インドネシア農業研修の
前期試験結果を記録しよう。
前期(4月~9月)の授業は
農業構造論と地域開発論の2講座。
どういう講座かは、
なんども説明しているので
以前のエントリーに譲るとして、
その二つを合わせて試験を行った。
他者の地域ポテンシャルレポートを読んで
新しい農業ビジネスのプレゼンをするという試験。
3年生のジャジャンは前回記録済み。

2年生のレンディはジャジャンの地域のプレゼンだった。
キャッサバが多く育てられているというデータを元に
それを使った6次産業化の提案。
野菜や果物でスナックを作って販売するというものだった。
家内工業化する場合には
その方向性も考えないといけないね。
価値を高めるためにやるのか
それとも量が取れて暴落するリスクを回避するためなのか。
小規模家内工業化は別に反対はしないけど
お小遣い稼ぎ程度でも労力をかなりとられることも
覚悟が必要だ。
インドネシアでも日本でも、
農家の加工がなかなか主の稼ぎにはならない
という現実は僕もたくさん見てきた。
そして、僕もその一人だったりするしね。
必然性の説明ができなかったので評価はC。

1年生のイマンはレンディの地域のプレゼン。
レンディの地域にある伝統的なトウガラシ栽培を
グループ化して販売するというプランだった。
小農のトウガラシ栽培は
市場にアクセスできないため中間搾取に合いやすい。
それをレンディが中心になってグループ化して
ある程度のボリュームで卸売市場まで持って行って販売する
という提案だった。
これ、行政や協同組合の企画ならそれで良いんだろうけど、
レンディ個人として
なんでそんな公共事業ぽいことに
私財を投入しないといけないのか、
そこが不明だった。
それに「農家グループ」は、
すでに言説的に助成金を受け取るために結成するものという
認識がインドネシアの農村にははびこっていて
その言葉の下に、まともなグループ化は
あまり期待できない。
なぜレンディが良いブローカーとなり
その事業を通じて小農の農産物販売を
卸売市場で販売する、ではだめなのだろうか?
なぜグループ化なのか?
どうして平等でなければならないのか?
イマンの正論は僕も良くわかるが、
この意地悪かもしれないが、
現実的な意見に答えが全く見いだせなかったのが
ちょっと残念かな。
今回は評価なし。
来年もっと頑張ろうね。というか
僕の教え方が悪かったんだろう。
グループ化という呪縛から自分を解放しような。

さて今回は農園のすーちゃんも
この試験にトライしている。
彼女はジャジャンの地域のプレゼンをした。
しかもインドネシア語で。
外国語でのプレゼンは、なかなか大変だ。
準備にもずいぶんと時間を使ったらしい。
この経験は大きいね。
さて内容は、たばこ産業について。
ジャジャンの地域はタバコ栽培と
乾燥加工が盛んだ。
製品化されたタバコではなく
自分で巻いて楽しむタバコの販売が主だ。
それを新たにタバコの工場を作って
製品タバコ販売に力を入れてはどうか、
というのが内容だった。
東ジャワに集中する製品タバコは
そのブランド力が強く
その間に割って入るのはかなり難しい。
規模もブランド力も対等になろうと思うと
投資金額はもはや農家レベルでは無理だろう。
ただこの先を考えると
タバコ産業は斜陽だ。
とくに巻きたばこは厳しさを増す。
経済が成熟し、健康志向が高くなれば、
低タールたばこやいろんなアロマタバコが流行る。
値段が安い、や、タバコ本来の味、で
売り出している巻きたばこは
根強いファンはいるだろうが
減少傾向は避けられない。
タバコを極めないのなら、
またコストダウンを規模で乗り越えないのなら、
労働力の安売りになる巻きたばこ小規模生産の道は
徐々にだが縮小した方がいいだろうね。
その準備と次に策は考えないとね。
さて、すーちゃんは、
もう少し起業例を勉強しようね。
事例をたくさん頭に入れる作業をしよう。

で、今回は僕もこのプレゼン大会に参戦。
忙しいのにわざわざこんなプレゼンまで
参戦しなくても良いんだけど、
やはりプレゼン好きにとっては
こういう機会は逃したくない。
で僕もジャジャンにプランをプレゼンした。
ま、内容は簡単。
それぞれの地域のポテンシャルなんて
なんとも後付け感満載のもので
どこにでもあるものばかりって見えちゃうよね。
でもそれってあることを忘れているからさ。
それがポテンシャルとして見えてきて
力を発揮するのは、
その文脈に落とし入れるからであって、
またはその文脈でそれを観るからであって、
もともとそれがポテンシャルとして
そこに存在していることはないって
事実は、結構みんな忘れがち。

じゃ、どんな文脈で見るか。
これ以上ないポテンシャルは
ジャジャンが日本の園芸農家で
日本全国にしかも築地の業者や
日本の名工とよばれるシェフの店にも
野菜を出荷している園芸農家で
3年研修をしたってこと。
これを僕に置き換えて
他の国にすると理解しやすい。
たとえば僕がフランスの園芸農家で
その農家がミシュラン3星レストランに
野菜を出荷していて
そこで3年間農業の修業をしたとしたら、
僕はみんなからどう見える?
僕に実際にその技術が無くても
ものすごく専門家に見えたりしない?
つまりジャジャンは
インドネシアの農村社会の中では
特異な経験と技術を持った人に見えちゃうわけだ。
ジャジャン本人にその技術が備わってなくてもさ。
で、その正統性に乗っかって
日本の伝統野菜を栽培したら
どう見えるかな?
あとはそれを担保するのに必要な条件を
整えていく作業。
インドネシア人の訪日旅行者は
ここ4年増加している。
タイのように爆発的に増加しないのは
1つにはイスラムのハラルがあるからだろうけど
日本への関心は常に高い社会だ。
インドネシアでの病気による死因のトップは
心筋梗塞と脳梗塞。
食事による高血圧や高血糖が問題視されている。
そういう社会文脈で
2013年に世界無形文化財になった和食への
関心は潜在的に高いと言えるだろうね。
そういう条件を揃えていけば、
ジャジャンの日本野菜の栽培は
どうだろう、注目浴びるように仕立て上げられないかな?
で、日本野菜が上手くいかなくてもいいのさ。
注目浴びてみんなに認知してもらえさえすればね。
そこが僕のビジネスプラン。
ビジネスプランというには
ちょっとお粗末だとは分かっているけど
現場感覚で考えれば
これで十分さ。
僕がジャジャンなら、これをやるね。
農業資源へのアクセスが限られている
ジャジャンのような小農が
頭一つ地域の中で出すには
こういう仕掛けも必要だと思う。
ポテンシャルはそこにあるわけじゃない。
仕掛けを作ってそこから見るから
ポテンシャルに見えるだけ。
で本当にそれが力を発揮するのは
その視点がその社会の中で多くなったときさ。
その潮流を生み出す力とまでは言わないが、
潜在的にあるであろう社会の文脈や言説を
捉えきることも大切だ。
これが僕からのメッセージだ。



夏も終わりに近づいている。
例年よりも早めの秋の長雨のせいか、
朝晩もやたらと涼しい。
作物の生育は気になるところだが、
夏バテが解消されるので
こういう気候は、本能的には受け入れやすい。
さて、涼しくなったということで、
8月の間は休みにしていた
インドネシア農業研修の授業は再開しようじゃないか。

まずは、前期の締めくくりということで
UAS(期末試験)をやろう。
前回のエントリーでも書いたが(リンクはこちら)、
前期の2つの授業をまとめて試験する。
研修生たちはここにやってくる前に
農村ポテンシャル調査を受けている。
そのレポートを
自分の地域ではないものを読み込んで、
学友の地域にどんなアグロビジネスを展開できるかを
プレゼンする試験。
農業構造論で、ポテンシャルを浮き彫りにし、
地域開発論で学んだ事例のように
社会的起業をして地域活性化につなげるような
新しいアイディアを生み出せれば
評価はAだ。

まずは3年生のジャジャンが発表だ。
対象は1年生のイマンの地域。
自然的資源・人的資源・社会的要因などをひも解き、
ジャジャンの提案は、
「巨大ダム観光地にアンテナショップを作る」だった。
イマンの地域からそれほど離れていないところに
今、巨大なダムが建設されている。
環境破壊や住民移転などでかなりもめた案件だが、
完成すれば大きな湖ができ、
一大観光地になるのではないかと
期待も地元では大きい。
その湖の湖畔に
PUAPなどの資金を活用して
イマンの村の資源でもある地鶏と農産物の
レストラン&特産品直売所を開くことが
ジャジャンの提案だった。
湖の湖畔にはいろんなレストランや土産物屋が
出来ることは創造し易いが、
地域を丸ごとプロデュースして販売するような
そんな形態のお店はたぶんほとんどないと思う。
そういう意味では、
ジャジャンの話は面白けど、
資金的にはかなり無理があるようにも思えるね。
あと湖の湖畔なのに
地鶏を食べるっていうのがイメージとしては
どうだろうか。

ま、でもプレゼンは上手になったね。
日本で見た資源を
(今回は富山で見た道の駅がそのイメージらしい)
インドネシアに落とし込む作業が
自然とできているのが面白い。
その深度はもうちょっと浅いような気がするけどね。
3年生らしい発表でとても良かった。
ということで、評価Bだね。


インドネシア研修事業の話。
8月は暑すぎて、
授業をしても実が入らない。
というか、
お昼休み返上で授業をしていると
僕だけじゃなくて授業を受ける研修生も
さすがに体力的に参ってしまうこの季節。
だから8月は夏休みになる。

でも勉強の手を緩めてしまえば
人間堕落する。
ので、この時期は課題を出して
休み明けに試験をすることにしている。

課題は簡単。
それぞれの研修生には来日前に
僕が信頼するアニ女史による農村調査があり、
それは分厚い地域のポテンシャルレポートとして
僕の手元に届く。
そのレポートをそれぞれの研修生が、
自分以外の地域のものを読んで
よそ者として新しいアグリビジネスのモデルを
提案するというもの。
もちろん、無理難題のモデルでも構わない。
採点基準はおもしろいかどうか。
プレゼンの発表の仕方も
採点基準に入る。
どれだけ人を魅了できるか、そこに鍵があるからね。

8月いっぱいはそれぞれが
そのレポートを元に
自分の中にたくさんため込んだはずの
アイディアの種を発芽させる作業をしてもらおうと思っている。
自分で考えた試験とは言え、
ちょっと面白いので、
今回は僕もこの課題に参戦しようかと思っている。
それと
農園の新人のすーちゃんにも
やってもらいたいね。

日程が詰まっていて
今年の僕は
めちゃくちゃ忙しいけど、
こういうのはたまらなく好きなので、
9月の発表会までに
僕も気合を入れて
課題に取り組もうと思う。
って馬鹿か?やっぱり。



たまには
インドネシアの農業研修座学の話をしようか。
ブログに全く顔を出さなくなった話題だが、
ちゃんと毎週、3回の座学をやってきている。
今年は農園の新人・すーちゃんも
インドネシア語が理解できるので
オブザーバーとして参加している。

