彼が
「農業では、家族を養っていけない」
と結論に至ったのは、
彼が置かれた環境やそれに付帯する要因とも
強く関係する。

前回も書いたが、彼は妻の村に居を構えている。
そして研修で得た資金で21aの土地を新たに準備した。
(前回29aと記したが、21aの間違い:前回のエントリーも修正済み)
資金的には、これ以上の規模拡大は難しかったようだ。
なので、この21aからの生産物が彼の生計の支えになる。
限られた土地で、拡大が難しい場合、
生計戦略は2つ。
一つは、単位面積当たりの収量を増えるように工夫するか、
もう一つは、単位面積当たりの収入が増えるように
生産物の単価を高くするか、だろう。
当然、イルファンはこの二つの道で2年間トライしてきた。
14aの水田は比較的水が豊富にあるため、
それを活かしてコメを2期作行い(1月~3月&4月~7月)、
8月にこの地域の特産であるサツマイモを作付する(12月収穫)。
タイトな作付けカレンダーだが、
最近はハンドトラクターを所有する耕起代行業者がいて、
14aを15万ルピアで請け負ってくれるので、
ほとんど土地を休ませない年3回の作付けも可能になっている。
つまりイルファンは、もうこれ以上土地を利用できないほど、
耕作をおこなっている。

そして前回のエントリーでも書いたが、
キャベツのように高単価の作物もイルファンは挑戦していた。
たぶん彼の希望の星は、ここにあったように思える。
既存の作物ではないものを
既存の流通とは違った方法で販売して、
今までにない高単価を実現できるんじゃないか、
そう彼が考えたのも無理はないだろう。
事実、僕は自身の事例を使って、
研修中に彼らにそれを叩き込んできたのだから。
しかし、それはどんな条件下でも成立しうるものではない。
可能性がないわけではないと、僕はまだ信じているが、
結婚して子供が生まれて、
すぐにでも一家を支えなければならない、と
イルファンらしい真面目な考えの下では、
それにちんたらと時間を費やすことはなかったのだろう。
だから、2013年のときも今回も彼は、
「一人で栽培からマーケティングは無理で、数人集まってやるのならできると思います」とそれがその問題解決の本質的な答えかどうかは別として、
彼が置かれた立場での行動の限界を
彼が語る背景になっているのだろう。

さて、
2つの生計戦略にかなり力を入れても、
彼の売り上げ(粗収入)は
年間600万ルピア(6万円)にしかならなかった。
限られた土地で収入を増やす努力は、
うまく実らなかった。
その間、栽培が失敗して収量が悪かったわけでもない。
その反対に、彼の果樹園で栽培している丁子は
2013年の収穫期(8月)の価格は高騰して
前年よりも倍の値段(1㎏15万ルピア)で取引されていた。
だから、昨年の売り上げは例年よりも
良かったと評価しないといけない状況だった。

では、そもそもなぜ21aしか土地が手に入らないのか?
その部分の要因を考えてみよう。
単位面積当たりの収入向上を精一杯やってもだめなら、
単純に考えて、耕作面積を増やすのが手っ取り早い。
だが、ここには大きな要因が彼の前に立ちはだかっていた。
まず、前々回のエントリーで記したように、
この地域には今、高速道路が建設中で、
それによって土地売買が過熱している。
高速道路ができることによってバンドゥン市内への
アクセスが良くなり、ベッドタウン化への期待が高くなり、
多くの投資家が土地を買い漁っているのだ。
また高速道路建設で俄かに成金になった付近住民も
そのお金をさらに土地に投資し、
高速とは全く関係のない土地でも、
その価格は3倍以上値上がりしている。
資金の乏しいイルファンでは、
急騰し続ける農地を買うだけの競争力がないのだ。

そしてもう一つは、研修生特有の問題でもある。
それは、なぜ彼は資金に乏しいのだろうか?
の問いの中に答えはある。
これまで研修生へのヒアリングで
日本でいくら資金を貯められるか調査してきている。
日々の生活費(家賃・光熱費・携帯電話代・食費・衣料費・交際費など)を
差し引いて、さらにあまり必要でないけど
買ってしまう電気製品代を差し引くと、
3年間で150万円以上のお金を貯めることが可能だ
(最大で200万くらいは可能)。
これくらいの資金があれば、
高速道路で高騰する前(イルファンが土地を買ったころの価格)ならば、
ちょっと乱暴だが1ha以上の農地は買える計算になる
(200万貯めれば1.5haも夢じゃない!?)。
ではなぜ彼の土地は21aなのか。
それは、親や親族への送金があるからである。
日本で研修(働く)することは、それ自体、
成功者と見なされる。
こうした言説は、住民へのインタビューの中でそこかしこに
見て取れる。
実は成功でもなんでもなく、
やや自虐的に言えば、南北問題の経済格差に乗っかった
一時的に生まれるドリームにしか過ぎない。
僕はそれを自分の中に飲み込んで、
それでもその格差で手に入れた資金で
営農基盤を準備できれば(農地を買うなど)、
あるいは篤農としてランディングできるのではないか、と
他人と家族を巻き込んで実験中なのは、余談。

