今年も早稲田の学生が
農村体験の実習でやってきた。
今年は2名の学生を受け入れ、
特に外国人技能実習生についてあれこれと議論を交わした。
農業の現場は高齢化が進み
若手の就農は伸び悩んでいる。
その一方で強い農業をめざし、
法人化して規模拡大や輸出、
ICTなどの新しい技術を活用した
低コストによる競争力のある農業も
また伸びてきている。
イノベーションが起きつつあり
農業が産業として変化を遂げようとしている現場で
人手不足が常態化しようとしている。
経済的な問題よりも人口問題のほうが
要因として重くのしかかっていて、
どうすれば今後農業界が
優秀な人材を潤沢に確保できるのか、
その部分ですでに躓き始めている。

その問題のある意味出口にもなるはずだったのが
外国人技能実習制度だろう。
とここまで書いたけど、本題はこの話じゃない。
それにこれについてはもうすでにエントリーに記録済みだ。
また新たな動きが出てきたらその話も書こうと思うけど
今回の主題は大学生である。
ま、その大学生たちは、
この外国人技能実習生が
普通の実習制度と違うやり方で
農業の構造的問題の出口を僕らが指し示し続けるので
やって来ているのだけどね。

さて彼らは3年生で、
その現状の主題はいろいろあるのだろうけど
やっぱり大きいのは就職、だね。
意味のある仕事とは?
どんなことに人生を捧げるべきか?
条件のよい仕事って?
やりがいのあることはどんなことなのか?
なんて尽きもしない悩みのループの中に居た。
大手や公務員などの安定した仕事が良い。
でもその一方で、
やりがいも気になる。
自分のしたいこと・やりたいことが
人生の主題に出来るのかどうかの不安もある。
その悩みに
最初に真剣にぶつかる年といっても良いだろう。
ただ、その悩みは、
その年で終わるわけじゃなく
僕でもまだその悩みの残り香を
すこし抱えながら前に進んでいるのだから、
彼らは人生の意味を考え始めた1年生ともいえるかもね。

そんな彼らの1人は、
「僕は国防の仕事がしたい」と言い切っていた。
金銭的な満足よりも
本当に必要なことに命を懸けるのだという。
なるほど。
向こう見ずの無鉄砲は、学生の専売特許だ。
先鋭化して、突出するのもいい。
だから「国防」という言葉を吐いても
それはそれで良かったのだけど
「国防」なんてキーワードが飛び出してくるなんて
まさに時代のなせる技かな。
なんて思う。

国防としての自衛隊については
自分なりに考えがあるが
その仕事については、ここでは議論の対象から外そう。
彼のいう国防とは
国を防ぐと書くが、どの国をどの脅威から防ぐのか。
こんなことを書くと時代に怒られるような
そんな気分があるのも
今の時代の危うさなんだけど
その守るべき対象となる国家は、具体的にどこの誰なのか、
その辺りに僕は強い違和を感じる。

愛郷心という言葉がある。
権力者からちょっと都合よく使われがちで、
使い道を誤ると危ないのだけど
自分が係る地域への愛情を表現した言葉だ。
ノスタルジーに故郷を想う気持ちも
この中に大きく占めているから
時に勝手な想いで愛郷心が独り歩きをして
その地域の実情と違う部分で突き進んで
急に国防へと昇華されるから
僕はあまり好きな言葉ではないのだけど
僕らのように国内外の地域に
関わりを持ちながら
その地域への愛情を深めてきたその根本を
言い表す言葉が、他に思いつかないので
愛郷心をこの場合は使おう。
なので、ノスタルジーで普段は関わり合いも少なく
自分の勝手な想像と想い込みで
愛着のある地域の話ではないことを明記したい。
責任と覚悟が発生する地域愛をこの場では言う。

僕にとって
インドネシアの関わりを持っている地域は
すでに20年近くの歳月があり
そこにはここにいる人たちと同じように
場合によってはそれ以上に愛をもって接している人たちが
住んでいる。
冒頭でも少し述べた
外国人技能実習制度も僕らにとっては、
それを相互に補完してきた活動ともいえるだろう。
僕はその意味で、
愛郷心をこことインドネシアのある地域に
強く持っている。
こことあっちとの地域の交流も
これからも続けていこうという
推進力はまさにその愛があってこそだ。
だが、だからといって
それが昇華されて
インドネシア共和国や日本国家を
守るべき対象として
僕個人が行動を起こすかどうかは
かなり不明だ。
自分のやっていることが
時の権力者にとってはどうかはわからないが、
社会にとって不利益になるようなことは
やっていない自負はある。
その意味で、国家を邪魔する気のないし
国家が越境して個人を封殺することも許さない。
統制の行き過ぎた国民国家は
先日の敗戦忌が良く物語っているじゃないか。

だから
国家を守りたいという大学生の
その気分が自分には良くわからない。
守るべき具体性に欠けていると僕の目には写るからさ。
どの国でも国会議員なら
国境警備隊や軍隊なら
たぶんその抽象性のなかに生きているのかもしれない。
でも経験がないので良くわからない。
青年海外協力隊で、日本を代表して派遣された時は
すこしその国家なりをイメージしたような気もしたが、
やはり日本だからとかではなく、
僕ら個人がその地域とどうかかわるかが
活動の主眼であり、それ以外はあまり関係がないので
国家を自分の中に構築することもなかった。

国防を語る君は
それだけその場へのコミットをする
その情熱をどこから得ているのだろうか。
僕は、偶然と必然と運命とランダムの波の果てに
出会った今のインドネシアの地域と
時として嫌気もさす自分の生まれ故郷とに
交わる経験を生み出す場に巡り合い
その経験から生み出された愛着を
情熱に換え、
推進力を保っている。
国家ではなく、個人とその個人が愛するその場所を
その個人の肩越しに
時には自分の勘違いも
やや含まれるかもしれないその視点で眺め、
そこから生まれる感情を持って
付き合いの深度を深めていこうと思っている。
そういうことならば
僕にも理解ができるが、
君のいう国防には
その視点もなければ
そういう発想もない。
少し年を取った経験則に頼る人間の
凝り固まった考え方なのかもしれないけど、
そこから生み出された直感が、
君の考え方と視点について
警報を鳴らしているのは、事実だ。
真面目に将来を考えているだけに
もう少し気の利いたことが言えるといいのだが、
言葉じゃ無理かな。
僕らの実践していることが
君のその視点に何か付加されて
変化を起ることを望みたい。


今年もJICA北陸とコラボでイベント。
北陸3県の学生さんと5回シリーズで
JICA北陸が国際協力について勉強する
JICA北陸キャンパス。
その4回目が農園たやでのワークショップだ。

前日まで東京出張で
前夜は勉強会&懇親会で
イベント当日も朝の配達があってなかなか
分刻みの日程の中でのワークショップだった。
でもでも農園には心強いスタッフが
たくさんいて、
高ちゃんとすーちゃんの両名の大活躍で
なんとか学生さんが来るまでに準備は万端だった。

さてワークショップ。
午前中は農園を散歩がてらに見学し、
研修棟で僕とスタッフ、
そしてインドネシアの実習生たちが
それぞれにプレゼンしてインプットは終わり。

お昼ご飯に農園の野菜で作ったカレーをみんなで食べて
すーちゃんの独特の雰囲気を前面に出した
クイズ大会で和んだところで
ディスカッションに入った。

国際協力とインドネシアの2つがテーマ。
それぞれのテーブルに分かれて
ディスカッションを行った。
僕は国際協力を担当。
学生さんに興味関心ごとを
紙に書きだしてもらって進めたのだが、
その中でも印象に残っている質問が
学生のうちにやっておく必要があることは何か?
ってやつかな。
国際協力の現場で働きたいと思っている
学生さんもちらほらいて、
そんな学生さんはやっぱり
何をどうすればいいのか具体的な道筋のない
この業界の入り口あたりでいろいろと悩むようだ。

この答えは、僕は明快に一つ持っている。
海外を旅行すること。
そして都市じゃなくて、観光地でも無くて、
村へ向けていくこと。
できれば陸路や海路で国境を超えること。
その経験をぜひ学生のうちにしてほしい。

国家が国家としてあたりまえには存在しないことを
都市から農村にかけてのグラデーションの中で
感じ取ることができるし、
貧富とは何かを意識することもできる。
何が裕福で何が貧しいのか、
目の前につぎつぎに飛び込んでくる情報に
いっぱいいっぱいになりながら考えたらいい。
そして、
ゆうゆうと国境をいったりきたりする人々との交流を通じて
国って何かを考えたりできる。
その中であえて「国際」という意味を
考えてみようね。

社会人になると
ピンポイントでミッションをこなすために
目的地に行くことが多い。
わざと時間のかかる経路を通ったりしないもんね。
直接首都に飛行機で着き、
そこから目的地まで車や電車や飛行機で
直行するのが当たり前になる。
でもね、現地の人と一緒のスピードで
動かないと現地のセンスって磨けないんだよね。
これができるのは学生の間だけなんだ。
空気感というか、現場の雰囲気というか、
そんなものに触れながらセンスって磨かれるんだ。
僕は、
二十歳の誕生日はタイとミャンマーの国境で迎えたさ。
大学の卒業旅行は
ベトナムを鈍行の列車と自転車で往復縦断した。
あの経験は今も大きな財産となっている。
そして、あの時に苦しんだこと
見たこと、聞いたこと、食べたこと、怒ったこと、笑ったこと
それらが次につながる大きな財産になった。

だから学生さんに伝えたい。
ぜひ人のスピードで海外を移動してみてほしい。
そして、
ぜひその境目に生きる人たちを見てほしい。
そうすれば、境目というもの自体が
勝手に創造して固定化した概念に過ぎない
ということに気が付くだろうから。
そこから見える「国際」協力は
また違った世界が広がっていると
僕は信じている。



週末は日本福祉大学の学生を受け入れた。
妻の小國のゼミの学生で、
国際協力と技能実習制度について
関心があるとのことで受け入れをした。
なので、そういう関心のある農園のスタッフと
インドネシアの研修生で対応した。

2日間の日程で、
1日目は以下の通り。
農園やここの集落の見学を軽く行い、
研修棟でインドネシア研修生や
僕を含めたスタッフがそれぞれ
簡単なプレゼンを行い、
国際協力と技能実習制度の2班に分かれて
ディスカッションを行った。
BBQをして、農園のバンド演奏もあって、
楽しく過ごした。

2日目は、午前中に学生たちは
ここの集落をそれぞれ歩いて回った。
気になったものを写真に撮ったり、
集落の人にインタビューをして回った。
それをお昼休みの時間に
フォトセッションとして発表。
意見交換をしてゼミ合宿の全日程を終了した。

