FC2ブログ
10月の出張は
自分たちの今後の営農や
その方向にとってとても大事なポイントとなるだろう。
そんな予感が強い。

生計調査は
それぞれ実習修了生のカテゴリ別に記録したが
改めてそのリンクをここに貼ろう。

ヘンドラの場合

レンディの場合

クスワントの場合

これらの調査を通じて
僕もそのインタラクションの影響を大きく受けた。
調査を通じて見えてきたのは
日本での資金では、その後何年もかけなければ
次の大きな投資ができなかったり、
その投資も数年以上は芽が出なかったり、
もしくはその業態でスケールアップするには
一から構築しなおすくらいの投資が必要だったりと
思った以上に苦労があるということだった。

これは僕自身も営農をしていて感じる点で
どうにかこうにか人をたくさん抱えるためには
売り上げをあげていこうとしているのだが
なかなかその部門を新設し育てきれない、という悩みがある。

彼らも現状で十分一般的な農家以上の販売力を
持っているとは思うが
まだまだ地域をけん引するような
そんな産業を生み出すまでは到底至っていない。
ま、僕もそんな感じだけどさ。

新しい投資が必要だと
本当に感じる。
それがインドネシアの金融機関がしてくれるのが
一番だが、そのチャンネルは
彼らの肩越しからは見えてこない。

あと
営農の変化や考え方の変化が
年に1回だけの調査ではもう追いつけないこともある。
卒業生も9名が活動しており
これからそれは増える一方になる。
時間的制約を受けながらの調査では
今回のように4人ほどが限界で
それを駆け足で行ったためか
今回初めて現地で医者にお世話になった。
そして
調査を受ける側も
僕のスケジュールに大きく左右されてしまうし。

マイクロクレジットを通じて
次のステージをと
実習生たちと一緒に作った耕志の会には
その資金が現在80万円ほどある。
だが、結成してから8年経つが
まだこの資金をマイクロクレジットとして
仕えていない。
仕組み作りはしているが、実際に運用に
誰がどうコミットするのかが決まらないからだ。
無給で借金の管理をする誰かが現地に必要で
不透明なお金の流れのままでは
あの不正や汚職大国のインドネシアでは
きっとあっという間に、
篤農家予備軍の彼らを汚職者にしてしまう。
それだけは避けなければ、と二の足を踏むあまり
お金が死に金になっていた。

もう待ったなしだ。
今回はそう強く思った。

で、だったら、
僕の代わりにインドネシアで
そんな業務をする人を雇っちゃおうか、
と思い至った。
それを農園たやの業務として
農園たやからの給与として、さ。

青年海外協力隊で農園のスタッフ立崎を
現地に派遣しているが
彼女は、学校の活動や今後農園が取り組むべき課題に向けて
別の大切な活動を任せている。
とてもそこまで手は回らない。

なので、
JICA基金で現地コーディネーターを務めてくれた
3期生のタタンをローカルスタッフとして契約をできないか
帰国後ずーっと交渉をしてきた。
そして先日、
ようやく業務内容や条件で合意に至り、
来年2019年の1月より
農園のローカルスタッフがインドネシアの農村で
活動を始める。

イメージとしては
生計調査と営農調査を毎月行い
投資に値する事業を実習修了生と作り、
実習修了生への農業技術の情報発信や
実習生の農産物を日本へ輸出するところまで見据えて
活動をする。
また農園たやでの技能実習生公募に対する
説明会を開き、より質の高い実習生を集めたり、
彼ら彼女らの
来日支援(借金なしで出発できるように)も行う。

これらが実現するかどうかは
とにかく来年ローカルスタッフと一緒に
汗をかきながら、インタラクションしながら、
考える場所に自分を置いて
過ごしてみることで
次も見えてくるんだと思っている。