資金を営農基盤につぎ込まず、
家族の生活費に使ってしまえば、当然、
研修が終わると同時に、その豪華な生活は終わり、
また以前と同じ生活が続くことになる。
だから、研修生たちには月間レポートなどで営農計画と
帰国後の夢を具体化させて、
貯めたお金が浪費されないような工夫を行っているのだが、
親との関係は個人的な問題も多く、
そこまで踏み込めていなかった。
事実、技能実習生制度では、研修受け入れ元が
研修生の預貯金を管理していたケースが
それを反対する団体から格好の標的にされることもあり、
僕自身それには触れないでおこうとしてきた。
その結果、イルファンの本人談で、
約75%のお金を親の生活費で費やしてしまったという。
その数字はやや感情的なものかもしれないが、
多くのお金を親の豪華な生活につかってしまったのは
事実だろう。
研修が終了した現在も、親からの無心は止まらず、
やや辟易したように答えていたのが印象に残っている。

こうして規模拡大への道は、高速道路と親族の無心によって
その可能性が絶たれてしまった。
インタビュー中、彼の感情が最高潮になった時に、
「これから徹さんは他の二人のところへも調査に行くと思います。たぶんみんな同じ状況です。農家はみんなそんなくらいしか儲けられないんです。年に600万ルピアでは暮らしていけないんです。どんなに頑張っても無理なんです」と
僕に言ったその言葉が、今でも僕の中でこだましている。

彼は2013年12月に契約公務員試験に合格した。
給与はいろんな役料がついて月220万ルピアだ。
彼は、
「これで僕らは、aman(安全)になった」といった。
定期的で高く安定した収入が彼の余裕にもなっている。
だが、その収入を得るために得た仕事は、
彼が愛する家族から遠く離れた任地で、
週末以外は家族に会えない単身赴任の生活が始まっていた。
営農に対する情熱は、冷めたわけではなく、
逆に彼は、
「これで給与を貯めて土地を買って増やせます」と
語っていた。
スンダ民族的な粗放栽培な果樹園の場合、
手入れはあまり必要なく、収穫期だけ手間をかければ
それなりに収入も得られるため、
この方向で投資をしようと考えているようだった。
イルファンの生計戦略は公務員給与によって、
大きく様変わりしたといえよう。

日本で学んだ技術(総合防除)が活きているのも
僕としてはうれしかった。
こういう道で研修卒業生が人生を切り開くこともあるのなら、
ここでの研修では公務員試験向けの技術的な部分を
フォローしていくのも今後の可能性の一つだろう。

イルファンとの熱い議論を交わした翌朝、
たぶんみんな同じ状況です、と言った彼の言葉を胸に
僕は次の訪問地・タタンの村を目指した。



イルファンは、妻の実家のある村で暮らしている。
スメダン県ランチャカロン郡にある村で、
山間の村だ。
だからといって、のどかではなく、
人口密集地でもあり、所狭しと家が建っている。
一見したところ、森が広がっているように見えても、
そのほとんどは住民たちが管理する果樹園だったりもする。
棚田が広がり、すこしの隙間も逃さず
耕作しつくしている、そんな印象を受ける山村だ。
山村と言っても、村の中に主要幹線道路が走り、
その道沿いには商店が立ち並ぶ
けっこう開けた村でもある。
都会へのアクセスもよく、
ベッドタウン化しつつある。
そんな地域ならではの営農の苦労が
イルファンにはあった。
帰国後、彼がどんな営農をしようとしていたかは、
前回の訪問(2013年)のエントリーにも記してあるので、
まずこちらを参照していただきたい。

さて、
結論から言えば、
彼は契約公務員になっていた。
2013年に行われた
西ジャワ州の農業普及員(THL-POPT-PHP)の
採用試験に挑戦し、
みごと10倍以上の難関をくぐり抜けて
契約の公務員になっていた。
この役職は、主にフィールドで稲作や園芸分野において
自然環境に配慮した防除を農家グループに指導する仕事だそうだ。
彼自身、福井での研修中は、
総合防除(IPM)の研究を行い、
3年生の成果発表ではハダニの天敵防除の
道筋を実践的に示してくれた。
そういう意味では、普及員として
フィールドで農家と一緒になって
総合防除について学びあう今のポジションは
彼にもっとも向いているようにも思う。

