2月にあったJAの青年の主張。
そのお疲れ様会を開いてもらった。
あれから、一か月半が経ち、なぜ今頃?と
思われるかもしれないが、
インドネシア調査や確定申告等々があり、
延び延びになって、今日に至った。

あれだけ1番にこだわっていたのだが、
順位は、この際、どうでもいい。
今はそんな風に思える。
なぜなら、僕が発表をするという行為が
場を生み、そこに仲間が集ってくれたからだ。
良い発表だった、と声をかけてくれる人、
面白いこと考えているな、と興味を持ってくれた人、
飲み会が増えて良いよ、と僕を肴に酒を飲む人々、
そんな人たちに囲まれて、飲む酒は最高だった。

うちで研修をしている子たち(日本人)も
この席に参加してくれた。
東海北陸大会から応援してくれた大切な仲間。
酔った勢いで、彼らに
「旗を立てろ」と
やや自分でも恥ずかしいような
大きなことを繰り返し言っていた。

旗を立てろ。
それは、何か行動することで
そこに人が集まるきっかけと場を作るという意味で
僕は使っている。
旗印がそこに立てば、
そこに場が出来る。
場ができると、人が集う。
そして「力」が生まれる。
地域を創り上げていく「力」が。
その旗印はなにも個人的なものじゃなくてもいい。
いや、個人的なものじゃない方が良い。

そんな旗印を立てたという意味で、
青年の主張に、全国大会に、参加できてよかった。
そう実感した、春の夜だった。

第57回JA全国青年大会で
青年の主張の部で発表をした。

結果は、新聞にも出ていたので
ご存知の方も多いかもしれないが、「優秀賞」だった。
全国から6人が勝ち上がってきて、
最優秀賞の1人を除いて、あとはみんな「優秀賞」。
まぁ、参加賞もしくは残念賞といったところだろうか。

結果がどうであれ、僕はベストの発表をした。
話していくうちに、原稿に沿ってしゃべっているのではなく
なんだかその場で、そのセリフを思いついて話しているような
そんな不思議な感覚だった。
1500人居たらしいが、それでも緊張はなかった。
ステージの上は、前回の富山と同じく
広く、見晴らしのいい、とても気持ちのいい場所だった。
ただ、その時と違ったのは、
僕に、もっとメッセージを伝えたいという
自分でもわからないそんな力と気持ちがあったことだろう。

時間は10分4秒。
発表時間は10分だったので、4秒オーバーだったのだが、
採点基準から言えば、10分5秒から減点とのことなので
ある意味、時間一杯一杯使って話をすることができた。
あれ以上の発表は、たぶん、もうできない。
(会場がさらに広くなれば、あれ以上の発表になる可能性はあるけど)
なので、あの発表で「優秀賞」というのであれば
それを受け入れるしかあるまい。

結果発表後の
応援に駆け付けてくれた方々の脱力した顔には
本当に、申し訳なかった。
みんな、1位を信じてくれていただけに
本当に残念そうだった。
「僕の力不足でした」とただただ申し訳なくて謝って回ったが
今でも、何が足りなかったのか、僕にはわからない。

いろんな方から、
「今までの青年の主張とは全く違っていた」と評価を頂いた。
それを僕は大切にしようと思う。

今まで応援してくださった皆様、
本当にありがとうございました。
最後の最後に、「優秀賞」という、
なんとも決まりの悪い賞になりましたが
自分の発表とその内容には、自信と誇りを今でも持っています。
これも皆様からたくさんの応援を頂き
叱咤激励があってこそ、実現したことだと思っています。
応援してくれたみんなに伝えたい、というそういう想いが
僕にあんな大層な場でも、落ち着いて発表できたのだと思います。
本当に、発表の時間もそうですが、
それに至るまでのすべてのプロセスの素晴らしい時間を
ありがとうございました。



最後に、発表原稿を載せておこう。

以下、発表原稿

『地域を創る「場」と風土』 田谷徹

僕は露地やハウス施設で多品目の野菜を作っています。経営は家族だけでなく、雇用もしており、10数名でにぎやかに農業をしています。本格的に就農して、今年で5年目になりますが、それまではあれこれと人生の道草をしていました。その道草で得た雑感を、今日の主題にかえて話したいと思います。しばらくですが、お付き合いください。

僕は農家の長男として生まれました。だからというわけではありませんが、大学では農学部に進学しました。しかし実は、家業の農業を継ぐことはあまり考えていませんでした。僕にはある夢がありました。それは青年海外協力隊に参加することです。外の世界を知りたい、という強い欲求と共に、父や母、祖父や祖母の労働の姿に尊敬はしつつも、土地に縛られ、つらい肉体労働が続く家業にあまり魅力を感じていませんでした。