さ、やることは多いぞ。
歩みは止めるなよ、おれ。


関連記事
ヘンドラやレンディと違って
政治的なアプローチを好まない男もいる。
それがクスワント。
彼は村内政治を利用するよりも
それに批判的な立場をとるような男だ。
だから、
「まちがっても集落長や村長にならないですね」と
と調査の時に言っていた。
ま、僕から見たら君は一番の野心家だから
たぶんその時が来るまではそんなそぶりは見せないだろうけどね。

彼は農薬や肥料・種などを販売する資材屋を経営しつつ
トウモロコシとトウガラシとサツマイモの輪作で
生計を立て、
そして丁子とコーヒー栽培にも乗り出している。
奥さんも働いていて
タンジュンサリ農業高校の校内に
軽食屋を経営している。
これが彼の世帯の生計戦略。

ヘンドラやレンディのような集落長としての
毎月の役職給は無いが
農業資材屋が毎月の収入に大きく貢献してくれるのだとか。

クスワントのように
果菜類や根菜類の場合、
投資してから収入を得るまでの期間が
やや長い。
毎月の生活費や必需品の購入で
キャッシュフローが良くない場合も多く、
農家にとって毎月の安定収入は
経営安定の鍵ともなる。
それをクスワントは
農業資材屋の商売で補っている。
年間で20万円程度の利益。

一方、トウモロコシとトウガラシとサツマイモは
トータルで8万円くらいの利益。
水田での野菜栽培のため
米はこれらの利益から買ってくるとのことで
米作はしていない。
この点も、僕らが良く議論していたことを
実践に移していると言えよう。

奥さんの軽食堂は毎日100,000ルピアの利益がある。
1年で18万円ほどの利益。
かなり大きい利益といえる。
ただこのお金は奥さんの口座に入ってしまうので
クスワントは手出しは出来ないという。
夫婦で財布が別なのがちょっと新鮮で
そういえばスンダ民族(彼らの民族)の
夫婦のスタンダードな生計的役割を
僕はそれほど詳しくないことを知った。
この件は、きっと現在派遣中の立崎が
僕の代わりに良く調べてくれるだろう。

安定的な収入として
レンディもヘンドラも
集落長としての役職給をあげていたが
クスワントはそれに対して
「僕はビジネスで行きます」
というだけあって、農業資材屋と軽食屋の運営で
安定収入を得ていた。

現在、コーヒーと丁子の畑に
大金をつぎ込んでいるようだが
それが収穫が始まれば
彼の生計は飛躍的に伸びるだろう。
それこそレンディのように次のステージも
見えてくるんだと思う。

そして彼はこういう話もしてくれた。
コーヒーのブランドを持ちたい、と。
自分で加工して焙煎して
それを販売したいのだとか。
ゆくゆくはコーヒーカフェも経営したいという。
彼が実習を終え帰国前に語った夢に
カフェを開きたいというのがあった。
彼の卒業研究が丁子の流通で
その研究過程で出会ったインドのチャイに感銘を受け
「自分の丁子でチャイを提供したい」という夢があった。
丁子でチャイはやらないのかい?と聞くと
「あっ!覚えてくれていたのですね!それもやりますよ」と彼。
人懐っこい笑顔は昔のままだった。



関連記事
10月出張の成果の記録が終わってなかった。
レンディの生計調査の結果を残しておこうか。

レンディは帰国後2年で集落長になっていた。
彼が帰国前のプレゼンで
スマートリーダーになる、とノタマッテいた。
みんなはそれが冗談だと分かっていて
笑い飛ばしていたが
どうも本人は本気だったようだ。

彼は日本にいる間に
自分の住む村から車で40分ほど離れた
他の地域の土地を買い込み
日本にいる時から
父や雇人にお願いをして
その土地にお茶を定植し
そこでお茶栽培を始めていた。
だから帰国してからすぐに
そのお茶の収穫を始められ
すぐに安定した営農を開始できていた。
彼のようなケースは初めてだった。
日本にいる時から土地を買うことはあっても
人を雇って営農を始めてしまうのは
これまで例がなかった。