さて、では彼はなぜ公務員を目指したのだろうか?
それにはこれまでの営農と彼のおかれた環境に
そのプロセスがある。

2013年の訪問エントリーを参照してほしいのだが、
彼は帰国後すぐに結婚している。
そして彼の妻の実家の近くに居を構え、
新しい生活を始めた。
実は、帰国前に彼は自分の地元に農地を買い求めていた。
帰国するまでは、地元でやっていこうという
ある程度の思いはあったのだろう。
だが帰国して、妻と結婚し、
そして妻の父が用意してくれた家やそこの土地柄、
彼の実家やその地域の事情もあり、
新しい生活は妻の実家であるランチャカロンで
スタートを切ることにした。
インドネシアでは、「家を継ぐ」といった意識が薄く、
特にスンダ民族では、末っ子が最後まで家に残るのが
慣習である(もしくは親の近くに住む)。
イルファン(ちなみに彼は4人兄弟の次男)は、
経済的に豊かな妻の実家の近くに住むことにしたという
至極インドネシアではまっとうな選択をした。

しかし、この慣習は時として難しい問題も起こす。
まずイルファンにとって何の基盤もない場所で
ゼロから営農をはじめないといけないということだった。
これもインドネシア的な感覚だが、
妻の父も副業的に営農をしているが、
その営農とは基本的に別経営体として運営するのが
通例である。
一家を構えれば、それぞれがそれぞれに
営農を行っていく。
もちろん親の手伝いはするし、
子供の畑を親が手伝うこともある。
だが日本のように「イエ」として婿や嫁が
その一家の営農に入ってくるといった感じとは
また別の感覚を僕は感じる。
収穫物や労働量は収穫物や金銭的に解決されることが多い。

つまりイルファンは、慣れない土地で
独立した経営体を確立しなければいけなかったのである。
彼はすでに帰国前に地元で土地を買っていたが、
それは父に預け、自分は新しいランチャカロン郡で
土地を買った。
水田が14a、そして果樹園が7aの計21a。
このあたり農家の平均所有の内が20数aなので、
標準の農家としてスタートした。
2013年に訪問した時は、
買った水田でキャベツを栽培していた。
そのキャベツは、総合防除を実践し
天敵に配慮した栽培だったが、収穫は安定しなかった。
何度かキャベツ栽培をためし、
その収穫物を新しい販路開拓のため
ブローカーには売らず、自ら市場にも運んだ。
だが、市場に店を構えている商店一軒一軒回ったが、
そこの商人からは、
「信用できない」と言われ、うまく販売ができなかった。
また商店一つ一つはとても小さく、
たとえキャベツを買ってくれても、その量はとても少なく、
その分一軒一軒回って交渉しなければならず、
たった8a分のキャベツであっても販売しつくすのは
かなり骨の折れる作業だった。
日本と違って、ローカルな市場は
小さな個人商店の集まりであって、
卸が競りを行うような場ではない。
八百屋ばかりが集まっている商店街だと思えば
あながち間違いではないだろう。
ブローカーは、大抵それらの商店をいくつも抱えているか、
さらに大きな市場にアクセスして、大量の野菜をさばいている。
個人の小さな農家が入っていく隙は、
ここには感じられない。
だが、僕らが日本で行っている営農スタイルから
マーケティングを考えると、
どうしても市場でニッチを見つける方に
考えが行くのも仕方がないだろう。
僕自身もそこにある程度の可能性があるんじゃないかと
これまで期待してきた向きはあるのだが、
今回の訪問でそこへの期待はさらに薄れた。
今後の研修の在り方にも大きく影響する事実であり、
やはり実践してみないとわからないことも多い。
ただ、まだ可能性については完全にはあきらめておらず、
もう少し違ったアプローチを誰かしてみないか、
とも思っているので、それは追々研修で彼らと議論しよう。

さてちょっと話がずれたが、
イルファンに戻そう。
彼は、自分一人では販売と栽培の両方は無理だと感じている。
現在研修中で、イルファンの同級生でしかも同じランチャカロン出身の
クスワントが4月に帰国するので、
2013年の訪問では、クスワントと一緒にマーケティングしたい、
と期待していたが、今回の訪問ではすでにそれへの期待も
ほとんどなかった。
彼は、数度にわたるキャベツの失敗で、
それはマーケティングと栽培の両方でだが、
新しい市場への期待感は
ほとんどなくしてしまったように見えた。

