今年も農園は
積極的に学生を受け入れる。
その1回目として
日本福祉大学の
小國ゼミの学生を受け入れた。

韓国からの留学生を含む
4名の大学3年生。
3日間の福井滞在で
散策と農作業1日とBBQ、
そして最後にまとめのプレゼンをして
簡単なディスカッションをした。

こちらからのテーマは用意していなかったので
とりあえず、インタビューを受けながら
今後の彼女彼らの
視点形成に役に立てばと思い
インタビューをする人の
その意識を少し掘り下げる作業を
全体的にしていた。
その事に反応した一人の若者がいて
最後のプレゼンでそのことを
取り上げていたのが印象的だった。
きっと彼は大化け(小化け?)するに違いない。

農業ってきっとゆっくりと時間豊かな
生き方だと思っていたことだろう。
それほど自然は僕らに飼いならされていないし
僕らが他方でつながっている市場は
そんな悠長さに寛容ではない。
その両方のリズムと構造と生態の違いを
繋げる仕事が
僕らの難しさであり、やりがいでもある。

学生さん、
もっともっと面白い人間になるために
一所懸命勉強しなさい。
知識と視点と想像力と、そして発信する言葉。
それを増やしなさい。

あと、韓国のチェさん。
君、面白いね。
また福井に遊びに来てね。


今年も早稲田の学生が
農村体験の実習でやってきた。
今年は2名の学生を受け入れ、
特に外国人技能実習生についてあれこれと議論を交わした。
農業の現場は高齢化が進み
若手の就農は伸び悩んでいる。
その一方で強い農業をめざし、
法人化して規模拡大や輸出、
ICTなどの新しい技術を活用した
低コストによる競争力のある農業も
また伸びてきている。
イノベーションが起きつつあり
農業が産業として変化を遂げようとしている現場で
人手不足が常態化しようとしている。
経済的な問題よりも人口問題のほうが
要因として重くのしかかっていて、
どうすれば今後農業界が
優秀な人材を潤沢に確保できるのか、
その部分ですでに躓き始めている。

その問題のある意味出口にもなるはずだったのが
外国人技能実習制度だろう。
とここまで書いたけど、本題はこの話じゃない。
それにこれについてはもうすでにエントリーに記録済みだ。
また新たな動きが出てきたらその話も書こうと思うけど
今回の主題は大学生である。
ま、その大学生たちは、
この外国人技能実習生が
普通の実習制度と違うやり方で
農業の構造的問題の出口を僕らが指し示し続けるので
やって来ているのだけどね。

さて彼らは3年生で、
その現状の主題はいろいろあるのだろうけど
やっぱり大きいのは就職、だね。
意味のある仕事とは?
どんなことに人生を捧げるべきか?
条件のよい仕事って?
やりがいのあることはどんなことなのか?
なんて尽きもしない悩みのループの中に居た。
大手や公務員などの安定した仕事が良い。
でもその一方で、
やりがいも気になる。
自分のしたいこと・やりたいことが
人生の主題に出来るのかどうかの不安もある。
その悩みに
最初に真剣にぶつかる年といっても良いだろう。
ただ、その悩みは、
その年で終わるわけじゃなく
僕でもまだその悩みの残り香を
すこし抱えながら前に進んでいるのだから、
彼らは人生の意味を考え始めた1年生ともいえるかもね。

そんな彼らの1人は、
「僕は国防の仕事がしたい」と言い切っていた。
金銭的な満足よりも
本当に必要なことに命を懸けるのだという。
なるほど。
向こう見ずの無鉄砲は、学生の専売特許だ。
先鋭化して、突出するのもいい。
だから「国防」という言葉を吐いても
それはそれで良かったのだけど
「国防」なんてキーワードが飛び出してくるなんて
まさに時代のなせる技かな。
なんて思う。

国防としての自衛隊については
自分なりに考えがあるが
その仕事については、ここでは議論の対象から外そう。
彼のいう国防とは
国を防ぐと書くが、どの国をどの脅威から防ぐのか。
こんなことを書くと時代に怒られるような
そんな気分があるのも
今の時代の危うさなんだけど
その守るべき対象となる国家は、具体的にどこの誰なのか、
その辺りに僕は強い違和を感じる。

愛郷心という言葉がある。
権力者からちょっと都合よく使われがちで、
使い道を誤ると危ないのだけど
自分が係る地域への愛情を表現した言葉だ。
ノスタルジーに故郷を想う気持ちも
この中に大きく占めているから
時に勝手な想いで愛郷心が独り歩きをして
その地域の実情と違う部分で突き進んで
急に国防へと昇華されるから
僕はあまり好きな言葉ではないのだけど
僕らのように国内外の地域に
関わりを持ちながら
その地域への愛情を深めてきたその根本を
言い表す言葉が、他に思いつかないので
愛郷心をこの場合は使おう。
なので、ノスタルジーで普段は関わり合いも少なく
自分の勝手な想像と想い込みで
愛着のある地域の話ではないことを明記したい。
責任と覚悟が発生する地域愛をこの場では言う。

僕にとって
インドネシアの関わりを持っている地域は
すでに20年近くの歳月があり
そこにはここにいる人たちと同じように
場合によってはそれ以上に愛をもって接している人たちが
住んでいる。
冒頭でも少し述べた
外国人技能実習制度も僕らにとっては、
それを相互に補完してきた活動ともいえるだろう。
僕はその意味で、
愛郷心をこことインドネシアのある地域に
強く持っている。
こことあっちとの地域の交流も
これからも続けていこうという
推進力はまさにその愛があってこそだ。
だが、だからといって
それが昇華されて
インドネシア共和国や日本国家を
守るべき対象として
僕個人が行動を起こすかどうかは
かなり不明だ。
自分のやっていることが
時の権力者にとってはどうかはわからないが、
社会にとって不利益になるようなことは
やっていない自負はある。
その意味で、国家を邪魔する気のないし
国家が越境して個人を封殺することも許さない。
統制の行き過ぎた国民国家は
先日の敗戦忌が良く物語っているじゃないか。

だから
国家を守りたいという大学生の
その気分が自分には良くわからない。
守るべき具体性に欠けていると僕の目には写るからさ。
どの国でも国会議員なら
国境警備隊や軍隊なら
たぶんその抽象性のなかに生きているのかもしれない。
でも経験がないので良くわからない。
青年海外協力隊で、日本を代表して派遣された時は
すこしその国家なりをイメージしたような気もしたが、
やはり日本だからとかではなく、
僕ら個人がその地域とどうかかわるかが
活動の主眼であり、それ以外はあまり関係がないので
国家を自分の中に構築することもなかった。

国防を語る君は
それだけその場へのコミットをする
その情熱をどこから得ているのだろうか。
僕は、偶然と必然と運命とランダムの波の果てに
出会った今のインドネシアの地域と
時として嫌気もさす自分の生まれ故郷とに
交わる経験を生み出す場に巡り合い
その経験から生み出された愛着を
情熱に換え、
推進力を保っている。
国家ではなく、個人とその個人が愛するその場所を
その個人の肩越しに
時には自分の勘違いも
やや含まれるかもしれないその視点で眺め、
そこから生まれる感情を持って
付き合いの深度を深めていこうと思っている。
そういうことならば
僕にも理解ができるが、
君のいう国防には
その視点もなければ
そういう発想もない。
少し年を取った経験則に頼る人間の
凝り固まった考え方なのかもしれないけど、
そこから生み出された直感が、
君の考え方と視点について
警報を鳴らしているのは、事実だ。
真面目に将来を考えているだけに
もう少し気の利いたことが言えるといいのだが、
言葉じゃ無理かな。
僕らの実践していることが
君のその視点に何か付加されて
変化を起ることを望みたい。


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PTAの母親部の活動である
ベルマークの選別作業に参加。
2か月分のベルマークを
種類別に選別する作業で、
集計はボランティアや
この作業に出てこれなかった
母親部のメンバーがするという。

PTAで庶務をしていた時
各部の活動はある程度見てきたが
母親部だけはいつも何をしているんだろう?と
不思議だったが
こういう活動をしていたわけね。

今回のメンバーで男性は
当然僕一人だったのだけど
これってジェンダーで分けられる作業なんだろうか?
というのが僕の疑問。
もちろんこれって男がやっても良いんだし
みんなで茶菓子食べながらワイワイやるのは
べつに性別関係ないんじゃない???

僕が小学校の時に
実はベルマーク委員会ってやつがあって
僕はその委員長をしていた。
母親部がやっているような作業は
僕らの時は小学生の作業で
なんでこれが今
PTAの作業にすり替わっているのかも
なんだか不思議だ。
これ、子供らにやらせたらいいんだよ。
ベルマークってなんなのかもわかるし
集めようって呼びかけも僕らが小学校の時は
ポスター作ってやった記憶がある。
自分たちの教育を充実させるために使うんだから
子供たちもコミットさせるべきだね。
で、お金の使い方も児童会で話し合わせたらいいね。

こういう作業が母親部だけで行われていることに
強い違和を感じるし
なんだか母親に押し付けているようで
僕は嫌だな。
男も子供も
みんながコミットすべきだね、やっぱり。
当たり前だと思われてきたことに
当たり前じゃない形で係ると
崩れないはずの価値は
実はその正当性はかなりあいまいだったりする。

母親部の副代表を
僕が引き受けた意味は
こういうところに生まれるんだと思う。
こういうことに変化を生むことにも
声を出していきたいね。

地域活動が忙しい。
毎週、何かある。
4月ごろから、予定が詰まりだし、
最近では、お盆までずーっと週末は
何か地域活動が入っている状況だ。
ここまで来ると異常としか思えない。
地域を盛り上げるってどういうことなんだ、いったい。
といった愚痴も
もう僕の口から出ることも珍しくない。

さて、
JA福井県中央会の理事を
青壮年部から出すときに
少しいざこざがあったが、
その議論の中で僕もとても腑に落ちる意見があった。
それは、僕ら農業者の本分とは何か?という話。
理事に出るのも良いが、
やはり僕ら40代の農業者は
農業産業の牽引役足らねばならない。
それぞれの経営がきちんと成り立つのが
その本分であり、そこに変革を生み出し
その産業を盛り上げることこそ
僕ら世代のできる一番の社会への貢献なんだと思う。
たしかに、そういう中堅どころが
社会のあらゆる場面で意見を言うのは大切だ。
その力を農業分野だけではなく
その関係のある産業や社会、組織に意見を反映してこそ
農業分野も農村も活性化される。
それは解る。
だから、それらをやらないとは言わないし、
うちの農園のスタッフにもそれはやるべしと
おしりをたたいてもいる。

だけどさ、
お盆まで休みなしの地域活動ってどう思う?
しかも平日は平日で会議・会議・会議の連続。
そんなんで消耗していると、それらの団体の変革にも
なんだか消極的になるし、
気が付くと周りもあんまりついてこなくなっていたり。
自分自身の経営にも
身が入らないというか
わくわくしなくなるというか。
ちょっと問題だな、と最近は思う。
若手や中堅どころの意見は大事だというのなら
年金暮らしのような人たちのライフサイクルではない
僕ら産業を支えている人間のスケジュールを優先するような
会議日程にしたり、
せっかくさ、こんだけ技術進歩したんだから
ネット会議とかして欲しいね。
ま、人と人とが顔を合わせて話をするのは
大事っても思うけど。

地域を元気にって言うけど
どういうことなんだろうね。
最近、良くわからない。
少なくともルーティンにイベントをこなすだけは
違うと思う。
それにしても毎週毎週、イベント多すぎ!
ま、1/3くらいは僕が自分で作ったのだから
シヨウガナイネ。。。



ちょっと面白い役をいただいた。
また何かもらったの?
だが断る、じゃなかったの?
と自分でも思うけど、
これはくじ引きで決まったので
しょうがない。
仏さまが
「おまえがやれ」と言うんだから、
しょうがない。

ま、厳密に言えば
僕じゃない。
僕の妻に来た役だ。
それはPTAの母親副代表。
で、再来年には代表という
2年の役。
で、その妻は
愛知の知多の大学に単身赴任。
それに国際開発学会の常任理事で、
研究会やら何やらで土日もあまりいない。
その話は、役が来る前から
同じ町内の親たちにも言っていたけど、
そこを考慮してくれる親は約1名だけで
妻(僕)もその役を決めるくじに入れられた。
1/8だったから当たるまい、
と高を括ってたのだが、
今年の僕はとにかく運が最強のようで、
見事、この母親代表の大役を引き当ててしまった。
ということで、
たぶん来年度、僕は妻の代わりに
母親副代表の役をやることになる。