お茶は安定して毎月収穫できる。
しかも販売は政府の買い取りで
価格変動はない。
インドネシアではお茶農園の労働の
低所得者が問題だと指摘する論文があるが
大きなお茶工場を中心として
零細のお茶農園が点在する産業クラスターの地域は
その安定価格のおかけと
アグリフォレストリー政策のおかげで
経営が安定し、投資も利益を計算できる
とても優秀な農業形態を形成しているようにも見える。

レンディは家族経営だ。
父と叔父とレンディの3人がそれぞれ土地を所有しているが
労働は一緒に行っている。
母が労働者としてそれらの農場で働き
農場のある近隣集落からも午前中だけの
労働者3名もお願いしている。
レンディの主品目は
お茶と伝統種のトウガラシとお茶の苗木販売である。
コーヒー栽培も考えているが、
コーヒーは収量が安定せず投機的でもあるため
今はお茶の方が計算がしやすいということで
お茶で経営を安定させたいという考え方。
年間で15万円程度の販売高。

伝統種のトウガラシは
彼が購入した土地がとても良く
その恩恵を受け、帰国後から高収量を得ている。
価格変動はあるが
昨年は価格も良く大量に収穫もできたので
大きな収益になっていた。
こちらは年間で20万円ほどの売り上げ。

さらにお茶の苗木栽培もしている。
もともとは自分のお茶畑にするために
苗木を栽培すると言っていたのだが
周りの農家の需要も高く
販売用に5万本を生産していた。
原種種子農場から普及用にと
優良品種の苗木を分けてもらえることになり
それも彼の育苗所の人気にもなっていた。
ぜんぜん生産量が足りないとのことで
耕志の会からマイクロクレジットを得て
規模拡大をしたいと語っていた。
販売高は10万円。

たった2年で
彼は公務員給与の2倍の農業所得を得るようになっていた。
その成功が目に留まり
地域のリーダーたちから押されて
2018年3月に
集落長の選挙に立候補し
初当選を果たす。

まだまだ土地を買って
農場を広げていきます、と彼は野心的だった。
2年後には村長選もあるという。
それもでますよ、と屈託のない笑顔で答えてくれた。
君は馬鹿だと思っていたけど
とんでもない大馬鹿だったんだね。
もう僕の想像ではとらえきれなくなりつつある
彼の笑顔は、昔と何も変わらなかった。



関連記事
フィルマンはまだ20歳。
この前、高校を出たばかりで
意識としてはまだまだお子ちゃまだ。
でも運命はそのままでいることを許さない。

農園の技能実習生は
帰国後のビジョンを明確にする必要がある。
その明確になっていくビジョンに向けて
さまざまな学習と投資を行っていくことが
ここに来た者への課題だ。
だから、月間レポートの指導は
いつも以上に熱が入る。

フィルマンは、その家計調査を通じて
彼のおかれている立場を自分でも
理解した。
と思いたいが、課題として出された調査を行っても
それをどのように認識しているのかは
こちらからは見えにくい。
彼が話好きならば、それを通じてどう思ったのかを
自然と話してくれるのだろうけど
はにかみ屋の彼はいつも微笑むばかり。
いろいろ考えているのだろうけど
言語化してはくれない。
こういう子は、経験から言えば手がかかる。

さて、そのフィルマン。
来日して結核が発覚して少ししてから
こういうことを言うようになっていた。
「お父さんが家を新築していて、その2階部分を僕の家にしてくれるっていうんです。だからその建設費の50万円を送金するんです」と。
彼の父は、大工さんなので
材料費だけを出せば、その分を建ててくれるのだとか。
そしてその大好きな父は
新しいお父さん。
前のお父さんが不慮の事故(毒蛇にかまれて死亡)で亡くなり
兄弟を抱えて路頭に迷う一家は
母の遠方への出稼ぎで
何とか生計を立てていた。
そこで知り合った新しいお父さん。
その人と母が結婚することで
再び家族が一緒に暮らせるようになる。
だからなのか
フィルマンはそのお父さんがとても好きだ。
なんでもそのお父さんに相談をするし
とてもよく連絡を取り合っている感じ。

