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少し前に地元の小学校の3年生で授業をした。
社会科の授業で、農業について学ぶ時間があって、
特別授業として僕が少し野菜について話をした。
で、今回はその小学生たちが
直接農園に見学に来た。

事前にずいぶんと先生が仕込んだのだろう。
農園に来た小学生は、まさに好奇心の塊だった。
触るもの、見るものすべてに興味があり、
どんな小さなことも見逃さないぞ!というような
そんな雰囲気に満ちていた。

ハウスの中の土を触れば、
「どうしてこんなに柔らかいのですか!?」
と感嘆の声。
田舎の子なんだから
土なんていくらでも触っているだろうに。

ハウスの入り口に石が積んであれば
「どうしてここに石があるんですか!?」
だってさ。
別に意味はないよ。

もちろんベビーリーフの畑も見せた。
これが一番の目的。
前回の授業でもベビーリーフの話をしたし
先生からもベビーリーフ中心でということだった。
生徒たちはここでも好奇心に満ちていた。
試食で渡したルッコラは
奪い合うように食べ合って、
そしてその大人の辛みにほぼ全員が
「から~い!」とのたうち回っていた。
ははは、その良さが分かるまでには、
もう少し先かな。
それまではいろんなものを食べて、
もっと多様な味覚を身につけようね。

その後は質問攻めに会い、
予定時間を10分もオーバーし、
「休み時間が終わる前に学校に戻るぞー!」
と先生を先頭に走り去る生徒たちを見送った。
最後の最後まで
好奇心だった小学校3年生。
湧き出るような好奇心と質問。
防草シートを突き破って、
勝手に生えている草を指さし
「どうしてこの草をここに生やしているのですか?」
という質問までもらった。

どんな事前学習をしたのか、
全く見当もつかないけど
とにかく飽きやすい子供たちが
最後の最後まで好奇心の塊だったことに
驚きだった。
学びは教室の外にもあふれている。
まさにその通りだと思う。
それを感じ取る力を伸ばしてあげることが
教育なんです、と
走り去る先生の背中が僕に語りかけていた。
全国一番の教育を誇る
わが県の実力を見せつけられた、
そんな見学会だった。
先生、お見事でした。



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ちょっと前に
河合小学校で授業をした。
3年生の社会科の授業で。
ちょうど小学校3年生で
農業の勉強があるという。
そういえば娘も去年、そんな話をしていたか。

先生がとても気持ちのある方で、
実際の学びは教室の外にあふれている、と
静かに、でも情熱をもって話されると、
僕は協力せずにはいられなくなる。

で、簡単にではあるが
野菜の農家のサイクルや珍しい野菜などを
授業として話した。
事前に質問も考えていたようで、
質問タイムは手を挙げる競争のように
みんなが積極的に質問してくれた。
最近、こういう質問攻めに会うことって
ほとんどなかったので、とてもうれしいね。
高校生や大学生はほとんど質問でないしね。

しかもその質問の中に秀逸なものも散見された。
3年生の考えそうな質問だと
野菜作りの楽しさはなんですか?
くらいが出てくれば大したものだと思っていたが、
中には
野菜の価格はどうやって決まるのですか?や
どうして野菜作りをしようと思ったのですか?
なんてちょっと本気で自分を振り返ってしまうような
質問もあった。
そういや、どうして野菜作りだったんだろうね。
実家がもともと野菜農家だったからという
安直な答えが一番正解に近いんだけど、
なんだかこの問いは気になって
今でも頭から離れない。

侮れないね、3年生。
先生は、
「本当は子供らが自分で農家さんを訪ねて行って調べてきて、それを教室で発表し合うのが一番なんですが、そこまでなかなか手が回らなくて」
とおっしゃっていましたが、
先生、それ、大学生でも難しいですよ。
意識を持って授業に臨む。
これどれだけの学生が出来ているんだろう。
それを実践されている地元の小学校の先生に
本当に敬意を表したい。


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石川で行われた
開発教育の全国大会に
パネラーとして登壇した。
15分間という短いプレゼン時間だったが
協力隊の経験を
実際にどう現在の仕事に活かしているか、
そういう発表をしてきた。

キーワードは
インタラクションの加速と
行為能力(エージェンシー)の向上。
協力隊の数々の失敗や
その後、僕が大学院で見て回った開発現場では、
この二つの現象が起きていた。
よそ者としての他者が係ることで、
地域で固定化されていた関係が崩れていく。
出来ないと思っていたことも
想いもつかなかったことも
その関係性の変化の中から生まれてきたりもする。
それが行為能力の向上につながる。

その変化を無数に生み出すことが
開発現場で行われていることだとすると、
地域創生や農業再生と言われている
今、僕らが係っている現場では、
なぜそれが創生や再生の対象になるのかを
見つめてみれば、
そこにはインタラクションの欠如が
見受けられるだろう。
だとしたら、答えはそんなに難しくない。
インタラクションを加速させればいいのだ。
勉強会を開き、若手を集め、
その中から農業を志向する連中を見出し、
食べよう会でみんなでBBQをして
作り手と食べる側の関係を良くし、
海外から研修生を受け入れ、
いろんな地元の行事にも研修生たちを巻き込み、
自分たちもスタディーツアーとして
研修卒業生たちの地元を訪れたり、
海外と地元の高校間の交流を促進させ、
大学のゼミごと農園で受け入れ、
そして協力隊に参加したいという候補者を育てる。
そんなことを
遮二無二やり続ければ、
たぶん、インタラクションの加速から
係るすべての人たちの行為能力が向上し、
そのエリアと業界が創生し再生するんじゃないか。
そんな風に思って
ここ15年ほどの活動を
一気に15分にまとめて話してきた。
こういう機会があったからこそ
自分の考えもよりまとまったように思う。
こういう機会をくれた関係者に
感謝したい。


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商工会主催の
アグリビジネス勉強会の方々を
受け入れた。
農業に参入したいと思っている企業、
もしくはすでに参入している企業、
またまた農家とコラボしたい企業など
そういった方々が集まって
勉強会を開いている。
僕もその会に、冬に一度だけお邪魔したことがあったが、
今回はその皆さんが農園に見学に来た。

農園を形作っているのは
この3つだろう。
「堆肥場」「九頭竜川の沖積土」「インドネシア」だ。
もちろんハウス群や出荷品目の多さや
若手の力や多岐にわたる販売チャンネルなども
大事な要素だが、
土台は何か?と問われれば、
この3つだ。

堆肥場を用意したことで
農園は比較的有機物を
優位に投入できる状況を確保できている。
これがなければ、
僕らの個性ある野菜の価値は
半減だ。

そしてその畑は、
九頭竜川が運んできた肥沃な沖積土で
なければならない。
テロワールはとても大事な要素。
この土がなかったら、
僕らはこんなに野菜を作らなかっただろう。
その風土に合った野菜作りをするから
僕らは評価を受けているんだと
そう思っている。
だからもっと鋭く、もっと深く、
この要素を磨き、突き抜けていきたい。

そして「インドネシア」。
農園を支える研修生たちは
僕らの独自研修プログラムで
やってきている。
そして僕らも彼らの地域開発に
まだまだ深度は浅いにせよ
係わりを深めていっている。
労力・視点と思想・そして僕らと彼らの未来への夢想と
そこから派生するやりがい。
そんなものすべてを
僕らはインドネシアの人と地域と
一緒に共有していきたい。
だから、それをやってみたいという人たちが
ここに集い、
僕らはそれぞれの花を
相乗的に咲かせていく。
これが僕らの農園だ。

だから経営の数字の事や
どうやって規模拡大の経営計画を立てていますか?
を聞かれてもあまりよくわかっていない。
もともとそういうのは不向きだしね。

といった見学会でした。


家庭科の授業で
地産地消に絡めた授業があり
地元で農業をしている僕に
話をしてほしいと
母校の小学校の先生から依頼があった。

協力隊から帰国してすぐのころは、
小学校で年に10回以上講演してまわっていたが、
ここ最近は小学生対象はなかった。
なので、何をどう話そうか
直前まで悩んだ。

ごぼうの話ということで、
妻のアドバイス通り
クイズ形式で話を組み立ててみた。
「ごんぼの風景」と題を付け
ごんぼ(ごぼうの方言)の植物としての生態や
どの国で食べられているのかという文化などを盛り込み
なぜ昔、河合のごんぼは美味しい、と
言われてきたのかを
地理学的にも話をした。
九頭竜川という暴れ川が
大野や勝山の山を削り
それが大安寺の山にぶつかり
大きくカーブをする場所が河合地区だ。
削った山砂を
河合の川辺に落としながら
数万年かけてここにとても肥沃な沖積土の
きれいな砂地の畑を形成した。
その偉大な自然を
僕らはごんぼ栽培に利用しているという話。

スーパーに行けば
いつでも売っているごぼう。
でもそれは貨幣とはまた別の価値と視点で見れば、
交換できないほどのとてもかけがえのない
生産様式が足元の河合にあると
小学5年生たちに知ってほしかった。
それは味や見た目や収穫量といった
スケールで評価できるものでもなく、
今ここの地にある、
僕らの住むこの場所のかけがえのない価値という
そういうものに気が付いてほしかった。

最近、河川工事で
洪水防止のために
数万年かけて自然が生み出した
僕らのかけがえのない畑が
撤去されている。
それを守れと言いたいわけじゃないが
その価値もわからないまま
知らないまま
気が付かないまま
消えていくことが
とても口惜しいだけだ。

だから、僕最後のメッセージは
「河川敷の畑は耕作放棄地が多いので、みんなも興味があればぜひごんぼ作ってみてくださいね」
だった。
伝わったかなぁ???

