僕は海外での農村開発の経験を生かしながら、地元で地域を創り上げる農業をしています。5年前の31歳の時に就農し、年間50品目以上の野菜を生産し、ベビーリーフなどの西洋野菜や福井の伝統野菜などの品目を武器に、市場出荷だけではなく業者やレストランと直接取引しています。就農当時から雇用による経営を重視し、今ではインドネシアの研修生やセネガル人のスタッフも交え、10数名でにぎやかに農業をしています。

僕は農家の長男として生まれました。大学は農学部に進学し、在学中に国内外を問わず、様々な農家を訪ねて回りました。しかしそれは、実家の農業を継ぐためではなく、自分の夢であった青年海外協力隊に参加するためでした。家族の農業に対する労働の姿に尊敬はしつつも、土地に縛られ、つらい肉体労働が続く家業に、僕はあまり魅力を感じていませんでした。

大学卒業したその年に、僕は青年海外協力隊に参加し、インドネシアのスラウェシ島に派遣されました。その島のある田舎の県に配属され、貧困な地域の村おこしにつながる農業指導を担当することになりました。まずは商品作物の普及を支援することになりました。しかし活動は平坦な道のりではありませんでした。初めに着手した落花生栽培は、ほかの島の品種を「市場価格が高いから」という理由で、僕ら協力隊側が持ち込んだのですが、その土地ではうまく育ちませんでした。かかわった農家に損をさせる失敗をした僕は、やり方を変えました。農家を回り、話し合いを積み重ね、徹底的な農家目線から「何がやりたいのか」を探ることにしたのです。その結果、2年目は、地元でもつくられていた赤ワケギを栽培しました。赤ワケギは、人々が毎日食べる唐辛子ソースはじめ、なんの料理にでも使う野菜です。農家と一緒に研修参加、種子の買い付けからはじめた栽培は大成功しました。しかしその年、アカワケギの相場が大暴落し、栽培農家は痛手を負いました。当時インドネシアは経済危機の真っ只中で、IMFの提案による政府の一方的な農産物市場の自由化に翻弄されたのです。

この経験から、農家がその後、一つの品目に特化せず、リスク回避の栽培の多角化をはかっていく原動力となりました。僕が現在、多品目栽培をしているのもこの経験からです。2度の失敗を活かし、僕は農家と共に多種多様な野菜を栽培し、消費者と提携しながら直売などを行いました。そしてそれらの活動を通して、農家の収益を増やすことはできたのですが、他方では、野菜の行商は社会的地位の低い仕事、という現地の認識など、文化的な価値観の違いもあり、一筋縄ではいきませんでした。この経験から僕は、農業は個人的な栽培技術や経営として考えても、うまくいかないことを知らされました。それと同時に、海外での地域おこしの活動の魅力にも取りつかれました。海外で活躍できる人間になりたい、と思うようになったのです。

協力隊から帰国後、僕は再びインドネシアに行きました。インドネシアのボゴール農科大学大学院で学ぶためです。そこでは、農村社会学を専攻し、協力隊の時には出来なかった社会や文化から農業を見ることを学びました。それは、次の海外プロジェクトに参加するためでした。ですが、大学院の最後の課題である修士論文を書き上げる時、僕にある変化が生まれました。

修士論文の調査は、JICA(国際協力機構)がインドネシアで行っていた農村開発プロジェクトのある村で行いました。開発の政策や援助がどういった影響を及ぼしているのかを現地の住民目線で調べるのが目的でした。国家政策や海外からの大きな援助という影響を受けて、それらが主導で地域が変わっていくことを想像していたのですが、現実は違いました。住民はただ受身で流されているわけではなかったのです。たとえば簡易水道を設置する援助事業では、各家庭に水道を引くことで水汲み労力軽減を目的としていましたが、住民は水道をはずし、誰でもアクセスしやすく管理しやすい共同の水汲み場にするといった読み替えをしていました。また大豆栽培を奨励する政策では、大豆の種子をもらいつつも、近くの市場でより高く評価されるインゲン豆と種子を交換し栽培している風景もありました。そんな風にして、自分たちの地域を自分たちで作る姿がありました。こうした調査をしていて気がついたのですが、地域住民にとって、外からの援助や政策は、とても大きなインパクトです。でも、それを紡いで、自分たちの地域を創り上げてきたのは、そこに住む人々でした。調査のインタビューの時に、自分たちの地域の歩みを自慢げに語る農家の方々は、僕の目にはとても素敵に映りました。自分たちの地域を創り上げてきた自信と誇りを感じました。

そのことに気が付いた時、僕の生まれ育った福井にも目を向けてみると、やはり当然のことですが、僕の地元にも同じような人々の暮らしがあったのです。過酷な労働ばかりに見えていた農業と閉塞を感じていた地元の農村の風景が、実はまさに今、地域が創られようとしているダイナミックな場であることに気が付いたのです。僕も同じような農民として、地域を創り上げていく存在になりたい。そう思うようになり、地元に戻って農業を始めました。

