インドネシアの技能実習生たちには
週に3回授業を用意している。
前期と後期に分けて、
3年間で6学期の座学。
その中心と言っても良いのが
この農業構造比較論。
なんて書くと、難しいことをやっているように
思えるかもしれないが
中身はいたって簡単。

どうしてその農業という表象が
僕らの目の前にあるのかを
いろんな要因によって絡み合っている現状(構造)を
理解するというもの。
自然・農地・人的資源・市場・資金・技術・インフラ・政策・グローバリゼーション。
これらの要因をバラバラに検証し、
比較することで、その差異に気が付く。
そうすれば
目の前にある農法を
そのままインドネシアに移設すればいい、という
愚かな考えに陥らなくて済む。
さらに、それを実現するには
どの要因を整えるべきかも
その整えたつもりの要因も
それがそれで確固たるものなのかどうかも
一気に分析でいるはず。
大学院で学んだことから
僕のオリジナルで作った座学。

さて、
この要因の中で
どれか一つでも変えると、生産様式が変わる。
あたりまえじゃん、って思うでしょ。
でもそれって結構見えにくいんだよね。
この要因をそれぞれの地域で整理して
意図的に変えれば、少なくとも現状は変わる。
つまり社会変容の力もこの座学にはあるはずで、
インドネシアの子たちにも
それは口を酸っぱくして言っている。

自然条件はなかなか変わらないけど
(温暖化でずいぶんと違う景色になりつつあるけど)
人的資源はどうか。
自分で勉強して、学位を取るや、資格を取れば
それだけでその個人の生産、
いや運命も変わる。
インフラもそう。
研修卒業生の村々では
今、田んぼの真ん中に道を作ろうという動きが活発だ。
政府の資金も入るが、
基本ゴトンロヨン(共同作業)で
住民たちの資金も使って
田んぼに車両が入るように整備しつつある。
この動きが進めば
トラクターなどの機械化の勢いは一気に加速するだろう。
何か一つの要因が変われば
それぞれの生産のカタチが変わる。
つまり決められていたかもしれない運命も
変わるってことだ。

そういう要因を俯瞰していると
自分で変えられそうなものは何かが
だんだんと見えてくる。
地位を得られれば、
政策は村レベルからであればある程度は
手を付けられる要因になるが
卒業生のほとんどはまだそのレベルにはなっていない。
人的資源と技術がまずは
比較的簡単に変化を付けられる、
つまり運命を変えることのできる要因ってとこだろうか。
だからといって安易に先進技術を
導入しても
悪い方にしか運命が変わらなかったりもする。
そのほかの要因が
その変化でどのように変わるかも
予測してこそなんだろうね。

しっかりと勉強すれば
やみくもな儲け話につられることもなく
君らは君らの運命と社会を変えていく力を
ここに来ることで得られるはずだ。
何も勉強しなくても
社会的には「日本に行った」というだけで
君らが思っている以上に
君らの社会はそれを評価していることにも
もっと自覚的になるべきだ
(それも人的資源に入るね)。
そこを起点にして勝負も打てるんだから。

今期の農業構造比較論は
終了した。
さ、君ならどこから自分の運命を変える?


人的資源ってなんだろう?
それはインドネシア農業研修プログラムの座学での話。
農業構造論という、何ともセンスのない名前の授業なのだが、
農業という表象が成り立つその裏側に
いったいどういう構造があるのかを
そこに意識的になる授業。
僕の農業・農村への眼差しの基本で、
この研修プログラムの基本かつ
これが理解できれば、研修の目的はほぼ達成される。

で、その表象を支えている中に
もちろん「人」が存在しているわけだけど、
その人って誰?って話。
人口学的な要素もあるだろうし
リーダー論の要素もそこにはある。
今回は、僕の大好きなテーマ「行為能力」について
話をした。

人的資源っていうと
すぐに教育って結びつきたい気分になるけれど
その「教育」というスタートというか結論というか
その箇所に行くまでのプロセスをすっとばしすぎないか?
って思うことがある。
だから何を教育するのか、定まらなかったりもする。
僕はそれは行為能力のタガを外す作業だと思っている。

突飛もない考えや奇抜な発想・理解不能な行動とその論理、
そういったものが社会を作る原動力になるのだが、
そういったものが生まれる背景には
それぞれの行為能力を制限してきたモノのタガを外した
結果によることが多い。
何をその能力を制限するのか。
それは自己やその社会の常識・習慣・様式・お作法だったりする。
それはそれで簡便化され
いちいち議論や情報処理や許可といったプロセスを経なくても
社会がうまく回っていくための道具なのだが、
安定期の社会ではそれが機能的でも、
これがダイナミックに変容する社会では邪魔をすることも多い。

さらに行為能力は社会的な地位も関係する。
個人的な能力の有無というよりも
その地位の持つイメージや権力や差別が
その社会で創造されたものでしかないが、
その個人の行為能力を高めたり制限したりする。
で、それに意識的になることが
僕は教育だと思うのは余談。

そして3つ目に人的資源としてあげるのであれば、
知識・技術といった情報を有した人があるだろう。

それらがどのような関わり合いと役割を持って
その表象たる農業の実現に貢献しているかを
見る力を養っていかないといけないかな。

今回の座学では、ジャジャンが一番反応がよく、
昨年の地域発展論で議論した事例を
いくつか自分で出して、解説してくれた。
なかなかセンスいいね。




「鳥の眼で考える」のその後。
上空からその地形を見ながら、
地域の農業を解釈するという訓練。
これが結構むずかしい。

2年生のカダルスマン君のプレゼンでも
前回のイラ君やジャジャン君のように
その自然的要因のみに囚われ、
そこから派生する自分の疑問に
答えが無いままになっていた。
上空から見ることで、
自分の囚われている常識から離れ、
なぜそこでそれを栽培しているのか、
なぜそこではそんな栽培法なのか、
と素直な疑問が浮かんでくることも多々あるのだが、
その疑問に耳を貸さないから(問いが立たないから)、
先に進めなくなっている感じだろう。

それを事例として打ち砕いてくれたのが、
やはり3年生のクスワント君。
僕が彼らとの座学でわくわくするのは、
それぞれの子が3年生の時には
それなりの成果あるプレゼンをする時だ。
今回は、クスワント君が見せてくれた。

彼の地域は山裾に位置するが、
これといった水源が無い。
なので、米は雨季の1回のみで、
後は、トウモロコシとサツマイモと
比較的雨が少なくても出来る作物を栽培し
生活している。
山間の狭い田んぼと水の無い地域は、
どこも貧しい。
彼の地域もそうだった。
山向こうでは、住民の生活林を切り開いて
たばこ栽培が盛んだった。
1年生のジャジャン君の地域もそこにあるのが余談。
だから、彼の村でも同じように、
生活林を開墾して農家グループを作って、
たばこで営農していたこともあったらしい。
クスワント君がプレゼンしてくれた
サテライト画像では、裏山の斜面に草地が広がっていたが、
そこがもともとはたばこ畑だったらしい。
「だったらしい」というのも、
今ではたばこ栽培は行われていない。
それは、彼の地域では雨が少なすぎること、
その畑で大規模な土壌流出が起こったこと、
そして良い品質のたばこがつくれなかったこと
などが原因で、今ではたばこ畑は
放置されているとのことだった。

彼は鳥の眼で自分の地域を見た時に、
その水の無い広大な斜面の畑が
地域のポテンシャルに見えてきたという。
山間の村なので、広い田畑は望めない。
水は無くとも、広い畑があるというだけで
そこには可能性があるように見えた。
そしてその畑から山の裏側に道が通じていて、
そこから比較的早く大きめの市場につながることもできる。
山の裏側からは、トラックも入ることが出来る。
そんな地形を眺めていた彼は、
ドラゴンフルーツなどの
水が少なくても栽培できる品目で
やっていけるのではないかと思うようになったらしい。
もともと香辛料の丁子栽培を帰国後に考えている彼だが、
丁子は肥沃な土地を好むため、
その土地は適さない。
でもドラゴンフルーツならば
やっていけるかもしれないとプレゼンを締めくくってくれた。

実際にそれが可能かどうかは
これから考えればいい。
大事なのは、そこにある疑問に気が付くことだろう
(問いが立つということ)。
ダメな土地として捨て去られた場所が、
再びポテンシャルを秘めた土地に見えてくる。
鳥の眼で考えることは、
僕らの常識を打ち破り、新しい農業の可能性を
僕らに示してくれるのだ。

インドネシア研修生の座学。
前期の必修は、農業構造比較論。
農業という表象だけを比べるのではなく、
それを支えている構造に目を向け、
それぞれを比較しよう、という座学。

今回は、自然資源について議論した。
ミクロな自然資源もあるが、今回は、
鳥の眼でそれぞれの地元を考察してもらった。

皆さんは、上空から自分の地域を
眺めたことはあるだろうか?
最近はネットの地図などでサテライト映像が
手軽に利用できるので、結構簡単に
鳥の眼で考察が出来る。
僕が協力隊隊員だった時には、
このネットサービスが無く、
その地域を一望できる高い山に登って
地域の地理的な把握をしたりもした。
その山を登るプロセスもとても大切なので、
時間があれば、ネットサービスだけに頼らず、
ぜひ近くの高台や山から
地域を見下ろしてほしいところだが、
今回はネットで考察のみ。

プレゼンを担当したのは
2年生のイラと1年生のジャジャン。
それぞれの地域のサテライト地図を出して、
地理的に考察してもらった。
1年生はさることながら、
2年生は昨年も同じ課題をやっているはずなのだが、
やはりこの鳥の眼で見ることに慣れていない様子で、
結局、地域全体の標高や平均的な勾配がどれくらいあるか、
などとなんだか良く解らないプレゼンをしていた。

ただ、川の流れや水源の場所などから、
水田になっている農地と果樹や野菜の農地が
地理的に影響を受けて分かれている点が
確認できたことくらいは、
まだこの考察の範疇だったと言えよう。
しかし、この鳥の眼の考察で大切なのは、
地域農業の生産様式が、
地理的にどう出来上がっているかを
考察することなのだ。
どこに水田があって、畑はどのあたりだけでは、
ちょっと浅すぎやしないか?

そこで質問を付け加えながら
それぞれの地域を一緒に考察してみた。
イラの地域では、「チレンブ芋」と呼ばれる
サツマイモの栽培が盛んだ。
チレンブ芋は、本来
チレンブ地区のさつまいものことだが、
そのお隣であるイラの住むランチャカロン地区でも、
その栽培が盛んなのである。
まず、産地が隣接しているので、
高値で取引されるチレンブ芋が
ランチャカロンでも盛んなのだろう。
さらに、チレンブ地区の火山灰土壌は、
なにも行政区域の区切りであるわけじゃない。
ランチャカロン地区にもサツマイモ栽培に適した
火山灰土壌の畑はあるのだ。
そこが、チレンブ芋栽培を支えている。
産地と市場とそれを生み出した土壌が同じという
地理的条件が成立して、
ランチャカロン地区の一部でも
チレンブ芋の栽培が盛んなのである。

では、ジャジャンの地区はどうか。
ジャジャンの故郷パシガラン村では、
伝統種の稲作が盛んだ。
あまり見られなくなったが、背丈が1m以上になる稲を
栽培し、その穂だけを刈り取る生産様式。
目の前の現象を伝統的だとみてしまえば、
それ以上進むこともないのだが、
もう少し地理的に考察をしてみよう。

パシガラン村には、東側に大きな川が流れている。
その川の豊富な水量があるため、
1年中米作りが出来るという。
緑の革命以来、効率性を求めた品種の場合、
たぶん1年間に3回栽培できるであろう。
だが、伝統種は栽培期間が長く、
どんなに水が豊富で1年中米作りが出来ると言っても
2回が限度だ。
だが、ジャジャンは言う。
「品種改良された高収量米よりも、伝統種は米粒が大きくて、食味も良いんです。1回の栽培での比較なら、新しい品種よりも伝統種の方が収量は多い」と語ってくれた。
ただ、新しい品種だと3回作れるので、
年間の収量を比較すると、新しい品種の方が収量は多いらしい。

でも、ジャジャンの村では伝統種を選ぶ。
それは、ほとんどの農家は米を販売のためではなく、
自家消費用と考えているからだと話してくれた。
農家世帯が持っている土地も1反程度しかないので、
販売したくても、余分がないとのことだった。
その一方で、山間の土地では、
たばこの栽培が盛んだという。
ジャジャンのおじいさんの時代から
栽培されているたばこは、それなりに換金性も高く、
その地区の主産業にもなっている。

このたばこ栽培に適した山間の土地と
それの市場(もしくは産地化に成功した経験)と
東側に走る水量豊富な川と
農家世帯当たりの水田面積の小ささが、
米の伝統種を栽培する生産様式を支えている、
と考察できる。
つまり、しっかりとした換金作物があるため
米生産に関しては、量よりも質(食味)を大切する
余裕があると言えるだろう。
さらに豊富な水量の川は、
気候変動で不安定になりつつある
雨季の長さの不安要素も排除できる。
3年生のクスワントの地区では、
川の水量が少ないため、雨季の短い時があることを考慮して
稲作では、栽培期間の短い新しい品種を栽培している。
本当は伝統種の方が美味しいと
解っていてもだ。
食味よりも、雨季が短いかもしれない
というリスク回避を重要視しての選択だ。
ジャジャンの地区では、それは無い。
だから、リスク回避よりも食味を重要視している。
環境がその地区に暮らす人々の志向に
大きく作用し、その価値観で農業の生産様式が
変化し、それが僕らの目の前に表象として
現れて見える。

鳥の眼でみると、
その変化が見えてきたりもする。
もちろん、これだけで説明できるわけでもないが、
一つの方法と言えよう。
しばらくは、研修生たちと一緒に、
鳥の眼で考察する練習をする予定だ。






インドネシア研修生の座学は、
今期もすでに始まっている。
新しく来たジャジャンと
2年生のイラ・ダルス対象で、
農業構造論という授業をしている。
農業と言う表象を支える構造は何か?
それをここ福井とインドネシア・タンジュンサリ近辺を
比べることで、単純な近代化論的
発展の未来想像図を打ち破り、
地域特有で個性を活かした発展の在り方を
見つけるヒントとしている。

さて、先日議論したのは人的資源。
ジャジャンはなかなか優秀だ。
彼の地域の農業を支えている人的資源と
日本のそれとを比べてペーパーにしなさいと
宿題を出していたのだが、
教育の統計データを載せて、それを基に議論していた。
日本は高学歴で
インドネシアは小学校どまりの人口もまだまだ多い。
新技術への対応の早さやその運営などについて、
教育レベルがある程度影響しているのではないか、
という意見は、まぁ、ある程度は当てはまるだろう。

他の研修生も、ジャジャンと似たり寄ったりで、
人的資源として「学校教育」について論じていた。
さて、果たして学校教育=人的資源なのだろうか?