さて、今回記録したいのは
地域開発論の最終回で議論した内容だ。
教材として
プロフェッショナル仕事の流儀のDVD
『公務員木村俊昭の仕事』を観て
議論をした。
この最終回の前に
内子町のからりができるまでのDVDを観て
議論したのだが、
その時の成功のカギはやっぱり
地元の人たちや行政の人といった
アクターをそろえての勉強会の開催に
あるんだろうと思う。
だが、ただ勉強会を開けばいいわけでもない。
そこでの議論がどのように展開すれば、
それが成功のタネにかわるのか。
そこに関心が強くなっていた。
そこで、上記のDVDとなったわけだ。

難解な日本語の連続と
今風の細切れな編集に
インドネシアの子たちは苦戦した。
2週間の猶予を与えたけど、
あちこち話が飛ぶような編集では
やはり伝わりにくいね。
画像はかっこいいんだけど、
雰囲気だけだからね。
でも、それでも肝は掴んでいたように思う。
3年生のジャジャン君は
大筋を掴みつつ
木村俊昭さんの
「小さなことでもいいから、できることから始めましょうよ」
という言葉が印象的だったと答えた。
そう、たぶんそれが僕も答えだと思う。
会議である問題解決を話し合う時
そこで提案されるソリューションに
出来ない言い訳をつけるのは
誰でもできる。
頭が良い人ほど
そのもっともらしい答えを見つけ
失敗を事前に予測してしまう。
出来ないことの理由づけばかりの会議で
消耗戦に入ってしまえば、
どんだけ回数を重ねても
前には進まない。
進まないことを正当化する会議になってしまう。

地元の人間は
問題点を整理はできていないなりにも
いろいろと挙げることができる。
だから人によっては
問題から話し合うこと自体を
やめようというやり方を提案する場合もあるね。
それらは会議やその場のファシリテーション的な
テクニックの問題になるんだろうけど、
そこの場の問題から入っても
意識的にできることから入れば
アクションは起きやすいと思っている。
この場合木村氏の存在は
ヨソモノなので
常識から見たら『それ無理』を
次々に提案しているのだろう。
で、その『それ無理』を
出来ないという理由探しにならないように
出来ることは何か?から入っているのが
彼の力なんだろうと思う。
これを観ていて、
僕は、
あの時インドネシアにいた協力隊のみんなを
想い出した。
そう、こういうのが大事だよな、てね。

出来ない理由を探さないで、
やらなきゃいけない、
やりたいこと、
そのことに向かってそれぞれができることを
その地域でステッキを握る
アクターみんなが共有できたら、
もうそれで半分以上は成功だね。

それが勉強会の中で
成功のタネが生まれるプロセスなんだけど、
研修生のみんなにはそれが伝わったかなぁ~。
こうして今学期の地域開発論の最終座学は終了した。


インドネシアの農業研修も新学期を迎えた。
今学期は、地域開発論という授業をする予定で、
そのイントロダクションを行った。

これまでこの授業では
日本の地域開発の事例をケーススタディして
成功の鍵やそこに潜む問題点などを
みんなでディスカッションしてきた。
ここ数年はBOPビジネスなどもここで議論してきた。

で、今年も日本の事例をと
思って教材を用意したのだが、
研修生たちから、
「日本語は漢字が難しくて読めません」
と文句を言われてしまった。
僕が持っている教材のほとんどが日本語であるため
ケーススタディをするにしても
まずその事例を日本語で書かれた文献で
読み込まないといけない。
その作業がつらいというのだ。

でも日本語以外の言語で
こうした教科書になるような本といえば、
英語しかない。
僕がかつて通っていた
インドネシアの大学院でも
インドネシア語の書籍を使うことはほとんど皆無で、
ほとんどが英語文献だった。
だから社会開発系の英語文献は
それなりに持っている。
だからそれを読んでもいいのだが、
大学院レベルのかなり難解な文献も多く、
ホイホイ読めるもんじゃない。

と、僕は説明したのだが、
彼らは自信たっぷりに
「英語なら読めます!」という。
ほとんど英語がわからない彼らが、だ。
でも自信たっぷりに言うので
とりあえず英語文献でやることに。

で、あとで研修生一人を捕まえて
聞いたら、
「ネットの翻訳ソフトを使うんです」とノタマフ。
ああ、それだとたぶん
簡単な英語文章しかまともに訳せないよ。
専門用語が羅列されている文章は、
たぶん無理。

彼らの目算が外れ、
自分で選んでしまったがために
読む羽目になるであろう人類学の開発批判本を
彼らはいったいどれくらいの時間をかけて
読むつもりだろうか?
まぁ、あいつらが選択したんだから、
時間かかってもやってもらうけどね。



インドネシア研修生の座学
「地域発展論」の続きを記録しよう。
最終試験では、
クスワント君(以後:ワント君)の帰国後の営農スタイルを
発表してもらった。

ただ単に農業を行うのだけでなく、
その営みが、その地域の問題解決につながっている事。
それがこの試験の条件。
ワント君が考えている営農スタイルは、
「アグロフォレストリー」。
農林複合経営とか、森林農業などと言われているスタイル。
その概念自体の詳しい説明は省略するが、
ここでは彼のプランを中心に書いていこう。

彼の住む地域は、西ジャワ州スメダン県の県都スメダンから
西に1時間ほど山に入ったところにある。
山間地だが、水源が少ない。
水の入る土地では田んぼをし
そうでない土地ではサツマイモを栽培している。
ワント君曰く、
「父が若かった頃は水も多く、水田が沢山あったのですが、今ではかつて水田だった土地もサツマイモ栽培に変わっています」とのこと。
確かに近くにサツマイモの有名な産地があるので、
それなりにサツマイモ栽培への関心が
高まっていることもあるだろうが、
それが変化の主要因ではなく、
彼は水源の枯渇がそれを招いたと考えている。

彼はプレゼンで、自分の故郷の小さな山々を写真で見せてくれたが、
その多くが、木が一本も生えていないはげ山だった。
頂上まで耕されて、畑になっているのである。
人口が密集しているジャワでは、そう珍しい光景ではない。
ワント君の地域でも農地は3反もあれば広い方だという。
人口圧と貧困が農地の限界にチャレンジしている風景とも言えよう。

そのはげ山、困るのは保水力。
雨は雨季になればそれなりに降るらしいのだが、
水は一気に山を駆け下りてしまい、
こんこんと湧き出る水源を作ってはくれない。
森を切り開き、すべてを畑にしてしまったからだ。
しかも、作物を支える表土が流亡するのも大きな問題らしい。
そのため、それらの土地では年々生産量も減っていく。
そして水源がなくなるため、今まで田んぼだった土地も
畑へと変化していってしまっている。

この問題の解決に、彼が考えたのが
「アグロフォレストリー」。
木を植えて森へと戻しながら、
その間で耕作をするというスタイル。
ただ、ちょっと経営的には難しい時もある。
植林した当初は、その間でいろんなものを栽培できるが、
樹幹が大きくなってくれば、当然、光を遮るので難しい。
野菜や穀類と果樹の組み合わせが多いのは、
樹幹が低いうちは、野菜や穀類を販売し、
高くなれば、果樹経営に変えるというのが
アイディアの一般的なところだろうか。
だが農家の立場からしてみれば、
野菜や穀類と果樹の経営は、
同じ農業で括られてはいるが、
経営的にまったく違うもので、
数年の間にその変化がやってくるような経営は、
できればしたくないのが正直なところ。

ワント君のアイディアは、
はげ山でアグロフォレストリー経営をし、
下部の農地の水源確保にもつなげるという。
しかし、経営的に難しいアグロフォレストリーが
果たして、その地域の社会的起業になりうるのだろうか?
政府が多額の助成金を出しても(果樹による緑化政策など)、
あまり成功例を見ないのに、
理念は素晴らしいが経営的に広がりを見せるのかどうか、
すこし不安もある。
ワント君は、そこもしっかりと考えていて、
果樹として植える作物をバナナとし、
その加工まで見据えてのビジネスプランだった。

ワント君の案は、バナナチップス加工も含まれていた。
徹底したエコを意識してか、
乾燥機は電気や石油燃料を使わず、
太陽光のみで出来るものを選んだ。
全国の農業高校のコンペティションで、
加工分野で学校の代表になったこともある彼らしい案だった。
生のバナナでは有利に販売できないし、
田んぼなどの農繁期と重なると作業も大変になる。
加工であれば、時期を見定めて販売できる。
エコなチップスは、それだけでストーリーとなる。
それが彼の案だった。

なるほど、面白い。
でも、脇はまだ甘い。
そうであるなら、アグロフォレストリーなんて
持ち出さなくても良いじゃないか。
バナナが儲かるのなら、バナナのプランテーションにした方が、
経営はより有利だ。
それに対し、ワント君はアグロフォレストリーと
プランテーションを自然に対する負荷で反論したが、
貧困にあえぐ農民に、自然保護なんて
念仏ほどの価値もないだろう。
たぶん、自然保護を真っ向から反対する人はいない。
でも、なぜかそれを皆やらないのには、
それなりの訳がある。
それをやれば、今よりも生活がぐっと良くなるような
手ごたえがすぐには得られないからだ。
かつて、僕がボゴールで学生をしていた時に、
ある人から、
「環境保護は、経営的な話になるとどうしても弱い。それは義務としてやらないといけない時もある。やる方にとってすべてが楽しいことなんてないんだよ」と教えてくれた方が居たが、
僕はそれではやはり先には進めない気がする。
この社会的ジレンマを抜け出すには、
その営利活動を行うことで、全体の問題解決につながるような
社会的起業が必要なのだと思う。
だとしたら、倫理的な問題だけではなく
(たぶん、それはもう議論し尽くされている)、
それをやる人たちにとって、もっと活力ある営利活動でなければ
魅力的じゃないのだ。

だから、僕は彼に宿題を出した。
バナナのプランテーションにならずに、
ワント君の言うアグロフォレストリーになる道を
この夏休み(座学の前期と後期の間)中に
レポートにして出してもらうことにした。
何が出てきたかは、またその時に記録しよう。

インドネシア研修生の話もたまにはしよう。
今学期(4月~7月)に開講した座学に
「地域開発論」というのがある。
社会的起業の要素を含みつつ、
農業分野で起業しようという授業。
研修2年生の授業。

毎回同じような事例を取り上げているのだが、
今回は、すこし切り口を変えてみた。
これまで社会的起業というのが曖昧だったので、
そちらの視点から、事例を比べてみた。
事例は、
上勝町の「いろどり」、
内子町の「からり」、
そして、「和郷園」。
この3つの内、いろどり以外は
その関係者から話を直接聞いたことが無いので、
資料(主にDVDや本)を元に分析をしたので、
実際のそれと当てはまらない部分もあるかもしれない。