続けて、
もう一つ書こうか。
近畿大学農学部で講義をしたのは
前回のエントリーで書いた通り。
その感想をJOCAの友人が
その日のうちに送ってきてくれた!
いやいや仕事ができますねぇ。

で、おもしろい質問もあったので、
それに答える形で一つエントリーとしようか。

大学時代のバックパッカーの話もしたのだが
それについての質問も多かった。

「タイやインドネシアに行っている間、家族とは連絡は取れたのか?」

うーん、バックパッカーの時は
基本、日本との連絡は誰とも取れていない。
当時(1990年代の中頃)は
携帯電話は一部の金持ちの道具だったし、
インターネットもほとんど普及していなかった。
固定電話と手紙が連絡を取る主なツールだったし。
旅先から、自分が撮った写真(フイルム)を
はがきサイズで現像して、
その裏にメッセージを書き込んで日本の友人に
送ったりしていたかな。
連絡のツールが今みたいな携帯やラインなんて
無かったから、
そんなに頻繁に連絡取らなくても
別にだれも心配しなかった世の中だったしね。

「お金と時間に余裕がないとできないと思ったのですが、バイトしながらでも時間があったのか気になりました」

という質問は、たぶんバックパッカーで
最長2か月くらい海外を
ふらついていた話についてかな?
大学生時代バイトは結構していた。
車の工場でダクト清掃、
病院の夜間警備、
デパートのイベント催事場のセッティング
などが主なバイト。
全部、夜のバイト。
で、これらはシフト制で
みんながやりたがらない年末年始は
僕がかってでてやっていた。
工場のダクトの中や
病院の警備室で正月をなんども迎えたな。
その分、春休みはシフトを有利にしてもらって
その時期に海外に出ていた。
辛いバイトは、なり手も少なかったから、
けっこう融通もしてくれて、楽に外に出れたね。
バイト選ぶときも、まとめて休みが取れるやつを
中心に選んでいたし。

「旅行するときに必ず持って行っておくべきものを教えてほしい」

うーん、パスポートと現金かな。
ベトナムを自転車で縦断した時は、
悪路過ぎて自転車に着けていた荷物を載せるキャリーが
早々に割れてしまって、
たくさん持っていた荷物を手放さないといけなくなった。
その時、20㍑くらいのデイバッグに
下着1式とタオルと医薬品と自転車の修理道具だけを
詰め込んで、残り4週間くらいを過ごした記憶がある。
ズボンが1着しかなくて、
そのズボンが自転車のギアに引っかかって
ふとももの付け根まで破けてしまった時には、
かなり恥ずかしい恰好で走っていたけど、
泊まった地方の小さなホテルで
フロントのお姉さんから
裁縫セットを借りて
破れたズボンを自分で直したね。
持っていくのなら、そういう「技能」だな。

次に協力隊の時の質問も多かった。

「どのくらいの期間でインドネシア語が話せるようになったのか」

正直、今もそんなに上手じゃない。
いつも間違えてばかりだし。
言葉はただの道具。
上手に話せても中身のない話には
だれも耳を貸さない。
たどたどしい言葉でも、真実の語りには
みんなが耳を貸してくれる。
上手に話せる力があるのなら、それが一番だけど
肝心の語りの内容が幼稚ではいけないね。
僕は協力隊時代は
結局帰国間際になっても言葉をよく間違えた。
それをネタにして笑いをとるくらい
余裕も出たけどね。

「IMFの介入で赤玉ねぎの値段が落ちると、もっと早い段階で情報が入らなかったのか」

これは協力隊活動についてだね。
自分が指導していた作物が
通貨危機に陥ってIMFの介入を受け
その作物の関税が取り払われて
価格が1/75まで暴落したって話。

情報は、まったく入らなかったよ。
任地の県の職員(地方のエリート)とも
一緒に仕事をしていたけど、彼ら彼女らも全く知らなかった。
それが途上国だ、といえばそうなんだろうと思う。
JICAの専門家からもなんの情報もなかったし。
TPP交渉のように秘密裏に行われる
交渉なのかもしれないね。
ただそういう情勢によって
社会がどんな不安を受けるかを僕は身をもって知ったので、
今のTPPについては同意しかねる部分も多いな。

「インドネシアでのJICA協力隊で実際にどういうことをされていたのか?」

時間がなかったので、
協力隊の話はほとんど飛ばしてしまったね。
ごめんなさい。
詳しくは、
小國和子 著 『村落開発支援は誰のためか』を
参照してほしい。
そこに出てくる隊員Bが、僕なので。
この本は、協力隊に行きたいと思う人なら
読んでおいても損のない本。
ぜひ一冊お手元にどうぞ。

インドネシア研修生がらみの質問もあった。

「インドネシアの学生を受け入れるその原動力は?」

講義の前日にJOCAの友人と飲んでいて
こうした活動に自分が踏み進んでいくのは、
やっぱり「愛」なんだろうかね、と
飲んだくれのおやじ二人で話していた。
たぶん、いや確かに「愛」だと思う。

「研修を終えたインドネシアの学生のその後は?」

これは、ブログのエントリーにあるよ。
リンクを貼っておくので、どうぞ。
卒業生のそれから

農園の説明をほとんどしなかったので
こんな質問もあった。
「野菜作りや農業に対するこだわりは?」
「農園は儲かっているの?」

こだわりは、ホームページをご覧ください。
で、儲かっているかどうかは、
うーん、どういうのが儲かっているってことなんだろうね。
自分の欲しい物が全部買えるような状態?
でもそんなに欲しい物ないしね。
モノじゃなくて、技能と新しい考え方は欲しいけど。
それは手に入る状況に身を置いているつもりなので
満足はしている。
スタッフがとてもがんばっているので
もう少し高給を払いたいと思っている。
なので、
そういう意味では、売り上げの現状には
満足していないかな。

「将来の活動目標があれば教えていただきたいです」

あるよ。
でも内緒。
もう少し先が確定してきたら、
やってみようと思うことがある。
要は、インドネシアと僕らの地域を
もう少し強く結びつける仕掛け。
たぶんそれ以上に
新たに出てくる課題を解決していく中で
僕が思ってもみなかった方向に
すすんでいくんだろうなぁ、とも思っている。

では、みなさん、
一所懸命、全力で、
学生生活をエンジョイしてください。






近畿大学農学部で1コマ授業をする。
思えば、大学で講義するのは久しぶり。
内容は、国際協力キャリアについて。
JOCAの知り合いが
青年海外協力隊の農業系OG・OBを
5人ピックアップしてリレー講義の一つを
僕が受け持ったというわけ。

朝いちの講義ということもあって
前日に大阪入りして、
そのJOCAの知り合いと久しぶりに会う。
差しで飲むのは、たぶん、1999年のスラバヤ以来だろうか。
あれから15年の歳月が流れて
お互いおっさんになって、
その時とは全く違った道を歩いてきて
またここで出会うというのは、
なんともご縁が深くて面白い。

さて講義では
国際協力キャリアについて
僕なりの積み方を話した。
つまり大学から今までの僕の道のりのダイジェスト。
英語力もなく、
欧米の大学院の学位もなく、
国際的な団体や組織にも所属していない僕が
国際協力のキャリアと言えるものがあるのかどうかは
やや自分でも不明だが、
少なくとも
農業と地域づくりと国際協力を意識して
福井とインドネシアの農業高校の交流のお手伝い、
インドネシアから実習生受け入れと
その卒業生への支援、
そして、農業に志のある人たちの受け入れ、
地域での勉強会、
協力隊隊員の育成、
あと地域でのさまざまな団体の役員を務めている。
それは一足飛びにここに来たわけではなく、
一歩踏み出すごとに
目の前に浮かび上がってくる問題を
自分やその仲間と一緒に解決していく中で
見えてくるほんのちょっとだけその先の道を
必死に歩いてきた道のりをダイジェストに話した。

あちこちに話が飛ぶ僕の悪い癖にも関わらず
思っていたよりも学生の反応がよかった。
質疑応答でちょっと印象に残る質問があった。
「地域づくりと言いますが、どんなことをしていくのが地域づくりなんでしょうか?」
という鋭い質問。
パワーポイントでは上滑りしていくような
きれいな言葉をちりばめて
煙に巻いているような
そんな印象があったのかもしれない。
それは僕もこの講義を構成していく中で
自分に対してそんな印象はあった。
そしてこの質問に対して
僕の答えはこうだ。
単発的なイベントの連続は
やはり地域づくりとは言えない。
農園のBBQなんかはそれだけで地域づくりなんてもんに
あまり寄与はしていないだろう。
では地域づくりとはどういうことか?
それは「場」を作ること。
地域の外部の人や内部の人(講義では風と土で表現した)が
それぞれ責任をもって関わり合える場を
作っていくことだと思っている。
僕の場合は、それが農園だったり、
勉強会の場だったり、
インドネシア実習生たちとの関わり合う場だったり、
福井とインドネシアの農業高校の交流の場だったり、
JA青壮年部の活動だったり、
娘の通う学校のPTAの役員だったり、
集落の青年団の集まりだったりする。
こういう場に積極的に参加して
それを盛り上げていくことが地域づくりなんだと
僕は思っている。

だから、学生さん達へのメッセージはこうだ。
あれこれ考えてから行動するよりも、
まず一歩踏み出してみるってこと。
歩きながら考えればいいのさ。
踏み出せば、新しい風景が見える。
そこから次の課題が生まれる。
たぶん、その連続だと思う。
ぜひ、学生の皆さんは
一歩踏み出して、外の世界と積極的につながってほしい。







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JICA北陸のイベント
『JICA北陸キャンパス2014』
14名ほどの大学生を農園で受け入れた。
国際協力の将来設計ということで
僕らの農園での取り組みと
インドネシア実習生との研修プログラムについて
説明し、
みんなでディスカッションをした。
ラッカセイの掘り取り作業といった農業体験や
農園の野菜でのBBQと
なかなか盛り沢山な1日だった。

学生と話をしていて気が付いたことは、
今回受け入れた学生さんたちは、
なかなかまじめだということ。
「遊び」の部分が少ないような気がする。
ボランティアするにも
海外に行くにも
なにかもっと用意周到に準備しないといけないような
そんな雰囲気があった。
どうせ経験も知識もないのだから、
ある程度は持て余した時間を勢いよく使って、
どんどんいろんなことに遊んでほしいな。
百聞は一見にしかず。
百見は体験にしかず。

インドネシアの子たちにもいい刺激になったようだ。
普段僕らとしかディスカッションしない彼らに、
学生さん達から矢のように質問を浴びせられた1日で、
普段とは違う受け答えの連続だったようだ。
年が近い分、貧しい状況の中でも
将来設計をしっかりと組んでいこうとする
実習生たちの姿勢も
大学生には刺激的だったのだろう。
だから、ディスカッションでの質問の多くは、
実習生に向けられていたのが印象的出だった。
なぜ農業なのか?
そんな素朴な学生の質問に、
実習生たちは日々の労働の中で
見つける幸せについて語っていたのが印象的だった。
仕事って、労働ってなんだろうって
みんなで考えられたなら、
とても素敵な時間だったろう。

あと僕が発見したのは、
佐藤が意外にこういう場が上手いということ。
学生に対するメッセージも
とても素直で入ってきやすい言葉ばかりだった。
あんまりスタッフは褒めないことにしているのだけど、
学生さん達をまとめ上げていたのが
とても素晴らしかったので、記録しておこう。
僕は実はこういうのはちょっと苦手なので、
今度からは、こういうのは
彼が中心でやればいいんじゃないかな。

改めてディスカッションを通して
全体を眺めてみると、
僕らの農業って、
野菜の生産だけじゃないんだなぁ~と気が付く。
人も野菜も育てる農園。
たぶん、それが僕らの労働の目的。
そんな風に思えた1日だった。


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新年あけて間もないが、
アグリスクールプロコースで話をする機会をいただいた。
就農計画を立てている方や
すでに就農して5年未満くらいの方を対象にした講座で、
そのうちの一コマを僕が担当した。

しかし、
僕とて受講生の方たちと
あまり立場は変わらない。
こんな講座を担当するほど経験も知識もなく、
ましてや、経営については
僕が勉強したいくらいなのだ。

ただ、それほど立場が変わらないということは
参考になる話もあるかもしれないと思い、
自分の経営について、
また農法について話をした。

ちょっとでも参考になっていれば、
話した甲斐もあったろうが、さてどうだったのだろうか?