全体を通じて考えさせられたのは、
インタビューという作業について。
それは学生にはまず
アンテナを作る作業が必要だということ。
これは別に学生に限ったことじゃない。
うちのスタッフにも言えることだし、
インドネシア研修生にも言えることだろう。
もちろん、僕も含まれる。
その強弱はあるにせよ、
何かをインタビューで聞き出す作業には、
感度の高いアンテナを準備すること
なんじゃないかな、というのが
インタビューが上手くできない学生を見ていて
良く感じた。
きっとこれを聞きたいのだろうな、
とこちらからは見えていても、
彼女ら彼らの質問と
インドネシアの子を含めた僕らの答えと時にかみ合わず、
学生の頭の中のイメージが空中分解し
もがき苦しんでいるその姿が
なんとももどかしく
ついつい厳しいことも言ってしまったのは反省。
学生の立ち位置も明確にはされず、
分断された質問の連続に
ライブ感は全くなく、
対象者であった僕らは消耗した。

インタビューってライブだと思う。
打てば響く。
小さくたたけば小さく響き、
大きくたたけば大きく響く。
お互いの反応が相乗効果を生み、
インタビュアーが相手の視点に寄り添う
姿勢を保ちつつ
合いの手を上手に入れて
対象者が悦に語る。
そんな風にできたらいいんだけど、
これを聞こうと決めてきたことばかり捉われて、
話の中で出てくるキーワードに反応しないのは
ちょっと辛いかな。
余裕もなかったのかもしれないけど、
そういう言葉に反応できるような
アンテナをきちっと作り上げる必要もあるんだろうね。
それにはそれまでに勉強してきたことや
自分がそれにどういう意見を持っているかも
含めたインタビュアー自身の立ち位置も入れながら
その場を作り上げていくことも必要じゃないかと思う。
これはうちの新人のすーちゃんにも
よくよく理解してほしいことだと思っている。

2日間の日程で
学生さん達はとても礼儀正しく、
また初めての農村にもかかわらず
ちょっと話しにくそうな住民の人にも
話を聞けていたのが
素晴らしかった。
またディスカッションを常にどうまとめるかも
頭の隅に置きつつ
最後にまとめ上げる作業には
かなり訓練もされているんだな、と関心もした。

思ったよりも「聞けない」っていうのが
分かれば、
3年生のゼミとしては十分だと思う。
ここで凹んだことを忘れないで、
これからの糧にしてほしい。




日大のゼミ合宿を受け入れる。
平日希望だったので
当初は断ろうかとも思っていたが、
農園の新人すーちゃんの母校ということもあり、
受け入れることに。

もともとすーちゃんの新聞記事を
彼女の母校の先生に送ったことがご縁で
そこのゼミの学生が農園を観てみたいとなり
この夏にゼミ合宿としてやってきたというわけ。

ゼミのメンバーは大学3年生が5名。
来年から始まる就活を前に、
彼女彼らの関心は「自分が何に向いているか」だった。
最近分かってきたが、
大学生の思考の半分以上は、
このことで占められているね。
で、それは今の時代だからでもなく
それは僕らも、そして多分
僕らよりもずっと前の先輩から続く
悩みなんだろうね。
二十歳を過ぎたころからやってくる
あの漠然とした将来への不安ってやつだ。
あの時期は本当に気が滅入った記憶がある。
よく学生時代に戻りたいっていう人がいるけど
僕はごめんだね。
もう二度とあんな想いはしたくない。

で、その二度とごめんだと思う想いの真只中にいる
学生たちは、やはり見ていても
その迷いのオーラをもわもわと発揮させていた。

「国際協力の、しかも農業分野の最前線で仕事がしたいんです」
そうはっきりという女子学生がいた。
ただそれがどういう仕事なのかは
彼女にもわかっていない。
もちろん、僕にも良くわからないんだけどね。
だから、そう思うのなら
現場で考えるしかないね。
青年海外協力隊やNGOなど現場で期限付きで
活動させてくれる(考えさせてくれる)団体は、
それほど多くはないが
それなりにはある。
それに参加して、そこでいろんな人に会って、
頭で考えるよりも
肌感覚で考えた方が良いかもね。
とだけ、僕は言った。

大学生のレベルでは
農業の実際や
僕らのやっている農業研修といった事には
やはりそれほど深い関心があるわけではない。
ただ人生に四苦八苦して
ここにたどり着いて
そしてここでも汗かきベソかきしている
先輩だけは多い。
そこから将来の漠然とした不安を
行動することで軽減させようとしていることが
読み取れれば
きっとここに来た意味もあったんじゃないかって思う。

大学生のゼミ合宿、面白いので
これからも受け入れします。
あんまり相手できないけど
来たい方は、ご連絡くださいね。



今年も早稲田の学生を受け入れた。
早稲田大学の農村体験の授業で
年に数回、日本の各地に赴き
いろんな活動をする授業だ。
毎年、その一部が福井にやってきて
農村体験をするのだが、
そのうちの一つが、ここの農園というわけ。
お盆前の忙しい時期だけど
毎年面白い子がやってきて
受け入れる側もいい刺激になるので
続けている。
昨年農園で研修して
セネガルに協力隊に行くことになった
北野君も、
この授業で農園にやってきたのが
そのご縁の始まりだったしね。

さて、今回の子も
おもしろかった。
農村での情報共有やネットワークの強弱を
ソーシャルキャピタルという概念で
調べようという
僕から見れば
ちょっと身の丈知らずの子がやってきた。
いろいろとその子の質問に答えていたのだけど
その質問票が意図している
「農村」のイメージと僕らの現実との乖離に
的確な答えをできないまま
ややフラストレーションのたまる作業だった。
毎年のことだから慣れたけどね。

で、お酒も入っていい気分になっていたので
その大学生君に、すこし説教。
もう40歳だし、
少しくらいは偉そうなことを言ってもいいよね。
というか、これは僕らの特権だよね。
で、その説教は、
コミュニティと地縁の違いについて。
大学生君がイメージしている農村は
コミュニティなんだよな。
みんなが参加できる場があって、
そこに参加した人たちで情報が共有されたり
活動を共にしたり、
そんなイメージ。
そこが違うんだよね~。
僕らは地縁なんだよな。
地縁って人の集まりの場ではなくて、
農業生産という生産様式から生まれる
主に農地を介して出来上がる関係性のこと。
面白そうだから参加しようって
いうこともなければ、
この集落の農家組合を農地を持っているけど
面白くないのでやめたいと言っても
脱退できない、そんな関係性。
だけど最近は
『コミュニティ』の方が市民権得ちゃって
この集落で学校の校長もやって
公民館館長までしているような人でも
「もう係りたくないので、農家組合を辞めたい」なんて
頓珍漢なことを言い出したりもして
周りの失笑の元になったりしているけど
当の本人は何が間違っているのか気が付かないところに
このコミュニティと地縁の意味の違いがあるというのは
余談だけどね。
農業という生産様式は、
もともと個人の自由で
また個人が個人として国に立ち向かって
維持できるものではなかった。
少ない資源の水をどうみんなで回すか。
給水路や排水路の清掃も誰かが怠れば
そこで流れが悪くなる。
畦畔の除草を怠れば、自分の家だけでなく
他の田んぼにまでカメムシで迷惑をかける。
田んぼ一枚が、その田んぼ一枚だけでは存在できない。
そんな条件下が社会化され地縁が生まれ、
その地縁の下
農村にはいろんな組織が存在しているんだよ。
農業という生産様式に頼って生きていた時代は、
その関係や雰囲気や他人が気に食わないからと言って
そこを引き払って引っ越す、というわけにはいかなかった。
街の人がアパートを引き払って
どこかに移動するなんて、その土地が生活の糧となる
生産様式じゃ、無理な話なのさ。
だとすると、別に気も合わない人たち同士が
何代にもわたって顔を突き合わせているのが
地縁の関係で出来た場、つまり農村ってことになる。
だから、そこでは村八分なんて
マイナスなイメージあるけど、
その個人が変な人でも二分は関係性を保ち、
次の代が良い人だったらまた普通の関係になったりもする。
そんな話は、この集落でもそこかしこに落ちている。
そんな場は、
その維持のために課せられる義務が多い。
当然コミュニティにも参加する人たちには、
その場のルールやその場を
維持発展させる義務も生じているだろうよ。
でもね、地縁って
逃げられない分、それが厄介だったりもする。
だからこそ、追いつめもしないし、
やらないと言い張る人にもある線まで来たら、
仕方ないってあきらめたりするし。
この辺りじゃ、最近は多数決を取ろうって
話もよくあるけど
昔はそうじゃなかった。
話し合いをして反対派の人も
納得できるまで、
各論では反対が残っていても
全員総論賛成になるまで
やったという。
これインドネシアで見てきた農村も一緒だった。
文化は違えども
農業という生産様式、特に米という生産様式では
人間という生き物は同じような社会を
作り上げたりもするんだね~。
という話も興味深いけど、ここでは余談だ。

だから、
大学生君。
君がスタートしているその地点にあるはずの
コミュニティって概念というか認識が
もうすでに僕らとずれているんだよ。
もちろん、農家組合は別にしても
農協青壮年部は地域を盛り上げるという命題の下
さまざまな活動を作って
メンバーの参加を募っている。
だからその活動の内容自体は
すでにコミュニティ化しているのは
僕も認めるよ。
でも誰でもそのメンバーになれないという足かせもある。
農地を持った家の子弟でなければ
メンバーにはなれないんだよ。
だからこの集落でも
150戸のうち70戸の家の人しか
その資格はない。
地縁からスタートしたけど
活動を取り巻く社会的認識の変化からか
その活動の継続の意味が
掴み辛くなっているのは、僕もよくわかっている。
スポーツ少年団なんてまさにコミュニティだ。
あれは村のカレンダーとは別のカレンダーで
動くので
あれに入っている子たちは
村の活動には一切でてこなくなって
まさにムラは寝に帰るだけの場所になっていく。
その反面、そのメンバー間では強い関係性を築き
とてもいい友人関係を作ったりしているけどね。
でも、だからこそそれ自体も、僕の
地縁からの視点で見た場合、
最大の批判の対象だったりもするのさ。
だからさ、大学生君。
そこを一緒に混ぜ合わせて
質問しちゃ、いけないね。
って、酔っ払って捲し立てたけど、
分かっただろうかね?

