今学期の最終テストを行った。
というのもインドネシア農業研修の話。
今学期は2つの授業があった。
「グローバリゼーションと農業」
「総合防除IPM」
の2つだったのだけど、
総合防除は最後まで行きつけず
テストはグローバリゼーションと農業のみとなった。
いろんな団体の役があって
会議や出張が多すぎたね。
とほほ。

さてその最終テストだが
お題はいたって簡単。
自分の地域で、グローバルな問題を取り上げ
それを分析し解決策を考えるというもの。
単純なだけに
1年生、2年生、3年生とその出来に
面白いほど差が出た。

まず1年生のイマン。
彼が取り上げたトピックは
彼の地域での巨大ダム建設。
その内容深くはここでは記述を割愛するが
彼の場合
情報は良く集めてきたと思うけど
それらの情報がお互いに矛盾を生み出していて
ロジックとして一本になっていなかった。
CO2が少ないはずのダム発電に対し、
水没した地域の有機物が出すCO2の総体が
温暖化につながるという話は、
地表でのサイクルの中でのCO2の総量に
変化が生まれないものなので
それをグローバルな問題として
フォーカス当てるのは如何なものか、と
ちょっと疑問が多い発表だった。
水没した地域の人たちの混乱や
生活の苦労は問題だと思うが
9万haの水利を得るために
3000haの農地が失われる点では
その損失にフォーカス当てるイマンの発表は
やや異質に映った。
情報の海でおぼれてしまったイマンは
及第点がもらえなかった。
ま、1年生だし、そんなもんか。

2年生のレンディは、
地元の地熱発電だった。
一所懸命調べたのは分かったが、
彼の前提は、
地熱発電所が地震を助長している、
という地元の都市伝説を信じ切っていて
それを裏付けるトンデモデータを
ネットで一所懸命調べて発表してしまっていた。
最終的には
地熱発電所はCO2をたくさん排出するから
地球温暖化につながっているという結論で
もう何もかも納得できないプレゼンだった。
科学って何なのか、そこから彼は勉強し直しだ。
ギター触っている暇があったら
もっと本を読んでほしい・・・。
もう残り1年しかないっていうのが
頭が痛いところだけど
今はこの発表をしっかり記録して
3年の最後にしてくれるであろう
素晴らしいプレゼンを、
つまりは彼の成長を楽しみたいね。
もちろん落第。

で、このままじゃ僕の心は穏やかじゃなかったけど
それを救ってくれたのは3年生のジャジャンだった。
彼のチョイスは中国とアセアンとの
域内自由貿易のACFTA。
中国からの農産物がなぜ安いのかを
構造的に説明することを試み
(その試み自体は、まぁ、成功とはいえないかな)
そのグローバルな要因と
では地元で何ができるのかの分析は
その深さというよりも
それらの手法が
授業で僕が最も伝えたいことを
踏襲してのプレゼンだった。
最終的には農協のような組織の立ち上げと
サプライチェーンを如何に短くするのか
といった議論に収斂され
3年生らしい
最後のプレゼンだった。
農業構造論で
事象を構造的に分析する方法を教え、
グローバリゼーションと農業では
グローバルの考えて
ローカルに行動するその視点を
身につけてほしいと願って
やって来たのだが、
そのどちらも
まだまだ粗削りだけど
しっかりとジャジャンには伝わっていた。
「もう研修を辞めて帰国したい」と
1年生の時にもめたジャジャンが
ここまでしっかりと成長してくれるのが
とてもうれしかった。
こういう瞬間を見せつけられるから
とてもストレスフルな研修で
いつももう辞めた!って投げ出したくなるんだけど、
やめられないんだな。

人が育つって
本当に面白い。
これにはまるとやめられなくなるね。




久しぶりに、
夜にインドネシア実習生への授業をする。
夜は時間もたっぷりあるので
議論はもちろんあっち行ったりこっち行ったり。
こういううねうねと議論するの
僕は大好きだ。

今回の教材はこれ。
DVD
『お米が食べられなくなる日』

DVDの内容を簡略化すれば、
米の供給不足時代から過剰時代に入り
減反政策が敷かれ
米の消費は年々減っているのに
ガットウルグアイラウンドなどで
MA米の受け入れを決めたり
食管法で自由化し、価格下落を招き
今じゃ、米生産を時給にすると179円というありさま
というお話。
ちょっと針小棒大なところもありやすが、
ま、的は外れていないかな。

経済成長のけん引役である
輸出向け工業製品の関税と引き換えに
農産物の関税も下がる。
これは今のTPPにもそのまま当てはまるね。
ま、国内の製造業がそれで盛り上がることは
もうそんなにないかもしれないけど。

アメリカの占領下で
余っていた小麦によるパン給食は
よく語られる事象だけど、
どうなんだろうって最近思う。
インドネシアはそういう歴史的事件はないけど
年々パンの消費は伸びていて、
米の消費も徐々に落ちていくように見える。
美味しいから、とか
食べやすいから、とか
実習生はそんな理由を並べ立てていたけど、
多分それが『近代的』だからじゃないかな。
価値的な意味で、
その食べ物がみんなにとっての
富の象徴とまでは言わないけど、
それに近いものがあると思う。
だから近くの民族で
サゴヤシのでんぷんを主食にしていても
経済成長の恩恵を受けて
食べ物のバリエーションが広がる中で
それが選択肢に入ることはないと思う。
同等かそれ以下かと見ている価値を
拾い上げることはない。
だから1993年の米騒動で
タイ米を輸入した際に
みんなが『美味しくない』と言ったのは
そこにも近代的なものへの価値観は
あったようにも思える。

このDVDを受けて
インドネシアではこれから
経済成長を武器に
食の多様化がどんどん進むだろう。
その反面、それをけん引する工業部門を
支えるために
もしくは農業でも工業化された
もしくは換金作物たとえばパームオイルといった
産業としての大規模プランテーションを軸とした
分野を支えるためにも
一般的農作物の関税は引き下げられるだろうね。
山間の多い西ジャワでは
米の生産をしている場合じゃなくなる。
これは間違いない。
大規模化も機械化も進まないから。
その一方で、ピケティが言うように
資本の膨張よりも経済成長が低いという面と
経済をけん引する産業が国外に出ていかないためにも
チープレイバーは国策的に維持されるかも。
そして、それを食わしていくために
安い食糧への要求もまだまだ強くなるだろうね。
それが輸入で賄われるのか
インドネシアお得意の二重経済化で
行われるのかは、インドネシア実習生の肩越しに
注意深く見ていきたい。

で、インドネシア実習生。
今までの彼ら彼女らの農業モデルが
そのまま発展していって
いずれは裕福なるという幻想は
すぐに捨てた方が良い。
それが裕福になる発展を含んでいるのは、
そこに経済成長することで
選択してもらえる
『近代的』な価値やシステムを
含んでいるかどうかだ。
量を作るのならより安く提供し、
寡占的でないといけない。
価値あるモノにするのなら、
買い手が納得するだけの
説明力が無ければいけない。
そういったどれかが含まれていない
モデルなら、
このDVDにあったように
時代の流れの中で消えゆく農業に
なっていくだろう。



インドネシア実習生への授業が
僕のオアシス。
僕が僕であり続けられる場所。
それは
現実から乖離した事象に
悩む毎日に疲れているからか、
それとも僕は自分のアクセルを踏み続けて
加速しているからか、
最近よくそう思う。
さて今日は、
グローバリゼーションと農業の授業。

TPP大筋合意し、
それに伴い青壮年部を束ねる立場にあり
何かと意識と議論を持っていかれる日々と、
なぜだかこのタイミングで
幕末にはまっている新人すーちゃんに
尊王攘夷を説きながら
開国に無理やり回天させてしまうという
荒業続きの
幕末の歴史を仕事しながら語っている日常と、
そして目の前にいるインドネシア実習生の
その存在そのものがグローバリゼーションだという現実の
すべてがクロスオーバーして、
最近、この授業が自分でも好きだ。