しっかし、
経営について講義依頼がくるとはなぁ~。
ちょっと自分でも驚きだった。

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11月は千客万来。
といっても、今回は農園に来て頂いたわけではない。
ある講演を担当したのだが、その講演に
60名くらいの方にお越しいただいた。

その講演とは、福井ライフアカデミー主催の
現代的課題講座「国際社会」のなかの
『世界を知る』という講座。
5回ある講座の内、第2回を僕が担当した。

さて、何を話したかと言えば、
農園で行っているインドネシア農業研修プログラムと
研修参加者の地域の風景や課題、そして
これらすべての展望について話をした。

これまでもインドネシアの農業研修について
いろいろと話をする機会を頂いてきたのだが、
今回は、少し違う話をしようと臨んだ。

これまでは、なぜ研修事業をしようと思い立ったのか、や、
どんな研修をおこなっているのか、という話が多かった。
協力隊参加から研修開始までの経緯の話や
研修の内容についての説明だった。
今回ももちろんそれも省略しながら話をしたのだが、
そこからもう一つ踏み込んで、
研修生の地域が抱える農業問題、
そして研修生の変化や帰国後の活動について、
まだまだ自分の中で消化されていないため、
かなり荒削りなプレゼンになってしまったが
話をさせていただいた。

今回はプレゼンを作っている作業から、
情報の足りない部分などが明確になり、
また実際に講演してみると、
話の構成や流れの中で不足箇所が見えてきて、
僕としても大変勉強になった講演となった。
その不足を補うためにも、
来年の1月に時間が合えば
インドネシアへ調査に行こうと思っている。

研修生のもつ個人的な課題と
その地域が抱える農業問題の構造的理解、
そして研修での彼らの変化、
さらには研修後に彼らはどう考えどのように行動し
今現在を生きているのか、それを僕なりに
もう一度掴みなおしてみたい。

がむしゃらにやってきた研修だったが、
なんとなく進むべき道筋のようなものが
少しずつだが見え始めてきた気がする。
そんな通過点となった講演だった。

農業やってみませんかセミナーが
週末にあった。
市役所の主催で、3回のリレーセミナー。
その3回目に、僕が講師として呼ばれた。
お題は、
「農業経営と農園の就職」。
いやいや、この僕が農業経営について
話をすることがあるなんてねぇ。

参加者は10数名。
若い方から年配の方まで幅広くいた。
1時間の講義と
1時間の現地見学の二本立てのセミナーだった。

さて、そのセミナー、
経営の妙なんて良く解らない僕が
またそんな学問を学んだことの無い僕が
それを話す資質があるのかどうか不安だったが、
ここは自分の視点で話そうと思い、
そのためかややこれまでの経営セミナーとは
ちょっと毛色の違う感じなったと思う。

農業は自然を技術で僕らの都合の良いカタチにて生産し、
それが市場で評価を受けるモノでなければならない。
まったくの自己完結型の自給的農業などは
この場合に当てはまらないのだが、
たとえ物々交換だとしても
その交換自体が「市場」なので
やはり交換の価値に相応しい生産物でなければならない点で、
まぁ、この原則はそう的外れでもないだろう。

で、その原則の中で多品目の園芸農家では、
個々の作物の持つサイクルと
(畑づくり→播種→栽培管理→収穫→製品化・販売)
春夏秋冬の1年の大きなサイクルとが
絡まり合いながらも、淀みなく流れることが
大切になってくる。
自然は、春夏秋冬で変化し、
その変化に合わせて技術も変化し、
そして市場の要求に合わせて、
通年出荷野菜と季節野菜を幾何学的に
組み合わせていく。
簡単に言えば、それが僕の経営論。
野菜の単価やコストなどの計算も
もちろん大切だが、
それ以上に
農業と言う自然と市場と生活のリズムの中で
正しく呼吸ができるかどうか、なのじゃないか、
と僕には思えてならない。

ちょっと抽象的だったが、
こんなことを話したセミナーだった。

「ふくい夢チャレンジプラン」プレゼン大会に
審査員として参加した。
福井県が取り組む事業で、
35歳以下の若者の
地域活性につながる活動を支援するもの。
今年で3回目で、審査員も3年目。
さらにおまけがあって、
今年は審査員長だった。

さて、プレゼン大会では、
事前に事業のプロポーザルを読ませてもらい、
7分間のプレゼンを聞いて、
それぞれの事業の継続性や独創性、実現可能性などを
考慮して点数をつけていく形式。
7分間と言う限られた時間で
どう表現できるかが鍵なんだろうと臨んだ審査会だった。
プレゼンの上手い下手が勝敗を分けるとも
思っていたし、総評でもそんな話をする予定でいた。
しかし、実際にプレゼンを聞いて、
その予想は覆った。
プレゼンの上手い下手はやはりあったが、
表面的な表現の上手さよりも
地域活性化への想いが
その活動のコンセプトの中に、生の息遣いとして
感じられたかどうかが、勝敗を分けたようにも思う。
だから、プレゼンはあまり上手ではなかった団体でも、
こういう視点で地域活性化をしたいという
想いが感じられたところは、審査でも好評だった。
プレゼンテーションでは、
どうしても瑣末な技術論に陥ってしまうことがある。
しかし、それは表現の技術でしかなく、
やはり表現したいというその想いの深さがなければ、
技術をどんだけ上塗りしても、
僕らには届かない。

今回の審査会は僕にとっても、大変勉強になった。
審査員長という重い責任と共に、
それぞれの活動の想いの深さを
ガチンコで審査する貴重な体験を得て、
僕らは何を表現することが大切なのかを、
改めて考えさせられた一日だった。



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あるワークショップに参加した。
金沢で行われた
海外経験×日本の地域づくりワークショップ。
「のとガール」主催のワークショップ。
海外での地域づくりの経験を
どう国内に活かしていけるのかを話し合った。
僕は、事例紹介として参加。

青年海外協力隊というと、
発展途上国で専門技術を現地の人たちに教える、
とイメージされる方が多いかもしれない。
だが、そんな場面は少なくとも僕にはほとんど無かった。
僕がやってきたことは、
農業指導というものではなく、
現地で、行政から知られていない人材を発掘したり、
個人の自慢話を聞いたり、
その人のやる気を引き出したり、
時にはマスコット的に振る舞って、みんなを盛り上げたり、
またみんなを挑発したり(ケンカを売ったり)、
そうやって見えてきた人たち同士をつなげたり、
そしてつながることでエンカレッジされたり、
つながることで新しい行動が生み出されたり、
そんなことばかりをやってきた。
たぶん、多くの協力隊がそんな経験を持っていることだろう。

これは、僕らがその地域では
「よそ者」だからというのがとても大きい。
その地域のしがらみに捕らわれることなく、
いろんなポジションの人たちに
フットワークを軽くしてどんどん会いに行くことで、
現状にある人間関係をさらに新しいモノへと変えていく力になる。
人と人とがつながると、
1人では解決できないと思っていた問題も
他の誰かのスキルで解決の糸口が見つかったりもする。
3人よれば文殊の知恵というが、
いろんな人がつながることで
生み出される新しいアイディアや実行力。
そんな化学反応を
僕らは現場でいくつも見てきた。

地域発展に必要なモノとして、
「若者」「よそ者」「ばか者」がある。
地域発展とは、変化を恐れず、
地域の常識に捕らわれない人たちが織りなす化学変化
だと僕は思う。
だから、この三者の存在が必要になる。
青年海外協力隊は、すでにその名前の中に
「若者」「よそ者」を備えている。
さらには、
仕事を辞めてまで参加する人が多い、という意味では
まさに「ばか者」までも備えた
地域発展をこれでもかと内包した団体と言える。
その能力が発揮されるかどうかは、
個々人の資質や任地の環境によるだろうけど、
多くの隊員が経験してきた
人と人をつなげていく関係づくりは、
何も途上国でばかり発揮されるわけじゃない。
日本の地域づくりにも活かせないのだろうか。
そんなことをここ数年前から良く考えるようになった。
というか、そういうシンポジウムが多くなり、
それらにゲストとして呼ばれる中で、
僕自身も良く考えるようになった、
と言った方が正解か。

今回のワークショップでも
やはり「人と人をつなげる」が主題だったように思う。
そしてそれは
よそ者や外の視点を持っているから出来ることでもある。
今回のゲストで小島さんと志野さんは、
まさに外部から地域おこしとしてやってきた人だった。
人と人をどうつなげるのか、
どう巻き込んでいけるのか、
そんな話が聴けた。
中でも、小島さんの
「スモールサクセスの積み重ね」というくだりは
まさに地域開発の妙だと感じた。

では、僕はどうだろうか。
僕は地元で農業をしている。
外部の人間ではなく、まさに地元民。
その僕の役割は、「場」づくりだろうか。
つなげるといったこととは少し違うが、
他所から来た人と地元の人たちが集まる「場」を
提供することだろう。
いろんな「場」を作ることに地元の人間として係る。
僕が協力隊の時に、また留学の時に、
こういう地元の人間が居たらいいなぁ、と
思う役を僕が演じればいい。
そう感じることが多くなった。
しがらみや元々の関係で
若干フットワークは悪くなっているが、
地元の人間だからこそ作れる「場」があるように思う。
そしてそれは農業という生産現場ともリンクする。
農業という、他業種から見たら未熟な産業は、
地域づくりと生産活動との境目が至極曖昧。
曖昧だからこそ、「場」を作ることができ、
地域づくりも内包した経済活動ができる。

外から来た人がその経験を活かす発表を聞いて、
僕には僕のポジションがあるんだろうと
感じることができたワークショップだった。

過分な賞を頂いた。
これまでのさまざまな活動を
評価していただいた結果の受賞だった。

でも、その「これまで」は、
僕にとっては全部「偶然」が積み重なっただけ。

まず、
97年に青年海外協力隊に参加した。
これは偶然じゃなく、自分の意志で。
赴任した場所は、「偶然」だが、素晴らしい仲間が集まる
協力隊員ばかりの村おこしのチームプロジェクトだった。
物見遊山な感じで赴任した僕には、
かなりハードルの高い職場だった。
諸先輩たちの妥協のない活動への姿勢が、
大学を出たばかりの僕に
プロフェッショナルな仕事の仕方を教えてくれた。
そして、ここでの経験が、
地域づくりへの僕の視点と情熱を作った。
00年に帰国。