ちょっと昔話をしよう。
僕が協力隊員だった時(1998年)、
村人への新しい技術普及として県事務所から
「赤わけぎ」栽培普及を命じられていた。
新しい作物だったため、栽培技術を研修する必要があり、
先進地だった東ジャワへ農家と県職員を送るプログラムだった。
僕の前任から続いているプログラムだったが、
研修に送ってもなかなか技術が定着しないのが
悩みだった。

その時の農家のセレクションは、
県の事務所と協力隊隊員で行っていたが、
その条件の一つが、
高い教育を受けていることが条件だった。
確かに、研修は座学も多く、
読み書きが出来なければ、そもそも研修にならない、
と思うのは普通だし、
理解力と言う意味で高い教育は必要かもしれない。

だが、僕の時は、この条件全てを
取っ払ってしまった。
そもそもセレクション自体を
県も協力隊もノータッチで、
住民グループの投票で決めてもらった。
その代表者がみんなの代わりに研修を受け、
技術を持ち帰ってくるというミッション性を
うーーーんと高めてからの投票だった。

そうして選ばれた農家数名の中に、
小学校を卒業していない農家が入っていた。
さすがに僕は困惑した。
読み書きが出来なければ、座学についていくのは
難しいだろう。
研修では毎日レポートや宿題も出るので、
それをこなすことも困難ではないか。
そんな不安を住民たちに伝えると、
彼らは笑ってこう答えた。
「彼は(読み書きのできない農家)、この村で野菜の栽培が一番得意なんだ。観察や経験が優れていて、初めての野菜でも上手に作る。研修に行く場所は、赤わけぎの産地なんだろ?だったら彼は、その周りの畑を見学して、農家と意見交換して、いろんな情報を持って帰ってくれるさ。確かに座学は厳しいかもしれないけど、実習もあるんだから、彼はその実習でしっかりと栽培法を学んでくるから大丈夫だよ」。

研修はある程度の学力が必要だと、
色眼鏡で見ていたことを
この時、気が付かされた。
確かに、大学の農学部を出ても
農家として立派にやっていけるかどうかなんて、
全く保証してくれない。
観察する視点を学問は養ってくれるとは思うが、
経験はそれ以上に養ってくれる。

事実、その彼は研修中に
積極的に農家から情報収集をして
研修所では教えてもらえない栽培のポイントを
持ち帰っていた。
彼が所属していた農家グループが、
その後の栽培でもっとも収量が多かったのも
偶然ではないだろう。

彼は、
県や僕らの偏見に満ちた眼差しで
農村の人的資源を考えていた時には、
決して出会えなかった人材と言えよう。

こういう多様な人材に出会えることこそ
人的資源を議論する意味があると
僕は思っている。
僕らはごく当たり前に、
学歴と社会での活躍は一緒じゃないと
解っているつもりだろう。
だが、
研修に読み書きができない人が、
場合によっては適当だと思えるだろうか。
あなたにも
人的資源=学校教育だという視点が、
どこかにこびりついていないだろうか?




インドネシア研修の記録をしよう。
2012年前期は、地域開発論以外にも農業構造論という
座学を行っていた。
生産様式を含めた農業の風景という表象を支える
さまざまな要因を一つ一つ腑分けしながら、
インドネシアと日本を対比させつつ、
近代化論的な単線的発展モデルを克服する座学。
文化相対主義的に個々の農業の価値に気が付けば、合格。
研修1年生の必修科目。

最終試験では、1年生のそれぞれが自分たちの地域の営農スタイルを
解説し、どのような要因によってそれぞれのスタイルが
形成されているかをプレゼンしてもらった。

カダルスマン君(以後:ダルス)の地域は、
やや開けた土地で、川が多く水源に困らない。
そのため、米作りが盛んで、水の入る土地では年に3回、
米が作付けされる。
土地が開けていると言っても、そこは西ジャワ。
でこぼこで水の入らない土地も多い。
そんな土地では、タバコ栽培が盛んだという。
タバコの買い取り商人も多く、
そこから資金を借りて栽培する農家も少なくない。
そんな営農スタイルの中に、
政府が砂糖ヤシの栽培プログラムを持ち込んだ。
緑化政策の一つということらしいが、
タバコ栽培があまり向かない山間の斜面の畑などで
砂糖ヤシの栽培が盛んになりつつあるという。
ダルス君の家は、水田をもたず、
タバコ栽培に適した農地もない。
山間の斜面の畑は、今は果樹を粗放栽培しているのみで
ほとんど管理らしいことは行っていないらしい。
彼は、
「いずれは資金をためて田んぼを買い、斜面の畑では高く売れる果樹を栽培したいです」と締めくくってくれた。

もう一人の1年生のイラ君。
彼の故郷は、前回のエントリーでも書いた
2年生のクスワント君の村に近い。
中学校は同じだったとか。

さてイラ君。
彼の地域では、実に多様な生産をしている。
トマト・トウガラシ・キャベツなどの野菜類、
バナナ・マンゴー・アボガド・マンゴスチンなどの果実類、
また香辛料類や養殖、鶏・牛・羊・ヤギなどの家畜などなど。
西ジャワのどこの農村でも見受けられるような、
販売と自給の曖昧な細かな生産を行っている。

その中でも、彼は米とイモと羊を大きく取り上げていた。
クスワント君同様、水の入る土地では米を作り、
そうでない土地ではサツマイモを栽培するのが主流らしい。
近くにチレンブというサツマイモの産地があるのだが、
その産地の影響で、サツマイモも高値で取引されることもあり、
イモの栽培も盛んとのこと。
そして最近流行なのが、羊。
彼はここに来る前に、スメダン県の農業事務所で働いていたのだが、
その時に羊普及のプロジェクトがあり、
彼の村に、2頭ずつ羊の貸与があったらしい。
羊の子供が増えれば、それを返すシステムで、
彼も2頭のメス羊を貸与されたという。
彼の話によれば、村では羊の繁殖ブームとのことで、
今後とも行政の後押しが続くのであれば、
どんどん発展していくのではないか、と分析してくれた。

また、近くの市場をあれこれと解説してくれたのだが、
街の市場に、農民自身が細かな生産物を
持っていくことはほとんどないという。
ほとんどが自給用で栽培されているため、
生産物が少ないことと、運搬手段を持たないため、
たとえ車を手配しても、儲けが出ないとのことだった。
果樹は、自給用の場合もあるが、多くが買い取り商人との
庭先取引で販売してしまうという。
生産規模も小規模とのこと。

換金目的としてはサツマイモと羊が、
もっとも有効だという。
そんなイラ君は、施設園芸に興味を持って研修に励んでいる。
「タヤさんのように、ハウス施設で野菜をたくさん作りたいです」と
プレゼンを締めくくってくれた。
なんでもベビーリーフをインドネシアでも栽培したいのだとか。

彼ら1年生が自分の地域を
自分で分析するのは初めてとのことで
やや難しい課題だった、と感想を述べてくれた。
ただ同じスメダン県と言っても、
少し離れているだけで、こんなにも風景が違うことに、
僕も含めて、研修生たちとその新鮮な驚きを
共有できた。

その驚きが、差異に気が付くきっかけであればと願う。
相対化して生まれる差異に気が付くから、
自分たちの個性が、ひときわ輝きだす。
何が輝きだしているのかは、
僕は研修生たちの肩越しに、彼らとこれから見つめていこうと思う。
さぁ、1年生諸君の準備は整った。
次の後期の座学から、
一緒に未来の良き営農のスタイルを
探していこうじゃないか。

たまには、
インドネシア研修座学の記録。
記録しないと、なんだか何もやっていないような
感じだけど、今年は、結構面白い座学になっている。

今回は農業構造論。
なんともややこしい題名、と我ながら思う。
この座学では、表象としての農業が、
一体どういう要素で成り立っているのかを知る授業。
自分たちの地域農業を腑分けするときのメソッドとなる。
そして、インドネシアの研修生たちにありがちな、
日本の農業から学び、
その技術をそのままインドネシアに移転しようとすることが、
なぜ無意味まのか、
かつ、なぜ自分たちの福祉(welfare)に直結しないか
を学んでもらうための座学。
それらを裏返せば、
僕らの農業はどう「発展」していけば、
僕らの福祉(welfare)につながっていくのかを
自分たちで考察できるようになってほしいという願いを
込めてこの座学を行っている。

さて
今年は、2名の研修生がやってきた。
人数も増えてきたので、座学も少し整理をし、
この農業構造論は、研修1年生だけの前期の座学とした。

まず、2名の1年生には、両国の「耕起」を比べてもらった。
彼らの故郷では、まだまだ牛による「牛耕」が一般的。
牛に鋤を引っ張らせて、田おこしをする風景は、
日常茶飯事。
ここでは、「トラクター耕」。
もはや動物による耕起をしている人は、居ない。
トラクターも大半が乗用で、
ハンドトラクターも特別な作業でない限り、
出番が少ない。

この耕起作業をインドネシアの研修生が見ると
いつも、
「日本は先進的で素晴らしい」と言う。
確かに、手や家畜による耕起は、労力も必要で、
作業も大変だ。
時間もかかるし、
畑の仕上がり具合にも差が出てしまう。

そんな現状を知っているからこその言葉なんだろうけど、
果たして、「先進的」なんだろうか。
ちなみに、インドネシアで牛耕(馬耕)と
大型ハンドトラクター耕を経験してきた僕としては、
それを羨ましいとは一切思っていない。
そのどちらでも僕は大変な失敗をし、
自分の体もずいぶんと傷つけてしまったのは余談。

研修生が、牛耕とトラクター耕を比べて、
日本とインドネシアの農業の違いの一番は、
技術力だった。
インドネシアには技術がなく、
日本にはある、とのこと。
では、インドネシアにはトラクターを導入するだけの
技術が無いのか?と聞くと、そんなことはない。
インドネシア界隈でもトラクターは販売されているし、
整備士も居て、ちゃんと稼働もしているよ。

次に研修生が挙げた違いは、資金力。
トラクターを買うお金が無いからだという。
本当???
ハンドトラクターは日本円で15万円ほどで、かなり高級だが、
同じくらいの値段のオートバイは、
農村でも新車が走り回っているし、
テレビや冷蔵庫、車なども揃っている裕福な家は、
村の中でも何軒も見受けられる。
最近では銀行の農業融資も充実しており、
トラクターの分割払いのクレジットもある。
でも裕福な農家は、トラクターにあまり目を向けない。
その代り、牛に投資する人が多い。
僕が居たスラウェシの村でも、
大学院時代に過ごしたボゴールの近郊の農村でも、
牛は「歩く財産」と呼ばれていた。
牛は子供を産めば増えていくし、
放牧しておけば、餌の世話もあまりない。
農繁期には近所に牛耕用の牛として貸し出すことも可能なのだ。
急なもの入りの時には、売却すれば良いし、
お祝いごとの時には屠殺して振る舞うこともできる。
そういって、僕に牛を自慢してくれた
インドネシアの友人も多かった。
協力隊の時にいたアレジャン集落では、
「だから、お前も牛を買え」と強引に進められたけど。
なので、
トラクターが、お金がないから買えないというのは嘘だ。

2人の研修生は全く答えに困ってしまったようで、
最後に絞り出すように、
「教育」を挙げていた。
インドネシアの農民は教育レベルが低いから牛耕で、
日本の農民は教育レベルが高いからトラクター耕だ、と
ノタマフのだ。
では、学校教育の中で、
トラクターの使い方を教えているのか?
農林高校ならばあるだろうが、普通科高校ではない。
ちなみに大学の農学部でもトラクターの使い方なんて講義は無いぞ。
研修生の子たちが言わんとしていることは解るが、
それは近代化論の単線的モデルという、
もっとも忌まわしきモノだ。

そんな議論をしていた時に、
研修生の1人、ダルス君が、
「インドネシアでトラクター耕にしたくても、畑までの農道が無いので、無理です」
と話してくれた。
そう、畦しか通れない場合、棚田が多いインドネシア(特にジャワ)では、
トラクターを畑に入れたくてもそもそも入れないのだ。
(アレジャン集落で無理やりトラクターをかけた話は、こちらのリンク)。
農道の整備と農地のリハビリテーションも必要だろう。
日本では、その多くが行政と農家の折半による
土地改良事業として、行われてきた。

しかも、自作農家が少ない社会では、
牛耕からトラクター耕に変われば、農業労働者もそれほど必要なくなる。
耕作面積も牛耕では間に合わなかった分も、
自作できることになるので、インドネシアで良くある小作への
耕作地の貸し付けも当然減る。
自分で作る方が、絶対儲かるからだ。
だから、その減ってしまった農業労働に対する
求人分を吸い上げてくれる他産業の発展も
同時に無ければ、失業者が増えるだけになる。
ただ、日本では減りすぎた農業人口が
コミュニティーを自立して維持していくことを困難にしてしまった。
自分の家の前すらも雪かきできない、
つまり冬は外出すら困難になる
一人暮らしの高齢者世帯は、僕の集落にもたくさんある状況だ。

だからトラクター耕が、
ただ単純に「先進的」と言って良いのかどうか、
その取り組みが、僕らの福祉(welfare)に直結しているのかどうか、
僕には疑問に思う時がある。

さぁ、この座学は始まったばかりだ。
これから半期をかけて、僕らの表象である農業は
どういった要素に支えられているのかを見ながら、
僕らの幸福な未来を想像してみようじゃないか。


インドネシア研修生の座学、「農業の構造論」。
この座学では、農業を構成している様々な要素が
その農業の生産様式を大きく特徴づけており
ただ単に、「技術」を移転しただけでは、
その生産様式を変えることは困難、もしくは、
当初予想していたような成果が無いことを
理解してもらうための講座。

つまりは、日本の農業そのものを
インドネシアに移転できたとしても、
それがインドネシアの農業発展には
ほとんどつながらない、ということを理解するための座学。

今回は、3回に分けて「資金」について授業をした。
農業の資金がどこから出るのかによって、
その後の生産に大きく響いてくるというお話。
銀行や共同組合などからの融資の場合と
地主による融資、
そして買い取り商人による融資、
さらには隣人との頼母子講の資金、
などなど様々な場合があり、
それぞれの場合に、どのような生産行動をとるのか
みんなで考えてみた。

地主や買い取り商人からの融資の場合、
やはり、どうしても儲けも少ないし
生産に対するモティベーションも
それほど上がってこない。

地主などの他人との収穫物の分配システム(Bagi hasil)も
多くの場合に、リスク回避と評価されているが
最近は、僕は、これはとてもあこぎなシステムだと
個人的に考えるようになってきている。
が、詳しいことは、また次の機会に。

さて、授業の3回目に
研修生それぞれが描いている事業に
かかる費用を計算してもらい、
それらを買い取り商人から融資を受けた場合と
銀行から融資を受けた場合の
2通りを計算してもらい
それらを比較し合った。

イルファン君は地元の標高を活かしたジャガイモ栽培。
タタン君はレストランまで夢見るヤシの実栽培
そしてクスワント君は年3回のトウガラシ・リレー栽培。
いずれもユニークで面白いプレゼンだった。
そしていずれの場合も、10aの土地を購入すると仮定してもらった。

この比較でより明確になったことは
買い取り商人から融資を受ける場合、
買い取り価格が市場価格よりも安くなってしまう、ことである。

土地購入の借金をその作物の売り上げで返していこうとした場合
買い取り商人から融資を受けると
銀行の金利が2%であっても
その倍の期間かかってしまうこともわかった。

もし、これが
地主との収穫物分配のシステムだった場合
さらに状況は悲惨になり、
耕作者の手取りはほとんどない。
実際に汗水たらした耕作者にほとんど収入がないのだ。

研修生の多くが自分の農地をほとんど持たない。
そして農地取得にかかる費用は、なかなか高額だし
僕ら日本の農民が利用できるような長期融資なども見当たらない。
(もしあるのであれば、情報ください)。
ジャワ特有の財産分与のしきたりもあり、
なかなか農業をビジネスとして成功させることも
難しい。
さらに、買い取り商人も、親戚や村の有力者だったりして
そこを外して村内でやっていけるのかどうか、
などの社会関係上の問題もあるので
一概に、お金の問題でもないと言えよう。

ただ、それでも、農業を産業として
食べていこうというのであれば、
日本だろうがインドネシアだろうが
生産の「場」を持たないことには
話が始まらない。

土地購入代として、研修生たちの試算は
5000万ルピア~6000万ルピア。
これをインドネシアの給与だけで貯めようというと
なかなか時間がかかる金額。
この試算で、農業資金の重要性に
研修生たちが少しでも気が付いてくれるといいのだが。



インドネシアの研修生の座学。
農業構造比較論の金融的要因について。
マクロな意味での金融は扱っておらず(僕の手には負えない)、
この場合の金融とは、多くが農村での
農業資金のことを指して議論している。