そして、昨年は周りの農家と同じように
特産のサツマイモを栽培し、ブローカーに販売した。
果樹園では丁子を栽培しているが、
昨年は値段が倍以上にあがり、その収入でやりくりをした。
その丁子も販売もブローカーだけで、
新しく市場を探すことはなかった。

そして帰国2年の苦悩と実践で彼はある結論を
導き出していた。
「農業では、家族を養っていけない」と。


研修2期生のイルファンとは、
直前まで正直、会うのは難しいと思っていた。
それは何度連絡を取っても、音信不通だったからだ。
ヘンドラや学校の先生にお願いをしても、
連絡先が特定できない。
半ば、あきらめていたが、
出発四日前になってようやく
連絡がきた。
日本から持ち帰った薄型ノートパソコンが、
すぐに壊れてしまったことや、
Facebookのアカウントがいつの間にかブロックされており、
アクセスできなかったためだったらしい。
また、彼自身、営農はしていたものの、
それは実家だけでなく、帰国後すぐに結婚した相手の村でも
耕作していたため、連絡場所がなかなか特定できなかったことも
連絡がつかなかった理由の一つになっていた。
とにもかくにもイルファンには会えることになった。
よかった。

2012年4月に帰国した彼は、
すぐに結婚をした。
高校から付き合っていた彼女で、同級生だったらしい。
彼の地元は、山岳地帯でお茶作りをしていたが、
彼の妻の実家は、水田地帯。
インドネシアでは、「イエ」が日本のようではない。
結婚しても、夫と妻のどちら方でも住む場所は
それぞれの両親の承諾があれば、選ぶことはできる。
イルファンは、妻の実家に住居をかまえ、
自分の地元と妻の地元の両方で営農していた。
今回の旅は、時間制限もあり、
さらに彼と連絡がついたのが出発四日前ということもあり、
妻の実家の圃場だけを見学した。
彼の実家は、今回拠点としたバンドンから
さらに車で3時間以上離れている山岳地域で、
そこまで行こうと思うと、
旅程をあと2日ほど増やさないといけない。
そういうこともあり、彼の地元見学は断念した。

彼は帰国後、すぐに土地を買っている。
もともと高校にも進学させられなかった
貧しい親元に生まれた彼には、
営農するだけの土地なんてなかった。
研修で得たほとんどの資金は、土地購入に充てられていた。
彼の地元と妻の地元は、バイクで飛ばしても4時間以上かかる道のり。
そんな間を行き来して栽培なんてできない。
彼の地元の畑は、父に給料を払い、
父が他の人を雇って営農しているとのことで、
直接、彼自身がマネジメントしているわけではなさそうだった。
ということで、妻の地元が彼のメインフィールドということになる。

P1040534.jpg


妻の地元で彼は、良田を7a買い、山肌の畑も7a買った。
畑では、香辛料の丁子の木を植え、
そして田んぼでは、高く取引される
その地方の特産のサツマイモと
その地域ではまだ誰も
チャレンジしていないというキャベツを植えていた。
道沿いの良田での野菜栽培は、
周り中が稲作をしている中に、ぽつんと違和感を生み出しており、
それを眺めているだけで、僕には心地よかった。

彼は、農園での卒業研究で、
ダニの総合防除を研究していた。
化学合成農薬だけに頼らない防除法を勉強していたのだが、
その経験は、キャベツづくりの中にも活かされていた。
「ここの地域は結構暑いので、キャベツの害虫が多いです。だから、多くの人が無理だって思っているようですが、僕は総合防除を活かして、農薬だけでは防げなかった防除法を作って、この地域でもキャベツを作りたいです」と熱いまなざしのイルファン。
ヘンドラと違って、車も入りやすく、
また市場も近い。
立地もよく、またいい具合に地域の人たちの
「キャベツは無理」という常識を彼自身も感じ取っていた。
確かに無理かもしれないが、
今はライバルが居ない状況ともいえる。
総合防除を勉強したイルファンなら、
あるいはその無理を超えられるかもしれない。
何より、皆が無理と思っている事や、
誰も成功していないことに挑戦しているのが
僕には小気味よかった。

彼は、キャベツの生物的防除として、
使用農薬をバチルス・チューリンゲンシスという
細菌を主体とした薬剤のみで防除をしていた。
日本では一般的な薬剤だが、
インドネシアでもその薬剤を探し出し使用していた。
「他の化学合成農薬に比べると高いのですが、天敵を殺さない防除をしたいので、これを使っています」と彼。
同行したタンジュンサリ農業高校の校長や先生にも、
その薬剤や総合防除の考え方を披露して、
好評を得ていた。

