単に見つかる。
屋台でもレストランでもたくさん消費されているのだ。
タタンの村に出入りしている買い取り商人も
ヤシを大量に買ってくれるのだとか。
通常1個3000ルピアで、買い取り商人に売るらしい。

そんなヤシの実。
実際、どのくらいの期間で元が取れる計算なのだろうか?
それを彼らに尋ねると、その計算はしていなかった。
粗くても良いのだが、その計算もなしに
こういう野菜や果樹を育てたい、と思うのも
僕からするとなんだか不思議な感覚。
ある程度計算して、ペイするかどうか
その見極めも肝心じゃないの?

ということで、すっごーく粗く計算を
シミュレーション形式でみんなでしてみた。
用意する土地は10a(基本的な単位です。特に意味なし)。
土地はみんなあまり持っていないから、買うことにしよう。
10a買うと、タタンの地域では約3000万ルピア。
結構安いね。
そこにヤシの苗を植えるとして、ヤシは5m間隔で植えるので
10aに40本植えることになる。
苗は1本30,000ルピアなので、苗代で120万ルピア必要。
耕起や整地にかかる費用もあるだろうから
トラクター耕耘を頼んで、オペレーターに1日やってもらえば
土地の条件にもよるけど
たぶん15万ルピア以内だろうか。
これで燃料代も入っていれば良心的???

ということで、元手は3135万ルピア必要ってわけね。
まぁ、これくらいなら、彼らの貯金と
僕らが運営している「耕志の会」で出資できないお金じゃない。
ちなみに肥料はうちで勉強したのだから
当然堆肥を自分で作るということで、省こう。

ヤシは、1本の木から1か月に10個以上取れる(品種によっては30個ほど)。
ということで、4年後には
40本×10個の実×売値3000ルピア×12か月で
年間1440万ルピアの売り上げだって。
本当!????
ちょっと儲かりすぎじゃない???
まぁ、収穫人への手間賃の支払いや管理費など
もう少しかかるけど、植え付けの7年後からは
元手も回収できて、さらに利益を生み出し続ける
金の卵になるわけね。
ちなみにヤシの木は20年以上収穫可能。
ただ高くなりすぎて、収穫の手間賃が高くつくので
ある程度高くなると植え替える。

仕事の手間を考えると
結構おいしい仕事じゃなかろうか。
ただ、そんなにうまくいかないのがインドネシアだけどね。

10aもの大量のヤシの実をどうさばくかも課題。
たとえ水の代わりに飲むと言っても、
消費にも限度がある。
どう売りぬくかを考えておかないと、ちょっと辛い数字かも。
タタンは、
「たくさん作りません」と相変わらず謙虚に話していたけど、
どうせなら、上手いこと売れるような方策を考えようじゃないか。
みんなで議論していて、いろんな案が出た。
「ヤシの実のジュースを売る移動販売押し車(kaki lima)の胴元になる」
「自分でレストランをやって売る」
などが主な案としてでた。
胴元になる、は簡単にはいかないだろうけど
(それにちょっとその商売はあこぎ)
レストラン経営も、ちょっと大変そうかな。
ただ、みんな曰く、大量にヤシの実があるのなら、
そのレストランは、水の代わりにタダでヤシの実をつけたら
お客がたくさん来るのでは?という案もあった。
確かに。
ランチセットに、ヤシの実のジュースをタダでつけたら
みんな来るかもね。
実際タダで提供するかどうかは別として
割増感のない形でお客さんに提供できると
それはそれで面白いかもね。
しかも、自社農場直送っていう戦略もいけてるし。

夢物語みたいだけど、
そんな議論をまじめにやるのが楽しい。
その中で、何か一つ、真になるんじゃないかって
感じる瞬間もみんなで共有している。
だから、彼らの夢は尽きない。

タタン君の帰国後の目標は、バニラ栽培。
良質のバニラを栽培したいと彼は常々話してくれている。
自己学習も進んでいるようで、
月間レポートにも、バニラの苗づくりについて
詳しく記述をしてくれた。

今月は、バニラの味の違いをジェラート屋のカルナで
見学&体験させてもらった。
とてもいい刺激になったようで、
短く揃ったものがどうして高価なのか、
そういう新たな疑問を得ることができた。
その疑問に僕自身が答えることはできないが
寄り添うことはできる。
一緒に彼の見るバニラの夢に
付き合っていこうと思っている。

さて、月間レポートでは、今月の目標に
「バニラの食べる以外の利用法の研究」とあった。
彼曰く、日本ではあらゆるところに
バニラのにおいのするものがあるという。
香水だったり、リラクゼーションに使う香料だったり。
僕がある起業家とお付き合いがあるのも
どうやらきっかけになっている様子。
その起業家は、塩にハーブを混ぜて
入浴用やエステ用の塩を作っている。
そしてそのハーブを僕が生産を請け負っているのだが、
どうもタタンもその道でのバニラの使い道に
少し気が付いたようだ。