大学卒業したその年に、僕は青年海外協力隊に参加しました。任地は、インドネシアのスラウェシ島でした。その島の田舎の県に配属されました。配属先からの要請は、貧困な地域で村おこしをしてくれということした。そこでは僕は、高く売れる新しい野菜の指導や直売などを推し進めていきました。失敗の連続でしたが、海外での地域開発の魅力に取りつかれました。海外で活躍できる人間になりたい、と強く思うようになったのです。
協力隊から帰国後、僕はインドネシアの大学院に入学しました。それは次の海外プロジェクトに参加するための準備でした。ですが卒業後、内定を頂いていたプロジェクトを断り、僕は地元に戻って農業を始めました。それは大学院の最後の課題である修士論文を書き上げる時、僕にある変化が生まれたからです。

修士論文の調査は、JICA(国際協力機構)がインドネシアで行っていた農村開発プロジェクトのある村で行いました。開発の政策や援助がどういった影響を及ぼしているのかを現地の住民目線で調べるのが目的でした。国家政策や海外からの大きな援助という影響を受けて、それらが主導で地域が変わっていくことを想像していたのですが、現実は違いました。住民はただ受身で流されているわけではなかったのです。そこでは、開発の影響を受けながらも、自分たちの地域を自分たちで作る姿がありました。こうした調査をしていて気がついたのですが、地域住民にとって、外からの援助や政策は、とても大きなインパクトです。でも、それを紡いで、自分たちの地域を創り上げてきたのは、そこに住む人々でした。調査のインタビューの時に、自分たちの地域の歩みを自慢げに語る農家の方々は、僕の目にはとても素敵に映りました。自分たちの地域を創り上げてきた自信と誇りに満ちていました。

そのことに気が付いた時、僕の生まれ育った福井にも目を向けてみると、やはり当然のことですが、僕の地元にも同じような人々の暮らしがあったのです。過酷な労働ばかりに見えていた農業と閉塞を感じていた地元の農村の風景が、実はまさに今、地域が創られようとしているダイナミックな場であることに気が付いたのです。僕も同じような農民として、地域を創り上げていく存在になりたい。そう思うようになり、地元に戻って農業を始めました。

地域を創り上げる、といっても、では創り上げる地域とは一体何でしょうか。主体ある地域を極めて鮮やかに表現するときに、「風土」という言葉を用いることがあります。風土とは、その地域の主体的な文化であり、社会であり、そこに暮らす人々の思想だと思っています。「風土」とは風と土の文字で成り立っています。つまり風と土で出来上がっているのが、その地域の主体と言うわけです。土とは、地元の人間のこと。僕ら農民のことです。土地に根を張り生きている存在です。そして風は、よそ者。風が吹くように外部からやってきて、違った視点でその地域に関わります。土だけでも、風だけでも風土は出来上がらない。この二つがあって、初めて風土が醸成されていきます。土である地元の人は、良く地元を知っているような気がしますが、長年住み慣れた地元を固定的に見る視点からは、新しい発想は余り生まれてきません。その地域の常識にとらわれないよそ者は、全く新しい視点で、その地域を見るので、奇抜な発想が生まれることがあります。ただそれがそのまま地元に合うかどうかは、かなり疑問もあります。地元の人間がそれを活かし、風と土の関係がうまく調和してはじめて、その地域の風土となるんだと思います。

地元に戻った時、それまで外ばかり見ていた僕を暖かく迎え入れてくれたのが、地元のJA青壮年部でした。そこでは、江堀などの共同作業をしたり、スポーツ大会などで懇親を深めたりしました。活動自体は、華やかなものではないかもしれませんが、それらを通して、上の世代の方々から村や農業のあゆみについて教えてもらいました。そこには、村や農業と関係を無くしてしまった僕ら若い世代を、再び村や農業に目を向けられるような交流がありました。そして同時に、上の世代の方々の語りの中には、僕がインドネシアで見た地域を創る土としての農民の姿がありました。

僕はまた、自分の地域に、風であるよそ者がたくさん来てくれるような場を自らも作ろうと思っています。2008年から、インドネシアの農業研修生を受け入れています。現在3名のインドネシア農民子弟が、僕の農園で研修しています。またアフリカのセネガルの青年を僕の農園のスタッフとして雇用しており、新規就農したいという日本人青年も3名受け入れています。彼らのよそ者の視点が、僕や地域の農業を強く刺激してくれます。そして日本人青年たちは、いずれこの地で独立し、一緒にこの地域を創り上げてくれる農民になってくれることを期待しています。