P1040541.jpg


基肥は堆肥を使い、
生物的防除を行う彼。
エコシステムに寄り添って、常識を打ち破ろうとする姿に
僕は目頭が熱くなった。
彼の語る一言一言の中すべてに
彼と一緒に学び歩んだ自分の言葉が
見え隠れする。
これだから、「研修」はやめられない。

彼が課題に挙げていたのは生産ではなく、
マーケティングだった。
「自分が生産に集中すると、どうしてもマーケティングがおろそかになるんです。マーケティングありきでも、生産が出来るかどうかわからないので上手くいかないし。だから、気持ちが同じのパートナーが必要だと思います。生産とマーケティングを分担して同じ気持ちで出来る仲間が必要なんです」と彼。
彼もまた、パートナーを必要としていた。
今、研修中のクスワントは、
イルファンの妻とは又いとこの関係で、
出身地域も同じだという。
「クスワントが戻ってきたら、ぜひ一緒にやりたい」と
彼は期待を寄せていた。

雇人ならば、給料を払えば誰かは来る。
だが、給料分働くという労使のそういう関係では、
今の彼らが取り組んでいる課題は解決できない。
同じ目線で、同じ目的で、そして高いモティベーションで、
課題と成果を共有しうる仲間、
それが彼らにも必要だったのだ。
そして、面白いことに、
今の僕の周りの農業の環境でも、
同じ問題にぶつかっているケースが多い。
まさに地域開発において、
その現場レベルでは同時代的かつ共通問題なんだろう。
この考察は、また詳しく別のエントリーでやりたい。

僕がイルファンと一緒に畑に行っている間、
僕の妻がイルファンの妻に、インタビューをしていた。
研修に行く前と帰ってきてからでは、
彼のどこが変わったか、と。
イルファンの妻は、
「彼はドラスティスに変わったわ。すっごく賢くなった。」
と答えたそうだ。
イルファンの妻は、高校時代の同級生。
彼がどう駄目だったかを知り尽くしている
彼女のこういう評価は嬉しい。
僕の研修の主眼は、考える農民を育てることで、
彼はまさに自分で考え、行動を起こせる農民になっていた。

彼の取り組みは
まだまだ成功とは呼べないかもしれないが、
自分自身で課題を見つけ解決していけるだろう。
輸送面では、ヘンドラよりも有利で
車両も比較的楽に出入りが出来る。
パートナーを見つけ、販売にも力を入れられれば、
無理だと思っていた品目が新しい地域の顔となる日も
近いのではないか、と感じさせられた
イルファンの畑だった。

つづく

P1020906.jpg


2009年に来日した
農園たや農業研修プログラム第2期生の
イルファン君が、帰国した。

この3年間、
彼は素晴らしい成長を見せた。
人が、ここまで自主的に育っていくケースを見る機会は、
なかなか無い。
帰国後にやりたいと思い続けていた農業を
見据えながらの研修は、
人を大きく育てる。

自己研究では、帰国後に有利に販売できる
パプリカの栽培を想定し、
その主害虫であるハダニの生態に迫った。
学術的にも学び、
フィールドでも天敵がハダニを捕食する姿を
ビデオにとらえた。
日本語の理解力もつき、
卒業発表会の日本語プレゼンも素晴らしかった。

その彼が、日本を発った。
帰国後は、国有地と行政から使用制限を受ける山間の畑の間に
ほんの少し点在する私有地を買い集め、
そこで野菜栽培にチャレンジしたいと話してくれた。
資金も十分に準備できた。
販路も、月間レポートで課題にしていた流通面で、
すでに叔父が経営する商店を通じて
市場出荷することを確約済みである。

でも、さらに彼は言う。
「スタートとして叔父の力は必要ですが、ゆくゆくは自分で販路を広げていくつもりです。農家が生産だけで終わってしまってはダメだってここで学びました。だから、販売に力を入れて、グループも作って、野菜で有名な産地づくりを目指します」と。

ここから先、僕が彼にできることは少ない。
支援団体を立ち上げて、
資金面でマイクロクレジットを、
そして技術面でWebを通じた営農相談を
出来る体制を作っているが、そんなものはどうしても限定的だ。
後は、彼が、
ここで学んだ3年間の経験と学問で
乗り切っていくしかない。