え!?酔っぱらいはいやだって?
ま、それは同感です。




龍谷大学の西川先生から
面白い提案をいただき、
先日の連休にアフリカの留学生3名を
農園で受け入れた。

留学生はエチオピアとタンザニアから来た学生で
龍谷大学の修士課程で勉学に
励んでいる方たちだった。

数年前まで農園には
セネガルのイブライが勤めていたので、
そんな感覚で受け入れたのだが、
雰囲気は全然違っていた。
あたりまえか。

農園では、福井の農業の特徴として
高齢化が著しく進んでいることや
米作兼業農家の割合が多く
集落営農化に向かっていることなどを説明し
その対応として
僕らがどんな農業を展開しているかを説明した。
野菜専一の周年出荷と
若手の農への雇用の実現が
僕らの答えなんだけど、
東アフリカのエリート官僚の方々に
それを実感ある問題として
感じてもらうのはちょっと難しかったように思う。

体験として
ジャガイモを掘る作業を
してもらったのだが、
僕の知っている官僚と違って
肉体労働に積極的だったことが驚きだった。
インドネシアの官僚だと
ポーズばかりで適当に手を抜いちゃうんだけど、
彼らは違っていたのが面白い。

僕が英語さっぱりできないから
直接の議論が深まるほどには
僕から見せたアジェンダに応えはなかったけど、
少しずつ出てくる質問のずれに
異文化を強く感じた。

アフリカなんて全く興味がなかったけど、
いつかは彼らが見据えるその視点を
その現場で眺めてみたいな。

西川先生、面白いご提案ありがとうございました。
また来てくださいませ。



気が付けば、8月も10日を過ぎていた。
この間のことを少し書こうか。

昨年は受け入れなかった早稲田の大学生を
今年は受け入れた。
早稲田大学の授業で、
いろんな地域の農村を体験する講座があり、
2007年から1人~2人、
数日間ではあるが受け入れしてきた。
うちみたいな農家は珍しいためか、
最近は結構希望者が多いのだとか。

今回やってきた学生さんは、
二十歳になったばかりの2年生。
まじめに実習にも取り組む好青年だった。
ちょっとイレギュラーがあって、
二日目に宿泊を予定していたスタッフが
風邪のため早退したので、
急きょ、インドネシア実習生と同室で寝てもらうことに。
インドネシアの子たちの話によると
彼はすぐにインドネシアの子たちに打ち解けて
その晩は、夜2時ごろまで騒いでいたそうだ。
どの道にどう進もうか、そんな悩みを抱えている彼には
帰国した後にどんな営農を行おうか
模索し続けているインドネシアの子とは
とても共感する部分があったのだろう。

さて、その一方で
農林中金に今年入った新人二人が
JA福井市で研修を行っていて、
そのプログラムの一環で、僕の農園に
二日間の農業体験にやってきた。
ちょうど早稲田の学生が来ている時に
重なったので、とても賑やかな職場になった。
農作業自体を体験するのは初めてだったようで
僕らのルーティンな作業も楽しそうに取り組んでくれて
それだけで僕らも楽しい気分になった。

やはりこうやって若い子が来ると
ちょっと悪い癖が出てしまう。
それは、「海外に行かないの?」とそそのかすこと。
20台の半分を海外で過ごした僕は、
彼らの年の時に、自分の将来へもやもやしながら
海外を貧乏旅行したものだった。
観光なんてせずに、ただただ田舎の町を渡り歩き、
気に入った場所には数日滞在して、
ぼーっとする。
ただそれだけの旅だったが、
それが僕の今の原点でもある。
だから、「海外に行かないの?」と
ここに来た若い人をそそのかしたくなる。
そのそそのかしに乗っかって、
今年7月から青年海外協力隊としてセネガル行ってしまった
北野君も、もとをただせば、
早稲田の学生として農業体験に来たのが始まりだったな。

すでに就職をしてしまった農林中金の二人は
僕のそそのかしに、ただただ苦笑いを繰り返すばかりだったが、
早稲田の子はまんざらでもなさそうだった。
ま、意外にこういう体験は
ボディーブローのように効いてきて
仕事辞めて海外に行っちゃったりしてね。
そういう意味では
新人研修の場所としては至極
適さない農園かもしれないね。

先週の土曜日は、
福井県のJA青年部協議会(県青協)のイベントがあった。
その中で、ちょっと面白い研修会があったので
それを記録しておこうと思う。

「農業政策を考える」というお題を付けた
農政研修会があり、
県青協の役員が農水省から来ていただいた方々に
農業政策のあれこれをぶつけていくという研修会。
農水省からは
国会で総理大臣や農水大臣の農業関連答弁を
すべてチェックする立場の経済局長・奥原さんの
ご出席をいただけた。
国の農業政策のトップともいえる人が
参加してくれたことで、
研修会もちょっと特異な熱を帯びていたようにも思う。

さて、研修会では
8つのお題が事前に県青協の事務の方で用意されていて、
それを役員で順番に質問していき、
その質問に奥原さんが答えていくという形式だった。
奥原さんの説明はどれも明瞭で
とても平易な言葉を選んで使っていただき
僕ら農家でも農政の方向性を知ることができた。
そのロジックは、端的な言葉で言ってしまえば
「市場原理主義」ということになるだろう。

さて一つ目の農政のあり方に対する
猫の目農政という批判に対しての奥原さんの答えは、
大きな転換期にきちんと対応できる農政ということだった。
その中で、本当に大切な部分は変化させないという
態度で臨んでいるようで、
戸別所得補償は今後廃止されるが、
認定農業者などには別対応を用意しているとのことだった。
その中で、
納税者が納得できなければ、コスト割れしていることに対して
お金を投入することはできない、
というお話をされていた。

面白かったのは規制制度改革と中山間地域の維持だった。
規制制度改革ではJA改革の議論だったのだが
戦後農地改革後の1ha専業農家時代から
第2種兼業農家が大半を占める農業構造の変化に
現在のJA組織がうまく対応できていない
といい、
食の市場は90兆円もあるにもかかわらず
農業生産の販売額は8兆円にとどまっている現状で
1円でも農家・農村にお金が回るような仕組みを
作っていくために必要な改革らしい。
そういう意味では、解らないでもない。
そのような議論は僕が大学生のころに(20年くらい前)
周りのリーダー的存在の農家たちは
よく議論していたのを覚えている。
だが、なんで今なんだろう?という疑問はある。
あのころには僕には見えていなかった
農地を通じてつながっている地縁を
JAの組織の性質がうまく重なり合って
地域内では主要な活動組織になっているという意味では
市場原理主義の立場から眺めれば、
それは意図せず派生した効果に過ぎないかもしれないが、
僕らにとっては
大切な地域福祉向上の結び付きでもある。
そのことを質問したが、
奥原さんからは、JAの総合的な地域へのサービス自体が
今後独禁法に触れると判断されれば
これまでのサービスが行えなくなる可能性もあるので、
農業分野や信用・共済、共同購入はそれぞれに分かれて
地域の結びつきでいうのならば、共同購入を
生協のような形で維持すればいいというお答えをいただいた。
でもそれって、農地によってつながっていた
イエやムラという地縁なんてどっかへ吹っ飛ばした
なんだか別次元のお答えだった。
機能的な共同購入というサービスの維持が
問題じゃなくて、
そこにある絆のカタチをどう維持していくか、が
僕らの関心ごとなんだけど。
たしかに、僕らにはもう
そのお答えに噛みついていけるだけの地縁が
自分たちの手元に残っていないことも自覚している。
だから、やっぱりJA改革は周回遅れだと思っていたけど、
それは
僕ら農村や農家にそんな力がなくなってしまったところを
見計らって、
おえらさん方のやりたいような改革をしようと
しているんじゃないかって思えてならなかった。
回りくどい地域の関係が薄れた今だからこその、
そしてTPPをはじめとするグローバルな社会で
もっと「儲けられる」社会システムを構築するためなんだろうな。

中山間地域では、
実際にそこで営農している役員から質問があった。
鳥獣害がひどく、地域の田んぼを電気柵で覆うとすれば
4000万円以上かかってしまうのに、
作業効率は悪いし、米価も下がり続けているのが現状だ。
中山間地域等直接支払制度もあるが、
超がつくほどの高齢化している現状で、
なかなか制度に手を挙げられる人がいない。
どうしたらいいのか?という
悲鳴にも聞こえる役員の質問に、奥原さんは
そのブレない視点で答えてくれた。

「中山間地だからこそ有利な面もある。」

だそうだ。
観光や魚沼産コシヒカリのようなテロワール、
森林放牧のようなやり方などなど、
中山間地でなければできないような営農をすればいい、
とのことだった。
その上で、
「展望のないところに大事な税金を投入し続けることは、すべての地域で、という意味ではできない。すべての地域が残れるということではないと思います。」
とノタマッタ。
いや参った。はっきり言いすぎで参った。
市場原理主義から全くブレない。
「弱者救済」や「環境保全」の思想は薄く、
儲けられないところに投資はできない、
という考え方。
儲からない山に人は住むな、ってことか。
ま、これがなんだかスッと頭に入り込んできてしまうのだから、
時代の力は侮れないな。

鳥獣害や4000万円の電気柵については、
産業政策の問題で、
今後ITなどの新しい技術が導入されれば
低コストかつ効果のある鳥獣害回避の技術が
生み出されるんじゃないか、と
とても楽観的なお答えだった。
奥原さん、あなたの視点であなたのお答えを眺めると、
そこに投資しても十分儲けがある場合だけ、
そうした技術革新があるように見えるんですけど。

福井の農業は米が占める割合が
富山に次いで全国2位の県だ。
だから米価の関心が高い農家も多い。
で、規制制度改革や直接支払制度の質問の中で、
米価の話題もあった。
米価が下がり続けている原因は、
やはり需要が鈍いせいだ。
でもそれ以上に今の米市場が過剰競争だとも
奥原さんは言う。
米市場で売買している会社は100社以上あり、
それが互いに競争し合って安い米を生み出しているという。
現状の中央会や農協の制度維持に力を入れるよりも
全農や中央会がリーダーシップを発揮して、
農林中金の資金70兆円を有効に使って、
米市場の業界再編に乗り出せばいい、と言う。
100社を2~3社に再編してしまえば
過当な価格競争はなくなって、安定して米を販売できる、
とのことだった。
そんな大物、というか化け物、今の中央会にいるの?
というか経済界全体を見渡してもいないんじゃない。
そういう意味で、中央会の株式会社かと
農林中金に信用事業を一本化させるってことなんだろうか。
でも国際的な米価とのギャップや
これからのグローバルな仕組みに変えようという
やり取りを見ていると、
そんなことしても価格維持は一時のことのように思える。

「農家の皆さんが、JAや中央会の方々と良く話し合ってもらうことが大事です」

それが米価を、
そして川下の利益を、
1円でも川上、つまり農家や農村に引き寄せる方策だという。
それは農業者として僕も賛成だ。
僕らの生産業界は、
とにかくびっくりするほど儲からない。
だからその分野を支える人も減っていく。

奥原さんは、だから、

兼業農家の方も居てもいいですが、基本的には認定農業者をどう守っていくか、どう支援していくかが産業政策として肝心です。

とお答えいただいた。
その研修会の場で、
役員と称される人たちの多くは専業農家で
もちろん認定農業者で、
そして最前列に座って奥原さんに質問をする立場にいる。
その後ろにずらっと座っている参加者には、
兼業農家も多い。
僕らは、農業政策を、
そして農協改革の政策を質していくという
農水省の方との対立軸をイメージして研修会を
進めていたつもりが、
なんだか会が進行すればするほど、
「専業農家 対 儲けられない農協」
「1円でも儲けを生み出した専業農家 対 それに乗っかれない兼業農家」
みたいな対立軸になっていっているような気がした。