前置きが長くなったが、
今回のお題は、久しぶりにこれを取り上げた。
「おいしいコーヒーの真実」。
ちょうど前回まで従属論を
軽くおさらいしたところだったので、
この映画が一番面白いだろう、と思って
お題にした。
詳しい内容にはここでは触れない。
昔書いたリンクを参照してほしい
さてさて
従属下に置かれたエチオピア農民の
生きる道はどこにあるのだろうか?
長く伸びたサプライチェーンを断ち切ることか?
農家たちにコーヒーの技術を引き寄せることか?
フェアなトレードに望みをつなぐのか?
こんなコーヒー産業から抜け出して
他の仕事を探すか?
まず、こういう疑問が沸く。
従属下に置かれた状況に
僕ら
(こういう映画を自国語で自由に見られる状況)は
従属の構造を易々と見つけることができるが
そもそもあちらの農家はそのような
構造をしっかりと従属として認識できているのだろうか、
ということ。
これに立ち向かおうとした実習生もいた。
4期生のクスワントだ。
彼の発表はこちらのリンクを参照してほしい
彼は卒業研究を通じて、
途上国の農民が日本で売買されている自分の栽培品目が
どのようなサプライチェーンの中で
価格と価値を上昇させていくかを体験した。
これ自体はとても大きな成果で
今でも彼の発表が卒業研究発表の中で
一番だと評価している。
だが、
大きな構造はたとえ認識できたとしても
それを変える力は到底ひとりじゃ無理さ。
みんなの力を合わせて!と月並みなセリフを吐いたとしても、
社会的ジレンマの問題で
そうそう社会も民衆も動きはしない。
コーヒー農家が安くてもすぐに現金化できるほうが
良かったりもするのは
なにも途上国に限った心情でもない。
サービスの全体を農家全員が知ることができれば
そういう力も生まれるかもしれない。

話はちょっと違うかもしれないが、
安保法案だって国会を通過したけど
あれだけのデモの経験は僕らの中にしっかりと沈殿した。
だから、「次」が楽しみだと僕らは今思えるのも
全員があれを経験したからだろう。
でもそういう力が
マージナルに置かれた農家に持ちえるだろうか。
みんながタデッセと同じ視点で
世界をのぞけるだろうか?
クスワントのように
丁寧にサプライチェーンを先進国の
最終消費者まで追えるだろうか?
それと同等の刺激を
僕ら農民が受けて、
社会運動につなげられるのだろうか?
いつものことだが
議論を重ねても答えは見いだせない。
でも、仕組みは分かる。
そのチェーンから
つまりは市場から刺激を受けることが
出来る立場と場所が必要だということだ。
情報が偏って存在する中で生まれる従属構造を
平準化するグローバリゼーションは
それも見逃さないのだろうか?
通信手段とネットワークが
徐々にそれを追いつめることができるのかどうかは
分からないが、
僕らがこう考えることに
意味はあるんだと思いたい。

昔の仲間だった
高橋和志が編者を務めた
『国際協力ってなんだろう』という本に
貿易自由化で競争力のない産業は不利益を被るため
所得減少や失業などを緩和する措置を設け、
そうした人々が競争力ある産業への転職を促す必要があると
書かれていたが、
それ自体は僕も間違っているとは思わない。
それが小規模の家族的農業だってことも良くわかっているさ。
先進国や途上国という経済の違いによって
その波の大小とその破壊される力の構造的な違いはあるが
ほぼすべてのそういう農業経営体がやられていくのも分かる。
価格競争で負けるか、従属関係に置かれるか。
長くグローバルに伸びていくサプライチェーンの中で
僕ら農民はガルトゥンがかつて従属論のモデルとした
グローバルな世界のつながりは
途上国と先進国の農家の衝突を生み出すとしたが、
実はそれぞれが直接的に衝突するのではなく、
それぞれが構造的に衝突下に置かれるように見えるだけで
それぞれが戦っているモノはそれぞれに別であるというのが
僕の意見だ。
だから、僕はインドネシアの農民とつながる。
その構造下でも、僕らが協同できるように。

授業では答えは、いつも出ない。
でも考える方向だけは一緒に確認する。
どうにもならない構造だとしても
こうした小さいつながりが
少なくとも僕らの周りだけでも変わらないかなぁという
期待を込めて。




1月になったので、
そろそろ今学期も終わりに近づいている。
それはインドネシア実習生の研修座学。
今回は、こん学期に行った座学の一つ、
『グローバリゼーションと農業』について記録しようか。

農業がグローバリゼーションの影響を大きく受けて
その生産様式を大きく変化させることは、
すでに周知のこと。
TPPの議論を眺めていれば
だいたいどんなことが
この世界に起きているのか、
ぼんやりだけど解ってくると思う。

毎回、この授業ではテーマを決めて行っていた。
2013年度は、資源と原子力で
グローバリゼーションの中で
農業の受ける影響をフクシマの事例を紹介して
世界に広めようとしている原子力発電所と
エネルギー問題と環境問題を取り上げた。

今回は、もうちょっとオーソドックスに
僕の大好きな従属論的にグローバリゼーションの状況下での
農業について捉えてみた。
ちなみに従属論はよく新興経済発展国によって
影響力を無くしたと言われているが、
その理論的な構造は様々な場面のその瞬間をとらえるには
まだまだ有効で、僕らの考え方の習慣にもあっているのか
理解しやすいと思う。
マクロな純粋な理論的なことは分からないけど、
その視点は僕はまだこの世界中を映しだすと思っている。
さて、
授業の形態は、宿題で渡したDVDを観て、
そのレポートを元に60分間ほど議論する形式。

「Salud(サルー)!ハバナ ~キューバ都市農業リポート~」
キューバの有機農業を紹介するDVD。
従属論的に説明するには、
一本目にはふさわしくなかったな、と反省はあるが、
ここで言いたかったのは、
従属のみを批判し続けるのではなく、
その従属的な関係が壊れれば、いったいどうなるのか、
という意味での事例のつもり。
有機農業は素晴らしいという
構造的には何の意味もない評価はここでは棚上げしての議論。
ここまで大きな生産様式の変容が起きるんだ、
という理解があればOK。

「キングコーン」
なんどかブログのエントリーでも取り上げたDVD。
アメリカのトウモロコシで
いろんな食料が作られているというお話がメイン。
でもここではその生産様式に目を向けるのが授業の目的。
小さな農場では補助が出ても
たいして儲けが出ない。
規模拡大の路線と
それを支える補助と技術(遺伝子組み換えなど)の
構造をとらえるのが目的。
アメリカという世界の頂点に君臨する
その国の農家が取れる営農の行動戦略は、
大きなカントリーと政府と技術の間で
意外にも従属的に置かれていて、
それはただ
規模拡大と補助継続のロビー活動だけというのが
少しは垣間見られるか。

「ダーウィンの悪夢」
これが今回のメインのDVD。
ビクトリア湖のナイルパーチという
魚をめぐるドキュメンタリー。
まさにこれこそ従属論の視点だね。
安い労働力と劣悪な労働環境で加工された魚は
その復路に武器を運んでくる飛行機に載せられて
ヨーロッパや日本などの先進国に販売される。
加工所や空港施設・道路などはODAなどの有償資金で作られ、
その借金もその国が背負う。
犯罪と売春と麻薬(と呼べるほど質が高くないモノ)が
蔓延し、子供も労働者として働く。
スーパーで安く売っている白身魚という表記の
魚のフライのお惣菜は、
そのナイルパーチという衝撃な事実で、
インドネシアの実習生が大好物の食べ物の一つだったりする。
安い労働力としてこれまた従属的な関係の中で
やってくる外国人技能実習生が
好んで食べる魚のフライのお惣菜が、
それを食べることで、ビクトリア湖付近の貧困の構造を
補完するという、更なる悪夢をみんなで共有した。