前々からジェンダー差別の匂いが
プンプンするこの役に
僕は疑問があったので
どうして母親じゃないとダメなのか
それも含めてこの役を眺めてみようと思う。
あと、この役の理由で
PTA会長が常に男性だというロジックも
僕には異次元の話に写る。
いろんな意味で、知的刺激を受けられる
来年になりそうだね。
来年はジェンダー考察の年にしたい。




今年もJICA北陸とコラボでイベント。
北陸3県の学生さんと5回シリーズで
JICA北陸が国際協力について勉強する
JICA北陸キャンパス。
その4回目が農園たやでのワークショップだ。

前日まで東京出張で
前夜は勉強会&懇親会で
イベント当日も朝の配達があってなかなか
分刻みの日程の中でのワークショップだった。
でもでも農園には心強いスタッフが
たくさんいて、
高ちゃんとすーちゃんの両名の大活躍で
なんとか学生さんが来るまでに準備は万端だった。

さてワークショップ。
午前中は農園を散歩がてらに見学し、
研修棟で僕とスタッフ、
そしてインドネシアの実習生たちが
それぞれにプレゼンしてインプットは終わり。

お昼ご飯に農園の野菜で作ったカレーをみんなで食べて
すーちゃんの独特の雰囲気を前面に出した
クイズ大会で和んだところで
ディスカッションに入った。

国際協力とインドネシアの2つがテーマ。
それぞれのテーブルに分かれて
ディスカッションを行った。
僕は国際協力を担当。
学生さんに興味関心ごとを
紙に書きだしてもらって進めたのだが、
その中でも印象に残っている質問が
学生のうちにやっておく必要があることは何か?
ってやつかな。
国際協力の現場で働きたいと思っている
学生さんもちらほらいて、
そんな学生さんはやっぱり
何をどうすればいいのか具体的な道筋のない
この業界の入り口あたりでいろいろと悩むようだ。

この答えは、僕は明快に一つ持っている。
海外を旅行すること。
そして都市じゃなくて、観光地でも無くて、
村へ向けていくこと。
できれば陸路や海路で国境を超えること。
その経験をぜひ学生のうちにしてほしい。

国家が国家としてあたりまえには存在しないことを
都市から農村にかけてのグラデーションの中で
感じ取ることができるし、
貧富とは何かを意識することもできる。
何が裕福で何が貧しいのか、
目の前につぎつぎに飛び込んでくる情報に
いっぱいいっぱいになりながら考えたらいい。
そして、
ゆうゆうと国境をいったりきたりする人々との交流を通じて
国って何かを考えたりできる。
その中であえて「国際」という意味を
考えてみようね。

社会人になると
ピンポイントでミッションをこなすために
目的地に行くことが多い。
わざと時間のかかる経路を通ったりしないもんね。
直接首都に飛行機で着き、
そこから目的地まで車や電車や飛行機で
直行するのが当たり前になる。
でもね、現地の人と一緒のスピードで
動かないと現地のセンスって磨けないんだよね。
これができるのは学生の間だけなんだ。
空気感というか、現場の雰囲気というか、
そんなものに触れながらセンスって磨かれるんだ。
僕は、
二十歳の誕生日はタイとミャンマーの国境で迎えたさ。
大学の卒業旅行は
ベトナムを鈍行の列車と自転車で往復縦断した。
あの経験は今も大きな財産となっている。
そして、あの時に苦しんだこと
見たこと、聞いたこと、食べたこと、怒ったこと、笑ったこと
それらが次につながる大きな財産になった。

だから学生さんに伝えたい。
ぜひ人のスピードで海外を移動してみてほしい。
そして、
ぜひその境目に生きる人たちを見てほしい。
そうすれば、境目というもの自体が
勝手に創造して固定化した概念に過ぎない
ということに気が付くだろうから。
そこから見える「国際」協力は
また違った世界が広がっていると
僕は信じている。



土曜日は愛知の一宮に居た。
今の愛知の県青協の委員長である
加藤秀明氏に会うためだ。
今年のJA福井市青壮年部の役員研修会は、
面白い人に会いたい、と
常々思っていて、
そこで全青協で出会った
この人、加藤さんに会いに行こうと決めていた。
だが、参加人数は振るわなかった。
いつもは6月に行う役員研修会だったが
今年は僕の事情で11月にずらした。
11月はイベント尽くしで
役員さんや支部長さんの皆さんは
忙しくて日程をやりくりできなかったようだった。
これは来年への反省。
とても面白い人だっただけに
参加できなかったメンバーがいたのは残念。

さて、加藤さん。
大学後に有名なIT企業に勤めて
そんで中国へ行き、ホリエモンショックで
日本に帰ることになって
パソナの研修で大潟村に行って
農業に出会い、
愛知でイチゴと米を栽培している。
というその足跡を並列しただけでも
これまで普通の農家が歩んできたであろう
道筋からはずいぶんとかけ離れているのは
おわかりいただけただろうか。
彼自身を紹介するのは
彼のブログを参照してもらうのが一番だろう。
(リンクはこちら)

さてさて、
香港でお菓子やイチゴ作って売ったり
愛知で作って香港へ輸出したり
他にも新しいビジネスのアイディアにあふれていた。
農業構造的に彼の営農を
聞いた話だけで読み解くと、
まず一宮はベッドタウンだ。
住宅の中に細切れになった農地が点在する。
調整区域であろうが結局は、まぁ、
神門氏が指摘するように農地の転用期待と
ざるのような農業委員会の審査で
いとも簡単に農地は宅地化していた。
その中で2畝3畝という田んぼが細切れに
委託され、集積はままならない状況らしい。
地域では彼の次に若い農業者が67歳という。
作業受託のオペレーター間での農地の
調整や集積を図ろうと思っても、
高齢化した次に若い農家は、
昔から覚えた場所が良いと言って
調整には乗ってこない。
用水にも問題がある。
1週間のうち水が回ってくるのが2.5日。
なので稲の品種も水のまわってくるのに合わせて
奥手品種を作付けしている。
東海道新幹線に乗っていると一宮あたりで
11月ごろに一面に黄金色していたのは
なぜだろうかと常々思っていたが
そういう理由もあるようだ。
こんな状況下では
まぁ、米では大規模経営の
国際価格との競争といった未来図はないね。
こういう面では、北陸の平場は
ぜいたくすぎるほど土地改良は進んでいる。
ただ羨ましいな、と思ったのは
巨大消費地が近いこと。
県全体で80万人を切る超高齢化の地域と
一宮とでは別次元だ。
空港1つない県と
国際空港を持っている県の違いも
別次元だ。
もちろん国際拠点港湾もあるしね。
この条件だと輸出も楽だし
意識のはじにそれは存在してもおかしくない。

イチゴ自体は一宮では
誰も作っていなかったということで始めたらしい。
それと際立っていたのが
施設や農機にお金をかけないことだ。
安く譲ってもらったり
自分で作ったり。
なるほどな、と思う。
自分もその時間があればそうしたいけど
結局、自分で施設を建てるよりも
業者に頼んだ方が早いからそうしてしまう。
だから僕は売り上げよりも大きな借金を
背負うことにもなっているだろうね。
借金をしないことだ、という彼の言葉はまぶしかった。
ま、これは僕には
あまり経営センスがないってことだけなんだけどね。

で、そのイチゴを輸出したり、
海外でのコンサルで収入を得ていたり、
と、そんな話を聞かされて、
青壮年部の盟友さん達は目を白黒させていたに違いない。
僕も海外に出て行って
いろいろとやりたいのは山々だが
中量(少量では無くなりつつある)多品種の
野菜栽培をし始めてしまうと
なかなか自由にあちこち行くわけにはいかない。
こういう部分は水稲は強いね。

輸出に関しては
ちょっと懐疑的。
日本がブランド化されて売れているのなら
日本から来たことに強みは出るが
もし品種的な美味さや品質の良さ程度であれば
これって簡単に他の国の産地にとってかわられるよね。
がんばってルートやブランドやそういったブームや文化を
作っても
簡単に入れ替わることは可能かもしれない。
僕らにしてみたら
インドネシアの研修卒業生の活躍の場が
輸出ブームで出来るかもなぁって思ったりもする。

盟友たちは彼のあふれるばかりのアイディアに
感心していたようだが、
僕は彼の見据える視点が気になる。
これだけいろんなこと経験してきたのに
非農家で新規参入で飛び込んできたのに
農協青壮年部が好きだという。
彼から見える彼の地域の農業の未来って
どんな風に見えているのだろう?
僕らは平場で基盤整備も進んでいて
低コスト競争に勝てる規模まで
淘汰を繰り返すのだろうけど、
そこにベクトルを向けられず
大消費地の近くで海外志向を持つ人間から
見える農業の未来図は
どんなんだろうか?

久しぶりに面白い人に出会った。
もう少し、彼の肩越しに
その視点の先を覗いてみたいなって
そう思える人だった。



さ、今回もやるよ。
今年新人で入ったすーちゃん。
青年海外協力隊でインドネシアへの派遣を目指して
これからいよいよ僕も彼女のために
研修を作っていこうと思う。
今日そんな話し合いをした。
ま、気が変わらない限りのことだけどね。

彼女は
正社員で採用したのだけど、
それとは違う方向になっていく。
とは言いながらも、
採用の段階で、ここまでは僕も想定内。
というか、まだ明かせないけど
僕はもう少し先も見据えているけどね。

さて
ここ半年で彼女からも
いろいろと話を聞いて、
その後どうしたいかも考えて、
彼女が嫌でなければ、
そして彼女にその能力があれば、
協力隊の隊員として
そしてここがちょっと難しいのだけど、
任国インドネシアを狙ってみようか、
って話になっている。

僕個人が任国を決めることはできないし、
要請をそのためにあれこれと手を尽くして
挙げることもできないけど
(全く出来ないわけじゃないけどね)、
彼女の実力と運とがうまく重なれば、
というか運命がそこに向けば、
ま、それもあるだろう。
ただ運を呼び込むのも実力さ。
まずは今年中に読み込もうという文献を
今日確認した。
インドネシア語も勉強もしつつ、
インドネシアの農業研修でも勉強しつつ、
それとは別に新たに
僕の開発社会学と農学を
個別に彼女に教えようと思う。

なんだろうね。
この人材育成好きは。
農園の経営に全く関係のないことに
全力投球してしまう自分を
我ながらあきれてしまうのだけど、
人も野菜も育てるのが、農園たやだからしょうがないね。
というか、これが農園の経営だと
僕は最近、本気で思っているけどね。
セネガルに旅立った北野のように
素晴らしく出来の良い弟子になるかどうかは
わからないけど、
彼女にはその資質も根性もあると
僕は見ている。

とにもかくにも、
僕の道楽は今年もまた始まる。
どんな風になるのか、
どう転がっていくのか、
いろんなことが楽しみだ。



週末は日本福祉大学の学生を受け入れた。
妻の小國のゼミの学生で、
国際協力と技能実習制度について
関心があるとのことで受け入れをした。
なので、そういう関心のある農園のスタッフと
インドネシアの研修生で対応した。

2日間の日程で、
1日目は以下の通り。
農園やここの集落の見学を軽く行い、
研修棟でインドネシア研修生や
僕を含めたスタッフがそれぞれ
簡単なプレゼンを行い、
国際協力と技能実習制度の2班に分かれて
ディスカッションを行った。
BBQをして、農園のバンド演奏もあって、
楽しく過ごした。

2日目は、午前中に学生たちは
ここの集落をそれぞれ歩いて回った。
気になったものを写真に撮ったり、
集落の人にインタビューをして回った。
それをお昼休みの時間に
フォトセッションとして発表。
意見交換をしてゼミ合宿の全日程を終了した。

全体を通じて考えさせられたのは、
インタビューという作業について。
それは学生にはまず
アンテナを作る作業が必要だということ。
これは別に学生に限ったことじゃない。
うちのスタッフにも言えることだし、
インドネシア研修生にも言えることだろう。
もちろん、僕も含まれる。
その強弱はあるにせよ、
何かをインタビューで聞き出す作業には、
感度の高いアンテナを準備すること
なんじゃないかな、というのが
インタビューが上手くできない学生を見ていて
良く感じた。
きっとこれを聞きたいのだろうな、
とこちらからは見えていても、
彼女ら彼らの質問と
インドネシアの子を含めた僕らの答えと時にかみ合わず、
学生の頭の中のイメージが空中分解し
もがき苦しんでいるその姿が
なんとももどかしく
ついつい厳しいことも言ってしまったのは反省。
学生の立ち位置も明確にはされず、
分断された質問の連続に
ライブ感は全くなく、
対象者であった僕らは消耗した。