さて、
僕らは常に何かの問題を抱え、
そしてその問題の解決法を探している。
かつて、協力隊としてインドネシアに赴任していた時に
インドネシアの農民の語りの中で良く出会ったのが、
「行政が悪いから」という政府依存型のセリフ。
問題が解決しないのは、行政がそれを行わないからだ、という意見。
まぁ、ある程度それは当てはまっているのだが、
動かないものを待っていてもしょうがない。
その後、大学院に留学した時は、少し事情が変わって、
NGOが無数に出現し、行政サービスの一部を大なり小なり
担い出していた。
社会の問題を、NGOが代わりに解決し始めていたのである。
それでも多くのNGOの友人たちは
資金確保に苦しみ、
ドナーの意向に左右されながら活動をしていた。

社会的起業は、NGO寄りなんだろうけど、
よりビジネスを意識させる。
ある特定のビジネスが成り立つことで、
それに関わる社会問題が解決されるという特徴を持ち、
そのビジネスを対象に銀行から融資を受けるだろうが、
どこかに政治色&宗教色を帯びたドナーが居るわけでもない。
(そういう場合もあるだろうけど、この場合は考察に入れない)
より自由な立ち位置だと感じる。

こういった考察の場合、
インドネシアやその近隣の方が事例が多いのだろうが、
僕の能力不足もあって、今回も日本の事例で
考察をしてみた。

さて、いろどり・からり・和郷園の分析だが、
ざっくり行うことにしよう。

いろどりは、地元JA職員だったカリスマ代表(横石氏)が、
高齢者でも参加できる新しい市場を求め、
つまもの市場のニッチを開拓した話。
関係者の多くが、始めからその市場の可能性は信用せず、
この代表のリーダーシップに成否がかかっていた。
現在(資料の現在)では2億円を超える売り上げあり、
多くの高齢者(特におばあちゃん)が参加し、
老いを活き活きと過ごす場の提供にもなっている。
「高齢者が5割いるというのであれば、その5割の人の出番を作ってやればいいんですよ」と語る横石氏の言葉は重い。

からりは、内子町の行政が開いた農家との勉強会の中で、
直売所の開設へと向かった事例だが、
直売の開設に、農家自身が出資者となったのが、
括目に値する。
いわゆる行政主導の参加型開発のような事例。
ただ実際に農家自身も出資することで、
直売所経営に直接かかわり、自分の出荷する野菜だけでなく、
直売所を含めた内子町の農業環境すべてを見渡せるような
機会を創り上げられたのが素晴らしい。
自分の作物だけでなく、
直売所をどうすれば盛り上がっていくかの視点も
各農家の語りに随所に見られた。
出荷農家同士の争いやいざこざが絶えない
行政主導もしくはJA主導の直売所とは、
やや趣が違うように感じた。

そして、和郷園。
木内博一氏が、トラック1台で始めた都内スーパーとの産直。
そこに周りの農家も巻き込みながら徐々に大きく商売をしていく。
流通の問題を、自分で運び、自分で売ることで解決しようとした。
その経験から、野菜の栽培現場と販売現場のギャップを感じ取り、
カット野菜などの加工業に力を入れ、
無駄なく野菜を食べてもらえるような提案をしている。
この場合、和郷園は株式会社にすれば、
より儲かるのだろうが、そこを農事法人組合のままにしているところが、
木内氏の参加農家に対する哲学を感じた。
「誰も脱落者を出さない」と話していた彼には、
金儲けというよりも、この地域に必要なビジネスとは何かを
考える姿勢があった。

いろどりは行政主導であり、
からりは行政型参加型開発。
そして和郷園は、完全なる民間の活力。
これらは、その地域とその経緯の違いであって、
どれがいいというわけではない。
ただ、どれにも共通していることは、
それぞれのビジネスがうまく回り出すと、
それに関わっている人たちの持つ問題を解決していくという事。
それはただ単に金銭面でというわけじゃない。
社会的起業と呼ぶには、若干、適切じゃないケースも
見られるが、少なくとも何かの問題解決のために
起こしたアクションが、そのビジネスにつながっているという点で、
考察に値する事例といえよう。

これらの3つの事例を研修2年生は、
DVDなどで見て、レジュメを作り、プレゼンをしてもらった。
これらの事例の成功のカギを分析し、
そこにあった問題をどう解決するビジネスにつなげたを
一緒に考えてきた。
この講座の最終試験では、2年生にプレゼンをしてもらった。
彼の故郷で、彼が帰国後の夢として持っているビジネスが、
どう地域開発につながっていくかのプレゼン。
次回は、その2年生の最終試験を記録しよう。

インドネシア研修生の話。
前期の最終試験の真っ最中で、今回は3年生のイルファン。

彼の立てたビジネスプランは、タタンの地域。
タタンの地域は、それなりに街までのアクセスが良く、
果樹栽培がとても盛ん。
イルファンはそこに目をつけ、
加工後に廃材になっているヤシの実で
工芸細工の生産をしてはどうかというビジネスプランを立ててきた。

ヤシの実の工芸品は、バリやジョグジャの観光地、
または大都市のショッピングモールなどで簡単に手に入る。
しかし、それらの多くは、
お土産用もしくは金持ち層がターゲットで、
一般市民の間では、まだまだ使用頻度は少ない。
イルファンの計画では、
一般の市民や普通のレストランなどがターゲットとなっていた。

タタンの地域では、
タタン自身がヤシの実栽培を帰国後の計画として
挙げてきているように、ヤシの実の栽培が盛んである。
ヤシの実を加工した後に出るヤシがらは、
そのまま廃棄されることが多い。
昔は(タタンやクスワントの祖父時代)、そのヤシの実の殻を
お椀に加工して一般の家で使われていたという。
しかし、時代が近代化し、そういった食器は古臭いものとして
使用されなくなっていった。

イルファンはそれを復活させ、
再び市民権を与えようという試みだった。
ただ復活させるのではなく、デザインに凝り、
アートとしても十分通用するような工芸品にしたいとのことだった。

この工芸品の製作所を
タタンの地域を横断する、
街と街を結ぶ幹線道路沿いに建て、
体験でヤシ工芸品を作れるような施設にしたいという。
また、そこで直売もし、制作現場を見ながら
買い物も楽しめるようにしたいらしい。
併設で地元野菜の直売所もいいかも、と言っていた。

製作所で働くのは、
正規のスタッフ以外にも、
近くの住民グループ、というのがイルファンの案。
女性グループや若者グループがいくつかあり、
時間のある時に製作所で工芸品を作成するというもの。
また指導に当たる工芸芸術家も同時に募集し、
その地域にあった統一的なデザインも確立したいとか。

いやはや、
最近のイルファンには、驚かされる。
プレゼン時間も10分と言い渡してあるのだが、
イルファンだけがこの時間通りにプレゼンしてくれた。
彼は、ここ1年ほどで驚くほどに
学力を伸ばしてきている。
本当に楽しみな子だ。

試験後、みんなで今回の試験について話し合った。
自分以外の地域のビジネスプランを立てる方が、
みんな自由度が高く、面白いものが出来ていた。
さらに、その他人の立てたビジネスプランによって、
自分の地域のポテンシャルに新たに気が付いたという意見もあった。
とても小さな取り組みだが、
こうしてこちらが学んでほしいと思うことを
着実に身に着けていってくれている姿を見ると、
とてもうれしくなる。
忙しい中、時間を作ってやっている意味を
自分なりに再確認できた。

11月からは後期の授業が始まる。
まだまだ詰め込まないといけないことが多い。
タフな日々はまだまだ続きそうだ。


インドネシアの研修生の話。
前期の授業の最終試験の真っ最中。
今回は、タタンのプレゼン。
タタンは、クスワントの地域でのポテンシャルレポートを元に、
ビジネスプランを立ててもらった。
授業でのポイントを踏まえつつ、
それでいて、そこから自由にはみ出しながら、
地域が発展していく社会的起業のプラン作り。

タタンは、クスワントの地域のポテンシャルレポートに加え、
独自にネットからの情報を得て、
クスワントの地域に3つの有力品目を挙げた。

サツマイモ
砂糖ヤシ
丁子
の3つ。

クスワントの地域では、もともとサツマイモが有名。
とても甘い品種があり、その栽培が盛んなのだ。
日本で言えば、糖度が普通のさつまいもの2倍ある「安納いも」に
良く似ているのだが、クスワントの地域のいもは、
それ以上の甘さをもつ。
そのイモを近くの幹線道路沿いで直売しようというのが
タタンのプラン。
インドネシアではよく、道路沿いに屋台を出して
野菜や果実の販売を目にすることがあるが、
タタンのプランは、それとは違っていた。
駐車場とトイレを完備した、ドライブイン型のお土産屋を建てて、
イモを入れる袋や竹籠などにもこだわって、
販売しようというプランだった。

次は、砂糖ヤシ。
インドネシアの砂糖のほとんどがサトウキビから作られている。
だが、一部、この砂糖ヤシ(aren)から取れる、
アレン砂糖というのが出回っている。
インドネシアの子たちに言わせると、
サトウキビから取れる砂糖は、「美味しくない」だそうだ。
だが、このアレン砂糖はとても美味いという。
たしかに、僕もインドネシアではお気に入りの砂糖で、
お土産にたくさん持って帰ってきたこともあった。
コクと香りが良く、料理にはもってこいの砂糖。
これで入れるコーヒーが好きで、
ボゴール農科大学に留学中は、そればっかり飲んでいた。
そのアレン砂糖、クスワントの村では
かつて生産が盛んだったとか。
それは元々、その村にたくさんの砂糖ヤシが自生していたことによる。
しかし、今では森林を畑に切り開いたり、
人の居住地が増えたりで、砂糖ヤシの植生が減り、
アレン砂糖の生産は衰退の一途なのだとか。
タタンはこれに目をつけて、
クスワントの村のアレン砂糖生産復活をプランとした。
このプランで大切なのは、砂糖ヤシの栽培だろう。
だが砂糖ヤシは、その実から発芽させることがかなり困難で、
その苗の大量生産は、無理だと他の研修生も思っていた。
だが、もともと森林の緑化に力を入れていた団体に
就職していたタタンは、この砂糖ヤシの育苗も
かつての会社で手掛けていたという。
クスワントの村に、砂糖ヤシの育苗所を建て、
苗の生産と販売を行うというのが、タタンのプランだった。
アレン砂糖で有名だったので、
砂糖ヤシの苗は売れるだろうという考えらしい。

最後が、丁子。
インドネシアでは、かなりポピュラーな香辛料。
クスワントの村では、一部丁子栽培もおこなわれているので
価格的に安定しているこの丁子栽培を推し進めるのが
地域発展のカギとタタンは言う。
インドネシアでは、たばこに丁子を混ぜたものが
主流で、丁子の消費量は意外に多い。
しかもクスワントの村の近くに、
たばこ生産の会社があるのだとか。
そこに丁子を卸せばいいという、ちょっと安易なプランを
最後にプレゼンしていた。