『パームオイル 近くて遠い油のはなし』
今、実習生の一人が
パームオイルの会社から声をかけられている。
帰国後に、そこに就職をしたいと相談を受けていたので、
しっかりした視点と考察の出発点を
持ってもらって、その上で仕事をしてもらいたいという
僕の希望でこのDVDをみんなで観ることにした。
ダーウィンの悪夢がマクロなら、
これはもう少し近距離での従属論のフレームワーク。
どうしても日本的な視点で眺めると
環境破壊に目が行ってしまうし、
そこに暮らす伝統的生活の破壊に行きがちだが、
僕らの議論はそれを批判するところから出発した。
今の水田や畑や茶畑などの耕作地は
もともと大々的な環境破壊から成り立っている。
CO2排出問題も、パームオイル農園は大都市より
排出しているとでもいうのか。
伝統的生活ももちろん大切だが、
そこに暮らす人のリアリティなのかどうか
そこにも目を向ける必要がある。
パームオイルは一大産業だ。
それを取り巻く周りの住民の多くは
その産業で食べている。
ちなみにこの視点は前回は(2013年度)
原発と同じ産業構造と
同じような正義論が成り立つという意味で
それを批判的に考察したのは余談。
さて、その産業構造の中で
従属的な関係が生まれている点をフォーカスした。
パームオイルの実を圧搾して油をとることが可能なのは
大きな農園が所有している圧搾工場だ。
そこを中心に零細な農園が点在する。
油の実は収穫後に劣化が早い。
収穫適期も短い。
そんな構造下では、輸送手段と圧搾機と市場という
そのあたりでパワーの差が生まれ、
零細農家は従属的に置かれる。
マクロのダーウィンの悪夢でも
空港などの施設を作る資金と市場と加工技術と設備の
構造的なパワーの差で従属関係が結ばれていた。
キングコーンでも
世界一の国に住む農家だって
構造的な従属関係の中で
行動戦略はとても限られていた。
その産業の構造はどうで、
どこでそのパワーの差が生まれるのか。
そしてその産業の中で
このまま突き進むべきなのか
それともブルーオーシャンを探すのか。
それを自ら考えて進んでいける農家に
実習生たちがなることが僕の願いだ。
できることなら、そのパワーを持つ側になり、
分配と平等を意識した、従属ではない、
一方が総取りをするのではなく、
お互いに発展できるような
互酬的なネットワーク関係を
彼らが社会と結んでくれれば、
それがその地域の発展のカギになると
僕は思っている。
それが自ら考える農民だと思っている。

そのメッセージを最後に
今年のグローバリゼーションと農業の授業を終えた。



映画「100,000年後の安全」を
インドネシアの研修生たちと観て
ディスカッションをする。
農業とグローバリゼーションの座学では、
さまざまな地球規模の問題を取り上げている。
とてもじゃないが、それらの問題に答えは
出せないけど、それを意識しながら
営農するスタイルを確立するために
この座学をやっている。
今回は原発。

日本の政権が原発を輸出するといって
あちこちに広めようとしているが、
そのうちの一つにインドネシアも挙げられている。
経済成長著しいインドネシアでは、
消費電力がうなぎ上り。
経済発展を下支えする電力供給は必須課題だ。
だが、中部ジャワの巨大火力発電計画は、
日本の商社の社員が誘拐されるほど混乱している。
しかもCO2排出量が増えるような発電方法は
もう温暖化の変化が急激になってきている昨今、
止めるべきだと思う。
では、水力発電は?
かつて建設したコタパンジャンダムのような
大型水力発電は、その後の社会混乱と訴訟の連続で、
今の日本では開発に手を出さない。
そしてその分野では、今や日本企業に代わって、
中国企業が頑張っている状況だ。
研修卒業生のタタンの地域の近くで
東南アジア最大の水力発電を建設中だ。
じゃぁ、小水力はどうだろう?
なんてことになっても僕は専門家じゃないので
答えられません。
ただ、日本でもそうだけど
開水路の場合、ごみがとてつもなく多いので、
それをどう解決するか、なかなかいい方法がない。
パイプラインなら可能だけど、
それを敷設する方が発電よりもエネルギーを使いそう。

とまぁ、発電方法についてはこのくらいにして
本題に入ろう。
100,000年後の安全の映画では、
使用済み燃料の問題を取り扱っている。
原発は様々な問題を抱えたまま動いているけど、
あまり議論になっていないのが、
使用済み燃料の安全な廃棄方法だろう。
最終処分場なんて言葉を聞いたことないだろうか。
使用済み燃料を最後に処分する場所のことだけど、
実は、これ世界中でまだ1ヵ所しかない。
あとは中間貯蔵施設というとても曖昧な
人を煙に巻くような言葉の場所に保管してある。
なんてことはない。
原発施設内のプールに行儀よく並べてあるだけだ。
だからフクシマのように
大きな地震と津波が襲えば、プールが壊れて水が抜け、
管理できなくなるというとても脆弱で危ない保管方法なのだ。
だから中間貯蔵施設なんて言葉を使うんだろうね。
で、地震のないところにプールを作れば?
と思った貴方、問題はそんな時間軸にないんですよ。
使用済み燃料が生命(人間)に無害になるまでの時間は
100,000年もかかるのだ。
ちょっと気が遠くなる話。
100,000年前というと、ネアンデルタール人が
洞窟に意味不明だけど芸術性の高い絵を描いている頃。
もはや100,000年後は、ホモサピエンスではなく
ほかの種の人間、もしくは知的生命体がいるかもしれない。
そんな時間軸での処理が必要なのが使用済み燃料というわけ。

映画ではオンカロという世界でたった一つの
フィンランドの最終処分場が舞台だ。
さまざまな専門家が、
100,000年先までその施設が安全かどうかを
淡々とインタビュー形式で話をしている映画だった。
オンカロですべての原発の廃棄物を処理できるのかと言えば、
答えはNO!
フィンランド分だけだそうだ。
原発の発電量がフィンランドの30倍あるアメリカの場合、
そういう場所を単純に考えれば30個は必要ということになるね。
ちなみに日本はフィンランドの17倍。
オンカロでは10億年も安定した岩盤に埋め込むそうだが、
そんな岩盤、日本領土内に17か所もあるんだろうか?

施設が地震や地割れや地殻変動で動けば、
損傷を受けることは間違いない。
1000年に1回は大地震に見舞われる日出づる国では、
最終処分場は無理だろう。

災害以外にも問題がある。
映画ではそれが一番の問題としていた。
それは僕たち人間。
好奇心旺盛で利にさとく、冒険心に溢れ、危険を顧みない。
そんな僕らは、
ご先祖たちが託した「開けてはいけない」という
メッセージを無視して、
すべての遺跡を開けてしまった。
いやいや、これから反省してもう開けません、と言っても
信用ならない。
そんな僕らが未来の人類に
「ここは危険だから決して開けてはいけない」と
メッセージを残しても、なんだか空しいだけだ。
みんなで覚えていたらいい、というが、
僕らの周りに100,000年なんて贅沢言わないから、
10,000年前の記憶や物語が受け継がれているかどうか
考えてみたらいい。
小学生だってわかるよ、無理だよね。

好奇心で開ける場合もあれば、
確信犯的に開ける場合もあるだろう。
原発の燃料になるウランは、
ビックバンの時に出来上がった物質で
当然崩壊し続けながら今日まで残っている分を
使っている。
そしてそれはほとんど残っていない。
今後100年ももつかどうかだ。
そして、その100年くらいを謳歌するために、
そのあとの100,000年を無駄にするのが
僕らの文明なんだ。
で、エネルギーが枯渇する未来にとって、
この使用済み燃料は膨大なエネルギーに見えたりする。
一時まことしやかに使用済み燃料はリサイクルできると
電力会社は広告していたが、
それは無理な話だ。
コントロールが格段に難しくなるし
事故率も高く、その施設の事故となると
フクシマどころの話ではない。
リサイクルはできない。

でもそれができると信じて
民にエネルギーを与えるんだ!という指導者が
現れたら大変だ。
その時代はエネルギーも不足しているだろうから、
その人の支持率もたぶん高いだろうな。
成功と失敗の可能性が半々だとしても
やってしまう指導者もいるかもしれないね。
それは歴史から僕らが考えれば、答えは明らかだ。

「そんなことは知らないよ、今が大事」という方も
いるかもしれないね。
エネルギーが供給されないと経済成長できないから。
トリクルダウンの論理で、世界隅々まで
資本主義で覆いつくし、限りなく生産性を高めるには、
地球は小さすぎた。
気候変動の原因になるCO2を排出しない
原子力発電は、まさにサタンだ。
僕らが欲しいリンゴをくれるが、
それは僕らの未来と引き換えだなんて。

インドネシアなどの海外で
そのサタンを進めようというのだから
正気じゃない。
電力確保は日系企業の緊急課題だろうし、
火力発電の失敗や大型水力発電に
手を出さないのなら、
原子力ってわけか?
それだけでなく、僕らはもう少し
意地悪に考えてしまう。

日本に使用済み燃料を捨てる場所が
ないのなら、海外に作ればいいって
政府は、原子力発電にかかわる人たちは
思っていないだろうか。
国際協力なんて言葉で、
海外の「安定した場所」と決めつけた場所に
使用済み燃料を資金援助と一緒に埋め込もうなんて
そんなこと考えていやしないだろうか。

