今年はどうも大変化の年なんだろうか。
一昨日の夜中に
インドネシアのタンジュンサリ農業高校に
派遣していたスタッフ立崎から連絡がある。
それは
カルディ校長先生が異動になった、
というものだった。

カルディ校長は、タンジュンサリ農業高校の卒業生で、
教職についてこの方
ずーっとタンジュンサリ農業高校で教鞭をとり、
次々替わる政治家校長と違って、たたき上げの
校長先生だった。
しかも来年が定年で
このままタンジュンサリ農業高校で定年を迎えることを
誰もが疑っていなかった。
そのカルディ先生が7月から別の高校へ異動になるなんて・・・。

僕や福井農業高校との関係も長い。
2002年にインドネシア・タンジュンサリ農業高校からの
招へい事業にもカルディ先生は関わっていて
当時は教務主任のような役職だった。
なんどかメールや電話でやりとりをした記憶がある。

2008年から始まった
農園たやでのインドネシア技能実習生受け入れの時も
副校長先生として関わり、
同僚のユスフ先生と一緒に
その当初から尽力いただいていた。
だから校長先生に昇格された時は
本当に嬉しかった。

農園のスタッフを青年海外協力隊枠で
タンジュンサリ農業高校の
農業教師として赴任する話も
カルディ先生との話し合いから始まった。

そんな一連の活動が
名門タンジュンサリ農業高校の名を
再び高めることになった。
交流当初は500名ほどだった学生も
年々増え、
今年は1000人をいよいよ超える予定で、
時代の流れに沿って
他の農業高校は軒並み前年度割れを
起こしているのに
タンジュンサリ農業高校だけは
どんどん入学希望者を増やしているのが現状だった。

すべては彼の理解と意欲が
これらの物事を進める原動力だったと
言っても過言じゃない。

僕も長年
高校間の相互派遣事業にかかわっているが
やはりトップの姿勢が一番
その事業に影響を与える。
もちろん、担当者の熱意も大事だけど、
それ以上にトップのやる気が大きい。
そういう意味では
カルディ先生はとても大切なパイプだったし
仕事相手としては最高だった。

立崎の情報は早かった。
異動が出たその日に、
仲良くしていた教員から連絡を得て
それを僕に送ってきてくれた。
たった半年しかいないのに
すでに中枢に係わっている先生と密になっているところが
素晴らしい。
その連絡を得て、こちらでもあれこれとさぐりを入れ
カルディ先生の異動が
降格や懲罰の人事ではなく
定期異動の範疇だということ
新しく来る校長先生の名前や前歴等の
情報は確保できた。
とりあえず、カルディ先生のやってきたことが
評価されなかったわけではないらしい。
よかった。

でもやはりタンジュンサリ農業高校のような
それぞれの分野の職業系高校が
法律の施行により
それぞれの管轄省庁から教育省に
移行した影響は大きい。
ちなみにタンジュンサリ農業高校は
農業省管轄から教育省管轄に移動。
これにより校内人事を含め
すべてが教育省の定例異動の対象となり
今回初めて校長先生がその対象となって異動した。
今後、2年1回校長先生の異動があり
たぶん他の先生の異動も起こるだろう。
ますます交流事業や研修事業の
引継ぎが難しくなっていくと想像する。

新しい校長の情報は
出来るだけ早く収集するつもりだが、
今はカルディ先生との思い出に
浸りたい。
16年間、本当にありがとうございました。



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5月から
結社雪解の福井の会の
若手勉強会が始まった。
僕と医者の梅田先生の日程に合わせてくれて
第四土曜日の開催。

これで句会は月に3回。
投句先を考えると
これ以上増えるのは大変だけど
句会はとにかく勉強になるから
頑張ろうと思う。

さて、その勉強会の第一回目に
雪解福井本会の会長である伊藤先生が
サプライズで参加していただいた。
僕は初めて伊藤先生と句会をご一緒したのだが
先生の選句6句中、3句取り上げていただいてしまった。
伊藤先生から
「徹さんは、太い句を作るんですね」と
お声掛けいただいて、とても嬉しかった。
そんな風に
自分に作風があるとは自分では思ってもいなかったし。
夏だから、思いっきり夏らしい句をと思って出したのが
良かったのだろうか。