地域を創り上げる、といっても、では創り上げる地域とは一体何でしょうか。主体ある地域を極めて鮮やかに表現するときに、「風土」という言葉を用いることがあります。風土とは、その地域の主体的な文化であり、社会であり、そこに暮らす人々の思想だと思います。「風土」とは風と土の文字から成っています。つまり風と土で出来上がっているのが、その地域の主体と言うわけです。土とは、地元の人間のこと。僕ら農民のことです。土地に根を張り生きている存在です。そして風は、よそ者。風が吹くように外部からやってきて、違った視点や考えでその地域に関わります。土だけでも、風だけでも風土は出来上がらない。この二つがあって、初めて風土が醸成されていきます。協力隊村の経験や大学院での調査からも言えるのですが、土である地元の人は、良く地元を知っているような気がしますが、長年住み慣れた地元を固定的に見る視点からは、新しい発想は余り生まれてきません。その反対に、その地域の常識にとらわれないよそ者は、全く新しい視点で、その地域を見るので、奇抜な発想が生まれることがあります。ただそれがそのまま地元に合うかどうかは、僕の協力隊の経験や海外援助の事例から見ても解る通り、かなり疑問もあります。地元の人間がそれを活かし、風と土の関係がうまく調和してはじめて、その地域の風土となるんだと思います。

地域を創り上げる農民になろうと決心してから、僕は自分の地域に風であるよそ者がたくさん来てくれるような場を作ろうと思っています。2002年から、福井農林高校とインドネシアの農業高校の交流の通訳兼コーディネーターをしています。2008年からは、そのインドネシアの農業高校から、卒業生を対象に農業研修生を受け入れています。現在3名のインドネシア農民子弟が、僕の農園で研修しています。この農業研修では、農業の近代化を追い求めるのではなく、僕の農業と研修生の地元の農業を比べながら、お互いがお互いから学べるような研修を目指しています。研修が3年目になる研修生には、自主研究を行ってもらっています。今年3年目の研修生は、僕が実践している堆肥にとても興味を示しており、彼は自主研究でもテーマを有機肥料に絞り、その成果を毎週のゼミを通して発表してもらっています。また研究圃場も準備し、実践的にも有機肥料について学んでもらっています。インドネシアの農村では、まだまだ化成肥料神話が根強く、そのためか土壌も疲弊しがちです。その状況に彼が新しい風となって、有機肥料の考えを広めてくれることを期待しています。

インドネシア研修生以外にも雇用をしています。青年海外協力隊つながりで、アフリカのセネガルの青年を僕の農園のスタッフとして雇用しています。さらに今年は、新規就農をしたいという日本人青年を3名受け入れています。いずれは彼らもこの地でそれぞれに独立し、一緒にこの地域を創り上げてくれる農家になってくれることを期待しています。そういった外から吹く風をこの地に埋め込んでいくことこそ、僕は地域を創り上げていくことだと思っています。

これらの風の効果は着実に目に見えてきています。僕が所属する4Hクラブでは、活動がマンネリ化し、今一つ活発に動いていませんでした。しかし、外部の人や研修生、そして僕自身が風となり関わることで、新しい活動を生みだしています。2008年に4Hクラブと保育園とで行った田んぼ体験の活動では、園児の父母や保育士が実行委員として参加する形で、できるだけ手作業での稲作に挑戦しました。収穫した米は、それぞれの集落の老農に教わりながら、昔に使われていた唐箕や千歯などの道具を使い、精米して食べる試みもしました。この活動は、4Hクラブの活動発表コンテストで発表したのですが、全国大会出場というおまけまでついてきました。それ以来、みんなで盛り上がりながら、農業体験の活動を行っています。こうした取り組みを通じて、一緒に地域を創り上げていける仲間が出来つつあります。

地域の農業発展の鍵は何なのか?そんな難しいことは解りませんが、これまでの経験から風であるよそ者と土である地元の人間が交差する『場』を作っていくことこそ大切なんだと思います。そしてその場を支えるはずの僕ら土の人間が、積極的に地域を創り上げていこうという想いが大切なんだと思います。そして、その風と土が交差する場とは、いろんな人々が訪れてくれる、また協働していける農業の現場なんだと思います。外から吹く風をいっぱいに受け止め、それを地元の風土として還元していける、そんな農民を目指して、僕は日々、土を耕し続けています。
あるきっかけあって、毎日農業記録賞に
作文を応募した。
福井の支局長が、その作文をいたく気に入ってくれて、
結果は、優良賞ということだったのだが、
福井面で全文を掲載してくれた。
全文の紹介は、全国で最優秀賞をとられた方の
作文が通常で、
優良賞に終わった僕の作文を全文載せることは、
破格の待遇と言っていいだろう。

取材に来た記者さんも
「前例のない試み」と言っていたように
4000字もある作文を、
1ページしかない福井面に掲載してくれた。
なので、
福井面のほとんどを僕の作文と記事で埋められていた。
それだけの期待に僕は応えられるかどうかわからないが
とにかく、ただただうれしかった。
良かったら、皆さんも
下のリンクから読んでください。

優良賞をとった作文の記事

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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