この研修会が終わって兼業農家の方が、
こういっていたのが印象的だった。
「私らは、農水省の方がいうような経営や営農するほどの時間がないですよねぇ。販路や加工だなんて兼業だから時間ないし。田んぼだから兼業でできるからやっているだけで。」

これまでは、
地域の大切な構成員で組合員である
こういう方々がこれからも営農を継続していけるための
農協のシステムだった。
そのシステムに強化されて地域のつながりが
あった部分もかなりある。
それが今、揺らいでいる。
農水省の経済局長からは、
もっと効率よい営農とそれを支えるシステムを、
とみているのだろう。
僕らが主張していたようなことは、
たぶん総務省の管轄なのかもしれない。
それぞれの立場で縦割りに判断することは
ある意味でロジカルで効率的だろうが、
僕らはそうはいかない。
生産分野で食べていこうという僕らは、
グローバルな競争にさらされる危機感の中で、
1円でも利益を確保することが求められる。
その競争に勝つには、
地域のつながりや文化も縦割り的に判断を
下さないといけないのかもしれない。
むしろそうすることができた方が
ずいぶんと気が楽かもしれない。

でも、僕らの生活や文化は縦割りにはできない。
いつの時代もそうだが、
お上から降ってわいた縦割り政策を
僕らはいつも
それを自分たちの地域のカタチに
翻訳させながら(歪曲させながら)
自分たちも変化をしながら
受け止めていった。
もちろんそれらは、
すべてが自分たちに有利にできたというわけではなく
それによって無くしてしまったものもたくさんある。
翻訳失敗だって
僕らの生活の歴史の中にたくさん埋もれている。
今回のこうした変化は
僕らの農業や農村をどう変えようという力が働くのか
僕らはしっかりと見据えて、
自分たちが本当に守っていかないといけないものを
自覚しないといけないんだと思う。

奥原さん、とても面白い研修会、ありがとうございました。
農水省が、時代の変化に対応しながら、大きな変更を行う中でも、本当に大切な部分は変化させないという姿勢、共感しました。
なぜなら、それは僕らも一緒だからです。
あなた達から与えられる大きな変化も
僕らはなんとか大切な部分においては
骨抜きにできるよう頑張ります。






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ちょっとしたご縁で、
明治学院大学の学生さんを
農園で受け入れた。
頼先生のゼミの学生さん18名だ。

僕が主催する勉強会で
頼先生の著書を取り上げたのが
きっかけで知り合った。
そんなことってあるんだね。

さて、
せっかく学生さんが来てくれるというので
農業体験だけでなく
ぜひゼミをやりましょうということになって
3年生の学生さんたちが
TPPと農業についてプレゼンをしてくれた。
「何を選び どう生きるのか」というタイトルだった。
中身の詳細は割愛するが、
気になったのが、
国産と海外産の違いが
安心安全と値段の比較しか
彼ら彼女らに判断基準が与えられていないことだ。
それにまつわるイメージとして
いまだに
安心安全な食=無農薬という
安易な判断基準が
僕ら農家の未来を暗くする。

情報を受け取ってそれを正しく判断して
自分たちで選択していきたい、
と学生さんは言っていたが
上滑りしていく情報を
正しく取捨選択できるのだろうか。
ここ10年で500倍以上に膨れ上がった
膨大な情報の洪水を泳ぎ切れるのだろうか。
その信憑性をどういう判断の元で
信頼に変えて行動するのだろうか。
キャッチーなフレーズと
なんとなくのイメージに
判断を委ねていないだろうか。

ま、それを勝ち抜くための
より平易でわかりやすいフレーズを
僕ら自身も発信していかないといけないってことか。
ただ平易にする分
想いやこだわりが
そぎ落とされてしまう怖さもある。
有機農業や無農薬
といったキャッチーな言葉の範疇にない
僕らのこだわりは、
どうつたわったのだろうか?

ある学生は
「TPPで海外産か国産かって選べるのはまだ余裕があると思います。余裕がなくなれば、やっぱり安い方を選択してしまいます」
と正直に話してくれた。

これから一人前の大人になって
この社会を支えていく
学生さんたちの意識に
価格と安心安全以外に
売り場での判断基準がない以上
その土俵で戦う方策を
しっかり練らないとな、と思いつつ、
それ以外の土俵を
自ら作り出していかないと
こりゃ、やられるぞ、
と久しぶりに危機を感じたプレゼンだった。

明治学院大学のみなさん、
こちらもとても勉強になりました。
またこういう交流&ゼミやりましょうね。


11月は千客万来。
記録し忘れていた「風」があったので、
慌てて記録しよう。
その風はインドネシアは
スラウェシ島のマカッサルから吹いてきた。

彼女の本名は至極難しくて
覚えられたことはないのだが、
みんなは彼女を、イブ・アグネスと呼んでいる。
マカッサル大学で教鞭をとりながら、
NGOを自ら組織し、地域住民の福祉を考える、
まさに学問と実践の両立を体現している方。

ちょうど京都大学との共同研究で来日されており、
日本の農村見学(水利組合・土地改良)ということで
僕らの地域に来てくれたのだが、そのついでに、
僕らが行っているインドネシア農業研修プログラムについても
いろいろと議論を重ねることが出来た。

これまでのお客さんと違って、
インドネシア人としての意見は、
主体がインドネシア国内にあるので
その視点で僕らのプログラムがどうみえるのか
そこに関心があった。

彼女と研修生の議論で面白かったのは、
やはり資金の話。
日本で研修生をしていれば、
ちょっとした新車一台は買えるだけの貯金が出来る。
それが帰国後のビジネスの原資となるのだが、
それに群がる人々が多いので困るという
話があった。
それまで家族・友達付き合いのなかった人たちが
急になれなれしく近寄ってくるのだとか。
最初は、
「日本のお土産をお願いね」
くらいらしいのだが、
だんだんエスカレートしていき、
最後は、
「困っているので金を貸してほしい」
となるとか。
彼女もそういう経験が多くあったという。
でもそのほとんどが返済されなかったらしい。
研修生たちもそれが悩みの種のようで、
貸さなかったら貸さなかったで、
偉そうになった!などと陰口をたたかれる。

イブ・アグネスはそんな研修生に
他人へのお金を貸す条件を教えてくれた。
原則としては、直接お金を渡さないことらしい。
必要なことに対してその人に代わって
支払うという。

ますひとつは病気。
これは急を要する場合には
出来る限り協力するとのこと。

そして、教育。
教育のためであるならばその費用を負担する。
教育であればその人のためにもなるので。

そして必需品は物品で。
決してお金を渡さない。
米が必要ならば、米を買って渡すとのことだった。
嗜好品や贅沢品はこの中に入らない。

そういうルールを作ってからは、
周りの人もあまりお金を貸してほしいと
言ってこなくなったとか。
その代り未来を拓く教育のために
お金を借りに来る人はいるとのことだった。

研修生たちはその余裕も当座はないだろうから、
やはりお金を他人に貸すのは、
自分たちがもっと成功した後だろうと
話は盛り上がった。

さて、農家の所得向上でも議論したのだが、
やはり流通システムに問題があることで
意見が一致した。
農家側は販売に対してイニシアティブを
ほとんど持てない。
その理由は、ちょっと乱暴にまとめると
資金と輸送手段と販売ネットワークからの除外に
収斂されるだろう。

営農資金を商人から前借するケースが
現在も少なくなく、これによって販路は
その商人への販売にほぼ固定されてしまう。
この場合、買取もその商人の言い値になる。

輸送手段も大きな障害だろう。
個別に車両を持たないため、
多量に取れた場合の輸送手段がない。
そのため買い取り商人が車でやってきて、
庭先集荷をするのが通例だ。
庭先集荷の場合、価格交渉もその場で行われる。
決裂すれば、次に商人がいつやって来るかはわからないので、
大抵はその場での商人の言い値で
決着がつく。

これはあるのかどうかは
まだ僕自身が実際に確認はしていないが
研修生たちは口をそろえて、こう言う。
「買い取り商人に売らずに直接市場に持っていくと、その商人から連絡が市場にも入っていて、農産物を買ってくれる他の商人がいない」
とのことだった。
つまり、商人間の販売ネットワークが出来上がっていて、
そこに無理やり入って行こうとしてもできない、
と言うわけだ。
実際にそういうことがあるかどうかは
必ず確認しなければいけないが、
それ以上に、そういう認識が農家子弟の中で
広がっていることも注目すべきだろう。
つまりそういう意識があるため、
新しい販路開拓の意欲が削がれているからだ。
どうせそのネットワークには参加できない、
という社会通念があれば、
農家の行動は制約されることにもなる。
もちろん、実際にネットワークがあった場合は、
かなり由々しき問題であり、
自由に交渉して売買する行為は、
かなり限定されるだろう。

これらの答えに、
イブ・アグネスは良いモノを作り続けていけば、
きっと市場も認めてくれるだろうという答えだったが、
僕はそうは思えない。
実際に、ほんとうに良いモノだけが
高い評価を受けているわけではないのだ。
良いモノを生産するだけでは、
やはり高く評価してくれることへの
必要条件にはならないだろう。
だから僕の答えは、
研修生たちが、自分たちで移動手段を持った、
そして農家を取りまとめて必要資材を共同購入できるような
農家寄りの買い取り商人を兼ねる営農スタイルだ。
だから僕の研修では、
技術うんぬんよりも、プレゼン練習や
市場や社会構造をよみとく講座ばかりをやっている。
特定の農法が、農業を発展させることはないからだ。

その期待に反せず
一期生のヘンドラは、
帰国後集落の農家を取りまとめて
ABCケチャップ社とトウガラシの契約栽培に
奔走した。
結果は条件が合わなかったため、白紙状態だが、
そのプロセスのおかげで、
彼は20代にして集落の農家グループ長になった。
なかなかすぐには成功しないだろうが、
農家が自分で市場を見つける力と
交渉する力を得れば、
多様で活気ある農業が生まれると
僕は信じている。

あちらの視点に立った方(インドネシア人)と
研修生と一緒に議論をするのはとても楽しかった。
おかげで一方的な関係になってしまっている
僕と研修生の間で、伝えきれなかったことや
僕が聞き取れなかったことの多くを
相互に得ることのできた夜だった。

11月は来客万来。
今回は、「坂ノ途中」という
京都の若い八百屋さんがご来園。
完全無農薬ばかり扱っている八百屋で
そういった野菜を作っている新規就農の方の
発掘もしているようだ。
もひとつ変わっているのは、
自らアフリカはウガンダまで出て行き、
有機ごまを栽培して日本に輸入しようと
計画もしているところだろう。