その地での農業資金の貸し借りの在り様が
その地の農業を形作り、また社会関係を育んでいる。
端的に言ってしまえば、そういう話。
政策とも大きくリンクするが、政策的要因は
また別に詳しく議論をする予定。

さて、農業資金はどこから借りるのか。
研修2年生のイルファンと1年生のタタンに
宿題として、それぞれの地域の農業資金はどこで得るかを
レポートにまとめさせた。
当然、自己資金という農家も多いだろうが
イルファンのところは、
地元商人による貸し付けがもっともポピュラー。
政府系の資金もあるが、
地元の零細農家のほとんどは村内の買い取り商人から
資金提供を受けている。
1人の買い取り商人が、約100人以上の農家に資金を提供している。
マルクス主義の多い僕のいた大学院の先生たちは
これを従属関係だとして、批判と攻撃の対象として
その階級闘争に目を向けるかもしれないような関係が
イルファン君のむらにはある。

買い取り商人から資金を借りれば、
それによって作られた農作物は、すべてその商人に売らないといけない。
価格に対するネゴの余地はあまりなく、
その商人の言い値で買い取られる。
しかし、それは買いたたかれるのではなく、
唐辛子の例だが、キロ当たり100ルピアほど
市場よりも安いだけだという
調査を依頼したA女史の報告結果もある。

では、タタンはどうか。
その地域では、イルファンと違って
多くが稲作である(イルファンの地域は、稲作が無く、ほとんどお茶と野菜)。
そしてその稲作がつくっている農業資金がある。
まずはGadai(質入れ)。
田んぼを他の農家に質入れして、資金を得るというもの。
農業用の資金として借りることもあるが、
多くはそれ以外の大きな出費があった時に行われるのだとか。
これの面白いところは、金利が付かないこと。
質入れした田んぼは、お金を貸した農家が
質草として預かるが、当然その販売はできない。
そこで得た収量は、貸した側のものになるが、
場合によっては、借りた側がその田圃の耕作を続け
その手間賃を貸した側からもらうこともある。
少なくとも3年は質草として預けないといけないようで、
借りた金は、分割払いは不可。
僕がかつて協力隊としていた南スラウェシの農村は
分割払いが可だったのだが、不可なのが面白い。
金利が付かないので、貸す方もこれで儲けることは
あまりできないシステム。
まさにソーシャルセーフティネットの一つともいえるかもしれない。

さらにタタンの地域では
稲作のArisan:アリサン(頼母子講)がある。
アリサンとは、任意のグループを作り
そのメンバーから定額の金を集め、
その資金をメンバーの一人が総取りをするというシステム。
全員が1回ずつ総取りできるまで回すのが条件。
ただ、だれが総取りできるかは、くじで決める。
(胴元は、くじ無しで一番初めに総取りできる権利がある)。
インドネシアの各地で行われている。
そしてその多くが女性グループ。
でもタタンの地域では、農家のアリサングループがあって
コメの収穫後に集まり、くじを引いてその回の総取りのメンバーを選ぶ。
総取りの幸運を得た農家は、
各メンバーから、収穫された米を決められた量だけ
貰い受けるそうだ。
タタンが加わっていたグループは、
総取りできると全部で100㌔の米をもらえるのだとか。
もっと金持ちのアリサングループになると、
総取りの量が1トンを超えるのもあるらしい。
その総取りした米は、多くは農地購入資金や
農業用機械・資材の購入にあてられるらしい。

タタンの地域にも、買い取り商人からの資金提供がある。
しかし、イルファンとは違い、多くの買い取り商人が
作目まで指定してくるのが通常だとか。
つまり、トウガラシの買い取り商人から借りれば
その資金でトウガラシ以外は作付出来ないことになる。
価格に対するネゴは難しいとのことだが、
だいたい市場価格で売買される。
ただ、その売買された価格から20%の金額を
その買い取り商人が手数料としてとるのが通例だとか。

選択肢がほとんどないイルファンのところは、
作目は自由で、市場価格よりも少し安く買われていくだけで
高額の手数料はない。
この場合、どちらが自由度が高いかは
判断しがたいが、そのお金のやり取りが
その地域の社会関係を育み、その地域の農業の生産様式と
社会の在り様が、金融の在り様を形作っているのが
面白かった。

そういう視点から見れば、
買い取り商人との関係は、それぞれの地域で
ずいぶんと意味合いの違いものであることが、見えてくる。
どこから金を借りるのか。
農業をやっていくうえで、それは研修生らが今後悩む課題の一つだろう。
その関係に、自分たちの農の形も変わってくることを
忘れないでほしいと、僕は願う。


インドネシア研修生の座学の話。
座学をやっていて
いろいろとおもしろいことは毎回あるのだが
早々書いている時間もなく、
よほど書きとめようと思わない限り、
このネタでエントリーを書かなくなってきている。
この活動が、僕の中心であるにもかかわらず・・・。
もう少し、意識を向けないと、と思いつつ
今回は記録しよう。

農業構造比較論の座学での話。
前々回に技術が生産様式に与える影響について考察し
その事例をインドネシアの農業の中から探し出し
プレゼンしなさいという宿題を出していた。
今年一年目のタタン(タン君:実名で書くことにしました)は
北スラウェシの地熱を利用した砂糖製造の事例を
インターネットで探し出し、
地熱利用技術が、そこの生産様式に大きく影響を与えていると
考察してくれた。
まぁ、事例としては、それでいいだろう。

次にイルファン(イル君)。
彼は2つの対照的な事例を持ち出してきた。
一つは、Sungai Baritoに住むある集団の農業様式。
その集団は、土に何かを加えると「毒」が出ると信じていて
化成肥料や農薬はもちろんのこと
有機肥料すらもほとんど投入しない。
植物残差も鋤き込むことはせず、当然、土を耕すこともしない。
雑草や稲わらは積み上げて、腐ったら、それを田圃に敷くだけ。
外部で品種改良された種は使わず、自分たちの集団の中で
継承されてきた品種だけを使う。
完全なる自然農法的な生活を、伝統的慣習の縛りの中で
行っている集団の事例。
もう一つは中部ジャワの生産組合の話。
野菜栽培の盛んな生産組合では、地元の農業企業とともに
品種改良を進め、さらに問題となっていた野菜の病気に対して
農薬会社とともに新薬を作り出し、
大いに生産性を向上させているという話。

イルファンの考察は、技術を受け入れるか受け入れないかで
ここまで様式が変わるという話であった。
考察はそれほど深くなかったのだが、
事例が面白く話が盛り上がった。

伝統的な自然農法を行っている集団は
はたして技術をつかっていないのか。
イルファンもタタンもヘンドラ(H君)も口をそろえて
受け入れていないという。
確かに外からの技術を受け入れてはいないが
自分たちが培ってきた技術を用いて
自然農法を行っているといえるだろう。
この両者の違いは、技術の方向性にある。

そこでヘンドラが次のような意見を言った。
伝統的な自然農法の集団の言う
投入することで出てくる土の「毒」の考え方は正しくないと思います、と。
彼はそれを迷信だ、と言った。
さらには、その迷信では世界にはびこる食糧難の解決にはならない、とも。
はたしてそうだろうか。
まずは迷信かどうかだが、
彼の意見が、今の自然科学に乗っ取って、
というのであれば、あるいはそうかもしれない。
しかし、その集団の持つ科学とは別の判断基準の中では
それは「毒」なのではないだろうか。
自分の持つ判断基準に対して無批判のまま
相手の価値を推し量ることはできない。

次に食糧難だが、それは農業の技術的な問題だろうか。
僕には分配の平等性の問題にしか見えないのだが。
たしかに今のようなモノカルチャー的大規模農業が進めば、
僕たちは、豊かな表土を失い
これまでの古代文明が滅びたように、今の生産様式では
世界を養えないかもしれない。
そういう意味でいうのであれば、
ヘンドラの言うことは実は真逆で、
不耕起で表土守っている自然農法的集団のほうが
より真実に近いと思う。
食糧不足と大量生産技術を結びつける考え方は
政治的ゲームでの駆け引きにしかすぎない。
若いヘンドラまでもが、そんなことを引き合いに出して
どこぞの国会議員の間抜けな答弁のような発言はしないほうがいい。

僕は以前、これらと似た事例を考察し
その生産様式の違いは、そこに住む人々の価値基準の違いであり
それを端的に言えば、最適か最大かの違いだと
書いたことがある。
伝統的自然農法の集団は、最適に過ごせることを目指し
中部ジャワの生産組合は、生産力が最大になることを目指した。
その違いだともいえるかもしれない。
しかし、中部ジャワの生産組合と農薬会社と開発した新薬が
もし、微生物農薬だった場合はどうなんだろうか。
現在農薬の開発は、より環境に配慮する形で行われており
天敵の利用や自然界に存在する菌を利用した微生物農薬も多く出回っている。
化学合成農薬と違い、その考え方の根本は
生態系的なバランスであり、害虫の全否定ではない。
自然科学が最大を目指す中で、
それが最適の中で得られることがわかってきており
その最適下で最大を目指すような科学技術に変わってきている。
僕らが目指すような最大の社会は
大きく回り道をしながら
伝統的自然農法を科学検証しつつ
その技術を普遍化させていくことで最大を求めていくのかもしれない。
もはや最適か最大かの議論は、不要な気もしてきている。

研修生が探してきた事例に刺激されて
とても面白い議論になったと思う。
こういう座学の日は、とても気分がいい。
インドネシアの子たちにやっている座学の話。
今回は、「資金」。
これまで、自然、人的、社会、市場、技術、と議論をしてきたのだが
今回は資金的要因。
この資金的要因は、その人の農業を大きく形作るのであり、
貧困の輪と呼ばれる構造が、つねにこの資金の構造と共にあることを考えると
とても重要なファクターでもある。

さて授業に当たって、
H君とイル君の両君に、それぞれの村での資金源について
書き出してきなさいと、宿題を出した。
両君は同じ高校の卒業生でもあるので、地域は比較的近い。
だが、これまで自然、市場、社会において大きな差があることが解っている。
そして今回の資金源も、大きく異なっていた。

まずH君が挙げた資金源は
自己資金(農外セクターで得た資金を農業に投資)
政府からの作付け支援資金(KPK)
銀行からの貸し付け
協同組合(KUD)からの貸し付け
質屋(Penggadaian)、
そして、買い取り商人による貸し付け、である。

では、イル君はどうか。
自己資金(H君と同じ)
協同組合(KUD)からの貸し付け
銀行
そして、買い取り商人による貸し付け、である。

まず自己資金についてだが、
H君の村では農外セクターでの就労機会が多くはない。
ちかくにアディダスの工場があるので、そこに働きに出る人はいるものの
その他には、野菜売りやミニバスの運転手、輪たくのような労働で
収入を得て、それを農業資金としている場合もある。
だが、イル君の地域には、大きなお茶農園があり、そのお茶農園が直営している工場で
村人の多くが働いている。
何度も書いたが、A女史の調査で、イル君のお父さんは
お茶農園で働いて、一定の収入を得るのを主とし
副業としてやるのが農業だと認識していた。
たぶん、その村の多くの人は、そういう意識なのだろうと想像される。
イル君の話からもそれはうかがえた。

協同組合は、政府組織で全国にある。
僕が協力隊の時にいた村では、この協同組合は、その担当官の汚職などで
ほとんど機能不全に陥っていたのだが、
H君とイル君の村は、そうでもないらしい。
ただ、一つ大きな違いとして、
H君の協同組合では、貸し付けは物品化されており
イル君のところでは、お金で貸し付けてくれるとのことだった。
僕の記憶では、H君の村のようにKUDの貸し付けは
物で貸し付けされていたように思うのだが、地域によって差があるのだろうか。
実は、この物で貸与というのが曲者で
市場価格より高く見積もられていたり、
またその物(肥料など)の質が悪かったりして、
担当官の汚職の原因にもなっている。
もしイル君のところのように現金で貸し付けてくれるのなら
協同組合もある程度は信頼できるか。

両者も挙げていた銀行であるが
これはなかなかの曲者で
資産の見積もりがあり、それに応じて貸し付けされるのだが
審査のプロセスが長く、また返済は毎月で
収穫後に一括返済というわけではないらしく、
農業資金としての活用は、至極難しいとのことだった。
その点、汚職の可能性が高いKUDであるが、
審査プロセスは簡素化されており、経歴書や村長の推薦状さえあれば
すぐにでも借り受けられるという手軽さはある。

イル君のところになくてH君のところにあったのは
質屋と政府からの作付け支援金。
H君のところは質屋を利用する農家も多いらしい。
反対にイル君のところは、町からも遠いこともあって
質屋が近くにないことからも、それを利用することはない。
政府からの作付け支援金は、いつの時代も行われており
名前と作付け品目だけは時代によって変わるのだが
システムとその考え方は、ほとんど変化がないような気がする。
つまりは、農家をグループ化して、その1人にまず種子を貸与し
収穫後、収穫物からその種子分を返却してもらい、
それを次の人に貸し付けるというもの。
次々と貸し付けていくことで、最後にはみんなに行きわたるというシステム。
乏しい政府の資金を効率的に普及事業にむけるものとして
出てくる度に注目されるのだが、いつも同じ理由で破たんしていく。
このシステムは如何に破たんしやすいものであるかは
僕が協力隊1年目(1997年)に行った「落花生優良品種普及事業」の報告書を
見てもらえれば解るのだが、
このブログでも機会を見て、その話を書こうと思う。

さて、ここからが本題。
最後に残っているのは、買い取り商人による貸し付け。
実はこれが貧困の構造を作っている場合が多い。
なぜなら、資金を貸し付けてもらったら、
その収穫物は必ずその商人に販売しないといけない、
という関係が出来上がるからである。
さらには、その関係が一度出来上がっていくと
そこから抜け出すことが容易ではなく
買い取り価格も市場のよりも安く買い取られるのが常なのだ。
まぁ、その差額で儲けているのだから、ある程度差額があるのはしょうがないのだが
その程度が問題になる。
インドネシアの大学院でも、農村での買い取り商人との関係構造に
注目している人は多く、
貧困の構造だと指摘する人もいれば
それは時にはソーシャルセーフティーネットの役割があると
逆にポジティブに評価する人もいた。
これはそのシステムを見てというよりも
当事者たちの考え方も含めて、
ケースバイケースで判断しないといけないのだろうとは思う。

さて、イル君とH君の場合はどうだろうか。
これまでイル君に関しては、この買い取り商人の存在について
さんざん書いてきた。
というのも、A女史から送られてきたイル君の村のポテンシャル調査で
彼女は、極端な貧富の差が村内にあるとして
その差が生まれる原因として、
この買い取り商人とそこから貸し付けを受ける零細農家の関係を指摘していた。

個々の農家での市場へのアクセスが困難なため(距離と移動手段の確保)
1人で100軒以上の農家に貸し出しを行う買い取り商人が何人も存在し、
その少数の買い取り商人が、それらの近隣の村々の収穫物を
市場へと運ぶ役割を担っている。
資金と市場をこの買い取り商人が握り
価格決定のイニシアティブは、全く農民側にはない。
そういうこともあってか、
前に書いたエントリーでは、イル君はどうやってこの関係から抜け出そうかを
思案していた。