タンジュンサリ農業高校に派遣中の
立崎があちらの先生から聞いた話だが、
フィルマンが実習生として日本に行くのは
家族みんながすごく反対したのだとか。
多くを語らない彼は
どんな反対があったのかを教えてはくれないが
たぶんそんな事情が背景にあるのだろう。

だから、彼の肩越しに見える彼の家族は
とても結束力がある。

それはいいことなのだが。
だが、弊害もある。
それはフィルマンがお父さんの言うすべてを
丸呑みしてしまうことである。

家は、お金を生み出さない。
家へ投資は、住む場所としての拠点づくりにはなるし
時として重要でもあるが
すでにその場所に家を構え、
新しくしたいという欲求と
日本に行っただけで成功と思われる文脈で
建ちあがる新築の家は
僕はほとんどその意味がないと思っている。
だからこれまでも実習生には、
土地や生産体制にお金をかけろ、新築の家は最後に、
と口を酸っぱくして言い続けている。
それでも帰国してすぐに家を建てる人は
いるんだけどね。

フィルマンのお父さんの計画はこうだ。
フィルマンが日本に行くので、家を新しくして
1階を自分たちの家、で2階部分をフィルマンの家にして
2階部分の材料費はフィルマンの日本での
稼ぎを当てればいい、で、
帰国までの間は空き家にしておくのはもったいないので
賃貸で他人に貸せば、一石二鳥だ、というもの。
家を建てて賃貸に充てることは
投資としてはありだとは思う。
人口が増加していて、フィルマンの故郷は
どんどん町が広がっているというし
ちかくに大きな工場地帯もあり
そこへ通う労働者家族も多く住む地域らしく
その情報が本当なら
賃貸は悪くはない。

だとしたら、賃貸がビジネスとして成り立っているのかどうか
これを計算しないといけない。
だからフィルマンは
ここ数カ月は、月間レポートでは
この計算に時間を費やした。

家を今から建てるとして
早くても来年に完成し、来年中に借り手が見つかれば
早い方だろう。
お父さんの設計構想では、部屋は多くても3つ取れるかどうか。
他の実習生たちはその広さだと2つが限界という声もあったが
おまけで3つ取れることにして計算。
帰国まで1年くらい残して
その部屋を借りる人が現れたとして
1部屋1カ月の家賃が、350,000~400,000ルピア。
その地域の賃貸データからその線が妥当となった。
1年で得る収入は、14,400,000ルピア。
50万円はルピアに換算すると6800万ルピア。
4年と9カ月貸し続けてようやく元が取れる計算だ。
帰国して3年9カ月は彼は別の場所に住まないといけないし
リフォームも必要になってくるだろうから
普通住宅の広さの2階部分だけを貸すというのでは
部屋数が少なすぎてまったく投資に見合わないことが
よく解った。
また
実習生として貯金できる金額の1/3ほどの
お金を投資してしまえば、他の事業の投資額が小さくなり
分散する分、効率は悪くなることも予想される。

これらの計算を
フィルマンはお父さんにも伝え
かなり話し合ったようだ。
結論として
彼は新築計画を一旦白紙に戻すことに決めた。
日本に行けば、大金が手にできる。
たぶんそれはそうだろう。

今3年生のデデが日本での貯金を
インドネシアに居ながらして貯めようと思うと
どれくらいかかるかを
かつて試算したことがあった。
彼のように農業資源の豊かな地域の場合だが
少なくとも8年間贅沢を避け貯金し続ければ
可能だろうという試算だった。

それが3年の間に親に仕送りもしつつ
贅沢はしないものの自分たちの
欲しいスマホやパソコンなどの電化製品も買いつつ
尚且つ、8年分の貯金も出来てしまう。
となれば、大金というイメージもあるだろう。
だが、事業投資としてはとても小さく
それだけ貯めても全く大きな事業を営めないのが
実習生たちがずーっとぶつかっている現実なのだ。
インドネシアの銀行がもっと農業分野にも
資金を貸し付けてくれれば(低金利でね)、
良いんだろうけど
そういう貸し付けはあまり見当たらない。
だから自己資金になるのだけど
それだけだとどうしても資金が小さい。