インタビューってライブだと思う。
打てば響く。
小さくたたけば小さく響き、
大きくたたけば大きく響く。
お互いの反応が相乗効果を生み、
インタビュアーが相手の視点に寄り添う
姿勢を保ちつつ
合いの手を上手に入れて
対象者が悦に語る。
そんな風にできたらいいんだけど、
これを聞こうと決めてきたことばかり捉われて、
話の中で出てくるキーワードに反応しないのは
ちょっと辛いかな。
余裕もなかったのかもしれないけど、
そういう言葉に反応できるような
アンテナをきちっと作り上げる必要もあるんだろうね。
それにはそれまでに勉強してきたことや
自分がそれにどういう意見を持っているかも
含めたインタビュアー自身の立ち位置も入れながら
その場を作り上げていくことも必要じゃないかと思う。
これはうちの新人のすーちゃんにも
よくよく理解してほしいことだと思っている。

2日間の日程で
学生さん達はとても礼儀正しく、
また初めての農村にもかかわらず
ちょっと話しにくそうな住民の人にも
話を聞けていたのが
素晴らしかった。
またディスカッションを常にどうまとめるかも
頭の隅に置きつつ
最後にまとめ上げる作業には
かなり訓練もされているんだな、と関心もした。

思ったよりも「聞けない」っていうのが
分かれば、
3年生のゼミとしては十分だと思う。
ここで凹んだことを忘れないで、
これからの糧にしてほしい。




日大のゼミ合宿を受け入れる。
平日希望だったので
当初は断ろうかとも思っていたが、
農園の新人すーちゃんの母校ということもあり、
受け入れることに。

もともとすーちゃんの新聞記事を
彼女の母校の先生に送ったことがご縁で
そこのゼミの学生が農園を観てみたいとなり
この夏にゼミ合宿としてやってきたというわけ。

ゼミのメンバーは大学3年生が5名。
来年から始まる就活を前に、
彼女彼らの関心は「自分が何に向いているか」だった。
最近分かってきたが、
大学生の思考の半分以上は、
このことで占められているね。
で、それは今の時代だからでもなく
それは僕らも、そして多分
僕らよりもずっと前の先輩から続く
悩みなんだろうね。
二十歳を過ぎたころからやってくる
あの漠然とした将来への不安ってやつだ。
あの時期は本当に気が滅入った記憶がある。
よく学生時代に戻りたいっていう人がいるけど
僕はごめんだね。
もう二度とあんな想いはしたくない。

で、その二度とごめんだと思う想いの真只中にいる
学生たちは、やはり見ていても
その迷いのオーラをもわもわと発揮させていた。

「国際協力の、しかも農業分野の最前線で仕事がしたいんです」
そうはっきりという女子学生がいた。
ただそれがどういう仕事なのかは
彼女にもわかっていない。
もちろん、僕にも良くわからないんだけどね。
だから、そう思うのなら
現場で考えるしかないね。
青年海外協力隊やNGOなど現場で期限付きで
活動させてくれる(考えさせてくれる)団体は、
それほど多くはないが
それなりにはある。
それに参加して、そこでいろんな人に会って、
頭で考えるよりも
肌感覚で考えた方が良いかもね。
とだけ、僕は言った。

大学生のレベルでは
農業の実際や
僕らのやっている農業研修といった事には
やはりそれほど深い関心があるわけではない。
ただ人生に四苦八苦して
ここにたどり着いて
そしてここでも汗かきベソかきしている
先輩だけは多い。
そこから将来の漠然とした不安を
行動することで軽減させようとしていることが
読み取れれば
きっとここに来た意味もあったんじゃないかって思う。

大学生のゼミ合宿、面白いので
これからも受け入れします。
あんまり相手できないけど
来たい方は、ご連絡くださいね。



今年も早稲田の学生を受け入れた。
早稲田大学の農村体験の授業で
年に数回、日本の各地に赴き
いろんな活動をする授業だ。
毎年、その一部が福井にやってきて
農村体験をするのだが、
そのうちの一つが、ここの農園というわけ。
お盆前の忙しい時期だけど
毎年面白い子がやってきて
受け入れる側もいい刺激になるので
続けている。
昨年農園で研修して
セネガルに協力隊に行くことになった
北野君も、
この授業で農園にやってきたのが
そのご縁の始まりだったしね。

さて、今回の子も
おもしろかった。
農村での情報共有やネットワークの強弱を
ソーシャルキャピタルという概念で
調べようという
僕から見れば
ちょっと身の丈知らずの子がやってきた。
いろいろとその子の質問に答えていたのだけど
その質問票が意図している
「農村」のイメージと僕らの現実との乖離に
的確な答えをできないまま
ややフラストレーションのたまる作業だった。
毎年のことだから慣れたけどね。

で、お酒も入っていい気分になっていたので
その大学生君に、すこし説教。
もう40歳だし、
少しくらいは偉そうなことを言ってもいいよね。
というか、これは僕らの特権だよね。
で、その説教は、
コミュニティと地縁の違いについて。
大学生君がイメージしている農村は
コミュニティなんだよな。
みんなが参加できる場があって、
そこに参加した人たちで情報が共有されたり
活動を共にしたり、
そんなイメージ。
そこが違うんだよね~。
僕らは地縁なんだよな。
地縁って人の集まりの場ではなくて、
農業生産という生産様式から生まれる
主に農地を介して出来上がる関係性のこと。
面白そうだから参加しようって
いうこともなければ、
この集落の農家組合を農地を持っているけど
面白くないのでやめたいと言っても
脱退できない、そんな関係性。
だけど最近は
『コミュニティ』の方が市民権得ちゃって
この集落で学校の校長もやって
公民館館長までしているような人でも
「もう係りたくないので、農家組合を辞めたい」なんて
頓珍漢なことを言い出したりもして
周りの失笑の元になったりしているけど
当の本人は何が間違っているのか気が付かないところに
このコミュニティと地縁の意味の違いがあるというのは
余談だけどね。
農業という生産様式は、
もともと個人の自由で
また個人が個人として国に立ち向かって
維持できるものではなかった。
少ない資源の水をどうみんなで回すか。
給水路や排水路の清掃も誰かが怠れば
そこで流れが悪くなる。
畦畔の除草を怠れば、自分の家だけでなく
他の田んぼにまでカメムシで迷惑をかける。
田んぼ一枚が、その田んぼ一枚だけでは存在できない。
そんな条件下が社会化され地縁が生まれ、
その地縁の下
農村にはいろんな組織が存在しているんだよ。
農業という生産様式に頼って生きていた時代は、
その関係や雰囲気や他人が気に食わないからと言って
そこを引き払って引っ越す、というわけにはいかなかった。
街の人がアパートを引き払って
どこかに移動するなんて、その土地が生活の糧となる
生産様式じゃ、無理な話なのさ。
だとすると、別に気も合わない人たち同士が
何代にもわたって顔を突き合わせているのが
地縁の関係で出来た場、つまり農村ってことになる。
だから、そこでは村八分なんて
マイナスなイメージあるけど、
その個人が変な人でも二分は関係性を保ち、
次の代が良い人だったらまた普通の関係になったりもする。
そんな話は、この集落でもそこかしこに落ちている。
そんな場は、
その維持のために課せられる義務が多い。
当然コミュニティにも参加する人たちには、
その場のルールやその場を
維持発展させる義務も生じているだろうよ。
でもね、地縁って
逃げられない分、それが厄介だったりもする。
だからこそ、追いつめもしないし、
やらないと言い張る人にもある線まで来たら、
仕方ないってあきらめたりするし。
この辺りじゃ、最近は多数決を取ろうって
話もよくあるけど
昔はそうじゃなかった。
話し合いをして反対派の人も
納得できるまで、
各論では反対が残っていても
全員総論賛成になるまで
やったという。
これインドネシアで見てきた農村も一緒だった。
文化は違えども
農業という生産様式、特に米という生産様式では
人間という生き物は同じような社会を
作り上げたりもするんだね~。
という話も興味深いけど、ここでは余談だ。

だから、
大学生君。
君がスタートしているその地点にあるはずの
コミュニティって概念というか認識が
もうすでに僕らとずれているんだよ。
もちろん、農家組合は別にしても
農協青壮年部は地域を盛り上げるという命題の下
さまざまな活動を作って
メンバーの参加を募っている。
だからその活動の内容自体は
すでにコミュニティ化しているのは
僕も認めるよ。
でも誰でもそのメンバーになれないという足かせもある。
農地を持った家の子弟でなければ
メンバーにはなれないんだよ。
だからこの集落でも
150戸のうち70戸の家の人しか
その資格はない。
地縁からスタートしたけど
活動を取り巻く社会的認識の変化からか
その活動の継続の意味が
掴み辛くなっているのは、僕もよくわかっている。
スポーツ少年団なんてまさにコミュニティだ。
あれは村のカレンダーとは別のカレンダーで
動くので
あれに入っている子たちは
村の活動には一切でてこなくなって
まさにムラは寝に帰るだけの場所になっていく。
その反面、そのメンバー間では強い関係性を築き
とてもいい友人関係を作ったりしているけどね。
でも、だからこそそれ自体も、僕の
地縁からの視点で見た場合、
最大の批判の対象だったりもするのさ。
だからさ、大学生君。
そこを一緒に混ぜ合わせて
質問しちゃ、いけないね。
って、酔っ払って捲し立てたけど、
分かっただろうかね?

え!?酔っぱらいはいやだって?
ま、それは同感です。




龍谷大学の西川先生から
面白い提案をいただき、
先日の連休にアフリカの留学生3名を
農園で受け入れた。

留学生はエチオピアとタンザニアから来た学生で
龍谷大学の修士課程で勉学に
励んでいる方たちだった。

数年前まで農園には
セネガルのイブライが勤めていたので、
そんな感覚で受け入れたのだが、
雰囲気は全然違っていた。
あたりまえか。

農園では、福井の農業の特徴として
高齢化が著しく進んでいることや
米作兼業農家の割合が多く
集落営農化に向かっていることなどを説明し
その対応として
僕らがどんな農業を展開しているかを説明した。
野菜専一の周年出荷と
若手の農への雇用の実現が
僕らの答えなんだけど、
東アフリカのエリート官僚の方々に
それを実感ある問題として
感じてもらうのはちょっと難しかったように思う。

体験として
ジャガイモを掘る作業を
してもらったのだが、
僕の知っている官僚と違って
肉体労働に積極的だったことが驚きだった。
インドネシアの官僚だと
ポーズばかりで適当に手を抜いちゃうんだけど、
彼らは違っていたのが面白い。

僕が英語さっぱりできないから
直接の議論が深まるほどには
僕から見せたアジェンダに応えはなかったけど、
少しずつ出てくる質問のずれに
異文化を強く感じた。

アフリカなんて全く興味がなかったけど、
いつかは彼らが見据えるその視点を
その現場で眺めてみたいな。

西川先生、面白いご提案ありがとうございました。
また来てくださいませ。



群馬に行く。
全青協(全国農協青年組織協議会)の会議のためなのだが、
どうしても会いたい人が居て
急きょ前日にアポイントを取って
会ってもらえることになった。
とても忙しい人だのに
二つ返事でOKしてくれた。

その方は、自然塾寺子屋の理事長・矢島氏。
青年海外協力隊に参加し、
帰国後に地域おこしと海外に飛び出していく
若者育成を一挙につなげてやってしまうという
離れ業を実現させた人物だ。
僕はあまり付き合いが深くないから
それらのプロセスが
どんなに大変だったかは人伝の話の域を出ないが、
実際にそれに近づけるように日々
農園で格闘している僕としては
到底出来もしない事柄に思えることを
次々にこなしている
矢島さんは偉大な存在だ。
風の人間として、甘楽町にやってきて
地元の人間を巻き込んで
海外に飛び出していく協力隊候補生の研修や
海外からやってきた研修員の受入れなど、
さらには飛び出していった協力隊OB・OGが
彼の元にまた集まり、
しかもその地域にIターンまでしている。
まさに、規格外の人物と言って良いだろう。