しかし、議論を進めていくうちに
少し違う風景が今回は見えてきた。

H君のところの買い取り商人とイル君のところの買い取り商人を
少し比較しながら、今回は授業を進めてみた。

H君のところの買い取り商人は、
個々の農家が市場にアクセスしやすいこともあってか
資金難に陥ってない限り、あまり買い取り商人から貸し付けを得ることはないらしい。
つまり、ほとんどの農家は、自分たちで作物を市場まで運ぶことができるのだ。
車やバイクを所有しているのではなく
バスの通る道へのアクセスが容易で、市場までの距離が10キロ程度しか離れていない。
そういうこともあって、農家は村まで買い取りに来た商人を選んでも良いし
自ら市場まで運んでも良い。
そういう関係もあってか、
買い取り商人による囲い込みは、特定の作物に限定もされている。
つまりトウガラシだけを扱う専門的な商人が
ある程度の収穫量を確保するために、資金提供をして、農家にトウガラシを作らせる
といったことのようだ。
そしてこれも重要なのだが、H君のところの買い取り商人のほとんどは
町からやってくる。
資金の返済には、栽培が失敗した場合ある程度待ってくれる点で
それほど阿漕な商売はしていないらしい。

ではイル君のところはどうか。
そこの買い取り商人は、作物の特定は行っていない。
何を作っても自由なのだとか。
ただし、貸し付けを受けている場合は、販売はすべてその商人にしなければいけない。
決まっているのは、販売先(商人)のみで、作付けは自由。
そして、その買い取り商人のほとんどは、同じ村に住んでいるのである。
だから、その買い取り商人とのつながりは、家族だったり親戚だったりする。
そういうこともあってか、
資金の融通は随分ときくようで、返済問題や急な物入りの時にも
貸し付けを増やしてくれたり、返済をまってくれたりもするらしい。
買い取り価格に難があると、A女史は指摘していたが
それ以外の要素としては、どちらかといえば
個々の農家がアクセスできない大きな市場へのアクセスを可能にする存在として
買い取り商人がいて、
さらにそのネットは、どちらかといえばセーフティネットとも言えなくもない。

さらに大事なことなのだが、
そういう中で、
買い取り商人との関係を切るということはどういう感情なのかを
二人に聞いてみた。
どちらも即答だった。
「malu(はずかしい)」だった。
これまで借りてきてお世話になったのに、富を得たら急に独りよがりになった、と
周りから評価されるので、恥ずかしいことなのだとか。
こういった社会的感情はとても大切だ。
僕らにもそれに似た感情はあっても、
イル君やH君のようにその感情の深度は、それほど深くないかもしれない。
合理的に考えれば、自分で移動手段を持ち、資金があれば
その関係から抜けて、自分で販売を始めた方が良いようにも思うのだが、
一足飛びに、それをすることは、
「不義理な奴」としての汚名と制裁を社会から受けることにもなりかねないようだ。

そういうこともあって、やはり一度できたこの関係を
断つことは、難しいようだ。
だが、イル君の場合は、
もっとポジティブに評価しても良いのかもしれないと議論になった。
一つには、その関係から来る融通性であろう。
そして、これが大きいのだが
作付け作物が特定されていないこと、である。
この指摘をしたのはH君である。
「僕なら、高く売れる野菜ばかりつくるけどな」の一言で
議論がネガティブからポジティブへと変わった。

買い取り価格にある程度の差額があることには、これからの課題でもあるのだが
大きな市場にアクセスしているようなので、農家の判断さえ間違えなければ
高い価格で売買される作物を、農家自身で選びだせれば、
それだけ農家のもうけが増えるのだ。
イル君のとこは標高も高いので、その自然条件を活かせば、
イル君の地域じゃないと栽培できないという野菜もあるだろう。
珍しい品種や、普段では栽培できなさそうな野菜、または現在あるものよりも
至極立派に作れそうな野菜を選び出し、それらの市場価格の変動を掴みとれれば
買い取り商人と共に、大きくなっていくことも可能のように思える。

やってみる価値はあると思います。
イル君は、そう言っていた。
あとは君が市場を見つめる目と作物栽培に欠かせない観察力を
ここで身につけられるかどうかだろう。

こうして、資金的要素の授業は終わった。
最後にイル君が、
「こうやって自分の村について分析したことがなかったので、とても面白いです。自分の村のことなのに、やっているうちに新たに解ることも多いですね」と言っていた。
忙しい中、座学を続けていくのはなかなかの苦労だが
それが少し報われたような気がした。
座学の時間。
インドネシア研修生+農林高校に来ている留学生。

農林高校が中間試験と言うこともあって
ちょうど交換留学出来ているインドネシアの学生を
4日間預かることになった。
前回の流れもあり
留学生の「目に映っている日本の農業技術崇拝」が
果たして、インドネシアの文脈の中で妥当なものなのかどうか
それを検証するにはちょうどいい時間がもらえたというわけである。
といっても、それほど大層な授業はできるわけではないのだが、
僕なりに考えていることを少しでも共有できればと思い、
今回の授業は、技術的要因というタイトルで
現在、我々の目に映って見える表象としての農業を支えている技術について
フォーカスを当ててみよう。

授業の流れとしては、
昨年とは違い、
先日読んだ村田純一氏の「技術の哲学」からヒントを得て
大幅に改めることにした。
技術決定論と社会決定論の事例を探し出し
その中で現在確立されている技術というものがどういうプロセスを経て
安定化しているのかを見ようというもの。
社会構成主義的な見地に立てれば、言うことはないが
少なくともあるプロセスを経て、そのプロセスがブラックボックス化する中で
表象として技術・農業が安定して見えている、ということが
理解できれば、もう言うことはない。

今回の授業に当たって研修生2名には宿題を出していた。
それは、技術が社会を変化させた事例を探し出す、ことと
もう1つは、社会が技術を変化させた事例を探し出す、ことの二つ。

この宿題がなかなか難しかったようで
二人の研修生は、
技術が社会を変化させた事例は山のように見つけられるのに、
社会が技術を変化させた事例は見つけられなかった。
みなさんはどうですか?
すぐに思い付きますか?

実はこれがすぐに思い付かない、ということが
すでに社会に存在している技術をそれ単体だけで安定しているもの
という理解をしている証拠だと僕には思える。
それはその技術が発展してきた、
つまりは現場や技術者・科学者のやり取りのプロセスが
すでにブラックボックス化してしまっていて、
僕たちの目の前に現れている技術があたかも初めから
そうであったように思えてしまうからでもあろう。
そして、その技術をしようすることで、その技術を持つ論理に
自分たちがマージナル化されたり、
選択の余地をなくしてしまっていることだけに気付かされるから
技術が社会を変化させる事例だけが、山のように見つかるのである。

技術者であるか、科学者であるか、それともそういった歴史に詳しいか
もしくは長く現場で技術の変遷を見てきたものであれば
ブラックボックス化されたプロセスを見ることができるのかもしれないが
そうでなければ、そうそう簡単には見えてこないのかもしれない。

そこで授業では、とりあえず日本の水田稲作が如何に機械化されていったかを
歴史的経緯と背景を見ながら説明していった。
この説明の仕方に、技術をどうとらえたらいいのかを
僕としては盛り込んだつもりでもあった。
水田稲作の歴史的経緯と背景は、
暉峻衆三 著 「日本の農業150年」を引用した。

1950年以降、朝鮮戦争の軍事需要の高まりもあって
日本は工業化への速度を速めることになった。
工場への人的流動を支えるためにも、農業の機械化・効率化は重要であり
また工場製品の国際競争力を支えるためにも
食料価格を低い水準で抑えることも重要だった。
こうして工業化と農業の効率化は一心同体に進んでいくこととなった。
農業分野とそれ以外の分野との賃金の格差是正も
食料価格の維持ではなく、より一層効率化と機械化を持って
大規模農家の育成と機械化による兼業化の可能性により
是正を図るような方向へと農業が発展していくことになる。
また戦後の食料による借款の受け入れや
選択的な農業補助により、
米作に特化した兼業農家による
機械化の進んだ農業を作り上げていった。

技術が社会を規定しているようにも見えるが
その実、社会の価値観が技術の論理に引きずられるような形ではあれ
それが再びいびつな形での農業社会を支える技術の開発へと
そのベクトルを特徴づけているのである。
技術の出発点で、その背景にある政治的な要因や市場的要因、
そして国際的な流れも、その技術の方向性に大きく影響を与えてもいるのだ。

そう言った見地から、現在の日本の農業技術を見れば
それは果たして、ただ単に、
日本は先進的で、インドネシアは後発的、というようなロジックには
収まらないことが理解できるかと思っている。
高校生である留学生には少し荷の重い授業かもしれないが
それでも、無批判に技術崇拝することに意味がないことを
少しでも伝えたかった。

この授業をした後、妻に今回の授業について話したのだが
妻が
「その授業、留学生だけでなく、研修生の子もどれだけ理解できたかしら?」
と言っていた。
授業の後、宿題を出したので、そのレポートを読めば、
彼らがどのくらい今回の授業を理解できたかが解るはずだ。
宿題は、インドネシアで行われた「緑の革命」の功罪について
インドネシア語で書かれた文章(10ページ程度)のものを読み
それについて、技術に対する考察をするというもの。
自分の村で、緑の革命の影響としてどういうものがあるかを
想像して書き出すとともに
日本の農業技術の中で、自分の村にも導入できそうなものを選び出し
それを導入することの功罪について、自分なりにシュミレーションするというもの。
さて、どういうレポートを出してくるだろうか。
前回の座学の続き。
宿題をこなせなかったイル君は、
今回、自分の地域で実現可能な「直売所」についてプレゼンをしなければいけなかった。
提出されたレポートを読むと、彼の苦悩が見て取れるようだった。
彼のレポートの結論は、
「私が学んだ直売所のどのモデルも、私の地域では実現不可能です」
と書かれていた。
一瞬、彼はたとえ机上の空論であっても
思考することをやめてしまったように見えたのだが
彼のプレゼンを聞くに、そのおかれている複雑な農業構造が見えてきた。
それはまさに、貧困の輪と言っても良いだろう。
またそのような思考に限定されざるを得ない状況こそが
貧困の輪だとも思う。

彼の地域は以前書いた以下の日記を見てもらえれば解るだろう。
運命と貧困の輪を抜けるために 農業研修で僕ら日本人が背負うもの

まず、販売ルートが限定されている。
栽培に必要な資金を持たない小農が多く、
栽培を開始するために、買い取り商人から資金を借りる。
その関係から、生産物のほとんどをその商人に売り渡さないといけない。
ものすごく収奪されているわけではないが
それても、市場価格より安いのは、調査をしてくれたA女史や
イル君の話から解った。
また、大規模プランテーションに伴って開拓された地域でもあるので
近くに町がない。
小さな村々が企業のプランテーションのまわりにへばりつくように点在しており
直売のターゲットになるような消費者が少ない、と、イル君は言う。
生産者から直接消費者へという直売の考え方は
小さな振り売りを除けば(それもほとんど成立しない)、
ほとんど実現不可能のようにも見えた。
大規模プランテーションと買い取り商人に牛耳られている市場に
僕ら農民は作りたいものを作り、売りたいところに売って、
その市場の刺激を大いに受けながら、自立感のある農民にはなれないのだろうか。

そんな思考自体をやめたくなるような状況下で、
(実際、彼のこの話を聞いていた僕は、ほとんど思考が停止してしまった・・・)
イル君は、こういう答えを出してきた。
買い取り商人による販売のまとまりではなく、
栽培レベルで農民をグループ化をして、農民による協同組合作り
そこを通じて販路を築くというもの。
資金は、買い取り商人からは借りないようにするため、
銀行の農業融資から借りる指導をしたいとも言っていた。
事実、銀行は農民に対する栽培資金の少額貸し付けを行っている。
信用いう意味で、なかなか借りにくい面もあるが
農民のグループや協同組合が出来てくれば、
借りられないこともあるまい。
イル君が夢想する協同組合を通じて、新しいマーケットへの販路も彼は考えている。

この授業で大事なのは、なにも直売所を作ることじゃない。
ここの文脈では、直売という考え方では、その中間マージンを減らして、
少しでの農家の受け取りを多くするというのが大事なのだ。
そしてそのことは、農家が新しい販売チャンネルを持つことにもなる。
それが、他の商人や市場に対する交渉力UPにつながるのである。
個々の農家やグループの交渉力を上げること、
それは栽培上の問題を解決するよりも、大事なのだ。

3人での議論で、初めはイル君による買い取りグループを
形成していくのが妥当だろうとなった。
小さな取り組みから初めて行く方がいい。
そのためには資金と移動力をイル君が獲得する必要があるが
その議論は、またいずれやらないといけないだろう。

この協同組合の話は、面白かったのだが
そのことで、あるインドネシアの友人から忠告されたことがある。
「買い取り商人の力が強いところで、流通を無理に触ると後ろから刺されるよ」と。
イル君の話を聞いていると、僕もそんな気はしている。

インドネシア研修生の座学。
先週からこの座学は、市場的要因の直売所を取り上げている。
その発生の経緯やそこにある利点・問題点を考察した。
内容としては、去年と同じ。
詳しくはここを参照のこと。

昨年の授業のブログ
交渉力=生産技術+市場の多様性+運搬力
直売所=経済的利点+交流としての場
直売所=信頼+差別化
直売所=時事問題+消費者の要求の方向性

さて、それらの授業を行いながら、
1つ宿題を研修生に出していた。
それは、
「さまざまなタイプの直売所があるが、どのようなタイプの直売所があなた達の地域でも可能か考察しなさい。もし、日本にあるようなタイプが実現不可能だと思うのであれば、それについても考察しなさい」
というもの。
新しい売り方を自分で考えることが目的だった。

これに対して1年目のイル君は
スーパーの一部にある直売コーナーのモデルを高く評価し、
それならば、実現可能だと数行だけ書いてきた。
なので、そのペーパーを受けて、僕はこう質問した。
では、君のいる地域では、皆がスーパーで買い物するんですか?と。
答えは、否だった。
彼の地域は、大規模お茶プランテーションに付随して
そのプランテーションで働く労働者が集まってできた村なのだ。
町からも遠いし、スーパーもない。
農家もスーパーまで農作物を持っていくのは遠くて出来ない、という。
彼曰く、日本のスーパーにある直売コーナーが
システマティックで綺麗だったので、ああいうのがインドネシアでもあればいいなぁ
と思ったらしい。
これを読んでいて、僕の性格を知る人は、
イル君は最もまずい答え方をしていると思っただろう。
そう、その通り。
僕は至極不機嫌だった。

自分の地域で実現可能なモデルを、たとえ机上の空論でもかまわないから
考え抜くことに、この座学の意味がある。
見た目がきれいだとかシステマティックだとか近代的だとか
そんな理由で、そのシステム自体を褒める行為自体、
何の意味もないのだ。
システムが先にあったのじゃない。
それをはぐくむ土壌があったから、それがそこにあるだけなのだ。
見えているものを称賛しても、意味がないのだ。
だからイル君には、自分の地域で実現可能なモデルを探しなさい!と
再度宿題にした。

次にH君。
彼は、もっと現実的だった。
彼が目をつけたのは、近くの町の市場。
インドネシアでは、市場の場所をそれぞれの商人や農家が
政府から使用権を認められれば、その期間中使用できるシステム。
日本の卸売市場と違って、消費者も直接市場で買い物ができるのである。
彼は、その使用権を買って、
自分が構想している農家グループの直売所をそこに作りたい、と話してくれた。
直売所の欠点として、並ぶ品目が農家同士で重なりやすいというのがあるが、
H君の考えている農家グループでは、主力栽培品目は
順番を決めて、みんなでまわり持ちで栽培しようというものだった。
野菜の値段が乱高下するなかで、その順番を皆が守れるのかどうかなどの
不安はあるものの、
販売だけのグループではなく、栽培からグループ化をすることで
グループでの技術に対する意見の交換や他のメンバーへの指導なども
より潤滑に行える、と彼は考えているようだ。
実は僕も協力隊の時に、それを一時夢想して
そしてグループを作り、販売も行ったことがある。
あの時は、様々な要因があって(遠距離・情報伝達の難しさなど)
グループ化を栽培レベルまで出来ず
結局、販売のグループになってしまったのだが
H君は、そのもう一歩を踏みこもうと意気込んでいた。
そしてそれは、産地組合的な発想ではない、篤農グループを考えているようだった。
市場での他の売り場との差別化としては
有機農法の実践や、海外の野菜など珍しいものを栽培することで図るらしい。