丁度その時に、福井農林高校と
インドネシアのタンジュンサリ農業高校の
交流事業があり、全国高校文化祭(横浜開催)で
そのタンジュンサリ農業高校が招聘された。
その通訳として、僕は参加した。
当然、これも「偶然」。
福井でインドネシア語が出来て、
帰国したばかりで時間に余裕のある奴は、
僕しかいなかっただけの話。

そして、そのご縁で両校の交流事業に僕が関わり、
インドネシアからの短期留学のお手伝いを始めた。

03年、僕は「偶然」と「強運」を武器に、
自分でも無理だと思っていたボゴール農科大学大学院に
奨学金付きで留学した。
留学の理由はさまざまあったが、
地域づくりのチームプロジェクトに参加していたことと、
そこで「偶然」出会った
妻・小國和子に触発されたことも大きい。

05年、留学先で、
タンジュンサリ農業高校の校長と
福井農林高校への短期留学について議論をする。
「偶然」にも校長が遊びに来いと言うので、
行ったらそういう話題で盛り上がった。
「3か月の短い期間では、日本・福井の農業を深く理解できない」
と校長談。
その議論から、農業研修プログラムが生まれることになる。
留学から帰国後、再び農業を生業とし、
2年の準備期間を経て、
08年から受け入れを開始する。
ちなみに、留学での学問と妻からの影響が、
今の僕の地域開発への眼差しになっている。

そんな頃から、農業をしたいという
日本人の研修生も農園に来るようになった。
その研修生たちが、
「偶然」あまりにもモノを知らないわりには、
貪欲な勉強家だったので、
数人で勉強会を開いたら、
いつの間にか十数人の人が来るようになっていた。

インドネシアの研修卒業生も
自国で活躍し始め、そんなこんなで
僕もメディアに取り上げられる機会が多くなった。
そんな「偶然」から、優秀な若者が
スタッフとして農園を支えてくれるようにもなった。

今回の受賞で取材を受けたが、
これからどうしていきたいですか?と
今後の抱負について質問された。
答えにやや詰まった。
だって、「偶然」が次の活動を生み出して、
その積み重ねが今に至っているだけなのだ。
僕が「こうしたい!」と強く望んだこともあったが、
それが生まれてきたのは、僕のイメージではなくて、
周りの状況やそこにニーズがあったからだ。

だから、たぶん。
これからもこんな「偶然」を大切にして、
それを積み上げていこうと思っている。

これまで一緒に、
こんな素敵な「偶然」を積み上げてくださった皆様、
本当にありがとうございました。
そして、これからもこんな素敵な時間が続いていけるよう
努力していきますので、
ご支援とご指導を頂ければ幸いです。

本当にありがとうございました。

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毎日新聞・福井欄:2012年6月25日掲載


ちょっとした縁で、2年前から小さなコラムを
毎日新聞の福井欄に書いている。
月に1回まわってくるリレーコラム。
今回は、原発について。

幸福度ランキング1位になった時に、
知事はラジオで自分の県政を評価していたのを
僕は今でも覚えている。
「そんなものなのかなぁ~」とやや懐疑的だったが、
福祉や労働に関する指標が高かったことを考えると、
そういうこともあるのかもしれない、と思ったのを思い出す。

でも、
有効求人倍率が原発停止で2位に転落しそうになるなど、
県内経済と原発のつながりも、
原発停止をしてみると、
良く見えてきた。

電源三法などの交付金の額も
今までは関心もなかったし、
その存在自体もあまり解らなかったのだが、
これも良く見えるようになった。

その中で、僕ら福井の人々は、
幸福度ランキング1位になった、のも良く解った。
そして今、
本当に幸福なのか、もう一度考えるきっかけを
僕らは与えられたのだと思う。
僕らは何の上に乗っかって、「幸福」になったのかを。

僕ら農家は、持続的なことに幸福を感じる。
それは自然の営みと一緒に円環の時間を生きるからだ。
淀みなく、過ぎていく季節と
繰り返される自然の中で、
平衡を保ちながら、僕らは少し先の未来を
眺めながら生きている。
それが「農民」なのだ。

数万年以上も隔離しなければいけない使用済み燃料や、
一度汚染をすれば、エコシステムの中で、
汚染を広げていってしまうその原発の思想は、
とても僕ら「農民」は受け入れられない。
その上に乗っかっている「幸福」も、
ツケを未来に先送りするだけの
ただの「享楽」としか、僕らの目には写らない。


日曜日は、ふくい若者チャレンジの審査員をする。
福井県が若者のチャレンジに資金を援助するもので、
県内外や海外でのチャレンジも応援する取り組み。

県内でのプロジェクトには20万。
県外でのプロジェクトには50万。
そして海外での武者修行に100万円という太っ腹。

その内、県内と県外のプロジェクト13件から6件を選ぶ審査に
昨年同様、審査員として参加した。

婚活イベントや大規模合コン、子供たちと街の良さ発見、
さらには海辺でトワイライトのジャズイベント(白井淳夫)まで、
多彩かつ若い人のエネルギッシュな発表が続いた。

昨年同様、僕はその勢いある発表を聞きながら、
なぜ、僕は審査員の席に座っているのだろうか?と
疑問に思う。
なぜ、僕はこの発表に参加していないのだろうか?と。

たしかに、年齢制限に引っかかって、
僕はこのコンペには直接参加できない。
だからといって、モノの解ったような顔をして
審査員席に居ていいものだろうか。

このコンペの趣旨に合うような活動ではないかもしれないが、
僕も、インドネシア農村開発を含めた
今の研修事業を勝手に行っている。
外と内の境界を曖昧にしていき、
風(よそ者)と土(地元の人)が織りなす風土を
夢見る。
農民の連帯なんて国際的にはあり得ない、と
ボゴールの大学院では先生や学友に批判されたことを
僕は今、少しずつだが行い、
そしてその批判通りの失敗も繰り返しながら、
前進させている。

それがどう自分たちの地域づくりにリンクするのか、
という疑問に答えを出せないまま5年が過ぎて、
研修卒業生のバックアップもなかなか進まない。

が、今日は、
若い人たちの(といってもほとんど同年代だけど)、
活動プレゼンを聞いて、
僕も立ち止まらず、さらに加速していこうと思った。

余談だが、
プレゼンの質にずいぶんと差があったように思う。
今の大学生は、学校でも随分とプレゼンを習うようで、
まとまっていて解りやすかった。
逆に社会人のプレゼンは、良いものもあったが、
時間配分ミスやまとまりのないものも少なくなかった。
こういったコンペは計画書よりもプレゼンが
モノを言う。
自戒も含めて、プレゼン能力を大切さを感じた1日だった。





JOCAオープンカレッジ

JOCAオープンカレッジで話をする。
「インドネシア農民と共に歩む」~地域開発に向けて~
と題打って、話をする。

今回は、研修事業の内容やその軌跡、
そしてこの取り組みがどう地域に還元されていくのかを
少し大きな話も交えてしてみた。

今回の講演で自分なりに考えてみたかった
テーマは3つ。
・国際協力と地元活性化の関係
・インドネシア農民と共に歩むの「共に歩む」って何?
・今の活動の先の未来は?

言いたいことは、ぼんやりとは解っていたが、
こうして話す機会を得られたことで、
僕なりに、この答えを探すことができた。

国際協力と地元活性の関係は、
どちらも「風」(よそ者)と「土」(地元の人)が
しっかりと関わることで織りなす
イノベーションだということ。
外の考え方に触れることで、
自分たちの常識が揺らぎ、壊れ、そして再構築するが
それは前と同じものではない。
研修生として日本に来ている彼らは、
日本の農村越しに、インドネシアを見る。
そして受け入れている僕らは、彼ら越しに
自分たちの地域を見る。
その視線が、イノベーションを生む。

共に歩むのは、
僕らは相互補完的にやっていけるのではないかと
良く考えるようになったからだ。
研修は、インドネシア人の出稼ぎで、
日本人にとっても安価な労働力という
イメージが付きまとうが、
その程度の関係では、イノベーションは生まれない。
しっかりと関係を持ち、
彼らを理解し、そして自分たちを理解する関係が生まれれば、
長期的には、僕らの新しい「風土」が生まれてくるに違いない。

そしてこれらの活動の先の未来は、
彼らの起業するビジネスを応援することで、
退廃した資本主義ではなく、
新しい支援の地平が見えてくるのではないかという
期待がある。
こちらの若者や消費者を引き連れての
スタディーツアーなどを行い、
BOPビジネスやフェアトレードといった
新しい関係が構築できないかを夢想する。

そこには支援という枠の中で、
彼らだけでなく、僕らまでもが変化していける関係が
あるんじゃないかと思っている。

よりフェアに、そしてより開放的に、
このつながりを得て、お互いの農業と農村は変わり続ける。
僕は、講演中に、
その未来を眺めていた。


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「座・タイムリーふくい」に出演する。
“若手農業者が大いに語る!:農村のこれからのために・・”
というお題だった。
出演したのは、サツマイモ農家の吉村夫妻と、
大野を中心に県内の農産物流通に携わる
笑人堂農業部門代表の中川氏。

若手農業者が大いに語る、と題されているが、
もう37歳になる僕は果たして若手に入るのだろうか?と
見ておられた方々は、疑問に思ったのではないか。
だが、この業界では、
80歳代のJA青年部部員もいるという噂(四国の話)なので、
気持ちさえ若ければ、若手ということで勘弁していただきたい。

テレビでは、議論はまとまりを見せず、
最後には、なんだかやる気のある若手と流通がしっかり手を結んで、
儲かる形での農業を作って行こう!という落としどころに
落ち着いてしまったが、
出演した各々は、たぶん消化不良ではなかったのだろうかと思う。

番組の流れとしては、
TPPへの参入で、農業者人口がさらに減り、
それがひいては限界集落を増やし、
国土保全すらむずかしくなるんじゃないか、という
方向の議論だったのかもしれない。
打ち合わせの段階で、僕は、
日本の人口が減少に向かっている今、
日本と言うマーケットを維持させていくには、
TPPのようなフリートレード(2国間じゃなく域内の)が
必要になってくるんだと思う、と話した。
ただ僕は、何もフリートレード推進者というわけではないので、
それだけはきちんと断っておきたい。