さて、そんな人物に会いに行ったのは
訳がある。
僕にもそのパワーを分けてもらいたいからだった。
最近、自分の周りの環境も大きく変化しようとしている。
独自に進めてきたインドネシアの農業研修事業は
今年卒業生を訪ねるスタディーツアーを実施し
1つの区切りを迎えた。
そして、その時の失敗と、
そこから見える次の未来への行動に
僕は迷いを感じていた。
先日の開発教育全国大会でも話したように
疲弊する農村と農業に足りないモノは
インタラクションなのだが、
それを生み出す仕掛けを作っても
なかなかその力は収斂されず、
常に分散し、単発的・散発的になり
運動力学的に方向性を見失ってしまう。
『地域』という言葉でくくる場が
常にぼやけてしまうことと、そこにいるアクターが
多すぎて、僕の手には負えないことが
その要因だけど、
ま、その辺りは地域を考える準備ノートのカテゴリで
考察していこうと思うので、ここでは省きたい。

さて、そんな僕らが
これからやらなきゃならないことに
立ち向かっていく覚悟を決めるために
僕は『東の矢島』に会いに行った。

その東の矢島は前回にお会いした時のごとく
「もうフェードアウトするんだよ」とぬかしつつも
最近の協力隊研修の様子や
新しく入ってきた子たちの活躍の場についてや
さらには新企画のゲストハウスの案まで
力強く話してくれた。
矢島さんの言葉には力があって
そこにはやり遂げる意欲と覚悟が
隅々まで含まれているからこそ
突破力となっているんだと思う。

ちょうど矢島さんに会う数日前に
妻と行動に言葉を付けていくことが大事だ、と
議論をしたことがあった。
人の行動そのものにしっかりとした意思が
あったとしても
それに言葉を付けていくことで、
改めて意識化されることも多く、
行動や考えに一つの一貫性というか
方向性のような
そんな力を与えてくれる。
矢島さんとの会話にそれを感じた僕は
ぼんやりそんな話をすると
「それは言霊ですね」と彼は答えた。
そう、そう、それそれ!
会話というインタラクションを通じて
お互いのこれまでの話をしていただけなのに
これからの行動になにか言葉が付け足されて
本当に自分がやらないといけないことが
言葉として浮かび上がってきて
それがその空間ではチープな単語ではなく
何かを突破できる力を秘めた
そんな言葉になっていく感じだった。
まさに言霊。
こういう人と話をするのは本当に楽しい。
さすがは『東の矢島』だと思った。

ちなみに東の矢島は
佐藤寛氏との雑談から生まれた言葉で
「矢島と田谷で『東の矢島・西の田谷』と呼ばれるようにならないといけない」
と発破をかけられたことがあった。
そのころから矢島さんはすでに
経験&実績ともに優れており
多分にその言葉は自分の不甲斐なさに
かけられたものだと思って
これまでやってきたのだが
まぁ、いまだに突破できない自分が
やはり不甲斐ないな。

今の僕に足りないものを
矢島さんとの会話で
たくさんいただいた。
多忙を極める彼が
直前のアポで会ってくれただけでも
感謝感激なのだが、
いろんな意味で力までいただいて
本当に行ってよかった。

矢島さん、また行きます。
僕も次の展開をお話ししに行きたいです。
また再会を楽しみに
それぞれの場でやりきりましょうね。




P6230741.jpg

お隣の集落に中橋農園という
大きな園芸の農園がある。
ここの社長は、僕の父の大親友で
良く二人で飲みに行っていた。
その中橋さんは
就農する前にはしばらくうちにも
研修に来ていたこともあった。

僕が中学生の時
福井県で受け入れたインドネシアの農家に
会いに行こうというツアーがあった。
それに僕はついていったのだが、
そこで中橋さんには良く遊んでもらった記憶がある。
その時から中橋さんは
僕がとても大好きな人の一人になった。
その中橋さんが、僕が高校生だったかの時に
結婚した。
僭越ではあったが、どうしてもお祝いを言いたくて
電報を送った記憶もある。

その中橋さんの長男が
今年大学を卒業し、実家の稼業を継ぐという。
で、うちで1か月ほど預かってほしいといわれ、
この6月、僕の農園で研修をしていた。
といっても、農園でみんなと一緒に働いただけだけどね。

とても大事に育てられたんだな、
というのが僕の彼への印象だ。
素直で、ちょっと珍しいくらい無垢。
いや1か月だから、葛藤は隠して
過ごしただけかもしれないけどね。
ただ本当に擦れていない感じで、
それが少し心配でもあった。
斜に構えるのが
僕ら世代が若いころからの習慣としてあり、
とくに順路にそって就職しない奴は、
たいてい、社会を斜交いに見る癖があった。
僕はそれがとても大好きで、
だから農園にやってくる奴のどこかそういうところを
僕は愛してやまない。
だのに、彼にはそれがあまりない。
というか、ほとんどない。
それがとても不思議だった。

ある意味ニュータイプなんだろう。
これからの農業を作り上げていく主体になるには
まだまだ修行が足りないが、
君が持っている感覚は
君だけのものだ。
それを自覚し、武器にできたら、
僕にはまねできない地域の主体に
君はなるだろう。
期待しているよ。






農家に学ぶという題ではあるが、
この方はべつに『農家』を
意識しているわけじゃないだろう。
こちらのカテゴリ別の事情で
こういう題になっているのであしからず。

河合のJA青壮年部で
今年初めて泊りがけの研修会に出かけた。
行った先は、奥能登。
泊まったのは農家民宿。
農家が農家民宿に泊まって何が面白いんだ?
と言う人は多かった。
夜、宴会もないし、
コンパニオンもつかないし、
繁華街へ2次会で流れることもできない。
そんな研修会には参加しないよ、という人も
多かったが、
1回目の研修会にはこの春蘭の里を選んだ。
辺鄙な中山間地で
田舎をサービス化して1軒40万円を売り上げる
農家民宿の団体が能登にあるという
情報は僕には衝撃だった。
米価は落ち、転作もパッとしない。
飼料米なんてとても未来があるような品目でもなく、
徐々に田舎の稲作経営は
身動きが取れなくなりつつある。
メガファーム化しても
地域・農村を考えるに
生産効率とコスト削減が
それらの活気につながっているようにも見えない状況で
僕らはもう待ったなしの状態なのだ。
だから、
まるで僕らとは対極にある
中山間地で生産効率も上げられない地域で
農家民宿として1軒が40万の売り上げを実現している
その場を見るべきだと思った。
参加人数は
青壮年部の事務局である営農指導員を含めて
12名。
それでも結構集まったと思う。

さて、
この12名で訪れた春蘭の里を
牛耳っていたのは、
春蘭の里実行委員会の多田氏という
能登が生んだ怪物だった。
平成8年ごろから
10年後の未来が見通せないとして
自分たちの集落を何とかしようと
有志7名で会を作って議論を始めた。
当初は山菜などの農産物販売で
1億円を目指したが、
JAの手数料や運送料などで4割以上経費が
かさむことが重荷になり頓挫。
5年間の議論を重ねて
農家民宿をやろうということで
多田氏の家を第1号に春蘭の里の
農家民宿をスタートさせた。
地域のモノだけで食事を出し
砂糖は使わず、塩も地元産の高い物を使用。
食器も輪島塗のものを使った。
そんな特色を前面に打ち出したが成功し
じゃらんや楽天のネット予約も
入るようになった。
現在までに延べ11,000人を受け入れ
外国人も1,700人を受け入れている。
イスラエルから10団体がやってきており
修学旅行も5団体受け入れた。
僕らが来たその2日前にも
千葉の船橋の中学校が、
大型バス7台を連ねて210名の学生を連れて
春蘭の里に泊まったという。
40件の登録された民宿で中学生を受け入れ、
それはそれはにぎやかだったと話してくれた。
そしてその帰り際には、
来年の予約もしていったそうだ。

1軒からスタートした農家民宿は、
現在では50件近く登録を行っていて
予約が入ればそれぞれの民宿へと
振り分けて調整を行っている。
料金は一律1万円程度。
民宿にしては高いと思われる料金だが、
安いサービスを提供するのではなく、
地域の特色を徹底して押し出して
高単価のサービスを提供するのが大切だと
多田氏は力説していた。
地域で採れたものを
地域の塗り物で、
その特色を演出するような食べ物と
暮らしと風景を提供するということだろう。
こういう取り組みが成功してか
リピーターも絶えないという。

その話の中で地域の創生を目指すにあたって
多田氏なりの3つのポイントがあった。
まず地域を考えるに
全体を捉えるよりも
仲間同士でとにかく先発して始めた方が
良いということ。
全体をどうするかの議論よりも
まずは気心が知れている仲間同士で
何かアクションを起こすことが大事だという。
全体をどうするかを
考えてばかりいればちっとも前に進まない。
それよりもできる人間が先発して始めれば、
その取り組みが成功すれば
皆ついてくるという話は、
春蘭の里の成功があるだけに
迫力があった。

次に、行政に頼るのではなく、
行政が応援してくれるような
団体(もしくは個人)にならないとダメだという点。
行政からの支援を期待するのではなく
すこし成功してくれば、
行政が応援してくれることも多いので、
そういう風に考えて
行動することが大切だとか。
「行政は権限があって、責任がない」
という名言も多田氏から飛び出し、
責任がないところに頼っても
結局そこの風向きが変われば立ち行かなくなるだけなので、
頼るよりも応援してもらえるような
ビジネスにならなければならない、
というのはとても勉強になった。

3点目が特にすばらしい視点だった。
「農業再生と農村の再生は別だ」
というこれも名言だろう。
農村は農業が主産業と思われているが
もはやそんなことはない。
地域にもよるが北陸はほとんどが水田地帯で
しかも兼業農家が9割の地域だ。
農業外収入の方が断然多く、
他産業の仕事+αで農業をしている人たちばかりだ。
そんな人たちが暮らしているのが
農村だ。
だとしたら、農業の再生を目指しても
農村の再生とは必ずしも一致しないのは
当たり前のことだ。
集落営農化や地域を越えてのメガファーム化が
進んでいる現状では、
100haあっても数名のオペレーターがいれば
それで農作業自体はできてしまうような時代だ。
それだけ技術も施設も進んだということ。
だが農村は数名では再生したとは言えない。
農村に蟄居する家族が
毎月40万の収入を得られるような
そんな地域づくりの仕組みが必要だと
多田氏は語ってくれた。

それらがすべて具現化されていたのが
春蘭の里だった。
で、1日だけの滞在という限定的な時間で
見えてくることとして、
修学旅行生たちの受け入れは
集落にもインパクトがあったが
かなり無理も出ているということ。
調整は今後の課題なんだろうけど
それぞれの民宿でのサービスの差は
どう埋めていけるのだろうか。
また一般的な家庭に民宿させるのか
それとも民宿としてのサービスを全うして
田舎を演出するべきなのか。
どの家でも出来るわけではないだろうが
田舎をもっと演出する何かは必要かもしれない。
宿泊費を1万円も取るのなら。

あと、地域で採れたものでの調理は
すこし無理があるようにも思う。
前段の家庭なのか民宿なのかの
議論にもつながるが
一般の家庭料理だと別に地域県内のモノに
こだわって食べているわけじゃない。
だのに泊まる場所のサービスと
食事とのこだわりの間にかい離があった。

もう一つは、それぞれの後継者。
この取り組みで若者が増えたのかという質問に
多田氏は正直に
それは特段増えていないと話してくれた。
この取り組みが
そこに住む次の世代から
どのように映っているのか、
どのように捉えられているのか、
そこに意識しなければ
世代交代は生まれないかもしれない。

というのは、
瑣末な批判かもしれない。
そう思わせるだけ
迫力のある民宿団だった。
一度、皆さんも泊まってみることを
おススメします。


PTAの庶務が終わったと思ったら、
今年は育成会だった。
皆さんの地区はどうかはわからないが
この辺りは、PTAの会長と庶務は
次年度の地区の育成会の会長と庶務を
務めるルールになっている。

ということで、
昨晩、地区の育成会の庶務として会議に参加。
正直、育成会という名前はこれまでもよく聞いていたが
何をするのか、さっぱりわからないでいた。
その目的も、会の起りも、背景も、文脈も。
だから去年からいろんな方から
「来年は育成会だね」とお声掛けいただくたびに
やや斜交いに構える僕は、
そんな会は要らないんじゃね?
と正直思っていた。
と過去形に書くとすでにカイシンしたのかと
思われるかもしれないけど、
やるのなら、ちゃんと中身を見ようとは思っている。
ただ、今、ものすごく多くの役を抱えていて、
それぞれの会のスケジュールをすり合わせるのが大変。
1年が3650日ならなんとかこなせるのだけどな。
今年の7月は土日すべてで、複数のイベントが
重なり合っているという事実は、
その手帳を見ているだけで、なんだか笑えてくる。