こちらとしても、
そのウガンダの話にはとても関心があった。
ウガンダでは、伝統的にごまを栽培しているらしい。
その八百屋さんは、大学院に所属しているスタッフが
アフリカ研究をしたいという想いから
ウガンダに繋がり、
そしてその現状で有機ごま栽培につながったという。
今年から本格栽培を現地で始めているようで、
日本で精油の会社ともつなげて準備をしている。
すでに流通の下流が出来上がっているから
上流の生産は、まさに栽培に専念して、
その規格に合えばいいというわけだ。
なるほどなぁ~、やっぱり流通のプロの八百屋らしいなぁ。
僕ら農家だと、どうしても主体を上流においてしまうので、
作った物をどう売るか、の視点になってしまう。
まぁ、どちらが良いのかは、評価対象外だけど。

いくつかの点で、質問が心に残った。
まず有機ごまの栽培を試みている地方は、
もともとごま生産をしていなかった地域らしい。
食文化にごまが多様に組み込まれている感じでもなかった。
つまり、そのごまは完全なる輸出用品目ということになる。
その八百屋は持続可能性をうたい文句にしているが、
それはそういう生産様式で担保されるのだろうか。
より効率的な、「有機」の規格に沿った
大量生産だってあり得るだろう。
自分たちの農業のサイクルに入っておらず、
しかもそれが食文化にも反映されていないモノは、
外貨獲得熱にさらされると、
見た目ばかり持続可能な形にしているのに、
中身はとても持続可能とは言い切れない形で
生産されるかもしれない。
インドネシアだとエビが好例だろうな。
まぁ、それだけ市場は大きくないと
言えるかもしれないので、
あくまでも程度と仮定の話だけどね。

次に、その生産現場への社会インパクト。
農地所有と資源へのアクセスに不平等が存在しないかどうか。
金持ちがそれまでは機会損失だったために、
手持ちの資源に他の住民のアクセスを
割と自由にしていた場合、
格差がなく暮らしていたかもしれないが、
新しい市場の登場で、そのアクセスを閉ざすかもしれない。
どんなリーダーがいて、
資源の分配とアクセスはどう行われてきたのか、
特に、牽引の強い日本の市場となると
すこしそのインパクトが気になるところだろう。
ソーシャルビジネスをしっかりと意識した
現地のリーダーがいることを期待したい。

さて、八百屋さんが見学に来て
一緒に我が家で食事をしたのだが、
研修3年生のクスワントも同席した。
彼の開口一番は、
「ウガンダのその地域では、ごまは伝統的に栽培しているんですか?そしてそれを食べているんですか?」だった。
そうそう、その質問が一番目に来なきゃね。
僕らはその物語のカタチではなく、
その中で実際に暮らしている人々の生の息遣いに
もっとも関心があるんだから。
クスワントの質問が、
僕らの今を一番言い表していたように思う。
そんな議論から
いろいろと思いを馳せた夜だった。

中学生の職場体験を受け入れた。
女の子3人で、箸が転んでもおかしい年頃とは
まさにこの年頃なんだろう。
ルーティンでややつらい仕事でも、
笑いが湧き上がる。
受け入れをした2日間は、
仕事場に花が咲いたように明るかった。

さて、その学生さんたちから、
いろいろと仕事について質問を受けた。
職業体験インタビュー用紙というのを準備していて、
職業に対する想いやその職業に就いたプロセス
なんかを聞こうというものらしい。
その質問の中で、
いくつか興味深いものがあった。

それはこんな質問だった。
「どうしてこの仕事をやろうと思ったのですか?」
「自分のやりたい仕事につくには、どうすればいいのですか?」

あああ、なんだか思い出すな、
僕が何かになりたかった日々を。
当初から「やりたいこと=農業」ではなかった。
でも、なんとなく『農家の長男』という、
前世紀の名残的な意識はあった。
小学校の卒業文集で、将来の夢は青年海外協力隊だった。
その内容がどういうものかもよくわからないまま、
青春時代は、とにかく農学部のある大学に
進学することがある意味目標だったかも。

やりたい仕事に就くといわれても、
それが当初から本当にやりたい仕事だったのかどうかなんて
その当初からわかるわけもなく、
また、当初にやりたいと思った仕事が
その想像の通りの仕事だったなんてことは
ないだろうな、たぶんだけど。

幼稚と言われようがなんだろうが、
強烈な印象だろうと、なんとなくのイメージだろうと、
自分の中に浮かびあってくる未来予想図に
僕らは不安定な気持ちのまま
走り向かっていくんだと思う。
そのプロセスの中で、
僕らはいろんなことに気が付き、
いろんな発見とご縁と学習とあきらめと希望を経て、
今の僕が、いま、こうしてここにある。

その仕事が自分に向いているかどうか、も
中学生たちは気にしていた。
向いているかどうかなんて、誰にもわからない。
それを目指して打ち込んだ日々が、
自分をそれに向かわしていくんだと
ぼくは思う。

やりたい、やってみたい、と若い感性で
感じ取ったのなら、それが今の君の進む道なんだろうな。
僕はそう思う。

それがわかるのなら、まだ苦悩は少ないのかもしれない。
ぼやけた蜃気楼のようなのが、たぶん君の未来予想図。
そんなものを引きずりながら思春期は過ぎていく。
のだと思う。

進んでいくべき道は、常に見えないが、
進んできた後には、道ができる。
それを後付で「やりたかった仕事」になるのかどうか
わからないけど、
まぁ、そんなもんなんだろうな。
それがどれだけ中学生に伝わったかはわからない。
僕もいろいろと思い出した、職場体験だった。


先日、ちょっと珍しいお客さんがご来園。
ある農業資材メーカーの方。
農業資材メーカーの方が来られること自体は、
珍しくない。
が、その来園目的が珍しかった。
そのメーカーさんは、
「インドネシアで田んぼの長靴を販売したい」
という理由でのご来園だった。

インドネシアは地域にもよるが
水田稲作の盛んな国の一つと言えよう。
そして農民人口も多く、
急激な経済成長を遂げている国でもある。
そんな農民の足元は、
大抵裸足で、田植えを行っている。
そんな農民の皆さん全員が、
長靴を履いたなら、と想像すると、
その足々が大きな市場に見えてくる。かも。

そんなこんなで、メーカーの方は
うちの研修生たちにインタビューを取りに来た。

田んぼ用の長靴は、
普通のモノと違い、
泥の中でも自在に動き回れるように
より足にフィットする長靴だ。
日本ではポピュラーだが、
インドネシアでは、ほとんど見かけない。

そこに注目したこのメーカーは、
自社の田んぼ長靴をインドネシアで販売しようと
考えたらしい。

インドネシアの研修生たちには、
この田んぼ長靴は好評で、
毎年田んぼの時期になると研修生にも
買い与えているのだが、中には帰国の時に
新しく買って持ち帰る子もいる。
なので、そのメーカーがインドネシアで販売をするのなら、
値段さえ折り合えば、買いたいとのことだった。

でも、ちょっと待てよ。
僕の視点からは、それが大きな市場に見えてこないのだ。
なぜかというと、
田植えをしている人達の層だ。
自作農家というよりも
農業労働者が多くなりつつある昨今では、
田植えは手間賃稼ぎの一つになっている。
ジャワ島のスンダ民族のシステムでは、
田植えに参加することで、
のちの収穫作業に参加する権利を得られるとなっている。
10バケツ収穫すると1バケツが
その収穫人の取り分となる仕組みで、
その権利獲得のために田植えに参加するのだ。
となれば、土地なし農業労働者が
やや高めの長靴を購入して
田植え作業に参加するだろうか???

そして何より、田んぼは自給のためといった位置づけで
資金を多額に投資して営農するといった価値ではない。
僕がそのメーカーだったら、
都市部の近郊で発達しつつある近郊園芸に目をつけるな。
そこは換金目的で営農しており、
利益が上がるのであれば、多額の資金投資も厭わない。
ゴムじゃないポリオレフィン系素材の
軽くて丈夫な園芸用の長靴の方が
僕には大きな市場に見えてしょうがない。
ただ、一つ改良が必要。
それは滑りやすいということ。
農道の整備が弱いインドネシアでは、
ぬかるみも多いので、このポリオレフィンの長靴は
たぶんとても歩きにくいだろうな。
足裏面に、丈夫な滑り止めをつけることが出来れば、
間違いなくインドネシアで大儲けできるんじゃないだろうか。
あと販売法もすこし向こうに合わせる必要があるね。

とまぁ、この先のアイディアが聞きたい方は、
どうぞ、僕とコンサル契約してくださいね。
なーんちゃって。


ダニエルさん


アメリカ人の来客あり。
名前はダニエルさん。
イギリス生まれでカナダ育ちで、
アメリカの大学で文化人類学を学んだ彼は、
奥さんの仕事で来日していた。
奥さんの仕事というのが、アメリカ大使館職員。
つまり外交官。
昨年、5月にもアメリカ大使館職員が
農園を見学に来たが、
そのご縁で、ダニエルさんが農園に五日間ほど
滞在した。

今回ダニエルさん来るからと言って、
何か特別なプログラムを用意することは無かった。
五日間居ても、観光に一切連れては行かなかった。
ただ毎日の僕らの農作業に参加してもらいながら、
夜にはビールとワインを飲みながら、
お互いの意見を交換する。
それが僕らの日常で、
ダニエルさんはそれをすごく楽しんでくれた。
彼との意見交換は、
僕にとってもいろんな出発点を
再確認する上で、とても重要だった。
外から吹いてくる風は、
やはり重要だ。

まず、ダニエルさんが気が付いたのは、
僕らの農業スタイル。
彼は、外交官の奥さんと一緒に
これまでいろんな国を旅している。
そしてここそこで見聞きした農業への
知識も豊富だった。
その彼から見て、僕らの農業スタイルは
ちょっと変わっていたらしい。
というか、彼の予想とは随分違っていたらしい。
それは、手作業がほとんどだったということ。
機械化が大いに進んでいると思っていたらしいが、
農園では、ほとんど機械を使用しない。
それは、多品目を輪作形式で作るため、
機械では収穫や植え付け・管理が出来ないからである。
機械化を進めるには、
どうしてもモノカルチャー(単一作物)である
必要がある。
だが、うちはそれを良しとはしない。

それに関連してだが、ダニエルさんは、
日本の農業は収穫と作物管理に多くの時間が
とられていると思っていたらしい。
収穫物とどっかのセンターに持っていき、
調整と選別、そして輸送を行うような
分業体制が確立していると思っていたようだ。
それは、ある意味正しい。
そうしている農家も多い。
余計な手間を省き、効率よく生産する。
それが僕らの命題の一つだったりもする。
ただ、うちの農園は、それに乗っかっていない。
なので、収穫や管理作業よりも
調整や選別、パッキングや輸送に
時間やコストをかけている。
さらに多品目を出荷しているので、
それぞれ作業内容が違い、
作業も複雑かつ煩雑である。
それは、一見不合理に見えるが、
ダニエルさんからはこんな意見を頂いた。
「農業は単調なルーティンワークだと思います。ここもそうだと思うのですが、なんだか少し違いますね。それぞれのスタッフが相談しながら、話をしながら、和気あいあいと作業に取り組んでいるし、常に同じ作業をするわけでもない。もっと人間性を感じるルーティンワークのような気がします」。
ダニエルさんは、学部の頃に
自動車工場の労働者社会を
参与観察した経験から、
労働の在り方については
鋭い視点を持っていた。
その彼から、
僕らの労働に単調さを感じつつも、
それが不合理とするのではなく、
人間性のある職場だと見えたようである。