さて、今月の彼の研究はどこまで進むのだろうか。
来月に提出される月間レポートが楽しみである。

タタン君の帰国後の夢、
それはバニラ栽培。
というのは、以前にも書いた通り。

だが、どういうバニラが現場で高く評価されているかどうかは
よくわかっていない(僕も含めて)。

ならば、実際に使っている職人に
その評価を聞こうじゃないか。
ということで、
三国にあるジェラートの店、「カルナ」に突撃!
店長のヤマトは、
自分たちが何者でもなかったころに
ベトナムで一緒に途方に暮れた仲間。


カルナ見学

お邪魔しまーす。

カルナ見学 バニラ比較

さっそく
バニラを見学。
2種類のマダガスカルのバニラを見せてもらったのだが、
予想に反して、短いものの方が
高いことが分かった。

バニラエッセンスと2種類のバニラで作った
プリンの試食まで用意してくれて、
それぞれの味の違いも確認。

シュークリームの作り方まで
見せてもらって(&試食つき♡)、
研修生もホクホク。

カルナ見学 アイス

最後はジェラートを堪能して
見学終了。
ヤマトへ、忙しい中、受け入れてくれて
本当にありがとう。
研修生にはとても良い刺激になりました。

帰りに車の中で、
バニラの話題になる。
タタン君曰く、
短い方が高いのであれば、すべての花に受粉をさせれば
短く揃う、とのこと。

あちらで普及員をしてたクスワントも
それに同調し、
彼がしてきた指導では、品質向上のために
すべての花に受粉をさせないものだった。
インドネシア国内市場では、長い方が評価が高いのだとか。
なぜ短い方が高く流通しているのかはなぞだが、
カルナで見た感じでは、
短い方が、ビーンズのきめが揃っていたようにも見えた。
品種等の検討もあるかもしれないが
短いものの方が、品質が揃いやすいのだとしたら
栽培法を変えて、それに合わせればよい。

それとやはり価格。
インドネシアでは、農家の販売価格が
1キロ900円程度。
それがカルナで見せてもらったものは
1キロ18000円。
どこをどう流通すれば、そんな値段になるのだろうか。
まったく、どこの世界でも
農家は儲からないようにできている。
ただ、途上国と呼ばれる国々では
それが一層顕著なのが、同じ農民として腹が立つ。

さて、
インドネシアの場合、バニラは
農家が乾燥まで請け負うので、
そこで品質にばらつきが出るのかもしれない。
ばらつきの出ない乾燥法さえあれば
(もしくは機械乾燥か?)
マダガスカル産とも競争可能だろうか。

フリートレードなんてことが
もてはやされる時代になり、
少々辟易していたのだが、
やはりFTAのFは
フリーじゃなくて
フェアーで行きたい。
僕らのつながりが、どこまで発展できるかは
わからないけど、
バニラの夢が少し膨らんだ
そんな見学になった。





新学期が始まり、昼休みのほとんどが
授業にとられるようになってきた。
ちょっと疲れがたまってきたかなぁ。

さて、今回は月間レポートのディスカッション。
研修生は1年生から3年生まで、毎月、
月間レポートを書いてもらっている。(詳しくはこちら)
それについて、いろいろと議論をするのだが、
今回は、2年生のタタン君を取り上げてみよう。

彼のレポートは理路整然。
箇条書きで、文章が簡素かつ難しい単語を使わず、
要点のみを書き、
プレゼンでもあまり余計なことを言わず、
話もまとまっている。
彼のレポートとプレゼン態度は、僕の好み。
そんな彼だが、今日のレポートでは精彩を欠いていた。

月間レポートでは、
帰国後の営農について具体的に書いてもらっている。
インドネシアの子に限らず、どこでも同じかもしれないが、
少し先の将来についてのビジョンについて書け、というと
大抵が、とても曖昧な書き方をする。
僕はそれが嫌いだし、あまり意味のない作業だと思っている。
インドネシアの研修生で、これまで多かったのが
『農園たやで学んだことをもとに、地元のポテンシャルを活かして、地域の農業発展に貢献したい』
というもの。
非の打ちどころがないように見えるが
その実、中身のない文章。
具体的に考えていない証拠。
4月に来たクスワント君は、さっそく上記のように書いてきて
僕から指導を受けた。
だが、2年生のタタン君は違っていた。
1年生の時に、散々、指摘され続けてきたので、
さすがにタタン君の将来のビジョンは
具体的だった。

彼は、いろいろと考えた結果、
バニラの栽培を目指そうと最近は考えているようだ。
『帰国後は、バニラの栽培に力を入れたいです』
と力強く話してくれる。
うむ、具体的でよろしい。
だが、すこし疑問もある。
ここでの研修では、バニラ栽培の方法は教えられないのだ。
そもそも、僕もバニラ栽培をしたことはない。
それを問うと、
『バニラ栽培は、帰国後に勉強します』と
またまた力強く話してくれた。
うん、そうだね、と言いそうになるのをぐっと我慢して、
それじゃ、ここで勉強する意味は?と問うと、
彼も困ってしまった。