このてんこ盛りのプランを10分のプレゼン時間で
やるので、当然早口かつ上っ面の内容だった。
僕は始め、とてもわくわくしながらプレゼンを聞いていた。
タタンの選んだ3つの品目が、どう関係性をもって
地域発展のプランになるのだろうか、と。
しかし、中身はただ3つを並列したにすぎなかった。
それが有機的に相互補完することもなければ、
相乗効果を得ることもなかった。
まぁ、別にそうである必要性はないのだろうが、
3つである必要性も感じない。
なんとかく締りのないプレゼンというのが
率直な感想。

日本人有志の勉強会で得た知見から言えば、
地域ブランドに必要なのは独自性と統一性。
タタンのプレゼンには、その統一性がない。
そして3つも挙げることで、一つ一つの深さもなく、
どこかいい加減になってしまっていた。

また、アレン砂糖ではかなりいいセンスを見せてくれたのだが、
販売は、砂糖ではなく、ヤシの苗にとどまっているところも
とても残念。
砂糖ヤシの育苗所を建て、砂糖ヤシの里として
伝統的なアレン砂糖の販売に力を入れた方が、
僕には面白いと思えてしまう。
育苗所の存在は、砂糖ヤシの苗を売ることよりも
それがあることでアレン砂糖を
他よりも優位に販売することができるシンボルになるのである。
できないと思われている砂糖ヤシの育苗に成功し、
もともと昔から有名だったクスワントの村のアレン砂糖を
伝統的な製法で復活させ、統一イメージを創り上げ、
その販売に優位性を持たせる。
どこにでもある、といえば、どこにでもあるアレン砂糖。
古臭い昔の砂糖といえば、そういう砂糖。
でも、この砂糖の持つ良さは、ちっとも古臭くもないし
昔でもない。
今の文脈でも、十分すぎるほど魅力的だ。

そういったプレゼンをしてくれたなら、と
タタンに対する期待が大きかった分だけ、
すこしがっかりした結果だった。

こちらの教え方が悪いのだろうけど。


インドネシア研修生の話。
前期の授業が終わり、先週から試験に入っている。
試験は、2つの授業「農業構造論」と「地域発展論」を
合わせた試験で、他の研修生の地域を題材に
アグリビジネスプランを立てるというもの。
10分のプレゼンをしてもらい、20分間の質疑応答。
面白い企画を立て、質疑応答でもたじろがなければ
まぁ、とりあえずは合格という試験。

一番初めにプレゼンをしたのは
1年生のクスワント。
彼は、3年生のイルファンの地域での
ビジネスプラン作りだった。

イルファンの地域は、標高1500メートルを超える高原地帯で
インドネシアであるがとても涼しい地域。
お茶の大規模栽培が有名で、
近くに湖もあり、地元の観光客もある程度いる。
そんな地域で、クスワントの立てたビジネスプランはこうだった。

まず栽培作物は、お茶も続けるが、
新規としてコーヒー栽培にも力を入れる。
品種は、標高が高いほうが美味しいとされるアラビカ。
これを普通に販売して、その味や品質で高値を狙う努力もするが
観光地近くに、農家グループでコーヒーバーを建てて、
そこで観光客にも直接アピールする。
観光地は湖の近くで、
また観光客は、近くの川でラフティングやキャンプをするといった
アウトドアが目的ということもあって、
お茶畑を整備して、その間をサイクリングできるように整備したり、
馬に乗りながらお茶畑やコーヒー畑を
散策できるようなコースも作る。
体験農場を作り、収穫体験できるようにする。
それらイベント参加の予約もコーヒーバーで行えるようにするというもの。

コーヒーバーには、機械によるコーヒー抽出機を置き、
客自らがコーヒーを入れて飲める形式にするとか。
物珍しさに、お客が来る、とクスワントは説明していた。
客層が、都市部のビジネスマン家族になることから
無線のインターネットも整備する。

なかなかユニークなプラン。
質疑応答では、学友から厳しい質問が続いた。
なかでも集中したのが資金。
コーヒーバーの建設費やサイクリングコースの整備費など
農家がやるには少々重荷なプラン。
その資金はどうするのかという質問に、
クスワントは、BRIなどの地元銀行が行っている
貸し付け(KUR)などを紹介していた。
1グループに1億ルピアを上限に貸し付けてくれるという。
数件の農家でグループを組み、
研修生の貯めた資金を投入し、
銀行の融資が取れれば、可能じゃないか、とクスワント。
かなりリスキーだけど、
なかなか良い具合にはみ出した計画だった。

ただ、その観光地の雰囲気はどうなのかわからないが、
機械でコーヒーを入れるよりも、
ミルを使い、サイフォンやネルでゆっくりと入れるスタイルの方が
アウトドアを楽しもうという客には受けるような気もするのは
僕の個人的な意見。

近くの観光地に来るアウトドアの客を呼び込み、
農業の景観(美しい茶畑&コーヒー畑と自然)と体験を活かして、
自分たちの生産するコーヒーのブランドを立ち上げる。
それがクスワントのプランだった。

前期の授業の要点を良く押さえたプラン。
レポートの質は良くなかったが、まずは合格だろうか。



インドネシア研修事業の座学「地域開発論」。
今回が最後の授業。
取り上げたのは木次牛乳のお話。

早くから牛の飼料にこだわり
低温殺菌処理の先駆的な存在。
低温殺菌を始めたころは
安全性へのイメージから消費者に
はなかなか受け入れられなかったらしい。

この座学。
今回のスメスターでは、農業の起業にこだわって
そこにフォーカスを当ててみたのだが、
研修生と一緒にこの木次の牛乳とこれまでの事例を
総括してみた。
農業ビジネスで成功している人や地域は、
何が成功のカギになっているのだろうか?

それは、僕個人の意見だが、
常識を疑うこと、なんじゃないだろうか。

徳島上勝町のいろどりのケースは
どこにでもある葉っぱを売ることだったし、
直売所からりは、生産者が売れると思うものと
売れないと思うものの間にある、ある偏見と価値を
壊していく過程だった。
秋川牧園の事例は、安全性を徹底追及してみた結果だった。
そして木次牛乳は、低温殺菌という
その当時では受け入れがたい殺菌方法への取り組みだった。

このいずれもが、自分たちの生産の効率性向上や
自分たち生産者の価値から出発していない。
つまり、自分たちの常識の延長上に
その成功のカギを求めていない、ということだろう。

まずは、常識を疑え。
周りから、「狂人」のように見えられていたような
価値や考え方が
その次世代のスタンダードになっているという事実。
「KY」などという罵り言葉が出現してくるくらい
周りの空気ばかりを読むことが良いことのように
言われるようになった社会では、少し辛いかもしれないが、
空気を読まない、狂人だ、と今思われている奴が
たぶん、次の時代を築く。

研修生よ、だから、常識を疑え。

この授業は、最後に試験を課した。
このスメスターに行っていた農業構造論と一緒に
最終試験をする予定。
課題は、他の研修生の地域ポテンシャルレポートを読んで
(レポートはこの事業を一緒に支えてくれているインドネシアの友人が作成)
その地域での農業ビジネスプランを作ること。
そしてそのプランは、出来る限り常識を疑うこと。
3週間後までにレポートを作成し、
その後にビジネスプランのプレゼンを順に行ってもらう予定。
ねむたいプランは、不合格。

さて、何が出てくるか楽しみだ。


全く更新できていなかったインドネシア研修生の座学。
少しまとめて更新しよう。

今期の2年生の授業に
「地域開発論」がある。
日本やインドネシアの事例を紐解き、
成功のカギを探るというもの。

徳島県上勝町のいろどりや
秋川牧園の事例が漫画で読めるようになっているので
それをテキストとして活用している。

いろどりの事例については何度も
この項目で議論を尽くしているのだが、
毎回、キーワードになるのが
「ニーズ」であろう。
つまものに対するニーズは、横石氏が取り組みを始めた当初は
顕在化されておらず、
いわゆる潜在的なニーズだったと言えよう。
その潜在的なものを市場化し、その成功が
いろどりの特徴ではないだろうか。

ビジネス講座などで、耳にタコができるくらい聞いた
「顧客のニーズを把握せよ」という言葉は、
時として、あまりあてにならないと感じることがある。
それは、その顧客自身、潜在的なニーズに対して
まったく無意識だからだ。

僕が手掛けている
ベビーリーフは、中身はすべてもともと栽培されていた
アブラナ科の葉菜類ばかり。
それを幼葉のうちに摘み取ってミックスするというだけのもの。
僕は、北陸でも早い時期にこの野菜の販売に取り組んだのだが、
それは、なにも消費者の要望があったからじゃない。
確かに、レストランなどの業務筋からは要望があったが
スーパーでは高単価として、どこもあまり乗り気じゃなかった。
しかし、実際に販売してみれば、
あれから10年経つが、今でも販売額は伸びているほどの
優良野菜の一つになっている。

何がほしいのか、顧客の要望がわかれば
それほどたやすいものはないが、大抵の場合、
要望自体がぼやけていて、当の本人ですら
何が希望しているものなのかもわからない場合も多い。
いろどりの成功は、
市場が無かった分野の市場化であり、
それを必要としていたかいないかは別として
その商品を手に取らせるほどの説得力が
その商品にあるということだろう。

秋川牧園の場合は、その逆とも言えようか。
安全志向の要望は、昔から消費者の中に根強い。
それを徹底して行うことで、その要望に応えようというのが
この事例のパターンだろうか。
抗生剤、遺伝子組換え、化学薬品などを
徹底的に排除して、それでもなおかつ
高品質の生産を行う技術が
その背景にあるからこそ、成功していると言えよう。
ニーズに対して、いっさい手を抜かず
一貫性を持って取り組むことが、
この場合の成功の鍵なんだろうか。

いろどりの場合は、
ニーズのないところにニーズを生み出すアイディアと
それを買わせる説得力であり、
秋川牧園の場合は、
ニーズに徹底的に答えていく努力と技術力なんだろう。

研修生たちが、帰国後に始めていくであろう
農業ビジネスは、これらの事例から何を学んで
何を実践していってくれるのか、とても楽しみである。


UASつづき。
地域開発論の最終試験。
研修生が、他の研修生の地域のポテンシャルレポートを読んで
その地域で農業的起業をしなさいというお題。
パワーポイントでプレゼンを20分して
質疑応答で20分。

H君は9月の1週目に試験が終わっており
イル君は2週目、そしてタン君は3週目に
試験を行った。
書いている間が無かったので、
時間がある今、
どんなものだったかを記録しておこう。

イル君の発表は、
H君の地域でのプレゼンだった。
イル君のビジネスプランもH君とあまり変わらない。
新種の野菜や果物をグループ栽培して
それを販売するというものだった。

タン君はイル君の地域でプレゼン。
彼も加工などを手掛ける内容が入っていたが
同じような発想。
新種野菜と果物のグループ栽培。
うーん。
それ自体は悪いアイディアではないけど
3人に共通するのは、市場ありきではないこと。
栽培グループを作って、栽培してから売り先との契約をする考え。
それと、これが一番問題なのだが
それぞれの地域の固有性とビジネスプランとの
関連性がほとんど見えない事だった。

H君の地域は山沿いであるが、2つの大きな市場の間あり
15分でアクセスできるという魅力的な地域。
水も豊富で、ポンプなしで稲作が出来るのも武器。
イル君は大規模お茶産地。
特定の商人とお茶工場がその地域を牛耳っているが
近くに避暑地もあり、高地であるため野菜栽培が盛ん。
タン君の地域は、大きな町の近くでインフラの整備が良い。
大きな国道沿いでもあるので、果樹の直売などが盛ん。

こうしてみれば、全く違う地域なので
それぞれのプランも自然と違ってくるだろうに
だのに、そのプランは似たり寄ったり。
それは別にその地域でなくても出来ることばかりで、
昔、協力隊時代や大学院時代に嫌というほど読んでいる
ブループリント型の開発計画を読んでいるみたいだった。
もしくはこういった方が解りやすいかもしれない。
どこを切っても同じである金太郎飴のような開発計画。
つまり、その時の役人とこの3人は
発想が同じということなのだろうか。
開発に関して、なにか固定観念でもあるような気がする。
全然、その土地の風土が反映されていない。
農業開発はこうあるべきという雛型でも
学校で教えているんだろうか?