海外にも原発を広めてしまえば、
当然、そこにも使用済み燃料が出てくる。
そしてそれも処分しないといけないだろう。
その処分する場所に、
日本が技術と資金を援助するから、その場所に一緒に
埋めようってなるかもしれない。

都市の産業廃棄物をどこで処理してきたか、
都市に電力を供給するためにどこに原発を建ててきたか、
それが世界規模で考えてみたら、
僕らの意地悪な想像図に行きつくだろう。

研修生たちとの議論では答えは出なかった。
反対はするけど、僕らは昔の生活には戻れない。
「100,000年後の安全」ぜひ見てほしい。
小泉さんが急に反原発になったのも
なんだかうなずけたのは余談。




グローバリゼーションなんて大層なことを
農園のインドネシア農業研修で議論している。
僕自身この言葉の意味も良く解らないが、
この現状のもとで、いろんなことが起きている事だけは
肌で感じている。
でも、その情報の多くは僕ら先進国にしか
ないということも、こうした議論をする中で
年々その想いを強くしている。

インドネシア農業研修プログラムでは、
いくつかの講座を用意しているが、
その中でも、インドネシアの子たちに
最も人気があるのが、
「農業とグローバリゼーション」だろう。
今年も9月からこの講座を始め、
これまでバナナやエビ・パームオイルなどの
商品を題材に授業してきた。
世界中に伸びきったサプライチェーンの中で
何が起きていて、誰がマージナルに置かれているのか、
それを途上国から来た零細農家の子弟たちと
一緒に見つめようという試み。

これらの中でも特にパームオイルが
みんなの関心が高かったので、
その問題の解決について少し議論を深めてみた。
まずパームオイルの構造的な問題はこうだ。
文化的に食用でないオイルヤシを
資金豊富な企業の開発によって大規模プランテーションで
栽培続けるインドネシアとマレーシア。
その周りには小規模ながらも、採油工場と取り巻くように
現地のパームオイル農家も無数に存在する。
無秩序に熱帯雨林を開発して
パームオイルの農地はさらに広がっていく。
パームオイルは加工され、
お菓子・インスタントラーメン・マーガリンなどの
廉価な食べ物を生み出し、
石鹸や洗剤などの生活必需品も生み出している。
パームオイルなしにはもはや生活が成り立たないところまで
僕らの生活に浸透しているのに、
その生産現場では、賃金・商品価格や環境などの問題が起きており、
それを見過ごせる状況ではなくなっている。
モノカルチャー的生産の効率化が独り歩きしだすと
そのゲームの中で人々はより多くの富を追い求め、
「持続可能性」などはどこかへ吹き飛んでしまう。
そして長く伸びきったサプライチェーンでは、
僕ら最終消費者には、生産現場で何が起きているのか
知らないまま、清潔感漂う店内で素敵なパッケージに包まれた
その商品を何のためらいもなく買い続けている。

この現状を解決するにはどうしたらいいのか。
途上国と言われる国から来た、
零細農家出身であるインドネシアの研修生と議論してみた。
まず問題を整理してみた。
ひとつは長く伸びきったサプライチェーン。
生産現場と消費の実情が全くお互いに想像がつかないまま
進行していくという問題。
こういった現状では、儲かるからとにかく拡大、
生産の効率化への特化といった
行動規範に陥りがちになる。
そのため環境にあまりよろしくない生産様式が
確立しても、それに対する批判は全体的にならないので、
とくに脅威にならず、継続される。

次にその効率化から生み出される
労働環境だろうか。
熟練した労働者による世代的な技術継承ではなく、
マニュアル化して誰でも簡単に労働が行え、
そして、出稼ぎや派遣などの
取り換え可能な安価な労働力に頼ろう
と考えるのは、たぶん今の健全な経営なんだろう。
パームオイルの現場もご多分に漏れず
そういう状況のようだ。
そこは低賃金で保障の少ない危険な労働現場だったりもする。
さらに僕らが見たDVDには無かったが、
インドネシアが政策として進めてきた
小規模なパームオイル農園支援から
構造調整政策に切り替わり、
今では中核農園に支援が厚く、
資本力で小規模農園を買い取り、大規模化へ向けて舵を切っている。
まさに農業労働者と大規模農業経営者の2極化の中でも、
こうした労働問題は今後拡大するだろう。

さてサプライチェーンから生み出された効率化は
持続可能性も無視する。
生産現場の環境が悪化して
生産が続けられなければ、またどこかほかへ行けばいい
程度の発想しかないのかもしれない。
ただこれは農家と企業の発想の違いではない。
小農であっても目の前の利に目がくらめば、
いくらでも環境破壊の主体になる。
いや、そっちの方が環境破壊につながっているのかもしれない。
程度の問題であって、
それぞれの生産様式の問題ではないところが
問題の複雑なところだろう。

これらの問題解決に
研修生の子たちは、とにかく国の規制が大切だと答えていた。
国家が開発を規制して、自然環境や労働環境を守る必要がある
というのである。
生産現場サイドの視点で言えば、
ある程度規制をかけていく必要はあるだろう。
購入者側から見ればどうだろうか。
3年生のクスワント君は、
有機農業といったラベルを作って、
環境に配慮したオイルにラベルを付けてはどうか、
と提案してくれた。
消費者はそのラベルを支持することで
健全な生産が続くというわけだ。
だが、フェアトレードの問題でも
認証を取るための知識やアドミ能力、そして資金が必要で
それらを小規模な農家が取れるかどうかは難しいところだろう。
大規模な農家は資本力があるので
その認証は取れても、小さな農家にも難しい。
それは淘汰される存在なんだ、と言われても
僕ら農家には、ああそうですか、と
感情的に納得は行かない。

そこでイラ君は、
生産農家で組合を作って、その組合が認証を取って、
小規模農家の自立に力を入れるという提案をしてくれた。
組合を作って大規模農家に対抗していこう、
という考えだ。
これは悪くない考えだが、
組合の運営はすこぶる難しく、
フリーライダーが出てくれば、
かならず商品の品質は低下する。
組合の運営に長けていて、
組合員への福祉も優先するような
ソーシャルビジネスの感覚に富む
リーダーや役員の存在は欠かせないだろう。

パームオイルではないが、
その存在として僕が期待するのが、
君たち研修生なんだけどね。

議論は、所詮、絵に描いた餅で
堂々巡りな観もあったが、
みんなと議論を通して、
持続可能で、小規模農家の組合として
地域全体で健全な生産をする方向へと
気持ちが向いていたのは、収穫があったと言えよう。

それを支えていく関係づくりとして、
僕にはまだやれることあると
確信している。
まずは、2015年のスタディーツアーだろうか。
食べる側と作る側が意見を交換できる場と関係、
それはとても素敵なことだと思う。
もう少しそれを意識して、
研修と農園の活動を広げていこう、
と僕も勉強になった。



気が付けば、もう2月。
それも来週は、3月。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。
まさに、そんな感じ。

今週、立て続けにインドネシア研修生の座学が
今学期分が終了した。
今学期(10月~2月)は6講座があり、
その内、僕の担当は4講座。
今回は、その内の農業とグローバリゼーションの記録。

この講座では、ドキュメンタリーDVDを見ながら、
ディスカッションをする形式だ。
今回見たDVDは5作品。

①あぶない野菜
これは以前エントリーがあるので、
詳しくはそちらに譲りたい。

②コーヒーの秘密
従属論的な視点で描かれているドキュメンタリー。
作る人と飲む人がどう付き合っていけばよいかを
考えさせてくれるDVD。
あぶない野菜には無かった、
バリューチェーンの分断を
どう結び直すかと言う視点も含まれる。

③ダーウィンの悪夢
こちらもばりばりの従属論的視点。
市場原理を前面に出した
発展のイメージで創りだされた
援助と市場が、どう社会を変容させていくか、
という好例と言えよう。
貧乏人(国)は、少ないチャンス以外は、もっと貧乏に、
お金持ち(国)は、そのチャンスを活かしてより豊かに。
なんだか、そんな絵が僕には見えた。

そういえば、このDVDが出てから
ナイルパーチと書かれた白身フライは見なくなったなぁ。

④水は誰のものか?
ハーディンの共有地の悲劇的DVD。
資金力のある企業が水を独占する話と
輸入と言う形で水を独占しているという
バーチャルウォーターの話。
限りある資源をどう皆で分配し合えるのか。
そんな知恵が僕ら人類のあるのかどうかは解らないけど、
考え続けることに意義がある。