太い句。
そのフレーズがとても気に入った。
これからも句会頑張っていこうっと。


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インドネシア語でTumpang sari(トゥンパンサリ)とは
日本語で混植を表す。

ダニ(実習2年生)の5月の月間レポートは
まさにその混植の勉強だった。
インドネシア、特にジャワのスンダ地方では
この混植農法が日常に浸透している。

混植とは二つ以上の種類の野菜(植物)を
混ぜて植えることを言う。
日本でも、家庭菜園レベルでは良く見かけるやり方でもある。
プロ農家もたまにだがこういう方法をとる方もいる。
ここでは特定の農法の
良し悪しを論ずるわけではないのであしからず。

ダニのレポートの面白いところは
(だとしても、たぶんネットのコピペだろうけどね)
インドネシアの混植を3つの種類に分けて
説明している点だ。

一つ目は、Tumpang sari(トゥンパンサリ)。
これはこのままで混植と訳されるように、一般的な混植。
二つ以上の種類の野菜を混ぜて栽培する。
必要な肥料養分が一緒だったり、
草型によっては日射で競合したり、
またアレロパシー等の物質を出して
お互いの生育を阻害したりもするので
混植する作物の相性は、よく見ないといけない。
コンパニオンプランツとして
病害虫の忌避や互いに生長を高め合う組み合わせがあるので
それで組み合わせることで資材やコストの投入を抑える
低投入型農業にもなる。
土地利用率も高まるし。

二つ目はTumpang Gilir(トゥンパンギリル)。
日本語で近いのは輪作だけど、
このTumpang Gilirは、もっと積極的に混植に近い。
輪作は、前作と後作で違う科の野菜を作ることで
連作障害を避ける目的で行われる。
なので、前作と後作があんまり重ならないというか
混植にはならない。
それがTumpang Gilirは輪作的発想だが
前作の後半と後作の前半が重なり合っているイメージだ。
例えばまずトウガラシとキャベツを
1つの畝に一緒に植える。
キャベツが先に収穫を迎え、
その後トウガラシが大きくなり収穫を迎える。
トウガラシがある程度収穫が始まったころに、
インゲン豆のタネをトウガラシの脇に蒔く。
トウガラシが収穫が終わりを迎えた頃
インゲン豆がトウガラシの支柱に絡みついて
次の収穫が始まる。
という、そんな感じ。
途切れず何かが生長し、何かを常に収穫する。
そんな感じ。
日本だと
エコロジストに人気になりそうな農法だよなぁ。
これだけを極めてレクチャーするだけで食べていけるかもなぁ、
とやや意地悪くも思うけど。

三つ目は、Tumpang Sela。
これはアグリフォレストの概念そのもの。
樹木等(果樹・コーヒー・お茶なども含む)を植栽して
その間で野菜などの短期で収穫できるものを
樹木が大きく生長するまで栽培する形式。
森林保全などの文脈でよく登場する農法。
野菜栽培ができるのは、木の種類にもよるけど
だいたい3年ほど。
その後はその木が果樹であれば
果樹園として利用する。

これらの利点は、
ダニはこうまとめていた。
①継続して収穫を得ることができる。
②耕作地の収穫を最大にできる。
③病害虫の防除に効果的
④低投入農業の実現
⑤土地保全
⑥地球温暖化回避
⑦人間の健康の維持

ま、⑤~⑦はややプロパガンダ調で
それがほんとにそうなるのかどうかは
科学的に実証されていないようにも思うけどね。
彼のプレゼンでは断然
①と②の意味が高いようである。
まさにスンダ的だ。
人口密集と耕作地の少ないジャワ、特にスンダ地方では
土地利用を高めることと
収穫に端境期があるとそれだけで
小農の家計がスタックするので
それを回避するための意味が強くなる。
さらにはPekarananganというスンダ人の
思想を自己菜園とした文化があり
その作り方と、この混植文化は
よくなじむ。というかそこから派生したのかも。
そこにヒンドゥー的自然観が入り
エコロジストよろしく
Tumpang Sari農法はまさに世紀の農法のように
評価を受けることになる。

でね、ダニさん。
20年後も30年後も
このTumpang Sariがインドネシアとは言わないけど
スンダ地方の農業を支える柱になると思うかい?