フィルマンはその資金の小ささを
どこまで理解したのかは不明だが、
自ら父を説得し
新築への投資分散を回避した。
ただ、その発表をする彼は
とてもさみしそうだったし、
小さなフィルマンが
もっと小さく見えた。



関連記事
1年生のアンギの心は揺れ動く。
月間レポートでは
帰国後のビジネスプランを作り上げていく作業をしているが
先月からアンギは
父のお粥屋台を引き継ぎたいと
言いだしている。

彼は自身の生活世界を把握するために
行ってきたプロフィールづくりのなかで
実際の営農に必要な資源の無さや
生活圏での土地購入のむずかしさに直面していた。
それでも何とか
夏が終わるころには親戚から土地を購入する約束も取り付け
ある一定の農地を確保していた。
しかし、その農地での営農計画も
先輩たちから計算式が間違っていることを指摘され
収益も大幅に下降修正させられていた。

農地を購入して
そこでの葉菜類栽培したいとの夢とが、
投資と収益の差が現実的な数字で表れたことに
愕然となり
彼はなかなか次の方向性が定まらないままだった。

1年生なのでそんなに慌てることはないのだが
毎月やってくる月間レポートの検討会が
彼の背中を押すのかもしれない。

そこで彼が行きついたのは
父親の生業である屋台によるお粥販売であった。
この生業を受け継ぎたいと言いだしたのである。

父親のお粥屋台販売は
僕としてはまったく知らなかったのだが
やり方次第ではかなりの売り上げがあることが分かった。
父親が息子に話す内容なので
やや話し盛り気味だとは思うが
それでも月に4,000,000ルピアの売り上げがあるというので
思っていた以上の金額に驚いた。
で、あまりにも良い稼ぎなので
良い仕事だねぇ~と褒めていたら
本人はどうもその気になったようで
急に先月からお粥屋をやりたいと言いだしている。

お父さんの仕事はお父さんの仕事。
それを取っちゃダメでしょ、
と諭すと、先月から今月の間に
お父さんと話を付けてきて
お父さんは足が悪いから、そろそろ引退したかったらしいとか
自分が出資して作るレストランの店番を父にさせるだとか
そんで代わりに自分がお粥屋をやって売り歩くとか
ノタマフ。

何かビジネスプランが無ければ落ち着かないのかもしれない。
で、それに向かっての行動力は大したものだけど
本当にそれがいいのかどうかは
僕には判断付かない。
ただこれまでの子たちを見ていると
最初の思いつきでそのままビジネスプランとして
実行した子はいないので
とりあえず、お粥屋はお粥屋でいいとすることに。

さらに前回注文を付けた
お粥屋さんの生活サイクルも今回しっかりと調べてあって
やはり昼夜逆転の生活になる事が解った。
朝食向けにお粥を販売するのだから
準備は夜中の1時からで
午前中の10時頃までが販売時間。
昼からは事前に準備できるものや買い出しに追われる。
思ったよりもハードな仕事で
これをやり出すとこれ以外は出来なくなりそうなことは
容易に想像できた。

ただ彼は
これと同時に農業もするというのである。
なので、ひとつ彼に宿題を出す。
お粥屋と農業を合わせて生業とする利点は
なんなのかを説明すること。
ただ単にくっつけただけなら
やらない方が良い。
疲れるだけだし、きっと体を壊すから。
でも利点があるなら、人を雇ってでもやるべきで
そうなると上手く儲けを出るような
それらの接点を見出さないといけない。

一か月で彼が何に気が付くか。
それは僕も解らない。
これまでもそうだけど
これからもこの手の指導はライブ感にまかせて
進んでいくことになるだろう。

しんどいけど、
ま、頭がフル回転するので
楽しいね。



関連記事

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
11 ≪│2018/12│≫ 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