当然、栽培学的な基礎や有機農業や持続可能な農業のコアな部分を
共有する意味で、ここでの研修が無意味だとは
僕も彼も思っていない。
でも、月間レポートの将来のビジョンと
ここでの学習の意味を見いだせなければ、
自己学習の目標を見失いかねない。
(研修生各自が、将来のビジョンを実現させるために、その月々に自己学習の目標を設定して、自分でも学習してもらっている。毎月、その成果も月間レポートで発表してもらっているのは余談)。

だから彼の今月の自己学習のターゲットは
『バニラの栽培法をインターネットで調べる。』のみだった。
それも大事なのだが、もう少し何かあるだろう。

僕は彼に聞いた。
バニラは、誰に売るの?と。
すると彼は、『中国人の商人に』と答えてくれた。
華僑の集荷商人がいるらしく、
その人ならば、なんでも買ってくれるのだとか。
じゃあ、そのバニラは、
どこでどうやって使われるのか知っている?と問うと
『あまり知らない』とのこと。
バニラという植物がどういうものかを彼は知っているが、
どのような現場でどのように使用しているかは
彼はよく知らなかった。

日本では良質のバニラはとても高価だ。
ほとんどがバニラエッセンスを使用し、
本物のバニラは使いたくても使えない場合が多い。
どんなふうに食べたり、料理に利用しているかを
知らずに、それを生産するのは、
僕らの業界じゃ、当たり前の話なのかもしれないが、
少なくとも僕の場合、
それはとてもナンセンス。

『食べる』ことまで包括的に考えて
そこまでを視野に入れながら、生産と販売を行ってこそ
僕は本当の『考える農民』と言えるんじゃないかと
思っている。
少なくとも、僕の研修を受けた子は、当然のように
そう考えてほしい、と願っている。

さて、そんな話をしていたら、
『調理現場やお菓子にどう使われているかを調べてみます』
とタタン君。
なので、さっそく知り合いのジェラート屋さんに
連絡を取り、見学を頼むと、
快くOKしてくれた。持つべきものは、やはり朋だ。
タタン君、バニラについて、
パティシエの意見を存分に聞いて来ようじゃないか。


新たに1名のインドネシア研修生が来る。
名前は、タン君とでもしておこうか。
研修生は、毎年一人ずつ受け入れて、3人体制で考えていたので
これで揃ったわけだ。
新しく来た子は、2008年に来たH君の同級生。

インドネシア・スメダン県にある西ジャワ州でNo1の農業高校である
タンジュンサリ農業高校との提携で
卒業生を対象に行っているこの農業研修。
なので、同級生が来ることもある。
高校時代はH君とは同じクラスで、とても仲が良かったという。
イル君もよく知っているようで、
二人とも嬉しそうにしていた。

さて、タン君。
これから研修に入るわけだが、
彼の住んでいる地域や社会のポテンシャルを知っておく必要があるので
僕の大学院時代の親友A女史(大学講師)に
農村調査を行ってもらっていた。
報告書は、いつものことなのだが、70ページもある分厚いものを
送って来たので、辞書を片手に読む。

これまでの二人(H君・イル君)に比べて
タン君は裕福な家に生まれたといえよう。
いや、その表現はいささか誤解があるか。
正確に書けば、あまり裕福ではなかったのだが、
両親の頑張りで、いまはずいぶんと余裕のある暮らしをしている中で
タン君は育った、というのが妥当か。
基本的な社会的インフラも整った地域で、
その点も他の二人と大きく異なる。
A女史からも
「これまでの二人と大きく違って、彼は大きな農業ビジネスも起こせるポテンシャルを持っている」
とメールで伝えられた。
市場が近く、そこへのアクセス(交通手段)も容易で、
さらに父親が農業をしながらも、
村内で農産物集荷の仕事や養殖、果樹園なども手掛け
資金的にも独立している。
もっともランディング可能な青年というわけだ。

H君は、インフラの不備で市場へのアクセスがやや困難で
イル君は、資本家の大規模お茶農園と
数人の資金貸付商人が村を牛耳っているため
生産構造に自由度が低い。
この二人に比べたら、タン君は恵まれている、というわけだ。

僕はA女史に農村調査を依頼するときにはいつも宿題をだしている。
それは、
君の目で見て、その地域の発展のカギは何か?
というもの。
A女史は、今回の報告書で、いくつか挙げてくれたのだが
僕の目にとまった言葉は
「ただ適作というわけではなく、広い意味で文化を作り上げてきた代々受け継いできた地元の農業の形を大切にすること」
だった。

A女史が送ってきてくれた詳細な報告書を元に
その文化を作り上げている農の形と地域発展をこれから彼らと共に
ここで考えていこうと思う。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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