さて、会議に出ての雑感。
各集落の子供会の代表さんたちが
今年度の育成会の「常任理事」
(この言葉は適当かどうかは別として)。
つまりかなりざっくりとした理解だけど、
育成会は
子供会の地区の連絡協議会というか
その地区での大きな子供会とでもいうべきか、
なんかそんな感じ。
PTAが学校を中心にした教育の場を作っていく組織なら、
育成会は地域を場にして子供たちを育む組織かな。
理念と構想というか着想はいいね。

そこでジュニアリーダーという組織の説明もあった。
前々から聞いていたけど
それなに?って思っていた組織で、
みんなあまりにも普通に話すので聞けなかったが
昨日の会議で説明を受けた。

子供会は小学校を卒業すると抜けてしまう。
で、中学に通うといろんな地区の子供たちが集まり、
その場は、当然、その地区の子たちや大人たちによって
新たに形成され、
中学生は、やはりその場を中心に動き出す。
高校も然り。
そうなると地区(小学校区)のイベントや
集落のお祭りなんかに中学生や高校生が
参加しなくなる。
参加する場の変化と地区への想いへの希薄から生まれる
当然の結果なんだろうけど、
その縦割り的な考え方に
くさびを打ち込もうというのが
ジュニアリーダーだ。
地区の中学から高校までの子供たちを組織して
いわゆる子供会の次にステップの会として
運営することで
子供たちが中学・高校という場のみに捉われず
地域や集落へのつながりも維持していこうという
そんな思想を含んだ組織みたい。
これもまた僕のざっくりとした理解なので
あしからず。

以前、ずーっと前に
このブログでも書いたと思うけど、
子供会を抜けて、再びその個人が
集落や地区に係わりを持つまでの間が空きすぎている
(大抵、結婚して子供ができるまで地区や集落とはかかわりを持たない)
のが問題だというエントリーを書いたが、
すでに、そんな風に考えて
一所懸命動いている人たちがいたのね。
そんな人たちに出会えて、
なんだかうれしかった。
意識が希薄になりすぎると
再び集落や地区とのかかわりを持とうと
気にはなかなかならないし、
係りも面倒くさいものと思って
消極的&限定的になってしまうからね。

で、ジュニアリーダーとも係りを持ちながら
今年は育成会の庶務をすることになった。
僕の持論だが、
こうした既存の組織に参加することが
地域や地区や集落を盛り上げることだと思っている。
そして、そういう立場に身を置くことが
その組織の場を「地域」として自分が捉えなおし、
その立場でそこに係わることが
本当の「地域づくり」だと思っている。
その場は、組織ごとにもそして個人の中でも重層的で
どこが自分の「地域」なのかなんて
この不完全な認知能力しか持たない人間には
「場」をエリア的に定義づけても意味のないことで
自分がその人生を過ごす
その場の福祉(幸福)の向上を目指して
自分にやれる形で参加すること、
それこそがすなわち「地域づくり」だと思っている。
僕の殺人的なスケジュールをできるだけ調整して、
今年は、この育成会でも楽しみたいと思う。
そう思える会だった。



小学校の凧作りに
PTA役員として参加した。
凧作りは5,6年生の親子が参加するイベントで
地域の凧作りの会の方から、
作り方を教わりながら凧を作るというもの。
もともと僕らの小学校では、
凧作りの伝統があり、僕が小学生の頃も
毎年凧作りをしていた。

久しぶりに凧作りに参加して想った事は、
それは凧作りそのものの変化への驚きだった。
僕らが凧作りをしていたころは、
小学1年生から参加していたイベントだったが、
今では5,6年生のみ。
さらに、そもそも夏休みに親子で参加することはなく、
2学期の放課後や図工の授業中に
子供たちだけで作っていた。
たまに先生の裁量で、体育までも
その時間に割り当ててくれたこともあったっけ。
いまだったら、問題になるかもね。
そして、もっとも驚いたのは凧そのものの形だった。
5年生が平面の凧で、6年生は行灯凧(立体凧の基本)という
低レベルさ&基本の形を手順通り作るということだった。
凧の会の方々がよく飛ぶ基本の凧を用意してあり、
その手順に沿って親子で凧を作る。
そこからの逸脱は、ありえない感じだった。
ちなみに僕もPTA役員として
凧を一緒に作った。
そして竹ひごの結束にミスがあり、
「それだと和紙貼りが大変だね」
と凧の会の方が先回りして
失敗も丁寧に教えてくれた。

僕らが小学生の時は、
それぞれが好きな凧を作っていた。
3年生ですでに立体凧を作る連中もいたし、
たいてい4年生で行灯凧を作っていた。
6年生にもなると幾何学的な凧を作るやつもいたし、
大凧や連凧に挑む友人もいた。
凧作りの指導は、
一応先生たちもしてくれたが、
それぞれが個性むき出しに
自分のアイディアで
凧作りをしていた。
それが飛ぶかどうかは、常に二の次だったような記憶だ。
いや、作っている本人は、その凧は大空を舞うイメージで
一杯だっただろう。
でも、その形では飛ばない、と言われても
作り変える奴なんかいなかった。
そんな凧作りは、
もちろん、学校の授業中や放課後では
完成しなかったので、家でも作っていた。

親子で参加するのは、
それはそれで子供のころを思い出すようで
楽しい時間のようにも思えたが、
そこにはあのころにあった
自分たちの個性むき出しの
飛ばないかもしれない凧を一所懸命作る場では
なくなっていた。
もちろん、その反対であの頃にはなかったモノもあった。
凧作りの会という地域の人たちや先生や親を巻き込んだ
より地域的な関係はあった。
それはそれで評価したい。
でも、
僕が凧作りに感じていたあの感覚は、
そういう場じゃ生まれにくい。
なんだかそれがとても残念だった。
今の子供を取り巻く社会の文脈の中で、
凧作りは、地域とのかかわりの中で、
「よく飛ぶ凧」を作る場になっていた。
凧作りそのものが伝統化され、固定化されていた。
僕が思い出したかつての凧作りの場にあった醍醐味は
すっかり削り落とされているように感じた。
ちょっと残念だった。



気が付けば、8月も10日を過ぎていた。
この間のことを少し書こうか。

昨年は受け入れなかった早稲田の大学生を
今年は受け入れた。
早稲田大学の授業で、
いろんな地域の農村を体験する講座があり、
2007年から1人~2人、
数日間ではあるが受け入れしてきた。
うちみたいな農家は珍しいためか、
最近は結構希望者が多いのだとか。

今回やってきた学生さんは、
二十歳になったばかりの2年生。
まじめに実習にも取り組む好青年だった。
ちょっとイレギュラーがあって、
二日目に宿泊を予定していたスタッフが
風邪のため早退したので、
急きょ、インドネシア実習生と同室で寝てもらうことに。
インドネシアの子たちの話によると
彼はすぐにインドネシアの子たちに打ち解けて
その晩は、夜2時ごろまで騒いでいたそうだ。
どの道にどう進もうか、そんな悩みを抱えている彼には
帰国した後にどんな営農を行おうか
模索し続けているインドネシアの子とは
とても共感する部分があったのだろう。

さて、その一方で
農林中金に今年入った新人二人が
JA福井市で研修を行っていて、
そのプログラムの一環で、僕の農園に
二日間の農業体験にやってきた。
ちょうど早稲田の学生が来ている時に
重なったので、とても賑やかな職場になった。
農作業自体を体験するのは初めてだったようで
僕らのルーティンな作業も楽しそうに取り組んでくれて
それだけで僕らも楽しい気分になった。

やはりこうやって若い子が来ると
ちょっと悪い癖が出てしまう。
それは、「海外に行かないの?」とそそのかすこと。
20台の半分を海外で過ごした僕は、
彼らの年の時に、自分の将来へもやもやしながら
海外を貧乏旅行したものだった。
観光なんてせずに、ただただ田舎の町を渡り歩き、
気に入った場所には数日滞在して、
ぼーっとする。
ただそれだけの旅だったが、
それが僕の今の原点でもある。
だから、「海外に行かないの?」と
ここに来た若い人をそそのかしたくなる。
そのそそのかしに乗っかって、
今年7月から青年海外協力隊としてセネガル行ってしまった
北野君も、もとをただせば、
早稲田の学生として農業体験に来たのが始まりだったな。

すでに就職をしてしまった農林中金の二人は
僕のそそのかしに、ただただ苦笑いを繰り返すばかりだったが、
早稲田の子はまんざらでもなさそうだった。
ま、意外にこういう体験は
ボディーブローのように効いてきて
仕事辞めて海外に行っちゃったりしてね。
そういう意味では
新人研修の場所としては至極
適さない農園かもしれないね。

先週の土曜日は、
福井県のJA青年部協議会(県青協)のイベントがあった。
その中で、ちょっと面白い研修会があったので
それを記録しておこうと思う。

「農業政策を考える」というお題を付けた
農政研修会があり、
県青協の役員が農水省から来ていただいた方々に
農業政策のあれこれをぶつけていくという研修会。
農水省からは
国会で総理大臣や農水大臣の農業関連答弁を
すべてチェックする立場の経済局長・奥原さんの
ご出席をいただけた。
国の農業政策のトップともいえる人が
参加してくれたことで、
研修会もちょっと特異な熱を帯びていたようにも思う。

さて、研修会では
8つのお題が事前に県青協の事務の方で用意されていて、
それを役員で順番に質問していき、
その質問に奥原さんが答えていくという形式だった。
奥原さんの説明はどれも明瞭で
とても平易な言葉を選んで使っていただき
僕ら農家でも農政の方向性を知ることができた。
そのロジックは、端的な言葉で言ってしまえば
「市場原理主義」ということになるだろう。

さて一つ目の農政のあり方に対する
猫の目農政という批判に対しての奥原さんの答えは、
大きな転換期にきちんと対応できる農政ということだった。
その中で、本当に大切な部分は変化させないという
態度で臨んでいるようで、
戸別所得補償は今後廃止されるが、
認定農業者などには別対応を用意しているとのことだった。
その中で、
納税者が納得できなければ、コスト割れしていることに対して
お金を投入することはできない、
というお話をされていた。

面白かったのは規制制度改革と中山間地域の維持だった。
規制制度改革ではJA改革の議論だったのだが
戦後農地改革後の1ha専業農家時代から
第2種兼業農家が大半を占める農業構造の変化に
現在のJA組織がうまく対応できていない
といい、
食の市場は90兆円もあるにもかかわらず
農業生産の販売額は8兆円にとどまっている現状で
1円でも農家・農村にお金が回るような仕組みを
作っていくために必要な改革らしい。
そういう意味では、解らないでもない。
そのような議論は僕が大学生のころに(20年くらい前)
周りのリーダー的存在の農家たちは
よく議論していたのを覚えている。
だが、なんで今なんだろう?という疑問はある。
あのころには僕には見えていなかった
農地を通じてつながっている地縁を
JAの組織の性質がうまく重なり合って
地域内では主要な活動組織になっているという意味では
市場原理主義の立場から眺めれば、
それは意図せず派生した効果に過ぎないかもしれないが、
僕らにとっては
大切な地域福祉向上の結び付きでもある。
そのことを質問したが、
奥原さんからは、JAの総合的な地域へのサービス自体が
今後独禁法に触れると判断されれば
これまでのサービスが行えなくなる可能性もあるので、
農業分野や信用・共済、共同購入はそれぞれに分かれて
地域の結びつきでいうのならば、共同購入を
生協のような形で維持すればいいというお答えをいただいた。
でもそれって、農地によってつながっていた
イエやムラという地縁なんてどっかへ吹っ飛ばした
なんだか別次元のお答えだった。
機能的な共同購入というサービスの維持が
問題じゃなくて、
そこにある絆のカタチをどう維持していくか、が
僕らの関心ごとなんだけど。
たしかに、僕らにはもう
そのお答えに噛みついていけるだけの地縁が
自分たちの手元に残っていないことも自覚している。
だから、やっぱりJA改革は周回遅れだと思っていたけど、
それは
僕ら農村や農家にそんな力がなくなってしまったところを
見計らって、
おえらさん方のやりたいような改革をしようと
しているんじゃないかって思えてならなかった。
回りくどい地域の関係が薄れた今だからこその、
そしてTPPをはじめとするグローバルな社会で
もっと「儲けられる」社会システムを構築するためなんだろうな。