考えるために出した宿題だったのだが、
とんでもない答えを飛び出してきて、正直驚いた。
僕が鍵だと思っている要素をすべて取り込み、
そして彼なりにアレンジして僕の目の前に見せてくれた。
それは机上の空論かもしれないが、その思考と意志の素晴らしさに
僕は感心した。
1年前の彼かれは考えられないほどの成長だった。
イル君も今はまだ理解が足りないのだが、
いつかはH君のようになってくれることを信じて
座学を続けよう。
今日は、
インドネシア研修生の講義の日。
60分の授業を準備するために、2時間以上かけてパワーポイントを作成した。
忙しくて忙しくて、毎日、目が回りそうなのだが
これをやらねば、僕の平常心が保てない。

さて、今回の授業は
農業構造シリーズの市場的要因について。
今目の前に広がっている農業が、なぜそのように展開されているのかを
ただ単に「先進的」や「近代的」などといった
単線的な発展論の視点で捉えていては、
農業がなんたるかを見損じてしまうだろう。
今目の前にある農業を理解するには
それにかかわる要因を一つ一つ紐解いていく必要があるのだ。

長い前置きになったが、今回の授業は市場的要因。

現在、僕の経営体としてかかわりのある市場は
少々の差異はあるものの、だいたい5つに絞られるだろう。

市場(JAを通したり通さなかったり)への出荷
仲卸やスーパーとの直接契約
直売所や個人などへの直販
インターネットで販売
近所の住宅街での振り売り

「振り売り」は父や祖母が冬になると行っているので
正確には僕が直接かかわっているわけではないが
それでも販売の1つのチャンネルには変わりない。

現在の日本の流通において、
多様な販売経路と市場が存在しているが
だいたい、これら5つの市場に収まってしまうのではないだろうか。

今回の授業を行うに当たり
2回ばかり、実地見学を行った。
卸売市場の見学とスーパーと直売所の比較見学。
インドネシアでもpasar indukと呼ばれる中央市場が
比較的大きい都市に存在している。
農家もそこへ出荷するのだが、そこで競りがあって値段が決まるわけではない。
相対(あいたい)取り引きが主流で、農家と商人とが
一対一で価格交渉をして販売をしている。
農家では販売価格の交渉が難しい場合、
もしくは出荷量が多い場合は
市場に出入りしている中間業者に、
相対取り引きの間をマネージメントしてもらうこともある。
出荷量が多い農家を除いて
中間業者と農家の関係は
常に、農家がやや搾取されている関係が多いのも特徴的だろう。
値段交渉が競りでは行われないために
価格決定のプロセスがブラックボックス化しており
そのことがさらに農家への搾取を許しているように
僕には見えてしまう。

2人の研修生を福井の卸売市場へ連れて行き
競りを見学させたのだが、
やはり2人とも僕と同じように
「競りは農家も見ることができるので、価格がどうやって決まるのかも解りやすいです」
と言っていた。

直売所では、4月から来た研修生のイル君が
出荷物の価格を農家自身が決めていることに感動していた。
農家が価格を決められることは、インドネシアの市場において
ほとんど無いのである。

これらを踏まえて、今日の市場的要因の授業。
見学で見てきた市場とインドネシアの市場の違い、
とくに価格の決定におけるイニシアティブがどこにあるのかを
話しながら説明をした。

そしてここからが本番。
2枚の写真を見てもらった。
1枚目は、地平線の彼方まで広がっているレタス畑の写真。
2枚目は、転作田を利用して、数十種類もの野菜を栽培している数畝(数a)畑の写真。
この2枚の写真で展開されている農業の違いは何か、
それを答えなさい、というお題を出した。
4月から来たイル君が
「近代的な農業と伝統的な農業の違いでしょうか」
と、こちらの思惑にはまりこむような答えをしてくれた。
昨年から来ているH君は、僕の言おうとしていることが薄々分かっているようで
その答えを聞きながら、ニコニコしていた。

答えから言えば、大きな違いはその畑がつながっている『市場』なのである。
1枚目の地平線の彼方まで続くレタス畑は、
他県の知り合いの農家で、大手ハンバーガーチェーンと直接契約をして
出荷している畑であった。
2枚目の写真は、直売所付近に住んでいる老農の畑で
出荷物のすべてを直売所で販売している。
大手ハンバーガーチェーンとの契約では、
規格にそろったレタスを大量に出荷しなくてはならない。
その市場からの刺激を受けて、効率よく栽培している写真が1枚目と言うわけだ。
一方、直売所では規格がそろっている必要はあまりなく
また、レタスばかりが大量に売れるわけでもない。
そのため直売所という市場から受ける刺激で
その老農は、多いものでも20株程度しか1品目を栽培していなかった。
その代わり、何十もの品目を栽培していたのである。

どちらが儲かっているのか、は、
この場合、適切な指標にはならない。
それぞれの農家が、それぞれの経営体に合わせて満ち足りていれば
それでいい。
要は、畑だけを見て、その栽培法や技術・テクノロジー・規模などに圧倒されてしまって、
(伝統に対するノスタルジックな眼差しや美化された自然観もこれらと同じ視点)
先進的‐伝統的(もしくは後発的)といった
単線的にしか発展していかないような(もしくは2項対立的にとらえてしまうこと)
思考に陥っていては、目の前の農業のダイナミズムに気が付くことはできないのである。

マルクスには悪いが、
生産力が生産様式を生む、とは僕は思わない。
市場の刺激から新たな生産様式が生まれる、と僕は思うのである。

技術は十分条件であり
市場は必要条件なのだ。
農学を学んだ人間の多くが(また一般の人のステレオタイプとしても)
その学問で学ぶ技術的なものに目が行きがちであるが
それは僕に言わせれば瑣末なことに過ぎず、
もっと大きな視点に立てば、「市場」の存在に気がつくはずである。
僕らの生活は、ものを交換することがベースとなって社会を築いてきているのだ。
その交換する場が「市場」。
それぞれの地域に存在する市場を
資源として認識できるかどうかで、農業の形も変わってくるのである。
さて僕の村。
鳥の眼の座学のエントリーでも書いたと思うが、
自然資源として近くを流れる九頭竜川のインパクトは大きい。
その沖積土の土壌質は、田んぼにはあまり向いていないのだが
畑にはすこぶる向いている。
そういうこともあってか、昔からこの村は野菜の産地だった。

また大河の近く、ちょうど足羽川との合流地点だというのも幸いしたのだろう。
九頭竜川を下れば、三国湊につながっており、
北前船が三国湊につけば、その荷が九頭竜川を通って
一部の荷物がうちの村の近くで荷揚げされ、市が立ったともいう。
足羽川を上れば福井市内へ
九頭竜川を上れば勝山・大野へ
と続いていたのである。
その昔は海道よりも河川や海運の方がよほど重要であったことを考えれば
この村の果たしてきた役割というものが、少しは想像できる。
ちなみに、戦国時代、越前で勢力を誇っていた朝倉家も
初めに越前に入ってきたときは、うちの村の川向にある黒丸や大安寺のほうに
居城をかまえていたというのは余談。

そういうこともあってか、自給用に野菜を作るというよりも
市場に出す野菜作りがかなり昔から行われていたらしい。
その意識が今の代まで共有されており、
田んぼもそれなりに作るが、野菜栽培にも力を入れている家が多い。
ただそれは今の50代くらいまでの話。
僕ら世代や少し上の世代には、その意識は浸透していない。
自分の家の田んぼがどこにあるのかもわからない人ばかりなのである。
良くても田んぼの手伝いはするが、
野菜栽培に関しては
「あれは年寄りの『もたすび』(福井弁:あそびの意味)やろ?」
という人も少なくない。
では、僕ら世代やその少し上の世代は、どこで働いているのか。
それは近くの会社だったり、工場だったりする。
イル君やH君のように
農地が無いから、農業外で就労するというわけでもない。
農業では食っていけない、という意識があるから、
いや、というか、すでに農業で食っていくという選択肢そのものが、
その世代の意識から欠落しているようにも思え、
そういう人の意識の中では、
農業外で就労することが当たり前なのだろう。

だから、
「最近不景気でアルバイト始めたよ」
という少し上の世代の人がいても
それは、仕事が終わってから畑仕事をしたり
出勤前に野菜を出荷して小銭を稼ぐということはない。
別の農業外の職種のアルバイトの話なのだ。

最近では直売所も多くでき、
誰でも気軽に出荷できるそのシステムが、
他の集落ではぽつぽつと
出勤前に農作業をして、小銭を稼ぐ30代40代くらいの人を生み出しているが
うちの村では、まだまだその意識が醸成されてはいない。

市場を意識することで、それへのアクセスが
新しい生活と仕事のスタイルを生み出し、
それがイル君の村の個人経営のお茶畑だったり
H君の村の野菜栽培だったり、
またほかの集落で見られる、直売所向けに少量多品目を栽培する
会社員の姿だったりするのだろう。
しかし、人が意識しているようにしか世の中は見えてこないわけで
そういう意味では、近くに直売所があっても
他にアクセスできる市場があっても
農を意識しない人には、それが資源としては見えてこないのである。
だから他の職種のアルバイトということにもなるのだろうか。

歴史を共有するのは、
その村の年寄りや上の世代からの昔話だったりする。
各世代ごとに教育という名のもとに
学校へ割り振られてしまう現代では、
そういった村の意識を共有する機会は乏しいのだろう。
それでも村の役をやるなかで、そういう意識は再び醸成されていくのだが、
合理的に考えることを訓練されている僕らは
一文にもならない、苦労ばかりが多い村の役なんて
「馬鹿がすることだ」
と口外して憚らない人たちを生み出してもいる。
その断絶の連続が、むらを「むら」でなくさせ
いろんな資源によって成立してきた生業を失わせているのだ。

そこに資源があっても
それに向けるまなざしが、その人になければ
たとえ眼中には入っていても、
意識までは届いていない。
人々の意識が農業を作り上げていく、1つの事例として
この3つの考察はとても有意義だった。
おかげで僕の村の問題も、より明確になったような気がする。

誰よりも僕が勉強になっているインドネシア農業研修事業なのである。
昨日の続き。

一方、Hくんの話。
H君のところは、野菜栽培の面積は少ない。
水源がしっかりしているので、1年に3回、米がとれる。
ただ、雨期になれば、水源のない土地でも野菜が作れるため
雨期には野菜栽培も盛んだとか。
ただし、それらは
米を作って、その余った時間を野菜栽培に向けている
といったものらしい。

H君の近隣にも大きな工場があるとのこと(外資・国内資本両方)。
それらの工場は、食品の加工から服や靴(アディダス)を作る工場まで様々。
H君の住む村の人も、それらの工場で働いているらしい。
そしてその人たちは、イル君の村の人と同じように
農地が極小かもしくは持っていない人たちだと言う。
では、仮に、その人たちが農地を取得した場合
イル君の村の人のように、工場労働を続けながら、
その余った時間で農業をするのだろうか。

H君の答えはこうだった。
「それはありません。農業でやっていけるのなら、工場で働くことはやめると思います。現にそういう人も多く村の中にはいます」とのことだった。
ただ、公務員などの待遇の良い職の場合は、
その仕事を続けながら、サイドビジネスとして農業をする場合もあるのだとか。

H君の村では、米の自給がもっとも重要だと考えている。
だからたとえ換金性が高くて、米よりも儲かる野菜栽培であっても
水源のしっかりしている田んぼで野菜作りはしない。
野菜作りはどちらかといえば「余技」なのだ。
それを村外の市場に持ち出すルートも、車やバイクの入れるような道はなく
近くの幹線道路まで、収穫物を担いで持ち出さないといけないのである。
収穫物を集めて回る商人の存在も少なく、
村内の貧富の差はイル君のところほどではないが
その代わり、流通から刺激を受ける野菜栽培はなかなか発展していない。

工場の種類もイル君とH君とでは大きく異なっているだろう。
農産物(お茶)をそのまま出荷できるお茶加工場と
農業とは直結していない服や靴の工場、
または直接買い上げを行っていない食品加工の工場。
つまりは、農家から直接買い上げを行っている1つの市場として
工場が機能しているかどうかも、その地域に与えるインパクトとなる。
イル君の村では、米を作るよりも付加価値がつくお茶を
その近くの市場から受けた影響で、栽培をしており
その中で、米は買って食べるもの、という意識が培われていった。
一方、H君の村では、伝統的なジャワらしい意識が残っており
主食となる米の存在は絶対なのであろう。
食いっぱぐれのないように営んでいくのが農業だとすれば、
イル君の農業は換金の中で計算されており
H君の農業は主食となる米によって計算されている。
どちらかが優劣というわけではない。
その意識に支えられて、その地域の農業が出来上がっていくのである。

では、この2点から見えた意識の違いの分析を
僕の村まで延ばしてきて見てみたら、どう見えるのだろうか。

続く
インドネシア研修生への講義の話。
前回は、社会で共有しているように思われる考え方(常識)といったものが
個人の内面で肥大化しつつ、その意識がその個人の農業を形にしていき
しいては、その地域の、その社会の農業を作り上げていく。

自然資源において、
その要素と社会的要素の関係は
鶏と卵みたいなところがあり、
どちらが先だったか、という観はあるのだが、
それでも自然資源を内面化していく過程で、
社会的要因の一部が形成されていくのも事実だろう。

今回の座学では、研修生に出した前回の宿題を議論しあった。
宿題とは、
「あなたの村・地域の農を彩る社会的要因について考えてみなさい」
というもの。
考える道しるべとして
それぞれ研修生の地域の農業の形がどういうものであるかを書き出し
その要因となるものを各自が分析する。
さらに、土地の利用状況(小作‐地主関係)や
自然資源や市場へのアクセス状況などを分析しつつ
その地域における農業に対する意識に少しでも近づこうというもの。

この宿題が意外に、それぞれの地域の農業の意識の違いを
明瞭に映し出してくれた。

まず、イル君。
何度も日記で述べているが、イル君の村は
大規模なお茶農園・加工場(外資による)に隣接していて、
村人の多くが、そこで働いている。
実際に現地に行っていないからわからないのだが、
僕の予想としては、お茶農園の開設によって
村の人口が急激に増えたり、またもしかすると、それに合わせて
イル君の村が新しくできたのかもしれないと想像している。

さて、そのイル君の村。
農地のある人は、自分でもお茶を栽培している。
販売先は、大規模お茶農園の加工場で、
値段も悪くないとか。
さらに農地に余裕がある人は、野菜栽培をおこなっている。
お茶農園の輸送のためか、かなりの山岳地域にも関わらず
大きな道路があり、その輸送力を活かして、
市場まで3時間はかかるのだが、野菜を栽培して輸送している。
その関係上、一部の資本家が輸送のためのトラックを持っており
村内の農産物を安く買いたたく構図が出来上がってもいる。
野菜栽培だけでなく、酪農も盛んだとか。
牛舎で乳牛を飼って、牛乳を出荷しているともいう。
農地を牧草地にできる農家だけが、酪農をできるとのことで
土地の少ない農家には到底無理な話だとか。
牛乳の回収は、近くの協同組合が買い上げてくれるらしい。
1リットル2000ルピア。
バンドゥン付近の平均的値段とのこと。
その協同組合のトラックも、大きな幹線道路を利用して集荷しに来るらしい。