とにかく、もう少し自由な発想と
奇抜なアイディアを楽しむ余裕、
そして、何よりもこれが一番大切なのだが
その地域の固有性、つまり風土を見抜き、それを活かす形での
ビジネスプランを作るという発想を
研修生に持ってもらうことを
この授業の次回の課題として記しておこう。

UAS。
Ujian Akhir Semester の略。
「期末試験」という意味のインドネシア語。
地域開発論の授業が終わったので、期末試験を行っている。
行っている、と書いたのは、現在進行中だからである。
試験の課題は、
他の研修生の地域ポテンシャルレポートを読んで
その地域で、農業ビジネスのプランを立てなさいというもの。
そしてそのプランには、必ず社会的企業の要因を入れること。
これが課題。
レポートは先週締め切りで、3人の研修生は何とか期日通りに提出出来た。
そして今週から、一人ずつパワーポイントを使って
プレゼンテーションをしてもらう。
時間は20分。
質問&討論も20分。
試験のクリア条件として、
面白いビジネスプランであること、
そして20分の討論(批判)に自分の論で耐えうること。
今日は、3年生のH君がさっそくプレゼンをしてくれた。

H君が選んだ地域は、1年生のタン君の地域。
平地で、町としてもひらけていて、主要道路沿いの村。
市場へのアクセスも容易で、比較的お金持ちの多い村。
その村で、H君のビジネスプランはこうだった。
まず、1haほどの土地を借りて
その村の近くの市場で優位に販売できる野菜と果樹に焦点を当て
有機肥料で栽培するというもの。
ちょっと平凡なのだが、
現実路線の彼らしい考え方。
野菜栽培では、通年出荷を目指し、
農閑期を作らないような工夫を説明してくれた。
H君がうちの農園に来てから、彼の頭にあったのは
この「通年出荷」だった。
「インドネシアの農家は、出荷を持続させていく考えはなく、たくさん取れれば、一気に出荷するので値が落ちたりします。数量は少なくても、通年で出荷できるようにしたいです」とのことだった。
通年で出荷できれば、商人と通年の契約がとれる。
値段も通年で決められる。
乱高下を続ける相場を見ながら、不安な経営をしなくてもいい。
それが彼の考えだった。
社会的要因はどこにあるんだ?という質問には
有機肥料の普及をあげていた。
畑のそばに、堆肥プラントを作って、有機肥料の販売もしたいという。

2年生のイル君から批判が出る。
「計画はよくわかったけど、Hはその土地ではよそ者だから、土地を借りるのも難しいだろうし、商人とのつながりも作りにくいんじゃないか?」。
H君は、このビジネスプランは、彼がその土地の人間だったら、
という想定で書いたようで、
よそ者だったら難しいかも、と批判に耐えきれなさそうだった。

だが、そのよそ者は、地域開発論でもやったが
とても大事な要素なのだ。
それを忘れちゃいけない。
H君がよそ者ならそれでいい。
土地を借りるのは、H君個人である必要はない。
その土地の人間と一緒にグループを作って土地を借りれば、
そんなに難しくはあるまい。
そして商人とのつながりも、その土地の人間のつながりで
見つけられるに違いない。
ここがポイントなのだが、グループを作ることで
H君の有機肥料の技術と通年出荷の技術、
そしてそこから出てくる市場に対するビジョンを
他のメンバーにも波及できるじゃないか。
そんな馬鹿げたことは、よそ者がいなくちゃ
出来ないことでもあるのだ。

確かに、現実にはうまくいくかどうか解らないような
絵に描いた餅のような計画なのだが、
こういう思案と討論は、おもしろい。

H君は、通年出荷の技術と有機肥料を武器に、
契約栽培を行うビジネスプランを立て、
そしてグループ栽培による技術移転も含めた計画となった。
この授業の期末試験は、合格判定。

来週は2年生のイル君。


地域開発論という題目で
それぞれの地域発展に寄与している
アグリビジネスの成功事例を検証する授業。
成功への鍵は何か、をインドネシア研修生と共に考える座学。
テキストはマンガで書かれた
農業ビジネス列伝、というもの。
マンガ家の卵が書いたようで、
内容構成や画力に力不足を感じるものの、
マンガで書かれているので
日本語があまり上手ではない研修生でもなんとか読めるので
使用している。
何か他に良いテキストがあれば、そっちにしたいのだが。

さて、昨年はH君に対してのこの授業カリキュラムだったのだが
今年は、イル君が対象。
すでに上勝町のいろどりや山口のレンタカウ制度のマンガは読んでもらって
何が成功のカギかを話し合った。
今回は、直売所「からり」の事例。

考察の中身としては、
H君の時とほぼ同様。(そのエントリーはこちらを参照されたい)
ただイル君のプレゼンテーションでは
直売所のシステムそのものが、自分の地域とは合わない、としていた。

まずは彼の地域が辺境に位置していること。
近くの町まで、車で1時間以上離れており、
村人の多くが車を持ち合わせていない。
つまり、直売所を自分のむらに建てても、
集客が見込めないし、
集客が見込める一番近くの町に直売所を建てた場合、
そこに自由にアクセスできない、という問題があるという。

次に、買い取り商人の存在。
これはイル君の場合、毎回と言っていいほど
ネックになる問題。
巨大な資本と移動力を武器に
むらの数名の商人が、村全体の収穫物をその影響力下に置いている。
そのむらの農民が生産を始める場合、
その商人から資金を借り、
そして収穫物はその商人に売ることが約束されている。
それは、一見すると貧困の輪に落ち込んでしまった農民像にも見えるが
その商人とは血縁関係であることも多く
栽培の致命的な失敗があっても
借金帳消しなどの事例もあるように
ある一面からみると、相互に助け合うソーシャルネットワークにも見える。
ただこの関係、なかなか抜け出せないという意味では
少々厄介。
直売所に出荷したくても
生産費をその商人から得ているので
農民が自由に価格を決められるような
直売所と言う市場に対してアクセスはほぼできない、と
イル君は半ばあきらめ気味に言う。

これに対して、H君やタン君が反論。
というか、いろいろなアイディアを出してくれた。

まず立地の問題。
イル君の村人でもアクセスできる距離で
大きな幹線道路に面している村は無いか、とのH君の問いから始まり
血縁関係の多いあるむらが浮上。
その場所に直売所を作って、その村と共同で販売は出来ないか
と議論がつづいた。
その方向性にはイル君も可能性を見出したようで
出来ないこともないらしい。

次に買い取り商人。
これはいくら議論を尽くしても、やはり買い取り商人を無視しては
そこの農業が成り立たないらしい。
いきなり、すべての収穫物を買い取り商人から他の市場へと
考えるから議論に無理が出るのであって、
日々食べているもの、採集して得られるもの
そういったものを「商品化」することは、あるいは可能かもしれない。
それが直売所の特性でもあるから。
ただそういうものは、「商品化」することが
至極難しく、きれいに包装して並べたらそれで商品になるわけでもない。
ここまで議論が進んで、時間切れ。

研修生の人数が増えたことで
議論が深まるのは面白いが、
イル君の問題は、議論で解決するようなことでもない。
それでもこれを議論し続けなければいけないだろう。
絵に描いた餅でも、それを書き続けることに
机上の空論でも、それを議論し続けることに
その意味があると僕は思っているから。

2年目に入ったイル君が主体の講義。
それは、日本の成功事例から学ぼう、というもの。
イル君は、まだまだ日本語が上手ではないのだが
日本語を読む訓練も含めて、
マンガで書かれた、農業の成功事例集をテキストに
ゼミ形式で発表してもらっている。
今回は、「レンタカウ」のお話。
昨年の同様の講義はこちらから

昨年のH君のように、イル君も同じ反応をしており
同じような発表だったのだが、H君と違うところが一つ。
それはある質問。
「レンタカウ制度はとても良いのですが、それは現状の問題を未来に先送りしただけじゃないでしょうか」というもの。
つまりは、耕作放棄地に放牧をするのは良いのだが、
だからといって、それは耕作放棄地が無くなっていくことへの
根本的な解決策ではなく、
農地がただ一時的に保全されるだけだ、とイル君は分析してきた。
確かに。

まんがからの情報なので至極限られているので
分析と言うよりも想像でしかないのだが、
放牧地として耕作放棄地が酪農家に貸し出されれば
それはそれで、その地域の酪農の発展にはつながりそうではある。
放牧されていることで、肉や乳に付加価値がつけば、
酪農の方は後継者ができやすい。

では、水田を耕作放棄してしまった米農家はどうか。
放棄してしまった水田を、再び水田と利用するのは
なかなか至難の業。
もしそこがクリアーできるのなら
(もしくはインドネシアのように、稲作後にしばらく放牧とか)
放牧米などと、もう少しネーミングは考えないといけないが
他の米と差別化して販売も可能かもしれない。

水田と酪農のシナジー効果で注目を浴びているレンタカウ制度は
その後のビジョンとして、どういう地域農業を作っていくつもりなのか
たしかに不明瞭な点がある。
久しぶりにインドネシア研修生から教えられた日だった。
インドネシア研修生への座学。
カリキュラムも何も全く整備されていないのだが、
とりあえず「農業の構造」のシリーズは終了し、
農という表象を支えるそれぞれの構造を考察する座学は、
この1月で終了。
まず総合的な視点を養ってから、各論に入ろうかと思っているので
農業の勉強に来た研修生には、とっつきにくい授業だったともいえよう。

さて、それが終わってから、
しばらくは農業界のホットでグローバルな話題を取り上げたビデオを見ながら
議論を重ねてきたのだが、
この3月から、新しい授業に移る。
4月で2年目になるイル君が受ける授業。
3年目になるH君は、自由参加の授業となる。
「農業ビジネスの成功事例考察」。
昨年も、1月くらいからH君にこの授業はしている。
マンガで書かれた事例集を読み(日本語)、
プレゼンをして、成功のカギは何か、を議論する授業。
ゼミ形式で、授業に臨む研修生の宿題は格段に多くなる。