夢物語のような彼の話を
僕はバカにはしない。
なぜなら、ここで見せたような成長を
彼が今後も遂げていけるのであれば、
それはまったく夢物語ではないからだ。

期待しているよ、イルファン。

P1020245.jpg

僕の農園で行っている
インドネシア農業研修では、3年生は卒業研究をし、
それを日本語で発表する機会を設けている。

今年も昨年同様、
福井農林高校の課題研究発表会の場を借りて、
今年3年生のイルファン君が発表した。

表題は、「ハダニの研究」。

イルファンの村は標高が高い。
お茶の一大生産地で、村人のほとんどが、
お茶農園とその加工場で働く。
働くのは朝7時から昼2時まで。
工場の賃金は安いので、生活は苦しい。
だから、工場が終わる2時以降は、
農民は自分の畑で精を出す。
良く作るのは、トウガラシ。
この収入が、家族を養う。

しかし、そのトウガラシは、ハダニの害がとてもひどい。
だから彼は、研修3年目の課題として、
農薬に頼らないハダニの防除法の勉強をしていた。

僕から見ても、彼はこの1年よくやった。
難しい日本語の文献を読み、
圃場では、我慢強く観察を続け、
天敵がハダニを捕殺するところを
ビデオにとらえることに成功した。

これまで幾人もの急成長を見てきたが、
イルファンのこの1年は、まさにそれだった。

目的意識を強く持ち、
飽くなき探究心にあふれ、
着実に実行する誠実さも備えていた。
彼の実験は必ずしもすべてが成功したわけじゃないが、
ハダニに関して、彼の理解は確実に深まった。

そして、今日のこの発表。
外国語(日本語)での発表は、ずいぶんと大変だったろう。
練習を始めたころは、さんざん発音を間違えて、
原稿を知っている僕でさえ、
彼が何を言っているのかわからないほどだった。
だが、今日はとても堂々と、そして正確に発表していた。
ただ圃場(ほじょう)を「ほぞう」と言ったり、
「ほうじょう」や「ぼじょう」と言ってしまったのは、
まぁ、愛嬌だろう。

今日は、本当に良く頑張ったね。

人は、急激に成長する時期がある。
それは研修3年生のイルファン。
ここ最近、彼の学力・実技ともに急成長を見せている。

研修3年生は、卒業研究を行うことになっており、
イルファンは、ハダニの天敵防除をテーマに選んでいた。
薬物に頼らない、環境に配慮した防除で、
かつ抵抗性が生まれにくく、リサージェンスを起こしにくい、
そんな防除法を彼は模索している。
試験栽培では、パプリカを使用し、
そこにつくハダニを、
薬剤防除・天敵防除・無処理の3区に分けて
比較検討するというもの。
5月から栽培が開始され、ぼつぼつとだが
試験栽培のパプリカも収穫され始めた。
それはもう立派なパプリカ。
どの試験区のパプリカも大きくて美味しそうで、
近年、まれにみる出来で、
栽培は大成功といっても良いだろう。
だが、彼が目的としている防除の試験としてしては
そう、今のところ、上手くいっていない。

なぜかって?
そりゃぁ、ハダニが発生しないし、そのほかの病気や害虫も出ない。
害虫が出なきゃ、防除することもないので
薬剤処理区・天敵処理区・無処理区の意味もない。
当初から懸念があったと言えば、あったのだが、
ここ数年、露地パプリカは病害虫の宝庫だったので
今年もたぶん大丈夫だろうと思っていたのだが、
イルファンの世話が良いからなのか、
今年はハダニが出ない。

どうしようかと頭を悩ませていたのだが、
偶然、僕が管理しているフルーツホオズキに
ハダニが着いた。
今年、フルーツホオズキは
薬剤処理をせず、天敵による防除を試みていたので、
それをイルファンに伝えると
彼は、渡りに船とばかりに、さっそく観察を始めた。

初め、彼は大量に発生しているハダニすら
観察できなかった。
どの食害の痕がハダニなのかも知らなかった。
僕は忙しすぎて、いちいちこの食害がハダニだとか
この昆虫がハダニだとか、は教えている暇がない。
ただ考えたり探したりする種は準備してある。
害虫と天敵の図鑑を彼らに渡してあるし、
インターネットで検索すれば、
ある程度わかることも、授業の宿題を通して訓練済みだ。

それから彼は、自己学習を進め
観察を続けた。
僕から特にアドバイスはしなかった。
そして先日、月間レポートの中で、卒業研究の進捗について
報告してくれた。
何とその中で彼は、ハダニの天敵であるチリカブリダニが
ハダニの一種を捕食するところを動画に収めることに成功したことを
発表してくれた。
それは、
天敵と害虫の基礎学力をしっかりとつけた上で
顕微鏡機能付きのカメラを購入し、
我慢強く観察を続けないとできないことなのだ。
その動画は、僕らが運営する研修生を支援する団体の
Facebookページで紹介しているので、興味のある方はどうぞ。