では、農地のない人はどうするのか。
インドネシアではそういう農民も多いのだ。
イル君曰く
「お茶農園で従業員として働いています」
とのこと。
ここからが肝心で、ではその個人が従業員の手当てを貯めて
なんとか個人でもやっていけるだけの広さの農地を取得したら
お茶農園をやめて、自作農として生きていくのか?との僕の問いに
イル君は
「いいえ、それはないと思います。多くのお茶農園の従業員は、働きながら農地を取得していますが、それでも従業員は辞めずに、お茶農園の仕事が終わってから自分の農園の仕事をしています」
と答えた。
つまり、お茶農園の手当てを貰いつつも、それ以上の収入源として
自分の農園でお茶を栽培したり、野菜を栽培しているのだとか。
イル君は、従業員という立場はそれほど下賤でもないといった印象で
話してくれた。
ちなみに、イル君の村では米は作らない。
米は買って食べるものらしい。
「米を作っても儲からないんです。土地が米作りにそくしていないのかもしれません。だからみんなお茶を作っています」
なるほど。
そういった意識が、イル君の地域の農業を形作っているのか。

続く
インドネシア研修生の座学。
この前までは、鳥の眼・アリの眼で自然資源を見る重要性について考察していた。
今回は、次の要素、社会的要因。

これは広範囲になるので、ここでは主に社会に通念している意識が
農業の形態に及ぼす影響について、考察している。

社会の意識を醸成させるものとして、自然資源があるのだが
これは鳥の眼について考えた座学でも触れた。
自然資源は直接的に農業の形態に影響するのだろうが、
それは、その自然資源を人がどう認識するかによって
その農業の形態が変わってくるのである。
そしてその人々の認識には、その時代やその社会の社会的価値が
大きく影響してくる。

田んぼを作るのに向いていない土地であっても
江戸期のように田んぼ至上主義的な価値の中で
また諸制度によってがんじがらめになっている農民の存在の中で
山を切り崩し、なんとか水を引き、田んぼを作っている地域もあった。

インドネシアでも然り。
ギアツのインボリューションのように、
植民地時代において、田んぼの栽培サイクルと合わないサトウキビの栽培を
オランダから押し付けられたとき、
ジャワの農民はそれらを幾何学的な栽培カレンダーと土地利用によって
見事に田んぼとサトウキビの栽培を実現させていった。

とはいっても、それらを説明するのは容易くはなく
研修生の理解も追いつかないであろうから、
簡単に、野菜栽培の産地と伝統的な水田農作地帯の航空写真を見ながら、
それぞれの社会的意識がどう農業の形態に影響しているかを
ざっくりとだが、説明した。

ある野菜栽培の産地は、航空写真で見ると、
田んぼを虫食いのように、ハウス栽培に切り替えていったのがよくわかった。
大規模なハウス施設が立ち並び、
その合間に、まだ少し田んぼが見えるといった状況だった。

その一方、伝統的な水田地帯は、
一部、減反の影響からであろうか、麦などの作物が見られたのだが、
野菜栽培は一切確認できなかった。
あったとしても、極小面積なのであろう。

これらの違いは、当然自然的要素だけでは説明付きにくい。
土壌条件などの細かい点はあるが、
どちらの地域にも野菜栽培に必要な豊富な水があり
豊かな土地があるという点では変わらない。

一方は野菜へ切り替わり、一方は切り替わらなかった。
流通や政策などが大きくかかわっているのだろうが、
そこには、それらを読み取る人々の意識が大きくかかわっているのである。
伝統的な水田地帯には、近くに農外収入の道が開けていたのかもしれないし
野菜産地になった地域は、大きな野菜の流通経路が開拓されていたのかもしれない。
それぞれを選択した結果が、農業の形態として今見えているのであり
その選択が、その場所に住む人々の価値なのだろうと
僕は認識している。

研修生のイル君が住む村は、
水田がない。
近くに大規模なお茶農園とお茶工場があり、むらの住民のほとんどが
そこで働いている。
イル君は、「自分で米を作っても儲からないので、お茶工場で働いたり、自分たちでもお茶を作る農家ばかりです。お茶や野菜を作って、主食の米は買えばいいんです。」と言っていた。
それを聞いていたH君は、
「ありえない。自分で食べる米を全く作らないなんて信じられない」と言っていた。
まさにこの差異こそが、それぞれの社会に通念している人々の意識の差なのだろう。
それに支えられて、志向する農業の形態も変わっていくのである。

僕らは、こうしたいと思って農業の形を決めているわけじゃない。
周りの考え方というものを自分の内面に肥大化させつつ
その意識に従って、農業の形を決めているように僕には見えるのだ。
前回の座学では、鳥の眼で考える大切さを実践しつつ話した。
その時の宿題が、昨日提出されたので、今日それについて議論。
週に1回の座学だったが、引っ越してからは週2回になり
研修生はやる気満々なのだが
こっちがついていくのが大変になってきた感はある。

さて、鳥の眼。
要は地元の地理的要素。
その地理が育んだ歴史とそれを認識することで醸成された
そこに住む人々の意識まで読みとれれば、及第点だが、
実際に山に登って、研修生が各自の村を見たわけではないので
その考察は、あいまいな点が多いのはやむを得ない。
それぞれの考察に、僕なりの分析を入れながら議論をした。

研修生イル君の村は、何と言っても標高が高い。
1500m以上の高地に位置しているため、インドネシアながら涼しいのが特徴。
そしてこの涼しい気候を利用して、お茶栽培が盛んにおこなわれている。
国営のお茶畑もありつつ
大企業のお茶畑も山を覆うように広がっているとか。
なので、イル君の村の住人のほとんどは、それらお茶畑と関連工場で働いている。
また自分たちでも少しの茶畑を持ち
その工場にも出荷している。
大企業と国営農場と関連工場があるため、
山を切り開いて、大型トラックでも行き来ができる立派な幹線道路があるという。
その流通と涼しい気候を活かして
イル君の村では、高原野菜の栽培が盛んだとか。
ただ、市場までは遠く、車で3時間以上かかるため
大抵の農家は、村内の商人に安く売り渡すしか手はない。
イル君の村を事前調査してくれたA女史のレポートにも
村内の貧富の格差が激しいと書いてあったのだが、
まさにそれは、こう言った地理的条件が重なりあっているからであろう。
A女史のレポートには、イル君の村人は
水田を至上の価値として捉えている一般的なインドネシア農民像ではなく
「米は買えばいい」という意識が醸成されているように書かれていた。
それは、その地理的要因が大きいであろう。

さて一方、H君。
どこにでもありそうな一般的な西ジャワの農村。
一般的というのは語弊があるかもしれないが、
大企業の工場もなく、特に野菜の産地でもなく
高地でもない。
ただ水源がしっかりしているため、ポンプや井戸なしで
年に3回米がとれる。
そのため住民の意識は米に寄っており、
市場に比較的近い位置に、むらがあるのだが、
換金作物を作ろうという意識が乏しいように感じた。
村に入るには、徒歩以外は無理で
車やバイクが入れるような道はない。
それは、それだけ険しい山村ということも言えるのだが、
農作物を外へ持ち出して流通させようという意思を醸成しない要素にもなる。
ただ、村の土地で、山頂近くの畑には
材木を切り出すための道路があり、そちらは車が入れるのだとか。
H君の村でも、人口がどんどん街に流れていくのだとか。
それを食い止める手段としては、
その山頂近くの畑で野菜作りをすることが、一つのカギなのかもしれない。

彼らからの話に僕なりの分析をつけ足しただけなので、
考察に幅がないのだが、
こういう風に、地理的要因とそこから醸成される村人の意識を
読み解いていこうという姿勢が、鳥の眼の分析である。
少しでも、そのエッセンスが理解してもらえたなら良いのだが、
どうだろうか。
昨年と同様、研修生を引き連れて山に登る。
うちの村の川向かいにある山。
何のためか?
「鳥の眼」でうちの村を見るためである。

農業はいろんな要素から成り立っている。
自分がこうしよう!と考えて、それが農の形なのだと
思われる方もいるかもしれないが、
その「こうしよう!」という認識すら、
それらの諸要素によって形成されていることに
自覚的にならないと見えてこないことは多い。

今授業でやっている「農業の構造」のシリーズの一つ。
それら諸要素を考察する座学。
人的資源の考察の前に、自然環境について授業をしていたのだが
ここのところ雨続きで、なかなか実習できなかったのだ。
今日は、天気も良く、なんとか山の上からうちの村を考察できた。

4月から来た研修生・イル君に、
うちの村の農業を形作っている自然環境的要素は何か?と
宿題を出していた。
彼の書いてきたことは、
平地・田んぼ・太陽・川などなど。
去年のH君と似たり寄ったりな答え。

一緒に山に登り、その山の中腹からうちの集落を見てみた。
大きくカーブを描いている大河の内側に、うちのむらがある。
その川のカーブのおかげで、川沿いには肥沃な砂上の農地があるのも
うちの村の特徴と言っていいだろう。
さらにその川が勝山から流れていくものと、福井の町から流れていくものとが
合流した所に、うちの村があるのである。

上から見ると面白いもので、
うちの集落以外の集落にはほとんど畑が見えない。
水田ばかりなのである。
転作もそれなりに見られるが、野菜畑というものがない。
そして園芸用ハウスもほとんど見られない。

なぜか。
それはこの自然環境が育んだうちの村の歴史と
その歴史を共有している村人の意識がそうさせているのだろうと
僕は思っている。

川が作った肥沃な砂上の土地は、
今の土地改良の技術をもってすれば、水田になるのだろうが
その昔は、水田は作れなかったのかもしれない。
水田が至上の価値だった昔(米本位の経済:江戸幕府まで)でも、
この土地が水田だったことはないのである。
その畑は水田には向かないのだが
野菜作りには、これほど適した場所はないのだ。

さらに川の合流地点というのも大きいだろう。
川を上れば、勝山や福井の町へとつながっているのである。
その昔、流通で重要だったのは道路ではなく、川だった。
川沿いで採れた農産物を、容易に街の市場まで運べるのである。

そういうこともあってだろうか、
昔からうちの村は、野菜作りの産地として存在していた。
だから、今70歳や80歳のおじいちゃん・おばあちゃんまで
転作田でキャベツを作ったり、
川沿いの畑で80年代から続いているスーパーとの企画での
朝どりレタスをやっていたりする(収穫は朝の2時ごろ)。
そういったものが今もみられるのは
そういう野菜作りの歴史が存在していて
その歴史を認識している村人の志向によるものだと
僕は理解している。

その話を山の上で、研修生にしてみた。
4月から来たイル君は、
「自然環境の要素の考察ですが、山に登るまで、トオルさんがいうようなことは考えもつかなかったです。でもこうやって、上から見るとよくわかります」
と言っていた。
そうだろう。
それは君がまだ「鳥の眼」で見ていなかったからである。
地面の這いつくばっての「蟻の眼」で考えることも大事だが
それでは見えてこないことも多い。
鳥の目で見ることの大切さがわかれば、この講義をやったかいがあるというものだ。

僕ら人間は、どう物事を認識するかによって
その考察の範囲も決められてしまう、というとても面白い生き物だと思う。
それをできるだけ広げていくのが
僕の座学の一つの意味でもあるのだ。

そこで宿題。
研修生のHくんとイル君、それぞれの住んでいる村を
鳥の眼で自然環境について考察してみなさい。

まぁ、まだ実際に山に登っていないのだから
詳しく考察することは無理だろうが
そういう物の考え方の訓練にはなるだろう。
さて、どういうものを出してくるだろうか。
前回の人的資源の宿題。
「ゴミ問題において、本当にインドネシア人は日本人よりも「怠け者」なのでしょうか?」というお題に、
先日、研修生2名と座学の中で議論をしてみた。

この前の授業では、社会の規範や価値基準が
どの方向に向いているのかによって
それを認知している個人が、それに沿ってモティベーションを発揮している
という話をしたのだが、
今回は、その社会規範や価値基準が
行動を伴う認知として各個人に浸透する背景にはどういうメカニズムがあるのかを
まぁ、ざっくりだが考察してみた。
そのためのお題がゴミ問題。

インドネシアを旅行された方なら解るだろが、
インドネシアは、いたるところにゴミが「ポイ捨て」されている。
というか、そんな「ポイ捨て」などと可愛いものではなく
人の集まる場所(駅やターミナルや地元の人が行く観光地等)では
道の路側帯がゴミで埋まってしまっている、といった状況も
珍しくはない。
それはゴミ箱がないからなのか?と思われるかもしれない。
確かに、設置数は少ないのだが、それでも目の前にゴミ箱があっても
その辺にポイ捨てするのは日常茶飯事なのである。

そんな状況を研修生の2名はこう考察した。
理由は3つ。
① 行政によるゴミの回収が徹底されていない。
② 子供たちへの環境教育がおろそか。
③ 社会全体が、どこに捨てたっていいじゃないか、という雰囲気。
と答えてくれた。
どこに捨てたっていいじゃないか、といった社会的ムードを
研修生は、「seenak aja!」と表現してくれた。

①についてだが、行政からの指導が徹底されていないため、
社会の中で、ゴミに対する意識が低いのではないかと研修生は言う。
②は、子供の頃からゴミに対する教育を行わないからではないか、とのこと。
③は、上記2つの理由により、社会的にどこに捨てたっていいじゃないか、といった
ムードがあって、それでポイ捨てがなくならないのでは、とのことだった。

僕はゴミ問題の専門家ではないので
それらが正解か不正解かは判断が難しいのだが
③の社会的ムードというのは、この場合とても大事な要素である。
それに関係するものとして、「社会的ジレンマ」という言葉がある。
はてなキーワードから言葉を借りれば
「個人にとっては、(個人にとって合理的な判断である)非協力行動をとった方が望ましい結果が得られる。しかし、全員が非協力行動を取ると、全員が協力行動をとった場合よりも、望ましくない結果が生じる状態。」とある。
ゴミ問題はまさにこれに当てはまる状況と言っていいだろう。
個人では、ゴミ捨て場までゴミを持っていくことは、それだけ余計な労力となる。
だから楽をしようと思えば、どこに捨てたっていいじゃないか、ということになる。
ある個人だけが、社会に対してフリーライダー(ただ乗り)であれば
町中にゴミがあふれることはない。
だが、みんながみんなそれをすれば、
たちまち、町中がゴミで溢れてしまうことになる。

研修生の2名は、
「それぞれの家庭では、家の敷地内はきれいに掃除します。でも家の外ではポイ捨てをします。ゴミはゴミ箱に捨てるというのは、大人も子供もみんな解っているのに、それが行動にうつらない状況なんです。」
という。
まさに社会的ジレンマと言っていいだろう。

わかっちゃいるのにやめられない。
そんな行動を変えるには、どうすればいいのだろうか。
詳しく知りたい方は、社会心理学者の山岸俊男氏の著書を読んでいただくとして
僕なりに理解しているところでは
人間の心には、社会にうまく適応するために
他者の行為をまねる仕掛けがすでに備わっているとか。
だから、ある一定数の人々がゴミをゴミ箱に捨てるようになると
堰を切ったように、社会全体がその方向に動いていく
らしい。

そういったことが社会の規範だったり価値だったりするのではないだろうか。
だから、ゴミ問題において
日本人が真面目で、インドネシア人が怠け者というわけではない。
研修生が言っていた「seenak aja」が
まかり通らなくなる社会的ムードが大事というわけなのだろう。
まぁ、それをどう醸成していくかは、非常にむずかしいのだろうけど。

本講義の目的は、
モティベーションの生まれてくる社会的仕組みを理解すること。
ゴミ問題の解決策は、研修生の議論の中では明確にならなかったのだが
それでも、教育や行政による指導、また社会的規範作りとして
各町内単位でのごみ拾い活動などを広めていくしかないのだろうという話になった。
ちなみに、うちの村では、青年団でごみ拾いをすると
町内会から人足代としてお金がもらえるので、
それを使ってみんなで「とんちゃん」(ホルモン焼き)を
食べてビールをしこたま飲む行事を1年に1回している。
みんなで楽しみながら社会的規範作りの例として
研修生には紹介しておいたが
その飲み会にコンパニオンまで来ていることは、内緒である。

日曜日は、座学の日。
インドネシア研修生のための座学。

今日の座学は
前回のボリビアの農業のおさらい、と
シリーズで行っている「農業の構造」の授業で
その構造を支える一つの要素である「人的資源」(インドネシア語でSDM)の授業。

まず、前回のボリビアの農業について。
感想を書いたペーパーをH君とイル君に事前に提出してもらった。
どちらも、ボリビアの農業の粗放さについて書かれており
特にイル君は、それを「伝統的」と読み込んでいた。
僕もボリビアには直接行っていないので、その農業がどういうものなのかは
協力隊OGであるWさんの話の域を出ないのだが、
彼女の話から推察するに、
あちらの農業は、別に伝統的でもあるまい、と思っている。
「粗放」と表現される農業は、
一つには土地所有の違いによるのではないだろうか。
前回も書いたが、数十、数百ヘクタールも農地を所有すると
作業効率的に粗放になっていくのは当たり前なのである。

H君もイル君もボリビアの農民が「malas」(怠け者)だというが
果たしてそうだろうか。
どちらかといえば、近代的な合理主義に基づいて、
コスト-ベネフィットの計算の中で、
「粗放」と表現される農業を実践しているのではないだろうか。
(それはちょっと言い過ぎか???)