さて、昨年同様、(昨年のエントリーはこちら:その1その2
イル君に徳島県上勝町のいろどりの事例を手渡した。
2週間ほどで読み切り、内容の確認を先週行い、
今日、成功のカギについてのプレゼンをしてもらった。
イル君は、いろどりを手掛けた横石氏のリーダーシップだと評価し、
はっぱも様々な種類を出荷することで成功したのでは、と発表してくれた。
ただイル君は、ただのはっぱが売買されることに、
やはり疑問を持っているようだった。

確かにそうだろう。
はっぱはどこにでもある。
が、それが商品化するには、同種類では同じ大きさで同じ色合い
という均一性が必要だし、
その均一性がとれたはっぱの種類が多ければ多いほど魅力的になる。
それらは公園や庭先に落ちているはっぱとは違って
欠けていてもだめだし、汚れていてもだめだ。
ただのはっぱだと言うが、それは商品として評価に値する品質が必要なのである。

野菜も同じなのだ。
もともと植物の中から、人が勝手に、食べられそうなものを野菜と分類しているだけで
植物自身は、野菜という名前がつけられようが雑草と言われようが
そんなことは知ったことじゃない。
それらを人が選別して、畑で蒔くようになったのが野菜で、
その野菜にしても、畑という管理された状況下で収穫すれば
そのまま商品になるわけでもない。
収穫された野菜は、傷んでいる葉などをきれいに取り除き、
時には水洗いし、時にはきれいな布でふき、
そしてきれいに袋詰めにされて、初めて「商品」となるのである。
この手間と技術が、ただの植物を「商品」にしているのだ。

確かに、だれがどこにでもあるはっぱを買うのか?と
思わないこともない。
それはH君の時にも話したが、
潜在的な市場を横石氏が見極めた先進的な眼差しの
なせる技なのだろう。
こればかりは、どうすれば身につくのかは僕にも解らない。

ただ、もう一つ言えることは
横石氏は、上勝町の資源をポジティブにとらえていたということだろう。
何もない田舎、山ばかり、高齢者の住む町。
そんなどこにでもある田舎で
その資源をポジティブに捉えなおした時に
目には映っているのに、意識下に置かれていなかった資源が見えてくる。
その意識化と横石氏の潜在的市場への先進眼、
そしてはっぱを均一性と高いクウォリティーをもった「商品」へと
転じることができたことが、この事例の成功のカギと言えよう。

他の地域との比較の中で(とくに都市との比較)
そこに住む住民が、自分たちの資源を
「なにもないところ」と表現することがある。
近隣の田舎でどこにでもあるものがあるだけで、
都会や他の発展している地域に比べて
何もない、という意識。
目に見えている風景を、
たぶん普段は、そんな風には思ってはいないのだろうが、
調査者や外部からくる人たちとの関わりや関係性の中で
どちらかといえばネガティブな評価を下してしまうことがある。

外部の人からのポジティブな反応で
それらがポジティブにも変わったりもするのだが、
横石氏というよそ者がかかわることで、
確かに上勝の資源はネガティブなものからポジティブなものに変わったようにも見える。
ただ、一つ気をつけなければいけないのは
「資源化」についてだ。
この評価は、外部からの押し付けであってはならないし、
まっとうなかかわりの中でなら、
相互作用的に内部の人も外部の人も、それら目に見えている風景を
だんだんと資源化していくのだろうが
内部の人が、当たり前と思っている風景と、
それを見たときに湧き上がる情感、そして風景に埋め込まれた地元の生活史を
外部の人間が、ランドスケープ的に
自分たちの持つ価値と美的センスからくる情感との間に
大きな差異が存在していることを忘れてはならない。

まぁ、それを感じることがあるとすれば
イル君が地元に戻って、何をやり始めた時の話だろう。
それもそれに自分から気がつくかどうかは
かなりセンスに左右されるとは思う。
話してはおいたが、イル君自身はピンときてなかったようである。

次回は馬路村の考察である。
シンポジウムから戻ってきた次の日、
来客あり。

妻が主催する勉強会のメンバーの方々で
大学院生から大学の先生、JICAの国内協力員まで5人の来客あり。
なんでも勉強会の合宿だとかで、
議論の内容は一向に解らなかったのだが、
朝から晩まで熱く議論をしていた。

せっかくこれだけの人材がここまで来てくれたので
昼食時の休みを利用して
そのうちの一人に、インドネシア研修生への座学をお願いした。
その人は(仮にPさんとでもしておこう)、青年海外協力隊で
セネガルで活動した人だった。

Pさんは村落開発普及員という職種で、セネガルの村に入っていた。
そこで主に行っていたのは、女性の収入向上の活動として
ビーズアクセサリー作りを紹介してもらった。
Pさんの説明は至極明快かつポイントが絞られており
センスのある人だと、その話しぶりや活動の形からもわかった。

まず活動対象となった村の状況。
乾季と雨季があり、雨季には農業で生計を立てられるのだが
乾季は、むらの井戸が一つしかないため、農業用水としての活用は乏しく
乾季の収入がほとんどなかった。
そのため男たちは、乾季になると街に出稼ぎに行き
村には女性だけが残されていたという。

Pさんは、初めは支出を抑える活動として
灰石鹸作りや自然農薬づくりのセミナーなどを行っていたらしい。
が、そこに参加していた女性から収入向上につながる活動はないかと
提案を受け、あれこれと模索したようである。

ビーズアクセサリーを選んだ理由は、明快だった。

まずは原料が安いこと。
もともとお金があまりない村なので、初期投資がかかっては
参加できる人が限られてしまう。

次に、輸送が楽であること。
村の人は、町まで車を利用することはなく、徒歩で行くことが多い。
十数キロ離れた町の市場で販売することが想定されており、
そのためには、輸送にかかる負担を考えなくてはならなかった。
その点、ビーズアクセサリーは、よほどの大作でもない限り、小さくて軽い。
(そんな大作は、アクセサリーとは呼べないだろうけど)
ちなみに、その町へは農産物の販売のためなどで
女性たちも良くアクセスする町なんだとか。

3つ目として、長持ちすること。
作ってから販売までに時間がかかっても
破損したり腐ったりしないことが重要だった。
その点、ビーズアクセサリーは保管も楽で、長期に保存しても大丈夫。

4つ目、作り直しがきくこと。
モチーフがいまいちで売れなくても、容易に別のアクセサリーに作り直せることで
制作にかかるコスト軽減できるのだ。
研修生のHくんはこの点に痛く感心していた。

販売の仕方もなかなか工夫があって、
作ったら、予想販売金額の半分を初めに受け取れるようにしたらしい。
残りの半分は販売後にグループの資金としてプールするお金を差し引いて
製作者に渡されるとか。
販売前に半額を渡されることで
政策に対するインセンティブを持続できたとPさんは言っていた。

また手工芸のコンテストを、省庁をも巻き込んで企画したり
地元のホテルなどでお土産物として販売するルートを模索したりと
なかなかのアイディアマンだった。

研修生にとっても良い刺激だったようで
H君は、Pさんの手工芸に至るまでの経緯に興味を示し
また手工芸としてビーズアクセサリーを選んだ理由に関心を示していた。
イル君は、Pさんの活動と政府との協力関係をずいぶんと意識していた。
ちょうど彼にはチェンバースを読ませていたところなので
そういう視点になっていたのかもしれない。

いずれにせよ、
在来の市場の刺激を敏感に受け取り
そこへのアクセスと現場の状況をしっかりと把握した企画は
Pさんのセンスがいかに優れているかを示していた。
生産から始まらない活動として、とてもよい事例を一緒に考察できるでき
とても有意義な時間だった。
世界の農業を学ぼう!
第3弾は、マダガスカル。
青年海外協力隊でマダガスカルへ野菜隊員として行っていたKさんを
講師として招いて、勉強会を開いた。

マダガスカルといえば、アニメ映画のやつ(踊るの好き好き!ってやつ)しか
知らなかったのだが、あのイメージとはまったく違って、
森林が随分と減ってしまっている状況らしい。
さて、そのマダガスカルの農業。
思ったよりも色とりどりのハイカラな野菜を栽培していた。
レッドキャベツや各種チリ、ベリー類、変わった葉物野菜などなど。

Kさんの話で印象に残ったのは、
マダガスカルの農具の改良という、彼の行った活動の一つだった。
どこにでも鍬というシンプルな農具はあるかと思っていたのだが
マダガスカルには無いらしい。
柄の長いスコップだけがあり、それで耕起・除草・土寄せまですべてを行うとのこと。
Kさんは、その農具での土寄せがあまりにも非効率なのを見て
鍛冶屋に頼んで、鍬を作ってもらったという。
その鍬を使えば、豆の土寄せ作業が3日かかっていたのを
半日で終えることができたとか。
ただ、
「鍬を使うようになったことで、農家が自分で土寄せをするようになったんです。その作業を委託されていた土地なし農民の仕事がなくなってしまったんです」
とのことだった。
なるほど。
作業効率が上がった分、自分で作業を行えるようになり
作業委託が無くなったという話である。
Kさんは
「確かに仕事がなくなってしまうことは問題だと思いましたが、それでも非効率な作業を続けていくのはどうかと思いました。それを犠牲にするわけではないのですが、マダガスカルの農業が発展していくためには、そういった改良も必要だと感じました」
と答えてくれた。
現場で悩み考えたからこそ出てくる言葉だと感じた。

インドネシア研修生もそれぞれ感ずるところがあったようで、
H君は、
「Kさんの活動の中で、農家を外国人が行くスーパーマーケットに連れて行き、そこで高値で売られているような野菜を作るというモティベーションを農家につけさせた、という活動が面白いと思いました」
と感想を述べていた。
まさに、僕も同意見だった。
協力隊活動において、対象となる人々のモティベーションをいかにして上げていくか
ということが、最大の課題とも言えよう。
その意味で、Kさんの活動は面白かった。

さてもう一人の研修生イル君だが、
彼は、
「田んぼの収量コンテストが面白いです」
と言っていた。
マダガスカルでは、田圃の収量を競うコンテストがあるようで
1位になった農家は、日本円で100万円くらいもらえるのだとか。
日本でも以前あったように思ったのだが
イル君が言うにはインドネシアにはないのだとか。

二人の研修生が「面白い」と感じたのは
どちらも農家の耕作意欲をあげる活動や政策についてだった。
彼らなりに、自国の農業の発展に必要なものは何かが、
それなりに感じているのだろう。

Kさんのマダガスカルの農業講座は、まだまだ続く。
次回は、マダガスカルで生まれたSRI(The System of Rice Intensification)について
学ぶ予定でいる。
インドネシアでもブームになっている、稲の一本植えの技術。
本場マダガスカルのやり方を学んでみようというものである。
次回も楽しみだ。
世界の農業を学ぼう!
と、始めた協力隊OVによる各国事情と活動報告勉強会第2弾。
今回は、ボリビアへ行っていたWさんの話を
インドネシア研修生、セネガルのIくんとその奥さんで聞いた。