戦後、村から街へと人の流れを構造的に作り上げていったように、
今度は途上国から先進国へ人と財の流れを作る必要があるんだろう。
大きなマーケットを維持するには、
そこには、循環するべき大量の資源が必要になる。
人もお金も自然資源も技術も知的財産も、すべてが、
滞りなく流れる必要がある。
その流れの中で、サービスとチャンスを準備できた地域が、
大きなマーケットとして成長する。
なので、人口の減少で内需の拡大ではやっていけないし、
金融(つまりお金がお金を生み出す方法)で増えたお金は
そもそもバブルでしかないとなると、
この自然資源の乏しい日本の場合、
実質的に流れる資源が今後減っていく中で、
単純な富を求めるのではなく、生活の質を高めるための、
(本当の豊かさという意味での)
経済の停滞もしくは後退の哲学を練り上げていけばいいのだが、
そうはならないだろう。
たぶん、次の新ステージとして(もしくは最後のあがきとして)、
域内のフリートレードに目を向けているんだろうと思う。

フリートレードはフェアであるという側面もある。
だが、どの国も同じスタートラインに立っているわけじゃないので、
その意味で、すでにアンフェアとしか言いようがない。
基盤整備や法整備&人材に多額の資金と時間がかかる国も多いのだ。
100m走でいえば、アメリカや日本といった先進国は、
すでに60mくらいまで走っている状態で、
他はスタートするようなものでもある。
グローバルスタンダードは、画一的な正義と物の見方で
迫ってくるので、対応できない地域や国は、
やはり食い物にされてしまう可能性もある。

そういう意味では、TPP自体も別として、
またTPPで農業がどうのこうのは別にして、
またまた、今日本に住んでいる人たちがどうなるかも別にして、
日本に出来上がっている
巨大なマーケット(そんなもんに意志なんてないだろうけど)には、
フリートレードは、
ある意味それなりに旨みがある話なんだろうとは思う。
人と金と自然資源を吸い上げるシステムが
不平等な状況でさらに加速する可能性を含んでいるのだから。

今回の議論は、僕にとっては、
その中での農村問題でもあった。
減りゆく人々を、株式会社や外国人でまかなえるのか、というのが、
実は吉村氏&中川氏との論点でもあったんだと思う。
中川氏が、
「個人的な興味で農業をしてみたいという人が、地域に群がってきても、それはコミュニティと呼べるのか」と言う発言や、
「関わってくれる人たちが、僕らのように地域に愛着を持ってくれるのかどうか」
という吉村氏の発言は、
これから農村コミュニティをどう維持していくか、について、
とても重要な指摘をしてくれていた。
これを受けて、僕なりに意見を話したつもりだが、
それらは一つの議論として収斂されず、
テレビでは散発的でもあった。

僕は、農村コミュニティに外部の人間(肌の色・国籍を問わず)が
大いにかかわってもらうことは別段、悪い事とは思わない。
確かに中川氏が言うように、個人的な興味で、
市民農園のように週末に少しだけ土いじりをしたいという人が、
野菜作りの土地目的に近郊もしくは山間地の集落に
群がるように来たとしても、
たぶん、その人たちは別に集落コミュニティに
興味があってくるわけでもないので、
それで集落が維持できるのかどうかの疑問はある。
それどころか、たぶん中川氏が言いたかったのは、
それで外部の人間に乗っ取られるとは言わないまでも、
イニシアティブが内部ではなく外部になってしまうんじゃないか、
という危惧も、その言葉の中にはあったんじゃないだろうか。
そこに住む人よりも、外部からの利用者が増えれば、
外部の人の便宜が優先してしまうことは火を見るよりも明らかである。
さらには、我が師匠が常々懸念していることとして、
農家主体(つまりその集落の居住者)の市民農園ではなく、
外部からマッチング会社による市民農園が増えることで、
業主としての主体性を失われるという問題と、
生産の現場と居住空間も同時に包含する農村において、
ビジネスしての外部利用者のサービス優先が、
居住者へのサービスの低下を招きかねないのである。
もちろん、居住者が業主であっても、
農村にはいろんな人々が住んでいるので、
業主が自分のビジネス優先になれば、
当然、他の人が不利益を被ることにもなるだろうけど。

また中川氏は、震災や災害後に、
その外から群がってきていた人たちは、また本当に戻ってきて
復興に力を注いでくれるんだろうか、とも言っていた。

テレビでの議論では、
僕は「そうなってみないとわからない」とあやふやに答えるのみだった。
ここではもう少し落ち着いて書いてみよう。
災害に直面した場合、たとえ内部の人間であっても、
離農したり、他の地域に移っていく人は少なくない。
だから、内部なのか外部なのかの議論はいまいち当てはまらない。
たぶん僕も家族の事情などがあれば、
この地で被災した場合、離農もありうるだろうと思っている。
個人的な理由も多く、出て行ったとしても、
それは誰も咎められないし、
それで愛着が無かったかどうかなどとは考えられないはずだ。

株式会社が農業に参入してきた場合も言えるだろう。
農地の資源を食い尽くすだけ食い尽くし、消耗したら別へ、
という意見だったが、
株式会社すべてがそうではないことは事例をあげたらきりがない。
これは会社かどうかに限らずだが、
その生業が儲からない時は、たぶん撤退もあるんだろう。
以前、石川の六星について書いたエントリーで、
株式会社が村になれるのかについて記録したが、
たぶん、それは今でもなれないと思っている。
農業の利益を追求することと、
村の構成員が、そこに住む人々の全体の福祉向上を目指す事は、
そもそもベクトルが違うのだから。
ただそこに居住しない人々が、
農村という場で、農業という業を行う場合、
農村と切り離して、農業だけの付き合いになるのか、
それとも、なんらかの相互作用が生まれるのか、
僕の関心はそこにある。

コミュニティを考える時に、僕はひとつ気を付けたいことがある。
それは、どの時点でそのコミュニティを評価するのか、と言う事。
コミュニティは、そこに集う人たちで作られ、そして変化していく。
ドラスティスな変化だけを注目して話をしても、
全体像はわからない。
僕の農園には、集落外の人間がたくさん関わっている。
肌の色も国籍も違う。
それでも村の行事には積極的にかかわってくれている。
JA青年部がやっている集落の江堀(用水掃除)には、
セネガル人のイブライが参加し盛り上げてくれる。
今年の村の祭りには、
インドネシアの研修生が、
フィナーレを飾るの民謡(踊り)に参加して、
場を沸かしてくれた(僕は酔いつぶれていたけど)。
今年から農園にかかわってくれている大西君は、
農業外の業種から飛び込んできた珍しい若者で、
集落内の土地を買い、家を建てる計画中だ。
農業というベースも無く、国籍も違い、肌の色も違う。
でも、それでもみんなここでの農業仕事に精を出し、
そしてここにそれぞれの愛着を感じながら、関わってくれている。
そして災害が起きたり、それぞれの事情が変われば、
たぶん、僕も含めてだが、ここに留まれないかもしれない。
その留まれなかった時点を評価するのではなく、
今関わっているプロセスを僕は注目したいと思っている。
終わりなく変化続けるものを、
結果に答えを求めるのではなく、そのプロセスに。

もちろん、そのプロセスは良い事ばかりじゃない。
集落の田圃を作りにやってくる他所の法人は、
集落の農家組合からお願いしている草刈りや泥揚げをしなかったりするが、
それはそれで組合の中で問題にしながら、
口うるさく通達をしていくことになる。
それも含めてのプロセスなのだ。

吉村君が言った「愛着」は、
テレビでも言ったが、僕らの愛着と外から来た人の愛着は、
たぶん違う。
僕らが良いと思うことを、良いとは思わないかもしれない。
そしてその反対も然り。
僕らが変化できるのは、その違いが混在するからなのだ。
スタッフブログで、大西君が高屋町の良い所を写真に撮っていたが、
僕はそのどれもが当たり前の風景過ぎて、
ぜんぜん良いとは思えなかった。
彼のブログを見て、
あんなにつまらないモノが、そんな風にも見えるんだなぁ、
と感心したくらいだ。
その想いの違いが、僕らに新しい気付きを与えてくれ、
そして、僕らが変わっていく萌芽があるように思える。
だとすると、フリートレードで世界がどんなふうに変わっていくとしても、
その中で、関わり続けるプレイヤー(アクター)の参加機会が、
増大するのであれば、その増大する機会は、
僕は積極的に取り込んでいきたいと思っている。
廉価な労働という安易な考えではなく。
そして、もっとフェアな関係を含み、かつ構築しながら。
これは何かのモデルになるわけでもないが、
こうした事例を積み上げていく作業の中で、
僕らは何に関心を向けなければいけないのかが
少しでも見えてくることを願っている。

もう一度書こう。
終わりなく変わり続けるものに、
どの時点かを区切って結果と見るのは正しくない。
コミュニティの在り方は、
結果ではなく、受動と能動・内と外のはざまから、
生み出される変化のプロセスなんだと僕は思う。




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金曜日に、武生東高校で講義。
青年海外協力隊経験者が6人ほど集まり、
それぞれのクラスに分かれて、体験談を話すというもの。
武生東高校では、異文化理解の授業に
多くの時間を割いているようで、
この講義もその一環。

いろいろと事前の準備を生徒がしており、
インドネシアに対しての質問や
協力隊の質問が、2週間も前から僕の手元に届いていた。
それをもとに、僕なりに今回の講義の内容を決めたのだが、
題目は
「異文化理解と国際協力」。
毎回、講演ごとにその内容のテーマを3つに絞っている。
今回も3つあった。

①異文化理解って何を理解することなの?
②国際協力って何?
③異文化理解の果てにあるものとは?