ま、福岡正信の自然農法の本などが
インドネシア語にも訳されていて
僕が通っていたボゴール農科大のエリートたちが
(みんな農業省の官僚か大学の先生になりました)
こぞって称賛していたことを考えると
有機農業や自然農業といった
エコロジカルな市場が今後形成されて
そこに供給する主な農法として
Tumpang Sariなんかも特化して残る可能性もある。
にしては、貧農の農法イメージを払しょくするカリスマが
時代によって何人か必要とされるだろうけど。
ま、ダニさんは今のままではそのカリスマには
ちょっと足りないかな。

混植を支えているのは
効率に発展できないインドネシア・スンダ地方の農業の
問題点のそれぞれであり、
その縮図が混植でしかない。
農業分野で高度成長を生き残ろうとするのなら、
都市近郊であれば、こうした農法を売りに
安全安心が商売に成り立つ。
癒しだったり、スピリチュアルなサービスとして
もしくは体験農園や市民農園の
サービスとして、生きていけるだろう。そりゃもう十分に。

だが、増え続けるインドネシア人口を
この農法が支えることは不可能だ。
と書くと批判を受けようか。
不可能じゃなくても、
他の可能性の高い方法に
競争で負けてしまうってこと。

ダニさんの住む地域は、
高原地帯の大規模野菜栽培産地であり
大規模お茶産地。
だが、二つの要素で
Tumpang Sariが幅を利かせているだけだ。
僕が教えている農業の構造授業をきちんと
理解していないから、
未来の農法としてTumpang Sariなんて言い出すんだよ。

いいかい、ダニさん。
二つの要素の一つ目は、
まずは農業機械だ。
耕起が機械化されていないから
自由に畑のレイアウトを簡便に変えることができない。
鍬だけでの耕起&畝たては大変だ。
手作業ならば、
一度作った畝は何度も使った方が、効率がいい。
でもトラクターがあれば、その作業はずっと楽になる。
そして収穫を機械化すれば
ごちゃごちゃして植わっている畑では機械は使えない。
機械の規格に合わせてモノカルチャー化しなければ
効率の競争で負けることを意味する。
ダニさんの地域では
大規模化して機械化する農業企業が
これからまだまだ増えてくるだろう。
都市からずいぶん離れているのを利用して
週末滞在型の農業観光地でも目指さないことには
機械化が遅れれば、この競争に負ける。

もう一つは、政府の森林保全政策だ。
プルフタニという森林公社が農民が
樹木(果樹・お茶・コーヒーなども含む)栽培をすることを前提に
国有地の耕作を認める政策を出している。
そこでダニさんの住む地域の農民の多くは、
プルフタニと契約をして
お茶栽培をしている。
お茶の樹間を大きくとって
その間で伝統種のトウガラシを栽培するのがポピュラー。
もともとはこのトウガラシが良く売れるということで
お茶とトウガラシの混植が無理やり生まれている。
政策がこのまま続くかどうかはかなり不透明だということもあるし
お茶とトウガラシの栽培の効率化を進めて行けば
とうぜん、別々に栽培を始めることになるだろう。
資本が農家にあれば
トウガラシとお茶は別々に栽培出来る土地を購入する方が
断然、収入は向上する。
お茶も機械化されると、間にトウガラシがあるのが邪魔にもなるしね。

だからダニさん。
君がその競争に勝つには
このTumpang Sariが大規模農業地で行われている
今こそ、その農業の構造を先に変化させて
自分の農業のカタチを変えることだと
僕は思う。

ちなみに
僕は環境は破壊すればいいとは思ていませんので
あしからず。
貧困はより環境も破壊するので
よりよい暮らしを皆が得て
質の高い教育を受け、それぞれが
他者のために考えられる社会を作ることが大事
(制度を利用して、特定の誰かだけが得するような
フリーライダーを許さない制度設計された社会ね、安倍さん)。

ダニさんも
規模を大きくし、低投入の効率よい農法を
(Tumpang Sariは低投入という意味では優れている)
故郷で展開して、
多くの農民の所得向上と
意識向上に貢献してほしいと思う。