話題がちょうど良かったので、そのまま人的資源の授業に入った。
人的資源の要素を自分なりに考えてみたのだが
教育(学校教育だけではない)
経験(農業だけではない)
モティベーション(やる気)
の3つが重要のようにみえる。
コミュニケーション能力とかも入るのだろうけど、ここでは割愛。

その中でもこのモティベーションに特化して、話をした。
やる気というのはそもそもどこから生まれるのか。
一つには、個人の社会的価値の認識からそれにそって生まれてくるのであろう。
それから外れた「やる気」は、社会にとって至極迷惑なことでしかないので
やはり、人的資源として有効なのは、社会規範や社会価値の個人認識から
派生してくるものだと思う。
ボリビアの農業は詳しくは解らないのだが、
たとえば日本の農業において、
田植えの後、「うせ」という作業がかつてはあった。
いや、今でもあるが、あまり見かけなくなってきている。
「うせ」とは以前も書いたが、補植のことで、
田植え後に欠株が生じたところを植え直す作業のことである。
祖父の時代やそれ以前は、
「田んぼはきれいに作らないかん」
と思われていた。
だから欠株が生じていれば、何度も何度もうせをしたのである。
土地所有が少なく、そこから最大限の収量を得ようという考えとも
みられるのだが、それ以上に、
「よそ様がみたらはずかしい」
とかつて語っていた祖父の言葉が今も思い出される。
つまり、欠株の多い田んぼは恥ずかしいという社会的価値・規範に則って
うせをしていたとも見られるのである。
では、今はどうか。
稲作にかける時間をいかに短縮するか、の方が
単位面積当たりの最大の収量を追求するよりも勝っているこの時代において
(兼業化や高齢化の影響)
うせに時間を費やす人は少なくなったように思える。
すくなくとも、うちの村では、うせに出ている人は以前よりも少ないと
年寄りが話している。
うせをしなくなったのは、
それだけ今の若者が怠け者になったから、ではない。
農業構造の変化でうせ自体の意味が失せ、
それをやる気は、社会的規範や価値に合わないものになりつつある
ということにしかすぎない。

物事をすぐに精神論にすり替えてしまう癖が
どうしても僕たちにはついているのだが、
実は、そういう問題ではないことに気がつく。

僕らはより「怠け者」になったわけではないし、
たぶんボリビアの農民も「怠け者」ではないのだろう。
そのやる気は、合理的な判断のもとで、社会規範と社会価値を敏感に感じ取った
われわれの心理の中にあるのだと思う。
それは人間が、人間として進化してきたとても大切な部分だと
僕は思っている。

授業の最後に、宿題を出した。
インドネシア人が日本に来ると必ず
「日本人はきれい好きで、ゴミが街にあふれていない。それに比べて、インドネシアはどこもゴミだらけで汚い。日本人はまじめだけど、インドネシア人は怠け者だ」
と言う。
H君も来た当初、そういうことを言っていたのを思い出す。
では問題です。
ゴミ問題において、本当にインドネシア人は日本人よりも「怠け者」なのでしょうか?
今日の授業を踏まえて、考察しなさい。

はたして、どういう答えを書いてくるだろうか。
それは来週までのお楽しみ。
インドネシア研修生への座学の話。
今回は特別講師ではなく、通常の座学。
座学にも2パターンあって、
農業の事例本(漫画仕立て)を読んで考察をする回と
日々の実習の成果を毎月レポートにして話し合う回とある。
今回は、毎月の成果レポートについて話し合う回。

春になれば農作業も忙しくなる。
特にこれから夏秋作へ向けての土作りも本格化してくる。
またジャガイモやブロッコリ、レタス、カリフラワー、キャベツなども
播種または定植があり、作業内容もバライティーに富んでくる。

そんな日常の中でH君が想い、今回話し合ったことは「肥料」だった。
僕の農園では、化成肥料は一切使用しない(農協出荷の田んぼを除く)。
有機質肥料ばかりで、生ゴミから作られた堆肥やコーヒーかすの堆肥
それと牛フン堆肥を使っている。
さらに、アグレットなどのタブレット状になった有機質肥料も使用している。
H君が目を付けたのが、タブレット状になった有機質肥料だった。

インドネシアにもタブレット状の有機肥料がないわけじゃないが
あまりに高価で、一般の農家がホイホイと使える代物ではない。
日本の場合、アグレットなどのタブレット状有機質肥料は、
それほど高いものではなく、化成肥料と値段を比べても
安いくらいなのである。
(まぁ、鶏糞などから比べたら高価ともいえるのだろうけど)
タブレット状になっているため、畑への施肥も楽で
使い勝手もいいのである。
それが化成肥料よりも廉価に手に入る日本が羨ましかったらしい。

さらにH君が羨ましがっていたのは、有機質肥料と言えども
NPK(窒素・リン酸・カリ)の成分比率が記載されていたことであった。
「成分比率がはっきりしていれば、作物の状況を見て、NPKの足りない物だけを補えるので、化成肥料から有機質肥料への転換がスムーズにできます」
と言っていた。
なるほど。

だが、そのインドネシア農民に広く流布されている
「作物のNPKの何が足りないからそれを補う」という考え方は
すこし正すべきであろう。
もちろん、僕も作況に応じて、NPKだけにとどまらず微量要素等の
再投入も検討していることは確かだが、
肥料と作物の究極的な関係は、作物に主眼を置くのではなく
土に主眼を置くものだと考えている。
足りないものを補うのではなく、
それは、豊かな土を作り上げていく全体のプロセスの中での
1シーンでしかない、と僕は思っている。
そしてそれらは、無機質的なもののみで評価されてはいけない。
当然それらも大切ではあるし、物理的硬度なども加味しないといけないのだが
それにも増して、土の生物種が多様になることをもって
豊かな土作りとしなければいけないのだ。
僕はその話を朗々とH君に語って聞かせた。

彼は一通り聞き終わると、こう言った。
「でも僕らの持っている農地は、小作として借りている土地が多いですし、借金の担保で他人が耕作することも多いです。そんな農地では、子々孫々に続いていく豊かな土作りの発想には立てそうもないです。とにかく今、出来るだけ収穫すること以外には考えられないのではないでしょうか」。

金槌で思いっきり頭を殴られた気分だった。
そうなのだ、インドネシアの農地問題では
自作農家の土地面積が少ないこと(特にジャワ)、
そして相互扶助のシステムでもあるのだろうが
互いに農地を貸しながら、収穫物を半分ずつにするシステムもあり
また小作や単に農業労働となっている人も多い。
土地も持ち主が流動的で、借金の担保で数年は耕作者が替わったり
小作の場合、一定の土地をずーっと借りていられる保証もない。
インドネシアの社会制度の中で、
耕作者の耕作権というものが確立していないのである。
だから、借りられた今、耕作している今、に特化して
すこしでもその土地から収奪できるように、化成肥料のみを
大量に施肥し、土作りを無視して、収穫物が少しでも多く取れるように、と
そういう考え方になってしまうというのも、
化成肥料や化学農薬を大量に使用する農業になってしまっている一つの要因といえよう。
農地は財産ではなく、それはただ単に収奪する対象となってしまっているのだ。
それを財産として保障してくれる耕作権は存在しないのだ。
(土地を不動産としての財産にしてくれるシステムはあるのだ)

有機農業の議論をその技術的なものだけに絞っても
なんの解決もしないだろう。
僕らは、もっと大きなテーマで話し合わないといけないようだ。
インドネシア研修生の講義の話。
11月から12月にかけて、農業を形作る要素を話してきた。
前回の日記では人的資源まで書いたが、
その後、数回の講義をしたので、ここに簡単にまとめておこう。
つまりは備忘録。

技術の要素について。
農業を形作る技術は何か、の問いに研修生のH君は
「育種、栽培法、農具」と答えた。
まぁそんなところだろうが、細かくつけ足せば、
防除法、ポストハーベストなども入るだろう。
インドネシアと日本の差異を見るに、日本の方が優れているわけではない。
この場合、方向性が違うということが大事なのだ。
見ようによっては育種の研究は、その深度からいえば
日本の技術は進んでいるのかもしれないが、
たとえば、日本では世帯数の減少により、
野菜の規格が小さくなるような方向で
育種の研究をしているところもある。
しかし、インドネシアにおいては、
そのような方向での研究はあまりない(というか、ほとんど必要ない)。
また、農具に関して言えば、
労働力の投資を減らし、機械作業で効率化を求める日本の農具開発は
労働力が豊富にあり、機械化することで大量の失業者を発生させてしまう
インドネシアの農業の文脈の中では、あまり意味を持たないのである。
インドネシアでフィーバーしているSRI(水田の一本植え技術)のような技術も
機械による一本植えが困難であることと、
(間断冠水のため)その後の除草作業に労力をかけられない日本の農業の中では
たとえその技術で反収が1トンを超えるような技術だとしても
あまり試みる人は少ないのである。
どちらが進んでいるとかいう問題ではなく、
その場でどのような技術が採用されているかを見ることで
その土地の価値感や労働構造などが見えてくるのである。

社会という要素について。
これは広範囲になるため、説明が難しいのであるが
一つにはソーシャルキャピタルなどと説明される村の中の結束と信頼性であろう。
水利組合の有効性や
村単位でのプロジェクトに対する参加度合やそれに対する発言権の有無など
この要因が高ければ高いほど、村や集落単位での結束力が高くなる。
ただそれは単に閉鎖的な村を表すのではなく
ここで肝心なのは、参加の仕方にあろう。
ある一部の人間による密室での決定ではなく
開かれた場(たとえば総会)などで自由に意見が述べられたり
異議申し立てができるようになっていれば、それは閉鎖的な社会ではなく
より民主的な(あまりこの言葉を使いたくはないのだが)村であるといえよう。
この要素は、水利や村ぐるみでの補助を受ける場合、
またいま日本で騒がれている
集落営農や農地・水・環境保全向上対策などの政策受け入れ等が
この要因によるところが大きい。

金融について。
農民が自由に金融にアクセスできるかどうか、それはとても大切な要素。
次作に向けて手前種を用意できればいいが、それができなかったり、
肥料や農薬の購入など普通に栽培していても、かなり資金は必要になる。
そのアクセス度合がどれくらい容易なのか、
またどれくらい農民が借りられる金融のチャンネルがあるのか
それが重要になってくる。
日本の場合、JAなどがその役割を担っているが
インドネシアに農協は存在しない。
(一部国家機関としてそう訳されているものがあるが、あれは農協ではない)。
インドネシアの農民の場合、銀行に貸し付けを申し込むのが一般的である。
また金融とは少し離れるかもしれないが
行政などが行っている農業普及プロジェクトに参加すれば
栽培資金の半分くらいは、補助がもらえることもある。
僕がかつていたインドネシアの村では、
プロジェクト参加のプロポーサルに記載する栽培面積は
故意に2倍の数字が書かれており、
補助のコンペに勝ち残って、補助がおりた場合、
実際の栽培面積は、補助分金額で賄える1/2のみであることが多かった。
普及員がプロジェクトの進捗確認のために視察に来りもするので
その場合どうするのか、その農民に聞いたところ
「どうせやつら(普及員)は、値段の高い革靴を履いてくるから、道の悪い畑はみようとしないのさ。だから道路沿いにプロポーサルの面積の半分だけの畑を作り、やつらにはそこだけ見せておけば問題はないよ。あと半分は?と聞かれたら、山の上さ、とでも答えておけば、やつらは見に行こうとはしないよ」
と平気な顔で答えていた。
これは極端な例であるが、
要は、農業という不確定要素が多い中で、
できるだけ農民自身が金融的危険を回避可能かどうか
また、そのイニシアティブが農民側か金融側かも重要になってくる。
インドネシアの場合、種や肥料・農薬等の貸し付けを行う商人がいて
収穫はその商人が安く買いたたくケースが横行している。
しかし、一方で銀行の貸し付けもあるのだが、そちらでは
栽培が失敗しても返済を迫られるケースが多く、
安くても商人の囲い込みを自ら選ぶ農民の多くいる。
賢く行政から補助を取り付ける(奪い取る?)農民ばかりではない。
またこれらの金融商品は政策とも大きくリンクしている。
大規模農業や新規就農者に対する対策を打ち出している日本の農政の場合
それらに対する金融商品は多くある。
が、インドネシアの場合は、新規就農者への政策が皆無に近く
その名目での金融商品はない。
その国の農業政策がどの方向へ進もうとしているのかも
農民がお金を借りられるか借りられないかに関係してくるのである。

それら農業を形作る要素を説明し(市場については、直売所の講義ですでに終わっている)
これからは、ゼミ形式で事例考察を行う予定でいる。
日本の農業事例を、それらの要素で分析する訓練であるが
H君はまだそれほど日本語が上手ではない。
そこで農業事例は、「まんが農業ビジネス列伝」という漫画を事例テキストにして
それを読んでもらい、どのような要素がその事例の成功を形作っているのかを
これから一緒に検証していく予定である。
まずは、あの有名な上勝町の「いろどり」を取り上げることにした。
今月頭にさっそくマンガのテキストを渡し、読んでもらった。
先日の講義で、H君の理解度を見るために、H君から事例の説明してもらったのだが
いろどりの商品である「つまもの」を
Barang istri(妻の物品)と訳して読んでいたようで
さっぱり話がつながらなかった。
うーん、前途多難である。
つめたい雨が降り続く。
こういう日は、あまり仕事がない。
というか、あまり仕事にならない。
そういうこともあり、日曜日ということもあり、
今日は、インドネシア研修生の講義をする。

前回は、自然資源を山の上から考えてみた。
今回は、農業の人的資源についての授業。
いわゆるリーダー論。
今回の授業では、僕が見てきたインドネシアや日本での
農業リーダーは誰だったかを話した。

篤農や行政職員(普及員)・農協職員、村長、区長、
そして、日本でもたまに見かけるが、宗教指導者などなど。

文献でのみ知っているにすぎないが、
宗教指導者としては、バリの神官の話をする。
水利と農業カレンダーを神官が握っており、
農業カレンダーにいたっては、近代農業技術に照らし合わせても、
とても妥当なものといえないような内容で、
宗教的な占い等で決められた農作業カレンダーとなっている。
文献の事例では、
米の栽培改善をするというある援助プログラムと神官の農業カレンダーとの間で
軋轢があり、農民は外部からの援助プログラムの技術を妥当だと評価しつつも
神官の農業カレンダーに従って、従来の農業を続けていく、とつづられていた。
その事例を研修生のHくんに紹介すると、
H君は、
「僕の村にもあります」という。
なんでも近くのイスラム教指導者の話らしいのだが、
農業カレンダーを月の暦や占い等で作っており、
それがとても農業技術的に妥当だとは思えない内容になっているとのこと。
H君のように、農業の専門高校で近代農業の技術を学んだ若者は
その農業カレンダーを馬鹿にしているらしいのだが、
周りの農民からは、それなりに受け入れられているらしい。
「種籾の播種日が、そのカレンダーで決められているんですけど、全然季節に合っていないんです」
とH君は言う。
指導者の在り方によって、その地域の農業が大きく左右されるという好例であろう。