この3つの問いに答えるように
僕の経験談が続いていき、最後にこの答えがみんなで
共有できれば、と思ってやっている。
初めに、何を話すかを言っておくので、
このやり方だと、聞いている方も集中しやすいし、
やる方も楽。

長くなるので、講義の内容は割愛しよう。
聴きたい方は、講師として呼んでくだされば、
スケジュールに余裕さえあれば、どこにでも行きます。

さて、
この3つのテーマ(問い?)の答えは、
それぞれが感じてもらえればいい。
僕は、異文化理解とは、その視点で地元を見直せば、
そこに地域変容の大きなダイナミクスが存在すると思っている。
海外に飛び出すのが目的じゃない。
その飛び出した行動力と、培った視点で、
生活としてかかわり続ける場に、
変容をもたらす存在になることが
その主題ではないかと感じている。

異文化理解は
オモシロ人類学じゃなく、
その視点で、自分や地域の常識を疑えるようなれば、
文化と地域の面白い化学変化を目の当たりにできるだろう。
という、そういうお話をした。



タイトルのパネルディスカッションに、
パネラーとして参加。
基調講演を、元NHK記者の久米井彩子氏が行った。
『元気な日本を取り戻すために』という表題だった。

パネルディスカッションそのものは
久米井さんの内容をそのまま引き継がず(引き継げず?)
自由度の高いトークになったように思う。

日本&福井のここが変だ、や、ここが好き、が
異国人や異国社会を経験した日本人の視点から
話し合った。

メンバーは、アメリカの方、ロシアの方、韓国の方と
渡米経験者と僕の5人。
その中でも、途上国の農村部の立場で話すのは
僕だけだった。

僕の印象に残った話は、
アメリカの方の「福井は人がとても温かい」という言葉。
別に冷たい印象は僕もないが、
南国的なフレンドリーさには欠けると
常々僕自身も含め思っていたので、
この発言には驚いた。

面白いな、と思ったのは、
渡米経験者の方から、
社会認識から育児に解放されない日本人女性の
話があった。
ベビーシッターをうまく利用し
夫婦だけで旅行したり、休暇を楽しんだりできるのは
社会がそれを許容するからだという発言には
とても納得。
夫婦関係が良いから、よい家族ができてくる。
仕事のストレスもうまく発散できる。
無理のない家族のスタイル。
僕は賛成だな。
でも福井だったら、近所や舅や姑から何か言われそうだね。

会場からの質問では、
県外出身者の方から面白い質問があった。
「県外から転勤できましたが、福井の人は仕事に一所懸命で100点満点を目指しているように思えます」
と意見があり、
それに対して、福井歴15年のロシアの女性が
「福井の人は休むのが下手。ロシアではバカンスに1か月くらい出かけます」
と話していた。
これも社会認識なんだろう。
所属する社会が、そういう価値を許容していれば
僕らはもっと楽に暮らせると思うのだが、
それができない窮屈な空気、それが今、
僕の周りにとりついて離れない。
ロシアの方の意見に、僕はとても賛成である。

今回、壇上では深まらなかったのだが
久米井さんの個と集団の話がおもしろかった。
日本とアメリカに比較で
個人のポジティブ思考が強いアメリカでは
誰かを頼りにせず、問題を解決していけると
話していた。

今回の議論では、「地域」というキーワードが一切出てこなかったので
やや議論が深まらない結果だったのかなと思うのだが、
アジアの農村部において、
別に個のパフォーマンスがそれほど強くない場合でも
問題を解決していける力が、今の日本の集落以上にあるように思う。
欧米との比較だと
集団と個になりがちだが、
それよりももう少し広くとらえてみると、
もしかしたら、所属している地域とのかかわりあいの違いも
あるんじゃないかと、少し推測している。
寝るだけのベットタウン化している、
日本の地域や農村部には、
そもそもその地域に係わろうという意思を
持った人が少ない。
これもまた僕らの周りにべったりとまとわりつく
社会的な認識もあるんだと思う。

その当たりをもう少し海外の事例も合わせて
聞いてみたかったというのが本音。

とにかく、普段ならば議論し合わない人たちと
話を交わせたので、満足だった。


若者チャレンジ応援プロジェクトに参加。
福井県が、今年から始めたプロジェクトで
若者の地域活性の活動に
30万円の予算をつけるというもの。
今日はそのコンペ大会があった。

参加と書いたが、僕がコンペでプレゼンしたわけじゃない。
今までだったら、そうなのだが、
年齢制限があって、『若者』の枠に入れなかった。
今になってだが、誰か『若者』を代役に立て
発表してもらっても良かったのかな、とふと思わないこともない。

で、僕の参加だが、なんと審査員として参加した。
なんとも人選ミスな感じもしないでもないが、
一体、『若者』がどんなプレゼンをするのか
楽しみで参加した。

堅実な感じのプレゼンから
少々破天荒な感じのプレゼンまでいろいろだったが
そのどれからも、未熟ながらも若い力を感じた。
あああ、やる気のある奴は、どこにでも居て
そしていろんなことにチャレンジしているんだなぁ。

自分が福井に帰郷したころは
『仲間』と何かをやることに飢えていた。
何かをやろうと思っても、それに同調する『仲間』が少ないと
感じることが多かった。
また、そういったものを形成する「場」も少なかった。
既存の組織は、たいていやや形骸化して
ルーティンな活動を続けていただけだったし
そこに集まる連中も、その「場」を活かして
何かをやってやろう、という気概がすくなかった。
そんな中で、周りから煙たがられながら
1人悶々としていたのを
今回のプレゼンを見ていて
久しぶりに思い出した。

僕も停滞しているわけにはいかない。
自分の今やっている活動を
さらに加速させていこう、そう思った。


ここ最近、人前で話をする機会が増えた。
協力隊から帰国直後は、月に1回以上のペースで
学校で出前講座をしていたのだが、
10年以上もすぎると、そんな機会もなくなっていた。
ただ、最近、いろいろなところで取り上げてもらうことが増え
少しずつだが、人前で話をする機会を頂いている。
この作業は、僕にとって
脳みそのいつも使う部分とは違った部分を使うので
とても刺激的。

さて今回は、
5年経過した学校の先生を対象とした研修に
講師としておじゃました。
話す内容は、いつもとほぼ同じで
協力隊から大学院時代、そして現在の活動の軌跡を
話しつつ、風土(地域)づくりに必要なことは何かを
いっしょに考えてみようというもの。

今回は、教育研究所から
「人づくり、自分づくり」というタイトルを頂いたので
それを一つテーマに加えて、考えてみた。

結局のところ、僕が思うに
人づくり、自分づくりとは
他者と関わり続ける姿勢なんじゃないかな。
そしてそれが異文化であればあるほど、
それに関わる自分の価値や存在が危機に立たされ、
その都度、そう思っている自分とは何なんだ?と
問い続けることが、大切なんだと思っている。

無批判&無思考に
異文化交流や国際協力を肯定し、
それに向けての行動を盲目的に行うのではなく、
それはいったい何なのか、それに気が付くことが
最近は大切な気もしている。

異質なものとの遭遇こそ、
新しい何かを築く原動力となり、そのプロセスの積み重なりが
人や地域を大きく育ててくれるんだと思う。

そんな話を、得意の「風土」に
ひっかけて話をした(風はよそ者・土は地元の人)。
そうしたら、講演後、ある先生から
「学校の中でも『風土』という言葉を使うんですよ。学校の先生は移動し続けるから『風』で、その地元『土』に入り込んで行って、その地域を創り上げていくってね。田谷さんはそれを知っていたんですね」
と言われたのだが、僕はそんな話は知らなかった。
でも、やはりどこでもこういった話は
通ずるところがあるようで、
僕の解りにくい異文化理解や国際協力の話も
身近に感じてくれたのではないかと思う。

最近、農作業に追われていたが
僕にとっても、いい気分転換になった。
聞いてくれた方々にとっても
そうであってくれたら、幸いである。



2月にあったJAの青年の主張。
そのお疲れ様会を開いてもらった。
あれから、一か月半が経ち、なぜ今頃?と
思われるかもしれないが、
インドネシア調査や確定申告等々があり、
延び延びになって、今日に至った。

あれだけ1番にこだわっていたのだが、
順位は、この際、どうでもいい。
今はそんな風に思える。
なぜなら、僕が発表をするという行為が
場を生み、そこに仲間が集ってくれたからだ。
良い発表だった、と声をかけてくれる人、
面白いこと考えているな、と興味を持ってくれた人、
飲み会が増えて良いよ、と僕を肴に酒を飲む人々、
そんな人たちに囲まれて、飲む酒は最高だった。

うちで研修をしている子たち(日本人)も
この席に参加してくれた。
東海北陸大会から応援してくれた大切な仲間。
酔った勢いで、彼らに
「旗を立てろ」と
やや自分でも恥ずかしいような
大きなことを繰り返し言っていた。

旗を立てろ。
それは、何か行動することで
そこに人が集まるきっかけと場を作るという意味で
僕は使っている。
旗印がそこに立てば、
そこに場が出来る。
場ができると、人が集う。
そして「力」が生まれる。
地域を創り上げていく「力」が。
その旗印はなにも個人的なものじゃなくてもいい。
いや、個人的なものじゃない方が良い。

そんな旗印を立てたという意味で、
青年の主張に、全国大会に、参加できてよかった。
そう実感した、春の夜だった。

今度、ハローワークの就職支援の講座として
農業ビジネス人材育成科をやることになったらしい。
リンクはこちら
そのセミナーに講師として、3回ほど授業を受け持つことになった。
圃場実習では、県内の4件の農家でやるのだが、
その一つが、僕の圃場。

県立大学の先生や県内農家、行政&JAなどからも
講師として教えに来てもらえるとのことで、
なかなか贅沢なセミナー(僕のは、贅沢とは言えないけど)。

3時間の講座を3回やる予定だが、さて、何をやろうかしら。
東南アジアの農業との比較からみた日本の農業や
これまで訪ねて回った国内外の農業ビジネスの成功事例、
さらには、農の営みと社会(風土)創生について
話ができればと考えている。

現在、期間延長して受講希望者を募集中。
もしよろしかったら、上記のリンクから
お問い合わせください。
第57回JA全国青年大会で
青年の主張の部で発表をした。

結果は、新聞にも出ていたので
ご存知の方も多いかもしれないが、「優秀賞」だった。
全国から6人が勝ち上がってきて、
最優秀賞の1人を除いて、あとはみんな「優秀賞」。
まぁ、参加賞もしくは残念賞といったところだろうか。

結果がどうであれ、僕はベストの発表をした。
話していくうちに、原稿に沿ってしゃべっているのではなく
なんだかその場で、そのセリフを思いついて話しているような
そんな不思議な感覚だった。
1500人居たらしいが、それでも緊張はなかった。
ステージの上は、前回の富山と同じく
広く、見晴らしのいい、とても気持ちのいい場所だった。
ただ、その時と違ったのは、
僕に、もっとメッセージを伝えたいという
自分でもわからないそんな力と気持ちがあったことだろう。

時間は10分4秒。
発表時間は10分だったので、4秒オーバーだったのだが、
採点基準から言えば、10分5秒から減点とのことなので
ある意味、時間一杯一杯使って話をすることができた。
あれ以上の発表は、たぶん、もうできない。
(会場がさらに広くなれば、あれ以上の発表になる可能性はあるけど)
なので、あの発表で「優秀賞」というのであれば
それを受け入れるしかあるまい。

結果発表後の
応援に駆け付けてくれた方々の脱力した顔には
本当に、申し訳なかった。
みんな、1位を信じてくれていただけに
本当に残念そうだった。
「僕の力不足でした」とただただ申し訳なくて謝って回ったが
今でも、何が足りなかったのか、僕にはわからない。

いろんな方から、
「今までの青年の主張とは全く違っていた」と評価を頂いた。
それを僕は大切にしようと思う。

今まで応援してくださった皆様、
本当にありがとうございました。
最後の最後に、「優秀賞」という、
なんとも決まりの悪い賞になりましたが
自分の発表とその内容には、自信と誇りを今でも持っています。
これも皆様からたくさんの応援を頂き
叱咤激励があってこそ、実現したことだと思っています。
応援してくれたみんなに伝えたい、というそういう想いが
僕にあんな大層な場でも、落ち着いて発表できたのだと思います。
本当に、発表の時間もそうですが、
それに至るまでのすべてのプロセスの素晴らしい時間を
ありがとうございました。