中山間地域では、
実際にそこで営農している役員から質問があった。
鳥獣害がひどく、地域の田んぼを電気柵で覆うとすれば
4000万円以上かかってしまうのに、
作業効率は悪いし、米価も下がり続けているのが現状だ。
中山間地域等直接支払制度もあるが、
超がつくほどの高齢化している現状で、
なかなか制度に手を挙げられる人がいない。
どうしたらいいのか?という
悲鳴にも聞こえる役員の質問に、奥原さんは
そのブレない視点で答えてくれた。

「中山間地だからこそ有利な面もある。」

だそうだ。
観光や魚沼産コシヒカリのようなテロワール、
森林放牧のようなやり方などなど、
中山間地でなければできないような営農をすればいい、
とのことだった。
その上で、
「展望のないところに大事な税金を投入し続けることは、すべての地域で、という意味ではできない。すべての地域が残れるということではないと思います。」
とノタマッタ。
いや参った。はっきり言いすぎで参った。
市場原理主義から全くブレない。
「弱者救済」や「環境保全」の思想は薄く、
儲けられないところに投資はできない、
という考え方。
儲からない山に人は住むな、ってことか。
ま、これがなんだかスッと頭に入り込んできてしまうのだから、
時代の力は侮れないな。

鳥獣害や4000万円の電気柵については、
産業政策の問題で、
今後ITなどの新しい技術が導入されれば
低コストかつ効果のある鳥獣害回避の技術が
生み出されるんじゃないか、と
とても楽観的なお答えだった。
奥原さん、あなたの視点であなたのお答えを眺めると、
そこに投資しても十分儲けがある場合だけ、
そうした技術革新があるように見えるんですけど。

福井の農業は米が占める割合が
富山に次いで全国2位の県だ。
だから米価の関心が高い農家も多い。
で、規制制度改革や直接支払制度の質問の中で、
米価の話題もあった。
米価が下がり続けている原因は、
やはり需要が鈍いせいだ。
でもそれ以上に今の米市場が過剰競争だとも
奥原さんは言う。
米市場で売買している会社は100社以上あり、
それが互いに競争し合って安い米を生み出しているという。
現状の中央会や農協の制度維持に力を入れるよりも
全農や中央会がリーダーシップを発揮して、
農林中金の資金70兆円を有効に使って、
米市場の業界再編に乗り出せばいい、と言う。
100社を2~3社に再編してしまえば
過当な価格競争はなくなって、安定して米を販売できる、
とのことだった。
そんな大物、というか化け物、今の中央会にいるの?
というか経済界全体を見渡してもいないんじゃない。
そういう意味で、中央会の株式会社かと
農林中金に信用事業を一本化させるってことなんだろうか。
でも国際的な米価とのギャップや
これからのグローバルな仕組みに変えようという
やり取りを見ていると、
そんなことしても価格維持は一時のことのように思える。

「農家の皆さんが、JAや中央会の方々と良く話し合ってもらうことが大事です」

それが米価を、
そして川下の利益を、
1円でも川上、つまり農家や農村に引き寄せる方策だという。
それは農業者として僕も賛成だ。
僕らの生産業界は、
とにかくびっくりするほど儲からない。
だからその分野を支える人も減っていく。

奥原さんは、だから、

兼業農家の方も居てもいいですが、基本的には認定農業者をどう守っていくか、どう支援していくかが産業政策として肝心です。

とお答えいただいた。
その研修会の場で、
役員と称される人たちの多くは専業農家で
もちろん認定農業者で、
そして最前列に座って奥原さんに質問をする立場にいる。
その後ろにずらっと座っている参加者には、
兼業農家も多い。
僕らは、農業政策を、
そして農協改革の政策を質していくという
農水省の方との対立軸をイメージして研修会を
進めていたつもりが、
なんだか会が進行すればするほど、
「専業農家 対 儲けられない農協」
「1円でも儲けを生み出した専業農家 対 それに乗っかれない兼業農家」
みたいな対立軸になっていっているような気がした。

この研修会が終わって兼業農家の方が、
こういっていたのが印象的だった。
「私らは、農水省の方がいうような経営や営農するほどの時間がないですよねぇ。販路や加工だなんて兼業だから時間ないし。田んぼだから兼業でできるからやっているだけで。」

これまでは、
地域の大切な構成員で組合員である
こういう方々がこれからも営農を継続していけるための
農協のシステムだった。
そのシステムに強化されて地域のつながりが
あった部分もかなりある。
それが今、揺らいでいる。
農水省の経済局長からは、
もっと効率よい営農とそれを支えるシステムを、
とみているのだろう。
僕らが主張していたようなことは、
たぶん総務省の管轄なのかもしれない。
それぞれの立場で縦割りに判断することは
ある意味でロジカルで効率的だろうが、
僕らはそうはいかない。
生産分野で食べていこうという僕らは、
グローバルな競争にさらされる危機感の中で、
1円でも利益を確保することが求められる。
その競争に勝つには、
地域のつながりや文化も縦割り的に判断を
下さないといけないのかもしれない。
むしろそうすることができた方が
ずいぶんと気が楽かもしれない。

でも、僕らの生活や文化は縦割りにはできない。
いつの時代もそうだが、
お上から降ってわいた縦割り政策を
僕らはいつも
それを自分たちの地域のカタチに
翻訳させながら(歪曲させながら)
自分たちも変化をしながら
受け止めていった。
もちろんそれらは、
すべてが自分たちに有利にできたというわけではなく
それによって無くしてしまったものもたくさんある。
翻訳失敗だって
僕らの生活の歴史の中にたくさん埋もれている。
今回のこうした変化は
僕らの農業や農村をどう変えようという力が働くのか
僕らはしっかりと見据えて、
自分たちが本当に守っていかないといけないものを
自覚しないといけないんだと思う。

奥原さん、とても面白い研修会、ありがとうございました。
農水省が、時代の変化に対応しながら、大きな変更を行う中でも、本当に大切な部分は変化させないという姿勢、共感しました。
なぜなら、それは僕らも一緒だからです。
あなた達から与えられる大きな変化も
僕らはなんとか大切な部分においては
骨抜きにできるよう頑張ります。






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ちょっとしたご縁で、
明治学院大学の学生さんを
農園で受け入れた。
頼先生のゼミの学生さん18名だ。

僕が主催する勉強会で
頼先生の著書を取り上げたのが
きっかけで知り合った。
そんなことってあるんだね。

さて、
せっかく学生さんが来てくれるというので
農業体験だけでなく
ぜひゼミをやりましょうということになって
3年生の学生さんたちが
TPPと農業についてプレゼンをしてくれた。
「何を選び どう生きるのか」というタイトルだった。
中身の詳細は割愛するが、
気になったのが、
国産と海外産の違いが
安心安全と値段の比較しか
彼ら彼女らに判断基準が与えられていないことだ。
それにまつわるイメージとして
いまだに
安心安全な食=無農薬という
安易な判断基準が
僕ら農家の未来を暗くする。

情報を受け取ってそれを正しく判断して
自分たちで選択していきたい、
と学生さんは言っていたが
上滑りしていく情報を
正しく取捨選択できるのだろうか。
ここ10年で500倍以上に膨れ上がった
膨大な情報の洪水を泳ぎ切れるのだろうか。
その信憑性をどういう判断の元で
信頼に変えて行動するのだろうか。
キャッチーなフレーズと
なんとなくのイメージに
判断を委ねていないだろうか。

ま、それを勝ち抜くための
より平易でわかりやすいフレーズを
僕ら自身も発信していかないといけないってことか。
ただ平易にする分
想いやこだわりが
そぎ落とされてしまう怖さもある。
有機農業や無農薬
といったキャッチーな言葉の範疇にない
僕らのこだわりは、
どうつたわったのだろうか?

ある学生は
「TPPで海外産か国産かって選べるのはまだ余裕があると思います。余裕がなくなれば、やっぱり安い方を選択してしまいます」
と正直に話してくれた。

これから一人前の大人になって
この社会を支えていく
学生さんたちの意識に
価格と安心安全以外に
売り場での判断基準がない以上
その土俵で戦う方策を
しっかり練らないとな、と思いつつ、
それ以外の土俵を
自ら作り出していかないと
こりゃ、やられるぞ、
と久しぶりに危機を感じたプレゼンだった。

明治学院大学のみなさん、
こちらもとても勉強になりました。
またこういう交流&ゼミやりましょうね。


まだまだ日の浅いPTA役員歴なので、
わかっていないことも多い。
だが、僕の目から眺めてみて、
これまで起きたちょっと僕の日常になかった
PTAにまつわる事柄と
それまで僕の「常識」だったことと、
そして、妻の姉の面白い記事との間に
とても面白い差異を見つけたので、
ここで記録しようと思う。
こういう差異が、
僕らの認識とその上に成り立つ社会の在り方を
鮮明に照らしてくれたりもする。


まず妻の姉の記事のリンクを貼ろう。

毎日新聞 2014年4月21日
『PTA:役員決めは罰ゲーム? やらない人はトイレ掃除も』

なるほど、都会のPTAは
新入学や進級したクラスに親たちが集まって、
そういう風に決めていたとは、
僕にはちょっと新鮮だった。

こういう決め方をすると、
ちょっとネガティブな感じになるよな~って
思うが、
だからと言って自分たちはどうかと言われれば、
そういうネガティブな空気はあるので、
同じと言えば同じの部分もある。
でも、違う部分も多い。

では何が違うか。
組織的なことでいえば、
僕らの小学校では、PTAと僕ら個人の間に
集落ごとの子供会があることだろう。
そしてPTA役員の枠は、
各集落の子供会に割り振られ、
その中で調整をつけるのが普通だ。
個人が全員直接集まって、その場で決めることはない。
集落も8集落あるが、そのうち2集落はとても小さいため
PTA会長といった大役は回さない決まりになっている。
ここでもPTAと子供会の間で調整が行われている。
町内の子供会での話し合いなので、
それなりに事情は加味されるし、
それぞれ知った間柄なので、
やらない人に罰ゲームなんてことはない。
たぶん。

では、話し合いで決まるかと言えば、
そういうときもある。
でも、今年の大役であるPTA会長職は
あみだくじで決められた。
ちなみにあみだくじにしようといったのは僕。
だって、話し合いだと全然決まらないというか、
始めっから、子供会メンバー全員が
僕に押し付けようというムードだったので、
あまりの不公平さに、あみだくじを提案したわけ。
結果、他の方がその大役を引き当て、
そしてその方から、それに続く大役・庶務(会長補佐役)を
頼まれて今年やっているというのが、今の構図。

義姉が書くように、
僕にとっても
PTA役員はやはり大きなプレッシャーになっている。
それがなんでだろうかって
最近よく考える。
一つには、仕事と生活のバランスが崩されることへの恐怖だろう。
平日は忙しくて、役員会なんて出席してられないし、
土日のイベントもなんだか億劫だっていうのも分かる。
平日会議に出れば、
その分生活と仕事の時間が奪われる。
土日のイベントも行ったら行ったで
結構楽しんでいたりするのだが、
休み返上だって感じてしまえば、やはり負担だろう。

もう一つのプレッシャーもある。
PTAという場は、これを発展させて何かをやろうという
雰囲気があるかないかは、
それぞれの組織体質があると思うが、
役員になったことで、大過なく過ごさねば、
といったプレッシャーがある。
決まった活動を決まった通り行うのだが、
そこにかかわる外部の団体や学校内の父母などから
過ちを指摘されるのが、
不思議と苦手な立場に追い込まれているような気がする。
慣れない役とその責任に押しつぶされるような
そんな圧迫感とでも言おうか。
そんなプレッシャーがある。

これら二つのプレッシャーはどちらも、
僕らの精神が自由を失う恐怖から来ている。

そしてそれは本質的に
PTAの活動と組織から抑圧を受けるから
生まれてくる恐怖ではないはずだ。
それらの状況で自分の精神が委縮することで
生まれる恐怖なのだ。
だから、僕は委縮する精神が
自由な広がりを感じられるよう意識しながら
これらの活動に取り組むことに決めているのは
また別の機会に書こう。

人が自由を体感する場面は、2つに分けられるべきだろう。
社会的なさまざまな束縛や抑圧から自由になることと、
人間の精神が自由なひろがりをもつことである。

どちらも同じように見えるが、そうでもない。
社会的な束縛と抑圧を取り除いても
人の精神の自由な広がりは自然とは生まれてこない。
また束縛と抑圧と思われる制度や組織があったとしても
それによって人の精神の自由は
損なわれない場合もある。