TPPでも意見を交換した。
カナダ育ちでメキシコにも滞在経験を持つ彼は、
NAFTAがどう影響したのかを
簡単にではあったが教えてくれた。
カナダやメキシコでも作られていた商品が
自由貿易圏が出来上がると
アメリカ産に取って代わられた。
彼は、
「私たちは、ただ単に安い物が欲しいわけじゃない。少しばかり高くても、それでみんなが社会が幸せになる物が欲しいんです」
と話してくれた。
僕も同感だ。
自由貿易のロジックは、行き過ぎた
「もっと多く」「もっと効率よく」のロジック。
そこに平等という考えは、
ある意味捻じ曲げられて捉えられているように
僕には見える。

そして遺伝子組換え作物(GMO)についても
意見を交わした。
彼は、一般的に言われている
遺伝子組換えの危険性については何も
言及しなかったが、
その技術によって得られている利益に
偏りがある点と、
この技術もまた「もっと多く」「もっと効率よく」が
行き過ぎてしまったようにも見える点を
批判していた。

自由貿易も遺伝子組換えも
そしてそれに対抗して生まれてくる
日本での「強い農業」も、
単なる効率性重視の集落営農の考え方も、
すべてが異常なロジックに
支配されていることを
僕らは改めて確認した。

だからこそ僕らは、よりフェアな世界を望み、
日々活動を続けている。
インドネシア研修プログラムや
野菜のおまかせ便などの直販、
そして天敵を活かしたIPMの実践と
微生物相を豊かにする土づくりに
こだわる。

しかし
僕らの仕事は、
煩雑で、そして単調で、
その連続に埋没すると、
そこに意味を見出すことが難しくなる時もある。
事実、それに失望して、
ここを辞めていった若者もいた。
だが、僕らの実践は
(農業・インドネシア研修・地域づくり)
僕らを取り巻くさまざまなモノと
対決をしながら、僕らの価値を創りだしていたことに
外から吹いてきた風・ダニエルさんによって
改めて気付かされた。

辛い労働と
想いの相違が時々生じる研修で、
心折れそうな日もあるが、
そんな僕に、ダニエルさんは、
「Go ahead!(そのまま行け)」
と力強く励ましてくれた。

人類学の視点を持つ外からの風は、
僕らにさまざまな気付きを
与えてくれた。
もう少し、僕はこのまま進もうと思う。


早稲田大学のある授業で、
農村体験をするものがある。
その受け入れを、2008年からやっている。
毎年個性的な学生がやってきて、
受け入れる側も楽しい。
今年も夏休みに、19歳の男の子がやってきて、
インドネシアの子たちと共同生活を
味わってもらった。

さて、
その授業で数年前にやってきた子から、
夏前に突然、
「仕事を辞めて青年海外協力隊に行きたいので、田谷さんの農園で鍛えてください」
と連絡があった。
とても面白い子だったので、こちらも良く覚えている子。
優秀で、とても良い会社に入っていたのに、
その会社を辞めて、協力隊とノタマフ。
とても正気じゃない。

彼が学生として農園来た時のことを
今でもよく覚えている。
芯があって、誰とでも仲良くなれる
とても社交的で、頭の回転の速い子だった。
4年生で来たのだが、
その時には、すでに大手に就職も決まっていた。
外国人の多い環境の僕の農園で、
彼は、
「外国に行ったことが無いです。なぜって海外に全く興味が無いからです」
と話していたのを覚えている。

その彼が、海外へ展開している会社へ
就職したことも大きかったのだろうが、
この農園での体験が、彼にある種を植え付けていた。
その種が、今頃になって芽を出し始め、
彼は新しい一歩を踏み出そうとしている。

青年海外協力隊は、いわゆる
「キャリアアップ」ではない。
これはある意味、僕らを磨くための「試練」。
行ったからと言って、
食っていけるわけもなく、
むしろ、大半が大変な思いをその後もし続ける。
僕も、たぶんその一人。

でも、
行くと決めたなら、ぜひ、行った方が良い。
そうおススメできるだけの経験とチャンスは、
そこにある。

来年1月からうちの農園で
彼を鍛えることになった。
鍛えるからには、スーパー隊員に育てたい。
大きく羽ばたける翼を
ここで彼が身に付けてくれたらと思う。

IMGP0194.jpg


また一人、送り出す。
昨年7月から農業研修で来ていたJAの若手職員。
この3月で研修を終え、4月から地元のJAで働く。
なので、今日は焼肉屋で送別会。

野菜作りの極意が分かったかどうかは不明だが
(そんなものがあるのなら、僕も知りたい・・・)、
少なくとも現場がとんでもなく忙しいとだけは、
解ってもらえたんじゃないだろうか。

辛い研修が終わったことと
新しい職場への希望で、彼の顔は晴々していた。

ここ数年、人を送り出しっぱなしで
ずいぶんと慣れたが、やはりさみしさは残る。
でも別れは、新しい出会いのはじまりでもある。
さて、次はどんな人がうちの門をたたくのだろうか?


IMGP0182_20120325062522.jpg

「福井も元気にする若者の集い・青年海外協力隊経験者と語ろう」
というイベントがあり、
フリーアナウンサーの伊藤聡子さんを始め
40名を超える参加者が僕の農園に来園。

独自のインドネシア農業研修事業と
農園の取り組みを説明した。
農業をしながら国際協力をする。
僕の中では、もう当たり前すぎる話だが、
今回参加された方の中には、
その取り組みを驚かれている人もいた。

その後、
国際交流会館で伊藤聡子さんの講演を聞く。
グローバルな人材がこれから社会に求められおり、
協力隊参加者の稀有な体験が
人間力を高めているという話だった。

内向きになりつつある社会で、
金銭的な成功のみを追いかける風潮が
相変わらず威勢を振るう。
余裕のある者が、イメージの良さを求めて行ってきた
「社会貢献」では世の中は変わらない。
僕らは問題解決型のビジネスに転換しないといけない。
だから、僕は、
農の営みを繰り返しながら、
研修生たちと汗かきべそかきしながら、
ここで国際協力をこれからも続けていこう、
そう強く思い直した日だった。





P1020592.jpg

東京のインドネシア大使館から、農業担当官アルマン氏が来園。
実は昨年、来園していただく予定だったのだが、
東日本大震災の影響で、その予定はいったん消滅していた。

しかし、ご縁はまたつながり、
こうして、1年越しに来園が実現した。

アルマン氏は、僕の農園で実践している総合防除に
とても関心があったようだ。
彼の専門も、天敵防除ということで、
インドネシアにおける天敵防除についても
話を聞くことができた。

現時点では、天敵防除はやや難しいかもしれないが、
多雨な気候を活かして、菌による防除の可能性は高いと
氏も話してくれた。

また、インドネシアからの研修生の現状についても
意見交換できた。
出稼ぎ目的でくる場合、逃亡する人も少なくないという。
もちろん日本の受け入れ農園側にも大きな問題があるのだとか。
また帰国後も、日本で得た資金を活かしきれず、
浪費してしまうケースが多いのだとか。

そのため、氏は研修生の預金や日本で得た資金を
どうにかコントロールできないかと話していた。
研修制度を批判ししている団体の多くは、
そのコントロールを批判しているが、
インドネシア側からも、コントロールが必要という意見には、
少し驚いた。

僕のプログラムでは、コントロールはしないが、
帰国後に起業する場合、
少額ではあるが融資を受けられる制度を設けている。
そのマイクロファイナンスが、
彼らの資金を起業に向けさせ、
浪費することがないようになればと思っている。
氏の情報では、
インドネシア農業省でも、そうしたクレジットは行っているようで、
今後、そちらへのアプライも
支援していきたい。

インドネシアの有機農業の可能性では、
化成肥料を作る会社には、インドネシア政府から
一定の割合で有機肥料も作るように義務付けられているとのこと。
ただ、有機肥料を作るプラントを持っていないために
多くが外注に出されているのだとか。
うちの農園でやってるような大量の有機肥料生産のノウハウは
それだけで十分ビックビジネスになるらしい。
その辺りも研修生に講義しておく必要がある。

フリートレードの話にもなる。
インドネシアと中国はAFTAを結んでいるが、
初年度こそ黒字だったものの、あとは貿易赤字を抱えている。
そういうこともあってか、農業分野では
広域貿易圏に打って出ようという機運はまだまだ少ないのだとか。
農産物関税自体も、98年にIMFがやってきた時の混乱の傷跡があるので、
あまり乗り気でもなかった。
ただ、現状のように、
難しい国家試験を用意して、それに合格できなければ
日本で仕事ができないような制度には疑問を呈していた。
人の行き来という意味では、
広域のフリートレードエリアが実現し、
フェアーな国際ライセンスの実現があれば、
もっとチャンスを掴める人たちが増えるのだと思うのだが。

多岐にわたる意見交換ができ、
とても充実した1日だった。
インドネシア語で難しい話をするとやはり疲れる。
語学力の低下も感じた。

いろんな意味で勉強になった1日だった。

DSCF1253.jpg

先日、こせがれネットワークの宮治氏が来園。
とある講演&意見交換会のプログラムの一つとして、
うちの農園に見学に来た。
30分程度という短い時間であり、
さらには、僕のどういう部分に
関心があるのか皆目見当もつかない状況なので、
こういう場合は、無難に今やっていることのみを
淡々と説明した。

見学後、『ファームビレッジさんさん』にて意見交換会があり、
それにも参加した。
今、もっとも注目されている農業界の寵児は、
一体、何を語るのか、そこに関心があった。

彼がどうやってネットワークを形成していったのは、
あまり話題にはならなかったが、
緩やかな連携の中で、それぞれがその中で勝手に動いていくような、
ネットワークが必要だと話していた。

確かに都会にいるであろう、農家の子せがれ達は、
帰農しようと思っても、その相談先は限られているだろう。
それぞれが持つ悩みなどもシェアすることで、
突破口も見えてくることもあるだろう。
その点に何の異論もない。
大いに賛同する。

販売では、技術2割・パーソナリティが8割と言っていた。
この話を聞いた時に、
僕は昔の自分を思い出した。
確かに、僕もよくそんなことを言っていたような気がする。
今でも『売れる野菜って何ですか?』と聞かれれば、
『売れた野菜がそうだよ』と答えるだろう。
何かが売れるんじゃない。
売れるようにしているから売れるんだ、と僕は思う。
売れるような工夫は、それぞれのパーソナリティだし、
アイディアだし、その見せ方だろうと思う。
僕は、その方面があまり上手ではないので、
あんまり偉そうなことは言えないのだが。。。