⑤お米が食べられなくなる日
日本のお米事情のDVD。
世界との比較では、生産コストが高いくせに、
国内の他産業と比べると収入が驚くほど低い。
時給換算で、179円だというからびっくり。
労務局も黙っていないような労賃だ。
増産への技術革新と減反政策、
そしてTPP。
歴史と生産様式から見た
世界中のバリューチェーンを
先進国側からも考える一例として
研修生たちと一緒に見た。

179円の時給を研修生たちは、
「インドネシアだったら、農業の分野だとまだまだ高いですね」
と言っていたのが、印象的だった。

国と地域が交流をし、
お互いが刺激を受けながら変容していく。
その変容の中で、
時には格差が生み出され、
誰かはマージナルに置かれる。
しかも、それに見舞われるのが
少数ではなく、多数派だったりもする。

そんな不思議な秩序をもったこの世界。
そんな世界が見えてくれば、
この授業も意義があったと言えよう。

2週間後に最終試験。
それぞれの地域で、上記のような
日常に埋め込まれたグローバルな事象を探し出し、
その問題と解決に頭を悩ましてもらうというもの。
正解なんて無いだろうし、
当然、青臭い議論のやり取りになるだろう。
15分のプレゼンをそれぞれが
どんな風に作って来るのかが楽しみだ。


インドネシア農業研修の座学。
後期の授業が始まり、また忙しい毎日。
今回は、「農業とグローバリゼーション」の記録。

記録はしていないが、
前年の授業と同じく、
まずハーディンの共有地の悲劇の要約文(英文)を
読んでもらい、みんなが最適ではなく、
最大を目指そうとする場合、
限りある資源の前に、僕らは共倒れになることを
自覚してもらった。

今回は、DVD「あぶない野菜」について。
2002年のDVDなのでやや古さは感じられるが、
農業生産のグローバルな構造は、根本的には変わっていない。
作る場所と食べる場所の距離は、
今も昔(2002年)も変わらず遠い。
DVDの中では、中国産の野菜に多量の農薬を使われている、
といったようなイメージが多数出てくる。
また海外から輸入された野菜のビタミンが
輸送途中で失われて少ないなどの指摘があった。
日本側から見れば、そういう映像になるんだろう。
これの現象を中国や東南アジアの農家側から
映像を組み立てるとどうなるのか、
そこに僕の関心はあった。

作る場所と食べる場所と距離が遠くなり
お互いのコミュニケーションが分断される場合、
その生産もまた食べる側の規格も
あまり真っ当なものにはならない。
僕らが毎日付き合っている市場の野菜の規格だって
(何センチの株丈、何株~何株入りetc.)
エンドユーザーには、あまり関係が無いようにも思う。
僕は技術は相対的だと思っている。
そこの国や地域の文化的な価値があって、
その価値に合わせての生活がある以上、
その生活を支える生産にもその相対的な文化が
影響しているのは当たり前。
だから生産技術は相対的だと思っているし、
これまでのインドネシアや日本での技術指導において
何度もこの壁にぶつかった。
だが、市場が日本となった場合、
日本の価値がその生産地域に土足で持ち込まれ、
その価値が生産現場で翻訳しきれずに、
規格として入り込んだ場合、
そこでの生産がどのように行われていくのかは、
火を見るより明らかだろう。
DVDが指摘したのは、まさにこの構図だったように思う。

問題は国と国ではなく、地域と地域でもない。
だから本当は、作る場所と食べる場所の距離の問題でもないのだ。
分断される情報が、問題なんだと思う。
溢れかえる情報の海の中、
これ以上に増えていく情報は迷惑千万だが、
僕らの生活は、あまりにも簡素化しすぎたという事なんだろうか。
だとしたら、DVDのタイトルは
「あぶない野菜」ではなく、
「あぶない関係」じゃないだろうか?

研修生たちとの議論では、
距離ではなく、個と個の関係が
この問題を乗り越える一歩になるんだと
行きついた。
だが、どう個と個をつなげていくかは、
暗中模索。
グローバル化した世界で、
僕らの農業生産は、今も苦悩している。


そうだ、
インドネシア研修生の座学の記録をしよう。
今週と来週にかけて、
今期の座学の最終試験ラッシュ。
まずは、「農業とグローバリゼーション」という講座から。

このやや小難しいような講座は、
Think Globally Act Locallyの考え方・行動力を
身に着けてほしいために行っている。
農業を取り巻く地球規模の環境問題や
生産様式の方向性、長くのびきったバリューチェーンの中で
どう生きていくのか、
そんなことを考えられる力を身に付け、
そしてローカルに行動していける、
そんな農民になってほしいと思っている。

今期、講座で使用したテキストやDVDは次の通り。

・共有地の悲劇 by ハーディン
環境問題や耕作の有限性を考える時の古典中の古典。
限りある資源に対し、
個人の利益を最大にすれば、
すべてが崩壊してしまう。

・キングコーン
歪み切ったアメリカの大規模生産と食の裏側。
助成金によって、赤字を黒字にし、生産余剰を加工し、
むりくり消費者の口に突っ込むビジネス。
その結果、蔓延する肥満とその生活習慣病。
明日の僕らの世界像。

・食の未来
遺伝子組み換えビジネスの裏側。
普通では超えないと思われる種の壁を乗り越えて、
人に都合の良い作物を作り出す。
キングコーンで見た生産様式のなれの果て。
これの副読本として、
インドネシアの遺伝子組み換えに肯定的な
論文を数本追加。
安全性などへの答えよりも、僕らが進む世界の
生産様式はどうなのかを検証。

・バイオディーゼル
ヤシ油やトウモロコシで生産されるバイオディーゼルを
批判的に検証したビデオ。
環境にやさしいなどと隠れ蓑をかぶりつつ、
工業的な生産により破壊されている森林や労働状態を考察。

・パームオイル
文化的に食用でないオイルヤシを大規模プランテーションで
栽培続けるインドネシアとマレーシア。
オイルヤシのプランテーションを取り巻く環境問題と労働問題を考察。
モノカルチャー的生産の効率化が独り歩きしだすと
何が起こるかを
キングコーン、バイオディーゼル、パームオイル、食の未来を
通じて学んだ。

・Salud(サルー)!ハバナ ~キューバ都市農業リポート
アメリカの経済制裁とソビエト連邦を含む社会主義の崩壊により、
工業的農業から180度舵を切り、
有機農業による自給型農業になったキューバのレポート。
原油危機に対する答えや
加速する工業的生産に対する未来の答えは、これなんだろうか?

・おいしいコーヒーの真実
長くのびきったバリューチェーンの中で、
喘ぐ農家を映し出した傑作。
330円のコーヒーの農家手取りが3円。
それは、従属的な問題ではなく、
生産物そのものにはそれだけの価値しかないという事。
付加価値を生み出したくても、
市場から遠く離れてしまっていては、その刺激も受けられない。
そのマージナルに置かれた状況が悲劇である。

さて、これらのテキストやDVDを通して、
彼ら自身がそれぞれにどんな取り組みを
自分の目指す農業の中で実際の行動としてやっていけるかが
テストの課題。

クスワント君は、チョコレート栽培を目指している。
世界で第3位の生産高を誇るインドネシアだが、
収穫後の選別加工が不良で、低価格で取引されている。
元普及員だった彼は、収穫後の選別と加工を農民に徹底させることで
高単価を狙う、とプレゼンしてくれたが、
その刺激は、農民はどこから受けるのだろうか?
加工をしようがしまいが、買い取り商人の価格に変化はない現状で、
世界市場での価格が低価格なのだ。
バリューチェーンの中で埋もれてしまっている価値を
どう農家にわかるようにするのだろうか。
その点には全く言及されていなかったので、及第点には及ばず。

もうすぐ帰国のイルファン君。
彼はお茶栽培の産地から来ている。
大規模プランテーションだが、一部小規模の工場で
お茶生産もしている。
その小規模で生産されるお茶は、大抵の場合が大規模工場に
販売されるのだが、
それを地元向けに(バンドンが市場)生産しては?というのが
彼の意見。
有機のお茶生産をし、身近な市場を狙うというもの。
まぁ、まずまずでしょう。

3人目はタタン君。
彼は果樹栽培を目指している。
海外からの輸入に押されて、ローカル果樹の市場は厳しい。
そこで、ローカル果樹を専門で扱う店を構え、
有機肥料と果実の品質にこだわった商品を取り扱うことで、
地元中心に、輸入の方が優れているという意識を
変えていきたいと話してくれた。
結構、面白いだろうが、その意識を変えるのが
なかなかに難しかったりもする。
加工まで見据えてみたら、あるいは・・と思える話。