最近、各分野において伝統的や古い考え方が見直され、
というか、それらの価値が新たに再構築されているのだが、
近代というものが揺らぎ、自信を失い、
近代的から伝統的への回帰していく、ということではなくて、
それは呪詛的なものから脱却を試みた近代的視点によって、
新たに価値を与えられていくという過程であろう。

H君やバリの事例にみられる信仰的農業と
日本で価値づけられつつある農業(自然・伝統回帰主義的な農業)とは
また別のベクトル上にあるように思われる。

まぁ、とにかく、リーダー(指導者)としての信頼や価値は
その社会の思想や信仰の在り方に大きく左右され、
その中で認められた人々の言動で、農業も大きく左右されるというわけである。
通常の人的資源論としては、すこし脱線したような授業となったのだが
好例を得て議論が深まったので、よしとしよう。
高屋

先日行ったインドネシア研修生の講義の話。
今行っている講義は、「農業の構造」という講義。
どういう要因がその場の農業を特徴づけているかを構造的に説明する講義。
ボゴール農科大学大学院で受けた講義(農村の構造社会学)に、
僕なりに農業に関する部分だけを取捨選択し、さらに他の要因も加筆修正した授業。

前回は、自然資源について考えてみた。
前々回、研修生のH君に僕らが農業を行っているこの村の自然資源について
レポート書いてもらい、それを元に授業を行った。
ただ、やはり自然資源なんてものは、しっかりと目で捉えながらじゃなければ、
スカッと頭には入ってこない。
そこで、今回の授業は教室を飛び出し、
川向かいにある山に登ることにした。
宮本常一も言っているように(正確には宮本の父の言葉だったように思う)、
その集落を調査するには、まず高いところからその集落を眺めることが
重要である。
そこで僕達も、集落やその周り一円を眺められる川向かいの山に登ることにした。

山からみた景色は、壮観だった。
大河九頭竜川の大きなうねりがよく観察でき、
また一面の平野と、東に連なる白山を含む山々、
そして街の大きさとそこから流れてくる足羽川(日野川)もよく見えた。

九頭竜川の大きな流れが、僕たちが登った山々にぶつかり大きくカーブしているおかげで
川向かいに位置する僕の村に、河川敷に豊穣な農地が形成されることになった。
また、奥越から流れる九頭竜川と
福井中心部から流れる日野川が合流している位置に村があるため、
昔から交易の村として栄えた歴史がある。
これも自然資源といえよう。
昔の輸送は、道ではなく河川が主流であった。
三国の湊へとつながる九頭竜川を利用して、多くの荷物がうちの村に運び込まれていた。
そして、ここで一旦市が開かれ、奥越(勝山・大野)への荷物と
福井への荷物とが分けられて売買されていたであろう。
僕の集落の名前が「高屋」、
そして隣接している集落の名前が「六日市」なのである。
高屋は、その昔、船宿や楼閣があったという年寄りの話から、
それらからつけられたのだと想像できるし、
六日市は、市が定期的にたったから、つけられた名前だと解る。
(ちなみに少し離れた村の名前は二日市といい、やはり「市」のついた名前である)

そして、この村には豊穣な土壌が河川の流れによって作られていた。
村に市もたつし、川を利用すれば、街の市にも運べたのである。
憶測でしかないが、そういう自然資源と位置関係だったために、
昔から野菜の栽培が盛んだったのではないだろうか。

地形が生み出す農業の形がそこにはあるのである。
すべてが自然環境に左右されるわけじゃないが、
自然環境が育んできた農業もあるのである。
それは一つの要因として、理解する必要がある。
川向かいの村では、野菜栽培をしている農家はほとんどない。
いろいろな要因もあろうが、年寄りの話では、昔から川向かいでは
野菜の栽培は盛んじゃなかったそうだ。
その代り、うちの村にある河川敷の豊穣な土地には、川向かいの人たちの畑もあり
船を出して、野菜作りに来ていたそうだ。
川向かいの村々では、すぐ後ろに山があるため
山仕事の方が盛んだったという。
数百メートルしか離れていないにも関わらず、
まったく違う農業の形がそこにはある。
人々の生活様式(農業様式)が、自然資源に
大きく左右されていることを意味しているのである。

今回の講義では、そんなことを山の上から眺めながら行った。

日曜日の講義の話。
直売所の講義が終わると、この日はそのまま次の講義へ。

「農業の構造」という講義。
題目通り、農業を構造的に捉えようという学問。
目的は、見た目の発展に惑わされず、それぞれの農業の個性を掴み取ることにある。
インドネシア人と日本とインドネシアの農業を比較し議論する時、
いつも不満に思うのが、結論が必ず
「日本の農業は近代化されて発展しているから出来るのであって、インドネシアは遅れているので出来ません」
と、両者の農業の比較の中で、それぞれが個性として捉えられることなく、
単線的発展の経緯の中での、どちらが前でどちらが後ろにいるのか、に
帰結してしまうことである。
このロジックから脱却しなければ、
それぞれの地域での自立した農(それが果てには自治につながる)の確立には
つながらない、と僕は考える。

日本とインドネシアの農業を比べ、その差異に気がつくのは素晴らしいことだが、
それが近代的発展の前後で捉えられるのは、
それ自体が、近代化信奉と言う大衆言説に惑わされているとしか言いようがない。
(最近では伝統的なものの方がいいという大衆言説も作られてきて、これはこれで危険なのだが)

さて、農業の構造では、
農を支える要素をミクロからメソ、マクロの視点に分けて分析をする。

ミクロでは
自然資源
人的資源
インフラ
技術
社会(慣習・評価・集落構造等)

メソでは
文化
金融(クレジット)
市場(アクセス可能な市場)

マクロでは
金融(世界的な)
市場(世界的な)
政策
人口
外交

を、それぞれ分析をする予定。
僕の手には負えない所もあろうが、僕自身も勉強しながら、この講義を進めていきたい。

今回は、自然資源について議論をした。
事前に宿題として、H君や僕が農業をしているこの村の自然資源を
時間のある時に村の内外を見回って、書き出すように、と言ってあった。
H君があげた答えは

太陽(インドネシアと違って日長が変化する)
水(この村は水が豊富。よく雨がふる。)
風(風の強い日が結構ある)
土(インドネシアより肥えている)

と、なんだかギリシア哲学の要素のような答えをあげてくれた。
まぁ、間違いじゃないが、それでおしまいでもない。
自然資源をみるなら、やはりこの村の地形を理解しないといけないだろう。
「土」なんて漠然な答えではなく、農地の高低によってそれぞれの特徴の変化もある。
大河がそばを流れている関係上、沖積土の農地があり、
うちの村では、その農地が20ヘクタールある。
そこでは稲作は行わず、完全な畑作が行われている。
うちの村の農業をもっとも大きく特徴づけている自然資源が
その農地の存在なのだ。
他の近隣の村では田んぼばかりで、そういう沖積土の良質な農地を持ち合わせていない。
この農地があったからこそ、うちの村では、野菜の生産が昔から盛んだった。
自然資源が、思いっきりミクロな話だが、その場所の農を形作っているのだ。
まぁ、こういう視点は、講義だけで身に付くものでもないのだろうけど。
その地域や村の自然資源をみるなら、
その場所で一番高いところにのぼって眺めてみないといけない。
宮本常一の受け売りである。

ということで、次回、川向かいの山に登ることになった。
講義はやはり実践的でなければ。
日曜日は講義の日。
インドネシア研修生のH君のための講義の日。
前回からの続きで、直売所についての講義。

前回、H君が理想とした販売方法は、
その後、日記には書かなかったのだが、
先週の講義で議論をした時に、H君が言うには
直売所ではなく、
農家がスーパーマーケットと契約して販売する方法だった。
H君は
「直売所はやはり地方や村にある市場とシステム上変わりがなく、たぶん、それで今でも日本のような直売所がインドネシアには必要ないと思います。」
と結論付けていた。

ふむ。
その結論では、僕は満足はできない。
そこで今回、土曜日を利用して、
H君と一緒に卸売市場と大型直売所を見学して回った。

大型直売所では、ついでなので、うちの野菜も出荷することにして
朝一で、直売所の出荷者用シャッターの前に陣取って
最も過酷とされる直売所の青果陳列棚の場所取りもH君に体験してもらった。
ちょっとでもシャッターが開けば、顔を地面にこすりつけてでも
少しでも早く中に入ろうとする老婆。
陳列棚めがけて野菜を放り投げて場所取りをするおっさん。
どっちが早かったかで、口論になるおばちゃん達。
みんな少しでもお目当ての場所を取るために、
直売所の朝は阿鼻叫喚の巷と化すのである。
そんなものを目の当たりにして、H君はすっかりビビっていた。
ちなみに、シャッターが開く前に、待っている生産者たちの間で
だれだれはどこの場所、だれだれはあそこの場所、などと勝手な談合を
取り仕切るおっさんも居て、
その話し合いなどどこ吹く風で、その場所を取ろうものなら、彼ら彼女らから
「その場所はだれだれさんの場所って決まってるんやー!」
と怒られるのである。
ちなみに直売所の利用規定にはそんなルールはない。
毎日顔を突き合わせている生産者の中で勝手に出来上がったローカルルールのようである。
以上は余談。

H君が最も驚いたのは、それぞれが持ってきた出荷物である。
明らかに葉っぱが黄色く変色してしまった菜っ葉を
山のように出荷しようとしている老婆を見て、H君は
「あれは売り物ですか?」
と僕に聞いてきた。
直売所では、それが売り物かどうかを決めるのはお客さん。
売れれば、それも売り物だ。
商人やお店の人が売り物かどうかを決めるわけじゃない。
そこが直売所の面白いところだろう。

これらを見学して、日曜日に講義。
それでもH君は、
インドネシアの地元の市場や村の中にある市場と直売所の差がないと結論付けた。
表面的にしか見なければ、そこにあるものはどちらも差はないように見えるのだろう。
そこで僕の考えも紹介することにした。
講義の中では、以前、
なぜ直売所なるものが最近もてはやされるようになったかを
90分かけて説明した。
90年代後半からたびたび報道されるようになった中国野菜の残留農薬問題。
そして今世紀に入ってかららは、立て続けにBSE問題や偽装問題。
さらには中国冷凍餃子事件のような犯罪まで、
食に関して多種多様な問題が噴出してきている。
その背景を受けて、履歴が解る物、地元の物、に脚光が浴び始めている。
そしてそれらを手に入れられる(もしくは手に入れられるというイメージをもつ)
直売所がもてはやされているのではないか、と僕は見ている。
インドネシアの村の市場とシステム的に同じように見えても
(生産者から直売という意味で)
そのマーケットの成り立ち・発展の経緯が違うのである。
直売所と同じようなものをインドネシアに作り上げることは
H君の言うように、ある意味ナンセンスかもしれない。
でも、インドネシアでも中国からの食品汚染問題(ミルク)が大きく報道されており
また、インドネシア国内でも添加物の問題として、
政府が使用を認めていない薬品の利用が社会問題にまで発展している。
食の安全が脅かされているのは、なにも日本ばかりじゃないのだ。
そんな社会状況の中で、消費者の需要の方向性は
どのように動いているのか、それに敏感になり、消費者レベルで差異を感じられるような
売場をプロデュースすることが求められているのではないか、と僕は思う。
ここの地域の場合、消費者の需要の方向性を捉えた形として直売所があったのだが、
それがインドネシアでは、別に日本型直売所である必要はない。
ただ、同じものを植え付けようとか、表面的な差異があるかないかで
必要性を論じることは、少なくとも僕の講義の中では避けたい。
直売所の講義で僕が言いたかったこと、そしてH君にも分かってほしかったことは
そういうことだったのである。

H君は解ったような解らないような顔をしていたが、
直売所の講義はこれでおしまい。
表面的な差異でしか差異を捉えられない視点と
その裏にある偏見をこれからの講義で少しずつ変えていくしかあるまい。
まぁ、それが講義を受ける意味なのだから。
日曜日が、村の祭りだったので、
インドネシア人研修生の授業ができなかった。
なので、今日が振替え日。
今回は、宿題のレポートの議論から。
前回の講義で説明した直売所の形態それぞれを
インドネシアの社会で実施しようとしたとき、
どういう利点と問題点が浮かび上がるか、をレポートとして出していた。

インドネシア研修生のH君が、もっとも将来性を見出したのが
スーパーマーケットなどの一角に、地元生産者の直売コーナーを設ける
という形の直売所だった。
といっても、誰でも参加できるものではなく、スーパーと契約した農家しか
出荷できないものがいいだろう、とH君は言う。

講義では、近所のスーパーの取り組みを説明した。
そのスーパーでは、登録をすれば誰でもスーパーの直売コーナーに品物を
置くことができるのであるが、
H君はそれをよしとはしなかった。
「誰でも品物を置けるようにしてしまえば、インドネシアの場合、近くの市場と同じになってしまいます」という。
インドネシアの市場では、大野の七間朝市のように
生産者が敷物などを引いて、露天形式で直接販売している。
H君が言うには、
「スーパーの中で誰でも置けるような直売コーナーを作っても、メリットを感じない」
とのことだった。
そういう農家なら誰でも置けるようなコーナーであれば
消費者は市場で買い物をするんじゃないだろうか、というのがH君の考えだった。
なので、
珍しい野菜や栽培が難しい野菜、またクオリティが高い野菜を生産できる生産者だけが
スーパーの直売コーナーに出荷できる方がいいだろう、と考えたようである。

日本とインドネシアとでは、社会的文脈がまったく違う。
日本でもスーパーやデパートなどによっては、客層がちがうのだが、
インドネシアでは、その違いがより一層大きい。
金持ちばかりが通うモールやスーパーもあれば、
そういう人たちはあまり足を踏み入れない市場もある。
(金持ちの使用人が代わりにアクセスしている場合が多い)。
そういう市場では、より大衆的で、同じ野菜でもスーパーのそれより値段も安い。
H君曰く、
「スーパーで野菜を買うのは、金持ちです」
だそうだ。
だから、値段が高くなるような生産が難しい野菜を出荷できる農家限定の
直売所の方がいいと思ったようだ。

なるほど。
そこで、1つ質問をした。
なぜ、金持ちはわざわざ高い金を払って、同じ野菜をスーパーで野菜を買うのだろうか?
H君は、市場は汚いし人が多くてごみごみしているし、などなどの理由をつけたが
僕が思うに、それはそのスーパーに対する「信頼」ではないだろうか。
H君は経済的な理由で、スーパーの直売コーナーは、
インドネシアの一般的な市場と差別化をはかるためにも
技術力の高い生産者に限定するべきだ、としていたが、
消費者の視点から見れば、それはそのスーパーに対する「信頼」が
そのスーパーでの買い物をする行動の原理のようにも思える。
だから、僕もH君の答えは否定しない。
品質管理ができない農家の出荷を認めれば、
そのスーパーの信頼を大きく損ねることにもなろう。
結果としては、僕の答えもH君の答えも同じ解なのだが、
その導き出し方には大きな違いがあるようだ。

直売所の講義はここまでにするつもりだったのだが、
経済的な視点なのか、それとも食の安心安全(信頼)の視点なのか
もう少し議論を交わしてみる必要があるようだ。
来週の講義は、もう少しその辺りを突っ込んで議論をしてみようか。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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メールは
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