PTAにどのようなプロセスで
参加するか(参加させられるか)がまた
その組織の抑圧の感じ方に違いが生まれてくるし、
その中で自由な思考と行動を生み出せる場合もある。
僕らの例でいえば、
今年のPTA会長職は、
僕らの集落の子供会で決定している。
その時に、当時の子供会の会長さんが、
「○○さんに会長職をお願いした以上は、うちの集落挙げて○○さんをバックアップしていきましょう!」と力強い言葉をみんなにかけていた。
その言葉があったからこそ、会長から僕に
庶務という役を頼まれたとき
二つ返事で答えたのだ。

またこの前おこなった、地域の団体(公民館など)を含めての
PTA懇親会の話を例に出そうか。
その会は教職員歓送迎会も含まれており、
転出・転入の先生たちは、ご招待ということもあり、
一般参加の方の参加人数によっては、
赤字になることもある。
その場合は、PTA会長が自腹を切らないといけないらしい。
そんなバカなことあってはいけないので、
僕はこの会が行われる前から
自分の集落の子供会の方に話をして、
赤字が出た場合は集落の子供会の会員で
負担してくれるように頼んで、その了承を得ていた。

PTA総会でも
うちの集落の子供会から議長やお手伝いの方が出てくれて、
そういったことで頭を悩ますこともなかった。

仕事や生活の時間を奪われることによる
不便さは当然それで減りはしないが、
それでも個人が一人でその職責に立ち向かう必要はない。
これが義姉の書いた状況とは少し違うところだろうか。
だから、少なくとも僕は
PTAという組織とその職責から受ける
精神的な抑圧はあまりない。

またコミュニティに根差した小学校というのも
違うといえよう。
子供が通う小学校の親は、
その多くが小中学校時代の先輩だったり後輩だったり
同級生だったり。
地域の団体の長やお偉いさん方も
先輩や後輩や同級生の親だったりする。
閉鎖的にも見えるかもしれないこうした地縁は、
僕らに余計なプレッシャーを取り除く場合も
多くある。

個が自由にそこに立脚するために
多くの組織と制度を解体して
出入り自由な場をたくさん作ってきたが、
その反動で個が個としてその場に立ち向かう
プレッシャーもまた大きくなったともいえよう。
義姉が書いた記事は、
それがその社会が持つ精神的な習慣なんだろう。
だから僕には異質に見えたりもする。

だから記事にもあったが
PTAに積極的に参加されている方で
ボランティアや地域を巻き込んだ
新しくコミュニティを作る人も現れてくるんだと思う。
僕らにはそれが初めからあるのが当たり前だから、
それが不思議に見えたりする。

PTA懇親会である先生から
「普通PTAというと一所懸命やる方は2,3人だけですが、ここの地域は違いますね。地域挙げてやっている感じがします」と言っていた。
そう、それはもともと学校を中心として
それを支えていく集落の組織や連携してきた外部団体が
僕らの精神的な習慣で当たり前になっているからかもしれない。
そしてある先生からは、
「PTAの役職が生徒数に比べて多すぎますよね。街のPTAはもっと数が少ないですよ。やっぱり減らした方がいいですよね」
と懇親会で言われたが、
僕はそれを強く否定したい。
便利で自由さを増やしたいのなら
それは組織を無くしたり、減らしたりすることじゃない。
僕らの精神が自由な広がりを感じられる場を
それを支える人とのつながりを築き上げる中で
作っていくことに力を注ぐべきなのだ。
都会のPTAが先祖がえりのように
新たにコミュニティを作り上げて組織の有用性を向上しようと
しているのだから、
僕らが他の都会のPTAを真似することはない。
だって僕らの組織の在り方と
僕らの精神の習慣の方が
トップランナーなんだから。

僕は庶務という役を通して
今年1年、思い存分、
その自由な広がりを楽しもうと思う。




昨晩、PTAの合同委員会に出席。
合同委員会というのは、
各集落の評議員さんや学年委員さんすべてが
一堂に会して、
それぞれ割り振られた各部の活動について
話し合ってもらう場。
総務部ならばバザーだし、
教養部なら広報誌発行など
それぞれの年間活動を大まかに決めてもらう。
大抵は昨年通りなんだけど、
それぞれ部長さんのイニシアティブのもと
変更する活動もあったりもする。

さて、
そこに参加していての雑感。
娘の通う小学校は
一学年一クラスという小さな小学校。
で、集落から4人の評議員と
学年ごとに集落から一人の学年委員が
出てきて、そこにPTA役員を合わせると
実に、全保護者世帯の半分くらいが
この合同委員会の場にいることになる。
この状況を
皆さんはどう思うだろうか?

僕は以前、
子供の数が減っているのに
役の数が減らないのは異常だと思っていた。
今でもどこかでその想いはある。
だが、そう想う自分は、いったいどこに立って
物事を考えているかを冷静に見つめてみると、
すこしその想いも、僕には違って見えることもある。

保護者世帯の半分くらいがPTAの役につくというのは、
ちょっと他では異常かもしれない状況なんだろう。
合同委員会でもかつて役員をしていた方から、
「会則を変えて、PTAの人数を減らしたいね」と
言っていた。
確かに、なんやかんやと行事に駆り出されるのは
仕事やプライベートの時間を奪われるので
至極不快な時もある。

だが、かつて娘が通っていた保育園では、
保護者世帯全員が何らかの部会の役員を務めるという
変わった保育園だったので、
保護者と保育士といっしょになって
共同で保育を作り上げていくという実感があった。
ただその反面、参加が強要される場面も多く
なかなかタフな保育園だったが・・・。

PTAは子供のため、とかいうが、
なんだかそれは回りまわっての話かな。
確かに子供ためなんだけど、
もっと直球な感じでは、
学校運営に親も参加しようということなんじゃないかって思う。
行政からの運営費以外に
何百万というお金をPTAで動かして
それだけ子供の通う学校の運営を
手助けしている。
そしてそこで動く予算や活動に参加することで、
何が学校に必要なのか
その声もまた届けられる場でもあるんだな、と思う。
庶務なんてちょっと面倒だな、と思ってはいるが、
これはこれで面白いと思えるのは、
参加したいと思えば、それができる場がそこにあって、
自分の意思を伝えあえる場所があるってことだからだろう。

半分が役員だなんて素敵じゃないか、って
僕は思ったりもする。
どうせ、この後中学とか高校とかなれば
規模も大きくなって、だんだん手作り感のない
PTAになっていってしまうんだから、
今くらいこういう感じも悪くない。
しかも、そこに出てくる親は
昔の先輩だったり後輩だったり同級生だったり。
いいな~、こういうのって。
ネガティブな意見もたくさんあるんだろうけど、
それを引きずりながらも
なんだかんだ言っても
結構な参加率で合同委員会は無事終了した。

こういう場を大切にしたいな。
と思った夜だった。



昨晩は、JA福井市の青壮年部役員会。
今年は、この部の副部長を仰せつかっている。
といっても、
別段、僕というパーソナリティで
何かをするわけではなく、
役員みんなでやっていくというスタイルなので、
若輩者の僕としては、いくらか気楽でもある。
そして何よりも、楽しい。
これが一番大事。

さて、楽しい理由の一つに、
4Hクラブで一緒にいろんなことをやってきた
仲間が今回、青壮年部の役員に入ってきたということも
関連している。
彼らを見ていると、
この場ももっと変化していくそんな期待感が
生まれてくるから不思議だ。

今回の役員会では
上半期の活動について話し合った。
その中で、
消費者交流事業という食育の活動があり、
今年は昨年から続いている活動を継続することになったのだが、
来年度はどうするか、を今のうちから話し合いもした。
まだまだ未定なのだが、
4Hクラブで一緒だった仲間が、
その時から僕らと一緒に温めてきた活動を
やりたいと言っていたのが僕は無性にうれしかった。

4Hの時は、
ある保育園と一緒にその活動をする予定で計画を立てていたのだが、
保育園側から、アレルギーもある作物だから、という理由で
断られて、そのままになっていた。
そのあと僕はその活動そのものを忘れ去ってしまっていたのだが、
昨晩、それがあの時の熱気を帯びて僕の中に
再浮上してきた。
やっぱり、みんなでやる活動は、こうでなきゃね。

仲間が提案した活動が
そのまま消費者交流事業になることはないかもしれないが、
たぶん、ここの場でも僕たちは
何か面白いことをするんだろうな、と
期待が膨らんだ夜でもあった。

と、いうことで、
昔のお仲間さんたちへ。
それぞれの地域で、早く役員になって
ここの場へ出てきてくださいねー。
じゃないと、面白いこと始まっちゃうよー。




もう自分でもバカバカしくなるのだが、
6つ目の役が舞い込んできた。
今度は地区の公民館の運営審議会の委員。
たしかに、地域の活性化を眺めていこうと思うと
公民館は一つの拠点でもあるので
かかわることができるのなら、
望むところだと思っていた。

が、しかし、いくらなんでも6つは
役が重なりすぎだろう。
任期は2年。
来年は大きな役が待ち構えているだけに、
僕はこの役を不義理せずにこなせるのかどうか
かなり心配でもある。

とにかく、こうして公民館活動にも
エントリーすることができたというわけだ。
前向きに
そしてお気楽に
考えることにしようっと。



庶務は大変だと言われたが、
はたしてそうだと言わざるを得ない。
だが、それを言ってしまえば、
なんだか負けになるので、
やはりよそう。

さて、今、僕の庶務の仕事は
PTA総会に向けて開かられる役員会や学年委員会や
合同委員会などの資料作りだ。
これは昨年の資料をもとに
そのデータの日付を変更するだけだと思っていたが、
どうも庶務担当の先生と親の庶務とで
持っているデータが違うようで、
会長から作成指示があっても
僕の手元にないデータがいくつかある。
そのたびに、データをあちこち探す羽目になり
なんだか効率が悪い。
ということで、役員さんには先生も含めて
全員宛のメールで情報共有を図ろうとしているところだ。
だが、なぜか皆さんからの返信は、
僕個人宛になっており、
情報が共有できず、再び僕からみんな宛に発信するという
至極非効率的な作業が続いている。
PTAはこういう文化なのだろうか???

さて、本題はそこではない。
総会後に開催予定の先生たちの歓送迎会&
各種団体の懇親会だ。
この歓送迎会はPTAが主催するようで、
先週から招待状作成やそれを送る人のリスト作り、
さらには一人一人に配って歩く作業と
やや忙しかった。
この作業を通じて感じたことだが、
学校を中心に地域のつながりがあるということ。
それは当たり前のことなのだが、
自分が思っているよりもそのつながりが
広範囲にわたっているということだった。
消防団や駐在所、公民館・老人会は妥当だが、
商工会や農協まで招待することになっており、
さらにはある農事法人組合までご招待になっていた。
昨年からの引き継ぎで、
これまで招待した役職のリストに沿って
招待状を配って歩いたのだが、
なぜ農協や農事法人組合まで入るのかは
やや理由が不明だった。

会長に聞いても
「昨年も呼んでるから」
との回答でよくわからないらしい。
農協の方も
「ほかの地区では呼ばれないんだけど」と
やや困惑した様子だった。
PTAや学校の費用を農協の口座から落とすからだろうか?