関連記事
数日前の農業新聞に
こういう記事があった。

「農の語り」薄っぺらになった 紡いだ価値見失うな 百姓・思想家 宇根豊

たぶん、10年前の僕なら
そんなに反論はなかっただろう。
それどころか
これに賛同もしていただろう。
内山節も守田志郎も
この農業のあるある種のノスタルジィ的な
詩的な部分に焦点を当てることも多かったし
僕もそれはそれで農業や農村での暮らしの楽しみだと
今も思っている。
そういう風に風景を見ること自体、
僕ら農業者の多くが共感を覚えるだろう。
だが、薄っぺらくしているのは
宇根さん、あなた自身ではないかと思う。
内山も守田も
ただ単なるノスタルジィな視点に収斂はせず
そこに介する人々の目線に寄り添うものだった。

以前のエントリーで僕はこういうのを書いた。

内山節と再会する(2012.8.5)

そこで僕が書きたかったのは
宇根さんも含めて批判している
さまざまな反近代の視点の薄っぺらさだ。

それらの中に潜みこんでいるのは
自然回帰主義であって
僕らの今の現状を何も救い出してくれない。
たしかにそれらの視点は
僕らの現場での自然との交感に対して
ある一定の視点を与えてはくれるが
その視点が正当化されることで
とても窮屈な固定化された見方にしかならない。
あなた達が農業の近代化を批判するが
現場では何が起きているのか知っているのだろうか?

問題は、相対化していくことではなく
主観的に、また間主観的に
それらと対峙している我々を見つめる視点こそ
本当に必要なのではないかと思う。
そしてそれは
もちろん自然科学の中で解明されることもあるだろうが
文学的にも表現できるものだとも思う。

宇根さん、必要なのは文学なんです。
反近代的な文学でも良いんです。
そこにリアリティがあればだけど。
その視点のリアリティに僕らは感動するのです。

僕が俳句に走ったのは
たぶん何かを表現し、その感じた何かを
何かで形作らないといけないという想いが
飽和したからだと思う。
宇根さんの持論は
ここ何年も変化しないですね。
あなたはまだ飽和していないのでしょうか?

それが文学でも良いし
絵画でも良いし
映像でも良い。
薄っぺらい批判を新聞のトップに載せるような
はずかしいことはもう止めてほしいと思う。


関連記事
今年、11期生の技能実習生を
2名とろうと決めたのは、
彼らが3年生になるころに
現在派遣しているスタッフの立崎が
農園に戻ってくるからだった。

実は5期生も2名とったことがあった。
少しでも卒業生を増やし
インドネシアの農業・農村のリーダーにと
思ってのことだったが
経費が嵩んでしまうことと
人数が増える分、卒業研究などの
重要な研究の指導しきれないことがあり
6期生からはやはり1名ずつとなった。

それが立崎が戻れば
それだけインドネシア語で指導できる人材が増え
研修や勉強だけでなく、日常の作業でも
上手く回っていくのではないかという
期待があり、
11期生から2名と決めた。

また、これは人材確保の視点から
研修が終了して、彼らが農村に戻った時に
リーダーとなる優秀な人材が欲しかった。
で、これまでの提携先のタンジュンサリ農業高校で
生徒会長や成績優秀者だった生徒で
農園に実習生で来なかった人たちは
どこでどうしているのか少し調べてみた。

すると、そのうちの数名は
技能実習生として日本に来ていたことが分かった。
ただ農園は社会人経験を重視し、
21歳以上でしか受け入れないため、
そういった生徒たちは卒業と同時に
実習生として日本に来ていた。
また台湾や韓国に行くケースも散見され
優秀な人材確保の意味では
うちはすこし出遅れ感があった。

ただ19歳で受け入れると帰国しても年齢は21歳。
はたしてその年で地域リーダーとして
腰を据えて地元で活動ができるのだろうか?という
不安がある。
結婚にも早いし、身の丈に合っていない預金を
自分の進む道を定めて、うまく使いこなせるのかどうか。
その葛藤はあった。
だが、やはり優秀な人材を先にとられてしまっては
せっかくの地域リーダーになる素質のある人間を
失ってしまうことにもなりかねない。
そこで11期生からは
社会人枠(21歳以上)と新卒枠(19歳)の2つを用意して
実際にやりながら経過を見ていくことにした。