地域の農業発展の鍵は何なのか?
それは農業の技術的向上だけではなく、また経営的な改善だけでもなく、ましてや市場と言う限定的な取引の場の存在だけでもありません。当然それらも大切ですが、それ以上に、僕ら風土の「土」の人間が積極的に地域を創り上げていこうという想いと、そして、その想いを実現していける風と土が交差する『場』を作っていくことが大切なんだと思っています。その場とは、いろんな人々が訪れてくれる、また協働していける農業の現場であり、JA青壮年部のような、若い世代が再び村や農業と関係を創っていける活動の場なんだと思います。
外から吹く風をいっぱいに受け止め、それを地元の風土として還元していける、そんな農民を目指して、僕は土を耕し続けています。ご静聴ありがとうございました。




今日、東京へ向かう。
JA青年部の全国大会に出るために。
その大会の青年の主張というスピーチコンテストで
自分の想いを思いっきり話してこようと思っている。

このコンテストにエントリーできるのは全国で
それぞれのブロックを勝ち上がった6名のみ。
その6名の中に入れただけでもうれしいのだが、
それ以上に、日比谷公会堂という大きな舞台で
地元の応援団を含む、多くの方々に自分の考えを
話す機会があることに、至極幸福を感じている。

ただ、友人に言わせると
「あれ?タヤって、青年?」
とのことだが、そこは気にしないでおこう。

では、いってきます。

青年の主張の大会も近くなってきた。
県大会の時から、大会前になると
有志の方々が集まって
発表練習をある居酒屋で行ってきた。
居酒屋はいつも同じ場所。
県の大会でもそうだったし、
東海北陸大会の時もそうだった。
だから、験を担いで
今回の全国大会前にも、その居酒屋で
発表練習という名の飲み会をした。

その居酒屋は、特段うまいわけでもない。
どこにでもある安い居酒屋。
どうせなら、初めからどっか良い料亭で
発表練習をすればよかった、と
悔やんでも、仕方がない。

さて
全国大会ということで、
いろんなところで発表練習を
させてもらったのだが、
今回は、自分でも不思議なくらい
スピーチ原稿を言い間違えてしまう。
東海北陸大会では、そらんじて言えたのに。
どうやら周りが思ったよりも騒ぐので
自分も気負ってしまって、すこし緊張しているらしい。
全国から、日比谷公会堂に立てるのは
たったの6人。
その6人の一人になれただけでも
十分だとは思いながらも、
どうせなら、一番高い場所の景色も見てみようじゃないか、と
少し身の丈に合わない考えも
あるのも事実。

験担ぎの居酒屋での飲み会から
僕のラストスパートも始まった。

先週末、地元のJA青壮年部の忘年会があった。
忘年会と同時に、
僕の青年の主張全国大会出場の祝賀会も兼ねていた。
その祝賀会で、普段はあまり話さない人から
僕の青年の主張の内容について声をかけられた。
その人は
「あの話に勇気をもらった」
と言ってくれた。
兼業農家さんで、仕事の片手間に田圃をしている人で
田圃が重荷に感じていて、
そんな農業が自分に何の意味があるんだろう、と
考えることもあったのだとか。
それが、僕の主張を聞いて
「勇気をもらった」とのことだった。

僕は、経営体として農業の規模を論じるとき
時には、第2種兼業農家の
農業界からの円満退場の必要性を
感じる時があるが、
それの多くは目先の経営論にしかすぎないことも
僕は自覚している。
他産業へ移行しつつも
そこの利益でもって、農業の負債を埋めるという
一見合理的に見えないこうした農民層は
純粋な損得論では理解はできない。
土地はただ作物を生産する場だけではなく、
(時には転売期待がそこにはあるのだが)
そこにある思い入れが同時に存在しているように思う。
ただ、それが青年部で話をしていると
今の僕ら世代には、そんなものが微塵も感じられない。
今まで風土(地域)を支えてきたものが
その土に対する愛着と
実際に負債を抱えながらも、外部からの投入で成り立ってきた
兼業農家群だったのは、
まぎれもない事実だったのに、
今は、それすらも消えようとしている。
農業が経営体として語られることに、
僕はある意味で正しいと思っている。
だが、それを突き詰める先に
消えゆく地縁があることも忘れてはならない。
その地縁が、僕らの風土を創り上げて
僕らの文化を創り上げていることも
忘れてはならない。
そんなことに、僕は青年の主張の場を借りて
僕らが土を耕し続ける意味を
僕の周りの人たちに語ったつもりだった。