なかなか難しい課題だったようだが、
それぞれがそれぞれに考えることが大事。
正解は無いが、グローバルに考え続けて行動する大切さが
解ってもらえれば、やった甲斐があるというものだが、
さて、どうだろうか。


たまには研修プログラムの授業の記録をしよう。
後期の授業の「農業とグローバリゼーション」という講義で、
「おいしいコーヒーの真実」というDVDを見た。
あらすじはこちらのリンクで)

さて、このDVDのメッセージは一体なんだろうか?
富のかけ離れた映像に圧倒され、
メッセージと本当の意味での解決策は、
良くわからないまま、という人は多いだろう。
事実、研修生たちも、日本語情報ということで
苦労があっただろうが、
問題の核心には近づけていなかった。

コーヒー1杯330円の内、エチオピアコーヒー農家が
手にする収入は、3円。
複雑かつグローバル化した市場流通の中で、
コーヒーを楽しめば楽しむほど、
途上国のコーヒー農家が虐げられていく、
ような作りの映画。
「搾取され続けている」というのが、
作り手のメッセージなんだろうとは思うが、
どう搾取され続けているのかがあやふやで、
それが問題の本質にまだ近づけていない。

コーヒーは嗜好品だ。
全世界中の人が楽しむのに、栽培できるのは熱帯地方に限定される。
コーヒーを販売目的で栽培する行為が
すでにグローバルなことなのだ。
全世界規模的に、なが~くのびきったバリューチェーンの中で
幾度となく売買を重ねる。
そのプロセスの中で、
コーヒーは生産され、選別され、ブレンドされ、加工され、
そして最後にサービスと共に消費される。

問題の核心は、
コーヒー生産者が、コーヒーの「価値」に近づけないという事だろう。
世界規模の市場流通からでは、
どのように好まれて、
どういうサービスと共に、
どのように消費されているかの
刺激は受けられない。
330円の内、コーヒー農家が3円というのは
金額的に不条理なわけじゃない。
生産するだけでは、
それ自体にはまだ価値が付帯していないという事なのだ。
そして真に不条理なことは、
その情報からマージナルに置かれて、
一切知りえない状況の中で貧困を強いられているという事であろう。

映画では、
タデッセという協同組合の人物が
農家の所得向上のために奮闘している。
情報をどこまで共有しているのか詳細はわからないが、
少なくとも「価値」という情報から
遠ざけられていた農家に、その情報を届けようと必死なのはわかった。

コーヒーは、そのままでは雑味も多い。
乾燥と選別がかなり重要だ。
そして、ブレンドすることで深い味わいにもなる。
ローストの加減も、かなり重要だ。
さらには提供される場所。
僕らはのどが渇くからCaféでコーヒーを飲むのだろうか。
音楽やすわり心地の良い椅子、落ち着いた店内の雰囲気、
リラックスして飲めるようなサービスと共に、
僕らは一時の休息をそこに得る。
それらすべてが、330円の中に凝縮されている。

この情景すべてがコーヒーの値段。

この風景すべてをコーヒー農家はどこまで
理解して生産しているのだろうか。
たぶん、ほとんどないだろう。
それは、
無知な状況に落とし込められてしまって、
情報にアクセスできなくされているからなのだ。
長くのびきったバリューチェーンの中で、
情報と市場に自由にアクセスできない農家。
これがグローバリゼーションの一端なのである。

希望は無いのだろうか。
いや、そんなことはない。
生産する側が、その価値の情報を得て、
それらの技を自分たちの生産物に付帯できれば、
330円の内3円という状況にはならないはずだ。
タデッセの目指すところはそこにあるのだろう。
フェアトレードの目指す点もそこにあるはずだ。

研修生への僕からのメッセージは、
君たちがタデッセであれ、ということ。
もしくはタデッセのような奴と一緒に仕事をせよ、ということ。

中間搾取の多くは、情報から取り残されることで発生する。
だから、君たちは
市場の価値をダイレクトに仲間の農家に届け、
生産現場の価値をダイレクトに市場と消費する側に
届けられるような農家になれ。


インドネシア研修生の座学。
後期の授業が始まっている。
この後期予定しているのは、次の通り。

『農業とグローバリゼーション』(全学年対象)

『総合的作物栽培管理(ICM)』(全学年対象)

『卒業研究方法論』(2年生対象)

『卒業研究指導&ゼミ』(3年生対象)

以上、4つ。

昼休みの時間を利用しての座学で、
それ以外に昼休みの時間に、
直売所の配達が1日入っていて、
有志による勉強会とスタッフミーティングがあり、
さらにお客さん対応のとして時間を設けているので、
1週間が8日あれば、なんとかこなせる日程。
って、ぜんぜん回せてないのが現状か。

さて、今回は農業とグローバリゼーションの座学の話。
このグローバリゼーションをどう捉えるべきかは、
なかなか難しいところもあるのだが、
僕なりの理解で進めようと思っているので、
まず、研修生君たちには、
『共有地の悲劇』
『社会的ジレンマ』の2つの論文を読んでもらった。
適当な論文が英文でしかなかったので、
四苦八苦してもらいながら読んでもらった。

社会的ジレンマは、山岸俊男氏の論文が良いのだが、
日本語が難解すぎて、彼らには少し難しかったので、
こちらは解説のみ。

このどちらにも通底していることは、
個人の利益を最大にしようとすると、全体の最適が奪われるというもの。
結構単純なんだけど、それが世界規模で進んでしまうと、
僕らの全体の最適がなんなのかが
見えなくなってしまうので、大きな問題となる。

山岸俊男氏は、社会的ジレンマの研究の中で、
人間は利他的ではなく、利己的な利他主義だと説いているのだが、
まさにその通りで、
これまでも人類が直面してきた社会的ジレンマの経験から、
古人の言葉でいえば
『情けは人のためならず』という格言を
われわれに与えてくれた。
人に情けをかけるのは、人のためじゃなく、
自分のためだという、まわりまわって全体が最適になる方を
選択すべし、と僕らに説いているのだ。

この全体がとても小さな時代は、
その全体の最適をすぐに知覚でき、
その格言が力を持っていた。
だが、グローバル化が進み、世界が大きくなり、
知らないところで知らない関係ができあがり、
その中で知らないことから搾取が進み、
結果として、全体の最適を奪われようとしている。
みんな一所懸命、より良い明日を目指して、
つつましく生きているのに、
そのつつましい生活ですら、
グローバリゼーションの中では、
全体の最適を破壊し続けているのだ。

僕らは知覚しなければいけない。
今、世界で起きつつあることを。
そして、
全体の最適を壊さない
個人のより良い明日の姿を探さないといけない。

この授業では、
Think globally, act locallyを合言葉に
インドネシアの農民子弟と一緒に
この大きな世界の中で、
僕らの“より良い明日”を考えてみたい。



ここにアップするのが遅くなったが、
先週まで、農業とグローバリゼーションの授業をしていた。
遺伝子組換え作物や従属関係の世界市場の構造、
人類共有財産である種のパテント問題、
バイオディーゼル、そして、
ちょっと前までホットだったTPPの話などを
授業で議論していた。

遺伝子組み換えの話は、
研修生たちは、世界人口を維持するために必要と主張し
バイオディーゼルは、新しいエネルギーとして
歓迎ムードだった。

この授業では、世界人口の維持や新しい代替えエネルギーといった
一見だれも反対できないようなイデオロギーを
隠れ蓑に、世界規模で広がってくる事例を
一つ一つ隠れ蓑を引っぺがしながら、
考察しようというものである。

遺伝子組み換えの安全性の議論もさることながら、
それ以上にここでは、
はたして本当に世界の飢餓がなくなるのか?
という議論に集中した。

世界中の食糧援助が年間1000万トンであるのに対し、
日本で廃棄される食糧が年間2000万トンという事実。
結局は、お金のある連中が食糧を買いあさる構図。
他国のプランテーションで
飢餓が起きているにもかかわらず、
食糧生産よりも換金作物に力を入れる農業と産業の構図。
そして、非効率とわかりながらも
補助金を出しながら、だぶついたトウモロコシ市場を
なんとかするために、バイオディーゼルといった
新しい市場を場当たり的に作り出していく構図。
(トウモロコシの場合、石油1ℓに対して生成されるバイオディーゼルは0.8ℓ)