ボリビアは、高低差の富んだ国で、
3000メートルを超える山岳地帯、
その山裾に位置する比較的温暖な地帯、
そしてアマゾンの熱帯地帯に分かれている。
それぞれの場所で、作られる作物も違えば、主食も様々。
Wさんは、その中で、アマゾンの熱帯地域で
有機農業の指導を2年間されてきた。
耕起から自然農薬、堆肥まで、事細かに指導し
現地語でマニュアル作りもしていた。

現地の農業は、数千ヘクタールを超える大規模所有者による
近代的農業がおこなわれている反面
1ヘクタールに満たない零細農家も多く存在しているらしい。
Wさんのターゲットは、その零細農家。
しかも女性グループだった。
少しでも付加価値をということで有機農業の指導だった。

Wさんはボリビアの農業を
「粗放」と表現していた。
1人当たりの農地が多く、そのためか粗放的な農業になっているという。
種を播いたら、収穫まではあまり作業がないというのだ。
そのため、そういった「粗放」な農業に合わせて
地元で簡単に手に入る資材を利用した有機農業の確立が
大変だったと語ってくれた。

この話を聞きながら、セネガルのIくんは
「世界は広い」を連発していたのは余談。

講義後、
仕事をしながら、インドネシアの研修生の子たちとこの話をしていた。
直播の水田の話をWさんはしていたが、
インドネシア研修生も先日遊びに行く途中の福井のある集落で
大型機械による直播を見ていた。
「日本でも直播するんですね」とHくん。
農地が大規模にある場合は、その効率性を考えて
移植よりも直播を選ぶ場合も多い。
それだけとは限らないのだが、農地面積の所有が
その農民の農法に大きく影響を与えることは確かだろう。
面積が多くなれば、粗放になっていくだろうし、
小面積であれば、その内部に向かって複雑化していくのだろう。
SRIなどの稲の一本植え技術などは、
ボリビアの農地所有構造の中からは、まず生まれてこない発想と言っていいだろう。
有機農業もそういうベクトルの中にあるのだろうか。

次回は、6月21日(日)に勉強会を開催予定。
発表者はマダガスカルへ行っていた協力多OB。
さてどういった話をしてくれるのか楽しみである。

この勉強会に参加したいという方がいれば、お知らせください。
勉強会を開く。
といっても、参加者は
僕と研修生のH君、そしてセネガルのI君の3名。
講師は、I君の妻であるAさん。

H君のために行ってきたこれまでの座学。
日本とインドネシアだけを比べていても、やはり見えてこないものも多い。
自分の立ち位置を読み取るには
やはり測量と同じ3点を知るというのと同じで、
文化や農業も点を多く知れば知るほど、自分の位置が際立つというもの。
そこで、外部講師として、今回はAさんにセネガルの農業と文化について
話をしてもらった。
H君が学ぶことが主眼だが、
どうせなら僕も何か学びたいと思っていたので
まさにこの会はそういう機会になった。

さて、Aさん。
セネガルに食用作物隊員として2年数か月派遣されていた。
飲み会等で、これまでAさんからは簡単に活動の話を聞いていたが
しっかりと話してもらうのは今回が初めてだった。
僕ら協力隊OG・OBは、人前で経験を話す機会は多いものの
隊員間でその経験のやり取りは少なく、
また活動に特化した専門的な経験談をすることは、
意外かもしれないが、ほとんどないのである。
総合学習や国際協力などという文脈でしか語らせてもらえないため、
実は、農業なら農業の専門分野で意見交換する機会は
これまで少なかったのである。

Aさんの話は刺激的だった。
セネガルの農法的な話や土の話、
ボカシ肥の普及活動や、女性ばかりの農家グループとのやりとり、
さらにはフランスかどこかの援助で作られた
農業用水道施設付き圃場での取り組みなどなど、
刺激的な話が多かった。
なかでも驚いたのが、
周りの貧困農家たちが、農業資金を貸してくれとAさんに何度となく
言ってくるので、終いにはAさんは自分のお金を融資して
貧困農家のグループを作り、
マイクロファイナンスの貸し付けをしてしまうという話まであった。
自分のお金を出すという行為は
協力隊の間でも結構議論されていたことで
僕は協力隊当時は、そういう行為に対しては反対の立場だった。
Aさんのマイクロファイナンスは、その後3年間は続いたという。
特に組織強化の活動や資金運用の強化活動をしたわけでもないのに
Aさんと農民との信頼関係において、その活動は健全に3年間も続いたのである。
それだけでも驚きだった。
「本当は農家自身が出資してもらうことも大事なんでしょうが、そのお金すらないような人も多かったので、結局は自分がお金を出しました」
と、さらりと言うAさんは格好良かった。
清濁を併せ呑むような、
そして何よりもフロンティア精神に溢れたそれらの活動内容は
こうあるべきと思っていた僕には、大きな学びになった。

H君も講義後、
「日本とインドネシアとセネガルの3つを比べることができて面白かったです。比べる作業はとても勉強になりますね。」
と感想を述べていた。

また講義前は、参加者持ち寄りでそれぞれの国の料理を
1品ずつ持ち寄ったのも楽しかった。
こういう会を1カ月か2か月に1回はやっていきたいと思っている。
次回は、ボリビアやマダガスカルの農業隊員OG・OBにお願いしようと考えている。
もし近くにいて、参加してみたいという人があればご連絡ください。

インドネシア研修生への講義の話。
今、読んでいる本は、相変わらず「まんが農業ビジネス列伝」のシリーズなのだが、
今回は、山口県の取り組みで、
耕作放棄地に牛の放牧をして、棚田が荒れてしまうのを防ごうという話。

H君の日本語能力もずいぶんと高くなってきたためか
渡したテキスト(まんが農業ビジネス列伝)を随分と読み込めるようになった。
今回の授業では、そのテキストの内容を
僕がインドネシア語で解説し
その後、内容の認識確認と簡単にディスカッションをした。
ちなみに2週間後には、これまで同様、
本の概要とH君なりの解説・考察を15分にまとめて
プレゼンしてもらう予定でいる。

さて、その本。
棚田の所有者や耕作者の高齢化が進み
耕作放棄地が増え、除草すら行われなくなってしまっており
そこに厄介な草や竹が生えてしまって問題になっていた。
そこで、地元の畜産業と連携して
耕作放棄に牛の放牧を試みているという話である。
レンタカウという制度を作り、
牛を持っていない農家でも、他から牛を借りてこられる制度で、
その牛で農地の除草を行おうという話も紹介されていた。

畜産農家は、放牧地を得て健康な牛の肥育ができ
高齢農家は、牛を活用して農地が荒れるのを防ぐことができる
という、まさにwin-winの関係というわけだ。

さて、H君。
手持ちの辞書では、耕作放棄地や土地所有者の高齢化といった
この話には欠かせないキーワードを調べて理解することはできなかった。
だから、H君は、
「この本の話はインドネシアと同じです」
と、彼なりの本の内容解説をしてもらった時に、そう話してくれた。
何が、同じなのか。
それは、田んぼに牛を放牧すること、である。
インドネシアでは、稲作が終わると、次に田んぼを使うまでは
その場所に牛を放牧することがある。
稲藁や切り株を牛の餌にするわけだが、
その光景は、インドネシアの田舎に行けば、
大抵どこでも見られるのである。
その光景を見てきたH君にとっては、
今回の本の話は、まさに
「インドネシアと同じです」なのであろう。

「同じ」という感覚は不思議なもので
そう思ってしまえば、気持ちも落ち着くし、
目の前の事象を自分なりに納得してしまえるのだが、
そこから前に進むこともない。
「同じ」ではだめなのだ。
「違う」を見つけないと。

日本の農業が抱えている大きな問題を挙げよと言われれば、
耕作放棄地と高齢化は、外せないであろう。
それが日本の農業の構造的な問題から派生していることも
すぐにわかるだろう。
さらにはそこから、輸出産業ばかりに引っ張られる日本の経済の
構造的な問題も見えてくるのである。

事象として、
田んぼに牛が放牧されている
という光景は、確かにインドネシアと同じかも知れない。
ただ、その事象を通して、
その裏側にある構造を読み解く力を身につけてほしい。
少なくともこの講義を受けているH君には、
インドネシアへ帰国する頃には、そういう視点を持ち得てほしい。

今回は、耕作放棄地と高齢化について簡単な説明を行った。
次回は、近くの畜産農家を見学し、
日本の畜産業の一端を覗いてくる予定。
「違う」に気がつく視点を鍛えるために。
日曜日は、インドネシア研修生への講義の日。
今回は、まんが農業ビジネス列伝のシリーズの中から
愛媛の直売所「からり」を取り上げて、討論をすることに。
2週間前からテキスト(まんが)をH君に渡し
分からない単語や意味不明な箇所は、そのつど、インドネシア語で伝え
なんとか最後まで読んでもらった。

毎回のことだが、このまんが農業ビジネス列伝の本読みでは
まずH君が、テキストについて15分間のプレゼンを行い、
その後に討論、そして補講という形をとっている。

さて、その「からり」。
JAが建てた直売所で、現在ではどこにでも見られる直売所の一つ。
直売所の運営に焦点があたっているのではなく、
直売所を通して、ある女性が農業の面白さに気が付き
舅や夫との関係の中で、農業労働者から農業経営者へと変わっていく様が
描かれていた。

直売所のもつ性格の一つに、
商品の価値を規定するものは、卸や仲卸といった中間流通業者ではなく
生産者と消費者のダイレクトなつながりのなかで生まれている、というのがある。
だから、木の切り株でも商品になるし、
消費者に浸透していない高級野菜(根セロリとか)は
いくら値段を下げても売れなかったりする。
それと対比して、物語の中で、主人公の「文子」さんを通して、
農業を経営する夫たちもまた、市場やJAの価値で商品が決められていく、
いわば、農業労働者でもあるという指摘があった。
まんがなれど、なかなか侮れない、鋭い指摘である。

H君との討論では、焦点は労働の喜びであった。
直売所の存在が、主人公「文子」さんを、夫や舅にこき使われる農業労働者から
自分で新しい商品を開拓して販売する農業経営者へと変えていく。
そしてそこには、農の喜び、ひいては労働とは何かを考えさせてくれるものがある。

H君に農業の喜びは何か、を尋ねてみると
「やはり作物が売れた時が楽しいです」と答える。
市場や商人に対しての販売では、自分の作物をプロの目で高く評価してもらった時が
その喜びを感じると言い、
消費者に直接販売した時は、美味しいなどとちょっとした会話を通じて
意見を交換できるのが楽しいと、H君は言っていた。
H君、君は、農業の喜びをすでによく解っているんだね。
こういう若者が、日本には少ない気がする。
少なくとも僕の周りには、あまり居ないのが残念だ。