さらに今後の展望として、
チリカブリダニが圃場内で増えるような仕掛けについて
調べるために、チリカブリダニの生態について
研究すると発表してくれた。
日本語の文献で、少し言葉が難しいのだが、
良い資料があり、以前に彼にそれを渡していたものがあったのだが、
すでにその資料を読み始めていて、お盆明けの金曜日に
その一部のプレゼンをしてくれることになった。

僕は何か彼に教えた記憶はほとんどない。
そもそも僕自身の中に、彼らに教えられるモノなんて
ほとんどないのだ。
ただ、彼らが興味をおぼえるものに
ほんの少し手助けをすることはできる。
しかし、その手法自体が、彼らにとってハードルが高いせいもあるのか、
なかなかぐっと伸びるところを見せてはくれないのだが、
イルファンはここにきて
一気に加速しているように見える。

こういうことがあるから
僕は、どんなに仕事が忙しくても
彼らと一緒に考えようって思えてくる。


来年、研修3年生になるイルファン君。
今、来年の課題研究(卒業研究)に向けて
プロポーサル作りに励んでもらっている。

1年先輩のヘンドラ君は、昨年、有機肥料の有効性を
実証実験し、福井農林高校の課題研究発表会で
日本語プレゼンもした。
さて、イルファン君は課題を何に設定するのだろうか。

今年に入ってから、実は、
すでに3度プロポーサルを提出してもらっている。
初めは、「パプリカの有機栽培」という話だったのだが、
妻から教えてもらった事実確認という手法を取り入れて
彼の事実確認を進めてみると
いろいろなことが見えてきた。

パプリカは、彼の地元で栽培が盛んというよりは、
彼が今後、この作物に期待するところが大きい。
バンドゥン近郊で、パプリカ栽培の熱があるらしく
2009年の12月に、スメダンを訪問した時に、
あちらの高校の先生や普及員が
口をそろえて「パプリカ」と言っていたのを思い出す。
さて、そのパプリカ。
有機栽培しても、市場で得られるインセンティブは
ほとんどない(らしい)。
有機農産物の取扱量が少ないこと、
それを購入したいと思っている消費者層が
まだ潜在的にしか存在しないこと、などが考えられる。
それにこれが一番大きな理由なのだが、
イルファン君の地域は、市場から非常に遠い。
そのため、運搬を兼ねた買い取り商人の存在が強く、
ほとんどの農産物は、買い取り商人に売らなければいけない構造が
資金の貸し借りからも明らかなのだ。
その買い取り商人が、有機農産物を
積極的に高値で買ってくれない限り、
彼にとって、有機農業自体、あまり魅力はない。
その辺りの事は、ヘンドラ君とは、同じ西ジャワ地域でも
大きく事情が異なるのである。

イルファン君から事実確認という方法で話を聞いていくと
どうやらパプリカの品質向上がポイントらしい。
それもダニの防除。
彼の地元では、トウガラシの栽培が盛んで
そのトウガラシにつくダニの防除に苦慮しているのだとか。
そして同じ科であるパプリカも
そのダニの影響を受け、品質の良いものがとれにくいのだという。
彼の話によると
普及員の指導などで、いろんな農薬を使いすぎて
抵抗性が出ているのか、農薬があまり効かなくなっている
のだそうだ。

事実確認というのは、あくまでも「相手が認識している事実」
であるので、科学的に普遍的に正しい情報かどうかは
全く意味をなさない。
本当にダニに抵抗性がついているかどうかは
この場合、あまり重要でもない。
もしかすると、品質を貶めているのがダニではなく
他の害虫、もしくは病気かもしれないのだが
それもこの場合、意味はない。
ので、あしからず。

ということで、イルファン君の来年の課題は、
パプリカ栽培による
化学合成農薬に頼らないダニの防除
ということになった。
総合防除の考え方を取り入れて、
化学合成農薬もピンポイントで使用しつつ
抵抗性が生まれにくい、物理的な防除法の研究と
天敵利用をやっていこうとなった。

何をどう計測していけばいいのか、
そこに課題はあるが、
課題研究開始の4月まで、
その議論は進めていこうと思っている。
どうやら今年も忙しくなりそうだ。



インドネシア研修生への座学の話。

今年から来たイル君。
さっそく、何を学ぼうと思って来たのか、を先週の座学で話してもらった。
進んだ農業技術を学びたい、というのが
概ねのその内容だったのだが、
その中に、一つ、水耕栽培が入っていた。