そんな世界の仕組みの中で
技術や制度が問題を解決するように喧伝され
正当性をもって、僕らの前に恥ずかしげもなく登場する。

社会の文脈を読み解き、
その生産構造を理解し、
そのうえで、僕らの価値に越境してくる
新しい価値について、僕らなりに判断をしたい。

最終試験は、バイオディーゼルについて。
研修生はどうしてもバイオディーゼルについてポジティブにしか
考えようとしないので、これを試験にした。

自然破壊を伴い、安い労働力に支えられている
モノカルチャーなプランテーションによるバイオディーゼルを
批判し、それに代わるあなたなりの技術を
空想しなさい、というもの。

イルファン君は、パームヤシのプランテーションは
ずいぶんとヤシ油がだぶつき余っている資料を持ち出して
「有効利用すべきです」と主張していた。
が、僕に言わせれば、それはプランテーション経営側の
策略にはまっているとしか言えない。
余っているのなら、面積減らして、元の森に戻せば?
と思ってしまうのだ。

タタン君は、ニュンプランという効率よくバイオディーゼルを
生成できる植物の話をしてくれた。
「街路樹なんかをすべてこのニュンプランにしたらどうでしょうか」
なるほどね。

僕の意見はこう。
コミュニティー毎に少しずつの面積を出しあって
このコミュニティーで少しでもエネルギーをまかなえないだろうか、
というもの。
太陽光発電パネルの集中設置でもいいし、
ニュンプランのような作物をアグロフォレストリー的に
栽培して、土地にアクセスが難しい人たちの利用も良いかもしれない。
少しずつ土地を出し合って集積すれば
大企業による大規模開発のような
住民の移動も土地の搾取も自然破壊の度合いも
ずいぶんと減る気もする。

だがしかし、一方でそれが
へっぽこコミュニストみたいな
幼稚な夢想とは自分でもわかってはいる。

この授業はまた後期に行う予定。
議論に終わりもないし、答えもないが、
考え続けることに意味があると信じて
続けるとしよう。


今回は研修生の座学から。
研修生は毎月、体験・実習・学習したことを
レポートにまとめてもらっている。
そして座学の中で、それを元にディスカッションもしている。
ちょっと前の話になるのだが、
7月の月間レポートを元にディスカッションをしていたら
今年来たばかりのタン君のレポートに面白いことが書いてあった。
それは、

「日本は自然を愛している人が多いようです。なぜならどこへ行っても山は緑で、木々が生い茂っているからです。私の住む地域は、山のてっぺんまで耕作され、木々が生い茂っている山はありません」

というもの。

なるほど。
日本の山は、はげ山と言うものが少ない。
皆、青々としており、木々が生い茂っている。
だが、それは自然を愛しているのとは
まったく逆のこと。
日本の山は放置されているだけなのだ。
僕は、家の暖房を薪ストーブに頼る関係上
薪を集めるために、冬場山に入らないといけない。
母方の祖父が山をもっているので
山仕事をする場には困らない。
そこで山仕事をすれば、誰でもわかることだが
山は、荒れ放題なのだ。
ではなぜ荒れ放題になるのか。
それは簡単。
林業で生計が立てられないから。

インドネシアの木を買ってきた方が
自国の木を伐採して材木として使うよりも
安くなるのだ。
そんな変な話があるものかと
思わないでもないが
幾つもの搾取が折り重なり
それが可能になっているのが現代の社会。

前期の座学が終われば
後期には「農業とグローバリゼーション」という授業を用意している。
僕らが住むこの現代に共通する問題。
環境問題とは限らない。
それにその中にも、目を覆いたくなるような
多くの搾取でまみれている。
タン君の疑問はそこで解けるだろう。

インドネシア研修生への座学の話。
ここ4回ばかり、遺伝子組み換え技術に対して授業と議論をしてみた。
まずは、イメージを持ってもらうために
「食の未来」という映画を見てもらった。

なかなかショッキングな映画で
遺伝子組み換え作物による環境汚染、
人類のもっとも共有すべき財産である種子に、
パテントを取った遺伝子を組み込むことで、種子に対してパテントが取れるという話、
などなど、なかなか考察に値する映画だった。

モンサントが持つ遺伝子組み換え作物で
除草剤に耐性のある作物があるのだが、
その作物が、他の作物との交雑で、除草剤に耐性を持つ植物が発生している
という印象を受けるようなフレーズがあったのだが、
除草剤に耐性を持つ遺伝子が
他の植物に移ったのか、それとも除草剤の使用頻度が多くなり
そのために除草剤に耐性を持つ植物が発生したのかは
説明が曖昧で、やや不満が残ったのは余談。
もし耐性遺伝子が、他の植物との交雑の中で移りえたとすれば
これほど忌々しき問題はない。

さて、
遺伝子組み換え技術は、どこから生まれたのか。
その技術自体の話ではなく、その技術は何を目的にしてきたのか、という話。
60年代、全世界をある革命が覆った。
赤の革命ならぬ、緑の革命である。
恒常的な食糧不足を解決するための方策として
化学肥料と農薬を使用することを前提として
高収量が約束されている品種の導入(麦・米など)のことである。
種子と化学資材がパッケージになって一体型の普及法であった。
インドネシアでいえば、稲の栽培期間がぐっと短くなり
このパッケージにさらに灌漑設備が投入され、
1年に3回の米作りが可能になった。
この普及によって、インドネシアは80年代に一度だけ
米の自給100%を達成できた。
(植民地時代からインドネシアは米の輸入国であり、現在も変わらない)

恒常的な飢餓は解消されるはずだったのだが、
現在、我々が見ている世界は、それとは大きくかけ離れてしまっている。
緑の革命は、ある面からみれば成功したといわれる。
事実、緑の革命の推進者であった科学者は、
この前、日本大学からその功績を称えられ、表彰を受けていた。
が、しかし、
少なくとも僕が学んだインドネシアの大学院では
この緑の革命は、多くの問題をはらんだ、
失敗の政策であると、今でも議論されている。

ノーベル賞受賞者のアマルティアセンが、
貧困は生産性の低さからではなく、分配の問題であると述べているように
たとえ生産性が高くなったとしても、
それは搾取する側のパイが大きくなるだけで
搾取される側の手には、いかほども残らないのである。
構造的な搾取(土地所有・借金・ジェンダー・階層・民族差別など)の中で
富の分配が平等に行われないというのが貧困の理由なのである。

だから、いかに生産性を上げたとしても
問題の解決ならないばかりか、さらに貧富の差が広がるケースがでてくるのである。

だのに、である。
緑の革命の失敗は、
生産性の向上が今一つにあったとする論文も見受けら、
それが病害虫の発生と関連があるように書かれているものもある。
その流れを受けて、登場してくるのが
遺伝子組み換え作物(GMOs)である。
病害虫に耐性をもつ遺伝子を
作物に組み込むことで、農薬のコストを減らし、
モノカルチャー(単一作物栽培)で効率的な栽培を可能にし
この生産性向上を持って
世界の飢餓を救う、というのである。
へそが茶を沸かしそうな論理展開。

緑の革命も
遺伝子組み換え作物も
その登場は、裏に何があるにせよ、世界の貧困を救う、という主旨なのだ。
この「世界の貧困を救う」というフレーズこそ、
僕には、とても危なっかしく聞こえてくる。

さて、その貧困を救うだが、
はたして救えるのかどうかは、すでに上述した通りで
分配が公平に行われていない社会的構造の中では
やはり結果は同じである。
そればかりか、世界の貧困を救う、という隠れ蓑をかぶり
モンサント社をはじめとするGMOsを作り続けている会社は
特定の遺伝子を発見する度に、
この生命体の壮大な歴史によって作り続けられてきた
もっとも単純で美しい螺旋の構造に
パテントを取るという暴挙にでているのである。
そしてそのパテントを取った遺伝子を
種子に組み込むことで、その種子のパテントも取ってしまうという
まさにこれこそが、アマルティアセンが指摘した貧困を生む構造の一つなのだが
それを作り上げてしまっているのである。