農業を所得で見てしまえば、それはとてもみすぼらしい存在になってしまう。
今、僕の所得を見ても、30代がもらう平均年収の半分にもならないのだ。
それでも、十分豊かに生活できているし
特に不便も感じない。
家業というものが薄れ、仕事が選べるのはとても良い時代のような気もするが
片方で、何を選んでよいのか分からず
わかりやすい所得といった、それこそ自分の価値を下げてしまうようなもので
仕事を選んでいるのが、今の時代ではないだろうか。
労働の喜びは、なにもお金ではないのだから。

次にH君と議論になったのは、農村のジェンダー問題。
主人公「文子」はなぜ、舅と夫との農作業の中で
同等の農業経営者ではなく、農業労働者的な仕事であったのだろうか。
そこで、これまでの農村の女性の役割について講義をした。
昔、うちの祖母やそれ以前の時代、
「嫁は角のないウシ」と呼ばれた時代があった。
足入れ婚などといって、結婚前に何日間かお試しで
夫となる家に入り、仕事や家事をしたり、さらには夜のお勤めもし
合わなければ、やんわりと結婚を断られた時代もあった。
うちのむらでの聞き取りでも
そういう経験をしたお婆さんがいる。
(彼女の場合は、足入れ婚の3日間は接待されまくったそうだが)。
女性の権利なんてものは、ほとんどなく
いつぞやの大臣が放言した(こんな人間が自国の大臣だと思うと、情けない・・・)
「女性は子供を産む機械」なんてセリフは
その頃だったら問題にならなかったのではないか、と思うくらい
ひどい待遇だった。

性別的な役割ではなく、社会的文化的役割によって
マージナルにおかれてはいけない。
H君の地方では、田植えは女性の仕事らしい。
一般に日本でも昔はそうだったという記述が見受けられる。
が、うちのむらでは、男性も田植えをしていたと祖父母世代はいうし
インドネシアでも僕がかつて協力隊員として派遣されていた任地では
田植えにおいては、むしろ男性の方が、人数が多かった。

田植えについて、かつて読んだ宮本常一の本では
女性たちが自分たちの労働を誇らしげに、語るシーンがあったが
それは田植えという役割自体が
女性たちをマージナルな存在に置いているということではない、という指摘でもあろう。
社会的文化的役割が固定化されているという
個人の認識が、労働の喜びを奪いさるのではないかと思う。
制度の認知の仕方という話になると、個人の考え方のようにも捉われてしまうが
そうではなく、それは主体的な問題なのであろうと思う。

主人公「文子」は、舅と夫との労働の中で
なんとか喜びを見出そうとあれこれ試してみたのだが
そのすべてを夫や舅に金銭的価値によって否定されてしまった。
そして関係を変えるきっかけもなかった。
そこに現れた直売所「からり」。
売れないと夫から言われたものでも
文子は徐々に売り上げを上げていき、ついには夫からも認められ
経営を分けてもらい、農業経営者になる。
もちろん、所得向上も自信につながっただろうが
それ以上に、この物語を読む限り
そこには、労働への喜びがあるように感じる。
自分が評価されている、また皆と価値を共感し得る(文子の場合、夫と消費者と仲間たち)、
その主体的な感覚こそが、
僕らが労働をする喜びへとつながっているのではないだろうか。

H君との議論の中で、彼はどうしても労働の役割自体に
女性の問題を見てしまう傾向にあったのだが、
問題の本質は、それの役割自体ではないのだろう。
その中身として、それぞれの労働に対する主体的な喜びなのではないか
と僕は思う。
このあたりは、H君に伝わったかどうかは定かではない。
インドネシアの研修生への座学の話。
前回は上勝町のいろどりを取り上げたが、
今回は高知県馬路村農協のゆずで村おこしを題材にした。
教材は、家の光協会からでている「まんが 農業ビジネス列伝」の
シリーズ9を主テキストにした。
日本語がまだまだ読めない研修生のHくんには、
50ページほどの漫画といえども、読みこなすにはなかなか骨の折れる作業なのである。

さて、その授業。
事前に提出してもらったレポート(5枚程度)を元に
H君が15分間のプレゼンを行った。
そのプレゼンの中で、Hくんは馬路村の成功のカギは
ゆずをさまざまな商品に加工する技術と発想、
そしてそれを強く推し進めた東谷氏(農協職員)のリーダーシップであると
結論付けていた。

この事例考察は、主テキストの情報のみで行われているため
現場での事例とは少々異なるのかもしれないが、
漫画から受ける印象では、僕もHくんの意見と同じである。
近隣の市町村ならどこにでもある「ゆず」を
そのまま販売するのではなく、加工し、付加価値を高め、そして販売する。
しかもその加工は、ただ単にゆず胡椒やポン酢だけでなく
入浴剤や佃煮、ゆず味噌、ゆず茶、ゆず化粧品
はてには商品キャラクターの本やTシャツなどまで
商品開発をして販売しているのである。

そして面白いのが、
上勝町のいろどりは、近隣にどこにでもあるみかんの栽培路線から
つまものに方向転換をして、その特色を際立たせて成功しているが
馬路村は、同様に近隣にならどこにでもあるゆずの栽培路線を維持しながら
いかにその中で突出するかを目指し、多様な商品開発を進めながら
ゆずへの深度を他よりも深めることで、成功している。
どこにでも同じような作目の栽培の中で
一方では、路線転換であり
一方では、その深度を深めることで成功している。

しかし、そのどちらも共通しているのが
その資源を(上勝では山の木々や葉っぱ、馬路村ではゆず)、
当たり前のものとして認識しているのではなく、
資源として意識化していることであろう。
そのことから市場化を進め、ニーズを掘り起こし
そしてそれぞれの商品の質を高めていっているように見える。

H君に、「君の村の特産で馬路村のようなことはできるかな?」と質問すると
「シンコン(キャッサバ)が沢山とれるので、タペ(インドネシアではポピュラーなお菓子:キャッサバを発酵させて作る)が作れますが、どこでも作っているので、あまり売れないかもしれません」
とのこと。
そりゃそうだ。
ゆずだってポン酢だけ作っていたら、あまり売れないだろう。
そこは発想力がためされるのだろう。
シンコンで食べ物に限らず化粧品やシャンプーまでも作る気じゃないと
どこにでもあるシンコンで村おこしなんかできやしない。

それと、Hくんと議論になったのが
「農協」の存在である。
豊富な資金でむらの特産を販売したり、それをつかった商品を開発する協同組合が
インドネシアのむらの中には存在しない。
Hくんは
「馬路村の農協のような団体があれば、良いのですが」
と感想を述べていた。
それは待っていてもできやしないだろうから
ぜひ、君が作りなさい、と僕。
村内のテンクラット(買い取り商人)は一部で
日本の農協のような機能を持っている。
栽培に必要な資金を貸してくれること、
そして販売を請け負ってくれること。
これらが一人の資金で、他の農民と従属的関係の中で行われるのではなく
皆の出資金で協同組合が運営できれば、さらに組織としての幅がでてくる。
まぁ、民間事業体として、H君が農協のような機能を果たすテンクラットになっても
それはそれで面白いと思うのだが。
どちらにせよ、その商才は、
その地域の資源をいかに意識化できるか、ということと
市場の表面的なニーズだけじゃなく、潜在的なニーズに対して
提案力と企画力をもって開拓できるか、が重要になってくるだろう。
また組織のありようとしては、
潤沢な資金だけを用いて、従属的にビジネスを行うのが
一般的なインドネシアでは(そうとも言えないか?)、
ある意味、社会企業家的な考え方も重要なのかもしれない。

インドネシア研修生の講義の話。
前回は、いろどりの事例をHくんにプレゼンしてもらい
これまでの授業で教えた内容に沿って考察してもらった。

そこで今回は、

「じゃぁ、いろどりのようなことをHくんの出身地でおこなうとすると、どうだろうか?できるかできないかを含めて、予想される問題等を説明してください」

というお題を立てて、議論をしてみた。

H君の答えはこうだった。
「ただの葉っぱ等を「つまもの」として販売するのは難しいと思います。
なぜなら、日本のレストランのように食事に飾り付けをするレストランが
インドネシアにはほとんどないと思うからです。
消費者のニーズがないのに、それを売ることはできないと思います」。
なるほど、消費者のニーズがないのに売ることはできない、か。
では聞くけど、消費者のニーズってどう出来上がってくるの?
それは突然、湧き上がってくるもの?

この質問でH君は困ってしまった。
確かにニーズのないところには売れないだろう。
でもそのニーズは、表面化しているものなのか、
それとも潜在的に可能性として存在しているものなのかを見極めないといけないだろう。
「H君の地元には、お洒落なカフェやホテルのレストランはある?」
と僕が尋ねると
H君は「あります」と答えてくれた。
そういうカフェやレストランであれば、あるいは食事の皿の横に備える花などを
つまものとして使ってくれる可能性はないだろうか。

この講義では、別につまものを商品化して
それを販売することを目指しているわけじゃない。
もしつまものを販売するとしたら、想像しうる可能性を
できる限り自分の意識下に置くことなのである。
いろどりの事例では、どこにでもある木や葉っぱを換金作物に変えるという
資源に対する意識化と、
表面化された市場のニーズにアクセスしたのではなく
可能性として潜在的に存在していたニーズを認知し、それを市場化したことに
その凄みがあるのだ。

消費者のニーズは、待つのじゃなくて
時には、ニーズを作り上げるくらいの気概が必要である。
日本といわず、インドネシアでも、
これからの農業には、提案力が試される時がくる。
資源や市場はどこにでもある。
しかし、その資源や市場を自分が意識化できるかどうかによって
行動が変化してくる、と僕は思っている。

H君は必死にメモを取っていたが
少しでも彼に伝わっているものあることを願いたい。
今日、仕事始め。
また1年が始まる。

さて、今日は日曜日でもあるので、
インドネシア研修生のための講義の日。
「つまもの」で有名な上勝町の取り組みを漫画にした本を
先月から解説し、読んできたのだが、
今日はそれについて、H君がプレゼンテーションをする日であった。
年末までの課題として、上記の本をレポートにまとめてもらっており
それをもとに、15分のプレゼンをしてもらった。

H君は、上勝町の成功は、
農協の職員として派遣された横石さんのリーダーシップと
その横石さんと農民との経験的な信頼関係にあると
プレゼンの中で感想を述べていた。

なるほど、それもあろう。
しかし、僕から見れば上勝町の事例の醍醐味は
市場で取引されていない商品の市場化への成功であり
その資源となるものは、どこにでもある「あたりまえのもの」であったことに
大きな意味があるように思う。
そして、その市場化への成功を認知するにしたがって
はじめは参加しなかった農民も、次第につまものの生産に加わるようになったのである。

来日して9か月。
漫画とはいえ、日本語でかかれている本を読み
まったく知らない土地の事例について、プレゼンができるのだから
H君も相当頑張ったのだろう。

さて、次の本に移ろうか。
次はゆずで村おこしをした馬路村の漫画にしよう。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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