解ってもらえないかもしれないと思っていたが
その夜、
その人から
「勇気をもらった」という言葉をもらって
僕もうれしかったし、
僕も勇気をもらった。



JA青年部の「青年の主張」東海北陸ブロック大会に
福井県代表として参加。

県大会とは全く規模の違う大会で
しかも参加者は、各県の代表とあって
発表内容も態度もどれとっても素晴らしいものだった。

結果から言えば、
そんな強豪ぞろいの中、
僕が東海北陸ブロックの代表として選ばれた。
まったく幸運に恵まれたとしか言えない。

発表の内容としては
前回のエントリーで書いた
毎日農業記録賞とほぼ同じ。
ただ発表用にもっと話は短いし
内容もJA青年部に特化している部分もある。

発表は10分。
パワーポイントやフリップなどのツールの使用はダメ。
ただただ話すだけ。
しかも壇上では、時計もストップウォッチも持っていけない。
9分経った時点で、ランプで教えてくれるのだが、
全体的には
体内時計だけで話すという、
過酷なスピーチコンペ。
しかも、10分経ってから5秒過ぎると1点減点だとか・・・。

600人ほどの聴者の前で話したのだが
順番待ちをしているとき、これほど緊張したのは
ちょっと記憶にない。
しかし、壇上はとても眺めがよく、
多くのスポットライトが温かく感じ、
ピンと張りつめた空気が、心地よく
とても気分の良い場所だった。
練習以上の出来で、
自分でも驚きながら話していた。
応援に駆け付けてくれた地元の仲間の顔が
1人1人確認でき、
一緒に仕事をしているインドネシアの研修生や
日本人研修生
そして、セネガルのイブライの顔もよく見えた。
あぁ、イブライが居るなぁ~、としみじみ思った瞬間に
言い間違えてしまったのは、愛嬌。

この発表は、もちろんコンペに勝つために作ったのだけど、
本当の目的は、応援に来てくれた地元の仲間に対しての
僕のメッセージだった。
それがあのような大きな会場で
しかも、一人一人を見ながら話ができたことが
僕は何よりもうれしかった。

僕が思っていることや感謝、それが伝わっただろうか。
僕は、彼ら仲間と、これからも一緒にやっていきたい。
来年の2月、日比谷公会堂で全国大会に
東海北陸ブロックの代表として出場する。
もう一つ、大きな舞台で、
またその思いを仲間に伝えることができる機会を得たのが
とても、とても、うれしかった。


この前の土曜日、
JA青壮年部の「青年の主張」に参加した。
地区ごとに持ち回りで、発表者をたてる順番があり、
今年はうちの地区が、何かしらの発表をしなければいけなかった。
そこで、僕に白羽の矢が立ったのである。

この手の発表は嫌いじゃない。
だからと言って、好きでもないが
あの緊張感が、たまらない時がある。
実は、大勢の人の前で話すのは苦手だった。
もともと緊張する性質で、大勢の人の前に立つと足や手は震えるし
小学校の頃はどもりもあったので
それがトラウマになってか、苦手だった。
ただいつごろからかは忘れたが、
がちがちに緊張している自分を、
自分で眺めるのが楽しくなってきてからは、
この手の発表は苦手ではなくなった。

青年の主張で話したことは、
地域を作る「場」の存在と
風土の話。
この日記にずーっと付き合ってくれている人ならば
それだけで何を話したかは、解ってもらえると思う。
僕が留学から戻り、
生産性をあげるよりも、
人が地域に埋め込まれていく場を作ろう、としていることや、
僕らの地域性を風土という言葉で
風の人と土の人の話から
僕が思うことを主張してきた。

普段、そんなことを考えていても、
そんな話をする機会なんてなかなかない。
そんな話を唐突もなくすれば、場が白むか皆引いてしまう。
だからこそ、こういう場で話せた機会は貴重だった。
発表コンペに勝ち上がることよりも
僕としては、
こんなバカげたことをくそまじめに話す、その機会が
とても大事だった。
僕にとっては、ある意味「所信表明」の場だった。

昨年は、ありがたいことに
東京でのシンポジウムに2回パネラーとして登壇し
こういう話をすることができた。
あれもある意味「所信表明」だったのだが、
それよりも今回の場の方が、ずっと意味があると思う。
なぜなら、普段、顔を合わせる仲間たちに
僕が思っている馬鹿げたことを
くそまじめに話す機会を得ることができたからである。

その日、発表コンペで最優秀賞というおまけまで頂いて
仲間で日時が変わるまで飲んだ。
農業の先輩から
「風土の風の土の話は面白かった。田谷くんは土だろうけど、風でもあるね」と
言ってもらえたのが、今でも僕の中でこだましている。
その言葉があまりに嬉しくて、
その日、僕はついつい飲みすぎて、どうやって帰って寝たのか
覚えていないほど、正体を失ってしまった。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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