世界を救う技術という隠れ蓑を着て
貧困を生む構造(自分だけが利益を得る構造)を着実に自分のものにしてしまう
したたかさには、僕には到底理解できない。

緑の革命から遺伝子組み換え作物に至るまでの路線で
パラダイムシフトはどこにあるのか。
それはモノカルチャーを否定するサステイナブルな農の営み、ということになろう。
しかし、この「持続可能な」という言葉も最近では
モノカルチャー的な農業で持続可能なやり方を指示している場合も多く
今一つ、いただけない。
じゃぁ、「有機農業」はどうか?
これも同じである。
モノカルチャー的な農業なのに、有機認証制度さえとれれば
有機農業といえてしまうあたり、本末転倒とかいえない。
ロハスにしても、マクロビにしても、
一度言葉として発せられれば、
それは、消費を喚起するだけに使われることが目に付きだす。
それのスタイルに反対することで発せられた言葉なのに
言葉が独り歩きするというか、言葉を上手に解釈し直して
結局は、モノカルチャー的構造の中で
消費を喚起する、もしくは新たな健康オタクを作るだけの
チープな言葉になり果てることが多い。

そこで最近僕が目を付けているのが
IPM。
何も新しい取り組みじゃない。
病害虫総合防除のこと。
これ自体では、まだまだ弱く、この言葉の中だけを考えると
モノカルチャー的農業にも当てはまってしまうことが多い。
そこで桐谷圭治氏らが提唱している、
「IBM」に心が魅かれている。
IBMは、多分に概念的な言葉で
生物多様性管理の意味。
IPMでは、害虫と天敵のみに焦点が当たってしまっているが
名も知らない、ただの虫との共存も大切にしようというもの。
この考えから、僕なりにもう少し発展させて、
人が食する作物だけではなく、ほかの「ただの草」にも
同じような焦点を当てることができるのじゃないか、とも思っている。
つまり、モノカルチャー的な農のデザインじゃなく
複合的、生物多様性的な農のデザインを考える概念が
この言葉にあるのではないかと思っている。

ただの草だと思っているものでも
スベリヒユのように文化が違えば、それは野菜になるものもある。
スカンポ・スイバと呼ばれる、僕らにとっては雑草でしかないが
民族が変われば、それは立派な野菜にもなる。
ただ、すべての雑草がそうではないので、
少なくとも僕らにとって利用価値のある植物を
複合的に栽培することを目的としたい。
(この「利用価値」という価値観も、認識を新たにする柔軟性が必要なのだが)

ヴァンダナ・シヴァが言うように
多様性を大切にした有機農業は、モノカルチャーよりも生産性が高いのである。
それは、僕も畑での実践を通して痛感している。
流通に乗らない、また乗せられない品数が増えるので
必ずしも個々人の財布が潤うことはないが
構造的搾取の中で、比較的、富の分配を得ることが可能なのではないかと
思うこともあるのだが、以上は余談。

さて、
この映画と僕の解説だけでは、間違いなく、研修生君たちは
考えなければいけない、目の前の課題に気がつかないままになり
かつ、フェアではないので、ある論文を読んでもらった。

僕の母校(ボゴール農科大学)の先生が書いた論文で
GMOsの開発をインドネシア独自に行うことの大切さを説いているものである。
農産物輸入の多いインドネシアでは、
近隣諸国の農業と自国の農業との競争が激しい。
遺伝子的に資源の多いインドネシアでは
他国の研究にその多くを提供してきたが(もしくは勝手に持って行かれたが)
それを自国の資源として認識して、
GMOsの開発に乗り出すべきだという。
海外から遺伝子組み換えで作られた品質が優良な果物や農産物が
インドネシアに入ってくれば、自国の農業の崩壊になるというのである。
さもあろう。
たぶん、そうなることはまちがいない。
今でも、タイやマレーシアのマンゴやドゥリアンの品種の方が
品質も良く、高値で売買され、
自国産はそれらに対いて、いまいち競争力がない。
大量に食べ物を輸入しているインドネシアでは、
近隣諸国がいち早く遺伝子組み換え技術を導入し、品種改良を行えば
いまのままでは、自国の農業は吹っ飛んでしまうだろう。

それらを読んでもらって
両者に尋ねた。
あなたは、GMOsに対してどういう態度か、と。
H君イル君ともに、遺伝子組み換え技術には反対だった。
動物の遺伝子を混ぜ合わせたりもできる遺伝子組み換え技術で生まれた作物は
やはり、植物に見えても植物ではない生命体、ということらしい。
外国からの遺伝子組み換えによる優良(?)品種の輸入作物との競争については
議論の結果、
一般の市場でも、表示の義務化に向けて活動を起こすしかない、という
まぁ、ありがちだが、それでも大切な結論となった。
表示という意味では
うちで研修をするようになってから研修生たちのラベルや包装資材に対する
意識が変わってきているように思うことがある。
ただ単に野菜を束ねる手段ではなく、それらに情報を載せていくことの大切さ、
商品に物語を付け加えていくことの大切さを感じているようでもあった。
畑と食べる側とをつなぐ、とても小さなスペースでしかないが
その中に、大きな可能性があることもまた事実。
食べる側との情報の共有をどうしていけばよいか、
それが、僕らの目指す農業で、僕らが生計を得る
もっとも大切なことになってくるに違いない。
見た目だけで選ばれれば、間違いなく遺伝子組み換え作物の方が上になるだろうから。

こうして、4回にわたる遺伝子組み換えの座学は
情報の共有と生物多様性的農業の推進という結末で終わった。
インドネシア研修生への講義の話。
今回は、「おいしいコーヒーの真実」という映画を見て
レポートを書いてもらった。

授業の準備が間に合わないときは、
やはり映画を見てもらうに限るなぁ、
という手抜きではないのであしからず。

この映画がどういうものかは、リンク先に譲るといて
レポートの課題では、
どうすれば、農家はコーヒーをめぐる貧困の構造から抜け出せるか
それを、H君やイル君に考えてもらった。

H君もイル君も置かれている状況は、
おいしいコーヒーの真実のエチオピア農民とは違うかもしれないが
見方によっては、彼らのおかれている状況も
貧困の構造として捉えられなくもない。
特に、イル君の場合は、コーヒーではなくお茶だというだけで
世界市場に直接リンクしているという意味では
エチオピアの農民と同じような苦しみがある。

さて、課題。
彼らの意見はとてもポジティブだった。
まず、コーヒーだけに目を向けてみれば、
マーケットでの評価を高めるために、技術向上、有用品種の導入などを挙げた。
これは普通誰でも思いつく。
市場開拓としては、映画ではフェアトレードこそが希望の星と
描かれていただけに、
その推進は必要とH君は言っていた。
ただ、それは買い手の都合でもあるので
生産者として、またそのような貧困の輪の中にいるイル君には
あまりピンとこなかったようで、
コーヒーの国内販路を独自に探す方が良い、と彼は言っていた。
また、講義で取り上げた馬路村の例をH君は覚えていて
「コーヒーを直接売るのじゃなくて、一部は加工していろんな商品として販売しても面白いかもしれません」と答えてくれた。
なるほど、なるほど。
具体的には何?と聞くと
「コピコ」(インドネシアで有名なコーヒー飴の名前)
と、恥ずかしそうに答えてくれた。
まぁ、何に加工するかは課題だが、路線としては面白い。

次に、コーヒー外での方策として、両者に答えてもらった。
映画の中では、コーヒー以外に何も育たない土地で
コーヒー栽培をやめた農家は、コカの栽培をしていると紹介されていた。
H君は、映画で出てきた畑の様子から
「あれだけ草の生えている場所なので、野菜が育たないとは思えません」
と言い、
換金性の高い野菜や他の加工作物栽培が大事だと答えてくれた。
また、イル君は、
「草はたくさん生えていたようだったので、家畜なんてどうでしょうか」
と畜産との複合経営を示唆した。
両者とも、エチオピア農家のコーヒーだけによるモノカルチャーを良しとしておらず
いろんな作物や畜産との複合経営をするべし、と答えを出してくれた。

この映画を僕ら(日本人)だけで見てしまえば
従属論的な論調とその中で虐げられているエチオピア農民に対して
一種の庇護の精神が生まれてきて、
少し醜いその視点で、フェアトレードなんて考えてしまうのだが、
H君とイル君は違っていた。
彼らは、コーヒーの販路としてフェアトレードには賛成するが
それでも、エチオピア農民に対してコーヒーだけのモノカルチャーは
否定していた。
やれる方策は他にもある。
従属論的な論調の映画を見事に否定して
彼らは力強く、その方策を答えてくれた。

こういう瞬間こそ、講義をしていて良かった、と思えるのである。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
03 ≪│2017/04│≫ 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