最後に、発表原稿を載せておこう。

以下、発表原稿

『地域を創る「場」と風土』 田谷徹

僕は露地やハウス施設で多品目の野菜を作っています。経営は家族だけでなく、雇用もしており、10数名でにぎやかに農業をしています。本格的に就農して、今年で5年目になりますが、それまではあれこれと人生の道草をしていました。その道草で得た雑感を、今日の主題にかえて話したいと思います。しばらくですが、お付き合いください。

僕は農家の長男として生まれました。だからというわけではありませんが、大学では農学部に進学しました。しかし実は、家業の農業を継ぐことはあまり考えていませんでした。僕にはある夢がありました。それは青年海外協力隊に参加することです。外の世界を知りたい、という強い欲求と共に、父や母、祖父や祖母の労働の姿に尊敬はしつつも、土地に縛られ、つらい肉体労働が続く家業にあまり魅力を感じていませんでした。

大学卒業したその年に、僕は青年海外協力隊に参加しました。任地は、インドネシアのスラウェシ島でした。その島の田舎の県に配属されました。配属先からの要請は、貧困な地域で村おこしをしてくれということした。そこでは僕は、高く売れる新しい野菜の指導や直売などを推し進めていきました。失敗の連続でしたが、海外での地域開発の魅力に取りつかれました。海外で活躍できる人間になりたい、と強く思うようになったのです。
協力隊から帰国後、僕はインドネシアの大学院に入学しました。それは次の海外プロジェクトに参加するための準備でした。ですが卒業後、内定を頂いていたプロジェクトを断り、僕は地元に戻って農業を始めました。それは大学院の最後の課題である修士論文を書き上げる時、僕にある変化が生まれたからです。

修士論文の調査は、JICA(国際協力機構)がインドネシアで行っていた農村開発プロジェクトのある村で行いました。開発の政策や援助がどういった影響を及ぼしているのかを現地の住民目線で調べるのが目的でした。国家政策や海外からの大きな援助という影響を受けて、それらが主導で地域が変わっていくことを想像していたのですが、現実は違いました。住民はただ受身で流されているわけではなかったのです。そこでは、開発の影響を受けながらも、自分たちの地域を自分たちで作る姿がありました。こうした調査をしていて気がついたのですが、地域住民にとって、外からの援助や政策は、とても大きなインパクトです。でも、それを紡いで、自分たちの地域を創り上げてきたのは、そこに住む人々でした。調査のインタビューの時に、自分たちの地域の歩みを自慢げに語る農家の方々は、僕の目にはとても素敵に映りました。自分たちの地域を創り上げてきた自信と誇りに満ちていました。

そのことに気が付いた時、僕の生まれ育った福井にも目を向けてみると、やはり当然のことですが、僕の地元にも同じような人々の暮らしがあったのです。過酷な労働ばかりに見えていた農業と閉塞を感じていた地元の農村の風景が、実はまさに今、地域が創られようとしているダイナミックな場であることに気が付いたのです。僕も同じような農民として、地域を創り上げていく存在になりたい。そう思うようになり、地元に戻って農業を始めました。

地域を創り上げる、といっても、では創り上げる地域とは一体何でしょうか。主体ある地域を極めて鮮やかに表現するときに、「風土」という言葉を用いることがあります。風土とは、その地域の主体的な文化であり、社会であり、そこに暮らす人々の思想だと思っています。「風土」とは風と土の文字で成り立っています。つまり風と土で出来上がっているのが、その地域の主体と言うわけです。土とは、地元の人間のこと。僕ら農民のことです。土地に根を張り生きている存在です。そして風は、よそ者。風が吹くように外部からやってきて、違った視点でその地域に関わります。土だけでも、風だけでも風土は出来上がらない。この二つがあって、初めて風土が醸成されていきます。土である地元の人は、良く地元を知っているような気がしますが、長年住み慣れた地元を固定的に見る視点からは、新しい発想は余り生まれてきません。その地域の常識にとらわれないよそ者は、全く新しい視点で、その地域を見るので、奇抜な発想が生まれることがあります。ただそれがそのまま地元に合うかどうかは、かなり疑問もあります。地元の人間がそれを活かし、風と土の関係がうまく調和してはじめて、その地域の風土となるんだと思います。

地元に戻った時、それまで外ばかり見ていた僕を暖かく迎え入れてくれたのが、地元のJA青壮年部でした。そこでは、江堀などの共同作業をしたり、スポーツ大会などで懇親を深めたりしました。活動自体は、華やかなものではないかもしれませんが、それらを通して、上の世代の方々から村や農業のあゆみについて教えてもらいました。そこには、村や農業と関係を無くしてしまった僕ら若い世代を、再び村や農業に目を向けられるような交流がありました。そして同時に、上の世代の方々の語りの中には、僕がインドネシアで見た地域を創る土としての農民の姿がありました。

僕はまた、自分の地域に、風であるよそ者がたくさん来てくれるような場を自らも作ろうと思っています。2008年から、インドネシアの農業研修生を受け入れています。現在3名のインドネシア農民子弟が、僕の農園で研修しています。またアフリカのセネガルの青年を僕の農園のスタッフとして雇用しており、新規就農したいという日本人青年も3名受け入れています。彼らのよそ者の視点が、僕や地域の農業を強く刺激してくれます。そして日本人青年たちは、いずれこの地で独立し、一緒にこの地域を創り上げてくれる農民になってくれることを期待しています。

地域の農業発展の鍵は何なのか?
それは農業の技術的向上だけではなく、また経営的な改善だけでもなく、ましてや市場と言う限定的な取引の場の存在だけでもありません。当然それらも大切ですが、それ以上に、僕ら風土の「土」の人間が積極的に地域を創り上げていこうという想いと、そして、その想いを実現していける風と土が交差する『場』を作っていくことが大切なんだと思っています。その場とは、いろんな人々が訪れてくれる、また協働していける農業の現場であり、JA青壮年部のような、若い世代が再び村や農業と関係を創っていける活動の場なんだと思います。
外から吹く風をいっぱいに受け止め、それを地元の風土として還元していける、そんな農民を目指して、僕は土を耕し続けています。ご静聴ありがとうございました。




今日、東京へ向かう。
JA青年部の全国大会に出るために。
その大会の青年の主張というスピーチコンテストで
自分の想いを思いっきり話してこようと思っている。

このコンテストにエントリーできるのは全国で
それぞれのブロックを勝ち上がった6名のみ。
その6名の中に入れただけでもうれしいのだが、
それ以上に、日比谷公会堂という大きな舞台で
地元の応援団を含む、多くの方々に自分の考えを
話す機会があることに、至極幸福を感じている。

ただ、友人に言わせると
「あれ?タヤって、青年?」
とのことだが、そこは気にしないでおこう。

では、いってきます。

青年の主張の大会も近くなってきた。
県大会の時から、大会前になると
有志の方々が集まって
発表練習をある居酒屋で行ってきた。
居酒屋はいつも同じ場所。
県の大会でもそうだったし、
東海北陸大会の時もそうだった。
だから、験を担いで
今回の全国大会前にも、その居酒屋で
発表練習という名の飲み会をした。

その居酒屋は、特段うまいわけでもない。
どこにでもある安い居酒屋。
どうせなら、初めからどっか良い料亭で
発表練習をすればよかった、と
悔やんでも、仕方がない。

さて
全国大会ということで、
いろんなところで発表練習を
させてもらったのだが、
今回は、自分でも不思議なくらい
スピーチ原稿を言い間違えてしまう。
東海北陸大会では、そらんじて言えたのに。
どうやら周りが思ったよりも騒ぐので
自分も気負ってしまって、すこし緊張しているらしい。
全国から、日比谷公会堂に立てるのは
たったの6人。
その6人の一人になれただけでも
十分だとは思いながらも、
どうせなら、一番高い場所の景色も見てみようじゃないか、と
少し身の丈に合わない考えも
あるのも事実。

験担ぎの居酒屋での飲み会から
僕のラストスパートも始まった。

僕は海外での農村開発の経験を生かしながら、地元で地域を創り上げる農業をしています。5年前の31歳の時に就農し、年間50品目以上の野菜を生産し、ベビーリーフなどの西洋野菜や福井の伝統野菜などの品目を武器に、市場出荷だけではなく業者やレストランと直接取引しています。就農当時から雇用による経営を重視し、今ではインドネシアの研修生やセネガル人のスタッフも交え、10数名でにぎやかに農業をしています。

僕は農家の長男として生まれました。大学は農学部に進学し、在学中に国内外を問わず、様々な農家を訪ねて回りました。しかしそれは、実家の農業を継ぐためではなく、自分の夢であった青年海外協力隊に参加するためでした。家族の農業に対する労働の姿に尊敬はしつつも、土地に縛られ、つらい肉体労働が続く家業に、僕はあまり魅力を感じていませんでした。

大学卒業したその年に、僕は青年海外協力隊に参加し、インドネシアのスラウェシ島に派遣されました。その島のある田舎の県に配属され、貧困な地域の村おこしにつながる農業指導を担当することになりました。まずは商品作物の普及を支援することになりました。しかし活動は平坦な道のりではありませんでした。初めに着手した落花生栽培は、ほかの島の品種を「市場価格が高いから」という理由で、僕ら協力隊側が持ち込んだのですが、その土地ではうまく育ちませんでした。かかわった農家に損をさせる失敗をした僕は、やり方を変えました。農家を回り、話し合いを積み重ね、徹底的な農家目線から「何がやりたいのか」を探ることにしたのです。その結果、2年目は、地元でもつくられていた赤ワケギを栽培しました。赤ワケギは、人々が毎日食べる唐辛子ソースはじめ、なんの料理にでも使う野菜です。農家と一緒に研修参加、種子の買い付けからはじめた栽培は大成功しました。しかしその年、アカワケギの相場が大暴落し、栽培農家は痛手を負いました。当時インドネシアは経済危機の真っ只中で、IMFの提案による政府の一方的な農産物市場の自由化に翻弄されたのです。

この経験から、農家がその後、一つの品目に特化せず、リスク回避の栽培の多角化をはかっていく原動力となりました。僕が現在、多品目栽培をしているのもこの経験からです。2度の失敗を活かし、僕は農家と共に多種多様な野菜を栽培し、消費者と提携しながら直売などを行いました。そしてそれらの活動を通して、農家の収益を増やすことはできたのですが、他方では、野菜の行商は社会的地位の低い仕事、という現地の認識など、文化的な価値観の違いもあり、一筋縄ではいきませんでした。この経験から僕は、農業は個人的な栽培技術や経営として考えても、うまくいかないことを知らされました。それと同時に、海外での地域おこしの活動の魅力にも取りつかれました。海外で活躍できる人間になりたい、と思うようになったのです。