地区内には農業生産法人や任意組合はほかにもあるが、
なぜか一番大きいハーネスだけ招待状を送る。
推測だが、学校で取り組んでいる田んぼ体験の管理を
ハーネスが行っているからだろう。
だが、本当はその体験田んぼの主催は
農協青壮年部河合支部なので、
招待状は青壮年部の河合支部長宛なんじゃなかろうか?
と、僕なんかは思ってしまう。
(青年部がハーネスに依頼して田んぼの管理をお願いしてはいるけど)

まぁ、今度の歓送迎会の時に
歴代のPTA会長さんたちも来る予定なので、
そこで理由を聞いてみようと思う。

いずれにせよ
僕が昨年の資料から作った招待状のリストが
ある意味、この地域のカタチということだろう。
とても興味深い。

先週末は、農園のイベントだった。
農園では、一昨年から食べてくれる人たちと
交流できるようなイベントとして、
農園を解放してBBQイベントを開いている。
たぶん、僕一人だったらやろうなんて思わないのだけど、
(というか、思ってもなかなかできない)
ここに集った仲間に触発され(そそのかされ?)、
開催している。
こういったイベントは、
就農したころから描いていたことではあったのだけど、
まぁ、いつになるかわからんけど、できたらいいね的な
想いをずっと持ってはいた。

たぶんそこにイベント好きの大西と
ギター一本で場を変える佐藤が来なかったら、
いつになるかは本当にわからんかっただろうな。

さて、今回のBBQは
この時期にしか味わえない春と冬の境目の野菜を
たんまりとみんなで食べた。

前菜は、
ベビーリーフのサラダ
生スティックニンジン
茹でロマネスコ 
などをお好みのドレッシングで。

僕の自慢の特注9ミリ鉄板では、
フェンネル
根セロリ
セロリ
ニンジン
ごぼう
などを一種類ずつ蒸し焼きにして食べた。

メインは、
フェンネルと根セロリのホイル焼き&鴨ロースハム添え
お肉と野菜の炒め物・黒キャベツと春キャベツの雌雄対決バージョン。

サイドディッシュに
妻が前日から煮込んだミネストローネ
農園のコシヒカリでにぎったおにぎり。

と、結構な野菜の量を準備して
40名近いお客さんを待ち構えたのだが、
なんとすべて完食。
いつもは結構余るのだが、
今回は一つも余ることなくみんなで食べきった。

農園のイベントにはかならず音楽がつきもの。
今回はインドネシアの研修生と
佐藤&北野とで作る「農園たや~ず」のバンドが
フォーチュンクッキーを演奏してくれた。
映像はこちら

インドネシアはジャカルタにAKB48の支部である
JKT48がある。
なので、フォーチュンクッキーは
インドネシア語バージョンもあり、
今回の演奏では、日本語とインドネシア語を
交互に混ぜて演奏してくれた。
農園の今を表すのにぴったりな一曲だった。
ここに至るまでの過程や
この日の経験、
そしてそれぞれの記憶と印象が
僕らの新しい文化や考え方につながっていく。
一曲をいろんな言葉で、
それぞれが想い描きながら、
混乱し錯綜し、でも楽しみながら
演奏されたこの曲には、
うまく言えないけど何かが形づくられているように思う。
そしてそれは僕ら農園の日常だったりもする。
何かを議論するよりも
こうして何かをこれからも作り上げていこう、
とそんな気にさせてくれる一曲だった。

最後の曲は、
北野君が作ってくれた農園たやソング。
ずっと前から彼に依頼していたのだが、
ようやく彼がこの地を離れる直前になって
この歌は完成した。
映像はこちら

とても歌いやすく、楽しいこの歌は、
これからもずっと歌っていきたいな。
そしてたぶん、
僕らは常に
この歌を歌うときには、
北野君を思い出しながら歌うことになるだろうな。

食べてくれる人たちを呼んで
楽しく食べようと企画した会だったのだが、
いろんな人がいろんな風にかかわりあう中で、
僕らが意図したその範疇を超えて、
春の食べよう会はいろんな記憶を残してくれた。

何かを食べるという
とても単純な動物的な行動には、
僕らが人であることを証明するかのように
その行為にはいつも何かがついて回る。
だから、
たまにはこうしてみんなで集まって
一緒に食べたくなるんだと思った。

次は、夏野菜がたっくさんとれる時期に
開催する予定なので、
また皆さん関わってくださいませ。
何かまた新しいモノをみんなと一緒にその場で
生み出しましょう!



えっと、今日はJA青壮年部の県青協の総会。
そこで、県青協の役員をいただいた。
これで今年5つ目の役。
この役は好まざるとも
今思っていることで
地域を盛り上げようと思っている限り、
避けて通れる道ではない。
であるなら、
そこに向かって自ら進もうと思って、
この役も半ば自分から志願して
受けた。

今年は本当に役が多い。
地区のJA青壮年部の副部長。
JA福井市の青壮年部の副部長。
JA青年部の県青協の委員。
町内の青年会の総務。
そして小学校のPTA三役の庶務。
さすがにスケジュールを調整するのが
難しくなりつつあるが、
どれもこれも地域の盛り上がりを考えたら
受けないといけない役ばかり。
ある人は、
「役なんて一文にもならない」というが、
僕に言わせれば、
損得で地域の福祉なんて
考えちゃいけない。

母方の家には、こういう言葉がある。
「学校とお寺はみんなが通る道だから、そのための役はなんでもやりなさい」と。
だとしたら、そのロジックでいえば、
JAも学校も地区の青年会も
みんなが通る道なんだから
その役は僕は引き受けよう、と考えている。

まぁ、体は一つだから
できることしかできないけどね。
兎にも角にも、
今日、今年5つ目の役をもらったことは
ここに記録しよう。




みんなから、
「それは一番大変かもしれないよ」と
言われる。
そんな役につくことになった。
それはPTA役員の庶務。
もちろん一番大変なのは会長さんだと思うけど、
それを補佐するこの役も大変らしい。
まぁ、みんなPTA役員のことを
「大変」という冠詞をつけて話す風習があるようなので、
どれがどのくらい、本当に「大変」なのかは
やってみないとわからないけどね。

庶務は、PTAの役員会や会議の書類作りや司会進行、
そして会計の一部とお知らせづくりなど
まぁ、いわゆる事務運営一般すべてをやるってわけだ。

僕もなんでこの役をやることになったのかは
いまいち不明のままだが、
とにかく、こういう世界もまた
地域の一つなんだろうと思って、
たのしんでやっていこうと思う。
これでブログのネタも増えるしね。
そう思えば、「大変」も実は
ちょっと面白い程度かもしれないって
自分に言い聞かせて、
やっていこうと思う。




先日、JA福井市青壮年部の総会に参加した。
この総会で、今年も役員に選出され、
今年は副部長という重責を賜った。
冒頭の佐野部長の挨拶が
皆、長すぎだと言っていたが、
僕にはいろいろと考えをめぐらせてくれた
とても良い挨拶だったように思う。

それは、今、農業の構造的変革を
その時代が必要としてるような風潮があり、
まさにTPPとリンクして、
これからグローバル資本主義とどう対峙していくべきか
それをついにこの農業の現場で強く感じる時代が
来たことにも関係している。
佐野部長の話では、
農業の規模拡大が謳われているが、
それは全員の規模が拡大することではないということ、
多くのアクターには退場してもらわないと
いけないということを含んでいることへの危惧だった。
僕らは農業を産業として見ていく必要がある反面、
その生業と生活が同じ場で行われているという
特殊な(昔はそれが普通だったが)労働環境の中で、
自分たちの生活の福祉にも大きな役割を果たしてきた。
農業人口が減る=地域の福祉力が低下する、というのは
これまでも掃いて捨てるほど議論されてきただろうが、
もうそんな議論にも力を持ちえないほど、
現在の経済システムの中では、
個々の農業の力は衰えてしまっている。
サブシステムとしての里山資本主義みたいなのもあるから、
まだまだ議論は続くだろうが、
さてその議論の先はどうだろうか。

それでも高齢化と若者の農業離れと
それを起因している現システムの中での収奪によって、
さらには経済成長の末期を象徴するような
膨れ上がりながら貪欲に人々を吸い続ける都市に、
地域を支えるアクターが奪われているのは、
僕らが一番その現場で感じていることだ。
だからこそ、
そういうアクターが減っていかないような仕組みが
これからは必要になっていくように思う。
(増えていくと言いたいところだけど)

そして、
地域にかかわる入口の一つが
このJA青壮年部だと僕は強く感じている。
その想いは、僕が東京で青年の主張の発表をしたときに
青壮年部の方々の力強い支えを感じた時から始まっている。
だから
青壮年部でも新たな部員(青壮年部では盟友という)勧誘に
上限10万円の特別活動支援金を
佐野部長の強い思いと一緒に予算に盛り込んだ。
活発な活動が人々をひきつけるというわけだ。
それがカンフル剤になるのかどうかは
それぞれの支部の頑張りなんだろうと思う。
そして
JA福井市青壮年部という
それぞれの地域に根差した支部の上部組織の役割は、
それぞれの支部が力を発揮できるように
支えたり、時には刺激したり、というものなんだろう、
と勝手に考えている。

僕に何ができるのかはよくわからないが、
今年はもう少し僕も深く考えて、
そしてこの場で行動していこうと思っている。





先週末は、国際開発学会の全国大会に参加した。
たまにはアカデミックな空気を吸いながら、
普段使わない脳みその部分に
刺激を与える必要がある。
そうしないと、僕らの活動も営農も
停滞してしまう気がするから。

さて、今回のエントリーは、
学会の話ではない。
恒例の全国大会開催地の農家見学について書こう。

今回お邪魔したのは、
かつて青年海外協力隊で同じ任地で、
活動していた「竜さん」が働いている
大阪は泉州の農業法人ツユグチさん。

竜さんとは彼の結婚式以来の
10年ぶりに再会をした。
同じ任地の農業隊員ということもあって、
けっこう意識した相手で、
誰よりも現地に馴染んでいるのが
当時から羨ましかった。
現地の方よりも色黒で、
それがまた羨ましかったりもした。
10年経って再会しても、
冬だというのにやはり肌は黒かった。

さて、ツユグチさん。
大阪の郊外で、水田中心に行い、
裏作で玉ねぎなどを作って経営している。
区画整理されていない
ぐにゃぐにゃに曲がった田んぼばかりを
40町ほど作っている。
1枚の田んぼが1反にも満たないものも
珍しくなく、
そんな場所で米農家で40町は
なかなか忙しそうだった。

面白いのは裏作。
泉州と言うこともあって、やはり玉ねぎが主力だった。
米を収穫した後の田んぼを起こして、
畝立てをして、そこに玉ねぎを植え付けていく。
11月まで稲刈りがあり、その後、
玉ねぎの畑を準備して、
11月下旬から2月まで玉ねぎを植え付けていくのだとか。
2月に植えた玉ねぎは
やはりそれほど大玉にはならないらしいが、
6月には収穫して、即その田んぼでは
田植えをするのだという。
そんな玉ねぎを6町ほど作っているとか。
そんなことに驚いていると、
社長の露口さんは、
「うちはまだ余裕のある方だ。近くの法人だと田んぼが終わった後で、その水田に急いでキャベツを植え付け、1月に収穫してから、その田んぼにすぐに玉ねぎを植えて、それを6月に収穫したら、その田んぼは7月には田植えをするんだ」と教えてくれた。

いやはや
太平洋側の農業は、
なんとも羨ましい。
曇天で積雪のある福井では、
とても冬の間に田んぼで
何かを作るといった発想には立てない。
どうしても物理的に無理だからだ。
ところ変われば、
こうも農業のカタチが変わるものなのだろうか。
天気の違いが、特急で2時間しか離れていない地域でも
こんなに生産様式の違いを生み出している。

大阪という巨大消費地の近くというのも
大きな特徴になっている。
それだけたくさんの米や玉ねぎを栽培しているのだが、
ほとんど直売所や給食でさばけてしまうらしい。
付き合いで卸にも出すようだが、
メインは直売と給食。
自社の直売所もあって、
小さなカーポートを改造して作った場所で、
おばあちゃん一人が店番をしている
小さな直売所だったが、
それでも毎月30万以上は売り上げるとか。

ただ良い事ばかりでもない。
都市化の波がすぐそばまで来ていて、
農地開発の圧力を感じるとか。
徐々に農業をやめていくお年寄りの農地を
引き受けつつも、
駅前再開発に伴う都市化によって
農地も同時に失っているらしい。
そういう意味では、
未来は決して明るいわけでもなさそうだった。

小面積でも利益が出せる園芸にも
一時は力を入れたこともあるようだが、
細かな作業になれないのと
最近の機械力の向上があって、
大規模の水田露地園芸を志向している。
これもこれまでの天候から生み出された生産様式の
習慣化によって、それぞれの作業で、
その気性に合う合わないが生み出されているのかもしれない。

そう思うと、
北陸のような曇天で積雪の多い
一見して園芸不利地に見えるような場所でも、
露地園芸になかなか活路を見いだせず、
しかも大規模稲作もTPPなどの時代の潮流から見たら
安定性を欠いでいるような状態を考えると、
天気が作り出した生産様式とその気性から、
僕らのような中規模園芸で多品目栽培の道は、
それほど的外れではないのかもしれないと
思う所もあった。

祖父などが、その農法がその人に合っている場合に
「手が向く」とよく表現したが、
生産の物理的な要因プラス
その人の気性がどこに向いているのかも
その農法につながっているのだろうと思う。
他を学ぶことで、
自分たちの本性も見えてくる。
これだから「農家から学ぶ」は
やめられないのだ。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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