僕の圃場では水耕栽培は実践していない。
水耕栽培を僕は否定するわけじゃないが、
現時点で僕自身はそれとは方向性がまるで違っている。
そこだけは解ってもらわないといけないので、
今週は水耕栽培と土耕について、座学を設けた。

農業は自然との格闘である。
ある特定の植物(動物)のみを繁栄させるように
人はあらゆる手段を駆使し、その特定の植物(動物)にとって
有益であるものであれば利用し
無益もしくは害をなすとなれば、徹底的にそれを排除しようと試みる。
そういった行為の連続が、農業だといえよう。
そういう意味で、土耕も水耕もスタート地点に変わりはない。
また自然をコントロール下に置こうという試みということでは
土耕も水耕もやはりその哲学に変わりはないだろう。

ただ、土はとてもやっかいなもので、
なかなか僕ら農民のコントロール下にはおくことが出来ない。
置くことができないならば、いっそそいつと手を切ってしまえ、と考えたのが
水耕栽培なのではないだろうかと愚考する。
肥料を大量に投入したり、土壌消毒をしたり、
虫や病気の嫌いな作物を輪作したり、休ませたり、と
なんだかんだと手を加えながら、土とのお付き合いを
不確実で不安定ながらも続けていくのが土耕なのだろうか。
まぁ、土耕といっても、薬剤(農薬・化学肥料)を大量に使用して、
徹底的に土をコントロール下に置こうという考えも、
現在の僕とは相容れない考え方なのだが。

自然と手を切ってしまうという思想が
ずーっと先まで行きついてしまったのが、
パソナなんかにみられる地下植物工場であろう。
二人のインドネシア研修生にはその写真も見せた。
お互い感嘆をあげ、他方はすごい技術であることを称賛し
他方は行き過ぎたその姿を見て、これはあるべき姿じゃないと言っていた。

研修生の二人は、
「水耕栽培の野菜は、価格が変動せず、いつも高く引き取られています。それに安定した収量が得られるので、導入できれば導入したいです」
とその理由を話してくれた。
かつて僕も経験したのだが、
一月の間に野菜価格が1/75にまで暴落する国なのだ。
そういった環境で農業をしているインドネシア農民にとっては、
暴落しない、安定した出荷と価格が、
僕ら日本の農民には測りえないほど魅力的なのだ。

だがそれは、農業技術で小手先に回避することなのだろうか。
と一瞬考えないでもないが、
政治的に市場的に解決することを待つだけでは
座して死を待つに等しい。
回避出来るすべとして、あらゆることに取り組む農民の行為そのものは
そもそも土耕であれ水耕であれ、
農業という、自然との格闘の中の行為の一つにすぎないのだろう。

そして僕は、そんな環境ではなく、
恵まれた国の、その中でも恵まれた土地で、
そして恵まれたポジションにいながら、
それでもなお、その農業の思想について語らねばならない。
僕の目指す農のかたちは、「多様性」なのだ。
ここで学ぶということは、研修生にはそれを感じ取ってほしいと願っている。

インドネシア研修生の二人目が来る。

一人目であるH君の一つ下の後輩で
H君とは、高校時代、寮で同室だった子である。
名前は「イル」君とでもしておこうか。

さてそのイル君。
どんな容姿なのかは、僕はインドネシアの農林高校から送られてきた履歴書で
だいたい分かっていたのだが、
農園のパートさんたちはそれを見ていないので、
気になっていたようだ。
以前からH君に
「イル君ってどんな感じの子?」
と皆で尋ねていた。

それに対し、H君の答えは大胆だった。
「イチローに似ています」。
H君は野球の野の字もしらずに来日したのだが
(インドネシアでは野球はマイナーなスポーツ)
毎日ニュースで映るイチローの顔だけは覚えたようで
イル君がイチローに似ていると放言していた。

そして今日。
イチロー・・・じゃなくて、イル君は来福したのである。
長旅の疲れと知らない国に来た緊張からだろうか
表情の少ない硬い面持ちだった。
皆、イチローに似ているかどうかを知りたくて見に来たのだが
「うーん、輪郭はなんとなく・・・」
「目もとが、イチローって言われればそうかなぁ・・」
といった感想だった。

なんて言われようと、H君には待ちに待った待望の相方なので
とてもうれしそうに、そして甲斐甲斐しくイル君の世話を早速していた。

イル君と少し話をしたが、
今回の研修応募では、やはり大学を中退したとのことだった。
親が死んでも帰らなかったり、
大学を中退してまで参加してきたり、
なかなかこちらもそれ相応の覚悟が必要な研修になってきたようだ。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
09 ≪│2017/10│≫ 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