協力隊から帰国後、僕は再びインドネシアに行きました。インドネシアのボゴール農科大学大学院で学ぶためです。そこでは、農村社会学を専攻し、協力隊の時には出来なかった社会や文化から農業を見ることを学びました。それは、次の海外プロジェクトに参加するためでした。ですが、大学院の最後の課題である修士論文を書き上げる時、僕にある変化が生まれました。

修士論文の調査は、JICA(国際協力機構)がインドネシアで行っていた農村開発プロジェクトのある村で行いました。開発の政策や援助がどういった影響を及ぼしているのかを現地の住民目線で調べるのが目的でした。国家政策や海外からの大きな援助という影響を受けて、それらが主導で地域が変わっていくことを想像していたのですが、現実は違いました。住民はただ受身で流されているわけではなかったのです。たとえば簡易水道を設置する援助事業では、各家庭に水道を引くことで水汲み労力軽減を目的としていましたが、住民は水道をはずし、誰でもアクセスしやすく管理しやすい共同の水汲み場にするといった読み替えをしていました。また大豆栽培を奨励する政策では、大豆の種子をもらいつつも、近くの市場でより高く評価されるインゲン豆と種子を交換し栽培している風景もありました。そんな風にして、自分たちの地域を自分たちで作る姿がありました。こうした調査をしていて気がついたのですが、地域住民にとって、外からの援助や政策は、とても大きなインパクトです。でも、それを紡いで、自分たちの地域を創り上げてきたのは、そこに住む人々でした。調査のインタビューの時に、自分たちの地域の歩みを自慢げに語る農家の方々は、僕の目にはとても素敵に映りました。自分たちの地域を創り上げてきた自信と誇りを感じました。

そのことに気が付いた時、僕の生まれ育った福井にも目を向けてみると、やはり当然のことですが、僕の地元にも同じような人々の暮らしがあったのです。過酷な労働ばかりに見えていた農業と閉塞を感じていた地元の農村の風景が、実はまさに今、地域が創られようとしているダイナミックな場であることに気が付いたのです。僕も同じような農民として、地域を創り上げていく存在になりたい。そう思うようになり、地元に戻って農業を始めました。

地域を創り上げる、といっても、では創り上げる地域とは一体何でしょうか。主体ある地域を極めて鮮やかに表現するときに、「風土」という言葉を用いることがあります。風土とは、その地域の主体的な文化であり、社会であり、そこに暮らす人々の思想だと思います。「風土」とは風と土の文字から成っています。つまり風と土で出来上がっているのが、その地域の主体と言うわけです。土とは、地元の人間のこと。僕ら農民のことです。土地に根を張り生きている存在です。そして風は、よそ者。風が吹くように外部からやってきて、違った視点や考えでその地域に関わります。土だけでも、風だけでも風土は出来上がらない。この二つがあって、初めて風土が醸成されていきます。協力隊村の経験や大学院での調査からも言えるのですが、土である地元の人は、良く地元を知っているような気がしますが、長年住み慣れた地元を固定的に見る視点からは、新しい発想は余り生まれてきません。その反対に、その地域の常識にとらわれないよそ者は、全く新しい視点で、その地域を見るので、奇抜な発想が生まれることがあります。ただそれがそのまま地元に合うかどうかは、僕の協力隊の経験や海外援助の事例から見ても解る通り、かなり疑問もあります。地元の人間がそれを活かし、風と土の関係がうまく調和してはじめて、その地域の風土となるんだと思います。

地域を創り上げる農民になろうと決心してから、僕は自分の地域に風であるよそ者がたくさん来てくれるような場を作ろうと思っています。2002年から、福井農林高校とインドネシアの農業高校の交流の通訳兼コーディネーターをしています。2008年からは、そのインドネシアの農業高校から、卒業生を対象に農業研修生を受け入れています。現在3名のインドネシア農民子弟が、僕の農園で研修しています。この農業研修では、農業の近代化を追い求めるのではなく、僕の農業と研修生の地元の農業を比べながら、お互いがお互いから学べるような研修を目指しています。研修が3年目になる研修生には、自主研究を行ってもらっています。今年3年目の研修生は、僕が実践している堆肥にとても興味を示しており、彼は自主研究でもテーマを有機肥料に絞り、その成果を毎週のゼミを通して発表してもらっています。また研究圃場も準備し、実践的にも有機肥料について学んでもらっています。インドネシアの農村では、まだまだ化成肥料神話が根強く、そのためか土壌も疲弊しがちです。その状況に彼が新しい風となって、有機肥料の考えを広めてくれることを期待しています。

インドネシア研修生以外にも雇用をしています。青年海外協力隊つながりで、アフリカのセネガルの青年を僕の農園のスタッフとして雇用しています。さらに今年は、新規就農をしたいという日本人青年を3名受け入れています。いずれは彼らもこの地でそれぞれに独立し、一緒にこの地域を創り上げてくれる農家になってくれることを期待しています。そういった外から吹く風をこの地に埋め込んでいくことこそ、僕は地域を創り上げていくことだと思っています。

これらの風の効果は着実に目に見えてきています。僕が所属する4Hクラブでは、活動がマンネリ化し、今一つ活発に動いていませんでした。しかし、外部の人や研修生、そして僕自身が風となり関わることで、新しい活動を生みだしています。2008年に4Hクラブと保育園とで行った田んぼ体験の活動では、園児の父母や保育士が実行委員として参加する形で、できるだけ手作業での稲作に挑戦しました。収穫した米は、それぞれの集落の老農に教わりながら、昔に使われていた唐箕や千歯などの道具を使い、精米して食べる試みもしました。この活動は、4Hクラブの活動発表コンテストで発表したのですが、全国大会出場というおまけまでついてきました。それ以来、みんなで盛り上がりながら、農業体験の活動を行っています。こうした取り組みを通じて、一緒に地域を創り上げていける仲間が出来つつあります。

地域の農業発展の鍵は何なのか?そんな難しいことは解りませんが、これまでの経験から風であるよそ者と土である地元の人間が交差する『場』を作っていくことこそ大切なんだと思います。そしてその場を支えるはずの僕ら土の人間が、積極的に地域を創り上げていこうという想いが大切なんだと思います。そして、その風と土が交差する場とは、いろんな人々が訪れてくれる、また協働していける農業の現場なんだと思います。外から吹く風をいっぱいに受け止め、それを地元の風土として還元していける、そんな農民を目指して、僕は日々、土を耕し続けています。
先週末、地元のJA青壮年部の忘年会があった。
忘年会と同時に、
僕の青年の主張全国大会出場の祝賀会も兼ねていた。
その祝賀会で、普段はあまり話さない人から
僕の青年の主張の内容について声をかけられた。
その人は
「あの話に勇気をもらった」
と言ってくれた。
兼業農家さんで、仕事の片手間に田圃をしている人で
田圃が重荷に感じていて、
そんな農業が自分に何の意味があるんだろう、と
考えることもあったのだとか。
それが、僕の主張を聞いて
「勇気をもらった」とのことだった。

僕は、経営体として農業の規模を論じるとき
時には、第2種兼業農家の
農業界からの円満退場の必要性を
感じる時があるが、
それの多くは目先の経営論にしかすぎないことも
僕は自覚している。
他産業へ移行しつつも
そこの利益でもって、農業の負債を埋めるという
一見合理的に見えないこうした農民層は
純粋な損得論では理解はできない。
土地はただ作物を生産する場だけではなく、
(時には転売期待がそこにはあるのだが)
そこにある思い入れが同時に存在しているように思う。
ただ、それが青年部で話をしていると
今の僕ら世代には、そんなものが微塵も感じられない。
今まで風土(地域)を支えてきたものが
その土に対する愛着と
実際に負債を抱えながらも、外部からの投入で成り立ってきた
兼業農家群だったのは、
まぎれもない事実だったのに、
今は、それすらも消えようとしている。
農業が経営体として語られることに、
僕はある意味で正しいと思っている。
だが、それを突き詰める先に
消えゆく地縁があることも忘れてはならない。
その地縁が、僕らの風土を創り上げて
僕らの文化を創り上げていることも
忘れてはならない。
そんなことに、僕は青年の主張の場を借りて
僕らが土を耕し続ける意味を
僕の周りの人たちに語ったつもりだった。

解ってもらえないかもしれないと思っていたが
その夜、
その人から
「勇気をもらった」という言葉をもらって
僕もうれしかったし、
僕も勇気をもらった。



JA青年部の「青年の主張」東海北陸ブロック大会に
福井県代表として参加。

県大会とは全く規模の違う大会で
しかも参加者は、各県の代表とあって
発表内容も態度もどれとっても素晴らしいものだった。

結果から言えば、
そんな強豪ぞろいの中、
僕が東海北陸ブロックの代表として選ばれた。
まったく幸運に恵まれたとしか言えない。

発表の内容としては
前回のエントリーで書いた
毎日農業記録賞とほぼ同じ。
ただ発表用にもっと話は短いし
内容もJA青年部に特化している部分もある。

発表は10分。
パワーポイントやフリップなどのツールの使用はダメ。
ただただ話すだけ。
しかも壇上では、時計もストップウォッチも持っていけない。
9分経った時点で、ランプで教えてくれるのだが、
全体的には
体内時計だけで話すという、
過酷なスピーチコンペ。
しかも、10分経ってから5秒過ぎると1点減点だとか・・・。

600人ほどの聴者の前で話したのだが
順番待ちをしているとき、これほど緊張したのは
ちょっと記憶にない。
しかし、壇上はとても眺めがよく、
多くのスポットライトが温かく感じ、
ピンと張りつめた空気が、心地よく
とても気分の良い場所だった。
練習以上の出来で、
自分でも驚きながら話していた。
応援に駆け付けてくれた地元の仲間の顔が
1人1人確認でき、
一緒に仕事をしているインドネシアの研修生や
日本人研修生
そして、セネガルのイブライの顔もよく見えた。
あぁ、イブライが居るなぁ~、としみじみ思った瞬間に
言い間違えてしまったのは、愛嬌。

この発表は、もちろんコンペに勝つために作ったのだけど、
本当の目的は、応援に来てくれた地元の仲間に対しての
僕のメッセージだった。
それがあのような大きな会場で
しかも、一人一人を見ながら話ができたことが
僕は何よりもうれしかった。

僕が思っていることや感謝、それが伝わっただろうか。
僕は、彼ら仲間と、これからも一緒にやっていきたい。
来年の2月、日比谷公会堂で全国大会に
東海北陸ブロックの代表として出場する。
もう一つ、大きな舞台で、
またその思いを仲間に伝えることができる機会を得たのが
とても、とても、うれしかった。


田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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