ただ、変わった野菜なんてみんな作るようになったし、
売り方だってまねるする人がたくさん増えてきた。
僕自身も誰かの真似から始めているんだから、
それはしょうがない。
オリジナリティを味に求めても、
そんな微妙な味なんて、どっかの評論家しか解らない。
僕らが相手にしている人たちは、
僕を含め、普通の味覚の人たちなんだから。
美味しくないのは論外だが、
ある程度美味しければ、
後は、そのパーソナリティなり、見せ方なり、が左右するという、
宮治氏の話も、その通りだと思う。

だが、ここからが少し違和感があった。
六本木のマルシェの話を
若手の農家が食らいついていたが、
六本木で売ることが、どうしてマーケティングに
つながるのだろうか、ということだ。
僕らが相手にしている人たちが、
お金持ちの人たちならば、
日本で最も金持ちが居る場所でマーケティングするのは、
納得がいく。
だが、そんなことはないのだ。

勉強になるよ、と宮治氏は言うが、
六本木のマルシェで販売することが、
近所の直売所で売り子をするよりも、
いったい何倍勉強になるというのだろうか。

僕は、どうしても『中心-辺境』の構造を
目の前に出されると、生理的に受け入れられなくなる。
東京や六本木への憧れは、
僕らが地方で農業をしていこういうモティベーションに
一体どれくらい寄与するのだろうか。
地方での頑張りをネットワークを通して、
それぞれが中央に集まり、シェアし合って、
それをまたそれぞれの地方に持ち帰って実践する。
僕が理解するネットワークとは、
そういうものだ。
だが、こせがれのネットワークは、話を聞く限り、
中央に大きく肥大して、
そこに横たわっているように見える。

今一度チャンスがあるのなら宮治氏に聞きたい。
やる気になって地方に帰っていったこせがれ達は、
地方で困っていないのだろうか、と。
その困難を地方と、
一緒にシェアしていこうとしているのだとは思うのだが、
少なくともそのチャンスだった意見交換会では、
そのような意見交換は無かった。
それどころか、中央と辺境の構造を見せつければ、
僕のように偏屈な人間からは、
自分たちの優位性の説明のようにも聞こえてしまう。

自己紹介で、
それぞれの福井の若者が、
『普段、話し相手があまりいなくて 』と言っていたのが
とても印象的だった。
それが、今、地方や農業が抱えている問題の一端なのだ。
中央に憧れを作るようなネットワークの在り方を
根本から見直さないといけない。
僕ら『辺境』こそが、自分たちの世界を創るべきなんだ。
久しぶりに、そんなことを考えながら、
若者が熱中する宮治氏の話を聞いていた。



1人の若者が、うちの門を叩いた。
福井出身で、青年海外協力隊でパラグアイに派遣されていた
その若者は、福井で農業がしたいらしい。
そのための研修先として、うちにお願いに来た。

研修希望者ばかりが増えて(いずれは独立を希望)、
将来的に僕と一緒に
この農園を切り盛りしてくれる人は一向にやって来ない。
なかなか良き相棒は見つからないものだ。
だが、こうして僕のところで研修を積んだ人たちが
仲間となって、将来、
みんなでここ福井の農業を盛り上げられたら素敵だとも正直思う。

個人の経営の話は別にして
ここは彼を受け入れようかと思う。
外から吹いてきた風を、この土地に埋め込んでいくために。
ここの風土を創り上げていくために。
08 29
2010

来客あり。
若者が2人。
どちらも24歳。
それぞれ思う事があって、うちの農園に来る。

1人は野菜栽培の勉強がしたいのだとか。
もう1人は青年海外協力隊に行きたいのだとか。
話を聞いていると、この歳の若者らしく
あれこれとやりたいことも盛りだくさんで
尚且つ、そのどれもまだまだ考えているだけのものばかり。
懐かしいなぁ。

僕は彼らと同じ歳の頃は、青年海外協力隊に参加していた。
協力隊が終わったら、いろんな事がしたくて
あれこれと考えていたのを思い出した。
そのどれもが、実現不可能に見えて
不安になることもしばしばあった。

「若い」ことは良いことのように言うが
僕はそうは思わない。
若いことは、辛く、そして不安だらけ。
もし魔法使いか何かが現れて、若い日に戻してやると言われても
僕はまっぴらごめんだ。
もう、あんなに辛い日々は送りたくない。
だからと言って、今が楽なわけじゃないけど。
ただ言えることは、年をとると
自分が選択できるものが少なくなってくる、ということ。
だから迷う幅が狭くなってくる。
まぁ、だからといって迷わなくなるわけじゃない。
逆に迷いの深度は、深くなっていく感じだな。

野菜栽培を勉強したい子は、9月の稲刈りが終わったら
うちで研修する方向で考えたい、とのことだった。
協力隊に行きたい子は、
他にもやりたいことがありそうで、どうかは解らないが
縁があれば、経験を積むために、うちの農園に来るかもしれない。

「教える自信が無くて」
と協力隊に行きたい子は話していた。
そうか、教える自信ね。
それだったら、うちに来ると、教える自信から
学ぶ大切さに考えが変わっていくだろう。
その中で何かを作り上げていく面白さも
もしかしたら気が付くかも知れない。
青年海外協力隊は、教える自信は要らない。
相手から学ぶということが大事なのだ。

若者二人の訪問は、
10数年前の自分を思い出して、懐かしくなった。
お盆明けから、早稲田の大学生が再び農園に来ている。
8月の上旬に、大学のある授業の実習として
2泊3日でやってきた大学生。
さんざんこき使ったのだが
帰り際に、また来たいです、というので
いつでもおいで、と冗談半分で答えていたら、
本当にやってきた。
懲りない奴、とは彼のことを言うのだろう。

インドネシアの研修生たちが暮らす研修棟に
寝泊まりしてもらい、寝食を共にしてもらっているのだが
どうやらそれが面白いらしい。
ちょうど今、インドネシアの子たちは断食の真っ最中。
大学生は断食には参加していないようだが
一緒に早起きしたり、
断食の時に食べる食べ物を楽しんだりしているようだ。
彼にとっては、ちょっとした合宿気分なんだろうか。

農園の作業はルーティンなものが多いのだが、
それも楽しいと彼は言う。
うちの農園は若者が多い。
国籍も多彩。
そういうのも「楽しい」の一つなのかもしれない。

冬も時間があったら来ても良いですか?と
その学生は言う。
商社に就職が決まっている彼だが、
農村に来て、そんなことを言うやつは、先が危うい。
今年、外資系企業を脱サラしてうちの農園で研修している奴が
「5年後くらいには、君はここに居るな」
などと冗談を言っていたのだが、
そういうことは良くあるこの時代。

なんでも良い。
気に入ってくれたのなら、いつでもおいで。
僕の野菜を買ってくれる業者が来園。
スーパーなどに卸している業者と
レストランを中心に販売している業者。

「昨年は田谷さんに翻弄されたので、今年はこちらから来ました」
とのこと。
この2社とは以前から取引があったのだが
この2社をから紹介されて
僕の農園までわざわざやってきたスーパーの担当者や
レストランのシェフが昨年、それなりにいた。
そのたびに、僕が作っている野菜を見せてきたのだが
なにせ僕が作っている野菜の種類は多い。
取引があるからと言って、そのすべての種類を
それら2社の業者に対して販売しているわけじゃない。
だから、その2社が知らない野菜も
僕は多く作っていて、他の業者や市場と取引している。
そんな状況下で
見学に来たシェフやスーパーの担当者から
「田谷さんのところに行ったら、こんな野菜があったから欲しい」
と、それらの2社の業者に連絡が入ったりして
買い手から突き上げられるのも癪、ということで
今年は先手を打って、その2社は
夏が始まる前に、夏野菜のラインナップを把握しよう、
という事で、圃場まで来たというわけ。

ベビーリーフ
金時草
バジル
ズッキーニ
ナス
食用ホオズキ
フェンネル
根セロリ
セロリ
レタス
ルバーブ
オクラ
Etc.

これらを見学して
さっそくその場でも、お買い上げいただいた。
スーパー向けに栽培をしていた物でも
業者の目から見れば、
すこし収穫の形を変えれば、レストラン向けになるものもあり
またその逆で、レストラン向けに作っている野菜でも
量販店向けになる野菜もある。
そんな意見交換が畑で出来き、
さらに食べ方や、その野菜の特徴など
販売の面やレストランでの使われ方なども教えてもらえた。
トータルでその野菜がどう食べられるか、どう買われているかを
知ることで、どう売っていくべきかが見えてくる。
食べ方や売り方、そして作っている側のこだわり。
それが、うまく醸成されて、
一つの商品となっていく。
そんなプロセスが見学者を通じて見えてきた。

それらの業者と話していて、
シーズン毎にシェフやスーパーの担当者などを呼んで
畑の見学会と称して直接販売&商談会なんてどうだろうか
と盛り上がった。

どんな野菜かを畑で見てもらう事で
どう食べるか、どう調理するか、どういう規格で販売するか、などなどを
意見交換し、それがまた、僕の農に反映される。
そんなことが出来たら、面白いだろうなぁ。
突然の来客。
といっても、ずいぶん以前から
「遊びに来ませんか?」
と、こちらから誘っていた。
ただ、返答があったのが、金曜日の夜。
やっぱり明日行きます、との返答だった。

その人は
協力隊の時、インドネシアで随分とお世話になった人で
5年ぶりにあったのだが
昔とちっとも変っていなかった。
12月からまた海外らしく、その人が妻にも僕にも
「もう海外では仕事しないの?」と聞いていた。
妻はこれから先、そういう可能性は大きいと思うのだが
僕はもうそういう可能性はほとんどないだろう。
逆に僕は、ここに海外から人を集めるつもりでいる。

突然の来客ということもあり
ほとんど買物らしいこともできず、だったのだが、
夕飯に使える野菜はないかと、
農園をぐるっと回ってみると、
ベビーリーフ
キンジソウ
にんにく
さつまいも(安納いも・紫イモ)
アイコトマト
オクラ
インドネシアのトウガラシ
ズッキーニ
ジャガイモ
ごんぼ(ごぼう)
貰い物のなめこに大根
などなどの野菜が、1時間ほどでかき集めることができた。
こういう時、農家はやっぱり豊かだなぁ、と思う。

僕がその地へゆくのではなく、
ここのこの豊かさを大切に、
僕はここにその地から人を招こう。
たぶん、それが僕の仕事なのだろう。

またまたまたまたたま(?)またまた来客あり。
今度は妻の師匠と大学の同じ研究室だった先輩夫婦と後輩夫婦。
みなさん、インドネシア研究がご専門で
妻のお客さんながら、不躾な僕の質問や要望にも丁寧に応えてくれた。

お客さんとの夕食会の時
妻の師匠から、
「田谷さんは、今のインドネシア・ジャワの農業で何が問題だと感じていますか 」
と問われ、どぎまぎしてしまったのだが、
小農にとって耕作権が確立していないこと、
バーゲニングパワーを持ち合わせていないこと、
などを挙げた。