ちなみに
現役の実習生たちにも、この新卒枠については
相談したが意見は賛成と反対どちらもあった。
賛成の意見では、
農園たやで研修を目的にしていても
一旦就職しなければならず
その仕事が中途半端になるということだった。
実際に8期生のイマンと9期生のデデはそんな感じだったらしい。
反対の意見としては
19歳では異国の環境での仕事に耐えられないのではないか
というものだった。
始めて社会に出て仕事をするのが日本では
やはりかなりきつい、という意見。
ま、この辺りは日本の青年海外協力隊の新卒と社会人経験の
議論に似てはいるかな。
協力隊を新卒で参加してインドネシアに迷惑をかけた自分としては
たしかに新卒の何もわからない若者では
仕事にならないかもしれないが
経験としては決して悪くはない。
ということで、新卒枠を11期生から設けた。

その19歳枠で来たのがフィルマンだった。
印象は「可愛らしい」の一言。
19歳なんてそんなものか。
控えめであまり自分を出す感じでもない。
成績は一応優秀だったらしい。
なんせ急に決めた新卒枠だったので
タンジュンサリ農業高校でも若干選考に混乱があったらしい。
制度変更の場合は、次回からはもっと早くに連絡するようにと
めずらしく通達を受けた。
あらら、ごめんなさい。

さて、その彼について
このカテゴリでも大いに筆を振るって書いていこうと思うのだが
まずはこれついて記録しよう。
彼が来たのは大雪が少しおさまった2月21日。
前回紹介したアンギ(社会人枠)と一緒に来日した。
アンギに比べたらおとなしく、あまり言葉を発しない。
すこし咳をしていて、弱弱しいイメージだった。

その彼、
来日時に受けた健康診断で
再検査に引っかかってしまった。
それも生活習慣関連というよりは
肺に影があるので至急とのすこし怖い引っかかり方だった。
慌てて再検査にいくと診断は
「結核」とのことで
翌週の頭にすぐに隔離病棟に収監されてしまった。
それからは農園でも大混乱だった。
接触者全員が検査を受けることになり
また人手が1名足りないまま
大量発注の来るGWを迎えることに。

フィルマンも言葉は出来ないのに隔離病棟で
しかも来日直後で携帯電話も契約していないし
Wifiも使えない状況で家族とも外部とも一切連絡が取れない状況に
放り込まれてしまった。
19歳で初めての社会人経験で
始めての日本で
そして初めての隔離病棟。
どれほど不安だったろうか。
面会時間に制限があったため
僕も週に1回程度しか面会に行けなかったが
行く度に弱気になっているフィルマンが痛々しかった。

ただ、結核という特殊な
それでいて結構日常にあふれている
病気について、
ただただ怖がるだけでなく、
知識を深めていく中で僕らは
あることに気が付いた。

フィルマン、お前ラッキーだったなって。

彼が結核にかかったのは
正確には分からないが
高校2年生の時にかなり仲の良かった子が
結核にかかり一時薬を飲んでいたらしい。
結核菌が肺に入ると7割の人は一生発症しない。
2割は数年~数十年が経ってから発症する。
そして1割が入ってすぐに発症する。
フィルマンはたぶんこの数年~数十年の
2割の部類だったのだろう。
話を聞くとインドネシアでも少しが咳が出てたらしいし
僕が空港で迎えに行った時も
やたらと咳の出る子だなぁ、という印象だった。
だから途中のSAに何度も寄って、
水分不足なのかと思ってジュースを買い与えたんだもの。

で、その彼は入国直後の会社の検診で
結核と分かり
今、治療を続けている。
現在はすでに隔離病棟から出て
普通に生活をしているが服薬はこのあと半年以上続く模様だ。
ただもう排菌といって外に菌をばらまいていないので
彼に普通に接触しても大丈夫なのであしからず。

もし彼が今回の選考で日本に来ることが無ければ、
と僕らはよく想像した。
フィルマンが言うには、
インドネシアの自分の村ではあまり医者に行かないという。
だから、最近咳が多いなぁ~と言いつつ
良くても風邪薬を飲む程度だったろう。
そのうち咳がひどくなり
いつし喀血もしていたかもしれない。
その時に慌てて医者に行っていても
もしかしたら間に合わなかったかもしれない、と。
そう思えば、
ここに来ることになった経緯も
僕らが新卒枠を作ったことも
なんだかすべてが君に生きろと言っているように
感じられる。
「だから僕は一所懸命勉強します」
隔離病棟から出た彼はそう言っていた。

うん、君は生きろということなんだろうから
その分も頑張りなよ。




田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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