国家レベルでの制度の話には、不勉強であり、また苦手でもあるので
それらの実現にどのような政策や法律が必要で、
かつ実際にすでにある法令で実施不可能な点などは議論しても
僕には到底手に余ってしまうのだが、
ミクロなレベルで、農家と対等に商売をしようという商人の資質を備えた
研修生を多くここで育ててみたい、という旨は話した。

さすがにインドネシアに詳しい方々ばかりで
また人類学の研究者の方々だけあって
ジャワの文化的な配慮や
プサントレン(イスラム神学校)の農業普及事例や
コミュニティFMの事例などを紹介してくれ
とても勉強になった。
僕はどちらかというとFarmer to Farmerの知識伝達を
その体験やインドネシアでの経験から少し否定的に見ていたのだが
スンダ文化の意識の中では、それほど否定的なものではないのかもしれないと
その議論の必要性を強く感じることができた。

人類学の人々はいつもそうなのだ。
僕が考えている前提のものを意識的にか、それとも無意識的にか、
僕には解らないのだが、
いつも問いただしてくれる。
だから、質問を受けているうちに、自分もその前提となっているものの
危うさに気が付いたりもする。

議論が必要だということが解っただけでも
とても有意義な時間だった。
インドネシアにいるかつての学友や先生に、
これらの議論を吹っ掛けてみようかと今、思い付いているところである。

またまたまたまた来客あり。
農園まで来てくれたのは、ボゴール留学前に
僕にインドネシア語を教えてくれたアリ君というインドネシア人とその家族。
彼から毎週1回から2回程度、10カ月ほどインドネシア語を学んだ。
彼は、当時、長期海外研修制度で福井の小さな工場で働いていた。
夜勤ばかりのシフトで肉体的にも精神的にもしんどかっただろうが、
昼の空いた時間に、彼は日本語のもう勉強をしており
その空いた時間に、僕にインドネシア語も教えてくれていた。

僕にとっても彼にとってもその10カ月の時期は
自分が何者であるかも見えてない時で、お互い、果てしない夢を語り合いながら
現実とそれに対する不安を抱えながら共に過ごした時期でもあった。
その時には、お互いの夢は、到底実現不可能なものに見えたのだが
なぜか、そんなに深刻にはならず、どこか楽天的でもあった。

そして、僕はボゴールに留学し
彼は、日本の大学に受験して合格した。
僕らは、それぞれが一歩進めるような形で別れた。

そして歳月が流れて、
数年ぶりに彼とその家族が農園まで遊びに来てくれた。
彼は、現在、大手化粧品メーカーに日本で採用され、
日本人の新人育成プログラムを任されている。
いつかは、インドネシア支社への転勤を望んでいるらしいが
いつになるかは解らないとのこと。
伊丹の自宅から、車で農園までやってきたのだが、
運転免許は、日本の教習所に通ってとったという。
彼はいつの間にか日本人よりもきれいで流暢な日本語を話す青年になっていた。

そして僕は、ボゴールの大学院を卒業して
インドネシアの農家子弟を2名、研修生として受け入れている。

彼はもう覚えていないかもしれないが
ボゴールに留学する前に僕が語った、あの実現不可能にみえた夢の一部が
ここで曲がり形ではあるが、実現しているのである。
それは彼にとっても同じことだった。

一通り農園と研修を見学して、彼は、
「それでタヤさんは、彼ら(研修生)がどういう農家になることを望んでるんですか?」
と尋ねてきた。
彼はいつもそうである。
その次をどうするのかを聞いてくる。
その先をどうするのかを僕に語らせる。

だから僕は
ものすごくミクロな部分での話でしかないが、
これまでの座学とインドネシアの経験から、
篤農的な農家が他の農家を引っ張るというモデルではなく、
商人と農家のコラボこそが
これかの農村・農業の発展の1つの形だと思っている
だから、研修生には農業をしつつも、自らが買い取り商人となり
市場の刺激を農家にダイレクトに伝えていける、
農家に提案できる人材になってほしいと思っていることも伝えた。
それがひいては、農家のバーゲニングパワーの獲得にもつながっていくのではなかろうか。
研修生がどういう農業と、商人としてどういう市場を見据えていくかは
これからも一緒に考えていかなければならないことではあるが
その実現の難しさよりも
その夢想する楽しみの方が先行してしまうのである。
彼と話すと、特にそれが強まっていくのが感じる。

短い滞在ではあったが、
お互いが、あのころに語り合っていたそれぞれの夢を
改めて確認できたような気がした。
今日も来客。
今度はアフリカ人13名。
JICAと福井の団体が企画するアフリカ青年研修。
そのコースの一つに僕の農園が入っていた。

昨年もこの研修は企画実行されていたのだが
今年から、僕の農園もまわるようになった。
青年研修と銘打って行われる研修で
福井県内の各農家や農業関係施設を訪問する、いわゆる農業研修。
対象者はアフリカ各国の農家ということだったのだが
農家が来るわけもなく、
ほとんどが農水省のお役人さんなのである。
まぁ、人選を相手国に丸投げするのだろうから
仕方ないと言えば仕方ないか。

さて、そのアフリカ人。
うちの農園の時間は2時間ほどということで、
通訳をはさんでの会話ということもあり
メッセージは明確にしておいた方が良いだろうと考え、
ややこしいことは抜きにして
とにかく農業で一番大切な
「多様性」を伝えようとこちらでは考えていた。

生ごみ堆肥や稲わら堆肥、牛フン堆肥など
土の中の菌を否定するのではなく、種類を、多様性を維持するという視点から
土づくりをしている様子を紹介した。

また圃場では、フェロモン剤の使用や天敵が住みつくためのバンカープランツの導入、
さらには、農薬も使用するがそれがすべての虫を否定するものではなく
特定の虫だけを少しコントロールして、
全体的に多様性を保つ方法などを紹介した。

このブログでも何度か書いたが、
うちの村は、河川敷の沖積土とその河川を活かした流通で
野菜の産地として生きてきた。
その歴史が、今のうちの村のビニールハウス群を生み出しており
政府が計画して、大規模産地を作ったわけではないことを強調した。
そのような計画で立てられた産地がうまくいくこともあるかもしれないが
それはその自然的条件と市場的条件の両方を
たまたま(意図的であれば素晴らしい)兼ね備えたから成功しただけで、
途上国などで見られるような失敗例、
特に中心となった企業や工場などだけが大儲けして
それに付随して移住してきた農民がうまくいかないケースなどに
つながっている話も少しではあるが、出来たと思う。

見学に入る前に、ある宿題を見学者に出した。
“ここを見学して、あなた達の目線で僕の農業の改善点を必ず指摘してください”
というもの。
2時間の現場視察なんて、ぼーっとしていたら、何も残らないで終わってしまうのだ。
こうした課題があったためか、質問も良く出て
それなりに有意義な議論ができたと思う。
最後に、改善点としては
「ハウスの出入りが無防備。人も虫や病気や草の種を運ぶ媒介者となるので、そのための措置が必要だろう」
「鶏小屋とハウスが近すぎる。鶏のダニなどが影響はしないのか」
などなどの意見が寄せられた。

こうして無事にアフリカ人を見送ったのだが
見送ってから一つだけ話さないといけないことを忘れていたことに気が付いた。
それは、有機的農業をそれぞれの国で展開するためには
その農業を推し進める主体である農民の農地所有の意識である。
小農の多くが、農地を借りており、その権利があいまいであることや
また収穫物も地主に多くを納めないといけないケースが多い。
そういった中で、今日よりも明日を考えての有機的農業は発展し難いのである。
うちの農園を見学に来たアフリカの方から、
「ここでは簡単に有機農業ができそうですが、わが国では虫の害がひどいので出来ません」
と言われたのだが、
確かに虫の害も多いだろうが、だが、それだけではあるまい。
あいまいな権利としてか借りられない農地を
その期間内に、出来るだけ収奪しなければ今日を生きていけない。
小農がおかれている、そんな現状こそが
小農の生存戦略として有機的農業に向かわせないのであろう。
今回の研修で、各国のお役人さんが来ているのであれば、
自国の農民のために、法律的に土地の耕作権を確立し、
有機的農業をやろうという小農の農地を保証することこそ、
あなた達ができる最大の農民支援であり、
自国の持続可能な農業に寄与するものだろうと愚考する。

今回の受け入れの世話人である方に
夕方、この件だけをメールで伝えたのだが、
はたして、アフリカの方々に伝わっただろうか。

名古屋大学から
協力隊時代からお世話になっている先生と
その学生さんたちが、僕の農園見学にやって来られた。
JICA’s World の7月号に、僕の記事が紹介されており
その記事がきっかけだったらしい。

当日はあいにくの雨だったが、
それでも農園をまわってもらい、
またこの地域を形作っている自然条件を見るために
河川敷の畑なども見てもらった。

また見学に来られた学生の皆さんは
海外での活動経験も豊富とのことで
インドネシア研修生に対しての座学もお願いし
研修生だけでなく、僕にとっても有意義な時間だった。

その座学の一幕。
学生さんから研修生に、
「日本で勉強していますが、逆に日本のここが変だ、というのがあれば教えてください」
と質問があり、
2年目になるH君は、これまでの座学を活かして
日本の農業の高齢化や
農業の機械化と耕作面積の問題などをあげていたが、
1年目のイル君は率直な意見を言っていた。
「コンビニなどで、大人の雑誌がオープンになっていて、子供の眼につくのがよくないです」
とのこと。
確かに。
僕らには当たり前になっていて、
気が付かないことも多いことを、彼らとのやり取りの中で気が付くことがある。

今回来られていた博士課程の方の座学で
ボリビアの農業を説明していただのだが、
ボリビア国内に存在する伝統的農業を行っている農家と
企業的農家の貧富の差を埋めるために
再び農地解放を行うための議論がされているのだとか。
農地の個人所有と耕作権とは分けて考えないといけない話で、
農地解放をして個人所有とすると
個人的都合で売買(耕作の放棄などもあるだろう)の可能性は否定できない。
神門氏が指摘する、農地の宝くじ化とはまさにそのことだろう。
農地がゆるやかなコミュニティの総有という考えのもとで
耕作者の権利が確立されていくことが、もっとも理想的ではないかと
最近では考えている。

その方の話で
「土地所有がしっかりしないと有機的な農業は行えないのでは?」
と問いがあり、
たしかに土地を永続的に使えない状況下では、
その土地に投資していくような有機農業の展開はありえない。
明日よりも今日の収量を優先する農業に
農民たちが走っても、それは生存戦略としては正しい選択なのだろう。

先生や学生さんたちは日曜日のお昼に帰ったのだが、
研修生のH君とイル君と、農作業をしながら
そんな話をとりとめもなく続けていた。
外から吹いてきた風は、いつまでも僕らの間をこだまして
夕暮れまで吹きやむことはなかった。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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